08/05/24 02:32:06 aet25DqLO
こうして見ると、西洋宗教は教育と同じだ。
実際、中世ではキリスト教に造詣を深めることも立派な教育だった。
生活もキリスト教に規定されたし、読み書きもその過程にあった。
ちょうど、私たちが週五で学校に行くのが当たり前のように、日曜にミサに行くのは当たり前だった。
つまり、「当たり前」だと思うことこそが盲信なのだ。
ここで私が思い当たるのは、宗教の盲信は文化に似ているということだ。
例えばインドでは「ありがとう」を使わないことが文化の一部だ。
実際、ヒンディー語に「ありがとう」はない。
この「ありがとうと言うな」を日本で押し付けられたら、どう思うか。
大概の日本人は不快この上ないだろう。
宗教の盲信者が嫌われるのも、これと同じであろう。「彼らにとっての常識」の押し付けだからだ。
これがつまり、「神の盲信者への嫌悪」だ。
以上、「なぜ神を盲信するのは良くないと思われるか」を考えてみました。
流れ読まず長々と、つか超長々と書いてスマソ。