06/06/17 19:22:34 D0NaUdfd
斎と斉
どっち?
3:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/17 19:29:20 ZXqURSNK
龍興は凡愚か
父親の急死で13歳の若さで家督継げと言われても、
なかなか苦労すると思うがどうだろう。
織田信長は17でした。
4:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/17 19:32:57 ZXqURSNK
まあ20になるまで粘りましたがね
5:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/17 19:38:17 jupOda8x
>>2
齋藤
6:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/17 19:54:21 gqijhTaS
道三乗っ取り以前の斎藤家は語っていいのか?妙椿とか。
7:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/17 22:13:09 V/McvADb
どうぞ
8:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/17 22:57:22 vQ5m7mO3
石丸の乱が痛かったな。あのまま利仁流斎藤が美濃の支配層に残っていたら
信長侵攻時の美濃の結束は高かったかも
9:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/18 01:25:13 bUnCfsJR
なら利三もか。
10:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/18 22:02:16 vaKq7Zzi
家臣に城を奪われた時点で擁護できんなあ
11:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/19 00:35:33 3xrYO/2P
やはり竹中重治でしょ
12:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/19 00:37:24 7dTZSyNe
龍興って何度か信長破ってなかったっけ?
13:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
06/06/19 00:46:19 d8SJgiiL
殆ど負けだろう。破った戦いといえば十四条・河野島合戦くらいじゃないか?
14:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/20 00:03:59 nlCxe46N
道三の父はなんて名前だっけ
15:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/20 00:27:11 EjSaxmtn
>>14
ミチロウ
16:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/20 11:30:47 YqF7QtWp
>>14
長井新左衛門尉じゃ
松波基宗の子ともされるが、例の出世物語が親子二代にわたる話では?
と言われことが多い
17:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/22 23:14:37 c4rwt249
もう親子二代説で確定でしょ。
18:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/23 06:19:28 hquBCKaS
世代的には一番しっくりくるな>二代説
19:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/23 23:35:26 XPOv2piB
道三は義龍以外に子供いたの??
20:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/24 00:20:09 mFQOJJqA
いっぱいいたよ
21:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/24 10:19:26 qwYMfC9U
五男は長龍だったね
22:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/24 21:23:36 RRkh3DAO
>>19
義竜に手打ちにされたはず。
23:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/25 09:42:52 IvKP5D5S
斎藤新五郎はどうなるのよ?
24:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/25 21:54:05 YukMO7q7
道三は謀将のイメージが強いが、戦も強い。
美濃内乱では同族から近江勢、
加納口の戦いでは尾張勢率いる織田信秀を完全に叩きのめしてる
25:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/26 23:46:47 g4IJGU4+
大柄で病弱で謀略家な義龍のキャラがいまいち掴めない
26:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/29 02:59:43 cvVAlLFv
実績が少なすぎる
27:営業中 ◆QqQquqqauQ
06/06/29 12:09:36 tNW8KBwA
URLリンク(s.pic.to)
岐阜市にある織田塚。
28:名無しさん@お腹いっぱい。
06/06/30 20:47:34 M4dBxHLD
義竜の死因は何?
29:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/02 00:10:54 /G43enYH
(俗)斎藤義龍は道三の息子ではなく土岐頼芸の息子で身長2mでハンセン病だった
(史)義龍は道三の息子で身長も平均値で変な病には犯されてなかった。
30:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/02 17:42:46 fSoAguT+
父子二代の逸話が,
ひとり分にまとめられて伝えられてしまった
という定説で本当なのか?
31:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/02 23:27:15 mJfmVVY1
今二代説である程度言われているのが、最初期の法華経を学んでいた僧
法蓮房として生を受けたが、その後その学友のつてを使い、美濃の名家長井家に
仕官した所までが、父である可能性が高く、その後斎藤道三の実父が亡くなったという辺りから
正式に道三(この時は司馬小説では庄九郎だったか勘九郎だったか)の名が出てきたらしい。
32:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/04 18:03:45 3Xi8BDOk
どこからが道三なのかな?
松浪庄五郎?
西村勘九郎?
長井新左衛門?
父は松浪基宗?
33:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/06 14:09:46 HPo1UOz5
六角義賢が家臣に宛てた手紙に、道三の父親が小坊主、油商人、長井市への
仕官ということを経て、道三が長井氏を乗っ取り、美濃の国主になった。
と、書いてある。
34:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/06 15:10:22 t7BtMPBE
斎藤秀龍・・・その道の人のような名前だね
35:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/06 15:16:09 KojK1AQ9
>>33
ってことは西村勘九郎までは親父殿なのかな?
36:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/09 10:38:09 /T4kQ0Pq
岩井三四二の斉藤道三書いたの面白いよ~
書店で売ってるの見たこと無いけど。
37:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/09 14:13:28 vJVue3Ga
日本大百科全書によると
(略)
この俗説には混同があり、その前半部分は道三の父の事績で、道三の国盗りの過程は、
実際には道三とその父の2代にわたったことが明らかにされている。
妙覚寺学僧で還俗して西村を称したのは実は道三の父新左衛門尉(しんざえもんのじょう)であり、
新左衛門尉は守護土岐氏の有力家臣長井氏に出仕してしだいに台頭、
長井氏を称し長井氏惣領と並ぶ実力者に成長する。
新左衛門尉は1533年(天文2)死去するが、その子長井規秀(道三)の確実な初見も33年で、
同年もしくは34年、道三は長井氏惣領を討ち、
35~36年、時の守護土岐二郎(実名未詳)を追放して頼芸を守護とする。
37年ごろ守護代斎藤氏の名跡を継いだらしく、斎藤利政と名のり美濃の実権を握ると、
やがて52年頼芸をも追放するが、子の義龍と不和になり、
56年(弘治2)4月長良川畔に戦って敗死した。
織田信長、飛騨の三木自綱はその女婿。 〈谷口研語〉
38:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/10 15:21:28 z438m1Hw
つまり長井新左衛門尉までが父
長井規秀→斎藤利政→道三ということね
ありがとうございます
39:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/12 23:35:09 TOfKt/Mw
どうも国盗り物語のイメージが強い。
40:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/13 02:23:44 w5pScuJH
じゃあ斉藤道三はいつ生まれたんだろ。
41:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/13 16:41:38 AHjEoA4W
永正元年(1504)説があるね
42:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/18 04:57:42 zb2GuJkF
義龍が長命なら信長は美濃攻略だけで一生終わりそうだな
43:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/18 23:44:00 jAK9Gs7R
義竜は結局頼芸の子なの?
44:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/19 01:56:31 xHhuPRS9
わからない。
話自体はもちろん創作だけれども嘘から出た誠ってこともあるしね。
永久に分からないと思うよ。
45:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/19 15:55:08 dW40XOcr
斎藤家が支配してたのは美濃一国?西美濃?
46:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/20 08:04:59 2yqlLNms
西美濃じゃない?遠山がいたし
47:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/25 14:16:14 mH4fhvS0
道三の幼名は峯丸といい、非常な美童だった。
また大変頭も良かった。
48:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/28 17:48:28 XmsMv43/
道三の生涯を書いた古い資料は『美濃国諸日記』と太田牛一の書いた『信長公記』がよく使われる。
49:名無しさん@お腹いっぱい。
06/07/29 11:42:50 p0q+4TVT
美濃国諸日記は、道三一代立身説なの?
50:あぼーん
あぼーん
あぼーん
51:名無しさん@お腹いっぱい。
06/08/11 14:58:48 nnFNLocG
美濃って、東西以外にも中美濃とか奥美濃ってあるんだ
そこらがよくわかりません
52:名無しさん@お腹いっぱい。
06/08/20 20:15:07 eDRsVSYo
父子説を裏付けてるのは
六角承禎の手紙と『近濃記』の2つ。
53:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/08/20 20:43:41 w5K+gPhQ
道三が美濃を取ったといわれているころは、
加茂郡北部や恵那郡北部は三木氏の支配圏。郡上郡の東氏も半独立状態。
54:名無しさん@お腹いっぱい。
06/08/25 15:25:06 n7caQM+F
斎藤妙椿の頃は、郡上の東氏や居益の長江氏を破って、威勢は国中に及んだんだけどね
土岐も守護代の斎藤も後が続かなかった
55:あぼーん
あぼーん
あぼーん
56:名無しさん@お腹いっぱい。
06/09/06 15:16:43 GXAf8SFP
道三の親子国盗り説でちょっと疑問に思ってたことなんだけど
あの当時に書かれた資料には一代説て書かれてたりするの?
あるんなら、一代で国を盗るっていうインパクトある嘘を皆、揃って書いたってことかな?
そんな混合するほど人々の印象に残らない事件じゃないと思うんだけど
57:名無しさん@お腹いっぱい。
06/09/09 20:13:54 pBkQz1ny
あげ
58:名無しさん@お腹いっぱい。
06/09/09 22:22:48 cnrL8ypv
>>56
これを言ったら実もフタもないけど、
はっきり言って一代説も二代説も大差ない。
京都からきた商人が
美濃の一家臣の家と親交を持ち
ちょっと美濃に基盤を作ったところで
二代目(つまり道三)にバトンタッチだから、
実質、一代の国取りに等しい。
59:名無しさん@お腹いっぱい。
06/09/10 14:45:03 Vz45uLij
まあたしかに、二代説が正しかったとしても、
守護の部下守護代の重臣小守護代のさらにしたの家からだからねえ。
60:56
06/09/11 16:08:46 SD8g9ioF
非常に亀だけど>>58丁寧にありがとう
なるほどと納得しました
だとすると、道三はやはり一角の人物ではあったのかな
61:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/09/11 21:47:25 X72DBIB2
守護代長井氏を乗っ取ったのかが第一段階。
守護土岐氏を駆逐したのが第二段階。
どこでも起こってる主家乗っ取りを2回やった稀有な例なんだろうな。
62:あぼーん
あぼーん
あぼーん
63:名無しさん@お腹いっぱい。
06/09/12 00:21:35 L2+tHf1p
>>61
細かいつっこみですが、長井家は守護代ではなく小守護代ですよ。
64:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/09/12 00:24:23 D30ypkQG
そうだね。ごめんなすって。
65:名無しさん@お腹いっぱい。
06/09/20 22:18:45 PKSychBH
龍興と新五の生き方は対照的だよな。
龍興は、ひたすら織田家に反目して朝倉とともに死亡
新五は、ひたすら織田家に仕えて本能寺で死亡
66:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/01 01:42:05 4UfFBaIF
もし、道三の子供や孫に優秀なのがいたら、信長は天下を取れなかったの?
てか、なぜに美濃を攻めたのだ?伊勢はなぜ、後になった?
67:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/01 14:16:21 4FoEcHEP
>>66
道三の遺言状があったからだろ
美濃を後回しにしても遺言状の効力が薄まるばかり
道三の後継者としての美濃攻略なら龍興政権の親道三派の離反も狙えたかもしれないし
と俺は思っているんだが・・・
68:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/02 01:22:08 bdVdycFf
道三の遺言状は存在そのものが怪しいけどな。
織田家側の史料である信長公記にしかでてこないし、
信長の美濃侵攻を正当化するための捏造な気がする。
69:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/02 02:28:45 x2nv+kiz
この書状については偽書説もあるみたいだけど、道三の遺言状は
こういう感じで妙覚寺に残ってるよ。
URLリンク(www.geocities.jp)
70:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/02 05:06:00 7VI8edN2
まあ遺言状はともかく舅&盟友の敵なら一応大義名分が立つんじゃないか
71:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/02 06:05:09 SGYqQsVy
確かに遺言状云々は置いといても名分のたつ美濃を攻めるのが常道じゃね?
それに美濃は豊かな国だし、主君が変わったばっかの国ってのは狙いやすいとも考えたかもね
72:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/07 02:48:08 TcQjqFg9
義龍がもうちょっと長生きだったら、信長の天下取りも遅れていただろうな。
73:名無しさん@お腹いっぱい。
06/10/12 20:37:58 mrbMryfk
時差は出るだろうが、結果としては変わらんだろうな・・蓄えた国力差で押し切られた部分もあるし。
一番時差が出る、というか歴史が変わるのは、道三が生きていた場合な気がする。
北畠の方に伸ばしていけるかもしれんが、少なくとも義昭つれて上洛、はなさそうだ。
上洛するとしても普通に上洛か。斉藤あたりと一緒に。
でも今思うと、美濃の斉藤と尾張の織田、さらに三河の家康まで同盟出来たなら、かなり強力な勢力圏だよな。
74:あぼーん
あぼーん
あぼーん
75:あぼーん
あぼーん
あぼーん
76:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/07 13:15:50 oPj+FTLJ
長井道利は道三の異母兄弟?
77:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/14 17:32:46 PtZ9B0/g
稲葉一鉄から明智光秀の家老になった斎藤利三の出自に詳しい人いますか?
78:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/01/14 20:01:56 DwAh83A+
詳しくないけど地元だと光秀の従兄弟か甥ってことで。
79:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/15 20:41:26 KE791Vmp
政宗>>>>>>>>>>油売り
80:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/24 20:23:27 u5oaf22n
>>77
道三が養子入りした斉藤家と遡れば道祖。
81:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 07:22:34 YVPUPQRx
まぁ道三のスタート位置は、信長の親父信秀よりはましって言う程度。
82:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 10:02:04 K6SS4jN1
>>81
信秀のほうが親の代の下準備がある分有利。
道三二代説をとっても、二代目道三より信秀のほうがまだいい立場からのスタートだな。
83:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 10:32:34 +FPKtUNJ
( ・ω・)?
84:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/25 23:04:45 YVPUPQRx
そうかな?道三のほうが信秀よりはマシだと思うぞ。
小守護代と同等の力の家と、半国守護代家の三奉行の家だから。
85:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/01/25 23:24:18 VA2W0jw/
弾正家のあった津島の経済力をバカにしてはいかんよ。
86:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 00:22:05 kATzw2Lc
>85
津島って猪子だかの領分もあったらしいけど。
87:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 05:34:59 Sz7NWm3z
経済力だけで家の格は決まらないよ。
それに弾正忠家は織田ではあるが、守護代織田家と繋がり有るかは不明だし。
おそらく、道三の長井家と同じく、成り上がって織田の名を貰った家だろう、と言われてるし。
88:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 09:22:38 SfLurks6
それでも一応国人をまとめる立場になれたんだから
金の力は偉大だな
89:名無し議論スレにて投票方法審議中
07/01/26 11:58:49 DQtDp70F
織田弾正家は津田氏だったんじゃないかな
90:あぼーん
あぼーん
あぼーん
91:人間七七四年
07/02/12 13:51:15 lQsCv9yv
龍興が朝倉に亡命したのは同じ反信長派だから?
実母は近江浅井家の出だけど、浅井に対する信頼は低かったか。
92:人間七七四年
07/02/12 14:12:17 Fz5M5ces
義竜、超未熟児として産まれたはずなのに、
よくも無事に育ったものだな。
しかもデカく成長しおってからに。
93:人間七七四年
07/02/15 00:00:42 rRq54au0
稲 葉 一 鉄
94:人間七七四年
07/02/17 18:36:12 FxXgpa5h
>>91
朝倉と浅井では家格が違うし
95:人間七七四年
07/02/22 13:47:18 /GGOzl99
龍興は道三みたいに朝倉を乗っ取ろうとしたんだろ。
96:人間七七四年
07/02/27 00:43:10 IUuo+XRT
龍興って庶子だったの?
97:人間七七四年
07/02/28 20:34:04 +oHwt/uf
>>96
それが通説みたい。
義竜も早世したし、子は多くなかったようだね。
龍興の子はどうだったんだろ?
98:人間七七四年
07/03/05 23:06:41 obM8j+AX
義竜謀反の時には美濃三人衆+不破は同調したの?
99:人間七七四年
07/03/09 13:13:31 1KdhKy2O
龍興が一色なんとかって改名してたらしいけど
何か意味あるの?
100:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/03/10 21:39:47 2eNGuUe+
一色范可なら義龍やん。
101:人間七七四年
07/03/11 03:42:10 Ms++/0qy
一色の由来はどこだろ?
102:人間七七四年
07/03/11 12:37:56 Sp+v0RY9
騙り
深芳野が一色氏の娘って説もあるらしいがどうだろね
103:人間七七四年
07/03/12 16:34:14 V+HbM0dV
斎藤利堯も道三の息子だよね?
104:人間七七四年
07/03/21 14:58:59 u+aC/sQa
道三には、セックスの強さで家臣や大名の能力を測るという奇癖があった。
濃姫を嫁がせた時、信長がうつけなら刺し殺せと短刀を持たせたのもその意味。
しかし侍女を通しての報告の書簡を読んで、道三は娘婿を天下人の器と思うようになった
105:人間七七四年
07/03/22 20:32:09 yNOB/XQZ
>>104
それは面白い仮説あるね
106:人間七七四年
07/03/22 21:18:54 P+F+WcO1
竜興の正室って誰なん?
107:人間七七四年
07/03/22 22:55:57 ia41n2WP
森可成が尾張に下って来た原因は?
108:人間七七四年
07/04/09 16:57:33 cX1xq9JZ
>>106 子もいなそうだし、わかんないね
没年からすると いて当然なんだが
109:バロン曽志崎
07/04/17 01:59:48 O5OetyB3
一部の越前朝倉氏の系図に義景の叔父の娘(つまり従姉妹)が龍興の室だった
とあるが、他に傍証資料も無いし。
龍興の晩年を慮れば、側室ぐらいだったら別に不思議でもないけど。
110:人間七七四年
07/05/07 13:52:52 BMqbQPhq
美濃三人衆の一人、稲葉氏は伊予の出なの? 一鉄は伊予守なのも偶然?
111:人間七七四年
07/05/10 14:22:52 hy1tH0FZ
伊予河野氏の一族説と
美濃にもともといた藤氏と河野一族の合体説があるみたいだね
伊予守はわからないや
112:人間七七四年
07/05/11 00:26:08 KWrxILrX
>>110-111
稲葉家の通字が「通」なのは、河野氏の縁者っぽいな。
林通勝(織田家の秀貞じゃなくて、松永家の家臣)とかも同系統かも。
113:人間七七四年
07/05/11 00:28:09 KWrxILrX
あと一鉄の家臣だった斎藤利三と長宗我部が縁戚なのも、
どこか四国との縁を感じさせる。
この辺りのこと、詳しい人いないかな?
114:人間七七四年
07/05/23 12:31:18 2z/mtUfk
諸説あるが稲葉氏が伊予河野氏の末を名乗ってたのは確からしいな
尾張の林氏は稲葉氏から分かれたんじゃなかったか
斉藤氏と長宗我部氏の縁は分からんな、どういう繋がりがあるんだろ
普通ならもっと手近なところからもらうだろうし
115:人間七七四年
07/05/24 13:36:38 ecXlbJZJ
>>114
長宗我部に嫁いだ利三の義妹は、将軍家の家臣の娘とかじゃなかった?
将軍家とのパイプ作りの一環じゃないかな?
116:人間七七四年
07/06/21 10:32:48 iar2uypb
>>115
>将軍家の家臣
石谷光政
117:人間七七四年
07/07/30 07:04:44 cGWEWXjo
西美濃の不破氏の家格は、稲葉・氏家・安藤と比べてどうだったんだろ?
118:人間七七四年
07/09/03 03:15:03 U/AzcsPx
119:人間七七四年
07/09/27 02:58:20 ppzTSM4W
国人の遠山氏や明智氏との関係はどうだったんだろ?
120:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/09/28 01:04:11 JmLtmD/i
悪くないけど支配しきれてない感じで。
121:人間七七四年
07/09/30 04:24:56 IObXkhbk
長良川の合戦で道三側についたのは明智だけ?(しかも中立)
122:人間七七四年
07/10/03 15:05:50 OBCO/ndU
信長の姉妹が道三の室になっているようだが
彼女は道三の死後どうなったのだろう?
123:人間七七四年
07/10/06 15:11:14 ixoWvQWt
斎藤家って身内の管理がしっかりできない
から息子に親殺されたりするんだ こいつらの家庭環境悪そう
まるで信長が道三を見殺しにしたかのように見られるけど
信長自身人様のお家騒動なんかに付き合いたくなかったんだと思うが
まあ道三が生きていたほうが信長は美濃強奪しやすいとは思うがね
124:人間七七四年
07/10/08 01:11:35 MS3inaAv
道三、義龍以外の子はかわいがっているみたいだから
家庭環境悪いのとは違うような・・・。
結局無理な国盗りのツケが回ってきたのだろう。
道三が生きていて信長にメリットがあるのは
美濃攻略なんて事より尾張での自分の地位の確立だろう。
信長と道三の関係はただの義理の親子関係以上に、
互いを深く認め合っているように思う。
完全に道三の死戦となる長良川の戦いに
信長が自ら参戦したのも、
道三への敬意のためと思うな。
125:人間七七四年
07/10/11 01:19:07 HzmBeWdw
どうざんは二人いたかもしれないから、子供もじっしじゃないから、冷たくあしらわれ実子じゃないたつおきが決起してつぶれたと思う。
126:人間七七四年
07/10/12 00:52:18 nyZHFu19
>>125
小学生かい?
まずは世間に流布している様々な説の根拠を調べよう。
>どうざんは二人いたかもしれない…誰の書いた何ていう本に載ってるかな?
>子供もじっしじゃないから…実子じゃないとしている本の名前は何かな?
>冷たくあしらわれ…道三が義龍を冷たくあしらっていると書いている本の名前は何かな?
そういうところから歴史を再認識してみよう。
127:人間七七四年
07/10/23 04:58:49 IGWdK+Dc
別に信長斎藤家の人間なんか殺してないじゃん
128:人間七七四年
07/11/09 13:33:18 8YMjPPfl
春日文書には筒井やら寺社のことやら載ってるようだが どんな文書なんだろか?
129:人間七七四年
07/11/09 23:09:35 zF6gZbgK
>>121
亀だが、『美濃国諸旧記』によると
道三側の武将は以下の通り。
川島掃部助唯重
林駿河守正道入道道慶
道家助六定重
道家清十郎
高橋修理治平
竹中遠江守道治
竹中主水氏泰
川村図書良秀
片桐縫殿助為春
溝尾庄兵衛茂朝
大塚藤三郎昌宗
三宅式部信朝
桑原十郎左衛門久明
神山内記義鑑
神山主馬正長
神山彦八定常
松原治郎左衛門義保
岩手弾正道高
大沢治郎左衛門為泰
中村宗助秋益
井上加々右衛門頼久
大西太郎左衛門勝祐
一柳右近直秀
山内伝兵衛盛重
飯沼杢之助知俊
鷲見新藤次基綱
130:人間七七四年
07/11/09 23:25:42 sTnoj5yL
>>129
道家、竹中、溝尾、三宅辺りは後の織田家と縁がある連中だ。
131:人間七七四年
07/11/24 14:39:04 UZJCfxzT
竹中遠江守道治って 半兵衛の親父重元のことなのね。
132:人間七七四年
07/12/10 14:11:41 GwoOzmVF
道三の正室は明智光継の娘か。
133:人間七七四年
07/12/29 04:05:44 1tAEXCXE
斎藤家はローマ出身だ
134:人間七七四年
07/12/29 15:00:54 ZdH6rRlL
正面は岐阜県だ~!
135:人間七七四年
08/01/16 16:14:24 tPJvcOJW
義龍って身の丈何尺?
136:人間七七四年
08/01/27 21:43:02 HA5o+qCE
6尺3寸らしい。阿部ちゃんくらい?
137:人間七七四年
08/01/28 14:41:24 eQ89Wszj
結構高いね、サンクス
138:人間七七四年
08/01/31 13:09:40 wD3sjtSk
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW
139:人間七七四年
08/02/05 16:23:29 aIZnjtDZ
>>25-26
道三が果たせなかった斎藤家の本格的戦国大名化はほとんど義竜がやってるよ
永録2年の信長の上洛と前後して上洛し朝廷から式部大輔に任官されてる
弟や岩倉織田家や今川との戦いに忙殺されていたとはいえ、
5年間の間信長の美濃侵攻を阻んでいるのだから凡愚ではないね
140:人間七七四年
08/02/10 20:47:15 pHHrY5pE
龍興、美濃を奪われても諦めず朝倉で再起をはかる姿勢はカッコいいよな。
普通は大名から転落したら自殺したくなるだろ。
141:人間七七四年
08/02/10 21:53:59 d55cngb2
>>139
信長が美濃を攻め始めたのは桶狭間以降で、それ以前にはない。
滅茶苦茶なひいきのひきだおしだそりゃあ。
142:人間七七四年
08/02/11 09:01:15 JofqDss3
斎藤義龍と織田信長の合戦は、
弘治二年、斎藤道三が長良川合戦で敗死した後の大浦合戦、
弘治三年、織田信広が斎藤義龍に内応した時の対陣、
永禄三年、森部六月合戦と八月合戦、
他にもあるかな?
143:人間七七四年
08/02/12 00:16:19 EF2T3KE/
>>140
最後は越前で1人の武将として戦死とは、数奇な運命だな。
弟の長竜は織田家に仕えているというのに……。
144:人間七七四年
08/02/12 07:10:01 I428IPkV
>>143
それも「家」を存続させる武家の習い。
145:人間七七四年
08/02/12 10:56:50 dHzTkJVi
>>142
>>141が言ってるのは「義龍と対立していない」ではなく「美濃を攻め取ろうとしていない」
つまり守り抜くもなにもそもそも桶狭間以前は侵攻していないって事じゃないのか
長良川の件は道三の援護、信広の件は離反者討伐だから美濃取りが目的ではないし
森部合戦は今川の脅威が無くなった桶狭間の直後だ
146:人間七七四年
08/02/12 11:05:52 dHzTkJVi
あ、信広の件は事前に失敗だったか
まあとかく信長から守り抜いたからってのは妙な言い分だと思う
147:人間七七四年
08/02/12 12:09:24 VUxr19la
>>145
>>>141が言ってるのは「義龍と対立していない」ではなく「美濃を攻め取ろうとしていない」
>つまり守り抜くもなにもそもそも桶狭間以前は侵攻していないって事じゃないのか
146
>まあとかく信長から守り抜いたからってのは妙な言い分だと思う
142は最初に『斎藤義龍と織田信長の合戦』と書いてあるように合戦の確認。
141の反論ではないよ。
森部合戦もわざわざ六月と八月と書いたし。
『他にもあるかな?』と確認までしている。
私的には斎藤義龍も織田信長も自国の問題が山積で後回しだったと思います。
まあわざわざ書くことでもないですが・・・。
148:人間七七四年
08/02/12 12:59:01 OQZCsEiL
たしかに義龍の時代では、国内安定度は美濃が上で、義龍が尾張にちょっかいだして、
信長がそれに対処するという関係だった。
これで「信長から守った」というのはおかしな表現だろう。
149:人間七七四年
08/02/13 09:31:23 f8BmDgfB
この流れに関連していると思いますが浅井家や六角家との外交関係も注目してみたい。
斎藤義龍と浅井長政は戦をしているんだよね。
150:人間七七四年
08/02/28 16:21:08 pvxorKyX
六角義治の正妻は義龍の娘なんだね。
151:人間七七四年
08/03/12 13:49:19 bk1s9Z6q
そうだよ。
152:人間七七四年
08/03/12 23:43:07 s2IbgFUU
斎藤道三
/ \
織田信秀-明智光継
153:人間七七四年
08/03/29 15:09:40 RLZJEJS+
六角ともっとうまく組めなかったのかな?
154:人間七七四年
08/04/13 10:03:14 rzOWZXip
149です。
>>153
六角義賢の関心事は畿内の情勢。
斎藤義龍の関心事は美濃の統治。
六角・斎藤の同盟の内容は『両家の不可侵&対浅井長政戦略』かな?
155:人間七七四年
08/04/26 15:55:19 qgnEx3Tm
六角は京の争いに介入してきた一族だからね。
六角からみれば背後の不安を無くす というところだろうか。
斎藤はどの程度尾張を不安視していたのだろう?
156:人間七七四年
08/04/27 14:16:58 R61j+Cwe
Sengoku Adventure マムシ