あなたのおじい様の戦争体験を教えてat ARMY
あなたのおじい様の戦争体験を教えて - 暇つぶし2ch398:まりも
03/06/21 13:46 dtJYQlVU
うちの爺さん、満州で股間を撃たれて帰国。 ケツの肉を引っ張ってきて縫い合わせたらしく、凄い傷跡。

399:名無し三等兵
03/06/21 14:19
>>398
助かって良かったですね。
満州からは生きて帰れない人もおおいので、
じいさんの運の強さに感謝すべきかと。


400:まりも
03/06/21 15:26 EHj8NfBL
本当に運のイイ爺さんです。しかしどういった状況だったのか、一切語ってくれないんですよ。謎です。

401:名無し三等兵
03/06/21 15:27 l44DZG2s
特攻隊志願、終戦2日後には出撃予定、中尉だったらしい。

402:名無し三等兵
03/06/21 15:34
みんなすごいなぁ。ウチのじいさんはろくな話ないよ。

片方は陸軍士官学校60期かなんかで教官の兼松隊長とか言うのがルソン島に引っ張られちまって逝っちまったっていう話だけだし。


もう片っ方は技術仕官で広島の山でなんか建設作業してたら原爆のきのこ雲が見えたって言うのと。
あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら(よく意味がわからないが)隊長にばれてボコボコにされたっていう話。

どっちも戦地に言ってないからダメポ。


403:名無し三等兵
03/06/21 15:34
>>400

ウソだったんだよ。

じじいなんてそんなもん。

404:名無し三等兵
03/06/21 15:37 l44DZG2s
川にダイナマイトってのは多分その音で失神した
魚を手当たりしだい拾うという現在禁止されてる漁の仕方のこと
ではないだろうか?

405:名無し三等兵
03/06/21 17:02
>>400
辛い経験だったのかも。
話したくないならば、そっとしておいてあげて。


406:397
03/06/21 17:04 dgQZYo82
>>402
>>404
多分そう。
うちの祖父も、手榴弾川に放り込んで魚取ったと言っていた。

407:名無し三等兵
03/06/21 17:05
>>402
>あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら

水中で爆発が起こると、水は振動を伝えて、魚が死んでしまう。
んで、その魚をとると。
しかし、この漁法は404さんの言うとおりに禁止されている。
なぜかと言うと、釣りや漁と違って根こそぎ破壊してしまうから。
だから、上官に地元民もつかっている川で
そんな事をするなと怒られたのかも。

408:名無し三等兵
03/06/21 17:10
>>407
つまり底引き上げ漁業を更に手荒くしたものか・・・・実際対馬海峡なんか、漁獲量がなあ。

そう言えばうちの祖父さんが「軍事教練をまともに受けた最後の世代なので、
装備は一通り扱えたからあれやこれや便利に使われたよ」と苦笑していた事があったけど、
小中学生に対する軍事教練って、戦争直前は無かったのかな。
それとも軍需物資や人員が前線部隊へ集中され、軍事教練が簡略化されたとか?

409:眠い人 ◆gQikaJHtf2
03/06/21 17:13
>>408
兵士が足りなくなって、工員、農業労働者が足りなくなって、勤労奉仕の方が
学業よりもメインになって、そう言う余分な物に時間を掛けていられなくなったとか。

410:ダイナマイト漁は危険
03/06/21 17:46
>>402
夏場なんかは、魚と小学生が一緒に浮かんでくる可能性もあるわけで。

411:名無し三等兵
03/06/21 18:36
お魚はもういい。

412:名無し三等兵
03/06/21 20:08
>247、248
亀スマソ

お前ら!
家帰って居間でTV見てたら
爺ちゃんに
「人様の家に勝手に上がりこむとは、どういう躾をされたんだ!?出ていかんかぁ!!!」
っていわれた事があっても同じ事言えるんだろうな!?



・・・(ノд-。)マァシナレテモカナシイワケダガ

413:名無し三等兵
03/06/21 20:32
>>412
それは悲しいな・・・。


414:名無し三等兵
03/06/21 21:46
NHKアーカイブスなんかで、40年代の戦争ドキュメンタリーを見てると、
戦争経験者が若い・・・・

年寄りが喋ってるよりなんか生々しいんだよね。記憶も確かだし。

415:名無し三等兵
03/06/21 22:44
うちのジーちゃん・・・憲兵だったけど終戦後も何故かピンピンして帰ってきたらしい
温厚な性格で兵士から人気あったらしい・・・

416:名無し三等兵
03/06/21 22:45
っていうかTVに出ている老人の殆どはDQNばっか

417:名無し三等兵
03/06/21 22:52
うちのじいさんもTVにこそ出てないがDQNっていうか、
日本軍嫌いの右翼マニアそして歴史マニア。
広島県に住んでおきながら解放同盟に公然とけんかを売って、
家を囲まれたという武勇伝(?)がある。

418:名無し三等兵
03/06/22 01:07
漏れのジーさん、潜水艦乗りとか言ってたけど陸軍にいたとか言ってたなぁ。
あのときはもうぼけたから海軍と陸軍ごっちゃになってたのか、今になってはもう効くことができないけど、、、

419:名無し三等兵
03/06/22 01:53
>418
日本陸軍には潜水艦部隊が実在したそうで。
URLリンク(ip.tosp.co.jp)


420:名無し三等兵
03/06/22 02:36
陸軍は輸送船も建造していた。官僚主義もここに極まれり。

421:名無し三等兵
03/06/22 03:05 1+cDxrjs
空母や魚雷も開発してた、、>帝国陸軍

422:名無し三等兵
03/06/22 04:15
漏れの爺さん、海兵出の将校。
以前「丸」に手記載せてた。
零戦に乗ってたが、戦闘機を打ち落としたことはないらしい(w
二回か三回撃墜されてそれでも生き残った。同期はほとんどあぼん。
撃墜されてパラシュートで脱出したとき大火傷を負い、落下しながら八百万の神に
「助けてください。おながいします。」とひたすら祈ったそうだ。
その欲張り&小心な爺ちゃんのおかげで今の漏れがいる(w

423:>>139
03/06/22 06:23
>>393
お答えサンクス。そういうことがあったんですね。
本土防空戦で命懸けでB29と戦った139さんのおじいさんに、日本人
として感謝します。




424:名無し三等兵
03/06/22 19:27
>>421
毎度腐すのもアレだがある意味泣ける話だ・・・。
海軍が戦車造ったことぐらいは知ってたけど。

425:名無し三等兵
03/06/24 13:03 MBQrOFv7
うちのじいちゃん
      樽生達人

426:名無し三等兵
03/06/24 14:41 burQu15m
日本で最初に戦略渡洋爆撃を行ったのは「海軍陸攻」
つうか、海軍が戦略都市爆撃おこなうなよ(w

427:名無し三等兵
03/06/25 00:41
>>426

「海軍の陸攻」もしくは「96陸攻」のほうがいいかと。

428:名無し三等兵
03/06/25 11:08 4EfCbeT7
うちのジジイはアメリカ移民の子供。戦争はじまる前に帰ってきて何年か
日本で過ごした後、徴兵されて満州へ。

配属先の中隊長が知り合いで、”お前なにがやりたい?”と聞かれて、”
わしゃ、訓練がないところがええの。”と答えたツワモノです。

軍隊ではトラック運転したりご飯作ったりしてたらしい(w

”兵隊が米ばっか喰う、米が足りないと恨まれるから、軍曹が倉庫の番
してる奴と話して、気を引いてる隙に、他所の隊の米まで積んでくる”
とか、
”カレー粉が余って仕方がなかったけど、捨てると怒られるので、隠れて
捨ててた。”
とか、
”戦争には行ったけど、鉄砲一回も撃った事ない。”
とか、勇ましい話は一切無しでした。

アメリカ時代の写真を見る限り、結構な暮らしだったみたいなんで、鬼畜
米英とか言われても、ハァ?とかそんな感じだった見たいでつ。

ちなみに寝たきりになってからは、しきりに”アメリカに行きたいなあ。”
と言いながら、他界。棺おけには合衆国の地図を入れて焼きました。



429:ななし
03/06/25 11:40 UAfdyZh2
428さんへ 
え、おじい様は日系米国人だったんですか?
詳細を希望.

430:428
03/06/25 11:56
曽祖父が移民船でカリフォルニアに渡ったという話。詳しくは俺も良く知らないのです。
ただ、当時の写真がいくつか残ってて、親戚の経営する雑貨店で一族が移ってる奴
とか、ピクニックに行ったときにとったらしい自動車を背景にした奴とか、

あと見たことはあるけど、父の実家のどこかに埋もれちゃったらしくて発見できない
白人ばっかりのなかに、日本人が2、3人まぎれてる小学校の時の写真とか見る限り
かなり不自由のない生活してたっぽい。

意外と資料としては貴重なんだろうか?そういう写真とかって。

ちなみに、満州は一番良いときに行って、帰ってきたあと、再召集は無かった模様で
す。そのご某財閥系造船に勤務して、それなりの生活してたので困窮するようなこと
は無かった模様。

婿養子に行った時に、肉を食いたいのに、曾祖母が肉を食うのをえらく嫌うので外で
七輪で焼いた話とかしてますた。

431:名無し三等兵
03/06/25 12:50 NA+sUn/u
私の大叔父は、満州に送られて金日成と戦っていたよ。
もっとも北朝鮮の偉大な建国者として崇められている金日成とは、別物だろうが。。

当時は複数の金日成がいたそうだし。

432:名無し三等兵
03/06/25 14:44
>>431
今のキムはもともと別人だったそうです
名前もキムイルソンじゃなかったそうで

433:名無し三等兵
03/06/25 16:51
伝書鳩を扱う部隊ってどうゆう部隊なんでしょうね

434:名無し三等兵
03/06/25 17:04
>>433
前線にいる部隊

435:名無し三等兵
03/06/25 18:14
うちのじいさんは重巡洋艦妙高に乗って、エンジニアとして
インドネシアに行ってたそうです。
ガキの頃はいろいろと話聞きました。
まあ、今は家庭内の事情で会うことができませんが・・・。

436:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 18:57
3年前に逝ったうちのじいちゃんの話、聞きたい人いる?
階級は憲兵少尉だったそうでつ

437:名無し三等兵
03/06/25 19:06
>>436
聞きたい

438:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 22:00
んじゃあまず、昇進具合から書きます。

昭和5年1月10日 第八大隊第一中隊に入隊 二等兵
     10月1日 一等兵
     12月1日 上等兵
   6年11月23日 帰休除隊
   7年3月11日 憲兵 上等兵
   10年2月2日 伍長
   11年4月21日 軍曹
   13年7月22日 曹長
   15年2月 陸軍中野学校配属
      12月 常州分遺隊長歴任
   16年8月1日 准尉
      10月7日 勲六等、端賽章受勲を受ける
   19年4月 少尉
                     杭州憲兵隊本部附
第二軍司令官、西大将の護衛(北支済南)
          東久?宮中将身辺護衛
陸軍大臣板垣大将身辺護衛兼副官として任に当たる
(斉南、青島、旅順、京城、福岡、東京空路に同行)

だそうでつ、私はあまり詳しくないので分かる人がいたら
補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。

439:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 22:08
ちなみに上海市街戦や万里の長城の警護
にも当たっていたそうでつ。

440:名無し三等兵
03/06/25 22:13
5年前になくなったうちのじーさまは、戦時中横須賀で40サンチ砲弾
造ってました。腕の良い旋盤工だったのを買われて、だったそうです。


441:名無し三等兵
03/06/25 23:26
4月に死んだばあ様が旅順で陸奥に乗ったことがあるそうな。

442:名無し三等兵
03/06/25 23:34 NiQvOTAb
>>432
スターリンに拾われる前は、日本軍に追われてハバロフスクまで逃げてきた。
反日パルチザンで本名は金成柱。
せいぜい小隊長くらいしか勤まらなかったチンピラだよ。
だからこそ。無謀な朝鮮戦争を起こしたのだけどね


443:名無し三等兵
03/06/25 23:51
 近衛師団で陸軍軍曹やってたそうです。
 で、九段の本部で、新兵の招集やってたもんだから、敗戦後カンペキな
戦犯扱いで、一時は絞殺刑も覚悟したって言ってました。
 

444:名無し三等兵
03/06/25 23:52
絞首刑の間違いでつた。

445:名無し三等兵
03/06/26 00:58
>>435
私の祖父も妙高に乗っていました。


446:名無し三等兵
03/06/26 02:43
>>429
パープルハートの話で、映画かな?
こんな話をきいたことがあります。
日本人アメリカ移民って、教育だけは日本で受けさせる人が多くて、
兄はアメリカ軍に参加。
弟は、日本に滞在中に戦争がはじまって、日本軍で参加。
兄は日本人を助けるために、色々と苦労して日本人に投降を呼びかける。
その中で、弟を知らないか、知らないかと探し回る話がありました。

447:名無し三等兵
03/06/26 02:46
>>432
現在、金日成とされている、金正日の父は、
戦時中はソ連の中国人部隊を率いて、
大尉として主に満州でゲリラ活動していました。
朝鮮には、二度ほど進入した記録があるだけです。
ですから、431の御爺さんが戦っていたのは、
もしかして後の北朝鮮国家主席だったかもしれませんね。

すると、じいさん、なんで殺さなかったの!?と言う話になります。


448:名無し三等兵
03/06/26 02:48
>>438
>補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。

もっと聞きたい!!
補足よろじゃなくて、父か母にも聞き込みして!!
良い供養になりますよ。


449:名無し三等兵
03/06/26 03:16
>>446
山崎豊子の著作で「二つの祖国」というのがそれですね。
NHKの大河ドラマで「山河燃ゆ」と改題されて放映されました。
20年位前の話。

450:428
03/06/26 09:34
今日、大阪環状線で血色はいいけど年はかなりいってそうなお年寄りが
乗ってきて、出入り口の直ぐ近くに立っておられました。

座っていた若い女の子が”次降りますからどうぞ。”と席をゆずろうとした
ら、

”私も次に降りますから。”と断り、そのままその女の子に話し掛けておら
れました。

聞くとはなしに聞いてたら、”おじいちゃん、今年86だけど、戦争でガダル
カナルから生きて帰ってくるくらいだから、丈夫なんだ、お嬢ちゃんガダル
カナルって知ってるかい?、1000人行って、一人しか帰ってこなかった
んだよ”と・・・。

まあ当然そうきかれたお嬢さんはガダルカナルが何処にあるかも知らな
かったのですが、”知りません。”と答えず、”勉強しておきます。”と答え
てました。

もう10年もしたら、戦争に行った人たちはほんとに居なくなるなと思った
次第。

451:名無し三等兵
03/06/27 00:24
>>450
ほんのりええ話や・・・。


452:東雲 ◆m6tridVkuU
03/06/27 17:37
伯父はビルマ戦線でした。
志願兵だったため、早くから戦線に出ていたそうです。
補給が来なくてきつかったと言ってました。

食料を調達するのが命がけだった、と、酒を飲む
度によく言います。明け方にジャングルをコソーリ
移動して、落ちている果物を拾い集めたそうです。

倒した英兵がいい物食ってるのが皆に解り、
嫉妬も絡んで余計に勇猛になったそうです。
戦闘については余り話したがらないので、
話題は食べ物ばっかり。
完熟マンゴーはうまかっただの、英兵の非常食は
ビクーリするほどうまかった、など。

ただ、戦友がいっぱい死んだ、あんな思いは
もう勘弁だな、と最後は呟くようにいいます。
今春、春の叙勲の栄誉に輝いた時に靖国神社に
一緒に行きました。伯父は今まで戦友に逢わせる顔が
無いと、上京しても決して行きませんでした。
しかし、もう80を超え、伯父の中で何かが
変わったのかもしれません。

戦友の名を探し、見つける度に何かを嬉しそうに
呟いていました。一緒に行った漏れはなぜか
涙がこぼれました。

長文スマソ

453:名無し三等兵
03/06/28 00:02 s+Y38Hnv
>>450
実際は3人行って2人帰ってこなかったぐらい?

硫黄島は20人言って19人帰ってこなかったぐらい

レイテ島は100人言って97人帰ってこなかったぐらい

だっけ?

454:名無し三等兵
03/06/28 00:17 09DUQNJ1
京都伏見の16師団はレイテ島で1944年10月に全滅したが
実は帰還してきた兵士が620人くらいいたらしい
全滅といっても実際には一兵卒残らず皆無になったわけでなく
部隊の建制が維持できなくなり組織的戦闘不能になる寸前に
大本営やら師団司令部への連絡のために内地に帰した軍人がいたようだ
帰還してきたほとんどがこれについてきた便乗組だったとか

それでも戦時の師団編制20000人程度とすると620人といっても
100人に対して約3人・・・確かに100人行って97人は帰って来なかったという勘定になるな


455:名無し三等兵
03/06/28 00:31
よく死ぬ間際には「天皇陛下万歳」ではなくて「おかあさーん」と言って
死んでいったと言われますが、祖父の体験ではそうともいえないらしいです。
いくら死にそう、死ぬからといってもやはり「天皇陛下万歳」と言って死ん
でいったそうです。名誉ある戦死だったと伝えてもらうにはそう言いながら
死ぬことが必要だったそうです。

456:名無し三等兵
03/06/28 00:44 yA6KXf4i
こんなスレがあったんだね。

ウチはオヤジが超晩婚だったので、オヤジの話。

ウチのオヤジは中国の大連に渡って、専門学校(今の工業大学)
を卒業して、製鉄所に勤務していたのだが、昭和18年に招集され
て、訓練だけしてその後戻されたそうだ。衛生兵だったんだと。
実戦には全く参加していない。

訓練はかなり厳しく、起床ラッパが鳴るたびに鬱になったって言ってた。
衛生兵にされたが、訓練では38式を撃ったとのこと。「かなりよく当たる
銃」だったらしい。

オヤジの兄貴はノモンハンに送られて、ソ連軍の銃弾を肩に食らった。
5年前、ウチの実家に来た時、もの凄く怖かったと言ってた。

母方の兄弟も男が三人いて、一人はテニアン島で戦死。他の二人は
国内のどこかの師団にいて、双方とも衛生兵だったらしい。

また、オヤジが昔会社やってた時の部長が、陸軍特攻振武隊の少尉
だったと・・・。

以上がウチの一族の戦争体験。今年の夏、実家に帰ったらもうちょっと
詳しく聞いてみようと思います。




457:名無し三等兵
03/06/28 00:56 oTYbQwhG
うちの爺ちゃんは終戦の日に徴兵され大阪の訓練施設に
いったそうです。到着と同時に爆撃されてお前は通信兵だ、と渡された
通信機と司令官が吹っ飛とぶが、一週間訓練し家に帰ったらしい。


458:名無し三等兵
03/06/28 01:07
>>457
なんかワラタw

459:名無し三等兵
03/06/28 01:23
俺のじいさん穴堀りしかしてないって・゚・(ノД`)・゚・。

460:名無し三等兵
03/06/28 01:33
>>459
それでいいんですよ。
生きているのがなにより。


461:459
03/06/28 01:36
>>460

ありがとう。

462:名無し三等兵
03/06/28 10:52
じーさんは陸奥に乗っていた水兵だったようだけど…
爆沈の生き残り組だったのかな?心筋梗塞で逝って
しまわれたから闇の中だが。

463:名無し三等兵
03/06/28 11:46 s+Y38Hnv
>>454
レイテは全部で8万人いたわけだからね
海軍入れたらえらいことに・・・

464:名無し三等兵
03/06/28 14:09
うちの大伯父は、徴兵で末次信正連合艦隊司令長官の従兵やってたそーだ。
訓練など随分無茶やった長官だったが、従兵には非常に優しく、海軍の
古きよき時代を満喫した兵隊時代だったらしい。

465:名無し三等兵
03/06/28 16:11 PC+vxbLF
うちの爺さんは、満州の重砲連隊にいたそうです。よく
三角法の話を交えながら、大砲の打ち方を聞かされます。
 この間聞いた話は、大砲を馬ではなく13トンの牽引車で
引っ張っていったとのことで、当時としては珍しいことだったと
いっています。

466:名無し三等兵
03/06/28 16:56 hN2bk0sm
大学病院で隣のベッドにいたお爺さんから聞いた話。
徴兵されたとき、海軍でロシア近くの海を守る部隊に配属されたそうだ。
ご存知のように、あのあたりの海は落ちたら心臓麻痺で死んでしまう。
南方みたいに物につかまって何時間も漂流できない。
死ぬことを覚悟したそうだ。ところが実際には運良く(?)南方へ送られた人は
皆、アメリカ軍に"ボカチン"(沈没?)され生きて帰ってこなかったそうだ。



467:名無し三等兵
03/06/28 17:15
中国戦線に出てたらしい。
んで、終戦の報告が来たら「日本が勝った」と思ったらしい。
・・・中国では勝ち戦が続いていたんだなあ、と思った。

468:名無し三等兵
03/06/28 17:16 5eV8hH3j
うちのとーちゃんは、兵科士官にもかかわらず、事務畑に紛れ込んで適当にやっていました。
戦争中は、死ぬなんて考えたことなかったけど、戦後、戦犯容疑で進駐軍に引っ張られて「死ぬ!」と思ったそうです。

469:名無し三等兵
03/06/28 17:26 JDVZeaQG
俺の母方の爺さんは、戦時中は会津城の守備隊だったと言ってたな。
あ、父方の爺さんは親父と一緒に室蘭で艦砲射撃を喰らったらしい。
親父の実家には大叔父だか曾爺さんだかの遺影(陸軍)があったな。
嫁さんの父方の爺さんは満州にいて、シベリアに抑留されていたそうだ。

もうほとんど戦中を体験した人は残っていないな。

470:469
03/06/28 17:36 JDVZeaQG
追加
たった今思い出した。
末期に予科練に入っていた学校の先生がいた。
千歳基地に配属されていて、何でも全機体のエンジン音を聞き分けられたそうで、
ある日異音に驚き飛び出したら「富嶽」だったんだそうだ。

撃墜した米軍機の燃料タンクに12.7mm機関砲を何発か打ち込んでみても全然漏れが無く、
日本の燃料タンクは拳銃で撃ったらチョーっと漏れが出て嫌になったそうだ。

もう少し戦争が長引いていたら確実に特攻隊に行く事が決まっており、
上官から「お前なら確実に敵艦に当たる」と褒められる位飛行が上手だったそうだ。

471:名無し三等兵
03/06/28 18:28 GrPtK2Iq
>>438
異常に早い昇進速度だな。入隊前の前歴は?11ヶ月弱で二等兵から上等兵に進級
するのは通常ではありえない。前職が重要になる。上等兵で憲兵に合格する学力
からして、高等教育を受けているようだが、除隊後に憲兵試験を受けたのか?現役
以外で憲兵任用していた証拠にもなるし、非常に興味深い履歴であることは間違いない。


472:ぴーす
03/06/28 19:24 6JuHtDiZ
俺とは多分他人だけど台湾総督府営林所の履歴書を公開します。

(位動爵 博士) 陸軍歩兵少尉正八位 (氏名) 北川均 (府県族籍) 石川県士族

明治三九年生

(経歴) 昭和四年 台湾総督府台北高等商業学校卒業
昭和四年 台湾総督府営林所勤務、月俸八五円、宿舎料二十円給わる
昭和八年 陸軍歩兵少尉に任ぜられる

故人だから名前出してOKですよね?


473:名無し三等兵
03/06/28 19:26
>>470
>ある日異音に驚き飛び出したら「富嶽」だったんだそうだ。

なんでやねん。

474:6
03/06/28 19:26 T8bOppgf

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475:名無し三等兵
03/06/28 22:41 KtLxOqO/
うちは父方、母方とも実家は北海道です。
うちの母方の祖父は大戦末期に徴兵され、陸路で函館まで移動しました。
しかし輸送船の手配がつかないため本州に渡れず、仕方なくそこで援農作業に
従事しているうちに終戦を迎えました。あのままあと3ヶ月ほど戦争が長引いたら
多分南方戦線に送られ戦死していただろうと言っていました。

うちの父の一番上の兄は、釧路で高射砲部隊に所属していました。B-29との
交戦経験もあるそうで、正月に親戚が集まった時など、1機撃墜したぞとよく自慢
していました。しかし当時の高射砲の性能を考えると、いまいちエンジントラブルとかで
落ちた可能性の方が高いような気がするのですが。そもそも飛行時間や建造物
密集度の都合上、北海道はB-29の戦略爆撃ではなく、もっぱら艦載機主体による
ピンポイント攻撃だったということを後日知りました。しかしそれを言うと伯父が気を
悪くするので撃墜したことにしています。

父の2番目の兄は少年兵だったとか。たまたま南方戦線志願者を募った時、伯父は
志願しなかったのですが(ヘタレとか言うな)、その時志願した連中は全員戦死したそうです。

しかし今考えてみると、ウチって父方母方ともあの戦争で誰も死んでいないな。戦死者は
もとより空襲で死んだ人もいないし。

476:名無し三等兵
03/06/28 22:47 Raem8loj
漏れのじいちゃん、内地で終戦を迎えた上等兵だったんだが、
何か軍需物資を持って帰るのが当り前だったのに、
何にも持って帰らなかったため、ばあちゃんにさんざコケにされたそうな。

「嫁は選ばにゃいかんぞ」と、孫の漏れにしみじみ・・・。

477:名無し三等兵
03/06/28 23:03
母方の親戚
終戦後、近所の谷田部航空隊に手ぶらで出かけていき
碇のマークつきっぱなしの軍用トラックに、物資山ほど積んで帰ってきた
中には拳銃・機関銃や弾薬、飛行機の部品まで混じってたそうな

478:名無し三等兵
03/06/28 23:12 xvmy8Ntf
うちのじいさんは歩兵第28連隊で現役でノモンハン事変に参加。
大東亜戦争中は桶川にて防衛任務に当たる。
当方実家北海道、東京在住

479:名無し三等兵
03/06/28 23:21 0CBwLjeh
うちのじーちゃんは砲兵でシナにおったと言ってます。
馬に乗って大砲引っ張ってたらしいでつ

480:名無し三等兵
03/06/29 00:19 IZQTkS6G
亡くなった祖母の話
終戦の前の年の夏、製鉄所を狙いに来たB29に日本の飛行機が体当たり、
おまけに後のB29にも当たって、2機共墜落したのを見て地上で大騒ぎ、
防空壕の上で隣組の人達と万歳・万歳の連呼したそう。銀色のはねが
キラキラ舞い落ちてすごく綺麗だったそうです。
うちのばあちゃん、奇しくも飛行第4戦隊野辺軍曹機・折尾上空体当たり
の目撃者。しかし、万歳って・・20人程の命が失われた瞬間なんだぞ・・
まぁ・・当時はそんなもんかな・・・

481:名無し三等兵
03/06/29 01:48 wmQL5BVu
Hなサイトを発見したでつよ。ここ、すごい。
URLリンク(plaza16.mbn.or.jp)
美少女のワレメ…(*´∀`*)ハァハァ
美人お姉さんのオマ○コ…(*´Д`*)ハァハァ

482:名無し三等兵
03/06/29 01:55
>>480
万歳連呼ってのは人命が失われたことを考えれば不謹慎に思えるけども、もしその
パイロットがそうしなければそれ以上の人間が死んでいたかもしれない、しかもそれは
自分だったかもしれない、ってことを考えれば、一命と引き換えに助けてくれた
相手に対し、とにかく何かの行動をしたかった、という気持はうなずけるものがある。

483:名無し三等兵
03/06/29 02:26
>>447
それ本当に金正日の父親の金日成かなあ?
「金日成」ってのは、朝鮮族出身の活動家達のリーダーが、代々襲名
してきた名前だという話。
昔から金正日の父親の功績とされてきた事も、新事実として後から
わかったとされる事も、みんな金日成を名乗った複数の人間がやった事
というのが、事実らしいぞ。

484:名無し三等兵
03/06/29 02:34
シベリアに抑留された人の中にはロスケに媚うった事を孫に自慢するバカもいるんだな
そんな奴からいったいどんなバカな孫が出来ることやら…

485:タ
03/06/29 02:58 0lBTB7wr
おっさんなので、父の話。
父は鉄道省の学生だったが、卒業を一年繰り上げされて召集された。
よく、モウ一年若ければ学徒動員だったな、と言っていた。
出兵先はニューギニア。 学卒だが下士官は辞退したと言っていたので、
えらくは無かったと思います。 なぜ辞退?と聞いたら「兵隊になる為に高専出たわけじゃない」
といっていました。
 そのニューギニアでの話。 あんまり腹が減ったので、仲間2人と共謀して現地人の畑から
芋を盗み出して食べちゃったのです。 すると翌日、現地の村長が隊長さんに抗議に
やってきて、怒られてしまったそうです。
 父曰く、「しかし不思議だ。なぜ俺たちが盗んだとばれたのだろう? あいつら夜目がきくのか?」
すると母が、「あなた、芋を煮て食べたのでしょう? そりゃあ、匂いでばれますわよ」
40年ぶりに謎がとけた、と当時の父は喜んでおりました。
 しかし、40年も悩む問題じゃないぜ、おとうさん。

486:名無し三等兵
03/06/29 05:22
祖父じゃなくて曽祖父の話はどうかな?
もちろん直接逢った事はないんだが。
砲兵第八連隊所属で、奉天会戦、第一次旅順砲撃、第二次旅順砲撃、二〇三高地砲撃に
参加したと記された従軍記が実家にあるです。
うちの地元(当時の村)で発行した当村出身の兵の出征時の記念写真集も出てきました。
全員明治一九年制定の紺絨服着用です。

487:469
03/06/29 07:32 hWGFqcSD
>>473
んー、聞きなれないエンジン音が響いてきて、
機種確認の為に外に飛び出した、と言ってた。
と記憶している。

488:名無し三等兵
03/06/29 08:33 CEDoEUsq
>>477 うちの奴らもやったらしい。イラクのこと笑えんなと思った。


489:名無し三等兵
03/06/29 09:15
うおー、今日は大漁ですね。
みなさん、良い話をありがとうございます。

>>483
447に書いた中国系ソ連兵士を率いていたのは、
国家主席の金日成ですよ。
ペレストロイカで公開になった資料からです。
まさか、北朝鮮が金日成がソ連軍大尉だったとは教えないでしょ。
これが今のところ、一番信憑性の高い金日成の出身ですね。


490:名無し三等兵
03/06/29 12:14 5lZLbcBy
>>489
金日成は、朝鮮に帰還?した際には、年齢は30そこそこだった。
おまけに朝鮮語がへたくそでロクに話せなかったそうだ。
戦前から軍を率いていたなら、幾らなんでも20代の若造がやるのも限度がある。
31独立運動の指導者、金日成を扮するには、少なくとも40や50は越えてないと無理。

満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、少々無理があるが
もっとも朝鮮に帰還した際も、朝鮮人民から口々に偽物と呼ばれたから。
もともと無理があったが

491:名無し三等兵
03/06/29 13:02
>>490
>満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、
>少々無理があるが

いや、簡単ですよ。ぜんぜん無理は無いです。
ソ連がソ連軍人の金日成にソ連正規軍を率いて、
満州国内でゲリラ活動せよと指示したのですよ。
この指示されたのが後の金日成と。
ここまでは証言がある様子です。

んで、ここは憶測だけど、
後の金日成は非合法活動をしていたので
「俺はソ連軍人だ」とは言えない。
従って、独立の闘志の金日成と名乗ったのではないでしょうか。
従って、満州で独立運動をしていたのが金日成というのは
何処にも無理は無いですよね?
こんな感じです。

このあたりの説ですね。
URLリンク(www.google.co.jp)

492:名無し三等兵
03/06/29 14:40 7SFT3Xhl
>>486
8連隊って旅順にいたの?
第4師団は第2軍じゃなかった?

後備第8連隊は第3軍みたいだけど

493:名無し三等兵
03/06/30 03:32
俺のじいさんは弱視で徴兵されなかったそうです。
発明家だったらしく、自転車にエンジン積んだりしてたそうな。
(あまり人の役に立つ発明(?)はしなかったらしい)
奇人として名を馳せたが、津波にさらわれてアボン

494:名無し三等兵
03/06/30 04:24
>>493
>津波にさらわれてアボン

うーむ、津波ですか・・・。
御気の毒に。
ちなみに、エジソンも電球を開発するまではただの変人でしたよ。
いい年ぶっこいて、納屋に篭って、家族に食わせてもらっていたそうです。
現に、エジソンの特許は4000だか、4万だかに及びますが、
そのほとんどの発明は意味無いものだそうです。
ですから、おじいさんが特に発明家として
おかしかったと言う訳では無いです。

そういえば、イギリスの知り合いが、
サイドカー付きバイクを改造して、サイドカーから操縦出来るようにして、
無人バイクを作っていました。
アホですけど、発明家ってこんなものです。

495:名無し三等兵
03/06/30 22:16 xEAwUPxu
私の祖父は造船工でね。
木造船を作っていた。
戦時中は物資の輸送手段が船しかなかったからな
(ほとんどがアメリカに撃沈されたけど)
その関係で徴兵は免除されたよ。

496:名無し三等兵
03/07/01 11:31 4+9iWFSo
自分の祖父は、近衛兵だったらしいが、インパール作戦に参加したそうな。
よくわからないのだが、近衛兵って前線にいくものなのだろうか。
誰か詳しいことを教えてください。
祖父は生きて帰ってきたけど戦争の話はしたがらなかったので。

497:名無し三等兵
03/07/01 11:39 XnTYooHF
洩れの婆ちゃんの爺ちゃんは浦賀まで黒船見物に行ったらしい
沖でドカンドカン大砲ぶっ放していて(威嚇射撃?)その音にめちゃめちゃ
びびって、この国はヤバイって心配になったってさ。

洩れは婆ちゃんからこの話を聞きますた
ちなみに婆ちゃんはペリーを『ぺるりん』って呼んでいますた

498:名無し三等兵
03/07/01 11:47
うちの爺さんは瑞鶴のゼロ戦の整備兵で
珊瑚海海戦のときのはしを小さいころ聞いたことがある

翔鶴隊の飛行機もきたために収容しきれず
ほんの少しの破損があるだけの飛行機でも「すてろーー!」って叫びながら
海中投棄したてみたい

当時はふーんと思っていたが
歴史的な珊瑚海海戦に自分の祖父が参加していたと思うだけで興奮する・・・

499:名無し三等兵
03/07/01 11:54 eXgWv1T6
>>493
数奇な人生でつね

500:名無し三等兵
03/07/01 18:18
うちの爺さんは戦地で自分の上官を「敵前逃亡罪」で撃ち殺したらしい
一等自営業先生の「某佐藤」に似た外見だったらしい
「こういう厳つくて、部下を部下と思ってない奴に限ってろくな死にかたをしない
もんだよ
 ヒャハハハハハハ」
と、死ぬ前にいってた

501:名無し三等兵
03/07/01 20:14 2AgeyNcg
うちの死んだ爺さん。横鎮に兵隊にとられました。
訓練後に鴻に信号兵で配属。揚子江で頑張ってたらしい。
あっちの戦闘機、太陽の中から逆落としに突っ込んできて
機銃掃射をするので怖かった、という話をききました。

その後、駆逐艦に乗ってミッドウェイへ。大負けして帰ってきて
体を壊して静養。復帰後、水雷学校?の教官だったらしい。

駆逐艦時代は、信号兵の分際で駆逐隊指令と仕事の上の
ことで散々やりあってたそうで。それでも殴られたことは一度も
なかったとか。ほんとかねぇ。


502:名無し三等兵
03/07/01 21:58 K2KVAvZr
>>501
駆逐艦は所帯が狭いからのんびりしていて
殴られることもあんまりなかったと聞いたことがある
すぐ沈むから一心同体という気がするし


鬼の山城蛇の長門いっそ赤木で首をくくろうかというようなのが
呉佐世保横須賀ごとに別の艦であったらしいからね

503:名無し三等兵
03/07/01 22:06 RMqBZp9D
じいちゃんの兄貴が支那事変で戦死 所属とかは今度きいてみまつ
じいちゃん自体は横須賀あたりの海軍で訓練中に終戦
東京大空襲で遺体処理の応援にいった話よくしてくれます・・・

504:名無し三等兵
03/07/01 22:23 SF/Rk6sH
巡洋艦に乗ってレイテ沖海戦に参加しますた。

505:名無し三等兵
03/07/01 22:32 UwsLBDaP
うちの爺さまは遺品の写真や手帳を見ると輜重兵だったらしい。
輜重兵って評価が低いと聞いたことがあるけどどうだったの?

506:名無し三等兵
03/07/01 22:39
うちの祖父は昭和20年5月頃、ルソン島サンタフェで戦死したらしいです。
祖母によるとそういう知らせだけで、遺骨は戻らなかったとのこと。
墓碑には「陸軍伍長」とありますが、戦死後に特進したものなのでしょうか。

507:名無し三等兵
03/07/01 23:12
ウチの爺さん、戦争の事は聞いても一切語らない人だった。
高知の方に行ってすぐに終戦になり帰ってきたらしいが、
多分何かあったんだろうな・・・。

508:名無し三等兵
03/07/01 23:30 UwsLBDaP
親戚の爺さん、朝鮮鉄道で機関助士してた。
軍用の貨物列車は、馬賊に狙われて危険だったらしい。
半島の荒野は広く3、4時間走っても景色が変わらなかったそうだ。
俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。


509:名無し三等兵
03/07/01 23:40
>>502
>すぐ沈むから一心同体という気がするし

この理由が泣けます・・・・。


510:名無し三等兵
03/07/01 23:41
>>508
>俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。

ええもん貰ったね。


511:名無し三等兵
03/07/02 00:31
>>507
高知出身なんだけど住吉海岸ってとこに当時震洋の基地が在って
終戦間際に謎の爆発事故で多くの隊員が亡くなってる。
もしやそれと何か関係が…

しかし、みんな貴重な体験談ばっかりだな・・
うちのじぃちゃんはラッパの意味の覚え方や、うんこ我慢する方法とか
あと食い物関係の話ばっかりだw


512:506
03/07/02 00:44
うちも高知です。と言っても
戦死した祖父は善通寺に配属されていたらしいですが。

513:名無し三等兵
03/07/02 01:00
うちの爺ちゃんは軍需工場の事故で片目潰して、おかげで戦地には行かなかったが。
人間万事塞翁が馬っての?

何を作ってたかは聞かなかったなあ。

514:名無し三等兵
03/07/02 13:16
怖くて苦手だったマイジーちゃん。
死後、親(満州生まれ)からジーさんの満州でやっていたことを聞いた。

満鉄の職員で、整備などをやっていたらしい。
戦後帰国の混乱の中で、馬賊狩りをしたり、されたり。
なんて話も聞いた。

戦中は、兄弟で近所のロシア人の家にボルシチの作り方習ったり、
中国人の家で餃子の作り方習ったり。
なんてほのぼのとした生活をしてたそうで、ギャップが激しいなぁと思ったのを覚えてる。

もっと話しきいときゃよかったなぁと、いまは後悔している。

515:名無し三等兵
03/07/02 19:09
うちの爺ちゃんも満鉄職員だったよ。
でも、爺ちゃんはあんまり戦争中のことは話そうとしないので、婆ちゃんに聞いた話。

満州から引き揚げるときの話。
満鉄職員とその家族が優先的に乗車できる引き揚げ用列車があるということで、
住んでいるところから遠い町にある駅まで行くことになった。

まだ若かった婆ちゃんは髪を切り、男装をして爺ちゃんと一緒に歩いていったそうだ。
ソ連兵は女と見るや……と言われていたからね。

で、駅に向かう途中、二人は運が悪いことに、
「ダワイ!」と、二人組みのソ連兵に呼び止められてしまった。

「ああ、乱暴される」と婆ちゃんは思ったそうだが、
なんと、そのソ連兵たちは婆ちゃんには見向きもせず、爺ちゃんを連行していってしまった。
「もうこれで今生の別れ」と思ったが、どうしようもない。婆ちゃんは駅へと向かった。

駅へついたが、列車はまだ来ていない。
仕方なく、そこで夜を明かし、そして翌日。

なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!

話を聞いたところ、ソ連兵の兵舎へ連れて行かれ、彼らの服の『洗濯』をさせられたのだという。
しかも、それが終わると二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
釈放されたのだと言うことです。

ソ連兵よ、洗濯ぐらい自分で出来なかったのかね?
以来、爺ちゃんは自分で洗濯したことが無いそうです。

516:名無し三等兵
03/07/02 20:44
>なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!
何かワラタ

517:名無し三等兵
03/07/02 21:01
>>515
少々不謹慎な想像ですが、もしやそのソ連兵は男色家だったのでは。
いくら変装したところで、お婆さまが女性であることは見破られてたような気がします。
(本当に変装が気付かれてなくて男手が必要なのであれば、二人とも連れて行かれたでしょうし)
お爺さまは洗濯もさせられたのかもしれませんが、別なこともさせられたのかもしれません。
それ故、以後、それを思い出すような洗濯を二度としたくなかったのかもしれません。

518:508
03/07/02 22:24 0z3GVzV3
>>510
>ええもん貰ったね。

うん、ほんとにそう思うよ。
いまの運転士は打音検査はしないのでハンマーは使わんのだけど
なんか鉄道員としてのスピリッツを貰った気がする。
ちょっとスレちがいかも、スマソ。

519:名無し三等兵
03/07/02 22:27
>>517
深読みしすぎだろう。

520:名無し4等兵
03/07/02 22:29 i4oDJn1g
神風特攻隊になって突っ込もうとしたのだが
あまりにも燃料が少なくて海に墜落→生還。

521:名無し三等兵
03/07/02 22:37
>>517
俺もそう思ったw 回教徒は自由だもんね。
きっとソ連兵の体のいろいろな所を洗濯させられ、かつお返しに自分も
トラウマになるほどいろいろ洗濯されたんでしょうな。

>二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
ものすごいテクだったようだw

522:名無し三等兵
03/07/02 22:40
>>517.521
オマエラ、深読みしすぎ。
そこらへんの事をつっこむと疑心暗鬼になるから止めてくれ。
そういう経験をした人もいるかもしれんが、
そんな話聞いても嫌な気持ちしかせんからね。

・・・と、けど、そんな事が本当にあったなら話さないか。


523:名無し三等兵
03/07/02 22:45
>>514
自分の父方も満州帰りですが、
話ではほのぼのに聞こえるかもしれないが、
当時も結構大変だったみたいだよ。
確かに、父の話す、ロシア人の子供と石のなげっこしていたと言う話や、
ロシアの女の子はそこらへんで小便する話などを聞くと
ほのぼのした感じだけど、
ばあさんが腸チブスで死にかかって、死ぬのを待っていた話や、
(腸チブスは死病で、かかったらほぼ助からない)
じいさんは3回ロシア人の強盗に入られた話などを聞くと、
やはり死と隣合わせと言う部分があったと思う。

524:名無し三等兵
03/07/02 22:45
ちなみに、523はハルピンでの話です。


525:名無し三等兵
03/07/02 23:12 QOHPiBOn
>>505
有名な歌で
輜重兵が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち

推してしるべし

526:名無し三等兵
03/07/02 23:51 sp1SuCnB
俺の親父、所沢で戦闘機の整備兵をやってた。
あまりに腹が減るので近くの畑から芋を盗んで、航空燃料で炊いて食べたとか。
落花生は畑に手を突っ込んで、生のまま食べたそうだ。皆は下痢を
したが自分は平気だったとか。お百姓さんにはよく軍に怒鳴りこまれたそうだ。
それでも腹が減ったときは、農家の前にただ立ってたら、芋とかを
めぐんでくれたそうだ。
東京大空襲の時は地平線が真っ赤だったそうだ。これで戦争も終わると
思ってほっとしたそうだ。
おばあさんは、近くの町が綺麗にひかったので綺麗な花火だと思ったそうだ。
お爺さんに"たわけ あれは空襲じゃ"と諭されたとか。
今も昔も米軍は強すぎる。イラクの人々も当時の日本人と同じ気持ちであったに
違いない。ただ日本人はすぐにアメリカ万歳だったけど、あそこは
"目には目を"の国だからなあ・・・

527:名無し三等兵
03/07/03 00:01 rBgo9mW6
>>525
結局その考えが国の命取りになった。



528:名無し三等兵
03/07/03 00:18
>>526
ウチの場合は百姓なので逆。
兵隊さんに食事をもてなしたことがある、
とお婆ちゃんが言ってた。

529:526
03/07/03 00:31 7oZ2RkAe
親父、訪ねていってお礼をしたいと生前よく言ってたな。

530:名無し三等兵
03/07/03 00:34 rBgo9mW6
うちの親戚は兵庫県で歯科医だった。
戦時中(まだ初期のころ)、兵隊さんご苦労さん、と言うことで無料で治療してあげたら
船に呼んでカレーご馳走してくれたそうだ。

531:名無し三等兵
03/07/03 00:38
>>505
引率役なら外見は騎兵と同じだし、馬に乗っての行軍だからお徳な兵科ですよ。
ただし馬の世話が大変。川辺で歩兵が死んだように休息をとっている傍らで
水を布バケツに汲んできて飲ませ、脚をさすってやらなければいけません。
行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。

本当に評価の低いのは輸卒のほう、馬に乗らない随伴の人達のことで
背が低いとか、能力的にちょっと劣る人達が回されたそうです。

532:名無し三等兵
03/07/03 00:54 Kric+3Kb
世界がここの住民みたいなヤシだったらな・・。


533:名無し三等兵
03/07/03 02:53
>>531
>行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。

ああ!!どっかのホームページで見た
じいちゃんの戦争体験話で、落伍した人が自動車に乗っていたというのは、
このことでしたか!!
いや、一人で納得です。ありがとうございました。



534:名無し三等兵
03/07/08 23:08 VfO//7R8
うちのじーさんが言ってたけど毎日のように風船爆弾が飛んでたのをを見てたって言ってた。
その風船爆弾がいくつ飛んだか数えるとスパイとみなされるらしい。

だれか風船爆弾のネタない?

535:名無し三等兵
03/07/08 23:25
うちのじいちゃんは、武蔵でおにぎり握ってました。

536:名無し三等兵
03/07/09 00:05 EWMihsDS
じいちゃんの知り合いはノモンハンで戦っていた 聞いたところでは日本の対戦車砲は役に立たず 反対に同じ口径のドイツ製のは非常に役に立ったとか じいちゃん自身は訓練中に終戦 家に帰るときにくれた本がノモンハンの夏 よっぽど気にしてたんだろう 

537:名無し三等兵
03/07/09 00:06 EWMihsDS
続き またじいちゃんの話じゃ戦後ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな

538:名無し三等兵
03/07/09 00:08 EWMihsDS
 訂正 続き またじいちゃんの話じゃ戦争中ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな




539:名無し三等兵
03/07/09 00:14
うちのじいちゃんは中国にいて、
血で染まった川の水で米を炊いて、真っ赤なご飯を食べたそうです。


540:名無し三等兵
03/07/09 12:19 OvXi55E/
>>539
ある意味赤飯だな。

541:放棄するにはもったいないので
03/07/09 23:17


534 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 13:31 ID:???
うちのじい様は満州で衛生兵をしていたそうな、弟が橋から落ちて
怪我をしたときも落ち着いて淡々と手当てをしていた。
戦闘では敵の弾が頭に当たったがその弾が縦に回転しながら当たったため
メットを貫通せず失神ですんだとか、終戦になって「戦争が終わったのに
こんな重いものをいつまでも担いでられるか!」と銃も荷物も川に投げ捨てて
しまったと笑いながら語ってくれた。

酒で酔ったときの口癖は
「霧が降りるように銃を構えるんだ」


535 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 18:30 ID:???
>>534
「霜」じゃないかなぁ?


536 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:41 ID:???
>「霧が降りるように銃を構えるんだ」
>「霜」じゃないかなぁ?

これって、どういう意味ですかね?

542:放棄するにはもったいないので
03/07/09 23:19


537 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:50 ID:???
「引き金は霜の降る如く」引くと言う格言


538 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:18 ID:???
>>537
おお、それは知りませんでした。
サンクスです。
すると、静かに確実に引けと言うような意味でしょうか?



539 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:34 ID:???
>>538
要するに「ガク引き」するなということでしょう。
漏れは「暁に霜が降りるが如く…」と記憶している。

- - -
手持ち分は以上です。

543:名無し三等兵
03/07/10 00:26
うちの爺さん、海軍信号兵。
国からの支給品である紋付き時計を持って、主に時間を知らせる役割。他にも色々。
で、その時計は紋が付いてるおかげで、何があっても上官から時間について
文句を言われる事がなかった。そこで、爺さんのした事。
○気に入らない上官の休み時間を減らす。
○気に入らない奴の起床時間を30分遅く知らせる(遅刻で上官から大目玉)
○仲間の休み時間を増やす。

せこい。下らない上に、せこすぎる…・゚・(ノД`)・゚・
ってか、お前は本当に戦争に行ったのかと疑いたくなるような馬鹿話まで
何時間にも及び話してくれた。全てにおいて…呆れた…

そんな爺さん、とりあえずビックリした事は一緒の船に乗った高知の兵士。
「酒を呑む量が凄いんだよ…ついていけない。宴会の夜は見張り台に逃げた。」

544:名無し三等兵
03/07/10 01:18
>>543
そ、そんな役職があったんですね・・・。
知らなかった。
ある意味、貴重な話でした。
ありがとうございます。


545:名無し三等兵
03/07/10 21:52
うちのじーちゃん、二次大戦では百式短機の射手だったって言ってたなぁ。
あと、額に敵弾食らったけど、鉄兜の内側をクルっと廻って出ていったおかげで、傷1つ無かったとか。
よっぽど浅い角度で当たったんだろうけど、それで穴が開く鉄兜ってのもなぁ。
一次大戦も、何やったか知らんけど、出兵したらしいし。
ま、死んじゃったし、どこまでほんとだか判りませんが。

546:名無し三等兵
03/07/10 23:10
うちの母方のじいさん、部隊は聞いてないが海軍陸戦隊で終戦までスマトラにいたみたいで12mm?機銃の弾込めとかやってそうで英軍機一機落としたとか。なんでも4発ずつ装填したとか言ってたがどの機銃だろうか?

547:名無し三等兵
03/07/10 23:21
ちなみに戦後英軍の捕虜になった後の方が飯とかいろいろ大変だったとかで収容所?の倉庫の歩哨に金(軍票?)渡して盗みに行くのを見て見ないフリしてもらったとか。

548:名無し三等兵
03/07/10 23:40
>>547
連合軍の捕虜になった後のほうが大変だったという話は珍しいですね。

549:名無し三等兵
03/07/10 23:43
普通に憲兵隊で憲兵してた。憲兵とは名ばかりで、外見はよわっちいので
いつも小突かれたりしてバカにされてたらしい。ある日、お前は背が低いなw
と、言われ大激怒。軍刀振り回しながら追っかけたらしい。他では、死ぬか生きるかの
戦場でギリギリの状態で生きてるのに、こんな事してたんだな・・・。当時の精工舎の懐中時計
を今でも使ってるが、「俺が死んだらお前にやる。ただし、売ったりするなよ!」時計、いらないからもっと長生きしてくれよじいちゃん!!

550:名無し三等兵
03/07/11 01:07
>548
配給が少なくてその日の飯がビスケット?少しだけと言うのが結構あったと、なんかシンガポ-ルで始めて中華を喰った飯の話など戦時中は一切その手の心配はなかったと言ってました。単に恵まれてただけかもしれんが…

551:名無し三等兵
03/07/11 06:34
>>548
スマトラだっけな?
連合軍にスルーされた場所で、自給が出来る場所は
日本軍でも待遇が良かったみたいです。
定期的に爆撃が来るだけで、両方とも本気に戦わないから、
悲惨なことが無く、南方で残された物資も豊富だから、
戦争だかなんだか解らないような部隊もあったみたいです。




552:名無し三等兵
03/07/11 12:12
>>546
>なんでも4発ずつ装填したとか
25mm対空機関砲ではないでしょうか。弾装は5発用ですが1発抜いて4発装填でないと調子悪かったそうです。

553:名無し三等兵
03/07/11 21:11 P3MeTEgA
祖父ではないのですが、祖父の弟さんの話。
何でも千葉のほうの部隊にいたのだが、敗戦の当日、休暇?をもらって実家に帰っていた。
そこに玉音放送があり、慌てて原隊に帰ったら、部隊の将兵たちは勝手に帰郷してしまい、
兵舎はもぬけの殻。部隊の倉庫には、新品の毛布その他多数の資材があったのだが、
それらは先に帰った兵隊たちがみな持ち帰ってしまい、全く無し。仕方なく、僅かに残った
ヨレヨレの毛布を手土産に家路に着いたそうだ。私の親父は子供の頃、その星のマーク
のついた毛布を使って寝たと教えてくれた。

554:名無し三等兵
03/07/11 21:35
おれのじーさんはぁー
ノモンハンでモンゴル人に捕まってー
ロシア兵の弾除けになってー
そいでドイツ兵の捕虜から戦車兵になってー
最後はカレー屋…(PAM!)

555:名無し三等兵
03/07/11 22:07
>>525
俺が聞いたのは

輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々蜻蛉も鳥のうち

たいして変わらんか

556:名無し三等兵
03/07/11 22:56
自分の祖父は満州でアメリカ軍の捕虜になったそうです
ミルク粥の味もそこで覚えたとか言ってました
祖母は原爆のキノコグモと陸奥の爆発炎を見たそうです


557:名無し三等兵
03/07/11 23:01 6KA2b8U5
うちのじいちゃんは比島に出征していたそうです.
戦争が始まって召集され,二等兵から軍曹まで出世したらしいです.
終戦間近のとき米軍との交戦で足を撃ちに抜かれ,
復員したとのこと.いまも健在ですが,当時の粗悪な手術のため
いまでも足が痛いと言ってました.

558:534
03/07/11 23:46 W9yLP+MP
>>553
歩兵第五十七連隊?
ひいじいさんがそこだった。
千葉って言ってもたくさんの連隊があるのかな。
歩兵第五十七連隊は佐倉にあったらしいですが。

ちなみにうちのひいじいさんは千葉県のどっかで竹槍を教えてたらしい(w

559:553
03/07/12 15:39 V+pUHJ8z
>>558
申し訳ないがどこの部隊かまでは・・・一口に千葉といってもたくさんありますしね。
ご本人に伺えればいいのでしょうが、話題的に気軽に聞ける話でもないし。

560:名無し三等兵
03/07/12 19:40 xjN8ubpY
祖父でも祖母でもなくてスマヌが、漏れの母方の伯母は、中島飛行機の大宮製作所に
動員されていた事があると言ってた。
ついでに言うと漏れの母親は、姉に背負われて防空壕へ飛び込んだ事がある。
終戦当時四歳なのだが、母に言わせると、「夜空を飛ぶ銀色のB29の姿を
はっきり覚えている」のだそうだ。

561:名無し三等兵
03/07/12 21:20
漏れの婆ちゃんも「銀色でピカピカな飛行機が名古屋の方へ飛んで行ったのを覚えとる」と言ってますた。
やっぱり結構目立つものなんですね。

562:名無し三等兵
03/07/12 23:53 qNgdEfQw
うちのじいさまは,満州でかなり羽振りがよかったそうです。
でも,徴兵で穴掘る仕事(工兵?)やらされてました。
終戦の時,ソ連に連行される途中,逃げたそうです,後ろから機関銃で撃ちまくられたそうですが何とか逃げました。
でも,捜索が執拗だったらしいです。
そのときかくまってくれたのが羽振りのよかった頃に雇ってた従業員の中国の方々。
うちのばあさまが面倒見がよくてそれに恩を感じていた人たちがかくまってくれて無事逃れました。
終戦の時に中国人が日本人に対して・・・なんてのはよく聞きますがそれだけじゃないと思いました。
普段,ちゃんとした関係をもっとけば中国の人もしっかりとわかってくれると言うことだと思います。
じいさまは,7年前の終戦の日に大往生しました。


563:名無し三等兵
03/07/13 04:45
>>562
なんか、うちのじいさんの話とまったく一緒だ。
羽振りがよかったと言うところを除いて。

よろしかったら、前々スレと前前々スレに詳しく書いたので
見てみてください。
役所に勤めていて、土木工事の監督をしていたじいさんです。


564:名無し三等兵
03/07/13 21:02 rlrVDlYV
>>563
申し訳ない。前々スレと前前々スレの見方教えて。
お仕事がちょっと違いますね。建設会社を経営してました。
ちなみに吉林でした。

565:名無し三等兵
03/07/13 21:07 DAoEnCwP
うちの爺さんは上海事変に逝ったと婆ちゃんに聞いたことがある
勲章があるからたぶん本当だと思う
何日も川の中?にいて大変だったと逝っていた


566:名無し三等兵
03/07/13 21:11 z5Sq9a0G
>>562
中国人といっても民族思想色々だから。
避難民の日本人の子供を預かって立派に育てた
人達が大勢いるじゃないか。

567:名無し三等兵
03/07/13 21:13
>>566
まぁ日本人でも自分の子供殺す香具師もいれば
他人の子供でも引き取って育てる香具師もいるしな

568:名無し三等兵
03/07/13 21:42 rlrVDlYV
>>566
そうですね。
逆の話もいろいろ聞かされたもんで・・・表現がちょっと悪かったかな?
あの人たちのおかげで今の自分もあるんだと,母親からもよく言われました。

569:名無し三等兵
03/07/13 21:43
>>562-568
ソコ「あかはた」が喜びそうな話だな。


570:名無し三等兵
03/07/13 21:47 rlrVDlYV
>>562
なんだおまえ?
やめとけよ,そう言う話じゃないだろ。
いちいちそんなくだらないレスつけんな。

571:名無し三等兵
03/07/13 21:48 z5Sq9a0G
>>569
思想とは関係のない人間としての話です。

572:569
03/07/13 21:52
俺は感動したよ、本当に良い話だとおもう。
モニターの前でいま涙が止まらない。

だから「あかはた」と「運命のダダダダーン」に投稿しますた。
採用されたらみんなで鍋でも食おう。

573:名無し三等兵
03/07/13 22:12
最後に来るのは人、なんだろうね。

574:名無し三等兵
03/07/13 22:39
>>569
まぁ中国人でも自分の子供殺して食う香具師もいれば
敵民族の子供でも育てる香具師もいる支那

575:名無し三等兵
03/07/13 23:03
>>574
だから~敵民族じゃないだろ。民族問題と国家問題とは別だよ。

576:名無し三等兵
03/07/13 23:25
日本、中国。之同志的亜細亜民族。ok?

577:名無し三等兵
03/07/14 03:28
>>564
ちょっと待ってくださいね。
時間があるときに探しますです。
ウチはどこかの開拓団で、
戦後はハルピンで帰還までの間暮らしたそうです。
じいさんは役人でしたが、本土の三倍稼げたそうです。
しかし、ばあちゃんが本土に送金せずに、そのお金は没収となりましたが。


578:名無し三等兵
03/07/14 20:06
知り合いの父の話ですが・・・
その人は海兵出身の中尉で、陸戦隊に所属し
メレヨン島で終戦を迎え、終戦後直ぐに救援船が来て復員されたそうです。
メレヨンって米軍の飛び石作戦の為、上陸は無く飢餓の島だったそうです。

579:名無し三等兵
03/07/14 21:38 aVpTwFaA
うちの爺さんは中国戦線に出征。戦争末期食うものに困って連隊長だか大隊長の
馬を仲間と食ってしまったらしい。でも上の人も理解していてくれたらしくばれ
てもなにも言われなかったらしい。

ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろとい
うのを聞いたことがある。

580:名無し三等兵
03/07/14 21:45 rQj30vTp
URLリンク(my.dk-net.to)
日韓基本条約で、俺、日本が賠償しているもんだと思ってた・・・ヤバイ・・・

581:名無し三等兵
03/07/14 22:28
賠償って言葉は戦争しないと発生しないよ。
しかも、日本は韓国に残した残留財産があまりにも多いので
賠償ってことになると、日本が韓国にしてもらわないとならなくなる。

582:名無し三等兵
03/07/14 22:33
>>579
>ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろとい

これって、会計係りになれるから、前線に出なくて済むと言う事では?
うーん、醤油一リットル飲めば
徴兵検査に落ちるとかそういう類のものでしょう。
やはり、戦争に行きたいやつなんていないと言う事ですか。

583:名無し三等兵
03/07/15 10:45 du8d9Dlo
>>582
日中戦争の頃まで、徴兵よけの神仏祈願があったらしいしね

584:名無し三等兵
03/07/15 19:48
優良スレサルベージ

585:名無し三等兵
03/07/15 21:25
>>582
うちの祖父の兄は前線から早く帰りたくて醤油はガブ飲みするわベッドの下の埃は吸うわ
ありとあらゆる手段を使ったが全く病気にならずに終戦まで南方にいた

それに対し祖父は戦争で生き残る気は全くなかった生粋の職業軍人で陸軍の戦闘機パイロットだったけど
南方に進出したと同時にあっさり病気になって内地送還

人の運命はわからんもんだね

586:名無し三等兵
03/07/16 02:06 2Y+38hU4
うちのお爺さんはたしか30人くらいの部隊で軍曹だったらしい。
フィリピンの山で作戦活動中アメリカ軍の迫撃砲の破片が太ももに刺さった。
週週間すると太ももの傷が膿んできて歩けなくなった。
戦友に肩かしてもらいながら命からがらさまよっていたが、
ある日、数百人をいうアメリカ兵にばったり遭遇
そして捕虜になった。でもアメリカの軍医が太ももの傷の手術してくれた。
アメリカ兵の日本捕虜の扱いは日本兵のアメリカ兵捕虜の扱いより良かったらしい。

でもノルマンディーなどで降伏したドイツ兵捕虜は数十万人に対しては
機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?




587:名無し三等兵
03/07/16 02:49
刀の研ぎや写真が特技だと、連隊本部付になれることが多かった

588:名無し三等兵
03/07/16 05:06
>>586
それは運が良かったね。

>機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?

その話の真偽はしりませんが、戦争ってそういうものですよ。
日本人が殺されたケースもあれますし、
日本がアメリカ人を殺したケースもあります。

589:名無し三等兵
03/07/16 12:31
祖父さんじゃないけど、親父の知り合いの爺さんが敗戦後満州から
逃げてきた時に、母ちゃんがロシア兵に連れて行かれて、妹と2人きり
になって、そのまま妹を中国人に売り渡して自分だけ日本に逃げて来た
って人がいる。 その爺さんTVで残留孤児の話題が出る度にいたたまれ
なくて、TV消して布団に潜り込んじゃうらしい・・・・ 

590:名無し三等兵
03/07/16 12:46
>>589

涙涙涙・・・



591:名無し三等兵
03/07/16 16:02
父方のじい様は、中国出兵。
通信部隊でケーブル張ってたそうな。
後方部隊なんで、安全かと思ったらしいが、
主力が移動した後の空白地域で周囲を囲まれて一晩動けず。
翌朝移動してきた戦車隊に救われた。
南京にも入って、写真を撮ったらしいが、曾爺さまが燃しちゃったらしい。
その後帰国。
南方に行く事になってたらしいが、病気で行けんかったらしい。
じい様曰く、一緒に行くはずだった部隊は、南方で全滅。
「俺は運が良かった」と親父に言ってたとそうな。

592:名無し三等兵
03/07/17 01:40
>>589
今聞くと、ひでえ姉だと思えるけど、
当時はそれが一番生き残る確率の大きかった事かも知れませんね。

ちなみに親父はハルピンで、
ばあさんがチブスで死にかかっていて、
じいさんは仕事中でいなくてどこかをフラフラ歩いていたら、
親切なロシア人の家に孤児と間違えられて泊められたそうです。
じいさんが迎えに行って、中国残留孤児にならずに済んだそうです。
そのときに、映画で見るようなバスタブに入れられた事を
うっすら覚えているそうです。
が、じいさんの手記には、ロシア人の家にいたのは叔父だと書いてありました。
どちらの記憶が間違っているかは解りません。

ちなみに、ばあさんは今も元気です。

593:伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo
03/07/17 02:29 qK1Nxjbl
以前書き込んだものですが・・・
うちの爺さんは輜重兵です。
でも、大陸に行って戦闘もやったそうですし(ちょっとだけ・・・)、
銃も撃ったことがあるそうです(捕獲兵器ですけど・・・)。

>531,505
うちの爺さんは、馬に乗って移動したって言ってたから引率役なのかな・・・
でも、上官の「前に行くか?」の問いには、「結構です」と答えたらしい。
しかもその意見が取り入れられて、そのときは前には行かなかったらしい。

でも、揚行鎭か、大揚鎭だったと思うけど、守備しているとき(?)に
銃弾が飛んできて、一緒にいた兵士の股の間を弾が通過したとき、
その兵士が腰が抜けてしまって、動けなくなったという話を聞いたことがある・・・

>562
穴掘りは、八丈島でうちの爺さんもやってました。
工兵に限った仕事じゃないと思いますよ。

以下軍隊手帳より・・・

所管 近衛師団宇都宮 〓〓〓〓〓〓
部隊號 近衛輜重兵大隊第二中隊
兵科 輜
官等級 輜 特 上等兵 陸軍兵長(特・上等兵については線で消されている…)
本貫族籍 栃木縣
氏名 戸主***甥 ***
誕生 明治四拾四年拾月弐拾八日生
身長 一米五七糎九粍
特業住所 栃木縣下都賀郡***村大字******番地ノ*


594:伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo
03/07/17 02:30 qK1Nxjbl

戰時著装被服大小區分
帽 六號
衣袴 四號
外套 四號
靴 十文七分

服務年期
二年 自六年十二月一日至七年十一月三十日
實役 自七年十月一日至七年十一月二十五日

善行證書
昭和二十年十一月十五日附典

履歴
昭和七年十一月一日現役兵トシテ近衛輜重兵大隊第二中隊ニ入管
十一月二十五日〓休退管
昭和九年簡閲點呼濟
昭和十一年簡閲點呼濟
昭和十五年簡閲點呼濟


595:伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo
03/07/17 02:31 qK1Nxjbl
出戰務
昭和十二年八月十四日動員下令
(長男で近衛兵になって、出征は無いと思っていたところへの赤紙だったそうだ)
昭和十二年八月二十一〓充員召〓ノ〓近衛師〓渡河材料中隊ニ〓召
昭和十二年八月廿六日近工出発
同月廿八日宇品港出発
九月四日呉淑波止場上陸
同月九日迄〓家宅ニ器材ノ運搬
同日第三師團長ノ令化ニ入ル
(普通はもとから師団について行くそうだが、近衛師団自体は戦争に行かないそうで
三師団に配属になったそうだ。三師団は九州の部隊だったらしい)
自九月九日至同月十二日揚行鎭附近ノ戦闘参加
(敵は準備万端で待ち受けていたらしく、味方の航空爆撃があったそうだ
このときの航空機は、複葉機だったとのこと)
自同月三日至十月二日劉定行及〓家宅附近戦闘参加
自同月三日至同月廿七日大揚鎭附近戦闘参加
(この時には単葉機になっていたらしい。そういう話するところを見ると
航空機の攻撃が多大な戦果を上げていたのだろうか…
この戦いの勝利のあと、国内では提灯行列などがあったとかどうとか…)
自同月廿八日至十一月十一日蘇州〓附近ノ戦闘参加
自同月十二日至同月十六日南翔嘉定附近ノ進撃戦闘参加
自同月十七日至十二月一日常(熱)(無)(金易)附近ノ水上機動戦闘参加
(水上機動戦闘って何って聞いたら、あまりよくわからない返事が返ってきたので
敵が対岸から攻撃してくるのに、無理やり仲間を船で渡すの?
と聞いたら、そんなようなもんだ。といっていた
舟には、銃弾の穴があき味方の血も結構付いていたそうで
最初は気持ち悪いと思ったらしいが、すぐ慣れたといっていた
戦場じゃ気持ち悪いなんて言っていられないとのこと)
自同月二日至同月廿五日鎭江附近ノ渡河並ニ江北追撃戦斗参加

596:名無し三等兵
03/07/17 03:13
戦争はDQNもしくは鬼や悪魔になってしまうか、ならなくちゃいけ
ないのだろうか・・・

597:名無し三等兵
03/07/17 03:36 p5LfBd7F
>善行證書
>昭和二十年十一月十五日附典
8/15以降の記録があるのってどうして?

598:名無し三等兵
03/07/17 03:39
陸海軍省が廃止されたのは1945年12月1日だから
それまでは省務が続いてますの。

ポツダム昇進なんかもその時期のこと

599:名無し三等兵
03/07/17 03:57
>>598
そうでしたか、ありがとうございます。


600:名無し三等兵
03/07/17 05:40
>>593-595
乙でーす。
うーむ、貴重な資料ありがとうございます。
じいさん、末期徴兵と、戦後の混乱でそんなもの持ってないや・・・。
あっ、持っていたら、シベリア送りだから、処分したんだろうな。


601:名無し三等兵
03/07/17 11:07
うちの近所ジジイが「ワシは宇宙人と戦った!」ってぬかすんで
ボケたかと思ったけど、留学で行ったアメリカでも「私は○▲星人
と戦っている。」って老人がいたんだよ。
やっぱりいるんだよ、宇宙人。

602:名無し三等兵
03/07/17 18:56 Mpk3fMNX
第三師団って九州じゃなくて名古屋じゃない?

603:名無し三等兵
03/07/18 14:30
大陸か台湾で銀輪部隊だったそうな。


604:名無し三等兵
03/07/18 14:31
>>603
あなたのおじい様の戦争体験を教えて

605:名無し三等兵
03/07/23 05:42 hjQVxde4
親戚のじいちゃん(個人)は、銃弾が飛び交う音が一番怖かったって言ってたな。
離れた銃弾は口笛のような高い音で、近い銃弾はスズメバチのような音らしい。

606:名無し三等兵
03/07/23 05:44
あれれ?また消えた?
補完しておきまする。

606 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/20 19:37 ID:???
戦争体験?

終戦後マッカーサーから青リンゴ2個もらった。


607 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/20 19:49 ID:???
>>606
それ違う板で読んだよ。

607:名無し三等兵
03/07/23 05:45
>>605
>近い銃弾はスズメバチのような音らしい。

これがどんな音だかよく解らんけど、
じいちゃんの時代には一杯いたんでしょうね。


608:名無し三等兵
03/07/23 05:54 nRYFhEyO
☆貴方が見たい娘がイッパイ(^0^)☆
URLリンク(endou.kir.jp)
URLリンク(endou.kir.jp)

609:名無し三等兵
03/07/23 08:58 KJ8ZyQly
祖父じゃなくて伯父ですが。
戦時中に海難事故で死んだ伯父が
士官予備校に在籍していたそうです。

どなたかご存知の方、「士官予備校」が
どんなものか教えていただけませんか。

どうやら、とても優秀な伯父だったようですが、
彼の事故の話そのものが未だに父の世代の
タブーなようで詳しい話をあまり聞いていないのです。

610:名無し三等兵
03/07/23 09:53
>>609
士官予備校じゃなくて、仕官学校ではないかな?
仕官になる為の教育を受ける学校です。

予科連なんてのも、仕官学校になるかな?
ここにいたいじいちゃんに直接話しを聞いたことあるや。
戦争末期にどうせ徴兵されるならと、予科連に入った。
繰り返しじいさんが言っていたのは、
同期がちょうど下痢をしている時にシゴキを受けて、
それが原因で死んだにもかかわらず、
戦病死扱いになっていたと言う事。
ものすごい怒っていたよ。
この方と言う事は無いですよね?

URLリンク(www.st.rim.or.jp)

611:名無し三等兵
03/07/23 14:47 KJ8ZyQly
>610
お返事有難う御座います。
でも、間違いなく士官予備校です。
陸軍には間違いなく有ったようなのですが、
海か陸かは聞いていません。
難易度がとても高かったらしく、また、
士官学校ほど大人数はいなかったようです。

また、ご指摘の方は伯父では有りません。
伯父は海難事故において他の方を助けている
うちに亡くなった、と聞いています。

612:名無し三等兵
03/07/23 18:02
>>610
予科練は士官養成学校じゃなくて搭乗員養成学校。しかも海軍だし。
>>611
陸軍幼年学校のことを言ってるのか?
あと、甲幹が入る予備士官学校というのもあるが。


613:名無し三等兵
03/07/23 22:46
>>612
ありがとうございます。
予科連は仕官学校に含みませんか。
海難だから、海軍かなぁと思いました。


614:名無し三等兵
03/07/23 23:47
>>613
おそらく『海軍予備学生』でしょう。
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

615:名無し三等兵
03/07/24 01:33
皆様、有難う御座います。
伯父が亡くなった時の年齢から行くと(確か10代と聞いています)
幼年学校が該当するのかと思います。何しろ、祖母が「士官予備校」
としか言っていなかったものですから私としてもそれ以上は
判りませんでした。

あと、混乱させてしまいました海難事故の件ですが、
一応ご参考までにかいつまんでご説明します。
当時私の一族(曽祖父、その長男、次男(私の祖父)及びその妻子)
は本土から釜山に移っておりました。そこで祖父は
農水省の地方官僚をしており、なくなった伯父はその長男でした。
(私の父が末子です)本土で件の「学校」で教練を受けておりました
伯父が、曽祖父の葬式のために釜山へ戻り、その帰りの貨物船が
時化で事故を起こした訳です。伯父は泳ぎが達者な人だったので、
泳いで沈みかけている人を引っ張っては船に連れて行く事を
何度か繰り返していた訳ですが、そのうちのおぼれた人が
伯父の後ろからしがみつき、伯父はついにその人に海に引き込まれる
形で日本海に沈んだそうです。
その後の終戦に伴い、私の一族は本土に戻りましたが、
ご多分に漏れず全てを失った上での引き上げになったそうです。

将来を嘱望されていた人間の事故だっただけに、未だに私の家では
この話はあまり語られません。一族の没落の象徴のような事件
でも有るようです。

616:名無し三等兵
03/07/24 18:42 GpGxEkNz
浮上させておく

617:名無し三等兵
03/07/25 04:57 lXrF9hqn
うちのじさまは史上初の空母対空母の戦闘となった珊瑚海海戦にいたよ。

と言ってもじさまは海軍じゃなく陸軍でポートモレスビー攻略部隊の輸送船
に乗ってた。
ラバウル出港後暫らくして掩護艦隊と合流。遠くから4隻の重巡が近づいて
来るのを見た時は非常に頼もしくて、戦艦が来たと思ったそうだ。

敵艦隊出現の報で輸送船団は一時退避することになり直衛の空母祥鳳は目の前
を飛行機を発艦させながら敵に向っていったそうだ。甲板を蹴った飛行機が
いったん海面近くまで落ちてから何とか飛んでいくのを「ああ、落ちる!」って
ハラハラしながら皆で見送ってたそうだ。

しばらくしてから遠くのほうで雷のような音が聞こえ「雷鳴か?海戦がいよいよ
始ったんだろか?」と話していたそうだが、これが祥鳳の最期だったんだね。

祥鳳はあまり目に見える戦果も上げず最初に撃沈された日本空母となったが
輸送船団を護り抜くという護衛の役目は完全に果たしたことを俺は感謝してる
なにせ祥鳳が犠牲にならずに輸送船団がもし攻撃されてたら、じさまも恐らく
は殺られてたろうし、俺もこの世にいないわけだからな・・・



618:348
03/07/25 20:22
家のじっちゃまの戦時中の詳しい経歴がみつかりますた。
結構長くなりますが、見たい人いますか?

619:438
03/07/25 20:23
↑ハンドル間違えた。吊ってくる・・・

620:名無し三等兵
03/07/25 20:33
ウチの祖父(88)は「海軍士官学校卒」ってが自慢だが鉄板で嘘なのか・・・・

621:名無し三等兵
03/07/25 20:45
沖縄戦で曹長として参加。戦死・・・
昭和42年に日本国天皇は~勲八等に・・・とかいう賞状がきた。
勲八等ってなんですか??

622:名無し三等兵
03/07/25 20:53
勲記でしょ。
勲功が認められて勲八等に召されたのですよ。

623:名無し三等兵
03/07/25 20:57
>>622
召された→×

叙された→○

624:名無し三等兵
03/07/25 21:21
うちの爺ちゃんは曹長で重巡洋艦「摩耶」にのってレイテ沖海戦に参加した。
潜水艦に沈められて「武蔵」に救助された。
でも今年死んじゃった。

まだ爺ちゃんが生きてる人は話をしとけ!!
孝行したいときには何とやらだぞ。
おれもしとけばよかった。

625:名無し三等兵
03/07/25 21:51
>>624
>まだ爺ちゃんが生きてる人は話をしとけ!!
ウチの爺ちゃんの体の中には12,7mmの弾頭がずっとめり込んだまんまだったらしい。
爺ちゃんが死んじゃったちょっと後にオヤジから聞いた。

 早 く 言 え よ 、 火 葬 場 で 御 骨 拾 う 時 に 探 し た の に ! 

しょうがないので、その代わりに箪笥の奥から出てきた下士官用刀帯と図嚢を形見代わりに大切に使っている。
(下士官用刀帯と図嚢・バイク乗るとき便利だよ)



626:名無し三等兵
03/07/25 22:24
>618
吊る前におじい様の経歴のUPだけはやって置いてください。
きっと資料としても貴重ですから。

627:621
03/07/25 22:43
>>622
ありがとうございました。
たいした事なさそうですね・・・

628:名無し三等兵
03/07/26 02:03
>>627
たいした事はなさそうかもしれないが
ここの人間の何人が勲八もらえるかということを考えると
やはり大したもんだと思うぞ。

629:名無し三等兵
03/07/26 04:41
>>620
海軍兵学校ならネットで全卒業者の名簿が見れますよ
URLリンク(www2b.biglobe.ne.jp)
あったら本物だね 五省は言えるのかな?

630:名無し三等兵
03/07/26 11:03
40度の熱を出して病院に担ぎ込まれ、入院。
入院四日目ようやく回復の兆しが見えたんで相部屋に移されたときのこと。
その相部屋には80過ぎのご老人がいて、自分と同性だった。
「Tですか? 珍しい苗字なのに偶然ですね」
と私が尋ねると、この苗字は大分県では珍しいが大阪あたりだと結構多いと教えてくれた。
で、そのご老人、朝になると欠かさず体操をするんだけど、背伸びの運動とかしてると何か違和感がある。
両腕の長さがあっていない。片方の腕が短かった。
「中国で憲兵やっちょったとき、迫撃砲くろうてちょん切れたんよ。
軍医にくっつくかわからんがつなげてみようかっち聞かれたけえ、頷いてから気ぃ失うての。
起きたらこげえなっちょった」
とこともなげに教えてくれた。
こんな話よく平気でできるな、と思ってたら、おじいちゃんに面会の人がきた。
なにやら怖そうなじいちゃん方(元ケンペーのじいちゃんよりは若かった)だった。
後でほかのじいちゃんに聞いたところ、ケンペーじいちゃんはここらへんでは有名な「や」のつく自営業の人だった。
私が怖がっていると、
「大丈夫じゃ。本物のヤ○ザは一般人には優しいもんじゃけえ」

……ちょっとスレ違いっぽいけど実体験なんで。

631:名無し三等兵
03/07/27 01:00
以前ここに書いた(移転の際に消えた)台湾の南に駐屯していた祖父に今日話を訊いてみました。
祖父は名古屋の連隊で、戦友たちが餓島やサイパンに送られるなか運良く台湾に送られたようです。
ご存知の通り台湾では戦闘も無く、バナナの早食いをしたり現地人と話したりしていたようですが、
戦局が悪化すると特攻ボート(震洋?)の隊員になったようです。
敵が上陸してきたら爆雷を積んで突っ込むつもりだったそうですが、おそらくその前に機銃掃射を受けてバラバラになるだろう、と言ってました。
あと38式はよく当たるが、99式は当たらない、ピストルは全然、軍刀は全く切れないことはないが生木は切れない、と言ってました。
最終階級は軍曹だったようです。
あと、祖母(ボケてる)の兄についても話を聞いたのですが、その兄は体当たりでB29を落とし、琵琶湖の辺りに墜落したそうです。
戦死後二階級特進して少佐になったそうで、その碑がそこにあるそうですが、詳しい地名を言われたのですがは覚えてません、、
詳細ご存知の方ご教授下さい、、、

632:名無し三等兵
03/07/27 02:53
>>630
う、いい話かな???
ちょっと、うらやましい体験ですな。


633:名無し三等兵
03/07/27 02:55
>>631
それは名前を出せば一発でわかりそうですね。
ただ、ここで出すのはイヤでしょ?
検索を書ければ出で来ると思うし、
該当場所の市役所等に問い合わせれば、教えてくれると思います。


634:名無し三等兵
03/07/27 10:24
>>631
軍から支給される軍刀は大量生産ものだからなまくらだったというのはよく聞きますね。
家に業物がある人はそれを軍刀に作り直した事も多いそうですが、貰った軍刀の柄とか
付け替えても許されたんですかね?

635:名無し三等兵
03/07/27 10:31
>>634
いや、専門の刀装具職人のところで特注だよ、そういうのは

636:名無し三等兵
03/07/27 10:36
>>628
うん勲位階も今年で廃止だしねえ。

637:名無し三等兵
03/07/27 17:40
>>635
じゃ、式典とかで礼装するときはやっぱり貰った軍刀佩くのか。

638:名無し三等兵
03/07/27 17:43
>>637
式典の時は指揮刀佩くんじゃないですかね?二環目の足金具付けて。

639:名無し三等兵
03/07/27 18:49
>>638
いや、それは平時だけ

640:名無し三等兵
03/07/27 22:03
うちのジーさま終戦ちょっと前の陸軍次官だった。
生きてりゃどれだけ面白い話が聞けたことか・・・
俺が産まれる10年以上前に死んじまったよ。

641:名無し三等兵
03/07/27 22:18
うちの爺さんなんて戦後すぐに逝ってしまったから、父ですらほとんど記憶がない・・・

642:438
03/07/28 00:00
では書いてみます。

昭和5年1月10日 第八大隊第一中隊に入隊(重輜兵として)
昭和6年11月23日 帰休除隊
昭和7年3月10日 弘前憲兵隊山形憲兵分隊に編入を命じられる。
昭和8年 一〇七討伐隊配属解除、同年15日帰隊。
昭和9年4月2日 関東軍憲兵隊編成要員として増加配属。
           同日下関出発(旧満州国へ)。
     4月13日 国境新義州通過
       16日 吉林省県境を通過、同17日着隊。
     4月17日より昭和10年10月30日迄、関東省江精県延吉にて満州事変勤務従事。
昭和10年2月2日 延吉憲兵隊附、12月6日秋草討伐隊坂口部隊に配属命ぜられる。
      12月12日 延吉隊着。
昭和11年4月21日 編成改制により延吉憲兵隊附。
昭和12年5月10日 竜井憲兵隊分遺附を命ぜられ、同、16日着隊。
昭和13年4月7日 北支那派遺の命を受け、同日間島省延吉を出発北支へ。
      4月10日 黄河の大鉄橋爆破事件起きる。鉄舟仮橋を渡り済南に着く。
            北京古宮博物館。万里の長城の警備に当たる。

まだ続きが在りますが、疲れたのでとりあえずここまで書きました。
はあ、吊るのは大分先になりそうだ・・・。

643:名無し三等兵
03/07/28 17:35
父方:満鉄の職員?電気技師だった。
引揚者が貰えるという勲章を大事にしてた。
祖母がよく満州時代の羽振りのよさと戦後の苦労を話してた。

近所のじいさん:酔っ払って他人の家に土足で上がりこみ、大声を出す。
頻繁だったが、戦争がえりという理由で大目にみられてた。


644:名無し三等兵
03/07/28 18:20
うちの祖父が以前
「俺は餓島に行くはずだったんだが、途中で船が引き返したので行かなくてすんだ。
言ったらたぶん戦死していた。」
というようなことを言っていたのですが、こういう部隊は実在したのでしょうか?
陸軍の衛生兵で、他にはラバウルにも行ったことがあると語っており終戦はビルマだったかと思います。
祖父は宮城県の出身です。

645:名無し三等兵
03/07/28 20:48 Cc0xdWvn
船団組んでた隣の船が撃沈された、という話なら聞いた事あるなあ。
その話をしてくれたのは、ゼミの先生だった渡辺洋三東大名誉教授。(専門は民法)
その船に乗っていた学友は、皆波間に消えていったそうだ。先生が学徒出陣された時の話。

646:名無し三等兵
03/07/28 20:54
現在、靖国神社の近くの日本料理店でアルバイトしてるのだが昨日開催された
戦友会のジーサマどもが、
「関東軍の参謀将校で731部隊に関わっていて終戦真際にルバング島
の小野田少尉に機密作戦を支持した」
と、宣っていた。
領収書は戦友会のハズなのに「第××期満州青年開拓団」にしてくれっていわれた。

647:名無し三等兵
03/07/28 22:14 0QGL18zG
俺のじいさんは85歳。よくは聞いてないけど上海あたりに行ったらしいよ。
5人くらいの部下と一緒に見張りをしてたら夜襲を食らって、じいさん以外全員
戦死だったって。じいさんの指の間を弾丸がすり抜けたらしく、今もすり傷がケロイド。
じいさん、戦争の話は終戦の日の番組とか見てると「この戦車がまた凄いんだ!」とか
言って饒舌になるけど、戦争映画は見れないみたい。プライベートライアンは序盤の
銃撃戦でリタイヤ、ブラックホークダウンも見れなかったな。やっぱり目の前で仲間が
撃ち殺されたりしたら相当のトラウマだろうね。。。。

ばあさんは、米英の上陸に備えて薙刀の訓練を大マジにやってたってさ。今考えると
大笑いだと言ってる。また、横浜大空襲を経験してるんだけど、最初は「うわ!人が死ん
でる!」とキャーキャー言いながら逃げてたらしいけど、3時間もすると死体を踏んでも
「あ、人間だったんだ」としか思わなくなってたって。
ちょっと前、北朝鮮がテポドン撃って来た時は「戦争は嫌だ、絶対嫌だ!」って本気で怯えて
たよ。切なかったな。

648:名無し三等兵
03/07/28 22:49
>>644
宮城なら第二師団ですかね?
第二師団を増援としてガ島に送ろうとして、米軍との間に『サボ島沖夜戦』が勃発しているので、
一部の部隊を乗せた輸送船は退避しており、おそらくその退避した部隊ではないでしょうか?

649:名無し三等兵
03/07/29 09:07
>644
で、そのガダルカナルで生き残ったのが
中内功前ダイエーグループ会長だったりする訳だが。
飢餓に苦しんだ末に見た幻影が
”家族ですき焼きを食べている光景”
だったそうな。

その後の異常なまでの企業拡張への執念や、
アジア進出への執着や、
食品業へのこだわりは
この辺に原動力がある、と俺は見ている。

650:名無し三等兵
03/07/29 10:20
伯父の話。
中国にいた伯父たちに突然ソ連軍が襲いかかってきた。
目の前では炸裂音が続き、生きたここちはしなかったそうだ。
伯父の隣にいた戦友が「もう、だめかもしれんなあ」と、云った瞬間、すぐそばで爆発があった。
砂埃をはらって隣を見ると、さっきまで話をしていた戦友の首がなかったそうだ。
その後、伯父はシベリアに抑留された。

651:名無し三等兵
03/07/29 14:01 b5Xoga16
うちのひいじいちゃん
明治41年生まれ。
東京帝大でて内務省へ。戦前に警察の業務で
ナチス時代のドイツへ視察団の下っ端として
参加したらしい。
当時のドイツ警察の大物と会合を持ったらしいから
もしかしたらヒムラーとかハイドリヒとかと
会ってるかもしれない
今度聴いてみようと思うが、寝たきりだし目も耳もダメになってる
から何も聴けないかも

652:名無し三等兵
03/07/29 21:11 RgFFxY0v
俺の父方の大叔父は特攻志願したが、まもなく終戦→自殺
俺の母方の曾爺さんは、半島に渡るときに輸送艦を撃沈されて死亡

653:名無し三等兵
03/07/29 21:19
>>651
ソッとしておいて揚げなよ。
寝たきりはかわいそうだぽ。

654:名無し三等兵
03/07/29 21:49 ti5zT61Y
>653
意外に喜ぶかも。
ただ、耳も駄目だったらちょっと辛いか。

655:名無し三等兵
03/07/29 22:14
>>651
低音でゆっくりしゃべればOKだと思う。

656:名無し三等兵
03/07/29 22:42
去年、ヤマトの航海士(当時少尉)だった方の講演を聞いた。
録音しとけばよかったな~。
大和について書かれた誰だったかの著作に、自分の名前が出てきて、
「生意気な海兵出身の少尉」などと書かれており、少し気を悪くしたとか言ってた。


657:名無し三等兵
03/07/30 01:04
戦地体験ではありませんが・・・

うちの祖父は陸軍に徴兵されたものの、終戦時二十一歳で内地にいました。
本気で天皇陛下の為に戦って死にたかったらしい。流石は最強(最狂?)の軍国少年世代。
戦地に行きたかったが、上官に言っても行かせてもらえなかったそうな。
優秀な成績だったらしくて、内地で後進を教育する為に残された(と上官に説明された)と本人は言っておりました。
上官は何か思うところがあったのでしょうか。

軍部として戦地に行かせなかったのは、本土決戦の為と、祖父の次兄が戦死していて長男は家を出ているので、
実家の農業を継ぐ人間を残す為に内地に残した可能性を私は考えています。

658:名無し三等兵
03/07/30 01:12
もう一つ。友人から聞いた友人の祖父の話。

以前何処だったかで、兵隊の数を数える時、掛け算も知らない
ソ連兵に負けたことを知った日本兵の驚きの話がありました。
んでそいつの祖父さんは、シベリアに抑留されたとき、凄く重いものを
動かすのに「てこ」の原理を利用したらしい。それを見たソ連兵は驚いたと言う。
そんで調子にのって「これだから露助は~ピー」みたいなことを言ったら、
投獄されたと言う。

それでも寒さで死ななかったのは、運もあるけど、
仲間が毛布などを差し入れしてくれたからだそうな。ええ話や。

信憑性は謎。又聞きの話ですまんね。

659:名無し三等兵
03/07/30 02:03
>>657,658

おじいさんは運が良かったね。
あまり神様は信じないが、きっと、某かの加護があったのかもね。

>ソ連兵に負けたことを知った日本兵の驚きの話がありました。

これと逆の話で、アーロン収容所にて日本人捕虜が所内新聞を
発行しようとして人数分の紙を収容所側に要求した。
が、収容所側はそんなに紙は要らないだろう、字が読めないだろうという。
そこで、捕虜を集めたときに「この中で字の読めるものは挙手しろ」と言ったら、
全員手を上げて驚いていたという話を読みました。
日本は当時から世界でもかなりの教育先進国だったみたいです。
ある大学の教授さんが、GHQから戦後に識字率検査を受けて
また、読み・書きのテストを無造作に選んだ国民に受けさせたところ、
何回か実施して、一人のおばあさんだけしか、
読み書きの能力の無い人はいなかったと聞きました。
これにはGHQもびっくりして、
テストを改ざんしたのではないかと散々疑われたそうです。
あまり関係無くなってしまいましたが、失礼。

660: 名無し三等兵
03/07/30 03:11
昔、父達から聞いた話なんだけどウチの祖父は
戦闘機の特攻隊(当事18才位)だったそうな。
いざ出撃という時にお腹壊してトイレに行ってるウチに
終戦、となったらしいんだけど。
「自分だけが生き残った負い目があるから
お酒ばっか飲むんだろうね」と父達が言ってました。
>>125
の話を読んでたら当事の集合写真の若い隊員達の顔を
見たのを思い出して、何か無性に悲しくなりました。



661:名無し三等兵
03/07/30 04:07 3u0Uhn69
うちの爺さんは昭和一五年21歳で満州に
行ってその後カンボジア、ベトナムにて機銃で
足をやられるもその後ビルマ、タイと
転戦し昭和二二年に復員。

七年ぶりに故郷沖縄に帰ってきたら五人いた
兄弟も自分一人だけになっていた爺さんは
五人兄弟の次男で長男は馬車に引かれて
死亡、三,四男は防衛隊として沖縄戦を戦い
五男は空襲でやられた、そんな爺さんは
プライベートライアンを観てそれを自分に重ねて
泣いてました、最近数十年ぶりに検診につれて
いきレントゲンを撮ったところ右の太もも以外に
頭の中にも銃弾か砲弾の破片がみつかりました。

662:名無し三等兵
03/07/30 08:44 spSP7F4T
私の祖父は朝鮮と台湾で憲兵をやってました。
最初朝鮮での任務に就いてその後
フィリピンに出撃するために台湾に移動したとか。
朝鮮から台湾に移動するために船に乗ったんですが
その船の貨物室に乗せられてとても狭かったそうです。
そこで寝ていたときに事故が起こって寝るための棚が落ちて
一番下で寝ていた人が下敷きになって死んでしまった。
それで海に流して水葬?をしたそうです。
遺族には事故と言うのはかっこがつかないということで
戦死にしたとのことです。
それで結局出撃することはなく台湾で終戦を向かえたのですが
終戦間もなくは混乱があって倉庫などで略奪をしていた人などを
取り締まっていたそうです。
台湾に配属されなかったらシベリア送りになっていたとも話していました。
最近入院したので不安です。

663:名無し三等兵
03/07/30 18:07 I9TVHmPC
10年くらい前かな。
近所に住んでるアル中気味のじいさんがいて、
近く通るといちいち絡んでくるんで頭きたからナイフちらつかせて
カツアゲでもしてやろうと思ったんだけど、そのじいさん
俺のナイフ見てもちっとも動じないでやんの。
それで急に語り始めてやがった。
「昔、若い頃にインパール行ってきたよ。」って。
それだけを何度も何度もうなずきながら繰り返すんだよね。
でも気味悪かったな。あのじいさんの目。
遠くを見るような感じで。

664:名無し三等兵
03/07/30 18:11
>>663
ほんとの戦争経験者にゃつうじねーだろーなー。
お前のちんけな十徳ナイフじゃ。(ry

665:名無し三等兵
03/07/30 18:12
>>663
死ね

666:名無し三等兵
03/07/30 19:31
戦争の話じゃないけどうちの親戚のひいじいさんはシベリアに行ったけど
上官だったから結構楽な生活してたらしい
シベリア送りになった人でもえらい人は結構楽してたみたいだね

667:名無し三等兵
03/07/30 19:53
>>663
(・∀・)カエレ!

668:名無し三等兵
03/07/30 22:00
>>666
なんか、どこかのホームページでシベリヤでの捕虜生活を
おじいさんと息子さんかお孫さんで紹介しているのを読みましたが、
それなりになれなりの待遇はされていたような感じですね。
ただ、決定的に、周りのロシア人も死んでいくような場所・時なので
どうしようもなかった様な印象を受けました。
場所にもよるでしょうが、今まで受けた印象とまったく違うので
不思議に思った記憶があります。


669:名無し三等兵
03/07/30 22:06
>>668
共産主義を受け入れて「アクティブ運動(?)」とかやって
『日本でも共産主義革命を!米帝に死を!!』
とか模範回答をしたりして露助さんに気に入っていただけると待遇が良くなるそうです。

670:名無し三等兵
03/07/30 22:36
>>669
わはは、それもあるだろうね。
考えてみれば、当時のソ連なんか、
民間人もパコパコ収容所で死んでいた時期だからね。
可愛そうなのが、復員後にも警察に後つけられたり、
就職できなかったりと言う事があったと言う事でしょうか。

671:名無し三等兵
03/07/30 22:55
もう亡くなって10年になるが、俺の爺さんは武専出身で仕官として中国に行ってた。
手榴弾を地面に叩いてから投げつけるって、言ってたのは覚えてる。
あんまり戦時中の話はしてなかったな。
部下が何人も戦死してるから、話したくなかったのかもしれない。

あと、抑留された爺さんの友達は「露助は嘘つきだ」と言ってた。

672:ななし
03/07/31 12:52 lvP6WPPk
妻の祖父がなくなったのですが、妻の祖父の足跡を
たどりたく、情報提供を求めます。

①昭和18年~20年にかけて、海軍岩国基地に勤務されていた人
②岩国基地空襲で、陛下の写真を入れた社が焼失したのですが
 その社の再建式に立ち会った人
③飛行機の風防ガラスで煙草入れについてご存知の人


673:名無し三等兵
03/07/31 14:14
>>672
日本語がおかしいですね

674:ななし
03/07/31 14:43 d6IfC9Ou
673へ

672です、失礼しました。書き直しをします。
妻の祖父が最近84歳で天寿を全うしました。
親戚の方から祖父の思いで話を聞いていたら、
太平洋戦争中、海軍で航空機の整備兵をしていて
特技の彫り物技術を上官に認められて、空襲で焼失した
陛下の写真を入れた社の再建にかかわったそうです。

祖父の足跡をたどりたいと考えています。
そこで次のことについてお知りの方がいたら、御情報ください。


















675:ななし
03/07/31 14:43 d6IfC9Ou
674の続き

①昭和18年~20年にかけて、海軍岩国基地に勤務されていた人で岩国基地空襲で、
 焼失した陛下の写真を入れた社の再建式に立ち会った人。またその経緯についてご存知の方。

②陛下の写真を入れた社についてご存知の方、岩国にあつたというその社についてご存知の方。

よろしくお願いします。




676:名無し三等兵
03/07/31 21:40 jFQJIMW8
自分の祖父の話。。。ですが祖父は自分が小さい頃に亡くなってしまったので生前の祖母に聞いた話。
祖父は一時ラバウルにいたそうです(終戦時は海軍省らしい)。その時の写真を見ると、
当時珍しかったバナナ(着色済み)の前で、格好つけて記念写真撮ってるものなどがありました。
ある日上官に同行しなきゃならん任務があったそうですが、急用があって基地に残ったそうです。
そしたらその上官の乗機はアメリカ軍航空機の攻撃を受け撃墜。祖父は命拾いし、今日の自分があります。
その上官の方は有名な方ですが、この話を祖母から聞いてから、とても親近感を覚えます。


677:名無し三等兵
03/07/31 21:46
>>673
それは良い供養になるでしょうね。
戦友会とかは当たってみましたか?
岩国基地に直接問い合わせるのも手です。

URLリンク(www.google.co.jp)




678:名無し三等兵
03/08/01 12:40
私の知り合いだったご老人では、大東亜戦争中はシナ大陸で憲兵中尉だったそうです。
尤も、復員した直後に占領軍の粛清を警戒して軍服だの身分証明だの
は全て処分してしまったと仰っていました。
案の定、他の方達は証拠品を残していたおかげで
みんな戦争裁判の対象にされたそうです。


679:名無し三等兵
03/08/01 14:57
うちの祖父は、樺太に配属されたそうだ。
新兵教育も樺太で受けたらしい。
「大砲を引っ張る馬も、気性の荒いのがいてね。
 蹄の掃除してる時に蹴られて死んだ初年兵もいた。」

終戦後、シベリアに連れてかれて、シベリア鉄道に関わったそうな。
伐採の時に木の倒れる方向に逃げて死んだ人もいたって
話してくれた。
復員は昭和24年の夏。舞鶴に着いた高津丸に乗ってたらしい。

上敷香と言っていたので…歩兵第25連隊?

680:ぼるじょあ ◆ySd1dMH5Gk
03/08/02 04:11
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎―――◎                      山崎渉&ぼるじょあ

681:j
03/08/02 14:20 7f8JzBxD
>>676
>>その上官の方は有名な方ですが
 山本五十六?

682:名無し三等兵
03/08/02 14:26
>>679
俺のじいちゃんは獣医少尉で、北満で軍馬の世話をしてた
馬のうしろ脚って2メートルも伸びるそうで、それで腹を蹴られて負傷した
じいちゃんがしみじみ言ってた
「馬の後ろには絶対立つな ありゃ死ぬぞ」

683:名無し三等兵
03/08/02 16:17 oweu5JNR
自分の身内ではないが1991年の八月末、ハワイに行った時にオプショナルツアーで真珠湾に行った時の事。
同乗していたお爺さんが手を上げてガイドさんに質問したんだ。
「私は此処を空襲した時に参加しておりましたが(港の)皆さんは我々を恨んでいますか?」
と聞いた。ガイドさんは笑顔で
「そんなことはありませんよ。尊敬の対象としてみておられる方が多いです。」
と返答していた。車内が静かになった中、そのお爺さんはさらに続けた。
「私は、赤城に乗り込み爆撃をしたんです。」

684:名無し三等兵
03/08/02 16:28 fkDAxlnH
続き
「今まで恐ろしくて来ることを躊躇って来ましたが、せめて死ぬ前に亡くなった方々にお詫びを申し上げに来ました。」
と言っていた。私は、その後気になってアリゾナメモリアルで注視していると戦没者名簿の前で直立し、敬礼をしていた。
まるで映画のワンシーンの様な光景だった。
いまでもこの時期になるとこの事を思い出す。あのお爺さんは御存命だろうか。

685:676
03/08/03 18:41
>>681
らしいです。


686:名無し三等兵
03/08/03 21:05
こないだ靖国神社で、じい様が彗星に向かって土下座して手を合わせてた
孫(たぶん)の若い女の人が少々困惑してた

見ててなんだか涙が・・・

687:第142騎兵旅団
03/08/03 21:50 U0R/Ch+5
今、スレ読んで思い出したが、学校(リア厨)の
歴史の授業で、自分の爺さんは空軍だって言ってた香具師がいた
「日本軍には、空軍はない!!」と 言いたかったが止めた

 ちなみに俺の祖父は、中国戦線で、山砲隊だった
この頃、祖母の家から、祖父が大雪山での重装備行軍訓練の
写真が、見つかった。
 でも、祖父は俺が5歳の時死んだ
 それから、祖父は、シベリアに抑留されて 重労働させられたらしい
私の祖父は、あまり体格が良い方では、無かったらしいです


688:名無し三等兵
03/08/03 22:39 zainBG4O
>>687
じいちゃんの「わしは航空隊(飛行兵)今で言う空軍だな」
という空軍だけを覚えちゃったんだろうね
でもおじいちゃんの言葉をちゃんと聴いてるだけでも偉いかも

689:名無し三等兵
03/08/03 23:01
じいちゃん何度も言わすなヨ
「ソ連」はもう無い「ロシア」だ!!
もう百遍逝った!

690:名無し三等兵
03/08/03 23:23
俺のGさんは憲兵だったらしい。んでその後ソ連に連れて行かれて肉体労働。

でも今じゃ「紙おむつ」を「かしわ餅」と聞き間違えるぐらい耳が遠い


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