08/05/21 17:17:16 lYsibibO0
>>896>>897
人間はエゴ(自我)の発達と共に知性や人格的個性を獲得しましたが、
使いこなすのはなかなか難しいみたいですね。
理性が飛ぶほど中国叩きをしたり、わざわざ長野に行って見ず知らずの
中国人応援団に工事用コーンを投げつけるなどして怪我をさせるほど「中国」
を嫌悪するのは、そこに自分のエゴの負の部分を投影しているからかもしれません。
人類の負側面を映し出す鏡の役割を持つ国であれば、個人の負の鏡にもなりうる。
ところで、「エゴ」と書くとイメージ悪いんですが、自我がないと人間は感情や
人格や理性を失ってしまいます。行き過ぎた欲望や衝動、行き過ぎた感情などを
抑制したり、心を守るためにトラウマなど心の苦しみや幻覚や狂気を抑圧することもあります。
何か大きな問題を抑圧するためにエゴを強く保とうとした結果、病的なエゴイストになることもあります。
要は自我は大事な心の機能の一つで存在自体が悪ではなく、使い方を上手く習得できていないといった感じ。
ここを間違う人が多く、変な宗教者が統合失調症の患者に「自我を捨てれば救われる」と説いて症状を
悪化させるケースもあるようです。
中国大陸は古くから人が住んでいたこともあって、知性(エゴ)発達の結果
である「文明」「文字」も古くから生まれてました。
それゆえに、自我を発達させてゆく上での課題にも古くから直面しているしている
といった感じでしょうか。古くから文明の栄えた地域は得てしてエゴの負の面
が渦巻く歴史をもっていたりしますね。
エゴを持て余してきた人類の心の鏡が今の中国やミャンマーといった国々なのかも
しれません。そしてそれらの国々は大概中国と仲がいい(建前上は)。
それらの国々が人類のエゴの課題を一身に背負っているのだとしたら・・・