08/06/09 20:06:24 UeSOCNyC0
>ダライ・ラマの立場でどれぐらい悟っていたらいいのかい?
活仏を名乗る以上は仏陀か菩薩の悟りまで達しているべきじゃないか?
日本の先祖崇拝や眷族と同様にダライラマを霊的にバックアップしているのは、
仏や菩薩というよりも歴代のチベット密教縁の魂達だと思う。要するにチベット密教系の
眷属霊界の守護という感じ。これが直の仏菩薩界の守護だと、ああいう惨事の起きる
因縁は起きない。ああいう惨事の起きる現象界に直の守護経路は繋がれない。
集団や国家レベルでの仏菩薩の直守護があったら、地球規模の改革、進化は終了し
ているだろう。それだけの巨大な仏菩薩の器が受信機のように広がっていたら、地球
人類は霊的に飛びぬけた進化を遂げていなければおかしい。
悟りというのは純朴な信心だけの世界では無いから、信仰国家に悟りが起きるという
ものではなくて個的な条件が整うと悟りへの通路が開かれる。信心国家の器には崇拝
対象としての魂が降りるのであって悟りを望む人へ降りる覚醒者ではない。
崇拝信仰をしたい人々の魂のレベルは悟りを渇望するレベルには実は遠い。
穢れた俗世の泥沼から信仰も悟りも望んでいなかったような個々人に白羽の矢が立って
仏や菩薩の側の都合で選ばれるのが悟りの道で民衆が救いを求めて降り立つのは
崇拝宗教の神々とか眷属の魂で止まってしまう。
>彼は上がったり下がったりしてそうだ 一日に何回も
>彼以上に悟ってる人がそばに居るんじゃない?
>だから安定しているように見せることが出来る
という事で、ダライラマは眷属とその眷属の上の神々とその上の菩薩と仏の大きな意味での
人類進化の計画の一つとして適当なレベルの人材を当て嵌めていると考えるのが妥当だと
思う。だから、一日の内で何度も悲しみを本人も瞑想で乗り越えているとも語っている。