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実験の趣旨についてちょっと気になることがあるので、比喩の話をさせて。
ある川に鮫が棲んでいる、という噂がまことしやかに囁かれていた。
一般的には荒唐無稽な話だが、その地域では古来からの伝説として信じられていた。
そこへある人が「川は淡水だから鮫は生息できないんです!」、と提唱する人が現れた。(そんなことを自分で発見したかのように)
その人はさらに次のような実験をすると公言した。
「オフ会で一人の釣り人を募集し、その川で釣りをさせて鮫が釣れるかどうか試します」
ごくわずかな試行回数、しかも釣り人の技量が不足してたり場所や時間が合わなかったりすると、
本当に鮫がいたとしても捕まえられないのは言うまでもない極めて資料価値のない実験。
ところがその提唱者は次のように説明した。
> 実験の結果、釣り人が鮫の捕獲に成功すればその川に鮫が棲んでいる可能性が出てきます。
> アカデミックに認められるには追試と検証がもちろん必要ですが、
> ただ一人の釣り人であっても確かに捕獲できれば淡水でも鮫の生息は可能といえます。
> 釣り人が鮫を捕獲できなかった場合、少なくとも一人の釣り人はその川に鮫の存在を発見できなかったといえます。
> その川に鮫が生息していないことの証明にはなりません。試験から判断されることは以上のことになります。
提唱者のこのコメントには間違いはない。
だがその実験(鮫の捕獲できず)のあと、その提唱者は淡水に鮫は生息できないとする従来からの主張を行う際に、
次のような説明を加えるようになった。
「私が第三者の立ち会いのもと公平に行った実験の結果、その川には鮫の存在を発見できませんでした。」