07/08/07 15:20:55 Oa7Kwbjr
立花宗茂はちょっといい話がてんこ盛りの人物だよな
黒門の戦いとか、唐入りで小西救援とか、関が原後の島津と合流とか
51:人間七七四年
07/08/19 07:32:34 zqsfKVqu
その良い話を詳しく書いてほしい
52:人間七七四年
07/10/06 12:33:47 mnWlNcj/
良スレ保守
53:人間七七四年
07/10/10 15:28:25 oGz26LwK
良スレだからあげ
54:人間七七四年
07/10/11 16:26:21 HzmBeWdw
いい話しもってる人教えて下さい。このスレみると、ぐっとくるから。
55:人間七七四年
07/10/11 16:53:18 oxcwdwVP
「結局戦なんて運なんだよ。個人的武勇の差なんてそんなにある訳がない
今に見てろ。今日一つも首を挙げられなくとも、次は十も首を取れるぞ」
そうして慰められた奴が見事武将を討ち取り刀を授けられましたとさ
…別にいい話じゃねぇな
56:人間七七四年
07/10/11 17:09:32 HzmBeWdw
それは、なんというか、いい話しだけど、けんしんがしんげんに塩おくったみたいな具体的な話しじゃないけど。
きっとみんなそうやっていいあっていきてたんだろうね。
57:人間七七四年
07/10/14 04:28:11 unPCZziN
にんげんっていいなぁ
58:人間七七四年
07/10/16 22:53:45 AbgAATqf
九州征伐~自害までの島津歳久。
特に自害の時、兄の義久が放った追手がなかなか自分を殺してくれないので
自分で腹を切ろうとしたんだけど病気で刀が握れなかったから
そこらへんの石で頭をぶってみたけどやっぱり死ねなくて、しかもむちゃくちゃ痛かった。
その時に
「女性は子供を産むとき、死ぬような痛みを味わう。自分の死後はその痛みを少しでも和らげてやりたいものだ」
と言ったという。
59:人間七七四年
07/11/02 22:55:40 iTfQMC59
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/ / °ヽ_ヽv /:/ °ヽ::::::ヽ
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\: ) )ト--^^^^^┤ ) ) 丿
60:人間七七四年
07/11/02 23:02:16 Ypc2+khU
織田軍が行軍中の路傍で農民が横になって爆睡していた。
信長の横にいた家臣がその無礼を怒り殺してやる!といきり立つと信長はそれを止め「何の不安もない民のくらし…わしはあのような平和な国を作りたいのだ」と言ったと言う。
それを寝たフリをして聞いていた農民の顔は猿顔だった。
61:人間七七四年
07/11/02 23:24:03 +syzwGFg
福島の家来が宇喜田に酒やった話は?
62:人間七七四年
07/11/02 23:33:21 KtETW5PH
江戸に向かう船から島と人影見つけて
その家臣が酒持って海に飛び込んで
「船より泳いで参った!」
っていう奴か
63:人間七七四年
07/11/02 23:49:39 Ypc2+khU
郡山城には人柱の代わりに百人一心の石碑が埋まっている。
伊達輝宗の遺徳を慕い殉死が相次いだ。その中には低い身分から異例の出世をした者もいた。
謙信が佐竹義重の武勇をみて「我が武略を真に継げる人物はあなただけです。この長刀は老後に杖として使うつもりでしたがあなたに託そうと思う」と言って刀を贈った。
しばらくして手取川で織田軍5万を2万で破った謙信は死去した。義重はこの宝刀を大切に想い武神の魂としていつも手入れを欠かさなかった。
義重もいつしか歳をとり息子の義宣に我が武略の魂として長刀を与えた。
少し経ってから義宣に会った義重は何やら見た事がある刀を見かけて不思議に思って聞いてみた。「なんだその刀は見た事あるな?」
すると義宣はニコニコしながら答えた。「あぁこれは過ぐる日に父上からもらった長刀です。なんか長すぎて柄に収まりづらくて使いづらいから短く切断しました♪だいぶ使い易くなりましたよ!」
それを聞いた義重は悲しい表情をして空を仰いで「あぁ我が武神も去ったか」と嘆息した。その後義宣は常陸一国から転封され出羽秋田に飛ばされた。
64:人間七七四年
07/11/03 12:13:20 2G+Lmnvj
>>63
それがかの有名な「小豆長光」なんですか?
だとしたら哀しすぎる。・゜・(つД`)・゜・。
65:人間七七四年
07/11/04 01:33:49 luPKBsQo
ニコニコしながらではそんなふうになるのも無理はないな。
66:人間七七四年
07/11/04 03:36:49 RhVo/1S4
まあ、その頃の武者達も長い古刀を扱いやすいように短くしていたのは事実だが、
一国の大将が扱い易さを優先って・・・。
大将が刀持って戦う時点で負け戦な訳で・・・。
67:人間七七四年
07/11/04 05:00:54 ZvUB45gz
>>66
たしなみとして大名が剣術をやるのはおかしいこととは思わんが
むしろ自ら切りかかって北条勢を七人だか討ち取った義重のほうが実際は・・・
関ヶ原の時も義重が口出ししたせいでどっちつかずな態度になってしまったしな
68:人間七七四年
07/11/04 05:30:53 fpD70y5F
>>66
それやる人の違いで受け取られ方も違うんじゃない?
家康とかなら常に対処を怠らない例とかにされそう
69:人間七七四年
07/11/04 06:50:59 eBU6j+Zb
やっぱ北条家の汁かけ飯の話が好きだ。
70:人間七七四年
07/11/04 21:27:50 fWaDnDwh
それ、いい話なの?
71:人間七七四年
07/11/05 01:20:58 Nbjn+SO4
そして秀吉は北条の滅亡を教訓とし串カツのソース二度漬けを禁止した。
72:人間七七四年
07/11/05 17:46:22 JDHDPfjo
>>70
計画を随時見直す器量があるって話だろ。
高度経済成長期の高速道路計画を当初の計画通り引きたがっている奴に見習わせたいね。
73:人間七七四年
07/11/06 00:14:44 Xp6d4DlA
>>71
秀吉なら味噌カツのほうが好きそうだがw
74:人間七七四年
07/11/29 23:18:41 PiLPkE9l
age
75:人間七七四年
07/11/30 02:39:49 Lt9E0FqU
>>63
郡山城の石碑は百万一心じゃなかった?
76:人間七七四年
07/12/05 07:36:52 aUdSVvTA
謹慎中の加藤清正が伏見大地震の時、
伏見城に秀吉の安否を気遣い駆けつけた話。
又、その時のねねの放った言葉
『でかしたぞ 虎之助』
77:人間七七四年
07/12/07 08:25:01 rXtkUlcR
ageるでござる。
78:人間七七四年
07/12/07 20:15:24 QgR+6BKz
北条早雲が可愛がってた小鹿のために大勢ではるばる小田原まで
捜しに来た話は泣けた
79:人間七七四年
07/12/07 21:04:36 MxNDvGJG
蒲生氏郷はよい
80:人間七七四年
07/12/14 08:17:54 dZDUB2DK
あげ
81:人間七七四年
07/12/14 21:19:54 iPdqIKGe
信長がいい奴に見えるってのは、不良がたまにいい事をしたらすごく善人に見える心理に近い
82:人間七七四年
07/12/14 21:28:52 +u5ssGaf
後藤信康と原田宗時の逸話はいいと思いますた
83:人間七七四年
07/12/15 00:40:15 23irqrVa
山中鹿之助のトイレの話は?
子供の時に歴史漫画読んで感動した
84:人間七七四年
07/12/16 01:17:46 ZgFpHUs7
あげ
85:人間七七四年
07/12/16 11:48:57 XHoSdCcR
関ヶ原のあと、黒田長政が石田三成に羽織をあげたこと
86:人間七七四年
07/12/16 17:08:09 jUyV9Epl
天正十年の中富川合戦は、土佐から進攻してきた長宗我部元親と、十河存保を主と仰ぐ阿波三好軍団が死力をつくして対決した四国では最大の激戦であった。
敗色が濃くなった三好方の武将加賀須野与一高房は、追手の土佐勢から逃れるため、中富川に架かる橋の下に身を隠していたが、激戦つづきで風邪をひいていたので、
どうしようもなく咳き込んでしまった。橋上の土佐勢はすぐさま高房を捕えて首を刎ねたのであった。高房は死に臨んで「拙者は咳を止められず敵の刃にかかるが、
死後は咳で苦しむ人々を助けてやるのだ」と遺言したという。いまも咳止大明神はその地に祀られ、「せきどめさん」として親しまれている。
87:人間七七四年
07/12/16 17:38:05 y8htaFRT
屁のツッパリとしか思えん。
88:人間七七四年
07/12/16 19:03:55 jUyV9Epl
そういうなよ、
89:人間七七四年
07/12/16 23:36:36 jW4n4EPS
島津家臣 新納武蔵守忠元
鬼武蔵と言われた猛将だが戸次川の戦いのさい敵将長曽我部信親を討ちとるが長曽我部の家臣谷忠澄が遺体の返還を願い出ると涙を流しその遺体を返還した
更に岡豊城まで僧を同行させた。
90:人間七七四年
07/12/17 02:45:39 NV4bBqEi
鳥居強右衛門の最期。
91:人間七七四年
07/12/17 16:07:41 GuWE6vdG
◆四国平定をめざす土佐の太守長宗我部元親は、
阿波へ侵攻したものの、新開道善が拠る富岡
(牛岐)城を攻めあぐんでいた。知勇兼備の
新開道善を降すには謀略しかない、と考えた元親は、
丈六寺において和談を開きたいと持ちかけた。
これに応じた新開道善は「四国平定のあかつきには
阿波のうち勝浦郡を与え、富岡城を安堵する」という
土佐側の条件を容れて両軍の和睦が成立した。
新開主従は土佐側のもてなしを受けてすっかり油断。
気持ちよく酔って城へ戻ろうとしたところを、
床下に隠れていた元親の刺客が主従を襲った。
謀られた、と新開道善たちは覚り、
数にまさる敵兵相手に勇戦したが、
たちまち全員斬り殺されてしまった。
この時、縁の板に血痕が飛び散り、
あとで拭っても拭っても落ちない。
そこで、縁からはずして、天井板にしたのだ、という。
新開忠之(道善)墓碑には「天正九年十月十六日」のことと刻まれている。
◆寺内を貫くように走る県道(堤防道路)の道沿いに
新開道善の廟所がある。現在では「禁酒の神さん」として親しまれ、
御神酒徳利を供えて願かけをする人もいるそうである。
92:人間七七四年
07/12/23 00:48:27 H4vgtw/D
さて、出羽国横手城主小野寺義道は、武勇あるも政治に疎く関ケ原において
仇敵最上義光と争い西軍についたことにより改易され石見国津和野に流された。
配流先津和野の領主は宇喜多家の一族である坂崎直盛である。
後に坂崎直盛は大阪の陣で戦功をたてるものの、その件(俗に言う千姫一件)に
よって自害、改易となった。
坂崎直盛の十三回忌、彼の墓を立てた者こそ、誰あろう小野寺義道であった。
江戸幕府により取り潰しにあった者の墓を建てる者などなかなかいる者ではない。
配流時代に遇してくれた坂崎直盛の恩に報いるためのことであった。
後に、小野寺一族は津和野の新領主亀井氏の臣下となり厚く遇されたという。
93:人間七七四年
07/12/24 13:17:39 +XnDSDjr
立花宗茂の実父高橋招運は息子宗茂が守る堅固な立花山城に撤退するよう
に勧められるも小さな岩屋城で700かそこらで島津の大軍相手に奮戦し
時間を稼いで全員玉砕。息子宗茂も島津軍を長期戦に巻き込み、豊臣軍の
九州上陸で撤退する島津軍への猛攻に繋げた話は泣ける。父招運の自己
犠牲が息子宗茂の運を招いた。
宗茂は関が原には西軍で参戦し(後方の為に無傷)撤退の際にボロボロの
島津軍と一緒になり「この機会に父上招運様の仇を討ちましょう。」と進言
する家臣の意見を退け、島津軍を警護して無事に九州まで送り届ける。その
後、東軍側から攻められた宗茂を救援する為に島津が援軍を送った話も良い
話では。
94:人間七七四年
07/12/24 13:43:21 04yOinvc
立花道雪さえ生きていたら…
95:人間七七四年
07/12/24 14:25:22 5763bfxN
石田三成と家臣の話。
96:sage
07/12/24 16:08:33 viy/F7Oi
あはは
97:人間七七四年
07/12/24 16:10:06 viy/F7Oi
むふふ
98:人間七七四年
07/12/24 18:03:21 5mDCIZ6z
>>96-97
死ねゴミ
99:人間七七四年
07/12/24 18:37:43 mDspgypy
義弘が、自分の息子の名前を兄弟的な意味で愛していた『家久』にしてもらった、というのも良い話ではなかろうか。
最も、毒殺した後ろめたさから、ともとれるけどね。
100:人間七七四年
07/12/25 01:40:26 OuFMrWFB
>>99は壮絶な釣りか?
101:人間七七四年
08/01/04 00:24:23 nSXe2Dkn
豊後日出藩で伝えられる豊臣秀頼の遺子国松丸の話はどうでしょう?
初代木下延俊(ねねの甥)は遺言で日出藩3万石の内、1万石を嫡男俊治の弟
延由に分け与えるように江戸家老長澤市之丞に告げるが長澤は「かしこまり
ました。5千石を延由様に分けます。」と答え「違う1万石じゃ。」と主君
から言われるも「5千石確かに承りました。」と応えるのみで、遺言として
5千石を延由に分封した。
日出藩では延由は島津に助け出された秀頼が一子「国松丸」を延俊が自分の
子として匿っていた。との言い伝えが有り、その真偽は定かでは無いが長澤
市之丞は主君延俊の死後22年を経て徳川幕府から正式に延由の分封を認め
られるのを見届けると「切腹」して自ら命を絶っている。
日出藩3万石の内1万石までの分封で幕府から見咎められるのを恐れ、遺言を
変えて5千石にし、朱印を幕府から頂く事で自らの役割を果たし主君の命に背
いて5千石減らしたお詫びに切腹したのではなかろうか?
ちなみに幕府へ「延由」を延俊の弟「延次」として申告している。
102:人間七七四年
08/01/04 00:46:13 kdHssbqW
>>34
これ凄い好き。
「義弘晩年の平和な一日」
みたいな内容で、三谷幸喜さんに脚本書いて欲しい。
103:人間七七四年
08/01/05 15:45:47 JkiTRbTO
>>92
これは本当にいい話だな。柳生宗矩といい。坂崎は人望はあったんだよな。
104:人間七七四年
08/01/21 10:27:27 phXkk6ot
良スレあげ
105:人間七七四年
08/01/21 16:25:15 HJZ6a2SQ
松永久秀と三好三人衆は12月25がクリスマスだったため停戦をした
106:人間七七四年
08/01/21 20:08:34 D4r7+gMv
>>105
『殿~!今宵は栗酢益で御座いマス。』
『うむ!ならば休戦じゃ!足袋を用意せい!』
全米が鳴いたわ…。
107:人間七七四年
08/01/21 20:36:51 CaFm7dar
どっちも家臣に切支丹がいたからな
停戦中に初めて日本でクリスマスパーティが開かれたのは有名な話
108:人間七七四年
08/01/21 21:57:07 DQPDiV4b
>>105-107
ネタかと思ったらマジなのか
109:人間七七四年
08/01/21 22:06:54 ckQxaEiA
日本史上初の事だからな
110:人間七七四年
08/01/22 00:02:17 6wQKnb20
大受はガチ力士だった。
大関に昇進したとき師匠の三根山は
「大受は良くしゃべったかい?そうか、そうか、なんのやましいこともないんだからね」とポロリ
111:人間七七四年
08/01/22 00:12:33 6wQKnb20
天性の正直者
千代の富士連勝中・・
アナ「この連勝はどこまで続くんでしょうね・・。
大鳴門親方(故人)「止めるっていっても、ガチンコの大乃国しかいないんだからね・・。」
おかげでその後二度と解説に呼ばれなかったらしい。
麗しき師弟愛
板井
大鳴戸親方は、「すまなかった・・・俺の力がないばかりに」と謝ってくれた。
私は、入門以来親方の事を増悪した事もあったがこの一言を聞いて許してあげる事にした。
112:人間七七四年
08/01/24 21:49:53 8FNmf2rq
>>108
ただ、色々説はあって、久秀の相手は三人衆だったり義継だったり
後、一時期信長と争った際にもクリスマス休戦があったとか(これは日付的に無理があるが)
初めてっていうのは大内氏領内っていう異説もあり
113:人間七七四年
08/02/05 23:33:03 k5mX57XW
良スレ期待age
114:人間七七四年
08/02/06 00:24:00 nSI9whPX
男色に興味がなかった秀吉に家臣達が美少年をあてがった話
「姉か妹はいないか?」
115:人間七七四年
08/02/07 18:32:25 VLBPkDDt
>>20遅まきながらそのエピソード出どころ確認しました ちゃんとした資料なんだな
他にも死んだ平手の事をなじった家来を強く叱責する話もありますね
平手政秀の息子(孫?)を家康へ援軍として送り討ち死にさせてしまった信長の無念が聞こえてくるようです
116:人間七七四年
08/02/07 22:34:34 xDk3rSLG
長宗我部元親は阿波の中富川で三好(十河)勢と決戦をした。
紀州の雑賀衆は元親に味方して、二千余の兵を援軍として送ったが、海が荒れて遅刻。
ついたときは、戦いが終わり、三好方の勝瑞城も落ちていた。
雑賀衆は遅参を恥ずかしがり、
「これから讃岐の三好方の城を攻めにいく」
といったが、元親は、
「志はうけとった。海をこえてはるばる来てくれたというだけで、十分にありがたいし、嬉しい」
といい、新たに阿波から紀伊にかけての海上の警備をたのんで雑賀衆を帰した。
そのさい、米二百石と馬、鞍、太刀、脇差しなどを、援軍のお礼として雑賀衆に与えた。
(南海治乱記)
117:人間七七四年
08/02/08 11:23:23 XFDlxjNE
近年まれにみる良スレ
118:人間七七四年
08/02/08 14:03:57 ynMgaej+
>>116
その雑賀が、本能寺前には織田方に付いてたのは皮肉だな。
119:人間七七四年
08/02/08 14:18:16 OmMwztJ8
>>111
の話はネタではなく本当にあった話だ。
正確には「止めるといっても、一人しかいないんだから・・・」
アナ「・・・」
120:人間七七四年
08/02/09 18:48:15 br4oOdDz
関ヶ原の合戦後、立花宗茂は大名から浪人に転落した。
かねてより宗茂と新興があった東軍の大名のなかには彼の武名を惜しんで、
召し抱えたいというものも多かったが、宗茂はそのいずれも丁重に断った。
彼は、
「我が身惜しさに、太閤との誓いを裏切り、親しき友を討つようなものたちの仲間入りはできない」
といった。
そして、
「わしは天に誓って、わが生き方を恥じておらぬ。天運あれば、きっとふたたび立花の名を興す時がこよう」
と家来たちには言った。
しかし、その機会はなかなか訪れなかった。
宗茂は肥後を追われ、京都、江戸と転々と住まいをかえて、流浪した。
江戸の高田、宝祥寺の一隅を借り住まいとしていたころのことである。
宗茂が国もとを出たときの路銀はとうに消え失せ、主従は日々の米にこと欠いていた。
由布雪下、十時摂津ら、宗茂の家来たちは槍、甲冑も売り払って金銀を得たが、それでもなお食えない。
彼等は、宗茂に隠れ、傭われ人足や托鉢僧、ひどいものは乞食に身をやつして銭をかせぎ、なんとか日々を暮らしていた。
121:人間七七四年
08/02/09 18:48:59 br4oOdDz
ある時、寺の檀家が、宗茂らの困窮を知って、炊いた飯をわけてくれた。
由布雪下らはありがたくそれを頂き、その飯で干飯をつくることにした。
干飯とは元来は陣中食であるが、平和な時代は、食べるものに無いときの備蓄食である。
つくりかたは単純。日に飯をさらして乾燥させるだけである。
秋晴れが続き、江戸ではしばらく雨がふっていなかった。
これならば大丈夫、と、由布らは、飯を干したまま、いつものように宗茂ひとりを寺に残し、みなで人足の仕事をしにいった。
ところが。
どういうわけが、この日にかぎって、天に雲わき、午後、にわかに雨がふりだした。
人足仕事は雨のために早く終わった。
由布や十時ら急いで、寺にもどった。
道すがら、
「しまったぞ」
と十時摂津がいった。
「飯はダメになってしまうだろうな」
十時は朝鮮・碧蹄館の戦さで武名をあげた男だが、このときは干し飯のこと頭がいっぱいであった。
雨にぬれれば、干し飯は食べられなくなる。それは一大事であった。
そして、この心配は十時ひとりのものではない。ほかの家来たちもそうだった。
「大丈夫だ」
と家来のひとりが十時だけでなく、自分をも励ますようにいった。
「殿は聡いかただ。この雨をみて、きっと干し飯を屋敷のなかにしまってくれている」
そのとき、最年長の由布雪下が、
「馬鹿なことをいうな」
と叱った。
「馬鹿なこと?」
十時や家来たちは驚き、由布に問い返した。
「そうじゃ」
由布は言う。
「大将は雨をみて、兵を考え、民を思うものじゃ。殿は大明まで知られた日の本一の大将ぞ」
もし、と由布はしわがれ声をくぐもらせていった。
「目前の干し飯などという些事に心を奪われるようでは、殿の人品、地に落ちたのじゃ」
十時らは黙った。
「もし、そうであれば、立花の家が再び天下に立つ日などない」
「そのとおりじゃ」
十時は顔をあらためた。
他の家来たちも、みな静かに深くうなずき、みな一様に暗く、神妙な顔になった。
祈るような気持ちで、家来たちは、寺の門をくぐった。
雨は激しさをましていた。
萩の花のさく庭をみた。
板の上のならべられた握り飯は雨にうたれている。
みるも無惨に崩れ、あるいは流れ、地面におちて、泥にまじっていた。
家来たちは呆然としてそれをみたあと、屋敷のほうへ顔をむけた。
そこでは宗茂は端然として書見をしていた。
「殿!」
十時が吠えた。
大きな身体をふるわし、手を雨の中にあげ、万歳、とさけんでいた。
ほかの家来たちも声をあげて叫び、笑った。濡れた飯をすくいあげて、雨になげるもの、抱き合って泣きあうもの。
宗茂はわずかに顔を庭にむけると、書見をやめた。立ち上がった。
「爺」
といった。
ひとり、天を仰いでいた由布雪下がその声に、その皺と戦さ傷だらけの顔をむけた。
「なんだ、みなは、雨がそれほどうれしいのか?」
「そうですな」
由布の頬に涙が雨とまじっている。
「うれしいですわい」
122:人間七七四年
08/02/09 19:09:56 br4oOdDz
すんません
誤字です。
120
新興→親交
123:人間七七四年
08/02/09 19:46:33 zObmg3rQ
いい話だね 家康だけはけっして許さない
124:人間七七四年
08/02/09 20:52:51 wjBTXWHo
武将の奥さんとのいい話エピソードって意外と多いよね。
前述の立花宗茂の父親・高橋紹運があばた面になっても結婚を迫った話とか。
明智光秀も似た様な話あったしなぁ。
125:人間七七四年
08/02/09 21:54:26 QCD0h5Rq
>>120-121
宗茂は名将だが坊ちゃん育ちで生活力が無かったらしいから、
家臣も苦労したんだな・・・。
126:人間七七四年
08/02/09 22:51:35 lGoZtsvn
米が足りなくて、せめて体積を増やそうとお粥みたいにして出したら、
「お腹壊してないからこんなにしなくて良いのに…」とか言ったらしいしな、宗茂。
まあ、大人物だよww
>>123
でも旧領にもどしてくれたよ。
127:人間七七四年
08/02/09 22:59:32 PGBpABlL
家臣が養うってのも珍しいな。
大半は内職するか、親族の仕送りで凌いでたのに。
伊東さんみたいな人もいたけど……
128:人間七七四年
08/02/09 23:15:50 Jff7NhoL
伊東さんは頭一つ下げれば息子みたいに秀吉に捨て扶持貰えたのに。
129:人間七七四年
08/02/11 00:58:35 SNhucDVi
土佐の長宗我部元親は、若いころ、姫若子といわれるほど華奢で、立派な体格ではなかったが、大の相撲狂だった。
見るのが好きなのだ。どれくらい好きかというと、毎年、土佐国分寺の十七夜の法会に、土佐中の力自慢をまねいて相撲大会をひらかせていたぐらいである。
その元親の耳に、「相撲日本一」の名をうけた男がいる、という噂がきこえた。
(だれが日本一と呼んだのかはわからないが、信長もかなりの相撲好きだったので、
あるいは信長がそう名付けたのかも知れない)
和泉の住人、小島源蔵という男である。
元親は彼を土佐の岡豊に招いた。
(土佐には大男が多いときき、小島から出向いたという話もある)
土佐の男たちも興奮した。
「源蔵を倒せば、わしが日本一じゃわい」
と、みな腕まくりして、前浜にやってきた。
しかし、源蔵の姿をみて、多くが戦意喪失した。
元親に実際に仕えた高島孫左右衛門の「元親記」によれば、
この源蔵、190㌢近い大男で、しかも肥満し、ふつうの人の二倍の大きさの袴をはき、
歳のころは二十七、八だが、四十歳に老けてみえたという。
(老けてみえることが、当時は強さのバロメーターだったのか?)
それでも、何人かは実際に相撲をとった。
これが、子供が遊ばれているようで、全く歯がたたない。
130:人間七七四年
08/02/11 01:00:14 SNhucDVi
元親は家臣たちを招き、緊急で評定をひらいた。
戦さではない。相撲についての軍議だ。
「わざわざ土佐者の武勇をきいて相撲をとりにきたのに、相手になるものがいないといって、
このまま源蔵を帰すのは無念である。ましてや、武勇で知られた我が家で、
だれひとり敵わないとなったら、家の名が廃る。どうにかならんかの」
「さようですな」
家老たちは真剣になった。
そのころ、家中で身体が大きく、腕っぷしの強い侍といえば、
「荒切り」で有名な江村備後、その甥の江村右兵衛、や久万豊後、岩神三郎衛門らがいた。
このうち、一番背丈が高く、力が強いのは、江村右兵衛である。
「右兵衛の武勇は家中一です。彼が勝てぬなら、誰もかてませぬぞ」
とみな言った。
ところが、その右兵衛が青い顔をしていった。
「勘弁していただきたい」
「なぜじゃ」
と元親。
「拙者の家は長宗我部家の家老職でござる。もし、負ければ、お家の名に傷がつきまする」
「相撲は戯れ言じゃぞ」
「しかしながら、源蔵は天下をまわって相撲をとっている男でござる。天下の大名に、
拙者の負けがしられ、お家の名を汚すのを畏れるのです」
そのとき、末席にいた久武兵庫という若い武士が、
「ならば、私がやりましょう」
といった。
「おまえがか」
久武は武勇の士だが、小兵である。しかも、久武の家も、江村と同様、
家老職であった。
「自信があるのか」
「ああいう大男は、力にたよって、技をしりません。先に相手の腕をつかめれば勝機はあります」
元親は半信半疑だったが、しかし、面白い勝負がみられる、というのなら、それでよい。
「よし、やってみろ」
といった。
そのとしの夏、八月十八日。
岡豊城下の犬の場において、相撲大会が開かれた。
行事は元親の家中きっての猛将・福留隼人である。
源蔵は数人と相撲をとった。しかし、誰も歯が立たない。
そのうち、久武兵庫の出番となった。
源蔵は兵庫が小さいのをみて、もろ手をあげて掴みかかった。
兵庫はこれをかわし、手足で相手をあしらい、間合いをとって、
土俵のなかをぐるぐるとまわった。
源蔵がさらにつかみかかった瞬間である。兵庫は相手の手首をつかむと、
そのままひねりあげ、足をかけて、一気に転ばせた。
それがちょうど元親の目の前であった。
元親はさすがに喜悦をそのまま顔にださず、むしろ敗れた源蔵の大力をほめたが、
あとで兵庫をよびだし、
「戯れ言とはいえ、勝負じゃ。あっぱれ、見事だったぞ。家の面目もたもてた」
といい、知行を増やした。
ただし、元親はちゃっかりしていて、
「これでそなたが日本一だが、今後は相撲をとるな」
「なぜです」
「そなたが、日本一ときいて、また相撲を挑むものがあらわれる。一度、二度は勝てても、そうそうは勝てぬだろう。
勝ち逃げすれば、相撲が日本一強い大名は、長宗我部じゃ」
131:人間七七四年
08/02/11 01:31:07 Une0k/aI
↑別にいい話では無いようだが?
132:人間七七四年
08/02/11 10:35:09 507szaCj
だが面白かったよ。
133:人間七七四年
08/02/11 16:19:28 IwG0y4p/
うむ、もっといろんな逸話を聞きたいな
134:人間七七四年
08/02/11 21:13:22 xbBW0jk6
織田信長と松永久秀はクリスマスを理由に一時休戦したらしいなw
ちなみに仲介したのはルイス・フロイスだとか。
135:補足
08/02/11 21:16:44 xbBW0jk6
ちなみに>>134は信長とじゃなく三好三人衆と、って説もある。
どちらにせよ、一方の当事者は久秀。
何かイメージに合わないw
136:小林健悟 ◆J0KKAAAa3U
08/02/11 21:41:11 K5pSj+CA
松永久秀はキリシタンだったのかもね。
織田信長も宣教師と友好保ちたいのを知ってて、
久秀はルイスフロイスに頼んで休戦したのかな。
137:人間七七四年
08/02/11 22:02:23 angnrTkj
クリスマスを祝う松永久秀
なんかいいなあ
138:人間七七四年
08/02/11 22:21:43 OfmLqPRJ
139:人間七七四年
08/02/11 22:24:52 OfmLqPRJ
140:人間七七四年
08/02/12 00:50:46 1eppAz3k
松永はキリシタンを迫害してるじゃん。むしろ三好三人衆のほうが
キリシタンに友好的な態度を示している。
141:人間七七四年
08/02/12 02:03:01 5Josafzy
茶道とキリスト教は深い関わりがあるという話だからありえんこともない。
142:人間七七四年
08/02/12 13:24:58 Ae8IrA+b
賤ヶ岳戦の終了後、怪我をしていた佐久間盛政が褒美狙いの農民に捕らえられ引き出された
縄を打たれた盛政を見た秀吉は慌て、繰り返し謝罪し縄を解くよう御側衆に命ずる
秀吉は賤ヶ岳の盛政采配に感激し家臣になってくれと二時も口説き続けた
秀吉 「加賀、越後、関東好きなところをやる。頼む俺の家臣に加わってくれ」
盛政 「筑前殿の計らい誠に嬉しく思いますが、こたびの敗戦は某の責任でござる」
「勝家殿の恩を忘れる事も出来ず。某の命数が続けば必ず筑前殿の首を取ります」
ここまで明確に否定されて、さすがの秀吉も家臣化を諦め死罪を言い渡す
切腹を命ずるも断固拒否。市中引き回しの上磔を所望する盛政でした
そこへ盛政に討たれた中川清秀の息子が秀吉呼ばれ
秀吉 「この男がお前の父を殺したのだ。憎いだろう?」
息子 「いえ父上を討つ事の出来る武将は大変立派な武将と思います。勝も負けるも兵家の常、憎いなどと思いません」
盛政 「なんと立派な御子息をお持ちか。この方が我が娘の婿なら嬉しいかの」
数年後秀吉の勧めで仇同士の子供だった二人が婚約する事になりました
天国の盛政からみると「なんだあのサル結構いい奴じゃん」と思っていた事でしょう
※盛政を捕らえた農民ですが厳しい褒美が出されました
秀吉「農民の分際でなんと言う事をしてくれたのだ。お前らへの褒美は磔よ」
と全員死罪となりました
143:人間七七四年
08/02/12 13:41:18 6zB4poEt
最後のが無ければ「サル結構いい奴」で終わるのになw
144:人間七七四年
08/02/12 13:47:50 EF2T3KE/
>>142
いい話なのだが、これを見るだけでも太閤が百姓の出というのは、
ちょっと無さそうだな。
145:人間七七四年
08/02/12 14:18:18 nvqDIdHl
>>142
その「盛政の娘」つーのが中川清秀の息子より10歳も年上だったというのも付け加えてやって下さいw
※ただし、年齢についてはガセ説もあり
146:人間七七四年
08/02/12 21:39:18 23zv5JA+
忠世がうんこ漏らした時に家康が
「俺が漏らしたことにしてやるよ」
と言って馬を交換した話
147:人間七七四年
08/02/12 23:03:49 +wQtuA3A
∧_∧ 俺が糞漏らしたことにしてやんよ に見えてワロタw
( ・ω・)=つ≡つ
(っ ≡つ=つ
/ ) ババババ
( / ̄∪
148:人間七七四年
08/02/13 11:59:22 8yQq65od
>>146-147
急にレベルがさがって萎えた
149:人間七七四年
08/02/13 12:33:43 TFb30F/V
嫌家康厨の程度の低さは異常だな
150:人間七七四年
08/02/15 17:55:47 0uoVosyf
井伊直孝と豪徳寺の招き猫とか、池田輝政と永井直勝の話もちょっとイイ話じゃね?
151:人間七七四年
08/02/15 18:43:05 dihP3wa3
>>150
ひこにゃんのモデルの話はいい話ではあるが
残念、江戸時代の話はここでは板違いだ。
152:人間七七四年
08/02/15 18:48:17 0uoVosyf
そういや江戸時代だったか。
153:人間七七四年
08/02/17 10:25:50 ypAyuJ3O
なんでもいいから逸話が聞きたいなぁ~
って、わざわざ止めるなよ>>151ただでさえ過疎スレなのに…
154:人間七七四年
08/02/17 11:23:38 EwKX5lQJ
>>145
中川清秀 1542生
中川秀成 1570生
佐久間盛政 1554生
この微妙な差。
155:人間七七四年
08/02/17 13:23:54 Sbqj/qix
>>154
えーと、盛政6歳時に生まれた娘か
すごいな、サルが家臣に欲しがるのもわかるわ
156:人間七七四年
08/02/19 22:10:17 JerCbyGf
>>120-121
立花宗茂にこのような話がありましたか。
ただ…似たような話、水野勝成にもあるんですよね。
157:人間七七四年
08/02/20 11:52:46 +s/8Qs03
吉川元春とブス嫁の話も、諸葛亮とブス嫁の話ソックリだからな。
古典を真似るという事(それが自身の生き方と合致したからというのは前提だが)はよくあったみたいだね。
158:人間七七四年
08/02/21 01:45:54 r0PIigKI
大阪の陣で騎馬鉄砲を率いて活躍した片倉重長の嫁は
敵方の超有名人真田幸村の娘
できすぎだろ
159:人間七七四年
08/02/21 10:41:28 Tzi/RAHC
大阪の陣で大阪方の大将豊臣秀頼の嫁は
敵方の超有名人徳川秀忠の娘
できすぎだろ
160:人間七七四年
08/02/21 11:52:21 n0PrSX4/
↑いい話というか、常識レベルの話では・・・
秀頼は千姫のことをとても愛しており、二人は仲が良かった。
千姫の髪を秀頼自ら切っているのを、侍女に目撃されている。
161:人間七七四年
08/02/21 12:49:41 L+pAfE1O
>>159は>>158へのつっこみなんだと思われ
マジレスした>>160に全俺がない(ry
>千姫の髪を秀頼自ら
深曽木の儀式の事かな
162:人間七七四年
08/02/23 02:15:02 tqY2dWWe
いい話というか、ちょっと切ない話です。
真田安房守昌幸は関ヶ原戦で見事、徳川の大軍を撃破するも、
主戦場で西軍が敗れたため、紀州九度山に配流された。
さいわい、長男の信之と三男の昌親が東軍についたため、真田の家名は残り、
また信之が昌幸に仕送りをしてくれるため、生活には困らなかった。
(もっとも大名生活が長かったため、無駄遣いが多く、随伴した信繁が困ったという)
昌幸はいずれ再び、天下に大乱がおきて世に出る日を願って日々をすごしていたが、
もともと老齢であるうえ、紀伊は雨がおおく、節の病に悩まされた。
昌幸は病床で手紙を書いた。
相手はかつての家臣の大熊伯耆守というものである。
彼は関ヶ原のあと、出家して夕庵と名乗っていたが、
いまだに信州に在し、真田家と親しかった。
「そこもとは不自由ないか。わしは万事不自由じゃ。
治りかけた病いもまた出始めて、散々の体となっておる。
愚痴もついつい出て、源二郎(信繁)にもたしなめられてばかりじゃ。
ところで、そちに頼みがある。
蔵人(昌親)に、持ち馬のなかでも特に爪がよく、悍の強い若駒を一頭、
わしのところへ送ってくれぬか頼んでくれ。
紀州までは骨折りだとはわかっておるが、たっての願いじゃ。
悍馬を見て楽しみ、病中の慰めにしたい」
九度山での生活も十年を過ぎていた。
老いて、病もあり、気力をなくしかけていただろう。
それでも、これではいかんと考え、
荒々しく元気な若駒をみて、家康を震え上がらせた往年の自分を思い出したい、
と願ったのかもしれない。
(脳中での昌幸の想像図は丹波哲郎でお願い)
163:人間七七四年
08/02/23 04:02:59 Q8mq32Sg
若狭の武田さんの誰かがお家滅亡と奥さんの命とで奥さん取ったて
はなしがいい話ということがああるが俺にはただのへたれとしか思えん
164:人間七七四年
08/02/23 07:52:48 DNeuvG6j
ウィンザー公みたいで素敵やん
165:人間七七四年
08/02/23 22:39:32 YduX162m
蒲生氏郷の蒲生風呂とか
井伊直孝の芋鍋とか
秀吉の牛蒡と農民の逸話とか
そんな感じの話、他にも有りますか?
166:人間七七四年
08/02/24 02:27:58 Mw5shG41
↑の逸話聞かせくれ
167:165
08/02/24 21:39:16 CSOemgdp
>>166
考証とかソースとかあやふやなので、あくまで寓話的
なお話として、読んでください。
蒲生風呂(1)
幼少の頃からその才を、織田信長に認められた蒲生氏郷。
彼は若くして城持ち大名となった。だがそのため新たに多く
の家臣を雇ったため、古参の家臣に十分な恩賞を与える事が
できずにいた。
そんなある日、氏郷は手柄を立てた古参の家臣に言った。
「手柄を立てたお前に恩賞を与えたいが、あいにく金も所領
も無い。だがせめてその労をねぎらいたい。明日、我が屋敷
にお前を招いて、酒宴を開きたい。明日ばかりは戦も政も忘
れ、主従も忘れて楽しもうではないか。」
恩賞など思いもかけぬ武骨な家臣も、主君の心遣いに感激
し、この誘いを快諾した。
168:165
08/02/24 22:10:33 CSOemgdp
蒲生風呂(2)
あくる日、屋敷に赴いてきた家臣を氏郷は自ら出迎え、
こう言った。
「よく来てくれた。まずは風呂につかり、日頃の疲れを
癒してくれ。」
促されるままに風呂につかる家臣。しばらくして外から
氏郷の声がした。
「湯加減はどうだ?ぬるくはないか?」
家臣は、
「そういえば、少々ぬるい様でございます。」
と答えた。
「そうか、しばし待て。薪を足すからな。」
再び氏郷の声。家臣は思った。(妙だな、下人にわしが
直に申し付ければ良いものを…?)
いぶかしんで外を見た家臣は驚いた。薪を足していたのは
他ならぬ、氏郷であった。
「どうだ、湯は温まったか?まだぬるいか?」
脇目も振らず、一心に火を焚く氏郷。顔も手も、すすで
真っ黒である。
169:165
08/02/24 22:30:40 CSOemgdp
蒲生風呂(3)
家臣は涙で声も出ない。(氏郷さまが自分のために風呂を
沸かしてくれている。何と言う果報だろう!)
次第に適温を超え、熱くなる湯。だが家臣は涙が止まるまで、
風呂からあがる事は出来なかった。
以降、蒲生家では氏郷自ら沸かした風呂につかる事が、金や
所領に変えられぬ最高の恩賞となった。
家臣達はこれを「蒲生風呂」と呼び、これに入れた者は蒲生家
家中で羨望の眼差しと、尊敬を集めたのであった。
~終わり~
170:人間七七四年
08/02/24 23:43:11 55Ni4wbN
( ;∀;)イイハナシダナー
171:人間七七四年
08/02/25 00:14:58 2Pg1oOwR
>>167-169
ありがとう、本当良い話だ(`;ω;´)
172:人間七七四年
08/02/25 00:23:17 CuyCmIJt
>>167-169
一つ感動出来る話しが増えたよ
ありがとう。
173:人間七七四年
08/02/25 01:19:58 v3gTAO1w
>>165
すごいなぁ。こんなエピソードあったらそりゃ意外と戦功ないのに名将扱いされるわな。
ノブレス・オブリージュという言葉がふと浮かんだけどちょっと違うな。
それはそれとしてこのスレの今後が楽しみだなぁ
1 6 5 三 部 作 の 残 り が 。
174:人間七七四年
08/02/25 07:06:08 r1wNkCjo
松坂でも会津でも領民から慕われた氏郷らしい逸話だな。
175:人間七七四年
08/02/25 07:17:02 sCEZDaA0
十河一存が寒川氏の居城池内城を攻めた際、鴨部兄弟の兄が十河側、弟が寒川側にいた。
一存は兄弟が争うものではないと兄を城に送り出した。鴨部兄はいたく感激し、「今度会うときは戦場ぞ」と誓いあった。
そして鴨部兄弟は戦場で一存と戦い傷を負わしたが兄弟共々、一存みずからの手により討ちとられた。
176:人間七七四年
08/02/25 13:52:49 hM269Z8R
氏郷も上杉や織田と同じく石高や官位で身分の上下を決めないで感状の枚数で決めてるんだよな
風呂の価値はどれほどだったのだろうか?
177:人間七七四年
08/02/25 14:40:24 iXEB7j44
堀といい蒲生といい、信長子飼いはどうしてそんなに人の心を掴むのが巧いのか
178:人間七七四年
08/02/25 17:26:47 y7ObxNu5
信長があんまりにもひどい人だったため、せめて自分は家臣に優しくしようと誓った。
179:人間七七四年
08/02/25 18:13:36 r1wNkCjo
ノブヤボデジタル辞典は逸話集だけ面白い。
180:165
08/02/25 22:02:49 bg+5s1AL
レスをくれた皆さん、ありがとうございます。
稚拙な長文ですが、読んで頂ければ光栄です。
芋鍋(1)
徳川四天王の一人、井伊直政の次男である井伊直孝の
若き頃の逸話である。
直孝は父同様、その才覚を徳川家康に見込まれ、若くして
周囲に一目置かれる存在となっていた。
政務に勤しむ直孝に、ある老臣が声をかけた。
「直孝、お主の様な若者が仕事に励んでいるのは嬉しい。わし
たちも励みになる。そなたを見込んで話すが、実は我々年寄り
連中が集まり、二月(ふたつき)に一度、合議をしておる。
どうだ、お主も来ないか?」
聞けば、参加する者たちは徳川家古参の、歴戦の武将達だった。
直孝に否やがあろうはずも無く、喜んで参加を希望した。
181:165
08/02/25 22:46:21 bg+5s1AL
芋鍋(2)
さて、その日がやって来た。直孝にしてみれば、憧憬の的であった
武将達が集まり、ざっくばらんに語り合っている贅沢な酒宴だ。
ある者は手柄を立てた時の話、ある者は戦の仕様を考証し、ある者は
名高い武将と戦った時の思い出を語っている。一つ一つの話に直孝は
感銘を受けていた。
宴もたけなわとなった頃、大鍋が運ばれてきた。鍋の中には、よく
煮えた芋が入っていた。皆が思い思いに椀に取り分け、黙々と食べは
じめた。芋の入った椀が直孝にも廻って来た。一口食べた直孝は驚い
た。まったく味が無いのだ。それどころか、まるで泥を食べたような
土臭さであった。思わず直孝は言った。
「申し訳ございませぬ。この芋は、私には少々味が足りぬ様でござい
ます。塩か醤油はございませぬか?」
すると老臣は箸を置き、直孝に向き直ってこう言った。
「実はお主を誘ったのは、この芋鍋を食べて欲しかったからじゃ。」
182:165
08/02/25 23:24:37 bg+5s1AL
芋鍋(3)
老臣は続けた。
「家康公の若き頃は、我らは毎日このような味も無い芋鍋を
食べていた。そして今も徳川家のために働いてくれる足軽達、
田畑を耕す農民達の中には、この芋鍋すら満足に食えぬ者も
いる。我らはその事を決して忘れぬよう、こうして集い、芋
鍋を皆で食べているのだ。」
さらに老臣は続けた
「これからはお主のような若者が、徳川家の政事の中心となる
であろう。だからこそ、お主に伝えたかった。我らの手柄や戦
の仕様、ましてや、もうこの世におらぬ武将の話などでは無い。
この芋鍋の味を決して忘れてくれるなよ。」
直孝は芋をたいらげると、老臣達に深々と頭を下げ、言った。
「この味、生涯忘れませぬ。」
他の徳川四天王をはじめ、徳川創業の功臣の二代目が次々と冷遇
粛清されていく中、直孝は幕府の信任厚く、彦根藩主そして大老と
出世し、後に名君として歴史に名を残す事となる。
彼が名君となりえたのは、芋鍋の味を忘れなかったからかもしれない。
~終わり~
183:人間七七四年
08/02/25 23:27:29 CuyCmIJt
これも( ;∀;) イイハナシダナー
184:人間七七四年
08/02/25 23:36:59 2Pg1oOwR
(`;ω;´)うん…イイハナシだ。
185:人間七七四年
08/02/25 23:56:04 2AHSziks
( ;∀;)イイハナシダナー
186:人間七七四年
08/02/26 00:17:22 P9VZodvV
>>180
水を差すようで悪いが井伊直政の話じゃなかったか?
老将は大久保忠世で。
ウィキペディアにも載ってる。
187:人間七七四年
08/02/26 00:35:33 NQMU+PHB
何が芋鍋だよw何も感動せんわw
188:165
08/02/26 00:39:19 ta9QI9nZ
>>186
ウィキペディアを見たら確かにそう書かれてました。
自分が覚えていたのは井伊直孝の話としてでした。
もし不快、不信に思われたのならお詫びいたします。
個人的に、寓話として考えていますので、詳細等を
検証していませんでした。申し訳ありません。
189:人間七七四年
08/02/26 00:59:06 pFZjfTiH
>>186
だから>>167で「あくまで寓話的なお話」
って書いてるじゃん。せめて3部作全部書いてもらってから突っ込めよ。
秀吉と牛蒡と農民の話は他に知ってる奴いるのか…?
190:人間七七四年
08/02/26 01:04:20 IMBWUip3
まあ逸話の使いまわしなんてよくあることだし。
191:人間七七四年
08/02/26 01:05:01 P9VZodvV
>>188
不快になんて思ってないし糾弾しようとも思ってないよ。
wikipediaが間違ってる可能性だってあるしね。本当はどっちの話なのか知りたかっただけです。
逆に不快に思ったらごめん。評判いいみたいだから続けてくれ。
192:人間七七四年
08/02/26 19:38:01 UyaM/8pC
>>191
死ね
193:人間七七四年
08/02/26 20:01:59 EtQP9Fq+
>>192
力抜けよw
194:人間七七四年
08/02/26 20:06:29 ToqOw7Uq
いい話のスレって聞いたから来たけど
殺伐してんだね・・・帰るわ。
195:人間七七四年
08/02/26 20:41:47 UyaM/8pC
ID:P9VZodvV=ID:EtQP9Fq+
お前もちゃんとレス嫁よw
196:人間七七四年
08/02/27 08:54:58 4oQ8gfb5
お前は空気読もうな
197:人間七七四年
08/02/27 10:08:54 o7cs3o1h
>>194が言いえて妙。
みんな批判する時はちょっといい話風にアレンジするか
ちょっといい話してからにしようぜ。
198:人間七七四年
08/02/27 13:19:40 XBnAj46N
>>197はどこら変がいい話なの?
199:人間七七四年
08/02/27 18:40:52 GV+bQUWr
石田三成が結城秀康に刀をあげた話
200:人間七七四年
08/02/27 19:32:05 Sk7WN71e
まあ「寓話的に」って言ってるのに、ウィキに書いてるのと違うとか、
「ある老臣」って書いてるのに、それは〇〇の事では?とか…
そんなの言われたら逸話やら、ちょっとした話しやら書けんぜ?
話しの善し悪しの議論はOKだが、内容が本当か嘘か?正確な話しか?
なんてのは無粋だと思うよ。
201:人間七七四年
08/02/27 20:57:18 ustTlmSK
>>165の人また来て書いてくれんかな~
秀吉の逸話が聞きたい!!
202:人間七七四年
08/02/28 17:54:24 wwyr8Ipb
いや逸話取られた方もファンが居るわけだから苦情もあるさ
どっちが正しいか人物想像する時は結構重要
203:人間七七四年
08/02/28 18:39:47 5AHVVbn8
>>202
確かに一理あるね。ただ書く人も専門家は少ないと思う。
まあ前置きに>>167みたいに書いてあったら、突っ込まないほうが良いかと。
204:人間七七四年
08/02/28 18:45:47 yWbtjQSF
>>202
ただし逸話なんていい話も悪い話も結構使いまわされてるんだから
どっちも正しいこともザラだよ
親子とか、似た立場とかなら特にね
205:人間七七四年
08/02/28 19:43:16 wwyr8Ipb
ご免ね>167に突っ込んだわけじゃないよ
逸話を軽く見てる人が居たのでちょっとレスしてみました誤解してたら申し訳ない
206:人間七七四年
08/02/28 20:09:12 5T+XVqlI
いつまで言い合ってんだ?
どっかいけ。
207:人間七七四年
08/02/28 23:30:46 ajpHTEoa
ごちゃごちゃ言わずに逸話を書け
下らんレスは俺で最後だ。いいな?
208:人間七七四年
08/02/28 23:47:54 Ql+vDwip
>>165
>秀吉の牛蒡と農民の逸話とか
これ初耳です。もしよろしければ教えてください。
209:人間七七四年
08/02/29 00:33:18 +4DExott
キングサルは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と尾張のサル実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングサルが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないカブキ者ないでたちで。
サルが「俺いつもの~」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた足軽集団が「サルさん!」「サルさんかっけー!」などと
騒ぎ出し、サルが戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
高校生達がサルの母校清洲城の足軽部だとわかったサルは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そしてサルは「またな~」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はサルの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、朝日姫(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
210:165
08/02/29 07:51:10 y5aGk3HI
レスをくれた皆さんありがとうございます。
>>191さん、こちらこそ、すみません。
多忙により、しばらく書けませんでした。
この話も考証等はしていません。ご考慮下さい。
秀吉と牛蒡(1)
羽柴秀吉が関白に就任し、豊臣秀吉と名乗り始めた
頃の話である。人臣の位を窮めた秀吉に、各国の大名
や豪商、有力者達が祝いの品を贈っていた。
その頃、秀吉の故郷である、尾張中村でも秀吉に祝
いの品を贈ろうと、農民達が話し合っていた。しかし
当時の尾張中村は寒村であり、特に名産も無く、農民
達は何を贈り物とするか決めあぐねていた。ある者が
言った。
「そういえば、秀吉様が墨俣に城を建てた時や、長浜
に城をいただいた時、この中村の牛蒡をお祝いとして
差し上げたら、たいそう喜ばれた。今度も牛蒡を贈っ
たら良いのでは?」
皆、(関白さまに牛蒡など…)と戸惑ったが、他に換
わる金品は無い。せめて丹精した牛蒡をと、農民達は
選りすぐった牛蒡を持ち寄り、村の代表者に託した。
211:165
08/02/29 08:21:03 y5aGk3HI
秀吉と牛蒡(2)
大坂城に着いた尾張中村の一行は驚いた。城の大きさ、
賑わう人々、そして城に続く長い行列。皆、立派な格好を
し、金や刀や絹織物、中には精悍な駿馬を携えている者も
いた。すべて秀吉への贈り物である。みすぼらしい格好で
行列の端に並ぶ、中村の農民。そこに羽柴秀長の一行が通
りかかった。秀長は農民達の中に、見知った顔があった。
「おお!中村の者達ではないか、久しいのお!どうした、
なぜ大坂に?」
農民達は秀長に、秀吉さまに牛蒡を贈ろうと思ったが、
あまりにみすぼらしいので、貴方に預けて早々に帰りたい、
と伝えた。秀長は言った。
「ばかもの。はるばる尾張中村からの使者を無碍に帰せる
ものか。よし、わしと共に城に来い。」
秀長は農民達を連れ、城に入った。農民達は城の台所で待つ
よう言われ、しばらく待っていた。
212:165
08/02/29 08:48:51 y5aGk3HI
秀吉と牛蒡(3)
台所の奥からドカドカと足音が近づいてきた。それは
秀吉であった。秀吉は駆けるように農民に近寄り、喜色
満面で言った。
「中村の者達、よく来た、よく来てくれた!嬉しいぞ!
それに、また牛蒡を持って来てくれたのだろう?ありが
たい、まことにありがたい。」
農民一人一人の手を取り、感謝する秀吉。望外の歓待
を受け、農民達も安堵した。酒宴が始まり、秀吉や秀長、
おねや母のなかも加わって、しばし時を忘れ賑わった。
あくる日、秀吉は帰ろうとする農民達に言った。
「お前達を手ぶらで帰す訳にはいかん。土産として、尾張
中村の年貢を永年免除とする。どうだ?土産になるか?」
農民達は秀吉に感謝歓喜し、意気揚揚と尾張中村へと帰った。
213:165
08/02/29 09:25:03 y5aGk3HI
秀吉と牛蒡(4)
それから数年経った。年貢が免除された尾張中村では、
農民達は裕福な生活を送っていた。ある者は家を豪華な
屋敷に造り替え、ある者は蓄財し、商いを始めた。
皆が再び集まり話し合った。
「わしらがこんな贅沢に暮らせるのも秀吉様のおかげだ。
お礼として何か贈ろう。皆で金を出し合って、刀や駿馬
を取り寄せよう。」
こうして農民達は立派な刀や精悍な駿馬を携え、再び大
坂城へ赴いた。
あの時のように、城の台所で待つ農民達。駆けんで来
る秀吉。農民たちは言った。
「秀吉さまのおかげで、我々も豊かに暮らせる事が出来
ます。立派な名刀と駿馬を買える余裕も出来ました。ど
うぞお納めください。」
すると秀吉は怒気を含めて言った。
「ばかもの!何故、牛蒡を持って来なかった!」
あっけにとられる農民達。秀吉は心底落胆して言った。
「墨俣に城を建てた時、長浜城主となった時、そして大坂
城を建て関白となった時。お前達はいつも牛蒡を持って来
てくれた。ありがたかった。まだ俺が中村の百姓だった頃
を思い出せた。」
214:165
08/02/29 09:48:52 y5aGk3HI
秀吉と牛蒡(5)
秀吉は続けた。
「わしは武士となって、信長さまのもとで必死に働いた。命
がけで働き出世した。それは、わしは貧しい農民たちが戦な
ど無く、豊かに暮らせる国を造りたいと思っていたからだ。
だが、武士として働いている内にその思いが薄れ、民をない
がしろにしようとする。欲が出るのだ。」
秀吉は農民を見渡し、言った。
「お前達の牛蒡は、その欲を消してくれた。自分が偉くなる
度にあの牛蒡を食べ、農民達の事を思い出した。だからこそ
再び働き、出世した。そして今は日本の王として働いておる。
今こそ、この国の民達が豊かに暮らせる様にと思ってな。あ
の時の牛蒡はわしにとってどんな金品よりもありがたかった。
農民達の期待に応えねば。そう思った。」
215:165
08/02/29 10:23:00 y5aGk3HI
秀吉と牛蒡(6)
秀吉は毅然として農民たちに言った。
「それなのにお前達は暮らしが豊かになると、百姓の基本
を忘れ、金品を集め刀や馬を俺に贈ると言う。そんな物は
大名か商人のすることだ。お前達が牛蒡を忘れる様な国を
造るつもりは無い。」
農民達は恥じ入り、秀吉に誓った。
「今度こそ、我々が丹精した尾張中村の牛蒡を贈ります。
われら必死に働きます。お許しくだされ。」
秀吉は言った。
「お前達の牛蒡、待っておるぞ。」
天下人となった羽柴秀吉は「豊臣」の姓を賜り、豊臣秀吉
と名乗り始める。秀吉は「豊臣」(しんをとませる)と言う
姓に、己の真の理想を見ていたのであろうか。
~終わり~
216:人間七七四年
08/02/29 16:53:27 B9jCDFxn
>>165さん乙!
目頭が熱くなってきた。。。
( ;∀;) カンドーシタ
217:人間七七四年
08/02/29 17:48:27 70O2V7SO
いい話なんだけど秀吉っぽくないwwww
218:人間七七四年
08/02/29 21:45:09 aPQdYiT8
>>165
乙!!!!
ただ後半はオイラの知っていたのと少し違う
農民達は恥じ入り、秀吉に誓った。
「今度こそ、我々が丹精した尾張中村の牛蒡を贈ります。
われら必死に働きます。お許しくだされ。」
秀吉は言った。
「許さん。お前達は奢ってしまった。年貢を永年免除は取り止めとする。精進せよ」
ソースは20年くらい前読んだ武将逸話集のオイラの記憶。
219:人間七七四年
08/02/29 21:47:53 aPQdYiT8
>>165
いやいや、でも史実や真実は抜きにしていい話だったよ。
改編して気分を害さないでくだされ。
220:人間七七四年
08/03/01 06:49:35 a6bmDcrR
乙
初めて聞いたよ
確かに秀吉じゃないなw
性格的に信長あたりに感じる
221:人間七七四年
08/03/01 10:03:42 YUcp+Aga
信長ではありえないよ。
家康なら言うかもしれない、老臣と井伊の芋鍋の逸話があるからさ。
まあ秀吉らしい話だね。
222:人間七七四年
08/03/01 18:29:30 7ZG+Rqki
>>221
信長と乞食の話もあったじゃないか
223:人間七七四年
08/03/01 19:03:35 QIsm7mwx
>>222
庶民との接し方では三傑のなかでは何気に信長が一番フレンドリーぽいんだよな。
224:人間七七四年
08/03/01 21:21:07 bXSxGPBu
そういえば、フロイスが信長と初めて会ったのは安土城築城の工事現場の
橋のたもとだったらしい。屋敷に呼んで引見するみたいな堅苦しい形式じゃなく。
225:人間七七四年
08/03/01 21:35:20 9Iinhq+T
信長がちんこ柄の着物着ていたって話は本当なのかな?
226:人間七七四年
08/03/01 22:49:10 rvpF2kxG
wikipediaにも詳しい話が載ってるし有名だけど
黒人奴隷ヤスケの話は信長の人柄を感じさせるようでいいね。
227:人間七七四年
08/03/01 23:40:43 Bbw4Bzzz
信長といえばこんな話も
内政と戦の両輪で目の回るような忙しさの丹羽長秀を武田を討伐してもう後始末くらいしかやる事の無い
甲斐に派遣して「やる事が無い」と丹羽が連絡すると「そのまま草津に湯治に行け」と連絡が帰ってきたらしい。
まぁ、「下手な奴に任せるくらいなら五郎左に任せとけ」と言って丹羽の仕事を増やしてたのも信長なんだけどね。
228:人間七七四年
08/03/01 23:43:48 DeJJZELx
なんだかんだで信長って頑張ってる部下にはやさしいとこあるよなw
229:人間七七四年
08/03/02 00:17:49 sS6hz24Z
>>221
老臣と井伊の芋鍋の逸話と家康を結び付けるとかおかしいだろ。
>>227
その話は初めてだ。なんか戦国時代のツンデレみたいなエピだなw
230:人間七七四年
08/03/02 00:26:27 j0sBj4WX
そういう話見ると本能寺の変の原因が
光秀の怨恨とはどうしても思えないんだよね
231:人間七七四年
08/03/02 00:45:49 RuAUMaHj
デレ期が来る前に耐え切れなくなって光秀謀反って事で
232:人間七七四年
08/03/02 01:07:00 WbULzXh2
―バッドエンド
233:人間七七四年
08/03/02 04:09:07 9CHqtdsi
>>221わりと信長は利権絡みじゃないといい人のイメージが俺の中であるんだよ
家康は信長と逆で世間的にはいい奴ぶってるけど中身腐ってるイメージがある
234:人間七七四年
08/03/02 12:21:43 lDWhEOCM
宇喜多直家のいい話が探してもサッパリ見つからない。
235:人間七七四年
08/03/02 12:53:50 Q9S0TuMU
>>234
いやな話は・・・
236:人間七七四年
08/03/02 15:15:45 9CHqtdsi
ひいき目にみてもカッコイイが限界だな
237:人間七七四年
08/03/02 15:48:52 3J2971oz
死ぬ直前の
直家「わしが死んだら誰が殉死してくれるかなっ♪」
家臣「我らの代わりに坊さんを殉死させて、あの世の道案内させます」
直家「坊さんか…じゃあ殉死は禁止でいいよ…ショボーン」
という逸話はいい話っていうか、直家ちょっとかわいい。
238:人間七七四年
08/03/02 16:54:20 j0sBj4WX
直家って戸川だかの倅を救出しに行かなかったっけ?
239:人間七七四年
08/03/02 20:07:26 9CHqtdsi
>>237それ最初俺も浮かんだんだがよく考えると確か黒田如水の逸話じゃなかった?
240:人間七七四年
08/03/03 05:06:59 miXZgLqy
>>237
GJ
本家・戸板康二の「ちょっといい話」に載ってそうなエピソードだわw
241:人間七七四年
08/03/04 05:58:47 4HKPwfK9
>>230
信長「光秀、嫌いじゃないけど生理的に無理」
242:人間七七四年
08/03/04 18:28:56 rehVFhf9
>>237
違うわ!幼い秀家を残して先立つから心配で一人でも多く家の人間を残すために殉死を遠回りに禁止したんだよ
しかし後に家臣団が分裂して御家騒動を招くある意味泣ける話し
243:人間七七四年
08/03/04 18:41:52 0BN6ID9k
>>239
如水は晩年嫌な奴になって家臣団が長政派になるように仕向けたんだよな
244:人間七七四年
08/03/04 18:56:12 QpaBEaQI
…って言われてるけどクロカンの場合本当に嫌な奴になってそうな気がするw
245:人間七七四年
08/03/05 00:46:39 +o13HlIF
あまりいい話じゃないけどみんなが貼ってるのでお馴染みを一つコピペ
関が原後の大津城にて縛られた石田三成
藤堂高虎は三成を見るとすぐに馬を下りて、敗戦前の三成に接すると変わらず
「このたびの戦において貴公の部隊の戦い振りは、敵ながら誠に見事でござった。もし貴公の目から見て我が部隊の至らぬ点があれば、ぜひ御教授願いたい。」
と、慇懃に語り掛けた。すると三成は少し黙した後に
「されば貴公の部隊には鉄砲隊に高い身分の指揮者がいなかったように思えた。改善すれば鉄砲隊の威力も大きく変わってこよう。」
と答えた。高虎は三成の助言に感謝し、それから藤堂家の先手の鉄砲頭には千石以上の家臣を配するのをしきたりとした。
246:人間七七四年
08/03/05 01:11:46 OGy3fuUG
如水のいい話と言えば長政に送ったの草履と下駄では無いか?
247:人間七七四年
08/03/05 08:42:55 pXyysOxy
>>246
どちらかと言えば、如水が晩年、家臣にわざと嫌われる話しの方が、
良い話しかと。
248:247
08/03/05 12:14:24 pXyysOxy
>>246
と思ったら、上で既出だった。ごめんなさい。
249:人間七七四年
08/03/06 20:48:02 TzDlHsg6
他板のコピペ
加藤嘉明にはある宝物があった。
それは南京の陶器である10枚そろった「手塩皿」。
大事な客が来た時は、いつもこの手塩皿でもてなしていた。
ところがある日、側近の若者が誤って皿を一枚割ってしまったのである。
若者は青くなり、打ち首になるだろうと死を覚悟した。
しかし嘉明は残りの9枚を持ってきて、なんと残らず全て割り始めたのである。
これには若者も驚いた。
すると嘉明は、
「残りの皿をそのままにしておくと、この皿を出すたびにお前は仲間から白い目で見られる。
だったら全て無くしてしまえばいいのだ」
と言って笑ったそうな。
250:人間七七四年
08/03/06 21:59:52 xcYr/T3r
>>249
いい殿様だなー
251:人間七七四年
08/03/06 22:22:21 0JfMix+b
実は世にも奇妙な物語の「整理癖」↓みたいな感じで…
やがて、棚にきっちり収まるという理由で
全巻揃えで置いてあった医学書の一冊を
同僚が持ち出した上汚されてしまう。
「買って返すよ」
「今では版が変わって表紙の色が違うんだ。
揃わないじゃないか!」
結局全巻を破棄する主人公。
廊下を直行するのを優先して患者を突き飛ばす等、
却って神経質な部分が先鋭化する。
252:人間七七四年
08/03/07 12:09:18 TcTwvv1D
>>249
いい話だな~(><)
これ本当なのかね?
いい話だ
253:人間七七四年
08/03/08 18:39:27 o43UDBHB
>>252
249ではないが確か名将言行録が出典かと。
加藤嘉明つながりで一つ
あるとき嘉明の小姓たちが火鉢の周りに集まって火箸を焼き、
熱くなった火箸を灰に突き立ててそれを掴んだ人の反応を見ると言う
悪戯をしていた。
そこのやってきた嘉明。
「おまえたち、集まって何をしているのだ?」と言い、あろうことか火箸つかんでしまった。
しかし、嘉明は灰に「一の字」を書いて悠然と話を続けたという。
一説には、"火箸を掴んだ時、手から煙が出ていた"と言うが小姓たちに咎めはなかった
254:人間七七四年
08/03/08 20:10:37 nl1IT7aQ
いい話だが
なるほど、藤堂高虎と仲が悪いわけだ、と思うw
255:人間七七四年
08/03/11 20:46:16 dcy8dP3g
あげ
256:人間七七四年
08/03/12 06:20:08 YAYrsoGu
武田信玄の娘・松姫は、織田信長の嫡男・信忠と幼い頃に婚約していた。
2人は、直接会うことはなかったが、互いに文のやりとりで思いを深めたという。
しかし、周知の通り、武田と織田はその後、敵対し、二人が結ばれることはなかった。
信玄の死後、武田攻めの大将を務めたのは、奇しくも信忠だった。
信忠の指揮により、武田は滅びたが、松姫は辛くも武州に落ち延びた。
その消息を知り、信忠は迎えの使者を出したが、松姫が出立せんという時に本能寺の報がもたらされたとの話も。
生家の滅亡、許嫁の死を背負い、松姫は誰にも嫁がぬまま、仏門に入った。
そして、武田家とともに、信忠の死を弔ったという。
さらにその傍ら自ら織物をするなどし、落ち延びる際に連れて行った兄・勝頼と盛信の幼い姫のみならず、
土壇場で武田家を裏切った小山田信盛の姫も、別け隔て無く育てたという。
257:人間七七四年
08/03/12 10:11:47 18k4JdmL
>>253
煙が出るくらい熱されてたら色変わってるわ
馬鹿だろwww
258:人間七七四年
08/03/12 11:40:44 240NxG9r
>>257
煙が出るなどという文章が見えたのかw
259:人間七七四年
08/03/12 11:56:11 ny12tmMG
>>256
○小山田信茂
×小山田信盛
>>258
最後の行の「一説には」ってところに書いてあるぞ。
260:人間七七四年
08/03/12 14:06:57 YKeNRmqq
加藤嘉明ときたら豊臣恩顧の裏切り者の癖にいい奴じゃないか
261:人間七七四年
08/03/12 19:58:57 L8YVGVrd
>>256
女風林火山懐かしいな…
262:人間七七四年
08/03/13 13:31:29 Fzf2foCM
関ヶ原~大坂の陣の間の片桐且元はその存在そのものがいい
片桐且元が忠臣だとしたらの話
263:人間七七四年
08/03/15 02:58:20 orFHkYdU
葵見た後だと、且元は忠臣だと思えてしまうぜ。
「従わずんば、滅ぼされまするぞ!」はマジ号泣。
264:人間七七四年
08/03/22 22:58:13 GA9D+HlV
感動はしないけど、ちょっと良い話。
三代目加賀藩主、前田利常は能を見るのが趣味だった。
利常が能を見る時、家臣たちは利常の前に座り、利常は
いつも家臣の後ろから能を見ていた。家臣たちは利常が
見やすいように頭を下げ、低い体勢で能を見ていた。
(これでは家臣たちに、能を楽しんでもらえないな…)
そう考えた常利は、自分の座る所に畳を積み重ねた。
そうすれば、家臣たちは頭を下げる必要が無くなるからだ。
利常の温かい心遣いに、家臣たちはみな、感激した。
265:人間七七四年
08/03/23 06:03:24 /9M3T9ey
加賀の殿様というと家臣3人に「あそこの星見える?」って聞いて
一人目が「見える」といい二人目は「ぱっとみ見えないけどよく見たら見つけたよ」といって
三人目が「残念ながら見えません」というと
三人目に「本当の目を持っているのはお前だけだなぁ・・・」って嘆息した人がいるらしい
全然いい話じゃないかw
266:人間七七四年
08/03/24 02:29:38 KUPjjepb
熊に見えた
267:人間七七四年
08/03/24 03:00:59 FMk3TVsV
ある日、家康が三方ケ原で脱糞した。
マジいい話だなW
268:人間七七四年
08/03/24 03:10:51 FMk3TVsV
三方ケ原で家康がいた当たりで信玄が脱糞を見つけた。
信玄の家臣は、「家康、もう脱糞かよW」と笑ったが、信玄は「家康、このタイミングでわざと脱糞して我が軍の士気を緩めようとは油断ならぬ男よのう。」と警戒したという。
269:人間七七四年
08/03/24 14:02:41 Y6Rd8lBQ
>>265
それってもしかしてこんな星?
★
★
★
★
★
☆ ★
★
今夜は妙に星がきれいだクマ・・・
∩∩ _,,-''"
_ ,(ェ)・/^),-''"; ;, '
/ ,_O_,,-''"'; ', :' ;; ;, ''
(.゙ー'''", ;,; ' ; ;; ': , '
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :'
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :'
270:人間七七四年
08/03/25 02:53:44 V9Hribd8
>>269
フラグ立ってるじゃねーかwwww
271:人間七七四年
08/03/25 07:09:51 uV5s77dQ
ヤバイよ俺にも見える
272:人間七七四年
08/03/28 00:09:04 B2H7Y8dJ
>>269
ちょww
それは見えちゃいけない星wwww
273:人間七七四年
08/03/28 00:27:34 IehCnZnX
>>269
ウリにも何か白い星が見えるニダ
何かいいことがあるニカ?
274:奇矯屋onぷらっと@FreeTibet ◆SRGKIKYOUM
08/03/30 23:27:58 iV3A+udV
orz
275:人間七七四年
08/03/31 08:22:40 8Xb3/SEz
徳川家康の母親として有名な於大の方は息子の竹千代(後の家康)が3歳の時に
夫の松平広忠と離縁した。於大の方の実家である水野家が尾張の織田信秀の傘下に入ったため、
敵対する駿河の今川義元の側に所属している広忠とは一緒にいられなくなったからだ。
於大の方は松平家の武士に護衛されて水野家に送り返されることとなったが、
水野家との国境まで来た時、彼女は護衛の武士に「後は近くの百姓に頼んで送ってもらうから
あなたたちは引き返してください」と言った。武士たちが理由を聞くと、於大の方は答えた。
「水野家の当主である兄は気性の荒い人なので、あなたたちを殺してしまうかもしれません。
もしそんなことになれば、両家の間に取り返しのつかない禍根を残します。今はわけあって
不仲になったとはいえ、いつかは和睦する日が来ると信じています。今、兄に短慮なことを
させては将来の和睦の妨げになりましょう。ともかく、ここで引き返してください」
松平家の武士たちはやむなく言うことに従って、於大の方を土地の農民に託して別れたが、
それでもやはり心配なのでこっそり跡をつけた。しばらくして完全武装した水野家の武士たちが
於大の方を迎えに現れた。
水野家の武士たちは於大の方にお送りの松平家の侍たちはどうしたのかと問うと、彼女は
松平家の者たちは国境で引き返したのでもういないと答えた。すると水野家の武士たちは
「それは残念。お送りの侍どもは全員討ち取れ、との殿のおおせでありましたのに」と、つぶやいた。
276:人間七七四年
08/03/31 12:48:46 k1XHQ6pG
いいはなし
というより水野DQNすぎるw
さすがはあの勝成を輩出した一族
277:人間七七四年
08/04/01 08:23:44 4RUV594y
越後を支配していた戦国大名の上杉謙信は毘沙門天を熱心に信仰していた。
彼は重臣たちとの会議は毘沙門天をまつる毘沙門堂で行うのを習慣にしており、重要な命令も
毘沙門堂で行うことにしていた。
ある日、謙信のもとに領内で大規模な一揆が発生したとの知らせが届いた。これは一大事と
謙信はその場で配下の武将に出撃命令を下した。それを聞いた重臣たちは「そのような命令は
毘沙門堂で行うのが習慣ではありませんか?」と問うた。すると、謙信は「今は一刻を争う。
毘沙門堂に皆を集める余裕はない」と答えた。
重臣たちは、それでは毘沙門天が怒るのではないかと心配したが、謙信はこう言い返した。
「もたもたして一揆の鎮圧に手間取るほうがよほど問題だ。それにこの越後の地で毘沙門天が
盛んに信仰されているのは私が手厚く保護しているからだ。むしろ私の方こそ毘沙門天から感謝
されてもいいくらいだ。これくらいで怒るはずがない」
熱烈な毘沙門天の信者と思われていた上杉謙信。だが、実は信仰一筋に縛られていない柔軟な
思考の持ち主であることを示すエピソードである。
278:人間七七四年
08/04/01 09:09:41 wdS/xsVu
>>277
いい話だな。ソース教えて。
279:人間七七四年
08/04/01 13:26:41 xX/2pVfh
エイプりるフール
280:人間七七四年
08/04/01 22:11:10 nzF2SrKr
ガクさま~
281:人間七七四年
08/04/02 08:30:06 zO5UfsSw
>>278
たしか「決断の条件」というビジネス書の中で紹介された話だったと思う。
家の本棚のどこかにまだあるはずだから調べてみるよ。
282:人間七七四年
08/04/02 08:32:57 Vl2ADTQe
自分が毘沙門天の化身だから代わりに自分を拝めって言ったとか言わなかったとか
283:人間七七四年
08/04/02 08:38:56 zO5UfsSw
秀吉の知恵袋として活躍した黒田如水の話。
朝鮮との戦が始まる頃、日根野備中という武士が出陣の費用が足りないので、如水のところへ
借りに行くと如水は快く貸してくれた。後日、返済の金が用意できたので備中は礼として大きな鯛を
持って金を返しに行った。
如水はその大きな鯛を家来に渡して料理するように命じた。その際、「鯛の頭と骨は捨てずに
吸い物にせよ」などと細かく指示するのを見て、備中は心の中で、なんてケチな男だと思って如水を軽蔑した。
そして、備中が借りていた金を返すべく差し出すと、如水は受け取ろうとせずに こう言った。
「あの金は差し上げるつもりで渡したものだ。わしが日ごろから倹約を心がけているのは
このような時のために人の役に立ってもらいたいと思うからだ」
これを聞いて、備中は恥じ、また感心したという。
284:人間七七四年
08/04/03 08:13:41 tPS37zTe
>>278
色々と調べてみたが、上杉謙信と毘沙門天のエピソードが載っていたのは
「決断の条件」ではなく、松下幸之助 著の「人を活かす経営」という文庫本だった。
勘違いして申し訳ない。
あらためて読み返してみると間違えて書きこんだ箇所がいくつかあった。まず一揆が発生したのは
越後の領内ではなく隣国。そして、謙信は配下の武将に出撃命令を下したのではなく、間者に
様子を調べてこいと命じている。ずいぶん昔に読んだせいか、色々と記憶違いをしていたようだ。
285:人間七七四年
08/04/03 23:13:37 YYdVkKdh
いい話だな
286:人間七七四年
08/04/04 18:32:51 sLw6T0ur
名将言行録にあった竹中半兵衛の話
ある日、半兵衛が人々の前で合戦の話をしていると、その最中に息子の左京(後の竹中重門)が
座を立って退出し、しばらくしてから戻ってきた。
戦物語の途中に座を立つことがあるか、と、半兵衛が息子に対して叱りつけると、左京は
小便に行っていたのです、と言い訳した。すると、半兵衛は「ならなぜ小便をその場で垂れ流さないのか。
竹中の子が合戦の話に夢中になるあまり、小便をもらす粗相をしたと言われるのは当家にとって名誉なことだ」
と、言った。
287:人間七七四年
08/04/04 22:12:48 W6iw6qV+
ノブヤボ天下創世やってるとどこでも起こるあのイベントか。
288:人間七七四年
08/04/04 22:35:50 Nxvs+W9W
家康「わしも昔、合戦中に便意をもよおしてのう」
289:人間七七四年
08/04/05 18:09:17 AxDMz359
ちょっといい話というより、ちょっと悪い話。
悪逆な戦国武将として名高い松永久秀が織田信長のもとで活躍していたころ、久秀は信長に
陣中の兵士について訴えた。
「兵士たちがたびたび陣を抜け出して近くの町に入り浸り、乱暴狼藉を働くので風紀が乱れています」
これを聞いた信長は秩序を取り戻すために、陣中の兵士たちが町の中に入ることを禁じた。
町へ買い出しに行くこともできなくなった兵士たちは困り果てた。そこへ松永久秀は直属の部下を
ひそかに町に派遣してまんじゅうを買い占めさせ、そのまんじゅうを陣中の兵士たちに売りつけると、
飛ぶように売れた。調子にのった松永久秀は娯楽に飢えた兵士たちに遊女を世話することまでして
大いに儲けた。
信長が発した町への立ち入りを禁ずる命令がうまく利用されてしまったわけである。
290:人間七七四年
08/04/05 21:40:23 QnA2qhkj
さすが松永久秀w
291:人間七七四年
08/04/05 22:43:47 c/4K8Fzw
竹中半兵衛には逸話が多いよね。
ある時、黒田官兵衛が「秀吉様から恩賞として約束頂いた領地が、いっこうに頂けない。約束の書状が溜まるばかりだ。」
それを聞いた半兵衛は、ではその書状を見せて欲しいと言った。
官兵衛から書状を受け取った半兵衛は、そのまま囲炉裏に放り込み、すべて灰にしてしまった。
唖然とする官兵衛にこう言った。
「この様な書状があるから、欲が出て秀吉様に疑心を抱く事になります。
秀吉様にあらぬ嫌疑を抱かれぬ様、ご懸念致して下され。」
さすがに官兵衛はその意味を悟り、黙ってうなずいた。
292:人間七七四年
08/04/05 23:18:34 8P5N4Yqt
なんか政宗の百万石の書状の話に似てるな。
家康以下の偉大なやつらがみんな死んだ後に政宗が百万石の話を蒸し返して脅したら井伊の息子が激怒して書状を破いて「こんなものは御家の為になりません」と威圧されて
政宗が恥じ入ってショボーンした話。
293:人間七七四年
08/04/05 23:38:01 i+XIg6gN
江戸初期だが…
諸藩が二条城の普請を命じられたとき、彦根藩では軍学者岡本半介が奉行となった。
これは実質諸藩の競争だった。
堀を掘るときに排水が問題となり、諸藩は必死に排水を行ったが、半介は休むよう命じた。
その後作業を再開したときには既に彦根藩の受け持ちの部分の水は
もっと深く掘った藩のほうへ流れ排水されていたので簡単に掘り進めることが出来た。
また、諸藩が堀の底を平らにしているときに半介は何もしなかった。
幕府の目付けが理由をきくと、「これは甲州流で、敵が底を移動しにくいようにわざと底をデコボコにしてある」といった。
せっかく平らにした諸藩もまたデコボコに直さねばならなくなった。
次に江戸城の彦根藩普請総奉行の際、岡本は作業を遅くやらせ、諸藩が天井を完成させると言うときに、
また天井造りに取り掛かっていなかった。
そのとき、岡本は幕府の目付けを呼んで天井を造るので裏を確認してほしいと頼んだ。
当時、本多正純失脚をめぐって『宇都宮釣り天井事件』の風聞が流れていたので、
目付けたちは不覚だったと天井の奥を確認することになり、諸藩はせっかく完成させた天井をまた剥さねばならなくなった。
その隙に半介は天井を完成させた。
294:人間七七四年
08/04/06 01:14:50 KW73pYH7
戦国ちょっと過ぎのちょっとワルい話
295:人間七七四年
08/04/06 05:48:02 cxGpYPXZ
多分、史実じゃないけどちょっと良い話。
明智光秀の父が亡くなり、盛大に葬儀が営まれた。
焼香が始まり、家臣達の番になった。家臣の中に
立派な風格を持った者がいて、彼の順番は三番目であった。
だが、彼の焼香の作法は立派な武将のそれとは違い、
刀を置き、頭を床に擦り付ける、まるで農夫の様な振る舞いであった。
周囲の者は「なんと立派な武士と思ったが、まるで作法がなっておらん。
これでは故人も、うかばれぬぞ。」と冷笑した。
それを聞いた光秀は立ち上がり、周囲に言った。
「この者は明智家の重臣だ。もちろん作法の心得もある、だが元は農夫だった彼を見込んで、
父が武士に取り立てたのだ。彼はその時の恩を忘れずに、皆に笑われようが
農夫の作法で焼香したのだ。これが真の忠義では無いのか。」
冷笑した者達は深く恥じ入り、顔を伏せた。
296:人間七七四年
08/04/06 07:49:46 IwMXXO2r
大坂冬の陣、夏の陣の頃に幕府の京都所司代として活躍した板倉勝重の話。
板倉勝重が若い頃、近所の家に強盗が押し入って家の者を殺害し、そして、それをごまかすために
家に火をつけるという事件が起きた。
焼けた家と焼死体を見た近所の人たちは、火の不始末か何かで火事が起こり、逃げ遅れて
焼け死んだのではないかと推測したが、ただ一人、勝重だけは「これは殺人だ。何者かに殺された後に
火をつけられたんだ」と主張した。近所の人たちがその根拠をたずねると、勝重は、
「焼けた被害者の鼻の穴には火事によるスス汚れが全然ない。生きている間に火事が起きたのなら
大量のススや煙を鼻に吸い込んでいるはずだ」と、答えたので、人々はなるほどと感心した。
その後、殺人の線で捜査が進められると程なくして下手人が捕まり、事件は無事に解決した。
297:人間七七四年
08/04/06 15:15:41 t01Me+ar
板倉勝重「ペロッ、これは青酸カリ!」
298:人間七七四年
08/04/07 00:07:47 SRGLb9zG
>>295
時代の違いといえばそれまでだが、何がいい話なのかわからん。
まあ作り話だとは自分も思うからつっこむだけ野暮だが。
299:人間七七四年
08/04/07 06:36:13 QhUoDocN
>>298
まあ要するに、出世して偉くなったからといって
身分の低かった頃の恩を忘れてはいません…て事を家臣は光秀の父に伝えたかったんじゃない?
300:人間七七四年
08/04/07 14:21:09 MRst6QYT
恥という概念がないと判りにくい話かもね
301:人間七七四年
08/04/07 14:48:29 fIzxg3NE
まあ、少なくとも今の感覚なら、立派に武士のなりを見せて、
お陰様でこうして立派に武士として振る舞うことができるようになりましたって姿を見せてナンボだと思うよな。
302:人間七七四年
08/04/07 18:19:42 B+wjS4A4
上杉謙信が北陸から織田信長の領地に攻め入ろうとしていた頃、信長に仕えていた松永久秀が呼応して
反乱を起こし、自分の城に立てこもった。しかし、反乱はすぐに失敗し、松永久秀は城を織田の軍に
包囲されて絶体絶命の危機におちいった。
覚悟を決めた久秀は息子に「城を出て、信長を討つ算段をせよ」と命じた。久秀の息子は、父とともに
死ぬ覚悟だったのでいやがったが、久秀にどうしてもと頼まれると、必ず信長を討つと誓って城から抜け出した。
ところが、久秀の息子は城を出た後に包囲していた織田軍の兵士に見つかり、あっけなくつかまってしまった。
それを知った織田家の兵士たちは「父親を見捨てて逃げ出した卑怯者」と悪口を言い合った。しかし、信長が
「父親の久秀に言いつけられてやむなく城を抜け出したのであって、卑怯な気持ちから逃げたのではあるまい」
と、かばったので、皆は悪口を言うのをやめた。
信長はたとえ相手が憎い仇の息子であっても、間違った事実によって非難されるのはほっとけなかったのである。
303:人間七七四年
08/04/08 00:24:06 JTAm2W/h
唐入りのおり、停戦協定の時に明から虎が贈られた。
秀吉はこの虎を大層気に入り、自分のペットとして飼うことにした。
餌は何が良いかという段になって、生きた動物が良いと言うことで村々に飼い犬を供出させることにした。
とある猟師某は近隣でも評判の愛犬家だったが、その猟犬を数日後に献じる様に沙汰があった。
それから某は今まで以上に愛情を注ぎいだ。
「お前は日本一の犬、明の虎に破れるにせよせめて一矢報いて来い」と
普段自分が食べれないようなご馳走を犬に与えて最後の時を惜しんだ。
そして某の犬は虎の檻に放り込まれた。
虎はいつも通りのそりと起きあがると悠然と犬に歩み寄る。
しかしこの犬は今まで生き餌とされた犬と違いその虎に臆することなく毛を逆立て威嚇する。
小敵の戦意に構わず虎は犬を食い殺そうとしたその時、あっと犬が素早く虎の喉元に食らいついた。
虎は驚き何とか振りほどこうと暴れ回り、前足で犬を引き剥がそうとする。
犬は毛が抜け皮が裂けはらわたが露わになってもなお、虎からはなれない。
それでも必死に虎は暴れ回るが次第に弱まり、そして遂には息絶えた。
秀吉はこれを聴くと犬を激賞し、飼い主に遺骸と褒美を与えたという。
304:人間七七四年
08/04/08 01:42:21 iaqb0hoL
>>303
初めて秀吉に殺意がわいた
わんこも虎も可愛いのになんてことしやがる糞猿
305:人間七七四年
08/04/08 01:43:34 mGIjbfQU
昔から犬猿の仲なんてことを申しまして・・・
306:人間七七四年
08/04/08 09:48:54 XWcBwO9D
秀吉が褒美を与えて器の大きい人間を演じようとしてるのがむかつくな。
307:人間七七四年
08/04/08 10:12:05 A291MLyv
いや当時なら虎は超貴重だろ…愛犬家には申し訳ないが。
308:人間七七四年
08/04/08 11:25:28 Nt1l9ALv
虎、犬>>>>>>>> (禿禿敷く乗り越えられない壁) >>>>>>>>>>>秀吉
ということだけは分かった。
309:人間七七四年
08/04/08 11:29:21 l9k1FnwD
秀吉=徳川の爺さん、虎=ピクル、犬=烈海王だということがわかった。
310:人間七七四年
08/04/08 23:02:31 +AzFJ4Cy
というか、明から虎が贈られたなんて初めて聞いたけど。
311:人間七七四年
08/04/08 23:43:56 iaqb0hoL
秀吉も自分が虎の餌になればいいのに
312:人間七七四年
08/04/09 01:04:06 qgJ3BQ1N
>>310
303だが、
又引用の本がネタ元なので、まあそう言うネタもあるくらいの信憑性かと。
313:人間七七四年
08/04/10 16:58:59 Y9i5op8R
井伊直孝は唐犬を飼っていたがやがて家臣にこれをあげた。
直孝がその家臣の家に行くとその唐犬が直孝を見るなり大声でほえた。
父譲りの気性の持ち主だった直孝はかつての主を忘れたかと激怒し、
「あの犬はうるさいので耳を切ってしまえ!」と命じた。
そこへ岡本半介がやってきて直孝の前にはさみを差し出した。
直孝が「これはなんだ!?」というと半介は「はさみです。」と答えた。
直孝が「そんなことはわかっている。何をしようというのだ?」というと
半介は「殿が犬がうるさいから耳を切れとおっしゃるので殿の耳を切ろうと思いました。」
と答えたので、直孝は半介に免じて犬を許した。
314:人間七七四年
08/04/10 17:26:58 Jf+APSdh
激しい逸話ですな
315:人間七七四年
08/04/10 17:46:04 iFheOoQS
三方ヶ原で敗れて物凄い勢いで逃げている家康を超スピードで追いかけた婆の話とかw
316:人間七七四年
08/04/10 18:21:57 MkzFG86a
>>249
俺がその場に居たら間違いなく泣いちゃうぜ!!
317:人間七七四年
08/04/10 23:18:26 TbASQNo9
>>313-314
直政も結構きつい性格だったらしいが、息子の直孝もなかなか、
しかもポーカーフェースだったのでその怖さはひとしおだったらすぃ。
朝鮮通信使で来日した<丶`∀´>さんが直孝の名前を挙げて「怖い人物」と明記しているくらい。
半介ぐらいの性格の家臣で丁度釣り合いがとれていたのだろう。
でも苦言を呈するのもそんな殿様では命がけだけどね。
>>315
あの話はある意味感動するw 一歩間違えば怪談だけど。
318:人間七七四年
08/04/10 23:53:43 jBWk4zRT
直孝はぬこ派だったんだよ!!!
319:人間七七四年
08/04/12 13:00:10 OHoByaqT
>>313
これ、下手したら言った奴の耳が削ぎ落とされてもおかしくないな。
半介とやらはどこまで命知らずな奴なんだ。
320:人間七七四年
08/04/12 14:00:47 Yjtabery
間違いなくネタだろ。
321:人間七七四年
08/04/13 14:57:01 AqjKZIq2
ちょっといい話というより、ちょっと考えさせられる話
羽柴秀吉と柴田勝家が争っていたころ、勝家配下の武将佐久間盛政が突出して秀吉方の
砦に侵攻して来た。
砦を守っていた武将は高山右近、中川瀬兵衛の二名で、それぞれ300人ずつ手勢を従えていた。
高山右近は敵の侵攻に対し、「こちらは合わせて600人しかいないから、ここで無駄死にするよりも
一時撤退して本隊と合流してから戦おう」と主張し、それに対して中川瀬兵衛は「敵の進撃を少しでも
遅らせるためにここで籠城しよう」と主張した。
結局、二人は喧嘩別れになり、高山右近率いる300人の兵のみが砦から撤退した。残った中川瀬兵衛の
軍勢300人は佐久間盛政の攻撃を奮戦して受け止め、全滅するまで戦い、進撃を遅らせることには成功した。
世間の人々は命がけで戦った中川瀬兵衛を勇者としてほめたたえ、戦友を見捨てて逃げた高山右近を
臆病者として非難した。だが、部下の命を無駄に死なせたくないと撤退を選んだ高山右近と、部下を死なせる
ことになっても全体の勝利に貢献したいと思った中川瀬兵衛。本当に正しかったのはどちらなのだろうか。
322:人間七七四年
08/04/13 16:25:35 UsfC1+4C
俺としてはどちらも悪くない判断だとは思う
323:人間七七四年
08/04/13 17:59:25 4T6p3u6I
>>321
当時なら中川。現代なら高山が正しい…だと思うけど。
ただこの戦いに限れば、戦死しても無駄死にでは無い気がする。
324:人間七七四年
08/04/13 18:02:37 Njo99i/G
上司にしたいのは高山で、部下に欲しいのは中川だな
325:人間七七四年
08/04/13 20:15:16 RoMbE5lx
高山も残って損害を与えすぎると、陣取らないで素直に撤退していた可能性があるからな。
高山の選択で正解!
326:人間七七四年
08/04/13 21:17:58 5SAhL3Iq
小牧長久手で羽柴秀次が家康に補足された際に堀秀政は攻めてきた徳川の一軍を撃破したが
その後さらなる敵軍に包囲される危機が迫っていたので、先陣の援軍要請を無視してほぼ無傷で撤退してしまった。
急を聞いて駆け付けた豊臣の援軍が現れてた時には先陣の池田や森は討ち死に。
戦上手の堀はこんな感じの行動をしてる。
やはり一戦して小勝でも良いからポイントを稼いで一気に撤退するが解答だろう。
秀吉に激怒された秀次が堀を恨んだかどうかは知らんがな!
327:人間七七四年
08/04/13 22:19:53 jk3Vh3es
>>321
両方とも残って籠城していても、
両方ともに撤退していても全滅する可能性が高いんじゃないか?
2つに分かれて片方が籠城して時間稼ぎしたから
結果的に高山の撤退が成功したんだと思う。
328:人間七七四年
08/04/13 22:21:30 5R3g+BX/
>>321
中川思考の武将
道雪、宗茂、紹雲、家久、義弘、元春、左近、幸村、謙信
高山思考の武将
信長、秀吉、義久、宗麟、隆景、元就、家康、氏康、政宗
329:人間七七四年
08/04/13 22:49:44 5SAhL3Iq
>>328
中川思考でなおかつ佐久間ごときレベルなら勝っちゃいそうなメンバーだなw
柴田も敵数を誤認して撤退しそうw
このまま後詰めに敦賀で待ってるよ~って伝令出して勝手に追撃戦に移りそうだわw
高山思考のメンバーは確かに残っていたら全滅しそうなメンバーだから撤退して後詰め待ちした方がいいな。
まーこの後に秀吉は神速の行軍しちまったわけだが。
330:人間七七四年
08/04/13 23:06:10 M5rKbxS9
うろ覚えなんで細部は違うかも。
寓話的だし、信長らしくないので信憑性は低そう。
朝倉氏が滅亡し柴田勝家が越前に入ったころの話。
越前国内で女狩りをする者がおり、勝家の手の者が捕らえ尋問すると
主君信長から越前の美女を集めて連れて来るように命令を受けたという。
越前はまだ平定したばかりで民心もまだ織田家になついておらず、
ここで主君の評判を落とすようなことはまずいと考えた勝家はその者を処刑、
信長には「殿の名を騙り無道を働いた者を処刑しました」とそらとぼけて報告した。
これに信長はぐうの音も出なかったという。
331:人間七七四年
08/04/14 00:02:00 kyYFtFzN
>>330
一銭斬りの信長がやるかなぁ……?
332:人間七七四年
08/04/14 02:03:51 H4CDA6lw
一銭斬りは政治的意図が大きいから越前なら別にやってもそれほど変ではないと思うな
むしろ、北陸での織田軍の動きを見ると勝家の言動の方が疑問
333:人間七七四年
08/04/14 05:08:16 sPRE/2bv
性病が心配だし、素性の分からない女狩りはそうそう
しない気がするがな。
334:人間七七四年
08/04/14 05:55:19 VkCeGrOK
信長は女にだらしないというイメージがないから違和感あるな。
335:人間七七四年
08/04/14 10:42:23 0x/v80tJ
作り話にしても信長を踏み台にした勝家褒め話って珍しいね
336:人間七七四年
08/04/16 23:51:17 7E1xM/5V
秀吉と三成や勘兵衛だったらありそうなんだけどね。
337:人間七七四年
08/04/18 02:59:18 n2WOmkCO
有名な話だけどまだ出てないので一つ
黒田官兵衛は謀反を起こした荒木村重を説得するべく、
秀吉に命じられて村重の有岡城へと赴いた
しかし官兵衛は有無言わさずに村重に牢屋に閉じ込められてしまう
有岡城へ説得しにいった官兵衛が行ったきり帰ってこない
このことを知った信長は官兵衛が村重に寝返ったと勘違いし、
人質にとっている官兵衛の息子・松寿丸(のちの長政)処刑するように秀吉に命じる
秀吉は迷った挙句、信長の命令なので従おうとしたが、
竹中半兵衛が独断で信長には松寿丸を処刑したと報告し、密かに匿って
石田正継(三成の父)の元へ隠しておいた
やがて有岡城が織田の軍勢によって落城し、中からやせ細った衰弱した男が出てきた
足に障害を持っており、知っているものが彼が官兵衛であることに気づいた
秀吉は官兵衛が生きていたと知って喜んだが、官兵衛の息子を殺してしまったことに
罪悪感を覚えて素直に喜ぶことができなかった
するとそこに半兵衛が密かに松寿丸を匿っていたという報せが届いた
これに秀吉は自分の面目が立って喜び、官兵衛の方も息子の命を助けてくれた
半兵衛に感謝しても感謝しきれぬ思いを抱いた
しかしその時既にことの功労者である半兵衛は世の人ではなく、
中国攻めの陣中で没していた
官兵衛は息子の恩人である半兵衛に感謝の言葉を直接言えなかったことを深く悲しんだと言う
一方信長は生前の半兵衛が自分に内緒で松寿丸を匿っていたと知ると呵呵大笑した
「さては半兵衛め、またしてもやられたわ」
と呟いたという
半兵衛はその以前にも秀吉に進言して、柴田勝家の軍勢から無断退却させ
信長に反抗したことがあった
半兵衛が官兵衛の息子・松寿丸を匿ったことは
ある意味彼なりの信長への挑戦だったのかもしれない
338:うりうり
08/04/18 05:26:34 BWEn9XYL
五ケ条の御書置
これ最強。
今の政治家に読んでもらいたい。
339:人間七七四年
08/04/18 08:25:02 H668oxs4
ザビエルが日本にキリスト教の布教に来たときの話。
ザビエルが道端でキリストの教えを説いていると一人の男が質問してきた。
「キリストの教えを信じない不信仰者は死後に地獄へ落ちるそうだが、それなら、去年亡くなった
うちの祖父はキリストの存在自体知らなかったのだから地獄へ落ちてしまうのか?
祖父はとても良い人で周りから尊敬されていたのにおかしいではないか。あなたの説く教えが
それほど素晴らしいものなら、なぜもっと早く来てくれなかったのだ?」
この質問にはさすがのザビエルも返答に困り、後に本国への手紙で、日本において布教するには
論理学の知識が必要である、と報告した。
340:人間七七四年
08/04/18 08:40:26 Irm3ufk0
>>339
そいつ、凄いな。
341:人間七七四年
08/04/18 11:34:39 /c/bhcs8
>>337
地味に正継の人の善さが伺える話でもあるな。
342:人間七七四年
08/04/18 20:21:07 m1X5EycB
>>339
で、そいつが後に創価学会を開いた池田大作とかいうオチじゃなくて?
343:人間七七四年
08/04/18 21:17:33 v1tQ0FkT
そして黒田長政は関ヶ原で今こそ正継の恩を返す時と佐和山城に籠城した正継を救い匿ったという。
344:人間七七四年
08/04/18 22:51:29 SZKvyQZs
>>339
もしかしてそいつが、西洋に近代哲学をもたらしたんじゃないのか?w
デカルトが登場するまで、西洋人なんて聖書の解釈しかしてなかったような
もんだしさ。
345:人間七七四年
08/04/19 00:15:47 tYh2libV
ザビエル「ということは君はホモだな」
346:人間七七四年
08/04/19 00:59:28 ChcgRmDQ
>>339
その後宣教師たちは
「私たちが教える前は、あなたたちは神の存在を間違って認識して、信仰していただけです。
だからあなたたちの先祖も救われます。アマテラス=デウス、ブッダ=デウス、まめちしきな」
みたいなノリで日本人を洗脳していったとか・・・
347:人間七七四年
08/04/19 01:17:57 5Bb3quh4
ブッダもアラーもキリストの別名であって
みんな同じものだと言ってた宇宙飛行士がいたな。
348:人間七七四年
08/04/19 06:55:27 3PLfkouw
ブッダはともかくアラーとキリストなんて元は同じなのに仲わるいよなあ
同族嫌悪ってやつか
349:人間七七四年
08/04/19 08:28:20 nBwHh70u
>>348
自己嫌悪かも?
350:人間七七四年
08/04/19 19:52:28 /Zoeg4ZK
>>337
黒田長政が関が原後、捕らえられた三成に丁重に接したというのは
幼いころ石田家に匿ってもらったということもあったのかな?
>>337じゃないけど正継の逸話を一つ。
石田家が統治する近江4郡は豊臣時代を通じてもっともよき民政地だった。
太閤に近侍し、日本全国をとびまわりめったに自分の統治地に帰ってこられない三成に代わり、
民政は主として父の正継(隠岐守入道)が担当した。正継は学問があり、
人柄も温和で土地では「藤右衛門どの」とよばれて親しまれた。
正継は農民に対し
「苦情があれば、じかに申し出よ」
と制限つきながら直訴主義をとった。江戸期にもこのようなことは無く
正継は非常によく仁慈をもって、農民の面倒をみていたといえる。
石田家の領地に上坂郷という地があった。
この地には、近江の浅井家に滅ぼされるまで上坂氏という有力な国人衆があった。
正継は上坂氏の零落ぶりを気の毒がり、そのうちの一人を豊臣家に推挙した。
さらには知行地も故郷の上坂郡の一部に設定してやったりもした。
ところが昔、上坂氏に搾取しつづけられていた上坂郡の農民はみなこれを喜ばず、
「いまさら上坂に殿様面して帰ってこられても困る」
と誰もがそっぽを向いた。
ところが、正継はあくまでも面倒見のいい領主であった。
大名でありながら、領民である上坂郡の農民に対し、下世話にも調停者になってわりこんだのである。
文書のなかで正継は
「昔を思えば旧主ではないか。道で出会えば、腰をかがめるだけでよいのだよ」
それだけの礼でよいのだ、上坂氏が昔のように重々しくのしかかって搾り上げるわけではないから礼をつくすだけでいい、ということである。
「でなければ草木も枯れるよ」
と最後に軽妙に付け加えた。
351:人間七七四年
08/04/20 23:11:16 DThkshzH
怖っw
352:人間七七四年
08/04/22 01:25:48 yrAOp9UW
怖いか?
353:人間七七四年
08/04/25 02:37:25 kOsvs7oE
黒田長政 → 石田三成の陣羽織エピソード
しかし、甲州は腹の中で大笑いしてたんじゃね?
354:人間七七四年
08/04/26 17:30:30 HXFsGIba
陣羽織エピソードと三成に言い返されたエピソードと二通りなかったっけか
355:人間七七四年
08/04/28 23:03:54 7dbiUPZF
山中鹿之助はドMだった・・・
356:人間七七四年
08/04/29 00:21:54 DPO+XD2M
ええ!
そうだったの!?
なんちゅうエエ話や~・・
357:人間七七四年
08/05/01 18:39:42 f5qmCC8C
>>337
その後、関ヶ原の戦で、松寿丸⇔長政は竹中半兵衛の息子、重門を
石田方から徳川方に付くよう説得し、共に丸山で陣をとった。
そして両家の良い関係はその後も。。。
358:人間七七四年
08/05/02 12:07:40 fwlkkh19
>>337の続き。
竹中半兵衛死後、信長は重門に家督を継がせず(自分の命に背いたからか?)
一家は一時離散する。
>>357の続き。
徳川幕藩体制では5000石の旗本となり、竹中半兵衛の威名により8万石格の待遇を与えられる。
重門の次男から分かれた分家は黒田家家臣となり、幕末では本家と戦う。
この時竹中姓を「岩手」に改めた。
鳥羽伏見の戦いでは本家の重固は陸軍奉行となって総指揮に当たるが、
拙劣な指揮で「半兵衛は一代限り」と言われた。
359:人間七七四年
08/05/02 14:15:01 vRTsoegc
斯波氏家臣で何かと仲の悪さが言われる朝倉と織田ですが美濃攻撃を共同して
やったりとそんな時代もあったんですね。
まだそれほど信長が脚光を浴びてない時期、宗滴が「出来るものならあと三年
長生きして信長の行く末を見てみたい」といった話は有名ですが、宗滴とあと
信長の破滅を予見した恵瓊の卓見はなかなかすごいと思う。
360:人間七七四年
08/05/02 14:42:43 hWCdIFvS
>>359
信長の破滅を予見した恵瓊の話ってのは後世の創作だって事は有名だよ。
361:人間七七四年
08/05/02 14:51:44 G02EFeUr
>>358
その半兵衛の子孫が和泉元弥
362:人間七七四年
08/05/02 14:53:27 04mdqQMU
家臣に城を追い出され、暗君のイメージで語られる山名豊国。
江戸時代になって旗本(交代寄合)となり、但馬に領地をもらって帰ってきた。
帰郷した豊国はかつて毛利と結んで謀叛を起こした重臣の武田高信
(結局毛利に使い捨てられて殺された)の息子をはじめ、
かつて自分をひどい目に合わせた旧家臣の子を快く召抱えたという。
363:人間七七四年
08/05/04 17:42:18 FAk23FWf
>>358
スレタイ嫁
(゚⊿゚)養分イラネ( ゚д゚)、ペッ
364:人間七七四年
08/05/04 17:53:07 8gfY2BQu
>>362
人がいいな
365:人間七七四年
08/05/05 04:36:14 WDAyC/Qw
>>362
そんな人の良さだから追い出されたんだな
366:人間七七四年
08/05/05 10:26:26 V6rgTU/A
水戸藩初代藩主、徳川頼房の家臣に鈴木石見と言う人物がいた。
伊達政宗が江戸城に登城すると、控えの間に石見が居た。政宗が
控えの間に居る間中、じっと政宗を見つめていた。政宗は石見に
近づき訊ねた。
「なぜ俺をじっと見ている?何か言いたい事があるのか?」
石見は答えた。
「最近江戸ではどこかの大名が謀叛を起こす、と噂しております。
そこで大名の方々のお顔を拝見致しましたところ、謀叛を起こす
のはあなた様以外にいません。もし戦になれば真っ先にあなた様
の首をいただこうと、お顔を覚えようとしておりました。」
それを聞くと政宗は大笑いし、石見に言った。
「お前は大層な目利きだ。お前のような、勇ましい武士がいると
なれば、俺もうかうかと謀叛は起こせまい。気に入った、いつで
も俺の所に遊びに来い。お前とはもっと語り合いたい。」
政宗の豪胆さに石見は感じ入り、政宗とは真の友となって様々な
事を語り合ったと言う。
367:人間七七四年
08/05/05 10:58:10 Mm1o6uhm
>>363( ゚д゚)、ペッ
368:人間七七四年
08/05/05 13:02:21 nhsTflmF
>>365( ゚д゚)、ペッ
369:人間七七四年
08/05/05 13:47:09 sHa0RM4P
鈴木石見って鈴木重朝本人?それとも縁者か何か?
370:人間七七四年
08/05/10 14:25:27 Q1kUKD9u
信長に能数寄を叱られ謹慎していた信忠は、城を抜け出し信雄を誘って伊勢の信孝の城へ行き、
用意させておいた舞台で兄弟3人交代で能を舞い、招待された領民の喝采を浴びた。
このことで信長からのお咎めは一切無かったという。
371:人間七七四年
08/05/10 14:41:41 Q1kUKD9u
順番逆になっちゃった
>>369
重朝は伊達政宗に仕えているから当然政宗の顔は知っている。
その後水戸家に召抱えられる。
水戸の家老鈴木家党首は石見守を名乗っているから、
>>366は子と考えるのが普通。
372:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/07 23:24:27 gc3XR7nF
>>93絡みで岩屋城ネタ
岩屋城が落城して間もなく、敗戦を知ないまま立花山城から立花宗茂の使いの兵が高橋紹運宛の書状をもって岩屋城へきた。
が、時既に遅く全員玉砕の岩屋城。使いの兵は島津軍に捕らわれ、そのまま従うよう命じられる。
立花宗茂の使いの兵はそれを断りこう言った
「一つだけお願いがあります。その書状を読むのは私の首をとってからにしてください」
その答えに島津の将は心を打たれ、書状を読まずにその兵の縄をほどき、立花山城に無傷で送り返した。
373:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 10:06:54 s/ItF2dT
>>372絡みで立花宗茂ネタ
関が原の戦いで西軍に味方したため、戦後領地を没収され浪人となった
宗茂。彼を見捨てず、虚無僧や物乞いまでして宗茂を支え続けた家臣達。
その主従愛に感動した徳川秀忠は、彼を筑後柳川十一万石の大名として
取り立てた。
かつての領地に返り咲いた宗茂と家臣達は、さっそくかつての家臣を呼び
寄せ、新たな家臣を雇った。たちまち宗茂の屋敷は家臣達であふれかえった。
そこで宗茂が浪人時代から支えてきた家臣達が進言した。
「家臣も増え、今の屋敷では手狭でございます。そこで屋敷をもっと大きく
建て替えて、部屋も廊下も広くいたしましょう。」
374:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 10:25:39 s/ItF2dT
>>373続き
だが宗茂は首を振って言った。
「いや、屋敷は狭いままで良い。」
家臣達は「何故?」と首をかしげた。
宗茂は目に涙を浮かべて言った。
「なぜなら俺が浪人となっても、お前達は俺を見捨てず、
物乞いをしてまで俺を支えてくれた。俺にとってかけがえ
の無い、愛しい家臣だ。もし屋敷を広くすれば、お前達と
こうして顔を合わせる事も減り、疎遠になるだろう。
それは嫌だ!それなら屋敷が狭いほうが、俺は嬉しいのだ。」
家臣達は涙で言葉も出なかった。
375:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 11:34:30 ZvQLYTCp
ぎんぽっぽなんかにゃない逸話だな。
376:人間七七四年@全板トナメ開催中
08/06/08 18:18:31 3w7sYWMn
面白いネタはないの?
377:人間七七四年
08/06/18 20:26:48 35ygH+wf
あげ
378:人間七七四年
08/06/18 21:57:31 tqERUXi0
>>377
(・∀・)イイ話しだなー
379:人間七七四年
08/06/18 23:45:31 bplewm2a
織田信長の弟、信行に双子の弟がいた。弟の名は信高。幼年より病弱で僧となるため寺に入る。信長はこの弱い弟を大層可愛がっていた。この弟こそ後年本能寺で三法師を助けた前田げんいである。