08/06/27 06:58:50 effBV0k7
>>181
>馬揃えは天皇の要望で行われたもので
実際には天皇が要望する以前に信長は光秀にその指示を与えており、
前久(信尹か)を介してそのように仕向けたというのが真相だと思われます。
また、『お湯殿の上日記』によれば親王もそれを楽しみにしていたことが窺われますが、
果たして当日の演出(信長を住吉明神にも中国皇帝に凝らす)を天皇を素直に喜んだかは疑問だし、
二回目の馬揃え(※親王が望んだものではありません)の様子(朝廷側)はとても牛一が『信長公記』に
記したようなものではなく、『お湯殿』の記述も素っ気無く、またそれを親王がお忍びで見学したのは、
興味はあったが正式に見学することを「良し」としなかった(※)ものと見られます。
二回目の馬揃えは、最初の馬揃えにこめられたメッセージとそれに対する朝廷の対応(左大臣推任)を受けての
「駄目押し」であった観があります。
信長は、先に親王の五宮を猶子とし尚且つ二条御新造を贈っおり、また今回、譲位の件を持ち出すことで、
朝廷に対して自らの立場(真の上位者が信長であること)を認識される目的があったと考えられます。