08/02/07 22:34:34 xDk3rSLG
長宗我部元親は阿波の中富川で三好(十河)勢と決戦をした。
紀州の雑賀衆は元親に味方して、二千余の兵を援軍として送ったが、海が荒れて遅刻。
ついたときは、戦いが終わり、三好方の勝瑞城も落ちていた。
雑賀衆は遅参を恥ずかしがり、
「これから讃岐の三好方の城を攻めにいく」
といったが、元親は、
「志はうけとった。海をこえてはるばる来てくれたというだけで、十分にありがたいし、嬉しい」
といい、新たに阿波から紀伊にかけての海上の警備をたのんで雑賀衆を帰した。
そのさい、米二百石と馬、鞍、太刀、脇差しなどを、援軍のお礼として雑賀衆に与えた。
(南海治乱記)