あなたのおじい様の戦争体験を教えてat ARMY
あなたのおじい様の戦争体験を教えて - 暇つぶし2ch50:名無し三等兵
03/05/24 10:07 GSrEqwL8
おー、復活したか、うれしいな。
このスレ好きなんだ。
オイラ、前スレ、前々スレで語り尽くしちゃったから、小話。

この前、叔母一同と食事をする機会があったのだが、
かぼちゃだけ残していた。
曰く、戦後すぐは食料が無く、玄関にでかいかぼちゃが
ゴロゴロと転がっていてそれだけを毎日、毎日たべたので
それがトラウマで未だにかぼちゃが嫌いなんだって。
そうしたら、伯母一同がそろって、
「あれは辛かった・・・。」と言っていた。

戦時中は文句が無くて、戦後に文句があるという事は、
やはり戦後の混乱期が一番食糧難だったみたい。

ちなみに母は戦後混乱期生まれだが、やはり栄養失調で
ちょうどはだしのゲンの妹がなっていたように、湿疹が出来ていたって。
伯母は、「あの頃は、どの赤ちゃんも栄養失調で、できものがあった」と言っていた。
こんな所みたいです。
ちなみに、場所は家のある東京の話です。


51:名無し三等兵
03/05/24 11:04
うちの母方の爺さまは陸軍歩兵で中国で戦っていたそうな。
一番、進んだときで柳州までいったんだって。
桂林の戦いで水筒を撃ち抜かれてしまって戦闘後に困っていたら
その時の師団長が自分の水筒をくれたらしく今でもそれを大切に使ってる。
長生きして欲しいよ、爺ちゃん。

52:世界に広がるFAの輪
03/05/24 11:22
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆ 最高のオンラインフライトシム Fighter Ace ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

スレリンク(fly板)

・WBやAHを過去の遺物にする最先端のテクノロジー

・EAWやBF1942が成し得なかったWWII時代の完全再現

・IL-2やB-17IIを超越した緻密な考証によるミリタリースペック

・CFS3やCrimson Skiesの稚拙さを脱却したリアルさ

・WWII Onlineが目指していた戦略性の完成形がここに

スレリンク(fly板)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆ 最高のオンラインフライトシム Fighter Ace ☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

53:名無し三等兵
03/05/25 00:33 NPUU8VI9
55 名前:名無し三等兵 投稿日:03/05/24 17:24 ID:B1TJEM3y

シベリアに抑留された日本人は、厳しい寒さのなか強制労働に従事し、栄養失調や過酷な重労働から6万2000人が死亡した。
URLリンク(www.remus.dti.ne.jp)
50年代に社会党左派議員団が、ソ連の収容所に抑留者を訪問した。収容所側は面会の条件として捕虜が政治問題については発言するのは禁止していた。
面会の席上、尾崎清正元中尉が意を決して立ち上がり、自分たちの救出のために国論国策を曲げることは断じて避けて頂きたいこと、われわれは祖国のためなら甘んじてシベリアの土となる決意であることを表明した。
そして、「日本の青年へ」と題して同様の趣旨の嘆願書を手渡した。ところが、この議員団は手紙を握りつぶし、「”戦犯”たちの待遇は決して悪くないという印象を受けた」などと記者会見を行ったのである。

・野溝勝【左派社会党参議院議員】ら訪ソ議員団
「『戦犯』たちの待遇は決して悪くはないと言う印象をうけた。一日8時間労働で日曜は休日となっている。
食糧は一日300gとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気がくばられているようだった。」
出典元:1955年10月6日『朝日新聞』より
【踊る埴輪より】この発言が問題なのは、彼らがソ連側の説明を信じきってそのように言ったのではなく、実情を分かっていながら国民を欺くためにあえて嘘をついたことにあります。
また、この訪ソ団はシベリア抑留者が国会・国民宛に出した嘆願書を揉み消したことでも有名です。
URLリンク(haniwa82.hp.infoseek.co.jp)


54:名無し三等兵
03/05/25 06:02
>>53
うおっ、ちょうど向こうのスレにそれに対してレスつけたや。

☆信じられないが、本当だ Part5.1
スレリンク(army板:76番)

一つ、小話。

前スレに書いた、バイト先で会った、
戦車の整備兵をやっていた人から聞いた話。

戦後、その人は自動車整備工をやっていたのだが、
その中でエンジンを開けてびっくり!!
車のカムの軸受けに、削ったブリキを入れて隙間をあわせてあった。

曰く、戦争中、後は部品が調達出来なかったので、
カムが削れてもかわりの部品が無い。
そこで、苦肉の策として、隙間にブリキを入れて調整していたというのだ。
すでに擦り切れてぺらぺらになっていたそうだが、
それで相当な距離を動いていたらしい。
「日本の技術は、こういう現場の人の努力から来るかもしれない」
と言っていました。

多分、こういう腕の良い整備士がいたからこそ、日本の飛行機も
そこそこの稼働率を誇れたのだと思う。
戦争末期に稼働率が下がったのは、こういう人達が徴兵されたのも
一因かも知れないと、今思った。


55:名無し三等兵
03/05/25 15:27
おいらのじーちゃん、もう死んじゃったので詳しい話を聞けない
のが本当に残念なだけど、小さい頃聞いた話で覚えているのが
じいちゃんは海軍に入っていて(たぶん偉くはなかった感じ)
船だか潜水艦だかに乗っていたんだけど、1回目に乗った船が
撃沈され、その後乗った船も撃沈されたのに2回とも生き残ったって話。
(とんでもなく漠然としていてスマン)今思うと2回も撃沈されて
生きてたって本当の話?って思っちゃうよ。

じいちゃんの話は、それでお前が産まれたのは本当に運のいいこと
なのだから命を大事にしる!とか絶対に戦争は起こしてはならねぇ!
とか人はいつ死ぬかわからないのだから親や仲間を大事にしる!
とかいう説教で終わるパターンだった…。でも小さい頃の記憶だから
いつの戦争のことなのかとか全然分からないんだよね。

マジで2回とも生き残ったのかなあ?そういうのってあり得る話?
おいら戦争のこと全然分からなくて未だ半信半疑なんだよね…。

56:名無し三等兵
03/05/25 17:06 nfsTtfaJ
>>54
ウホッ!いい男・・・

57:じんべえ
03/05/25 17:26 3GXPmFj7
いとこのじいちゃん
元海軍少尉で(特務)ラバウル航空戦に上飛曹として参加していたときのこと
語呂がいいので「波平行安」の刀を座席の後ろにつっこんで出撃していた。
ある日、空戦中に敵の放った弾丸が風防を突き破り、軍刀の切先三寸のところに
命中し、頭からわずかに弾道がそれ、助かった。
今でも弾痕のついたままの刀を宝物として持っている。

58:名無し三等兵
03/05/25 18:31 Vl31Nnow
>>55
うちのじいちゃんは正確に言うと沈没1回だけど、1回目はミッドウェーで最上に乗ってて、
三隈にぶち当てられた近辺にいたから、危うく・・・
で、勤務所が飛行甲板になったから駆逐艦に移ったら、ほどなく潜水艦に雷撃されて沈没。
10時間くらい海に浸かって漂流したって。
そういやぁピカドンの時は呉に居て、きのこ雲が良く見えたって言ってたな。
>>57
良い話やね。さすが武士の魂日本刀。当時から大切にしていたから守ってくれたのかも。

59:名無し三等兵
03/05/25 19:07 zhnMQq56
漏れのじいさんは上海事変のとき上海市にあった大世界というレジャービル(今でもあるよーーーーー)にはまり、あへん中毒になった。

60:名無し三等兵
03/05/25 19:24
中国の飛行機に繰り返し攻撃を受けて
後ろをみたらみんな死んでいた。
平原で襲撃されると危険らしい。

61:名無し三等兵
03/05/25 20:51 Okm1cQUI
>>58
うちのばあちゃんも呉在住。しかもその日は家の前の海で家族で泳いでたのでよく見えたらしい。
うちの爺さんはビルマ戦線に砲兵として従軍したけどイギリス軍の捕虜になってたらしい。
ビルマへの慰霊ツアーのさそいがあるたびに「現地の人間にあれだけひどいことをしていながら、どのつらさげてビルマにいくつもりか。」って激怒していた。

62:名無し三等兵
03/05/26 05:20
>>58
おや、そちらもビルマ戦線で砲兵ですか。

うちの爺さんは野戦重砲兵第3連隊(三島)でインパール作戦に参加していたそうです。
もう随分記憶が薄れてしまって、大した事は聞き出せていないんですけれど。
野戦重砲三連隊は当時珍しい牽引車装備の機械化砲兵で、それが自慢だったのか
「うちの連隊は挽馬(ばんば)じゃないんだ」を何度も聞きました。

「火炎放射でやられた砲陣地に入ったら、みんな砲の傍で死んでいた。
分隊長は砲身にまたがったままで焼け死んでいた」という話も聞いたことがあります。
中隊の生き残りが11人というから、きっと地獄を見てきたんでしょう。

以前三島大社まで連れて行った時、50年ぶりということで本当に懐かしそうでした。

小話一つ。
開戦の日。役所に勤めていた祖母は女性職員たちと
「勝てるわけないじゃないねぇ」などとお昼の雑談を楽しんでいたご様子。
そんな祖母は「グラマン(F6F)」の機銃掃射を受けた経験のせいか
飛行機はぜんぜん乗らず、先日はじめて「プロペラが無い飛行機がある」と知りました・・・。

63:名無し三等兵
03/05/26 23:19 G+l1lc7n
うちの母方の祖父は戦艦金剛の砲術担当で
ガダルカナル砲撃にも参加したそうだ。
で、金剛と書かれた写真や記念絵葉書とか
持ってるんだが、これがどう見ても榛名なんですわ…

64:名無し三等兵
03/05/26 23:56
>>63
なんか、いいね、その話。
吹き出してしまったです。


65:じんべえ
03/05/27 02:29 UlC+l3BB
いいなあこのページ
じいちゃんらと話してるみたいで
ほっとするよ

66:名無し三等兵
03/05/27 02:39
ある意味、羨ましいよ。俺は生まれてきた時は
2人ともジーちゃんはいなかったし。

67:名無し三等兵
03/05/27 04:32 N8KVcZQR
URLリンク(hobby.2ch.net)

68:名無し三等兵
03/05/27 10:19
>>63 うちの他界した父も金剛乗り組みでした。ガダルカナル砲撃の頃までは
乗ってたんですが、その後地上勤務で中国に送られ、親日中国政府の海軍の
教官をしていたと聞きました。良く話してたのは初陣のマレー沖で、英国艦隊
と刺し違える覚悟だったそうです。機関担当の下士官だったそうで、海軍工機
学校を首席で卒業し、その時頂いた銀の懐中時計があったのですが、まだ父が
死ぬ前に見つからなくなってしまったのです。見つかったら家宝として大事に
保管してくれと父に頼まれていたのですが、死後16年経つ今も見つかりません。

69:名無し三等兵
03/05/27 11:37
>>68
>銀の懐中時計

そういう貴重な資料が失われるのは、悲しいことですね。
見つかったら、画像UPキボンヌです!!


70:45
03/05/27 14:22
母方のじーちゃんの弟が赤城乗り組みの一飛曹だったんだけど、
ミッドウェイで生き残った後一度も内地を踏まずにラバウルに送られて、
ガダルカナルの航空戦で戦死してしまったそうだ。
最後に戦地から送られてきた手紙、今でもじーちゃんの家の神棚に収められてるよ……

ちなみに、当のじーちゃんは国後で高射砲を撃ってたそうだ。
沖縄に送られる予定で釧路まで移動したら、
乗り換え予定の輸送船が二隻続けて潜水艦に撃沈されて、
三隻目の船を待ってる間に終戦になったとか。
「俺は船運がいい」って口癖みたいに言ってる。

71:名無し三等兵
03/05/27 14:26
父方のじーさんは徴兵されるも体が弱く
舞鶴で事務員をしていたらしい。
鈴鹿に出張させられて、帰ってきた次の日に
鈴鹿が大空襲を受けたとか。

母方のじーさんは昭和天皇と同い年=戦中は40前後。
さすがに徴兵されなかったが、従軍記者として満州へ。
シベリア送りにされたが、どうにか帰ってこれた。
やっと家に帰った際、満州に行く前に作った末娘=私の母に
「おじさん、いつ帰るの?」と聞かれ
ものすごくヘコんだそうな。


72:名無し三等兵
03/05/27 17:12
家の爺さんは師範学校でてマッタリ生きといりましたが、召集され、
ジャワ島の戦いの中爆弾落とされてあぼーんされてしまいました。・゚・(ノД`)・゚・
なんでも富士山と同じくらいの高さの山を登って敵軍を討つという戦術でしたが、
富士山って・・・そりゃ駄目だろうと・・・・(ノД`)・゚・゚

73:名無し三等兵
03/05/27 17:28
ウチの祖父じゃないが、友人の先日他界されたお祖父様は戦艦比叡機関兵曹で、
第三次ソロモン海戦にも参加し、機関部配置ながら九死に一生を得たそうな。
総員上甲板で上がったら艦橋が半ば消滅し、何処もかしこも遺体だらけ、
しかも途中で重傷を負った兵が、「水をくれ」としきりに叫んでいるのを横目で見てしまったんだそうな。
色々お世話になったのに、お礼を言う前に他界されてしまった。
今度墓参りくらいには行かないとな・・・・。

74:age
03/05/28 04:44
age

75:_
03/05/28 04:45
URLリンク(homepage.mac.com)

76:名無し三等兵
03/05/28 06:33 v3NEVk8P
うちのじいちゃんは中国いってたけど
テストうけて少佐に昇進して日本に帰ってきて生き残った
とかいってたけどテストとかあるんですか
どんなテストかしら……

もうかたっぽは「かっこよかったから国内パレードしかしなかった」とか
さらに胡散臭い事言ってまちた……

77:名無し三等兵
03/05/28 09:53
>>76
それはじいちゃんは階級をサバ読みするの法則に
当てはまりそうですな。


78:76
03/05/28 13:29
胡散臭さ炸裂

79:山崎渉
03/05/28 15:47
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎―◎                      山崎渉

80:ななし
03/05/29 01:37 UJNSv8qX
たのむ、日本女子大や東京女子大の英文科出身で戦争中に
日本軍の軍務に従事していた人を知っている人はいないか?

81:age
03/05/29 01:55
age

82:名無し三等兵
03/05/29 02:09 2eQuF5ey
ウチノオトウサンハセンシシタアメリカヘイノシタイヲヒキズリマワシテヨロコンデイマシタ

83:名無し三等兵
03/05/29 02:16
>>80
そんな限定された人について聞かれても、難しいと思うよ。
論文か何かだっけ?
それだったら、足で調べないと。
直接学校に電話して、
卒業者の会か何かを問い合わせるのが良いと思います。


84:98
03/05/29 02:25
家のじいちゃんは東京の香取神宮近くの宿で会計をしていたそうな
戦車に地雷を仕掛ける訓練をしたらすぃ、終戦の知らせを聞いたとき
は、これで田舎に帰れる♪みたいな気持ちだったそうな、
周りの人間もそんな感じだったそうな。

85:名無し三等兵
03/05/29 16:15
昔、婆様は、言葉の意味も分からない俺によく「テーシンタイ」の頃の話をした。
東京の空襲の時にはそっちの空が真昼みたいに明るく見えたとか、
同僚が妊娠しちゃって、やむなく出産したけど赤ん坊は死んだとか。
でも「辛いばかりだったけど、テーシンタイでかっこいいショーイさんと結構青春してたりもしてたよ」
とも語っていた。大きくなってからそれらの言葉の意味を知って、
女はたくましいなと思った。

と、ここまで書いて気が付いたんだけど、確か俺の爺様は少尉だった筈。
孫にのろけてたのか?

86:名無し三等兵
03/05/29 20:19
>>85
ええい、ババアはいい、ジイジの話を聞かせろ!!





失礼、言ってみたかっただけです・・・。


87:名無し三等兵
03/05/30 05:19
>>86
爺様はあまり自分から語ろうとはしなかったなぁ…。
教師やってて召集されて満州に行き、弾にも当たらず帰って来たのに、
最初に寄った大阪?の焼け跡で、不発の焼夷弾踏んで大火傷で入院した。
という話は聞いた記憶がある。
ついでにまた婆話で悪いんですが…「低空で飛んで来たアメリカの飛行機に、
機銃掃射を受けたとき、パイロットのニヤッと笑った歯まで見えた」
と婆様は言っていたんだけど、そんなことって実際あるんですかね。
誇張だと思ってたけど。漏れは軍事の知識はありません。この板の方々ならどう思われます?

88:名無し三等兵
03/05/30 05:46
充分ありえると思う。
俺の叔父は幼児のころ畠で機銃掃射を受けたが、そばに居たその姉(うまりおれの母)が
同じく笑いながら赤ん坊を狙って撃ってる米兵を見たと言ってる。
ジジババ話で無いのでsage

89:名無し三等兵
03/05/30 11:21
>ついでにまた婆話で悪いんですが…「低空で飛んで来たアメリカの飛行機に、
>機銃掃射を受けたとき、パイロットのニヤッと笑った歯まで見えた」

これはみんな言いますね。
あやふやな記憶と恐怖とかがあいまって、
こう見えたと思っているのかもしれないですね。
けど、機銃掃射くらい低空まで来るのならば
パイロットが見えてもおかしくないけど、
映画の同じようなシーンを見ても、
パイロットが見えるかどうか微妙だと思う。


90:名無し三等兵
03/05/30 21:52
書きたいけど本人特定されそうだからやめた。

91:名無し三等兵
03/05/31 23:43 YZ3lcDlo
バーさんの話なんだけど
「アメリカの飛行機はゆーっくり落ちてくるけど、
日本の飛行機はパーッとすぐ落ちちゃう。」って行ってたな。
B29のことなんだろうけど。一般人が見られるほどよく落ちたのかね。

あと、こんなことも言ってた
「防空壕に入ってると、プスプス焼夷弾の破片が刺さる音が聞こえる。」
結構怖いのかも。

92:名無し三等兵
03/06/01 00:43 ArbDp1I0
>>91
確かB29の損耗率は20%行ったんじゃなかったっけ?
エンジントラブルとかも含めて

と思ったら
↓こんなのがあった
59 名前:名無し三等兵 投稿日:02/08/02 22:19 ID:Yzjc1mmv
>>48
B29の損失機数は約450機。(含対戦闘以外の不時着等)

述べ出撃数は約33、000機で損失率は1.36%
米陸軍航空隊が受領した機数が2、132機この機数が実戦配備数とすると。
損失率は21.1%になる。米軍も楽な戦いではない。

93:名無し三等兵
03/06/01 01:40
>>91
>「アメリカの飛行機はゆーっくり落ちてくるけど、
>日本の飛行機はパーッとすぐ落ちちゃう。」って行ってたな。

これはただ単に飛行高度の違いかもしれませんね。
B-29は高いところにいるから、落ちてくるのに時間がかかる。
日本の飛行機は低いところにいるから、すぐ落ちてくると。


94:名無し三等兵
03/06/01 03:31 CSDM8Sq+
>B-29は高いところにいるから、落ちてくるのに時間がかかる。
>日本の飛行機は低いところにいるから、すぐ落ちてくると。
そうすると周りに米機がいないのに日本機が落ちたと?
たぶん日本機はすぐ火を吹いたり、エンジンが止まって操縦不能になるのに対して
アメリカ機は被弾しても出力が低下して徐々に降りてくるということでは?


95:名無し三等兵
03/06/01 04:02 Hn12u0Iz
前に別板でも書いたけど、うちの母親の話。
まだ小さかった母親をじいちゃんが抱っこしながら
「いよいよ大和が出る。これで日本は勝つぞ」
って言ってたらしい。
大戦中、大和はその存在を知られてなかったとか聞くけど、あれは間違いだね。


96:名無し三等兵
03/06/01 16:17
>>95
>大戦中、大和はその存在を知られてなかったとか聞くけど、
>あれは間違いだね。

あれは完全に間違いみたいですね。
軍の広報で、「長門を超える新型戦艦が就航している」というような
文が一般に公開されていました。
これは信じられないが本当だスレよりです。


97:91
03/06/01 17:41
>>92-94
いや、多分大きいからふらふら落ちてくるんだと思うよ
空気抵抗で。
一応そのときの話では、火を噴いてるって話だったから。

高射砲が全然あたんないって言ってたけど。


そういえば、近くの都立大学(今は都営マンション)が爆撃目標で、
爆弾が落ちたあと行ってみたら、コンクリートの貯水槽が吹き飛んでいたらしい。

98:名無し三等兵
03/06/01 22:19
>95
親戚のおじいさん(故人)が、輸送船の銃手やってて、
大きな戦艦とすれ違ったけど、戦後しばらくしてから
大和か武蔵だとわかった…てな話してました。

ちなみに、そのおじいさんの乗っていた輸送船は米軍機の空襲にあい、
直撃弾こそなかったものの、至近弾をもらいすぎて沈んだそうです。
「飛行機落とせたの?」ときいたら、
「さっぱり当たらんかった。」といっていました。

ついでに、そのおじいさんのいとこは夜間戦闘機月光の斜銃手だったそうですが、
出撃してもほんとに真っ暗でなにも(敵も味方も)わからんかったそうです。
あれではどうにもならんというようなことをおっしゃっていました。


99:名無し三等兵
03/06/02 00:07
>>98
なんか、すっげー良い話。
実際はそんなもんでしょうね。
船の機関銃は、とりあえず鼻先に向けて撃って
爆撃コースからそらせるためのもので、
実際に当てるようなものではないと言うような話をきいたことがあります。


100:名無し三等兵
03/06/02 17:01
100get

101:名無し三等兵
03/06/02 21:12 DT46zLS/
「我が海軍には新鋭戦艦あり」という報道の後、
大本営ニュース映画に利根が最大戦速で航行するニュース映画が流れた。
ちまたでは「この前の広報映画に出てきた新鋭艦がその新戦艦だ!」という噂がたった。

大本営海軍部は「大本営ニュース映画で映された艦は新鋭戦艦ではない」と釈明する声明を出した。

102:名無し三等兵
03/06/02 21:18 QD+lCk7W
>>91
日本機は空中爆発で翼がもげるから、空気抵抗が減って早く堕ちるのだ、多分...

103:名無し三等兵
03/06/02 21:19 wmcLdBJ1
玉音放送があった翌日には、近所の陸軍の飛行場に忍び込んで盗みをやっていたそう。

この間のイラクと状況は変わらないみたい。


104:名無し三等兵
03/06/02 21:25 C2mOAI5N
>>98
戦争経験者がいてよかったですね・・・・
自分は周りにそういう人いないので・・・・
いい話だと思います

105:名無し三等兵
03/06/02 21:30 QD+lCk7W
>>104
そうだな
みんな、80超えたじいさまは大切にしてやれ。
そういう人は減るばっかなんだからさ。

106:名無し三等兵
03/06/02 21:47
>>103
>玉音放送があった翌日には、
>近所の陸軍の飛行場に忍び込んで盗みをやっていたそう。

基本だろ!!
ウチのじいちやんは年食いすぎで戦争はいかなかったけど、
戦後の焼け野原でくず鉄拾い(電線とか)やってえらい羽振りが良かったらしい。
ただし、羽振りが良すぎて、通報されて、
場偉大な賠償金を負わされた。
が、それまで儲けたお金で一括で払ったんだって。
それ位、クズ鉄拾いは儲かったらしい。
母曰く、「同時で誰でもやっていたのに、ウチだけ摘発された!!」
と言っていた。
ママン・・・。




107:名無し三等兵
03/06/02 21:53
親戚のじいさん(既に他界)は憲兵少尉、
メチャクチャ兵隊をぶん殴った事があるそうな。
不条理なことをしたと悔やんでいた。
その息子は現在陸上自衛隊の二尉。

別のじいさん(これまた他界)は海軍の爆撃機パイロットで
フィリピンで敵戦闘機の機銃弾を受け右腕を吹っ飛ばされた、
一緒に風呂に入り腕のない右肩をさすりながら
「戦争はやっちゃいかん」と諭された、非常に説得力があった。

108:名無し三等兵
03/06/02 21:55
うちのヒイジーさん(かな?)確か日本海海戦にでたらしいとジーちゃんに
聞いた・・・

109:名無し三等兵
03/06/02 22:29
毋方のじーちゃん、右手の手首から先が無かった。
小さいときに聞いたら、「昔、戦場で敵が投げてきた
手榴弾投げ返そうとしてなぁ…」当時、意味は分から
なかったが、葬式の時戦友だった人がフィリピン戦で
味方を庇おうとした時の事だったそうな。

110:名無し三等兵
03/06/02 22:35
109です。文見たら言葉がおかしいので訂正させてください。
葬式の時に戦友だった人が教えてくれたのですが、です。
お馬鹿な文かいてしまってスマン。

111:名無し三等兵
03/06/02 22:47
一人に付き何人自慰さんがいるんだか( ´,_ゝ`)プッ

112:名無し三等兵
03/06/02 23:18
>>111
定期的に来る馬鹿だな。
2chなんて、初期の頃から比べれば
何倍、何十倍にも利用者が増えているよ。
これを考えれば、簡単にわかるだろうにさ。
このスレだって、過去にレスが止まった事もあるよ、ネタ切れで。
106のじいさんは過去ログで数回登場しているよ。


113:名無し三等兵
03/06/03 10:13
いや~オレも>>111に同意。
誇張や捏造や誰かの経験談の無断転載も紛れていると思って読んでる

114:名無し三等兵
03/06/03 11:23 Tdf8pTC2
>>108
そーだよな。あの頃の若い人は日露戦争の英雄の話を聞いてたんだよな。
うちの爺さんも今年96だが日中戦争の話よりも日露戦争の話ばかりしてくれた。
日露戦争の話が好きで戦前よく調べていたらしい。軍ヲタ?

115:名無し三等兵
03/06/03 11:28
俺が生まれる前の話だが、5年前に死んだうちの爺さんは
戦争中に中国の村で略奪してきた鍋や釜を「戦利品だ」と言って家族に自慢したらしい。
当時極左過激派学生だった俺の親父は、
それを聞いて激怒しすごい親子喧嘩になったそうだ。

116:名無し三等兵
03/06/03 11:50 AU1vK2Hy
インパール作戦の数少ない生き残りでつ・・

117:直リン
03/06/03 11:52 GY3QD9xM
URLリンク(homepage.mac.com)

118:名無し三等兵
03/06/03 12:01 202QFb/o
うちのじじ様(既に他界)は陸軍の教官パイロットしてて、
潜水艦でドイツに行くのはいいが、帰りはロシア経由になるだろうって
ロシア語も練習してたそうな。
日本語、英語、ロシア語、あとドイツ語も話せたらしい。
でも、神風号と一緒に写ってるじじ様の学生時代の写真見ると、
眼鏡かけてる。





119:名無し三等兵
03/06/03 15:21
父方の祖父は千島列島で船ごとしずんだらしい。s19.10.20~25
船種は不明。唯一知るばあさんが少しボケてしまったのから。

母方の祖父は病弱で徴兵を免除された。彼の弟は、s19.10.22
フィリピンにてマラリアに冒され死亡。


120:名無し三等兵
03/06/03 16:36
>>113
そういう場合は、読んだ話だがと一言いれて欲しいですね。
確かに、過去にどこかのホームページから転載というのもありました。
もしかして、ホームページを作った人かもしれませんが。


121:名無し三等兵
03/06/03 17:40 VRohpWoP
>>114
軍歴がある年寄りってそんなもんだって。


122:hg
03/06/03 17:41 NP0YMvub

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123:名無し三等兵
03/06/03 19:18
だいぶ前にも同じようなことを書いたような気がするが再び。
陸軍だったらしい。大尉だったらしい。
満州に行ってたんだがどっかの陸軍士官学校に呼ばれてすぐ日本へ戻った。
しかしその直後、祖父の中隊は全員グァム島で玉砕。
そのときのことを話すときはなんだかすごく悲しそう。
満州で電車に乗っていてゲリラの襲撃を受けたこともあるとか

124:名無し三等兵
03/06/03 20:41
ひいじいさんは近衛兵ですた

125:名無し三等兵
03/06/03 21:17
漏れのじいさん、もうそろそろ90なんだけど戦時中は
飛行機の整備やってたんだって。
あまり詳しくは話してはくれないんだけど、これから特攻に出撃する
飛行兵が、笑顔で「今日も空がきれいだ」って飛び立ったんだって。
それが印象的だったらしくその話はよくしてくれた。
また別の日は明日出撃する飛行兵が基地の隅で泣いてるのを見かけたらしいよ。なんの言葉もかけられなかったって。
最近元気がなくなってきたようなんだけど、もっと話が聞きたいなあと思うね。

126:名無し三等兵
03/06/04 09:47
うちのじいちゃんは、長崎の三菱の熟練工だったし年も食ってたので
教育徴兵?とかで久留米の連隊にちょっと逝って帰ってこられた。
でもその結果被爆・・・。


127:名無し三等兵
03/06/04 20:49 yVCfSeiM
 以前、他のスレにも俺のじーちゃんの事書いたんだが、
また新しく事実が判明しました。俺のじーちゃんは南方のフィリピンへ
行ったんだが、レイテ島に行ったかと思ってたら
驚いたことに、ルソン島南部で住民を虐殺した部隊にいたんだわ。
 俺がまだ9歳位のときに、じーちゃんは「わしは戦争でお前くらいの
子供も殺した」って言ってたの思い出したよ・・・。本当だったんだ・・・。
かなりショックだ・・・。
 ルソン島南部のりパって町で住民を家の中へ連れ込み、銃剣で刺し殺した後は
その家に放火して死体ごと焼き払ってた部隊だわ・・・。
 同じ部隊の生き残りが証言している話では、家の前で刺されて瀕死の子供も見たって
いうから、それは俺のじーちゃんがやったのかもな・・・。
 また、カンルーバン捕虜収容所ってとこに終戦直後いたみたい。

 誰か、俺のほかにじーちゃんが、通称「藤兵団」にいたって人いませんか?
ただ、この藤兵団「○○飛行場大隊」にいた人は必ずといっていいほど
虐殺のタブーを隠して話さないらしいから、なかなか居ないか・・・。
 
 いずれにせよ、これでじーちゃんの戦争時の謎がやっと解けた。
虐殺の体験者の話では、一度虐殺すると、一生夢でうなされるらしい。
 自分が殺した相手に殺される夢を毎日のように見るらしい。

 続く

128:127
03/06/04 21:09 yVCfSeiM
 俺のじーちゃんも、よくうなされてたよ。
すごく苦しそうにして、「やめろっ」て言いながらうなされてた。
 実は俺も何度かうなされた事があって、内容を話すと
夢の中で真っ暗な場所に死体の山があって、みんな苦しそうに
うめきながら、「殺してやる、殺してやる」って俺に言うんだよ。
 その時はすごく苦しくて、夢から目が覚めても冷や汗がすごいんだ。
この悪い夢を何度も見たし、その場面というのは、
 じーちゃんの部隊が住民を銃剣で殺して、放火した後の死体の山と
同じような場面じゃないかと思う。
 孫まで呪われるような悪事だと思っています。
 
 また、フィリピンで虐殺のあった場所では、夜中に幽霊というか、
誰もいないはずなのに、すすり泣く声が聞こえたり、人影が見えるらしい。
 
 実は俺の家でも、昔よく夜中に外から、それも人が入れない、家と家の間から
うめき声とか人影が見える事がよくあって、
俺も正直慣れちゃってて「うるせえな」ってくらいにしか思わなかった。

じーちゃんの死後、そういった事はピタリとやんだから、
 あれはきっと虐殺された人たちの怨念だったんだと思います。


129:127
03/06/04 21:27 yVCfSeiM
 また、この部隊は赤ん坊やその母親まで平気で殺しまくった部隊で、
無数の死体が転がる建物を放火して、その火を笑いながら見ていたそうです。

 いくら戦争でも、人間としてやってはいけない事をした最悪の部隊だと
思います。それでも、俺にとっては大事なじーちゃんがいた部隊です。

 あれだけ優しかったじーちゃんが、まさか20歳半ばでそんなことを
していたとは、すごいショックだし、ここまで人間を変える戦争は怖いと
心底思います。 

 殺されたフィリピン人があまりにも可哀想なので、
俺はその虐殺被害者(生き残りもたくさんいる)に何かしてあげたい。
 少しフィリピン語を覚えてきたし、何か犠牲者に力になってあげたい。

 終わり 

130:名無し三等兵
03/06/04 21:41
>>ID:yVCfSeiM
捏造ご苦労さん、わざわざageで書くあたりが汚らしいチョンらしいな。
「旧日本軍の残虐行為」のほとんどが朝鮮人志願兵の仕業なんだよ。

131:名無し三等兵
03/06/04 21:54
俺がいく耳鼻科に元軍人が3人いる・・・・
1人は便衣兵に酷い目に合わされて
1人は明石の乗組員(途中で輸送船に転属)
1人はラバウルにいた・・・
どれも大変いい話でした・・・

132:_
03/06/04 21:55
URLリンク(homepage.mac.com)

133:名無し三等兵
03/06/04 21:58
いくらなんでも「日本軍の悪行」とされる事件を全部朝鮮兵の仕業にするのはあんまりだろ。

134:じんべえ ◆2kK64Yc21o
03/06/04 22:03 so957uFa
>>133
それはいえる
日本兵だって程度がいいやつばかりじゃないし
根こそぎ動員だから
酒鬼薔薇聖斗みたいなのや変態、サディストも混じっていただろうし

135:名無し三等兵
03/06/04 22:06
イギリス兵捕虜をクビチョンパした日本海軍軍人もいたしな。

136:名無し三等兵
03/06/04 22:07 HlLYqcQO
130晒しage

137:名無し三等兵
03/06/04 22:08
>>130
悲しくないか?何もかも信じられないって・・・何もかも疑うって・・・
もしウソでも騙されてやるって言うのもアリだと思うぞ。

そんなことばっかり言ってるとそのうち自分が信じてもらえなくなるよ。

なんてね、すれ違いスマソ

138:預言者
03/06/04 22:11
URLリンク(elife.fam.cx)


139:名無し三等兵
03/06/04 22:44
母方のじーちゃんは陸軍の戦闘機パイロット
中国戦線で呑龍の護衛をやって、部隊が南方に転進になるときに病気で内地に送還
回復後は二式複戦に乗って本土防空戦に参加、B-29一機撃墜不確実
終戦の数ヶ月前からは憲兵をやっていたそうな

照空灯に照らされたB-29に後下方から忍び寄って
斜め20ミリをエンジンに向かってぶっ放したら
火を吹いて高度を下げていったそうだ
危うくB-29と激突しそうになったので左急旋回で避けて降下して
見上げたらもうB-29は見えなくなっていたらしい

唯一じーちゃんから直接聞いた戦争の話
もうそのじーちゃんも他界してしまいました

140:名無し三等兵
03/06/04 23:10
母方の爺様は満鉄で働いていたらしい。
去年同窓会みたいなのがあって、その時の写真を見せてくれた。
戦争体験は、終戦のときに銃を埋めてきたことぐらいしか聞いてない。

あと、うちの墓は機銃掃射をうけて割れていた。
今年の正月に帰ったら新しくなってたけど。



141:_
03/06/04 23:47
URLリンク(homepage.mac.com)

142:名無し三等兵
03/06/05 00:52
>>137
うーん、130じゃないけど、
127-129はじいちゃんの話というよりは、
噂話をじいちゃんにつなげただけでしょ。
じいちゃんから直接聞いたわけではなくて、
憶測をじいちゃんにつなげているだけだから。
アサヒ新聞そのままの手口だよね。
ちょっと意図が見え見えでイヤな感じがしたよ。

127さんが書いている事実は、
・じいさんがルソン島南部にいた
・戦後は捕虜収容所
・じいさんが寝ていてうなされる。
これだけだからね。

このスレでは、本当にルソン戦記に名前も出てきた人の御孫さんも
書き込んでいるわけで、そういう憶測の情報だけで、
そういった人たちを犯罪者扱いするのはすごい侮辱だと思う。

143:_
03/06/05 01:28
URLリンク(homepage.mac.com)

144:名無し三等兵
03/06/05 01:38
>>142に援護射撃
127氏のいう「カンルーバン捕虜収容所」という
言い方は戦時中はまずしない。戦後の呼び方。
同名の本も出版されてる。
当時の一般兵士なら「カランバン捕虜収容所」
あるいはカンルパンといったはず。
祖父からの聞き取りである可能性はきわめて低いと思う。
モンテンルパと並んでその筋では有名な収容所だから、
ボロがでたんだね。
ゲリラの戡定作戦で過剰なことをしたこの事件は、確かに
処罰されるべきだけど、戦後、取調べの段階から露骨な報復が
行われたことも知っとかなきゃね。

145:名無し三等兵
03/06/05 01:57 GTHBDm0X
>>139
すみません軍事には素人ですので純粋な疑問なのですが、パイロットから
憲兵に転属になるってことは実際あるのですか?

146:127
03/06/05 02:54 nQJFzino
>>130
イタタタタタタタタタタタタw 
 厨房すぎ。w自分にとって都合のいい話のみ信じる、ある意味幸せな坊や。
信じる信じないは自由だからね~ 僕ちゃんには10年早いお話だね^^
「ゴー宣・戦争論」でも読んで鵜呑みにしておねんねしようね~。(保母さん風)

>>142
 推測じゃないです。もし推測だけで書いてたら、どえらい妄想家ですよ。
それに戦争時の中国とフィリピンは違いますよ。フィリピンは被害者の
家族や、実際に日本兵に襲われて負傷した人がたくさんいます。
ソースは「ルソンの谷間」「ワラン・ヒヤ 日本軍によるフィリピン住民
虐殺の記録」「殺した・殺された 元日本兵とフィリピン人200人の証言」
という本です。なお信じるかどうかはご自由ですが。

>>144
 捕虜収容所にいた話はじーちゃんから直接聞きました。
モンテンルパは昭和28年に捕虜釈放、
カンルーバンは昭和21年8月に捕虜釈放。
 俺の伯母(父の姉ね)は昭和22年生まれです。そうなると
カンルーバンのほうだなと。

147:名無し三等兵
03/06/05 03:11
>>146
ん、いやさ、一番聞きたいのはおじいさんから直接聞いた生の話な訳さ。
それをちゃんと書いた上で、
その後にあなたが後から仕入れた感想や憶測を書くのはいいけど、
ごっちゃに書いているでしょ。
君は書き方がものすごく不味かった訳だね。

その場合、あなたのおじいさんがルソン島にいらして、
戦後、捕虜収容所に抑留されていた。
が、後から本を読んだら、この部隊は戦犯の疑いがある。
もしかして、そういう事があったのかな、
小さい頃に聞いた話が本当だったのかな
と思うくらいに書けば問題無しです。

しかし、真実が判明したら、都合よくソースが出てくるね。


148:115
03/06/05 03:21 Pb0gePrg
爺さんの話ではないのだが、
うちの親父の経営する会社の先代社長は陸軍中野学校出身で
戦時中は大陸で情報収集活動をしていたそうだ。
ある時陸軍の部隊に随伴して占領した町に入ったところ、
焦土作戦で町は廃墟と化していた。
現地調達を考えていたらしく部隊の食料は既に底を尽いていたのだが、
町にはもちろん食料など残されていない。
井戸水にも毒が入っている。
しかし唯一ぶどう畑にだけはたくさんのぶどうが実っており、
彼はそれから補給が来るまでの一ヶ月の間ひたすらぶどうだけを食べ続けたという。
当時の日本人にはぶどうなどそうそう口にできるものではなかったのだが、
最後には見るのも嫌になって終戦後もしばらくはぶどうが食べられなかったそうだ。

149:127
03/06/05 03:25 nQJFzino
 ごめ。たしかにわかりにくい部分もあるかな。
実は俺フィリピン人に知り合いがいて、その人が俺のじーちゃんの
名前知ってたのよ。
 同姓同名はちょっとありえない名前だし、他にある特徴も一致しててね、
間違いなく俺のじーちゃんを知っててびっくりしたよ。
 もし俺がそのじーちゃんの孫だとばれたら袋叩きに会う所でした。
すごく悪いことをした人だと聞かされて、その人に聞いた話と
これら資料が一致するので、ひどくへこんだんです。
 

150:>>149
03/06/05 08:29 epahSgNc
スバラシイほど都合のいい話ですね

151:名無し三等兵
03/06/05 09:17
  |  (゚∀゚)ノ キテネー! スレリンク(army板)l50
 / ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄

  |  (゚∀゚)ノキュンキュン!
 / ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄

  |  (゚∀゚)ノキュンキュン!
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  |  (゚∀゚)ノキュンキュン!
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  |  (゚∀゚)ノキュンキュン!
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  |  (゚∀゚)ノキュンキュン!
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152:名無し三等兵
03/06/05 13:27 Wlw5bsLk
私は127氏ではないが、もうひとつ、都合の良い祖父の戦争体験話をしてみよう。

私の祖父は京城帝大卒業後はとある郵船会社に入社し、主に総務系の仕事をしていた。
太平洋戦争が始まると、軍属として海軍に徴用された祖父は、海軍省勤務を
へて大井篤著「海上護衛戦」でおなじみの海上護衛総隊に配属された。
そこでの祖父の仕事は、最初は配船業務にかかわる郵船会社・統制会・
逓信省等とのリエゾン業務だった。しかし祖父は自称「英語使い」だったためか、
通信傍受に関係する業務を行うようになった。
正確な業務内容と所属は本人の記憶があいまいでわからない部分が大きい。
しかし英文電文和訳が主な仕事であったこことは間違いないようだ。
けれどもこの配置転換は祖父の「英語使い」としての技量が認められたからではないだろう。

裕福な家に生まれた祖父は、よく言えば天真爛漫、悪く言えば怠け者の放蕩者。
そもそも民間企業はもとより役所仕事に向いている人物ではない。
祖父の配置転換は実際には左遷のようなモノだったらしく、仕事は暇であったそうだ。
旧司法省ビルの一室に机を与えられたそうだが、いつも退庁は午後六時前。
しばしば余暇を利用しては府内某所で遊び仲間とテニス・トランプに
興じ、勤務中も隠れて講談本を読む始末(通信傍受と講談本は切っても切り離せないモノなのだろうか?)。
また女遊びのすさまじさは未だに我が家の伝説となっている。
見かねた上司から嫌味を言われたというぐらいだから本当に暇だったのだろう。
あるいは仕事を与えられなかった、「使えなかった」ということだろう。

153:152
03/06/05 13:28 Wlw5bsLk
有力なコネがあったとはいえ、このような人物を飼っておくとは
まあ当時の海軍には相当の度量と余裕があったということなのだろうか。
(私はよく生前の祖父に太平洋戦争中の体験を話すようにせがんだが、
いつも話してくれたのは「海軍省高等官食堂のメシはまあまあだったが、
やはり飽きがきた。それに物資が払底してくると
やはり不味くなった。そこでたまに帝国ホテルで内緒のメニューを
食べていた」なんてハナシばかり。
くどいようだが本当に仕事をしていなかったようだ。)

それはともかく、そんな祖父にもようやく海軍の役に立つ時がきた。
ただしそれは、終戦後のことであった。
終戦後、祖父は進駐してきた米軍との通訳業務のためにしばしの間忙しい時期を送り、
横浜、横須賀、厚木とあちらこちらに派遣されて業務にあたった。
(しかし祖父がたちいって話してくれたのは「グランドホテルのメシもなかなかで
見事な玉突台があった・・・・云々」といったハナシばかり。)

海軍省が廃止され二復が設置されるのを機に、祖父は海軍省を免官となった。
普通の戦争体験であれば、これでハナシはオシマイとなる。
しかし海軍廃止をもって、祖父の「戦争」体験は終わらなかった。

海軍をやめた祖父は、日本郵船には復帰できなかったものの、
昔のツテと若干のコネを利用して、なんとか海運関連の仕事につくことができた。
しかし新しいようやく生活になれるはじめた頃、祖父は突然地元の警察署に呼び出された。
待っていたのは米陸軍将校とMP。祖父はその場で身柄を拘束された。

つい長々と書きすぎた。続きは夜に。

154:名無し三等兵
03/06/05 13:51
わざとらしい(プッ

155:名無し三等兵
03/06/05 17:39 tJYOTUD3
うちのじーさん(故人)は足が悪かったからか、長男だったからかで戦争には行かなかった。
で、当時は網元をやっててデカい船を持ってたから、輸送船としてその船を国に徴収?されたらしい。
県でも2隻しか徴収されなかったらしくて、その話をじーさんから聞いた親父が今でもたまに自慢げに語る。

じーさんの弟ではシベリア抑留にあった人もいるし(次男)、ノモンハン事変で通信兵として奇跡的に
生き残った人もいる(三男)。四男だけはブーゲンビルで戦死したらしい。

じーさんたちは既に全員他界してるけど、歴史を理解できるようになった今では国・家族・未来の為に
戦ってくれたことをありがたく思います。

156:名無し三等兵
03/06/05 17:49 AyqGsO2d
あんまし関係ないかもしれんが
戦没者の墓石って先端が四角錐なのでわかりやすい。
墓地で見かけると、墓石の裏にまわって彫られてるいる戦没地・
年令・階級を読み、手をあわせることにしている。

157:名無し三等兵
03/06/05 17:52 0L5OXL80
みてね♪
URLリンク(www1.free-city.net)

158:みるとん
03/06/05 18:03
うちのじーちゃんは、どうやら中国の旧満州に出兵しとったみたいです。
はなしによると、あそこらへんは冬になるとめちゃくちゃ冷えて川が凍って
戦車でも渡れるようになるらしいです。じーちゃんがどうも配置換えか何かで内地に
行かされたらしばらくして戦争が終わったそうです。ホント運よかったんだなーじいちゃんて。


159:名無し三等兵
03/06/05 18:38 aY1D4ffF
  |  (゚∀゚)ノ ラッキ-ダタネー!
 / ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄


160:名無し三等兵
03/06/05 19:05
やれやれ、軍隊には大なり小なり虐殺は付いて回るのに
なぜ日本兵が行ったという事例だけ狂ったように否定したがるんだろうね。
その他の”じいちゃんの話”は疑うことなくスルーしてるのにね(藁

161:リアル厨房
03/06/05 19:08 d6ZgKMFT
俺の爺ちゃんはフィリピンにいったそうです。
バタバタ仲間がやられて
「ああ!もう全滅したか!」
っていうときはだいたい3分の1ぐらいしか死んでないんだそうです。
斥候にも出たそうですが生きた心地がしなかったとか。
「もうなぁ。死ぬかと思ったぞ」
って言いながら腰を浮かして屁をこいてた爺ちゃんがなつかすぃ。('A`)

162:名無し三等兵
03/06/05 19:47
>>161
勇ましくないけど、実際に自分が戦争に出たら
そんな感じだろうね。
へっぽこなじいさんだけど、立派ですよ。

163:名無し三等兵
03/06/05 19:50
>>149
おーう、前スレの弟さんの仇討ちじいさんの話の方ですかな?
それが本当だとしたら、それはそれですごい事実ですなぁ。
それ位有名だったら、フィリピンの資料を調べてみると良いですよ。
あと、戦後にゲリラとして戦っていたと言う話なので、
いつ収容所に入ったか名度の時列系を調べてみると良いです。
何か、話が二転していて、
どこまでが確認できた事実なのか解らないです。


164:名無し三等兵
03/06/05 19:58
藤兵団はすぐに出てきますね。
そこのどの部隊の、何処の部署でどういう階級だったのか、
どんな仕事をしていたのかを調べると良いですよ。
つか、かなり研究されている事柄に見えますが・・・。

URLリンク(www.google.co.jp)

165:名無し三等兵
03/06/05 20:15
お前等論争は他所でやれ

166:名無し三等兵
03/06/06 01:09
127氏はどうも、書き方に疑いたくなるような箇所が多くて、
どうしても釣りか煽りに見えてしまうなあ。

本当でも嘘でもかまわないけど、127氏はどうしても自分の話を信じさせたいと
躍起になっている節も見受けられる。

本当の話、とするにはちょっと信じがたい。
本当の話だとしても、憶測や脚色が結構入り混じってるしね。

特に、127氏まで悪夢にうなされる部分(激しく藁)

167:名無し三等兵
03/06/06 01:09
戦艦長門に乗った友人のお爺さんの一言。
「でぇっかいフネだなぁ~」


戦争体験じゃないか。

168:名無し三等兵
03/06/06 01:21 1awsxhtq
うちは15歳で陸軍特別幹部候補生(船舶)に志願して
小豆島で「マルレ」という小型船の訓練を受けたらしい。


169:名無し三等兵
03/06/06 01:24
そーいや、戦犯で思い出したが、
免許の書き換え時に話を聞いたじいさんで、
台湾で偵察機に乗っていたが、
帰ってきて、さて大学に行こうと思ったら
自分のいた部隊が戦犯の疑いを受けていて、
大学に入れなかった。
「台湾で誰か悪さしたんでしょ」と言っていた。

実際に同じ部隊にいてもこんなもんらしい。
これって、もしかして前に書いたかもしれんな。
あのじいさんの話はもっと聞いておけばよかった・・・。


170:名無し三等兵
03/06/06 02:52
>160

文句は本多勝一にでも向けてください。
なお、軍板においては「コヴァは犬扱い」であることをご理解ください。


171:名無し三等兵
03/06/06 03:04
かーーーー、つまらんな、つまらんぞ、もっと刺激的な話がイパーイあるだろ

支那でクーニャ狩りに性を出したとか、南方で土人部落を襲撃して無料の慰安所
を作ったとか、占領地で女という女は手当たり次第にはらましてきたとかさ~

何を格好つけてるんだよ~

172:名無し三等兵
03/06/06 03:09
うちのじいさん予科練でめちゃくちゃ虐められたらしい

173:名無し三等兵
03/06/06 03:37
>>171


174:名無し三等兵
03/06/06 04:03
>>171
当然、現実はこんなものだよ。
軍隊といっても、憲兵っていう警察システムがあって、
違法行為は取り締まられていたんだからね。
更にわざわざうらみを買うような事はしないだろ。
何のために、慰安婦システムがあるんだか。

>支那でクーニャ狩りに性を出したとか、南方で土人部落を襲撃して無料の慰安所
>を作ったとか、占領地で女という女は手当たり次第にはらましてきたとかさ~

けど、このあたりは水木しげるの戦記ものの中で読んだ気がする。
南方の土人に日本兵がもてて、水木しげるも誘惑されたとか何とか。

175:名無し三等兵
03/06/06 06:16
>171
そんなやつはいねえって。

妄想しすぎだお前。

176:名無し三等兵
03/06/06 09:44 odoL+DAI
俺の爺ちゃんの葬式の時に隣の爺ちゃんがいっていた話。
その爺ちゃんは駆逐姦だか水雷艇の魚雷係だったんだが、
武蔵にくっついてレイテに向かう途中、
このまま行ったらおれら絶対死ぬなー、と思った爺ちゃん達は、
みんなで一生懸命魚雷発射装置を壊した。
なんでも、魚雷を発射管に充填するやつが壊しやすくて、ほかは壊れなかった。
その甲斐あって、船は母港へユーターン、爺ちゃんは長生きできたが、そのまま武蔵に随伴した香具師らはあぼーん…
どこまで本当かは知らない。

177:霊界から。
03/06/06 10:46
>>176
ああ!!オマエのじいさんか!!
俺は駆逐艦か船長だったけど、
死に場所を探して武蔵にくっついていこうとしたけれど、
魚雷の発射管がぶち壊れて、死にそこなった。






おかげで戦後まで生き残れました。


178:名無し三等兵
03/06/06 11:07 6wj4mVWl
うちの曾じいちゃんの話。

どうも詳しい所属はわからないのだが、大陸に行っていたとのこと。
そこで案内として雇っていた中国人にある日「病気になったので薬をくれ」
と言われたらしいが、もちろんそんなものは持っていない
困ったじいちゃんは持っていた歯磨き粉をその中国人に渡したそうだ。
後日、そいつは「お前のおかげで治った、ありがとう」
と言って食料をたくさん持ってきたそうな

曾じいさんいわく「シナ人、ありゃー丈夫な奴らだ」とのこと。

179:名無し三等兵
03/06/06 11:10
>>178
ひでえ!!

いや、ひいじいちゃんは、
プラシーボだか、プラシーボ効果ってヤツを狙っていたのか!?

180:127
03/06/06 18:21 WVrEbi54
 127です。上の方の、俺への批判みてため息でますわ。

 はあ・・・。なんか哀れというかなんと言うか・・・。
あのな、軍隊にも「いい軍隊」と「悪い軍隊」がいたの。
兵隊にも、いい人悪い人がいたの。それぐらいのこともわからんのか?

 フィリピンで虐殺があった証拠・証人はいっくらでもあるのに、
いきなり捏造だの朝日だのと左翼扱い。アホか。しかし朝日って言われたのは
ワラタ。
 中 国 じ ゃ な い の。 フ ィ リ ピ ン な の 。
 
 必死になって旧日本軍の悪い部分をごまかす厨房。
お前ら、ガキの使い以下だな。


181:名無し三等兵
03/06/06 18:39
>>180
>ワラタ
楽しかったかい?よかったね。

>フィリピンなの
そうか左翼系新聞はアジアでの蛮行とやらは一切触れないのか
いやあ、
ち ゃ ん と 新 聞 読 ん で る 人 に は か な わ な い な あ。

>証拠証人はいくらでもいる
おまえのじいちゃんが脳内妄想の産物でなけりゃ戦犯になってるはずだがねえ。
証拠証人があるくせに戦犯でもない、でも伝聞情報によれば、戦犯に違いない
いやあ、どういう頭脳の持ち主なのかねぇ?
信じたいと思うことを信じればいいが、さっさとそれ系の掲示板へいってくんないかね。
うざいから。


182:名無し三等兵
03/06/06 18:40
>>176-177
ちょっといい話じゃねぇか。

>>178
ほぼ同じような話をばあちゃんから聞いたぞ!?


183:名無し三等兵
03/06/06 18:42
>>180
ちゃんとレス読んだ?全部嘘だと決め付けてる人ばっかりじゃないのに・・・
そんな書き方をしたらまともな議論にならないでしょう特に最後の文


184:127
03/06/06 18:48 WVrEbi54
 先日、俺のじーちゃんの生家へ20年ぶりに行ってきました。
理由はひとつ。戦争で、何があったか。
 フィリピン・ルソン島で虐殺した部隊だから、藤兵団だろうと決めて
かかっていたんですが、驚いたことにじーちゃん、山下兵団だって。
 それも山下大将の直属部隊?だったそうな。

 開戦初期、マレーシアに行っていたそうで、なんととあの有名な
銀輪部隊にいたそうです。
 そして戦争末期。フィリピンの資料を見ていくと、ルソン島にて
藤兵団以外に山下兵団も虐殺を行っていました。 
それも皆殺しに近い虐殺を。
 これ以上詳しく書くと個人が特定されてしまいますのでここまでに
します。
 
 最後に、個人的に意見を言わせていただくと、
やっぱり旧日本軍には当然ながら、いい部分、悪い部分があって、
いい部分は真珠湾の活躍、アッツ島にて玉砕した部隊、そして硫黄島の
戦い、インド独立など。
 悪い部分は各国で行われた虐殺です。
 
 我々、孫の世代としては、旧日本軍のいい部分は賛否し勇気を称え、
虐殺という悪い部分は恥じて反省し、また悪事を認めようともしない
同世代の低脳な厨房(こいつらは悪を認める勇気がない、ただのガキ。)
がいることも大いに恥じ、戦争の本当の姿を正しく理解し、
 後の世代に伝えていくべきだと思います。


185:127
03/06/06 18:57 WVrEbi54
>>181

 あんたかわいそうだよ。
ちゃんとフィリピンでの戦争資料等読みなよ。
 虐殺して戦犯になって処刑された人もいるし、戦犯にならなかった
人もいる。つまり、虐殺したけど戦後日本に帰ってきた人は
たくさんいるよ。そんなことも知らないの?
 もちろんフィリピンだけじゃなく、他の国でもそうだよ。
人にソース求める前に、自分で正しい予備知識もたほうがいいよ。

 まあ、厨房には何をいっても無駄だろうけどさ。
俺の文章は全部、良識ある大人が読むものだから、難しかったら
スルーしちゃえばいいよ。
 君がいつか、俺の話を真剣に聞けるようになってくれるといいんだが。

 以上。厨房にはもうレスしません。レスしても無駄ですからね。

186:名無し三等兵
03/06/06 18:58 Z1QZGcIe
>>184
アメリカ軍のもっとすさまじい虐殺にも触れろ
B-29であんなことやこんなこと 無差別空襲や原爆でぎゃ・・・(以下略)
ベトナムであんなことやこんなこと・・・(以下略)

187:名無し三等兵
03/06/06 19:03
うちのじいちゃんは岐阜の山奥で工場に勤めてたみたいです。
技術職だったんで戦争に行かなくてすんだとか。
終戦間近は空爆が激しくで焼けた馬とか食ったそうな。
でもって、終戦後は資料処分で大変だったらしい。
なんか、アメリカまで行って帰ってこれる爆撃機の図面を引いたらしい。
燃やしたらいいけど・・・

もう死んじゃって詳しいことは聞けないのが残念。

188:127
03/06/06 19:11 WVrEbi54
>>186

 もちろんアメリカは悪の権化ですよ。
あの戦争だって全部アメリカが悪いし、アメリカがやってきた虐殺は
永久に許されないものだと思います。
 ましてやアメリカの虐殺と比べたら日本軍の虐殺は微々たるものですよ。
これはみんなわかってる事ですのであえて書かなかったんですよ。

189:名無し三等兵
03/06/06 19:35
爺さんは教師だったので出征せず。
8月14日、勤労奉仕先の工場の監督官から
「明日は来なくてよろしい」と言われ
15日は生徒を川で遊ばせていたそうな。
正午過ぎに川べりで近くの住民から
「戦争に負けた」事を聞いたとか。
よく晴れた、蒸し暑い日だった、と。

190:名無し三等兵
03/06/06 19:46
>>186
なら日本の戦争犯罪は全て見逃していいと?
なんか言ってる事が、「俺は万引きしたが強盗をする奴もいる。俺を責めるのは止せ」って感じだ。

191:名無し三等兵
03/06/06 19:46 Z1QZGcIe
死んだじいちゃんは満州で官吏(保健関係)をやっていた
昭和20年7月に獣医科見習士官として入隊 が
すぐにソ連軍が攻めてきた 
獣医科なのに人員不足で歩兵中隊を指揮 手榴弾を喰らって負傷した
収容所に行っても、獣医でしかも将校だったので他より扱いがずいぶんよかったらしい
しかし家宝の刀を没収され、しかも帰国途上に妻子全員を失った
このことを話すじいちゃんはいつも涙ぐんでいた

192:名無し三等兵
03/06/06 19:47 Z1QZGcIe
>>190
日本だけじゃなくアメリカのことも責めろ、と言いたかった

193:名無し三等兵
03/06/06 19:48
>188
まぁ一応言っておく、
貴方も解ってると思うから誤解しないでくれよ?

何と比べたって虐殺は虐殺、「比べて良い物じゃ無い。」

194:名無し三等兵
03/06/06 19:50
ばばあとじじいさっさと死ね、糞ムカツク、半分キチガイのゴキブリどもが。

195:直リン
03/06/06 19:53 iyBzWN/5
URLリンク(homepage.mac.com)

196:名無し三等兵
03/06/06 19:53 6wj4mVWl
>>182
もしかして親族かも知れませんな、かなり多いし。

197:190
03/06/06 20:00
>>192
納得

198:名無し三等兵
03/06/06 20:18
うるせー馬鹿共、俺もお前も日本もアメリカも、世界人類すべからくキチガイの集まりだ。

199:名無し三等兵
03/06/06 20:24
>>198
言えてる、そもそも心という物自体異常。

200:名無し三等兵
03/06/06 20:26 Z1QZGcIe
>>198
君はまだアメリカのキチガイさに達していないな

201:名無し三等兵
03/06/06 20:29
>>200
実はみんなアメリカ嫌いということにブッシュはきずいていない

202:名無し三等兵
03/06/06 20:32
アメリカがキチガイに思えるのはお前の気がおかしいからさ
俺もお前もみんなキチガイ
キチガイが怖くて直立歩行が出来るか

203:名無し三等兵
03/06/06 20:32
あああああああああああああああああっsっっっっっっっd

204:名無し三等兵
03/06/06 20:33 Z4Gn0KwR
このサイトおすすめ♪
URLリンク(zoetakami.fc2web.com)

205:名無し三等兵
03/06/06 20:35
狂うのが怖くて生きていけるか!!・・・話を元に戻そう

206:名無し三等兵
03/06/06 20:36
フィリッピン戦線で飴公を5~6人ほど撃ち殺して勲章をもらいますた。

207:名無し三等兵
03/06/06 20:37
勝利宣言で逃亡したへたれのいるスレはここですか?

208:名無し三等兵
03/06/06 20:37 PSg+1onX
じいさんは海軍の主計にいた。
国内の鎮守府で物資の調達がかり。
おかげで、戦争が終わるまで、自分の金で買い物をしたことがなかったそうだ。ばーさんの買い物も常に業者がはらっていたとのこと。
敗戦になって、物資をだいぶ自宅に運び込んだようだ。
しかし、戦後になって業者の態度ががらりと変わってしまい、生活は大変だったらしい。

209:名無し三等兵
03/06/06 20:37
戦争で人を殺せば英雄、日常で人を殺せばキチガイ。

210:名無し三等兵
03/06/06 20:38
>>208
典型的な恩給欠格者ですね。

211:名無し三等兵
03/06/06 20:39
>>209
おまいは生活保護欠格者だ!働け!

212:名無し三等兵
03/06/06 20:40
>>211
はあ?

213:名無し三等兵
03/06/06 20:42 Z1QZGcIe
荒れるなよ

214:名無し三等兵
03/06/06 20:43
禿げるなよ

215:名無し三等兵
03/06/06 20:48
禿げてます

216:名無し三等兵
03/06/06 21:01


217:名無し三等兵
03/06/06 21:25
>>178,182
>ほぼ同じような話をばあちゃんから聞いたぞ!?

むむ、これは
「実は支那事変は実はワシがおこしたんだ・・・。」系の話ですな。
それはそれで興味深いですな。


218:名無し三等兵
03/06/06 21:27
>>191
ああ、ご愁傷様です。
自分も前スレと前々スレに書きましたが、
じいちゃん・ばあちゃん・父・叔父と満州からの帰還組です。
話を聞くと、本当に生きて変えれたのが不思議なくらいだった様子ですね。


219:名無し三等兵
03/06/06 21:32
>>127
うーん・・・。
検索結果とか出して、
いろいろとおじいさんに関して
調べられるようにしてあげたんだけどね・・・。
君がそういう態度ならば、このスレには来てほしくないなぁ・・・。

君の態度はおじいさんの体験を伝えたいのではなくて、
ただたんに虐殺をやっていたという話をしたいだけに見えますよ。
別に虐殺の話でもいいんですよ、実際にあっただろうしね。
ただ、そうやって、はじめは弟の仇討ちで、次はルソン島、
それで山下兵団とコロコロ話しが変わって、
それについての根拠の説明も無ければ、
周りを納得させることはできませんよ。

220:名無し三等兵
03/06/06 21:42
あっ、今思い出した。
これは戦争のはじまる前の話だけど、せっかくなので書かせてください。

これって、半分笑い話なんだけど、
じいさん、ばあさんが満州に行くときに、
同じ村の満州開拓団の全員が菩提寺に髪の毛を残していったそうです。
こんなこと、本人達はずーっと忘れていたのですが、
お寺さんが掃除した時にこの開拓団の髪の毛が出てきて、
遺族に配られたそうです。
その中に、じいさん・ばあさんの髪の毛もあったそうです。

預けてから、50年近く経っていた時でしたが、じいさんもボケてなくて、
ばあさんも元気な状態だったので、笑い話で済みました。
ちなみに、ばあちゃんは今も元気です。じいさんは年で大往生でした。


221:名無し三等兵
03/06/07 00:48
真の愛国者なら、お前らの祖先は虐殺した云々とケチをつけられても、
優雅に煙草を吹かしつつ

「しましたが何か?もしかして足りませんでしたか?」

と返すもんだ。

222:名無し三等兵
03/06/07 02:03
>127
そもそもてめえが厨房だ。

223:名無し三等兵
03/06/07 02:42
とりあえず127氏。
このスレではやってほしくないが、言い合い隔離スレあたりで
「南京大虐殺は無かった!」とコヴァを装ってカキコしてみれば、軍板住人が
日本軍の虐殺行為を全否定する立場を無条件に取るものでないこと、
ここではコヴァはボウフラ以下の扱いを受けていることを実感できるでしょう。

224:152
03/06/07 04:34 GBOJ9lrs
>>152 >>153のつづき
さて米軍に拘束された祖父だったが、何事もなく三日ほどで帰ってきた。
戦犯狩が横行する中、家族親族はひどく心配していたが、本人によれば
待遇はよく、「砂糖・クリーム入りのコーヒーが飲み放題」で、
「海軍時代の話」をいろいろ聞かれただけだったそうだ。
しかも仕事の話はさほど多くなく、気があった担当将校と
ゴルフやメシや音楽のハナシばかりしていたそうだから、祖父らしい。
しかも帰るときはオミヤゲがついた。
なにやらくだん担当の将校と仲良くなり米軍関係の仕事を斡旋されたのだ。

仕事は二種類。日本語文献の翻訳と港湾荷役作業の監督である。
前者は問題がなかった。入間かどこかのキャンプにいって仕事をするだけの
九時五時の仕事だ。
しかし港湾荷役作業のほうはそうはいかない。
不定期のうえ、六ヶ月ほどのあいだ北海道や沖縄などに行かなければならない。
半年も家族と別れるのは厳しいが、給料は良く、しかも米ドルで支払われる。
祖父も悩んだであろうことは、想像にやすい。
ただ叔母のハナシによると、当時の祖父は家族の心配をする必要があまりなかったそうだ。

終戦直前に祖母、つまり祖父の妻が亡くなったのだが、その後祖母の実家は
娘たち(母と叔母)を引き取って育てたいと申し出ていた。
男でひとつで娘たちを育てるのは大変であろう、という配慮もあったのだろう。
だが叔母によれば、祖父と祖母の関係が極めて悪化していた関係上、祖父と祖母の実家の仲が
ややこじれていたという事情もあったようだ。
結局祖父は娘たちを、妻の実家に預けたうえ、仕事を引き受けた。

海軍時代と同じで「仕事はひじょうは楽だった」と生前の祖父は面白可笑しく話してくれた。
かなりのホラを交えていたはずだが、それらは以下のようなハナシだった。
沖縄での港湾荷役の仕事は、主に出稼ぎフィリピン人と現地住民の混成部隊を監督する
仕事で、日本語も英語もイマイチ通じなかった。

225:152
03/06/07 04:36
どこでもメシは栄養満点だが最低だったので、PXで缶詰などを買って自炊した。
輸送中の「司令官用トレーラ」を勝手に「行方不明」にして、ここに仲間と一緒に住み着いた。
北海道はえらく寒いトコロで、宿舎のシャワーがよく故障して往生した。
韓国ではもぬけの殻になった女学校に居住区があったが、「日本人とバレるリンチされる」ので
敷地の外には一歩もでられなかった。
しかし朝鮮戦争中だったので戦時ボーナスがもらえた。
台湾では旧帝国海軍航空隊出身の台湾人パイロットが、航空会社のパイロット活躍していて
いろいろ便宜をはかってもらった。また満州航空や大日本航空の元パイトッとたちもいたので
あまり寂しくもなく、ペイも良かったので面白可笑しくすごすことができた。
輸送機や旅客機のキャビンはかなり寒く、いつも布団を被っていたが
ベッドがある点、今のジェット旅客機よりも快適だった。
台湾では外出が自由だったので、散々お大尽の生活をした。

詳細は省くが、祖父の弁によれば彼はアチコチで荷役関連の仕事をしていたらしい。
朝鮮・台湾といった外地を訪れたは、占領期の日本人にしては珍しいことであろう。
祖父はこうした暮らしを1950年代中旬まで続けたが、「根無し草生活」に飽きたそうで
ようやく祖国に定住することにした。
その後はいくつかの職を転々とした後、創設間もないとある航空会社に就職した
普通のサラリーマン生活を続けた。

私が知っている祖父の物語はこれで終わりだが、ハナシはまだ終わらない。
ここからは私の物語である。
亡くなる数年前から祖父は私の家で暮らしていた。そこで少年時代の私はよく祖父の話相手
をするトコロとなったのだが、老いても祖父は話し好きの話し上手で、
私の祖父のハナシをいつも楽しんでいた。もちろん少年ながらも祖父の語る物語を、
老人にありがちな罪のない愉快なホラ話として受け止めていたことは、言うまでもない。
上のハナシは基本的には生前の祖父から私が直接聞いた話である。
むろん周囲の親族から聴取した事柄や私の感想で、いくぶん行間を補ってはいるが。

226:152
03/06/07 04:39
ところで数年前滅多にないことだが親族会があった。
そこで叔母と話した私は、二つほどショッキングな事実を知った。
まずは英語。「お爺さんは英語が得意なモダンボーイ(?)でしたねえ。」
「アラヤダ、お父様は英語は全然ダメよ。そりゃ船会社にいたのだから少しはできたでしょうよ。」
「エ?でも英語が堪能で、それでアメリカ軍に雇われてたんでしょ?」
「ナニ言ってるの?あなたのお爺様がお得意だったのはロシア語と朝鮮語よ
お爺様の育ちは京城。ロシア語は独学みたいだったけど、私が小さいころのお父様は
いっつもロシア語の本を読んでおられたわ」

私は驚愕した。
「じゃあなんで米軍関連の仕事をしてたのかな?」
「さあ、わからないわ。でもお父様と一緒にいたアメリカ人はみんな日本語が話せたわよ。
みんな二世のひとだったけど。英語を使う必要がなかったのじゃない?」
帰り道、私は冷静になって考えてみた。
そんなみんな日本語が話せて二世ばかりいる部隊とはどんな部隊だろうか?
語学要員を抱えているのは主に軍政と情報関連しかないだろう。
「祖父は単なるスチャラカ根無し草ではなかったのではないか?」
そんな子供じみた期待感をこめて、色々考え、また探してはみたが成果はほとんどなかった。

しかし近年SIGINTについて調べていたとき、偶然ひとつの事実を発見した。
祖父は昭和26~27年の大半を朝鮮での「港湾荷役」に費やしたことはほぼ確認されている。
またその前後、祖父がジョンソン基地で「翻訳」の仕事をしていたこともわかっている。
母はツテで招かれたジョンソン基地でのクリスマスパーティについてよく記憶していた。
そして同時期の1950年から米空軍通信保全軍団(USAFSS)は、朝鮮半島で大規模な通信傍受作戦を
実施していた。
翌1951年9月,第6920保安群がジョンソン空軍基地(現空自入間基地)で編成され
朝鮮半島と日本をまたぐ形での活動を開始した。
部隊のなかでも空中通信傍受を専門とする第1無線機動大隊は、太平洋戦
(当時は陸軍航空軍所属)から活動していた部隊で占領後からジョンソン基地に進駐し、
日系二世語学要員を大量に要していた。

227:152
03/06/07 04:42
同部隊の活動はいまだ不明な点が多いが、朝鮮当時は朝鮮・中国空軍の戦闘機部隊の無線傍受を
空中で行う活動を行っており、空中COMINTの草分け的であった。
ところで朝鮮戦争勃発後、同部隊は朝鮮語・中国語・ロシア語(いわゆる露華鮮)を
専門とする傍受要員不足に悩んでいた。そこで目をつけられたのが、旧軍の情報関係者だった。

旧軍の情報関係者とG2、キャノン機関などとの関係は現在ではよく知られている。
終戦後、米情報機関は旧軍情報関係者の一部を保護し、彼らの有するロシア・中国関係情報を活用した。
またごく少数の日本人が、日本国内および大陸での現地人工作要員として活動したこともしられている。
ところでこれは最近明らかになりつつあることだけれども、第1無線機動大隊は、
朝鮮戦争中に、ロシア語・中国語・朝鮮語旧軍関係者を傍受要員としてひそかに活用していた。
この部隊は1951年の一時期、ソウル近郊の某女子高跡に駐留していたが、そこでは
日本人傍受要員によるロシア語・中国語傍受情報の書き起こし翻訳が行われていた。
彼らの存在は部隊外には極秘とされ、ペリメータの外には一歩もでられなかった。
ものの本によれば日本人要員の存在は、のちにリッジウェイ国連軍最高司令官の知るところとなり、
朝鮮半島から退去させられるところとなる。
これは共産側のプロパガンダに利用される懸念があったからである。

228:152
03/06/07 04:43
子供じみた期待感をこめて言わせていただければ、一見スチャラカだった私の祖父は
実は語学要員として、戦中戦後をとおして通信傍受任務の一端を担っていたのではなかろうか?
戦中は海軍、戦後は米軍にリクルートされたのであろう。
状況証拠とはいえ、期間やジョンソン基地、二世など符合する点がいくつかある。
また沖縄などでの港湾荷役監督は、実際には決して給料の良い仕事ではなかったし
祖父が述懐するほど、待遇の良い仕事ではなかった。
それに思い起こしてみれば、海軍省にせよ朝鮮にせよ、祖父はいつも「仕事は楽で閑だった」といって
立ち入ったハナシを不思議なほど一切しなかった。
また台湾についていえば、CIAが彼の地で大陸に対する偵察・工作員侵入のための
航空作戦を行っていたことは有名だし
これに旧満州航空関係者、旧大日本航空関係者が徴募されていたことは、よく知られている。
かつて『文芸春秋』に掲載された初代某空港長の物語はあまりに有名であろう。
彼らと付き合っていたという祖父の証言は、なんとも示唆的だ。

もちろんまったくの偶然かもしれないし、ハナシ自体、すべて祖父のホラだったことも
考えられる。寂しい人間がホラを飛ばすことはよくあることだし、「翻訳」の仕事も
じつは米軍基地での単純労働を言いつくろうウソだったのかもしれない。
しかしそれにしては、親族が思い起こす祖父の生活は、あまりに派手だった。
相変わらずホテルでメシを食い、将校クラブでメシを食い、服もお洒落で遊び人だった。
いやいや、これらも困窮者ならではの見栄だったのかもしれない。
それでも私は祖父が単なる根無し草のスチャラカではなかったのではないかと
思いたい。これ以上の調査はあえてやめておくことにはしているが。

229:152
03/06/07 04:50
なお米軍の空中SGINT活動や日本人要員については
Larry Tart,Robert Keefe
"The Price Of Vigilance
Attacks of Amercan Surveillance Floghts"
をとりわけ参照している。
祖父の話は別にしても大変面白い本なので、SIGINTに関心のある方には
ご購読をお勧めする。
つまらんハナシで申し訳ない。
しかし私個人としては、これで心がナンだかス~としたよ。

230:名無し三等兵
03/06/07 04:53
なるほど。

231:名無し三等兵
03/06/07 09:51 A1XhEDPR
内のじーさん、技術将校で日本にいた。戦時中も、芸者遊びだったとのこと。
敗戦時、全ての書類を焼いたとのこと。現在は軍人恩給と年金でのんびりやってます。

232:名無し三等兵
03/06/07 10:05
爺ちゃん(故)は中島飛行場で働いていたそうだ
東京か兵庫かどちらかは聞いていないが
恐らく東京で働いていたと思われる
そんなある日、爺ちゃんはうっかり機械に指一本挟んでしまって
半分程無くなった(まぁ、指一本で済んだので安いものだろう)
爺ちゃんが何故、徴兵されなかったのは謎だ
体力が無かったのか、何か病気か・・また、よほど機械整備の評価が良かったのか・・
手先も器用で、良く自作の戦闘機や船とか作ってた
生きていたら、戦闘機とかに、ついてイロイロ話し合ってみたかったのに・・
残念です。

233:_
03/06/07 10:06
URLリンク(homepage.mac.com)

234:名無し三等兵
03/06/07 10:11
↑自作の戦闘機や船はもちろん模型だよね?(汗

235: 
03/06/07 11:14
>>232
>>爺ちゃんが何故、徴兵されなかったのは謎だ

うちの父方のGさんですが、かなりの年齢なのに赤紙がきた。
町の人達に送られて入営したものの、身体検査でテイ種不合格…
小柄で痩せすぎで、年くってたからというのが理由らしい。
つーか赤紙出す前にわからないのかって話しだが。

B-ちゃん曰く「恥ずかしくってはずかしくって、こっそり夜に家に帰ってきてもらった」そうな。

で、その漆職人のG-さんは戦時下の人手不足を補うべく、刑務所の刑務官をやってたそうな。

236:名無し三等兵
03/06/07 14:10
 父方の曾祖父は身長「六尺」、父は170cm台、漏れも185cmという
ほぼ甲種合格の家系だというのに、何故か祖父だけは150cm弱で乙種?合格。
輜重兵として満州事変に行った。
 馬に乗って移動していたところ、その馬が地雷を踏んでしまい、両脇にいた
部下ともども即死。自分だけ馬の胴体の陰になり無傷だったといい、(祖母の
話に拠れば)ずっとそれを苦にしていた。
 最終階級は伍長。

 その祖父が10年前に死んだあと遺品の整理をしていたら、戦地から家族に
宛てた絵葉書が出てきた。その本文が
「○○子、○○(子供の名前)元氣ニ シテイマスカ。
 オ父サンハ マイニチ元氣デ シナノ兵タイヲ 殺シテイマス」
 もちろん上官の検閲印付きだが、そこに名前を書かれた伯母たちは、
「こんな手紙を小さい子供に出すのが変じゃない時代だったんだよネェ」と、
茶飲み話にケラケラ笑ってました。

237:名無し三等兵
03/06/07 14:18
>>152
面白い!!
じいさんがホラ吹きでも、スパイでもなんでもいい!!
ありがと!!


238:名無し三等兵
03/06/07 14:20
>>236
>「こんな手紙を小さい子供に出すのが変じゃない時代だったんだよネェ」と、

これは、それっぽいなぁ・・・。
手紙
出すにも、検閲が入るから、
こういう事を書くほうが届きやすいとか聞きますしね。

239:名無し三等兵
03/06/07 14:21
うちのじいさまは鈴鹿の軍教に逝ったあとに南方派遣要員として向かったらしいが奇跡的に撃沈されることなくビルマだかどこだかに到着。
話はあんまり聞いてないが当時の写真を見るからに整備要員だったようだ。つうか鈴鹿っていうじてんで航空軍なんだっけか。
そんなじいさまも去年畑でトラクターの下敷きになって天に召されました。合掌。

240:名無し三等兵
03/06/07 17:15
戦場に行く汽車に乗ったが、途中で汽車を仲間と共に間違えて戻ってきた。 そしてその後すぐ終戦。 おかげで今の私の姿があります。 ありがとう。

241:名無し三等兵
03/06/07 17:15
戦場に行く汽車に乗ったが、途中で汽車を仲間と共に間違えて戻ってきた。
そしてその後すぐ終戦。
おかげで今の私の姿があります。
ありがとう。

242:名無し三等兵
03/06/07 19:54
今BSで太平洋戦争従軍記やっているよ

243:名無し三等兵
03/06/07 21:46
このスレを見てたらすごいじいちゃんに会いたくなってきた。
昔は軍とか戦争の知識なんてぜんぜん無かったから、じいちゃんが嬉しそうに戦友
の話とか戦争中の話してるのもあんまり興味無く聞いてたしなあ・・・

そういえば、補給が来ないんで飯盒に雑草を入れて鍋をつくったときに、妙に美味いと
おもったら中に野ネズミが入ってた・・・っていう話もあったな・・・。

いつも重たい背嚢を背負って走り回ってたっていってたっけ・・・


いまはもういないけど、おれはじいちゃんを誇りに思うよ

244:名無し三等兵
03/06/07 21:49 aEIjGIOb
内のジーサン、知り合いの軍上層部にお願いして、国内の倉庫勤務にしてもらったらしい。資材の調達担当だったので、敗戦直後までモノには不自由しなかったとのこと。周囲も尊敬のまなざしでみてくれたので良かったとのこと。
今の自衛隊は尊敬されずかわいそうとのこと。

245:名無し三等兵
03/06/07 22:27
何でもバーさんが芸者かなんかで少将クラスの人相手したらしい

246:名無し三等兵
03/06/07 23:37
>>239
整備兵士さんとかの話が出てこないから、貴重ですね。

>そんなじいさまも去年畑でトラクターの下敷きになって天に召されました。合掌。

これは・・・、合掌です。
しかし、ボケて家族に迷惑かけるより、良い死に方だったかもですね。

>>244
>今の自衛隊は尊敬されずかわいそうとのこと。

それは、いざ、有事が起これば尊敬されるようになると思われ。

247:名無し三等兵
03/06/07 23:40
>>246
したり顔して「良い死に方だったかもですね」とか言ってんじゃねぇよクソが

248:名無し三等兵
03/06/07 23:54 avW3R8g7
>246
よくないだろ
ボケても生きている方が嬉しい

249:名無し三等兵
03/06/07 23:55
>>168
うちの義理の伯父が○レの設計メンバーだったよ。
幹候に工兵科ができたときの一期生で、暁(船舶工兵)の
中隊長やった次の任地が大阪造兵廠で、新兵器の電気系統の設計を
担当したとの事。で、そのあと神戸の○レを製作する軍需工場で監督官に
なったと。ベニヤ板製のローテク兵器で、エンジニアとして、生涯
最大の恥だと言ってた。
当時の日本の工業水準が欧米とかけ離れていた一例として、
工作機械がアメリカ製で、消耗部品の調達に困ったこと、
銅線が紙巻で耐性に欠けること、
兵器の電源電圧が完全には安定できないこと
などのことを聞いた。
そのほか、中支時代のこととか結構聞いたんだけども、伯父は
母とは親子ほど年齢が離れてて、もうすぐ90歳になるんで半ボケ気味。
数年前までは頭もしっかりしてたんだけどね。

250:名無し三等兵
03/06/07 23:57
>>246
つーかボケると決まったわけでもなし。
煽りだろ。煽りだと言ってくれ246

251:名無し三等兵
03/06/08 00:03
>>247,248,250
ああ、ゴメン、気分悪くしたね。
実際に、ウチのじいさんがボケて、7年かな?寝たきりだったのよ。
それはもう大変だったよ。
ばあさんだけでは面倒は見られないし、お金はかかるしで。
それで、十分に長生きして、
このケースだと80前後だったでしょ、おじいさん。
家族に迷惑かけず、ポックリいけるならば、
幸せだと、羨ましいとおもったんよ。

252:名無し三等兵
03/06/08 00:21 jCok9C5O
>251
私の祖父は結婚3年目でフィリピンに出征、洞窟に立てこもって
最期は火炎放射器で焼き殺されたそうな。部隊はほぼ全滅で、数
少ない生き残りの方からの伝聞で詳細はわからない。
先日、祖母が亡くなった。
で、祖母の病床の枕もとから包みが一つ出てきた。
何かと思ったら祖父との手紙を全部残していたんだわ。
それを読みながら涙が止まらなかったよ。


253:名無し三等兵
03/06/08 00:45
>>252
いいおじいさんだったんだろうね・・・。
こっちまで涙がでて来る・・・。


254:名無し三等兵
03/06/08 00:55 BmFo5DG7
満州にて野砲隊?の隊長をしていたそうです。その為馬に乗っていたそうです。
実家には、マントを羽織った祖父が馬に乗っている写真があります。
昔は軍刀や鉄兜があったんですが、今はどこへいったやら。
負傷して、弾がまだ体にあると聞いていましたが、亡くなってお骨の中に金属片があるのを見つけた時、なぜか涙がでて止まりませんでした。




255:名無し三等兵
03/06/08 01:05 RJdeyIs2

サイパンにて
飛行場整備。
空襲され防空壕に非難。
苦しそうにしている人がいたので
場所を代わってあげた直後、(おそらく爆撃により)
今までいた位置が崩れる。代わった人はもちろん死亡
人がつぶれる音というやつを聞いたそうである。

脚を負傷、長野の陸軍病院にて終戦。

※小学校で平和教育(南京とかの生々しいやつ)のあと
俺は祖父のこと嫌ってしまった
・・・中国で悪いことをできるわけでもないのに・・。



256:名無し三等兵
03/06/08 01:06
曽祖父は日露戦争で(当時陸軍中尉)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、愛刀で斬りまくった。
12人目までは覚えていたそうだ。
切っ先が飛び、刃が鋸みたいになるような激戦で
自身も3発被弾し動けなくなったので、敵陣地の中で「死んだフリ」
をして捕虜にならずに済んだ。

257:255
03/06/08 01:06 RJdeyIs2

孫に嫌われたまま
死んでしまって取り返しがつかない。。
わるいことをした 。

258:名無し三等兵
03/06/08 01:08
>>257
明日でいいから仏壇かお墓に謝ってあげたら?
孫に嫌われてひどく落ち込んでるから

259:名無し三等兵
03/06/08 02:17
>>256
ネタもほどほどにしろ

260:名無し三等兵
03/06/08 03:00
西南戦争でもよかですかのう・・・

261:名無し三等兵
03/06/08 07:01
曽祖父は日露戦争で(当時元只のプログラマー)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、バレットタイムで撃ちまくった。
機関銃150発目まではエビゾリでよけていたそうだ。
ビルからビルへ飛び、ワイヤーがすり減るような激戦で
自身が救世主である事を自覚したので、ロスケの群れを相手に棍棒一本で「百人斬り」
をしてザイオンが破られずに済んだ。


262:256
03/06/08 16:29 4xSIdHMv
戦死者収容の休戦時に味方にみつけてもらったそうな。

263:>>256
03/06/08 18:24 uKfD1wMQ
そのスーパー日本刀を拝めさせてください!!
12人も殺せる日本刀!!
>>256さん、あなたは神ですねwww
ネタなら>>261の方がまだマシです

264:_
03/06/08 18:24
URLリンク(kame.kakiko.com)

265:名無し三等兵
03/06/08 18:28
>>263
どっかの小説家がつくった嘘を信じちゃいかんよ
日本刀は(刀にもよるが)そのぐらいは斬れるもんだYO

266:名無し三等兵
03/06/08 18:31
>>263
同田貫上野介だったそうです
残念ながら残ってませんが

267:名無し三等兵
03/06/08 18:53
>>263は日本刀より青龍刀が好きなシナ人。

268:名無し三等兵
03/06/08 19:21
まあクリスティーズでは日本刀より青龍刀のほうが高額で落札されているわけだが。

269:名無し三等兵
03/06/08 19:49
>>268
うそ、それじゃあ日本刀買いに行かないと!
外人には日本刀のよさは分からんのかねえ、サムライソードってだけで。

270:名無し三等兵
03/06/08 20:12
日本刀は実際には血糊で鈍っても多少は切れたりする。
切れなくなっても叩けば鋼鉄なのですげー凶悪だし、
突けば刺し殺せる。

よって12人も殺せるのもあながち嘘じゃないんだよねえ。
ただ軍刀サーベルは駄目。 ありゃ日本刀じゃない。
ろくに切れやしないし下手すると簡単に折れるんだよ…

271:名無し三等兵
03/06/08 21:15
いきなり話をもとに戻すみたいで悪いが、漏れのじいちゃんは高射砲第十六連隊ってとこにいて、パレンバンっていうインドネシアのどこかにいたらしい。

話が漠然としすぎてて良くわからない。
何か知ってるひと、情報キンボヌ

272:名無し三等兵
03/06/08 21:32
>>271
パレンバンは有名な落下傘降下作戦が行われた場所、精油所(油田だっけ?)がある
たぶんその精油所の防空にあたった部隊だと思われる

273:名無し三等兵
03/06/08 21:58
>>271
このページなんてどうですかね?
まだご存命ですから、疑問点は直接聞いてみるとよいと思います。

URLリンク(www.nsknet.or.jp)


274:名無し三等兵
03/06/08 22:51
>>271
16高砲隊は中国だろ。南京とか上海とか。

275:名無し三等兵
03/06/08 22:55
>>274
当時よくあった部隊の一部派遣かなんかじゃない?

276:名無し三等兵
03/06/08 22:56 qY5k9U9W
ひいじいちゃんの話なんですが…

ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
ドイツの戦艦に乗っていてイギリスの北のほうの大きな港に攻めに(?)行ったときに港の中で戦艦が沈んで亡くなったそうです

ちなみにその直後に戦争は終わったそうです
ドイツ人のひいばあちゃんは「泳げないのに水兵にされちゃって運が悪かった」と言っていたそうです

何分まだ生きてる証言者が母親しかいないので曖昧な部分が多いのですが、おそらく第一次世界大戦の時の話なんじゃないかと思います

277:名無し三等兵
03/06/08 23:00 y3dNzijE
どうたぬきっていやぁ、確か実戦刀の中でも耐久性がずば抜けていたと以前聞いた事が。
あながちネタとも言えないのでは?



278:271
03/06/08 23:08
おお、みなさんサンクスです。
自分でも資料さがしてみたら、連隊歌の歌詞が出てきました。

聖戦の下見よここに 大陸の空制覇して
溌刺の士気厳然と 首都南京に団結す
高砲十六祖国の前衛

勅諭深く畏れみて 軍紀正しく武技を練り
柴金山上なお遥か 長江千里守備に恃す
高砲十六中支の護り

敵翼いくつ襲うとも 撃墜々々又撃墜
第一線に躍進し 武威は赫たり高射砲
高砲十六我等の戦史

東亜の空の朝みどり 雲らす仇をうち懲し
我が騎隊の征くところ 天に輝け日章旗
高砲十六祖国の希望

・・・そうやら本当に中国みたいですね。じいちゃんもこれ歌ってたのか・・・

279:名無し三等兵
03/06/08 23:17
>>276
ロシア人とドイツ人の血を引く方ですか?

280:名無し三等兵
03/06/08 23:24
>>276
それは漠然としすぎていて、なんともですね・・・。
第一次世界大戦かな?
これは、普通にありえます。
昔から、流通がありますから。
>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです

日本以外だと情報がわからないので、このスレでどんな場所か、
どんな船だったのか聞いてみると良いです。

第一次世界大戦Part2【フーチェル戦術】
スレリンク(army板)

落ちちゃったけど、このスレに詳しい方がいました。

【塹壕】第一次世界大戦Part1【機関銃】
スレリンク(army板)

また、世界史板にも詳しい方がいらっしゃいます。
ここでも聞いてみると良いですね。

第一次世界大戦の起源を詳しく教えて!
スレリンク(whis板)

281: 
03/06/09 00:12 xjb4adFI
>>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです

第2次の時だったら、ロシア人の武装親衛隊の部隊があったけどね。
「ロア」とかなんとか言って、反共ロシア人の集まりだけど。


282:名無し三等兵
03/06/09 00:13
>>279>>280

4分の1ドイツ人だと思っていたら母に8分の1だと訂正されたことで初めてしりました

どういう事情でロシア人がドイツで水兵になったのかはさっぱりわかりません
確実なのはばあちゃんがドイツに来た日本人と結婚して、太平洋戦争が終わってから日本に来たと言う事だけです
ちなみにじいちゃんは軍人ではありません。 商売でドイツに来ていたようです
「もう戦争終わりだったのに…ツイてない!」みたいなことをよく聞いたそうです

283:名無し三等兵
03/06/09 01:38
>>282
なんだとー!!
という事は、君のじいちゃん、ばあちゃんは
ヨーロッパ戦線にいたことになる。

12日までに、レポートに2000文字以上にして提出するように。

284:名無し三等兵
03/06/09 01:52
>>274
高射砲16連隊は南京編成だけど、
パレンバン派遣後防空101連隊に改編されて、
更に高射砲第101連隊に改編されてるよ。

285:名無し三等兵
03/06/09 16:43 m7ebpYHk
私のおじいちゃんは陸軍の特務機関にいたそうです。
私が小学校の時亡くなりましたが、その後、左翼思想に染まり
おじいちゃんの戦争体験を聞かずに今まできました。
洗脳がとけた今、改めていろいろ聞いとけばよかったと
後悔しています。おじいちゃんにとても申し訳ない。
だから少しでもおじいちゃんについて調べたいと思っています。
所属していたところが特務機関というところなのでなかなか
わからないのですが、何か資料や書籍などあるでしょうか。

286:名無し三等兵
03/06/09 18:48
>>285
おじいさんの軌跡をたどるのは、良い供養になりますね。
特務機関員についてはとりあえず、検索だけしてみると良いですよ。
例えば、273のページにも特務機関員が出てきますね。
(もしかしてこの人?はないだろうね。)

勤務地や、出身地、軍籍があったのかなど、
できるだけ詳しく書いてくれれば、アドバイスできると思います。

287:名無し三等兵
03/06/09 20:16 m7ebpYHk
>286
ありがとうございます。満州や吉林省、後半は日本各地で
勤務していたようです。地道に探してみようと思います。ちょくちょく
ここものぞかせていただきます。

288:名無し三等兵
03/06/09 21:12
>>287
満州だと、満鉄の特務機関が有名だね。
ただ、いろいろと動いているから、ちがうかな。

特務機関員って、ちゃんとした軍属じゃない人もいるし、
スパイなので隠すことが多いから、
なかなか追跡が難しいですね。
ガンガッテ、探してみると良いですよ。

289:名無し三等兵
03/06/09 21:14 o22ksAPD
内のじいさん、戦争中、アメリカにいて、米軍に参加。
今でも日本に勝ててよかったといってます。今は日本人です。

290:名無し三等兵
03/06/09 21:48
>>289
パープルハートの人かな?
ヨーロッパ戦線?それとも、太平洋戦線?
もし、よかったら詳しく書いてください。


291:名無し三等兵
03/06/09 21:50 m7ebpYHk
>288
がんばります。

話は違いますが、父と母におじいちゃんの話を聞く過程で
空襲の話になりました。
父と母は鹿児島にいたのですが、鹿児島も空襲がひどかった
ようです。しかし、人間とはたくましく、空襲があるのに鹿児島湾で
頭まで海につかり手だけ出して釣り竿で魚を釣ろうとしていた人が
いたそうです。
本当かなぁ・・・と思いつつ、不謹慎ながら笑ってしまいました。

292:名無し三等兵
03/06/09 21:55
>>289
日系?

293:           
03/06/09 22:40 GrMA7bxl
ウチのじいさんは
徴兵検査で身長が170cm
だから甲種合格だったが
視力が0.6程度だった為射撃が
水準以下w。よって第一補充兵となる。
昭和19年1月佐倉連隊で北シナへいく、都内だがw
初年兵だったため往復ビンタは300回程度食らうw
昭和20年勤めていた日本無線三鷹工場の要請で
帰国。原隊復帰する前に正月だからという理由で
自宅に帰るw。自宅で飯食った後、武装返還。
受付の人に、脱走だぞヲイ
という突っ込みをうけ下関から40時間かかった
と嘘をついて難を逃れる。大正五年生まれ88歳
存命です。

294:名無し三等兵
03/06/09 23:01 x+U2HqHB
父方のじーさんは、開戦当時ヤンマーでエンジンを作っていた為、
召集はなかったと言ってました。
母方のじーさんは海軍大尉。舞鶴にいたそうですが、すでに
亡くなっているため詳細は不明。過去に立派な日本刀と二種軍装を
見せてもらいました。

295:名無し三等兵
03/06/09 23:01
なんかwの入れ方が??だけど元気でナニよりだね

296:名無し三等兵
03/06/11 00:09
>>295
おじいちゃん本人が書きこんでるんだから仕方ない

297:名無し三等兵
03/06/11 15:43
漏れのじいちゃんじゃないけど、体験談があるサイト。

URLリンク(homepage1.nifty.com)

298:ちっとん
03/06/11 19:44 0jDmSv4v
わしの叔父が二人戦争にかかわったが、はなししていいか?

299:名無し三等兵
03/06/11 19:45
ぜひ

300:名無し三等兵
03/06/11 19:54
300GET

301:名無し三等兵
03/06/11 20:47
>>297
まだ途中までしか読んでないけどサヨっぽいな。
中帰連か?

302:名無し三等兵
03/06/11 21:09
>>301の脳内では初年兵苛めや日本軍の出鱈目さを身を持って体験した人がその事を書いたら「サヨク」なんだそうです。
( ´,_ゝ`)プッ


303:名無し三等兵
03/06/11 21:21
>>302
土井たか子

304:名無し三等兵
03/06/11 21:52
>>301
そういういぢわる、言わないの!!

人の考え方はそれぞれだし、伝えたい事もそれぞれ。
実際に体験された方の御話なんだから、
思想は置いといて、感謝して読むべし。

ここなんて、当時の緊迫感が伝わって、貴重な話だと思うよ。
やはり、戦後すぐに線がひかれたみたいですね。
URLリンク(homepage1.nifty.com)

305:名無し三等兵
03/06/11 22:59
URLリンク(homepage1.nifty.com)
(´Д`;)ハアハア

306:298ちっとん
03/06/12 06:04
一番上のおじさんは戦死。
陸軍仕官学校出身のバリバリの軍人。一族の誇りだった。
隼に乗って大平洋各地へ転戦。最後の出撃はレイテ戦だった。
つづきはこんどね。

307:名無し三等兵
03/06/12 06:34 WKkSsQgU
パトリオットが ガシュガシュガシュガシュゥゥいうて巡航ミサイルがゴォォォいうてドカーンいうてたらしいですはい。

308:名無し三等兵
03/06/12 06:36
うちの祖父は、戦時中糖尿病で病死しました。

母の小さい時、印象的だったのは森永のキャラメルの大箱があった事です。

309:名無し三等兵
03/06/12 06:36
>>307
(・∀・)カエレ!!

310:名無し三等兵
03/06/12 07:56
>>307
(・∀・)ニヤニヤ


311:名無し三等兵
03/06/12 08:15
>>310
(・∀・)カエレ!!

312:名無し三等兵
03/06/12 09:27
>>283
母に色々と聞いてみたけど
「じいちゃん、ばあちゃんはフランクフルトで空襲に会って大変だったらしい」
とか
「戦争が終わって日本に避難してきたけど避難する先を間違えた」
なんて程度のことしか聞けませんでした

競馬のHP見てて思い出したのですか、ひいじいちゃんのドイツ戦艦が沈んだとこはスカパフロウって港だったと思います

313:名無し三等兵
03/06/12 11:18
スカパフローで自沈したのならWW1の時の奴だけど自沈したの一杯居たはず

314:名無し三等兵
03/06/12 11:42
俺のじいちゃん…

やめた。書くのがめんどくさい

315:名無し三等兵
03/06/12 12:55
>>314
(・∀・)ヲ?チュウボウコエーヨ!

316:名無し三等兵
03/06/12 15:41
うちの近くにいつも孫らしき子供と遊んでいるおじいちゃんが
いるのですが、話をするのにはどうしたらいいでしょう?
今日はじめてこんにちはと言ったら向こうも返してくれました。

317:名無し三等兵
03/06/12 15:51 n50Asi9y
>>316
挨拶→天気の話し→近所の話題→自分の話し
を経てから相手の話しに入った方がいいんじゃない?
聞きたいのはやはり戦争体験なのかい?

318:名無し三等兵
03/06/12 16:00
>317
やはり聞かないほうがいいのでしょうか?

319:名無し三等兵
03/06/12 16:06
ひいじいちゃんは戦時中かなハワイでシェフやってた
かなり信頼されてたらしく
日本人ではじめて議員だかになったって

95歳くらいで死んだけど

320:名無し三等兵
03/06/12 16:13
父方の祖父は部落出身で米軍が捨てたドラム缶が
空から落っこちてきて当たりそうになったと言っていた

ごめん、戦争とはあんま関係ないワラ

321:名無し三等兵
03/06/12 16:14
俺のじいちゃんは軍医だったらしいけど、戦争の話になると機嫌が悪くなってどこかに行ってしまう。

戦争の体験を聞いておくべきなのかな。
怖いけど

322:名無し三等兵
03/06/12 16:23
>>321
きっとすげー情けない事したんだよ
恥ずかしくいて行っちゃうんだって

323:名無し三等兵
03/06/12 17:03
>>321
ミドリ十字の関係者?
と聞いてみる。((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル

324:名無し三等兵
03/06/12 17:49
「オガライト」って言うおがくずベースの燃料があるんだけど、
それが子供の頃に見た焼夷弾にあまりに似てたんで、最初に見たときは漏らしちまったそうだ

ちなみに叔父さんの話なわけだが(歳がバレるな…)
子供の頃に焼夷弾の不発弾を拾って遊んでいるうちに発火し、子供2人が焼死。
叔父さん自身も大火傷したらしい

325:298ちっとん
03/06/12 22:50
>>306
つづき。
レイテ戦時、飛行場に大量のグラマンが来襲。隊長だった叔父は「みんな、おれにつづけ!」と、わずかな機数で迎撃にむかい、そして、帰ってこなかった。もちろん遺骨もなく、あるのは出撃前に残した遺髪だけ。
うちの祖父は訃報を聞いても戦後まで信じなかったという。
上記の話をしてくれたのは、レイテで生き残った整備士が田舎まできて話してくれたという。

もう一人の叔父のはなしはまた今度。

326:名無し三等兵
03/06/13 01:20 E+xObtjE
うちのじいさんはフィリピンで陸軍の曹長をやっていたらしい.
米軍が上陸してきて,機関銃で足を砕かれて復員できたらしい.

327:名無し三等兵
03/06/13 01:41
じいさんじゃなくて父親の話ですが、戦争末期に三十半ばにして徴兵にとられた。
詳しいことは知らないが、九州の飛行場で雑用みたいなことやってたときに、艦載機
艦載機に掃射され、左腕を根元から切断するはめになった。
私も疎開中にお寺の境内で艦載機に機銃掃射されてすごく怖かった思いがある。
当時、私達の地方(東海地方)は、小型機は全部「艦載機」、B29は「ビーニクー」と
呼んでましたが、他の地方ではどうだったのでしょうか。
本を読んでもB29を「ビーニクー」と呼んでいたという記述を見たことがないのですが。

328:名無し三等兵
03/06/13 02:15
おれんちも東海地方(やや関西より)で空襲でメタメタにやられてて、
親戚なんかが集まったとき空襲の話、聞くけど、フツーにビーニジュウク
って言ってますよ。
艦載機に襲われた話も聞いたことないな。

つか、>>327おいくつですか?

329:名無し三等兵
03/06/13 10:47
戦艦武蔵でコックやってたって聞いた

330:ななし
03/06/13 14:49 80I7onBD
290さんへ
もしかして日系アメリカ人ですか?
詳細きぼんぬ。

331: 
03/06/13 15:15
うちのおじいちゃんは早稲田大学生でした。
サイパンに送られる輸送船が沈没。
サメのいる海で数時間浮いてから救助され、戻ってからは
怪我をしたので終戦まで病院にいました。
もし沈没していなくてそのまま行っていたら死んでただろうと
のことです。

332:名無し三等兵
03/06/13 15:39
>>329
小型潜水艇で戦艦武蔵に忍び込んだ米軍の戦闘員と両手に百式構えて戦うわけですね。


沈  黙  の  戦  艦

333:名無し三等兵
03/06/14 12:56
俺は沖縄が大好きで何度も観光旅行に行きます
仲良くなった年配のタクシー運転手さんに戦争
の体験を聞かせてもらったけど、印象的だったのは
「戦争は怖かったけど兵隊さんは皆優しかった」
と諭すようにしみじみ語ってた事です。当時
小学校4年生の運転手さんは兵隊が珍しく頻繁に兵舎
をこっそり覗きに行ってたらしい、ある日兵隊に
見つかり怒られるのかと思ったら「坊主!男だったら
コソコソ見るな!堂々と見ろ!」と兵舎に招いてくれて
夕食をご馳走になった、無骨な顔に囲まれて怖かったそうだが
残さず食べて「坊主もっと食え!」と褒められたそうだ
「また来い」、「勉強しろよ」、「父ちゃん母ちゃんを大事にしろよ」
と頭を撫でられて乾パンや金平糖をお土産にもらい帰ってきたそうだ
金平糖をかじりながらブラブラ夜道を歩いて帰ったあの日の事を
「金平糖がおいしかった事を今でも思い出すねぇ」って笑っておられた
「後で父ちゃんに大目玉を喰らった」そうだ。
また来年もお元気であればあの運転手さんに会いにいこうと思ってます。



334:名無し三等兵
03/06/14 13:42
>>191
ひょっとしたらうちのじいさんの恩人かもしれません。
うちの爺さんは奉天の獣疫研究所で細菌研究をしていましたが
獣医として入隊、しかしその後獣医免許がないことがわかり
40過ぎで二等兵、そのままシベリアのバレイに抑留され終戦を迎えました。

詳しくは聞いておりませんので、誤りがあるかもしれませんが
上官に教え子か後輩かどちらかがいて、そのおかげで爺さんは
割とすぐに前線からはずされて、今にしてみれば命だけは
助かったということを婆さんが言っておりました。

終戦後一人叔父が生まれまして、爺さんにとってのひ孫も
3人おります。もしその上官があなたのおじいさんだと
したら一族に代わり是非この場にて失礼ではありますが
御礼の気持ちをお伝え申し上げます。


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