08/04/27 09:13:12 +b4btQzz0
それとも大虐殺しているのに平和の祭典とか言いながら、今までの他国とは異なって
世界中をトーチリレーとしてアピールしてチベット、ウイグルその他の地域や国々で
政治的思惑を実行している以上は、これはただのスポーツの祭典ではないのだから
悪人悪国家の中共にギャフンという報復をするのは仕方が無く、参加者やスポンサー達は
中国の大虐殺に加担してまで己が利益を守るのは天地の道理に反すると解釈して
雨乞いに調伏をするのは正しい行為である。
と考えるべきか?
こういう哲学というか祈願の断り書きを書いて人々に参加を集うべきだと思う。
なぜかと言うと大義名分があやふやなままなのは正式な調伏では許されないからだ。
祈りとは書いていても立派な調伏祈願なのだから、自覚して参加させるべきだ。
これを主張したのは、次の国でもその次でも続けていくならば、国単位で言えば
既に他国の圏内での雨乞いならば日本国民の一部の祈りを日本国内でのみ意思表示したとは
いえなくなるからだ。
ましてやコキントウへの明らかな調伏を祈願するスレが立ったのだから、大義名分や調伏としての
断り書きは必要だと思う。