08/03/16 23:23:54 i3pMgl+3
>>351
そう、一般的にはそう思われるけど紀元3~17世紀にいたるまで
中国周辺の遊牧国家は数千~数万単位の装甲騎兵を中核とした軍隊を持っていた。
ただ清の鉄騎は火器への防御対策としての馬鎧だけど。
金の編成だと、50騎を1隊とし、前列20騎が槍などを持つ装甲騎兵、後列30騎が弓軽騎兵。
これを何隊も集中させ敵の戦列の脆弱な部分に弓を射かけ、重騎兵がそこになだれ込んで突破する。
さらに拐子馬という、3騎の甲騎をベルトで繋いだ突破専用の部隊も持っていて
当初宋はこれを破る術を持たず連戦連敗だった。
唐代に軽騎兵が隆盛したり流行り廃りはあるし、
モンゴル帝国は重騎兵を軽視していたから軽騎兵のイメージが強いんだろう。