08/08/21 21:32:25 YUlSpdyI
最上義光三連
1.最上家の鮭延家臣に、裸亥之助というものがいた。あまりに太っていたため、あう甲冑がなく
裸で走り回るためそう呼ばれていた。
義光はこれを聞いて「いくら太っているからって、ブタ(亥)はないだろ、ブタは…
今日からは 武 太 之 助 って呼びなさい、なんちて♪」
と寒いオヤジギャグをかました。
2.庄内地方を上杉と争った最上だったが、結果的に外交で敗北、
庄内は上杉家のものとなった。しかし年貢とりたてが厳しく、一揆があいつぐ。
そんな中、池田讃岐という武士が一揆に加わり逃亡、最上領に逃亡し鮭延に
助けを求め匿われた。彼は天下のお尋ね者となったため、悪次郎と名乗った。
悪次郎は現地を開墾、治水灌漑をおこなった。住民はそれを感謝し、地名を
悪次郎に変えた。明治以降、あくどいイメージなので地名を変えるように行政指導が
あったが、住民は悪次郎という地名を守り抜き、現代まで残っている。
3.秀吉政権以降、由利十二党が最上配下となった。義光はとりまとめに苦労していたが、
あるとき十二党のものに「大井五郎という暴れん坊に困っているので殺して欲しい」と頼まれた。
義光はなんとかして五郎を山形城に呼び出して暗殺しようとした。
しかし、現れた五郎が鮭をまるごと平らげ、あまりに大食いなのを見てすっかり気に入り、
「あのー、わし本当はお前のこと殺そうとしてたんだよねー。
でもなんか気に入ったから殺さないからね? 何か困ったことあったらいつでもおいで」
とたくさんお土産を渡して家まで無事に帰した。