08/08/09 22:29:02 9CDy6xLp0
>>682
突っ込んで悪いんだが、友人の霊能力の段階にも拠るよ。
そこに神は居ない、しかしよく見たら神がデカすぎて見えなかった。
若しくは位相を変えてよりよく見たら、守護者たる神、または活動力が見えたとか。
何というか、神を見ようとしたら神ならざるものが居たと云う方が、まだ信憑性があったりなかったりする。
>>686
>前者と後者に、それほど違いは無いよ
>つーか術式的には「死せる神の復活」儀式が使えると個人的には思ってるが
あ、そう?
確かに神そのものさえも活動力を示す象徴として扱った場合、術式の差異はそんなに感じないかもしれない。
でも厳密に云って、それは背後にある神的存在云々を考慮していない事になるまいか。
少なくとも、神道を学んで西洋で神降ろしを行った人はそこら辺の区別はしているはず。
ましてや、創作上の神を降ろそうなんて事は考えないと云える。
また実際の神について、それを審神(さにわ)する伝統から考えると、全くもって荒唐無稽な識眼であるとおもうのだけど。