08/06/09 20:05:44 UeSOCNyC0
>ダライ・ラマの立場でどれぐらい悟っていたらいいのかい?
活仏っていうのは阿弥陀仏の転生とか観音菩薩の転生という意味だから、悟りのレベルってのは
お釈迦様や阿弥陀仏や観音菩薩の無上正等覚、アノクタラサンミャクサンボダイに達していないと
活仏という意味では嘘になっちゃうなあ。宗教指導者としてとか亡命までの中で仲間が亡くなった
事とか、そういう経験から凡人よりはものを考えて深めようとしているとは思うけれど、
それでは凡人(歴史に名の残るような立場、地位、名声の無い人)の中に深い意識の人がいないか
と言えばいると思う。
悟りというのは阿羅漢の悟り、菩薩の悟り、仏の悟りと三つに分けられて、阿羅漢の悟りに到る前に
幾つもの小さな悟りを得て昇っていくものだけれど、そういうのは仏教の教義をどう説くかとか、
語らなくても音叉のように悟りの波動はピント来るものだと思う。それでダライラマが活仏を名乗る
以上は仏の悟りに達していないと嘘になるから、そこまで悟っていないとならない。
本尊としての阿弥陀仏や観音菩薩の代理とか使者という意味では問題ないけれど、活仏という名乗り
方や地位としては非常に間違いとなる。覚醒者の魂が転生する場合にアメリカ大統領になる地位を
選ぶだろうか?着眼点としては有り得ないと思う。武器商人に生まれるのも有り得ない。
直接政治の場所には降りて来ない。降りてくる場合には幾つかの条件がある。
それでチベットの法王という立場や政治権力者の兼任の地位には覚醒者の魂は下りる
事は先ず有り得ない。戦乱と死体の責任を受ける時代ならば尚更、因縁として降りようが
無い。ドナーの適合者みたいなもので覚醒者の魂の活動には何々過ぎず何々不足に
過ぎず何々でもなくとチューニングが厳しい。
転生先を選ぶ能力は仏陀や菩薩レベルに達しなくても出来る能力だから、転生を選んで
前世の持ち物を選んだから仏とは言えない。