08/03/06 21:59:52 xcYr/T3r
>>249
いい殿様だなー
251:人間七七四年
08/03/06 22:22:21 0JfMix+b
実は世にも奇妙な物語の「整理癖」↓みたいな感じで…
やがて、棚にきっちり収まるという理由で
全巻揃えで置いてあった医学書の一冊を
同僚が持ち出した上汚されてしまう。
「買って返すよ」
「今では版が変わって表紙の色が違うんだ。
揃わないじゃないか!」
結局全巻を破棄する主人公。
廊下を直行するのを優先して患者を突き飛ばす等、
却って神経質な部分が先鋭化する。
252:人間七七四年
08/03/07 12:09:18 TcTwvv1D
>>249
いい話だな~(><)
これ本当なのかね?
いい話だ
253:人間七七四年
08/03/08 18:39:27 o43UDBHB
>>252
249ではないが確か名将言行録が出典かと。
加藤嘉明つながりで一つ
あるとき嘉明の小姓たちが火鉢の周りに集まって火箸を焼き、
熱くなった火箸を灰に突き立ててそれを掴んだ人の反応を見ると言う
悪戯をしていた。
そこのやってきた嘉明。
「おまえたち、集まって何をしているのだ?」と言い、あろうことか火箸つかんでしまった。
しかし、嘉明は灰に「一の字」を書いて悠然と話を続けたという。
一説には、"火箸を掴んだ時、手から煙が出ていた"と言うが小姓たちに咎めはなかった
254:人間七七四年
08/03/08 20:10:37 nl1IT7aQ
いい話だが
なるほど、藤堂高虎と仲が悪いわけだ、と思うw
255:人間七七四年
08/03/11 20:46:16 dcy8dP3g
あげ
256:人間七七四年
08/03/12 06:20:08 YAYrsoGu
武田信玄の娘・松姫は、織田信長の嫡男・信忠と幼い頃に婚約していた。
2人は、直接会うことはなかったが、互いに文のやりとりで思いを深めたという。
しかし、周知の通り、武田と織田はその後、敵対し、二人が結ばれることはなかった。
信玄の死後、武田攻めの大将を務めたのは、奇しくも信忠だった。
信忠の指揮により、武田は滅びたが、松姫は辛くも武州に落ち延びた。
その消息を知り、信忠は迎えの使者を出したが、松姫が出立せんという時に本能寺の報がもたらされたとの話も。
生家の滅亡、許嫁の死を背負い、松姫は誰にも嫁がぬまま、仏門に入った。
そして、武田家とともに、信忠の死を弔ったという。
さらにその傍ら自ら織物をするなどし、落ち延びる際に連れて行った兄・勝頼と盛信の幼い姫のみならず、
土壇場で武田家を裏切った小山田信盛の姫も、別け隔て無く育てたという。
257:人間七七四年
08/03/12 10:11:47 18k4JdmL
>>253
煙が出るくらい熱されてたら色変わってるわ
馬鹿だろwww
258:人間七七四年
08/03/12 11:40:44 240NxG9r
>>257
煙が出るなどという文章が見えたのかw
259:人間七七四年
08/03/12 11:56:11 ny12tmMG
>>256
○小山田信茂
×小山田信盛
>>258
最後の行の「一説には」ってところに書いてあるぞ。
260:人間七七四年
08/03/12 14:06:57 YKeNRmqq
加藤嘉明ときたら豊臣恩顧の裏切り者の癖にいい奴じゃないか
261:人間七七四年
08/03/12 19:58:57 L8YVGVrd
>>256
女風林火山懐かしいな…
262:人間七七四年
08/03/13 13:31:29 Fzf2foCM
関ヶ原~大坂の陣の間の片桐且元はその存在そのものがいい
片桐且元が忠臣だとしたらの話
263:人間七七四年
08/03/15 02:58:20 orFHkYdU
葵見た後だと、且元は忠臣だと思えてしまうぜ。
「従わずんば、滅ぼされまするぞ!」はマジ号泣。
264:人間七七四年
08/03/22 22:58:13 GA9D+HlV
感動はしないけど、ちょっと良い話。
三代目加賀藩主、前田利常は能を見るのが趣味だった。
利常が能を見る時、家臣たちは利常の前に座り、利常は
いつも家臣の後ろから能を見ていた。家臣たちは利常が
見やすいように頭を下げ、低い体勢で能を見ていた。
(これでは家臣たちに、能を楽しんでもらえないな…)
そう考えた常利は、自分の座る所に畳を積み重ねた。
そうすれば、家臣たちは頭を下げる必要が無くなるからだ。
利常の温かい心遣いに、家臣たちはみな、感激した。
265:人間七七四年
08/03/23 06:03:24 /9M3T9ey
加賀の殿様というと家臣3人に「あそこの星見える?」って聞いて
一人目が「見える」といい二人目は「ぱっとみ見えないけどよく見たら見つけたよ」といって
三人目が「残念ながら見えません」というと
三人目に「本当の目を持っているのはお前だけだなぁ・・・」って嘆息した人がいるらしい
全然いい話じゃないかw
266:人間七七四年
08/03/24 02:29:38 KUPjjepb
熊に見えた
267:人間七七四年
08/03/24 03:00:59 FMk3TVsV
ある日、家康が三方ケ原で脱糞した。
マジいい話だなW
268:人間七七四年
08/03/24 03:10:51 FMk3TVsV
三方ケ原で家康がいた当たりで信玄が脱糞を見つけた。
信玄の家臣は、「家康、もう脱糞かよW」と笑ったが、信玄は「家康、このタイミングでわざと脱糞して我が軍の士気を緩めようとは油断ならぬ男よのう。」と警戒したという。
269:人間七七四年
08/03/24 14:02:41 Y6Rd8lBQ
>>265
それってもしかしてこんな星?
★
★
★
★
★
☆ ★
★
今夜は妙に星がきれいだクマ・・・
∩∩ _,,-''"
_ ,(ェ)・/^),-''"; ;, '
/ ,_O_,,-''"'; ', :' ;; ;, ''
(.゙ー'''", ;,; ' ; ;; ': , '
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :'
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :'
270:人間七七四年
08/03/25 02:53:44 V9Hribd8
>>269
フラグ立ってるじゃねーかwwww
271:人間七七四年
08/03/25 07:09:51 uV5s77dQ
ヤバイよ俺にも見える
272:人間七七四年
08/03/28 00:09:04 B2H7Y8dJ
>>269
ちょww
それは見えちゃいけない星wwww
273:人間七七四年
08/03/28 00:27:34 IehCnZnX
>>269
ウリにも何か白い星が見えるニダ
何かいいことがあるニカ?
274:奇矯屋onぷらっと@FreeTibet ◆SRGKIKYOUM
08/03/30 23:27:58 iV3A+udV
orz
275:人間七七四年
08/03/31 08:22:40 8Xb3/SEz
徳川家康の母親として有名な於大の方は息子の竹千代(後の家康)が3歳の時に
夫の松平広忠と離縁した。於大の方の実家である水野家が尾張の織田信秀の傘下に入ったため、
敵対する駿河の今川義元の側に所属している広忠とは一緒にいられなくなったからだ。
於大の方は松平家の武士に護衛されて水野家に送り返されることとなったが、
水野家との国境まで来た時、彼女は護衛の武士に「後は近くの百姓に頼んで送ってもらうから
あなたたちは引き返してください」と言った。武士たちが理由を聞くと、於大の方は答えた。
「水野家の当主である兄は気性の荒い人なので、あなたたちを殺してしまうかもしれません。
もしそんなことになれば、両家の間に取り返しのつかない禍根を残します。今はわけあって
不仲になったとはいえ、いつかは和睦する日が来ると信じています。今、兄に短慮なことを
させては将来の和睦の妨げになりましょう。ともかく、ここで引き返してください」
松平家の武士たちはやむなく言うことに従って、於大の方を土地の農民に託して別れたが、
それでもやはり心配なのでこっそり跡をつけた。しばらくして完全武装した水野家の武士たちが
於大の方を迎えに現れた。
水野家の武士たちは於大の方にお送りの松平家の侍たちはどうしたのかと問うと、彼女は
松平家の者たちは国境で引き返したのでもういないと答えた。すると水野家の武士たちは
「それは残念。お送りの侍どもは全員討ち取れ、との殿のおおせでありましたのに」と、つぶやいた。
276:人間七七四年
08/03/31 12:48:46 k1XHQ6pG
いいはなし
というより水野DQNすぎるw
さすがはあの勝成を輩出した一族
277:人間七七四年
08/04/01 08:23:44 4RUV594y
越後を支配していた戦国大名の上杉謙信は毘沙門天を熱心に信仰していた。
彼は重臣たちとの会議は毘沙門天をまつる毘沙門堂で行うのを習慣にしており、重要な命令も
毘沙門堂で行うことにしていた。
ある日、謙信のもとに領内で大規模な一揆が発生したとの知らせが届いた。これは一大事と
謙信はその場で配下の武将に出撃命令を下した。それを聞いた重臣たちは「そのような命令は
毘沙門堂で行うのが習慣ではありませんか?」と問うた。すると、謙信は「今は一刻を争う。
毘沙門堂に皆を集める余裕はない」と答えた。
重臣たちは、それでは毘沙門天が怒るのではないかと心配したが、謙信はこう言い返した。
「もたもたして一揆の鎮圧に手間取るほうがよほど問題だ。それにこの越後の地で毘沙門天が
盛んに信仰されているのは私が手厚く保護しているからだ。むしろ私の方こそ毘沙門天から感謝
されてもいいくらいだ。これくらいで怒るはずがない」
熱烈な毘沙門天の信者と思われていた上杉謙信。だが、実は信仰一筋に縛られていない柔軟な
思考の持ち主であることを示すエピソードである。
278:人間七七四年
08/04/01 09:09:41 wdS/xsVu
>>277
いい話だな。ソース教えて。
279:人間七七四年
08/04/01 13:26:41 xX/2pVfh
エイプりるフール
280:人間七七四年
08/04/01 22:11:10 nzF2SrKr
ガクさま~
281:人間七七四年
08/04/02 08:30:06 zO5UfsSw
>>278
たしか「決断の条件」というビジネス書の中で紹介された話だったと思う。
家の本棚のどこかにまだあるはずだから調べてみるよ。
282:人間七七四年
08/04/02 08:32:57 Vl2ADTQe
自分が毘沙門天の化身だから代わりに自分を拝めって言ったとか言わなかったとか
283:人間七七四年
08/04/02 08:38:56 zO5UfsSw
秀吉の知恵袋として活躍した黒田如水の話。
朝鮮との戦が始まる頃、日根野備中という武士が出陣の費用が足りないので、如水のところへ
借りに行くと如水は快く貸してくれた。後日、返済の金が用意できたので備中は礼として大きな鯛を
持って金を返しに行った。
如水はその大きな鯛を家来に渡して料理するように命じた。その際、「鯛の頭と骨は捨てずに
吸い物にせよ」などと細かく指示するのを見て、備中は心の中で、なんてケチな男だと思って如水を軽蔑した。
そして、備中が借りていた金を返すべく差し出すと、如水は受け取ろうとせずに こう言った。
「あの金は差し上げるつもりで渡したものだ。わしが日ごろから倹約を心がけているのは
このような時のために人の役に立ってもらいたいと思うからだ」
これを聞いて、備中は恥じ、また感心したという。
284:人間七七四年
08/04/03 08:13:41 tPS37zTe
>>278
色々と調べてみたが、上杉謙信と毘沙門天のエピソードが載っていたのは
「決断の条件」ではなく、松下幸之助 著の「人を活かす経営」という文庫本だった。
勘違いして申し訳ない。
あらためて読み返してみると間違えて書きこんだ箇所がいくつかあった。まず一揆が発生したのは
越後の領内ではなく隣国。そして、謙信は配下の武将に出撃命令を下したのではなく、間者に
様子を調べてこいと命じている。ずいぶん昔に読んだせいか、色々と記憶違いをしていたようだ。
285:人間七七四年
08/04/03 23:13:37 YYdVkKdh
いい話だな
286:人間七七四年
08/04/04 18:32:51 sLw6T0ur
名将言行録にあった竹中半兵衛の話
ある日、半兵衛が人々の前で合戦の話をしていると、その最中に息子の左京(後の竹中重門)が
座を立って退出し、しばらくしてから戻ってきた。
戦物語の途中に座を立つことがあるか、と、半兵衛が息子に対して叱りつけると、左京は
小便に行っていたのです、と言い訳した。すると、半兵衛は「ならなぜ小便をその場で垂れ流さないのか。
竹中の子が合戦の話に夢中になるあまり、小便をもらす粗相をしたと言われるのは当家にとって名誉なことだ」
と、言った。
287:人間七七四年
08/04/04 22:12:48 W6iw6qV+
ノブヤボ天下創世やってるとどこでも起こるあのイベントか。
288:人間七七四年
08/04/04 22:35:50 Nxvs+W9W
家康「わしも昔、合戦中に便意をもよおしてのう」
289:人間七七四年
08/04/05 18:09:17 AxDMz359
ちょっといい話というより、ちょっと悪い話。
悪逆な戦国武将として名高い松永久秀が織田信長のもとで活躍していたころ、久秀は信長に
陣中の兵士について訴えた。
「兵士たちがたびたび陣を抜け出して近くの町に入り浸り、乱暴狼藉を働くので風紀が乱れています」
これを聞いた信長は秩序を取り戻すために、陣中の兵士たちが町の中に入ることを禁じた。
町へ買い出しに行くこともできなくなった兵士たちは困り果てた。そこへ松永久秀は直属の部下を
ひそかに町に派遣してまんじゅうを買い占めさせ、そのまんじゅうを陣中の兵士たちに売りつけると、
飛ぶように売れた。調子にのった松永久秀は娯楽に飢えた兵士たちに遊女を世話することまでして
大いに儲けた。
信長が発した町への立ち入りを禁ずる命令がうまく利用されてしまったわけである。
290:人間七七四年
08/04/05 21:40:23 QnA2qhkj
さすが松永久秀w
291:人間七七四年
08/04/05 22:43:47 c/4K8Fzw
竹中半兵衛には逸話が多いよね。
ある時、黒田官兵衛が「秀吉様から恩賞として約束頂いた領地が、いっこうに頂けない。約束の書状が溜まるばかりだ。」
それを聞いた半兵衛は、ではその書状を見せて欲しいと言った。
官兵衛から書状を受け取った半兵衛は、そのまま囲炉裏に放り込み、すべて灰にしてしまった。
唖然とする官兵衛にこう言った。
「この様な書状があるから、欲が出て秀吉様に疑心を抱く事になります。
秀吉様にあらぬ嫌疑を抱かれぬ様、ご懸念致して下され。」
さすがに官兵衛はその意味を悟り、黙ってうなずいた。
292:人間七七四年
08/04/05 23:18:34 8P5N4Yqt
なんか政宗の百万石の書状の話に似てるな。
家康以下の偉大なやつらがみんな死んだ後に政宗が百万石の話を蒸し返して脅したら井伊の息子が激怒して書状を破いて「こんなものは御家の為になりません」と威圧されて
政宗が恥じ入ってショボーンした話。
293:人間七七四年
08/04/05 23:38:01 i+XIg6gN
江戸初期だが…
諸藩が二条城の普請を命じられたとき、彦根藩では軍学者岡本半介が奉行となった。
これは実質諸藩の競争だった。
堀を掘るときに排水が問題となり、諸藩は必死に排水を行ったが、半介は休むよう命じた。
その後作業を再開したときには既に彦根藩の受け持ちの部分の水は
もっと深く掘った藩のほうへ流れ排水されていたので簡単に掘り進めることが出来た。
また、諸藩が堀の底を平らにしているときに半介は何もしなかった。
幕府の目付けが理由をきくと、「これは甲州流で、敵が底を移動しにくいようにわざと底をデコボコにしてある」といった。
せっかく平らにした諸藩もまたデコボコに直さねばならなくなった。
次に江戸城の彦根藩普請総奉行の際、岡本は作業を遅くやらせ、諸藩が天井を完成させると言うときに、
また天井造りに取り掛かっていなかった。
そのとき、岡本は幕府の目付けを呼んで天井を造るので裏を確認してほしいと頼んだ。
当時、本多正純失脚をめぐって『宇都宮釣り天井事件』の風聞が流れていたので、
目付けたちは不覚だったと天井の奥を確認することになり、諸藩はせっかく完成させた天井をまた剥さねばならなくなった。
その隙に半介は天井を完成させた。
294:人間七七四年
08/04/06 01:14:50 KW73pYH7
戦国ちょっと過ぎのちょっとワルい話
295:人間七七四年
08/04/06 05:48:02 cxGpYPXZ
多分、史実じゃないけどちょっと良い話。
明智光秀の父が亡くなり、盛大に葬儀が営まれた。
焼香が始まり、家臣達の番になった。家臣の中に
立派な風格を持った者がいて、彼の順番は三番目であった。
だが、彼の焼香の作法は立派な武将のそれとは違い、
刀を置き、頭を床に擦り付ける、まるで農夫の様な振る舞いであった。
周囲の者は「なんと立派な武士と思ったが、まるで作法がなっておらん。
これでは故人も、うかばれぬぞ。」と冷笑した。
それを聞いた光秀は立ち上がり、周囲に言った。
「この者は明智家の重臣だ。もちろん作法の心得もある、だが元は農夫だった彼を見込んで、
父が武士に取り立てたのだ。彼はその時の恩を忘れずに、皆に笑われようが
農夫の作法で焼香したのだ。これが真の忠義では無いのか。」
冷笑した者達は深く恥じ入り、顔を伏せた。
296:人間七七四年
08/04/06 07:49:46 IwMXXO2r
大坂冬の陣、夏の陣の頃に幕府の京都所司代として活躍した板倉勝重の話。
板倉勝重が若い頃、近所の家に強盗が押し入って家の者を殺害し、そして、それをごまかすために
家に火をつけるという事件が起きた。
焼けた家と焼死体を見た近所の人たちは、火の不始末か何かで火事が起こり、逃げ遅れて
焼け死んだのではないかと推測したが、ただ一人、勝重だけは「これは殺人だ。何者かに殺された後に
火をつけられたんだ」と主張した。近所の人たちがその根拠をたずねると、勝重は、
「焼けた被害者の鼻の穴には火事によるスス汚れが全然ない。生きている間に火事が起きたのなら
大量のススや煙を鼻に吸い込んでいるはずだ」と、答えたので、人々はなるほどと感心した。
その後、殺人の線で捜査が進められると程なくして下手人が捕まり、事件は無事に解決した。
297:人間七七四年
08/04/06 15:15:41 t01Me+ar
板倉勝重「ペロッ、これは青酸カリ!」
298:人間七七四年
08/04/07 00:07:47 SRGLb9zG
>>295
時代の違いといえばそれまでだが、何がいい話なのかわからん。
まあ作り話だとは自分も思うからつっこむだけ野暮だが。
299:人間七七四年
08/04/07 06:36:13 QhUoDocN
>>298
まあ要するに、出世して偉くなったからといって
身分の低かった頃の恩を忘れてはいません…て事を家臣は光秀の父に伝えたかったんじゃない?
300:人間七七四年
08/04/07 14:21:09 MRst6QYT
恥という概念がないと判りにくい話かもね
301:人間七七四年
08/04/07 14:48:29 fIzxg3NE
まあ、少なくとも今の感覚なら、立派に武士のなりを見せて、
お陰様でこうして立派に武士として振る舞うことができるようになりましたって姿を見せてナンボだと思うよな。
302:人間七七四年
08/04/07 18:19:42 B+wjS4A4
上杉謙信が北陸から織田信長の領地に攻め入ろうとしていた頃、信長に仕えていた松永久秀が呼応して
反乱を起こし、自分の城に立てこもった。しかし、反乱はすぐに失敗し、松永久秀は城を織田の軍に
包囲されて絶体絶命の危機におちいった。
覚悟を決めた久秀は息子に「城を出て、信長を討つ算段をせよ」と命じた。久秀の息子は、父とともに
死ぬ覚悟だったのでいやがったが、久秀にどうしてもと頼まれると、必ず信長を討つと誓って城から抜け出した。
ところが、久秀の息子は城を出た後に包囲していた織田軍の兵士に見つかり、あっけなくつかまってしまった。
それを知った織田家の兵士たちは「父親を見捨てて逃げ出した卑怯者」と悪口を言い合った。しかし、信長が
「父親の久秀に言いつけられてやむなく城を抜け出したのであって、卑怯な気持ちから逃げたのではあるまい」
と、かばったので、皆は悪口を言うのをやめた。
信長はたとえ相手が憎い仇の息子であっても、間違った事実によって非難されるのはほっとけなかったのである。
303:人間七七四年
08/04/08 00:24:06 JTAm2W/h
唐入りのおり、停戦協定の時に明から虎が贈られた。
秀吉はこの虎を大層気に入り、自分のペットとして飼うことにした。
餌は何が良いかという段になって、生きた動物が良いと言うことで村々に飼い犬を供出させることにした。
とある猟師某は近隣でも評判の愛犬家だったが、その猟犬を数日後に献じる様に沙汰があった。
それから某は今まで以上に愛情を注ぎいだ。
「お前は日本一の犬、明の虎に破れるにせよせめて一矢報いて来い」と
普段自分が食べれないようなご馳走を犬に与えて最後の時を惜しんだ。
そして某の犬は虎の檻に放り込まれた。
虎はいつも通りのそりと起きあがると悠然と犬に歩み寄る。
しかしこの犬は今まで生き餌とされた犬と違いその虎に臆することなく毛を逆立て威嚇する。
小敵の戦意に構わず虎は犬を食い殺そうとしたその時、あっと犬が素早く虎の喉元に食らいついた。
虎は驚き何とか振りほどこうと暴れ回り、前足で犬を引き剥がそうとする。
犬は毛が抜け皮が裂けはらわたが露わになってもなお、虎からはなれない。
それでも必死に虎は暴れ回るが次第に弱まり、そして遂には息絶えた。
秀吉はこれを聴くと犬を激賞し、飼い主に遺骸と褒美を与えたという。
304:人間七七四年
08/04/08 01:42:21 iaqb0hoL
>>303
初めて秀吉に殺意がわいた
わんこも虎も可愛いのになんてことしやがる糞猿
305:人間七七四年
08/04/08 01:43:34 mGIjbfQU
昔から犬猿の仲なんてことを申しまして・・・
306:人間七七四年
08/04/08 09:48:54 XWcBwO9D
秀吉が褒美を与えて器の大きい人間を演じようとしてるのがむかつくな。
307:人間七七四年
08/04/08 10:12:05 A291MLyv
いや当時なら虎は超貴重だろ…愛犬家には申し訳ないが。
308:人間七七四年
08/04/08 11:25:28 Nt1l9ALv
虎、犬>>>>>>>> (禿禿敷く乗り越えられない壁) >>>>>>>>>>>秀吉
ということだけは分かった。
309:人間七七四年
08/04/08 11:29:21 l9k1FnwD
秀吉=徳川の爺さん、虎=ピクル、犬=烈海王だということがわかった。
310:人間七七四年
08/04/08 23:02:31 +AzFJ4Cy
というか、明から虎が贈られたなんて初めて聞いたけど。
311:人間七七四年
08/04/08 23:43:56 iaqb0hoL
秀吉も自分が虎の餌になればいいのに
312:人間七七四年
08/04/09 01:04:06 qgJ3BQ1N
>>310
303だが、
又引用の本がネタ元なので、まあそう言うネタもあるくらいの信憑性かと。
313:人間七七四年
08/04/10 16:58:59 Y9i5op8R
井伊直孝は唐犬を飼っていたがやがて家臣にこれをあげた。
直孝がその家臣の家に行くとその唐犬が直孝を見るなり大声でほえた。
父譲りの気性の持ち主だった直孝はかつての主を忘れたかと激怒し、
「あの犬はうるさいので耳を切ってしまえ!」と命じた。
そこへ岡本半介がやってきて直孝の前にはさみを差し出した。
直孝が「これはなんだ!?」というと半介は「はさみです。」と答えた。
直孝が「そんなことはわかっている。何をしようというのだ?」というと
半介は「殿が犬がうるさいから耳を切れとおっしゃるので殿の耳を切ろうと思いました。」
と答えたので、直孝は半介に免じて犬を許した。
314:人間七七四年
08/04/10 17:26:58 Jf+APSdh
激しい逸話ですな
315:人間七七四年
08/04/10 17:46:04 iFheOoQS
三方ヶ原で敗れて物凄い勢いで逃げている家康を超スピードで追いかけた婆の話とかw
316:人間七七四年
08/04/10 18:21:57 MkzFG86a
>>249
俺がその場に居たら間違いなく泣いちゃうぜ!!
317:人間七七四年
08/04/10 23:18:26 TbASQNo9
>>313-314
直政も結構きつい性格だったらしいが、息子の直孝もなかなか、
しかもポーカーフェースだったのでその怖さはひとしおだったらすぃ。
朝鮮通信使で来日した<丶`∀´>さんが直孝の名前を挙げて「怖い人物」と明記しているくらい。
半介ぐらいの性格の家臣で丁度釣り合いがとれていたのだろう。
でも苦言を呈するのもそんな殿様では命がけだけどね。
>>315
あの話はある意味感動するw 一歩間違えば怪談だけど。
318:人間七七四年
08/04/10 23:53:43 jBWk4zRT
直孝はぬこ派だったんだよ!!!
319:人間七七四年
08/04/12 13:00:10 OHoByaqT
>>313
これ、下手したら言った奴の耳が削ぎ落とされてもおかしくないな。
半介とやらはどこまで命知らずな奴なんだ。
320:人間七七四年
08/04/12 14:00:47 Yjtabery
間違いなくネタだろ。
321:人間七七四年
08/04/13 14:57:01 AqjKZIq2
ちょっといい話というより、ちょっと考えさせられる話
羽柴秀吉と柴田勝家が争っていたころ、勝家配下の武将佐久間盛政が突出して秀吉方の
砦に侵攻して来た。
砦を守っていた武将は高山右近、中川瀬兵衛の二名で、それぞれ300人ずつ手勢を従えていた。
高山右近は敵の侵攻に対し、「こちらは合わせて600人しかいないから、ここで無駄死にするよりも
一時撤退して本隊と合流してから戦おう」と主張し、それに対して中川瀬兵衛は「敵の進撃を少しでも
遅らせるためにここで籠城しよう」と主張した。
結局、二人は喧嘩別れになり、高山右近率いる300人の兵のみが砦から撤退した。残った中川瀬兵衛の
軍勢300人は佐久間盛政の攻撃を奮戦して受け止め、全滅するまで戦い、進撃を遅らせることには成功した。
世間の人々は命がけで戦った中川瀬兵衛を勇者としてほめたたえ、戦友を見捨てて逃げた高山右近を
臆病者として非難した。だが、部下の命を無駄に死なせたくないと撤退を選んだ高山右近と、部下を死なせる
ことになっても全体の勝利に貢献したいと思った中川瀬兵衛。本当に正しかったのはどちらなのだろうか。
322:人間七七四年
08/04/13 16:25:35 UsfC1+4C
俺としてはどちらも悪くない判断だとは思う
323:人間七七四年
08/04/13 17:59:25 4T6p3u6I
>>321
当時なら中川。現代なら高山が正しい…だと思うけど。
ただこの戦いに限れば、戦死しても無駄死にでは無い気がする。
324:人間七七四年
08/04/13 18:02:37 Njo99i/G
上司にしたいのは高山で、部下に欲しいのは中川だな
325:人間七七四年
08/04/13 20:15:16 RoMbE5lx
高山も残って損害を与えすぎると、陣取らないで素直に撤退していた可能性があるからな。
高山の選択で正解!
326:人間七七四年
08/04/13 21:17:58 5SAhL3Iq
小牧長久手で羽柴秀次が家康に補足された際に堀秀政は攻めてきた徳川の一軍を撃破したが
その後さらなる敵軍に包囲される危機が迫っていたので、先陣の援軍要請を無視してほぼ無傷で撤退してしまった。
急を聞いて駆け付けた豊臣の援軍が現れてた時には先陣の池田や森は討ち死に。
戦上手の堀はこんな感じの行動をしてる。
やはり一戦して小勝でも良いからポイントを稼いで一気に撤退するが解答だろう。
秀吉に激怒された秀次が堀を恨んだかどうかは知らんがな!
327:人間七七四年
08/04/13 22:19:53 jk3Vh3es
>>321
両方とも残って籠城していても、
両方ともに撤退していても全滅する可能性が高いんじゃないか?
2つに分かれて片方が籠城して時間稼ぎしたから
結果的に高山の撤退が成功したんだと思う。
328:人間七七四年
08/04/13 22:21:30 5R3g+BX/
>>321
中川思考の武将
道雪、宗茂、紹雲、家久、義弘、元春、左近、幸村、謙信
高山思考の武将
信長、秀吉、義久、宗麟、隆景、元就、家康、氏康、政宗
329:人間七七四年
08/04/13 22:49:44 5SAhL3Iq
>>328
中川思考でなおかつ佐久間ごときレベルなら勝っちゃいそうなメンバーだなw
柴田も敵数を誤認して撤退しそうw
このまま後詰めに敦賀で待ってるよ~って伝令出して勝手に追撃戦に移りそうだわw
高山思考のメンバーは確かに残っていたら全滅しそうなメンバーだから撤退して後詰め待ちした方がいいな。
まーこの後に秀吉は神速の行軍しちまったわけだが。
330:人間七七四年
08/04/13 23:06:10 M5rKbxS9
うろ覚えなんで細部は違うかも。
寓話的だし、信長らしくないので信憑性は低そう。
朝倉氏が滅亡し柴田勝家が越前に入ったころの話。
越前国内で女狩りをする者がおり、勝家の手の者が捕らえ尋問すると
主君信長から越前の美女を集めて連れて来るように命令を受けたという。
越前はまだ平定したばかりで民心もまだ織田家になついておらず、
ここで主君の評判を落とすようなことはまずいと考えた勝家はその者を処刑、
信長には「殿の名を騙り無道を働いた者を処刑しました」とそらとぼけて報告した。
これに信長はぐうの音も出なかったという。
331:人間七七四年
08/04/14 00:02:00 kyYFtFzN
>>330
一銭斬りの信長がやるかなぁ……?
332:人間七七四年
08/04/14 02:03:51 H4CDA6lw
一銭斬りは政治的意図が大きいから越前なら別にやってもそれほど変ではないと思うな
むしろ、北陸での織田軍の動きを見ると勝家の言動の方が疑問
333:人間七七四年
08/04/14 05:08:16 sPRE/2bv
性病が心配だし、素性の分からない女狩りはそうそう
しない気がするがな。
334:人間七七四年
08/04/14 05:55:19 VkCeGrOK
信長は女にだらしないというイメージがないから違和感あるな。
335:人間七七四年
08/04/14 10:42:23 0x/v80tJ
作り話にしても信長を踏み台にした勝家褒め話って珍しいね
336:人間七七四年
08/04/16 23:51:17 7E1xM/5V
秀吉と三成や勘兵衛だったらありそうなんだけどね。
337:人間七七四年
08/04/18 02:59:18 n2WOmkCO
有名な話だけどまだ出てないので一つ
黒田官兵衛は謀反を起こした荒木村重を説得するべく、
秀吉に命じられて村重の有岡城へと赴いた
しかし官兵衛は有無言わさずに村重に牢屋に閉じ込められてしまう
有岡城へ説得しにいった官兵衛が行ったきり帰ってこない
このことを知った信長は官兵衛が村重に寝返ったと勘違いし、
人質にとっている官兵衛の息子・松寿丸(のちの長政)処刑するように秀吉に命じる
秀吉は迷った挙句、信長の命令なので従おうとしたが、
竹中半兵衛が独断で信長には松寿丸を処刑したと報告し、密かに匿って
石田正継(三成の父)の元へ隠しておいた
やがて有岡城が織田の軍勢によって落城し、中からやせ細った衰弱した男が出てきた
足に障害を持っており、知っているものが彼が官兵衛であることに気づいた
秀吉は官兵衛が生きていたと知って喜んだが、官兵衛の息子を殺してしまったことに
罪悪感を覚えて素直に喜ぶことができなかった
するとそこに半兵衛が密かに松寿丸を匿っていたという報せが届いた
これに秀吉は自分の面目が立って喜び、官兵衛の方も息子の命を助けてくれた
半兵衛に感謝しても感謝しきれぬ思いを抱いた
しかしその時既にことの功労者である半兵衛は世の人ではなく、
中国攻めの陣中で没していた
官兵衛は息子の恩人である半兵衛に感謝の言葉を直接言えなかったことを深く悲しんだと言う
一方信長は生前の半兵衛が自分に内緒で松寿丸を匿っていたと知ると呵呵大笑した
「さては半兵衛め、またしてもやられたわ」
と呟いたという
半兵衛はその以前にも秀吉に進言して、柴田勝家の軍勢から無断退却させ
信長に反抗したことがあった
半兵衛が官兵衛の息子・松寿丸を匿ったことは
ある意味彼なりの信長への挑戦だったのかもしれない
338:うりうり
08/04/18 05:26:34 BWEn9XYL
五ケ条の御書置
これ最強。
今の政治家に読んでもらいたい。
339:人間七七四年
08/04/18 08:25:02 H668oxs4
ザビエルが日本にキリスト教の布教に来たときの話。
ザビエルが道端でキリストの教えを説いていると一人の男が質問してきた。
「キリストの教えを信じない不信仰者は死後に地獄へ落ちるそうだが、それなら、去年亡くなった
うちの祖父はキリストの存在自体知らなかったのだから地獄へ落ちてしまうのか?
祖父はとても良い人で周りから尊敬されていたのにおかしいではないか。あなたの説く教えが
それほど素晴らしいものなら、なぜもっと早く来てくれなかったのだ?」
この質問にはさすがのザビエルも返答に困り、後に本国への手紙で、日本において布教するには
論理学の知識が必要である、と報告した。
340:人間七七四年
08/04/18 08:40:26 Irm3ufk0
>>339
そいつ、凄いな。
341:人間七七四年
08/04/18 11:34:39 /c/bhcs8
>>337
地味に正継の人の善さが伺える話でもあるな。
342:人間七七四年
08/04/18 20:21:07 m1X5EycB
>>339
で、そいつが後に創価学会を開いた池田大作とかいうオチじゃなくて?
343:人間七七四年
08/04/18 21:17:33 v1tQ0FkT
そして黒田長政は関ヶ原で今こそ正継の恩を返す時と佐和山城に籠城した正継を救い匿ったという。
344:人間七七四年
08/04/18 22:51:29 SZKvyQZs
>>339
もしかしてそいつが、西洋に近代哲学をもたらしたんじゃないのか?w
デカルトが登場するまで、西洋人なんて聖書の解釈しかしてなかったような
もんだしさ。
345:人間七七四年
08/04/19 00:15:47 tYh2libV
ザビエル「ということは君はホモだな」
346:人間七七四年
08/04/19 00:59:28 ChcgRmDQ
>>339
その後宣教師たちは
「私たちが教える前は、あなたたちは神の存在を間違って認識して、信仰していただけです。
だからあなたたちの先祖も救われます。アマテラス=デウス、ブッダ=デウス、まめちしきな」
みたいなノリで日本人を洗脳していったとか・・・
347:人間七七四年
08/04/19 01:17:57 5Bb3quh4
ブッダもアラーもキリストの別名であって
みんな同じものだと言ってた宇宙飛行士がいたな。
348:人間七七四年
08/04/19 06:55:27 3PLfkouw
ブッダはともかくアラーとキリストなんて元は同じなのに仲わるいよなあ
同族嫌悪ってやつか
349:人間七七四年
08/04/19 08:28:20 nBwHh70u
>>348
自己嫌悪かも?
350:人間七七四年
08/04/19 19:52:28 /Zoeg4ZK
>>337
黒田長政が関が原後、捕らえられた三成に丁重に接したというのは
幼いころ石田家に匿ってもらったということもあったのかな?
>>337じゃないけど正継の逸話を一つ。
石田家が統治する近江4郡は豊臣時代を通じてもっともよき民政地だった。
太閤に近侍し、日本全国をとびまわりめったに自分の統治地に帰ってこられない三成に代わり、
民政は主として父の正継(隠岐守入道)が担当した。正継は学問があり、
人柄も温和で土地では「藤右衛門どの」とよばれて親しまれた。
正継は農民に対し
「苦情があれば、じかに申し出よ」
と制限つきながら直訴主義をとった。江戸期にもこのようなことは無く
正継は非常によく仁慈をもって、農民の面倒をみていたといえる。
石田家の領地に上坂郷という地があった。
この地には、近江の浅井家に滅ぼされるまで上坂氏という有力な国人衆があった。
正継は上坂氏の零落ぶりを気の毒がり、そのうちの一人を豊臣家に推挙した。
さらには知行地も故郷の上坂郡の一部に設定してやったりもした。
ところが昔、上坂氏に搾取しつづけられていた上坂郡の農民はみなこれを喜ばず、
「いまさら上坂に殿様面して帰ってこられても困る」
と誰もがそっぽを向いた。
ところが、正継はあくまでも面倒見のいい領主であった。
大名でありながら、領民である上坂郡の農民に対し、下世話にも調停者になってわりこんだのである。
文書のなかで正継は
「昔を思えば旧主ではないか。道で出会えば、腰をかがめるだけでよいのだよ」
それだけの礼でよいのだ、上坂氏が昔のように重々しくのしかかって搾り上げるわけではないから礼をつくすだけでいい、ということである。
「でなければ草木も枯れるよ」
と最後に軽妙に付け加えた。
351:人間七七四年
08/04/20 23:11:16 DThkshzH
怖っw
352:人間七七四年
08/04/22 01:25:48 yrAOp9UW
怖いか?
353:人間七七四年
08/04/25 02:37:25 kOsvs7oE
黒田長政 → 石田三成の陣羽織エピソード
しかし、甲州は腹の中で大笑いしてたんじゃね?
354:人間七七四年
08/04/26 17:30:30 HXFsGIba
陣羽織エピソードと三成に言い返されたエピソードと二通りなかったっけか
355:人間七七四年
08/04/28 23:03:54 7dbiUPZF
山中鹿之助はドMだった・・・
356:人間七七四年
08/04/29 00:21:54 DPO+XD2M
ええ!
そうだったの!?
なんちゅうエエ話や~・・
357:人間七七四年
08/05/01 18:39:42 f5qmCC8C
>>337
その後、関ヶ原の戦で、松寿丸⇔長政は竹中半兵衛の息子、重門を
石田方から徳川方に付くよう説得し、共に丸山で陣をとった。
そして両家の良い関係はその後も。。。
358:人間七七四年
08/05/02 12:07:40 fwlkkh19
>>337の続き。
竹中半兵衛死後、信長は重門に家督を継がせず(自分の命に背いたからか?)
一家は一時離散する。
>>357の続き。
徳川幕藩体制では5000石の旗本となり、竹中半兵衛の威名により8万石格の待遇を与えられる。
重門の次男から分かれた分家は黒田家家臣となり、幕末では本家と戦う。
この時竹中姓を「岩手」に改めた。
鳥羽伏見の戦いでは本家の重固は陸軍奉行となって総指揮に当たるが、
拙劣な指揮で「半兵衛は一代限り」と言われた。
359:人間七七四年
08/05/02 14:15:01 vRTsoegc
斯波氏家臣で何かと仲の悪さが言われる朝倉と織田ですが美濃攻撃を共同して
やったりとそんな時代もあったんですね。
まだそれほど信長が脚光を浴びてない時期、宗滴が「出来るものならあと三年
長生きして信長の行く末を見てみたい」といった話は有名ですが、宗滴とあと
信長の破滅を予見した恵瓊の卓見はなかなかすごいと思う。
360:人間七七四年
08/05/02 14:42:43 hWCdIFvS
>>359
信長の破滅を予見した恵瓊の話ってのは後世の創作だって事は有名だよ。
361:人間七七四年
08/05/02 14:51:44 G02EFeUr
>>358
その半兵衛の子孫が和泉元弥
362:人間七七四年
08/05/02 14:53:27 04mdqQMU
家臣に城を追い出され、暗君のイメージで語られる山名豊国。
江戸時代になって旗本(交代寄合)となり、但馬に領地をもらって帰ってきた。
帰郷した豊国はかつて毛利と結んで謀叛を起こした重臣の武田高信
(結局毛利に使い捨てられて殺された)の息子をはじめ、
かつて自分をひどい目に合わせた旧家臣の子を快く召抱えたという。
363:人間七七四年
08/05/04 17:42:18 FAk23FWf
>>358
スレタイ嫁
(゚⊿゚)養分イラネ( ゚д゚)、ペッ
364:人間七七四年
08/05/04 17:53:07 8gfY2BQu
>>362
人がいいな
365:人間七七四年
08/05/05 04:36:14 WDAyC/Qw
>>362
そんな人の良さだから追い出されたんだな
366:人間七七四年
08/05/05 10:26:26 V6rgTU/A
水戸藩初代藩主、徳川頼房の家臣に鈴木石見と言う人物がいた。
伊達政宗が江戸城に登城すると、控えの間に石見が居た。政宗が
控えの間に居る間中、じっと政宗を見つめていた。政宗は石見に
近づき訊ねた。
「なぜ俺をじっと見ている?何か言いたい事があるのか?」
石見は答えた。
「最近江戸ではどこかの大名が謀叛を起こす、と噂しております。
そこで大名の方々のお顔を拝見致しましたところ、謀叛を起こす
のはあなた様以外にいません。もし戦になれば真っ先にあなた様
の首をいただこうと、お顔を覚えようとしておりました。」
それを聞くと政宗は大笑いし、石見に言った。
「お前は大層な目利きだ。お前のような、勇ましい武士がいると
なれば、俺もうかうかと謀叛は起こせまい。気に入った、いつで
も俺の所に遊びに来い。お前とはもっと語り合いたい。」
政宗の豪胆さに石見は感じ入り、政宗とは真の友となって様々な
事を語り合ったと言う。
367:人間七七四年
08/05/05 10:58:10 Mm1o6uhm
>>363( ゚д゚)、ペッ
368:人間七七四年
08/05/05 13:02:21 nhsTflmF
>>365( ゚д゚)、ペッ
369:人間七七四年
08/05/05 13:47:09 sHa0RM4P
鈴木石見って鈴木重朝本人?それとも縁者か何か?
370:人間七七四年
08/05/10 14:25:27 Q1kUKD9u
信長に能数寄を叱られ謹慎していた信忠は、城を抜け出し信雄を誘って伊勢の信孝の城へ行き、
用意させておいた舞台で兄弟3人交代で能を舞い、招待された領民の喝采を浴びた。
このことで信長からのお咎めは一切無かったという。
371:人間七七四年
08/05/10 14:41:41 Q1kUKD9u
順番逆になっちゃった
>>369
重朝は伊達政宗に仕えているから当然政宗の顔は知っている。
その後水戸家に召抱えられる。
水戸の家老鈴木家党首は石見守を名乗っているから、
>>366は子と考えるのが普通。
372:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/07 23:24:27 gc3XR7nF
>>93絡みで岩屋城ネタ
岩屋城が落城して間もなく、敗戦を知ないまま立花山城から立花宗茂の使いの兵が高橋紹運宛の書状をもって岩屋城へきた。
が、時既に遅く全員玉砕の岩屋城。使いの兵は島津軍に捕らわれ、そのまま従うよう命じられる。
立花宗茂の使いの兵はそれを断りこう言った
「一つだけお願いがあります。その書状を読むのは私の首をとってからにしてください」
その答えに島津の将は心を打たれ、書状を読まずにその兵の縄をほどき、立花山城に無傷で送り返した。
373:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 10:06:54 s/ItF2dT
>>372絡みで立花宗茂ネタ
関が原の戦いで西軍に味方したため、戦後領地を没収され浪人となった
宗茂。彼を見捨てず、虚無僧や物乞いまでして宗茂を支え続けた家臣達。
その主従愛に感動した徳川秀忠は、彼を筑後柳川十一万石の大名として
取り立てた。
かつての領地に返り咲いた宗茂と家臣達は、さっそくかつての家臣を呼び
寄せ、新たな家臣を雇った。たちまち宗茂の屋敷は家臣達であふれかえった。
そこで宗茂が浪人時代から支えてきた家臣達が進言した。
「家臣も増え、今の屋敷では手狭でございます。そこで屋敷をもっと大きく
建て替えて、部屋も廊下も広くいたしましょう。」
374:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 10:25:39 s/ItF2dT
>>373続き
だが宗茂は首を振って言った。
「いや、屋敷は狭いままで良い。」
家臣達は「何故?」と首をかしげた。
宗茂は目に涙を浮かべて言った。
「なぜなら俺が浪人となっても、お前達は俺を見捨てず、
物乞いをしてまで俺を支えてくれた。俺にとってかけがえ
の無い、愛しい家臣だ。もし屋敷を広くすれば、お前達と
こうして顔を合わせる事も減り、疎遠になるだろう。
それは嫌だ!それなら屋敷が狭いほうが、俺は嬉しいのだ。」
家臣達は涙で言葉も出なかった。
375:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 11:34:30 ZvQLYTCp
ぎんぽっぽなんかにゃない逸話だな。
376:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 18:18:31 3w7sYWMn
面白いネタはないの?
377:人間七七四年
08/06/18 20:26:48 35ygH+wf
あげ
378:人間七七四年
08/06/18 21:57:31 tqERUXi0
>>377
(・∀・)イイ話しだなー
379:人間七七四年
08/06/18 23:45:31 bplewm2a
織田信長の弟、信行に双子の弟がいた。弟の名は信高。幼年より病弱で僧となるため寺に入る。信長はこの弱い弟を大層可愛がっていた。この弟こそ後年本能寺で三法師を助けた前田げんいである。
380:人間七七四年
08/06/19 00:50:04 BLObJ4RQ
今日、幼稚園の前の道路を舗装してたんだが、
園児を迎えに来た母親が子供に向かって
「ほら、○○、ちゃんといい子に勉強しないとああいう人達みたいになるんだからね」
と言っていた。
あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった下校中の高校生2人が
A:「なぁ、B。皆が便利になる道路作る人と、子供にろくな事吹き込まない大人、
なるとしたらどっち?」
B:「そら道路作るに決まってるだろw勉強してろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。
ダメ出しで
「僕はあのおじさん達好きだよ。トラック見せてくれたもん」
381:人間七七四年
08/06/19 13:52:54 OSAIsIPN
>>380
(・∀・)イイ話しだなー
382:人間七七四年
08/06/19 15:23:27 3035ZDN5
>>380
いい話だね。俺は現場で働く人達は好きだ。
383:人間七七四年
08/06/19 17:09:57 O7ZtwGh2
戦国じゃないがいい話だな~
384:人間七七四年
08/06/19 17:57:50 XfP/8aL6
いやな二択を迫られても困る
385:人間七七四年
08/06/19 18:25:58 G6IsV8A8
今日大坂城に参謁しに行ったんだが、
母親が子供に向かって
「ほら、秀頼、ちゃんといい子に学問しないとああいう武断派みたいになるんだからね」
と言っていた。
あーハイハイって思ってたんだが、そこを通りかかった高台院と正則が
高台院:「なぁ、。皆が便利になる天下作る家康と、子供にろくな事吹き込まない大人、
付くとしたらどっち?」
正則:「そら天下作るに決まってるだろw勉強してもろくな大人にならんのじゃ意味ねーww」
みたいな事を大声で言ってくれた。
ダメ出しで
秀頼「僕はあのおじさん達好きだよ。虎見せてくれたもん」
かくして加藤清正は東軍に付いた。
386:人間七七四年
08/06/19 19:48:31 jIeZNaKm
なるほど、ますます清正嫌いになったぜ。
387:人間七七四年
08/06/19 21:56:09 ZSnYL0O2
>>385
何という改悪w
388:人間七七四年
08/06/19 22:17:57 dhwKVso/
>>385
(・∀・)イイ話しだなー
389:人間七七四年
08/06/20 00:32:07 9YeDq+7i
秀吉の松茸狩りの話って出た?
390:人間七七四年
08/06/20 11:33:16 HwpJsyKf
>>389
上に立つ者の気配りの話だね。
宮本伊織(戦国時代じゃないけど)の豆腐の話も好きだ。
391:人間七七四年
08/06/20 12:39:06 WVRRZLLz
どちも出てないから教えれ
392:人間七七四年
08/06/20 13:10:00 HwpJsyKf
秀吉が天下を取ってからのこと。
京都の東山に松茸がたくさん生えていると聞き、
「松茸狩りをして遊ぼうではないか」と言い出した。
家臣たちが下見に行くと、すでに京の人々がほとんど採って
しまい、僅かしか残っていない。
そこで、彼らは、あちこちから松茸を取り寄せて、
こっそりと山に植えることにした。
夜を徹して作業を続け、何とか間に合わせたのである。
秀吉はお祭り騒ぎのようにして、やってきた。
見ると、そこらじゅうが松茸だらけ。
「これは見事」と、非常に機嫌がよい。子供のように、
はしゃぎながら松茸を採っていた。
すると、傍にいた女性が、秀吉の袖を引いて
「これは自然に生えたものではありません。誰かが、
植えたものでございます。殿下にはそれがお分かりになりませんか」
と、小賢しく言った。
秀吉は、手を振って、さえぎり、
「こら、言うな。俺たちを喜ばせようとして、皆がやったことだ。
これだけ植えるには、相当の苦労があったはずじゃ。その気持ちを
ありがたく受け取ってやらねばならぬ」とニッコリ笑ったと言う。
393:人間七七四年
08/06/20 13:11:58 +v/z8d76
秀吉が天下を取ってからのこと。
京都の東山に松茸がたくさん生えていると聞き、
「松茸狩りをして遊ぼうではないか」と言い出した。
家臣たちが下見に行くと、すでに京の人々がほとんど採って
しまい、僅かしか残っていない。
そこで、彼らは、全裸になり、
こっそりと山に埋まり逸物を出した。
夜を徹して作業を続け、何とか間に合わせたのである。
秀吉はお祭り騒ぎのようにして、やってきた。
見ると、そこらじゅうが松茸だらけ。
「これは見事」と、非常に機嫌がよい。子供のように、
はしゃぎながら松茸を採っていた。
すると、傍にいた女性が、秀吉の袖を引いて
「これは自然に生えたものではありません。誰かの、
モノでございます。殿下にはそれがお分かりになりませんか」
と、小賢しく言った。
秀吉は、手を振って、さえぎり、
「こら、言うな。俺たちを喜ばせようとして、皆がやったことだ。
これだけ植えるには、相当の苦労があったはずじゃ。その気持ちを
ありがたく受け取ってやらねばならぬ」とニッコリ笑ったと言う。
394:人間七七四年
08/06/20 13:29:39 2L0Xtorl
松茸狩りを秀吉は二回も繰り返したのか?
ボケちゃってたんじゃね。
395:人間七七四年
08/06/20 13:32:52 HwpJsyKf
宮本伊織=武蔵の養子(兄の子)
15歳で姫路藩(小笠原家)に仕官し、20歳で家老になる。
主家が小倉11万石に転封されてから筆頭家老。
彼は接待・宴席で豆腐料理を出されるとことさら喜んだ。
この噂は藩内はもとより近隣の国にも広まっていった。
そのため伊織がらみの宴席では豆腐がメイン料理となることが多かった。
晩年、使える女中が
「殿様はほんとうに豆腐がお好きなんですねえ」
と言うと、伊織はにこやかに笑って、
「本当に好きなものは他にあるのだが、
政務を司どるものが贅沢好きでは下に対してしめしがつかない。
それに、豆腐好きということにしておけば、余計な気遣いもさせなくて済む」
と言って女中に他言無用と約束させた。
396:人間七七四年
08/06/20 14:37:02 CiaSuIHl
全大村益次郎が泣いた
397:人間七七四年
08/06/20 14:46:56 4MXeX9CK
伊織に腹いっぱい芋粥を食わせてやりたいな
398:人間七七四年
08/06/20 15:07:08 rWhSNuxx
>>395
女中、おもいっくそ他言しとるがなw
399:人間七七四年
08/06/20 15:58:07 4MXeX9CK
女中、後の先だな
400:人間七七四年
08/06/20 17:11:02 O2sj2jZw
>>398
宴席で喜ぶ伊織……ところがここで女中がネタばらし。
いたたまれずに、恐縮する隣国の家老。「もう伊織殿に豆腐を出したりしないよ!本当さ!」
401:人間七七四年
08/06/24 00:07:41 sAyQLnQG
日本にやって来、その風俗や風習を深く学んだフランシスコ・ザビエルが、ヨーロッパのイエズス会本部に
送った手紙
「神父を日本に連れてくる者は、同封のリストにある商品を持ってくれば、大儲けは間違いありません。」
402:人間七七四年
08/06/24 08:14:41 pLwcfFln
何がリストアップされてたんだろう・・・
403:人間七七四年
08/06/24 21:33:34 hk4CorD1
カステーラ・コンペイトウ・可愛い少年
404:人間七七四年
08/06/25 02:39:34 VNfLBS+I
ちんこ
405:人間七七四年
08/06/25 06:52:28 CfkIzz58
黒人
406:人間七七四年
08/06/25 08:26:21 Q2zU6ZCn
>>401から黒い話になって来たな
407:冬広
08/06/25 13:07:41 zaTUmH0H
男のきずなの話
ある戦で前田利家と佐々成政が、二人がかりで稲葉某って豪傑を倒した。
曲がったことの嫌いな二人は、「稲葉に致命傷を与えたのはおめーだろ」って首の譲り合い
を始めるもお互い譲らず、果ては取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。
そこに通りかかった柴田勝家が、「この首いらないの?じゃ、おれが貰う」って言って、唖然
とする二人を尻目に稲葉の首を勝手にもっていってしまった。
そして、二人は不承不承、主君・織田信長の城に帰還した。
すると、柴田が来て「利家・成政、殿がお呼びだぞ」って二人を呼んだ。
二人は「殿が何の用事だろ?」って不審に思いながら拝謁すると、上座に信長・そばには勝家が
ニコニコして座っている。
「そちたち、豪傑稲葉を打ち取ったそうだな。これは手柄である。しかも、その首を譲りあうとは
近年ない奥ゆかしいことだ。これも手柄である。いきさつはすべて勝家から聞いた。そちたちの手柄は
2つあることになるから、2人共に褒美を遣わす」って二人とも褒められた。
以後、2人は信長に一層の忠誠を誓い、粋なはからいをした勝家を兄貴と慕ったという。
408:人間七七四年
08/06/25 13:46:19 Fwrhh91j
権六になら掘られてもいい
409:人間七七四年
08/06/25 14:05:37 A9rXzuB8
山をまもった話
関ヶ原の伏見城攻撃の時の話。
醍醐寺に石田軍の徴発部隊が、攻城戦に使う木材の伐採にやって来た。しかし醍醐寺領内は豊臣政権により
「山林竹木等守護不入」の権利を確認されていた。当然醍醐寺の側は徴発を拒否。だが石田側は武力に任せ
強引に山林の伐採を開始。醍醐寺側はこの暴挙に、寺の数少ない寺侍たちが出てきて抵抗をしようとするが
多勢に無勢。それどころか醍醐寺への攻撃すら仕掛けてくる始末。このまま醍醐寺の山林は禿山にされるのか。
その時である
醍醐寺領内の村々の半鐘が、一斉に鳴った。
それと同時に武装した村人たちの軍勢が石田軍の部隊を包囲したのである。
形勢は逆転した。石田軍は既に伐採した木材も打ち捨て、ほうほうの体で逃げて行った。
醍醐寺の山林はその後も長く、山里の村々を潤した。
表舞台では語られない、歴史の一コマ。
410:人間七七四年
08/06/25 15:05:14 SJQJ4T++
>>407
小牧長久手が悔やまれるな
411:人間七七四年
08/06/25 23:28:04 vXzkvdnQ
まあ池田なんだろうけど
としまつでしんさんが佐々と前田に
「おまいら戦場で何やっとるのだ!あ゛~もおぉ」
このシーンよかったよ
412:人間七七四年
08/07/01 10:19:04 1jK2N4rU
戦国の雄として知られる加藤清正
まだ関ヶ原の前肥後を小西と半分こしていた頃
小西といさかいがあり天草に出陣
弓の名手の木山なんとかとぶつかる
木山が得意の由美を使うと清正は「一騎打ちなら正々堂々と太刀で戦わん」と叫びてにもつ槍を捨てた
それを見た木山も弓を捨てくまんとしたその時清正はすぐに槍を拾い木山をつきころした
木山は「おのれ、たばかったな卑怯者め」と泣き言を言いながら絶命をしたが
清正は勝てばよかろうなだーというようなことを言いすて平然としていたという
朝倉宗滴の教えを守った武士の鑑といえるだろう
ちなみにこの話後日談があり木山の息子が復讐と清正を狙い熊本築城の人夫にマジって潜入機械をうかがっていたが
気づいた清正は井戸掘りの作業をさせ一緒に作業をしていた他の人足ともども上から岩を落とし殺したその井戸は今もある
ついでに木山親父を見事討ち取った戦いのときに敵のこもる城に和平の使者を送り
受け入れた敵兵に襲い掛かり皆殺しにした。完全勝利としてやったりと快活に笑ったという
朝倉宗滴の教えを(ry
さすが武士のかがみわが故郷熊本の神様清正公である我らも見習いたいものだ
413:人間七七四年
08/07/01 10:21:31 f1JLPO1W
侍の嘘は武略
414:人間七七四年
08/07/01 10:45:56 WuA6UoxH
誤字多すぎ
415:人間七七四年
08/07/01 13:07:07 lym/e5Mo
まつを非常に愛した利家は12歳で妊娠させた愛深き男であった。
416:人間七七四年
08/07/01 19:50:07 4D3OYN/q
数え13歳で出産すること自体がすごく大変だったろうに、
合計で2男9女を生んだまつは、すごい女だな・・・強い女だ。
417:人間七七四年
08/07/01 20:37:05 wQjV1Y0I
おまつ様は優良子作りマシーン
418:人間七七四年
08/07/01 21:24:57 MDi3ThSK
昔の人間は現代より早熟だったんだろう。人生50年の時代だし
419:人間七七四年
08/07/03 14:05:43 NrVxmQhJ
既出かな
義に篤く礼を重んじる蒲生氏郷の話
知行200石の六角子四郎(承禎の子)が秀吉に謁見する時
92万石大名氏郷はかって主従関係だったことから、太刀持ちを務めた。
420:人間七七四年
08/07/03 21:35:06 t3anU763
>>412
横手五郎の話じゃないんだよね
横手五郎は怪力なので やはり井戸掘り作業をさせて
岩を落としたがみな受け止めるので 砂で生き埋めにした
その話なら熊本城内の石碑に書いてあったけど
421:人間七七四年
08/07/03 22:19:45 QPyJnnLw
横手五郎惟宗は天草合戦で討ち死にした木山弾正惟久の遺児という説があるらしい
しかしこの木山弾正、島津に赤井城を落とされたのが天文13年(1544)で、
討ち死にしたのが天正17年(1589)って同一人物かね
422:人間七七四年
08/07/05 12:09:12 MSxhTdI6
関が原の合戦の後しばらく戦の無い年月が過ぎたころ、
ある若者が可児才蔵の武勇を知り、試合を申し込んだ。
当日現れた才蔵は、甲冑に旗指物という姿、さらに銃を構えた配下を一人連れていた。
驚いた若者が「1対1のはずだが?」と言うと、
「わしの試合とは全てこのような実戦である」と答えた。
423:人間七七四年
08/07/05 12:17:22 2oIztn+T
>>422
家康の、「橋の前で馬を降りる」と、本質的には同じ話だな。
424:人間七七四年
08/07/08 14:17:52 iF2xuY9a
可児って猪突猛進の典型な気がしてたんだが違ったのか
425:☆中山鹿之助☆ ◆.Ooo.qq.q.
08/07/08 17:18:57 jFqDvhLU
>>422
カッコイイハナシダナー・゚・(ノ∀')・゚・。
426:人間七七四年
08/07/08 17:28:45 pnB6AJ3l
>>424
俺はむしろ、司馬遼の「おれは権現」での臆病な才蔵のイメージがあったから、この逸話
はしっくりくるなw
427:人間七七四年
08/07/09 02:48:44 Xyz7FeGi
みっちゃんは坂本もろった時に古歌に出てる場所に行ってみたのだ
ところが謡われているような松がない
どうしたのだと聞くと枯れちゃったとのこと
みっちゃんはそりゃいかんここには松があるべきと新たに植えました
それを信長が知り(猿経由だったような)
うぬもたまには面白いことするのると珍しく褒めた
したらばみっちゃんは
いやそんなことないっすよ云々カンヌンといってしまた
信長いつもどおり逆ギレみっちゃんをぼこぼこにしましたとさ
どうやらアドリブがにがてだったようですな
どうもこれも本能寺の遠因の一つらしい
428:人間七七四年
08/07/09 03:27:38 VUAyqzJB
信長のエピソードを聞くとそのほとんどが人格破綻者だから困る
429:人間七七四年
08/07/09 04:42:46 /xQBFMz1
信長と昌幸のエピソードは、いいぞ!
430:人間七七四年
08/07/09 09:46:06 dm3qyj1K
ある時、加藤忠広は
「余は武勇では到底、父・清正には及ばない。もっと、大力の持ち主になりたい」って、家老の飯田覚兵衛
に語った。
忠広を暗君だと思っていた飯田は、主君がめずらしくまともな反省の弁を述べたので、
「大力でないのは生まれつきゆえいたし方ありませぬ。しかし、その分学問に励まれて知将になりなされ」って励ました。
それを聞いた忠広は薄ら笑いを浮かべ、
「大力であれば、戦場で鎧を2重に着込むことができ、命を落とさずにすむだろ。余が大力になりたいと言ったのはそういう
意味じゃ。覚兵衛は何か勘違いしておるのう」と言った。
覚兵衛は、やっぱバカ殿じゃん…と暗澹たる気持ちになったとさ。
431:人間七七四年
08/07/09 10:12:32 7CyMyOiZ
関ヶ原のあと家康の元にやって来た朝鮮の使節、家康の家老の胸毛がもしゃもしゃだったことを記録。
432:人間七七四年
08/07/09 10:15:38 6GPekp4E
鎧付けている時間が長いと現代の骨折ギブスつけた時のように
毛がもじゃもじゃになるんですね、わかります
433:人間七七四年
08/07/09 10:22:03 7CyMyOiZ
戦国時代にやってきたイエズス会士、当時の日本人が小指で鼻をほじっていた事に衝撃を受けわざわざ本国に報告。
「我々は人差し指や中指を使うのに」
434:人間七七四年
08/07/09 13:41:10 dm3qyj1K
明智光秀の妻の話
光秀が仕官できずに流浪していたころ、彼の家に客が訪ねてきた。
光秀は客をもてなしたいが、放浪の身で貧しかったので、妻のひろ子に愚痴をこぼした。
ひろ子は
「妻というものは、こういう不意の事態に対する心構えができていまいます。殿はもてなしの
準備に気を使わないで下さい」といって、酒肴を買いに行き、光秀は大いに客をもてなすことが
できた。
客が帰った後に
「そなたのおかげで明智の面目を保つことができたが、あれだけのごちそうを買える金をどこから
工面したのだ?」とひろ子に聞くと
「実は、私の髪を売って金に換えました」と答えて、ひろ子は被っていた頭巾を取った。
なんと、ひろ子の腰まであった自慢の黒髪は無残にも根元から切り取られていたのだ。
光秀は大いに驚き
「いかに落ちぶれたとはいえ、我が妻にそのような思いをさせるとは、自分が情けない。
よき主君に仕え、もう二度とひろ子にこのような思いはさせぬぞ。」と堅く誓いあった。
「 月さびよ 明智が妻の 咄せむ 」
これは、この逸話を詠った、松尾芭蕉の句である。
435:人間七七四年
08/07/09 13:50:21 gfSUNhue
光秀は櫛を買ってくるんだろ
436:人間七七四年
08/07/09 13:59:18 7CyMyOiZ
織田信長の赤母衣衆として、長篠の合戦などで活躍し猛将として知られ、後に飛騨高山藩の祖となった金森長近。
弟は落語家。
437:人間七七四年
08/07/09 14:21:42 dm3qyj1K
口コミの話
織田家の猛将で知られる佐々成政は、越前の郡持大名から越中の国持大名に抜擢された。
佐々は、領地が増えたので新規の家臣の求人募集をした。
なんと、募集要項には「武功自慢求む」とあるのみ。
仕官希望の牢人の面接官には、佐々自らあたり、武功自慢の内容がビックな者はどんどん取り立てた。
しかも、求人1000石の応募者には、1500石で採用。求人500石の応募者には、700石で採用といった具合に
牢人衆に大盤振る舞いをした。
見るに見かねた側近が
「殿が大盤振る舞いをするから、牢人の中にはホラやウソの武功自慢をする不届き者がいます。いいかげ
んな採用はお控えください」と諌めても
「ホラでもなんでも、ワシの手足になる者なのだから、構うまい。それに、武功自慢が三度のメシより好き
何だもん」と一構に気にしない。
果たして、佐々成政のうわさは近隣諸国に広まり、結果的に名のある牢人衆を多数召抱えるころができたとさ。
438:人間七七四年
08/07/09 21:02:38 Ws6Dkeqy
佐々は40万国で兵25000と言う話は知っていたが
裏話ってあるものだな
439:人間七七四年
08/07/09 21:42:35 7CyMyOiZ
>>438
まあ、野暮だけど、>>434や>>437は中国の故事からもってきたお話だよ。
440:人間七七四年
08/07/09 22:22:40 wZ74xq1p
福島正則の話
福島正則は粗暴で人を罰することも多かった。あるとき、近習の一人の武士がわずかなことで咎められ、一切食事を与えられず城内の櫓に閉じ込められた。
後日、もう餓死している頃だろうと思って正則が櫓に出向くと、その武士は餓死するどころか、顔色ひとつ衰えていなかった。
441:人間七七四年
08/07/09 22:24:03 wZ74xq1p
「さて誰かこっそり飯を運んだな」正則は怒り、その者を捜し出して殺そうとした。すると、一人の茶坊主が死を覚悟して名乗り出てきた。
442:人間七七四年
08/07/09 22:25:14 wZ74xq1p
「昔、私は罪を得て死にそうなとき、この方に助けていただきました。その恩に報いるため、飯を運んだのです」これを聞いた正則は目に涙を浮かべ、「お前の志には感心した。人間はそうあるべきだ」といって櫓の武士を許し、茶坊主を報償したという。
443:人間七七四年
08/07/09 22:29:05 Da7T3WmI
なんで小出しにするの携帯厨なの?
444:人間七七四年
08/07/09 22:54:00 h8vz+p1c
一方正則は家康に媚びた
445:人間七七四年
08/07/09 22:56:07 7CyMyOiZ
三河時代の徳川家。
とある法令が守られず、当時徳川の名物と言われた三奉行、仏の高力清長、鬼の本多作左衛門重次、
どちへんなしの天野康景が会議を開いた。
高力「法令が厳しすぎて守れないのだ。もっと守りやすい法令に改めるべき」
天野「いや、むしろ罰則を厳しくして、法令を徹底させるべきだ」
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた
「まもらねば、さくざがしかる」
これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。
446:人間七七四年
08/07/09 23:56:41 dm3qyj1K
>>439
確かに明智妻の話は、北条時頼と佐野の話・蜀漢劉備と狼の肉の話、に似てるな~とオモタが、更に原典となる
故事はあるんやろね。
447:人間七七四年
08/07/10 02:05:30 6R3v8Heb
戦国列強の一角を担った毛利元就
彼の嫡男隆元は、戦国の世には珍しい愛妻家で、側室を持たなかった
次男の吉川元春は、ブスと評判の嫁を貰ったが、やはり側室を置かなかった
そして、なんと三男の小早川隆景もまた、奥さん一筋であった
上の二人は後継ぎが生まれたのでまだしもだが、隆景には生まれなかった
にもかかわらず、側室を置かなかったのである
戦国一、嫁さんを大事にした一族と言えるだろう
448:人間七七四年
08/07/10 02:51:01 seV6O5kC
毛利と言えば、その隆元の息子輝元が、秀吉に臣従するため大毛利家当主として初めて上洛すると言う時、
家臣の山内元興に当てた手紙
「銀子100枚でいいから貸してくれないか!?絶対返すから!」
449:人間七七四年
08/07/10 12:39:41 QwEeltSe
>>445
いい話つか、それ笑い話だろ
450:人間七七四年
08/07/10 12:50:45 FlIi8GSC
じっと聞いていた作左衛門、触れ書きの板を持ってこさせおもむろにこう書いた
「まもらねば、さくざがほる」
これを城下に掲示したとたん、法令は遵守されるようになった。
451:人間七七四年
08/07/10 12:56:01 e2dWpqn3
既出?
真田昌幸と島田兵四郎
慶長5年(1600年)第2次上田合戦の時のことである。
秀忠の使番である島田兵四郎は,
本陣から攻城中の上田城をはさんだ場所に陣を張っている,
石川隊に連絡をつけなければならなかった。
上田城を迂回していくと大幅に時間を浪費してしまう。
そこで兵四郎は剛胆にも
「」上田城の門の前から城内を通りぬけさせてもらいたいと大声で頼んだ。
その報告を受けた昌幸は興がり、機嫌良く兵四郎に会うと
「後の合戦のために城内をよく見ておくが良い。また戦場ではわしの顔を忘れるなよ。」
と、自らの顔をよく見せたあと、城内を案内して廻った。
452:人間七七四年
08/07/10 18:21:55 ZVTe9j0Q
>>445
サクザはその辺の民衆にも読みやすいように
法令の発表の際にはわかりやすい文体で平仮名で書いてたんだよな
甲が乙に~とかはやらなかったんだよな
単なる鬼ではない
隻眼片足で秀吉のおかん焼き殺そうとしたけどな
453:人間七七四年
08/07/10 18:55:46 seV6O5kC
>>452
北条征伐で秀吉が駿府城に入った時も、秀吉の前で家康罵りまくったりw
これを思い出した
秀吉の元に諸侯が集まった時、秀吉がそれぞれの家の家宝や秘蔵の品をたずねてみた。
それぞれ宝剣や茶道具などを自慢し合う中、最大の諸侯である家康は一人黙っていた。
秀吉が「徳川殿はいかなる宝をお持ちか?」と尋ねると、家康は、
「わたくしは、ご存知のとおり先祖代々片田舎におりますれば、そのような宝物は何も持っておりません。
ただ、事起これば自分のために命を捨ててくれる家来が五百騎ほどおります。これが私の宝でございます。」
454:人間七七四年
08/07/10 18:58:59 pO1YtQBM
氏政『今日はあの収穫したばかりの新鮮な麦飯に汁かけて喰おうぜ!』
家臣『親方さまの汁なら三回はかけて欲しいぜ♪』
氏康『あぁ君臣が仲睦まじい…これで北条も安泰だ\(^_^)/』
信玄『ワシに学んだとは!北条に離間策は通じぬな。穴どるべからず』
455:人間七七四年
08/07/10 19:23:29 567QXLwH
さくざ叱るは天下創世のイベントが面白い
456:人間七七四年
08/07/10 20:21:49 uMxE+C22
天下統一を果たした羽柴秀吉は、自分に臣従した大名を呼び寄せ、
舟遊びに興じた。秀吉は饅頭を用意して、船に乗り合わせた大名
達に配った。皆、美味そうに饅頭をほうばる中、長宗我部元親は
饅頭を少しかじって、そのまま紙に包んだ。
それを見咎めた秀吉が訊いた、
「長宗我部、その饅頭が気に入らぬか?」
長宗我部は答えた
「いえ、秀吉様に頂いた貴重な饅頭を、私一人で食べるのはもっ
たい無き事。持ち帰って家臣達と分け合って食べます。」
秀吉は大いに喜び、用意していた饅頭をすべて長宗我部に与えた。
一時は四国全土を席巻し、「土佐の出来人」と謳われた
長宗我部元親。彼ですら戦国の世で生き残るには、こうした心遣い
が必要であったのかもしれない。
457:人間七七四年
08/07/10 22:46:18 ZUVezt6V
>>450
さくざwほっちゃいかんだろww
458:人間七七四年
08/07/10 22:51:20 seV6O5kC
小学生レベルのネタで笑える人ってうらやましいわ
459:人間七七四年
08/07/11 10:18:00 PCi+oieC
うんこと言って笑ってる小学生と一緒だな
460:人間七七四年
08/07/11 12:01:29 nm+y5XnB
「のぼうの城」で有名になった秀吉の関東征伐における忍城攻防戦。
あの話には実は続きがある。
交渉の結果無血開城となった忍城、そのことを知らせた三成に対し、秀吉からの返答は
「約束は関係ない。城の者どもは皆殺しにしろ」
だった。
三成はそれに強硬に反対。「我らは天下人たる秀吉様の名をもって約束したのである。天下人の面目のためにも
無血開城を許すべき」との強諫状を秀吉に送りつけた。
秀吉はそれをしぶしぶ認め、結果、忍城は無事無血開城された。
が、
秀吉はこの三成の行為にかなりの不快感を持ち、見せしめのため、秀吉草々頃からの家臣であり
三成を秀吉に推挙した、三成の妻の伯父に当たる、尾藤左衛門尉知宣を、下野那須野ヶ原に於いて斬殺した。
461:人間七七四年
08/07/11 13:04:01 rD2d70ZH
うへぇ 「戦国 か な り 悪 い 話」になってる
ま、秀吉の実像を知っている人なら驚かない話ではあるな。
462:人間七七四年
08/07/11 13:38:12 jUkSEDN2
大坂の陣で徳川勢が城を囲み始めたころ、
城内で開かれた軍儀で真田信繁が
「敵の準備が整う前に奇襲を掛け、出鼻を挫けば、豊臣に味方するものもさらに増えよう」
という提案に将達も賛成した。藤又兵衛は「では私がそれを仕ろう」と言った。
信繁は自分にまかせろといい、
又兵衛は、「信繁様は一軍の大将なのだからもしものことがあってはまずい」と言い、
ついには喧嘩になってしまったため、城を出ての奇襲は却下となった。
武将として戦功の無い信繁の焦りと自信過剰の又兵衛。
なんとも残念な情けない本当の話。
463:人間七七四年
08/07/11 13:46:06 nm+y5XnB
>>462
その頃家康は
自軍の兵たちに自ら、竹束による鉄砲除けのやり方を教え、「最近の若い者は戦のやり方をまるでわかっとらん」と
怒っていた。
464:人間七七四年
08/07/11 14:28:25 U8OSaxyE
秀吉話の場合最後に必ず誰か殺すんだなw
465:人間七七四年
08/07/11 15:08:44 veEi+yPH
15年も戦争が無けりゃそうなるだろうね
466:人間七七四年
08/07/11 15:42:02 /8IbI/UW
昭和13年5月21日、前年に勃発した日中戦争が激化する中。
岡山県苫田郡西加茂村大字行重字貝尾部落で、
都井睦雄、数え年で22歳が、
ゲートル、猛獣用狩猟用口径12番9連発銃を手にし、
日本刀腰に下げ、匕首2本をポケット入れ、
貝尾部落の電線を切り、部落全体を暗闇にしたうえ、
自分はナショナルランプを胸に、
頭に2本の懐中電灯をさし、村人30人あまりを虐殺した。
まず都井は、一緒の部屋に寝ていた祖母のいねの首を手斧で斬りおとした。
首は約1mほど飛んだ。その上、猟銃を身体に無茶苦茶に撃ち込んだ。
続いて隣家の丹羽イト(47)方に侵入、就寝中のイトに瀕死の重傷を負わせる。
かたわらに寝ていた娘つる代(21)日本刀と猟銃を以って殺害、
続いて寺井好二方に侵入、一家を全滅せしめたうえ、
返り血を浴び悪鬼のごとく荒れ狂い、深い眠りに落ちていた付近民家を片っ端に襲った。
人とは思えぬ野獣のような叫び声を上げ、貝尾部落の住民を戦慄せしめた。
都井はそれから猟銃と日本刀を以って29人をたてつづけに殺害した。
返り血で全身血まみれになり付近の山中を逃げ回った都井睦雄は、
山中で自分の心臓を猟銃を撃ち抜き、自らの命を絶った。
「阿部定に負けんような、どえらい事してやる」
467:人間七七四年
08/07/11 15:48:21 qjLtY+6O
Y Y
(・∀・) <こらえてつかぁさい
468:人間七七四年
08/07/11 15:53:27 RQ4Wx2V7
「ちょっといい話」以外のカキコが増えて、ちょっと荒れてきたね
469:人間七七四年
08/07/11 15:58:46 nm+y5XnB
関東征伐の時のお話をもう一つ
前田利家が秩父寄居の鉢形城をとりかこむと、封鎖された城側は戦意を失い降伏。無血開城された。
この、無駄な血を流さない鮮やかな戦果に利家も喜んでいると、早速秀吉から書状が届いた。
「こんなに早く書状が来るなんて、関白様もお喜びか!」と、書状を開くと、そこには
『誰が勝手に城兵の命を助けて良いと言った?』
この書状にハッスルした利家公、八王子城攻略で高名な皆殺しをやってのけました。
470:人間七七四年
08/07/11 19:10:44 PCi+oieC
>>466
スレタイ読めよ
つか、板違い
471:人間七七四年
08/07/11 19:39:37 nm+y5XnB
今度は本当に良い話
三成の奉行に平塚越中守という者がいた。世に知られた武士であったので、彼が浪人していた時
徳川家康も仕官を誘ったが
「家康公はケチなので嫌でござる」
と言い、気前の良い石田三成の元に使えた。
やがて関ヶ原が起こり、平塚は落ちのびる最中生け捕りにされた。
かつての事を覚えていた家康は引き出された平塚に「わしの誘いを断り三成に使え、この様か」と嫌味を言う。
それに平塚は「何を言うか!徳川殿とてかつては今川に人質にされ、戸田にさらわれ織田に売られたような身で
あったではないか!」と家康を散々に罵り、「さあ、早く首をはねよ!」と啖呵をきった。
それを聞いて家康はにやりと笑い
「さても憎い奴だ。お前のような奴に一瞬しか苦しまない斬首はもったいない。生かして世の苦しみを味あわせよ」
といい、縄を解き召し放してしまった。
左右の者たちが「何故あのような無礼なものを!これでは処罰になりませぬ!」と抗議すると
家康は、「あ奴は見所のある奴だが、苦労が足りぬ。苦労して人を磨けば、わしの息子達の家臣にしたいほどの、
良い武士になるであろう。そう見込んだから、命を助けたのだ。」といった。
この平塚越中守の名が、紀伊家初代、徳川頼宣の家臣の中に現れるのは、この暫く後の話である。
472:人間七七四年
08/07/12 00:16:12 iKrK589Q
天正9(1581)年7月、織田信長、何を思ったか地元の盆踊りの余興に、安土城にイルミネーションを取り付けると宣言。
家臣一同その作業にてんやわんやの目に合うも、提灯業者大いに潤う。
473:人間七七四年
08/07/12 00:27:52 iKrK589Q
天正18年(1590年)、石田三成、佐和山城を造るも、お金が足りなくて壁が未塗装のままになる。
それを指摘されると「うるせー俺の城は実戦向きなんだよ」と、良くわからない言い訳をする。
474:人間七七四年
08/07/12 01:18:13 iKrK589Q
文明三年(1476年)伊勢新九郎、幕府に出張に出される。ついでにお父さんを亡くしたばかりの甥っ子を慰める。
長享元年(1487年)伊勢新九郎、幕府にまた出張に出される。ついでに甥っ子がピンチだったので助ける。
永正元年(1501年)伊勢新九郎、甥っ子と鎌倉観光を楽しむ。「こいつも成長したなあ」と、しみじみする。
永正二年(1505年)伊勢新九郎、甥っ子の嫁の世話をする。京都の名家のお嬢様だ。
永正十三年(1516年)伊勢新九郎、伊豆三島大社に参拝し、甥っ子の戦が上手く行ったことを神様に感謝する。
でも恥ずかしいので甥っ子には内緒だ。(約500年後、気の利かない地元の史家にばらされる)
475:人間七七四年
08/07/12 02:52:34 jmDXDfNF
>>472
瀬戸てんやわんや
476:人間七七四年
08/07/12 11:04:47 iKrK589Q
正宗三連発
・伊達政宗、自邸に将軍の御成りが決まり、幕閣一同下見に訪れる。そこで将軍への進物の話になり、
政宗、長さの違う二振りの脇差を出してきて、「どっちがよろしいかな?」と聞いてくる。酒井忠世と土井利勝が
「長いほうかな?」と答えると、その答えを何故か気に入らなかった政宗、急に怒り出し
「短いほうでも、お前のわき腹ぶっ刺せるんだぜ」
と、良くわからない威嚇を始める。幕閣一同笑ってごまかす。細川忠興呆れる。
・伊達政宗、友達で旗本の加々爪忠澄の額を、何を思ったか突然ひっぱたく。忠澄もとっさにひっぱたき返す。
→そのまま場外乱闘。拳と拳で男の友情を確かめ合う。細川忠興呆れる。
・伊達政宗、島津家久を呼んで茶会を企画。余興として能でもしようと思い立ち、喜多七太夫の所に
「役者貸せ」と言いに行くも、七太夫「あいにくその日はみんな予定が埋まってまして…」
これに激怒した政宗「来ないと言うのなら、お前ら全員斬り殺す!」と、堂々のジェノサイド宣言。政宗は本気だ。
困った七太夫、島津家久に泣き付く。訳を聞いて途方にくれた家久、友達の立花宗茂や寺沢広高と相談の結果、
「いたたたたたた?あれ?急に、おなかが、痛、いたたたたたた、急におなかが痛くなったよー、これじゃ茶会は無理、
残念だけど延期するしかないなあーいたたたたた(棒読み)」
と、不登校の小学生みたいな言い訳をして、五日間の延期に成功。細川忠興やっぱり呆れる。
477:人間七七四年
08/07/12 12:05:31 CCki6Kvx
>>476
なんというDQNw
478:人間七七四年
08/07/12 13:10:20 wM2GQ6nA
細川忠興のようなDQNに呆れられるところが笑いどころか?
479:人間七七四年
08/07/12 14:14:36 jmDXDfNF
それ以外ないだろ
480:人間七七四年
08/07/12 14:31:52 o3th/Art
URLリンク(www.nicovideo.jp)
481:人間七七四年
08/07/12 17:07:17 BowFtQy6
>>476
島津家久ってとこで笑った
西国無双のDQN忠恒様さえも途方に暮れる役回りにしてしまう
政宗おそるべし
482:人間七七四年
08/07/12 17:34:24 iKrK589Q
秀吉の鳥取城攻めの相手として有名な吉川経家。彼が、城兵たちの命と引き換えにいよいよ明日、切腹すると言う日
自分の、幼い4人の子供たちにあてた手紙
『鳥取城は、昼夜あわせて200日も耐えてきました。しかし、兵糧も尽いたので、
父は一人腹を切り、城兵を助け、吉川一門の名を上げたのです。
その、幸せな物語をどうか、皆から聞いてください。」
483:人間七七四年
08/07/12 22:09:30 1LXiI71w
今度はDQN自慢スレになってるw
>>474
なんかの日記のガイドラインですか
>>482
それは「ちょっといい話し」というより「泣ける話し」のような。
484:人間七七四年
08/07/13 00:41:09 +yWH91Rb
毛利輝元が始めて上洛した時のお話
朝廷への参内を認められ、参議に就任。毛利家始まって以来の殿上人である。
御所を出たのは夜中の10時。だが輝元うれしさのあまり、付き添いの小早川隆景引っ張って
豊臣秀長のところに「参議になったよ!」報告に駆けつける。が、当然既に門は閉められており、
門番から「もう遅いんで明日来てもらえますか?」とたしなめられる。
隆景、ひどく恥ずかしい思いをする。
485:人間七七四年
08/07/13 15:31:50 +yWH91Rb
信長が上洛した時の事
信長は将軍の新邸や御所の新築をするため、各地から資材を集め、かつての室町幕府の政庁、花の御所が
あった場所からも石材をどんどん搬入させた。それを見た京都の市民、御所の女房言葉で、団子の事を
「いしいし」と呼んだ事から、「これがホントの花より団子か」と、信長、変な感心をされる。
486:人間七七四年
08/07/14 06:37:58 SqmWSjTB
>>460
三成って良くも悪くも正義感強すぎたんだな
487:人間七七四年
08/07/14 10:10:15 6awfvRt+
>>486
ちなみに、三成は伯父を殺されたのが相当堪えたのか、この後の奥州征伐では、秀吉に言われたとおり、
九戸などで「城兵の命は助けると約束して降伏させる→皆殺し(女子供含む)」をやって、秀吉からの信頼を
回復します。
488:人間七七四年
08/07/14 12:17:55 hxHDCHEz
>>487
九戸の乱に三成は立ち会ってなかったと思うが
489:人間七七四年
08/07/14 12:43:48 6awfvRt+
>>488
ああ、そうだ。ごめん勘違い。蒲生氏郷と三成を逆に覚えてた。
490:人間七七四年
08/07/14 13:50:43 INEJa3iz
木村重成(秀頼の乳兄弟)
大坂夏の陣の5月ごろから食が細くなった重成、
「落城近しの風聞に接し、食が進まないのか?」の問いに、こう答えた。
「昔、後三年の役のおり、末割四郎という者がいた。
この者は臆病もので、朝の食事も喉に通らないほどだったが、
敵陣で首を切られた時、切り口より食い物が出てきて恥を晒したそうな。
俺も首を取られるだろうが、骸の臓物を見苦しくないようにしたいから謹んでいるのだ」
491:人間七七四年
08/07/14 21:08:57 6awfvRt+
秀吉の北条征伐を受ける北条氏
領民たちに「農民も商人も、戦えるほどのものはすべて参戦せよ!」と、悲壮な総動員を訴える。
ただし
「見苦しい格好をしているものはその限りではない」と、ファッションへの強いこだわりも見せる。
492:人間七七四年
08/07/15 01:19:32 AlKY6CLr
細川忠興が隠居した頃のお話。
土井利勝のところに秀忠と家光が御成りになるという話を聞いた忠興、利勝のところに贈り物をした。
幕府の筆頭人として世をときめく土井利勝は、しかし、己の身を慎み、大名たちからの贈り物は一切受け取らない男だった。
この時も、「私は大名からの贈り物は一切受け取っておりません」と断る利勝に、使者は、
「主人が申すには、とにかく見るだけ見てほしい、と言っております」とのこと。
利勝が何かと思って開封するとそれは、よく贈られる高額な品物ではなく、忠興自らが目利きした、ありふれた感じの
掛け物や香台などの道具類だった。
「これは…?」
ふと、何かを悟った利勝、なんとその贈り物を、そのまま受け取った。
そして御成りの日、御成りの間には絵の類が一切飾られず、床の間には鳥の子紙の貼付壁の前に、
忠興の送った道具類だけがさりげなく置かれていた。それは高価なものではないが、一つ一つの品の確かさといい、
全体の調和といい、素晴らしいものだった。そしてその飾りつけは、忠興の審美眼の高さをさらに強調していた。
幕府の芸術監督である小堀遠州も、ただただ感心したと言う。
後でその話を聞いた忠興、「利勝は芸術と言うものを良くわかっている」と、喜んだ。
493:人間七七四年
08/07/15 15:31:10 0oBXTggl
>>491
なぜだかわからないけど、北条らしいというべきか…
494:人間七七四年
08/07/15 17:13:31 FFDJDiu9
>>491
それはなにか?暗に「お前らは逃げろ」ってことか?
なんかツンデレ
495:人間七七四年
08/07/15 17:22:38 AlKY6CLr
>>494
ちがうよ。「見苦しい格好で戦場出られると敵から笑われて恥ずかしいから」って言う理由。
さすが「装束の北条」の面目w
496:人間七七四年
08/07/15 20:30:05 AlKY6CLr
将軍暗殺で有名な嘉吉の乱の首謀者の一人、赤松則繁。彼は乱のあと行方不明になっていた。
新将軍義勝の元に、死亡した将軍義教を弔うために高麗から使節がやって来た時、
そういえばあいつはどこに行ったのかねえ、と、その話題が出た。
高麗使節が「それはどのような人物なのですか?」と聞いてきたので、幕閣たちがそれを説明すると、
かの使節、みるみる顔を青ざめさせ、こう叫んだ、
「そいつ!今我が国を襲撃している倭寇の頭領!!」
一同、則繁が元気でいることを知りほっとする。
497:人間七七四年
08/07/16 01:38:03 jrnwjRYY
信長が上洛した頃の事
京には、今は亡き斉藤義龍の妻が隠棲していた。その女が、美濃斉藤家に伝わる茶道具の名品を、
義龍の形見として持っていると言う事を知った信長、早速その名品を自分に献上させる様に命令した。
だが、彼女はそれを拒否。信長の使者を追い返した。これを聞いた信長は、女を殺してでも奪って来いと
怒った。その時、稲葉、安藤、氏家の、西美濃三人衆をはじめとする、今は信長に仕える旧斉藤家の家臣たちが、皆
信長への面会を求めてきた。何事かと召し出すと、彼らは、「義龍公の奥方から茶道具を取り上げるとの事、
どうか、考え直していただきたい」
さもなくば、
「我ら一同、この場で腹掻っ切ります」
これには信長も、彼らの要求を呑むしかなかった。
美濃系の武将の家に、長く伝わったお話。
498:人間七七四年
08/07/16 05:51:30 6d2eLwz4
オチが家康系だな
信長系のオチだと本当に腹切らせたとかなりそう
秀吉系のオチなら後で美濃衆の縁者を処刑したってなるのは確実
499:人間七七四年
08/07/16 11:10:33 wbYBbw2U
>>498 100点
500:人間七七四年
08/07/16 12:40:57 d+m9FLXM
>>496
そんで、倭寇として備中・河内まで攻め込んでくるんだよなw
壮大なロマンを感じさせる武将やなぁ 100点
501:人間七七四年
08/07/16 17:44:50 Jh04Gc8R
>>497
それは言継卿記に出てくる壷事件の事なんだろうな。
美濃国人の佐藤が岐阜に滞在していた言継卿に語った話として出てくる。
502:人間七七四年
08/07/16 20:12:32 wbYBbw2U
〈戦国武将は幽霊を怖がらない話〉
とある秀吉が攻め取った城で幽霊が出ると騒ぎになっていた
多くの者が討ち死にした場所ではよくある話です
夜になると先の城主が恐ろしい形相で城内を歩き回っているそうで
城の女達は祟りを恐れ浅野長政に相談しました
長政は早速御祓いをしたのですが一向に効果が無く秀吉に報告したのです
長政:毎晩先の城主○○が城内を歩き回っておるようです
秀吉:何を申しておるのだ、○○はとうにこの秀吉が討ち果たしておるわ
長政:それが亡霊となって徘徊されておるようで、いかがいたしましょう?
秀吉:そはまことか?アハハこれは近頃無い楽しい話じゃ
長政:相手は亡霊ですぞ、御祓いも意味無くどの様な災いがあるか
秀吉:あ奴この秀吉にたて付くから成仏出来ぬのじゃ、こんな楽しい事があるか
秀吉:わしに逆らうと成仏出来ぬ様になるぞ、と世に広めよ
長政:はぁ・・・
「秀吉が大はしゃぎした夜から幽霊は出なくなったそうです」
○○の名前忘れてしまったスマソ
503:人間七七四年
08/07/16 20:16:01 jrnwjRYY
>>502
秀吉は信長の霊に脅かされて小便ちびりましたがなw
504:人間七七四年
08/07/16 20:35:44 jrnwjRYY
秀吉と言えばこんな話
後の関白秀次の父、三好武蔵野守は自分の髭が自慢で、
ある人から「こんな立派な髭は日本では見た事がない。舶来物の髭ですな」
と言われ大いに得意になった。
そこで、会う人会う人に自分の髭を「どうでござるこの髭、ここだけの話、舶来ではなく日本産の髭でござるよwww」
と、吹聴してまわっていたそうな。
秀吉、自分の一族の将来に深刻な不安を感じる。
505:人間七七四年
08/07/17 00:55:18 tjjOvyw7
>>502
別所長治かな?
506:人間七七四年
08/07/17 01:37:17 MUg3pPyl
別所と吉川経家(こいつは本当にいい迷惑でした。本来の城主じゃないのに)、清水は
成仏してる気がする。辞世とか死に際見たら(3人中だと別所かなぁ?)
507:人間七七四年
08/07/17 10:14:01 Hx6YqQ5M
士分(上にいけばいくほど)の者が、どんな理由にしろ死後に「うらめしや系の」怨霊化
というのは不名誉この上ないことだろ
508:人間七七四年
08/07/17 10:58:52 zfOtEsuw
よく聞く平氏や秀頼たちは・・・やっぱり武家というより公家化したからか?
509:人間七七四年
08/07/17 11:54:19 4Rtj3R4Y
大谷みたいにすぱっと殺るタイプはあり?
510:人間七七四年
08/07/17 18:30:59 aEbMU9HC
あいつは金タマ蹴り潰されて死んだだけで大谷関係ないっす
511:人間七七四年
08/07/17 18:42:35 q86cL6uf
蒲生氏郷が危篤に陥り、明日をも知れぬ状況になったときの事。
城に詰めている家臣の一人が「ああ、若様のためにも、せめて殿があと3年生きてくれれば…」と、言うと
それを聞いた同僚がポツリと
「高価な毒薬さえ手に入れられれば…」
その場にいた家臣一同「何でだよ!」と総ツッコミ
そう言った本人は「ホラ、高価な毒薬は3年たって人を殺すと言うじゃないか」
病床の氏郷、自分を心配する家臣への感謝と、自身の家臣選びの目利きへの疑問の、二つの気持ちを同時に抱く。
512:人間七七四年
08/07/18 17:13:41 KzaGCBJB
槍試合の話
ある時、信長が家来に対して「槍の柄は長いのと、短いのとどっちが有利か」と質問した。
この質問に対して、上島主水は「短いのが有利」、羽柴秀吉は「長いのが有利」と答えた。
双方の言い分を聞いた信長は、
「双方に足軽50人を付けて、3日間の猶予をやる。4日目に両者で模擬戦をやって、どっちの言い分が正しいか確かめよう」
と言った。
主水は、早速50人の足軽を集めて、短い槍で長い槍に打ち勝つ方法を伝授し、朝から晩まで猛特訓をした。
他方秀吉は、集まった足軽50人と飲めや歌えやの宴会三昧で、一向に稽古をしなかった。
そして、4日目の模擬戦当日となった。
馬場の東西に主水の短槍足軽50人と、秀吉の長槍足軽50人が陣を作る。
試合開始の太鼓が鳴るや否や、秀吉隊は素早く3隊に分散して主水隊に襲い掛かり、リーチが大きい長槍を振るって敵をなぎ倒し
突き伏せて、勢いに圧倒された主水隊の足軽は猛特訓で身につけた槍術を使う間もなく勝負は決してしまった。
試合後に信長は
「個人戦なら主水の短槍が有利であろう。しかし、集団戦なら秀吉の長槍が有利である。個人戦で勝つ工夫をした主水も集団戦で勝つ工夫
をした秀吉も、双方の心がけはあっぱれである」と言って、双方に褒美を与えたとさ。
513:人間七七四年
08/07/19 00:36:53 xajQCAlt
秀吉が太閤と呼ばれていた頃
当時秀吉の御伽衆の中に、二徳という者がいた。
かれがいつも調子のいい事を言うのをこにくらしく思っていた秀吉は、悪戯をしかけてみた。
二徳を呼び出すと「今日は非常に立派な鶴を献上された。これを生き造りにしてお前に食わせてやろう」と言う。
そんな気持ちの悪いもの食わされてはたまらない、と思った二徳
「わたくしは、愛宕権現に願をかけておりますので、ただいま生ものを食う事ができません」と言った
「なんじゃと?いい加減な事を言うと釜茹でにするぞ?一体何の願をかけておるのじゃ?」
「太閤殿下の事で」「わしの?」「はい。殿下が臆病になられますように、と願をかけております」
わしを臆病にするとは何事か!と、言い出しそうな秀吉に二徳は、「殿下はあまりに命知らずでありまして、
戦場でも鉄砲などにお構いなくどんどん進んでいってしまいます。もし鉄砲の弾に当たってお果てになられたら、
私はどうしたらいいいのか…。それゆえに、臆病になられますようにと、精進し権現様に祈っておるのです」
秀吉はこの答えを気に入り、二徳をほめ、褒美をとらせた。秀吉の悪戯を見事に切り替えしたお話。
514:人間七七四年
08/07/19 00:39:33 ZyON3uCE
秀吉って御伽衆を侍らしていたのは有名だがとんち野郎も好みだったのかな
有名な吉四六さんも秀吉に絡んだ逸話がなかったっけ?
515:人間七七四年
08/07/19 02:29:03 3l4HsHeK
>>514
ちょっと調べてみたが秀吉の御伽衆でとんち話だと曽呂利新左衛門か。
あるとき、秀吉が新左衛門に褒美をとらせることになりました。
秀 吉 :「新左衛門、何でも褒美のものをとらせよう。何がよいか?」
新左衛門 :「はい、それでは米粒をいただきとうございます。
今日から将棋盤の目の数だけの日数、毎日いただきとうございます。」
秀 吉 :「どのくらいほしいのじゃ?」
新左衛門 :「はい、今日は1粒、明日は2粒で結構でございます。
毎日その前の日の2倍の米粒をいただきとうございます。」
秀 吉 :「米粒だけでよいとは、おまえはなんと謙虚なやつじゃ。
その願い確かにかなえようぞ。」
新左衛門 :「ははっ。ありががたき幸せ。」
家 臣 :「秀吉様、たいへんでございます。」
秀 吉 :「どうした。」
家 臣 :「81日も褒美をあげれば、国が潰れてしまいます。」
秀 吉 :「なんと言うことじゃ。早く新座衛門ここへ呼んでこい。」
新左衛門 :「秀吉様、どうされたのでしょうか。」
秀 吉 :「そなたには、参った。褒美を他のものに替えてくれんか。」
新左衛門 :「承知いたしました。」
インドの古代象棋の説話でもあったよなぁ、これ。
516:人間七七四年
08/07/19 04:02:59 upL91i52
>>512
秀吉のプロバカンダのせいで
>試合後に信長は
こっからしたしられてないよね
神智の太閤様に逆らった旧態依然の愚物としてし描かれてない(名前もまず出ない)
信長がはちゃんと双方みてて偉いな
517:人間七七四年
08/07/19 05:19:59 L97ruCNa
うむ、気持ちはわかるが少々落ち着け
518:人間七七四年
08/07/19 11:36:38 ujPURHeI
>>516
この逸話は絵本太閤記から引用したが、意見の対立する争点について、とりあえず両者に証明の機会を与えるって
パターンの逸話は、1次史料である信長公記にも3つほどある。
信長って独裁者みたいなイメージもあるけど、それ以前に科学的実証主義者でもあるわけだ。
519:人間七七四年
08/07/19 14:00:28 xajQCAlt
細川幽斎が家老の松井を夕食に誘った際の事
何があったか松井の到着が送れて、せっかくの料理が出すに出せない。
料理人が「今日のメインディッシュに用意した塩鯛が、焼けすぎてしまいます!」と愚痴を言う。
それを聞いて幽斎は一句
来ぬ人を まつ井の浦の夕めしに 焼き塩鯛のみをこがしつつ
おなかがすいてイライラしていたご相伴一同、これにはどっと笑って場の雰囲気も一気に良くなったとか。
幽斎のインテリ文化人らしいお話。
(定家の「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」のパロディ)
520:人間七七四年
08/07/19 23:06:19 ZyON3uCE
>>519
いい話ではあるんだけど
同伴衆もそれに見合う教養がないと座が和まないと思われ
・・・
ま、戦国~江戸初期じゃ武将レベルはこれが普通だったんでしょうか。
秀吉の子飼いはこのレベルに達してるか怪しそうなのがいるがw
521:人間七七四年
08/07/20 01:48:35 JYeJ6fnx
慶長年間の事
京の綾小路で、ある家の女房が屋根の吹き替えをしていたところ、足を滑らせて下に落ち、
運の悪いことに、ちょうどその落下地点に隣の家の女房がおり、下敷きになった隣の家の女房は
首の骨を折って死んでしまった。
これに怒った、死んだ女房の夫は「うちの妻を殺すためにわざと屋根から落ちたのだ!」と言いたて
京都所司代、板倉伊賀守訴えた。
訴訟を聞いた板倉は
「よしわかった。では、隣の家の女房をお前の妻がいた場所に置き、お主は同じように屋根から落ち、
憎い女を殺すがよい」
男は「そんな事をしたら自分が下手をすれば死んでしまう」と、訴訟を引っ込めた。
522:人間七七四年
08/07/20 10:35:04 0NerwLrv
成功すれば女房の仇を討てるし失敗すれば女房のところに行けて
どっちに転んでもうまい話じゃないかこれは。
523:人間七七四年
08/07/20 11:28:45 69QXqq/h
>>522
いやいや、落下して頭と頭をぶつけ
ショックで心が入れ替わるパターン
524:人間七七四年
08/07/20 12:17:23 JYeJ6fnx
明智光秀の「愛宕百韻」でも有名な、連歌師の里村紹巴の屋敷に、烏丸卿をはじめ多くの公家が
連歌会をしに集まった。先に庭をぶらぶらしていると、桃や柿の木の下に、弓矢を持たせた人形が
いくつも置いてある。公家たちが「これは何ぞや?」と尋ねると、紹巴は「成った実を荒らす、トンビ除けでございます」
と言う。
それを聞いた、連歌の腕前では紹巴のライバルの烏丸卿
「いやいや、トンビではなく、カラス除けではないのかな?」
紹巴師匠、一本取られる。
525:人間七七四年
08/07/20 12:49:16 E75Eeo1K
むう、どこがいいのか解らんのが
悔しいぜ
526:人間七七四年
08/07/20 12:56:18 c7QmXgz3
>>525
からすま卿
527:人間七七四年
08/07/20 13:03:08 E75Eeo1K
>>526
それだと嫌味か皮肉を言ったようにしか
見えんのだわ
528:人間七七四年
08/07/20 14:09:16 f9+sE7vw
自虐ギャグの一種じゃね?
連歌会に顔出すぐらいだから決定的なほど仲が悪いわけでもなかろうし
529:人間七七四年
08/07/20 17:45:49 IcuAKWbl
細川幽斎が歌道に目覚めた話
藤孝は若いころは、
「歌詠みなどは公家児女がやることで、武士なら恥ずかしくてやってられない」
と見向きもしなかった。
ある時、敵将を追っていたが、途中で見失いあとへ引き返そうとすると、藤孝の供の一人の侍が馬の口
を押さえて、「いま少し追撃するべきです!」と進言した。
藤孝は首を横に振って
「長路、すでに人馬も疲れて追いつくことが困難だし、そもそも敵はすでに遠くに逃げてしまっただろう。」
と言った。
すると、その侍が、
「歌の心を持って考えてみまするに、
『君はまだ遠くには行かじ わが袖の 涙もいまだ冷ややかならねば』
という古歌があります。いま、敵の乗り捨てた馬をなでてみますと、鞍がまだ温かですから、
敵はそう遠くへは逃げておりますまい。」という。
藤孝はそれを聞いて感心し、侍の助言どおりに追って行くと、まもなく敵に追いついて、敵将を
捕虜にするという戦功をたてることができた。
それ以来、藤孝は歌道を好み、ついに歌道の達人になったという。
530:人間七七四年
08/07/20 19:42:06 JYeJ6fnx
信長の、ある年の元旦の事
大広間に雑煮の膳が並べられたのを見ていると、よりにもよって信長の膳だけ、箸が片方だけしか置いていないのを
発見。
「これは、どういうことだ?」
見る見るうちに機嫌が悪化する信長、硬直する家臣一同、凍てつく空気、その時である、
末席にいた、当時まだ木下藤吉郎と呼ばれた秀吉が進み出た
「やあやあ!これはめでたい!上様が今年から、諸国を片はしに取られると言う吉兆でございますぞ!
ああ、めでたやめでたや!」
信長、機嫌を直す。家臣一同、秀吉に深く深く感謝する。
531:人間七七四年
08/07/20 21:12:35 JYeJ6fnx
信長の、また別の年の元旦の事
正月のご挨拶に諸大名が出仕してみると、信長の機嫌がまたえらく悪い。
「昨夜、このような夢を見た
どこかへの出陣で、具足をつけて馬に乗ったところ、その馬の足が四本とも突然折れて、
わしは地面に投げ出された。これはいかなる兆しであるか?」
一同、それは凶兆だろうと思うが、そんな事を言えば大変な事になると思い押し黙る。
その沈黙に、ますます機嫌の悪くなっていく信長。硬直する諸大名。凍りつく大広間。その時である。
またも木下藤吉郎進み出て
「やあやあ!これはめでたい!その夢はすなわち、合戦に出るたびに勝ち(徒歩)武者の武名をお上げになる
お告げでございますぞ!いやはや千秋万歳千秋万歳!」
信長、機嫌を直す。諸大名再び秀吉に深く感謝する。
532:人間七七四年
08/07/20 21:52:20 qCnkLbV+
前田家三代目藩主、前田利常の話。
前田家には源義経の愛妾、静御前が使ったといわれのある薙刀を家宝としていた。
ある時、徳川幕府より使いがきた。
「我が徳川家も、静御前の薙刀を所蔵しておる。前田家の薙刀は、贋物ではない
か?」
前田家の家臣達は困った。こちらが本物と言えば、幕府の機嫌を損ねる。だがこち
らが贋物と言えば前田家の面目が潰れる。
だが前田利常は、幕府の使者に笑って答えた。
「静御前は勇敢な女だった。義経のために、何度も戦った。その静御前の薙刀が、
一本のはずがあろうか。両家の薙刀は、いずれも本物である。」
その答えに、使者も家臣達も手を打って喜んだ。
533:人間七七四年
08/07/20 23:13:45 KkKvrnNm
>>532
俺にとってこのレスの“いい話”といえる部分は、利常の言い訳によって
前田家臣だけでなく徳川幕府側の使者までもが気をよくし喜んだことだと思う
最初から前田家にいちゃもんをつけるつもりでなかった、
争いをけしかけるつもりでなかったということが好感を抱かせる
534:人間七七四年
08/07/21 01:04:53 OOwZN2h0
義仲の巴じゃなくて、義経の静?>薙刀
535:人間七七四年
08/07/21 01:16:44 lWN0SkMs
俺も薙刀使いの勇敢な女性と言えば木曽義仲の巴御前だと思う
義経の静御前は白拍子のイメージが強すぎて薙刀なんてとてもとても
536:人間七七四年
08/07/21 01:33:01 D7XUG4/E
巴のまちがいでしょ。
あまり歴史を知らない職人が作ったんだろうから。
場所が悪かったね(笑)
537:人間七七四年
08/07/21 01:46:20 +Rkb0OTe
原典をたどれもしないような奴が、「歴史を知らない」とか言ってるのって
噴飯ものもいい所だなw
538:人間七七四年
08/07/21 02:06:48 hCwRn/Fh
薙刀持ち出す静御前(の伝承)といえば幸若なんかじゃ有名だと思ってたんだけど……
539:人間七七四年
08/07/21 03:02:48 Uw2FX4Oi
巴を模倣した創作物に真実を求めるなんてここの住人もたかが知れてるな
540:人間七七四年
08/07/21 03:19:42 OOwZN2h0
敵をばっさばっさ斬り捨てた静の薙刀ですなんて自慢したらプギャーされるだけじゃん
koeiから源平無双でも出たのかと思って調べちまったよ
夏だな
541:人間七七四年
08/07/21 04:30:24 qOC5KNy6
静御前が長刀持って戦ったなんて話ねーだろw
542:人間七七四年
08/07/21 07:27:18 Ok6H5Gst
静は鼓をポンポンと打ったんだよなww
543:人間七七四年
08/07/21 07:40:19 yZZwlGub
お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ。
こう言った話は、その変遷の課程も面白いんだよ。地域、地方で特色が出たりな。
歴史ってのは、そんな感じで楽しむもんだ。
まあ、日本の歴史教育は正解以外は全て誤り、って感じだから仕方無いけどね。
544:人間七七四年
08/07/21 07:46:12 lWN0SkMs
>お前ら、少しは義仲、巴→義経、静に変換されて行った話って気付けよ
それは承知の上ですが、なにか?
545:人間七七四年
08/07/21 08:00:08 +Rkb0OTe
>>544
承知の上で馬鹿な書き込みをしていたのなら救いようが無いな。
546:人間七七四年
08/07/21 09:48:18 zVBDwMmJ
巴御前も静御前も長刀の名手だよ。今でも長刀は男物を静型、女物を巴型というぐらい。
全くの出鱈目でもなければ、巴→静に変わっていった話でもない。
547:543
08/07/21 09:51:30 yZZwlGub
>>546
そう言うレスが有り難いです。勉強になります。
548:人間七七四年
08/07/21 12:49:08 UMrtEbwD
逸話が作られた江戸時代では
静御前=薙刀っていうイメージだったんだろう。
当時の歌舞伎や浄瑠璃、書籍を見ても
そういう所はけっこういい加減だよ。
(鎌倉武士が月代だったり、旗本みたいな恰好してたり)
逸話は後の時代に作られる事が多かったし
当時の感覚がベースになるから
その辺をくみ取ってあげようよ。
549:人間七七四年
08/07/21 15:01:32 OOwZN2h0
>>546
吾妻鏡にそんな記述はない
静が薙刀の名手っていう根拠はなに?
550:人間七七四年
08/07/21 16:40:42 Tr9Hto16
>>534-537,540-542
この辺のレスが>>546によって一蹴されて逆プギャーになっててワラタ
551:人間七七四年
08/07/21 17:21:11 OOwZN2h0
何て資料に薙刀振るったって載ってんだよ
資料名出せ
552:人間七七四年
08/07/21 19:22:30 xD7fbnCn
静御前は白拍子であり戦場に出たことなど一度もありませんが?
553:人間七七四年
08/07/21 19:31:41 +Rkb0OTe
「文脈」の読めない馬鹿がワラワラいるな
554:人間七七四年
08/07/21 19:38:19 6/fw3t8q
そーだそーだ悔しかたらソース出してみろよソースをよ簡単なんだろやってミリ?
555:人間七七四年
08/07/21 19:42:41 xP0+yu99
あくまでも江戸時代の歌舞伎やらの影響で、静→長刀になっただけだろうけど
長刀の名手ではなかったと証明するのも不可能だよな。
悪魔の証明ってやつ?
556:人間七七四年
08/07/21 19:47:35 +Rkb0OTe
>>554
山本博文の『加賀繁盛記 史料で読む藩主たちの攻防』に、そのエピソード出てるぞ。
557:人間七七四年
08/07/21 19:52:58 xP0+yu99
静が義経のために戦った可能性が少しでもありそうなのは
堀川夜討の時と西国行きの船が難破してから吉野で別れるまでの
逃亡中の間ぐらいかな。
558:人間七七四年
08/07/21 19:54:21 YNDj5C3/
史実じゃないことでいちいち揉める意味なくね?
逸話自体あるんなら別にいい。
反応せずにスルーしろよ…
559:人間七七四年
08/07/21 19:56:57 +Rkb0OTe
夏休みなんだねえ。
560:人間七七四年
08/07/21 20:42:14 +Rkb0OTe
足利義輝が将軍になった頃のお話。
ある初老の僧が、大変有能で気が利くので、義輝が「還俗して侍としてわしに仕えないか?」と言う。
しかしその僧は、
「わたくしは、8つ9つの頃に出家いたしまして、それから一心不乱に修行をし、ようやくこの齢になって
仏の道の何たるかが解るようになりました。もはや俗事に関わる気はございませぬ」
と、断った。
一同これに感じ入り、将軍はさらに仕官を勧める。そこで根負けしたこの僧は
「わたくしは無理ですが、私の息子ならば追い使って頂けますかと…」
義輝「…」
幕臣一同「…」
義輝「息子って…養子?」
僧「いいえ?実子。」
義輝「お前何歳のときに出家したって言った?」
僧「8つ9つ」
義輝「…」
僧「あ」