戦国ちょっといい話at SENGOKU
戦国ちょっといい話 - 暇つぶし2ch369:人間七七四年
08/05/05 13:47:09 sHa0RM4P
鈴木石見って鈴木重朝本人?それとも縁者か何か?

370:人間七七四年
08/05/10 14:25:27 Q1kUKD9u
信長に能数寄を叱られ謹慎していた信忠は、城を抜け出し信雄を誘って伊勢の信孝の城へ行き、
用意させておいた舞台で兄弟3人交代で能を舞い、招待された領民の喝采を浴びた。
このことで信長からのお咎めは一切無かったという。


371:人間七七四年
08/05/10 14:41:41 Q1kUKD9u
順番逆になっちゃった

>>369
重朝は伊達政宗に仕えているから当然政宗の顔は知っている。
その後水戸家に召抱えられる。
水戸の家老鈴木家党首は石見守を名乗っているから、
>>366は子と考えるのが普通。


372:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/07 23:24:27 gc3XR7nF
>>93絡みで岩屋城ネタ
岩屋城が落城して間もなく、敗戦を知ないまま立花山城から立花宗茂の使いの兵が高橋紹運宛の書状をもって岩屋城へきた。
が、時既に遅く全員玉砕の岩屋城。使いの兵は島津軍に捕らわれ、そのまま従うよう命じられる。
立花宗茂の使いの兵はそれを断りこう言った
「一つだけお願いがあります。その書状を読むのは私の首をとってからにしてください」
その答えに島津の将は心を打たれ、書状を読まずにその兵の縄をほどき、立花山城に無傷で送り返した。

373:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 10:06:54 s/ItF2dT
>>372絡みで立花宗茂ネタ
関が原の戦いで西軍に味方したため、戦後領地を没収され浪人となった
宗茂。彼を見捨てず、虚無僧や物乞いまでして宗茂を支え続けた家臣達。
その主従愛に感動した徳川秀忠は、彼を筑後柳川十一万石の大名として
取り立てた。
かつての領地に返り咲いた宗茂と家臣達は、さっそくかつての家臣を呼び
寄せ、新たな家臣を雇った。たちまち宗茂の屋敷は家臣達であふれかえった。
そこで宗茂が浪人時代から支えてきた家臣達が進言した。
「家臣も増え、今の屋敷では手狭でございます。そこで屋敷をもっと大きく
建て替えて、部屋も廊下も広くいたしましょう。」


374:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 10:25:39 s/ItF2dT
>>373続き
だが宗茂は首を振って言った。
「いや、屋敷は狭いままで良い。」
家臣達は「何故?」と首をかしげた。
宗茂は目に涙を浮かべて言った。
「なぜなら俺が浪人となっても、お前達は俺を見捨てず、
物乞いをしてまで俺を支えてくれた。俺にとってかけがえ
の無い、愛しい家臣だ。もし屋敷を広くすれば、お前達と
こうして顔を合わせる事も減り、疎遠になるだろう。
それは嫌だ!それなら屋敷が狭いほうが、俺は嬉しいのだ。」
家臣達は涙で言葉も出なかった。

375:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 11:34:30 ZvQLYTCp
ぎんぽっぽなんかにゃない逸話だな。

376:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 18:18:31 3w7sYWMn
面白いネタはないの?

377:人間七七四年
08/06/18 20:26:48 35ygH+wf
あげ

378:人間七七四年
08/06/18 21:57:31 tqERUXi0
>>377

(・∀・)イイ話しだなー

379:人間七七四年
08/06/18 23:45:31 bplewm2a
織田信長の弟、信行に双子の弟がいた。弟の名は信高。幼年より病弱で僧となるため寺に入る。信長はこの弱い弟を大層可愛がっていた。この弟こそ後年本能寺で三法師を助けた前田げんいである。

380:人間七七四年
08/06/19 00:50:04 BLObJ4RQ
今日、幼稚園の前の道路を舗装してたんだが、
園児を迎えに来た母親が子供に向かって
「ほら、○○、ちゃんといい子に勉強しないとああいう人達みたいになるんだからね」
と言っていた。

あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった下校中の高校生2人が
A:「なぁ、B。皆が便利になる道路作る人と、子供にろくな事吹き込まない大人、
   なるとしたらどっち?」
B:「そら道路作るに決まってるだろw勉強してろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。

ダメ出しで
「僕はあのおじさん達好きだよ。トラック見せてくれたもん」



381:人間七七四年
08/06/19 13:52:54 OSAIsIPN
>>380
(・∀・)イイ話しだなー

382:人間七七四年
08/06/19 15:23:27 3035ZDN5
>>380
いい話だね。俺は現場で働く人達は好きだ。


383:人間七七四年
08/06/19 17:09:57 O7ZtwGh2
戦国じゃないがいい話だな~

384:人間七七四年
08/06/19 17:57:50 XfP/8aL6
いやな二択を迫られても困る

385:人間七七四年
08/06/19 18:25:58 G6IsV8A8
今日大坂城に参謁しに行ったんだが、
母親が子供に向かって
「ほら、秀頼、ちゃんといい子に学問しないとああいう武断派みたいになるんだからね」
と言っていた。

あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった高台院と正則が
高台院:「なぁ、。皆が便利になる天下作る家康と、子供にろくな事吹き込まない大人、
   付くとしたらどっち?」
正則:「そら天下作るに決まってるだろw勉強してもろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。

ダメ出しで
秀頼「僕はあのおじさん達好きだよ。虎見せてくれたもん」


かくして加藤清正は東軍に付いた。

386:人間七七四年
08/06/19 19:48:31 jIeZNaKm
なるほど、ますます清正嫌いになったぜ。

387:人間七七四年
08/06/19 21:56:09 ZSnYL0O2
>>385
何という改悪w

388:人間七七四年
08/06/19 22:17:57 dhwKVso/
>>385
(・∀・)イイ話しだなー

389:人間七七四年
08/06/20 00:32:07 9YeDq+7i
秀吉の松茸狩りの話って出た?

390:人間七七四年
08/06/20 11:33:16 HwpJsyKf
>>389
上に立つ者の気配りの話だね。
宮本伊織(戦国時代じゃないけど)の豆腐の話も好きだ。

391:人間七七四年
08/06/20 12:39:06 WVRRZLLz
どちも出てないから教えれ

392:人間七七四年
08/06/20 13:10:00 HwpJsyKf
秀吉が天下を取ってからのこと。
京都の東山に松茸がたくさん生えていると聞き、
「松茸狩りをして遊ぼうではないか」と言い出した。

家臣たちが下見に行くと、すでに京の人々がほとんど採って
しまい、僅かしか残っていない。

そこで、彼らは、あちこちから松茸を取り寄せて、
こっそりと山に植えることにした。
夜を徹して作業を続け、何とか間に合わせたのである。

秀吉はお祭り騒ぎのようにして、やってきた。
見ると、そこらじゅうが松茸だらけ。
「これは見事」と、非常に機嫌がよい。子供のように、
はしゃぎながら松茸を採っていた。

すると、傍にいた女性が、秀吉の袖を引いて
「これは自然に生えたものではありません。誰かが、
植えたものでございます。殿下にはそれがお分かりになりませんか」
と、小賢しく言った。

秀吉は、手を振って、さえぎり、
「こら、言うな。俺たちを喜ばせようとして、皆がやったことだ。
これだけ植えるには、相当の苦労があったはずじゃ。その気持ちを
ありがたく受け取ってやらねばならぬ」とニッコリ笑ったと言う。





393:人間七七四年
08/06/20 13:11:58 +v/z8d76
秀吉が天下を取ってからのこと。
京都の東山に松茸がたくさん生えていると聞き、
「松茸狩りをして遊ぼうではないか」と言い出した。

家臣たちが下見に行くと、すでに京の人々がほとんど採って
しまい、僅かしか残っていない。

そこで、彼らは、全裸になり、
こっそりと山に埋まり逸物を出した。
夜を徹して作業を続け、何とか間に合わせたのである。

秀吉はお祭り騒ぎのようにして、やってきた。
見ると、そこらじゅうが松茸だらけ。
「これは見事」と、非常に機嫌がよい。子供のように、
はしゃぎながら松茸を採っていた。

すると、傍にいた女性が、秀吉の袖を引いて
「これは自然に生えたものではありません。誰かの、
モノでございます。殿下にはそれがお分かりになりませんか」
と、小賢しく言った。

秀吉は、手を振って、さえぎり、
「こら、言うな。俺たちを喜ばせようとして、皆がやったことだ。
これだけ植えるには、相当の苦労があったはずじゃ。その気持ちを
ありがたく受け取ってやらねばならぬ」とニッコリ笑ったと言う。

394:人間七七四年
08/06/20 13:29:39 2L0Xtorl
松茸狩りを秀吉は二回も繰り返したのか?
ボケちゃってたんじゃね。

395:人間七七四年
08/06/20 13:32:52 HwpJsyKf
宮本伊織=武蔵の養子(兄の子)

15歳で姫路藩(小笠原家)に仕官し、20歳で家老になる。
主家が小倉11万石に転封されてから筆頭家老。

彼は接待・宴席で豆腐料理を出されるとことさら喜んだ。
この噂は藩内はもとより近隣の国にも広まっていった。
そのため伊織がらみの宴席では豆腐がメイン料理となることが多かった。

晩年、使える女中が
「殿様はほんとうに豆腐がお好きなんですねえ」
と言うと、伊織はにこやかに笑って、
「本当に好きなものは他にあるのだが、
政務を司どるものが贅沢好きでは下に対してしめしがつかない。
それに、豆腐好きということにしておけば、余計な気遣いもさせなくて済む」
と言って女中に他言無用と約束させた。


396:人間七七四年
08/06/20 14:37:02 CiaSuIHl
全大村益次郎が泣いた

397:人間七七四年
08/06/20 14:46:56 4MXeX9CK
伊織に腹いっぱい芋粥を食わせてやりたいな

398:人間七七四年
08/06/20 15:07:08 rWhSNuxx
>>395
女中、おもいっくそ他言しとるがなw

399:人間七七四年
08/06/20 15:58:07 4MXeX9CK
女中、後の先だな

400:人間七七四年
08/06/20 17:11:02 O2sj2jZw
>>398
宴席で喜ぶ伊織……ところがここで女中がネタばらし。
いたたまれずに、恐縮する隣国の家老。「もう伊織殿に豆腐を出したりしないよ!本当さ!」

401:人間七七四年
08/06/24 00:07:41 sAyQLnQG
日本にやって来、その風俗や風習を深く学んだフランシスコ・ザビエルが、ヨーロッパのイエズス会本部に
送った手紙

「神父を日本に連れてくる者は、同封のリストにある商品を持ってくれば、大儲けは間違いありません。」

402:人間七七四年
08/06/24 08:14:41 pLwcfFln
何がリストアップされてたんだろう・・・

403:人間七七四年
08/06/24 21:33:34 hk4CorD1
カステーラ・コンペイトウ・可愛い少年

404:人間七七四年
08/06/25 02:39:34 VNfLBS+I
ちんこ

405:人間七七四年
08/06/25 06:52:28 CfkIzz58
黒人

406:人間七七四年
08/06/25 08:26:21 Q2zU6ZCn
>>401から黒い話になって来たな

407:冬広
08/06/25 13:07:41 zaTUmH0H
男のきずなの話

ある戦で前田利家と佐々成政が、二人がかりで稲葉某って豪傑を倒した。
曲がったことの嫌いな二人は、「稲葉に致命傷を与えたのはおめーだろ」って首の譲り合い
を始めるもお互い譲らず、果ては取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。

そこに通りかかった柴田勝家が、「この首いらないの?じゃ、おれが貰う」って言って、唖然
とする二人を尻目に稲葉の首を勝手にもっていってしまった。
そして、二人は不承不承、主君・織田信長の城に帰還した。

すると、柴田が来て「利家・成政、殿がお呼びだぞ」って二人を呼んだ。
二人は「殿が何の用事だろ?」って不審に思いながら拝謁すると、上座に信長・そばには勝家が
ニコニコして座っている。
「そちたち、豪傑稲葉を打ち取ったそうだな。これは手柄である。しかも、その首を譲りあうとは
近年ない奥ゆかしいことだ。これも手柄である。いきさつはすべて勝家から聞いた。そちたちの手柄は
2つあることになるから、2人共に褒美を遣わす」って二人とも褒められた。

以後、2人は信長に一層の忠誠を誓い、粋なはからいをした勝家を兄貴と慕ったという。

408:人間七七四年
08/06/25 13:46:19 Fwrhh91j
権六になら掘られてもいい

409:人間七七四年
08/06/25 14:05:37 A9rXzuB8
山をまもった話

関ヶ原の伏見城攻撃の時の話。

醍醐寺に石田軍の徴発部隊が、攻城戦に使う木材の伐採にやって来た。しかし醍醐寺領内は豊臣政権により
「山林竹木等守護不入」の権利を確認されていた。当然醍醐寺の側は徴発を拒否。だが石田側は武力に任せ
強引に山林の伐採を開始。醍醐寺側はこの暴挙に、寺の数少ない寺侍たちが出てきて抵抗をしようとするが
多勢に無勢。それどころか醍醐寺への攻撃すら仕掛けてくる始末。このまま醍醐寺の山林は禿山にされるのか。
その時である

醍醐寺領内の村々の半鐘が、一斉に鳴った。
それと同時に武装した村人たちの軍勢が石田軍の部隊を包囲したのである。
形勢は逆転した。石田軍は既に伐採した木材も打ち捨て、ほうほうの体で逃げて行った。

醍醐寺の山林はその後も長く、山里の村々を潤した。
表舞台では語られない、歴史の一コマ。

410:人間七七四年
08/06/25 15:05:14 SJQJ4T++
>>407
小牧長久手が悔やまれるな

411:人間七七四年
08/06/25 23:28:04 vXzkvdnQ
まあ池田なんだろうけど
としまつでしんさんが佐々と前田に
「おまいら戦場で何やっとるのだ!あ゛~もおぉ」
このシーンよかったよ

412:人間七七四年
08/07/01 10:19:04 1jK2N4rU
戦国の雄として知られる加藤清正
まだ関ヶ原の前肥後を小西と半分こしていた頃
小西といさかいがあり天草に出陣
弓の名手の木山なんとかとぶつかる
木山が得意の由美を使うと清正は「一騎打ちなら正々堂々と太刀で戦わん」と叫びてにもつ槍を捨てた
それを見た木山も弓を捨てくまんとしたその時清正はすぐに槍を拾い木山をつきころした
木山は「おのれ、たばかったな卑怯者め」と泣き言を言いながら絶命をしたが
清正は勝てばよかろうなだーというようなことを言いすて平然としていたという

朝倉宗滴の教えを守った武士の鑑といえるだろう

ちなみにこの話後日談があり木山の息子が復讐と清正を狙い熊本築城の人夫にマジって潜入機械をうかがっていたが
気づいた清正は井戸掘りの作業をさせ一緒に作業をしていた他の人足ともども上から岩を落とし殺したその井戸は今もある
ついでに木山親父を見事討ち取った戦いのときに敵のこもる城に和平の使者を送り
受け入れた敵兵に襲い掛かり皆殺しにした。完全勝利としてやったりと快活に笑ったという

朝倉宗滴の教えを(ry
さすが武士のかがみわが故郷熊本の神様清正公である我らも見習いたいものだ

413:人間七七四年
08/07/01 10:21:31 f1JLPO1W
侍の嘘は武略

414:人間七七四年
08/07/01 10:45:56 WuA6UoxH
誤字多すぎ

415:人間七七四年
08/07/01 13:07:07 lym/e5Mo
まつを非常に愛した利家は12歳で妊娠させた愛深き男であった。

416:人間七七四年
08/07/01 19:50:07 4D3OYN/q
数え13歳で出産すること自体がすごく大変だったろうに、
合計で2男9女を生んだまつは、すごい女だな・・・強い女だ。


417:人間七七四年
08/07/01 20:37:05 wQjV1Y0I
おまつ様は優良子作りマシーン

418:人間七七四年
08/07/01 21:24:57 MDi3ThSK
昔の人間は現代より早熟だったんだろう。人生50年の時代だし

419:人間七七四年
08/07/03 14:05:43 NrVxmQhJ
既出かな
義に篤く礼を重んじる蒲生氏郷の話

知行200石の六角子四郎(承禎の子)が秀吉に謁見する時
92万石大名氏郷はかって主従関係だったことから、太刀持ちを務めた。


420:人間七七四年
08/07/03 21:35:06 t3anU763
>>412
横手五郎の話じゃないんだよね
横手五郎は怪力なので やはり井戸掘り作業をさせて
岩を落としたがみな受け止めるので 砂で生き埋めにした
その話なら熊本城内の石碑に書いてあったけど

421:人間七七四年
08/07/03 22:19:45 QPyJnnLw
横手五郎惟宗は天草合戦で討ち死にした木山弾正惟久の遺児という説があるらしい
しかしこの木山弾正、島津に赤井城を落とされたのが天文13年(1544)で、
討ち死にしたのが天正17年(1589)って同一人物かね

422:人間七七四年
08/07/05 12:09:12 MSxhTdI6
関が原の合戦の後しばらく戦の無い年月が過ぎたころ、
ある若者が可児才蔵の武勇を知り、試合を申し込んだ。
当日現れた才蔵は、甲冑に旗指物という姿、さらに銃を構えた配下を一人連れていた。
驚いた若者が「1対1のはずだが?」と言うと、
「わしの試合とは全てこのような実戦である」と答えた。

423:人間七七四年
08/07/05 12:17:22 2oIztn+T
>>422
家康の、「橋の前で馬を降りる」と、本質的には同じ話だな。

424:人間七七四年
08/07/08 14:17:52 iF2xuY9a
可児って猪突猛進の典型な気がしてたんだが違ったのか

425:☆中山鹿之助☆ ◆.Ooo.qq.q.
08/07/08 17:18:57 jFqDvhLU
>>422
カッコイイハナシダナー・゚・(ノ∀')・゚・。

426:人間七七四年
08/07/08 17:28:45 pnB6AJ3l
>>424
俺はむしろ、司馬遼の「おれは権現」での臆病な才蔵のイメージがあったから、この逸話
はしっくりくるなw

427:人間七七四年
08/07/09 02:48:44 Xyz7FeGi
みっちゃんは坂本もろった時に古歌に出てる場所に行ってみたのだ
ところが謡われているような松がない
どうしたのだと聞くと枯れちゃったとのこと
みっちゃんはそりゃいかんここには松があるべきと新たに植えました
それを信長が知り(猿経由だったような)
うぬもたまには面白いことするのると珍しく褒めた
したらばみっちゃんは
いやそんなことないっすよ云々カンヌンといってしまた
信長いつもどおり逆ギレみっちゃんをぼこぼこにしましたとさ
どうやらアドリブがにがてだったようですな

どうもこれも本能寺の遠因の一つらしい

428:人間七七四年
08/07/09 03:27:38 VUAyqzJB
信長のエピソードを聞くとそのほとんどが人格破綻者だから困る

429:人間七七四年
08/07/09 04:42:46 /xQBFMz1
信長と昌幸のエピソードは、いいぞ!

430:人間七七四年
08/07/09 09:46:06 dm3qyj1K
ある時、加藤忠広は
「余は武勇では到底、父・清正には及ばない。もっと、大力の持ち主になりたい」って、家老の飯田覚兵衛
に語った。
忠広を暗君だと思っていた飯田は、主君がめずらしくまともな反省の弁を述べたので、
「大力でないのは生まれつきゆえいたし方ありませぬ。しかし、その分学問に励まれて知将になりなされ」って励ました。

それを聞いた忠広は薄ら笑いを浮かべ、
「大力であれば、戦場で鎧を2重に着込むことができ、命を落とさずにすむだろ。余が大力になりたいと言ったのはそういう
意味じゃ。覚兵衛は何か勘違いしておるのう」と言った。
覚兵衛は、やっぱバカ殿じゃん…と暗澹たる気持ちになったとさ。

431:人間七七四年
08/07/09 10:12:32 7CyMyOiZ
関ヶ原のあと家康の元にやって来た朝鮮の使節、家康の家老の胸毛がもしゃもしゃだったことを記録。

432:人間七七四年
08/07/09 10:15:38 6GPekp4E
鎧付けている時間が長いと現代の骨折ギブスつけた時のように
毛がもじゃもじゃになるんですね、わかります

433:人間七七四年
08/07/09 10:22:03 7CyMyOiZ
戦国時代にやってきたイエズス会士、当時の日本人が小指で鼻をほじっていた事に衝撃を受けわざわざ本国に報告。

「我々は人差し指や中指を使うのに」

434:人間七七四年
08/07/09 13:41:10 dm3qyj1K
明智光秀の妻の話

光秀が仕官できずに流浪していたころ、彼の家に客が訪ねてきた。
光秀は客をもてなしたいが、放浪の身で貧しかったので、妻のひろ子に愚痴をこぼした。
ひろ子は
「妻というものは、こういう不意の事態に対する心構えができていまいます。殿はもてなしの
準備に気を使わないで下さい」といって、酒肴を買いに行き、光秀は大いに客をもてなすことが
できた。

客が帰った後に
「そなたのおかげで明智の面目を保つことができたが、あれだけのごちそうを買える金をどこから
工面したのだ?」とひろ子に聞くと
「実は、私の髪を売って金に換えました」と答えて、ひろ子は被っていた頭巾を取った。
なんと、ひろ子の腰まであった自慢の黒髪は無残にも根元から切り取られていたのだ。

光秀は大いに驚き
「いかに落ちぶれたとはいえ、我が妻にそのような思いをさせるとは、自分が情けない。
よき主君に仕え、もう二度とひろ子にこのような思いはさせぬぞ。」と堅く誓いあった。

「 月さびよ 明智が妻の 咄せむ 」
これは、この逸話を詠った、松尾芭蕉の句である。

435:人間七七四年
08/07/09 13:50:21 gfSUNhue
光秀は櫛を買ってくるんだろ

436:人間七七四年
08/07/09 13:59:18 7CyMyOiZ
織田信長の赤母衣衆として、長篠の合戦などで活躍し猛将として知られ、後に飛騨高山藩の祖となった金森長近。

弟は落語家。

437:人間七七四年
08/07/09 14:21:42 dm3qyj1K
口コミの話

織田家の猛将で知られる佐々成政は、越前の郡持大名から越中の国持大名に抜擢された。
佐々は、領地が増えたので新規の家臣の求人募集をした。
なんと、募集要項には「武功自慢求む」とあるのみ。

仕官希望の牢人の面接官には、佐々自らあたり、武功自慢の内容がビックな者はどんどん取り立てた。
しかも、求人1000石の応募者には、1500石で採用。求人500石の応募者には、700石で採用といった具合に
牢人衆に大盤振る舞いをした。

見るに見かねた側近が
「殿が大盤振る舞いをするから、牢人の中にはホラやウソの武功自慢をする不届き者がいます。いいかげ
んな採用はお控えください」と諌めても
「ホラでもなんでも、ワシの手足になる者なのだから、構うまい。それに、武功自慢が三度のメシより好き
何だもん」と一構に気にしない。

果たして、佐々成政のうわさは近隣諸国に広まり、結果的に名のある牢人衆を多数召抱えるころができたとさ。

438:人間七七四年
08/07/09 21:02:38 Ws6Dkeqy
佐々は40万国で兵25000と言う話は知っていたが
裏話ってあるものだな

439:人間七七四年
08/07/09 21:42:35 7CyMyOiZ
>>438
まあ、野暮だけど、>>434>>437は中国の故事からもってきたお話だよ。

440:人間七七四年
08/07/09 22:22:40 wZ74xq1p
福島正則の話
福島正則は粗暴で人を罰することも多かった。あるとき、近習の一人の武士がわずかなことで咎められ、一切食事を与えられず城内の櫓に閉じ込められた。
後日、もう餓死している頃だろうと思って正則が櫓に出向くと、その武士は餓死するどころか、顔色ひとつ衰えていなかった。

441:人間七七四年
08/07/09 22:24:03 wZ74xq1p
「さて誰かこっそり飯を運んだな」正則は怒り、その者を捜し出して殺そうとした。すると、一人の茶坊主が死を覚悟して名乗り出てきた。

442:人間七七四年
08/07/09 22:25:14 wZ74xq1p
「昔、私は罪を得て死にそうなとき、この方に助けていただきました。その恩に報いるため、飯を運んだのです」これを聞いた正則は目に涙を浮かべ、「お前の志には感心した。人間はそうあるべきだ」といって櫓の武士を許し、茶坊主を報償したという。

443:人間七七四年
08/07/09 22:29:05 Da7T3WmI
なんで小出しにするの携帯厨なの?

444:人間七七四年
08/07/09 22:54:00 h8vz+p1c
一方正則は家康に媚びた

445:人間七七四年
08/07/09 22:56:07 7CyMyOiZ
三河時代の徳川家。
とある法令が守られず、当時徳川の名物と言われた三奉行、仏の高力清長、鬼の本多作左衛門重次、
どちへんなしの天野康景が会議を開いた。

高力「法令が厳しすぎて守れないのだ。もっと守りやすい法令に改めるべき」
天野「いや、むしろ罰則を厳しくして、法令を徹底させるべきだ」
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた

「まもらねば、さくざがしかる」

これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。

446:人間七七四年
08/07/09 23:56:41 dm3qyj1K
>>439
確かに明智妻の話は、北条時頼と佐野の話・蜀漢劉備と狼の肉の話、に似てるな~とオモタが、更に原典となる
故事はあるんやろね。

447:人間七七四年
08/07/10 02:05:30 6R3v8Heb
戦国列強の一角を担った毛利元就
彼の嫡男隆元は、戦国の世には珍しい愛妻家で、側室を持たなかった
次男の吉川元春は、ブスと評判の嫁を貰ったが、やはり側室を置かなかった
そして、なんと三男の小早川隆景もまた、奥さん一筋であった
上の二人は後継ぎが生まれたのでまだしもだが、隆景には生まれなかった
にもかかわらず、側室を置かなかったのである
戦国一、嫁さんを大事にした一族と言えるだろう

448:人間七七四年
08/07/10 02:51:01 seV6O5kC
毛利と言えば、その隆元の息子輝元が、秀吉に臣従するため大毛利家当主として初めて上洛すると言う時、
家臣の山内元興に当てた手紙

「銀子100枚でいいから貸してくれないか!?絶対返すから!」

449:人間七七四年
08/07/10 12:39:41 QwEeltSe
>>445
いい話つか、それ笑い話だろ

450:人間七七四年
08/07/10 12:50:45 FlIi8GSC
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた

「まもらねば、さくざがほる」

これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。

451:人間七七四年
08/07/10 12:56:01 e2dWpqn3
既出?
真田昌幸と島田兵四郎

慶長5年(1600年)第2次上田合戦の時のことである。
秀忠の使番である島田兵四郎は,
本陣から攻城中の上田城をはさんだ場所に陣を張っている,
石川隊に連絡をつけなければならなかった。
上田城を迂回していくと大幅に時間を浪費してしまう。
そこで兵四郎は剛胆にも
「」上田城の門の前から城内を通りぬけさせてもらいたいと大声で頼んだ。
その報告を受けた昌幸は興がり、機嫌良く兵四郎に会うと

「後の合戦のために城内をよく見ておくが良い。また戦場ではわしの顔を忘れるなよ。」

と、自らの顔をよく見せたあと、城内を案内して廻った。

452:人間七七四年
08/07/10 18:21:55 ZVTe9j0Q
>>445
サクザはその辺の民衆にも読みやすいように
法令の発表の際にはわかりやすい文体で平仮名で書いてたんだよな
甲が乙に~とかはやらなかったんだよな
単なる鬼ではない
隻眼片足で秀吉のおかん焼き殺そうとしたけどな

453:人間七七四年
08/07/10 18:55:46 seV6O5kC
>>452
北条征伐で秀吉が駿府城に入った時も、秀吉の前で家康罵りまくったりw
これを思い出した


秀吉の元に諸侯が集まった時、秀吉がそれぞれの家の家宝や秘蔵の品をたずねてみた。
それぞれ宝剣や茶道具などを自慢し合う中、最大の諸侯である家康は一人黙っていた。

秀吉が「徳川殿はいかなる宝をお持ちか?」と尋ねると、家康は、

「わたくしは、ご存知のとおり先祖代々片田舎におりますれば、そのような宝物は何も持っておりません。
ただ、事起これば自分のために命を捨ててくれる家来が五百騎ほどおります。これが私の宝でございます。」

454:人間七七四年
08/07/10 18:58:59 pO1YtQBM
氏政『今日はあの収穫したばかりの新鮮な麦飯に汁かけて喰おうぜ!』
家臣『親方さまの汁なら三回はかけて欲しいぜ♪』
氏康『あぁ君臣が仲睦まじい…これで北条も安泰だ\(^_^)/』
信玄『ワシに学んだとは!北条に離間策は通じぬな。穴どるべからず』

455:人間七七四年
08/07/10 19:23:29 567QXLwH
さくざ叱るは天下創世のイベントが面白い

456:人間七七四年
08/07/10 20:21:49 uMxE+C22
天下統一を果たした羽柴秀吉は、自分に臣従した大名を呼び寄せ、
舟遊びに興じた。秀吉は饅頭を用意して、船に乗り合わせた大名
達に配った。皆、美味そうに饅頭をほうばる中、長宗我部元親は
饅頭を少しかじって、そのまま紙に包んだ。
それを見咎めた秀吉が訊いた、
「長宗我部、その饅頭が気に入らぬか?」
長宗我部は答えた
「いえ、秀吉様に頂いた貴重な饅頭を、私一人で食べるのはもっ
たい無き事。持ち帰って家臣達と分け合って食べます。」
秀吉は大いに喜び、用意していた饅頭をすべて長宗我部に与えた。

一時は四国全土を席巻し、「土佐の出来人」と謳われた
長宗我部元親。彼ですら戦国の世で生き残るには、こうした心遣い
が必要であったのかもしれない。

457:人間七七四年
08/07/10 22:46:18 ZUVezt6V
>>450
さくざwほっちゃいかんだろww

458:人間七七四年
08/07/10 22:51:20 seV6O5kC
小学生レベルのネタで笑える人ってうらやましいわ

459:人間七七四年
08/07/11 10:18:00 PCi+oieC
うんこと言って笑ってる小学生と一緒だな

460:人間七七四年
08/07/11 12:01:29 nm+y5XnB
「のぼうの城」で有名になった秀吉の関東征伐における忍城攻防戦。
あの話には実は続きがある。

交渉の結果無血開城となった忍城、そのことを知らせた三成に対し、秀吉からの返答は

「約束は関係ない。城の者どもは皆殺しにしろ」

だった。
三成はそれに強硬に反対。「我らは天下人たる秀吉様の名をもって約束したのである。天下人の面目のためにも
無血開城を許すべき」との強諫状を秀吉に送りつけた。
秀吉はそれをしぶしぶ認め、結果、忍城は無事無血開城された。

が、

秀吉はこの三成の行為にかなりの不快感を持ち、見せしめのため、秀吉草々頃からの家臣であり
三成を秀吉に推挙した、三成の妻の伯父に当たる、尾藤左衛門尉知宣を、下野那須野ヶ原に於いて斬殺した。

461:人間七七四年
08/07/11 13:04:01 rD2d70ZH
うへぇ 「戦国 か な り 悪 い 話」になってる
ま、秀吉の実像を知っている人なら驚かない話ではあるな。

462:人間七七四年
08/07/11 13:38:12 jUkSEDN2
大坂の陣で徳川勢が城を囲み始めたころ、
城内で開かれた軍儀で真田信繁が
「敵の準備が整う前に奇襲を掛け、出鼻を挫けば、豊臣に味方するものもさらに増えよう」
という提案に将達も賛成した。藤又兵衛は「では私がそれを仕ろう」と言った。

信繁は自分にまかせろといい、
又兵衛は、「信繁様は一軍の大将なのだからもしものことがあってはまずい」と言い、
ついには喧嘩になってしまったため、城を出ての奇襲は却下となった。

武将として戦功の無い信繁の焦りと自信過剰の又兵衛。
なんとも残念な情けない本当の話。

463:人間七七四年
08/07/11 13:46:06 nm+y5XnB
>>462
その頃家康は

自軍の兵たちに自ら、竹束による鉄砲除けのやり方を教え、「最近の若い者は戦のやり方をまるでわかっとらん」と
怒っていた。

464:人間七七四年
08/07/11 14:28:25 U8OSaxyE
秀吉話の場合最後に必ず誰か殺すんだなw

465:人間七七四年
08/07/11 15:08:44 veEi+yPH
15年も戦争が無けりゃそうなるだろうね

466:人間七七四年
08/07/11 15:42:02 /8IbI/UW
昭和13年5月21日、前年に勃発した日中戦争が激化する中。
岡山県苫田郡西加茂村大字行重字貝尾部落で、
都井睦雄、数え年で22歳が、
ゲートル、猛獣用狩猟用口径12番9連発銃を手にし、
日本刀腰に下げ、匕首2本をポケット入れ、
貝尾部落の電線を切り、部落全体を暗闇にしたうえ、
自分はナショナルランプを胸に、
頭に2本の懐中電灯をさし、村人30人あまりを虐殺した。
まず都井は、一緒の部屋に寝ていた祖母のいねの首を手斧で斬りおとした。
首は約1mほど飛んだ。その上、猟銃を身体に無茶苦茶に撃ち込んだ。
続いて隣家の丹羽イト(47)方に侵入、就寝中のイトに瀕死の重傷を負わせる。
かたわらに寝ていた娘つる代(21)日本刀と猟銃を以って殺害、
続いて寺井好二方に侵入、一家を全滅せしめたうえ、
返り血を浴び悪鬼のごとく荒れ狂い、深い眠りに落ちていた付近民家を片っ端に襲った。
人とは思えぬ野獣のような叫び声を上げ、貝尾部落の住民を戦慄せしめた。
都井はそれから猟銃と日本刀を以って29人をたてつづけに殺害した。
返り血で全身血まみれになり付近の山中を逃げ回った都井睦雄は、
山中で自分の心臓を猟銃を撃ち抜き、自らの命を絶った。

      「阿部定に負けんような、どえらい事してやる」

467:人間七七四年
08/07/11 15:48:21 qjLtY+6O
Y   Y
(・∀・) <こらえてつかぁさい

468:人間七七四年
08/07/11 15:53:27 RQ4Wx2V7
「ちょっといい話」以外のカキコが増えて、ちょっと荒れてきたね

469:人間七七四年
08/07/11 15:58:46 nm+y5XnB
関東征伐の時のお話をもう一つ

前田利家が秩父寄居の鉢形城をとりかこむと、封鎖された城側は戦意を失い降伏。無血開城された。
この、無駄な血を流さない鮮やかな戦果に利家も喜んでいると、早速秀吉から書状が届いた。
「こんなに早く書状が来るなんて、関白様もお喜びか!」と、書状を開くと、そこには

『誰が勝手に城兵の命を助けて良いと言った?』


この書状にハッスルした利家公、八王子城攻略で高名な皆殺しをやってのけました。

470:人間七七四年
08/07/11 19:10:44 PCi+oieC
>>466
スレタイ読めよ
つか、板違い

471:人間七七四年
08/07/11 19:39:37 nm+y5XnB
今度は本当に良い話

三成の奉行に平塚越中守という者がいた。世に知られた武士であったので、彼が浪人していた時
徳川家康も仕官を誘ったが

「家康公はケチなので嫌でござる」

と言い、気前の良い石田三成の元に使えた。
やがて関ヶ原が起こり、平塚は落ちのびる最中生け捕りにされた。
かつての事を覚えていた家康は引き出された平塚に「わしの誘いを断り三成に使え、この様か」と嫌味を言う。
それに平塚は「何を言うか!徳川殿とてかつては今川に人質にされ、戸田にさらわれ織田に売られたような身で
あったではないか!」と家康を散々に罵り、「さあ、早く首をはねよ!」と啖呵をきった。

それを聞いて家康はにやりと笑い
「さても憎い奴だ。お前のような奴に一瞬しか苦しまない斬首はもったいない。生かして世の苦しみを味あわせよ」
といい、縄を解き召し放してしまった。

左右の者たちが「何故あのような無礼なものを!これでは処罰になりませぬ!」と抗議すると
家康は、「あ奴は見所のある奴だが、苦労が足りぬ。苦労して人を磨けば、わしの息子達の家臣にしたいほどの、
良い武士になるであろう。そう見込んだから、命を助けたのだ。」といった。


この平塚越中守の名が、紀伊家初代、徳川頼宣の家臣の中に現れるのは、この暫く後の話である。

472:人間七七四年
08/07/12 00:16:12 iKrK589Q
天正9(1581)年7月、織田信長、何を思ったか地元の盆踊りの余興に、安土城にイルミネーションを取り付けると宣言。
家臣一同その作業にてんやわんやの目に合うも、提灯業者大いに潤う。

473:人間七七四年
08/07/12 00:27:52 iKrK589Q
天正18年(1590年)、石田三成、佐和山城を造るも、お金が足りなくて壁が未塗装のままになる。
それを指摘されると「うるせー俺の城は実戦向きなんだよ」と、良くわからない言い訳をする。

474:人間七七四年
08/07/12 01:18:13 iKrK589Q
文明三年(1476年)伊勢新九郎、幕府に出張に出される。ついでにお父さんを亡くしたばかりの甥っ子を慰める。
長享元年(1487年)伊勢新九郎、幕府にまた出張に出される。ついでに甥っ子がピンチだったので助ける。
永正元年(1501年)伊勢新九郎、甥っ子と鎌倉観光を楽しむ。「こいつも成長したなあ」と、しみじみする。
永正二年(1505年)伊勢新九郎、甥っ子の嫁の世話をする。京都の名家のお嬢様だ。
永正十三年(1516年)伊勢新九郎、伊豆三島大社に参拝し、甥っ子の戦が上手く行ったことを神様に感謝する。
でも恥ずかしいので甥っ子には内緒だ。(約500年後、気の利かない地元の史家にばらされる)

475:人間七七四年
08/07/12 02:52:34 jmDXDfNF
>>472
瀬戸てんやわんや

476:人間七七四年
08/07/12 11:04:47 iKrK589Q
正宗三連発

・伊達政宗、自邸に将軍の御成りが決まり、幕閣一同下見に訪れる。そこで将軍への進物の話になり、
政宗、長さの違う二振りの脇差を出してきて、「どっちがよろしいかな?」と聞いてくる。酒井忠世と土井利勝が
「長いほうかな?」と答えると、その答えを何故か気に入らなかった政宗、急に怒り出し

「短いほうでも、お前のわき腹ぶっ刺せるんだぜ」

と、良くわからない威嚇を始める。幕閣一同笑ってごまかす。細川忠興呆れる。


・伊達政宗、友達で旗本の加々爪忠澄の額を、何を思ったか突然ひっぱたく。忠澄もとっさにひっぱたき返す。
→そのまま場外乱闘。拳と拳で男の友情を確かめ合う。細川忠興呆れる。


・伊達政宗、島津家久を呼んで茶会を企画。余興として能でもしようと思い立ち、喜多七太夫の所に
「役者貸せ」と言いに行くも、七太夫「あいにくその日はみんな予定が埋まってまして…」
これに激怒した政宗「来ないと言うのなら、お前ら全員斬り殺す!」と、堂々のジェノサイド宣言。政宗は本気だ。
困った七太夫、島津家久に泣き付く。訳を聞いて途方にくれた家久、友達の立花宗茂や寺沢広高と相談の結果、

「いたたたたたた?あれ?急に、おなかが、痛、いたたたたたた、急におなかが痛くなったよー、これじゃ茶会は無理、
残念だけど延期するしかないなあーいたたたたた(棒読み)」

と、不登校の小学生みたいな言い訳をして、五日間の延期に成功。細川忠興やっぱり呆れる。

477:人間七七四年
08/07/12 12:05:31 CCki6Kvx
>>476
なんというDQNw

478:人間七七四年
08/07/12 13:10:20 wM2GQ6nA
細川忠興のようなDQNに呆れられるところが笑いどころか?

479:人間七七四年
08/07/12 14:14:36 jmDXDfNF
それ以外ないだろ

480:人間七七四年
08/07/12 14:31:52 o3th/Art
URLリンク(www.nicovideo.jp)

481:人間七七四年
08/07/12 17:07:17 BowFtQy6
>>476
島津家久ってとこで笑った

西国無双のDQN忠恒様さえも途方に暮れる役回りにしてしまう
政宗おそるべし

482:人間七七四年
08/07/12 17:34:24 iKrK589Q
秀吉の鳥取城攻めの相手として有名な吉川経家。彼が、城兵たちの命と引き換えにいよいよ明日、切腹すると言う日
自分の、幼い4人の子供たちにあてた手紙

『鳥取城は、昼夜あわせて200日も耐えてきました。しかし、兵糧も尽いたので、
父は一人腹を切り、城兵を助け、吉川一門の名を上げたのです。

その、幸せな物語をどうか、皆から聞いてください。」

483:人間七七四年
08/07/12 22:09:30 1LXiI71w
今度はDQN自慢スレになってるw

>>474
なんかの日記のガイドラインですか
>>482
それは「ちょっといい話し」というより「泣ける話し」のような。

484:人間七七四年
08/07/13 00:41:09 +yWH91Rb
毛利輝元が始めて上洛した時のお話

朝廷への参内を認められ、参議に就任。毛利家始まって以来の殿上人である。
御所を出たのは夜中の10時。だが輝元うれしさのあまり、付き添いの小早川隆景引っ張って
豊臣秀長のところに「参議になったよ!」報告に駆けつける。が、当然既に門は閉められており、
門番から「もう遅いんで明日来てもらえますか?」とたしなめられる。

隆景、ひどく恥ずかしい思いをする。

485:人間七七四年
08/07/13 15:31:50 +yWH91Rb
信長が上洛した時の事

信長は将軍の新邸や御所の新築をするため、各地から資材を集め、かつての室町幕府の政庁、花の御所が
あった場所からも石材をどんどん搬入させた。それを見た京都の市民、御所の女房言葉で、団子の事を
「いしいし」と呼んだ事から、「これがホントの花より団子か」と、信長、変な感心をされる。

486:人間七七四年
08/07/14 06:37:58 SqmWSjTB
>>460
三成って良くも悪くも正義感強すぎたんだな

487:人間七七四年
08/07/14 10:10:15 6awfvRt+
>>486
ちなみに、三成は伯父を殺されたのが相当堪えたのか、この後の奥州征伐では、秀吉に言われたとおり、
九戸などで「城兵の命は助けると約束して降伏させる→皆殺し(女子供含む)」をやって、秀吉からの信頼を
回復します。

488:人間七七四年
08/07/14 12:17:55 hxHDCHEz
>>487
九戸の乱に三成は立ち会ってなかったと思うが

489:人間七七四年
08/07/14 12:43:48 6awfvRt+
>>488
ああ、そうだ。ごめん勘違い。蒲生氏郷と三成を逆に覚えてた。

490:人間七七四年
08/07/14 13:50:43 INEJa3iz
木村重成(秀頼の乳兄弟)

大坂夏の陣の5月ごろから食が細くなった重成、
「落城近しの風聞に接し、食が進まないのか?」の問いに、こう答えた。
「昔、後三年の役のおり、末割四郎という者がいた。
 この者は臆病もので、朝の食事も喉に通らないほどだったが、
 敵陣で首を切られた時、切り口より食い物が出てきて恥を晒したそうな。
 俺も首を取られるだろうが、骸の臓物を見苦しくないようにしたいから謹んでいるのだ」



491:人間七七四年
08/07/14 21:08:57 6awfvRt+
秀吉の北条征伐を受ける北条氏

領民たちに「農民も商人も、戦えるほどのものはすべて参戦せよ!」と、悲壮な総動員を訴える。
ただし

「見苦しい格好をしているものはその限りではない」と、ファッションへの強いこだわりも見せる。

492:人間七七四年
08/07/15 01:19:32 AlKY6CLr
細川忠興が隠居した頃のお話。

土井利勝のところに秀忠と家光が御成りになるという話を聞いた忠興、利勝のところに贈り物をした。
幕府の筆頭人として世をときめく土井利勝は、しかし、己の身を慎み、大名たちからの贈り物は一切受け取らない男だった。
この時も、「私は大名からの贈り物は一切受け取っておりません」と断る利勝に、使者は、
「主人が申すには、とにかく見るだけ見てほしい、と言っております」とのこと。
利勝が何かと思って開封するとそれは、よく贈られる高額な品物ではなく、忠興自らが目利きした、ありふれた感じの
掛け物や香台などの道具類だった。

「これは…?」

ふと、何かを悟った利勝、なんとその贈り物を、そのまま受け取った。

そして御成りの日、御成りの間には絵の類が一切飾られず、床の間には鳥の子紙の貼付壁の前に、
忠興の送った道具類だけがさりげなく置かれていた。それは高価なものではないが、一つ一つの品の確かさといい、
全体の調和といい、素晴らしいものだった。そしてその飾りつけは、忠興の審美眼の高さをさらに強調していた。
幕府の芸術監督である小堀遠州も、ただただ感心したと言う。


後でその話を聞いた忠興、「利勝は芸術と言うものを良くわかっている」と、喜んだ。

493:人間七七四年
08/07/15 15:31:10 0oBXTggl
>>491
なぜだかわからないけど、北条らしいというべきか…

494:人間七七四年
08/07/15 17:13:31 FFDJDiu9
>>491
それはなにか?暗に「お前らは逃げろ」ってことか?
なんかツンデレ

495:人間七七四年
08/07/15 17:22:38 AlKY6CLr
>>494
ちがうよ。「見苦しい格好で戦場出られると敵から笑われて恥ずかしいから」って言う理由。
さすが「装束の北条」の面目w

496:人間七七四年
08/07/15 20:30:05 AlKY6CLr
将軍暗殺で有名な嘉吉の乱の首謀者の一人、赤松則繁。彼は乱のあと行方不明になっていた。
新将軍義勝の元に、死亡した将軍義教を弔うために高麗から使節がやって来た時、
そういえばあいつはどこに行ったのかねえ、と、その話題が出た。
高麗使節が「それはどのような人物なのですか?」と聞いてきたので、幕閣たちがそれを説明すると、
かの使節、みるみる顔を青ざめさせ、こう叫んだ、

「そいつ!今我が国を襲撃している倭寇の頭領!!」



一同、則繁が元気でいることを知りほっとする。

497:人間七七四年
08/07/16 01:38:03 jrnwjRYY
信長が上洛した頃の事

京には、今は亡き斉藤義龍の妻が隠棲していた。その女が、美濃斉藤家に伝わる茶道具の名品を、
義龍の形見として持っていると言う事を知った信長、早速その名品を自分に献上させる様に命令した。

だが、彼女はそれを拒否。信長の使者を追い返した。これを聞いた信長は、女を殺してでも奪って来いと
怒った。その時、稲葉、安藤、氏家の、西美濃三人衆をはじめとする、今は信長に仕える旧斉藤家の家臣たちが、皆
信長への面会を求めてきた。何事かと召し出すと、彼らは、「義龍公の奥方から茶道具を取り上げるとの事、
どうか、考え直していただきたい」

さもなくば、

「我ら一同、この場で腹掻っ切ります」


これには信長も、彼らの要求を呑むしかなかった。
美濃系の武将の家に、長く伝わったお話。

498:人間七七四年
08/07/16 05:51:30 6d2eLwz4
オチが家康系だな
信長系のオチだと本当に腹切らせたとかなりそう
秀吉系のオチなら後で美濃衆の縁者を処刑したってなるのは確実

499:人間七七四年
08/07/16 11:10:33 wbYBbw2U
>>498 100点

500:人間七七四年
08/07/16 12:40:57 d+m9FLXM
>>496
そんで、倭寇として備中・河内まで攻め込んでくるんだよなw
壮大なロマンを感じさせる武将やなぁ 100点

501:人間七七四年
08/07/16 17:44:50 Jh04Gc8R
>>497
それは言継卿記に出てくる壷事件の事なんだろうな。
美濃国人の佐藤が岐阜に滞在していた言継卿に語った話として出てくる。

502:人間七七四年
08/07/16 20:12:32 wbYBbw2U
〈戦国武将は幽霊を怖がらない話〉
とある秀吉が攻め取った城で幽霊が出ると騒ぎになっていた
多くの者が討ち死にした場所ではよくある話です
夜になると先の城主が恐ろしい形相で城内を歩き回っているそうで
城の女達は祟りを恐れ浅野長政に相談しました
長政は早速御祓いをしたのですが一向に効果が無く秀吉に報告したのです
長政:毎晩先の城主○○が城内を歩き回っておるようです
秀吉:何を申しておるのだ、○○はとうにこの秀吉が討ち果たしておるわ
長政:それが亡霊となって徘徊されておるようで、いかがいたしましょう?
秀吉:そはまことか?アハハこれは近頃無い楽しい話じゃ
長政:相手は亡霊ですぞ、御祓いも意味無くどの様な災いがあるか
秀吉:あ奴この秀吉にたて付くから成仏出来ぬのじゃ、こんな楽しい事があるか
秀吉:わしに逆らうと成仏出来ぬ様になるぞ、と世に広めよ
長政:はぁ・・・
「秀吉が大はしゃぎした夜から幽霊は出なくなったそうです」

○○の名前忘れてしまったスマソ

503:人間七七四年
08/07/16 20:16:01 jrnwjRYY
>>502
秀吉は信長の霊に脅かされて小便ちびりましたがなw

504:人間七七四年
08/07/16 20:35:44 jrnwjRYY
秀吉と言えばこんな話

後の関白秀次の父、三好武蔵野守は自分の髭が自慢で、
ある人から「こんな立派な髭は日本では見た事がない。舶来物の髭ですな」
と言われ大いに得意になった。
そこで、会う人会う人に自分の髭を「どうでござるこの髭、ここだけの話、舶来ではなく日本産の髭でござるよwww」
と、吹聴してまわっていたそうな。



秀吉、自分の一族の将来に深刻な不安を感じる。

505:人間七七四年
08/07/17 00:55:18 tjjOvyw7
>>502
別所長治かな?

506:人間七七四年
08/07/17 01:37:17 MUg3pPyl
別所と吉川経家(こいつは本当にいい迷惑でした。本来の城主じゃないのに)、清水は
成仏してる気がする。辞世とか死に際見たら(3人中だと別所かなぁ?)


507:人間七七四年
08/07/17 10:14:01 Hx6YqQ5M
士分(上にいけばいくほど)の者が、どんな理由にしろ死後に「うらめしや系の」怨霊化
というのは不名誉この上ないことだろ

508:人間七七四年
08/07/17 10:58:52 zfOtEsuw
よく聞く平氏や秀頼たちは・・・やっぱり武家というより公家化したからか?

509:人間七七四年
08/07/17 11:54:19 4Rtj3R4Y
大谷みたいにすぱっと殺るタイプはあり?

510:人間七七四年
08/07/17 18:30:59 aEbMU9HC
あいつは金タマ蹴り潰されて死んだだけで大谷関係ないっす

511:人間七七四年
08/07/17 18:42:35 q86cL6uf
蒲生氏郷が危篤に陥り、明日をも知れぬ状況になったときの事。

城に詰めている家臣の一人が「ああ、若様のためにも、せめて殿があと3年生きてくれれば…」と、言うと
それを聞いた同僚がポツリと

「高価な毒薬さえ手に入れられれば…」

その場にいた家臣一同「何でだよ!」と総ツッコミ
そう言った本人は「ホラ、高価な毒薬は3年たって人を殺すと言うじゃないか」

病床の氏郷、自分を心配する家臣への感謝と、自身の家臣選びの目利きへの疑問の、二つの気持ちを同時に抱く。

512:人間七七四年
08/07/18 17:13:41 KzaGCBJB
槍試合の話

ある時、信長が家来に対して「槍の柄は長いのと、短いのとどっちが有利か」と質問した。
この質問に対して、上島主水は「短いのが有利」、羽柴秀吉は「長いのが有利」と答えた。
双方の言い分を聞いた信長は、
「双方に足軽50人を付けて、3日間の猶予をやる。4日目に両者で模擬戦をやって、どっちの言い分が正しいか確かめよう」
と言った。
主水は、早速50人の足軽を集めて、短い槍で長い槍に打ち勝つ方法を伝授し、朝から晩まで猛特訓をした。
他方秀吉は、集まった足軽50人と飲めや歌えやの宴会三昧で、一向に稽古をしなかった。

そして、4日目の模擬戦当日となった。
馬場の東西に主水の短槍足軽50人と、秀吉の長槍足軽50人が陣を作る。
試合開始の太鼓が鳴るや否や、秀吉隊は素早く3隊に分散して主水隊に襲い掛かり、リーチが大きい長槍を振るって敵をなぎ倒し
突き伏せて、勢いに圧倒された主水隊の足軽は猛特訓で身につけた槍術を使う間もなく勝負は決してしまった。

試合後に信長は
「個人戦なら主水の短槍が有利であろう。しかし、集団戦なら秀吉の長槍が有利である。個人戦で勝つ工夫をした主水も集団戦で勝つ工夫
をした秀吉も、双方の心がけはあっぱれである」と言って、双方に褒美を与えたとさ。

513:人間七七四年
08/07/19 00:36:53 xajQCAlt
秀吉が太閤と呼ばれていた頃

当時秀吉の御伽衆の中に、二徳という者がいた。
かれがいつも調子のいい事を言うのをこにくらしく思っていた秀吉は、悪戯をしかけてみた。
二徳を呼び出すと「今日は非常に立派な鶴を献上された。これを生き造りにしてお前に食わせてやろう」と言う。
そんな気持ちの悪いもの食わされてはたまらない、と思った二徳

「わたくしは、愛宕権現に願をかけておりますので、ただいま生ものを食う事ができません」と言った

「なんじゃと?いい加減な事を言うと釜茹でにするぞ?一体何の願をかけておるのじゃ?」

「太閤殿下の事で」「わしの?」「はい。殿下が臆病になられますように、と願をかけております」

わしを臆病にするとは何事か!と、言い出しそうな秀吉に二徳は、「殿下はあまりに命知らずでありまして、
戦場でも鉄砲などにお構いなくどんどん進んでいってしまいます。もし鉄砲の弾に当たってお果てになられたら、
私はどうしたらいいいのか…。それゆえに、臆病になられますようにと、精進し権現様に祈っておるのです」

秀吉はこの答えを気に入り、二徳をほめ、褒美をとらせた。秀吉の悪戯を見事に切り替えしたお話。

514:人間七七四年
08/07/19 00:39:33 ZyON3uCE
秀吉って御伽衆を侍らしていたのは有名だがとんち野郎も好みだったのかな
有名な吉四六さんも秀吉に絡んだ逸話がなかったっけ?

515:人間七七四年
08/07/19 02:29:03 3l4HsHeK
>>514
ちょっと調べてみたが秀吉の御伽衆でとんち話だと曽呂利新左衛門か。


あるとき、秀吉が新左衛門に褒美をとらせることになりました。

秀 吉 :「新左衛門、何でも褒美のものをとらせよう。何がよいか?」
新左衛門 :「はい、それでは米粒をいただきとうございます。
 今日から将棋盤の目の数だけの日数、毎日いただきとうございます。」
秀 吉 :「どのくらいほしいのじゃ?」
新左衛門 :「はい、今日は1粒、明日は2粒で結構でございます。
 毎日その前の日の2倍の米粒をいただきとうございます。」
秀 吉 :「米粒だけでよいとは、おまえはなんと謙虚なやつじゃ。
 その願い確かにかなえようぞ。」
新左衛門 :「ははっ。ありががたき幸せ。」
家 臣 :「秀吉様、たいへんでございます。」
秀 吉 :「どうした。」
家 臣 :「81日も褒美をあげれば、国が潰れてしまいます。」
秀 吉 :「なんと言うことじゃ。早く新座衛門ここへ呼んでこい。」
新左衛門 :「秀吉様、どうされたのでしょうか。」
秀 吉 :「そなたには、参った。褒美を他のものに替えてくれんか。」
新左衛門 :「承知いたしました。」

インドの古代象棋の説話でもあったよなぁ、これ。

516:人間七七四年
08/07/19 04:02:59 upL91i52
>>512
秀吉のプロバカンダのせいで
>試合後に信長は
こっからしたしられてないよね
神智の太閤様に逆らった旧態依然の愚物としてし描かれてない(名前もまず出ない)
信長がはちゃんと双方みてて偉いな

517:人間七七四年
08/07/19 05:19:59 L97ruCNa
うむ、気持ちはわかるが少々落ち着け

518:人間七七四年
08/07/19 11:36:38 ujPURHeI
>>516
この逸話は絵本太閤記から引用したが、意見の対立する争点について、とりあえず両者に証明の機会を与えるって
パターンの逸話は、1次史料である信長公記にも3つほどある。
信長って独裁者みたいなイメージもあるけど、それ以前に科学的実証主義者でもあるわけだ。

519:人間七七四年
08/07/19 14:00:28 xajQCAlt
細川幽斎が家老の松井を夕食に誘った際の事

何があったか松井の到着が送れて、せっかくの料理が出すに出せない。
料理人が「今日のメインディッシュに用意した塩鯛が、焼けすぎてしまいます!」と愚痴を言う。
それを聞いて幽斎は一句

来ぬ人を まつ井の浦の夕めしに 焼き塩鯛のみをこがしつつ

おなかがすいてイライラしていたご相伴一同、これにはどっと笑って場の雰囲気も一気に良くなったとか。
幽斎のインテリ文化人らしいお話。
(定家の「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」のパロディ)

520:人間七七四年
08/07/19 23:06:19 ZyON3uCE
>>519
いい話ではあるんだけど
同伴衆もそれに見合う教養がないと座が和まないと思われ

・・・
ま、戦国~江戸初期じゃ武将レベルはこれが普通だったんでしょうか。
秀吉の子飼いはこのレベルに達してるか怪しそうなのがいるがw

521:人間七七四年
08/07/20 01:48:35 JYeJ6fnx
慶長年間の事

京の綾小路で、ある家の女房が屋根の吹き替えをしていたところ、足を滑らせて下に落ち、
運の悪いことに、ちょうどその落下地点に隣の家の女房がおり、下敷きになった隣の家の女房は
首の骨を折って死んでしまった。
これに怒った、死んだ女房の夫は「うちの妻を殺すためにわざと屋根から落ちたのだ!」と言いたて
京都所司代、板倉伊賀守訴えた。

訴訟を聞いた板倉は

「よしわかった。では、隣の家の女房をお前の妻がいた場所に置き、お主は同じように屋根から落ち、
憎い女を殺すがよい」

男は「そんな事をしたら自分が下手をすれば死んでしまう」と、訴訟を引っ込めた。

522:人間七七四年
08/07/20 10:35:04 0NerwLrv
成功すれば女房の仇を討てるし失敗すれば女房のところに行けて
どっちに転んでもうまい話じゃないかこれは。

523:人間七七四年
08/07/20 11:28:45 69QXqq/h
>>522

いやいや、落下して頭と頭をぶつけ
ショックで心が入れ替わるパターン

524:人間七七四年
08/07/20 12:17:23 JYeJ6fnx
明智光秀の「愛宕百韻」でも有名な、連歌師の里村紹巴の屋敷に、烏丸卿をはじめ多くの公家が
連歌会をしに集まった。先に庭をぶらぶらしていると、桃や柿の木の下に、弓矢を持たせた人形が
いくつも置いてある。公家たちが「これは何ぞや?」と尋ねると、紹巴は「成った実を荒らす、トンビ除けでございます」
と言う。

それを聞いた、連歌の腕前では紹巴のライバルの烏丸卿

「いやいや、トンビではなく、カラス除けではないのかな?」

紹巴師匠、一本取られる。

525:人間七七四年
08/07/20 12:49:16 E75Eeo1K
むう、どこがいいのか解らんのが
悔しいぜ

526:人間七七四年
08/07/20 12:56:18 c7QmXgz3
>>525
からすま卿

527:人間七七四年
08/07/20 13:03:08 E75Eeo1K
>>526
それだと嫌味か皮肉を言ったようにしか
見えんのだわ


528:人間七七四年
08/07/20 14:09:16 f9+sE7vw
自虐ギャグの一種じゃね?
連歌会に顔出すぐらいだから決定的なほど仲が悪いわけでもなかろうし

529:人間七七四年
08/07/20 17:45:49 IcuAKWbl
細川幽斎が歌道に目覚めた話

藤孝は若いころは、
「歌詠みなどは公家児女がやることで、武士なら恥ずかしくてやってられない」
と見向きもしなかった。

ある時、敵将を追っていたが、途中で見失いあとへ引き返そうとすると、藤孝の供の一人の侍が馬の口
を押さえて、「いま少し追撃するべきです!」と進言した。
藤孝は首を横に振って
「長路、すでに人馬も疲れて追いつくことが困難だし、そもそも敵はすでに遠くに逃げてしまっただろう。」
と言った。
すると、その侍が、
「歌の心を持って考えてみまするに、
『君はまだ遠くには行かじ わが袖の 涙もいまだ冷ややかならねば』
という古歌があります。いま、敵の乗り捨てた馬をなでてみますと、鞍がまだ温かですから、
敵はそう遠くへは逃げておりますまい。」という。

藤孝はそれを聞いて感心し、侍の助言どおりに追って行くと、まもなく敵に追いついて、敵将を
捕虜にするという戦功をたてることができた。

それ以来、藤孝は歌道を好み、ついに歌道の達人になったという。

530:人間七七四年
08/07/20 19:42:06 JYeJ6fnx
信長の、ある年の元旦の事

大広間に雑煮の膳が並べられたのを見ていると、よりにもよって信長の膳だけ、箸が片方だけしか置いていないのを
発見。

「これは、どういうことだ?」

見る見るうちに機嫌が悪化する信長、硬直する家臣一同、凍てつく空気、その時である、
末席にいた、当時まだ木下藤吉郎と呼ばれた秀吉が進み出た

「やあやあ!これはめでたい!上様が今年から、諸国を片はしに取られると言う吉兆でございますぞ!
ああ、めでたやめでたや!」

信長、機嫌を直す。家臣一同、秀吉に深く深く感謝する。

531:人間七七四年
08/07/20 21:12:35 JYeJ6fnx
信長の、また別の年の元旦の事

正月のご挨拶に諸大名が出仕してみると、信長の機嫌がまたえらく悪い。

「昨夜、このような夢を見た

どこかへの出陣で、具足をつけて馬に乗ったところ、その馬の足が四本とも突然折れて、
わしは地面に投げ出された。これはいかなる兆しであるか?」

一同、それは凶兆だろうと思うが、そんな事を言えば大変な事になると思い押し黙る。
その沈黙に、ますます機嫌の悪くなっていく信長。硬直する諸大名。凍りつく大広間。その時である。
またも木下藤吉郎進み出て

「やあやあ!これはめでたい!その夢はすなわち、合戦に出るたびに勝ち(徒歩)武者の武名をお上げになる
お告げでございますぞ!いやはや千秋万歳千秋万歳!」

信長、機嫌を直す。諸大名再び秀吉に深く感謝する。

532:人間七七四年
08/07/20 21:52:20 qCnkLbV+
前田家三代目藩主、前田利常の話。

前田家には源義経の愛妾、静御前が使ったといわれのある薙刀を家宝としていた。
ある時、徳川幕府より使いがきた。
「我が徳川家も、静御前の薙刀を所蔵しておる。前田家の薙刀は、贋物ではない
か?」
前田家の家臣達は困った。こちらが本物と言えば、幕府の機嫌を損ねる。だがこち
らが贋物と言えば前田家の面目が潰れる。
だが前田利常は、幕府の使者に笑って答えた。
「静御前は勇敢な女だった。義経のために、何度も戦った。その静御前の薙刀が、
一本のはずがあろうか。両家の薙刀は、いずれも本物である。」
その答えに、使者も家臣達も手を打って喜んだ。

533:人間七七四年
08/07/20 23:13:45 KkKvrnNm
>>532
俺にとってこのレスの“いい話”といえる部分は、利常の言い訳によって
前田家臣だけでなく徳川幕府側の使者までもが気をよくし喜んだことだと思う

最初から前田家にいちゃもんをつけるつもりでなかった、
争いをけしかけるつもりでなかったということが好感を抱かせる

534:人間七七四年
08/07/21 01:04:53 OOwZN2h0
義仲の巴じゃなくて、義経の静?>薙刀

535:人間七七四年
08/07/21 01:16:44 lWN0SkMs
俺も薙刀使いの勇敢な女性と言えば木曽義仲の巴御前だと思う
義経の静御前は白拍子のイメージが強すぎて薙刀なんてとてもとても

536:人間七七四年
08/07/21 01:33:01 D7XUG4/E
巴のまちがいでしょ。
あまり歴史を知らない職人が作ったんだろうから。
場所が悪かったね(笑)

537:人間七七四年
08/07/21 01:46:20 +Rkb0OTe
原典をたどれもしないような奴が、「歴史を知らない」とか言ってるのって
噴飯ものもいい所だなw

538:人間七七四年
08/07/21 02:06:48 hCwRn/Fh
薙刀持ち出す静御前(の伝承)といえば幸若なんかじゃ有名だと思ってたんだけど……

539:人間七七四年
08/07/21 03:02:48 Uw2FX4Oi
巴を模倣した創作物に真実を求めるなんてここの住人もたかが知れてるな

540:人間七七四年
08/07/21 03:19:42 OOwZN2h0
敵をばっさばっさ斬り捨てた静の薙刀ですなんて自慢したらプギャーされるだけじゃん
koeiから源平無双でも出たのかと思って調べちまったよ
夏だな

541:人間七七四年
08/07/21 04:30:24 qOC5KNy6
静御前が長刀持って戦ったなんて話ねーだろw

542:人間七七四年
08/07/21 07:27:18 Ok6H5Gst
静は鼓をポンポンと打ったんだよなww

543:人間七七四年
08/07/21 07:40:19 yZZwlGub
お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ。
こう言った話は、その変遷の課程も面白いんだよ。地域、地方で特色が出たりな。
歴史ってのは、そんな感じで楽しむもんだ。
まあ、日本の歴史教育は正解以外は全て誤り、って感じだから仕方無いけどね。


544:人間七七四年
08/07/21 07:46:12 lWN0SkMs
>お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ

それは承知の上ですが、なにか?

545:人間七七四年
08/07/21 08:00:08 +Rkb0OTe
>>544
承知の上で馬鹿な書き込みをしていたのなら救いようが無いな。

546:人間七七四年
08/07/21 09:48:18 zVBDwMmJ
巴御前も静御前も長刀の名手だよ。今でも長刀は男物を静型、女物を巴型というぐらい。
全くの出鱈目でもなければ、巴→静に変わっていった話でもない。

547:543
08/07/21 09:51:30 yZZwlGub
>>546
そう言うレスが有り難いです。勉強になります。

548:人間七七四年
08/07/21 12:49:08 UMrtEbwD
逸話が作られた江戸時代では
静御前=薙刀っていうイメージだったんだろう。
当時の歌舞伎や浄瑠璃、書籍を見ても
そういう所はけっこういい加減だよ。
(鎌倉武士が月代だったり、旗本みたいな恰好してたり)
逸話は後の時代に作られる事が多かったし
当時の感覚がベースになるから
その辺をくみ取ってあげようよ。


549:人間七七四年
08/07/21 15:01:32 OOwZN2h0
>>546
吾妻鏡にそんな記述はない
静が薙刀の名手っていう根拠はなに?

550:人間七七四年
08/07/21 16:40:42 Tr9Hto16
>>534-537,540-542
この辺のレスが>>546によって一蹴されて逆プギャーになっててワラタ

551:人間七七四年
08/07/21 17:21:11 OOwZN2h0
何て資料に薙刀振るったって載ってんだよ
資料名出せ

552:人間七七四年
08/07/21 19:22:30 xD7fbnCn
静御前は白拍子であり戦場に出たことなど一度もありませんが?

553:人間七七四年
08/07/21 19:31:41 +Rkb0OTe
「文脈」の読めない馬鹿がワラワラいるな

554:人間七七四年
08/07/21 19:38:19 6/fw3t8q
そーだそーだ悔しかたらソース出してみろよソースをよ簡単なんだろやってミリ?

555:人間七七四年
08/07/21 19:42:41 xP0+yu99
あくまでも江戸時代の歌舞伎やらの影響で、静→長刀になっただけだろうけど
長刀の名手ではなかったと証明するのも不可能だよな。
悪魔の証明ってやつ?

556:人間七七四年
08/07/21 19:47:35 +Rkb0OTe
>>554
山本博文の『加賀繁盛記 史料で読む藩主たちの攻防』に、そのエピソード出てるぞ。

557:人間七七四年
08/07/21 19:52:58 xP0+yu99
静が義経のために戦った可能性が少しでもありそうなのは
堀川夜討の時と西国行きの船が難破してから吉野で別れるまでの
逃亡中の間ぐらいかな。

558:人間七七四年
08/07/21 19:54:21 YNDj5C3/
史実じゃないことでいちいち揉める意味なくね?
逸話自体あるんなら別にいい。
反応せずにスルーしろよ…

559:人間七七四年
08/07/21 19:56:57 +Rkb0OTe
夏休みなんだねえ。

560:人間七七四年
08/07/21 20:42:14 +Rkb0OTe
足利義輝が将軍になった頃のお話。

ある初老の僧が、大変有能で気が利くので、義輝が「還俗して侍としてわしに仕えないか?」と言う。
しかしその僧は、

「わたくしは、8つ9つの頃に出家いたしまして、それから一心不乱に修行をし、ようやくこの齢になって
仏の道の何たるかが解るようになりました。もはや俗事に関わる気はございませぬ」

と、断った。
一同これに感じ入り、将軍はさらに仕官を勧める。そこで根負けしたこの僧は

「わたくしは無理ですが、私の息子ならば追い使って頂けますかと…」


義輝「…」
幕臣一同「…」

義輝「息子って…養子?」
僧「いいえ?実子。」
義輝「お前何歳のときに出家したって言った?」
僧「8つ9つ」
義輝「…」

僧「あ」

561:人間七七四年
08/07/21 20:47:25 qOC5KNy6
>>546
巴御前の対として名前が出ただけでは?
実際、静御前が長刀を手にしていたなんて史料あるの?

>>550
なんでまったく史料を示されていない話を、あっさり信じちゃうのかね。

562:人間七七四年
08/07/21 20:48:20 +Rkb0OTe
>>561
君、読解力ゼロだろ。

563:人間七七四年
08/07/21 20:52:52 qOC5KNy6
白拍子は男装で歌舞を披露するから、男型とかけた遊び心に過ぎないんじゃないの?
静御前が長刀に通じてたやら、実際に戦ったなんて話あるのかね。

564:人間七七四年
08/07/21 20:54:19 qOC5KNy6
>>562
お前ほどじゃないよ勝手に
>義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ
なんて解釈してる方がどうかしてる。

565:人間七七四年
08/07/21 20:58:27 qOC5KNy6
そんな主張するなら、その伝わった長刀にそういう注釈がついた物があるのか?
誰もそう解釈した事実がないものを、2chで勝手に当然であるがごとく書いて、
語学力がどうだの同調しない相手は、史料も理論もなく、ハナから間違い扱い。
どっちがレベル低いんだか。

566:人間七七四年
08/07/21 21:06:38 UMrtEbwD
史実に基づくなら、静御前が薙刀を持った事はないと思う。
ただ、薙刀術が流行した江戸時代において
静御前は男型として名前が使われる位
一般のイメージとして薙刀になじみがあった。
逸話を作った人間もその時代を生きた人間だったので
「家宝の静御前の薙刀です」とするのは至極当然。

そもそも各藩に伝わる逸話は、後になってから
作られたモノが多いので、史実、史実と言うのは野暮な話。

567:人間七七四年
08/07/21 21:20:47 xP0+yu99
静が長刀の名手なわけないだろって文句は前田家に言えよw

568:人間七七四年
08/07/21 21:21:51 xtDrDUqr
>>565さん
あなたの主張も理解できますが、>>532の話の重要な所は、
前田常利の頓智のきいた対応の良さであり、彼が言った
薙刀の由来等は、また別の考証をすべきです。
少なくとも、このスレで行う議論では無いと思います。
また、以前にも書かれているように、逸話や伝承、寓話等の
話に、ソースとか徹底した理論考証とか必要でしょうか?
それならそれで、別にスレを立てて議論すべきと思います。
お気を悪くされたらすみません。

569:人間七七四年
08/07/21 21:33:37 xP0+yu99
利常が「静が長刀を持ったなんて史料はありません。両方偽物です」と答えればよかったんだな。

570:546
08/07/21 21:55:58 zVBDwMmJ
申し訳ない、全く自分の勘違いです。
正直>>536とか>>540-542の言い方が目に余ったんで、
沈静化してやれと思っていかにも偉そうに書いてしまった。
馬鹿は俺1人なんで、この話題はもうこの辺でお願いします。

571:人間七七四年
08/07/22 00:08:11 MKtq69Fr
もうどっちだtっていいだろww
今までだって信憑性は??な話あったのになんでこれだけ噛みついてるんだよ

572:人間七七四年
08/07/22 00:14:51 HPOjLDMd
>>571
つまり、夏休みって事だろ。

573:人間七七四年
08/07/22 01:09:19 y6vZgg4n
逸話に史実かどうかなんて求めてたらこのスレ続かんだろ
俺としては優れた逸話であれば、極論、レスする人間が創作したものでさえ可と思うわけだが

574:人間七七四年
08/07/22 02:01:37 HPOjLDMd
>>573
一応、最低でも明治以前の文献にあるものに、準拠したものでないと
取り止めがなくなってどうしようもなくなると思うぞ。

歴史小説からエピソード引っ張ってこられてはさすがにたまらん。

575:人間七七四年
08/07/22 02:24:54 y6vZgg4n
ああ、悪い。俺は別に出典は要求しなくてもいいんじゃないか?ってことを言いたかっただけ。
荒れるようなネタを投下された時だけは別だが。
どの辺まで許容するのかはスレ基準を設ければいいんじゃないか?

576:人間七七四年
08/07/22 02:58:51 y6vZgg4n
連投すまん、どうせ書き込んだんだから、1つくらい書いていこ。

奥州の独眼竜・伊達政宗には重臣後藤信康から献上された「五島」という愛馬がいた。
大坂夏の陣に出陣する折、政宗は五島に向かって言った。
「お前ももう歳だ。此度の出陣は長旅になるであろうから、留守を命じる」
政宗にしてみれば愛馬を気遣ったつもりであったが、
五島にしてみれば長年共に戦場を駆けてきた主人に留守を命じられたことは甚だ悲しいことであった。
もはや役に立たぬ身なればと、五島はその夜のうちに仙台城の崖から飛び降りて自殺してしまった。
政宗はその話を聞くとひどく心を痛め、五島の死んだ地に墓と神社を建立し、手厚く葬ったという。
※神社は現存する。


ま、一説には、死んだのは後藤信康自身とも言われているらしいが・・・・・・こういうオチだったら政宗らしいなw

577:人間七七四年
08/07/22 03:25:45 Itl1le1K
吾妻鏡すら知らない無教養なゆとりのホラか

578:人間七七四年
08/07/22 04:25:58 A61+beeF
事態を沈静化しようとして嘘書いて
火に油を注いじまった男がいたんです

なにぃ~?やっちまったなぁ!

男は黙って男は黙って太閤記!男は黙って太閤記!

在りもしない橋の下で籐吉郎が寝ているよぉ



579:人間七七四年
08/07/22 04:48:51 vmvEjo+D
あのコンビ杵持ってないほう必要ないよね

580:人間七七四年
08/07/22 05:10:08 vmvEjo+D
仲が良かった小早川隆景と黒田如水
隆景の「おまいは頭がよすぎるから即決で後悔するやろ?俺は前ほど頭が良くないから
後悔しなくて済むんだぜ?」や隆景没後に如水の「これでこの国から賢人は一人もいなくなった」などは
有名だが実は隆景は「こいつ俺との友情はともかく俺がいなくなたらなにするかわからん」と思っていたらしく
「如水が休息求めてきても俺の領内で絶対ヤスませちゃだめ」と遺言したという
(ちなみにお兄ちゃんの吉川元春の死が早くなったのは如水のせい。これも有名だが)
私情にとらわれず人を見る目があったんだね

死に際には同じころ病気で死にかけてた弟元清とどっちが先にくたばるか勝負しようぜ?とかもやたった
結果は2カ月弱の差で隆景の勝ち
この時期に重鎮が死にまくってなければ毛利の運命も変わったかもしれぬ

581:人間七七四年
08/07/22 10:00:56 UU1nkhLE
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)

582:人間七七四年
08/07/22 17:57:05 2Ts8X6uJ
>>581
「へえ、その頃って静が長刀の名手ってイメージがあったんだね。
やっぱり歌舞伎の影響があるのかな。」
などど軽く受け流せず、史実が気になって仕方ない人にはそのスレに行ってもらおう。
ここは逸話の信憑性を議論するスレじゃないし。

583:人間七七四年
08/07/23 15:06:13 6Sp4iF06
薙刀厨しつこい

584:人間七七四年
08/07/24 23:20:27 dJY864Qr
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
         イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
        jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
       (ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´:::  :::: |;;;;;彡|
        }ミミ;;;} :::  {:: ゙:::::、:::    :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
        jミミ;;;;} :::  ヽ::::ミヽ::  |  ノ  W::  |;;;;彡:|
          }ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
         iミ゙;;;ノ::::::  \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
        {;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
        l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙  .:|;l"lリ
          |l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´   .:::lリノ/
         l'、〈;', :::    :::::::t、,j iノ:::、::..    ..::::lー'/
   ,、,,,/|  ヽヽ,,', ::.、    :::::(゙゙(  ),、)、ヽ::.  イ ::::l_ノ
)ヽ"´   ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;""  ゙l|  ::j ::: |: l,,,,
         ゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ  l| :" l  |',`ヽ,
   き 利    (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ:  / /リヽ \
.    く  い    Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ   ,r' //  |
   な. た     >; :::ヽ  ::ヽミニニニ彡'"  , '::::://  |
   ┃ ふ     フヽ ::\ : ミー― "ノ , ':::: //:   |
   ┃ う      }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://:    |
   ┃ な     }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ'::://    |    l
   // 口    (: |  ヽ ヽ :::: ::::::...  :://     |    |
)  ・・.  を    (  |  ヽ ヽ::  ::::::... //      リ.    |
つ、       r、{  |   ヽ ヽ   //      /     |
  ヽ      '´    |   ヽ  ヽ //      /     |


585:人間七七四年
08/07/24 23:23:36 B0SwHMm5
  そだ  |------、`⌒ー--、
  れが  |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
  が   |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
  い   |ヽヽー、彡彡ノノノ}  に
  い   |ヾヾヾヾヾヽ彡彡}  や
  !!    /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
ヾミ    ̄~'ィ''': |゙:ー. ̄   lノ/l | |
ヾヾ   "  : : !、  `  lイノ l| |
 >l゙、    ー、,'ソ     /.|}、 l| |
:.lヽ ヽ   ー_ ‐-‐ァ'  /::ノl ト、
:.:.:.:\ヽ     二"  /::// /:.:.l:.:.
:.:.:.:.:.::ヽ:\     /::://:.:,':.:..:l:.:.
;.;.;.;.;;.:.:.:.\`ー-- '" //:.:.:;l:.:.:.:l:.:

586:人間七七四年
08/07/25 19:45:48 v5dv92iE
訓練された男色家たちの集まる比叡山。そこで、「雪のようだ」と形容される、ショタ系の稚児の集まる
北谷のファンと、「花のようだ」と形容される、セクシー系の稚児の集まる南谷のファンが、好きが高じて
お互いを罵り始め大論争、ついに比叡山全山が二派に別れ、武器を持ち出しての戦騒ぎになった。
これにあわてた比叡山指導部、西三条逍遥院を呼んで和解を仲介してもらう。

逍遥院「雪も花も、どっちもうつくしいじゃないか」と、みつをみたいな説得。
これに何故か納得した双方、兵を引く。

587:人間七七四年
08/07/25 22:53:11 vZXrVNwj
のちにnbngに放火壊滅させられる割には暇そうな比叡山w

588:人間七七四年
08/07/26 01:06:54 b8hmuUF0
>>587
こんな状態だから何の遠慮も、躊躇もなく焼かれたんじゃないかw

589:人間七七四年
08/07/26 04:16:25 3924AfUh
信長好みのガチムチ系がいれば焼かれなかったのに・・・

590:人間七七四年
08/07/27 14:11:58 bxkD3ohp
その息子の信雄は信孝と一緒に高野聖をひっ捕らえて処刑する現場に立ち会っていたが、
一人好みの少年がいたので助命して信孝に嘲笑されたという。

591:人間七七四年
08/07/27 14:27:32 6ipNAtdL
>>586-890

おまいら、信玄公の下へ帰って来い
スレリンク(sengoku板)


592:人間七七四年
08/07/27 19:23:56 O9CAkoCd
信長が京の東寺の近くを移動していた時の事

疲れていたのか、馬上でこくりこくりと居眠りしてしまった。それを近習が起こすと、
信長は「ぬ、寝て負ったか。ここはどこだ?」と尋ねた。
近習が「右手が六条、前は東福寺になります」

すると信長「…なるほそ、それで前の寺は白壁か」
近習「は?それは一体?」

信長「豆腐食う寺(東福寺)」


*当時、豆腐の事を「おかべ・白壁」と呼んだ。
何が凄いって創作か実話かは別として、信長の逸話で、こんなものが本当に残っているのが凄いw

593:人間七七四年
08/07/27 22:48:24 b7/BU+qz
信長公を月山酋長スレ(別名「昭和の駄洒落研究所」)に連行することに決定しますたw

594:人間七七四年
08/07/28 04:49:30 RuJ8J0Si
信長だったら起こした時点で近習の首はねてそうだが

595:人間七七四年
08/07/28 11:52:37 azRLB6Q4
>>594
講談やドラマ見すぎじゃねーのw

596:人間七七四年
08/07/28 13:49:28 RxWeJBh4
ノブは冷酷だけど筋の通った奴だから。

597:人間七七四年
08/07/28 14:48:16 h+huUjrq
筋の通ったノブの話

信長の父である信秀は病気が重くなり、ついには危篤状態になった。
信長は僧侶たちを集めて
「父の病が重くなったが、そなたたちの祈祷で直せるか?」と聞いた。
僧侶らは
「我々が念仏を唱えれば、神仏のご加護できっと信秀様の病は快方に向かいましょう」と答える。
それを聞いた信長は、
「ワシは神仏の加護など信じないが、お前たちがそこまでいうなら、その言い分が本当かどうかためして見よ」
と命じた。
僧侶たちは信秀快癒のために念仏を唱えるが、念仏の甲斐なく信秀は死去した。

信秀死後に信長は再度僧侶を集め、
「お前たちは神仏の加護で父の病が治せるといったが、父は死んだではないか。つまり、お前たちはうそ偽りを
述べたことになるぞ!」
と激怒して、僧侶たちをお堂に閉じ込めて火を付けて、僧侶たちを皆殺しにしましたとさ。

598:人間七七四年
08/07/28 16:18:23 eMyUUJ81
実証主義的ではあるが、無神論的ではないな。

599:人間七七四年
08/07/28 20:36:45 ScVwZfWo
孫策と于吉だの。

600:人間七七四年
08/07/29 21:12:26 TZYCZPTg
>>597
俺が読んだ逸話では
もうちょっと最後が皮肉屋っぽかったな

「此度の件ではまことに残念であった。
 だがそなたらには今一度の機会を
与えようと思う。
 まことに神仏の加護があるなら
助けに来てくれるよう心の底から
祈るがいい」

って、お堂に火をつけて外から
見守ったとか


601:人間七七四年
08/07/30 12:15:03 VUZ13N/K
毛利元就と大友義鎮が、九州で戦いを繰り広げていた頃のお話。

筑前において、永禄十二年五月の戦いで毛利が勝利を収め、
大友方の城である立花城は孤立。毛利方による開城交渉が始まった。
毛利方の使者、吉見正頼は、城方に対し誠意を持って説得し、篭城していた全ての人々を、
毛利家の責任において、大友方の陣まで送り届けると約束した。
開城後これの約束はきちんと実行され、立花城の守将であった立花親続、田北鑑益は
これに感銘を受けた。

ところが事態は急変する

山陰において尼子勝久が、周防において大内輝弘が毛利に対し立ち上がったのだ。
急遽引き上げる毛利勢。その混乱の中、立花城を摂取した部隊は取り残され、今度は
「毛利方」の立花城が、大友勢の中に孤立した。
先の戦で毛利に手ひどくやられた大友の諸将は、当然のごとく復讐戦をさけぶ。大友の大軍に、
立花城に篭る毛利方が血祭りに上げられるのは時間の問題であった。その時である。

「待たれよ」

そう言ったのは、先の立花城の守将、立花親続と田北鑑益であった。

「我らは先の敗軍の将である。このような事をいうのはおこがましいとは思う。だが、聞いていただきたい。
彼等毛利方は、我々と取り決めた開城条件を全て守り、篭城の諸衆を皆、無事にお味方の陣にまで送り届けた。
いったん城を占拠すれば、そのような約束は無視出来たにもかかわらず、である。彼らは信義を守ったのだ。

さて、ここで我が方が、情勢が有利になったという理由だけで、彼らを殲滅せしめれば、一体、大友の信義は
どうなる?卑怯者よ、それでも武士かと、天下の笑いものになるのではないのか?」


大友義鎮は力攻めから、交渉による開城に方針を転換。
やがて毛利方もその提案を受け入れ、彼らもまた、大友家の責任において、無事毛利陣まで送り届けられた。
その交渉の任に当たったのは、先の立花城城代、立花親続、田北鑑益の二人であった。

602:人間七七四年
08/07/30 12:20:28 lquSRyPC
>>600
それだ!ウロ覚えスマソ。

603:人間七七四年
08/07/30 12:26:50 VUZ13N/K
601の続き

そのときの毛利の守将が、無事帰国した後出した謝礼の手紙に、田北が出した返事

「なあに、戦の習いでござるよ」

604:人間七七四年
08/07/30 12:46:07 MdEAsCtg
なあに、かえって免疫力がつく

605:人間七七四年
08/07/30 13:36:58 zjELSoi7
直江兼続の話。

信玄が岡田堅桃斎という高名な歌詠みを謙信のもとへ使者に送った。
謙信はこの名を知っていたので、「越の長浜」という名所へ案内し、酒宴などを催した。
堅桃斎は連れて来た童に投げ輪をさせるなどして、一日遊びつくして甲斐へ戻った。

1月ほどして信玄から「越の長浜の丈尺はどれほどでござろう?」という手紙が来た。
謙信はその地の奉行に測量を命じた。
その時、奉行の下役の若い美丈夫が
「武田殿のご依頼ならば測量は不要でござる。
 先月殿と遊びに参った歌詠みが、投げ輪でしっかりと計っていかれました」と言った。
謙信は堅桃斎の曲者ぶりを見破っていた若者に感心して小姓とし、与六兼続と名乗らせた。

~ここまでは知略に優れる彼の若きころの逸話として有名~


で、この話には無理がある。
生まれたのが1560年。小姓になったのが1564年。
わずか4歳で奉行の下役とは・・・・・ありえない・・・・残念





606:人間七七四年
08/07/30 18:41:47 COKc/+Xw
豪勇の木山弾正、外戚の天草伊豆守に恩返し     いい話だ!



肥後赤井の城主木山弾正は豪勇をもって聞こえた武将であったが、島津の北上によって城を失い、
外戚の故をもって天草伊豆守に迎えられ、客将として本戸城にこもった。

天正17年、たまたま宇土築城の加勢をめぐって、天草の諸将は小西行長と対立し、ついに行長の天草攻めとなった。
行長は豊臣秀吉に上訴し、加藤清正の応援を得て、まず志岐城を攻めた。弾正は兵500を率いて志岐へ向かい、仏木坂に清正を迎えた。
単騎敵将清正を求めて、敵中深く突入し一騎打ちをいどみ、清正を組み敷き、まさに首級を挙げんとした時、
主君危うしと駆けつけた自分の家来の誤った槍にかかり、豪勇並ぶ者もない弾正も遂に戦場の露と消えたのである。
URLリンク(www.geocities.jp)

607:人間七七四年
08/07/31 01:08:40 qK6BraY+
直江兼続、後世の人のために、経験から得たものを訓戒として書物にあらわした。
その本の一節

「おしっこした時泡が立たない日は、大変な事が起こる。気をつけろ。」

608:人間七七四年
08/07/31 09:16:14 /pNTMpgN
兼続といえば
「四季農戒書」が真っ先に浮かぶんだが
………これは違うなw

609:人間七七四年
08/08/01 01:35:17 R/HRy/la
続・直江兼続公の残した書物に見える、後世の皆様へのいい教訓。


「死ぬ気でやれば、案外何とかなる。」

610:人間七七四年
08/08/01 06:00:24 5GW9Vz3W
なんとかなったから言えるんだよ
なんとかならなかった奴は死んでるんだから後世に言葉残せねーもん
そりゃ努力とか頑張れとか賛美されるわ
ダメだった奴は一切記録に残らない
地面に落下するときは力抜くと怪我しないってのとおなじ
なんとかなった奴らの数億倍の死ぬ気で頑張ってもなんとかならなかった連中は
あの世で「頑張れば何とかなるなんてうそやんねー」って言いあってるわ

611:人間七七四年
08/08/01 09:04:13 dYMuOgRx
いい話だなw

612:人間七七四年
08/08/01 09:56:31 eE1R9eK6
直江の「何とかなる」の許容範囲はすげー広いなw

613:人間七七四年
08/08/02 00:21:49 erG7e+Q9
結果論だが、なんとかなってない気がするよw

614:人間七七四年
08/08/02 09:27:06 QwgH301c
結果的に30万石残ったんだからなんとかなって…ないな

615:人間七七四年
08/08/02 10:04:46 /ux0/23l
直江個人でみればなんとかなってる
上杉家としては…

むしろ鷹山あたりが言うべき言葉では

616:人間七七四年
08/08/02 12:27:24 8pYxIbDr
直江兼続公の、後世への教訓シリーズ

「毒薬の入った膳を出されると


俺は涙目になる
持ってきた奴も涙目になる
みんな涙目になる

だから、わかる。」

617:人間七七四年
08/08/02 12:43:09 8+4he+Ff
お梅(真田信繁の娘)と伊達家重臣、片倉重綱(重長)

大坂城落城の時、一人の娘(16歳)が徳川の先陣を勤める伊達家の片倉隊の前に現れた。
白の鉢巻きに薙刀姿の娘を見た重綱は、捕らえるとそのまま国に連れ帰り、後妻とした。
(信繁と重綱とは何度か戦いを交えており、自分が死んだ後、娘を重綱に託そうとして、
 梅に言い聞かせて置いた。)

重綱は、智勇優れた真田家の娘、梅を妻としたことを誇りにした。
そして片倉家の家紋はこれ以降、真田と同じ六文銭に変えられた。

時代は下り、松代藩三代藩主、真田幸道が伊達藩へ寄ったとき、
眞田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見てたいそう驚いたという話が残っている。





618:人間七七四年
08/08/03 01:07:31 VpzyPFrf
>>616
直江兼続公はもしかして馬鹿なんじゃ・・・

619:人間七七四年
08/08/03 01:39:54 oswDDz1E
>>618
本宮ひろしとか島本和彦とか板垣恵介みたいな
勢いとはったりが真髄の漫画家に直江兼続公の生涯を描かせたら
面白いかも、と思った。

620:人間七七四年
08/08/03 02:10:50 q28NPdom
>>619
島本と本宮を馬鹿にするな!

621:人間七七四年
08/08/03 02:23:47 oswDDz1E
馬鹿になんかしてないよ??

622:人間七七四年
08/08/03 07:36:12 qi3I4RE/
板垣はないわ、
めちゃくちゃつまらなそう。

623:人間七七四年
08/08/03 09:20:54 lWTQVjSw
>>618
天下を取るには知恵が足りないと秀吉には評されてる

624:人間七七四年
08/08/03 09:29:16 MNdZi/hQ
便乗して農戒書より兼続公のデオドラントに関する教え

たしなみのない女房はあそこの手入れが悪くて臭い
しかも臭いことに気付かず男に向かう

美人でもわきがや口臭のある女房は近所迷惑だ

625:人間七七四年
08/08/03 13:07:29 yhAuYTru
兼続はどっちかというと内政に天才を感じる。
120万から30万石になった時、家臣をできるだけ解雇しないで
なんとか生活が立ち行くようにした手段は鷹山が手本にしたというから、
ま、なんだ、来年がたのしみだな。

>>617
重綱の戦ぶりを見て、娘を託せるのはこの男しかいないと
矢文で重綱に娘との婚姻を頼んだという説もある。
あの真田に認められたのだ、という感激が六文銭の家紋への変更となったんだろう。
伊達家きっての美男子で当時29歳、於梅も悪い気はしなかったと思うな。

626:人間七七四年
08/08/03 13:10:33 9d/1mrz5
>>625
まあ、根本的に何とかなっていなくて、その場しのぎの世界に過ぎなかったから、
鷹山の時代にあんな大規模な改革にいたるわけだけどなー。

627:人間七七四年
08/08/03 16:10:10 hX+Cea4o
>>617>>625
え? 片倉家の家紋って六文銭になったの?
主君政宗から九曜紋を拝領してるのに変えるはずないと思うんだが・・・。
重長が梅と同時に保護した大八の家紋じゃないか?
大八は信繁の次男で梅と同時に片倉家に保護され、片倉守信と名乗ってる。
確か息子の代で真田に復姓してたような・・・。

まぁ何にせよ幕府から信繁の血筋を守りぬいた片倉家は立派だな。

628:人間七七四年
08/08/03 16:41:32 A4pf/qQT
>>627
ヒント

このスレは真偽を議論しない

629:人間七七四年
08/08/03 16:46:57 9d/1mrz5
六文戦は替紋であって、家紋を変更したわけじゃないだろ

630:人間七七四年
08/08/03 17:15:03 9d/1mrz5
真田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見て驚いたというのは、二男・守信の家系じゃないの。

631:人間七七四年
08/08/03 18:02:58 F1013wgW
重綱って生まれたら殺せって父親に言われるは
政宗とは衆道関係で家臣の前でも接吻しあったほどなのに
小早川秀秋に頼まれた政宗が1度秀秋の相手してやれよとか
小早川の家臣と交換しても良いよって政宗が言ってたりと可哀相なんだがw

632:人間七七四年
08/08/04 13:11:47 WvCC6Y05
片倉家はもとは真田と同じ出身地。そんなことも息子・娘を託した理由の一つか。
助かったもう一人の娘「あくり」は徳川の家臣・滝川一積の養女となって、蒲生郷善に嫁ぐが、
敵の娘を幕府の許しも無く婚姻させるとは!といって一積が改易させられる。
(本田正純には報告許可を得てあった)
於梅のことはお咎め無しなのにww
本田正純には他にも「許可を得ていたのに」改易というのがあったな。


633:人間七七四年
08/08/04 14:20:42 SoF3ALnS
待て、これは正純の罠だってとこか

634:人間七七四年
08/08/04 16:16:08 hXZuCpFx
>>633
正純じゃなくて土井利勝だろ。

635:人間七七四年
08/08/04 20:10:37 uqvSSQ7p
待て、これは利勝の罠だってとこか

636:人間七七四年
08/08/05 19:33:03 ABtOf6Ki
いい話というか、長野業正のちょっと面白い話を見つけたので張り

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/08(土) 21:56:37 ID:i4ZXIU7M
業正の娘たちはいずれも美女揃いだったので先を争って縁談の申し入れがあったそうだ。
あまりの人気ぶりに業正も生産が追いつかず娘を貰えなかった豪族が反抗したりして上州戦略に支障を来たした。
あと10人娘がいれば信玄に箕輪城とられずに済んだのに惜しい。

637:人間七七四年
08/08/05 20:44:34 Bisuc0Cm
さすが在原業平の末裔だ

638:人間七七四年
08/08/05 23:47:17 /v/TPvAG
じゃあ、業正はものすごく顔立ちが整ってたのかもしれんな
というか豪族どもはどんだけ美人の嫁が欲しかったんだw

639:人間七七四年
08/08/06 09:46:15 xM69f+Ww
政略に有効でかつ美女だったら言う事なしだしw

640:人間七七四年
08/08/06 12:16:37 ufKHF8s9
>>636
あと10人いればって、12人も嫁がせてんだよ。
徳川家斉みたいにやること無くて子作りマシーンならともかく、ふつう無理だよなwww

641:人間七七四年
08/08/06 12:22:13 rL17nwz+
関東管領家の下で上野を実質支えてきた長野家
国人衆にしてみれば少々のぶさいくでも婚姻関係になりたいだろう
ましてや美女だなんてサイコーすぎる!

もらえなかった国人衆がふてくされるのもしょうがないな


642:人間七七四年
08/08/06 15:16:23 nLUX6M+q
あれはでないのかな?
秀吉の松下の話
有名だけどねw

643:人間七七四年
08/08/06 15:26:21 NJ3H6Vx/
日本史板、死んだの?


644:人間七七四年
08/08/06 15:30:48 7uvutoS3
>>607

爆笑


645:人間七七四年
08/08/06 20:46:56 eC0470DG
てすと

646:人間七七四年
08/08/06 22:02:33 YKcMesN4






宣教師達の日本人拉致を
総理大臣の立場にあった秀吉が激しく憤った事

647:人間七七四年
08/08/06 22:05:48 qvqpOVFF
>>646
中途半端で「現実的」な対応しか、取ってないけどな>秀吉

648:人間七七四年
08/08/06 23:37:50 zsxLtZ3i
伊達政宗の瓢箪から駒話はまだ?

649:人間七七四年
08/08/07 02:22:12 9lSxK57Z
大坂冬の陣の折、和睦が決まると、その条件として大阪城の外堀が埋められ始めた。
そんな中、暇を持て余した大名たちは「香合わせ」に興じていた。
そこへ通りかかった伊達政宗は面白そうだと早速これに参加します。

大名たちは各々、弓、鞍などを賭けましたが、どういうわけか政宗は腰に下げていたひとつの瓢箪を景品としました。
周りは皆、「奥州の大大名ともあろう者が・・・」と、心のうちに蔑み、当然それを取ろうという者は現れません。
結局、その瓢箪は一番最後まで残り、旗本の一人が取ることで勝負は終わりました。

ところが、お開きとなり、皆が立ち上がったその時、政宗は瓢箪を取った旗本にこう言ったのです。
「瓢箪から駒という諺の通り、ほれ駒が出たぞ」
旗本が政宗の指差す方を見ると、そこには政宗が先程まで乗っていた名馬があるではありませんか。
こうして旗本は政宗の馬を豪華な飾りと共に譲り受けたのです。
初めは蔑んで笑っていた大名たちも、この時になってようやく政宗の意を悟り、大変悔しがったといいます。


という話だが・・・スレにあってんのか?

650:人間七七四年
08/08/07 02:39:29 hWZmnnHa
前田利家とその妻、松のお話

守銭奴の気のあった前田利家、家臣を雇うのもそこそこに、蓄財に励んでいた。
ところが、佐々成政との戦が迫った時、兵も将も足りないことが露となった。
このとき松は怒りくるって、

「だから、銭をためるよりも前に、その銭で侍を雇えと言ったでしょう!
こうなったら、あなたの貯めた銭に槍を持たせて戦に行きなさい!」と、銭櫃とともに館から追い出したとか。

しかし、こんな痛い目に合っても、利家の蓄財癖は直らなかったそうです。

651:人間七七四年
08/08/07 08:38:45 kUOUQm5O
なんだ?利家の貯蓄は家康や如水と違って目的のない貯蓄だったのか?

652:人間七七四年
08/08/07 18:58:16 V1/O6rhV
関が原と言う、いざというときに前田家は徳川へ献金しますた。

653:人間七七四年
08/08/07 22:21:03 /z9m4R/m
つまり利家自身は死ぬまでため続けてただけか

654:人間七七四年
08/08/08 14:36:17 1ImAM3hh
死ぬまぎわに経理担当の部下にこれまでの蓄財のねぎらいと
それにともなう不正な帳簿が死後に発覚すると部下に迷惑かけるので
自分の棺桶に入れて証拠隠滅するように指示してなかったっけ

655:人間七七四年
08/08/08 15:05:37 wZkuI7Qn
>>654
金融マフィアみたいな死に様だな・

656:人間七七四年
08/08/11 21:04:13 ewA72rmA
関白であった頃の豊臣秀次と、遊行上人との会話

秀次、上人に向かって

「上人は 霞の衣 きりの数珠 あまけはなれぬそら念仏かな」

すると上人

「水鳥は 水に入りても 羽も濡れず 海の魚とて汐に染まばや」


これは秀次が「上人はそのような尊いお方なのに、女っ気が耐えない(あまけはなれぬ)のはいかがなものか?」
と、和歌で諭したのに対し、上人が「環境や外観がどうであろうと、大切なのは心の純潔であります」と同様に返したもの。
秀次の教養と洒落っ気の伺える逸話。

ちなみに秀吉はこれを、さっぱり理解できず、「そんなまどろっこしい話し方をするな」と叱ったとか。

657:人間七七四年
08/08/11 23:42:32 ewA72rmA
戦国初期、大内義興が在京していた頃、京で彼が密通していた女への恋文を、侍女がよりにもよって間違って、
当時京に上がってきていた、彼の北の方に届けてしまう。
北の方は勿論これに激怒し、義興を追求。それに窮して義興は、彼女をなだめるためにもなんのかんので
帰国する事になり、それによって、彼の存在で安定していた畿内の政情はまたもや乱れる事になったとかw

658:人間七七四年
08/08/12 00:27:12 uxnuT1zV
面白いが別にいい話では無いぞw

659:人間七七四年
08/08/12 03:32:49 3QPS8PCl
   /.   ノ、i.|i     、、         ヽ
  i    | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ        |
  |   i 、ヽ_ヽ、_i  , / `__,;―'彡-i     |
  i  ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' /    .|
   iイ | |' ;'((   ,;/ '~ ゛   ̄`;)" c ミ     i.
   .i i.| ' ,||  i| ._ _-i    ||:i   | r-、  ヽ、   /    /   /  | _|_ ― // ̄7l l _|_
   丿 `| ((  _゛_i__`'    (( ;   ノ// i |ヽi. _/|  _/|    /   |  |  ― / \/    |  ――
  /    i ||  i` - -、` i    ノノ  'i /ヽ | ヽ     |    |  /    |   丿 _/  /     丿
  'ノ  .. i ))  '--、_`7   ((   , 'i ノノ  ヽ
 ノ     Y  `--  "    ))  ノ ""i    ヽ
      ノヽ、       ノノ  _/   i     \
     /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;"  ,/ヽ、    ヾヽ

660:人間七七四年
08/08/12 03:56:07 /prcwaau
>>656
一見していい話だけど、女性への情欲は内の心から沸き起こるもんで、
それに支配されてるっちゅうことはお前の羽はびしょびしょだしお前の魚はしょっぱいじゃないかと思う。

661:人間七七四年
08/08/12 07:13:45 0By7/lLV
四国で泥沼の争いをした長曽我部信親と十河存保
二人とも仙石秀久のせいで戸次川の戦いで戦死する
十河は九州仕置きの後改易
長曽我部は関ヶ原の後改易

でもそれから30年後に再び仙石と十河と長曽我部が共に味方として戦うときが来たんだな
十河存保の息子の十河存秀と仇敵長曽我部家の元大名長曽我部盛親
さらには憎き仙石秀久の次男仙石秀範

三人とも大阪の陣で大阪方について、そろって死んだ

人の縁の不思議な話

662:人間七七四年
08/08/12 07:30:17 0By7/lLV
1619年
福島正則は広島城の石垣の無断修築の理由で所領召し上げの上、信州川中島に左遷される。
もっとも本人は確かに届出を出したんだが幕府が知らぬといってる以上届かなかったのだろう。

正則の家臣は憤慨したらしい。
それは、福島正則が1600年小山の陣で真っ先に家康についたから今日の徳川家があるんだ。
だからこの待遇はあんまりじゃないか、というものだったとか。

それに対し正則は特に怒ることもなくこういった。

「弓は敵がいるときこそ役に立つが平和の世になると袋に入れて蔵にしまう、最早それは必要がないからな。
つまりわしは弓なのだ。
乱世のときは清洲やら広島やらで戦いのために必要とされるが、
それが終わると川中島の蔵に片付けられる。それは仕方のないことなのさ」

663:人間七七四年
08/08/12 21:44:12 T9R1ehmp
潔いよな 徳川の榊原とかの晩年に通じるような爽やかさ

664:人間七七四年
08/08/13 09:14:33 jwL0GYAw
単に信用されてなかっただけだろうけどな。

665:人間七七四年
08/08/13 10:20:14 vW+GxY4d
>>664

だろうな、黒田なんて2代目の時家老の栗山大膳が徳川に訴える
お家騒動起こしたけど先代の功績なんかで実質お咎めなしだったもんな

666:人間七七四年
08/08/13 10:44:27 RzlQpoBw
つーか福島は、単純に、本多正純と土井利勝の政争に巻き込まれただけの話だからなあ。
弓とか何とか、特に関係ない。

667:人間七七四年
08/08/13 12:47:48 jZ/5Wl2g
海外からも勇気を持って闘いぬこうとみなさんに緊急応援メッセージが届いてます!
URLリンク(www.youtube.com)

【マスコミ】 毎日新聞、「毎日jp」の閉鎖を検討…変態報道の反発を受け★11
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668:人間七七四年
08/08/14 19:32:43 n/CYgwtO
太閤検地の行われていた頃の話

薩摩島津家は未だ君主権が弱く、秀吉の求めるとおりの検地など実行したら
反発を受け、何が起こるか解らない。

「とても無理だ」

と、検地の責任者である石田三成に書状で泣きついた。そこで三成、

「ならば、村の数だけ調べてよこしなさい。石高はこちらで適当に数字を作るから」

と、温情あふれる返答。
これには島津家、および後世の書類偽装役人、大いに感銘を受ける。

669:人間七七四年
08/08/14 20:00:58 4xoZcDaX
自分は疑われている、信頼されてない、トップの争いのとばっちりを受けた、
だから改易された

それじゃかっこわるいから

確かに用無しだから捨てられた、でも昔は必要とされていたんだ!

って思い込みたくなるのが人情

670:人間七七四年
08/08/14 21:59:10 cJRY175C
>>668
そしてその適当に作った数字が
その当時の実質的な石高約40万石を遙かに越える60万石だったのですね
さすが三成、秀吉の懐刀といわれるだけありますね


671:人間七七四年
08/08/14 23:06:15 4xoZcDaX
滝川一益が上野厩橋にいたころのはなし

ある日一益が何人かの家臣と亭で休憩をしてると周囲を警戒しながら餌を食べている鶴を見つけた。

しかしもう少し近くを見てみるとその鶴の周囲にじゃれあい、好き勝手に餌を啄ばんでいる沢山の雀がいるのを見つけた。

昔の自分と今の自分を比べた一益は家臣たちに呟いた。
「あの鶴はまるで私、大勢の雀は家来である貴様らのようだ」
「大名ともなればあの鶴と同じく一時として安心できるときはない、心配してばかりだ。
だが貴様ら雀はあのように自由気ままな暮らしが出来る」
「貴様らは鶴を羨んだり、また、鶴になろうなんて思わず、今の雀の楽しみを楽しみ給え」

晩年、一益は雀に戻ったわけだが実は幸せだったのかもしれない。


672:人間七七四年
08/08/15 00:58:32 KjR19Lpm
ある時茶会に招かれた長宗我部元親が、秀吉から貰ったまんじゅうを一口だけかじって持ち帰ろうとした。
秀吉が訳を聞けば、家臣に持って帰ると言う。
※一説には、それを聞いて感じいった秀吉が用意したまんじゅうを全部元親にやったとも言われている。

これは元親が家臣を思いやる一面を持っていたことを読み取れるエピソードである。

秀吉は四国征伐後は元親を土佐一国に封じた。
だが二歳下の元親を憎からず思い、嫡男信親を亡くした折には弔問し涙を流したという。それにより元親も多少の慰めは得ている。

成上がってきた自身と、土佐一郡から身を興した地方の大名である元親と、何か通じるものがあると思っていたのかもしれない。

(既出かもしれませんが…)


673:人間七七四年
08/08/15 05:13:47 B/ytWoGF
( ;∀;)イイハナシバカリダナー

674:人間七七四年
08/08/15 05:19:13 x4HorWIb
>>672
>秀吉が訳を聞けば、家臣に持って帰ると言う。
このエピソード、正直、毒殺が怖かったんじゃないかと疑っている。

675:人間七七四年
08/08/15 12:02:49 EG1VjCK4
秀吉は毒殺より帰り道で襲わせると思う

676:人間七七四年
08/08/15 12:15:05 uALgp32Y
>>674
おぬしがそう思うのはかまわないが
せっかくスレタイ通りにかかれた
いい話なんだから、わざわざ
水を差さないでほしいな



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