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明応七年八月、今の静岡県南方海中を震源とする大地震が起こった。
推定されるマグニチュードは8.2~8.4.阪神、淡路大震災の、数十倍の規模であった。
この地震は房総半島から東海、紀伊半島にいたる地域に、大津波を起こした。
伊豆半島も大きな被害を受けた。が、伊豆を預かる堀越公方の政庁は、この災害になんら具体的な
救済を行わなかった。伊豆の地には多くの死体が放置され、被災し、苦しむ人々が溢れた。
その時である
海上に、多くの船舶が現れた。まっすぐこちらに向かってくる。
「海賊か?」
住民たちは逃げようとした。しかしどこに?堀越公方の政庁は、自分たちを助けてくれない。
そうこうしているうちに、船は接岸し、侍たちが上陸してきた。
たくさんの医師を伴って。
侍たちは早速炊き出しをし、医師たちは被災した家々を回り、病人、けが人の治療をし、薬を調合した。
多くの命が、救われた。
この船を率いてきた大将も、いっしょにかゆを配り、病人を看病した。
この男の名は、伊勢宗瑞。後に北条早雲と呼ばれる武将である。