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新航路発見を機に、スペインとポルトガルは争って通商・植民活動に乗り出し、両国が発見し
た土地、島の帰属を巡って紛争が続出した。両国ともローマ教皇下にあったので、1494年、
教皇が教書を出して、両者の進出領域を決定した(トルデシリャス条約)。
アフリカの西岸ベルデ岬諸島の西方の西経45度の子午線を基準に、西方をスペイン、東方
をポルトガルの進出範囲となった。しかし、地球の裏側にも線が必要となるのは明白で、1529
年には、サラゴサ協定によってアジアでの分界線を東経135度に定めた。この線は日本を真っ
二つに分断する。
そして1543年にはポルトガル人が種子島に、1549年にはスペイン人、フランシスコ・ザビエル
が鹿児島に上陸する。まさに日本は二つの侵略国の先端が衝突する地点にあった。
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当時の日本は戦国時代末期にあった。すなわち、国家の分裂状態の中で、日本も2つの植民
地支配勢力の餌食となる可能性は充分にあった。しかし、これを防いだのは、織田信長の迅
速な国家統一事業であった。
サラゴサ協定図:日本を通る緑線(東経135度)で分割し、東をスペイン、西をポルトガルが植民地に URLリンク(upload.wikimedia.org)
骨の髄まで売国奴 小和田恒 雅子
死んでいいよ 馬鹿なる