08/08/23 19:28:23 1Rla42K90
>>62
その記述については知りませんが…
新田家の家臣の「生田」氏が、新田郡から館林辺りに移って「庄田」と改めたのが
皇后陛下御実家の由来とされています。「生田」姓は姓氏系譜系統の本では
・清和源氏新田氏流 ・清和源氏頼政流 ・熊野別当氏一族 ・児玉氏(秩父八平氏)
・中原氏(生田神社宮司家)
といった系統が記され、恐らく先の陛下は上の由来から新田氏系統と判断された(もしくは、
系譜について予め御下問されて予備知識を得ていた)のではないかと思います。
また、児玉氏系統の生田氏も同族の縁で横瀬(由良)氏(新田氏を名乗っているが、実際は
秩父平氏出身で岩松新田家の奉行となり、岩松氏を形式的に立てつつ金山城主になった)
の家臣として群馬周辺にいます。
スレ違いなのでもう少し別の事を…新田義貞が鎌倉攻めで龍神に祈っていますが、新田
郡及び新田氏系の郷士には真言宗門徒や龍神信仰が根強く(赤城南麓全域でも多いですが)、
尾瀬や館林の酒造家さんも同様の「新田旧臣」ルーツを標榜した家が数件あり、母の実家
も(新田氏分家で三十世余り続いています)そうした傾向がありました。また、私の祖父も
生涯蛇・蛟の眷属を殺めないと盟っていたそうです。
「蛇は蛟(ミズチ)にして水地に通じ、騰がっては龍神になる」とか
「水を汚し地を穢す者はやがて水と地が産むものを口に出来なくなる。水を絶つ者は家を絶つ」
とか聞かされた記憶もございます。米穀や醸造をなさっていた関係上、恐らくは御実家ならびに
皇后陛下にもこうした点での崇敬は、引き継がれておいではなかろかと勝手ながら拝します。
長々、お目汚しでございました。