08/06/09 01:19:06 QAvBHuHw
>>121
花ヶ前家は居多神社宮司を務めている家柄。
花ヶ前氏も現在そこの宮司をしているらしい。
御館の乱時代の宮司花ヶ前盛貞は景虎側についたため、
景勝によって家族共々越後から追放され、越中で死去した。
花ヶ前家が越後への帰還を果たすのは息子家盛の頃、
上杉家が越後から会津に移された時。
以上、手持ちの資料による
「花ヶ前家の景勝への遺恨の起源」のあらまし紹介。
>>122
「直江兼続は謙信のお気に入りor寵童」
「景勝は兼続がいないと何もできない無能」
「景勝は上杉家の身代を傾かせた最大の元凶」
「四辻がアボソしたのは菊姫の祟り」
訂正だが「菊姫は四辻氏の懐妊を知って憤死or自殺」
などの景勝批判も外せないポイント。
むしろ花ヶ前氏のご協力を受けたら景勝批判・景勝悪人化は義務www
>>129-130
謙信は景虎を実質的な後継者と決めたのなら、
景勝(当時顕景)の持っている軍事力や家臣団などを、
素早く情け容赦なく徹底的に剥奪し、顕景を一介の「部将」に留めるべき、
というかしなくてはいけなかった。
かつて源頼朝が弟義経らを「部下」として扱ったように。
にもかかわらず情に流されたのか、顕景からこれらを剥奪しようとせず、
のちに官位まで与えるなどというどっちつかずな行動を取るから、
景虎の後継者の地位まで曖昧な物となり、
結果として上杉家の没落を迎えるはめになったと思う。