03/06/08 00:21 jCok9C5O
>251
私の祖父は結婚3年目でフィリピンに出征、洞窟に立てこもって
最期は火炎放射器で焼き殺されたそうな。部隊はほぼ全滅で、数
少ない生き残りの方からの伝聞で詳細はわからない。
先日、祖母が亡くなった。
で、祖母の病床の枕もとから包みが一つ出てきた。
何かと思ったら祖父との手紙を全部残していたんだわ。
それを読みながら涙が止まらなかったよ。
253:名無し三等兵
03/06/08 00:45
>>252
いいおじいさんだったんだろうね・・・。
こっちまで涙がでて来る・・・。
254:名無し三等兵
03/06/08 00:55 BmFo5DG7
満州にて野砲隊?の隊長をしていたそうです。その為馬に乗っていたそうです。
実家には、マントを羽織った祖父が馬に乗っている写真があります。
昔は軍刀や鉄兜があったんですが、今はどこへいったやら。
負傷して、弾がまだ体にあると聞いていましたが、亡くなってお骨の中に金属片があるのを見つけた時、なぜか涙がでて止まりませんでした。
255:名無し三等兵
03/06/08 01:05 RJdeyIs2
サイパンにて
飛行場整備。
空襲され防空壕に非難。
苦しそうにしている人がいたので
場所を代わってあげた直後、(おそらく爆撃により)
今までいた位置が崩れる。代わった人はもちろん死亡
人がつぶれる音というやつを聞いたそうである。
脚を負傷、長野の陸軍病院にて終戦。
※小学校で平和教育(南京とかの生々しいやつ)のあと
俺は祖父のこと嫌ってしまった
・・・中国で悪いことをできるわけでもないのに・・。
256:名無し三等兵
03/06/08 01:06
曽祖父は日露戦争で(当時陸軍中尉)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、愛刀で斬りまくった。
12人目までは覚えていたそうだ。
切っ先が飛び、刃が鋸みたいになるような激戦で
自身も3発被弾し動けなくなったので、敵陣地の中で「死んだフリ」
をして捕虜にならずに済んだ。
257:255
03/06/08 01:06 RJdeyIs2
孫に嫌われたまま
死んでしまって取り返しがつかない。。
わるいことをした 。
258:名無し三等兵
03/06/08 01:08
>>257
明日でいいから仏壇かお墓に謝ってあげたら?
孫に嫌われてひどく落ち込んでるから
259:名無し三等兵
03/06/08 02:17
>>256
ネタもほどほどにしろ
260:名無し三等兵
03/06/08 03:00
西南戦争でもよかですかのう・・・
261:名無し三等兵
03/06/08 07:01
曽祖父は日露戦争で(当時元只のプログラマー)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、バレットタイムで撃ちまくった。
機関銃150発目まではエビゾリでよけていたそうだ。
ビルからビルへ飛び、ワイヤーがすり減るような激戦で
自身が救世主である事を自覚したので、ロスケの群れを相手に棍棒一本で「百人斬り」
をしてザイオンが破られずに済んだ。
262:256
03/06/08 16:29 4xSIdHMv
戦死者収容の休戦時に味方にみつけてもらったそうな。
263:>>256
03/06/08 18:24 uKfD1wMQ
そのスーパー日本刀を拝めさせてください!!
12人も殺せる日本刀!!
>>256さん、あなたは神ですねwww
ネタなら>>261の方がまだマシです
264:_
03/06/08 18:24
URLリンク(kame.kakiko.com)
265:名無し三等兵
03/06/08 18:28
>>263
どっかの小説家がつくった嘘を信じちゃいかんよ
日本刀は(刀にもよるが)そのぐらいは斬れるもんだYO
266:名無し三等兵
03/06/08 18:31
>>263
同田貫上野介だったそうです
残念ながら残ってませんが
267:名無し三等兵
03/06/08 18:53
>>263は日本刀より青龍刀が好きなシナ人。
268:名無し三等兵
03/06/08 19:21
まあクリスティーズでは日本刀より青龍刀のほうが高額で落札されているわけだが。
269:名無し三等兵
03/06/08 19:49
>>268
うそ、それじゃあ日本刀買いに行かないと!
外人には日本刀のよさは分からんのかねえ、サムライソードってだけで。
270:名無し三等兵
03/06/08 20:12
日本刀は実際には血糊で鈍っても多少は切れたりする。
切れなくなっても叩けば鋼鉄なのですげー凶悪だし、
突けば刺し殺せる。
よって12人も殺せるのもあながち嘘じゃないんだよねえ。
ただ軍刀サーベルは駄目。 ありゃ日本刀じゃない。
ろくに切れやしないし下手すると簡単に折れるんだよ…
271:名無し三等兵
03/06/08 21:15
いきなり話をもとに戻すみたいで悪いが、漏れのじいちゃんは高射砲第十六連隊ってとこにいて、パレンバンっていうインドネシアのどこかにいたらしい。
話が漠然としすぎてて良くわからない。
何か知ってるひと、情報キンボヌ
272:名無し三等兵
03/06/08 21:32
>>271
パレンバンは有名な落下傘降下作戦が行われた場所、精油所(油田だっけ?)がある
たぶんその精油所の防空にあたった部隊だと思われる
273:名無し三等兵
03/06/08 21:58
>>271
このページなんてどうですかね?
まだご存命ですから、疑問点は直接聞いてみるとよいと思います。
URLリンク(www.nsknet.or.jp)
274:名無し三等兵
03/06/08 22:51
>>271
16高砲隊は中国だろ。南京とか上海とか。
275:名無し三等兵
03/06/08 22:55
>>274
当時よくあった部隊の一部派遣かなんかじゃない?
276:名無し三等兵
03/06/08 22:56 qY5k9U9W
ひいじいちゃんの話なんですが…
ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
ドイツの戦艦に乗っていてイギリスの北のほうの大きな港に攻めに(?)行ったときに港の中で戦艦が沈んで亡くなったそうです
ちなみにその直後に戦争は終わったそうです
ドイツ人のひいばあちゃんは「泳げないのに水兵にされちゃって運が悪かった」と言っていたそうです
何分まだ生きてる証言者が母親しかいないので曖昧な部分が多いのですが、おそらく第一次世界大戦の時の話なんじゃないかと思います
277:名無し三等兵
03/06/08 23:00 y3dNzijE
どうたぬきっていやぁ、確か実戦刀の中でも耐久性がずば抜けていたと以前聞いた事が。
あながちネタとも言えないのでは?
278:271
03/06/08 23:08
おお、みなさんサンクスです。
自分でも資料さがしてみたら、連隊歌の歌詞が出てきました。
聖戦の下見よここに 大陸の空制覇して
溌刺の士気厳然と 首都南京に団結す
高砲十六祖国の前衛
勅諭深く畏れみて 軍紀正しく武技を練り
柴金山上なお遥か 長江千里守備に恃す
高砲十六中支の護り
敵翼いくつ襲うとも 撃墜々々又撃墜
第一線に躍進し 武威は赫たり高射砲
高砲十六我等の戦史
東亜の空の朝みどり 雲らす仇をうち懲し
我が騎隊の征くところ 天に輝け日章旗
高砲十六祖国の希望
・・・そうやら本当に中国みたいですね。じいちゃんもこれ歌ってたのか・・・
279:名無し三等兵
03/06/08 23:17
>>276
ロシア人とドイツ人の血を引く方ですか?
280:名無し三等兵
03/06/08 23:24
>>276
それは漠然としすぎていて、なんともですね・・・。
第一次世界大戦かな?
これは、普通にありえます。
昔から、流通がありますから。
>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
日本以外だと情報がわからないので、このスレでどんな場所か、
どんな船だったのか聞いてみると良いです。
第一次世界大戦Part2【フーチェル戦術】
スレリンク(army板)
落ちちゃったけど、このスレに詳しい方がいました。
【塹壕】第一次世界大戦Part1【機関銃】
スレリンク(army板)
また、世界史板にも詳しい方がいらっしゃいます。
ここでも聞いてみると良いですね。
第一次世界大戦の起源を詳しく教えて!
スレリンク(whis板)
281:
03/06/09 00:12 xjb4adFI
>>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
第2次の時だったら、ロシア人の武装親衛隊の部隊があったけどね。
「ロア」とかなんとか言って、反共ロシア人の集まりだけど。
282:名無し三等兵
03/06/09 00:13
>>279、>>280
4分の1ドイツ人だと思っていたら母に8分の1だと訂正されたことで初めてしりました
どういう事情でロシア人がドイツで水兵になったのかはさっぱりわかりません
確実なのはばあちゃんがドイツに来た日本人と結婚して、太平洋戦争が終わってから日本に来たと言う事だけです
ちなみにじいちゃんは軍人ではありません。 商売でドイツに来ていたようです
「もう戦争終わりだったのに…ツイてない!」みたいなことをよく聞いたそうです
283:名無し三等兵
03/06/09 01:38
>>282
なんだとー!!
という事は、君のじいちゃん、ばあちゃんは
ヨーロッパ戦線にいたことになる。
12日までに、レポートに2000文字以上にして提出するように。
284:名無し三等兵
03/06/09 01:52
>>274
高射砲16連隊は南京編成だけど、
パレンバン派遣後防空101連隊に改編されて、
更に高射砲第101連隊に改編されてるよ。
285:名無し三等兵
03/06/09 16:43 m7ebpYHk
私のおじいちゃんは陸軍の特務機関にいたそうです。
私が小学校の時亡くなりましたが、その後、左翼思想に染まり
おじいちゃんの戦争体験を聞かずに今まできました。
洗脳がとけた今、改めていろいろ聞いとけばよかったと
後悔しています。おじいちゃんにとても申し訳ない。
だから少しでもおじいちゃんについて調べたいと思っています。
所属していたところが特務機関というところなのでなかなか
わからないのですが、何か資料や書籍などあるでしょうか。
286:名無し三等兵
03/06/09 18:48
>>285
おじいさんの軌跡をたどるのは、良い供養になりますね。
特務機関員についてはとりあえず、検索だけしてみると良いですよ。
例えば、273のページにも特務機関員が出てきますね。
(もしかしてこの人?はないだろうね。)
勤務地や、出身地、軍籍があったのかなど、
できるだけ詳しく書いてくれれば、アドバイスできると思います。
287:名無し三等兵
03/06/09 20:16 m7ebpYHk
>286
ありがとうございます。満州や吉林省、後半は日本各地で
勤務していたようです。地道に探してみようと思います。ちょくちょく
ここものぞかせていただきます。
288:名無し三等兵
03/06/09 21:12
>>287
満州だと、満鉄の特務機関が有名だね。
ただ、いろいろと動いているから、ちがうかな。
特務機関員って、ちゃんとした軍属じゃない人もいるし、
スパイなので隠すことが多いから、
なかなか追跡が難しいですね。
ガンガッテ、探してみると良いですよ。
289:名無し三等兵
03/06/09 21:14 o22ksAPD
内のじいさん、戦争中、アメリカにいて、米軍に参加。
今でも日本に勝ててよかったといってます。今は日本人です。
290:名無し三等兵
03/06/09 21:48
>>289
パープルハートの人かな?
ヨーロッパ戦線?それとも、太平洋戦線?
もし、よかったら詳しく書いてください。
291:名無し三等兵
03/06/09 21:50 m7ebpYHk
>288
がんばります。
話は違いますが、父と母におじいちゃんの話を聞く過程で
空襲の話になりました。
父と母は鹿児島にいたのですが、鹿児島も空襲がひどかった
ようです。しかし、人間とはたくましく、空襲があるのに鹿児島湾で
頭まで海につかり手だけ出して釣り竿で魚を釣ろうとしていた人が
いたそうです。
本当かなぁ・・・と思いつつ、不謹慎ながら笑ってしまいました。
292:名無し三等兵
03/06/09 21:55
>>289
日系?
293:
03/06/09 22:40 GrMA7bxl
ウチのじいさんは
徴兵検査で身長が170cm
だから甲種合格だったが
視力が0.6程度だった為射撃が
水準以下w。よって第一補充兵となる。
昭和19年1月佐倉連隊で北シナへいく、都内だがw
初年兵だったため往復ビンタは300回程度食らうw
昭和20年勤めていた日本無線三鷹工場の要請で
帰国。原隊復帰する前に正月だからという理由で
自宅に帰るw。自宅で飯食った後、武装返還。
受付の人に、脱走だぞヲイ
という突っ込みをうけ下関から40時間かかった
と嘘をついて難を逃れる。大正五年生まれ88歳
存命です。
294:名無し三等兵
03/06/09 23:01 x+U2HqHB
父方のじーさんは、開戦当時ヤンマーでエンジンを作っていた為、
召集はなかったと言ってました。
母方のじーさんは海軍大尉。舞鶴にいたそうですが、すでに
亡くなっているため詳細は不明。過去に立派な日本刀と二種軍装を
見せてもらいました。
295:名無し三等兵
03/06/09 23:01
なんかwの入れ方が??だけど元気でナニよりだね
296:名無し三等兵
03/06/11 00:09
>>295
おじいちゃん本人が書きこんでるんだから仕方ない
297:名無し三等兵
03/06/11 15:43
漏れのじいちゃんじゃないけど、体験談があるサイト。
URLリンク(homepage1.nifty.com)
298:ちっとん
03/06/11 19:44 0jDmSv4v
わしの叔父が二人戦争にかかわったが、はなししていいか?
299:名無し三等兵
03/06/11 19:45
ぜひ
300:名無し三等兵
03/06/11 19:54
300GET
301:名無し三等兵
03/06/11 20:47
>>297
まだ途中までしか読んでないけどサヨっぽいな。
中帰連か?
302:名無し三等兵
03/06/11 21:09
>>301の脳内では初年兵苛めや日本軍の出鱈目さを身を持って体験した人がその事を書いたら「サヨク」なんだそうです。
( ´,_ゝ`)プッ
303:名無し三等兵
03/06/11 21:21
>>302
土井たか子
304:名無し三等兵
03/06/11 21:52
>>301
そういういぢわる、言わないの!!
人の考え方はそれぞれだし、伝えたい事もそれぞれ。
実際に体験された方の御話なんだから、
思想は置いといて、感謝して読むべし。
ここなんて、当時の緊迫感が伝わって、貴重な話だと思うよ。
やはり、戦後すぐに線がひかれたみたいですね。
URLリンク(homepage1.nifty.com)
305:名無し三等兵
03/06/11 22:59
URLリンク(homepage1.nifty.com)
(´Д`;)ハアハア
306:298ちっとん
03/06/12 06:04
一番上のおじさんは戦死。
陸軍仕官学校出身のバリバリの軍人。一族の誇りだった。
隼に乗って大平洋各地へ転戦。最後の出撃はレイテ戦だった。
つづきはこんどね。
307:名無し三等兵
03/06/12 06:34 WKkSsQgU
パトリオットが ガシュガシュガシュガシュゥゥいうて巡航ミサイルがゴォォォいうてドカーンいうてたらしいですはい。
308:名無し三等兵
03/06/12 06:36
うちの祖父は、戦時中糖尿病で病死しました。
母の小さい時、印象的だったのは森永のキャラメルの大箱があった事です。
309:名無し三等兵
03/06/12 06:36
>>307
(・∀・)カエレ!!
310:名無し三等兵
03/06/12 07:56
>>307
(・∀・)ニヤニヤ
311:名無し三等兵
03/06/12 08:15
>>310
(・∀・)カエレ!!
312:名無し三等兵
03/06/12 09:27
>>283
母に色々と聞いてみたけど
「じいちゃん、ばあちゃんはフランクフルトで空襲に会って大変だったらしい」
とか
「戦争が終わって日本に避難してきたけど避難する先を間違えた」
なんて程度のことしか聞けませんでした
競馬のHP見てて思い出したのですか、ひいじいちゃんのドイツ戦艦が沈んだとこはスカパフロウって港だったと思います
313:名無し三等兵
03/06/12 11:18
スカパフローで自沈したのならWW1の時の奴だけど自沈したの一杯居たはず
314:名無し三等兵
03/06/12 11:42
俺のじいちゃん…
やめた。書くのがめんどくさい
315:名無し三等兵
03/06/12 12:55
>>314
(・∀・)ヲ?チュウボウコエーヨ!
316:名無し三等兵
03/06/12 15:41
うちの近くにいつも孫らしき子供と遊んでいるおじいちゃんが
いるのですが、話をするのにはどうしたらいいでしょう?
今日はじめてこんにちはと言ったら向こうも返してくれました。
317:名無し三等兵
03/06/12 15:51 n50Asi9y
>>316
挨拶→天気の話し→近所の話題→自分の話し
を経てから相手の話しに入った方がいいんじゃない?
聞きたいのはやはり戦争体験なのかい?
318:名無し三等兵
03/06/12 16:00
>317
やはり聞かないほうがいいのでしょうか?
319:名無し三等兵
03/06/12 16:06
ひいじいちゃんは戦時中かなハワイでシェフやってた
かなり信頼されてたらしく
日本人ではじめて議員だかになったって
95歳くらいで死んだけど
320:名無し三等兵
03/06/12 16:13
父方の祖父は部落出身で米軍が捨てたドラム缶が
空から落っこちてきて当たりそうになったと言っていた
ごめん、戦争とはあんま関係ないワラ
321:名無し三等兵
03/06/12 16:14
俺のじいちゃんは軍医だったらしいけど、戦争の話になると機嫌が悪くなってどこかに行ってしまう。
戦争の体験を聞いておくべきなのかな。
怖いけど
322:名無し三等兵
03/06/12 16:23
>>321
きっとすげー情けない事したんだよ
恥ずかしくいて行っちゃうんだって
323:名無し三等兵
03/06/12 17:03
>>321
ミドリ十字の関係者?
と聞いてみる。((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル
324:名無し三等兵
03/06/12 17:49
「オガライト」って言うおがくずベースの燃料があるんだけど、
それが子供の頃に見た焼夷弾にあまりに似てたんで、最初に見たときは漏らしちまったそうだ
ちなみに叔父さんの話なわけだが(歳がバレるな…)
子供の頃に焼夷弾の不発弾を拾って遊んでいるうちに発火し、子供2人が焼死。
叔父さん自身も大火傷したらしい
325:298ちっとん
03/06/12 22:50
>>306
つづき。
レイテ戦時、飛行場に大量のグラマンが来襲。隊長だった叔父は「みんな、おれにつづけ!」と、わずかな機数で迎撃にむかい、そして、帰ってこなかった。もちろん遺骨もなく、あるのは出撃前に残した遺髪だけ。
うちの祖父は訃報を聞いても戦後まで信じなかったという。
上記の話をしてくれたのは、レイテで生き残った整備士が田舎まできて話してくれたという。
もう一人の叔父のはなしはまた今度。
326:名無し三等兵
03/06/13 01:20 E+xObtjE
うちのじいさんはフィリピンで陸軍の曹長をやっていたらしい.
米軍が上陸してきて,機関銃で足を砕かれて復員できたらしい.
327:名無し三等兵
03/06/13 01:41
じいさんじゃなくて父親の話ですが、戦争末期に三十半ばにして徴兵にとられた。
詳しいことは知らないが、九州の飛行場で雑用みたいなことやってたときに、艦載機
艦載機に掃射され、左腕を根元から切断するはめになった。
私も疎開中にお寺の境内で艦載機に機銃掃射されてすごく怖かった思いがある。
当時、私達の地方(東海地方)は、小型機は全部「艦載機」、B29は「ビーニクー」と
呼んでましたが、他の地方ではどうだったのでしょうか。
本を読んでもB29を「ビーニクー」と呼んでいたという記述を見たことがないのですが。
328:名無し三等兵
03/06/13 02:15
おれんちも東海地方(やや関西より)で空襲でメタメタにやられてて、
親戚なんかが集まったとき空襲の話、聞くけど、フツーにビーニジュウク
って言ってますよ。
艦載機に襲われた話も聞いたことないな。
つか、>>327おいくつですか?
329:名無し三等兵
03/06/13 10:47
戦艦武蔵でコックやってたって聞いた
330:ななし
03/06/13 14:49 80I7onBD
290さんへ
もしかして日系アメリカ人ですか?
詳細きぼんぬ。
331:
03/06/13 15:15
うちのおじいちゃんは早稲田大学生でした。
サイパンに送られる輸送船が沈没。
サメのいる海で数時間浮いてから救助され、戻ってからは
怪我をしたので終戦まで病院にいました。
もし沈没していなくてそのまま行っていたら死んでただろうと
のことです。
332:名無し三等兵
03/06/13 15:39
>>329
小型潜水艇で戦艦武蔵に忍び込んだ米軍の戦闘員と両手に百式構えて戦うわけですね。
沈 黙 の 戦 艦
333:名無し三等兵
03/06/14 12:56
俺は沖縄が大好きで何度も観光旅行に行きます
仲良くなった年配のタクシー運転手さんに戦争
の体験を聞かせてもらったけど、印象的だったのは
「戦争は怖かったけど兵隊さんは皆優しかった」
と諭すようにしみじみ語ってた事です。当時
小学校4年生の運転手さんは兵隊が珍しく頻繁に兵舎
をこっそり覗きに行ってたらしい、ある日兵隊に
見つかり怒られるのかと思ったら「坊主!男だったら
コソコソ見るな!堂々と見ろ!」と兵舎に招いてくれて
夕食をご馳走になった、無骨な顔に囲まれて怖かったそうだが
残さず食べて「坊主もっと食え!」と褒められたそうだ
「また来い」、「勉強しろよ」、「父ちゃん母ちゃんを大事にしろよ」
と頭を撫でられて乾パンや金平糖をお土産にもらい帰ってきたそうだ
金平糖をかじりながらブラブラ夜道を歩いて帰ったあの日の事を
「金平糖がおいしかった事を今でも思い出すねぇ」って笑っておられた
「後で父ちゃんに大目玉を喰らった」そうだ。
また来年もお元気であればあの運転手さんに会いにいこうと思ってます。
334:名無し三等兵
03/06/14 13:42
>>191
ひょっとしたらうちのじいさんの恩人かもしれません。
うちの爺さんは奉天の獣疫研究所で細菌研究をしていましたが
獣医として入隊、しかしその後獣医免許がないことがわかり
40過ぎで二等兵、そのままシベリアのバレイに抑留され終戦を迎えました。
詳しくは聞いておりませんので、誤りがあるかもしれませんが
上官に教え子か後輩かどちらかがいて、そのおかげで爺さんは
割とすぐに前線からはずされて、今にしてみれば命だけは
助かったということを婆さんが言っておりました。
終戦後一人叔父が生まれまして、爺さんにとってのひ孫も
3人おります。もしその上官があなたのおじいさんだと
したら一族に代わり是非この場にて失礼ではありますが
御礼の気持ちをお伝え申し上げます。
335:名無し三等兵
03/06/14 13:44
失礼、変な敬語表現になってしまいました。
厚く御礼を申し上げます。
336:名無し三等兵
03/06/14 14:03
>>334
ヤバイそのおじいちゃんヤバイよ。(苦笑
337:名無し三等兵
03/06/14 15:41
>>336
すぐに人体実験と結びつけるけど、
彼らの研究は、風土病などのまじめな医療が主任務だよ。
生物兵器などの研究は、その中の一つですがな。
338:名無し三等兵
03/06/14 17:30
父方の祖父は、中国へ向かう途中に船から落下。
目の辺りの傷が治らず、ばい菌にやられて失明。程なく帰還。
何故か仕事が来ないまま終戦。
339:334
03/06/14 18:36
>>334-335
うちのじいさんがいた奉天の獣疫研究所は満鉄所属でしたから
731部隊や生物兵器とは基本的に関係はありません。
炭疽菌や鼻疽菌、豚コレラなどは満州の風土病でしたから
当然研究はしていました。それは事実です。
ですがじいさんやじいさんの同僚の名誉にかけて
生物兵器の研究や人体実験は行っていなかったと断言させて
いただきます。
340:名無し三等兵
03/06/14 18:49
うちのじいさんは南の島の方へ(何処だかは聞いてたけど忘れた)行って終戦間際に熱病にかかったそうです。
で、引き上げの際に病気で帰れず、帰ってきたのは自分の葬式も終わって墓も立った後だったそうです。
つうか一緒に墓参りに行くと墓に爺さんの名前と命日(戦時中の適当な日にちらしい)が彫ってあって。
見るたびに本人(存命ですよ)苦笑してます。
341:ちっとん
03/06/14 19:44
仕事で、市内の住民の中から戦争体験者のルポを聞き取ったことがある。
5人くらい聞いたかなあ。
342:名無し三等兵
03/06/14 19:48
俺の大叔父(父方ばあさんの弟)は桐型駆逐艦の艦長やってたんだけど、
艦橋に米戦闘機の機銃掃射を受けて、頬の横をかすめたとか。
343:名無し三等兵
03/06/14 20:43
>>340
>で、引き上げの際に病気で帰れず、帰ってきたのは自分の葬式も終わって墓も立った後だったそうです。
>つうか一緒に墓参りに行くと墓に爺さんの名前と命日(戦時中の適当な日にちらしい)が彫ってあって。
>見るたびに本人(存命ですよ)苦笑してます。
まさに幽霊。
つか、墓石立て替えろよ!!
笑い事で済んでよかったですな。
344:名無し三等兵
03/06/14 23:14 Pk1V7Kac
うちのじいちゃんはよく分からん。
年は忘れたが今80過ぎでソ連へ戦いに行ったらしい。
医者に医学を教えてたとか医者やってたとか、曖昧な事しか聞いてない。
酒飲みで新しい物好きで借金してでも新製品を購入するような人らしい。
今はニタニタ笑って酒飲んでタバコすって暮らしてる。。。
345:名無し三等兵
03/06/14 23:17
このスレは本当に面白い。
ブクマクして毎日大爆笑しています。
346:名無し三等兵
03/06/14 23:22
>>345
隔離病棟からの書き込みご苦労様。
347:345
03/06/14 23:39
>>1-346
激しくワラタ!
348:名無し三等兵
03/06/14 23:57 GjRoiO9f
大東亜共同宣言
抑(そもそ)も世界各国が各(おのおの)其の所を得相倚(あひよ)り相扶(あひたす)けて万邦共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義なり
然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり
大東亜戦争の原因茲に存す
大東亜各国は提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏より解放して其の自存自衛を全(まつた)うし左(*原文のまま)の綱領に基づき大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。
一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確立し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す
一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す
一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚す
一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す
一、大東亜各国は万邦との交誼を篤(あつ)うし人種差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す
349:名無し三等兵
03/06/16 01:27
>>340
生きて帰ってこれてよかったね。うちの大叔父は、ニューギニア
からの復員船のなかで衰弱死しますたです。
350:名無し三等兵
03/06/16 13:16 B5oiAytu
私の祖父(すでに亡くなっている)は戦争末期頃に南方戦線に行くことになったそうだ。
しかし、その移送の途中に米軍に攻撃されて船は沈没。
祖父は何とか木片をつかみ、台湾やら中国に漂着したそうだ。
そこで飛行機の整備兵をやってるうちに終戦を迎えた。
その船に乗って生き残っていたのは10人ぐらいだったらしい。
船が撃沈しなくても南方に行く予定だったんだし、
なんと言う奇跡なんだろうと子供心に残りました。
351:名無し三等兵
03/06/16 14:05
私の祖父 中学校?位で満州に行きました
その後 重歩兵に配属
敗戦後 戦犯で、シベリア抑留
5年後 舞鶴港から帰国
数十年後 孫の私に武勇伝の数々を語る
数年後 孫の私に現地の芸者とのハメ撮り写真を発見される
現在 存命 おじいちゃん長生きしてね
352:名無し三等兵
03/06/16 14:43 H7FfFIgC
最近、母方の祖母の葬儀で田舎へ行って遺品の整理をしていたら、祖母が大事にしていた物の詰まった戸棚から、祖母より先に無くなった祖父の遺品が出てきました。
「海軍兵長○○」と書かれたアルマイト食器が数個、駆逐艦クラスとおぼしき軍艦の前での乗員集合写真、祖父が出征時に、祖母や幼い母と写した記念写真。
ありきたりながら、歴史の彼方の戦争が、一気に身近に感じた瞬間でした・・・。
353:名無し三等兵
03/06/16 15:54
私の祖父ではないのだが、一回だけの取引をしたある個人商店主が凄かった。
初見で「お元気でつねぇ」といったら、米寿超のご高齢で現役。
MT車を駆りながら、異常にテンションが高い。
車内でなぜか戦争の話となったら、
爺「わたしゃねぇ!インパール逝ったんですよっ」
漏「えええ よく帰れましたねぇ」
爺「そりゃねぇ、わたしゃ○○町(県内でも有数の山奥の町)のねぇ、
炭焼きの家なんですよっ。いってみりゃ山岳民族ですから!
だから生き残ったんですねぇっ」(←この通りのテンションの高さ)
漏「大変だったでしょ」
爺「大変でしたねぇっ、町の出身の人はだいたい死んじゃったからっ!」
時間が短かったので、これくらいしか聞けなかったけれど、
『八甲田山死の彷徨』でも山奥の徴兵が生き残ったのを思い出しますた。
354:名無し三等兵
03/06/16 21:05
>>353
すんげえ貴重な話だ!!
>『八甲田山死の彷徨』でも山奥の徴兵が生き残ったのを思い出しますた。
この部分、台湾の高砂族(台湾の少数民族)のいる部隊は
生還率が高かったそうです。
それは、南方の山の中でも食料を見つけられるから。
だから、高砂族の兵士さんは可愛がられたと言っていました。
高砂族は部族が違うと、違う言語なので、
今でも長老達の共通語は日本語だと言っていました。
日本に来たら、やはり靖国神社にお参りに来ていました。
「自分は日本人として育って、日本人として戦ったが、
敗戦で中国人にされてしまった。
それでも、少数民族なので、自分が中国人という実感が無い。
やはり自分の祖国は靖国神社と日本なのでは?という感覚が今でもある」
と言っておりました。
これ、読売新聞からです。
355:名無し三等兵
03/06/16 21:35
父方の祖父は南の島で飛行機の整備兵だったそうです。
現地でマラリアを患い、帰国してからは自転車や自動車を扱う個人商店をやっておりましたが、
50を過ぎて肝硬変を患い、後に肝臓ガンになり、東京への転院・長期入院を含めて15年ほどの
闘病の末に亡くなりました。
20年近く前に亡くなった時は、私は10歳だったので、戦争に関する話を聞く機会は
ほとんどありませんでしたが、「戦争なんかしちゃいけない」
「自民党に入れとけば良い。社会党なんかに入れたら何をするか解らない」と言っていた事だけは、
何故か覚えています。
(当時はロッキード裁判などゴタゴタあって、マスコミでは自民党バッシングがされていました)
356:名無し三等兵
03/06/16 23:51
俺のじいさんではないが。
バイト先の現場にいた鉄骨か鉄筋の溶接の親方。
80過ぎてさすがに現場は息子に任せていたが、元気そのもの。
南方でインパール?作戦に参加して中隊で7人しか生き残らなかったそうな。
その話を始めると、周りの職人が「また始まった」と笑ってた。
それで、印象に残ってるのは戦場の話ではなくて・・・
「(鉄筋を眺めながら)どんどん入れる鉄筋が多くなってくるなあ・・・おいボウズ(俺)、なんでこんなに鉄筋入れるか知ってるか?」
俺:「え?やっぱり地震とか・・・」
「馬鹿、違うよ・・・」(急に声を潜めて)
(てっきり業界の裏話とか癒着とかそんな話かなあなんて思ってたら)
「前の戦争じゃ、鉄がなくて負けたんだ、だから今のうちに建物に鉄をいっぱい仕込んでんだよ・・」
じいさん、戦争に負けたのは鉄が無かったからじゃないよ。
それにビルから鉄筋を引っこ抜いて戦車を作るような戦争をもう一回したいのか。
と言いたくなったが、きっとじいさん一流のジョークだったのだろう・・・
357:名無し三等兵
03/06/17 00:16
>>356
戦争を実体験なさった世代の言葉は重いですね。
鉄の話、視点は俺には面白い。その人、結構戦略的視野に長けている人かも。
感心した。(実際鉄が無かったのが敗因の一つなのも事実だし。)
今の国民に、長期的視野で戦略を(例え鉄という一面からだけだとしても)
見つめることの出来る人が何人いるだろうか。
358:名無し三等兵
03/06/17 00:17
>>327の方は一体お幾つなのか気になって仕方が無いのだが・・・
359:名無し三等兵
03/06/17 01:55 gx2XSNta
うちの母方の祖父は徴兵されたのち東部戦線に従軍してソ連軍の捕虜となった。が
ラーゲリから脱走してシベリア鉄道沿いに?ドイツまで歩いて帰ったとか。
(それ以上のことは全く語らずに5年前他界・・・)
49年に母親が生まれたわけだから少なくとも48年中にはひそかに帰還していたことになるが
まあよく捕まらずに帰って来れたものだとしか云いようがない。
昼間どこかに隠れて夜中のうちに移動したのだとは思うけど
食糧調達などはどうしたのだろうかとても疑問。
今となってはその詳細を知ろう由もないのは残念・・・
360:名無し三等兵
03/06/17 02:12 GBJFjoMG
>>357
ぢゃ、硬貨にはジャンジャンとレアメタルを素材にして発行してもらおう。
361:名無し三等兵
03/06/17 02:16
>357
タングステンの500円硬貨、劣化ウランの10円硬貨とかか?
362:名無し三等兵
03/06/17 02:37 o+1B3hgf
>劣化ウランの10円硬貨とかか?
や め て く れ
363:名無し三等兵
03/06/17 02:46 GBJFjoMG
ニッケル、コバルト、バナジウム、白金、モリブデン、チタン、ニオブあたりか?
100円、50円が銅75%、ニッケル25%の白銅なのは、やはり戦略物資を備蓄するためだろう。
364:名無し三等兵
03/06/17 03:00 gx2XSNta
>>363
戦前のコインにニッケルを使った物があったのは
やはり戦略物資確保のためだったようだ
(参考文献:「お金と切手のひみつ」学研まんがひみつシリーズ<1979年?>
幻の 一 銭 陶 貨 には笑った覚えがある)
「のらくろ」にもニッケルの腕時計を買ったとみせびらかすシーンがあったのも
そんな時代のあらわれだったのか・・・
さすがに劣化ウランとコバルトのような放射性物質をコインに使うのは問題ありと思われ。
365:名無し三等兵
03/06/17 03:47 GBJFjoMG
一昔前の100円硬貨は銀だった(w
366:名無し三等兵
03/06/17 04:22 E8JbdthG
俺のじーちゃん朝鮮行ったっていってたな
367:名無し三等兵
03/06/17 05:06 bBhoLODV
敗戦後に、パチンコがまたたく間に全国に広まっていった時期、
「パチンコ玉は、復讐戦に備えて、兵器に使うベアリングのボールを
作り溜めしているのだ。」
という噂が流れたそうです。
368:名無し三等兵
03/06/17 06:25
ワイの知り合いの爺さんは、陸軍の輸送船に乗っといて、輸送船が魚雷にやられて撃沈されたよ。
そんでその爺さんは、片足が吹っ飛ばされて、めでたく除隊。。
おかげで南方戦線にいながら、戦後も生き延びることが出来た。。
もしあのまま、南方にいたら、十中八九戦没者の列に加わとったやろな。
その爺さんは、前皇后陛下、つまり御隠れになされた皇太后陛下より下賜された義足を見ながら、そんなこと言っとったわ。
369:名無し三等兵
03/06/17 06:28
そういえば、海軍におった爺さんも、ワイの知り合いにおるが。
その爺さんは、駆逐艦に乗っ取ったそうや。
その駆逐艦は撃沈され死にかけたそうやが、その後は本土に戻され。
生きながらえることが出来た。
その爺さんの戦場での思い出話の中に、戦闘があって海で爆発があれば、その後で必ず魚がぎょうさん浮いてくるから。
それを取りに行くのが楽しみだった。そんなことを言うていたな
370:名無し三等兵
03/06/17 07:58 Di24bdXJ
>>127とか、孫のバイアスがかかってる体験談はどうも。
あと、前スレなどで良くあった、俺のじいちゃんはXXにん頃しますた!ブルブル
ってゆうのも・・・無邪気な法螺話を鵜呑みにしないで検証してみてほしいかなと。
その法螺話の積み重ねが凶悪日本軍伝説になったのだから。
現に東京裁判では犠牲者まで・・・
漏れはじいちゃんや戦友さんに食い下がり、嫌がられましたがw
371:名無し三等兵
03/06/17 08:00 Di24bdXJ
だって輜重兵なのにシナ兵五人切り!なんていうもんですから。
馬鹿だよ、俺の爺!
372:名無し三等兵
03/06/17 18:25
>>371
非戦闘兵でも戦闘に参加することがあったのであながち嘘でも・・・
輜重兵は伍長から軍刀が吊れるわけだし
ちなみに俺のじいちゃんも>>191で書いたとうり。
373:名無し三等兵
03/06/17 18:49
インパールに行って、まだ「やる気マンマン」ってのも困ったもんだ。
「前の戦争」ってなあ
やっぱりジョークでしょう(汗
374:名無し三等兵
03/06/17 19:09 3+Z+34BF
>>370
かわいそうだから年寄りの話くらい素直に聞いてやれよ
375:名無し三等兵
03/06/17 19:09 GeYOSFPU
>>367
ポンポンバラバラに跳ねるような無茶苦茶な真円度のたまは
ベアリングには使えないっすよね(^^ゞ
376:名無し三等兵
03/06/17 19:09
>373は>356へのレス
377:名無し三等兵
03/06/17 19:27
>>350です。
撃沈された船がどの船であったか、
戦場で戦う兵士として徴用されたのに整備兵になることがあるのかとずーっと気になってました。
本当に生き残った兵士が10人ぐらいだったら相当な事件として残っていると思うんですが
こういうのってどのように調べたらいいのか皆目分かりません。
全く知識のない私めにお教えいただけないでしょうか。
378:ウー壱○五
03/06/17 19:42
>>350
おじいさんの名前のほかにどんなことを知ってます?
まず、本籍地は分かるよね。陸海軍のどちらかも分かると。
兵籍番号は分かりませんよね。恩給の資料とか多分ないよね。
だったら、
最初に、お爺さまの所属した部隊を特定し、部隊の行動記録を
調べればいいんですけど。ところで、都内在住ですか。それとも
地方?都内だとかなり調べるのが楽なんだけど。
379:名無し三等兵
03/06/17 19:59
>>370>>374
いいや、ホラ吹き爺さんにはどんどんツッコミ入れた方がいいって。
裏路地でDQNをぶっ飛ばす青春のいい思い出とはワケが違うんだからな
380:名無し三等兵
03/06/17 20:49
>>356
前も書きましたが、祖父が戦前に青森で灌漑工事していたら、
竹を支給されて、これで土手作れと。
「日本はこんな所に使う鉄材も不足しているのか!?」と思ったそうです。
そして、どうやって強度計算を出すのか苦労したそうです。
この話、いま思うと、鉄の不足ではなくて
予算不足のだけだったようなきもしますが・・・。
381:名無し三等兵
03/06/17 20:54
>>369
どっかの戦記ものの小説に、
爆雷を訓練で爆発させるときに、新兵を甲板に並べて見せる。
ドゴーン!!とものすごい水柱があがるので、
これならば潜水艦でも破壊できるな、いいもの見せてもらったと思ったら、
浮いてきた魚をとれと神兵に命令。
その爆雷で気絶した魚を取るための要員として、見学させられたのか?
と書いてありました。
けど、その日の夕食は新鮮な魚が腹いっぱい食べられたので、
以後の爆雷の訓練は楽しみだったとか。
382:名無し三等兵
03/06/17 21:01
最近ばぁちゃんが恩給&年金で年収600万以上だって事を知りました…
じいちゃんは終戦時大尉です
ばぁちゃん大事にしよ…
383:名無し三等兵
03/06/17 21:24
動機はともかく年寄りを大事にするのはいいことだ・・・
384:名無し三等兵
03/06/17 21:52
>>383
そのとうり 80歳の老人作るには80年かかるわけだし
年寄りは大事にね
385:名無し三等兵
03/06/17 21:52
>>382
>最近ばぁちゃんが恩給&年金で年収600万以上だって事を知りました…
どんなばあちゃんだ!?
それだと、じいちゃんは相当な役職にいた人で、
戦後は公務員か何かだよね。
詳しく聞くべし。
386:名無し三等兵
03/06/17 21:54
>>384
うん、まさにそうのとうりですよね。
その80歳の老人を作るのに、
0歳の赤ちゃんが100人以上必要なわけですから。
387:名無し三等兵
03/06/18 01:36 chMjLVk+
>>380
旧国鉄の陸前原ノ町駅の駅舎はたしか昭和18年製で
鉄材不足から鉄筋ならぬ竹筋コンクリートになったとか・・・
(参考文献:コロタン文庫43 国鉄全百科)
388:名無し三等兵
03/06/18 02:12
>>387
わおっ!!
情報ありがとうございます。
じゃ、それは全国的に行われていたことなんだ!!
けど、その時期ならわかるけど、戦前の話だから、
昭和10年代の話だと思います。
けど、じいさんのリアクションが、
「竹で強度をどう出すか?」と考えたという事なので
当時からすでに非常識なことだったみたいです。
389:名無し三等兵
03/06/18 13:35 oaWSSJ0v
>>388
将来の鉄(を筆頭とする資材)の不足がすでに懸念されていたのでは?
当時はなんと屑鉄を米国から輸入していたらしく
昭和16年ごろにはその屑鉄すら禁輸されていたとのことです
390:名無し三等兵
03/06/18 15:20
>>389
>当時はなんと屑鉄を米国から輸入していたらしく
クズ鉄を馬鹿にするな!!
チハたんの材料だぞ!!
つか、クズ鉄って実は良い材料なんですよね。
鉄鉱石から製鉄と言うと、これまた製鉄の技術が必要で、
さまざまなプロセスが必要ですが、クズ鉄ならば
溶かして成分調整だけでそこそこな材料が出来てしまうという訳です。
従って、一種の班加工製品みたいな感じなのです。
という訳で、やっぱりチハたんは偉いのだ。
391:名無し三等兵
03/06/18 19:38
>>389
そんな事いったら原子炉の隔壁だって屑鉄だ
うう・・陸奥ちゃん・・・
392:名無し三等兵
03/06/20 01:31
うちの亡き父親は農家の次男だったので
徴兵されました。
そしてラバウルに行きました。
結果、捕虜になりました。
393:139
03/06/20 02:49
>>145
恐ろしく亀レスですまん
レスがつくとは思ってなかったからスレ覗いてなかった。
俺もよくは知らないんだが昭和20年に入ると他の兵科から兵科に異動する
というのがけっこうあったとか。
それは軍からの命令であったり、志願であったりしたらしい。
詳しくなくてすまん。
394:名無し三等兵
03/06/20 18:42 BIJTUBAm
定期あげ
395:名無し三等兵
03/06/20 19:02 ZNtyjQKQ
東京タワーの鋼材の原料は米軍戦車由来の屑鉄です
396:名無し三等兵
03/06/20 19:29 oq/errPk
亡くなった私の祖父は、白銀重二と言う人の航空部隊の曹長としてノモンハン事件、蘆溝橋事件に従事したそうです。
その後、満州のチチハルという所に駐屯し、終戦前に帰国し千葉県で戦闘機操縦の教官をして、出撃直前で終戦を迎えたそうです。
397:名無し三等兵
03/06/20 19:54 3tyzOLPY
私の祖父は、得撫島守備隊で少尉だったそうです。
終戦によりソ連軍進駐、局地的停戦条約(?)締結に
立ち会ったとか。内容は
「日本軍は武装解除の後本国帰還を許す。ただし
一部の捕虜は免れない」とかで、祖父の小隊が
得撫に残された。
貧乏籤を引いたと思ったらしいが、後に知ったところでは
帰国したはずの方々は「シベリア送り」だったらしい。。。
祖父は得撫から樺太へ。S23帰国。
その後、GHQから呼び出しを受け、何事かと思ったら
情報提供を求められたらしい。
398:まりも
03/06/21 13:46 dtJYQlVU
うちの爺さん、満州で股間を撃たれて帰国。 ケツの肉を引っ張ってきて縫い合わせたらしく、凄い傷跡。
399:名無し三等兵
03/06/21 14:19
>>398
助かって良かったですね。
満州からは生きて帰れない人もおおいので、
じいさんの運の強さに感謝すべきかと。
400:まりも
03/06/21 15:26 EHj8NfBL
本当に運のイイ爺さんです。しかしどういった状況だったのか、一切語ってくれないんですよ。謎です。
401:名無し三等兵
03/06/21 15:27 l44DZG2s
特攻隊志願、終戦2日後には出撃予定、中尉だったらしい。
402:名無し三等兵
03/06/21 15:34
みんなすごいなぁ。ウチのじいさんはろくな話ないよ。
片方は陸軍士官学校60期かなんかで教官の兼松隊長とか言うのがルソン島に引っ張られちまって逝っちまったっていう話だけだし。
もう片っ方は技術仕官で広島の山でなんか建設作業してたら原爆のきのこ雲が見えたって言うのと。
あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら(よく意味がわからないが)隊長にばれてボコボコにされたっていう話。
どっちも戦地に言ってないからダメポ。
403:名無し三等兵
03/06/21 15:34
>>400
ウソだったんだよ。
じじいなんてそんなもん。
404:名無し三等兵
03/06/21 15:37 l44DZG2s
川にダイナマイトってのは多分その音で失神した
魚を手当たりしだい拾うという現在禁止されてる漁の仕方のこと
ではないだろうか?
405:名無し三等兵
03/06/21 17:02
>>400
辛い経験だったのかも。
話したくないならば、そっとしておいてあげて。
406:397
03/06/21 17:04 dgQZYo82
>>402
>>404
多分そう。
うちの祖父も、手榴弾川に放り込んで魚取ったと言っていた。
407:名無し三等兵
03/06/21 17:05
>>402
>あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら
水中で爆発が起こると、水は振動を伝えて、魚が死んでしまう。
んで、その魚をとると。
しかし、この漁法は404さんの言うとおりに禁止されている。
なぜかと言うと、釣りや漁と違って根こそぎ破壊してしまうから。
だから、上官に地元民もつかっている川で
そんな事をするなと怒られたのかも。
408:名無し三等兵
03/06/21 17:10
>>407
つまり底引き上げ漁業を更に手荒くしたものか・・・・実際対馬海峡なんか、漁獲量がなあ。
そう言えばうちの祖父さんが「軍事教練をまともに受けた最後の世代なので、
装備は一通り扱えたからあれやこれや便利に使われたよ」と苦笑していた事があったけど、
小中学生に対する軍事教練って、戦争直前は無かったのかな。
それとも軍需物資や人員が前線部隊へ集中され、軍事教練が簡略化されたとか?
409:眠い人 ◆gQikaJHtf2
03/06/21 17:13
>>408
兵士が足りなくなって、工員、農業労働者が足りなくなって、勤労奉仕の方が
学業よりもメインになって、そう言う余分な物に時間を掛けていられなくなったとか。
410:ダイナマイト漁は危険
03/06/21 17:46
>>402
夏場なんかは、魚と小学生が一緒に浮かんでくる可能性もあるわけで。
411:名無し三等兵
03/06/21 18:36
お魚はもういい。
412:名無し三等兵
03/06/21 20:08
>247、248
亀スマソ
お前ら!
家帰って居間でTV見てたら
爺ちゃんに
「人様の家に勝手に上がりこむとは、どういう躾をされたんだ!?出ていかんかぁ!!!」
っていわれた事があっても同じ事言えるんだろうな!?
・・・(ノд-。)マァシナレテモカナシイワケダガ
413:名無し三等兵
03/06/21 20:32
>>412
それは悲しいな・・・。
414:名無し三等兵
03/06/21 21:46
NHKアーカイブスなんかで、40年代の戦争ドキュメンタリーを見てると、
戦争経験者が若い・・・・
年寄りが喋ってるよりなんか生々しいんだよね。記憶も確かだし。
415:名無し三等兵
03/06/21 22:44
うちのジーちゃん・・・憲兵だったけど終戦後も何故かピンピンして帰ってきたらしい
温厚な性格で兵士から人気あったらしい・・・
416:名無し三等兵
03/06/21 22:45
っていうかTVに出ている老人の殆どはDQNばっか
417:名無し三等兵
03/06/21 22:52
うちのじいさんもTVにこそ出てないがDQNっていうか、
日本軍嫌いの右翼マニアそして歴史マニア。
広島県に住んでおきながら解放同盟に公然とけんかを売って、
家を囲まれたという武勇伝(?)がある。
418:名無し三等兵
03/06/22 01:07
漏れのジーさん、潜水艦乗りとか言ってたけど陸軍にいたとか言ってたなぁ。
あのときはもうぼけたから海軍と陸軍ごっちゃになってたのか、今になってはもう効くことができないけど、、、
419:名無し三等兵
03/06/22 01:53
>418
日本陸軍には潜水艦部隊が実在したそうで。
URLリンク(ip.tosp.co.jp)
420:名無し三等兵
03/06/22 02:36
陸軍は輸送船も建造していた。官僚主義もここに極まれり。
421:名無し三等兵
03/06/22 03:05 1+cDxrjs
空母や魚雷も開発してた、、>帝国陸軍
422:名無し三等兵
03/06/22 04:15
漏れの爺さん、海兵出の将校。
以前「丸」に手記載せてた。
零戦に乗ってたが、戦闘機を打ち落としたことはないらしい(w
二回か三回撃墜されてそれでも生き残った。同期はほとんどあぼん。
撃墜されてパラシュートで脱出したとき大火傷を負い、落下しながら八百万の神に
「助けてください。おながいします。」とひたすら祈ったそうだ。
その欲張り&小心な爺ちゃんのおかげで今の漏れがいる(w
423:>>139
03/06/22 06:23
>>393
お答えサンクス。そういうことがあったんですね。
本土防空戦で命懸けでB29と戦った139さんのおじいさんに、日本人
として感謝します。
424:名無し三等兵
03/06/22 19:27
>>421
毎度腐すのもアレだがある意味泣ける話だ・・・。
海軍が戦車造ったことぐらいは知ってたけど。
425:名無し三等兵
03/06/24 13:03 MBQrOFv7
うちのじいちゃん
樽生達人
426:名無し三等兵
03/06/24 14:41 burQu15m
日本で最初に戦略渡洋爆撃を行ったのは「海軍陸攻」
つうか、海軍が戦略都市爆撃おこなうなよ(w
427:名無し三等兵
03/06/25 00:41
>>426
「海軍の陸攻」もしくは「96陸攻」のほうがいいかと。
428:名無し三等兵
03/06/25 11:08 4EfCbeT7
うちのジジイはアメリカ移民の子供。戦争はじまる前に帰ってきて何年か
日本で過ごした後、徴兵されて満州へ。
配属先の中隊長が知り合いで、”お前なにがやりたい?”と聞かれて、”
わしゃ、訓練がないところがええの。”と答えたツワモノです。
軍隊ではトラック運転したりご飯作ったりしてたらしい(w
”兵隊が米ばっか喰う、米が足りないと恨まれるから、軍曹が倉庫の番
してる奴と話して、気を引いてる隙に、他所の隊の米まで積んでくる”
とか、
”カレー粉が余って仕方がなかったけど、捨てると怒られるので、隠れて
捨ててた。”
とか、
”戦争には行ったけど、鉄砲一回も撃った事ない。”
とか、勇ましい話は一切無しでした。
アメリカ時代の写真を見る限り、結構な暮らしだったみたいなんで、鬼畜
米英とか言われても、ハァ?とかそんな感じだった見たいでつ。
ちなみに寝たきりになってからは、しきりに”アメリカに行きたいなあ。”
と言いながら、他界。棺おけには合衆国の地図を入れて焼きました。
429:ななし
03/06/25 11:40 UAfdyZh2
428さんへ
え、おじい様は日系米国人だったんですか?
詳細を希望.
430:428
03/06/25 11:56
曽祖父が移民船でカリフォルニアに渡ったという話。詳しくは俺も良く知らないのです。
ただ、当時の写真がいくつか残ってて、親戚の経営する雑貨店で一族が移ってる奴
とか、ピクニックに行ったときにとったらしい自動車を背景にした奴とか、
あと見たことはあるけど、父の実家のどこかに埋もれちゃったらしくて発見できない
白人ばっかりのなかに、日本人が2、3人まぎれてる小学校の時の写真とか見る限り
かなり不自由のない生活してたっぽい。
意外と資料としては貴重なんだろうか?そういう写真とかって。
ちなみに、満州は一番良いときに行って、帰ってきたあと、再召集は無かった模様で
す。そのご某財閥系造船に勤務して、それなりの生活してたので困窮するようなこと
は無かった模様。
婿養子に行った時に、肉を食いたいのに、曾祖母が肉を食うのをえらく嫌うので外で
七輪で焼いた話とかしてますた。
431:名無し三等兵
03/06/25 12:50 NA+sUn/u
私の大叔父は、満州に送られて金日成と戦っていたよ。
もっとも北朝鮮の偉大な建国者として崇められている金日成とは、別物だろうが。。
当時は複数の金日成がいたそうだし。
432:名無し三等兵
03/06/25 14:44
>>431
今のキムはもともと別人だったそうです
名前もキムイルソンじゃなかったそうで
433:名無し三等兵
03/06/25 16:51
伝書鳩を扱う部隊ってどうゆう部隊なんでしょうね
434:名無し三等兵
03/06/25 17:04
>>433
前線にいる部隊
435:名無し三等兵
03/06/25 18:14
うちのじいさんは重巡洋艦妙高に乗って、エンジニアとして
インドネシアに行ってたそうです。
ガキの頃はいろいろと話聞きました。
まあ、今は家庭内の事情で会うことができませんが・・・。
436:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 18:57
3年前に逝ったうちのじいちゃんの話、聞きたい人いる?
階級は憲兵少尉だったそうでつ
437:名無し三等兵
03/06/25 19:06
>>436
聞きたい
438:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 22:00
んじゃあまず、昇進具合から書きます。
昭和5年1月10日 第八大隊第一中隊に入隊 二等兵
10月1日 一等兵
12月1日 上等兵
6年11月23日 帰休除隊
7年3月11日 憲兵 上等兵
10年2月2日 伍長
11年4月21日 軍曹
13年7月22日 曹長
15年2月 陸軍中野学校配属
12月 常州分遺隊長歴任
16年8月1日 准尉
10月7日 勲六等、端賽章受勲を受ける
19年4月 少尉
杭州憲兵隊本部附
第二軍司令官、西大将の護衛(北支済南)
東久?宮中将身辺護衛
陸軍大臣板垣大将身辺護衛兼副官として任に当たる
(斉南、青島、旅順、京城、福岡、東京空路に同行)
だそうでつ、私はあまり詳しくないので分かる人がいたら
補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。
439:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 22:08
ちなみに上海市街戦や万里の長城の警護
にも当たっていたそうでつ。
440:名無し三等兵
03/06/25 22:13
5年前になくなったうちのじーさまは、戦時中横須賀で40サンチ砲弾
造ってました。腕の良い旋盤工だったのを買われて、だったそうです。
441:名無し三等兵
03/06/25 23:26
4月に死んだばあ様が旅順で陸奥に乗ったことがあるそうな。
442:名無し三等兵
03/06/25 23:34 NiQvOTAb
>>432
スターリンに拾われる前は、日本軍に追われてハバロフスクまで逃げてきた。
反日パルチザンで本名は金成柱。
せいぜい小隊長くらいしか勤まらなかったチンピラだよ。
だからこそ。無謀な朝鮮戦争を起こしたのだけどね
443:名無し三等兵
03/06/25 23:51
近衛師団で陸軍軍曹やってたそうです。
で、九段の本部で、新兵の招集やってたもんだから、敗戦後カンペキな
戦犯扱いで、一時は絞殺刑も覚悟したって言ってました。
444:名無し三等兵
03/06/25 23:52
絞首刑の間違いでつた。
445:名無し三等兵
03/06/26 00:58
>>435
私の祖父も妙高に乗っていました。
446:名無し三等兵
03/06/26 02:43
>>429
パープルハートの話で、映画かな?
こんな話をきいたことがあります。
日本人アメリカ移民って、教育だけは日本で受けさせる人が多くて、
兄はアメリカ軍に参加。
弟は、日本に滞在中に戦争がはじまって、日本軍で参加。
兄は日本人を助けるために、色々と苦労して日本人に投降を呼びかける。
その中で、弟を知らないか、知らないかと探し回る話がありました。
447:名無し三等兵
03/06/26 02:46
>>432
現在、金日成とされている、金正日の父は、
戦時中はソ連の中国人部隊を率いて、
大尉として主に満州でゲリラ活動していました。
朝鮮には、二度ほど進入した記録があるだけです。
ですから、431の御爺さんが戦っていたのは、
もしかして後の北朝鮮国家主席だったかもしれませんね。
すると、じいさん、なんで殺さなかったの!?と言う話になります。
448:名無し三等兵
03/06/26 02:48
>>438
>補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。
もっと聞きたい!!
補足よろじゃなくて、父か母にも聞き込みして!!
良い供養になりますよ。
449:名無し三等兵
03/06/26 03:16
>>446
山崎豊子の著作で「二つの祖国」というのがそれですね。
NHKの大河ドラマで「山河燃ゆ」と改題されて放映されました。
20年位前の話。
450:428
03/06/26 09:34
今日、大阪環状線で血色はいいけど年はかなりいってそうなお年寄りが
乗ってきて、出入り口の直ぐ近くに立っておられました。
座っていた若い女の子が”次降りますからどうぞ。”と席をゆずろうとした
ら、
”私も次に降りますから。”と断り、そのままその女の子に話し掛けておら
れました。
聞くとはなしに聞いてたら、”おじいちゃん、今年86だけど、戦争でガダル
カナルから生きて帰ってくるくらいだから、丈夫なんだ、お嬢ちゃんガダル
カナルって知ってるかい?、1000人行って、一人しか帰ってこなかった
んだよ”と・・・。
まあ当然そうきかれたお嬢さんはガダルカナルが何処にあるかも知らな
かったのですが、”知りません。”と答えず、”勉強しておきます。”と答え
てました。
もう10年もしたら、戦争に行った人たちはほんとに居なくなるなと思った
次第。
451:名無し三等兵
03/06/27 00:24
>>450
ほんのりええ話や・・・。
452:東雲 ◆m6tridVkuU
03/06/27 17:37
伯父はビルマ戦線でした。
志願兵だったため、早くから戦線に出ていたそうです。
補給が来なくてきつかったと言ってました。
食料を調達するのが命がけだった、と、酒を飲む
度によく言います。明け方にジャングルをコソーリ
移動して、落ちている果物を拾い集めたそうです。
倒した英兵がいい物食ってるのが皆に解り、
嫉妬も絡んで余計に勇猛になったそうです。
戦闘については余り話したがらないので、
話題は食べ物ばっかり。
完熟マンゴーはうまかっただの、英兵の非常食は
ビクーリするほどうまかった、など。
ただ、戦友がいっぱい死んだ、あんな思いは
もう勘弁だな、と最後は呟くようにいいます。
今春、春の叙勲の栄誉に輝いた時に靖国神社に
一緒に行きました。伯父は今まで戦友に逢わせる顔が
無いと、上京しても決して行きませんでした。
しかし、もう80を超え、伯父の中で何かが
変わったのかもしれません。
戦友の名を探し、見つける度に何かを嬉しそうに
呟いていました。一緒に行った漏れはなぜか
涙がこぼれました。
長文スマソ
453:名無し三等兵
03/06/28 00:02 s+Y38Hnv
>>450
実際は3人行って2人帰ってこなかったぐらい?
硫黄島は20人言って19人帰ってこなかったぐらい
レイテ島は100人言って97人帰ってこなかったぐらい
だっけ?
454:名無し三等兵
03/06/28 00:17 09DUQNJ1
京都伏見の16師団はレイテ島で1944年10月に全滅したが
実は帰還してきた兵士が620人くらいいたらしい
全滅といっても実際には一兵卒残らず皆無になったわけでなく
部隊の建制が維持できなくなり組織的戦闘不能になる寸前に
大本営やら師団司令部への連絡のために内地に帰した軍人がいたようだ
帰還してきたほとんどがこれについてきた便乗組だったとか
それでも戦時の師団編制20000人程度とすると620人といっても
100人に対して約3人・・・確かに100人行って97人は帰って来なかったという勘定になるな
455:名無し三等兵
03/06/28 00:31
よく死ぬ間際には「天皇陛下万歳」ではなくて「おかあさーん」と言って
死んでいったと言われますが、祖父の体験ではそうともいえないらしいです。
いくら死にそう、死ぬからといってもやはり「天皇陛下万歳」と言って死ん
でいったそうです。名誉ある戦死だったと伝えてもらうにはそう言いながら
死ぬことが必要だったそうです。
456:名無し三等兵
03/06/28 00:44 yA6KXf4i
こんなスレがあったんだね。
ウチはオヤジが超晩婚だったので、オヤジの話。
ウチのオヤジは中国の大連に渡って、専門学校(今の工業大学)
を卒業して、製鉄所に勤務していたのだが、昭和18年に招集され
て、訓練だけしてその後戻されたそうだ。衛生兵だったんだと。
実戦には全く参加していない。
訓練はかなり厳しく、起床ラッパが鳴るたびに鬱になったって言ってた。
衛生兵にされたが、訓練では38式を撃ったとのこと。「かなりよく当たる
銃」だったらしい。
オヤジの兄貴はノモンハンに送られて、ソ連軍の銃弾を肩に食らった。
5年前、ウチの実家に来た時、もの凄く怖かったと言ってた。
母方の兄弟も男が三人いて、一人はテニアン島で戦死。他の二人は
国内のどこかの師団にいて、双方とも衛生兵だったらしい。
また、オヤジが昔会社やってた時の部長が、陸軍特攻振武隊の少尉
だったと・・・。
以上がウチの一族の戦争体験。今年の夏、実家に帰ったらもうちょっと
詳しく聞いてみようと思います。
457:名無し三等兵
03/06/28 00:56 oTYbQwhG
うちの爺ちゃんは終戦の日に徴兵され大阪の訓練施設に
いったそうです。到着と同時に爆撃されてお前は通信兵だ、と渡された
通信機と司令官が吹っ飛とぶが、一週間訓練し家に帰ったらしい。
458:名無し三等兵
03/06/28 01:07
>>457
なんかワラタw
459:名無し三等兵
03/06/28 01:23
俺のじいさん穴堀りしかしてないって・゚・(ノД`)・゚・。
460:名無し三等兵
03/06/28 01:33
>>459
それでいいんですよ。
生きているのがなにより。
461:459
03/06/28 01:36
>>460
ありがとう。
462:名無し三等兵
03/06/28 10:52
じーさんは陸奥に乗っていた水兵だったようだけど…
爆沈の生き残り組だったのかな?心筋梗塞で逝って
しまわれたから闇の中だが。
463:名無し三等兵
03/06/28 11:46 s+Y38Hnv
>>454
レイテは全部で8万人いたわけだからね
海軍入れたらえらいことに・・・
464:名無し三等兵
03/06/28 14:09
うちの大伯父は、徴兵で末次信正連合艦隊司令長官の従兵やってたそーだ。
訓練など随分無茶やった長官だったが、従兵には非常に優しく、海軍の
古きよき時代を満喫した兵隊時代だったらしい。
465:名無し三等兵
03/06/28 16:11 PC+vxbLF
うちの爺さんは、満州の重砲連隊にいたそうです。よく
三角法の話を交えながら、大砲の打ち方を聞かされます。
この間聞いた話は、大砲を馬ではなく13トンの牽引車で
引っ張っていったとのことで、当時としては珍しいことだったと
いっています。
466:名無し三等兵
03/06/28 16:56 hN2bk0sm
大学病院で隣のベッドにいたお爺さんから聞いた話。
徴兵されたとき、海軍でロシア近くの海を守る部隊に配属されたそうだ。
ご存知のように、あのあたりの海は落ちたら心臓麻痺で死んでしまう。
南方みたいに物につかまって何時間も漂流できない。
死ぬことを覚悟したそうだ。ところが実際には運良く(?)南方へ送られた人は
皆、アメリカ軍に"ボカチン"(沈没?)され生きて帰ってこなかったそうだ。
467:名無し三等兵
03/06/28 17:15
中国戦線に出てたらしい。
んで、終戦の報告が来たら「日本が勝った」と思ったらしい。
・・・中国では勝ち戦が続いていたんだなあ、と思った。
468:名無し三等兵
03/06/28 17:16 5eV8hH3j
うちのとーちゃんは、兵科士官にもかかわらず、事務畑に紛れ込んで適当にやっていました。
戦争中は、死ぬなんて考えたことなかったけど、戦後、戦犯容疑で進駐軍に引っ張られて「死ぬ!」と思ったそうです。
469:名無し三等兵
03/06/28 17:26 JDVZeaQG
俺の母方の爺さんは、戦時中は会津城の守備隊だったと言ってたな。
あ、父方の爺さんは親父と一緒に室蘭で艦砲射撃を喰らったらしい。
親父の実家には大叔父だか曾爺さんだかの遺影(陸軍)があったな。
嫁さんの父方の爺さんは満州にいて、シベリアに抑留されていたそうだ。
もうほとんど戦中を体験した人は残っていないな。
470:469
03/06/28 17:36 JDVZeaQG
追加
たった今思い出した。
末期に予科練に入っていた学校の先生がいた。
千歳基地に配属されていて、何でも全機体のエンジン音を聞き分けられたそうで、
ある日異音に驚き飛び出したら「富嶽」だったんだそうだ。
撃墜した米軍機の燃料タンクに12.7mm機関砲を何発か打ち込んでみても全然漏れが無く、
日本の燃料タンクは拳銃で撃ったらチョーっと漏れが出て嫌になったそうだ。
もう少し戦争が長引いていたら確実に特攻隊に行く事が決まっており、
上官から「お前なら確実に敵艦に当たる」と褒められる位飛行が上手だったそうだ。
471:名無し三等兵
03/06/28 18:28 GrPtK2Iq
>>438
異常に早い昇進速度だな。入隊前の前歴は?11ヶ月弱で二等兵から上等兵に進級
するのは通常ではありえない。前職が重要になる。上等兵で憲兵に合格する学力
からして、高等教育を受けているようだが、除隊後に憲兵試験を受けたのか?現役
以外で憲兵任用していた証拠にもなるし、非常に興味深い履歴であることは間違いない。
472:ぴーす
03/06/28 19:24 6JuHtDiZ
俺とは多分他人だけど台湾総督府営林所の履歴書を公開します。
(位動爵 博士) 陸軍歩兵少尉正八位 (氏名) 北川均 (府県族籍) 石川県士族
明治三九年生
(経歴) 昭和四年 台湾総督府台北高等商業学校卒業
昭和四年 台湾総督府営林所勤務、月俸八五円、宿舎料二十円給わる
昭和八年 陸軍歩兵少尉に任ぜられる
故人だから名前出してOKですよね?
473:名無し三等兵
03/06/28 19:26
>>470
>ある日異音に驚き飛び出したら「富嶽」だったんだそうだ。
なんでやねん。
474:6
03/06/28 19:26 T8bOppgf
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475:名無し三等兵
03/06/28 22:41 KtLxOqO/
うちは父方、母方とも実家は北海道です。
うちの母方の祖父は大戦末期に徴兵され、陸路で函館まで移動しました。
しかし輸送船の手配がつかないため本州に渡れず、仕方なくそこで援農作業に
従事しているうちに終戦を迎えました。あのままあと3ヶ月ほど戦争が長引いたら
多分南方戦線に送られ戦死していただろうと言っていました。
うちの父の一番上の兄は、釧路で高射砲部隊に所属していました。B-29との
交戦経験もあるそうで、正月に親戚が集まった時など、1機撃墜したぞとよく自慢
していました。しかし当時の高射砲の性能を考えると、いまいちエンジントラブルとかで
落ちた可能性の方が高いような気がするのですが。そもそも飛行時間や建造物
密集度の都合上、北海道はB-29の戦略爆撃ではなく、もっぱら艦載機主体による
ピンポイント攻撃だったということを後日知りました。しかしそれを言うと伯父が気を
悪くするので撃墜したことにしています。
父の2番目の兄は少年兵だったとか。たまたま南方戦線志願者を募った時、伯父は
志願しなかったのですが(ヘタレとか言うな)、その時志願した連中は全員戦死したそうです。
しかし今考えてみると、ウチって父方母方ともあの戦争で誰も死んでいないな。戦死者は
もとより空襲で死んだ人もいないし。
476:名無し三等兵
03/06/28 22:47 Raem8loj
漏れのじいちゃん、内地で終戦を迎えた上等兵だったんだが、
何か軍需物資を持って帰るのが当り前だったのに、
何にも持って帰らなかったため、ばあちゃんにさんざコケにされたそうな。
「嫁は選ばにゃいかんぞ」と、孫の漏れにしみじみ・・・。
477:名無し三等兵
03/06/28 23:03
母方の親戚
終戦後、近所の谷田部航空隊に手ぶらで出かけていき
碇のマークつきっぱなしの軍用トラックに、物資山ほど積んで帰ってきた
中には拳銃・機関銃や弾薬、飛行機の部品まで混じってたそうな
478:名無し三等兵
03/06/28 23:12 xvmy8Ntf
うちのじいさんは歩兵第28連隊で現役でノモンハン事変に参加。
大東亜戦争中は桶川にて防衛任務に当たる。
当方実家北海道、東京在住
479:名無し三等兵
03/06/28 23:21 0CBwLjeh
うちのじーちゃんは砲兵でシナにおったと言ってます。
馬に乗って大砲引っ張ってたらしいでつ
480:名無し三等兵
03/06/29 00:19 IZQTkS6G
亡くなった祖母の話
終戦の前の年の夏、製鉄所を狙いに来たB29に日本の飛行機が体当たり、
おまけに後のB29にも当たって、2機共墜落したのを見て地上で大騒ぎ、
防空壕の上で隣組の人達と万歳・万歳の連呼したそう。銀色のはねが
キラキラ舞い落ちてすごく綺麗だったそうです。
うちのばあちゃん、奇しくも飛行第4戦隊野辺軍曹機・折尾上空体当たり
の目撃者。しかし、万歳って・・20人程の命が失われた瞬間なんだぞ・・
まぁ・・当時はそんなもんかな・・・
481:名無し三等兵
03/06/29 01:48 wmQL5BVu
Hなサイトを発見したでつよ。ここ、すごい。
URLリンク(plaza16.mbn.or.jp)
美少女のワレメ…(*´∀`*)ハァハァ
美人お姉さんのオマ○コ…(*´Д`*)ハァハァ
482:名無し三等兵
03/06/29 01:55
>>480
万歳連呼ってのは人命が失われたことを考えれば不謹慎に思えるけども、もしその
パイロットがそうしなければそれ以上の人間が死んでいたかもしれない、しかもそれは
自分だったかもしれない、ってことを考えれば、一命と引き換えに助けてくれた
相手に対し、とにかく何かの行動をしたかった、という気持はうなずけるものがある。
483:名無し三等兵
03/06/29 02:26
>>447
それ本当に金正日の父親の金日成かなあ?
「金日成」ってのは、朝鮮族出身の活動家達のリーダーが、代々襲名
してきた名前だという話。
昔から金正日の父親の功績とされてきた事も、新事実として後から
わかったとされる事も、みんな金日成を名乗った複数の人間がやった事
というのが、事実らしいぞ。
484:名無し三等兵
03/06/29 02:34
シベリアに抑留された人の中にはロスケに媚うった事を孫に自慢するバカもいるんだな
そんな奴からいったいどんなバカな孫が出来ることやら…
485:タ
03/06/29 02:58 0lBTB7wr
おっさんなので、父の話。
父は鉄道省の学生だったが、卒業を一年繰り上げされて召集された。
よく、モウ一年若ければ学徒動員だったな、と言っていた。
出兵先はニューギニア。 学卒だが下士官は辞退したと言っていたので、
えらくは無かったと思います。 なぜ辞退?と聞いたら「兵隊になる為に高専出たわけじゃない」
といっていました。
そのニューギニアでの話。 あんまり腹が減ったので、仲間2人と共謀して現地人の畑から
芋を盗み出して食べちゃったのです。 すると翌日、現地の村長が隊長さんに抗議に
やってきて、怒られてしまったそうです。
父曰く、「しかし不思議だ。なぜ俺たちが盗んだとばれたのだろう? あいつら夜目がきくのか?」
すると母が、「あなた、芋を煮て食べたのでしょう? そりゃあ、匂いでばれますわよ」
40年ぶりに謎がとけた、と当時の父は喜んでおりました。
しかし、40年も悩む問題じゃないぜ、おとうさん。
486:名無し三等兵
03/06/29 05:22
祖父じゃなくて曽祖父の話はどうかな?
もちろん直接逢った事はないんだが。
砲兵第八連隊所属で、奉天会戦、第一次旅順砲撃、第二次旅順砲撃、二〇三高地砲撃に
参加したと記された従軍記が実家にあるです。
うちの地元(当時の村)で発行した当村出身の兵の出征時の記念写真集も出てきました。
全員明治一九年制定の紺絨服着用です。
487:469
03/06/29 07:32 hWGFqcSD
>>473
んー、聞きなれないエンジン音が響いてきて、
機種確認の為に外に飛び出した、と言ってた。
と記憶している。
488:名無し三等兵
03/06/29 08:33 CEDoEUsq
>>477 うちの奴らもやったらしい。イラクのこと笑えんなと思った。
489:名無し三等兵
03/06/29 09:15
うおー、今日は大漁ですね。
みなさん、良い話をありがとうございます。
>>483
447に書いた中国系ソ連兵士を率いていたのは、
国家主席の金日成ですよ。
ペレストロイカで公開になった資料からです。
まさか、北朝鮮が金日成がソ連軍大尉だったとは教えないでしょ。
これが今のところ、一番信憑性の高い金日成の出身ですね。
490:名無し三等兵
03/06/29 12:14 5lZLbcBy
>>489
金日成は、朝鮮に帰還?した際には、年齢は30そこそこだった。
おまけに朝鮮語がへたくそでロクに話せなかったそうだ。
戦前から軍を率いていたなら、幾らなんでも20代の若造がやるのも限度がある。
31独立運動の指導者、金日成を扮するには、少なくとも40や50は越えてないと無理。
満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、少々無理があるが
もっとも朝鮮に帰還した際も、朝鮮人民から口々に偽物と呼ばれたから。
もともと無理があったが
491:名無し三等兵
03/06/29 13:02
>>490
>満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、
>少々無理があるが
いや、簡単ですよ。ぜんぜん無理は無いです。
ソ連がソ連軍人の金日成にソ連正規軍を率いて、
満州国内でゲリラ活動せよと指示したのですよ。
この指示されたのが後の金日成と。
ここまでは証言がある様子です。
んで、ここは憶測だけど、
後の金日成は非合法活動をしていたので
「俺はソ連軍人だ」とは言えない。
従って、独立の闘志の金日成と名乗ったのではないでしょうか。
従って、満州で独立運動をしていたのが金日成というのは
何処にも無理は無いですよね?
こんな感じです。
このあたりの説ですね。
URLリンク(www.google.co.jp)
492:名無し三等兵
03/06/29 14:40 7SFT3Xhl
>>486
8連隊って旅順にいたの?
第4師団は第2軍じゃなかった?
後備第8連隊は第3軍みたいだけど
493:名無し三等兵
03/06/30 03:32
俺のじいさんは弱視で徴兵されなかったそうです。
発明家だったらしく、自転車にエンジン積んだりしてたそうな。
(あまり人の役に立つ発明(?)はしなかったらしい)
奇人として名を馳せたが、津波にさらわれてアボン
494:名無し三等兵
03/06/30 04:24
>>493
>津波にさらわれてアボン
うーむ、津波ですか・・・。
御気の毒に。
ちなみに、エジソンも電球を開発するまではただの変人でしたよ。
いい年ぶっこいて、納屋に篭って、家族に食わせてもらっていたそうです。
現に、エジソンの特許は4000だか、4万だかに及びますが、
そのほとんどの発明は意味無いものだそうです。
ですから、おじいさんが特に発明家として
おかしかったと言う訳では無いです。
そういえば、イギリスの知り合いが、
サイドカー付きバイクを改造して、サイドカーから操縦出来るようにして、
無人バイクを作っていました。
アホですけど、発明家ってこんなものです。
495:名無し三等兵
03/06/30 22:16 xEAwUPxu
私の祖父は造船工でね。
木造船を作っていた。
戦時中は物資の輸送手段が船しかなかったからな
(ほとんどがアメリカに撃沈されたけど)
その関係で徴兵は免除されたよ。
496:名無し三等兵
03/07/01 11:31 4+9iWFSo
自分の祖父は、近衛兵だったらしいが、インパール作戦に参加したそうな。
よくわからないのだが、近衛兵って前線にいくものなのだろうか。
誰か詳しいことを教えてください。
祖父は生きて帰ってきたけど戦争の話はしたがらなかったので。
497:名無し三等兵
03/07/01 11:39 XnTYooHF
洩れの婆ちゃんの爺ちゃんは浦賀まで黒船見物に行ったらしい
沖でドカンドカン大砲ぶっ放していて(威嚇射撃?)その音にめちゃめちゃ
びびって、この国はヤバイって心配になったってさ。
洩れは婆ちゃんからこの話を聞きますた
ちなみに婆ちゃんはペリーを『ぺるりん』って呼んでいますた
498:名無し三等兵
03/07/01 11:47
うちの爺さんは瑞鶴のゼロ戦の整備兵で
珊瑚海海戦のときのはしを小さいころ聞いたことがある
翔鶴隊の飛行機もきたために収容しきれず
ほんの少しの破損があるだけの飛行機でも「すてろーー!」って叫びながら
海中投棄したてみたい
当時はふーんと思っていたが
歴史的な珊瑚海海戦に自分の祖父が参加していたと思うだけで興奮する・・・
499:名無し三等兵
03/07/01 11:54 eXgWv1T6
>>493
数奇な人生でつね
500:名無し三等兵
03/07/01 18:18
うちの爺さんは戦地で自分の上官を「敵前逃亡罪」で撃ち殺したらしい
一等自営業先生の「某佐藤」に似た外見だったらしい
「こういう厳つくて、部下を部下と思ってない奴に限ってろくな死にかたをしない
もんだよ
ヒャハハハハハハ」
と、死ぬ前にいってた
501:名無し三等兵
03/07/01 20:14 2AgeyNcg
うちの死んだ爺さん。横鎮に兵隊にとられました。
訓練後に鴻に信号兵で配属。揚子江で頑張ってたらしい。
あっちの戦闘機、太陽の中から逆落としに突っ込んできて
機銃掃射をするので怖かった、という話をききました。
その後、駆逐艦に乗ってミッドウェイへ。大負けして帰ってきて
体を壊して静養。復帰後、水雷学校?の教官だったらしい。
駆逐艦時代は、信号兵の分際で駆逐隊指令と仕事の上の
ことで散々やりあってたそうで。それでも殴られたことは一度も
なかったとか。ほんとかねぇ。
502:名無し三等兵
03/07/01 21:58 K2KVAvZr
>>501
駆逐艦は所帯が狭いからのんびりしていて
殴られることもあんまりなかったと聞いたことがある
すぐ沈むから一心同体という気がするし
鬼の山城蛇の長門いっそ赤木で首をくくろうかというようなのが
呉佐世保横須賀ごとに別の艦であったらしいからね
503:名無し三等兵
03/07/01 22:06 RMqBZp9D
じいちゃんの兄貴が支那事変で戦死 所属とかは今度きいてみまつ
じいちゃん自体は横須賀あたりの海軍で訓練中に終戦
東京大空襲で遺体処理の応援にいった話よくしてくれます・・・
504:名無し三等兵
03/07/01 22:23 SF/Rk6sH
巡洋艦に乗ってレイテ沖海戦に参加しますた。
505:名無し三等兵
03/07/01 22:32 UwsLBDaP
うちの爺さまは遺品の写真や手帳を見ると輜重兵だったらしい。
輜重兵って評価が低いと聞いたことがあるけどどうだったの?
506:名無し三等兵
03/07/01 22:39
うちの祖父は昭和20年5月頃、ルソン島サンタフェで戦死したらしいです。
祖母によるとそういう知らせだけで、遺骨は戻らなかったとのこと。
墓碑には「陸軍伍長」とありますが、戦死後に特進したものなのでしょうか。
507:名無し三等兵
03/07/01 23:12
ウチの爺さん、戦争の事は聞いても一切語らない人だった。
高知の方に行ってすぐに終戦になり帰ってきたらしいが、
多分何かあったんだろうな・・・。
508:名無し三等兵
03/07/01 23:30 UwsLBDaP
親戚の爺さん、朝鮮鉄道で機関助士してた。
軍用の貨物列車は、馬賊に狙われて危険だったらしい。
半島の荒野は広く3、4時間走っても景色が変わらなかったそうだ。
俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。
509:名無し三等兵
03/07/01 23:40
>>502
>すぐ沈むから一心同体という気がするし
この理由が泣けます・・・・。
510:名無し三等兵
03/07/01 23:41
>>508
>俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。
ええもん貰ったね。
511:名無し三等兵
03/07/02 00:31
>>507
高知出身なんだけど住吉海岸ってとこに当時震洋の基地が在って
終戦間際に謎の爆発事故で多くの隊員が亡くなってる。
もしやそれと何か関係が…
しかし、みんな貴重な体験談ばっかりだな・・
うちのじぃちゃんはラッパの意味の覚え方や、うんこ我慢する方法とか
あと食い物関係の話ばっかりだw
512:506
03/07/02 00:44
うちも高知です。と言っても
戦死した祖父は善通寺に配属されていたらしいですが。
513:名無し三等兵
03/07/02 01:00
うちの爺ちゃんは軍需工場の事故で片目潰して、おかげで戦地には行かなかったが。
人間万事塞翁が馬っての?
何を作ってたかは聞かなかったなあ。
514:名無し三等兵
03/07/02 13:16
怖くて苦手だったマイジーちゃん。
死後、親(満州生まれ)からジーさんの満州でやっていたことを聞いた。
満鉄の職員で、整備などをやっていたらしい。
戦後帰国の混乱の中で、馬賊狩りをしたり、されたり。
なんて話も聞いた。
戦中は、兄弟で近所のロシア人の家にボルシチの作り方習ったり、
中国人の家で餃子の作り方習ったり。
なんてほのぼのとした生活をしてたそうで、ギャップが激しいなぁと思ったのを覚えてる。
もっと話しきいときゃよかったなぁと、いまは後悔している。
515:名無し三等兵
03/07/02 19:09
うちの爺ちゃんも満鉄職員だったよ。
でも、爺ちゃんはあんまり戦争中のことは話そうとしないので、婆ちゃんに聞いた話。
満州から引き揚げるときの話。
満鉄職員とその家族が優先的に乗車できる引き揚げ用列車があるということで、
住んでいるところから遠い町にある駅まで行くことになった。
まだ若かった婆ちゃんは髪を切り、男装をして爺ちゃんと一緒に歩いていったそうだ。
ソ連兵は女と見るや……と言われていたからね。
で、駅に向かう途中、二人は運が悪いことに、
「ダワイ!」と、二人組みのソ連兵に呼び止められてしまった。
「ああ、乱暴される」と婆ちゃんは思ったそうだが、
なんと、そのソ連兵たちは婆ちゃんには見向きもせず、爺ちゃんを連行していってしまった。
「もうこれで今生の別れ」と思ったが、どうしようもない。婆ちゃんは駅へと向かった。
駅へついたが、列車はまだ来ていない。
仕方なく、そこで夜を明かし、そして翌日。
なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!
話を聞いたところ、ソ連兵の兵舎へ連れて行かれ、彼らの服の『洗濯』をさせられたのだという。
しかも、それが終わると二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
釈放されたのだと言うことです。
ソ連兵よ、洗濯ぐらい自分で出来なかったのかね?
以来、爺ちゃんは自分で洗濯したことが無いそうです。
516:名無し三等兵
03/07/02 20:44
>なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!
何かワラタ
517:名無し三等兵
03/07/02 21:01
>>515
少々不謹慎な想像ですが、もしやそのソ連兵は男色家だったのでは。
いくら変装したところで、お婆さまが女性であることは見破られてたような気がします。
(本当に変装が気付かれてなくて男手が必要なのであれば、二人とも連れて行かれたでしょうし)
お爺さまは洗濯もさせられたのかもしれませんが、別なこともさせられたのかもしれません。
それ故、以後、それを思い出すような洗濯を二度としたくなかったのかもしれません。
518:508
03/07/02 22:24 0z3GVzV3
>>510
>ええもん貰ったね。
うん、ほんとにそう思うよ。
いまの運転士は打音検査はしないのでハンマーは使わんのだけど
なんか鉄道員としてのスピリッツを貰った気がする。
ちょっとスレちがいかも、スマソ。
519:名無し三等兵
03/07/02 22:27
>>517
深読みしすぎだろう。
520:名無し4等兵
03/07/02 22:29 i4oDJn1g
神風特攻隊になって突っ込もうとしたのだが
あまりにも燃料が少なくて海に墜落→生還。
521:名無し三等兵
03/07/02 22:37
>>517
俺もそう思ったw 回教徒は自由だもんね。
きっとソ連兵の体のいろいろな所を洗濯させられ、かつお返しに自分も
トラウマになるほどいろいろ洗濯されたんでしょうな。
>二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
ものすごいテクだったようだw
522:名無し三等兵
03/07/02 22:40
>>517.521
オマエラ、深読みしすぎ。
そこらへんの事をつっこむと疑心暗鬼になるから止めてくれ。
そういう経験をした人もいるかもしれんが、
そんな話聞いても嫌な気持ちしかせんからね。
・・・と、けど、そんな事が本当にあったなら話さないか。
523:名無し三等兵
03/07/02 22:45
>>514
自分の父方も満州帰りですが、
話ではほのぼのに聞こえるかもしれないが、
当時も結構大変だったみたいだよ。
確かに、父の話す、ロシア人の子供と石のなげっこしていたと言う話や、
ロシアの女の子はそこらへんで小便する話などを聞くと
ほのぼのした感じだけど、
ばあさんが腸チブスで死にかかって、死ぬのを待っていた話や、
(腸チブスは死病で、かかったらほぼ助からない)
じいさんは3回ロシア人の強盗に入られた話などを聞くと、
やはり死と隣合わせと言う部分があったと思う。
524:名無し三等兵
03/07/02 22:45
ちなみに、523はハルピンでの話です。
525:名無し三等兵
03/07/02 23:12 QOHPiBOn
>>505
有名な歌で
輜重兵が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち
推してしるべし
526:名無し三等兵
03/07/02 23:51 sp1SuCnB
俺の親父、所沢で戦闘機の整備兵をやってた。
あまりに腹が減るので近くの畑から芋を盗んで、航空燃料で炊いて食べたとか。
落花生は畑に手を突っ込んで、生のまま食べたそうだ。皆は下痢を
したが自分は平気だったとか。お百姓さんにはよく軍に怒鳴りこまれたそうだ。
それでも腹が減ったときは、農家の前にただ立ってたら、芋とかを
めぐんでくれたそうだ。
東京大空襲の時は地平線が真っ赤だったそうだ。これで戦争も終わると
思ってほっとしたそうだ。
おばあさんは、近くの町が綺麗にひかったので綺麗な花火だと思ったそうだ。
お爺さんに"たわけ あれは空襲じゃ"と諭されたとか。
今も昔も米軍は強すぎる。イラクの人々も当時の日本人と同じ気持ちであったに
違いない。ただ日本人はすぐにアメリカ万歳だったけど、あそこは
"目には目を"の国だからなあ・・・
527:名無し三等兵
03/07/03 00:01 rBgo9mW6
>>525
結局その考えが国の命取りになった。
528:名無し三等兵
03/07/03 00:18
>>526
ウチの場合は百姓なので逆。
兵隊さんに食事をもてなしたことがある、
とお婆ちゃんが言ってた。
529:526
03/07/03 00:31 7oZ2RkAe
親父、訪ねていってお礼をしたいと生前よく言ってたな。
530:名無し三等兵
03/07/03 00:34 rBgo9mW6
うちの親戚は兵庫県で歯科医だった。
戦時中(まだ初期のころ)、兵隊さんご苦労さん、と言うことで無料で治療してあげたら
船に呼んでカレーご馳走してくれたそうだ。
531:名無し三等兵
03/07/03 00:38
>>505
引率役なら外見は騎兵と同じだし、馬に乗っての行軍だからお徳な兵科ですよ。
ただし馬の世話が大変。川辺で歩兵が死んだように休息をとっている傍らで
水を布バケツに汲んできて飲ませ、脚をさすってやらなければいけません。
行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。
本当に評価の低いのは輸卒のほう、馬に乗らない随伴の人達のことで
背が低いとか、能力的にちょっと劣る人達が回されたそうです。
532:名無し三等兵
03/07/03 00:54 Kric+3Kb
世界がここの住民みたいなヤシだったらな・・。
533:名無し三等兵
03/07/03 02:53
>>531
>行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。
ああ!!どっかのホームページで見た
じいちゃんの戦争体験話で、落伍した人が自動車に乗っていたというのは、
このことでしたか!!
いや、一人で納得です。ありがとうございました。
534: 名無し三等兵
03/07/08 23:08 VfO//7R8
うちのじーさんが言ってたけど毎日のように風船爆弾が飛んでたのをを見てたって言ってた。
その風船爆弾がいくつ飛んだか数えるとスパイとみなされるらしい。
だれか風船爆弾のネタない?
535:名無し三等兵
03/07/08 23:25
うちのじいちゃんは、武蔵でおにぎり握ってました。
536:名無し三等兵
03/07/09 00:05 EWMihsDS
じいちゃんの知り合いはノモンハンで戦っていた 聞いたところでは日本の対戦車砲は役に立たず 反対に同じ口径のドイツ製のは非常に役に立ったとか じいちゃん自身は訓練中に終戦 家に帰るときにくれた本がノモンハンの夏 よっぽど気にしてたんだろう
537:名無し三等兵
03/07/09 00:06 EWMihsDS
続き またじいちゃんの話じゃ戦後ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな
538:名無し三等兵
03/07/09 00:08 EWMihsDS
訂正 続き またじいちゃんの話じゃ戦争中ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな
539:名無し三等兵
03/07/09 00:14
うちのじいちゃんは中国にいて、
血で染まった川の水で米を炊いて、真っ赤なご飯を食べたそうです。
540:名無し三等兵
03/07/09 12:19 OvXi55E/
>>539
ある意味赤飯だな。
541:放棄するにはもったいないので
03/07/09 23:17
534 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 13:31 ID:???
うちのじい様は満州で衛生兵をしていたそうな、弟が橋から落ちて
怪我をしたときも落ち着いて淡々と手当てをしていた。
戦闘では敵の弾が頭に当たったがその弾が縦に回転しながら当たったため
メットを貫通せず失神ですんだとか、終戦になって「戦争が終わったのに
こんな重いものをいつまでも担いでられるか!」と銃も荷物も川に投げ捨てて
しまったと笑いながら語ってくれた。
酒で酔ったときの口癖は
「霧が降りるように銃を構えるんだ」
535 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 18:30 ID:???
>>534
「霜」じゃないかなぁ?
536 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:41 ID:???
>「霧が降りるように銃を構えるんだ」
>「霜」じゃないかなぁ?
これって、どういう意味ですかね?
542:放棄するにはもったいないので
03/07/09 23:19
537 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:50 ID:???
「引き金は霜の降る如く」引くと言う格言
538 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:18 ID:???
>>537
おお、それは知りませんでした。
サンクスです。
すると、静かに確実に引けと言うような意味でしょうか?
539 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:34 ID:???
>>538
要するに「ガク引き」するなということでしょう。
漏れは「暁に霜が降りるが如く…」と記憶している。
- - -
手持ち分は以上です。
543:名無し三等兵
03/07/10 00:26
うちの爺さん、海軍信号兵。
国からの支給品である紋付き時計を持って、主に時間を知らせる役割。他にも色々。
で、その時計は紋が付いてるおかげで、何があっても上官から時間について
文句を言われる事がなかった。そこで、爺さんのした事。
○気に入らない上官の休み時間を減らす。
○気に入らない奴の起床時間を30分遅く知らせる(遅刻で上官から大目玉)
○仲間の休み時間を増やす。
せこい。下らない上に、せこすぎる…・゚・(ノД`)・゚・
ってか、お前は本当に戦争に行ったのかと疑いたくなるような馬鹿話まで
何時間にも及び話してくれた。全てにおいて…呆れた…
そんな爺さん、とりあえずビックリした事は一緒の船に乗った高知の兵士。
「酒を呑む量が凄いんだよ…ついていけない。宴会の夜は見張り台に逃げた。」
544:名無し三等兵
03/07/10 01:18
>>543
そ、そんな役職があったんですね・・・。
知らなかった。
ある意味、貴重な話でした。
ありがとうございます。
545:名無し三等兵
03/07/10 21:52
うちのじーちゃん、二次大戦では百式短機の射手だったって言ってたなぁ。
あと、額に敵弾食らったけど、鉄兜の内側をクルっと廻って出ていったおかげで、傷1つ無かったとか。
よっぽど浅い角度で当たったんだろうけど、それで穴が開く鉄兜ってのもなぁ。
一次大戦も、何やったか知らんけど、出兵したらしいし。
ま、死んじゃったし、どこまでほんとだか判りませんが。
546:名無し三等兵
03/07/10 23:10
うちの母方のじいさん、部隊は聞いてないが海軍陸戦隊で終戦までスマトラにいたみたいで12mm?機銃の弾込めとかやってそうで英軍機一機落としたとか。なんでも4発ずつ装填したとか言ってたがどの機銃だろうか?
547:名無し三等兵
03/07/10 23:21
ちなみに戦後英軍の捕虜になった後の方が飯とかいろいろ大変だったとかで収容所?の倉庫の歩哨に金(軍票?)渡して盗みに行くのを見て見ないフリしてもらったとか。
548:名無し三等兵
03/07/10 23:40
>>547
連合軍の捕虜になった後のほうが大変だったという話は珍しいですね。
549:名無し三等兵
03/07/10 23:43
普通に憲兵隊で憲兵してた。憲兵とは名ばかりで、外見はよわっちいので
いつも小突かれたりしてバカにされてたらしい。ある日、お前は背が低いなw
と、言われ大激怒。軍刀振り回しながら追っかけたらしい。他では、死ぬか生きるかの
戦場でギリギリの状態で生きてるのに、こんな事してたんだな・・・。当時の精工舎の懐中時計
を今でも使ってるが、「俺が死んだらお前にやる。ただし、売ったりするなよ!」時計、いらないからもっと長生きしてくれよじいちゃん!!
550:名無し三等兵
03/07/11 01:07
>548
配給が少なくてその日の飯がビスケット?少しだけと言うのが結構あったと、なんかシンガポ-ルで始めて中華を喰った飯の話など戦時中は一切その手の心配はなかったと言ってました。単に恵まれてただけかもしれんが…
551:名無し三等兵
03/07/11 06:34
>>548
スマトラだっけな?
連合軍にスルーされた場所で、自給が出来る場所は
日本軍でも待遇が良かったみたいです。
定期的に爆撃が来るだけで、両方とも本気に戦わないから、
悲惨なことが無く、南方で残された物資も豊富だから、
戦争だかなんだか解らないような部隊もあったみたいです。
552:名無し三等兵
03/07/11 12:12
>>546
>なんでも4発ずつ装填したとか
25mm対空機関砲ではないでしょうか。弾装は5発用ですが1発抜いて4発装填でないと調子悪かったそうです。
553:名無し三等兵
03/07/11 21:11 P3MeTEgA
祖父ではないのですが、祖父の弟さんの話。
何でも千葉のほうの部隊にいたのだが、敗戦の当日、休暇?をもらって実家に帰っていた。
そこに玉音放送があり、慌てて原隊に帰ったら、部隊の将兵たちは勝手に帰郷してしまい、
兵舎はもぬけの殻。部隊の倉庫には、新品の毛布その他多数の資材があったのだが、
それらは先に帰った兵隊たちがみな持ち帰ってしまい、全く無し。仕方なく、僅かに残った
ヨレヨレの毛布を手土産に家路に着いたそうだ。私の親父は子供の頃、その星のマーク
のついた毛布を使って寝たと教えてくれた。
554:名無し三等兵
03/07/11 21:35
おれのじーさんはぁー
ノモンハンでモンゴル人に捕まってー
ロシア兵の弾除けになってー
そいでドイツ兵の捕虜から戦車兵になってー
最後はカレー屋…(PAM!)
555:名無し三等兵
03/07/11 22:07
>>525
俺が聞いたのは
輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々蜻蛉も鳥のうち
たいして変わらんか
556:名無し三等兵
03/07/11 22:56
自分の祖父は満州でアメリカ軍の捕虜になったそうです
ミルク粥の味もそこで覚えたとか言ってました
祖母は原爆のキノコグモと陸奥の爆発炎を見たそうです
557:名無し三等兵
03/07/11 23:01 6KA2b8U5
うちのじいちゃんは比島に出征していたそうです.
戦争が始まって召集され,二等兵から軍曹まで出世したらしいです.
終戦間近のとき米軍との交戦で足を撃ちに抜かれ,
復員したとのこと.いまも健在ですが,当時の粗悪な手術のため
いまでも足が痛いと言ってました.
558:534
03/07/11 23:46 W9yLP+MP
>>553
歩兵第五十七連隊?
ひいじいさんがそこだった。
千葉って言ってもたくさんの連隊があるのかな。
歩兵第五十七連隊は佐倉にあったらしいですが。
ちなみにうちのひいじいさんは千葉県のどっかで竹槍を教えてたらしい(w
559:553
03/07/12 15:39 V+pUHJ8z
>>558
申し訳ないがどこの部隊かまでは・・・一口に千葉といってもたくさんありますしね。
ご本人に伺えればいいのでしょうが、話題的に気軽に聞ける話でもないし。
560:名無し三等兵
03/07/12 19:40 xjN8ubpY
祖父でも祖母でもなくてスマヌが、漏れの母方の伯母は、中島飛行機の大宮製作所に
動員されていた事があると言ってた。
ついでに言うと漏れの母親は、姉に背負われて防空壕へ飛び込んだ事がある。
終戦当時四歳なのだが、母に言わせると、「夜空を飛ぶ銀色のB29の姿を
はっきり覚えている」のだそうだ。
561:名無し三等兵
03/07/12 21:20
漏れの婆ちゃんも「銀色でピカピカな飛行機が名古屋の方へ飛んで行ったのを覚えとる」と言ってますた。
やっぱり結構目立つものなんですね。
562:名無し三等兵
03/07/12 23:53 qNgdEfQw
うちのじいさまは,満州でかなり羽振りがよかったそうです。
でも,徴兵で穴掘る仕事(工兵?)やらされてました。
終戦の時,ソ連に連行される途中,逃げたそうです,後ろから機関銃で撃ちまくられたそうですが何とか逃げました。
でも,捜索が執拗だったらしいです。
そのときかくまってくれたのが羽振りのよかった頃に雇ってた従業員の中国の方々。
うちのばあさまが面倒見がよくてそれに恩を感じていた人たちがかくまってくれて無事逃れました。
終戦の時に中国人が日本人に対して・・・なんてのはよく聞きますがそれだけじゃないと思いました。
普段,ちゃんとした関係をもっとけば中国の人もしっかりとわかってくれると言うことだと思います。
じいさまは,7年前の終戦の日に大往生しました。
563:名無し三等兵
03/07/13 04:45
>>562
なんか、うちのじいさんの話とまったく一緒だ。
羽振りがよかったと言うところを除いて。
よろしかったら、前々スレと前前々スレに詳しく書いたので
見てみてください。
役所に勤めていて、土木工事の監督をしていたじいさんです。
564:名無し三等兵
03/07/13 21:02 rlrVDlYV
>>563
申し訳ない。前々スレと前前々スレの見方教えて。
お仕事がちょっと違いますね。建設会社を経営してました。
ちなみに吉林でした。
565:名無し三等兵
03/07/13 21:07 DAoEnCwP
うちの爺さんは上海事変に逝ったと婆ちゃんに聞いたことがある
勲章があるからたぶん本当だと思う
何日も川の中?にいて大変だったと逝っていた
566:名無し三等兵
03/07/13 21:11 z5Sq9a0G
>>562
中国人といっても民族思想色々だから。
避難民の日本人の子供を預かって立派に育てた
人達が大勢いるじゃないか。
567:名無し三等兵
03/07/13 21:13
>>566
まぁ日本人でも自分の子供殺す香具師もいれば
他人の子供でも引き取って育てる香具師もいるしな
568:名無し三等兵
03/07/13 21:42 rlrVDlYV
>>566
そうですね。
逆の話もいろいろ聞かされたもんで・・・表現がちょっと悪かったかな?
あの人たちのおかげで今の自分もあるんだと,母親からもよく言われました。
569:名無し三等兵
03/07/13 21:43
>>562-568
ソコ「あかはた」が喜びそうな話だな。