08/06/02 20:30:22 oW9OakVW0
>>306
言葉は相手に伝わってこそ、というのは私が文章を書く上での目的でもあるから、全面的に同意
民俗学の教授らは、あやしげな宗教を調べるためにそこへ入信する人がいる
帰ってこられる人は良いんだけど、たまに帰ってこられない人がいるらしい(信者になってしまって)
そこから考えると、知識の量ってのは信心には関係ないみたい
ただそれが「信心」なのか「洗脳」なのかは分からん。「狂信」は「洗脳」と同意かもしれんし
何が言いたいか自分でもよく分からんが、「信じる」って行為は「動機・理由」でなく「結果」であって欲しい
「私は~だから~を信じています」とか、「~ということがあった。だから私は~を信じている」みたいに
「~を信じている。だから私は~をする」ということが間違っているわけではない
ただ信じている理由として、具体的な何か、論理的な何か、があって欲しい
でないと人の意見を聞かずに断定して、「私は~だと信じている。だからお前は~だ」と、攻撃ばかりする人になる
ところで「狂信」と「盲信」って、このスレだと同意なのかな