盾・弩は何故日本で普及しなかったのか 2at SENGOKU盾・弩は何故日本で普及しなかったのか 2 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト52:人間七七四年 08/01/15 16:57:38 /DhNPoub 「ドラゴン怒りの鉄拳」のブルース・リーが 虹口道場で日本人に囲まれたときのように 動きのおこりもみせずに 突然地面に倒れ込み 素早く転がり動いて 両手に持った太刀と小太刀で 槍足軽の足首を刈りまくる 53:人間七七四年 08/01/15 17:21:29 mBGyrq/W 普通に槍を掴んで人ごとぶん回して全員薙ぎ払えばいいじゃない 54:人間七七四年 08/01/15 18:50:35 naHeCRg9 >53 原哲夫の漫画みたいだな 55:人間七七四年 08/01/15 19:23:27 iuE+aaIt 「動く敵には非常に精度が悪い」 って結論出てるのに、何でスレ立ててるの? 56:人間七七四年 08/01/15 21:05:50 eg0JpCMs 動かない敵って何? 57:人間七七四年 08/01/15 21:42:12 mBGyrq/W 城 58:人間七七四年 08/01/15 23:16:25 rpBsbgoO 野戦で廃れても、 射程距離が弓よりあるので籠城戦用に残ってそうなもんなんだが。 59:人間七七四年 08/01/15 23:49:54 naHeCRg9 そういや元の議論は弩と盾だったな。 思うに、平安末期に専業軍人が少数精鋭化されて、重装備の弓騎兵という 武士の戦闘スタイルに絞られたことが要因だと思う。 この時代、大規模な合戦が鳴りを潜めゲリラ的な反乱を鎮圧するのが主な 戦闘形態になったために、騎馬、徒歩ともに汎用性の高い武士のスタイルが 選択された。馬上の扱いを考慮して手盾と弩は廃止された。 その後、戦闘の大規模化と足軽の台頭によって再び弩の活躍の機会が 生じたかもしれないが、ひとたび廃れた製作技術、訓練技術を復活させる には大きなコストがかかった。 鎌倉、室町期には軍の編成が在郷の各武家に依存するほど分権化してしまい、 大規模な軍事改革を行えるほどの大きな権力が存在しなかった。あるいは 戦の頻度と弩、盾の再配備のコストの長短を比較した結果、そうした軍事改革 を必要とするほどには大規模な戦は頻発していなかったのかもしれない。 細かく分権化された支配体制を解体し、集権的で軍事改革を断行できる権力を 持つようになったのは戦国大名であったが、その当時、弓に取って代わるべき 兵器はもはや弩ではなく鉄砲であった。そして、鉄砲の威力に対して手盾は 十分な防御力を持つことが出来なかった。 そう考えてみたが、いかがじゃろうか? 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch