08/09/03 05:29:15 eT2pQ3oU
鮭
851:人間七七四年
08/09/03 06:03:53 KMlxUZtq
>>848は信憑性はないんだが、なんか人の弱みに付け入る創価学会を連想した。
奴らお見舞いとか大好きだからなw
852:人間七七四年
08/09/03 06:52:09 4UlUAbTe
なんで素直に好意でやったと思えないのか・・・w
853:人間七七四年
08/09/03 06:54:22 PrbyFGJi
だって早雲だぜ?w
854:人間七七四年
08/09/03 09:25:39 pZnGoihf
目的は人身掌握にあるだろが、それの何が悪いんだい?
正しいありかたじゃないの
855:人間七七四年
08/09/03 09:56:54 SJtoyB9h
人々は救われ早雲にも実利がある
最高の形だよな。
これが前田利家なら救援物資売りに来るぜ
856:人間七七四年
08/09/03 10:11:32 apumvUhL
前田叩きの流れか
857:人間七七四年
08/09/03 10:15:16 7BYsnQNV
人心は掌握してもいいが
人身はあまり掌握しすぎない方がいいw
まあ、徳川家康をして、領民が前領主の徳を慕うので治めにくい、と言わせた後北条の初代だし、そういう逸話もスレタイに合ってるからいいじゃん
858:人間七七四年
08/09/03 12:53:17 RGznkm6T
こういう話を真っ直ぐに受け止められないほど
俺たち汚れちまったのかなぁ
とか言ってみる
859:人間七七四年
08/09/03 13:28:20 W3hoAJfH
薄汚れた俺たちに残された、たった一つの真実は鮭
860:人間七七四年
08/09/03 16:37:08 NVGcmZPt
>>848
なんか泣けてきた
861:人間七七四年
08/09/03 23:03:44 7Yy5uT8T
堀越公方って存在意義皆無だな。
862:人間七七四年
08/09/04 05:40:02 WSPeQpVf
しかし茶々丸はいまやヒロイン31人の漫画のヒロインの一人に・・・
863:人間七七四年
08/09/04 10:11:25 1NHg0sgh
>>447
遅レスだけど、側室持たなかったのは立場的に無理だったからでは
・隆元
大内義隆の養女という当時毛利が臣従していた大内家から嫁をもらってる以上、側室なんて持てない
・元春
講談ベースに考えるなら、熊谷家との絆を考えた打算でブスを嫁にしてるから、
わざわざ側室を迎えて熊谷家との仲を微妙になんかしない
・隆景
二つに別れた小早川家を統一する為の結婚だったから、側室なんて持てない
まあそれを抜きにしても嫁さんを大事にしてるのは事実だろうけど
864:人間七七四年
08/09/04 14:17:57 6PKkhzKZ
隆景の場合は微妙だけどなあ。
嫁さんに会う時は常に正装して、主君に対するかの如き振る舞いだったとか聞くぜ。
そんなよそよそしい夫婦関係なら、そら子の一人も出来んわ。
865:人間七七四年
08/09/04 15:16:45 +zwxPN6T
>>863
元春の嫁さんは、本当はブスじゃなかったんだが・・・・・
後家さんになってしまって、親父が心配していたところへ元春の求婚で、感謝感激した。
というんであって、時代が経つにつれていつのまにやらブスということになってしまった。
866:人間七七四年
08/09/04 16:28:51 +y/K+54o
未亡人か・・・・・・。
ゴクリ
867:人間七七四年
08/09/04 16:28:57 1NHg0sgh
>>865
だから講談ベースに考えるなら、と前置きした
868:人間七七四年
08/09/04 16:50:57 8NBH9hcu
元就は他の女にもどんどんはらませる絶倫だったけどな。
869:人間七七四年
08/09/04 22:55:08 duZbFBCJ
そんな父親を見て何か思うところでもあったんだろうな
870:人間七七四年
08/09/05 08:44:32 vp7tvVLA
人数より、質がよけりゃなぁ。子供とか孫とか、早死にしすぎ。
結果、関ヶ原で中途半端なことして、アレだからなぁ。
871:人間七七四年
08/09/05 10:08:37 YaJgxsYk
能力的には子の質はかなり良かったと思うがな。
元清が隆景と同時期に死んじゃわなければなぁ。
872:人間七七四年
08/09/05 12:01:37 5JzlzxVs
ただ元就に関しては正室が亡くなるまでは側室はいない
もっともそれが性格的になのか、たかが1国人に過ぎなかったゆえなのかは不明
873:人間七七四年
08/09/05 15:05:24 pkMeJIpz
海老をすくい上げた話
天正十四年三月
徳川家康と北条氏政・氏直親子が伊豆にて、同盟締結のための会見を行った。
一同が集まって先ずは酒宴、と言う時、家康の宿老である酒井忠次、「余興に」と、
お得意の踊り、「海老すくい」を舞い始めた。
これは今で言う泥鰌すくいのようなもので、相当滑稽な踊りだったそうな。
これに一座大爆笑。その和やかな空気のまま。徳川と北条の同盟は、無事締結された。
締結直後に、北条側から酒井に向かって一言
「立派な海老がすくえましたなあ」
874:人間七七四年
08/09/05 15:21:22 IYcLe+69
自分で言うかww
その後徳川家は北条という海老を捨て
豊臣という鯛につきましたとさ
875:人間七七四年
08/09/05 15:35:45 HuQOVOej
最後の台詞だけ目に入って下ネタかと思った…
876:人間七七四年
08/09/05 15:40:59 pkMeJIpz
>>874
海老=同盟締結の事だよ。
ついでに言えばこの同盟のおかげで、家康は小牧長久手の対決に至るための、後顧の憂いが無くなったし、
北条も北関東戦略に集中できたし、と、双方に大きなメリットがあった。
あと、家康は関東征伐のぎりぎりの段階まで、北条に豊臣につくように説得しているわけで、しかも
氏直は、命を助けられ、早死にして果たせなかったが、「家康の婿」として、豊臣政権化で大名として
復活するはずだった。
この同盟は、かなり強固だったと言っていい。
877:人間七七四年
08/09/05 15:59:56 IYcLe+69
だから俺と同盟組めてよかったですねってことだろ?
878:人間七七四年
08/09/05 16:11:03 pkMeJIpz
>>877
んーっと、きちんと説明するとね?
徳川と北条はそれまで甲斐や信州をめぐって敵対関係にあり、実際に戦闘も行われているわけ。
それが色々な情勢の変化で、和平、同盟、と言う方向に行ったのだけど、ちょっと前まで戦火を交えていた
両家だから、当然反対派も存在し、会見の進め方次第ではどうなるか解らない、って状況でもあったわけ。
そこで忠次の海老すくいで、会談の雰囲気が良くなって、すんなりと同盟締結に持って行けた。
それについて北条側からも、ある意味感謝の念をこめて発言されたのが、
「立派な海老がすくえましたなあ」
って言葉なのよ。
879:人間七七四年
08/09/05 16:40:03 5nKgkDIO
なんかこの流れ凄く歯がゆいw
何か言いたいところだけど言って良スレが荒れるのはなんとしても避けたい。
880:人間七七四年
08/09/05 17:09:44 VgJpGR9x
ちょっと香ばしいよなw
881:人間七七四年
08/09/05 17:18:00 R1QvOiAs
香ばしい香りがしたので鮭でも焼いてるのかと思って飛んできたら違った・・・
ちぇっ
882:人間七七四年
08/09/05 17:42:47 HRd83ObP
「せっかくのおいしい海老を焼きすぎで黒焦げにしちゃいました」みたいな流れだね。
883:人間七七四年
08/09/05 18:23:25 GgMwgVoX
土佐のこうもりいやで出来人長曾我部元親
土佐人たちの大酒のみっぷりに苦慮しついに禁酒法発令
皆不満たらたらであるもののやむなくお酒は控えることに
所がる日元親自らこっそり酒を飲んでいるのを福留さんが目撃
ここぞとばかりに自ら作った禁酒法を自ら破ってしまった殿を責めまくり
元親平謝りに謝って禁酒法の条項を撤廃しましたとさめでたしめでたし
土佐人じゃないのに幕末の豊信は鯨海酔侯
なんだ?血筋じゃなくて風土が酒好きに影響しているのか?
884:人間七七四年
08/09/05 20:55:01 twwV9+mc
日本語下手すぎだろw
885:人間七七四年
08/09/05 22:14:39 ri8Gfz10
>>884
書いた本人が土佐人で酔いながら書いたんだろww
886:人間七七四年
08/09/05 23:06:01 rgTrvICx
土佐人は陽気で酒好きだからな
あそこに住んでたら、周りにあてられてついつい飲みたくなるだろうな
887:人間七七四年
08/09/06 16:52:54 y6tdixCV
板倉勝重が、徳川幕府の初代京都所司代に就任した時、最初に出した触書
一、町人に申し分があれば、書きたてて目安箱に入れること。(市民の意思や要求を把握する)
一、町人に訴訟したい事があれば、板倉家中のものに頼む必要はない。直接申し出る事。(直訴を認める)
一、訴訟、裁判において、他の有力者に仲介、斡旋を頼むようなことがあれば、理非にかかわらず負けとする。(裁判の公平性を確保する)
一、所司代の者だと言っても、町人の売り物を掛買い(値引き購入)させてはならない。(官僚としての規律を確保する)
一、法は町触れによってはじめて執行される。武家奉公人が所司代の命令だなどと言ってきたときは、所司代に通報する事。(法公開の原則)
これは板倉の治世の間ほぼ守られ、さらに彼に続く京都所司代の、基本方針となり、さらには幕府における
江戸、大阪などの都市行政においても、これが原則とされた。
彼が名所司代と京と市民からたたえられたのも、裁判においての手腕だけでなく、このような、自らを律し、
市民の話を聞き、公平であろうとする姿勢があったため、だったわけだ。
888:人間七七四年
08/09/07 00:07:33 BT+LsTAa
秀吉が太閤と呼ばれた頃の事
秀吉が風呂に入っていると、蜂屋伯耆守がやってきて、お背中を流しましょうと言う。
それではと秀吉、やらせてみると、蜂屋、こう節をつけながら、リズミカルに背中をこすり始めた
「知行くれい~ 知行くれい~」
そんな感じで背中を流してもらった秀吉、蜂屋に向って「今度はわしがお前の背中を流してやろう」
そんな、殿下に、勿体無い、と断るも、無理やり服を脱がせて、同じように節をつけながら背中をこすり始める秀吉
「奉公せい!奉公せい!奉公せい!」
蜂屋伯耆守、すっかり恐縮したそうな。
889:人間七七四年
08/09/07 00:12:24 QHHB6OoT
子供のとんち話みたいで好きだw
890:人間七七四年
08/09/07 01:01:23 BT+LsTAa
なんかいい話だったので
78 名前: 四十代(東京都)[] 投稿日:2008/09/06(土) 18:35:16.05 ID:kb9fMQ7A0
「巧すぎる絵師」の宿命としての真田幸村のトラブルとは対照的に、こんな心温まるエピソードも
残っている。
「花の慶次」に登場する徳川家康の外見が勝新太郎をモデルにしていることは有名であるが、
あるとき知り合いの演歌歌手の誕生パーティーに原が出席したときのこと。原が隅で料理を
つついていると、ホールの向こう端から全身白のスーツ姿にサングラスをかけた小太りの男が
つかつかと歩み寄ってくるのが見えた。誰あろう、その恐ろしげな風貌の人物こそ、かの勝新
その人であった。
勝は原の目の前に立つと、原の胸を、どんとひと突きした。「――殴られる。」原はそのとき、
そう直感したという。原は勝に無断で、肖像を拝借して作中に徳川家康を登場させていた。真田
幸村の一件が頭をよぎる。しかし。勝はサングラスをはずし、ぐい、と原に顔を寄せると満面の
笑みを浮かべこう言った。「おめえ、絵が巧いんだな。」それだけ言うと勝は手を振りつつ去って
いったという。
数ヶ月して、原のオフィスに一本の見事な長唄三味線が届いた。紫檀製の胴には見事な綾文
(鑿で内面に彫られる模様細工)、既に昨今では珍しい本皮張りに、象牙の撥(ばち)。時価に
して数百万になろうかという逸品である。それは、三味線職人の次男坊である勝新太郎ならで
はの、原の作画に対する素直な評価、粋な贈り物であった。原は以後この三味線を何度も
作品中に登場させ、前田慶次に弾かせている。
891:人間七七四年
08/09/07 01:03:43 332D1d3M
へーへーへー
892:人間七七四年
08/09/07 01:32:08 wus4eEpj
ガチでいい話だな~
893:人間七七四年
08/09/07 03:22:35 0UV3iztH
ほう、味なことをしおって
894:人間七七四年
08/09/07 06:28:25 OXsLOA7x
白スーツにグラサンで、いっしゅん梶原一騎の顔で脳内再生されたが
カジワラ先生だったらこんないい話で終わらないだろう
895:人間七七四年
08/09/07 09:39:43 6w8L4YxR
秀吉が天下統一したしばらく後のこと
秀吉が大事にしていた鶴が
世話係の不注意で逃げてしまった
世話係がおそるおそる報告すると
最初は顔色を変え、しばらくは
無言の秀吉だったが
やがて静かに問いかけた
秀吉「あの鶴は唐(から)まで逃げたか?」
世話係「いえ…いくら何でもそこまでは…」
秀吉「なら良い、日の本の中ならどこでも俺の領地だ。領地の中にいるのなら、お前は逃がしたわけではない」
そいうって秀吉は世話係を咎めなかった。
秀長や利休がまだ健在の頃の話らしい。
896:人間七七四年
08/09/07 11:48:35 EqpUQK8E
>>895
良いときの秀吉でよかった
897:人間七七四年
08/09/07 13:13:59 n9UNGfEW
そいうって→そういって
898:人間七七四年
08/09/07 13:48:46 BT+LsTAa
応仁の乱で、西軍から東軍に寝返り、越前守護となった朝倉孝景が、甲斐八郎率いる加賀の一向宗と
戦争になったときのエピソード
孝景、陣中にいた会下僧にこう尋ねた
「戦争では、敵も八幡大菩薩、味方も八幡大菩薩に武運長久を祈るわけだ。その一念は
敵味方同じであろう。だが、その御利生は、どういう事に成るのであろうか?」
僧曰く
「それは、こう考えると宜しいでしょう。味方には現世安穏、敵には後生善処。」
899:人間七七四年
08/09/07 20:22:58 lVs96Nkf
>>34
無粋な突っ込みだが・・・
無類の強さって言っても例えばボプサップに軽くぼこられる程度の奴だよ島津義弘なんて。
武蔵にすら勝てないし、別に言うほど強くないよ。
厨はどうも戦国最強って言うと本人が強いとかと勘違いするんだよな。
単に島津義弘軍が強かったってだけだからな。
900:人間七七四年
08/09/07 20:35:47 BT+LsTAa
>>899
きみは驚くほど勘違いをしている。
901:人間七七四年
08/09/07 21:24:34 xkXUUxeZ
半年以上前に書き込まれたレスに、恐ろしく的外れな突っ込みをして、
厨とか見下して・・・。
可哀想な子。
902:人間七七四年
08/09/07 22:07:29 IPQCoSaY
無粋が過ぎる
903:人間七七四年
08/09/07 22:12:29 VsVl7qyR
>>899
うわぁ、これがゆとりか
904:人間七七四年
08/09/07 22:30:17 OXsLOA7x
ゆとりってか、中二病満開やね
905:人間七七四年
08/09/07 23:21:00 gwTNWcmY
この間の香ばしい子かなw
906:人間七七四年
08/09/07 23:35:22 BT+LsTAa
細川忠興が隠居した頃のお話。
新たに当主となった忠利に小倉城をゆずった忠興は、中津城を隠居場にした。
さて、いざ隠居してみると、家臣たちがぱったりと挨拶に来ない。確かに静かに余生を過ごしたいといった。
だがこれはどういうことだ!
「忠利!まさかお前が、わしのところに家臣が挨拶行かないようにと、言っているのではないだろうな!?」
こんな書状をもらった忠利、当惑し、家臣に「とにかく大殿様にご機嫌伺いするように!」と大慌てで要請
次の日から中津城には、ひっきりなしに家臣達が尋ねてきた。その、あまりの多さに忠興も閉口。
「誰がこんなに尋ねて来いと言った!?用のある人間だけ来ればいいのだ!」
と、やっぱり立腹。困った爺様である。
しかし、そのしばらく後に
「この間はわがままを言ってすまなかった。後悔している。」と、反省文を送ってきたりもした。
案外可愛げもある爺様であった。
907:人間七七四年
08/09/07 23:38:06 ttChlFjA
>>906
これはツンデレといえばいいのか、DQNといえばいいのかw
908:人間七七四年
08/09/08 02:07:11 hT8ofVgf
>>899
とりあえずさ。義弘本人がどれだけ強かったとか弱かったとか分からないよね?
家康とか狸親父なイメージだけど、武芸結構納めてるし。
義弘も初陣で一騎討ち制したりしてるし、名門武家の子として当然幼少時から鍛えてたわけだろうし、それなり以上に強かったと思うよ。
大体、精鋭って呼ばれる軍団の大将はある程度強くないと兵士に舐められる恐れもあるよね。
だから少なくとも君よりかはずっと強かったと思うよ。義弘。
909:人間七七四年
08/09/08 02:10:20 efwHKosz
>>908
必要以上に付き合うのも同類だぞ?
910:人間七七四年
08/09/08 02:12:53 1fJ5tlZ4
>>906
可愛いなw
>>908
もういいんだ・・・もういいんだよ
911:人間七七四年
08/09/08 03:53:24 UTKCLwEi
>>908
俺より強いってのは同意
でも黄色人種は黒人より武においては劣る
これ現実
なんかまともな反論せずにふぁびょってるやつが多いが、
>無類の強さを誇った島津義弘も
>晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。
そういう意味での無類の強さがあるとか本気で思い込んでいたのか?
だとしたらアホすぎる。ゆとりとかいうレベルじゃない。
バカは戦国板から出て行け。
912:人間七七四年
08/09/08 04:05:24 1fJ5tlZ4
>>911
それただの揚げ足取りじゃん・・・
半年前の奴にレスするほどの事じゃ無いじゃん・・・
あと黄色人種が黒人に武において劣る「これ現実」の根拠を
まさかボクシングとかその辺のものを例示するんじゃないだろうね・・・
戦国板がお前みたいな奴ばっかりになったら自然と出て行くよ俺は・・・
913:人間七七四年
08/09/08 07:12:17 PolMUqli
ちょっと素手でボコられただけで心が折れてしまうボブ・サップや、判定勝ちしかできない武蔵みたいなヘタレが
人殺してる人らの胆力に勝てると思えないけどなあ
殺し合いで勝てるかどうかって精神的な部分も重要だろ
914:人間七七四年
08/09/08 08:32:32 36gXWCE1
というかスレ違いもはなはなだしい。
誰が強い弱い議論は別スレでやってくれ。
915:人間七七四年
08/09/08 11:53:52 Lki0zbnp
鳥居元忠と鈴木(雑賀)孫一
関が原の直前、伏見城上代・鳥居元忠は甲賀者を駆使して三成の動向を調べ、
逐一家康に報告した。
三成が挙兵し、伏見城は大軍に囲まれて孤立し、元忠は壮絶な討ち死にを遂げた。
この時、元忠を撃ち取ったのが雑賀党の首領、孫一だった。
実は鳥居家は鈴木家とは同族で、昔からの顔なじみだった。
「どうせ死ぬなら孫一に手柄を立てさせてやろう」
死を覚悟してなお配慮が働いたと思われる。
元忠の子・忠政は父の功により24万石の大名に引き立てられた。
916:人間七七四年
08/09/08 19:15:24 NLKdfSJs
>>915
加増されて二十万石超えたのはだいぶ後年のようだけど、
それでも譜代ということを考えると石高的に非常に厚遇されているね。
元忠は家康の人質時代からずっと側近くで仕え続けてきたし、
家康にとっては忘れられない家臣なんだろうね。
そういえば、駿府の人質時代、鷹が飼えない家康が
トンビ?か何かを鷹の代用として飼っていたら、
元忠の父親が家康をしかりつけ、大将の心構えを説いた、
ていう逸話なかったっけ?
917:たられば君
08/09/08 21:38:07 qsmNJ5vO
その孫一や潰した最上家の舎弟を拾い上げて水戸家に付けるのは
おもしろい巡り合わせだよね
918:人間七七四年
08/09/08 22:45:28 UTKCLwEi
>>913
でもその二人に勝てる日本人が一体何人いた?
上には上がいるってことで、島津の肉体的な強さなんて無類とかいうほどのことでもないってこと。
これが残念ながら現実なわけよ。
だってここにいる誰一人お前がバカにするサップや武蔵に勝てないし、島津が素手で二人のどちらかに勝てる可能性は現実的に0に近い。
将軍と格闘家の違いくらいわかるだろ。
将軍としては日本有数でも、
>無類の強さを誇った島津義弘も
>晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。
それはこういう意味の無類の強さではないわけ。
その程度もわかんないんて本当に程度の低い住人だな。
919:人間七七四年
08/09/08 22:47:17 efwHKosz
NGID、っと。
920:人間七七四年
08/09/08 23:00:23 UTKCLwEi
>>919
ここはお前の日記じゃねえから独り言はチラシの裏にでも書いとけヴォケ
921:人間七七四年
08/09/08 23:02:10 226Wq/+l
こんなときこそ鮭が欲しいなあ
922:人間七七四年
08/09/08 23:04:30 j53qBNH8
一年と半年間、ちっとはおかしな雰囲気になったこともあったけど、
スレの総意で優しく温めていこう寛容にいこうっていう空気をみんなでこつこつ作ってきたのに・・・
923:人間七七四年
08/09/08 23:08:34 HvZGQC+X
ん?なんかいるのか?
俺にはさっぱり完全に見えない。
924:人間七七四年
08/09/08 23:12:11 226Wq/+l
オレには鮭が見える
925:人間七七四年
08/09/08 23:12:41 3dKpsk/z
鮭好きがふじゃけすぎたようです
926:人間七七四年
08/09/08 23:16:49 d9QbOQMp
痛い子を じゃけんにするのも 分かるなり
927:人間七七四年
08/09/08 23:32:37 xJwHlUi1
鮭や鮭や!鮭持ってこんかい!!!
928:人間七七四年
08/09/08 23:37:54 WNPXAEfi
鮭は飲め飲め飲むならば
929:人間七七四年
08/09/08 23:42:13 226Wq/+l
最上主演の大河ドラマがあったらこんなかんじか
奥羽の一大名でありながら、鮭を愛したため家臣領民
らを魅了し、また、もっとも妹を恐れた男・義光。
戦国の世でひときわDHA摂取量が多かったという。
930:人間七七四年
08/09/08 23:47:59 UTKCLwEi
言い返せなくなって現実逃避哀れw
単発IDばかりって自演確定だなw
悔しかったら全員もう一度レスしてみろよw
931:人間七七四年
08/09/08 23:48:20 hT8ofVgf
鮭の皮捨てるヤツ見るとイラッとするが、たまに食えないほど臭い皮出す店あるよな。
932:人間七七四年
08/09/08 23:57:05 d9QbOQMp
そういえば、今日しゃけ食ったわwチャンチャン焼きでしたー@北海道
933:人間七七四年
08/09/09 00:13:49 m3D1ZnPo
おれも鮭のおにぎり食べたよ。
934:人間七七四年
08/09/09 00:17:11 AJ8Bslu9
確かに旬の生鮭は旨いが、素焼き→醤油だけでは味気なくてたまらん。
バター焼きやムニエル、チーズ仕立てなどの対処をして凌いではいるが・・・・
935:人間七七四年
08/09/09 00:19:27 EG5ObHTr
鮭のあらがいいね!
あぶらがのっていて、ただ焼くだけでもうまいとおもう。
塩味もちゃんとついてて。ウマー
936:人間七七四年
08/09/09 00:21:05 AJ8Bslu9
誤爆です。
真に申し訳有りません。
937:人間七七四年
08/09/09 00:28:36 4yrly1pt
鮭に醤油は合わないだろ
健康には悪いが塩をきつめに振るといい
938:人間七七四年
08/09/09 00:31:15 RZYZ7QZW
>>930
時間と2chのIDシステムをよく考えてからレスしろ
939:人間七七四年
08/09/09 00:42:39 tKoq6fTI
>>937
最上様には申し訳ないが
油のりのりのノルウェーサーモン(外国産ですまんね)に一塩して冷蔵庫で一晩
この塩鮭はうまい。
国産の場合、レモンの果汁と薄口醤油と酒とみりんを合わせた物につけ込み
網焼きするのもうまい。
大勢の単発ID(w)で鮭話とはいい話じゃないですか
940:人間七七四年
08/09/09 00:45:12 udPyiM2N
鮭様が食べてた当時の鮭はとっても塩辛いと思うんだ。
941:人間七七四年
08/09/09 00:45:27 RZYZ7QZW
マジレスで悪いんだけどさ、こんな過疎板で単発が少ないスレのが珍しいわけだが
942:人間七七四年
08/09/09 00:45:35 EG5ObHTr
このスレの鮭部分だけでまとめてほすぃくらいだw
943:人間七七四年
08/09/09 01:32:06 oIgI/cTc
武田勝頼の家臣に、土屋昌恒という者がいた。
彼は信玄の時代から、武田の次世代を支える逸材と期待されていた男であった。
さて、織田徳川による武田征伐が起こる。
御存知のように武田は次々と城を落とされ、家臣、一門が続々と寝返る中、
昌恒は常に勝頼の側にあった。やがて天目山に追い詰められ、勝頼が自害すると言う時、
彼は勝頼の自害の時間を稼ぐため、追って来る織田軍の兵を峡い崖道で迎え撃ち、
片手を蔦に絡ませ崖下へ転落しない様にし、もう片手で槍を振るい進軍を阻んだ。が、多勢に無勢、
後に「片手千人切り」と呼ばれるほど奮戦したものの、やがて討ち取られた。
しかし、彼が稼いだ時間のおかげで、勝頼たちは縄目の恥辱を受けることなく、自害する事ができた。
さて、戦後である。
この昌恒には、惣蔵と言う幼い息子がいた。織田の残党狩りを避け、親族のいた駿府の清見寺に匿われていた。
しかしそこは織田の同盟者である徳川家康の新領地。まもなくその存在は察知され、彼は徳川の手のものに
捕まり、家康の前に引き出された。
甲斐での、織田による残党狩りの禍々しい噂は、駿河にも聞こえていた。可哀想に、あの子も殺されるのだろう。
皆、そう思っていた。
ところが家康は、引き出されてきたこの、元の敵の子を、丁重に扱った。
「お主の父の最後は聞いた。わしは、お前の父のような侍を尊敬する。」
そしてこの少年に向かって言った。「出来れば、わしの息子、秀忠の、小姓になってくれないだろうか?」
彼は後、土屋忠直を名乗り、やがて上総国で2万石を与えられ、久留里城主となる。
侍の、命を捨てた忠誠は、自身も主家も滅びてもなお、子に福を与えることもある。と言うお話。
944:人間七七四年
08/09/09 01:35:59 w/ECGtwH
とれたての生鮭を炭火でさっと表面を焼いたのは超うめーかった
最上さんの気持ちもわかるわ
945:人間七七四年
08/09/09 06:52:17 a8hYHekl
>>938
こいつどういう突っ込みかすら理解できてねえwww
哀れwww
946:人間七七四年
08/09/09 10:03:34 9GePy9cE
>>945
日付変更線間際で単発にもう一度レスしろっていう低脳さんオハヨウゴザイマス
947:人間七七四年
08/09/09 10:10:07 GllW/4T7
>>945キモ過ぎ
948:人間七七四年
08/09/09 10:14:30 Fm5c9pQx
テレビ放送するような格闘技とかプロレスなんて八百長で最強演出されてるだけだろ。日本刀や弓で殺し合いするのとはワケが違う。
まぁ義弘最強とかは違うと思うが。
949:人間七七四年
08/09/09 10:38:42 S7JMGMmE
鮭も最強論も終わりにしてくれ
950:人間七七四年
08/09/09 13:19:38 ALNK7WY1
いや、鮭は終わりにしたくない
951:人間七七四年
08/09/09 13:49:55 3gAlf+lt
鮭はいいだろ鮭は
952:人間七七四年
08/09/09 14:38:42 bcCtVvW5
「」悪いスレに書こうかと思ったんだけど、「鮭」 の話でまだ出てきてないのがあったので・・・
吉川元春、1586年、天下人への道を突き進む豊臣秀吉の強い要請を受け、
弟の隆景らの説得により、隠居の身でありながら渋々九州征伐に参加した。
この時元春は膿性炎症(癌とも言われている)に身体を蝕まれていた。
そのため、出征先の豊前小倉城で死去した。
黒田如水が差し出した鮭料理を食べてしまったため、病状が悪化して死去したと言われている。
ただしこの当時、九州にて鮭を入手するのは、海運も発達していない上に、
産地である東北の大名がまだ秀吉に臣従していない以上、かなりの困難があったと思われる。
もし実話だとすれば、そのような貴重なご馳走に恐縮して断わるに断れなかった、
あるいは身体によくないと知りながら、食欲に勝てずに箸をのばしたというのが、真相ではなかろうか。
秀吉が元春を嫌っていたことを知っている如水が、「義理堅い元春なら断るまい」と食わせたか?
953:人間七七四年
08/09/09 15:08:25 ovKcbLCo
>>945
死語だがKY
福岡にも一応鮭と九州で呼ばれるものは上ってくるよ。
鮭神社ってのは、炭鉱の塵炭で汚れてた川にまた鮭上って来たよ~、これからはもっと上ってきてね~っていう喜びと期待のあまりに建てられた神社だし。
毎年千匹放流して、帰ってくるのは一~二匹みたいだけど、鮭は福岡にも来るよ。
川がきれいだった戦国時代には結構普通に上ってきてたと思うよ。
954:人間七七四年
08/09/09 15:11:04 8Tdn44Hu
>>952
筑前嘉麻郡(現福岡県嘉麻市)には鮭神社ってのがあるぞ。
筑前國続風土記拾遺に上ってきた鮭を神の使いとしてた、って記述もあるし。
だから馳走した鮭は地元でとれたものかもしれんよ。
それで暖かいところの鮭だからアニサキスに当たったんじゃねぇかなぁ。
955:人間七七四年
08/09/09 15:15:00 oIgI/cTc
そういえば、戦国時代でも海運はきちんと機能してて(戦場になりやすい陸路よりもむしろ盛んだったらしい)
商品の流通も相当機能していたようだね。北海道の昆布を琉球まで運んでるし。
956:人間七七四年
08/09/09 16:34:34 NPfF0RJy
>>952
当時は福岡でも取れてた。
957:人間七七四年
08/09/09 16:34:47 a8hYHekl
>>946
やっぱりどういう突込みかわかってねえwww
958:人間七七四年
08/09/09 16:36:51 5cT2/+Hq
>>952
それWikipediaの文章そのまんまだね。悪いとは言わないけど、その記述の「食欲に~」の部分は駄文だよね。
959:人間七七四年
08/09/09 17:00:45 3rZIxmGc
義弘とサップを脳内で戦わせてる奴まだいたのかw
960:人間七七四年
08/09/09 17:03:44 oIgI/cTc
もうそろそろ次スレ必要じゃね?
961:人間七七四年
08/09/09 17:09:00 S7JMGMmE
ちょっといい話をして下さい
鮭とかサップとかいい加減にして
962:人間七七四年
08/09/09 17:41:29 r+QBrM1Z
でも食べ物にまつわる話ってちょっといい話に結びつきそうなネタ多そうじゃない?
その象徴が鮭と。