08/09/08 11:53:52 Lki0zbnp
鳥居元忠と鈴木(雑賀)孫一
関が原の直前、伏見城上代・鳥居元忠は甲賀者を駆使して三成の動向を調べ、
逐一家康に報告した。
三成が挙兵し、伏見城は大軍に囲まれて孤立し、元忠は壮絶な討ち死にを遂げた。
この時、元忠を撃ち取ったのが雑賀党の首領、孫一だった。
実は鳥居家は鈴木家とは同族で、昔からの顔なじみだった。
「どうせ死ぬなら孫一に手柄を立てさせてやろう」
死を覚悟してなお配慮が働いたと思われる。
元忠の子・忠政は父の功により24万石の大名に引き立てられた。