戦国ちょっといい話at SENGOKU
戦国ちょっといい話 - 暇つぶし2ch476:人間七七四年
08/07/12 11:04:47 iKrK589Q
正宗三連発

・伊達政宗、自邸に将軍の御成りが決まり、幕閣一同下見に訪れる。そこで将軍への進物の話になり、
政宗、長さの違う二振りの脇差を出してきて、「どっちがよろしいかな?」と聞いてくる。酒井忠世と土井利勝が
「長いほうかな?」と答えると、その答えを何故か気に入らなかった政宗、急に怒り出し

「短いほうでも、お前のわき腹ぶっ刺せるんだぜ」

と、良くわからない威嚇を始める。幕閣一同笑ってごまかす。細川忠興呆れる。


・伊達政宗、友達で旗本の加々爪忠澄の額を、何を思ったか突然ひっぱたく。忠澄もとっさにひっぱたき返す。
→そのまま場外乱闘。拳と拳で男の友情を確かめ合う。細川忠興呆れる。


・伊達政宗、島津家久を呼んで茶会を企画。余興として能でもしようと思い立ち、喜多七太夫の所に
「役者貸せ」と言いに行くも、七太夫「あいにくその日はみんな予定が埋まってまして…」
これに激怒した政宗「来ないと言うのなら、お前ら全員斬り殺す!」と、堂々のジェノサイド宣言。政宗は本気だ。
困った七太夫、島津家久に泣き付く。訳を聞いて途方にくれた家久、友達の立花宗茂や寺沢広高と相談の結果、

「いたたたたたた?あれ?急に、おなかが、痛、いたたたたたた、急におなかが痛くなったよー、これじゃ茶会は無理、
残念だけど延期するしかないなあーいたたたたた(棒読み)」

と、不登校の小学生みたいな言い訳をして、五日間の延期に成功。細川忠興やっぱり呆れる。

477:人間七七四年
08/07/12 12:05:31 CCki6Kvx
>>476
なんというDQNw

478:人間七七四年
08/07/12 13:10:20 wM2GQ6nA
細川忠興のようなDQNに呆れられるところが笑いどころか?

479:人間七七四年
08/07/12 14:14:36 jmDXDfNF
それ以外ないだろ

480:人間七七四年
08/07/12 14:31:52 o3th/Art
URLリンク(www.nicovideo.jp)

481:人間七七四年
08/07/12 17:07:17 BowFtQy6
>>476
島津家久ってとこで笑った

西国無双のDQN忠恒様さえも途方に暮れる役回りにしてしまう
政宗おそるべし

482:人間七七四年
08/07/12 17:34:24 iKrK589Q
秀吉の鳥取城攻めの相手として有名な吉川経家。彼が、城兵たちの命と引き換えにいよいよ明日、切腹すると言う日
自分の、幼い4人の子供たちにあてた手紙

『鳥取城は、昼夜あわせて200日も耐えてきました。しかし、兵糧も尽いたので、
父は一人腹を切り、城兵を助け、吉川一門の名を上げたのです。

その、幸せな物語をどうか、皆から聞いてください。」

483:人間七七四年
08/07/12 22:09:30 1LXiI71w
今度はDQN自慢スレになってるw

>>474
なんかの日記のガイドラインですか
>>482
それは「ちょっといい話し」というより「泣ける話し」のような。

484:人間七七四年
08/07/13 00:41:09 +yWH91Rb
毛利輝元が始めて上洛した時のお話

朝廷への参内を認められ、参議に就任。毛利家始まって以来の殿上人である。
御所を出たのは夜中の10時。だが輝元うれしさのあまり、付き添いの小早川隆景引っ張って
豊臣秀長のところに「参議になったよ!」報告に駆けつける。が、当然既に門は閉められており、
門番から「もう遅いんで明日来てもらえますか?」とたしなめられる。

隆景、ひどく恥ずかしい思いをする。

485:人間七七四年
08/07/13 15:31:50 +yWH91Rb
信長が上洛した時の事

信長は将軍の新邸や御所の新築をするため、各地から資材を集め、かつての室町幕府の政庁、花の御所が
あった場所からも石材をどんどん搬入させた。それを見た京都の市民、御所の女房言葉で、団子の事を
「いしいし」と呼んだ事から、「これがホントの花より団子か」と、信長、変な感心をされる。

486:人間七七四年
08/07/14 06:37:58 SqmWSjTB
>>460
三成って良くも悪くも正義感強すぎたんだな

487:人間七七四年
08/07/14 10:10:15 6awfvRt+
>>486
ちなみに、三成は伯父を殺されたのが相当堪えたのか、この後の奥州征伐では、秀吉に言われたとおり、
九戸などで「城兵の命は助けると約束して降伏させる→皆殺し(女子供含む)」をやって、秀吉からの信頼を
回復します。

488:人間七七四年
08/07/14 12:17:55 hxHDCHEz
>>487
九戸の乱に三成は立ち会ってなかったと思うが

489:人間七七四年
08/07/14 12:43:48 6awfvRt+
>>488
ああ、そうだ。ごめん勘違い。蒲生氏郷と三成を逆に覚えてた。

490:人間七七四年
08/07/14 13:50:43 INEJa3iz
木村重成(秀頼の乳兄弟)

大坂夏の陣の5月ごろから食が細くなった重成、
「落城近しの風聞に接し、食が進まないのか?」の問いに、こう答えた。
「昔、後三年の役のおり、末割四郎という者がいた。
 この者は臆病もので、朝の食事も喉に通らないほどだったが、
 敵陣で首を切られた時、切り口より食い物が出てきて恥を晒したそうな。
 俺も首を取られるだろうが、骸の臓物を見苦しくないようにしたいから謹んでいるのだ」



491:人間七七四年
08/07/14 21:08:57 6awfvRt+
秀吉の北条征伐を受ける北条氏

領民たちに「農民も商人も、戦えるほどのものはすべて参戦せよ!」と、悲壮な総動員を訴える。
ただし

「見苦しい格好をしているものはその限りではない」と、ファッションへの強いこだわりも見せる。

492:人間七七四年
08/07/15 01:19:32 AlKY6CLr
細川忠興が隠居した頃のお話。

土井利勝のところに秀忠と家光が御成りになるという話を聞いた忠興、利勝のところに贈り物をした。
幕府の筆頭人として世をときめく土井利勝は、しかし、己の身を慎み、大名たちからの贈り物は一切受け取らない男だった。
この時も、「私は大名からの贈り物は一切受け取っておりません」と断る利勝に、使者は、
「主人が申すには、とにかく見るだけ見てほしい、と言っております」とのこと。
利勝が何かと思って開封するとそれは、よく贈られる高額な品物ではなく、忠興自らが目利きした、ありふれた感じの
掛け物や香台などの道具類だった。

「これは…?」

ふと、何かを悟った利勝、なんとその贈り物を、そのまま受け取った。

そして御成りの日、御成りの間には絵の類が一切飾られず、床の間には鳥の子紙の貼付壁の前に、
忠興の送った道具類だけがさりげなく置かれていた。それは高価なものではないが、一つ一つの品の確かさといい、
全体の調和といい、素晴らしいものだった。そしてその飾りつけは、忠興の審美眼の高さをさらに強調していた。
幕府の芸術監督である小堀遠州も、ただただ感心したと言う。


後でその話を聞いた忠興、「利勝は芸術と言うものを良くわかっている」と、喜んだ。

493:人間七七四年
08/07/15 15:31:10 0oBXTggl
>>491
なぜだかわからないけど、北条らしいというべきか…

494:人間七七四年
08/07/15 17:13:31 FFDJDiu9
>>491
それはなにか?暗に「お前らは逃げろ」ってことか?
なんかツンデレ

495:人間七七四年
08/07/15 17:22:38 AlKY6CLr
>>494
ちがうよ。「見苦しい格好で戦場出られると敵から笑われて恥ずかしいから」って言う理由。
さすが「装束の北条」の面目w

496:人間七七四年
08/07/15 20:30:05 AlKY6CLr
将軍暗殺で有名な嘉吉の乱の首謀者の一人、赤松則繁。彼は乱のあと行方不明になっていた。
新将軍義勝の元に、死亡した将軍義教を弔うために高麗から使節がやって来た時、
そういえばあいつはどこに行ったのかねえ、と、その話題が出た。
高麗使節が「それはどのような人物なのですか?」と聞いてきたので、幕閣たちがそれを説明すると、
かの使節、みるみる顔を青ざめさせ、こう叫んだ、

「そいつ!今我が国を襲撃している倭寇の頭領!!」



一同、則繁が元気でいることを知りほっとする。

497:人間七七四年
08/07/16 01:38:03 jrnwjRYY
信長が上洛した頃の事

京には、今は亡き斉藤義龍の妻が隠棲していた。その女が、美濃斉藤家に伝わる茶道具の名品を、
義龍の形見として持っていると言う事を知った信長、早速その名品を自分に献上させる様に命令した。

だが、彼女はそれを拒否。信長の使者を追い返した。これを聞いた信長は、女を殺してでも奪って来いと
怒った。その時、稲葉、安藤、氏家の、西美濃三人衆をはじめとする、今は信長に仕える旧斉藤家の家臣たちが、皆
信長への面会を求めてきた。何事かと召し出すと、彼らは、「義龍公の奥方から茶道具を取り上げるとの事、
どうか、考え直していただきたい」

さもなくば、

「我ら一同、この場で腹掻っ切ります」


これには信長も、彼らの要求を呑むしかなかった。
美濃系の武将の家に、長く伝わったお話。

498:人間七七四年
08/07/16 05:51:30 6d2eLwz4
オチが家康系だな
信長系のオチだと本当に腹切らせたとかなりそう
秀吉系のオチなら後で美濃衆の縁者を処刑したってなるのは確実

499:人間七七四年
08/07/16 11:10:33 wbYBbw2U
>>498 100点

500:人間七七四年
08/07/16 12:40:57 d+m9FLXM
>>496
そんで、倭寇として備中・河内まで攻め込んでくるんだよなw
壮大なロマンを感じさせる武将やなぁ 100点

501:人間七七四年
08/07/16 17:44:50 Jh04Gc8R
>>497
それは言継卿記に出てくる壷事件の事なんだろうな。
美濃国人の佐藤が岐阜に滞在していた言継卿に語った話として出てくる。

502:人間七七四年
08/07/16 20:12:32 wbYBbw2U
〈戦国武将は幽霊を怖がらない話〉
とある秀吉が攻め取った城で幽霊が出ると騒ぎになっていた
多くの者が討ち死にした場所ではよくある話です
夜になると先の城主が恐ろしい形相で城内を歩き回っているそうで
城の女達は祟りを恐れ浅野長政に相談しました
長政は早速御祓いをしたのですが一向に効果が無く秀吉に報告したのです
長政:毎晩先の城主○○が城内を歩き回っておるようです
秀吉:何を申しておるのだ、○○はとうにこの秀吉が討ち果たしておるわ
長政:それが亡霊となって徘徊されておるようで、いかがいたしましょう?
秀吉:そはまことか?アハハこれは近頃無い楽しい話じゃ
長政:相手は亡霊ですぞ、御祓いも意味無くどの様な災いがあるか
秀吉:あ奴この秀吉にたて付くから成仏出来ぬのじゃ、こんな楽しい事があるか
秀吉:わしに逆らうと成仏出来ぬ様になるぞ、と世に広めよ
長政:はぁ・・・
「秀吉が大はしゃぎした夜から幽霊は出なくなったそうです」

○○の名前忘れてしまったスマソ

503:人間七七四年
08/07/16 20:16:01 jrnwjRYY
>>502
秀吉は信長の霊に脅かされて小便ちびりましたがなw

504:人間七七四年
08/07/16 20:35:44 jrnwjRYY
秀吉と言えばこんな話

後の関白秀次の父、三好武蔵野守は自分の髭が自慢で、
ある人から「こんな立派な髭は日本では見た事がない。舶来物の髭ですな」
と言われ大いに得意になった。
そこで、会う人会う人に自分の髭を「どうでござるこの髭、ここだけの話、舶来ではなく日本産の髭でござるよwww」
と、吹聴してまわっていたそうな。



秀吉、自分の一族の将来に深刻な不安を感じる。

505:人間七七四年
08/07/17 00:55:18 tjjOvyw7
>>502
別所長治かな?

506:人間七七四年
08/07/17 01:37:17 MUg3pPyl
別所と吉川経家(こいつは本当にいい迷惑でした。本来の城主じゃないのに)、清水は
成仏してる気がする。辞世とか死に際見たら(3人中だと別所かなぁ?)


507:人間七七四年
08/07/17 10:14:01 Hx6YqQ5M
士分(上にいけばいくほど)の者が、どんな理由にしろ死後に「うらめしや系の」怨霊化
というのは不名誉この上ないことだろ

508:人間七七四年
08/07/17 10:58:52 zfOtEsuw
よく聞く平氏や秀頼たちは・・・やっぱり武家というより公家化したからか?

509:人間七七四年
08/07/17 11:54:19 4Rtj3R4Y
大谷みたいにすぱっと殺るタイプはあり?

510:人間七七四年
08/07/17 18:30:59 aEbMU9HC
あいつは金タマ蹴り潰されて死んだだけで大谷関係ないっす

511:人間七七四年
08/07/17 18:42:35 q86cL6uf
蒲生氏郷が危篤に陥り、明日をも知れぬ状況になったときの事。

城に詰めている家臣の一人が「ああ、若様のためにも、せめて殿があと3年生きてくれれば…」と、言うと
それを聞いた同僚がポツリと

「高価な毒薬さえ手に入れられれば…」

その場にいた家臣一同「何でだよ!」と総ツッコミ
そう言った本人は「ホラ、高価な毒薬は3年たって人を殺すと言うじゃないか」

病床の氏郷、自分を心配する家臣への感謝と、自身の家臣選びの目利きへの疑問の、二つの気持ちを同時に抱く。

512:人間七七四年
08/07/18 17:13:41 KzaGCBJB
槍試合の話

ある時、信長が家来に対して「槍の柄は長いのと、短いのとどっちが有利か」と質問した。
この質問に対して、上島主水は「短いのが有利」、羽柴秀吉は「長いのが有利」と答えた。
双方の言い分を聞いた信長は、
「双方に足軽50人を付けて、3日間の猶予をやる。4日目に両者で模擬戦をやって、どっちの言い分が正しいか確かめよう」
と言った。
主水は、早速50人の足軽を集めて、短い槍で長い槍に打ち勝つ方法を伝授し、朝から晩まで猛特訓をした。
他方秀吉は、集まった足軽50人と飲めや歌えやの宴会三昧で、一向に稽古をしなかった。

そして、4日目の模擬戦当日となった。
馬場の東西に主水の短槍足軽50人と、秀吉の長槍足軽50人が陣を作る。
試合開始の太鼓が鳴るや否や、秀吉隊は素早く3隊に分散して主水隊に襲い掛かり、リーチが大きい長槍を振るって敵をなぎ倒し
突き伏せて、勢いに圧倒された主水隊の足軽は猛特訓で身につけた槍術を使う間もなく勝負は決してしまった。

試合後に信長は
「個人戦なら主水の短槍が有利であろう。しかし、集団戦なら秀吉の長槍が有利である。個人戦で勝つ工夫をした主水も集団戦で勝つ工夫
をした秀吉も、双方の心がけはあっぱれである」と言って、双方に褒美を与えたとさ。

513:人間七七四年
08/07/19 00:36:53 xajQCAlt
秀吉が太閤と呼ばれていた頃

当時秀吉の御伽衆の中に、二徳という者がいた。
かれがいつも調子のいい事を言うのをこにくらしく思っていた秀吉は、悪戯をしかけてみた。
二徳を呼び出すと「今日は非常に立派な鶴を献上された。これを生き造りにしてお前に食わせてやろう」と言う。
そんな気持ちの悪いもの食わされてはたまらない、と思った二徳

「わたくしは、愛宕権現に願をかけておりますので、ただいま生ものを食う事ができません」と言った

「なんじゃと?いい加減な事を言うと釜茹でにするぞ?一体何の願をかけておるのじゃ?」

「太閤殿下の事で」「わしの?」「はい。殿下が臆病になられますように、と願をかけております」

わしを臆病にするとは何事か!と、言い出しそうな秀吉に二徳は、「殿下はあまりに命知らずでありまして、
戦場でも鉄砲などにお構いなくどんどん進んでいってしまいます。もし鉄砲の弾に当たってお果てになられたら、
私はどうしたらいいいのか…。それゆえに、臆病になられますようにと、精進し権現様に祈っておるのです」

秀吉はこの答えを気に入り、二徳をほめ、褒美をとらせた。秀吉の悪戯を見事に切り替えしたお話。

514:人間七七四年
08/07/19 00:39:33 ZyON3uCE
秀吉って御伽衆を侍らしていたのは有名だがとんち野郎も好みだったのかな
有名な吉四六さんも秀吉に絡んだ逸話がなかったっけ?

515:人間七七四年
08/07/19 02:29:03 3l4HsHeK
>>514
ちょっと調べてみたが秀吉の御伽衆でとんち話だと曽呂利新左衛門か。


あるとき、秀吉が新左衛門に褒美をとらせることになりました。

秀 吉 :「新左衛門、何でも褒美のものをとらせよう。何がよいか?」
新左衛門 :「はい、それでは米粒をいただきとうございます。
 今日から将棋盤の目の数だけの日数、毎日いただきとうございます。」
秀 吉 :「どのくらいほしいのじゃ?」
新左衛門 :「はい、今日は1粒、明日は2粒で結構でございます。
 毎日その前の日の2倍の米粒をいただきとうございます。」
秀 吉 :「米粒だけでよいとは、おまえはなんと謙虚なやつじゃ。
 その願い確かにかなえようぞ。」
新左衛門 :「ははっ。ありががたき幸せ。」
家 臣 :「秀吉様、たいへんでございます。」
秀 吉 :「どうした。」
家 臣 :「81日も褒美をあげれば、国が潰れてしまいます。」
秀 吉 :「なんと言うことじゃ。早く新座衛門ここへ呼んでこい。」
新左衛門 :「秀吉様、どうされたのでしょうか。」
秀 吉 :「そなたには、参った。褒美を他のものに替えてくれんか。」
新左衛門 :「承知いたしました。」

インドの古代象棋の説話でもあったよなぁ、これ。

516:人間七七四年
08/07/19 04:02:59 upL91i52
>>512
秀吉のプロバカンダのせいで
>試合後に信長は
こっからしたしられてないよね
神智の太閤様に逆らった旧態依然の愚物としてし描かれてない(名前もまず出ない)
信長がはちゃんと双方みてて偉いな

517:人間七七四年
08/07/19 05:19:59 L97ruCNa
うむ、気持ちはわかるが少々落ち着け

518:人間七七四年
08/07/19 11:36:38 ujPURHeI
>>516
この逸話は絵本太閤記から引用したが、意見の対立する争点について、とりあえず両者に証明の機会を与えるって
パターンの逸話は、1次史料である信長公記にも3つほどある。
信長って独裁者みたいなイメージもあるけど、それ以前に科学的実証主義者でもあるわけだ。

519:人間七七四年
08/07/19 14:00:28 xajQCAlt
細川幽斎が家老の松井を夕食に誘った際の事

何があったか松井の到着が送れて、せっかくの料理が出すに出せない。
料理人が「今日のメインディッシュに用意した塩鯛が、焼けすぎてしまいます!」と愚痴を言う。
それを聞いて幽斎は一句

来ぬ人を まつ井の浦の夕めしに 焼き塩鯛のみをこがしつつ

おなかがすいてイライラしていたご相伴一同、これにはどっと笑って場の雰囲気も一気に良くなったとか。
幽斎のインテリ文化人らしいお話。
(定家の「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」のパロディ)

520:人間七七四年
08/07/19 23:06:19 ZyON3uCE
>>519
いい話ではあるんだけど
同伴衆もそれに見合う教養がないと座が和まないと思われ

・・・
ま、戦国~江戸初期じゃ武将レベルはこれが普通だったんでしょうか。
秀吉の子飼いはこのレベルに達してるか怪しそうなのがいるがw

521:人間七七四年
08/07/20 01:48:35 JYeJ6fnx
慶長年間の事

京の綾小路で、ある家の女房が屋根の吹き替えをしていたところ、足を滑らせて下に落ち、
運の悪いことに、ちょうどその落下地点に隣の家の女房がおり、下敷きになった隣の家の女房は
首の骨を折って死んでしまった。
これに怒った、死んだ女房の夫は「うちの妻を殺すためにわざと屋根から落ちたのだ!」と言いたて
京都所司代、板倉伊賀守訴えた。

訴訟を聞いた板倉は

「よしわかった。では、隣の家の女房をお前の妻がいた場所に置き、お主は同じように屋根から落ち、
憎い女を殺すがよい」

男は「そんな事をしたら自分が下手をすれば死んでしまう」と、訴訟を引っ込めた。

522:人間七七四年
08/07/20 10:35:04 0NerwLrv
成功すれば女房の仇を討てるし失敗すれば女房のところに行けて
どっちに転んでもうまい話じゃないかこれは。

523:人間七七四年
08/07/20 11:28:45 69QXqq/h
>>522

いやいや、落下して頭と頭をぶつけ
ショックで心が入れ替わるパターン

524:人間七七四年
08/07/20 12:17:23 JYeJ6fnx
明智光秀の「愛宕百韻」でも有名な、連歌師の里村紹巴の屋敷に、烏丸卿をはじめ多くの公家が
連歌会をしに集まった。先に庭をぶらぶらしていると、桃や柿の木の下に、弓矢を持たせた人形が
いくつも置いてある。公家たちが「これは何ぞや?」と尋ねると、紹巴は「成った実を荒らす、トンビ除けでございます」
と言う。

それを聞いた、連歌の腕前では紹巴のライバルの烏丸卿

「いやいや、トンビではなく、カラス除けではないのかな?」

紹巴師匠、一本取られる。

525:人間七七四年
08/07/20 12:49:16 E75Eeo1K
むう、どこがいいのか解らんのが
悔しいぜ

526:人間七七四年
08/07/20 12:56:18 c7QmXgz3
>>525
からすま卿

527:人間七七四年
08/07/20 13:03:08 E75Eeo1K
>>526
それだと嫌味か皮肉を言ったようにしか
見えんのだわ


528:人間七七四年
08/07/20 14:09:16 f9+sE7vw
自虐ギャグの一種じゃね?
連歌会に顔出すぐらいだから決定的なほど仲が悪いわけでもなかろうし

529:人間七七四年
08/07/20 17:45:49 IcuAKWbl
細川幽斎が歌道に目覚めた話

藤孝は若いころは、
「歌詠みなどは公家児女がやることで、武士なら恥ずかしくてやってられない」
と見向きもしなかった。

ある時、敵将を追っていたが、途中で見失いあとへ引き返そうとすると、藤孝の供の一人の侍が馬の口
を押さえて、「いま少し追撃するべきです!」と進言した。
藤孝は首を横に振って
「長路、すでに人馬も疲れて追いつくことが困難だし、そもそも敵はすでに遠くに逃げてしまっただろう。」
と言った。
すると、その侍が、
「歌の心を持って考えてみまするに、
『君はまだ遠くには行かじ わが袖の 涙もいまだ冷ややかならねば』
という古歌があります。いま、敵の乗り捨てた馬をなでてみますと、鞍がまだ温かですから、
敵はそう遠くへは逃げておりますまい。」という。

藤孝はそれを聞いて感心し、侍の助言どおりに追って行くと、まもなく敵に追いついて、敵将を
捕虜にするという戦功をたてることができた。

それ以来、藤孝は歌道を好み、ついに歌道の達人になったという。

530:人間七七四年
08/07/20 19:42:06 JYeJ6fnx
信長の、ある年の元旦の事

大広間に雑煮の膳が並べられたのを見ていると、よりにもよって信長の膳だけ、箸が片方だけしか置いていないのを
発見。

「これは、どういうことだ?」

見る見るうちに機嫌が悪化する信長、硬直する家臣一同、凍てつく空気、その時である、
末席にいた、当時まだ木下藤吉郎と呼ばれた秀吉が進み出た

「やあやあ!これはめでたい!上様が今年から、諸国を片はしに取られると言う吉兆でございますぞ!
ああ、めでたやめでたや!」

信長、機嫌を直す。家臣一同、秀吉に深く深く感謝する。

531:人間七七四年
08/07/20 21:12:35 JYeJ6fnx
信長の、また別の年の元旦の事

正月のご挨拶に諸大名が出仕してみると、信長の機嫌がまたえらく悪い。

「昨夜、このような夢を見た

どこかへの出陣で、具足をつけて馬に乗ったところ、その馬の足が四本とも突然折れて、
わしは地面に投げ出された。これはいかなる兆しであるか?」

一同、それは凶兆だろうと思うが、そんな事を言えば大変な事になると思い押し黙る。
その沈黙に、ますます機嫌の悪くなっていく信長。硬直する諸大名。凍りつく大広間。その時である。
またも木下藤吉郎進み出て

「やあやあ!これはめでたい!その夢はすなわち、合戦に出るたびに勝ち(徒歩)武者の武名をお上げになる
お告げでございますぞ!いやはや千秋万歳千秋万歳!」

信長、機嫌を直す。諸大名再び秀吉に深く感謝する。

532:人間七七四年
08/07/20 21:52:20 qCnkLbV+
前田家三代目藩主、前田利常の話。

前田家には源義経の愛妾、静御前が使ったといわれのある薙刀を家宝としていた。
ある時、徳川幕府より使いがきた。
「我が徳川家も、静御前の薙刀を所蔵しておる。前田家の薙刀は、贋物ではない
か?」
前田家の家臣達は困った。こちらが本物と言えば、幕府の機嫌を損ねる。だがこち
らが贋物と言えば前田家の面目が潰れる。
だが前田利常は、幕府の使者に笑って答えた。
「静御前は勇敢な女だった。義経のために、何度も戦った。その静御前の薙刀が、
一本のはずがあろうか。両家の薙刀は、いずれも本物である。」
その答えに、使者も家臣達も手を打って喜んだ。

533:人間七七四年
08/07/20 23:13:45 KkKvrnNm
>>532
俺にとってこのレスの“いい話”といえる部分は、利常の言い訳によって
前田家臣だけでなく徳川幕府側の使者までもが気をよくし喜んだことだと思う

最初から前田家にいちゃもんをつけるつもりでなかった、
争いをけしかけるつもりでなかったということが好感を抱かせる

534:人間七七四年
08/07/21 01:04:53 OOwZN2h0
義仲の巴じゃなくて、義経の静?>薙刀

535:人間七七四年
08/07/21 01:16:44 lWN0SkMs
俺も薙刀使いの勇敢な女性と言えば木曽義仲の巴御前だと思う
義経の静御前は白拍子のイメージが強すぎて薙刀なんてとてもとても

536:人間七七四年
08/07/21 01:33:01 D7XUG4/E
巴のまちがいでしょ。
あまり歴史を知らない職人が作ったんだろうから。
場所が悪かったね(笑)

537:人間七七四年
08/07/21 01:46:20 +Rkb0OTe
原典をたどれもしないような奴が、「歴史を知らない」とか言ってるのって
噴飯ものもいい所だなw

538:人間七七四年
08/07/21 02:06:48 hCwRn/Fh
薙刀持ち出す静御前(の伝承)といえば幸若なんかじゃ有名だと思ってたんだけど……

539:人間七七四年
08/07/21 03:02:48 Uw2FX4Oi
巴を模倣した創作物に真実を求めるなんてここの住人もたかが知れてるな

540:人間七七四年
08/07/21 03:19:42 OOwZN2h0
敵をばっさばっさ斬り捨てた静の薙刀ですなんて自慢したらプギャーされるだけじゃん
koeiから源平無双でも出たのかと思って調べちまったよ
夏だな

541:人間七七四年
08/07/21 04:30:24 qOC5KNy6
静御前が長刀持って戦ったなんて話ねーだろw

542:人間七七四年
08/07/21 07:27:18 Ok6H5Gst
静は鼓をポンポンと打ったんだよなww

543:人間七七四年
08/07/21 07:40:19 yZZwlGub
お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ。
こう言った話は、その変遷の課程も面白いんだよ。地域、地方で特色が出たりな。
歴史ってのは、そんな感じで楽しむもんだ。
まあ、日本の歴史教育は正解以外は全て誤り、って感じだから仕方無いけどね。


544:人間七七四年
08/07/21 07:46:12 lWN0SkMs
>お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ

それは承知の上ですが、なにか?

545:人間七七四年
08/07/21 08:00:08 +Rkb0OTe
>>544
承知の上で馬鹿な書き込みをしていたのなら救いようが無いな。

546:人間七七四年
08/07/21 09:48:18 zVBDwMmJ
巴御前も静御前も長刀の名手だよ。今でも長刀は男物を静型、女物を巴型というぐらい。
全くの出鱈目でもなければ、巴→静に変わっていった話でもない。

547:543
08/07/21 09:51:30 yZZwlGub
>>546
そう言うレスが有り難いです。勉強になります。

548:人間七七四年
08/07/21 12:49:08 UMrtEbwD
逸話が作られた江戸時代では
静御前=薙刀っていうイメージだったんだろう。
当時の歌舞伎や浄瑠璃、書籍を見ても
そういう所はけっこういい加減だよ。
(鎌倉武士が月代だったり、旗本みたいな恰好してたり)
逸話は後の時代に作られる事が多かったし
当時の感覚がベースになるから
その辺をくみ取ってあげようよ。


549:人間七七四年
08/07/21 15:01:32 OOwZN2h0
>>546
吾妻鏡にそんな記述はない
静が薙刀の名手っていう根拠はなに?

550:人間七七四年
08/07/21 16:40:42 Tr9Hto16
>>534-537,540-542
この辺のレスが>>546によって一蹴されて逆プギャーになっててワラタ

551:人間七七四年
08/07/21 17:21:11 OOwZN2h0
何て資料に薙刀振るったって載ってんだよ
資料名出せ

552:人間七七四年
08/07/21 19:22:30 xD7fbnCn
静御前は白拍子であり戦場に出たことなど一度もありませんが?

553:人間七七四年
08/07/21 19:31:41 +Rkb0OTe
「文脈」の読めない馬鹿がワラワラいるな

554:人間七七四年
08/07/21 19:38:19 6/fw3t8q
そーだそーだ悔しかたらソース出してみろよソースをよ簡単なんだろやってミリ?

555:人間七七四年
08/07/21 19:42:41 xP0+yu99
あくまでも江戸時代の歌舞伎やらの影響で、静→長刀になっただけだろうけど
長刀の名手ではなかったと証明するのも不可能だよな。
悪魔の証明ってやつ?

556:人間七七四年
08/07/21 19:47:35 +Rkb0OTe
>>554
山本博文の『加賀繁盛記 史料で読む藩主たちの攻防』に、そのエピソード出てるぞ。

557:人間七七四年
08/07/21 19:52:58 xP0+yu99
静が義経のために戦った可能性が少しでもありそうなのは
堀川夜討の時と西国行きの船が難破してから吉野で別れるまでの
逃亡中の間ぐらいかな。

558:人間七七四年
08/07/21 19:54:21 YNDj5C3/
史実じゃないことでいちいち揉める意味なくね?
逸話自体あるんなら別にいい。
反応せずにスルーしろよ…

559:人間七七四年
08/07/21 19:56:57 +Rkb0OTe
夏休みなんだねえ。

560:人間七七四年
08/07/21 20:42:14 +Rkb0OTe
足利義輝が将軍になった頃のお話。

ある初老の僧が、大変有能で気が利くので、義輝が「還俗して侍としてわしに仕えないか?」と言う。
しかしその僧は、

「わたくしは、8つ9つの頃に出家いたしまして、それから一心不乱に修行をし、ようやくこの齢になって
仏の道の何たるかが解るようになりました。もはや俗事に関わる気はございませぬ」

と、断った。
一同これに感じ入り、将軍はさらに仕官を勧める。そこで根負けしたこの僧は

「わたくしは無理ですが、私の息子ならば追い使って頂けますかと…」


義輝「…」
幕臣一同「…」

義輝「息子って…養子?」
僧「いいえ?実子。」
義輝「お前何歳のときに出家したって言った?」
僧「8つ9つ」
義輝「…」

僧「あ」

561:人間七七四年
08/07/21 20:47:25 qOC5KNy6
>>546
巴御前の対として名前が出ただけでは?
実際、静御前が長刀を手にしていたなんて史料あるの?

>>550
なんでまったく史料を示されていない話を、あっさり信じちゃうのかね。

562:人間七七四年
08/07/21 20:48:20 +Rkb0OTe
>>561
君、読解力ゼロだろ。

563:人間七七四年
08/07/21 20:52:52 qOC5KNy6
白拍子は男装で歌舞を披露するから、男型とかけた遊び心に過ぎないんじゃないの?
静御前が長刀に通じてたやら、実際に戦ったなんて話あるのかね。

564:人間七七四年
08/07/21 20:54:19 qOC5KNy6
>>562
お前ほどじゃないよ勝手に
>義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ
なんて解釈してる方がどうかしてる。

565:人間七七四年
08/07/21 20:58:27 qOC5KNy6
そんな主張するなら、その伝わった長刀にそういう注釈がついた物があるのか?
誰もそう解釈した事実がないものを、2chで勝手に当然であるがごとく書いて、
語学力がどうだの同調しない相手は、史料も理論もなく、ハナから間違い扱い。
どっちがレベル低いんだか。

566:人間七七四年
08/07/21 21:06:38 UMrtEbwD
史実に基づくなら、静御前が薙刀を持った事はないと思う。
ただ、薙刀術が流行した江戸時代において
静御前は男型として名前が使われる位
一般のイメージとして薙刀になじみがあった。
逸話を作った人間もその時代を生きた人間だったので
「家宝の静御前の薙刀です」とするのは至極当然。

そもそも各藩に伝わる逸話は、後になってから
作られたモノが多いので、史実、史実と言うのは野暮な話。

567:人間七七四年
08/07/21 21:20:47 xP0+yu99
静が長刀の名手なわけないだろって文句は前田家に言えよw

568:人間七七四年
08/07/21 21:21:51 xtDrDUqr
>>565さん
あなたの主張も理解できますが、>>532の話の重要な所は、
前田常利の頓智のきいた対応の良さであり、彼が言った
薙刀の由来等は、また別の考証をすべきです。
少なくとも、このスレで行う議論では無いと思います。
また、以前にも書かれているように、逸話や伝承、寓話等の
話に、ソースとか徹底した理論考証とか必要でしょうか?
それならそれで、別にスレを立てて議論すべきと思います。
お気を悪くされたらすみません。

569:人間七七四年
08/07/21 21:33:37 xP0+yu99
利常が「静が長刀を持ったなんて史料はありません。両方偽物です」と答えればよかったんだな。

570:546
08/07/21 21:55:58 zVBDwMmJ
申し訳ない、全く自分の勘違いです。
正直>>536とか>>540-542の言い方が目に余ったんで、
沈静化してやれと思っていかにも偉そうに書いてしまった。
馬鹿は俺1人なんで、この話題はもうこの辺でお願いします。

571:人間七七四年
08/07/22 00:08:11 MKtq69Fr
もうどっちだtっていいだろww
今までだって信憑性は??な話あったのになんでこれだけ噛みついてるんだよ

572:人間七七四年
08/07/22 00:14:51 HPOjLDMd
>>571
つまり、夏休みって事だろ。

573:人間七七四年
08/07/22 01:09:19 y6vZgg4n
逸話に史実かどうかなんて求めてたらこのスレ続かんだろ
俺としては優れた逸話であれば、極論、レスする人間が創作したものでさえ可と思うわけだが

574:人間七七四年
08/07/22 02:01:37 HPOjLDMd
>>573
一応、最低でも明治以前の文献にあるものに、準拠したものでないと
取り止めがなくなってどうしようもなくなると思うぞ。

歴史小説からエピソード引っ張ってこられてはさすがにたまらん。

575:人間七七四年
08/07/22 02:24:54 y6vZgg4n
ああ、悪い。俺は別に出典は要求しなくてもいいんじゃないか?ってことを言いたかっただけ。
荒れるようなネタを投下された時だけは別だが。
どの辺まで許容するのかはスレ基準を設ければいいんじゃないか?

576:人間七七四年
08/07/22 02:58:51 y6vZgg4n
連投すまん、どうせ書き込んだんだから、1つくらい書いていこ。

奥州の独眼竜・伊達政宗には重臣後藤信康から献上された「五島」という愛馬がいた。
大坂夏の陣に出陣する折、政宗は五島に向かって言った。
「お前ももう歳だ。此度の出陣は長旅になるであろうから、留守を命じる」
政宗にしてみれば愛馬を気遣ったつもりであったが、
五島にしてみれば長年共に戦場を駆けてきた主人に留守を命じられたことは甚だ悲しいことであった。
もはや役に立たぬ身なればと、五島はその夜のうちに仙台城の崖から飛び降りて自殺してしまった。
政宗はその話を聞くとひどく心を痛め、五島の死んだ地に墓と神社を建立し、手厚く葬ったという。
※神社は現存する。


ま、一説には、死んだのは後藤信康自身とも言われているらしいが・・・・・・こういうオチだったら政宗らしいなw

577:人間七七四年
08/07/22 03:25:45 Itl1le1K
吾妻鏡すら知らない無教養なゆとりのホラか

578:人間七七四年
08/07/22 04:25:58 A61+beeF
事態を沈静化しようとして嘘書いて
火に油を注いじまった男がいたんです

なにぃ~?やっちまったなぁ!

男は黙って男は黙って太閤記!男は黙って太閤記!

在りもしない橋の下で籐吉郎が寝ているよぉ



579:人間七七四年
08/07/22 04:48:51 vmvEjo+D
あのコンビ杵持ってないほう必要ないよね

580:人間七七四年
08/07/22 05:10:08 vmvEjo+D
仲が良かった小早川隆景と黒田如水
隆景の「おまいは頭がよすぎるから即決で後悔するやろ?俺は前ほど頭が良くないから
後悔しなくて済むんだぜ?」や隆景没後に如水の「これでこの国から賢人は一人もいなくなった」などは
有名だが実は隆景は「こいつ俺との友情はともかく俺がいなくなたらなにするかわからん」と思っていたらしく
「如水が休息求めてきても俺の領内で絶対ヤスませちゃだめ」と遺言したという
(ちなみにお兄ちゃんの吉川元春の死が早くなったのは如水のせい。これも有名だが)
私情にとらわれず人を見る目があったんだね

死に際には同じころ病気で死にかけてた弟元清とどっちが先にくたばるか勝負しようぜ?とかもやたった
結果は2カ月弱の差で隆景の勝ち
この時期に重鎮が死にまくってなければ毛利の運命も変わったかもしれぬ

581:人間七七四年
08/07/22 10:00:56 UU1nkhLE
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)

582:人間七七四年
08/07/22 17:57:05 2Ts8X6uJ
>>581
「へえ、その頃って静が長刀の名手ってイメージがあったんだね。
やっぱり歌舞伎の影響があるのかな。」
などど軽く受け流せず、史実が気になって仕方ない人にはそのスレに行ってもらおう。
ここは逸話の信憑性を議論するスレじゃないし。

583:人間七七四年
08/07/23 15:06:13 6Sp4iF06
薙刀厨しつこい

584:人間七七四年
08/07/24 23:20:27 dJY864Qr
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
         イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
        jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
       (ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´:::  :::: |;;;;;彡|
        }ミミ;;;} :::  {:: ゙:::::、:::    :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
        jミミ;;;;} :::  ヽ::::ミヽ::  |  ノ  W::  |;;;;彡:|
          }ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
         iミ゙;;;ノ::::::  \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
        {;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
        l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙  .:|;l"lリ
          |l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´   .:::lリノ/
         l'、〈;', :::    :::::::t、,j iノ:::、::..    ..::::lー'/
   ,、,,,/|  ヽヽ,,', ::.、    :::::(゙゙(  ),、)、ヽ::.  イ ::::l_ノ
)ヽ"´   ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;""  ゙l|  ::j ::: |: l,,,,
         ゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ  l| :" l  |',`ヽ,
   き 利    (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ:  / /リヽ \
.    く  い    Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ   ,r' //  |
   な. た     >; :::ヽ  ::ヽミニニニ彡'"  , '::::://  |
   ┃ ふ     フヽ ::\ : ミー― "ノ , ':::: //:   |
   ┃ う      }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://:    |
   ┃ な     }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ'::://    |    l
   // 口    (: |  ヽ ヽ :::: ::::::...  :://     |    |
)  ・・.  を    (  |  ヽ ヽ::  ::::::... //      リ.    |
つ、       r、{  |   ヽ ヽ   //      /     |
  ヽ      '´    |   ヽ  ヽ //      /     |


585:人間七七四年
08/07/24 23:23:36 B0SwHMm5
  そだ  |------、`⌒ー--、
  れが  |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
  が   |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
  い   |ヽヽー、彡彡ノノノ}  に
  い   |ヾヾヾヾヾヽ彡彡}  や
  !!    /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
ヾミ    ̄~'ィ''': |゙:ー. ̄   lノ/l | |
ヾヾ   "  : : !、  `  lイノ l| |
 >l゙、    ー、,'ソ     /.|}、 l| |
:.lヽ ヽ   ー_ ‐-‐ァ'  /::ノl ト、
:.:.:.:\ヽ     二"  /::// /:.:.l:.:.
:.:.:.:.:.::ヽ:\     /::://:.:,':.:..:l:.:.
;.;.;.;.;;.:.:.:.\`ー-- '" //:.:.:;l:.:.:.:l:.:

586:人間七七四年
08/07/25 19:45:48 v5dv92iE
訓練された男色家たちの集まる比叡山。そこで、「雪のようだ」と形容される、ショタ系の稚児の集まる
北谷のファンと、「花のようだ」と形容される、セクシー系の稚児の集まる南谷のファンが、好きが高じて
お互いを罵り始め大論争、ついに比叡山全山が二派に別れ、武器を持ち出しての戦騒ぎになった。
これにあわてた比叡山指導部、西三条逍遥院を呼んで和解を仲介してもらう。

逍遥院「雪も花も、どっちもうつくしいじゃないか」と、みつをみたいな説得。
これに何故か納得した双方、兵を引く。

587:人間七七四年
08/07/25 22:53:11 vZXrVNwj
のちにnbngに放火壊滅させられる割には暇そうな比叡山w

588:人間七七四年
08/07/26 01:06:54 b8hmuUF0
>>587
こんな状態だから何の遠慮も、躊躇もなく焼かれたんじゃないかw

589:人間七七四年
08/07/26 04:16:25 3924AfUh
信長好みのガチムチ系がいれば焼かれなかったのに・・・

590:人間七七四年
08/07/27 14:11:58 bxkD3ohp
その息子の信雄は信孝と一緒に高野聖をひっ捕らえて処刑する現場に立ち会っていたが、
一人好みの少年がいたので助命して信孝に嘲笑されたという。

591:人間七七四年
08/07/27 14:27:32 6ipNAtdL
>>586-890

おまいら、信玄公の下へ帰って来い
スレリンク(sengoku板)


592:人間七七四年
08/07/27 19:23:56 O9CAkoCd
信長が京の東寺の近くを移動していた時の事

疲れていたのか、馬上でこくりこくりと居眠りしてしまった。それを近習が起こすと、
信長は「ぬ、寝て負ったか。ここはどこだ?」と尋ねた。
近習が「右手が六条、前は東福寺になります」

すると信長「…なるほそ、それで前の寺は白壁か」
近習「は?それは一体?」

信長「豆腐食う寺(東福寺)」


*当時、豆腐の事を「おかべ・白壁」と呼んだ。
何が凄いって創作か実話かは別として、信長の逸話で、こんなものが本当に残っているのが凄いw

593:人間七七四年
08/07/27 22:48:24 b7/BU+qz
信長公を月山酋長スレ(別名「昭和の駄洒落研究所」)に連行することに決定しますたw

594:人間七七四年
08/07/28 04:49:30 RuJ8J0Si
信長だったら起こした時点で近習の首はねてそうだが

595:人間七七四年
08/07/28 11:52:37 azRLB6Q4
>>594
講談やドラマ見すぎじゃねーのw

596:人間七七四年
08/07/28 13:49:28 RxWeJBh4
ノブは冷酷だけど筋の通った奴だから。

597:人間七七四年
08/07/28 14:48:16 h+huUjrq
筋の通ったノブの話

信長の父である信秀は病気が重くなり、ついには危篤状態になった。
信長は僧侶たちを集めて
「父の病が重くなったが、そなたたちの祈祷で直せるか?」と聞いた。
僧侶らは
「我々が念仏を唱えれば、神仏のご加護できっと信秀様の病は快方に向かいましょう」と答える。
それを聞いた信長は、
「ワシは神仏の加護など信じないが、お前たちがそこまでいうなら、その言い分が本当かどうかためして見よ」
と命じた。
僧侶たちは信秀快癒のために念仏を唱えるが、念仏の甲斐なく信秀は死去した。

信秀死後に信長は再度僧侶を集め、
「お前たちは神仏の加護で父の病が治せるといったが、父は死んだではないか。つまり、お前たちはうそ偽りを
述べたことになるぞ!」
と激怒して、僧侶たちをお堂に閉じ込めて火を付けて、僧侶たちを皆殺しにしましたとさ。

598:人間七七四年
08/07/28 16:18:23 eMyUUJ81
実証主義的ではあるが、無神論的ではないな。

599:人間七七四年
08/07/28 20:36:45 ScVwZfWo
孫策と于吉だの。

600:人間七七四年
08/07/29 21:12:26 TZYCZPTg
>>597
俺が読んだ逸話では
もうちょっと最後が皮肉屋っぽかったな

「此度の件ではまことに残念であった。
 だがそなたらには今一度の機会を
与えようと思う。
 まことに神仏の加護があるなら
助けに来てくれるよう心の底から
祈るがいい」

って、お堂に火をつけて外から
見守ったとか


601:人間七七四年
08/07/30 12:15:03 VUZ13N/K
毛利元就と大友義鎮が、九州で戦いを繰り広げていた頃のお話。

筑前において、永禄十二年五月の戦いで毛利が勝利を収め、
大友方の城である立花城は孤立。毛利方による開城交渉が始まった。
毛利方の使者、吉見正頼は、城方に対し誠意を持って説得し、篭城していた全ての人々を、
毛利家の責任において、大友方の陣まで送り届けると約束した。
開城後これの約束はきちんと実行され、立花城の守将であった立花親続、田北鑑益は
これに感銘を受けた。

ところが事態は急変する

山陰において尼子勝久が、周防において大内輝弘が毛利に対し立ち上がったのだ。
急遽引き上げる毛利勢。その混乱の中、立花城を摂取した部隊は取り残され、今度は
「毛利方」の立花城が、大友勢の中に孤立した。
先の戦で毛利に手ひどくやられた大友の諸将は、当然のごとく復讐戦をさけぶ。大友の大軍に、
立花城に篭る毛利方が血祭りに上げられるのは時間の問題であった。その時である。

「待たれよ」

そう言ったのは、先の立花城の守将、立花親続と田北鑑益であった。

「我らは先の敗軍の将である。このような事をいうのはおこがましいとは思う。だが、聞いていただきたい。
彼等毛利方は、我々と取り決めた開城条件を全て守り、篭城の諸衆を皆、無事にお味方の陣にまで送り届けた。
いったん城を占拠すれば、そのような約束は無視出来たにもかかわらず、である。彼らは信義を守ったのだ。

さて、ここで我が方が、情勢が有利になったという理由だけで、彼らを殲滅せしめれば、一体、大友の信義は
どうなる?卑怯者よ、それでも武士かと、天下の笑いものになるのではないのか?」


大友義鎮は力攻めから、交渉による開城に方針を転換。
やがて毛利方もその提案を受け入れ、彼らもまた、大友家の責任において、無事毛利陣まで送り届けられた。
その交渉の任に当たったのは、先の立花城城代、立花親続、田北鑑益の二人であった。

602:人間七七四年
08/07/30 12:20:28 lquSRyPC
>>600
それだ!ウロ覚えスマソ。

603:人間七七四年
08/07/30 12:26:50 VUZ13N/K
601の続き

そのときの毛利の守将が、無事帰国した後出した謝礼の手紙に、田北が出した返事

「なあに、戦の習いでござるよ」

604:人間七七四年
08/07/30 12:46:07 MdEAsCtg
なあに、かえって免疫力がつく

605:人間七七四年
08/07/30 13:36:58 zjELSoi7
直江兼続の話。

信玄が岡田堅桃斎という高名な歌詠みを謙信のもとへ使者に送った。
謙信はこの名を知っていたので、「越の長浜」という名所へ案内し、酒宴などを催した。
堅桃斎は連れて来た童に投げ輪をさせるなどして、一日遊びつくして甲斐へ戻った。

1月ほどして信玄から「越の長浜の丈尺はどれほどでござろう?」という手紙が来た。
謙信はその地の奉行に測量を命じた。
その時、奉行の下役の若い美丈夫が
「武田殿のご依頼ならば測量は不要でござる。
 先月殿と遊びに参った歌詠みが、投げ輪でしっかりと計っていかれました」と言った。
謙信は堅桃斎の曲者ぶりを見破っていた若者に感心して小姓とし、与六兼続と名乗らせた。

~ここまでは知略に優れる彼の若きころの逸話として有名~


で、この話には無理がある。
生まれたのが1560年。小姓になったのが1564年。
わずか4歳で奉行の下役とは・・・・・ありえない・・・・残念





606:人間七七四年
08/07/30 18:41:47 COKc/+Xw
豪勇の木山弾正、外戚の天草伊豆守に恩返し     いい話だ!



肥後赤井の城主木山弾正は豪勇をもって聞こえた武将であったが、島津の北上によって城を失い、
外戚の故をもって天草伊豆守に迎えられ、客将として本戸城にこもった。

天正17年、たまたま宇土築城の加勢をめぐって、天草の諸将は小西行長と対立し、ついに行長の天草攻めとなった。
行長は豊臣秀吉に上訴し、加藤清正の応援を得て、まず志岐城を攻めた。弾正は兵500を率いて志岐へ向かい、仏木坂に清正を迎えた。
単騎敵将清正を求めて、敵中深く突入し一騎打ちをいどみ、清正を組み敷き、まさに首級を挙げんとした時、
主君危うしと駆けつけた自分の家来の誤った槍にかかり、豪勇並ぶ者もない弾正も遂に戦場の露と消えたのである。
URLリンク(www.geocities.jp)

607:人間七七四年
08/07/31 01:08:40 qK6BraY+
直江兼続、後世の人のために、経験から得たものを訓戒として書物にあらわした。
その本の一節

「おしっこした時泡が立たない日は、大変な事が起こる。気をつけろ。」

608:人間七七四年
08/07/31 09:16:14 /pNTMpgN
兼続といえば
「四季農戒書」が真っ先に浮かぶんだが
………これは違うなw

609:人間七七四年
08/08/01 01:35:17 R/HRy/la
続・直江兼続公の残した書物に見える、後世の皆様へのいい教訓。


「死ぬ気でやれば、案外何とかなる。」

610:人間七七四年
08/08/01 06:00:24 5GW9Vz3W
なんとかなったから言えるんだよ
なんとかならなかった奴は死んでるんだから後世に言葉残せねーもん
そりゃ努力とか頑張れとか賛美されるわ
ダメだった奴は一切記録に残らない
地面に落下するときは力抜くと怪我しないってのとおなじ
なんとかなった奴らの数億倍の死ぬ気で頑張ってもなんとかならなかった連中は
あの世で「頑張れば何とかなるなんてうそやんねー」って言いあってるわ

611:人間七七四年
08/08/01 09:04:13 dYMuOgRx
いい話だなw

612:人間七七四年
08/08/01 09:56:31 eE1R9eK6
直江の「何とかなる」の許容範囲はすげー広いなw

613:人間七七四年
08/08/02 00:21:49 erG7e+Q9
結果論だが、なんとかなってない気がするよw

614:人間七七四年
08/08/02 09:27:06 QwgH301c
結果的に30万石残ったんだからなんとかなって…ないな

615:人間七七四年
08/08/02 10:04:46 /ux0/23l
直江個人でみればなんとかなってる
上杉家としては…

むしろ鷹山あたりが言うべき言葉では

616:人間七七四年
08/08/02 12:27:24 8pYxIbDr
直江兼続公の、後世への教訓シリーズ

「毒薬の入った膳を出されると


俺は涙目になる
持ってきた奴も涙目になる
みんな涙目になる

だから、わかる。」

617:人間七七四年
08/08/02 12:43:09 8+4he+Ff
お梅(真田信繁の娘)と伊達家重臣、片倉重綱(重長)

大坂城落城の時、一人の娘(16歳)が徳川の先陣を勤める伊達家の片倉隊の前に現れた。
白の鉢巻きに薙刀姿の娘を見た重綱は、捕らえるとそのまま国に連れ帰り、後妻とした。
(信繁と重綱とは何度か戦いを交えており、自分が死んだ後、娘を重綱に託そうとして、
 梅に言い聞かせて置いた。)

重綱は、智勇優れた真田家の娘、梅を妻としたことを誇りにした。
そして片倉家の家紋はこれ以降、真田と同じ六文銭に変えられた。

時代は下り、松代藩三代藩主、真田幸道が伊達藩へ寄ったとき、
眞田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見てたいそう驚いたという話が残っている。





618:人間七七四年
08/08/03 01:07:31 VpzyPFrf
>>616
直江兼続公はもしかして馬鹿なんじゃ・・・

619:人間七七四年
08/08/03 01:39:54 oswDDz1E
>>618
本宮ひろしとか島本和彦とか板垣恵介みたいな
勢いとはったりが真髄の漫画家に直江兼続公の生涯を描かせたら
面白いかも、と思った。

620:人間七七四年
08/08/03 02:10:50 q28NPdom
>>619
島本と本宮を馬鹿にするな!

621:人間七七四年
08/08/03 02:23:47 oswDDz1E
馬鹿になんかしてないよ??

622:人間七七四年
08/08/03 07:36:12 qi3I4RE/
板垣はないわ、
めちゃくちゃつまらなそう。

623:人間七七四年
08/08/03 09:20:54 lWTQVjSw
>>618
天下を取るには知恵が足りないと秀吉には評されてる

624:人間七七四年
08/08/03 09:29:16 MNdZi/hQ
便乗して農戒書より兼続公のデオドラントに関する教え

たしなみのない女房はあそこの手入れが悪くて臭い
しかも臭いことに気付かず男に向かう

美人でもわきがや口臭のある女房は近所迷惑だ

625:人間七七四年
08/08/03 13:07:29 yhAuYTru
兼続はどっちかというと内政に天才を感じる。
120万から30万石になった時、家臣をできるだけ解雇しないで
なんとか生活が立ち行くようにした手段は鷹山が手本にしたというから、
ま、なんだ、来年がたのしみだな。

>>617
重綱の戦ぶりを見て、娘を託せるのはこの男しかいないと
矢文で重綱に娘との婚姻を頼んだという説もある。
あの真田に認められたのだ、という感激が六文銭の家紋への変更となったんだろう。
伊達家きっての美男子で当時29歳、於梅も悪い気はしなかったと思うな。

626:人間七七四年
08/08/03 13:10:33 9d/1mrz5
>>625
まあ、根本的に何とかなっていなくて、その場しのぎの世界に過ぎなかったから、
鷹山の時代にあんな大規模な改革にいたるわけだけどなー。

627:人間七七四年
08/08/03 16:10:10 hX+Cea4o
>>617>>625
え? 片倉家の家紋って六文銭になったの?
主君政宗から九曜紋を拝領してるのに変えるはずないと思うんだが・・・。
重長が梅と同時に保護した大八の家紋じゃないか?
大八は信繁の次男で梅と同時に片倉家に保護され、片倉守信と名乗ってる。
確か息子の代で真田に復姓してたような・・・。

まぁ何にせよ幕府から信繁の血筋を守りぬいた片倉家は立派だな。

628:人間七七四年
08/08/03 16:41:32 A4pf/qQT
>>627
ヒント

このスレは真偽を議論しない

629:人間七七四年
08/08/03 16:46:57 9d/1mrz5
六文戦は替紋であって、家紋を変更したわけじゃないだろ

630:人間七七四年
08/08/03 17:15:03 9d/1mrz5
真田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見て驚いたというのは、二男・守信の家系じゃないの。

631:人間七七四年
08/08/03 18:02:58 F1013wgW
重綱って生まれたら殺せって父親に言われるは
政宗とは衆道関係で家臣の前でも接吻しあったほどなのに
小早川秀秋に頼まれた政宗が1度秀秋の相手してやれよとか
小早川の家臣と交換しても良いよって政宗が言ってたりと可哀相なんだがw

632:人間七七四年
08/08/04 13:11:47 WvCC6Y05
片倉家はもとは真田と同じ出身地。そんなことも息子・娘を託した理由の一つか。
助かったもう一人の娘「あくり」は徳川の家臣・滝川一積の養女となって、蒲生郷善に嫁ぐが、
敵の娘を幕府の許しも無く婚姻させるとは!といって一積が改易させられる。
(本田正純には報告許可を得てあった)
於梅のことはお咎め無しなのにww
本田正純には他にも「許可を得ていたのに」改易というのがあったな。


633:人間七七四年
08/08/04 14:20:42 SoF3ALnS
待て、これは正純の罠だってとこか

634:人間七七四年
08/08/04 16:16:08 hXZuCpFx
>>633
正純じゃなくて土井利勝だろ。

635:人間七七四年
08/08/04 20:10:37 uqvSSQ7p
待て、これは利勝の罠だってとこか

636:人間七七四年
08/08/05 19:33:03 ABtOf6Ki
いい話というか、長野業正のちょっと面白い話を見つけたので張り

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/08(土) 21:56:37 ID:i4ZXIU7M
業正の娘たちはいずれも美女揃いだったので先を争って縁談の申し入れがあったそうだ。
あまりの人気ぶりに業正も生産が追いつかず娘を貰えなかった豪族が反抗したりして上州戦略に支障を来たした。
あと10人娘がいれば信玄に箕輪城とられずに済んだのに惜しい。

637:人間七七四年
08/08/05 20:44:34 Bisuc0Cm
さすが在原業平の末裔だ

638:人間七七四年
08/08/05 23:47:17 /v/TPvAG
じゃあ、業正はものすごく顔立ちが整ってたのかもしれんな
というか豪族どもはどんだけ美人の嫁が欲しかったんだw

639:人間七七四年
08/08/06 09:46:15 xM69f+Ww
政略に有効でかつ美女だったら言う事なしだしw

640:人間七七四年
08/08/06 12:16:37 ufKHF8s9
>>636
あと10人いればって、12人も嫁がせてんだよ。
徳川家斉みたいにやること無くて子作りマシーンならともかく、ふつう無理だよなwww

641:人間七七四年
08/08/06 12:22:13 rL17nwz+
関東管領家の下で上野を実質支えてきた長野家
国人衆にしてみれば少々のぶさいくでも婚姻関係になりたいだろう
ましてや美女だなんてサイコーすぎる!

もらえなかった国人衆がふてくされるのもしょうがないな


642:人間七七四年
08/08/06 15:16:23 nLUX6M+q
あれはでないのかな?
秀吉の松下の話
有名だけどねw

643:人間七七四年
08/08/06 15:26:21 NJ3H6Vx/
日本史板、死んだの?


644:人間七七四年
08/08/06 15:30:48 7uvutoS3
>>607

爆笑


645:人間七七四年
08/08/06 20:46:56 eC0470DG
てすと

646:人間七七四年
08/08/06 22:02:33 YKcMesN4






宣教師達の日本人拉致を
総理大臣の立場にあった秀吉が激しく憤った事

647:人間七七四年
08/08/06 22:05:48 qvqpOVFF
>>646
中途半端で「現実的」な対応しか、取ってないけどな>秀吉

648:人間七七四年
08/08/06 23:37:50 zsxLtZ3i
伊達政宗の瓢箪から駒話はまだ?

649:人間七七四年
08/08/07 02:22:12 9lSxK57Z
大坂冬の陣の折、和睦が決まると、その条件として大阪城の外堀が埋められ始めた。
そんな中、暇を持て余した大名たちは「香合わせ」に興じていた。
そこへ通りかかった伊達政宗は面白そうだと早速これに参加します。

大名たちは各々、弓、鞍などを賭けましたが、どういうわけか政宗は腰に下げていたひとつの瓢箪を景品としました。
周りは皆、「奥州の大大名ともあろう者が・・・」と、心のうちに蔑み、当然それを取ろうという者は現れません。
結局、その瓢箪は一番最後まで残り、旗本の一人が取ることで勝負は終わりました。

ところが、お開きとなり、皆が立ち上がったその時、政宗は瓢箪を取った旗本にこう言ったのです。
「瓢箪から駒という諺の通り、ほれ駒が出たぞ」
旗本が政宗の指差す方を見ると、そこには政宗が先程まで乗っていた名馬があるではありませんか。
こうして旗本は政宗の馬を豪華な飾りと共に譲り受けたのです。
初めは蔑んで笑っていた大名たちも、この時になってようやく政宗の意を悟り、大変悔しがったといいます。


という話だが・・・スレにあってんのか?

650:人間七七四年
08/08/07 02:39:29 hWZmnnHa
前田利家とその妻、松のお話

守銭奴の気のあった前田利家、家臣を雇うのもそこそこに、蓄財に励んでいた。
ところが、佐々成政との戦が迫った時、兵も将も足りないことが露となった。
このとき松は怒りくるって、

「だから、銭をためるよりも前に、その銭で侍を雇えと言ったでしょう!
こうなったら、あなたの貯めた銭に槍を持たせて戦に行きなさい!」と、銭櫃とともに館から追い出したとか。

しかし、こんな痛い目に合っても、利家の蓄財癖は直らなかったそうです。

651:人間七七四年
08/08/07 08:38:45 kUOUQm5O
なんだ?利家の貯蓄は家康や如水と違って目的のない貯蓄だったのか?

652:人間七七四年
08/08/07 18:58:16 V1/O6rhV
関が原と言う、いざというときに前田家は徳川へ献金しますた。

653:人間七七四年
08/08/07 22:21:03 /z9m4R/m
つまり利家自身は死ぬまでため続けてただけか

654:人間七七四年
08/08/08 14:36:17 1ImAM3hh
死ぬまぎわに経理担当の部下にこれまでの蓄財のねぎらいと
それにともなう不正な帳簿が死後に発覚すると部下に迷惑かけるので
自分の棺桶に入れて証拠隠滅するように指示してなかったっけ

655:人間七七四年
08/08/08 15:05:37 wZkuI7Qn
>>654
金融マフィアみたいな死に様だな・

656:人間七七四年
08/08/11 21:04:13 ewA72rmA
関白であった頃の豊臣秀次と、遊行上人との会話

秀次、上人に向かって

「上人は 霞の衣 きりの数珠 あまけはなれぬそら念仏かな」

すると上人

「水鳥は 水に入りても 羽も濡れず 海の魚とて汐に染まばや」


これは秀次が「上人はそのような尊いお方なのに、女っ気が耐えない(あまけはなれぬ)のはいかがなものか?」
と、和歌で諭したのに対し、上人が「環境や外観がどうであろうと、大切なのは心の純潔であります」と同様に返したもの。
秀次の教養と洒落っ気の伺える逸話。

ちなみに秀吉はこれを、さっぱり理解できず、「そんなまどろっこしい話し方をするな」と叱ったとか。

657:人間七七四年
08/08/11 23:42:32 ewA72rmA
戦国初期、大内義興が在京していた頃、京で彼が密通していた女への恋文を、侍女がよりにもよって間違って、
当時京に上がってきていた、彼の北の方に届けてしまう。
北の方は勿論これに激怒し、義興を追求。それに窮して義興は、彼女をなだめるためにもなんのかんので
帰国する事になり、それによって、彼の存在で安定していた畿内の政情はまたもや乱れる事になったとかw

658:人間七七四年
08/08/12 00:27:12 uxnuT1zV
面白いが別にいい話では無いぞw

659:人間七七四年
08/08/12 03:32:49 3QPS8PCl
   /.   ノ、i.|i     、、         ヽ
  i    | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ        |
  |   i 、ヽ_ヽ、_i  , / `__,;―'彡-i     |
  i  ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' /    .|
   iイ | |' ;'((   ,;/ '~ ゛   ̄`;)" c ミ     i.
   .i i.| ' ,||  i| ._ _-i    ||:i   | r-、  ヽ、   /    /   /  | _|_ ― // ̄7l l _|_
   丿 `| ((  _゛_i__`'    (( ;   ノ// i |ヽi. _/|  _/|    /   |  |  ― / \/    |  ――
  /    i ||  i` - -、` i    ノノ  'i /ヽ | ヽ     |    |  /    |   丿 _/  /     丿
  'ノ  .. i ))  '--、_`7   ((   , 'i ノノ  ヽ
 ノ     Y  `--  "    ))  ノ ""i    ヽ
      ノヽ、       ノノ  _/   i     \
     /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;"  ,/ヽ、    ヾヽ

660:人間七七四年
08/08/12 03:56:07 /prcwaau
>>656
一見していい話だけど、女性への情欲は内の心から沸き起こるもんで、
それに支配されてるっちゅうことはお前の羽はびしょびしょだしお前の魚はしょっぱいじゃないかと思う。

661:人間七七四年
08/08/12 07:13:45 0By7/lLV
四国で泥沼の争いをした長曽我部信親と十河存保
二人とも仙石秀久のせいで戸次川の戦いで戦死する
十河は九州仕置きの後改易
長曽我部は関ヶ原の後改易

でもそれから30年後に再び仙石と十河と長曽我部が共に味方として戦うときが来たんだな
十河存保の息子の十河存秀と仇敵長曽我部家の元大名長曽我部盛親
さらには憎き仙石秀久の次男仙石秀範

三人とも大阪の陣で大阪方について、そろって死んだ

人の縁の不思議な話

662:人間七七四年
08/08/12 07:30:17 0By7/lLV
1619年
福島正則は広島城の石垣の無断修築の理由で所領召し上げの上、信州川中島に左遷される。
もっとも本人は確かに届出を出したんだが幕府が知らぬといってる以上届かなかったのだろう。

正則の家臣は憤慨したらしい。
それは、福島正則が1600年小山の陣で真っ先に家康についたから今日の徳川家があるんだ。
だからこの待遇はあんまりじゃないか、というものだったとか。

それに対し正則は特に怒ることもなくこういった。

「弓は敵がいるときこそ役に立つが平和の世になると袋に入れて蔵にしまう、最早それは必要がないからな。
つまりわしは弓なのだ。
乱世のときは清洲やら広島やらで戦いのために必要とされるが、
それが終わると川中島の蔵に片付けられる。それは仕方のないことなのさ」

663:人間七七四年
08/08/12 21:44:12 T9R1ehmp
潔いよな 徳川の榊原とかの晩年に通じるような爽やかさ

664:人間七七四年
08/08/13 09:14:33 jwL0GYAw
単に信用されてなかっただけだろうけどな。

665:人間七七四年
08/08/13 10:20:14 vW+GxY4d
>>664

だろうな、黒田なんて2代目の時家老の栗山大膳が徳川に訴える
お家騒動起こしたけど先代の功績なんかで実質お咎めなしだったもんな

666:人間七七四年
08/08/13 10:44:27 RzlQpoBw
つーか福島は、単純に、本多正純と土井利勝の政争に巻き込まれただけの話だからなあ。
弓とか何とか、特に関係ない。

667:人間七七四年
08/08/13 12:47:48 jZ/5Wl2g
海外からも勇気を持って闘いぬこうとみなさんに緊急応援メッセージが届いてます!
URLリンク(www.youtube.com)

【マスコミ】 毎日新聞、「毎日jp」の閉鎖を検討…変態報道の反発を受け★11
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668:人間七七四年
08/08/14 19:32:43 n/CYgwtO
太閤検地の行われていた頃の話

薩摩島津家は未だ君主権が弱く、秀吉の求めるとおりの検地など実行したら
反発を受け、何が起こるか解らない。

「とても無理だ」

と、検地の責任者である石田三成に書状で泣きついた。そこで三成、

「ならば、村の数だけ調べてよこしなさい。石高はこちらで適当に数字を作るから」

と、温情あふれる返答。
これには島津家、および後世の書類偽装役人、大いに感銘を受ける。

669:人間七七四年
08/08/14 20:00:58 4xoZcDaX
自分は疑われている、信頼されてない、トップの争いのとばっちりを受けた、
だから改易された

それじゃかっこわるいから

確かに用無しだから捨てられた、でも昔は必要とされていたんだ!

って思い込みたくなるのが人情

670:人間七七四年
08/08/14 21:59:10 cJRY175C
>>668
そしてその適当に作った数字が
その当時の実質的な石高約40万石を遙かに越える60万石だったのですね
さすが三成、秀吉の懐刀といわれるだけありますね


671:人間七七四年
08/08/14 23:06:15 4xoZcDaX
滝川一益が上野厩橋にいたころのはなし

ある日一益が何人かの家臣と亭で休憩をしてると周囲を警戒しながら餌を食べている鶴を見つけた。

しかしもう少し近くを見てみるとその鶴の周囲にじゃれあい、好き勝手に餌を啄ばんでいる沢山の雀がいるのを見つけた。

昔の自分と今の自分を比べた一益は家臣たちに呟いた。
「あの鶴はまるで私、大勢の雀は家来である貴様らのようだ」
「大名ともなればあの鶴と同じく一時として安心できるときはない、心配してばかりだ。
だが貴様ら雀はあのように自由気ままな暮らしが出来る」
「貴様らは鶴を羨んだり、また、鶴になろうなんて思わず、今の雀の楽しみを楽しみ給え」

晩年、一益は雀に戻ったわけだが実は幸せだったのかもしれない。


672:人間七七四年
08/08/15 00:58:32 KjR19Lpm
ある時茶会に招かれた長宗我部元親が、秀吉から貰ったまんじゅうを一口だけかじって持ち帰ろうとした。
秀吉が訳を聞けば、家臣に持って帰ると言う。
※一説には、それを聞いて感じいった秀吉が用意したまんじゅうを全部元親にやったとも言われている。

これは元親が家臣を思いやる一面を持っていたことを読み取れるエピソードである。

秀吉は四国征伐後は元親を土佐一国に封じた。
だが二歳下の元親を憎からず思い、嫡男信親を亡くした折には弔問し涙を流したという。それにより元親も多少の慰めは得ている。

成上がってきた自身と、土佐一郡から身を興した地方の大名である元親と、何か通じるものがあると思っていたのかもしれない。

(既出かもしれませんが…)


673:人間七七四年
08/08/15 05:13:47 B/ytWoGF
( ;∀;)イイハナシバカリダナー

674:人間七七四年
08/08/15 05:19:13 x4HorWIb
>>672
>秀吉が訳を聞けば、家臣に持って帰ると言う。
このエピソード、正直、毒殺が怖かったんじゃないかと疑っている。

675:人間七七四年
08/08/15 12:02:49 EG1VjCK4
秀吉は毒殺より帰り道で襲わせると思う

676:人間七七四年
08/08/15 12:15:05 uALgp32Y
>>674
おぬしがそう思うのはかまわないが
せっかくスレタイ通りにかかれた
いい話なんだから、わざわざ
水を差さないでほしいな


677:人間七七四年
08/08/15 12:56:30 4NVzWqIG
加藤清正が京都に来た際福島政則と茶を飲むことになった。
茶室で部屋掃除をしていた二人の近衆がふざけて暴れて壁に穴を空けてしまった。
速めに着いた加藤は二人から事情を聞き不問として帰した。
福島が来ると真っ先穴を見つけ
「なんだこの穴は?」
っと不機嫌になった。
加藤が事情を説明すると
「なぜその二人を切り捨てない」
と怒った。加藤は呆れて
「お前は戦はできても仁愛の欠片もない日本一人使いが出来ない奴だ。
若者達を成敗してどうする?子孫の事を思えば逆をとられよ」
と呆れられた。

678:人間七七四年
08/08/15 14:34:11 KVBHsnmJ
毛利元就が、息子小早川隆景に当てた手紙

「その家の主人が家臣を殺す事は、手足を切るようなもので最悪の行為です。
これ以上悪いことはありません。
一般に家臣を殺す事は、その主人に器量がないためで、器量のある主人は
家臣を殺すような真似はしません。
よくよく、心得て置いてください。」

実はこの手紙、元就が、家臣の中での最大勢力だった井上一族を粛清したすぐ後に書かれたものである。
無論隆景もその事は充分に知っている。その上で、元就は自身の苦悩と自戒を篭め、この手紙を書いたのであろう。

679:人間七七四年
08/08/15 16:12:29 VNn7FGvB
>>678
これは深イイ話だなぁ。
「お父さんを見習うな」
っていうことを伝えたかったのだろう。優秀な息子が育つわけだなぁ。

680:人間七七四年
08/08/15 19:09:36 l9DQSad/
>>677
清正は部下に優しいから好きだな
まあ猛将だから優しいだけじゃないんだろうけどさ
親分肌なのがいいよね それにしても彼の配下はやんちゃなのが多いなw
茶器割って開き直る小姓とか

681:人間七七四年
08/08/15 23:45:00 eOgIQDwc
立花道雪は軍律違反には非常に厳しいけれど、
本当に部下思いだから好きだ。
上司にしたい武将No.1だな。


682:人間七七四年
08/08/16 00:44:08 JuFABJ3e
佐竹義重の配下に、浜野正杞と言う侍がいた。彼は天正12年(1583年)の沼尻の合戦で武功を上げ、
義重は政杞に、直々に戦功をたたえた書状を与えた。

時は過ぎて関ヶ原合戦のあと、佐竹家は出羽に国替えとなった。この頃政杞は既に老齢で、
「もうお供も出来ません」と、佐竹義宣から暇を取り、下総で帰農した。やがてこの地で死ぬが、
その時
「何かの役に立つ事もあるだろう」
と、義重の書状だけは後に残した。しかし、彼には娘一人しかおらず、この娘は結局嫁に入り、
浜野の家名は断絶した。

その下総に、新たに水野忠光が領主として入ってきた。彼は、どこかからかこの義重の書状の話しを知り、
「鬼義重と呼ばれたほどの武将の筆、是非拝見したい」と、自ら娘の嫁ぎ先にまで出向き書状を見た。
これによりその書状は有名になり、佐竹義宣まで父親の文章を見るために、参勤交代の折わざわざ立ち寄った。

そうして、沼尻の合戦からおよそ100年後、元禄11年(1698年)の佐竹藩の家臣名簿に、浜野久兵衛という名前が現れる。
浜野家は、佐竹藩において再興されたのだ。

侍の命がけの武功とは、子々孫々にまで影響を与えるものだ、と言うお話。

683:人間七七四年
08/08/16 05:51:20 MbkgHhMr
( ;∀;)イイハナシダナー

684:人間七七四年
08/08/16 07:01:51 ynOi68BW
(;∀;)いいスレだなぁ

685:人間七七四年
08/08/16 14:33:18 ht+w5s3g
久兵衛は娘の子?

686:人間七七四年
08/08/16 15:35:33 BsNM4bOW
>>680
心構えのない部下には容赦なかったと思うけど。

687:人間七七四年
08/08/16 16:31:41 JuFABJ3e
>>685
娘の子の血筋

688:人間七七四年
08/08/17 12:56:15 H3zmpaat
心構えのない部下に優しいってのは優しいんじゃなくバカだろ

689:人間七七四年
08/08/17 21:45:44 lREbt1cO
茶の湯の大嫌いな若侍がいた。
あんなものは武士の嗜む物ではない、と、いつも高言していた。
それを聞いた悪友の一人が、「しかし、お前の義兄は茶の湯好きとして有名ではないか」
と、ケチをつける。痛いところを突かれた若侍、「軟弱な義兄を懲らしめねばならぬ」と、義兄、中川清兵衛の屋敷に
忍び込み、彼自慢の茶の湯釜を盗み出した。
せっかく盗んだ茶の湯釜である、これで一つ茶の湯の真似事でもしてみよう、と、悪友たちに囃され、彼も
一通りやってみた。

「これは…以外に面白いものではないか?」

真似事をしているうちにふと、若侍の中に、そんな感情がわいてきた。


この若侍、後に天下一茶の湯宗匠、古田織部と呼ばれることになる。

690:人間七七四年
08/08/17 21:47:33 ZF46RlkB
 若き頃、半身不随となった立花道雪は身の回りの事を
専ら小姓達に任せていた。皆、道雪に見込まれた若達で
あった。
 ある時、道雪の屋敷に客が来た。接客は道雪の小姓達
が担当していた。その小姓の一人が緊張のあまり、客の
膳を取り落とし、料理を座にぶちまけてしまった。時は
戦国である。粗相のひとつで戦になる世である。詫びて
腹を切ろうとする小姓を道雪は制し、客に言った。
「私の家臣が粗相を致し、誠に申し訳ない。だが彼は、
ひとたび戦となれば、体の動かぬ私のかわりに、真っ先に
敵に向かって行く、勇敢な奴です。戦の粗相なら致し方な
いが、接客の粗相は主人の責です。どうかお許しくだされ。」
道雪の小姓達も一同に進み出て、「お許しくだされ。」と
平伏した。
これを見た客は、立花主従の絆に深く感動し、粗相を許した。


 後年、道雪は死を陣中にて迎える。最期の命令は
「私の遺骸に甲冑を着せ、敵陣に向けてこの地に埋めよ。もし
この命に背けば、悪霊となって祟る。」であった。
だが家臣達は道雪の遺骸を敵地に捨て置き、逃げる事など出来
ない。皆は決めた。
「道雪様は皆で領地にお運びしよう。もし祟りがあって、道雪
様が枕元に立たれるなら、喜んで腹を切ろう。道雪様に見届け
て頂けるなら、これほどの幸せは無い。」

 生涯三十七度の戦を戦い抜き、主君大友家を支え続けた道雪。
彼が守り抜いたのは大友家だけではなく、戦国の世に稀に見る、
主従の絆であった。
その絆は彼が薫育した愛息、立花宗茂に受け継がれていくのである。


691:人間七七四年
08/08/17 21:50:09 552cM3GS
>>690
ちょ、マジ泣きしたんだがwwww

692:人間七七四年
08/08/17 22:10:26 YkujUi/d
>>690
男子たるものかくありたいものだ。

693:人間七七四年
08/08/17 22:52:44 eSAH8351
もうさ、戦国の主従関係は、衆道の絡みがあって
アー!な関係だったからなかなか泣けない。
もう、部下に愛され、部下を愛し、これ全部衆道だろー

衆道バンザイ!

694:人間七七四年
08/08/18 13:37:18 T+VQEqRd
>>374
泣いた。・゚・(ノД‘)・゚・。

695:( ;‘e‘)チャーニィたん ◆charny.4eA
08/08/18 23:41:07 4SLctSGw
( ;‘e‘)( ;‘e‘)<俺が戦国時代に産まれていたら間違いなく歌で戦国の世を終わらせてた

696:人間七七四年
08/08/19 19:59:50 KzCpknPn
ホゲ~ってヤツか

697:人間七七四年
08/08/19 20:45:57 KPH//XjI
いや、ボエ~だろ

698:人間七七四年
08/08/19 22:59:49 vjF5/6YL
ジャイアントかよ>(Ю:】

699:人間七七四年
08/08/20 05:15:27 vlut3PMW
>>690
だいぶ前にゆづか正成が描いた読み切り思い出した
牛小屋メンバーの描くオッサンのカッコ良さは異常

700:人間七七四年
08/08/20 20:25:41 vAyBjRy1
小堀遠州と細川忠興は共に、世に文化人大名として認識されていたが、忠興は遠州のことを
酷く嫌っていた。かつて二条城で二人が出会ったとき、挨拶しようとした遠州を忠興は無視して
通り過ぎたこともあった。「遠州の茶道は武士のたしなむものではない」
忠興はそのように思っていたらしい。

その、遠州に危機が訪れた。
かれは幕府の依頼で五機内の天領の管理を任されていたのだが、あるときそこに、幕府の財政調査が入り、
遠州管理下での財務が、大幅な赤字に陥っていることが判明した。
「遠州は責任を取って切腹させられる」「小堀家もお取り潰しか」
遠州には、大名幕臣にも多くの弟子や友人がいたが、事は幕府天領の問題。幕府を恐れ、誰も、遠州のために
動けずにいた。

このとき、一人の大名が声をあげた。
細川忠興である。

「遠州は名高き数寄者である。このような過失により彼を滅亡させてしまっては、天下の名器を失うと同じではないか」

そしてかれは、すぐさま遠州に一千両を届けた。
これを聞いた遠州の友人、知人、そして茶の道を嗜む多くの者たちが、忠興に続けと、次々と遠州に寄付を申し出た。
たちまちのうちにその金額は借財の倍にもなり、遠州は無事、この危機を乗り切った。小堀家は、改易を免れた。

感激し、感謝の念を伝えた遠州だが、、忠興はそれ以後も以前と同じく、遠州の芸術を断固として認めなかったという。

701:人間七七四年
08/08/20 20:41:47 hSFS7ypL
ツンデレw

702:人間七七四年
08/08/20 20:48:36 pXv+Q8mT
>>690
立花道雪は部下との
強い絆を物語る逸話が多いね(峻烈なところもあるけど)。
以下、蛇足ながら自分が知っているちょっと
違う逸話を(「武田信玄のリーダー学」に載っていた)。

戦場で手柄が立てられず、意気消沈している部下に対し道雪曰く、

「戦場の手柄は運に大きく左右されるものだ。
そなたの武勇のほどはこの道雪が誰よりも知っている。
わしのような不具者が今日まで生きてこられたのも
そなたの忠義あればこそじゃ。決して急いてはならぬ。
つまらぬ功を焦って討ち死にするなど愚の骨頂。
命を大切にし、長生きして、いつまでもちんば(原文ママ)の
道雪を守ってほしい」

その道雪の日頃の口癖(同じく武田信玄のリーダー学」より)

「もともと弱い兵などいない。もしいるとすれば、
それはその兵の長所を見抜けていないだけであり、
長所を見抜けぬ大将がいけない」

戦国の世にあって、肢体不自由という究極のハンデを
背負いながら猛将として名を馳せた道雪。
自身が深い苦悩を抱え、そして克服したからこそ、
「不具の自分にはお前たちが頼りだ」と
さらりと言えてしまうのだろうか。


703:人間七七四年
08/08/20 21:09:15 U4Y1zlL1
>>700
忠興かっこいいじゃんw

704:人間七七四年
08/08/20 22:15:03 2qKAOkeh
>>700



その話後日談があるんですよね。


ある日建設中の二条城の御幸御殿に家光の命で下見にやって来た忠興と息子の忠利。

作事奉行の遠州は後ろの方に下がってうやうやしく腰を低くかがめっぱなしでつき従っていた

そんな遠州を忠興はガン無視、忠利が注意を促してもしらんぷり
結局一言も声をかける事なく検分終了。

後で忠利が「父上は小堀遠州をお忘れなさいましたか」と咎めると、
忠興は腰を低く屈めた遠州の真似をしながら
「それは袴腰を背うちにあてたる男か」と嘲笑った。
どうも遠州の卑屈な態度が忠興の気に触ったようです。


遠州を芸術家としては買っていた忠興も人間的には嫌いだったって事でしょうか。
遠州の逸話を調べると大抵上にはへつらい下に威張る俗物って話ばかりで自分もこの人は嫌いです。


705:人間七七四年
08/08/20 22:31:58 vAyBjRy1
>>704
うーん、個人的にはもうちょっと複雑な、たとえば茶碗について、自分はどうしても気に入らないけど、世間的に
名品と呼ばれ大切にされるのは解る、ってのと同じような感覚なんじゃないかな?と、考えます。

706:人間七七四年
08/08/21 01:15:41 8nj9Q1lL
伊達政宗の老臣鬼庭良直は、1585年に葦名・佐竹連合軍との人取橋の合戦で3倍の相手に奮戦するも
岩城氏家臣の窪田十郎に討ち取られた。

のち十郎は捕らえられ、良直の息子綱元の元に引き出された。
父の仇とばかりに十郎は処刑されるかと思いきや、綱元は十郎を恨んではいないと言い、
「捕虜を斬るのは士道に反する」と、十郎を釈放した。
十郎はこれに感じ入り、綱元の家臣になっている。

707:人間七七四年
08/08/21 16:35:23 63KWg4k+
立花道雪、宗茂の家臣団、由布惟信(雪下)の話が上の方にあったので小野和泉出しちゃう。
守銭奴と呼ばれ周りからも煙たがられ更に家臣からも嫌われ賄賂を貰いまくる和泉

度重なる戦にて立花家に財政難がやがて訪れる、2度目の朝鮮出兵時立花家には戦に参加
出来る戦費などない、戦に参加できないことは当然御家の危機でありまた恥である。
そんな時小野和泉は守銭奴と呼ばれながらも貯蓄していた全ての財を立花家のために提供
和泉は周りから何を言われようと立花家のため悪役を買っていた、これを知った家臣達
は小野和泉こそ誠の忠臣と崇めたと言う。

708:人間七七四年
08/08/21 17:16:59 nA3clidC
あるとき織田信長が、千利休に「何でも好きなものを一つやろう」と言った。

知っての通り、信長は茶器の収集家として有名であり、おそらく利休も、その信長のコレクションの中から
どれかを望むであろう、と、信長も考えていた。ところが利休は

「上様の、正宗の脇差をいただきたい」

「茶器ではなく、脇差じゃと?」

「はい。茶器ならば、上様は名物をたくさん持っておいでになりましょうが、
この利休には、名物を発見する目がございます。
とすれば、武将が持つ名物といえば刀剣。名に聞こえた信長公の正宗の脇差、是非所望したくございます。」

こうして利休はその脇差を拝領し、それは「宗易正宗」の名で、世に有名になった。

そのしばらく後のこと

利休は、その脇差の拵えを、本阿弥光徳の所に頼みに行った。その時一緒に、古い鞘も持ってきて、
「これは随分前に、町でたまたま見つけたものでして、なかなか結構なものだと思っています。
手に入れてからずっと手元に置いていたのですが、この脇差の拵えを、これで作っていただきたい」

本阿弥家の人々はあきれた。脇差は天下の正宗、しかも信長公より拝領の逸品である。それを、
どこのものともわからない町買いの古鞘に合わせるとは。
第一、町で見つけたような古鞘を秘蔵するような人間は滅多に居るまい。さても変わったお人だ。
そんな話をしている時に、分家筋の光二(有名な本阿弥光悦の父)が現れた。その話を聞き、古鞘を見た。
光二は唸るように言った。

「これは、かつて私が、名刀鳥喰国次にあわせて拵えた鞘だ!」

早速、光二がその鞘を、正宗にあわせて仕立て直した。やがて刀を取りに来た利休は、その出来栄えの見事さに
感嘆し、また光二も、利休の眼力に、深く感じ入った。
頼む人も達人。頼まれた人も達人、であったわけだ。

そして、「宗易正宗」はその鞘とともに、さらに天下に名高く喧伝されたという。
本阿弥家の記録に残るお話。

709:人間七七四年
08/08/21 17:24:23 63KWg4k+
小野和泉2
立花家改易になり加藤清正預かりになった宗茂と家臣団
清正家臣団に馬鹿にされ憤りを感じ宗茂は浪人となりこれに従う雪下と家臣団
雪下たちとは違い残る和泉、宗茂へ路銀を渡す、家臣団達からは非難の声も多々
残った和泉は、清正家臣団から馬鹿にされる毎日、自分を馬鹿にされても気にならない
和泉であったが、宗茂を馬鹿にするものが出てきた。
ある日宗茂と清正の比較話が出た時、和泉は無数に傷がある体を宴で見せ一つ一つ説明した。
傷の説明と約70枚の感状を見せると清正家臣団は問う「あなた程の人は家臣団に何人いる?」
和泉は「私程度は家臣団の中では、はいて捨てるほどおります」と言うと清正家臣団は驚いたと言う。
清正家臣団は2度と宗茂を馬鹿にしなかったと言う。
また、浪人となり食うにも困った宗茂に仕送りをしていた程、我が身を捨てて忠を貫いた。
和泉は立花家再興を見ずに没する(悲)

710:人間七七四年
08/08/21 19:12:53 5pjFeWJ9
>>709
時代も国も違うけど、
三国志の魏の曹丕と
、呉の孫権の使者の
やりとりで似たエピソード
があったような気がする


711:人間七七四年
08/08/21 19:30:58 YIAHXffg
>>707
吉村貫一郎みたいでかっこいい

712:人間七七四年
08/08/21 19:41:34 UsAFcNuI
>>704-705
人間である以上贔屓目が入るから
「こいつ嫌いやなぁ・・でも作品は認めるぜ」ってのはなかなか難しいことですよ
細川忠興を擁護する気はないんだけど

713:人間七七四年
08/08/21 21:32:25 YUlSpdyI
最上義光三連

1.最上家の鮭延家臣に、裸亥之助というものがいた。あまりに太っていたため、あう甲冑がなく
裸で走り回るためそう呼ばれていた。
義光はこれを聞いて「いくら太っているからって、ブタ(亥)はないだろ、ブタは…
今日からは 武 太 之 助 って呼びなさい、なんちて♪」
と寒いオヤジギャグをかました。

2.庄内地方を上杉と争った最上だったが、結果的に外交で敗北、
庄内は上杉家のものとなった。しかし年貢とりたてが厳しく、一揆があいつぐ。
そんな中、池田讃岐という武士が一揆に加わり逃亡、最上領に逃亡し鮭延に
助けを求め匿われた。彼は天下のお尋ね者となったため、悪次郎と名乗った。
悪次郎は現地を開墾、治水灌漑をおこなった。住民はそれを感謝し、地名を
悪次郎に変えた。明治以降、あくどいイメージなので地名を変えるように行政指導が
あったが、住民は悪次郎という地名を守り抜き、現代まで残っている。

3.秀吉政権以降、由利十二党が最上配下となった。義光はとりまとめに苦労していたが、
あるとき十二党のものに「大井五郎という暴れん坊に困っているので殺して欲しい」と頼まれた。
義光はなんとかして五郎を山形城に呼び出して暗殺しようとした。
しかし、現れた五郎が鮭をまるごと平らげ、あまりに大食いなのを見てすっかり気に入り、
「あのー、わし本当はお前のこと殺そうとしてたんだよねー。
でもなんか気に入ったから殺さないからね? 何か困ったことあったらいつでもおいで」
とたくさんお土産を渡して家まで無事に帰した。

714:人間七七四年
08/08/22 13:22:14 PYV53LA1
小野和泉補足
宗茂を馬鹿にされたところを簡単にしてしまったので伝わらないかも
和泉は、清正家臣団から「我が主は戦場で相手方の首級を幾つもあげてるし一番槍もあるが
和泉殿の主は如何だったのか?」(山路や木山打ちの話)との問いに

和泉は体にある67(だったかな?)のうち上半身の40箇所近い傷跡を見せた(鉄砲傷5箇所、致命傷傷あり)
その瞬間に宴の席が凍りついた。そこに傷の説明をする清正家臣団が「もういい夜が明けてしまう」と
口を開いたところに和泉の問いが...
和泉は「我が主を戦場で奮わせることがないように努めたがそなた達は主が奮戦してる時に
何処にいた!」(よく覚えてない)と問うと清正家臣団は黙ったままだったと言う。

和泉の奮戦話で驚いたのは、両足に鉄砲を受け野に伏したまま采を振るった
しかもその戦いに勝ってしまう←こんな武将は聞いたことないかも凄い

また、この和泉を誘ったのが上の方に書かれてた雪下こと由布惟信
惟信は自分の石高を切り分けてまで和泉の採用を道雪へ懇願した目を持つ名将

715:人間七七四年
08/08/22 22:56:18 aOuId1Tw
>>707の話だけみると岡左内みたいだね。

716:人間七七四年
08/08/25 00:00:19 B9t2JU0x
関ヶ原の決戦によって、西軍に属していた上田宗箇は牢人となった。

しかし、ほどなく家康から罪を許され、宗箇は浅野家に、1万石で仕える事となった。しかし、古田織部の
高弟でもあった宗箇は、武将としてではなく、茶堂として召抱えられた。これは、新たに大領の主となった
浅野幸長が、当時の上流社交の基本である茶道の基礎を、浅野家に打ち立てるために、宗箇のその方面の
才能を必要としたためであったが、それは、浅野家のほかの家臣からの嫉妬と嘲笑を買うことにもなった。
彼らは、

「我が殿はさすがに大身である。茶坊主を万石でかかえるとは。」と、あからさまに宗箇を侮蔑した。

幸長は「気にするな。一旦事あらば大いに働いてくれ」と、宗箇に脇差を与え、我慢するよう言った。
宗箇は「そのときは、この脇差に必ず、血をつけてご恩に報いましょう」と誓った。
浅野家の家中の者たちはそれをも「茶坊主が血をつけようとは。鼠の血か猫の血か」と、さらに嘲った。

やがて、大阪の陣が起こる

和泉国樫井で陣を張っていた浅野家は、大阪より、、勇将、塙団右衛門の部隊が接近との報を聞き、
一旦退却の方針を取った。が、宗箇は
「ならばわしは隠居する。隠居ならば軍令を守る義務は無い。」と、自分の部隊だけそこに残った。
やがて、やってきた塙の軍勢に踊りかかった宗箇の部隊は、先ず団右衛門の胸を槍で一突きに突いて
重傷を負わせ、さらに一気呵成に攻め立て、塙の部隊の武将の一人の首を、先の脇差にて取った。
この攻撃に、大阪方は壊乱した。彼はここにて、浅野家随一の戦功を立てたのだ。
自らの働きを持って、武将、上田宗箇は、自身の面目を保ったと言えよう。


戦後、宗箇は、浅野家家中一同の前で
「さてさて、ここにお集まりのお侍衆の中で、この茶坊主よりも手柄を上げた方はいらっしゃるかな?」
とやって、さらに家中の憎しみを買ったのは、まあ、これはご愛嬌w

717:人間七七四年
08/08/25 00:32:53 PZIS9tjA
最後が余計だw

718:人間七七四年
08/08/25 07:55:54 h4fKZp6z
相当頭にきてたんだろうなw

719:人間七七四年
08/08/25 08:01:15 WsVaOkwp
明らかに最後の戦乱だったから他の家臣どもは負けっぱなしで終えなければならなかったと。
やりきれんだろうなぁw

720:人間七七四年
08/08/25 09:22:54 tavsRvmU
>>713
キーワードは「鮭」だな

721:人間七七四年
08/08/25 10:32:48 LGuGJ92p
>>713
warata

722:人間七七四年
08/08/25 13:54:58 HCXDF2aH
「お金を軽蔑していた直江兼続」
聚楽第に諸大名が集まったとき、伊達政宗が金貨を皆に見せていた。
まだ貨幣が珍しかった時代である。兼続は得意顔の政宗から扇で受け取ると、
その上でポンポンと羽根突きのように弾ませた。
政宗が「手にとって見られよ」と言うと、
「謙信公の頃から采配を振るったこの手に、卑しいものを持っては汚れます」
と応えた。
兼続の葬式、主君の景勝から銀50枚(350万円)、将軍秀忠からは銀70枚(500万円)の香典が下された。
本人は嫌っていたが、できるヤツには金は集まるものだ。

723:人間七七四年
08/08/25 14:11:51 fYwVtBmJ
そのエピソードは金の話しだっけ?、伊達にへつらわない直江兼続は立派でしたって話しじゃなかった?

724:人間七七四年
08/08/25 14:42:29 HCXDF2aH
へつらう必要はまったくないだろ?
主君の景勝は5大老、自分は秀吉から陪臣の身ながら30万石をもらった。
政宗よりも兼続のほうが秀吉の覚えもメデタイ。

もうイッパツ金の話。
安土城に「御幸御殿」が完成し、新年会も兼ねた、見物会が催された。
事前に「礼銭100文(5000円)を持参するように」というお触れがでていた。
当日受付には、なんと信長自ら立ち、入場料を受け取った。
ふだん見られない信長の顔を間近で見られるのと、狩野永徳の名画、金作りの調度品などを、
拝見できるのが100文では安い。
それよりも、信長の喜びを隠せない心境が垣間見えてなんとなくイイな。

725:人間七七四年
08/08/25 15:53:30 +tITRkdY
違う、違う
羨ましかったけど、伊達家に嫌味を言っただけ
当時の上杉家は、伊達家とは違い財政面で上杉ほど困っていなかった。
上杉家はそれこそ財政難で金銭の工面に追われており、正宗も意地悪で金を
見せびらかしていたと言われている。

それとは別に当時の金は大変不衛生で疫病対策のため身分の高いものは触れたがらなかった
しかも兼続が言った一言が各方面に伝わりデフレの原因になったんじゃなかった?

726:人間七七四年
08/08/25 16:08:55 osrG6mSd
冷酷な兼続のエピソード好きなんだが
天地人ではこういうのも取り入れてくれるのかね。

727:人間七七四年
08/08/25 16:28:28 vmPiHxL9
会津や仙道まで召し上げされて家臣団への褒賞にすら事欠く伊達が見栄を張っただけだよ。
当時の上杉は秀吉に上洛免除され、大阪城や伏見城を手本に広島城と同規模の城を築くよう期待されてた。
佐竹も新城の築城協力の為に会津に派兵したし。

728:人間七七四年
08/08/25 16:31:48 57A4j0Cm
>>722
>>724
その大判をセンスでポイっと投げて政宗に返したとかっていう逸話だよな?
この逸話聞いて兼続って立派だなぁと思う人っているんだろうか…
あと関係ないが30万石ってのは与力含めての数で、直江領はもっと少ない

729:人間七七四年
08/08/25 17:23:05 n9/skD07
その逸話は政宗はもちろん大判を手にとっていた諸将に対して無礼に思える





730:人間七七四年
08/08/25 17:43:42 oExGPRp3
英雄

731:人間七七四年
08/08/25 18:03:32 vmPiHxL9
成金秀吉が金狂いだし、平家の末期のように贅や奢に流れて頼朝以来の武家の気風を忘れがちな中での一服の清涼剤だろう。
むしろ謙信以来の遺風に諸将も唸り感じいったと言える。

732:人間七七四年
08/08/25 18:07:20 OrfSqKYQ
>>722の逸話みたいに、政宗と兼続の仲が悪かったって逸話は他にもあるよね。
確か大阪城(だったかな?)の廊下で初めてすれ違った時、政宗が兼続に
「上杉の家臣が、大名の自分に会釈もしないのは無礼にも程がある。まさか俺の顔を忘れたか!」
兼続は「これは失礼致した。あなたとは戦場で何度もお会いしたが、いつも逃げて行く後ろ姿しか
拝見したことが無かった物で。まさか伊達様とは思わず大変失礼致した。」とやり返した。

本当に仲が悪いつーか…兼続の矜持も相当な物だったんだろうな。

733:人間七七四年
08/08/25 18:27:47 CCZtRgXJ
謙信なんて守銭奴に近いじゃん。金のために今川北条と結んだ武田への経済制裁も
とっとと破るような武将。

734:人間七七四年
08/08/25 18:41:40 5viugfyz
信濃に帰してやるとした上で信濃の武将を大量に抱えてる謙信が
真っ先に信濃を逼迫させるような政策取れる訳なくね。
越後から信濃に通じる塩の道は元信濃領主に治めさせて守らせてんのに。

735:人間七七四年
08/08/25 18:52:54 57A4j0Cm
まぁ好意的に解釈すれば>>731のように、
上杉家や自分自身への誇りみたいなものを表すエピソードになるんだろうけどねぇ
>>732の逸話を聞くと
「いやいやww政宗だったら初対面でも分かるだろw」と思ってしまう

どっちにせよ、イイ話というよりは、直江の品格に傷が付きそうな逸話だが

736:人間七七四年
08/08/25 19:17:55 DOndinbp
誰も逆らえない政宗にギャフンと言わせたと言う意味で作られた逸話だね。
でもこんな作り話を基に人物の善し悪しを論じても始まらんなw

737:人間七七四年
08/08/25 20:04:46 DyC6og4U
>>724
スケッチブックもって並んだらなんか描いてくれそうだ

738:人間七七四年
08/08/25 20:32:52 vmPiHxL9
ちょっといい話スレにまで
兼続貶しの荒らし基地外が登場したらしいな。

739:人間七七四年
08/08/25 20:38:34 cztn1+k8
>>725
むしろ秀吉が生きてた時代だったら
上杉は佐渡金山抱えて金がガバガバ取れてた時代じゃねーの?
景勝が秀吉に献上した大判は全国の6割を占めて
伊達を余裕で引き離して全国トップだったと思うが。
なんで金産出量トップの国のNO.2が
大判を羨ましがらなきゃいけないんだ?

740:人間七七四年
08/08/25 21:10:32 WUPV3f2O
>>725
金そのものを披露したんじゃなくて、当時はまだ大判・小判とか
そんなに造られてなかったから、「私が考案した大判でござる!」
って感じのお披露目だったと思われる。

741:人間七七四年
08/08/25 21:25:38 cztn1+k8
はあ、1598年に上杉家は大判2000枚強を出してるんだけど。
直江の無礼な行動を誰も何も言わなかったあたり
上杉家相手に政宗pgrって空気だったんじゃねーの。

742:人間七七四年
08/08/25 21:35:10 CCZtRgXJ
他所でやろうぜ

743:人間七七四年
08/08/25 21:46:51 fYwVtBmJ
俺が最初に変な質問して荒れちゃったみたいでごめんなさい

744:人間七七四年
08/08/25 21:51:58 ljKR4QoO
>>738
粘着伊達厨じゃねw

745:人間七七四年
08/08/25 22:01:27 wXE9e13M
じゃあここはネタを投下する 直江つながりで対戦相手の最上ネタ。

最上家中鮭延秀綱配下に、に鳥海勘兵衛という若い侍がいた。
彼はある日、義光の奥方に仕える侍女に一目惚れしてしまい、ひそかに
恋文をやりとりするようになった。ところがある日、これが発覚し義光は激怒、
二人は死罪を言いつけられた。
これを聞きつけた鮭延秀綱は義光を諫め、勘兵衛がいかに勇敢か、過去の武功を説いたところ、
義光は二人を許し、勘兵衛に侍女を妻としてめあわせた。

これからおよそ半年後、長谷堂合戦で鮭延秀綱は志村光安とともに、
城の防衛にあたった。鮭延勢奇襲の際、あやうい秀綱を若武者が救い、
討ち死にした。鳥海勘兵衛であった。
彼の遺書には主君への感謝と、妻と過ごした日々の喜びが綴られ、
「この御礼には命をもって報いるしかない」と記されていた。
勘兵衛の妻は、夫の葬儀が終わると自害しあとを追った。
二人が夫婦であったのは、僅か半年ほどであった。

戦後、鮭延秀綱は義光にこの遺書を見せた。義光は号泣し、
かつて勘兵衛夫妻を罰しようとしたことを恥じて、手厚く弔ったという。

746:人間七七四年
08/08/25 22:03:23 57A4j0Cm
>>738
あれぐらいで貶められたとかw
さっさと巣に帰れ

747:人間七七四年
08/08/25 22:13:37 ljKR4QoO
直江厨は被害者面が得意だからねー
ちょっと批判されただけでうるさいうるさいw

748:人間七七四年
08/08/25 23:17:13 5viugfyz
つまり大判の話は伊達の大判自慢にイラッと来ても
金を持ってなければ羨ましい故の負け惜しみみたいで中々言いづらい空気の中、
唯一伊達を超える金を抱える上杉の家宰だけが堂々とpgrして
陪臣ごときにpgrされた伊達に皆スッキリという話か。

749:人間七七四年
08/08/25 23:19:48 69bLGVeA
>>722の話は政宗も品が無い。
兼続も芯の強さは見せたが、侮辱的な言葉を吐いて礼節や品格に欠けた受け答えだな。
当時政宗はまだ二十代、兼続も三十代と青年武将同士らしいエピソードだね。

750:人間七七四年
08/08/25 23:21:32 Cw2LkE+y
>>745
鮭延秀綱、このスレで出番多いなw

751:人間七七四年
08/08/25 23:51:26 byq4RTz9
そもそも>>722>>732が「ちょっといい話」ではないと思うのはオレだけか?
むしろ「ちょっととんがった話」、「ちょっと嫌味な話」だと思うんだけど

752:人間七七四年
08/08/26 00:35:41 ttDF3EWe
毛利隆元が急死したのは、41歳の若さであった。

落胆する父元就に、厳島より一通の文章が届いた。彼が死ぬ八ヶ月前に、厳島神社に奉納していった物だという。
それには、こう書かれていた

「どうか、父を長生きさせてください。もし、父に巳歳の災難が降りかかると言うのであれば、どうぞ、私を身代わりにしてください。」

元就は、あふれる涙を抑える事ができなかった、と言う。

753:人間七七四年
08/08/26 01:09:22 EY/9yNZD
>>745
もっと鮭の話をくれ

754:人間七七四年
08/08/26 02:43:46 NKr2CleZ
>>752
隆元は望み通り父の身代わりになったのですね
いい話だな~(;Ⅱ;)

755:人間七七四年
08/08/26 04:09:44 WWmN0/t2
生かされた元就の方はたまらなかっただろうけどね・・・

隆元が死んだ1563年の毛利の事情はどうだったのか、
元就でなければ乗り切れない局面だったのか、
戦国にわかの俺にはわからない

756:人間七七四年
08/08/26 09:28:54 EdN5C6P5
尼子の家臣を謀略で切り崩してる真っ最中だな。
尼子との抗争長引いて大友にちょっかい出されたらやばい状況かな

757:人間七七四年
08/08/26 11:14:00 9Pi+BKu3
鮭話では死後に家臣が寺建てたエピソードがあったな
誰か文章上手い人まとめてくれ

758:人間七七四年
08/08/26 21:06:53 73X+dYWH
あいよあいよー 鮭いくよー 鮭話ファイナル

最上家は二代目藩主急死後、義光の孫・義俊が幼弱であるとして
義光の四男・義忠をかつぎあげる動きがあった
これの中心であったのが鮭延である
しかしこの動きが幕府に叛くものとされ、改易の憂き目にあう…

鮭延は幕府の土井利勝に気に入られたのか、古河に預けられ
五千石の身分となった
土井は優秀な官吏ではあったが武勇に功績がなく、そのため
武勇の誉れ高い鮭延を買ったのではとも言われている
ちなみに彼は長谷堂合戦では志村光安と並び活躍している
しかし鮭延は一切の政治から身をひき、五千石すべてを最上家から
己を慕ってついてきた家臣に分け与えた
また、改易の原因を作ったのを恥じたのか、鮭延家を意図的に断絶させた
彼の死後、その徳を慕った家臣は鮭延寺を建立し、彼をしのんだという

鮭オマケ
鮭延の主君・最上義光はあまりに鮭が好きなので、
「おまえは鮭喰らいたくて海とったろ」と後世言われたらしい
それは本当かどうかわからないが、家臣宛に
「鮭トンクスw 食べてみたけどマジウマー」と手紙を書いているので、好きだったのは確か

759:人間七七四年
08/08/26 22:53:43 bFEclT/R
もう俺の中では最上家のイメージが鮭で定着してしまった

760:人間七七四年
08/08/26 23:12:57 Gf9PZXeg
そういえばやはり最上から流れてきた山野辺義忠をひらった水戸徳川家
水戸黄門こと水戸光圀も鮭中毒患者、特に鮭皮マニアだったらしい。

761:人間七七四年
08/08/27 09:13:35 miiNU08i
シャケが大好きなんてきっと熊さんとも仲良しだったんだろうなw

762:人間七七四年
08/08/27 13:39:17 VvhdqxeB
鮭といえば

毛利秀就が江戸城に登城した時、弁当のおかずに鮭の切り身入れてたら、
一緒に登城していた諸侯達が

「やや!その珍しいものは何ですか!?」

と、集まり、一口味見させてくだされと言って来て、秀就も人がいいから
どうぞどうぞと食べさせちゃったら、「おお!これは美味じゃ!」とみんなでパク付きはじめ、最終的に
秀就、自分の分が無くなった。ってお話が。

763:人間七七四年
08/08/27 14:04:54 hhWi3jzq
かわいいなw

764:人間七七四年
08/08/27 14:45:22 aTdWlCvn
それ新手の虐めじゃないか?w

765:人間七七四年
08/08/27 14:55:52 WpZrE5MP
食い気の話から無骨者の話。
関が原の合戦で小早川秀秋が4時間も悩んで、あげく大砲を打ち込まれて決心した、
という話が通説になっているが・・・

一番備を勤めた松野主馬、裏切りのことは極秘ゆえ事前に知らされてはいなかった。
そこに「西軍を攻撃せよ」命令が届く。
彼は激怒して「最初から東軍に属するならともかく、今に至って裏切るなど、そのような軍法はない」
と自軍をガッチリ固め、味方に対して壁をを作った。
小早川軍の動きを封じてしまったのだ。
再三の説得にも応じず時間は過ぎていく。
「主君の命を聞かないことこそ裏切りだ」と言われ、
それならばと自軍を引き連れて戦場を去って行ってしまった。
それでやっと小早川軍は動くことができた。

戦後小早川家を出奔したが田中吉政に3万石で召抱えられ、
晩年は本多能登守から500石を給され道栄と名のり安楽に余生を送る。



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