08/02/12 13:24:58 Ae8IrA+b
賤ヶ岳戦の終了後、怪我をしていた佐久間盛政が褒美狙いの農民に捕らえられ引き出された
縄を打たれた盛政を見た秀吉は慌て、繰り返し謝罪し縄を解くよう御側衆に命ずる
秀吉は賤ヶ岳の盛政采配に感激し家臣になってくれと二時も口説き続けた
秀吉 「加賀、越後、関東好きなところをやる。頼む俺の家臣に加わってくれ」
盛政 「筑前殿の計らい誠に嬉しく思いますが、こたびの敗戦は某の責任でござる」
「勝家殿の恩を忘れる事も出来ず。某の命数が続けば必ず筑前殿の首を取ります」
ここまで明確に否定されて、さすがの秀吉も家臣化を諦め死罪を言い渡す
切腹を命ずるも断固拒否。市中引き回しの上磔を所望する盛政でした
そこへ盛政に討たれた中川清秀の息子が秀吉呼ばれ
秀吉 「この男がお前の父を殺したのだ。憎いだろう?」
息子 「いえ父上を討つ事の出来る武将は大変立派な武将と思います。勝も負けるも兵家の常、憎いなどと思いません」
盛政 「なんと立派な御子息をお持ちか。この方が我が娘の婿なら嬉しいかの」
数年後秀吉の勧めで仇同士の子供だった二人が婚約する事になりました
天国の盛政からみると「なんだあのサル結構いい奴じゃん」と思っていた事でしょう
※盛政を捕らえた農民ですが厳しい褒美が出されました
秀吉「農民の分際でなんと言う事をしてくれたのだ。お前らへの褒美は磔よ」
と全員死罪となりました