08/09/09 00:45:35 EG5ObHTr
このスレの鮭部分だけでまとめてほすぃくらいだw
943:人間七七四年
08/09/09 01:32:06 oIgI/cTc
武田勝頼の家臣に、土屋昌恒という者がいた。
彼は信玄の時代から、武田の次世代を支える逸材と期待されていた男であった。
さて、織田徳川による武田征伐が起こる。
御存知のように武田は次々と城を落とされ、家臣、一門が続々と寝返る中、
昌恒は常に勝頼の側にあった。やがて天目山に追い詰められ、勝頼が自害すると言う時、
彼は勝頼の自害の時間を稼ぐため、追って来る織田軍の兵を峡い崖道で迎え撃ち、
片手を蔦に絡ませ崖下へ転落しない様にし、もう片手で槍を振るい進軍を阻んだ。が、多勢に無勢、
後に「片手千人切り」と呼ばれるほど奮戦したものの、やがて討ち取られた。
しかし、彼が稼いだ時間のおかげで、勝頼たちは縄目の恥辱を受けることなく、自害する事ができた。
さて、戦後である。
この昌恒には、惣蔵と言う幼い息子がいた。織田の残党狩りを避け、親族のいた駿府の清見寺に匿われていた。
しかしそこは織田の同盟者である徳川家康の新領地。まもなくその存在は察知され、彼は徳川の手のものに
捕まり、家康の前に引き出された。
甲斐での、織田による残党狩りの禍々しい噂は、駿河にも聞こえていた。可哀想に、あの子も殺されるのだろう。
皆、そう思っていた。
ところが家康は、引き出されてきたこの、元の敵の子を、丁重に扱った。
「お主の父の最後は聞いた。わしは、お前の父のような侍を尊敬する。」
そしてこの少年に向かって言った。「出来れば、わしの息子、秀忠の、小姓になってくれないだろうか?」
彼は後、土屋忠直を名乗り、やがて上総国で2万石を与えられ、久留里城主となる。
侍の、命を捨てた忠誠は、自身も主家も滅びてもなお、子に福を与えることもある。と言うお話。
944:人間七七四年
08/09/09 01:35:59 w/ECGtwH
とれたての生鮭を炭火でさっと表面を焼いたのは超うめーかった
最上さんの気持ちもわかるわ
945:人間七七四年
08/09/09 06:52:17 a8hYHekl
>>938
こいつどういう突っ込みかすら理解できてねえwww
哀れwww
946:人間七七四年
08/09/09 10:03:34 9GePy9cE
>>945
日付変更線間際で単発にもう一度レスしろっていう低脳さんオハヨウゴザイマス
947:人間七七四年
08/09/09 10:10:07 GllW/4T7
>>945キモ過ぎ
948:人間七七四年
08/09/09 10:14:30 Fm5c9pQx
テレビ放送するような格闘技とかプロレスなんて八百長で最強演出されてるだけだろ。日本刀や弓で殺し合いするのとはワケが違う。
まぁ義弘最強とかは違うと思うが。
949:人間七七四年
08/09/09 10:38:42 S7JMGMmE
鮭も最強論も終わりにしてくれ
950:人間七七四年
08/09/09 13:19:38 ALNK7WY1
いや、鮭は終わりにしたくない
951:人間七七四年
08/09/09 13:49:55 3gAlf+lt
鮭はいいだろ鮭は
952:人間七七四年
08/09/09 14:38:42 bcCtVvW5
「」悪いスレに書こうかと思ったんだけど、「鮭」 の話でまだ出てきてないのがあったので・・・
吉川元春、1586年、天下人への道を突き進む豊臣秀吉の強い要請を受け、
弟の隆景らの説得により、隠居の身でありながら渋々九州征伐に参加した。
この時元春は膿性炎症(癌とも言われている)に身体を蝕まれていた。
そのため、出征先の豊前小倉城で死去した。
黒田如水が差し出した鮭料理を食べてしまったため、病状が悪化して死去したと言われている。
ただしこの当時、九州にて鮭を入手するのは、海運も発達していない上に、
産地である東北の大名がまだ秀吉に臣従していない以上、かなりの困難があったと思われる。
もし実話だとすれば、そのような貴重なご馳走に恐縮して断わるに断れなかった、
あるいは身体によくないと知りながら、食欲に勝てずに箸をのばしたというのが、真相ではなかろうか。
秀吉が元春を嫌っていたことを知っている如水が、「義理堅い元春なら断るまい」と食わせたか?
953:人間七七四年
08/09/09 15:08:25 ovKcbLCo
>>945
死語だがKY
福岡にも一応鮭と九州で呼ばれるものは上ってくるよ。
鮭神社ってのは、炭鉱の塵炭で汚れてた川にまた鮭上って来たよ~、これからはもっと上ってきてね~っていう喜びと期待のあまりに建てられた神社だし。
毎年千匹放流して、帰ってくるのは一~二匹みたいだけど、鮭は福岡にも来るよ。
川がきれいだった戦国時代には結構普通に上ってきてたと思うよ。
954:人間七七四年
08/09/09 15:11:04 8Tdn44Hu
>>952
筑前嘉麻郡(現福岡県嘉麻市)には鮭神社ってのがあるぞ。
筑前國続風土記拾遺に上ってきた鮭を神の使いとしてた、って記述もあるし。
だから馳走した鮭は地元でとれたものかもしれんよ。
それで暖かいところの鮭だからアニサキスに当たったんじゃねぇかなぁ。
955:人間七七四年
08/09/09 15:15:00 oIgI/cTc
そういえば、戦国時代でも海運はきちんと機能してて(戦場になりやすい陸路よりもむしろ盛んだったらしい)
商品の流通も相当機能していたようだね。北海道の昆布を琉球まで運んでるし。
956:人間七七四年
08/09/09 16:34:34 NPfF0RJy
>>952
当時は福岡でも取れてた。
957:人間七七四年
08/09/09 16:34:47 a8hYHekl
>>946
やっぱりどういう突込みかわかってねえwww
958:人間七七四年
08/09/09 16:36:51 5cT2/+Hq
>>952
それWikipediaの文章そのまんまだね。悪いとは言わないけど、その記述の「食欲に~」の部分は駄文だよね。
959:人間七七四年
08/09/09 17:00:45 3rZIxmGc
義弘とサップを脳内で戦わせてる奴まだいたのかw
960:人間七七四年
08/09/09 17:03:44 oIgI/cTc
もうそろそろ次スレ必要じゃね?
961:人間七七四年
08/09/09 17:09:00 S7JMGMmE
ちょっといい話をして下さい
鮭とかサップとかいい加減にして
962:人間七七四年
08/09/09 17:41:29 r+QBrM1Z
でも食べ物にまつわる話ってちょっといい話に結びつきそうなネタ多そうじゃない?
その象徴が鮭と。