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お梅(真田信繁の娘)と伊達家重臣、片倉重綱(重長)
大坂城落城の時、一人の娘(16歳)が徳川の先陣を勤める伊達家の片倉隊の前に現れた。
白の鉢巻きに薙刀姿の娘を見た重綱は、捕らえるとそのまま国に連れ帰り、後妻とした。
(信繁と重綱とは何度か戦いを交えており、自分が死んだ後、娘を重綱に託そうとして、
梅に言い聞かせて置いた。)
重綱は、智勇優れた真田家の娘、梅を妻としたことを誇りにした。
そして片倉家の家紋はこれ以降、真田と同じ六文銭に変えられた。
時代は下り、松代藩三代藩主、真田幸道が伊達藩へ寄ったとき、
眞田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見てたいそう驚いたという話が残っている。