03/06/05 08:29 epahSgNc
スバラシイほど都合のいい話ですね
151:名無し三等兵
03/06/05 09:17
| (゚∀゚)ノ キテネー! スレリンク(army板)l50
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
| (゚∀゚)ノキュンキュン!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
| (゚∀゚)ノキュンキュン!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
| (゚∀゚)ノキュンキュン!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
| (゚∀゚)ノキュンキュン!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
| (゚∀゚)ノキュンキュン!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
| (゚∀゚)ノキュンキュン!
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| (゚∀゚)ノキュンキュン!
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| (゚∀゚)ノキュンキュン!
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| (゚∀゚)ノキュンキュン!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
152:名無し三等兵
03/06/05 13:27 Wlw5bsLk
私は127氏ではないが、もうひとつ、都合の良い祖父の戦争体験話をしてみよう。
私の祖父は京城帝大卒業後はとある郵船会社に入社し、主に総務系の仕事をしていた。
太平洋戦争が始まると、軍属として海軍に徴用された祖父は、海軍省勤務を
へて大井篤著「海上護衛戦」でおなじみの海上護衛総隊に配属された。
そこでの祖父の仕事は、最初は配船業務にかかわる郵船会社・統制会・
逓信省等とのリエゾン業務だった。しかし祖父は自称「英語使い」だったためか、
通信傍受に関係する業務を行うようになった。
正確な業務内容と所属は本人の記憶があいまいでわからない部分が大きい。
しかし英文電文和訳が主な仕事であったこことは間違いないようだ。
けれどもこの配置転換は祖父の「英語使い」としての技量が認められたからではないだろう。
裕福な家に生まれた祖父は、よく言えば天真爛漫、悪く言えば怠け者の放蕩者。
そもそも民間企業はもとより役所仕事に向いている人物ではない。
祖父の配置転換は実際には左遷のようなモノだったらしく、仕事は暇であったそうだ。
旧司法省ビルの一室に机を与えられたそうだが、いつも退庁は午後六時前。
しばしば余暇を利用しては府内某所で遊び仲間とテニス・トランプに
興じ、勤務中も隠れて講談本を読む始末(通信傍受と講談本は切っても切り離せないモノなのだろうか?)。
また女遊びのすさまじさは未だに我が家の伝説となっている。
見かねた上司から嫌味を言われたというぐらいだから本当に暇だったのだろう。
あるいは仕事を与えられなかった、「使えなかった」ということだろう。
153:152
03/06/05 13:28 Wlw5bsLk
有力なコネがあったとはいえ、このような人物を飼っておくとは
まあ当時の海軍には相当の度量と余裕があったということなのだろうか。
(私はよく生前の祖父に太平洋戦争中の体験を話すようにせがんだが、
いつも話してくれたのは「海軍省高等官食堂のメシはまあまあだったが、
やはり飽きがきた。それに物資が払底してくると
やはり不味くなった。そこでたまに帝国ホテルで内緒のメニューを
食べていた」なんてハナシばかり。
くどいようだが本当に仕事をしていなかったようだ。)
それはともかく、そんな祖父にもようやく海軍の役に立つ時がきた。
ただしそれは、終戦後のことであった。
終戦後、祖父は進駐してきた米軍との通訳業務のためにしばしの間忙しい時期を送り、
横浜、横須賀、厚木とあちらこちらに派遣されて業務にあたった。
(しかし祖父がたちいって話してくれたのは「グランドホテルのメシもなかなかで
見事な玉突台があった・・・・云々」といったハナシばかり。)
海軍省が廃止され二復が設置されるのを機に、祖父は海軍省を免官となった。
普通の戦争体験であれば、これでハナシはオシマイとなる。
しかし海軍廃止をもって、祖父の「戦争」体験は終わらなかった。
海軍をやめた祖父は、日本郵船には復帰できなかったものの、
昔のツテと若干のコネを利用して、なんとか海運関連の仕事につくことができた。
しかし新しいようやく生活になれるはじめた頃、祖父は突然地元の警察署に呼び出された。
待っていたのは米陸軍将校とMP。祖父はその場で身柄を拘束された。
つい長々と書きすぎた。続きは夜に。
154:名無し三等兵
03/06/05 13:51
わざとらしい(プッ
155:名無し三等兵
03/06/05 17:39 tJYOTUD3
うちのじーさん(故人)は足が悪かったからか、長男だったからかで戦争には行かなかった。
で、当時は網元をやっててデカい船を持ってたから、輸送船としてその船を国に徴収?されたらしい。
県でも2隻しか徴収されなかったらしくて、その話をじーさんから聞いた親父が今でもたまに自慢げに語る。
じーさんの弟ではシベリア抑留にあった人もいるし(次男)、ノモンハン事変で通信兵として奇跡的に
生き残った人もいる(三男)。四男だけはブーゲンビルで戦死したらしい。
じーさんたちは既に全員他界してるけど、歴史を理解できるようになった今では国・家族・未来の為に
戦ってくれたことをありがたく思います。
156:名無し三等兵
03/06/05 17:49 AyqGsO2d
あんまし関係ないかもしれんが
戦没者の墓石って先端が四角錐なのでわかりやすい。
墓地で見かけると、墓石の裏にまわって彫られてるいる戦没地・
年令・階級を読み、手をあわせることにしている。
157:名無し三等兵
03/06/05 17:52 0L5OXL80
みてね♪
URLリンク(www1.free-city.net)
158:みるとん
03/06/05 18:03
うちのじーちゃんは、どうやら中国の旧満州に出兵しとったみたいです。
はなしによると、あそこらへんは冬になるとめちゃくちゃ冷えて川が凍って
戦車でも渡れるようになるらしいです。じーちゃんがどうも配置換えか何かで内地に
行かされたらしばらくして戦争が終わったそうです。ホント運よかったんだなーじいちゃんて。
159:名無し三等兵
03/06/05 18:38 aY1D4ffF
| (゚∀゚)ノ ラッキ-ダタネー!
/ ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
160:名無し三等兵
03/06/05 19:05
やれやれ、軍隊には大なり小なり虐殺は付いて回るのに
なぜ日本兵が行ったという事例だけ狂ったように否定したがるんだろうね。
その他の”じいちゃんの話”は疑うことなくスルーしてるのにね(藁
161:リアル厨房
03/06/05 19:08 d6ZgKMFT
俺の爺ちゃんはフィリピンにいったそうです。
バタバタ仲間がやられて
「ああ!もう全滅したか!」
っていうときはだいたい3分の1ぐらいしか死んでないんだそうです。
斥候にも出たそうですが生きた心地がしなかったとか。
「もうなぁ。死ぬかと思ったぞ」
って言いながら腰を浮かして屁をこいてた爺ちゃんがなつかすぃ。('A`)
162:名無し三等兵
03/06/05 19:47
>>161
勇ましくないけど、実際に自分が戦争に出たら
そんな感じだろうね。
へっぽこなじいさんだけど、立派ですよ。
163:名無し三等兵
03/06/05 19:50
>>149
おーう、前スレの弟さんの仇討ちじいさんの話の方ですかな?
それが本当だとしたら、それはそれですごい事実ですなぁ。
それ位有名だったら、フィリピンの資料を調べてみると良いですよ。
あと、戦後にゲリラとして戦っていたと言う話なので、
いつ収容所に入ったか名度の時列系を調べてみると良いです。
何か、話が二転していて、
どこまでが確認できた事実なのか解らないです。
164:名無し三等兵
03/06/05 19:58
藤兵団はすぐに出てきますね。
そこのどの部隊の、何処の部署でどういう階級だったのか、
どんな仕事をしていたのかを調べると良いですよ。
つか、かなり研究されている事柄に見えますが・・・。
URLリンク(www.google.co.jp)
165:名無し三等兵
03/06/05 20:15
お前等論争は他所でやれ
166:名無し三等兵
03/06/06 01:09
127氏はどうも、書き方に疑いたくなるような箇所が多くて、
どうしても釣りか煽りに見えてしまうなあ。
本当でも嘘でもかまわないけど、127氏はどうしても自分の話を信じさせたいと
躍起になっている節も見受けられる。
本当の話、とするにはちょっと信じがたい。
本当の話だとしても、憶測や脚色が結構入り混じってるしね。
特に、127氏まで悪夢にうなされる部分(激しく藁)
167:名無し三等兵
03/06/06 01:09
戦艦長門に乗った友人のお爺さんの一言。
「でぇっかいフネだなぁ~」
戦争体験じゃないか。
168:名無し三等兵
03/06/06 01:21 1awsxhtq
うちは15歳で陸軍特別幹部候補生(船舶)に志願して
小豆島で「マルレ」という小型船の訓練を受けたらしい。
169:名無し三等兵
03/06/06 01:24
そーいや、戦犯で思い出したが、
免許の書き換え時に話を聞いたじいさんで、
台湾で偵察機に乗っていたが、
帰ってきて、さて大学に行こうと思ったら
自分のいた部隊が戦犯の疑いを受けていて、
大学に入れなかった。
「台湾で誰か悪さしたんでしょ」と言っていた。
実際に同じ部隊にいてもこんなもんらしい。
これって、もしかして前に書いたかもしれんな。
あのじいさんの話はもっと聞いておけばよかった・・・。
170:名無し三等兵
03/06/06 02:52
>160
文句は本多勝一にでも向けてください。
なお、軍板においては「コヴァは犬扱い」であることをご理解ください。
171:名無し三等兵
03/06/06 03:04
かーーーー、つまらんな、つまらんぞ、もっと刺激的な話がイパーイあるだろ
支那でクーニャ狩りに性を出したとか、南方で土人部落を襲撃して無料の慰安所
を作ったとか、占領地で女という女は手当たり次第にはらましてきたとかさ~
何を格好つけてるんだよ~
172:名無し三等兵
03/06/06 03:09
うちのじいさん予科練でめちゃくちゃ虐められたらしい
173:名無し三等兵
03/06/06 03:37
>>171
ぷ
174:名無し三等兵
03/06/06 04:03
>>171
当然、現実はこんなものだよ。
軍隊といっても、憲兵っていう警察システムがあって、
違法行為は取り締まられていたんだからね。
更にわざわざうらみを買うような事はしないだろ。
何のために、慰安婦システムがあるんだか。
>支那でクーニャ狩りに性を出したとか、南方で土人部落を襲撃して無料の慰安所
>を作ったとか、占領地で女という女は手当たり次第にはらましてきたとかさ~
けど、このあたりは水木しげるの戦記ものの中で読んだ気がする。
南方の土人に日本兵がもてて、水木しげるも誘惑されたとか何とか。
175:名無し三等兵
03/06/06 06:16
>171
そんなやつはいねえって。
妄想しすぎだお前。
176:名無し三等兵
03/06/06 09:44 odoL+DAI
俺の爺ちゃんの葬式の時に隣の爺ちゃんがいっていた話。
その爺ちゃんは駆逐姦だか水雷艇の魚雷係だったんだが、
武蔵にくっついてレイテに向かう途中、
このまま行ったらおれら絶対死ぬなー、と思った爺ちゃん達は、
みんなで一生懸命魚雷発射装置を壊した。
なんでも、魚雷を発射管に充填するやつが壊しやすくて、ほかは壊れなかった。
その甲斐あって、船は母港へユーターン、爺ちゃんは長生きできたが、そのまま武蔵に随伴した香具師らはあぼーん…
どこまで本当かは知らない。
177:霊界から。
03/06/06 10:46
>>176
ああ!!オマエのじいさんか!!
俺は駆逐艦か船長だったけど、
死に場所を探して武蔵にくっついていこうとしたけれど、
魚雷の発射管がぶち壊れて、死にそこなった。
おかげで戦後まで生き残れました。
178:名無し三等兵
03/06/06 11:07 6wj4mVWl
うちの曾じいちゃんの話。
どうも詳しい所属はわからないのだが、大陸に行っていたとのこと。
そこで案内として雇っていた中国人にある日「病気になったので薬をくれ」
と言われたらしいが、もちろんそんなものは持っていない
困ったじいちゃんは持っていた歯磨き粉をその中国人に渡したそうだ。
後日、そいつは「お前のおかげで治った、ありがとう」
と言って食料をたくさん持ってきたそうな
曾じいさんいわく「シナ人、ありゃー丈夫な奴らだ」とのこと。
179:名無し三等兵
03/06/06 11:10
>>178
ひでえ!!
いや、ひいじいちゃんは、
プラシーボだか、プラシーボ効果ってヤツを狙っていたのか!?
180:127
03/06/06 18:21 WVrEbi54
127です。上の方の、俺への批判みてため息でますわ。
はあ・・・。なんか哀れというかなんと言うか・・・。
あのな、軍隊にも「いい軍隊」と「悪い軍隊」がいたの。
兵隊にも、いい人悪い人がいたの。それぐらいのこともわからんのか?
フィリピンで虐殺があった証拠・証人はいっくらでもあるのに、
いきなり捏造だの朝日だのと左翼扱い。アホか。しかし朝日って言われたのは
ワラタ。
中 国 じ ゃ な い の。 フ ィ リ ピ ン な の 。
必死になって旧日本軍の悪い部分をごまかす厨房。
お前ら、ガキの使い以下だな。
181:名無し三等兵
03/06/06 18:39
>>180
>ワラタ
楽しかったかい?よかったね。
>フィリピンなの
そうか左翼系新聞はアジアでの蛮行とやらは一切触れないのか
いやあ、
ち ゃ ん と 新 聞 読 ん で る 人 に は か な わ な い な あ。
>証拠証人はいくらでもいる
おまえのじいちゃんが脳内妄想の産物でなけりゃ戦犯になってるはずだがねえ。
証拠証人があるくせに戦犯でもない、でも伝聞情報によれば、戦犯に違いない
いやあ、どういう頭脳の持ち主なのかねぇ?
信じたいと思うことを信じればいいが、さっさとそれ系の掲示板へいってくんないかね。
うざいから。
182:名無し三等兵
03/06/06 18:40
>>176-177
ちょっといい話じゃねぇか。
>>178
ほぼ同じような話をばあちゃんから聞いたぞ!?
183:名無し三等兵
03/06/06 18:42
>>180
ちゃんとレス読んだ?全部嘘だと決め付けてる人ばっかりじゃないのに・・・
そんな書き方をしたらまともな議論にならないでしょう特に最後の文
184:127
03/06/06 18:48 WVrEbi54
先日、俺のじーちゃんの生家へ20年ぶりに行ってきました。
理由はひとつ。戦争で、何があったか。
フィリピン・ルソン島で虐殺した部隊だから、藤兵団だろうと決めて
かかっていたんですが、驚いたことにじーちゃん、山下兵団だって。
それも山下大将の直属部隊?だったそうな。
開戦初期、マレーシアに行っていたそうで、なんととあの有名な
銀輪部隊にいたそうです。
そして戦争末期。フィリピンの資料を見ていくと、ルソン島にて
藤兵団以外に山下兵団も虐殺を行っていました。
それも皆殺しに近い虐殺を。
これ以上詳しく書くと個人が特定されてしまいますのでここまでに
します。
最後に、個人的に意見を言わせていただくと、
やっぱり旧日本軍には当然ながら、いい部分、悪い部分があって、
いい部分は真珠湾の活躍、アッツ島にて玉砕した部隊、そして硫黄島の
戦い、インド独立など。
悪い部分は各国で行われた虐殺です。
我々、孫の世代としては、旧日本軍のいい部分は賛否し勇気を称え、
虐殺という悪い部分は恥じて反省し、また悪事を認めようともしない
同世代の低脳な厨房(こいつらは悪を認める勇気がない、ただのガキ。)
がいることも大いに恥じ、戦争の本当の姿を正しく理解し、
後の世代に伝えていくべきだと思います。
185:127
03/06/06 18:57 WVrEbi54
>>181
あんたかわいそうだよ。
ちゃんとフィリピンでの戦争資料等読みなよ。
虐殺して戦犯になって処刑された人もいるし、戦犯にならなかった
人もいる。つまり、虐殺したけど戦後日本に帰ってきた人は
たくさんいるよ。そんなことも知らないの?
もちろんフィリピンだけじゃなく、他の国でもそうだよ。
人にソース求める前に、自分で正しい予備知識もたほうがいいよ。
まあ、厨房には何をいっても無駄だろうけどさ。
俺の文章は全部、良識ある大人が読むものだから、難しかったら
スルーしちゃえばいいよ。
君がいつか、俺の話を真剣に聞けるようになってくれるといいんだが。
以上。厨房にはもうレスしません。レスしても無駄ですからね。
186:名無し三等兵
03/06/06 18:58 Z1QZGcIe
>>184
アメリカ軍のもっとすさまじい虐殺にも触れろ
B-29であんなことやこんなこと 無差別空襲や原爆でぎゃ・・・(以下略)
ベトナムであんなことやこんなこと・・・(以下略)
187:名無し三等兵
03/06/06 19:03
うちのじいちゃんは岐阜の山奥で工場に勤めてたみたいです。
技術職だったんで戦争に行かなくてすんだとか。
終戦間近は空爆が激しくで焼けた馬とか食ったそうな。
でもって、終戦後は資料処分で大変だったらしい。
なんか、アメリカまで行って帰ってこれる爆撃機の図面を引いたらしい。
燃やしたらいいけど・・・
もう死んじゃって詳しいことは聞けないのが残念。
188:127
03/06/06 19:11 WVrEbi54
>>186
もちろんアメリカは悪の権化ですよ。
あの戦争だって全部アメリカが悪いし、アメリカがやってきた虐殺は
永久に許されないものだと思います。
ましてやアメリカの虐殺と比べたら日本軍の虐殺は微々たるものですよ。
これはみんなわかってる事ですのであえて書かなかったんですよ。
189:名無し三等兵
03/06/06 19:35
爺さんは教師だったので出征せず。
8月14日、勤労奉仕先の工場の監督官から
「明日は来なくてよろしい」と言われ
15日は生徒を川で遊ばせていたそうな。
正午過ぎに川べりで近くの住民から
「戦争に負けた」事を聞いたとか。
よく晴れた、蒸し暑い日だった、と。
190:名無し三等兵
03/06/06 19:46
>>186
なら日本の戦争犯罪は全て見逃していいと?
なんか言ってる事が、「俺は万引きしたが強盗をする奴もいる。俺を責めるのは止せ」って感じだ。
191:名無し三等兵
03/06/06 19:46 Z1QZGcIe
死んだじいちゃんは満州で官吏(保健関係)をやっていた
昭和20年7月に獣医科見習士官として入隊 が
すぐにソ連軍が攻めてきた
獣医科なのに人員不足で歩兵中隊を指揮 手榴弾を喰らって負傷した
収容所に行っても、獣医でしかも将校だったので他より扱いがずいぶんよかったらしい
しかし家宝の刀を没収され、しかも帰国途上に妻子全員を失った
このことを話すじいちゃんはいつも涙ぐんでいた
192:名無し三等兵
03/06/06 19:47 Z1QZGcIe
>>190
日本だけじゃなくアメリカのことも責めろ、と言いたかった
193:名無し三等兵
03/06/06 19:48
>188
まぁ一応言っておく、
貴方も解ってると思うから誤解しないでくれよ?
何と比べたって虐殺は虐殺、「比べて良い物じゃ無い。」
194:名無し三等兵
03/06/06 19:50
ばばあとじじいさっさと死ね、糞ムカツク、半分キチガイのゴキブリどもが。
195:直リン
03/06/06 19:53 iyBzWN/5
URLリンク(homepage.mac.com)
196:名無し三等兵
03/06/06 19:53 6wj4mVWl
>>182
もしかして親族かも知れませんな、かなり多いし。
197:190
03/06/06 20:00
>>192
納得
198:名無し三等兵
03/06/06 20:18
うるせー馬鹿共、俺もお前も日本もアメリカも、世界人類すべからくキチガイの集まりだ。
199:名無し三等兵
03/06/06 20:24
>>198
言えてる、そもそも心という物自体異常。
200:名無し三等兵
03/06/06 20:26 Z1QZGcIe
>>198
君はまだアメリカのキチガイさに達していないな
201:名無し三等兵
03/06/06 20:29
>>200
実はみんなアメリカ嫌いということにブッシュはきずいていない
202:名無し三等兵
03/06/06 20:32
アメリカがキチガイに思えるのはお前の気がおかしいからさ
俺もお前もみんなキチガイ
キチガイが怖くて直立歩行が出来るか
203:名無し三等兵
03/06/06 20:32
あああああああああああああああああっsっっっっっっっd
204:名無し三等兵
03/06/06 20:33 Z4Gn0KwR
このサイトおすすめ♪
URLリンク(zoetakami.fc2web.com)
205:名無し三等兵
03/06/06 20:35
狂うのが怖くて生きていけるか!!・・・話を元に戻そう
206:名無し三等兵
03/06/06 20:36
フィリッピン戦線で飴公を5~6人ほど撃ち殺して勲章をもらいますた。
207:名無し三等兵
03/06/06 20:37
勝利宣言で逃亡したへたれのいるスレはここですか?
208:名無し三等兵
03/06/06 20:37 PSg+1onX
じいさんは海軍の主計にいた。
国内の鎮守府で物資の調達がかり。
おかげで、戦争が終わるまで、自分の金で買い物をしたことがなかったそうだ。ばーさんの買い物も常に業者がはらっていたとのこと。
敗戦になって、物資をだいぶ自宅に運び込んだようだ。
しかし、戦後になって業者の態度ががらりと変わってしまい、生活は大変だったらしい。
209:名無し三等兵
03/06/06 20:37
戦争で人を殺せば英雄、日常で人を殺せばキチガイ。
210:名無し三等兵
03/06/06 20:38
>>208
典型的な恩給欠格者ですね。
211:名無し三等兵
03/06/06 20:39
>>209
おまいは生活保護欠格者だ!働け!
212:名無し三等兵
03/06/06 20:40
>>211
はあ?
213:名無し三等兵
03/06/06 20:42 Z1QZGcIe
荒れるなよ
214:名無し三等兵
03/06/06 20:43
禿げるなよ
215:名無し三等兵
03/06/06 20:48
禿げてます
216:名無し三等兵
03/06/06 21:01
w
217:名無し三等兵
03/06/06 21:25
>>178,182
>ほぼ同じような話をばあちゃんから聞いたぞ!?
むむ、これは
「実は支那事変は実はワシがおこしたんだ・・・。」系の話ですな。
それはそれで興味深いですな。
218:名無し三等兵
03/06/06 21:27
>>191
ああ、ご愁傷様です。
自分も前スレと前々スレに書きましたが、
じいちゃん・ばあちゃん・父・叔父と満州からの帰還組です。
話を聞くと、本当に生きて変えれたのが不思議なくらいだった様子ですね。
219:名無し三等兵
03/06/06 21:32
>>127
うーん・・・。
検索結果とか出して、
いろいろとおじいさんに関して
調べられるようにしてあげたんだけどね・・・。
君がそういう態度ならば、このスレには来てほしくないなぁ・・・。
君の態度はおじいさんの体験を伝えたいのではなくて、
ただたんに虐殺をやっていたという話をしたいだけに見えますよ。
別に虐殺の話でもいいんですよ、実際にあっただろうしね。
ただ、そうやって、はじめは弟の仇討ちで、次はルソン島、
それで山下兵団とコロコロ話しが変わって、
それについての根拠の説明も無ければ、
周りを納得させることはできませんよ。
220:名無し三等兵
03/06/06 21:42
あっ、今思い出した。
これは戦争のはじまる前の話だけど、せっかくなので書かせてください。
これって、半分笑い話なんだけど、
じいさん、ばあさんが満州に行くときに、
同じ村の満州開拓団の全員が菩提寺に髪の毛を残していったそうです。
こんなこと、本人達はずーっと忘れていたのですが、
お寺さんが掃除した時にこの開拓団の髪の毛が出てきて、
遺族に配られたそうです。
その中に、じいさん・ばあさんの髪の毛もあったそうです。
預けてから、50年近く経っていた時でしたが、じいさんもボケてなくて、
ばあさんも元気な状態だったので、笑い話で済みました。
ちなみに、ばあちゃんは今も元気です。じいさんは年で大往生でした。
221:名無し三等兵
03/06/07 00:48
真の愛国者なら、お前らの祖先は虐殺した云々とケチをつけられても、
優雅に煙草を吹かしつつ
「しましたが何か?もしかして足りませんでしたか?」
と返すもんだ。
222:名無し三等兵
03/06/07 02:03
>127
そもそもてめえが厨房だ。
223:名無し三等兵
03/06/07 02:42
とりあえず127氏。
このスレではやってほしくないが、言い合い隔離スレあたりで
「南京大虐殺は無かった!」とコヴァを装ってカキコしてみれば、軍板住人が
日本軍の虐殺行為を全否定する立場を無条件に取るものでないこと、
ここではコヴァはボウフラ以下の扱いを受けていることを実感できるでしょう。
224:152
03/06/07 04:34 GBOJ9lrs
>>152 >>153のつづき
さて米軍に拘束された祖父だったが、何事もなく三日ほどで帰ってきた。
戦犯狩が横行する中、家族親族はひどく心配していたが、本人によれば
待遇はよく、「砂糖・クリーム入りのコーヒーが飲み放題」で、
「海軍時代の話」をいろいろ聞かれただけだったそうだ。
しかも仕事の話はさほど多くなく、気があった担当将校と
ゴルフやメシや音楽のハナシばかりしていたそうだから、祖父らしい。
しかも帰るときはオミヤゲがついた。
なにやらくだん担当の将校と仲良くなり米軍関係の仕事を斡旋されたのだ。
仕事は二種類。日本語文献の翻訳と港湾荷役作業の監督である。
前者は問題がなかった。入間かどこかのキャンプにいって仕事をするだけの
九時五時の仕事だ。
しかし港湾荷役作業のほうはそうはいかない。
不定期のうえ、六ヶ月ほどのあいだ北海道や沖縄などに行かなければならない。
半年も家族と別れるのは厳しいが、給料は良く、しかも米ドルで支払われる。
祖父も悩んだであろうことは、想像にやすい。
ただ叔母のハナシによると、当時の祖父は家族の心配をする必要があまりなかったそうだ。
終戦直前に祖母、つまり祖父の妻が亡くなったのだが、その後祖母の実家は
娘たち(母と叔母)を引き取って育てたいと申し出ていた。
男でひとつで娘たちを育てるのは大変であろう、という配慮もあったのだろう。
だが叔母によれば、祖父と祖母の関係が極めて悪化していた関係上、祖父と祖母の実家の仲が
ややこじれていたという事情もあったようだ。
結局祖父は娘たちを、妻の実家に預けたうえ、仕事を引き受けた。
海軍時代と同じで「仕事はひじょうは楽だった」と生前の祖父は面白可笑しく話してくれた。
かなりのホラを交えていたはずだが、それらは以下のようなハナシだった。
沖縄での港湾荷役の仕事は、主に出稼ぎフィリピン人と現地住民の混成部隊を監督する
仕事で、日本語も英語もイマイチ通じなかった。
225:152
03/06/07 04:36
どこでもメシは栄養満点だが最低だったので、PXで缶詰などを買って自炊した。
輸送中の「司令官用トレーラ」を勝手に「行方不明」にして、ここに仲間と一緒に住み着いた。
北海道はえらく寒いトコロで、宿舎のシャワーがよく故障して往生した。
韓国ではもぬけの殻になった女学校に居住区があったが、「日本人とバレるリンチされる」ので
敷地の外には一歩もでられなかった。
しかし朝鮮戦争中だったので戦時ボーナスがもらえた。
台湾では旧帝国海軍航空隊出身の台湾人パイロットが、航空会社のパイロット活躍していて
いろいろ便宜をはかってもらった。また満州航空や大日本航空の元パイトッとたちもいたので
あまり寂しくもなく、ペイも良かったので面白可笑しくすごすことができた。
輸送機や旅客機のキャビンはかなり寒く、いつも布団を被っていたが
ベッドがある点、今のジェット旅客機よりも快適だった。
台湾では外出が自由だったので、散々お大尽の生活をした。
詳細は省くが、祖父の弁によれば彼はアチコチで荷役関連の仕事をしていたらしい。
朝鮮・台湾といった外地を訪れたは、占領期の日本人にしては珍しいことであろう。
祖父はこうした暮らしを1950年代中旬まで続けたが、「根無し草生活」に飽きたそうで
ようやく祖国に定住することにした。
その後はいくつかの職を転々とした後、創設間もないとある航空会社に就職した
普通のサラリーマン生活を続けた。
私が知っている祖父の物語はこれで終わりだが、ハナシはまだ終わらない。
ここからは私の物語である。
亡くなる数年前から祖父は私の家で暮らしていた。そこで少年時代の私はよく祖父の話相手
をするトコロとなったのだが、老いても祖父は話し好きの話し上手で、
私の祖父のハナシをいつも楽しんでいた。もちろん少年ながらも祖父の語る物語を、
老人にありがちな罪のない愉快なホラ話として受け止めていたことは、言うまでもない。
上のハナシは基本的には生前の祖父から私が直接聞いた話である。
むろん周囲の親族から聴取した事柄や私の感想で、いくぶん行間を補ってはいるが。
226:152
03/06/07 04:39
ところで数年前滅多にないことだが親族会があった。
そこで叔母と話した私は、二つほどショッキングな事実を知った。
まずは英語。「お爺さんは英語が得意なモダンボーイ(?)でしたねえ。」
「アラヤダ、お父様は英語は全然ダメよ。そりゃ船会社にいたのだから少しはできたでしょうよ。」
「エ?でも英語が堪能で、それでアメリカ軍に雇われてたんでしょ?」
「ナニ言ってるの?あなたのお爺様がお得意だったのはロシア語と朝鮮語よ
お爺様の育ちは京城。ロシア語は独学みたいだったけど、私が小さいころのお父様は
いっつもロシア語の本を読んでおられたわ」
私は驚愕した。
「じゃあなんで米軍関連の仕事をしてたのかな?」
「さあ、わからないわ。でもお父様と一緒にいたアメリカ人はみんな日本語が話せたわよ。
みんな二世のひとだったけど。英語を使う必要がなかったのじゃない?」
帰り道、私は冷静になって考えてみた。
そんなみんな日本語が話せて二世ばかりいる部隊とはどんな部隊だろうか?
語学要員を抱えているのは主に軍政と情報関連しかないだろう。
「祖父は単なるスチャラカ根無し草ではなかったのではないか?」
そんな子供じみた期待感をこめて、色々考え、また探してはみたが成果はほとんどなかった。
しかし近年SIGINTについて調べていたとき、偶然ひとつの事実を発見した。
祖父は昭和26~27年の大半を朝鮮での「港湾荷役」に費やしたことはほぼ確認されている。
またその前後、祖父がジョンソン基地で「翻訳」の仕事をしていたこともわかっている。
母はツテで招かれたジョンソン基地でのクリスマスパーティについてよく記憶していた。
そして同時期の1950年から米空軍通信保全軍団(USAFSS)は、朝鮮半島で大規模な通信傍受作戦を
実施していた。
翌1951年9月,第6920保安群がジョンソン空軍基地(現空自入間基地)で編成され
朝鮮半島と日本をまたぐ形での活動を開始した。
部隊のなかでも空中通信傍受を専門とする第1無線機動大隊は、太平洋戦
(当時は陸軍航空軍所属)から活動していた部隊で占領後からジョンソン基地に進駐し、
日系二世語学要員を大量に要していた。
227:152
03/06/07 04:42
同部隊の活動はいまだ不明な点が多いが、朝鮮当時は朝鮮・中国空軍の戦闘機部隊の無線傍受を
空中で行う活動を行っており、空中COMINTの草分け的であった。
ところで朝鮮戦争勃発後、同部隊は朝鮮語・中国語・ロシア語(いわゆる露華鮮)を
専門とする傍受要員不足に悩んでいた。そこで目をつけられたのが、旧軍の情報関係者だった。
旧軍の情報関係者とG2、キャノン機関などとの関係は現在ではよく知られている。
終戦後、米情報機関は旧軍情報関係者の一部を保護し、彼らの有するロシア・中国関係情報を活用した。
またごく少数の日本人が、日本国内および大陸での現地人工作要員として活動したこともしられている。
ところでこれは最近明らかになりつつあることだけれども、第1無線機動大隊は、
朝鮮戦争中に、ロシア語・中国語・朝鮮語旧軍関係者を傍受要員としてひそかに活用していた。
この部隊は1951年の一時期、ソウル近郊の某女子高跡に駐留していたが、そこでは
日本人傍受要員によるロシア語・中国語傍受情報の書き起こし翻訳が行われていた。
彼らの存在は部隊外には極秘とされ、ペリメータの外には一歩もでられなかった。
ものの本によれば日本人要員の存在は、のちにリッジウェイ国連軍最高司令官の知るところとなり、
朝鮮半島から退去させられるところとなる。
これは共産側のプロパガンダに利用される懸念があったからである。
228:152
03/06/07 04:43
子供じみた期待感をこめて言わせていただければ、一見スチャラカだった私の祖父は
実は語学要員として、戦中戦後をとおして通信傍受任務の一端を担っていたのではなかろうか?
戦中は海軍、戦後は米軍にリクルートされたのであろう。
状況証拠とはいえ、期間やジョンソン基地、二世など符合する点がいくつかある。
また沖縄などでの港湾荷役監督は、実際には決して給料の良い仕事ではなかったし
祖父が述懐するほど、待遇の良い仕事ではなかった。
それに思い起こしてみれば、海軍省にせよ朝鮮にせよ、祖父はいつも「仕事は楽で閑だった」といって
立ち入ったハナシを不思議なほど一切しなかった。
また台湾についていえば、CIAが彼の地で大陸に対する偵察・工作員侵入のための
航空作戦を行っていたことは有名だし
これに旧満州航空関係者、旧大日本航空関係者が徴募されていたことは、よく知られている。
かつて『文芸春秋』に掲載された初代某空港長の物語はあまりに有名であろう。
彼らと付き合っていたという祖父の証言は、なんとも示唆的だ。
もちろんまったくの偶然かもしれないし、ハナシ自体、すべて祖父のホラだったことも
考えられる。寂しい人間がホラを飛ばすことはよくあることだし、「翻訳」の仕事も
じつは米軍基地での単純労働を言いつくろうウソだったのかもしれない。
しかしそれにしては、親族が思い起こす祖父の生活は、あまりに派手だった。
相変わらずホテルでメシを食い、将校クラブでメシを食い、服もお洒落で遊び人だった。
いやいや、これらも困窮者ならではの見栄だったのかもしれない。
それでも私は祖父が単なる根無し草のスチャラカではなかったのではないかと
思いたい。これ以上の調査はあえてやめておくことにはしているが。
229:152
03/06/07 04:50
なお米軍の空中SGINT活動や日本人要員については
Larry Tart,Robert Keefe
"The Price Of Vigilance
Attacks of Amercan Surveillance Floghts"
をとりわけ参照している。
祖父の話は別にしても大変面白い本なので、SIGINTに関心のある方には
ご購読をお勧めする。
つまらんハナシで申し訳ない。
しかし私個人としては、これで心がナンだかス~としたよ。
230:名無し三等兵
03/06/07 04:53
なるほど。
231:名無し三等兵
03/06/07 09:51 A1XhEDPR
内のじーさん、技術将校で日本にいた。戦時中も、芸者遊びだったとのこと。
敗戦時、全ての書類を焼いたとのこと。現在は軍人恩給と年金でのんびりやってます。
232:名無し三等兵
03/06/07 10:05
爺ちゃん(故)は中島飛行場で働いていたそうだ
東京か兵庫かどちらかは聞いていないが
恐らく東京で働いていたと思われる
そんなある日、爺ちゃんはうっかり機械に指一本挟んでしまって
半分程無くなった(まぁ、指一本で済んだので安いものだろう)
爺ちゃんが何故、徴兵されなかったのは謎だ
体力が無かったのか、何か病気か・・また、よほど機械整備の評価が良かったのか・・
手先も器用で、良く自作の戦闘機や船とか作ってた
生きていたら、戦闘機とかに、ついてイロイロ話し合ってみたかったのに・・
残念です。
233:_
03/06/07 10:06
URLリンク(homepage.mac.com)
234:名無し三等兵
03/06/07 10:11
↑自作の戦闘機や船はもちろん模型だよね?(汗
235:
03/06/07 11:14
>>232
>>爺ちゃんが何故、徴兵されなかったのは謎だ
うちの父方のGさんですが、かなりの年齢なのに赤紙がきた。
町の人達に送られて入営したものの、身体検査でテイ種不合格…
小柄で痩せすぎで、年くってたからというのが理由らしい。
つーか赤紙出す前にわからないのかって話しだが。
B-ちゃん曰く「恥ずかしくってはずかしくって、こっそり夜に家に帰ってきてもらった」そうな。
で、その漆職人のG-さんは戦時下の人手不足を補うべく、刑務所の刑務官をやってたそうな。
236:名無し三等兵
03/06/07 14:10
父方の曾祖父は身長「六尺」、父は170cm台、漏れも185cmという
ほぼ甲種合格の家系だというのに、何故か祖父だけは150cm弱で乙種?合格。
輜重兵として満州事変に行った。
馬に乗って移動していたところ、その馬が地雷を踏んでしまい、両脇にいた
部下ともども即死。自分だけ馬の胴体の陰になり無傷だったといい、(祖母の
話に拠れば)ずっとそれを苦にしていた。
最終階級は伍長。
その祖父が10年前に死んだあと遺品の整理をしていたら、戦地から家族に
宛てた絵葉書が出てきた。その本文が
「○○子、○○(子供の名前)元氣ニ シテイマスカ。
オ父サンハ マイニチ元氣デ シナノ兵タイヲ 殺シテイマス」
もちろん上官の検閲印付きだが、そこに名前を書かれた伯母たちは、
「こんな手紙を小さい子供に出すのが変じゃない時代だったんだよネェ」と、
茶飲み話にケラケラ笑ってました。
237:名無し三等兵
03/06/07 14:18
>>152
面白い!!
じいさんがホラ吹きでも、スパイでもなんでもいい!!
ありがと!!
238:名無し三等兵
03/06/07 14:20
>>236
>「こんな手紙を小さい子供に出すのが変じゃない時代だったんだよネェ」と、
これは、それっぽいなぁ・・・。
手紙
出すにも、検閲が入るから、
こういう事を書くほうが届きやすいとか聞きますしね。
239:名無し三等兵
03/06/07 14:21
うちのじいさまは鈴鹿の軍教に逝ったあとに南方派遣要員として向かったらしいが奇跡的に撃沈されることなくビルマだかどこだかに到着。
話はあんまり聞いてないが当時の写真を見るからに整備要員だったようだ。つうか鈴鹿っていうじてんで航空軍なんだっけか。
そんなじいさまも去年畑でトラクターの下敷きになって天に召されました。合掌。
240:名無し三等兵
03/06/07 17:15
戦場に行く汽車に乗ったが、途中で汽車を仲間と共に間違えて戻ってきた。 そしてその後すぐ終戦。 おかげで今の私の姿があります。 ありがとう。
241:名無し三等兵
03/06/07 17:15
戦場に行く汽車に乗ったが、途中で汽車を仲間と共に間違えて戻ってきた。
そしてその後すぐ終戦。
おかげで今の私の姿があります。
ありがとう。
242:名無し三等兵
03/06/07 19:54
今BSで太平洋戦争従軍記やっているよ
243:名無し三等兵
03/06/07 21:46
このスレを見てたらすごいじいちゃんに会いたくなってきた。
昔は軍とか戦争の知識なんてぜんぜん無かったから、じいちゃんが嬉しそうに戦友
の話とか戦争中の話してるのもあんまり興味無く聞いてたしなあ・・・
そういえば、補給が来ないんで飯盒に雑草を入れて鍋をつくったときに、妙に美味いと
おもったら中に野ネズミが入ってた・・・っていう話もあったな・・・。
いつも重たい背嚢を背負って走り回ってたっていってたっけ・・・
いまはもういないけど、おれはじいちゃんを誇りに思うよ
244:名無し三等兵
03/06/07 21:49 aEIjGIOb
内のジーサン、知り合いの軍上層部にお願いして、国内の倉庫勤務にしてもらったらしい。資材の調達担当だったので、敗戦直後までモノには不自由しなかったとのこと。周囲も尊敬のまなざしでみてくれたので良かったとのこと。
今の自衛隊は尊敬されずかわいそうとのこと。
245:名無し三等兵
03/06/07 22:27
何でもバーさんが芸者かなんかで少将クラスの人相手したらしい
246:名無し三等兵
03/06/07 23:37
>>239
整備兵士さんとかの話が出てこないから、貴重ですね。
>そんなじいさまも去年畑でトラクターの下敷きになって天に召されました。合掌。
これは・・・、合掌です。
しかし、ボケて家族に迷惑かけるより、良い死に方だったかもですね。
>>244
>今の自衛隊は尊敬されずかわいそうとのこと。
それは、いざ、有事が起これば尊敬されるようになると思われ。
247:名無し三等兵
03/06/07 23:40
>>246
したり顔して「良い死に方だったかもですね」とか言ってんじゃねぇよクソが
248:名無し三等兵
03/06/07 23:54 avW3R8g7
>246
よくないだろ
ボケても生きている方が嬉しい
249:名無し三等兵
03/06/07 23:55
>>168
うちの義理の伯父が○レの設計メンバーだったよ。
幹候に工兵科ができたときの一期生で、暁(船舶工兵)の
中隊長やった次の任地が大阪造兵廠で、新兵器の電気系統の設計を
担当したとの事。で、そのあと神戸の○レを製作する軍需工場で監督官に
なったと。ベニヤ板製のローテク兵器で、エンジニアとして、生涯
最大の恥だと言ってた。
当時の日本の工業水準が欧米とかけ離れていた一例として、
工作機械がアメリカ製で、消耗部品の調達に困ったこと、
銅線が紙巻で耐性に欠けること、
兵器の電源電圧が完全には安定できないこと
などのことを聞いた。
そのほか、中支時代のこととか結構聞いたんだけども、伯父は
母とは親子ほど年齢が離れてて、もうすぐ90歳になるんで半ボケ気味。
数年前までは頭もしっかりしてたんだけどね。
250:名無し三等兵
03/06/07 23:57
>>246
つーかボケると決まったわけでもなし。
煽りだろ。煽りだと言ってくれ246
251:名無し三等兵
03/06/08 00:03
>>247,248,250
ああ、ゴメン、気分悪くしたね。
実際に、ウチのじいさんがボケて、7年かな?寝たきりだったのよ。
それはもう大変だったよ。
ばあさんだけでは面倒は見られないし、お金はかかるしで。
それで、十分に長生きして、
このケースだと80前後だったでしょ、おじいさん。
家族に迷惑かけず、ポックリいけるならば、
幸せだと、羨ましいとおもったんよ。
252:名無し三等兵
03/06/08 00:21 jCok9C5O
>251
私の祖父は結婚3年目でフィリピンに出征、洞窟に立てこもって
最期は火炎放射器で焼き殺されたそうな。部隊はほぼ全滅で、数
少ない生き残りの方からの伝聞で詳細はわからない。
先日、祖母が亡くなった。
で、祖母の病床の枕もとから包みが一つ出てきた。
何かと思ったら祖父との手紙を全部残していたんだわ。
それを読みながら涙が止まらなかったよ。
253:名無し三等兵
03/06/08 00:45
>>252
いいおじいさんだったんだろうね・・・。
こっちまで涙がでて来る・・・。
254:名無し三等兵
03/06/08 00:55 BmFo5DG7
満州にて野砲隊?の隊長をしていたそうです。その為馬に乗っていたそうです。
実家には、マントを羽織った祖父が馬に乗っている写真があります。
昔は軍刀や鉄兜があったんですが、今はどこへいったやら。
負傷して、弾がまだ体にあると聞いていましたが、亡くなってお骨の中に金属片があるのを見つけた時、なぜか涙がでて止まりませんでした。
255:名無し三等兵
03/06/08 01:05 RJdeyIs2
サイパンにて
飛行場整備。
空襲され防空壕に非難。
苦しそうにしている人がいたので
場所を代わってあげた直後、(おそらく爆撃により)
今までいた位置が崩れる。代わった人はもちろん死亡
人がつぶれる音というやつを聞いたそうである。
脚を負傷、長野の陸軍病院にて終戦。
※小学校で平和教育(南京とかの生々しいやつ)のあと
俺は祖父のこと嫌ってしまった
・・・中国で悪いことをできるわけでもないのに・・。
256:名無し三等兵
03/06/08 01:06
曽祖父は日露戦争で(当時陸軍中尉)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、愛刀で斬りまくった。
12人目までは覚えていたそうだ。
切っ先が飛び、刃が鋸みたいになるような激戦で
自身も3発被弾し動けなくなったので、敵陣地の中で「死んだフリ」
をして捕虜にならずに済んだ。
257:255
03/06/08 01:06 RJdeyIs2
孫に嫌われたまま
死んでしまって取り返しがつかない。。
わるいことをした 。
258:名無し三等兵
03/06/08 01:08
>>257
明日でいいから仏壇かお墓に謝ってあげたら?
孫に嫌われてひどく落ち込んでるから
259:名無し三等兵
03/06/08 02:17
>>256
ネタもほどほどにしろ
260:名無し三等兵
03/06/08 03:00
西南戦争でもよかですかのう・・・
261:名無し三等兵
03/06/08 07:01
曽祖父は日露戦争で(当時元只のプログラマー)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、バレットタイムで撃ちまくった。
機関銃150発目まではエビゾリでよけていたそうだ。
ビルからビルへ飛び、ワイヤーがすり減るような激戦で
自身が救世主である事を自覚したので、ロスケの群れを相手に棍棒一本で「百人斬り」
をしてザイオンが破られずに済んだ。
262:256
03/06/08 16:29 4xSIdHMv
戦死者収容の休戦時に味方にみつけてもらったそうな。
263:>>256
03/06/08 18:24 uKfD1wMQ
そのスーパー日本刀を拝めさせてください!!
12人も殺せる日本刀!!
>>256さん、あなたは神ですねwww
ネタなら>>261の方がまだマシです
264:_
03/06/08 18:24
URLリンク(kame.kakiko.com)
265:名無し三等兵
03/06/08 18:28
>>263
どっかの小説家がつくった嘘を信じちゃいかんよ
日本刀は(刀にもよるが)そのぐらいは斬れるもんだYO
266:名無し三等兵
03/06/08 18:31
>>263
同田貫上野介だったそうです
残念ながら残ってませんが
267:名無し三等兵
03/06/08 18:53
>>263は日本刀より青龍刀が好きなシナ人。
268:名無し三等兵
03/06/08 19:21
まあクリスティーズでは日本刀より青龍刀のほうが高額で落札されているわけだが。
269:名無し三等兵
03/06/08 19:49
>>268
うそ、それじゃあ日本刀買いに行かないと!
外人には日本刀のよさは分からんのかねえ、サムライソードってだけで。
270:名無し三等兵
03/06/08 20:12
日本刀は実際には血糊で鈍っても多少は切れたりする。
切れなくなっても叩けば鋼鉄なのですげー凶悪だし、
突けば刺し殺せる。
よって12人も殺せるのもあながち嘘じゃないんだよねえ。
ただ軍刀サーベルは駄目。 ありゃ日本刀じゃない。
ろくに切れやしないし下手すると簡単に折れるんだよ…
271:名無し三等兵
03/06/08 21:15
いきなり話をもとに戻すみたいで悪いが、漏れのじいちゃんは高射砲第十六連隊ってとこにいて、パレンバンっていうインドネシアのどこかにいたらしい。
話が漠然としすぎてて良くわからない。
何か知ってるひと、情報キンボヌ
272:名無し三等兵
03/06/08 21:32
>>271
パレンバンは有名な落下傘降下作戦が行われた場所、精油所(油田だっけ?)がある
たぶんその精油所の防空にあたった部隊だと思われる
273:名無し三等兵
03/06/08 21:58
>>271
このページなんてどうですかね?
まだご存命ですから、疑問点は直接聞いてみるとよいと思います。
URLリンク(www.nsknet.or.jp)
274:名無し三等兵
03/06/08 22:51
>>271
16高砲隊は中国だろ。南京とか上海とか。
275:名無し三等兵
03/06/08 22:55
>>274
当時よくあった部隊の一部派遣かなんかじゃない?
276:名無し三等兵
03/06/08 22:56 qY5k9U9W
ひいじいちゃんの話なんですが…
ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
ドイツの戦艦に乗っていてイギリスの北のほうの大きな港に攻めに(?)行ったときに港の中で戦艦が沈んで亡くなったそうです
ちなみにその直後に戦争は終わったそうです
ドイツ人のひいばあちゃんは「泳げないのに水兵にされちゃって運が悪かった」と言っていたそうです
何分まだ生きてる証言者が母親しかいないので曖昧な部分が多いのですが、おそらく第一次世界大戦の時の話なんじゃないかと思います
277:名無し三等兵
03/06/08 23:00 y3dNzijE
どうたぬきっていやぁ、確か実戦刀の中でも耐久性がずば抜けていたと以前聞いた事が。
あながちネタとも言えないのでは?
278:271
03/06/08 23:08
おお、みなさんサンクスです。
自分でも資料さがしてみたら、連隊歌の歌詞が出てきました。
聖戦の下見よここに 大陸の空制覇して
溌刺の士気厳然と 首都南京に団結す
高砲十六祖国の前衛
勅諭深く畏れみて 軍紀正しく武技を練り
柴金山上なお遥か 長江千里守備に恃す
高砲十六中支の護り
敵翼いくつ襲うとも 撃墜々々又撃墜
第一線に躍進し 武威は赫たり高射砲
高砲十六我等の戦史
東亜の空の朝みどり 雲らす仇をうち懲し
我が騎隊の征くところ 天に輝け日章旗
高砲十六祖国の希望
・・・そうやら本当に中国みたいですね。じいちゃんもこれ歌ってたのか・・・
279:名無し三等兵
03/06/08 23:17
>>276
ロシア人とドイツ人の血を引く方ですか?
280:名無し三等兵
03/06/08 23:24
>>276
それは漠然としすぎていて、なんともですね・・・。
第一次世界大戦かな?
これは、普通にありえます。
昔から、流通がありますから。
>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
日本以外だと情報がわからないので、このスレでどんな場所か、
どんな船だったのか聞いてみると良いです。
第一次世界大戦Part2【フーチェル戦術】
スレリンク(army板)
落ちちゃったけど、このスレに詳しい方がいました。
【塹壕】第一次世界大戦Part1【機関銃】
スレリンク(army板)
また、世界史板にも詳しい方がいらっしゃいます。
ここでも聞いてみると良いですね。
第一次世界大戦の起源を詳しく教えて!
スレリンク(whis板)
281:
03/06/09 00:12 xjb4adFI
>>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
第2次の時だったら、ロシア人の武装親衛隊の部隊があったけどね。
「ロア」とかなんとか言って、反共ロシア人の集まりだけど。
282:名無し三等兵
03/06/09 00:13
>>279、>>280
4分の1ドイツ人だと思っていたら母に8分の1だと訂正されたことで初めてしりました
どういう事情でロシア人がドイツで水兵になったのかはさっぱりわかりません
確実なのはばあちゃんがドイツに来た日本人と結婚して、太平洋戦争が終わってから日本に来たと言う事だけです
ちなみにじいちゃんは軍人ではありません。 商売でドイツに来ていたようです
「もう戦争終わりだったのに…ツイてない!」みたいなことをよく聞いたそうです
283:名無し三等兵
03/06/09 01:38
>>282
なんだとー!!
という事は、君のじいちゃん、ばあちゃんは
ヨーロッパ戦線にいたことになる。
12日までに、レポートに2000文字以上にして提出するように。
284:名無し三等兵
03/06/09 01:52
>>274
高射砲16連隊は南京編成だけど、
パレンバン派遣後防空101連隊に改編されて、
更に高射砲第101連隊に改編されてるよ。
285:名無し三等兵
03/06/09 16:43 m7ebpYHk
私のおじいちゃんは陸軍の特務機関にいたそうです。
私が小学校の時亡くなりましたが、その後、左翼思想に染まり
おじいちゃんの戦争体験を聞かずに今まできました。
洗脳がとけた今、改めていろいろ聞いとけばよかったと
後悔しています。おじいちゃんにとても申し訳ない。
だから少しでもおじいちゃんについて調べたいと思っています。
所属していたところが特務機関というところなのでなかなか
わからないのですが、何か資料や書籍などあるでしょうか。
286:名無し三等兵
03/06/09 18:48
>>285
おじいさんの軌跡をたどるのは、良い供養になりますね。
特務機関員についてはとりあえず、検索だけしてみると良いですよ。
例えば、273のページにも特務機関員が出てきますね。
(もしかしてこの人?はないだろうね。)
勤務地や、出身地、軍籍があったのかなど、
できるだけ詳しく書いてくれれば、アドバイスできると思います。
287:名無し三等兵
03/06/09 20:16 m7ebpYHk
>286
ありがとうございます。満州や吉林省、後半は日本各地で
勤務していたようです。地道に探してみようと思います。ちょくちょく
ここものぞかせていただきます。
288:名無し三等兵
03/06/09 21:12
>>287
満州だと、満鉄の特務機関が有名だね。
ただ、いろいろと動いているから、ちがうかな。
特務機関員って、ちゃんとした軍属じゃない人もいるし、
スパイなので隠すことが多いから、
なかなか追跡が難しいですね。
ガンガッテ、探してみると良いですよ。
289:名無し三等兵
03/06/09 21:14 o22ksAPD
内のじいさん、戦争中、アメリカにいて、米軍に参加。
今でも日本に勝ててよかったといってます。今は日本人です。
290:名無し三等兵
03/06/09 21:48
>>289
パープルハートの人かな?
ヨーロッパ戦線?それとも、太平洋戦線?
もし、よかったら詳しく書いてください。
291:名無し三等兵
03/06/09 21:50 m7ebpYHk
>288
がんばります。
話は違いますが、父と母におじいちゃんの話を聞く過程で
空襲の話になりました。
父と母は鹿児島にいたのですが、鹿児島も空襲がひどかった
ようです。しかし、人間とはたくましく、空襲があるのに鹿児島湾で
頭まで海につかり手だけ出して釣り竿で魚を釣ろうとしていた人が
いたそうです。
本当かなぁ・・・と思いつつ、不謹慎ながら笑ってしまいました。
292:名無し三等兵
03/06/09 21:55
>>289
日系?
293:
03/06/09 22:40 GrMA7bxl
ウチのじいさんは
徴兵検査で身長が170cm
だから甲種合格だったが
視力が0.6程度だった為射撃が
水準以下w。よって第一補充兵となる。
昭和19年1月佐倉連隊で北シナへいく、都内だがw
初年兵だったため往復ビンタは300回程度食らうw
昭和20年勤めていた日本無線三鷹工場の要請で
帰国。原隊復帰する前に正月だからという理由で
自宅に帰るw。自宅で飯食った後、武装返還。
受付の人に、脱走だぞヲイ
という突っ込みをうけ下関から40時間かかった
と嘘をついて難を逃れる。大正五年生まれ88歳
存命です。
294:名無し三等兵
03/06/09 23:01 x+U2HqHB
父方のじーさんは、開戦当時ヤンマーでエンジンを作っていた為、
召集はなかったと言ってました。
母方のじーさんは海軍大尉。舞鶴にいたそうですが、すでに
亡くなっているため詳細は不明。過去に立派な日本刀と二種軍装を
見せてもらいました。
295:名無し三等兵
03/06/09 23:01
なんかwの入れ方が??だけど元気でナニよりだね
296:名無し三等兵
03/06/11 00:09
>>295
おじいちゃん本人が書きこんでるんだから仕方ない
297:名無し三等兵
03/06/11 15:43
漏れのじいちゃんじゃないけど、体験談があるサイト。
URLリンク(homepage1.nifty.com)
298:ちっとん
03/06/11 19:44 0jDmSv4v
わしの叔父が二人戦争にかかわったが、はなししていいか?
299:名無し三等兵
03/06/11 19:45
ぜひ
300:名無し三等兵
03/06/11 19:54
300GET
301:名無し三等兵
03/06/11 20:47
>>297
まだ途中までしか読んでないけどサヨっぽいな。
中帰連か?
302:名無し三等兵
03/06/11 21:09
>>301の脳内では初年兵苛めや日本軍の出鱈目さを身を持って体験した人がその事を書いたら「サヨク」なんだそうです。
( ´,_ゝ`)プッ
303:名無し三等兵
03/06/11 21:21
>>302
土井たか子
304:名無し三等兵
03/06/11 21:52
>>301
そういういぢわる、言わないの!!
人の考え方はそれぞれだし、伝えたい事もそれぞれ。
実際に体験された方の御話なんだから、
思想は置いといて、感謝して読むべし。
ここなんて、当時の緊迫感が伝わって、貴重な話だと思うよ。
やはり、戦後すぐに線がひかれたみたいですね。
URLリンク(homepage1.nifty.com)
305:名無し三等兵
03/06/11 22:59
URLリンク(homepage1.nifty.com)
(´Д`;)ハアハア
306:298ちっとん
03/06/12 06:04
一番上のおじさんは戦死。
陸軍仕官学校出身のバリバリの軍人。一族の誇りだった。
隼に乗って大平洋各地へ転戦。最後の出撃はレイテ戦だった。
つづきはこんどね。
307:名無し三等兵
03/06/12 06:34 WKkSsQgU
パトリオットが ガシュガシュガシュガシュゥゥいうて巡航ミサイルがゴォォォいうてドカーンいうてたらしいですはい。
308:名無し三等兵
03/06/12 06:36
うちの祖父は、戦時中糖尿病で病死しました。
母の小さい時、印象的だったのは森永のキャラメルの大箱があった事です。
309:名無し三等兵
03/06/12 06:36
>>307
(・∀・)カエレ!!
310:名無し三等兵
03/06/12 07:56
>>307
(・∀・)ニヤニヤ
311:名無し三等兵
03/06/12 08:15
>>310
(・∀・)カエレ!!
312:名無し三等兵
03/06/12 09:27
>>283
母に色々と聞いてみたけど
「じいちゃん、ばあちゃんはフランクフルトで空襲に会って大変だったらしい」
とか
「戦争が終わって日本に避難してきたけど避難する先を間違えた」
なんて程度のことしか聞けませんでした
競馬のHP見てて思い出したのですか、ひいじいちゃんのドイツ戦艦が沈んだとこはスカパフロウって港だったと思います
313:名無し三等兵
03/06/12 11:18
スカパフローで自沈したのならWW1の時の奴だけど自沈したの一杯居たはず
314:名無し三等兵
03/06/12 11:42
俺のじいちゃん…
やめた。書くのがめんどくさい
315:名無し三等兵
03/06/12 12:55
>>314
(・∀・)ヲ?チュウボウコエーヨ!
316:名無し三等兵
03/06/12 15:41
うちの近くにいつも孫らしき子供と遊んでいるおじいちゃんが
いるのですが、話をするのにはどうしたらいいでしょう?
今日はじめてこんにちはと言ったら向こうも返してくれました。
317:名無し三等兵
03/06/12 15:51 n50Asi9y
>>316
挨拶→天気の話し→近所の話題→自分の話し
を経てから相手の話しに入った方がいいんじゃない?
聞きたいのはやはり戦争体験なのかい?
318:名無し三等兵
03/06/12 16:00
>317
やはり聞かないほうがいいのでしょうか?
319:名無し三等兵
03/06/12 16:06
ひいじいちゃんは戦時中かなハワイでシェフやってた
かなり信頼されてたらしく
日本人ではじめて議員だかになったって
95歳くらいで死んだけど
320:名無し三等兵
03/06/12 16:13
父方の祖父は部落出身で米軍が捨てたドラム缶が
空から落っこちてきて当たりそうになったと言っていた
ごめん、戦争とはあんま関係ないワラ
321:名無し三等兵
03/06/12 16:14
俺のじいちゃんは軍医だったらしいけど、戦争の話になると機嫌が悪くなってどこかに行ってしまう。
戦争の体験を聞いておくべきなのかな。
怖いけど
322:名無し三等兵
03/06/12 16:23
>>321
きっとすげー情けない事したんだよ
恥ずかしくいて行っちゃうんだって
323:名無し三等兵
03/06/12 17:03
>>321
ミドリ十字の関係者?
と聞いてみる。((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル
324:名無し三等兵
03/06/12 17:49
「オガライト」って言うおがくずベースの燃料があるんだけど、
それが子供の頃に見た焼夷弾にあまりに似てたんで、最初に見たときは漏らしちまったそうだ
ちなみに叔父さんの話なわけだが(歳がバレるな…)
子供の頃に焼夷弾の不発弾を拾って遊んでいるうちに発火し、子供2人が焼死。
叔父さん自身も大火傷したらしい
325:298ちっとん
03/06/12 22:50
>>306
つづき。
レイテ戦時、飛行場に大量のグラマンが来襲。隊長だった叔父は「みんな、おれにつづけ!」と、わずかな機数で迎撃にむかい、そして、帰ってこなかった。もちろん遺骨もなく、あるのは出撃前に残した遺髪だけ。
うちの祖父は訃報を聞いても戦後まで信じなかったという。
上記の話をしてくれたのは、レイテで生き残った整備士が田舎まできて話してくれたという。
もう一人の叔父のはなしはまた今度。
326:名無し三等兵
03/06/13 01:20 E+xObtjE
うちのじいさんはフィリピンで陸軍の曹長をやっていたらしい.
米軍が上陸してきて,機関銃で足を砕かれて復員できたらしい.
327:名無し三等兵
03/06/13 01:41
じいさんじゃなくて父親の話ですが、戦争末期に三十半ばにして徴兵にとられた。
詳しいことは知らないが、九州の飛行場で雑用みたいなことやってたときに、艦載機
艦載機に掃射され、左腕を根元から切断するはめになった。
私も疎開中にお寺の境内で艦載機に機銃掃射されてすごく怖かった思いがある。
当時、私達の地方(東海地方)は、小型機は全部「艦載機」、B29は「ビーニクー」と
呼んでましたが、他の地方ではどうだったのでしょうか。
本を読んでもB29を「ビーニクー」と呼んでいたという記述を見たことがないのですが。
328:名無し三等兵
03/06/13 02:15
おれんちも東海地方(やや関西より)で空襲でメタメタにやられてて、
親戚なんかが集まったとき空襲の話、聞くけど、フツーにビーニジュウク
って言ってますよ。
艦載機に襲われた話も聞いたことないな。
つか、>>327おいくつですか?
329:名無し三等兵
03/06/13 10:47
戦艦武蔵でコックやってたって聞いた
330:ななし
03/06/13 14:49 80I7onBD
290さんへ
もしかして日系アメリカ人ですか?
詳細きぼんぬ。
331:
03/06/13 15:15
うちのおじいちゃんは早稲田大学生でした。
サイパンに送られる輸送船が沈没。
サメのいる海で数時間浮いてから救助され、戻ってからは
怪我をしたので終戦まで病院にいました。
もし沈没していなくてそのまま行っていたら死んでただろうと
のことです。
332:名無し三等兵
03/06/13 15:39
>>329
小型潜水艇で戦艦武蔵に忍び込んだ米軍の戦闘員と両手に百式構えて戦うわけですね。
沈 黙 の 戦 艦
333:名無し三等兵
03/06/14 12:56
俺は沖縄が大好きで何度も観光旅行に行きます
仲良くなった年配のタクシー運転手さんに戦争
の体験を聞かせてもらったけど、印象的だったのは
「戦争は怖かったけど兵隊さんは皆優しかった」
と諭すようにしみじみ語ってた事です。当時
小学校4年生の運転手さんは兵隊が珍しく頻繁に兵舎
をこっそり覗きに行ってたらしい、ある日兵隊に
見つかり怒られるのかと思ったら「坊主!男だったら
コソコソ見るな!堂々と見ろ!」と兵舎に招いてくれて
夕食をご馳走になった、無骨な顔に囲まれて怖かったそうだが
残さず食べて「坊主もっと食え!」と褒められたそうだ
「また来い」、「勉強しろよ」、「父ちゃん母ちゃんを大事にしろよ」
と頭を撫でられて乾パンや金平糖をお土産にもらい帰ってきたそうだ
金平糖をかじりながらブラブラ夜道を歩いて帰ったあの日の事を
「金平糖がおいしかった事を今でも思い出すねぇ」って笑っておられた
「後で父ちゃんに大目玉を喰らった」そうだ。
また来年もお元気であればあの運転手さんに会いにいこうと思ってます。
334:名無し三等兵
03/06/14 13:42
>>191
ひょっとしたらうちのじいさんの恩人かもしれません。
うちの爺さんは奉天の獣疫研究所で細菌研究をしていましたが
獣医として入隊、しかしその後獣医免許がないことがわかり
40過ぎで二等兵、そのままシベリアのバレイに抑留され終戦を迎えました。
詳しくは聞いておりませんので、誤りがあるかもしれませんが
上官に教え子か後輩かどちらかがいて、そのおかげで爺さんは
割とすぐに前線からはずされて、今にしてみれば命だけは
助かったということを婆さんが言っておりました。
終戦後一人叔父が生まれまして、爺さんにとってのひ孫も
3人おります。もしその上官があなたのおじいさんだと
したら一族に代わり是非この場にて失礼ではありますが
御礼の気持ちをお伝え申し上げます。
335:名無し三等兵
03/06/14 13:44
失礼、変な敬語表現になってしまいました。
厚く御礼を申し上げます。
336:名無し三等兵
03/06/14 14:03
>>334
ヤバイそのおじいちゃんヤバイよ。(苦笑
337:名無し三等兵
03/06/14 15:41
>>336
すぐに人体実験と結びつけるけど、
彼らの研究は、風土病などのまじめな医療が主任務だよ。
生物兵器などの研究は、その中の一つですがな。
338:名無し三等兵
03/06/14 17:30
父方の祖父は、中国へ向かう途中に船から落下。
目の辺りの傷が治らず、ばい菌にやられて失明。程なく帰還。
何故か仕事が来ないまま終戦。
339:334
03/06/14 18:36
>>334-335
うちのじいさんがいた奉天の獣疫研究所は満鉄所属でしたから
731部隊や生物兵器とは基本的に関係はありません。
炭疽菌や鼻疽菌、豚コレラなどは満州の風土病でしたから
当然研究はしていました。それは事実です。
ですがじいさんやじいさんの同僚の名誉にかけて
生物兵器の研究や人体実験は行っていなかったと断言させて
いただきます。
340:名無し三等兵
03/06/14 18:49
うちのじいさんは南の島の方へ(何処だかは聞いてたけど忘れた)行って終戦間際に熱病にかかったそうです。
で、引き上げの際に病気で帰れず、帰ってきたのは自分の葬式も終わって墓も立った後だったそうです。
つうか一緒に墓参りに行くと墓に爺さんの名前と命日(戦時中の適当な日にちらしい)が彫ってあって。
見るたびに本人(存命ですよ)苦笑してます。
341:ちっとん
03/06/14 19:44
仕事で、市内の住民の中から戦争体験者のルポを聞き取ったことがある。
5人くらい聞いたかなあ。
342:名無し三等兵
03/06/14 19:48
俺の大叔父(父方ばあさんの弟)は桐型駆逐艦の艦長やってたんだけど、
艦橋に米戦闘機の機銃掃射を受けて、頬の横をかすめたとか。
343:名無し三等兵
03/06/14 20:43
>>340
>で、引き上げの際に病気で帰れず、帰ってきたのは自分の葬式も終わって墓も立った後だったそうです。
>つうか一緒に墓参りに行くと墓に爺さんの名前と命日(戦時中の適当な日にちらしい)が彫ってあって。
>見るたびに本人(存命ですよ)苦笑してます。
まさに幽霊。
つか、墓石立て替えろよ!!
笑い事で済んでよかったですな。
344:名無し三等兵
03/06/14 23:14 Pk1V7Kac
うちのじいちゃんはよく分からん。
年は忘れたが今80過ぎでソ連へ戦いに行ったらしい。
医者に医学を教えてたとか医者やってたとか、曖昧な事しか聞いてない。
酒飲みで新しい物好きで借金してでも新製品を購入するような人らしい。
今はニタニタ笑って酒飲んでタバコすって暮らしてる。。。
345:名無し三等兵
03/06/14 23:17
このスレは本当に面白い。
ブクマクして毎日大爆笑しています。
346:名無し三等兵
03/06/14 23:22
>>345
隔離病棟からの書き込みご苦労様。
347:345
03/06/14 23:39
>>1-346
激しくワラタ!
348:名無し三等兵
03/06/14 23:57 GjRoiO9f
大東亜共同宣言
抑(そもそ)も世界各国が各(おのおの)其の所を得相倚(あひよ)り相扶(あひたす)けて万邦共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義なり
然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり
大東亜戦争の原因茲に存す
大東亜各国は提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏より解放して其の自存自衛を全(まつた)うし左(*原文のまま)の綱領に基づき大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。
一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確立し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す
一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す
一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚す
一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す
一、大東亜各国は万邦との交誼を篤(あつ)うし人種差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す
349:名無し三等兵
03/06/16 01:27
>>340
生きて帰ってこれてよかったね。うちの大叔父は、ニューギニア
からの復員船のなかで衰弱死しますたです。
350:名無し三等兵
03/06/16 13:16 B5oiAytu
私の祖父(すでに亡くなっている)は戦争末期頃に南方戦線に行くことになったそうだ。
しかし、その移送の途中に米軍に攻撃されて船は沈没。
祖父は何とか木片をつかみ、台湾やら中国に漂着したそうだ。
そこで飛行機の整備兵をやってるうちに終戦を迎えた。
その船に乗って生き残っていたのは10人ぐらいだったらしい。
船が撃沈しなくても南方に行く予定だったんだし、
なんと言う奇跡なんだろうと子供心に残りました。
351:名無し三等兵
03/06/16 14:05
私の祖父 中学校?位で満州に行きました
その後 重歩兵に配属
敗戦後 戦犯で、シベリア抑留
5年後 舞鶴港から帰国
数十年後 孫の私に武勇伝の数々を語る
数年後 孫の私に現地の芸者とのハメ撮り写真を発見される
現在 存命 おじいちゃん長生きしてね
352:名無し三等兵
03/06/16 14:43 H7FfFIgC
最近、母方の祖母の葬儀で田舎へ行って遺品の整理をしていたら、祖母が大事にしていた物の詰まった戸棚から、祖母より先に無くなった祖父の遺品が出てきました。
「海軍兵長○○」と書かれたアルマイト食器が数個、駆逐艦クラスとおぼしき軍艦の前での乗員集合写真、祖父が出征時に、祖母や幼い母と写した記念写真。
ありきたりながら、歴史の彼方の戦争が、一気に身近に感じた瞬間でした・・・。
353:名無し三等兵
03/06/16 15:54
私の祖父ではないのだが、一回だけの取引をしたある個人商店主が凄かった。
初見で「お元気でつねぇ」といったら、米寿超のご高齢で現役。
MT車を駆りながら、異常にテンションが高い。
車内でなぜか戦争の話となったら、
爺「わたしゃねぇ!インパール逝ったんですよっ」
漏「えええ よく帰れましたねぇ」
爺「そりゃねぇ、わたしゃ○○町(県内でも有数の山奥の町)のねぇ、
炭焼きの家なんですよっ。いってみりゃ山岳民族ですから!
だから生き残ったんですねぇっ」(←この通りのテンションの高さ)
漏「大変だったでしょ」
爺「大変でしたねぇっ、町の出身の人はだいたい死んじゃったからっ!」
時間が短かったので、これくらいしか聞けなかったけれど、
『八甲田山死の彷徨』でも山奥の徴兵が生き残ったのを思い出しますた。
354:名無し三等兵
03/06/16 21:05
>>353
すんげえ貴重な話だ!!
>『八甲田山死の彷徨』でも山奥の徴兵が生き残ったのを思い出しますた。
この部分、台湾の高砂族(台湾の少数民族)のいる部隊は
生還率が高かったそうです。
それは、南方の山の中でも食料を見つけられるから。
だから、高砂族の兵士さんは可愛がられたと言っていました。
高砂族は部族が違うと、違う言語なので、
今でも長老達の共通語は日本語だと言っていました。
日本に来たら、やはり靖国神社にお参りに来ていました。
「自分は日本人として育って、日本人として戦ったが、
敗戦で中国人にされてしまった。
それでも、少数民族なので、自分が中国人という実感が無い。
やはり自分の祖国は靖国神社と日本なのでは?という感覚が今でもある」
と言っておりました。
これ、読売新聞からです。
355:名無し三等兵
03/06/16 21:35
父方の祖父は南の島で飛行機の整備兵だったそうです。
現地でマラリアを患い、帰国してからは自転車や自動車を扱う個人商店をやっておりましたが、
50を過ぎて肝硬変を患い、後に肝臓ガンになり、東京への転院・長期入院を含めて15年ほどの
闘病の末に亡くなりました。
20年近く前に亡くなった時は、私は10歳だったので、戦争に関する話を聞く機会は
ほとんどありませんでしたが、「戦争なんかしちゃいけない」
「自民党に入れとけば良い。社会党なんかに入れたら何をするか解らない」と言っていた事だけは、
何故か覚えています。
(当時はロッキード裁判などゴタゴタあって、マスコミでは自民党バッシングがされていました)
356:名無し三等兵
03/06/16 23:51
俺のじいさんではないが。
バイト先の現場にいた鉄骨か鉄筋の溶接の親方。
80過ぎてさすがに現場は息子に任せていたが、元気そのもの。
南方でインパール?作戦に参加して中隊で7人しか生き残らなかったそうな。
その話を始めると、周りの職人が「また始まった」と笑ってた。
それで、印象に残ってるのは戦場の話ではなくて・・・
「(鉄筋を眺めながら)どんどん入れる鉄筋が多くなってくるなあ・・・おいボウズ(俺)、なんでこんなに鉄筋入れるか知ってるか?」
俺:「え?やっぱり地震とか・・・」
「馬鹿、違うよ・・・」(急に声を潜めて)
(てっきり業界の裏話とか癒着とかそんな話かなあなんて思ってたら)
「前の戦争じゃ、鉄がなくて負けたんだ、だから今のうちに建物に鉄をいっぱい仕込んでんだよ・・」
じいさん、戦争に負けたのは鉄が無かったからじゃないよ。
それにビルから鉄筋を引っこ抜いて戦車を作るような戦争をもう一回したいのか。
と言いたくなったが、きっとじいさん一流のジョークだったのだろう・・・
357:名無し三等兵
03/06/17 00:16
>>356
戦争を実体験なさった世代の言葉は重いですね。
鉄の話、視点は俺には面白い。その人、結構戦略的視野に長けている人かも。
感心した。(実際鉄が無かったのが敗因の一つなのも事実だし。)
今の国民に、長期的視野で戦略を(例え鉄という一面からだけだとしても)
見つめることの出来る人が何人いるだろうか。
358:名無し三等兵
03/06/17 00:17
>>327の方は一体お幾つなのか気になって仕方が無いのだが・・・
359:名無し三等兵
03/06/17 01:55 gx2XSNta
うちの母方の祖父は徴兵されたのち東部戦線に従軍してソ連軍の捕虜となった。が
ラーゲリから脱走してシベリア鉄道沿いに?ドイツまで歩いて帰ったとか。
(それ以上のことは全く語らずに5年前他界・・・)
49年に母親が生まれたわけだから少なくとも48年中にはひそかに帰還していたことになるが
まあよく捕まらずに帰って来れたものだとしか云いようがない。
昼間どこかに隠れて夜中のうちに移動したのだとは思うけど
食糧調達などはどうしたのだろうかとても疑問。
今となってはその詳細を知ろう由もないのは残念・・・
360:名無し三等兵
03/06/17 02:12 GBJFjoMG
>>357
ぢゃ、硬貨にはジャンジャンとレアメタルを素材にして発行してもらおう。
361:名無し三等兵
03/06/17 02:16
>357
タングステンの500円硬貨、劣化ウランの10円硬貨とかか?
362:名無し三等兵
03/06/17 02:37 o+1B3hgf
>劣化ウランの10円硬貨とかか?
や め て く れ
363:名無し三等兵
03/06/17 02:46 GBJFjoMG
ニッケル、コバルト、バナジウム、白金、モリブデン、チタン、ニオブあたりか?
100円、50円が銅75%、ニッケル25%の白銅なのは、やはり戦略物資を備蓄するためだろう。
364:名無し三等兵
03/06/17 03:00 gx2XSNta
>>363
戦前のコインにニッケルを使った物があったのは
やはり戦略物資確保のためだったようだ
(参考文献:「お金と切手のひみつ」学研まんがひみつシリーズ<1979年?>
幻の 一 銭 陶 貨 には笑った覚えがある)
「のらくろ」にもニッケルの腕時計を買ったとみせびらかすシーンがあったのも
そんな時代のあらわれだったのか・・・
さすがに劣化ウランとコバルトのような放射性物質をコインに使うのは問題ありと思われ。
365:名無し三等兵
03/06/17 03:47 GBJFjoMG
一昔前の100円硬貨は銀だった(w
366:名無し三等兵
03/06/17 04:22 E8JbdthG
俺のじーちゃん朝鮮行ったっていってたな
367:名無し三等兵
03/06/17 05:06 bBhoLODV
敗戦後に、パチンコがまたたく間に全国に広まっていった時期、
「パチンコ玉は、復讐戦に備えて、兵器に使うベアリングのボールを
作り溜めしているのだ。」
という噂が流れたそうです。
368:名無し三等兵
03/06/17 06:25
ワイの知り合いの爺さんは、陸軍の輸送船に乗っといて、輸送船が魚雷にやられて撃沈されたよ。
そんでその爺さんは、片足が吹っ飛ばされて、めでたく除隊。。
おかげで南方戦線にいながら、戦後も生き延びることが出来た。。
もしあのまま、南方にいたら、十中八九戦没者の列に加わとったやろな。
その爺さんは、前皇后陛下、つまり御隠れになされた皇太后陛下より下賜された義足を見ながら、そんなこと言っとったわ。
369:名無し三等兵
03/06/17 06:28
そういえば、海軍におった爺さんも、ワイの知り合いにおるが。
その爺さんは、駆逐艦に乗っ取ったそうや。
その駆逐艦は撃沈され死にかけたそうやが、その後は本土に戻され。
生きながらえることが出来た。
その爺さんの戦場での思い出話の中に、戦闘があって海で爆発があれば、その後で必ず魚がぎょうさん浮いてくるから。
それを取りに行くのが楽しみだった。そんなことを言うていたな
370:名無し三等兵
03/06/17 07:58 Di24bdXJ
>>127とか、孫のバイアスがかかってる体験談はどうも。
あと、前スレなどで良くあった、俺のじいちゃんはXXにん頃しますた!ブルブル
ってゆうのも・・・無邪気な法螺話を鵜呑みにしないで検証してみてほしいかなと。
その法螺話の積み重ねが凶悪日本軍伝説になったのだから。
現に東京裁判では犠牲者まで・・・
漏れはじいちゃんや戦友さんに食い下がり、嫌がられましたがw
371:名無し三等兵
03/06/17 08:00 Di24bdXJ
だって輜重兵なのにシナ兵五人切り!なんていうもんですから。
馬鹿だよ、俺の爺!
372:名無し三等兵
03/06/17 18:25
>>371
非戦闘兵でも戦闘に参加することがあったのであながち嘘でも・・・
輜重兵は伍長から軍刀が吊れるわけだし
ちなみに俺のじいちゃんも>>191で書いたとうり。
373:名無し三等兵
03/06/17 18:49
インパールに行って、まだ「やる気マンマン」ってのも困ったもんだ。
「前の戦争」ってなあ
やっぱりジョークでしょう(汗
374:名無し三等兵
03/06/17 19:09 3+Z+34BF
>>370
かわいそうだから年寄りの話くらい素直に聞いてやれよ
375:名無し三等兵
03/06/17 19:09 GeYOSFPU
>>367
ポンポンバラバラに跳ねるような無茶苦茶な真円度のたまは
ベアリングには使えないっすよね(^^ゞ
376:名無し三等兵
03/06/17 19:09
>373は>356へのレス
377:名無し三等兵
03/06/17 19:27
>>350です。
撃沈された船がどの船であったか、
戦場で戦う兵士として徴用されたのに整備兵になることがあるのかとずーっと気になってました。
本当に生き残った兵士が10人ぐらいだったら相当な事件として残っていると思うんですが
こういうのってどのように調べたらいいのか皆目分かりません。
全く知識のない私めにお教えいただけないでしょうか。
378:ウー壱○五
03/06/17 19:42
>>350
おじいさんの名前のほかにどんなことを知ってます?
まず、本籍地は分かるよね。陸海軍のどちらかも分かると。
兵籍番号は分かりませんよね。恩給の資料とか多分ないよね。
だったら、
最初に、お爺さまの所属した部隊を特定し、部隊の行動記録を
調べればいいんですけど。ところで、都内在住ですか。それとも
地方?都内だとかなり調べるのが楽なんだけど。
379:名無し三等兵
03/06/17 19:59
>>370>>374
いいや、ホラ吹き爺さんにはどんどんツッコミ入れた方がいいって。
裏路地でDQNをぶっ飛ばす青春のいい思い出とはワケが違うんだからな
380:名無し三等兵
03/06/17 20:49
>>356
前も書きましたが、祖父が戦前に青森で灌漑工事していたら、
竹を支給されて、これで土手作れと。
「日本はこんな所に使う鉄材も不足しているのか!?」と思ったそうです。
そして、どうやって強度計算を出すのか苦労したそうです。
この話、いま思うと、鉄の不足ではなくて
予算不足のだけだったようなきもしますが・・・。
381:名無し三等兵
03/06/17 20:54
>>369
どっかの戦記ものの小説に、
爆雷を訓練で爆発させるときに、新兵を甲板に並べて見せる。
ドゴーン!!とものすごい水柱があがるので、
これならば潜水艦でも破壊できるな、いいもの見せてもらったと思ったら、
浮いてきた魚をとれと神兵に命令。
その爆雷で気絶した魚を取るための要員として、見学させられたのか?
と書いてありました。
けど、その日の夕食は新鮮な魚が腹いっぱい食べられたので、
以後の爆雷の訓練は楽しみだったとか。
382:名無し三等兵
03/06/17 21:01
最近ばぁちゃんが恩給&年金で年収600万以上だって事を知りました…
じいちゃんは終戦時大尉です
ばぁちゃん大事にしよ…
383:名無し三等兵
03/06/17 21:24
動機はともかく年寄りを大事にするのはいいことだ・・・
384:名無し三等兵
03/06/17 21:52
>>383
そのとうり 80歳の老人作るには80年かかるわけだし
年寄りは大事にね
385:名無し三等兵
03/06/17 21:52
>>382
>最近ばぁちゃんが恩給&年金で年収600万以上だって事を知りました…
どんなばあちゃんだ!?
それだと、じいちゃんは相当な役職にいた人で、
戦後は公務員か何かだよね。
詳しく聞くべし。
386:名無し三等兵
03/06/17 21:54
>>384
うん、まさにそうのとうりですよね。
その80歳の老人を作るのに、
0歳の赤ちゃんが100人以上必要なわけですから。
387:名無し三等兵
03/06/18 01:36 chMjLVk+
>>380
旧国鉄の陸前原ノ町駅の駅舎はたしか昭和18年製で
鉄材不足から鉄筋ならぬ竹筋コンクリートになったとか・・・
(参考文献:コロタン文庫43 国鉄全百科)
388:名無し三等兵
03/06/18 02:12
>>387
わおっ!!
情報ありがとうございます。
じゃ、それは全国的に行われていたことなんだ!!
けど、その時期ならわかるけど、戦前の話だから、
昭和10年代の話だと思います。
けど、じいさんのリアクションが、
「竹で強度をどう出すか?」と考えたという事なので
当時からすでに非常識なことだったみたいです。
389:名無し三等兵
03/06/18 13:35 oaWSSJ0v
>>388
将来の鉄(を筆頭とする資材)の不足がすでに懸念されていたのでは?
当時はなんと屑鉄を米国から輸入していたらしく
昭和16年ごろにはその屑鉄すら禁輸されていたとのことです
390:名無し三等兵
03/06/18 15:20
>>389
>当時はなんと屑鉄を米国から輸入していたらしく
クズ鉄を馬鹿にするな!!
チハたんの材料だぞ!!
つか、クズ鉄って実は良い材料なんですよね。
鉄鉱石から製鉄と言うと、これまた製鉄の技術が必要で、
さまざまなプロセスが必要ですが、クズ鉄ならば
溶かして成分調整だけでそこそこな材料が出来てしまうという訳です。
従って、一種の班加工製品みたいな感じなのです。
という訳で、やっぱりチハたんは偉いのだ。
391:名無し三等兵
03/06/18 19:38
>>389
そんな事いったら原子炉の隔壁だって屑鉄だ
うう・・陸奥ちゃん・・・
392:名無し三等兵
03/06/20 01:31
うちの亡き父親は農家の次男だったので
徴兵されました。
そしてラバウルに行きました。
結果、捕虜になりました。
393:139
03/06/20 02:49
>>145
恐ろしく亀レスですまん
レスがつくとは思ってなかったからスレ覗いてなかった。
俺もよくは知らないんだが昭和20年に入ると他の兵科から兵科に異動する
というのがけっこうあったとか。
それは軍からの命令であったり、志願であったりしたらしい。
詳しくなくてすまん。
394:名無し三等兵
03/06/20 18:42 BIJTUBAm
定期あげ
395:名無し三等兵
03/06/20 19:02 ZNtyjQKQ
東京タワーの鋼材の原料は米軍戦車由来の屑鉄です
396:名無し三等兵
03/06/20 19:29 oq/errPk
亡くなった私の祖父は、白銀重二と言う人の航空部隊の曹長としてノモンハン事件、蘆溝橋事件に従事したそうです。
その後、満州のチチハルという所に駐屯し、終戦前に帰国し千葉県で戦闘機操縦の教官をして、出撃直前で終戦を迎えたそうです。
397:名無し三等兵
03/06/20 19:54 3tyzOLPY
私の祖父は、得撫島守備隊で少尉だったそうです。
終戦によりソ連軍進駐、局地的停戦条約(?)締結に
立ち会ったとか。内容は
「日本軍は武装解除の後本国帰還を許す。ただし
一部の捕虜は免れない」とかで、祖父の小隊が
得撫に残された。
貧乏籤を引いたと思ったらしいが、後に知ったところでは
帰国したはずの方々は「シベリア送り」だったらしい。。。
祖父は得撫から樺太へ。S23帰国。
その後、GHQから呼び出しを受け、何事かと思ったら
情報提供を求められたらしい。
398:まりも
03/06/21 13:46 dtJYQlVU
うちの爺さん、満州で股間を撃たれて帰国。 ケツの肉を引っ張ってきて縫い合わせたらしく、凄い傷跡。
399:名無し三等兵
03/06/21 14:19
>>398
助かって良かったですね。
満州からは生きて帰れない人もおおいので、
じいさんの運の強さに感謝すべきかと。
400:まりも
03/06/21 15:26 EHj8NfBL
本当に運のイイ爺さんです。しかしどういった状況だったのか、一切語ってくれないんですよ。謎です。
401:名無し三等兵
03/06/21 15:27 l44DZG2s
特攻隊志願、終戦2日後には出撃予定、中尉だったらしい。
402:名無し三等兵
03/06/21 15:34
みんなすごいなぁ。ウチのじいさんはろくな話ないよ。
片方は陸軍士官学校60期かなんかで教官の兼松隊長とか言うのがルソン島に引っ張られちまって逝っちまったっていう話だけだし。
もう片っ方は技術仕官で広島の山でなんか建設作業してたら原爆のきのこ雲が見えたって言うのと。
あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら(よく意味がわからないが)隊長にばれてボコボコにされたっていう話。
どっちも戦地に言ってないからダメポ。
403:名無し三等兵
03/06/21 15:34
>>400
ウソだったんだよ。
じじいなんてそんなもん。
404:名無し三等兵
03/06/21 15:37 l44DZG2s
川にダイナマイトってのは多分その音で失神した
魚を手当たりしだい拾うという現在禁止されてる漁の仕方のこと
ではないだろうか?
405:名無し三等兵
03/06/21 17:02
>>400
辛い経験だったのかも。
話したくないならば、そっとしておいてあげて。
406:397
03/06/21 17:04 dgQZYo82
>>402
>>404
多分そう。
うちの祖父も、手榴弾川に放り込んで魚取ったと言っていた。
407:名無し三等兵
03/06/21 17:05
>>402
>あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら
水中で爆発が起こると、水は振動を伝えて、魚が死んでしまう。
んで、その魚をとると。
しかし、この漁法は404さんの言うとおりに禁止されている。
なぜかと言うと、釣りや漁と違って根こそぎ破壊してしまうから。
だから、上官に地元民もつかっている川で
そんな事をするなと怒られたのかも。
408:名無し三等兵
03/06/21 17:10
>>407
つまり底引き上げ漁業を更に手荒くしたものか・・・・実際対馬海峡なんか、漁獲量がなあ。
そう言えばうちの祖父さんが「軍事教練をまともに受けた最後の世代なので、
装備は一通り扱えたからあれやこれや便利に使われたよ」と苦笑していた事があったけど、
小中学生に対する軍事教練って、戦争直前は無かったのかな。
それとも軍需物資や人員が前線部隊へ集中され、軍事教練が簡略化されたとか?
409:眠い人 ◆gQikaJHtf2
03/06/21 17:13
>>408
兵士が足りなくなって、工員、農業労働者が足りなくなって、勤労奉仕の方が
学業よりもメインになって、そう言う余分な物に時間を掛けていられなくなったとか。
410:ダイナマイト漁は危険
03/06/21 17:46
>>402
夏場なんかは、魚と小学生が一緒に浮かんでくる可能性もあるわけで。
411:名無し三等兵
03/06/21 18:36
お魚はもういい。
412:名無し三等兵
03/06/21 20:08
>247、248
亀スマソ
お前ら!
家帰って居間でTV見てたら
爺ちゃんに
「人様の家に勝手に上がりこむとは、どういう躾をされたんだ!?出ていかんかぁ!!!」
っていわれた事があっても同じ事言えるんだろうな!?
・・・(ノд-。)マァシナレテモカナシイワケダガ
413:名無し三等兵
03/06/21 20:32
>>412
それは悲しいな・・・。
414:名無し三等兵
03/06/21 21:46
NHKアーカイブスなんかで、40年代の戦争ドキュメンタリーを見てると、
戦争経験者が若い・・・・
年寄りが喋ってるよりなんか生々しいんだよね。記憶も確かだし。
415:名無し三等兵
03/06/21 22:44
うちのジーちゃん・・・憲兵だったけど終戦後も何故かピンピンして帰ってきたらしい
温厚な性格で兵士から人気あったらしい・・・
416:名無し三等兵
03/06/21 22:45
っていうかTVに出ている老人の殆どはDQNばっか
417:名無し三等兵
03/06/21 22:52
うちのじいさんもTVにこそ出てないがDQNっていうか、
日本軍嫌いの右翼マニアそして歴史マニア。
広島県に住んでおきながら解放同盟に公然とけんかを売って、
家を囲まれたという武勇伝(?)がある。
418:名無し三等兵
03/06/22 01:07
漏れのジーさん、潜水艦乗りとか言ってたけど陸軍にいたとか言ってたなぁ。
あのときはもうぼけたから海軍と陸軍ごっちゃになってたのか、今になってはもう効くことができないけど、、、
419:名無し三等兵
03/06/22 01:53
>418
日本陸軍には潜水艦部隊が実在したそうで。
URLリンク(ip.tosp.co.jp)
420:名無し三等兵
03/06/22 02:36
陸軍は輸送船も建造していた。官僚主義もここに極まれり。
421:名無し三等兵
03/06/22 03:05 1+cDxrjs
空母や魚雷も開発してた、、>帝国陸軍
422:名無し三等兵
03/06/22 04:15
漏れの爺さん、海兵出の将校。
以前「丸」に手記載せてた。
零戦に乗ってたが、戦闘機を打ち落としたことはないらしい(w
二回か三回撃墜されてそれでも生き残った。同期はほとんどあぼん。
撃墜されてパラシュートで脱出したとき大火傷を負い、落下しながら八百万の神に
「助けてください。おながいします。」とひたすら祈ったそうだ。
その欲張り&小心な爺ちゃんのおかげで今の漏れがいる(w
423:>>139
03/06/22 06:23
>>393
お答えサンクス。そういうことがあったんですね。
本土防空戦で命懸けでB29と戦った139さんのおじいさんに、日本人
として感謝します。
424:名無し三等兵
03/06/22 19:27
>>421
毎度腐すのもアレだがある意味泣ける話だ・・・。
海軍が戦車造ったことぐらいは知ってたけど。
425:名無し三等兵
03/06/24 13:03 MBQrOFv7
うちのじいちゃん
樽生達人
426:名無し三等兵
03/06/24 14:41 burQu15m
日本で最初に戦略渡洋爆撃を行ったのは「海軍陸攻」
つうか、海軍が戦略都市爆撃おこなうなよ(w
427:名無し三等兵
03/06/25 00:41
>>426
「海軍の陸攻」もしくは「96陸攻」のほうがいいかと。
428:名無し三等兵
03/06/25 11:08 4EfCbeT7
うちのジジイはアメリカ移民の子供。戦争はじまる前に帰ってきて何年か
日本で過ごした後、徴兵されて満州へ。
配属先の中隊長が知り合いで、”お前なにがやりたい?”と聞かれて、”
わしゃ、訓練がないところがええの。”と答えたツワモノです。
軍隊ではトラック運転したりご飯作ったりしてたらしい(w
”兵隊が米ばっか喰う、米が足りないと恨まれるから、軍曹が倉庫の番
してる奴と話して、気を引いてる隙に、他所の隊の米まで積んでくる”
とか、
”カレー粉が余って仕方がなかったけど、捨てると怒られるので、隠れて
捨ててた。”
とか、
”戦争には行ったけど、鉄砲一回も撃った事ない。”
とか、勇ましい話は一切無しでした。
アメリカ時代の写真を見る限り、結構な暮らしだったみたいなんで、鬼畜
米英とか言われても、ハァ?とかそんな感じだった見たいでつ。
ちなみに寝たきりになってからは、しきりに”アメリカに行きたいなあ。”
と言いながら、他界。棺おけには合衆国の地図を入れて焼きました。
429:ななし
03/06/25 11:40 UAfdyZh2
428さんへ
え、おじい様は日系米国人だったんですか?
詳細を希望.
430:428
03/06/25 11:56
曽祖父が移民船でカリフォルニアに渡ったという話。詳しくは俺も良く知らないのです。
ただ、当時の写真がいくつか残ってて、親戚の経営する雑貨店で一族が移ってる奴
とか、ピクニックに行ったときにとったらしい自動車を背景にした奴とか、
あと見たことはあるけど、父の実家のどこかに埋もれちゃったらしくて発見できない
白人ばっかりのなかに、日本人が2、3人まぎれてる小学校の時の写真とか見る限り
かなり不自由のない生活してたっぽい。
意外と資料としては貴重なんだろうか?そういう写真とかって。
ちなみに、満州は一番良いときに行って、帰ってきたあと、再召集は無かった模様で
す。そのご某財閥系造船に勤務して、それなりの生活してたので困窮するようなこと
は無かった模様。
婿養子に行った時に、肉を食いたいのに、曾祖母が肉を食うのをえらく嫌うので外で
七輪で焼いた話とかしてますた。
431:名無し三等兵
03/06/25 12:50 NA+sUn/u
私の大叔父は、満州に送られて金日成と戦っていたよ。
もっとも北朝鮮の偉大な建国者として崇められている金日成とは、別物だろうが。。
当時は複数の金日成がいたそうだし。
432:名無し三等兵
03/06/25 14:44
>>431
今のキムはもともと別人だったそうです
名前もキムイルソンじゃなかったそうで
433:名無し三等兵
03/06/25 16:51
伝書鳩を扱う部隊ってどうゆう部隊なんでしょうね
434:名無し三等兵
03/06/25 17:04
>>433
前線にいる部隊
435:名無し三等兵
03/06/25 18:14
うちのじいさんは重巡洋艦妙高に乗って、エンジニアとして
インドネシアに行ってたそうです。
ガキの頃はいろいろと話聞きました。
まあ、今は家庭内の事情で会うことができませんが・・・。
436:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 18:57
3年前に逝ったうちのじいちゃんの話、聞きたい人いる?
階級は憲兵少尉だったそうでつ
437:名無し三等兵
03/06/25 19:06
>>436
聞きたい
438:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 22:00
んじゃあまず、昇進具合から書きます。
昭和5年1月10日 第八大隊第一中隊に入隊 二等兵
10月1日 一等兵
12月1日 上等兵
6年11月23日 帰休除隊
7年3月11日 憲兵 上等兵
10年2月2日 伍長
11年4月21日 軍曹
13年7月22日 曹長
15年2月 陸軍中野学校配属
12月 常州分遺隊長歴任
16年8月1日 准尉
10月7日 勲六等、端賽章受勲を受ける
19年4月 少尉
杭州憲兵隊本部附
第二軍司令官、西大将の護衛(北支済南)
東久?宮中将身辺護衛
陸軍大臣板垣大将身辺護衛兼副官として任に当たる
(斉南、青島、旅順、京城、福岡、東京空路に同行)
だそうでつ、私はあまり詳しくないので分かる人がいたら
補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。
439:名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs
03/06/25 22:08
ちなみに上海市街戦や万里の長城の警護
にも当たっていたそうでつ。
440:名無し三等兵
03/06/25 22:13
5年前になくなったうちのじーさまは、戦時中横須賀で40サンチ砲弾
造ってました。腕の良い旋盤工だったのを買われて、だったそうです。
441:名無し三等兵
03/06/25 23:26
4月に死んだばあ様が旅順で陸奥に乗ったことがあるそうな。
442:名無し三等兵
03/06/25 23:34 NiQvOTAb
>>432
スターリンに拾われる前は、日本軍に追われてハバロフスクまで逃げてきた。
反日パルチザンで本名は金成柱。
せいぜい小隊長くらいしか勤まらなかったチンピラだよ。
だからこそ。無謀な朝鮮戦争を起こしたのだけどね
443:名無し三等兵
03/06/25 23:51
近衛師団で陸軍軍曹やってたそうです。
で、九段の本部で、新兵の招集やってたもんだから、敗戦後カンペキな
戦犯扱いで、一時は絞殺刑も覚悟したって言ってました。
444:名無し三等兵
03/06/25 23:52
絞首刑の間違いでつた。
445:名無し三等兵
03/06/26 00:58
>>435
私の祖父も妙高に乗っていました。
446:名無し三等兵
03/06/26 02:43
>>429
パープルハートの話で、映画かな?
こんな話をきいたことがあります。
日本人アメリカ移民って、教育だけは日本で受けさせる人が多くて、
兄はアメリカ軍に参加。
弟は、日本に滞在中に戦争がはじまって、日本軍で参加。
兄は日本人を助けるために、色々と苦労して日本人に投降を呼びかける。
その中で、弟を知らないか、知らないかと探し回る話がありました。
447:名無し三等兵
03/06/26 02:46
>>432
現在、金日成とされている、金正日の父は、
戦時中はソ連の中国人部隊を率いて、
大尉として主に満州でゲリラ活動していました。
朝鮮には、二度ほど進入した記録があるだけです。
ですから、431の御爺さんが戦っていたのは、
もしかして後の北朝鮮国家主席だったかもしれませんね。
すると、じいさん、なんで殺さなかったの!?と言う話になります。
448:名無し三等兵
03/06/26 02:48
>>438
>補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。
もっと聞きたい!!
補足よろじゃなくて、父か母にも聞き込みして!!
良い供養になりますよ。
449:名無し三等兵
03/06/26 03:16
>>446
山崎豊子の著作で「二つの祖国」というのがそれですね。
NHKの大河ドラマで「山河燃ゆ」と改題されて放映されました。
20年位前の話。
450:428
03/06/26 09:34
今日、大阪環状線で血色はいいけど年はかなりいってそうなお年寄りが
乗ってきて、出入り口の直ぐ近くに立っておられました。
座っていた若い女の子が”次降りますからどうぞ。”と席をゆずろうとした
ら、
”私も次に降りますから。”と断り、そのままその女の子に話し掛けておら
れました。
聞くとはなしに聞いてたら、”おじいちゃん、今年86だけど、戦争でガダル
カナルから生きて帰ってくるくらいだから、丈夫なんだ、お嬢ちゃんガダル
カナルって知ってるかい?、1000人行って、一人しか帰ってこなかった
んだよ”と・・・。
まあ当然そうきかれたお嬢さんはガダルカナルが何処にあるかも知らな
かったのですが、”知りません。”と答えず、”勉強しておきます。”と答え
てました。
もう10年もしたら、戦争に行った人たちはほんとに居なくなるなと思った
次第。
451:名無し三等兵
03/06/27 00:24
>>450
ほんのりええ話や・・・。
452:東雲 ◆m6tridVkuU
03/06/27 17:37
伯父はビルマ戦線でした。
志願兵だったため、早くから戦線に出ていたそうです。
補給が来なくてきつかったと言ってました。
食料を調達するのが命がけだった、と、酒を飲む
度によく言います。明け方にジャングルをコソーリ
移動して、落ちている果物を拾い集めたそうです。
倒した英兵がいい物食ってるのが皆に解り、
嫉妬も絡んで余計に勇猛になったそうです。
戦闘については余り話したがらないので、
話題は食べ物ばっかり。
完熟マンゴーはうまかっただの、英兵の非常食は
ビクーリするほどうまかった、など。
ただ、戦友がいっぱい死んだ、あんな思いは
もう勘弁だな、と最後は呟くようにいいます。
今春、春の叙勲の栄誉に輝いた時に靖国神社に
一緒に行きました。伯父は今まで戦友に逢わせる顔が
無いと、上京しても決して行きませんでした。
しかし、もう80を超え、伯父の中で何かが
変わったのかもしれません。
戦友の名を探し、見つける度に何かを嬉しそうに
呟いていました。一緒に行った漏れはなぜか
涙がこぼれました。
長文スマソ
453:名無し三等兵
03/06/28 00:02 s+Y38Hnv
>>450
実際は3人行って2人帰ってこなかったぐらい?
硫黄島は20人言って19人帰ってこなかったぐらい
レイテ島は100人言って97人帰ってこなかったぐらい
だっけ?
454:名無し三等兵
03/06/28 00:17 09DUQNJ1
京都伏見の16師団はレイテ島で1944年10月に全滅したが
実は帰還してきた兵士が620人くらいいたらしい
全滅といっても実際には一兵卒残らず皆無になったわけでなく
部隊の建制が維持できなくなり組織的戦闘不能になる寸前に
大本営やら師団司令部への連絡のために内地に帰した軍人がいたようだ
帰還してきたほとんどがこれについてきた便乗組だったとか
それでも戦時の師団編制20000人程度とすると620人といっても
100人に対して約3人・・・確かに100人行って97人は帰って来なかったという勘定になるな
455:名無し三等兵
03/06/28 00:31
よく死ぬ間際には「天皇陛下万歳」ではなくて「おかあさーん」と言って
死んでいったと言われますが、祖父の体験ではそうともいえないらしいです。
いくら死にそう、死ぬからといってもやはり「天皇陛下万歳」と言って死ん
でいったそうです。名誉ある戦死だったと伝えてもらうにはそう言いながら
死ぬことが必要だったそうです。
456:名無し三等兵
03/06/28 00:44 yA6KXf4i
こんなスレがあったんだね。
ウチはオヤジが超晩婚だったので、オヤジの話。
ウチのオヤジは中国の大連に渡って、専門学校(今の工業大学)
を卒業して、製鉄所に勤務していたのだが、昭和18年に招集され
て、訓練だけしてその後戻されたそうだ。衛生兵だったんだと。
実戦には全く参加していない。
訓練はかなり厳しく、起床ラッパが鳴るたびに鬱になったって言ってた。
衛生兵にされたが、訓練では38式を撃ったとのこと。「かなりよく当たる
銃」だったらしい。
オヤジの兄貴はノモンハンに送られて、ソ連軍の銃弾を肩に食らった。
5年前、ウチの実家に来た時、もの凄く怖かったと言ってた。
母方の兄弟も男が三人いて、一人はテニアン島で戦死。他の二人は
国内のどこかの師団にいて、双方とも衛生兵だったらしい。
また、オヤジが昔会社やってた時の部長が、陸軍特攻振武隊の少尉
だったと・・・。
以上がウチの一族の戦争体験。今年の夏、実家に帰ったらもうちょっと
詳しく聞いてみようと思います。