テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ドat OCCULT
テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ド - 暇つぶし2ch500:、
08/05/28 19:32:06 TD/3JVYb0

【大予言6】チベットの文化は、少しずつ退廃と没落に向かっている。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない。

チベットの文化は極めて古いもので、その紀元は太古のアトランティスの時代にまで遡ります。―
中略―このような文化は、人間が現代とは別の条件の元に生きていた、あの太古の時代
にのみ、ふさわしいものでした。皆さんは次のようなことを思い浮かべてみるだけでよい
のです。すなわち当時、大気は今日と異なり、人間は今日のように重くはなく、人間の体
重は今日よりもはるかに軽く、当時の大気は今日よりもはるかに濃密でした。大気は常に
熱い霧に満たされ、そのため人間は今日とはまったく別のやり方で生きることが可能とな
ったのです。
―中略―
 このようなチベット文化は、少しずつ退廃と没落に向かっています。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができません。なぜならチベッ
ト文化は、インド文化よりも古いからです。インド文化は、地球が現在のような形姿とるよう
になった後で成立しました。これに対してチベット文化は、まったく古いものです。このチベッ
ト文化は、太古の昔には比較的善い形態のうちに存続していたものを、悪しき形態のうちに
保持してきました。特にチベットの支配者(訳注ダライ・ラマのこと)の原理は、非常によくない
形態のうちに形成されました。チベットでは、支配者になる人物は心的な崇拝を受けることに
なるからです。       
                          (GA353 264~265)


501:、
08/05/28 19:33:06 TD/3JVYb0


「アトランティス以降にチベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない」
という指摘は、まるで今日のオウムの事件について警告を発しているかのようです。
 シュタイナーほど早く、的確かつ本質的に、こうした二十世紀末の反時代的宗教感情の台頭と
その危険に対して警告を発している人物が他に居るでしょうか。
最近、著名な作家や評論家の中にまで、
「人々がイデオロギーに頼る時代は終わった。これからは宗教の時代だ」
などという趣旨の発言をしているひとがおりますが、まことに無責任であるとしかいいようがありません。
 つい最近まで、無責任な進歩的知識人たちが「平和、平和」と盛んに唱えていたかと思
えば、こんどは、「宗教、宗教」と唱える知識人が活躍する順番だとでも言うのでしょうか。
 現代という時代がいかに無機的で先が見えないからと言って、人々の自我(主体性や個
人的尊厳)を奪ってマインド・コントロールをかけるようなカルトや宗教に道を譲る必要が一体何処に
あるというのでしょうか。
 また、今日の宗教界の退廃については、既成の宗教界もおおいに反省すべきでしょう。
まともに信者に人倫の道を説くことも怠り、ましてや本来信者の苦しみを軽滅するためで
あるはずの「序霊」行為をカネ儲けに利用してはばからないような一部の教団の姿こそ、
退廃そのものなのではないでしょうか。


502:、
08/05/28 19:38:19 TD/3JVYb0

第4章 医療と科学技術に関する「大予言」



機械に関する「大予言」

ルドルフ・シュタイナーは1920年前後に、将来医学や科学技術の分野において非常に大きな改革が
もたらされるであろう、と述べています。すなわち、

【大予言20】未来の人類の本性の中から、3つの能力が発達してくることになるだろう。
      (GA186「変化した時代状況における私たちの時代の社会的な基本要求」)
と、予言しているのです。
 シュタイナーがここで「3つの能力」と言っているのは、機械・性・医療をめぐるもののこと
ですが、人類の運命はこの「3つの能力」がどのような方向に発達するかにかかっている
と言っても、けっしておおげさではありません。
 それではこれから、これら「3つの能力」に関してシュタイナーが何を予言したのか、そして、
その予言はどれほど当たっているのかを見てみることにしましょう。

今世紀初頭、ルドルフ・シュタイナーが活躍した時代に、主な動力は石炭エネルギーでした。それ以後わ
ずか70年の間に、エネルギ―の主役は石油になり、今では原子力エネルギ―や光エネルギーに
なっています。それにともない機会も驚くべき発達をとげました。向上では人間の変わりに
ロボットが作業し、様々な機械の中では半導体が大きな役割を担っています。
 機械文明のこうした急激な発展は、さまざまの強い影響を二十世紀の人間と社会に与え
てきました。二次にわたる世界対戦、共産主義革命、ファシズムの台頭と衰退、人口の都市集
中化、公害、自然破壊等々の問題の底辺には、必ずエネルギー問題が横たわっています。
 こうした大変化を、シュタイナーは何処まで予見していたのでしょうか。


503:本当にあった怖い名無し
08/05/28 19:40:17 TD/3JVYb0

【大予言】人間は自分自身の振動を用いて、マシーンを動かすようになるだろう。

 人間は、自ら生命体の中に存在する繊細な振動を、機会に衝動を与えるために利用する
ことができるようになります。人間は自分に結びついた機械を持つようになります。そし
て人間は自分自身の振動を機械に移すようになります。つまり人間は自分が引き起こした
振動を用いて、ある種の機械を動かすことができるようになるのです。
                          (GA186 214~215)
シュタイナーが「振動」といっているのは、物理的な振動のことDDけではありまSけではあり
ません。そこでは人間の中に存在する生命科学的なしんどうが想定されているのです。
人間の振動を利用した機械と言えば、電話もその一つです。人間が声を発し、その声が振
動となって相手に伝わり、相手の受話器の中でこんどは振動が声に変わるわけです。
「人間が生命体の振動を使って、機械を動かす」研究は、現代の技術革新の主力となって
います。
最新の科学においても、
「あらゆる物質が原子レベルでは絶えず振動している」
ということが、常識になりつつあります。
光も振動しています。
この物質界に存在するものはすべて、肉眼ではとらえられないレベルで振動しているのです。
 この一世紀はどの間に人間は
、物理学振動と生命科学的な振動を結びつけることに成功し、技術革新の大波を作り出し
ました。バイオ・テクノロジー等の先端産業は、このような傾向の現れです。
 遺伝子工学という分野がさいきんことあるごとに注目を浴びています。遺伝子工学にお
いては、いままでは工学・医学・生理学にそれぞれ分類されていた複数の学問分野が混ざ
り合っているのです。
 現代の学問はこうして相互に相互に影響しあいながら、私たちの予想を遥かに超える発展を遂げています。

504:,
08/05/28 19:41:54 TD/3JVYb0

生命的なレベルのバイブレーション(波動)やエネルギーに対する認識の深まりは、急速に自然科学の
研究対象となっているばかりか、自然科学それ自体を一変させています。
また、それとは正反対の方向の変化も見られます。たとえば電子顕微鏡などの発達・発明
によって、人間の観察の目は生命体内部の今まで到達できなかった細部にまで届くように
なりました。
そうした機械や技術の進化は、動植物を問わず生命体そのものを大きく変化させています。
人間もその例外ではありません。
 こうした文明のもとに生きる私たちはいま、一方では大きな期待を抱きながら、他方で
は底知れない不安にさいなまれています。
 たとえば原子力がよい例です。周知のように、いずれは枯渇するに違いない石油エネルギー
に代わるものとしては、今のところ人類は原子力に期待するしかありません。しかし、そ
れも物質文明の現在の消費レベルを維持し続けるとすれば、のはなしですが。この点に関し
ては、人類がエネルギーの消費レベルを下げるように努める気配は、いまのところまったくあり
ません。それどころか石油の消費量は増える一方であり、90年代に入ってそれまで原油
輸出国だったソ連とアメリカが次々と輸出国に転落し、さらに二十一世紀初めには、中国の石
油消費量がアメリカや日本を追い抜く見込みなのです。開発途上国が次々に工業化することに
よる公害や自然破壊の深刻化を避けるためにも、クリーン・エネルギーの利用拡大が叫ばれている
わけですが、原子力の安全性にはあまりにも問題がありすぎるといわねばなりません。
私たちは心弱き人間として、こうした科学文明のが私たちの未来に安全と平和をもたらし
てくれることを祈りたいのは当然なのですが、はたしてそうなってくれるかどうかは、私
達の生き方しだいなのです。
 この点に関して、シュタイナーはとても気にかかるような予言的といえる言葉を述べています。


505:、
08/05/28 19:45:50 TD/3JVYb0

【大予言】科学技術は限界に達し、消滅するだろう。

比較的近い未来において、現代の驚嘆すべき科学技術はある種の限界に到達します。そし
て、この限界に達した時点で、科学技術はある方向によって自らを消滅させてしまうこと
になるでしょう。
                            (GA173  214)

「ある種の限界」とは簡単には説明することができません。しかし、「驚嘆すべき科学技術」
が、もはや心ある人間の耐えうる限界を超えていることは、確かな事実なのではないでし
ょうか。
 遺伝子工学や内臓移植やバイオ・テクノロジーの領域においては、すでに、「ここまでしてよい
のか」と不安視されるような研究例が報告されています。理性によってコントロールされるべき
ものが暴走するような事態はすでに実際に起きており、今後ますます増えることでしょう。
人間の理性や倫理観は、そうした暴走を食い止めるほどには、まだ強くはなっていないの
でしょう。
 人類はそこまで自分自身を信じられるほど内面的に強くはなっていないのに、科学技術
の進歩はとどまるところを知りません。このことについて、私たちは大きな不安を抱いて
います。このシュタイナーの指摘をどう受け止め、どう考えるか、それは人によって様々でしょ
う。しかし、いずれにせよ現在の自然科学に過剰に依存した物質文明がこのままでよいと
考える人は、それほど多くはないと思われます。
 私たち人類は今、運命の重大な岐路にたっているのです。


506:,
08/05/28 19:48:35 TD/3JVYb0
【大予言23】

人々はある能力を通して、調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲にわたって機
械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになるだろう

人々はある能力を通して―この能力はまだ人間の中で潜在的な段階にとどまっています
が、やがて発達することになります―調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲
にわたって機械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになります。―中
略―それに当てはまる振動の曲線を知ることによって、人間はほんのわずかな振動を与
えるだけで、ある種のモーターを動かし、駆動させることができるようになります。そしてそ
のことによって、今日の人間の力が必要とされている多くの事柄が、純粋に機械的な力に
よって取って代わられることが可能になるでしょう―中略―そしてこのことによって、
英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる可能性が生じる
ことになるでしょう。
                          (GA186  71~72)
技術革新には、他にも無視できない問題が付きまとっています。大量失業と言う問題です。
 シュタイナーが生きた今世紀初めの時代は、ヨーロッパのほとんどの国は農業国でしたから、失業
などと言う考えはありませんでした。ところが産業革命によってイギリスが工業国へと移行す
るに従い都市人口が増え始め、まもなく都市に失業者が溢れるようになりました。そうし
た社会の大変化をいち早く見通して、シュタイナーは、
「、、、、、、英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる」
と、じつに的確な予言をしたのです。
 その後、現実はまさにシュタイナーの予言どおりになりました。斜陽の資本主義イギリスでは、失
業者が絶えず10パーセントを超えるようになったのです。
 その後4半世紀を経て現在では、人体工学・バイオ・テクノロジーその他の先端技術を応用し
たさまざまなマシーンルイの驚異的発展により、慢性的に労働が供給過剰になっています。
「英語を話す領域内」とシュタイナーがいっているのは、当時は英語圏の国々で資本主義が発展
していたからでしょう。


507:、
08/05/28 19:50:24 TD/3JVYb0

 失業率が低いことでは有名だった日本も、社内失業と言う独特の習慣を計算に入れれば、
失業率はとっくに10パーセントに近づいているといわれています。
かつて19世紀前半のイギリスで、産業革命に伴う機械の導入とともに職を失った手工業者た
ちが、機械を破壊する運動(ラッダイト運動)を起こしたことがありました。ルドルフ・シュタイナーは
こうした社会問題についても、極めて明確な予測を語っています。

【大予言24】 不満を抱く人間の集団が反抗的な動きに出ても、それは麻痺させられてしまうだろう。
        歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。

19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
 将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
 今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
 それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
                  (GA186 72)


508:,
08/05/28 19:52:49 TD/3JVYb0

歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。

19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
 将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
 今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
 それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
 いずれにせよシュタイナーは、このような「振動を用いて機械を動かす能力」は英語圏で発達
するだろうと述べています。そしてこの力は西暦3500年ごろまで、英語圏以外の地域
の人間をも支配するようになるだろう、というのです。

 産業主義を担う一方の柱であったソヴィエトがあっけなく崩壊した―第3章で見たとおり、
今世紀初めにはすでに、シュタイナーははっきりと共産主義の崩壊を予言していました―以上
は、こうした開発を担うのはアメリカかイギリスであろうと推測するのは難しくありません。

ドイツや日本はどうかと考える人も少なくないかもしれませんが、第二次世界大戦に敗れた
両国には、もはや世界支配の野望はほとんどなく、またそうした野望を支配層が抱いたと
しても、両国の国民はそれを許そうとはしないでしょう。
 しかし、世界大戦に敗れた体験がない米・英両国には独・日のような戦争アレルギーは
うすく、みずからが世界警察の役割を果たすことが当然と考えています。
 こうした現代の世界情勢を考慮に入れると、先に掲げた(GA173  214)のシュタイ
ナーの言葉は、ますます意味深く感じられてくるのではないでしょうか。


509:,
08/05/28 20:15:50 TD/3JVYb0



優生学に関する「大予言」

将来、人類が発達させることになるとシュタイナーが述べている「3つの能力」のうち、残り不
意辰は医療に関するものです。
そして、その一つ目は、優生学に関する能力です。
 優生学とは一般に、人間を含めた生物の遺伝的素質を改良する方法を研究する学問の事
を指しますが、ここでいう優生学とはそれとは少しニュアンスをことにするもので、シュタイナーはそれを、
「人間の生殖を単なる恣意や偶然から独立させること」(GA72)
と定義づけています。

【大予言25】人間は受胎と誕生を高度にコントロールすることになるだろう。」

東洋の人々の内部で、本能的に明確な知識が発達してくるでしょう。その知識は「人口の
法則が、どのようにしてある種の宇宙的な減少と平行して進行していくか」ということに
関するものとなるでしょう。つまり、人々は、ある星の位置と調和させることによって受
胎をコントロールし、そうすることによって、善良な人間をあるいはそうでない人間を地
上に誕生させるきっかけを作り出すようになるでしょう。アジア住人の民族の連続を、地の
連続を形成している人間だけが、「今日混沌としたまま、恣意的に地球上で作用している受
胎や誕生を、どうすれば個々の具体的な場合において、宇宙の大いなる法則と調和し得て
ながら作り出すことができるか」ということを洞察する能力を獲得できるのです。ここで
は抽象的な法則は役に立ちません。ここで獲得されるのは具体的な能力です。その能力は
個々の場合において、「いまは受胎してもよい」とか「いまは受胎してはならない」という
ことを知るようになるのです。
                           (GA186  72~73)

510:,
08/05/28 20:18:03 TD/3JVYb0

有史以来人類は長い間、受胎と出産に関してはすべて自然のままにまかしてきました。子
供がいつ胎内に宿るか、いつ誕生するのかと言ったことはすべて、人間の力を超えた領域
に属する事柄とされてきたのです。また、生まれてくる子供が男か女か、勉強が得意かスポ
ーツが得意かいったこともすべて、人類は偶然の手にゆだねてきました。
 ところがシュタイナーは、将来人類は受胎と出産にかかわる事柄までも居のままに操作する能
力を身に付けるようになるだろう、と述べているのです。1920年前後にどれほど医学
がまだ未発達であったかを考慮に入れるなら、その当時シュタイナーからこうした説を聞かされ
た人々は、さぞかし呆気に取られたことでしょう。
 しかし、その当時から4分の3世紀を経た現在、医学の分野ではどのようなことが行わ
れているのでしょうか?
 そこではすでに、遺伝や染色体を操作することによって男女を産み分けたり、遺伝的な
病気を克服したりする試みが行われています。また、薬物を用いて排卵や出産の時期をコント
ロールすることも、多くの病院で実行に移されるまでになりました。
一見荒唐無稽に移った―特に今世紀初めの人々にとっては、そうだったにちがいありま
せん―シュタイナーの予測は、当時から70有余年たった現在、ようやくその的確性を確認で
きることとなったわけです。なぜなら人類はすでに「いかにして自分の望むとおりの子孫
をこの世に生み出すか」と言う方法を探究し、相したテクノロジーの一部を実行しはじめ
ているからです前掲のシュタイナーの予言において注目すべきことは、星の位置と言う宇宙的な事象と人間の受
胎あるいは誕生との関連について述べている、と言う点です。太古の昔にバビロニアや昔の
人々は、天界の事象と人間の運命の間には密接な繋がりがあると信じていました。
 当時の占星術は―占星学と呼ぶべき―学問であり、星の位置や運行に関して正確な
知識を必要としたとこから、今日の天文学の基礎が生まれました。



511:,
08/05/28 20:19:36 TD/3JVYb0

 ところが、近代になって自然科学が発達するとともに、占星術は迷信として退けられる
ようになりました。そして、天体を人間から切り離して研究する天文学のみが学問として
認められるようになりました。というのも、天体の運行と人間の運命の結びつきに関して
は、今日の自然科学のように物質的因果律のみによって証明することは困難だったからで
す。ところが今世紀に入ると、科学者の側からも従来退けられてきた占星術的な諸現象を
研究しようとする動きが現れるようになりました。なかでも代表的なものは、C・G・ユング
とW・パウリが共同で行った研究です。(自然現象と心の構造)。アジアの人々が、シュタイナーの示
唆する

【大予言26】医療倫理は荒廃するだろう。

 優生学や医学上の問題を考える場合には、倫理上の問題を避けることはできません。体
外受精・遺伝子操作・臓器移植などの医療行為の倫理性を巡って、様々な論議がなされて
います。
 しかし、医学の領域においてもテクノロジーの進歩はあまりにも急速です。それにたいして人
間のモラルの進歩はとてもゆっくりとしたものです。今のままで推移するなら、いつ何時
恐るべき事態が発生するかもしれません。いや、すでに恐るべき事態は幾つも起きている
のです。
 心臓移植は1970年代にはすでに実地されています。しかし、現在では中止されてい
るようです。
 なぜでしょうか?
 移植手術を施した結果、患者の自我に変化を来たし、自我は別人のそれのようになって
しまったのです。
 かねてシュタイナーはこう警告していました。すなわち、
「心臓はポンプではない。人間の臓器はオートバイの部品のように扱ってはならない」と。
ような能力をいつ獲得するのかはわかりませんが、すでに私たちは彼の示唆する方
向に向かって歩み始めていると言うことができるようです。

512:、
08/05/28 20:20:58 TD/3JVYb0

 人間を徹底して機能的にとらえる現代医学の外科手術は、予想もしない結果を引き起こ
しました。つまり、機能的にはとらえることの決してできない精神と言う領域に、述語の
変化が現れたのです。これは明らかに機能的・物質的因果関係では説明することのできな
い結果です。
 しかし、こう述べたからと言って、決して現代医学を一面的に非難したりするつもりは
ありません。ただ、私たちが現在置かれている現実について、正確に述べようとしている
に過ぎません。
 医学の新たな挑戦は今後も盛んに続けられるでしょうし、そのたびに私たちの倫理観は
大きく揺さぶられることでしょう。
 シュタイナーもアジア陣が獲得するであろう優生学上の能力の前提として、
「そのためにはまず、人類が道徳的に成熟することが不可欠になるでしょう」
                          (GA173  215)
 と、述べています。
 さらにシュタイナーは、この能力はロシアかアジアの周辺地域で開発されるだろう、と予測していま
す。これはヨーロッパから見た極東地域つまり中国あたりを指している可能性がありますが、
もしかすると日本のことかもしれません。



医学に関する「大予言」

将来人間が獲得することになるとシュタイナーが予測した3つめの能力も、医療に関するものです。

【大予言27】神秘的な衛生学が発達し、人々は外面的な医学を必要としなくなるだろう。


513:,
08/05/28 20:21:56 TD/3JVYb0

この能力は、「誕生から死まで続く人間の人生が病気のプロセスとまったく同一のプロセスにした
がって信仰する」と言う洞察によって成熟します。病気のプロセスは、誕生から死まで続く通
常のノーマルな生のプロセスが特別に過激に変形したものに過ぎません。私たちは自分の中に、病
気を起こす力だけではなく、健康を作り出す力をも備えているのです。―中略―未来
において、物質主義的な医学はその基盤を失うことになるでしょう。なぜなら神秘的な衛
生学の能力が発達する瞬間に、人々は外面的な物質的医学を必要としなくなるからです。
そのためカルマ的な原因によって発生する病気以外の非伝染性の病気は、心理的な方法で予防
的に取り扱うことが可能となるでしょう。この点において、すべては変化するでしょう。
現在のところ単なる夢物語のように思われるとしても、このことは非常に近い将来に実現
することになるでしょう。
                          (GA186 174~175)

人間有機体を一種の機械のようなものと見なす医学は、このころ目覚しい発展を遂げつつ
ありました。
 日本からも北里柴三郎(1852~1931)などの優秀な医師が渡欧し、最新の医療
知識や技術を熱心に急襲しようとしていました。
 そうした時代に、ルドルフ・シュタイナーが時代に真っ向から逆らうようなこうした見解を述べて
いたと言うことを、私たちは深く記憶しておくべきかもしれません。


514:,
08/05/28 20:23:59 TD/3JVYb0
「神秘的な衛生学」などといわれると、どこかうさんくさいように思われる方もおられる
かもしれませんが、それはことばにこだわるからで、ここでも私たちはシュタイナー以後の医学
がどのような傾向を帯びたか、それを事実を持って検証する必要があるでしょう。
 まず第一に挙げられるのは、フロイトとユングの登場です。二人は活躍した地域(オーストリアとスイス)
も年代(19世紀末~20世紀初め)も、ルドルフ・シュタイナーとほぼ同じです。二人は協力して
フロイトが創始した精神分析学の発展に努め―後に袂を分かちましたが―、心理学の発展
の基礎をすえました。

フロイト オーストリアの心理学者・精神医学者。人間の心理生活を、下意識または潜在意識の領域
内に抑圧された性欲衝動(リビドー)の働きに帰し、心理解明の手段として精神分析の立場
を創始。1856~1939.

ユング スイスの心理学者・精神医学者。ブロイラーに協力、連想検査をつくり、また、性格を外向
型・内向型に分類。フロイトの考えに共鳴し、精神分析運動の指導者となったが、後にフロイトと
別れた。1975~1961 
                      』
2人が当時の医学会に与えた衝撃と影響はおおきなものでした人間の病気を物質的因果関
係の枠内で考える立場は、心理や意識・無意識を研究することによって、微妙な変化をき
たしはじめました。
子供が腹痛を起こしたときには、
「何か悪者を食べたのだろう」
とか、
「朝食を食べ過ぎたのだろう」
などと外的な原因を探すだけでは不十分であり、場合によっては原因は、まったく内的―
―心理的なものであるかもしれないのです。すなわち、
「学校に行きたくない」
とか「親の注意を自分にひきつけたい」
という子供の心理的な要因も研究する必要があります。
こうして精神分析や心理学は、臨床医学にも頻繁に応用されるようになって行きました。
 バーニー・S・シーゲルはこのような分野の研究者の一人ですが、がんのような病気の場合です
ら、その背後に罪悪感や愛の欠如と言った心理的な要因が潜んでいる可能性がある、と述べています。


515:,
08/05/28 20:26:07 TD/3JVYb0

「自分のせいで病気になったと考えて罪悪感を持ったり、病気を治すことができないと敗
北感を感じたりする人は、体の治癒システムにマイナスのイメージを送っていることになる。こう
した罪悪感や敗北感は、捨てなければならない。そうすれば、生まれつき体に備わってい
る治癒能力は、否定的メッセージに邪魔されることなく、存分にその力を発揮できるだろう」
シーゲルは、これからの医学は単に物質としての肉体を治療することを目指すだけではなく、
「人間は心と身体が一つに結びついた存在である」
という考え方のもとに患者の自然治癒力を引き出すことを同時に考慮しなくてはならない、
と主張しています。

『個人のライフ・スタイルや感情が健康に影響すると言う考えは、百年前には当然のこととして受
け入れられていた。今日では、感情が身体に化学的な変化を起こすことが明らかにされな
い限り、感情に生理的影響があるとは認められない。だが幸いなことに、現代の科学によ
って、そうした変化が実際に起こっていることが証明できるようになった。生理学者の研
究により、愛が身体に与える影響は測定できることがわかっている。愛情を与えられない
赤ん坊は骨の発達が送れ、志望することもあるのに対し、体をなでてもらった赤ん坊は成
長が早いのだ。
―中略―
医学はもはや、説明のつかないものを奇跡として片付けるだけの、機械的な学問にとどま
ってはいけないと思う。治癒のプロセスについて再び勉強を始め、これに対してこれまでの医
学とは違うアプローチをするときがきている。病気と死ではなく、健康と生へ目を向ける
のだ。
 医学の理論と実践においてこのような転換を行わない限り、発展は望めない」
(シーゲル博士の心の健康法)


516:,
08/05/28 20:27:38 TD/3JVYb0
ルドルフシュタイナーがどのような意味を込めて「神秘的な衛生学」といったのかをすべてあきらか
にするのはとても困難なことですが、ここではさしあたり、
「心=外的な医学ではとらえられないもの=神秘的」と理解しておくだけで十分でしょう。
そうすれば、あのシュタイナーの見通しが荒唐無稽なものではまったくなく、それどころか大変
な先見性をもつものであったことが、誰の目にも明らかとなることでしょう。
ルドルフ・シュタイナーは、さらにこう述べています。

【大予言28】第3に、人間はさほど遠くない未来において、病気と健康についてのあら
ゆる考えかたが変革されるのに気づくようになるだろう。
医学は、精神の中でとらえることができるものによって浸透されるようになるだろう。な
ぜなら人間は、まさに病気を精神的な原因の結果として認識することを学ぶようになるからだ。
                             (GA173 215)

ここまでくれば、もはやシュタイナーの見通しの確かさを疑える人は居ないでしょう。二十世紀
の医学の進歩の大きな潮流の一つは、まさに「病気を精神的な原因の結果として認識する
ことを学ぶ」過程そのものであったからです。
「物質的な医学はその基礎を失うことになる」という表現はいささか強すぎるような気も
しますが、医学の基礎が外的―物質的な認識から内的―精神的な認識へと変化してい
くことを指摘したものと考えれば、理解しやすくなるのではないでしょうか。
 シュタイナーはこのような衛生学の能力は「ライン川から東アジアに至るまでの地域」で発達するだ
ろう、と予測しています(GA186  75)。そうだとすると、これまで書いてきたこ
とを総合すれば、機械に関する能力を英語圏が、優生学に関する能力をアジアが、そして新
しい医学を中部ヨーロッパが担うことになります。


517:,
08/05/28 20:28:43 TD/3JVYb0


人類を破滅させるかもしれない「3つの能力」
人類が精神的に進歩しないままで「3つの能力」を濫用するならば、どんなことになるで
しょうか。
 ルドル・フシュタイナーは「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(GA182 138「天使と
人間」)と題された講演の中で、先に掲げた講演の調子とは一転して、これらの「3つの能
力」を人類を破滅させるかも知れぬ危険をはらんだものとして紹介しています。
こうした未来に暗い影を投げかけるものについて、できることなら考えたくはないという
のが偽らざるところですが、 いま をしっかり生きるためにも、シュタイナーの未来に向けた
警告に耳を貸すことも、あながち無駄ではないでしょう。
 まず、主として英語圏で発達すると言われる「機械に関する能力」については、どのよ
うな危険があるのでしょうか。

【大予言29】あらゆる技術は荒廃し、人間はそれを歓迎するだろう。

人間はある特定の力に精通するようになります。この力を用いて人間は、ほんのわずかな
きっかけによって、つまりある種の振動を調和させることによって、世界に多数の機械の
力を解き放つことができるようになるでしょう。まさにこのような方法で人間は、機械的
かつ力学的な存在をある精神的な方向に向けるすべを本能的に知ることになります。その
結果、あらゆる技術は荒廃するようになるでしょう。しかしながら人間のエゴイズムにとって、
この荒廃はむしろ非常に役立ち、歓迎すべきものとなるでしょう。
(天使と人間72)


518:,
08/05/28 20:30:57 TD/3JVYb0

「世界に多数の機械の力を解き放つ」というところまでは、すでに現実となっていると言
えるでしょう。それに続く言葉は、いささか奇妙な感じを受けますが、まさに戦慄すべき
ものではないでしょうか。
「機械的かつ力学的な存在をある精神的な方向に向ける」とは、何を意味するのでしょう
か?そもそも後半部分の表現はなぞめいていて、今のところ私たちにもはっきりした具体
的な解釈はありません。しかし、この言葉に秘められたもののニュアンスくらいは、誰でも感じ
取ることはできるでしょう。
「機械的かつ力学的な存在」とは、例えば原子力もその範疇に入るのではないでしょうか。
「ある精神的な方向に向ける」と言う言葉はまったく解釈が困難なのですが、後に「人間
のエゴイズム」と出てくることから判断して、あまりよいニュアンスを伝えるものとは思えま
せん。すぐに思い浮かぶことは、たとえば原子力の兵器利用です。現在の世界では、原子
力に限らず、あらゆる「機械的かつ力学的存在」の武器利用が計られています。そして、
それらは世界平和の維持と言う美名の下に維持されていますが、そこに一部の国家や支配
層の「ある精神的な方向=エゴイズム」が隠されていないとは、誰にも断言できません。
 また、こうした国家レヴェル・地球レベルの話でなくとも、例えば一部の企業がまさに利
益だけのために秘密裡にあるテクノロジーを開発し、人類を危機に陥れるようなことは部分的に
はすでに行われていることですし、今後そうした事態が拡大しないとは保証の限りではあ
りません。
近い将来、テクノロジーは私たちの想像力をはるかに超えて、ますます発展していくに違いあり
ません。 テクノロジーは諸刃の剣のようなものです。もしそれが善用されればその利益は無限に大きな
ものとなりうるでしょうが、もしあくようされればそれはわたしたちに破滅をもたらしま
す。私たちは、無限大の希望と無限大の不安のもとに生きることを強いられているのです。
人間精神はかつてなかったほど深刻な試練に見舞われているといっても、決して過言では
ないでしょう。
すべては私たち人間の心、精神にかかっているのです。

アジア辺縁地域で開発されるという「優生学に関する能力」に関して、起こりうる最悪の事
態とは一体どのようなものなのでしょうか。

519:,
08/05/28 20:32:34 TD/3JVYb0

【大予言30】有害で破滅的な性本能が現れ、社会生活に浸透するだろう。

すなわちこの場合、人類進化の内部で起こることに関して、「性生活と性の本質の中から本
能が、明るい目覚めたいしきの中で人類にとって有益な方法で生じるのではなく、むしろ
有害で破滅的な方法で現れることになるだろう」と言い表すことができるのです。本能は
単に混乱を引き起こすだけではなく、社会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形を
とるまでになるでしょう。性生活を通して地の中に現れてくるものによって、人間は他の
何者にもまして強い影響を受けます。そして地球に何らかの友愛の精神を展開する代わり
に、人類は友愛の精神を絶えず拒絶することになるでしょう。私がここでいう本能とは、
このようなものになるでしょう。

(天使と人間69~70)

「性生活と性の本質の中から本能が、、、現れる」というシュタイナーの予言もやはり、解釈が困
難なものです。
しかし、私達はここで、何かをかすかに思い出さないでしょうか。
そう、70年代にアメリカ西海岸を中心として沸き起こったヒッピー運動(フラワー・チルドレン)です。
とりわけヒッピーたちが熱心に主張し実践したのは、フリー・セックスでした。


520:,
08/05/28 20:55:54 TD/3JVYb0

そして、フリー・セックスが「悟りに通じる」ものだとして、宗教的意味づけと許しを与えたのは、
「堕ちた神(グル)」と呼ばれたインド人バグワン・ラジニーシ(和名 和尚)です。ここで、バグワ
ンの問題に深く立ち入ることはしませんが、この教団の姿を詳しく知りたい方は『ラジニーシ・
堕ちたグル』をお読みになってください。
バグワンの教団は多国籍型のカルトで、インドのみならずアリゾナ・マウイなどに共同体をもち、我が国
にも少数ながら活発に活動しているグループがあります。
 まさに彼等の狂った教義は「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部でかたちを形を
とる」までに、この日本でもすでになっているのです。
 インドで近隣との摩擦を引き起こし、自己防衛と信者の囲い込みのために軍隊を造ったり、
アメリカで選挙運動に参加し有利に運ぶために細菌をばら撒いたり(最近ある地方新聞で報道
された)、信者にお布施を強要して莫大な富を築いたりと、信者獲得のために真の目的とラジ
ニーシの名前を隠して「セラピー」などの講座を全国各地で開く―オウム真理教の場合は「ヨガ」
ですが―など、この教団のすることはオウムそっくりなのです。おそらくオウムのほう
がラジニーシの手口を真似たのかもしれません。
 しかし、性本能が「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部で形をと」り、「有害で破
滅的な方法で現れ」ているのは、オウムやラジニーシのような極端で破滅的なカルト教団ばかりでは
ありません。
大都会の夜を彩る性を売り物とする様々な商業主義的施設もこれにあたるでしょう。
こうした堕落した性の文化の中で、多くの未来ある若者たちがそれと知らずに傷つき、人
生を台無しにしているのです。
「本能は単に混乱を引き起こすだけでなく」と、ルドルフ・シュタイナーは指摘しています。オウムが
こんなひどい「混乱を引き起こし」たかは、ここでわざわざ説明するまでもありません。
 いつまでも彼等の活動―カルトはオウムばかりとは限りません―を放置するならば、家庭
も、友情も、愛も、それどころか生命までも、永遠に奪われてしまいかねないのです。
 ルドルフ・シュタイナーの立場は、理想的にも信仰的にも、こうしたカルト的退廃文化を生み出した
ニューエイジ運動とはまったく無縁のものであり、断固としてそれらに反対するものです。

521:,
08/05/28 20:58:37 TD/3JVYb0

シュタイナーのことばの恐るべき予言性に、慄然たる思いを感じるのは私だけでしょうか?
 ところで、「性生活と性の本質」とはなんでしょうか?それだけでも大問題です。しかも
シュタイナーはこれとは別のところで、
「性の秘密は最高の神秘学に属することなので、いまはまだそれを明らかにすることはで
きない」
 と、いっています。
「最高の神秘学」などといわれると、いささか権威主義的な感じがするかもしれませんが、
決してそんなことはありません。例えば20世紀アメリカ文学を代表する文豪ヘンリー・ミラーの主要
な作品は、あくまでも文学的な表現方法によるものですが、性の世界と言う主題のあくな
き追求に貫かれています。
また、やはり現代アメリカ文学を代表する作家ノーマン・メイラーも、「性は小説家に残された最後の荒
野であり、フロンティアである」
と、書いています。
私たちはまだ、性についてほとんど何も知らないのです。
しかし、ここでもやはり、私たちは事実を追及することができます。
第一に考えられることは、受胎と誕生に関わるテクノロジーの問題です。人間が受胎と誕生を思
いのままに操作することが近未来において実現するであろうことはほとんど確実なのです
が、その結果人体にどんな影響が出るのかはよくわかりません。
 あるいはまたここで述べられていることは、エイズのような病気を予想していた可能性が
あります。「性生活を通して血の中に現れてくるもの」というシュタイナーの表現には、十分にそ
れを実感させるものがあります」。エイズは病気として出現してきましたが、それはまさに「社
会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形をとるまでに」なっています。シュタイナーが示
唆するものがエイズに決まっていると主張するつもりはまったくありませんが―というの
は、エイズ以外にも今後どんな病気が出現するのかは誰にもわかりませんから―すでにエイ
ズを知り体験してしまった私たちにとって、シュタイナーのこの言葉は思い響きを持つものでは
ないでしょうか。

522:,
08/05/28 21:01:23 TD/3JVYb0

 いずれにしても、シュタイナーは性および性生活と私たち人間のエゴイズムの関連を深くとらえ、
重要視しているようです。性の商業化や乱れた性関係などの底辺に、欲望と言う名のエゴイズ
ムが潜んでいることは否定しがたいことです。いまや私たち人類は、シュタイナーのこうした予言
を、事実を持って確認するだんかいにはいってしまったのではないでしょうか。それを認
めることはとてもつらいことですが、だからといってそれを否定したり無視したりするこ
とに何の意味があるのでしょうか。いまこそ事実を正面から見据え、それを意識化しなけ
ればならないのではないでしょうか。
 最後に、中部ヨーロッパの人々が担うことになるとシュタイナーが指摘している「第3の能力」に
ついて、検証してみることにしましょう。それは医療と衛生学に関するものです。先にも
紹介したように、シュタイナーはこの能力は主に中部ヨーロッパで発達するだろうと予測していまし
た。

【大予言31】薬や治療に関する本能的で危険な認識が生まれ、恐るべき損害をもたらすだろう。

 つまりこのとき、ある治療薬についての本能的な認識が生まれてくるわけですが、それ
は有害な認識なのです。医学に関することはすべて唯物論的な意味において、著しく促進
されることになるでしょう。人間はある種の物質や処置が備えている治癒力に関して本能
な洞察を身に付けますがそのためにまた恐るべき損害を引き起こすことになります。しか
し、人々はこの損害を、むしろ有益なものだと言い張ることでしょう。人々は病的なもの
を健康的だと考えたがることでしょう。というのも人間は、ある処置を施していると、し
だいにそれが気に入るようになってくるものだからです。人類を不健康な方向へと導いて
いくものが、単純に好まれるようになることでしょう。こうしてある事象や処置が備えて
いる治癒力に関する認識が高まるわけですが、このような認識は極めて危険な領域に足を

523:,
08/05/28 21:02:49 TD/3JVYb0
踏み入れることになります。というのも、人間は取り分け本能を通して、ある種の物質や
病気に対する処置が生み出す効果に関して、知識を得ることになるわけですが、この場合、
まったく利己的な動機にしたがって、病気を引き起こしたり、引き起こさなかったりする
ことができるようになるからです。
                      (天使と人間71~72)
先に紹介したとおり、シュタイナーは、医学がこの先正しい方向に発達していくとしたら、それ
は現在のような物質主義的な医療のあり方を乗り越えたものとならなくてはならない、と
考えていました。すなわち、人間の心と病気の結びつきに関する深い洞察に基づいた医療
が、将来現れることになるだろう、と予測していいました。
 しかし、シュタイナーが想定していたことは、そうした楽観的な未来だけではありません。こ
こに掲げたようなまったく悲観的な事態も、ありうることとして考慮に入れたのです。未
来を単純に白と黒のように予想することはできないと言うのが、シュタイナーの教えです。未来
が悲観的なものとなるか楽観的なものとなるかは、わたしたち人間次第なのです。私たち
が人生を生きなければならない意味もそこにあります。
 したがって、ここでもシュタイナーは、人類が精神的に進歩することを怠ったまま、なおも現
在のような唯物論的な医療のあり方に固執し続けたらどうなるか、そうした事態を想定し
て述べているのです。治療効果を追求するあまり、人類は今以上に薬物や物質主義的な医
療技術―そこには当然ハイテクノロジーも含まれます―の開発に先進するだろう、だとするな
らば、その結果人類は「恐るべき損害」を被るだろう、とはっきり断定しています。


524:、
08/05/28 21:04:05 TD/3JVYb0

現在でもすでに大きな発展を遂げた先端医療や新薬は、めざましい治療効果をあげる反
面、さまざまな弊害をも引き起こしています。こうした現状を考慮に入れれば、シュタイナーの
予想はすでに実現してしまったと言っても過言ではないのかもしれません。新薬の投与や
臓器移植に伴う副作用の問題は、既に十分に深刻なものとなっています。しかし、医療者
にしてみれば、新薬や先端医療こそ最も効果的な治療方法なのです。
まさにシュタイナーの観察どおり、「人々は病的なものを健康的だと考えたがる」のです。

さて、こうした3つの事態が現実のものとなったら、いったいどうなるのでしょうか?

【大予言32】人間は性本能の逸脱を賛美し、醜いものを美しいとし、美しいものを醜いとするだろう。

ある種の事象や物質の治癒力に関する認識を本能的に拡大していくことに、人間は楽し
みを見出します。また人間は、道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚えます。
超人間的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこの
ような性本能の逸脱を賛美することでしょう。ある意味において醜いものが美しいとされ、
美しいものが醜いとされるのです。そして、人間はこのような事態について何も気がつき
ません。なぜなら、人間はすべてを自然の必然とみなすからです。しかし、それでは、人
類は人間自身の本質に命じられた道程から逸脱することになってしまいます。

                         (GA183 156~157)



525:、
08/05/28 21:06:20 TD/3JVYb0

シュタイナーのこの警告は、まるで75年前に、現在のラジニーシやオウムなどの狂信者集団の登場を
予告しているとしか思えません。
「道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚える」
とか、
「超人的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこ
のような性本能の逸脱を賛美する」
という指摘は、そのままカルト教団の悪魔的な本質をみごとに見抜いているようです。ラジニ
ーシが「堕ちた神(グル)」と呼ばれることは、まことに的を得ているといえるでしょう。
 さらにシュタイナーは、人類はたとえ誤った道を歩むとしても、そのことにまったく気づかな
い、というのです。この指摘を理解するには、マインド・コントロールにかけられたオウムの幹部や信
者たちの状態を想起してみれば、よくわかるでしょう。
そして、事態が取り返しのつかないところまで悪化したとき、人類はようやく自分たちの
誤りに気づくのですが、これもやはり、警察に留置されて少しずつマインド・コントロールがほどけ、
ようやく人間の心を取り戻して供述を始めているとされるオウム幹部たちのことを考えてい
ただければ、よく理解できるはずです。しかし、シュタイナーはこうした問題について、決して
楽観してはいませんでした。

【大予言33】それは人類にとって極めて悲惨な目覚めになることだろう。
と、シュタイナーは述べています。
さて、このような取り返しのつかないような状況にまでたっした後に、人類はどうなるの
でしょうか?ふたたび正しい筋道へと戻る機会は与えられるのでしょうか。それとも人類
は自らなした行為によって、そのまま消滅するしかないのでしょうか?
 残念ながら、ルドルフ・シュタイナーはこの先のことについては何も語ろうとはしませんでした。

この部の前半で紹介したとおり、シュタイナーは、将来人類は機械・優生学・衛生学に関する3
つの能力を開発するだろうという予測を立てていました。そして、そのことが国際間の強
調を生み出すきっかけとなるだろう、という明るい見通しを明らかにしました。ところが、
相する一方で、人類の未来に対して、シュタイナーはこのように非常に暗い予言を語っていたの
です。いったい、シュタイナーのこうした矛盾した態度を、私たちはどう受止め、理解したらよ
いのでしょうか?

526:、
08/05/28 21:09:21 TD/3JVYb0

 結論から先に言えば、未来の帰趨はあきまでも人間次第ということです。そのいみで、
人間の行為や思考は決してむなしいものではないし、意味のないものでもないのです。現
在の人間の思考や行為の中から、未来は生まれてくるのです。
したがって、
「人類が精神的にも道徳的にも進歩を続けながら、確実な基盤の上に立って3つの能力の
開発に力を注ぐ」
と言う前提に立つならば、人類は明るい未来を迎えることができるでしょう。しかし、そ
れとは反対に、もし人類が精神的に向上しないままで、現状のように、3つの能力を性急
に、しかも物質主義的な方向のままで「開発しようとするならば、遠からず破局が訪れる
ことになるでしょう。

第二部 堕天使アーリマンの受肉は目前に迫っている。
第一章 シュタイナーの「大予言」はなぜこれほど当たるのか。

関東大震災を警告した寺田寅彦博士

第二次世界大戦前に寺田寅彦という人物がいました。寺田寅彦は自然科学者としても有名
でしたが、文学者としても、かの文豪夏目漱石の弟子として広く知られていました。その
寺田博士が大正11年の1月に、「断水の日」と題したエッセーを朝日新聞に発表しました。博
士はそのエッセーの中で、東京と言う都市が、地震のような天災に対してはまったく備えがで
きていないことに、次のように警告を発しています。

『私の頭の奥のほうで、現代文明の生んだあらゆる施設の保存期間が経過した後に起こる
べき種々な困難がぼんやり意識されていた。これは昔天が落ちて来はしないか心配した 
木己国の人の取り越し苦労とは違って、あまりに明白すぎるほど明白な有限な未来にきた
るべき当然の事実である。たとえばやや大きな地震があった場合には年の水道やガスがだ
めになるというようなことは、初めから明らかにわかっているが、また不思議に皆がいつ
でも忘れている事実である」
                       (寺田寅彦随筆集第一巻)

527:,
08/05/28 21:11:20 TD/3JVYb0

寺田寅彦博士のこの不吉な予測が、はやくもその翌年には現実のものとなったのは、誰で
もよく知っている事実です。大正12年9月1日、帝都東京は関東大震災によって壊滅的
な打撃を被ったのです
それでは、なぜ寺田博士にとっては「やや大きな地震が」が、「明白すぎるほどに明白な有
限な未来に来るべき当然の事実」だと考えられたのでしょうか?
 それはまず第一に寺田博士が、大都市東京の構造上の弱点を、冷静な科学者の目で徹底
的に観察したからにほかなりません。『断水の日』を読むと、大正10年12月に東京でか
なり大きな地震が起こり、水道の溝渠が崩れる騒ぎがあったことがわかります。
そのとき、ほとんどの人は、水道が復旧するとともに、地震のことなどはすっかり忘れて
しまいました。
「のどもと過ぎれば暑さ忘れる」という諺どおりに、人々が地震をけろりと忘れる様子を、
寺田博士は「不思議」だと評しています。
しかし、優れた科学者である博士の目には、さまざまな不安要素が映りました。
断水の日に、寺田家では電気のスイッチが壊れました。また銀座では煉瓦が破損しました。
こうした事実から、寺田博士は次のように考えました。

『水道の断水とスイッチの故障との偶然な合致から、私はいろいろの日本でできる日用品につ
いて、平生から不満に思っていたことを一度に思い出させられるような心持になってきた
―中略―水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し
根本的に行き届いていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、
そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、
誰も容認しないことになっていたのならば、恐らくそれほどのことはないと思われる。』

しかし、それでは寺田博士は、こうした防災に関する意識や対策のみで、不安を克服でき
ると考えたのでしょうか?
もちろん、防災に対する意識や対策がなんの役に立たないなどと考えるべきではありませ
ん。全力を尽くしてそうした対策に取り組むべきであることは、ここでわざわざ強調する
までもありません。それは、先進国の中でも特に対策が遅れていると言われているわが国
では、特に強調されるべきことです。

528:,
08/05/28 21:14:11 TD/3JVYb0


政治家や役人は、なぜ都市計画を骨抜きにするのか?

しかし、はたして現代のあまりに巨大で複雑な大都市を、地震の様な大災害から守りきれ
るのでしょうか?
現代科学というものを、私たちはそこまで信用してよいものでしょうか?
百歩譲って信用するとしても、それでは平素から、
「科学的考え方以外に信用できるものはない」
と明言している政治家や行政官などの実務家たちは、これまで一体何をしてきたでしょう
か。彼らは科学者の警告に従って完全に科学的な対策を施してきた、と胸を張って言い切
れるのでしょうか?
信用できる一級の科学者である寺田博士が、
「これは昔天が落ちては来はしないか心配した木己の国のとりこし苦労とは違って、あま
りに明白すぎるほど明白な、有限の未来に来るべき当然の真実である」
と認定したことを重要視して、政治家や行政官が関東大震災後に本格的な都市再建と防災
対策に取り組んだでしょうか?
事実はその反対です。
彼らは関東大震災後に提出された本格的な再建案をよってたかって骨抜きにしてしまった
のです。
第二次世界大戦後の事情も、これとたいした違いはありません。
政治家や行政官・経営者などの自他共に実務家と認める人たちこそ、科学を軽視してきた
のです。「科学を信じる」ことだけしかモットーらしいモットーを持たない彼らこそ、実際には自ら
の信念を裏切っているのです。
寺田寅彦博士は「断水の日」を、次のような言葉でしめくくっています。


529:,
08/05/28 21:15:23 TD/3JVYb0


こんなことを考えていると我々の周囲の文明と言うものがだんだん心細く頼りないものに
思われてきた。なんだかコタツを抱いて氷の上に座っているような気持ちがする。そして
不平をいい人を責める前に我々自身がしっかりしなくてはいけないと言う気がしてきた。

断水はいつまで続くかわからないそうである。
どうしても「うちの井戸」を掘ることに決めるほかない。       』

現代文明に対する科学者寺田寅彦博士のこうした正直な危惧と不安は、まことに古くて新
しいといわねばなりません。科学的な問題意識だけではこの物質文明の先行きに確かな展
望をもてないことを、寺田博士は80年近くも前に予感していたのです。
その後、こうした現代文明に対する危惧や不安は少しでも軽滅したでしょうか?軽滅どこ
ろか、人類はその生存も危ういところまで来てしまったのです。
私たちの文明の危惧は、すでに回避不能なところまで来てしまったのでしょうか?先進国
では物質世界に閉じ込められた人々はとらえどころのない不安と悩みを抱えながら、何と
かして物質世界を超えて宇宙や見えない世界との意識のつながりを求めようとしています。
それは決してたやすいこととは思われませんが、人類の意識に大きな転換が起きているこ
とだけはたしたなようです。


530:,
08/05/28 21:27:20 TD/3JVYb0



「科学信仰」という名の迷信とは?

私はここで、
「予見などと言う非科学的なものを、私は信じない」
という意見を全面的に否定しようとしているわけではありません。ただし、私がここでそ
ういう人にたずねてみたいことは、
「あなたは科学を信じると言いますが、そういうあなたはどれほど科学を知りもせずに相
した信念のみに従っているのなら、それこそ科学信仰という名前の迷信なのではないでし
ょうか?」
ということです。
そもそも科学は認識の対象であっても、信仰の対象ではないはずです。
それなのに、現代には科学信仰というなの迷信が蔓延っています。
だれも気がつかないそうした事実を最初に指摘したのは、ルドルフ・シュタイナーです。
シュタイナーがまさに偉大な預言者のように、共産主義の崩壊とその年を正確に予言したことは
第一部で書いたとおりですが、そのとき以来現在に至るまで、マルクス主義者は自分たちのイデ
オロギーを「科学的」社会主義と呼んできました。こうした事実には、それこそ迷信と呼ぶべ
きいいかげんな科学信仰が見られるのです。そして、4分の3世紀前のシュタイナーの予言どお
り、共産主義社会はあきれるほどに非科学的であった実態をさらけだして、あっけなく崩
壊してしまったのです。
 ところで、私たちがよりどころとしている近代の分析的な知性は、必ずしも予言と言う
ような信仰的な行為と矛盾するとはかぎりません。むしろ、この二つを対面的にとらえて、
どちらか一方を絶対否定するような考え方にこそ問題があるのです。


531:,
08/05/28 21:29:18 TD/3JVYb0

 ルドルフ・シュタイナーが1920年前後に語った未来予測は、今世紀の歴史に照らし合わせてみ
ると、きわめて正確な見通しだったとわかりました。すなわち共産主義の崩壊(これは具
体的な年まで予告しました)・国家(政治国家)の衰退・医療の荒廃・性のモラルの乱れ・教
育の荒廃・ヨーロッパ列強に対する日本の抵抗と、日本のアジアへの裏切り=第二次世界大戦の
勃発・都市の破滅・産業資本主義の崩壊などです。
最後の二つについては、まだ都市が破滅したわけでも、産業主義が崩壊したわけでもない
ではないかと思われるかもしれませんが、第二次世界大戦ではヨーロッパや日本の主な大都市
はほとんどシュタイナーの予言どおりの壊滅しましたし、最近では地震によって神戸が崩壊しま
した。また、産業主義の未来については、すでに深刻な危機に陥っているというのが良心
的な専門家の間では常識となっており、その予兆は最近の金融界の混乱・エネルギー危機・自
然破壊および公害問題・貿易戦争などにも見られるのです。
産業主義のチャンピォンたる私たちのこの国が現在陥っている大不況も決して循環的・一過
性のものではなく、今度ばかりは抜け出すのはそう簡単なことではないということが、よ
うやく認識され始めています。もしかすると共産主義の崩壊は資本主義の崩壊の序曲に過
ぎなかったかもしれません。



人間の心に衝動を与える宇宙的な存在は実在する。

「物質的なものの現れのうちに、精神的な力の働きを見よ」
というのが、シュタイナーの教えなのです。
例えば共産主義を考える場合に、その理論やイデオロギーの妥当性、運動の階級性や党派性な
どを検討するだけでは、不十分なのです。その運動と思想を支えている精神的エネルギー、す
なわち衝動を洞察しなければならないのです。そして、その衝動が物質的なものに向けら
れているか、それとも精神的なものに向けられているかを見通さねばなりません。シュタイナー
はマルクス主義を信じた労働階級の人々がその要求の矛先を富の平等な分配に向けること
を深く理解していましたが、それらの人々の関心が富と言う物質的なものにばかり向かっ
ていくことに、強い懸念を抱いていました。

532:,
08/05/28 21:30:40 TD/3JVYb0

カール・マルクスは、
「精神的なものは物質的なものの上部構造に過ぎない」という考えの下に精神を軽視した
わけですから、その思想を辛抱するプロレタリア階級の運動がもっぱら物質的なものにだけ関心
を向けるのは、当然と言えば当然のことです、
「科学は物質的なものにのみを対象とする。したがって、同じく物質的なもののみを追求
する共産主義も科学的である」
というマルクス主義者の思想(迷信?)の背後に、物質的なものに向かう精神エネルギー、すなわ
ちアーリマンの存在をシュタイナーは見て取ったのです。こうしてみると、
「物質的なものの現れのうちに、精神的な力の働きを見る」
という態度のうちにこそ、20世紀の主要な出来事をまことに正確に予言したシュタイナーの秘
密が隠されていると言うことができるでしょう。



第5章 堕天使アーリマンは、西暦2千年代に地上に降りてくる。



科学的人間と精神的人間

大型フォークリフトが大きな騒音を立てながら、まるでカマキリのように盛んに首を上下に振っていま
す。ダンプカーが列をなして行進し、リフトのシャベルがほおりだす泥を、荷台で受止めています。
あたりは、思わず両手で耳をふさぐような騒音と、まともに目も開けていられないほどひ
どい埃です。



533:,
08/05/28 21:32:14 TD/3JVYb0

こうして干潟が埋め立てられたり、森林が伐採されている光景を目にして、心臓がちくち
くと痛むような、なんともいえない、嫌な気がしたことがある人も少なくない事でしょう。
 あるいは、コンクリートやアスファルトで塗り固められたビルの谷間の歩道を歩いていて、周囲を取り
巻く無機的なものに圧倒されて、なんともいえない疲労感を覚えた人も、決して少なくな
いでしょう。
「こんなに自然を破壊して、私たちはこの先無事に生きていけるのでしょうか?」たいて
いの人が一端はそう思って不安になります。しかし、すぐにその思いを打ち消すような、
内心の声が囁きます。
「しかたがないだろ。だって、こうしなければ大勢の人が失業してしまうんだ。そんなこ
とをいっているおまえだって、勤め先の会社がこの工事に加わっているじゃないか!そん
な弱きのことでどうするんだ!それとも失業していいのかい?さあ、さあ、いつまでもつ
まらないことを考えてくよくよしないで、さっさと出勤しなさい」
まるで心の中に2人の人間が棲んでいて、正反対の考えを吹き込もうとしているかのよう
です。前に掲げたシュタイナーの予言が思い出されます。個人は2つに分裂し、その二つが戦う
ようになるであろう」
と。

こうして具体的なドラマを思い描いてみると、シュタイナーのこの予言はますます不気味に感じら
れます。いまから80年も前に、シュタイナーは人間がここまで追い詰められることを、正確に
見抜いていたのです。
「二つに分裂した個人」とは、私たち人間の精神が2つに分裂する危機を意味しています。
そして、科学が進歩すればするほどこの危機は深まる、とシュタイナーは予測しています。
アーリマンだの宇宙だのと聞かされると、
「そんなの迷信さ。ばかばかしくて話にならないよ」
と感じる人が圧倒的に多いことでしょう。そういう人に限って、必ずこう言い添えるのです。
「こんなに科学の進んだ時代に、君はなんてばかばかしいことを考えているんだ!」
と。
私たちは、「信仰と科学」・「精神と科学」を対立するものと考え、その間を行ったりきたり
するようになったのです。

534:,
08/05/28 21:33:45 TD/3JVYb0

だからこそ、「個人は二つに分裂し、その二つが戦う」ようになると考えられるのです。一
人の人間の中に、「科学的人間」と「精神的人間」と言う二人の人間が棲みついてしまった
のです。
こうした変化の背後に、私たちの精神を眠らせ、孤立させ、分裂させ、狂気に導き、戦わ
せる目に見えない力の存在を、私たちは見ることも感じることもできないのです。
私たちには良心の声が聞こえます。しかし、その声に率直に従うことはできません。不安
が邪魔するのです。
そうした声に従う代わりに、私たちは数字や統計に従うのです。
なぜなら、そうすることが「世間の常識」だからであって、真実だからでありません。
私たちの人間の心を操るそうした目に見えない力こそ、アーリマンの力なのです。
アーリマンとは人間の観念が生み出した幻像や比喩などではありません。あるいは生命のない概念でもありません。
アーリマンとは具体的で、生々しい実在なのです。



【大予言43】アーリマンは、西暦2000年代に西洋に人間として現れるだろう。

【大予言43】アーリマンは、西暦2000年代に西洋に人間として現れるだろう。

紀元前3000年紀(紀元前2000年代)のはじめにルシファーが受肉したのとまったく同じ
様に、またゴルゴタの秘儀の時代(紀元後一世紀頃)にキリストが受肉したのとまったく同
じ様に、私たちが今の地球上に存在したしばらく後に、つまり3千年紀(西暦2000年
代)にアーリマン存在が西洋に受肉します。
                         (悪の秘儀 第3章)



535:,
08/05/28 21:35:21 TD/3JVYb0

ところで、目に見えない霊的な存在たちが「受肉する」とは、どんなことを言うのでしょ
うか。アーリマンの精神は受肉することはできませんが、人間の肉体に入り込むことはできます。
つまり、一時的に人間の魂に浸透し、人間の肉体を貫くことはできるのです。するとアー
リマン的な知性の見事な、光り輝くような、ぬきんでた精神は、個々の人間の中で働く場
合よりも強いものに、遥かに強いものになります。アーリマンの精神に貫かれたその人間は、そ
れまでに、つまりアーリマンに貫かれるまでに、非常に多くのことを学んでいるかもしれません。
この人の物質対つまり肉体が学んだ事柄によって完全にとらえられるならば、あるアーリマンの
精神が、しばらくの間、その人の肉体に入り込むことができるのです。そうなれば、その
人の目を通してみているのがアーリマンだということになります。つまり、その人の指を動かし
ているのがアーリマンです。その人となって鼻をかんでいるのがアーリマンです。

                           (GA237 160)

すなわちアーリマンは、この世に人間として誕生するのではないのです。
アーリマンの精神は、現に生きている人間の中にしばらくの間入り込むのです。たとえば、私た
ちが学校で習う歴史は、次のように教えています。
「アレクサンダー大王の遠征を通じてギリシアの文化とアジアの文化が出会い、一つに溶け合って、ヘレ
ニズム文化という新しい文化が誕生した」
まさにその通りです。
しかし、ここで説明されているのは出来事の外面に過ぎません。
したがって、私たちはここからの出来事の「結果」を知ることはできますが、「原因」を知
ることはできません。
私たちがこの出来事の「原因」を知ろうとすれば、アレキサンダー大王の心の内を探らな
ければならないのです。
つまり、この場合なら、アレキサンダー大王の「動機」とか「衝動」を知る必要があるのです。
そうした「動機」や「衝動」を含む目に見えない働きを、私たちは、「精神」として知って
います。
こうしたいわば人間の「内的な観点」から歴史を見るならば、同じ一つの出来事がまった
く違って見えることに気づくはずです。

536:,
08/05/28 21:38:54 TD/3JVYb0

さきほどの事例を再び取り上げるなら、
「アレクサンダー大王の中にある精神がやどり、ギリシア文化とアジア文化という異なる二つの文化を
一つにまとめよう、そして新しい文化を生み出そうと言う衝動が生じた。この精神は地上
に作用を及ぼすために、アレキサンダー大王と言う実力ある大人物を通じて、人間の関心をコスモポ
リタン的な方向に向かわせ、偉大なヘレニズム文化を創造した」
と、見ることができるのです




日本政治の謎

ここで、最近のこの国の出来事に目を転じてみましょう。
皆さんご承知のように、1970年代にT氏という一人の政治家が活躍しました。このT
氏の信念は、
「政治は数である」というものでした。
そう、数です。
前の章でも詳しく論じましたが、現代の特徴的傾向の一つは「数を好む」ことです。こう
した傾向は特に学問に強く現れていますが、学問に限らず現代生活すべての分野に見て取
ることができるものです。
T氏はこうした現代人の精神的傾向を政治に持ち込んだのです。
多くの人々がT氏を「天才的政治家」として称賛しているのは、あながち理由のないこと
ではありません。
なにしろT氏は、選挙民の心を見抜くことに掛けては、抜群の才能を発揮したのですから。
少なくとも次のように見ることはできるでしょう。
「T氏は、70年代の日本人が備えていたある精神的な傾向を体現する人物だった」、と。
 こうした内なる観点から政治的傾向を見つめてみると、面白いことに気づきます。
与党は常に「数」を頼み野党は常に「イデオロギー」を頼んだ、と言う事実です。

537:300 KB
08/05/28 21:40:49 TD/3JVYb0

「数」といい「イデオロギー」といい、それが現代人の精神内容を特徴付けるものであること
は、すでに本書を読み進んでこられたみなさんは、よくご存知のことでしょう。「数」の中
にも「イデオロギー」の中にも、理想主義や暖かい人間性は生きることができません。したが
って、「数」や「イデオロギー」を大切にする政治は、崇高な理念に従うことはできないのです。
「水と油のように決して溶け合わない自民党と社会党が、独立政権を作っているのはおか
しい」
と言う意見をよく耳にしますが、こうしてみると、それは外面的な浅い見方だということ
がわかります。両政党が水と油のように見えるのは、実は見かけだけのことなのです。本
質的には、両党とも「数」や「イデオロギー」に頼むという現代的な内的―精神的本質を持
っているのです。
 共産主義陣営の崩壊によって「イデオロギー」を頼む政治が終わりを告げると、この国の政
治が「数のゲーム」になってしまったことも、こうして「内なる観点」を持つことによっ
て、初めてその謎を解くことができるのです。



【大予言44】十字軍の中に堕天使アーリマンがいた!

私たちは「ヨーロッパ信仰の力が、かつてローマ人がカネを送り込んだ地域にどのようにオー
ラを送り込むか」と言うことを知っています。十字軍に従事した人たちは、ローマ人がもたら
した金と、持ち込まれたカネの結果として東洋に生み出されたものに出会いました。つま
り、一方ではローマの黄金と、他方では東洋のグノーシスに出会ったのです。私たちは十字軍が起


538:,
08/05/28 21:43:19 TD/3JVYb0

こったときのこのオーラを観察しなければなりません。それはまったく、」ヨーロッパ的信仰の力
のオーラでした。これが、十字軍と言う絵を構成する一つの色調です。そしてこの色調の中に
ーーその気になれば、ただ一つの色調として絵をかくこともできるはずですーー生まれつ
つある意識魂の時代の別の絵を置いて見ましょう。この絵を、どのようにしておくべきで
しょうか。私たちはここに、1108年生まれのベネツィア共和国の提督ダンドロを置けばよい
のです。ダンドロは昔コンスタンティノープルにいたとき、トルコ人に目を潰されたことがありました。こ
のダンドロこそ、アーリマンが受肉した人物です。そして、ダンドロは目が見えなかったにもかかわ
らずベネツィアの提督を務めました。このベネツィアが、いまお話したダンドロの精神の中に、アーリマン
の精神を入り込ませたのです。このダンドロ提督がコンスタンティノープルを征服して、最初の十字軍
の精神とその後の十字軍の精神の間の橋渡しをした瞬間は、世界史の上でもきわめて重要
なものでした。それはどのようなものだったのでしょうか。最初のうち十字軍に従事した
人たちは、取り残されている聖地や聖遺物が集められはしたものの、それはすべて資本を
形成するために利用されたのですー―。ベネツィアの影響を受けて、聖遺物はしだいに株券の
ように取り扱われるようになりました。聖遺物の価格はどんどん上がっていきました。資
本主義的なオーラが広がり初めました。このダンドロこそ、アーリマンの精神が受肉した人物なので
す!
               (GA181  355)

十字軍(1096~1270)は当初、宗教的な情熱の支えられて、イスラム教徒から聖地エルサ
レムを奪い返すために開始されました。しかし、回を重ねるごとに本来の宗教的意識はうす
らぎ、次第に指導者の政治的・経済的思惑に支配されるようになりました。


539:,
08/05/28 21:48:23 TD/3JVYb0

ここでシュタイナーが述べているコンスタンティノープル占領とは、悪名高い第4回十字軍(1202~1
204)のことです。
第4回十字軍を操っていたのは、ベネツィアの商人たちでした。そして、この十字軍は聖地回
復と言う本来の目的を捨てて、あろうことか同じキリスト教国であるビザンティン帝国の首都コンスタン
ティノープルを攻めたのです。ベネツィアは奪い取ったコンスタンティノープルにラテン帝国(1204~126
1)を建設し、ここを拠点として盛んに商業活動を始めました。十字軍の兵士たちは、各
地で略奪や暴行を繰り返すようになりました。もはや十字軍本来の宗教的な情熱はま
ったく失われ、あさましいまでの経済上の利益追求と人心の荒廃だけが目立つようになりました。

ベネツィア提督エンリコ・ダンドロは、第4回十字軍の立役者でした。ダンドロは聖なるものや精神的
なものへの畏怖の念など、かけらも持ち合わせていませんでした。そして、聖遺物を単な
る商品と見なしたのです。この男はまるで来るべき資本主義社会の精神を先取りしたよう
な人物でした。
シュタイナーは、この男ダンドロにアーリマンの精神がやどったのだと語りました。
アーリマンの精神は、ある人物の心の中に入り込むのです。そして、その人物の行動を通じて地
上の世界に影響を与えるのです。
ここに一人の人物が居ます。優秀な頭脳の持ち主で、知性主義的で物質主義的な思考方法
を身に付けていたとします。このような人物を、アーリマンは自分の目的を果たすのにおあつら
え向きの人間として注目するのです。そして機が熟したとみると、一定期間その人物の中
に入り込むのですこれがアーリマンの受肉です。
 アーリマンは胎児として母親の胎内に宿るのではありません。たとえばダンドロは生まれたとき
はごく普通の人間でした。しかし、後にトルコ人に目を潰されたとき、彼の心の中には暗
い怨念の炎が燃え上がったに違いありません。
「いつか必ずトルコ人に、東方世界に復習してやるぞ!」
と思ったに違いありません。


540:,
08/05/28 21:50:00 TD/3JVYb0

ダンドロは、次第に優れた政治経済に関する能力を身に付けていきました。
優秀な頭脳を持ち、しかも激しい憎しみの念を抱いているダンドロに、アーリマンは白羽の矢を立
てたのです。アーリマンは知性と悪意が結びつくのを好みます。知的なものによって、人と人が
争うのを見るのがすきなのです。
アーリマンは、こうして地上の世界に大変化を引き起こすのです。



【大予言45】地球の文化はすべて堕天使アーリマンの手に落ちるだろう。

再度、歴史を振り返ってみることにしましょう。こんどは中世だけでなく現代に目を移し
て見ましょう。
人類社会に巨大なダメージを与える存在というものは、いつでも登場したばかりの頃には
大衆の熱狂的な支持を受けるものです。

例えば、アドルフ・ヒトラー(1889~1945)がそのいい例です。
シュタイナーはアーリマンの登場について詳しく次のように語りましたが、わずか十年後にドイツにヒトラー
が登場した歴史的事実を、読者の皆さんはどうか意識をなさって読み進んでください。
さて、政権を獲得したばかりの頃のヒトラー人気は、すさまじいばかりのものでした。
その人気はドイツ国内にとどまらず、それを見たイギリスやフランスの政府までが、当初はヒトラーを指
示してきたのです。
こうした現象は、ヒトラーの場合に限らず、歴史上数多く見られます。


541:、
08/05/28 21:53:52 TD/3JVYb0

もし人間がアーリマンへと続く流れを正しい方法で理解し、洞察し、つい先日お話したような正
しい軌道へと向かうことがないならば、何が起こるでしょうか。そうなれば、アーリマンが特定
の時期に西欧世界に受肉するとすぐに、人類の文化はアーリマン化されることになります。アーリマ
ンは何をもたらすでしょうか。アーリマンは見事な技術を用いて霊視的な知識に関して、それま
では大変なくろうと努力と引き換えにすることによってのみ獲得することができたあらゆ
るものをもたらします。それがいかに計り知れないほど快適なものになるか、考えてみて
ください。人間は何もする必要がなくなるのです。人間は物質的に安心して生きることが
できるようになるでしょう。人間は戦争の破局(訳注 この講演は第一次世界大戦直後に
行われた)がやってきた後ですら、食べたり飲んだりすることができるようになるでしょ
う。そして、何らかの精神的な努力について、心を煩わせる必要もなくなるでしょう。アーリ
マン的な流れは、「美しく、善く」進行していくことでしょう。正しい時期にアーリマンが西欧世
界に受肉するならば、アーリマンは巨大な秘儀の学院を創設するでしょう。この秘儀の学院では
きわめて壮大な魔術が行なわれ、かつては苦労することによってのみ獲得できたものすべ
てが、人類の上に注ぎこまれることになるでしょう。私たちはここで、「地上に降りてくる
アーリマンが一種の悪魔のような姿をして、人間に対してできる限りの悪を働く」などと、俗物
的なことを考えてはいけません。そうではないのです。「私たちは精神科学について何も知
りたくない」という不正な人たちはみな、アーリマンの魔力に負けてしまうのです。というのも、
アーリマンは壮大な方法で、魔術によって非常に多くの人を例死者にすることができるからです。
アーリマンは個々の人間を恐ろしいほど霊視的にするでしょう。しかし、どのように霊視的にな
るかは、ここの人間でまったく異なっています。一人の人間の見るものは、2番目の人間

542:,
08/05/28 21:57:38 TD/3JVYb0
には、そして3番目の人間には見えないのです。人々は混乱し、霊視的な知恵の基礎を受
け取ったにもかかわらず、争いになったり、喧嘩したりするようになります。なぜなら、
様々な人間が見るものは、それぞれ極めてことなったものになるからです。しかしながら
最終的には、人々は自分の霊視能力にとても満足するようになるでしょう。というのも、
かれらはそれぞれレイシを覗き見ることができるようになるからです。しかし、その結果、
地球の文化はすべてアーリマンの手に落ちることになるでしょう。自分の力で身に付けなかった
ものをアーリマンから受け取ることで、人類はアーリマンの手に落ちるでしょう「今の状態にとどま
りなさい。君たちが望むなら、アーリマンは君たちを全員霊視的にするだろう。なぜなら、アーリマ
ンは大きな力を持つようになるのだから」というのは、人間に与えうる最も悪い助言になる
でしょう。その結果、地球上にアーリマンの王国が建設され、地球全体がアーリマン化されるでしょ
う。そして、それまで人間の文化によって築きあがられてきたものは、いわば崩壊してい
くことになには、そして3番目の人間には見えないのです。人々は混乱し、霊視的な知恵の基礎を受
け取ったにもかかわらず、争いになったり、喧嘩したりするようになります。なぜなら、
様々な人間が見るものは、それぞれ極めてことなったものになるからです。しかしながら
最終的には、人々は自分の霊視能力にとても満足するようになるでしょう。というのも、
かれらはそれぞれレイシを覗き見ることができるようになるからです。しかし、その結果、
地球の文化はすべてアーリマンの手に落ちることになるでしょう。自分の力で身に付けなかった
ものをアーリマンから受け取ることで、人類はアーリマンの手に落ちるでしょう「今の状態にとどま
りなさい。君たちが望むなら、アーリマンは君たちを全員霊視的にするだろう。なぜなら、アーリマ
ンは大きな力を持つようになるのだから」というのは、人間に与えうる最も悪い助言になる

543:,
08/05/28 21:58:34 TD/3JVYb0

でしょう。その結果、地球上にアーリマンの王国が建設され、地球全体がアーリマン化されるでしょ
う。そして、それまで人間の文化によって築きあがられてきたものは、いわば崩壊してい
くことになるでしょう。現代の人間が無意識的な傾向の中で欲しているよくないことが、
るでしょう。現代の人間が無意識的な傾向の中で欲しているよくないことが、
すべて実現されることでしょう。ここで問題となるのは次のような点です。つまり、霊視
的な種類の未来を再びアーリマンの手から取り去らなくてはならないのです。私たちはここで、
「本は1冊しかない。知恵は二つ存在しない。一冊の本だけが存在するのだ」と、言うこ
とができます。ここで問題となるのはその本を持つのはアーリマンなのか、それともキリストな
のかという点です。人類がそのために戦わないならば、キリストはその本を持つことはで
きません。そのために戦うことができるようになるためには、人類は「私たちはアーリマンが地
球上に現れる時点までに、自分自身の努力を通して精神科学の内容を獲得し終えていなく
てはならない」と、自らに向かっていう必要があります。これが、精神科学の果たすべき
宇宙的な仕事のないようです。精神科学の果たすべき宇宙的な仕事の本質は、「未来の学問
は、このままアーリマン的であり続けることはできないだろう」という点にあるのです。

                        (GA191     274)


544:,
08/05/28 22:00:00 TD/3JVYb0

再びヒトラーに話を戻しましょう
こうしてヒトラー人気は国の内外に急速に広まっていきました。ヒトラーの説くナチズムは「美しく、
善き」ものとして、熱狂的に受け入れられたのです。
 ヒトラーが「美」に執着したことは有名な話です。「美」に執着したこの独裁者は、絵画や古
美術の名品を世界中から掻き集めてコレクションしました。また、ヒトラーの元で開かれたベルリン・オリ
ンピックは、「美しい」ゲルマン民族の優越性を世界に見せ付けることを目的として開催されたの
です。シュタイナーはあるとき、シュトゥットガルト―一時期ここは人智学運動の本部がありましたー
ーの街頭に立ち、
「やがてこの都市も瓦礫の山となるだろう」
と、つぶやいたといわれています。
第二次世界大戦末期の連合軍の空爆によって、シュタイナーのこの予言はまさに現実のものとな
ったのです。
「自分の力で身に付けなかったものをアーリマンから受け取る」
というシュタイナーの言葉について、少し考えて見ましょう。
「あなたの潜在能力を開発する」といった触れ込みの講座が、いつも大流行です。いわく、
「頭がよくなる講座」「対人関係に強くなる講座」「人よりも早く本を読み、その内容を理
解するための講座」「積極的思考によって成功するための講座」など、数え上げればきりが
ありません。
たとえば理解力を身に付けるためには、本来私たちは何年も何十年も学習を続け、努力を
傾けなければならないわけですが、こうした講座では、それを短期的に、楽に身に付ける
ことができるというのです。なぜなら、そこでは誰かの手で開発された一定のプログラムにの
っとって能力開発が行われるからです。つまり能力を開発するのはその人ではなく、プログ
ラムなのです。
また、少し、前には、α波開発法というものがブームになりました。リラックスしている人間の脳
波を測定してみると、α波と呼ばれる波動が検出されます。。だから、人工的に人間の脳に
α波を発生させるようにすれば、ストレス解消にはなるし、集中力や記憶力も高まるというわ
けです。

545:,
08/05/28 22:01:58 TD/3JVYb0

 α波を開発したいと思う人は、ホッドフォンで特殊な音波を聴かせます。あるいは、点滅する
光を長時間見続けるように指示されます。たしかにその人の脳はα波を発し始めます。
つまり、自分の力ではリラックスできない人間を外側から機会の力でリラックスさせようというのです。
α波開発法のほかにも、CDやビデオなど様々な種類のリラクゼーション・グッズが売り出されてい
ます。またリラックスするための各種セラピーもあり、さらには薬物の類を用いてリラックスしようとす
る人も決して少なくありません。
現代人の多くは不安やストレスから自分を解放するために自分の思考方法を改めるのでなく、
現在の価値観にしがみついたままで、何らかの外的―機械的な方法でそれを実現しよう
としているのです。
これこそまさに、シュタイナーが予言した「秘儀の学院」ではないでしょうか。
アーリマンはこれからも、外側から物質主義的に人間の精神を変えていく方法を広めることでし
ょう。
こういう方法がさらに徹底されていくならば、もはや真に自由な人間は居なくなり、無図
からの精神のありようを機械や薬など外的・物質的なものに頼るほかない奴隷のような人
間が増え続けるのではないでしょうか。




【大予言46】人類の身に降りかかる困窮の中で、人々は非常に発明の才に恵まれるようになる。

アーリマンはある一人の人間となって、「地上の諸力の中から呼び出すことのできる力を洞察力
を用いてすべて利用するならば、人間はいかに途方もない洞察力を身に付けることができ
るか」ということを、人々に示すことでしょう。
                        (GA191 200~201)

546:,
08/05/28 22:03:14 TD/3JVYb0

シュタイナーがこう語った1919年から22年後に、世界は第二次大戦に突入しました。まさに、
「きわめて近い将来に人類のみに降りかかる困窮」
という予言の的中です。
それでは第二次世界大戦中に何がおきたでしょうか?
発明ラッシュです。ちょっと考えただけでも、原爆、細菌兵器、ロケットなどの発明が思い浮かび
ます。まさに、
「人々は非常な発明の才に恵まれ」
た、というわけです。
さらに、シュタイナーの予言に耳を傾けてみましょう。

【大予言47】世界の諸力や物質の中から、人間に栄養を与えるものがいくつも発見され
るだろう、、、しかし、人間は食べたり飲んだりすることで賢くなるが、精神的になること
はない。

、、、世界の諸力や物質の中から、人間に栄養を与えるものがいくつも発見されることでし
ょう。しかし、そうしたものが発見されるとき、人間は同時に「物質的なものがどのよう
に悟性の器官とー―精神の器官ではなく、悟性の器官とー―つながりあっているか」とい
うことを認識することでしょう。人々は、本当に賢くなるためには何を食べ、何を飲むべ
きかを学ぶようになるでしょう。人間は食べたり飲んだりすることで精神的になることは
できませんが、そのことによって非常に賢く、つまり洗練された方法で賢くなることはで
きるのです。
数年来、ドコサヘキサエン酸(DHA)のような物質を含んだ食物が、「頭のよくなる食品」とし
て注目を集めるようになりました。他にも健脳食とか頭脳開発食などと銘打たれた食品は
続々と売り出されています。こうした健康食品ブームはまさに、シュタイナーが今世紀初めに予
言したとおりの事態となっているのです。私たちは食べることを通じて、できるだけ賢く
なろうとしているのです。
前章でも別の角度から見たとおり、現代人の知性に対する欲求はそれほど強いのです。
しかし、ここでシュタイナーが指摘している「賢くなる」ということと、「精神的になる」という
ことは、どのようにちがうのでしょうか?
さらにシュタイナーの言葉に耳を傾けてみることにしましょう。

547:,
08/05/28 22:04:34 TD/3JVYb0



物質的な脳は、抽象的な思考を生み出す。

人間は実際、すべての素質としては精神的―魂的なものからなりたっています。この精神
的―魂的なものは、私たちが受胎し、誕生する前から生きています。精神的―魂的なもの
は、以前の地球上での受肉から次第に生じてきたものです。それは霊界を通過してきたの
です。そしてそれは、この地上で肉体を受け取ることによって、神経システム、骨格システム、
血液システムから成り立つ物質的な構造を作り出します。つまりここに「精神的―魂的人間」
と、その似姿である「物質的―肉体的人間」の二つが出来上がることになります。そして、
私たちが通常の抽象的思考をするとき、何が私たちの内部で考えているのでしょうか。そ
のとき考えているのは、精神的―魂的人間ではありません。私たちが抽象的に思考し、地
上的な論理を最も働かせるまさにそのとき、私たちの中では肉体的な脳が思考しています。
「脳が思考する」という唯物論者たちの主張は、抽象的な思考がなされる場合にはまった
く正しいのです。物質的な脳は、精神的な脳の摸造に過ぎません。そして、この摸造とし
ての物質的な脳が、抽象的思考という一つの構造を生み出すのです。私たちがこのことを
知っておくのは、とても重要なことです。ですから私たちは「抽象的に思考する場合には
脳が考える」と、いうことができるのです。
                        (GA197  124~125)



548:、
08/05/28 22:22:28 TD/3JVYb0


脳だけを働かせる場合には、私たち人間は地上的な論理の世界にのみ関わっているのです。
人間と自然あるいは自然の諸現象相互の関連や、人間と宇宙との繋がりなどは、抽象的な
論理でとらえることはできません。それは、私たちが精神や魂を働かせて思考するときに、
初めてとらえられるものなのです。したがって、食物によって脳を刺激しても抽象的すな
わち論理的な思考力(=悟性)は発達することがあるとしても、精神や魂はまったく発達
することはないのです。
 論理性ばかりが発達し精神や魂が発達しなければ、私たち人間は何をするか、何処へ行
くか解りません。
私たちの周辺で、毎日のように起きている忌まわしい出来事の数々、特に青少年が起こし
ている諸事件は、何を物語っているのでしょうか?
一日も早く相した社会問題の真の原因を理解し、これまでの生き方・考え方を改めなけれ
ばならないと、それらの事件は私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

ルドルフ・シュタイナーの大予言――了



549:,
08/05/28 22:39:52 TD/3JVYb0

















,

550:,
08/05/28 22:42:17 TD/3JVYb0
>>464 の続き

ロマスとナイトがフリーメーソンリーに加入したのは、純然たる好奇心からだった。その儀式の起源を知り
たいと考えたのだ。一般に、フリーメーソンリーは中世のギルドに起源を持つと考えられている。シャル
トルやサン・ドニなどの建築家たちによる一種の組合だ。だがロマスとナイトは、その儀式を詳しく調
べていくうちに、フルーメーソンリーはそれよりはるかに古いものであり、イエスとその弟ヤコブの時代
のイェルサレム教会にまで遡るものである事を確信した。しかも、その伝承自体はさらに古く、
紀元前9600年の洪水にまで溯るというのである。

 ロマスとナイトが特に興味を引かれていたのは、スコットランドにおける最も注目すべき宗教建築―
―エディンバラ近郊のロスロリン礼拝堂だ。
 私は、1996年5月、エディンバラ滞在中にジョイとともにここをたずねた。それは15世紀半
ばのテンプル騎士、ウィリアム・セント=クレアによって建立されたおどろくべき建物で、キリスト教のものと
いうより異教のものに見える。壁も柱も、つたや花、果実の彫刻で埋め尽くされており、「グ
リーンマン」と呼ばれる異教の像が至るところにある。

 キリスト教の教会で、この怪物はいったい何をしているのか?神話においては、彼は春にお
ける植物の復活を表し、彼を中心とした異教の祭りが行われた。

 もう20年以上も前に書いた「ミステリーズ」(1978)という本で、私は、月の女神ディアナ
を崇拝する古代の宗教を論じた。それはキリスト教によって追放されたが、死に絶えたわけで
はない。すでに述べたように、マーガレット・マレイという奇矯な学者は、魔女術とは実際にはディ
アナ崇拝に基づく宗教だったと論じている。魔女裁判で言及される、悪魔が主宰する魔女の
サバトというのは実際には異教の豊穣祭であり、これを主宰していた祭司長は山羊の足と角
を持つ神パンに扮していたという

551:,
08/05/28 22:43:48 TD/3JVYb0

 キリスト教の教会で、この怪物はいったい何をしているのか?神話においては、彼は春にお
ける植物の復活を表し、彼を中心とした異教の祭りが行われた。

 もう20年以上も前に書いた「ミステリーズ」(1978)という本で、私は、月の女神ディアナ
を崇拝する古代の宗教を論じた。それはキリスト教によって追放されたが、死に絶えたわけで
はない。すでに述べたように、マーガレット・マレイという奇矯な学者は、魔女術とは実際にはディ
アナ崇拝に基づく宗教だったと論じている。魔女裁判で言及される、悪魔が主宰する魔女の
サバトというのは実際には異教の豊穣祭であり、これを主宰していた祭司長は山羊の足と角
を持つ神パンに扮していたという

コーンウォールへ帰る列車の中で、私はロスロリンの書店で買い求めたロバート・ロマスとクリストファー・ナイトによ
る「ヒラムの鍵」(1996 邦訳は封印のイエス 学研)を読んだ。ロスロリンを中心テーマとする本だ。
そして私は、ウィリアム・セント=クレアが何らかの興味深い―そして非キリスト教の―秘儀の守護者
なのではないかという疑いを強くしたのだ。

 現代のフリーメーソンは、彼等の奇妙な参入儀礼―首に引き縄、片足に上靴、もう一方の裾を
膝までまくりあげ、一連のわけのわからない質疑応答を受ける―は、純然たる創作だと
考える傾向がある。だがロマスとナイトは、これこそが秘密の暗号だと考えるに至った。

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スレリンク(psycho板:370-377番)


552:,教会の虚偽を暴露する死海文書
08/05/28 22:46:22 TD/3JVYb0
URLリンク(ja.wikipedia.org) 死海文書


教会の虚偽を暴露する死海文書

当然ならが、教会は、このようなキリスト教発生の顛末を完全に否定し続けてきたし、それに
対する反論も存在しなかった―1947年までは。この年、死海の畔のクムランに近い洞窟で、
あるものが発見された。それは教会の屋台骨を揺さぶるものとなったのである。

 1947年の初頭のある日、ベドウィンの羊飼いの少年が、いなくなった山羊を探してクムラン
の断崖を歩いていた。そして下からは見えない洞窟を見つけたのだ。石を投げてみたとこ
ろ、何か陶器が割れたような音がする。そこで彼は崖をよじ登り、洞窟の床に降りた。そ
こには沢山の陶器の壺があり、それぞれ高さ2フィート(約60センチ)ほどだった。

 ひとつの壺には、ボロボロになった亜麻布で包まれた革の巻物があった。貧しいアラブ人
にとって、その壺は中身よりの価値あるものだった。いくつかの壺は持ち去られ、水入れ
にされた。巻物の一部は焚き付けにされた。そして一部はキリスト教徒の古物商のもとに届い
た。彼はそれを大司教に見せた最終的に巻物の一部はイェルサレムのドミニコ会が運営する考古学研
究所に届き、そこで贋作と鑑定された。だが翌年3月、ジョンズ・ホプキンズ大学のウィリアム・F・
オルブライドは、それが紀元前100年のものであると発表したのだった。


553:,
08/05/28 22:47:39 TD/3JVYb0

323 KB

 実際には、また、別の古代の巻物が、その2年前にエジプトのナグ・ハマディで発見されてい
るのだが、これについては後ほど述べる

クムランでさらに多くの死海文書が発見されると、それはイェルサレムのパレスティナ考古学研究所に
運び込まれた。俗にロックフェラー博物館と呼ばれるこの研究所は、ガチガチの保守派であるドミニコ
会士ローランド・ヴォの後見を受けていた。そして死海文書はまだ、学会からさほどの注目を集
めてはいなかった。というのも、それは既知の旧約聖書、たとえばイザヤ書などの古代の写
本に過ぎないとされていたからだ。だがド・ヴォがその真の重要性に気づくや、彼はこれを
隠蔽することが教会のためだということに気づいた。実際、死海文書はローマ・カトリッ
ク教会の土台が虚偽であることを明らかにするものでだったのである。

 だが1954年には、これらすべてのことが暴露される寸前となっていた。その首謀者は、
国際学者チームのイギリス代表である一匹狼の学者ジョン・M・アレグロ。まず第一に、純真なアレグロ
は、彼がともに仕事をしているチームのメンバーはまったく私心なき学者たちだと思い込んでい
た。つまり、この巻物にはイエスが神などではなく、単なるユダヤ人の反逆者だと書かれている
という事実を公開しても、誰一人とがめるものはいないだろうと。だが、やがて彼は気づ
くことになる―文書の公開が遅れに遅れていること自体が隠ぺい工作の一端であり、公
開済みのものは難解な内容のものに限られているという事実に。かくも彼は行動を決意し
た。




554:,
08/05/28 22:49:28 TD/3JVYb0

 学者たちの隠ぺい工作に気づいたのは、アレグロが最初ではない。アメリカの文芸評論家エドマン
ド・ウィルソンは、1955年に「ニューヨーカー」誌にこの文書をテーマとする記事を書いた。これが好評を
博し、彼は同じ主題で本を書くことにした。左翼で反カトリックだったウィルソンは、すぐに何
らかの陰謀に気づいた。何らかの引き延ばし工作が行われていることは明らかであり、ま
たロックフェラー博物館の学者チームと鋭く対立する学者たちも存在していた。たとえばソルボンヌ大学
のアンドレ・デュポン=ソメ教授は、その5年前に、死海文書の中で磔刑に処せられたと記されて
いる(義の教師)が極めてイエスに似ていることを指摘し、カトリック側から集中砲火を浴びていた。

 1956年、ジョン・アレグロはイギリス北部で、死海文書に関して3回ほどラジオで喋った。
そしてド・ヴォのチームにいる友人に対して、あまり神学に縛られないように、なぜなら「私
がそこで研究を終えるころには、君が属すべき教会はどこにもなくなっているだろうから」
と述べた。

彼の放送はイギリスではほとんど反響はなかったが、「ニューヨーク・タイムズ」に採り上げられ、初
期クムラン文書はキリスト教の起源がイエスよりも100年ほどまえにあると述べているようだ、と
書かれた。「タイム」誌もまた、「キリスト以前の磔刑」と題する記事でこれに続いた。今や、カトリッ
クの学者は守勢に立たされた。エドマンド・ウィルソンは無知な素人として一蹴することができたが
彼ら自身のチーム内にいる学者ははるかに厄介だった。

 彼等の次の一手は、アレグロを驚愕させた。彼を弾劾する公開書簡を「ザ・タイムズ」に連名
で載せ、(義の教師)とその磔刑に関する彼の主張を否定したのだ。死海文書にはそのよう
な内容は何処にも書かれていない、と彼らは断言した。彼らがわざわざこの騒動を公にし
たことは、アレグロにとっては意外だった。彼は死海文書を隠蔽しようとしていたのではなか
ったか?だが実際には、それは完全に抹殺する作戦の第一歩だったのである。なのに純真
な彼は、依然として自分が研究チームの一員であり、ドヴォや他のメンバーとも論争はす
るが、友好的な関係を続けている、と信じていたのだった。


555:,
08/05/28 22:54:13 TD/3JVYb0

もうひとつ、(銅の巻物)に関する微妙な問題があった。これは1952年にクムラン洞窟で発見
されたもので、文字が刻まれていた。2つの断片があり、いずれも巻き取られていたが、も
ろさのために開くこともできなかった。アレグロの友人であるマンテェスター大学のH・ライト=ベイカー教
授が、これを寸断して読めるようにする機械を工夫した。こうして、それは神殿から持ち
出された財宝の目録であることが判明した。

またしてもド・ヴォのチームは困惑した。エッセネ派は神殿を営むサドカイ派の敵であるとされていた
のに、この発見はそれを覆すものだ。国際チームはそれまで、エッセネ派というのは孤立した
カルトであり、たいした重要性は持たないと主張していた。だが明らかにそうではないことが
判明したのだが、ド・ヴォが(鋼の巻物)のことを秘密にしようとした理由はそれだけではない。
もしも隠された財宝のことが公になれば何千というベドウィンが手に手に鍬を持ってクムラン
に殺到するだろう。だからこれについては口外しないように言われたとき、アレグロは納得し
た―それに、遅かれ早かれそのこともまた明らかにされる日が来るだろう。そんなわけ
で、彼は当時執筆中であった死海文書についての本の中ですら、そのことに触れていない。
だが1956年5月、最終的な公式発表が行われた。財宝は虚構であり、いずれにしてもクムラ
ンとは関係ないというのだ。これを聞いて、アレグロは騙まし討ちされたと感じた。
 
もうひとつ、(銅の巻物)に関する微妙な問題があった。これは1952年にクムラン洞窟で発見
されたもので、文字が刻まれていた。2つの断片があり、いずれも巻き取られていたが、も
ろさのために開くこともできなかった。アレグロの友人であるマンテェスター大学のH・ライト=ベイカー教
授が、これを寸断して読めるようにする機械を工夫した。こうして、それは神殿から持ち
出された財宝の目録であることが判明した。


556:、
08/05/28 22:59:46 TD/3JVYb0

 アレグロがヨルダンを説得し、ロックフェラー博物館を国有化させたとき、彼の勝利は確定したかのよ
うに見えた―それは1966年末に実現した。だがその後、1967年に6日戦争が勃発、イェ
ルサレムはイスラエルの領土となった。そしてイスラエルは、教皇と事を構えることを望んではいなかっ
た。かくしてロックフェラー・チームは、その最高の収蔵品相手に時間つぶしを続行することを許可
された。

 そして驚くべきことに、アレグロはまんまと敵の術中にはまってしまったのだ。1970年、彼
は「聖なるキノコと十字架」という本を書いた。同書は文献学に基づいて、イエスは実在しなか
ったと論じていた。イエスとは、当時豊穣崇拝で用いられていた幻覚性キノコによって呼び起こ
された神格の象徴だったというのである。

 まさに荒唐無稽な説だ。特に、アレグロ専門であるエッセネ派の文書によれば、イエスの―
あるいは、少なくとも磔刑に処せられた(義の教師)の―実在には疑いの余地はない。
それに、こんな途方もない奇説を唱えたからといって、アレグロ自身が薬物を摂取したと非難
されるいわれはまったくない。そもそも彼は酒もタバコもやらないのだ。
 だがいずれにせよアレグロは自爆し、ロックフェラーチームに勝利を譲った。彼は学会での地位も一般
的な人気も取り戻すことはなかった。1988年、彼は53歳で急死した(宿敵ド・ヴォは1972
年に死んでいた)。もう二年ほど長生きしていたら、ド・ヴォ・チームの有力なメンバーである出
版部長ジョン・ストラグネルの自爆が見られたのに、と思うと残念だ。

 メンバーの多くがそうであったようにストラグルもまた強烈な反ユダヤ主義者だった。1990年
11月、イスラエルが死海文書出版プロジェクトの共同編集長として同国の学者エンマヌエル・トヴを指名す
ると、ストラグネルはインタヴューに答えて、ユダヤ教の事を「恐るべき邪教、、、、キリスト教の異端」と述
べた。さらに彼は、哀愁的な解決手段はユダヤ人全員がキリスト教に改宗する以外にない、と付
け加えた。彼の見解は全世界に伝えられ、数週間もしないうちに彼は解雇された。


557:本当にあった怖い名無し
08/05/29 02:19:36 6SQlDsk60
>>509
これは優生学といえる代物ではない。単純すぎるので詳しくは書かないけど、
もうすでに行われている。
悪人の魂が生まれて来ない世の中になる、天国の霊界の人しか生まれて来れなくなる
って言われていたけれどこんな単純なことだったのかw

しかし、世の中そんなに甘くない。


558:、
08/05/29 07:44:29 R3gDRYMv0


 死海文書へのアクセス権を巡る戦いが終結したのは、1991年9月のことだ。このとき、カリフォ
ルニアのハンティントン図書館は、死海文書の完全な写真一組を所有していることを宣言して、ロックフェ
ラー・チームを意気阻喪させた。それは1953年、ド・ヴォが支配を確立する以前に委託されたも
のだという。ド・ヴォ・チームはその返還を求めたが、黙殺された。そしてハンティントンは、それを
マイクロフィルム化し、わずか10ドルで研究者に提供する予定である旨を発表したのだ。そんなわ
けでついに死海文書は公にされた。



559:、
08/05/29 07:45:28 R3gDRYMv0

ロスロリン礼拝堂の真実、、、

ロマスとナイトによれば、元来のイェルサレム教会はエッセネ派を源とするものであったが、ティトゥスが神殿を
焼き払い、そこに残っていたエッセネ派を皆殺しにしたために壊滅した。だがその伝承は、さ
まざまな文書に生き残った。ロマスとナイトは、アレクサンドリアのクレメンスの書簡の存在を知った。彼は2
世紀の神学者で、秘密の福音書、それにイエス自身が行っていた秘密の儀式について語ってい
る。

 そういえば、マンダヤ教徒、つまりティトゥスによる大量虐殺の前にペルシアに逃れたナザレ派(すな
わちエッセネ派)は、洗礼者ヨハネを崇拝してイエスを反逆者と見なしていた。そして彼等の儀式
はフリーメーソンリーのそれにそっくりだった。彼等の儀式は、フリーメーソンリーがエッセネ派とそのイェルサレム教
会にまでさかのぼることができるというロマスとナイトの説をうらづけるように見える。

 言い換えれば、エッセネ派は秘儀参入の儀礼を行っていたのであり、そこには特別に許可さ
れた候補者しか参加が許されず、その式次第の中にはフリーメーソンリーと同様、儀礼的な死と再生
が含まれていた。

66年のユダヤ戦争開始直後、奇妙な出来事が起こった。この事件に関しては、歴史家もまだ
完全には理解していない。ウェスパシアヌスがパレスティナに派遣される前に、ケストゥス・ガルスというローマ
人が、強力な軍を率いて到着し、イェルサレムに向けて進軍した。彼らはほとんど無敵で、神殿
を包囲し、その城壁を破壊した。それから、突然考えを改め、撤退したのだ。


560:、
08/05/29 07:46:18 R3gDRYMv0

66年のユダヤ戦争開始直後、奇妙な出来事が起こった。この事件に関しては、歴史家もまだ
完全には理解していない。ウェスパシアヌスがパレスティナに派遣される前に、ケストゥス・ガルスというローマ
人が、強力な軍を率いて到着し、イェルサレムに向けて進軍した。彼らはほとんど無敵で、神殿
を包囲し、その城壁を破壊した。それから、突然考えを改め、撤退したのだ。

 あっけにとられたユダヤ人は、ヤハウェが助けてくれたのだと考えるしかなかった。エジプトか
ら脱出するイスラエル人を助けてくださったように、だ。彼らは退却するローマ人を襲い、6000人
を殺した。

 ローマはすぐに報復に出て、ウェスパシアヌスを派遣した。彼はユダヤ人の都や町を一度に一つずつ
破壊しながら進軍した。反逆者たちの根城を絶やすためだ。4年以上要したが、最終的には
ローマの勝利、ユダヤの敗北に終わった。

 ケストゥスがイェルサレムに進軍していたちょうどそのころ、エッセネ派がその聖文書の隠匿に動いてい
たことはほぼ確実だ。あまり重要でないものはばらばらにして壺にいれ、死海を見下ろす
洞窟に隠した。だが最も重要な文書は、神殿の地下に隠したのだ。ロマスとナイトによれば、こ
れらの文書こそテンプル騎士団の発見したものだという。

だが、ウィリアム・セント=クレアがロスロリンを建てたのは、イギリス最初のフリーメーソンが記録に登場するより2
世紀も前だ。にもかかわらず、セント=クレアがフリーメーソンだ、などということがありえるのだろう
か?


561:、
08/05/29 07:47:51 R3gDRYMv0
333 KB

 ロマスとナイトはロスロリンで多くの証拠を発見し、それを「ヒラムの鍵」や「第二のメシア」(1
997)などに発表したが、中でも最も説得力のある証拠はロスロリンの外の壁にあった彫刻だ。
そこに記されているのは、フリーメーソンリーの儀礼だ。参入者は目隠しをされ、首には縄がかけら
れている。その縄を手にしているのは、外套に十字を染め抜いたテンプル騎士だ。

 セント=クレアがテンプル騎士であり、そしてテンプル騎士はまたフリーメーソンであったことは間違えない。

 実際、ロマスとナイトによれば、ロスロリンの建立こそ、イギリスにおける最初のフリーメーソンリーの出現を示
すものだという。

 ロマスとナイトは、ロスロリンのセント=クレア家の歴史を調べている。(同家の始祖である)ギョーム・ド・
サン=クレールはノルマン人で、1066年の征服王ウィリアムと代々同じころに渡来したらしい彼はギョーム上
品王と呼ばれている。彼の息子がアンリ・ド・サン=クレールで、彼は1095年に第一回十字軍に従軍
し、ユーグ・ド・パイアンとともに戦い、彼とともにイェルサレムに入城した。ユーグはアンリの姪である
カトリーヌ・ド・サン=クレールと結婚した。つまり、セント=クレア家とテンプル騎士団の繋がりはきわめて強
いのだ。

 1307年にテンプル騎士団の艦隊がラ・ロシェルを出帆したとき、一部の騎士たちはスコットランドに向
かった。そこにはテンプル騎士団の最盛期である1140年に、キルウィングという修道院が作られて
いた。それはグラスゴーのすぐ南で、テンプル騎士団の中枢基地だった。当然ここは避難所とな
っただろう。特に、さほど遠くないロスロリンにはセント=クレア家がいたのだ。

562:、
08/05/29 07:49:07 R3gDRYMv0

 スコットランド王ロバート・ザ・ブルースは教皇から破門されたていたので、テンプル騎士団はスコットランド
では恐れるものは何一つなかった。「ヒラムの鍵」で提唱された主要な仮説の一つは、ロスロリン礼
拝堂がヘロデ神殿の複製として造られた、というものだ。(驚くべきことだが、ヘロデの神殿と
いうものは小教区の教会ほどの大きさしかなかったのだ。)その目的は、テンプル騎士団の最
も重要な「財宝」である貴重な文書を収蔵することである。彼等によれば、ロスロリンの未完成
の外壁は、単にその時点で工事が中断したかのように見えるが、実際にはそれはヘロデが再
建したソロモン神殿の未完成の壁を模したものなのだという。

 1447年、ロスロリン礼拝堂がまだ建造中だったころ、ロスロリン城の本丸で火災が発生した。ウィリ
アム・セント=クレアは狂乱した―だが城付司祭がすでに文書を入れた4つの巨大な櫃を避難させ
ていたことを知って、彼は一転安堵した。記録によれば、それを聞いて彼は「元気を取り
戻した」。ロマスとナイトによれば、「文書」を入れた4つの櫃を、本丸自体よりも重視するとい
うのは奇妙な話に聞こえる―ましてや、彼の妻や娘はまだその中にいたのである。だが、
もしもこの櫃の中に、ロスロリン礼拝堂に納めることになっている、イェルサレムからもってきた秘密
文書があったのだとすれば、彼の奇妙な優先順位もよく解ると言うものだ。

 これらのすべては、ウィリアム・セント=クレアがフリーメーソンであったこと、そしてエッセネ派とフリーメーソンリー
の間に直接の血の繋がりがあったことを明瞭に物語っている。

 そしてそれは、カトリック協会が常にフリーメーソンリーを敵視していた理由にもなる。エッセネ派は、ユダ
ヤの宗教権力に対する叛逆者だった。イエス自身、祭司たちとローマ権力に対する叛乱を率いよう
とした叛逆者だった。聖パウロは自分で勝手に新宗教を捏造した。バーナード・ショーの言う「十
字架教」だ。それは今なお、カトリック教会となって残っている。テンプル騎士団は真実を知
っていた―彼らはイエスが神の子であるという認識を否定した。それゆえに彼らは十字架に
唾をしたと告発され、死ぬまで拷問にかけられたのだ。そしてそれゆえにロスロリンはキリスト教の
教会ではなく、グリーンマンの図像が満ち充ちているのだ。


563:、
08/05/29 07:51:08 R3gDRYMv0

フリーメーソンリーの起源

だが大きな疑問が残っている。なぜロスロリンはソロモン神殿の複製なのか?なぜソロモン神殿はフリーメーソ
ンリーの中心なのか?そしてその建造者ヒラム・アビフは、フリーメーソンリーにとってかくも重要なのか?
その参入儀礼では、3人の職人によるヒラムの殺害が再演され、しかる後に参入者は再生する。

彼が再生するとき、特定の言葉が発音される。まるで戯言の様な言葉だ。(マアト・ネブ・
メン・アア・マアト・バア・アア)。

だがクリストファー・ナイトは偶然、「マアト」が古代エジプト語であることを知った。それは元来、神
殿の基礎のように「秩序ある左右対称の」という意味であり、その後、正義や真実を示す
言葉となった。つまりフリーメーソンリーにおいて極めて重要な役割を果たす概念だ。ナイトによれば、
あの「戯言」は実は古代エジプト語であり、その意味は「マアトの支配者は大いなるかな、
マアトの霊は大いなるかな」の意味だという。


564:、
08/05/29 08:12:33 R3gDRYMv0
 テュロス出身のヒラムは、単に神殿大工ではなく、工事全体を監督していた棟梁らしい。
そして彼は部下である3人の職人に襲われ、3発の打撃を受けて殺されるそれはどうやら、
彼が秘密の合図を出すのを拒んだためらしい。その合図があれば、彼らは実際よりも高い
階級(および高い賃金)を主張することができたのだ。とは言うものの、実にまったく疑
わしい話だ―高い階級の合図を知っていたところで、ちょっと仕事をさせてみれば、大
工の腕などすぐにばれるのではないか。ロマスとナイトは、ヒラム・アビフの物語には何らかの重要な
歴史的事実が隠されていると睨んだ。

 さらに、フィウリーメーソンリーの儀礼には、なぜあれほどまでに起源が古代エジプトであることを
ほのめかす象徴に満ちているのか?なぜ大ピラミッドは、フリーメーソンリーの中心的なシンボルの一
つなのか?現代アメリカの祖父たちは全員がフリーメーソンであったが、1ドル紙幣の中にピラミッド
のシンボルを置いたのは他ならぬ彼らである。

旧約聖書では、ユダヤ人とエジプト人は深い繋がりがある。そこでロマスとナイトは、その答
えは両者が登場する歴史的事件にあるに違いない、と考えた。そしてその事件は、ソロモンが
神殿を建てるよりもはるか以前に起こったのだろう、と。

 さて、「創世記」によれば、ユダヤ人の登場はヤコブが天使と格闘し、その名をイスラエルと改
めて以後だ。そして彼の12人の息子の名が、イスラエル12支族の名となった。後に見るように、
その年代は紀元前16世紀半ばごろと見られる。

ユダヤ人の歴史家ヨゼフスは、「牧人王」ヒクソスと旧約聖書のヘブル人を同一視している。ヒクソスは
実際にはセム人とアジア人の混成集団で、紀元前1750年ごろにエジプトにやってきた-―侵略者
ではなく旱魃を逃れてきた難民だったのである。彼らは紀元前1630年ごろに権力をつかみ、
108年にわたって支配したが、テーベ(現ルクソール)で始まった叛乱をきっかけに、追放の
浮き目にあう。現代の学者はヨセフスが完璧に正しかったとは考えていないが、ユダヤ人の祖先
の中にヒクソスが含まれていることにはほとんど疑いの余地がないようだ。ヒクソスの王はエジプト
北部(下エジプト)を納めていたが、テーベを支配していたのは伝統的なファラオ、セクエンエラだった。
そして彼の長男が叛乱の首謀者となる。


565:、
08/05/29 08:18:03 R3gDRYMv0

 ロマスとナイトは問う―ヒラム・アブフの物語に合致するエジプトのファラオはいるだろうか?
 事実、存在した―それも、たったひとり。それはセクエンエラその人だった。
 この当時のヒクソスの王は、アポフィスもしくはアポと呼ばれていた。クリストファー・ナイトは、「アポビの
打倒の書」と呼ばれるエジプトの祈祷書を思い出した。彼を倒すための呪文が満載された本
だ。さらに、ヒクソスの王は暴風神セトを崇拝することで人気を落としていた。ほとんどのエ
ジプト人はセトを悪神と見なしていた。

 ファラオが王座に就くとき、彼は自ら神に―特に、オリシスの息子ホルスになる儀式を行
う。そして彼が死ぬと、今度はオリシスになる。このとき、死体の口を手斧でこじ開ける「開
口の儀式」と呼ばれる重要な儀式が行われる。こうして王の魂は天上に昇り、神々と出会
い、そして神と民をとりなすという役割を負う。

 なぜアポピはこの秘密の儀式を知りたがったのか?2世紀を経てヒクソスはすっかり「エジプ
ト化」され、実際にこの儀式によってファラオが神になると信じるようになったからだ。彼らは
成り上がり者を自覚し、真にエジプト人になることを欲していた。そして当然ながら、フ
ァラオ・アポピは神になることを望んだ。(当然ながらこの段階では、ヒクソスはその後も1000
年にわたってエジプトを支配するつもりでいた。)

セクエンエラは、東部に打撃を受けて死んだ―そのことは、残されたミイラから判明してい
る。ロマスとナイトは、頭部に傷をおい、片目のないグロテスクなミイラ写真を挿入して
いる。彼を殺す動機が最も明らかなのは、ヒクソスのファラオ・アパピだ。
もしセクエンエラがヒラム・アビフの原型であるのなら、3人の殺人者が彼から聞き出そうとした秘
密は、新たに戴冠したファラオをホルスに変える儀式だったにちがいない。



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