06/07/10 01:05:52 jkyHua6b
織田有楽斎
織田信長の弟。
本能寺の変では、織田信長・信忠親子が相次ぎ戦死し大混乱に陥る中、狂騒の京からいち早く離脱に成功する。
庶民は人離れしたこの活躍を絶賛し、「織田の源五は人ではないよ」と褒め称えたという。
関ヶ原の戦いでは西軍の武将蒲生郷舎を討ち取るなど大活躍を見せ、、大和3万石を授かった。
茶道にも精通し、利休七哲の一人にも数えられるほどだった。
大阪冬の陣では豊臣側の中心人物となり奮戦し、将としての器を示す。
有楽斎は豊臣の未来のために、和平策を提案したが
受け入れようとしない豊臣側に呆れ、有楽斎は大坂城を退去する。
有楽斎の提案を受け入れなかった豊臣は予言どおり滅亡してしまう。
大坂城退去後は茶道に専念し、趣味に生きた。
文武両道兼ね備えた希有な武将であり、文化人でもあった有楽斎は有楽町という地名で現代に残り、
人々の心に生き続けている。