テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ドat OCCULT
テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ド - 暇つぶし2ch443:、
08/05/01 20:13:50 P4MmwHZh0

 ところが近年、歴史家の間では、テンプル騎士団は冤罪を着せられたまま滅
ぼされたのではないか、という説が有力になりつつあります。当時のフランス国
王フィリップ4世は異常なまでに黄金に執着した人物でした。どうやらフィリップ4
世はテンプル騎士団の莫大な富を手に入れるために、騎士団そのものを滅ぼし
た、というのが事件の真相のようです。またテンプル騎士団と魔術の関係に関
しても、このときの宗教裁判がどれだけ公正なものであったか、疑問視する
歴史家は少なくありません。当時の宗教裁判では、容疑者は拷問による自白
を強制されるのが常でした。捕らえられたテンプル騎士団の団員たちは拷問に
よって、自分たちが悪魔を崇拝しているという、偽りの自白を強要された可
能性が高いのです。テンプル騎士団の宗教裁判に関しては、カトリック教会の
関係者も関与していたのではないか、とする説もあります。現代に至っても
なお、テンプル騎士団は解明されない多くなのぞを残したままなのです。

シュタイナーは、早くから、テンプル騎士団事件の精神科学的意味について注目してきました。

 たとえばシュタイナーは1916年の「人類の内的な進化の衝動  ゲーテと19
世紀の危機」という連続講義の中で、テンプル騎士団の霊的な役割について言
及しています。シュタイナーは時の権力者の行動に注目するだけでなく、さらにテン
プル騎士団が壊滅するように背後から操っていた霊的な力に目を向けます。
なぜなら精神科学的に見るとテンプル騎士団の責任者そのものを糾弾すること
よりも、この事件にかかわった人々を内面から突き動かしていた霊的な衝動
を解明するこのとほうがはるかに意義があるからです。このようなテンプル騎
士団についての考察は、今回の黙示録講義において、さらにいっそう深めら
れます。なぜならテンプル騎士団事件は、第二の666の年と密接なつながり
を持っているからです。 


444:本当にあった怖い名無し
08/05/03 01:35:09 qz/h4L/J0
>>410
>知らず知らずのう
>ちに人間の内面は荒れ果て、人々は他者に対する友愛の気持ちをなくしてい
>きます。そこにソラトにつけ込まれる隙ができるわけです。

友愛という表現、翻訳は適切なのでしょうか?

445:尊き一念一釘一打を
08/05/03 08:36:05 OJThLL/+0
>>1
【追儺】胡錦濤の日本接近阻止祈願スレ2【退去】
スレリンク(occult板)

皆さんの尊き祈願を一日一つでも二つでも書いてください。塵も積もれば山となります。
この国を護りましょう。どうか一度だけでも良いので貴方の国を護りたい思いをこのスレに
打ち込んでください。5月5日までに20スレ完成で願いは実現します。世界中の人達が
中国の横暴に対して怒りに燃えているので我々日本人は先駆けてその怨念の通る道筋を
神仏に祈願するだけで良いのです。神風は吹きます。雷も落ちます。天変地異、災い
何でもありで天にお任せしながら祈りを捧げてマコトを形にしましょう。

尊き1票を!尊き1レス祈願をお願いします。

中国はチベットと同様な侵略を政治的威圧で行って来ています。今、阻止しないと
日本の数年後は悲惨です。真剣に気が付いてください。この日本の危機を!


446:、
08/05/04 07:44:07 nIorFx9J0

当時この騎士団が1312年に滅亡するまでは、
そしてジャック・ド・モレー(1295年よりテンプル騎士団の総長を務めた人物)が1314
年に死ぬまでは、心安らかに過ごすことができなかった人々がいました。こ
のような人々の心と魂の中に(つまり宇宙的なキリストの、宇宙のかなたまで目
を向けようとするキリストの敵対者であった人々の心の中に)ソラトは再びよみが
えったのです。そしてまさにテンプル騎士団の全員を殺すために、ソラトは、
少なからぬ部分において、当時のローマ教会の意向を利用しました

テンプル騎士団が逮捕され、裁判にかけられたとき、その敵対者の中に入り込
んでいたものこそ、ソラトだったのです。ソラトは当時のフランス王国ばかりで
はなく、ローマ教会にまで影響を及ぼし。テンプル騎士団を滅ぼすように仕向
けました。
 それだけではありません。

 シュタイナーによれば、このときソラトは拷問にかけられた団員たちに憑依し
テンプル騎士団について偽りの自白をさせたのです。

ソラトの作用を受けた結果、テンプル騎士団の団員は自分たちの行いについて誹謗し
ました。そのため人々は、テンプル騎士団の団員自身の口から出たものに対して、正
当な告発をすることができたのです。このとき人々の前に、恐るべき光景が繰り広
げられました。すなわち、まったく別のもの(太陽存在としてのキリスト教に関する教
義)を信じていた人々が、拷問にかけられている間はそれについて話すことができ
ず、むしろソラトの軍団からやってくるさまざまな霊達が、彼らの口を通して語っ
たのです。つまり、テンプル騎士団に属する人間の口から、この騎士団そのものにつ
いて、きわめて不名誉な事柄が語られることになったのです。


447:、
08/05/04 07:46:30 nIorFx9J0

拷問にかけられたテンプル騎士団の団員たちは、騎士団そのものを誹謗するよ
うなことを語りました。そのため、当時の人々は、それを動かぬ証拠と決め
付けていたわけですが、このときすでにテンプル騎士たちはソラトによって内面を
支配されていました。テンプル騎士の口を借りて騎士団と魔術の関係について
嘘の自白をしたのはソラトだったのです。ソラトは、テンプル騎士団の中にまで入り
込み、この騎士団を内面から滅ぼそうとしたのです。

 なぜならソラトはこれほどまでにテンプル騎士団に攻撃を加え泣けてはならな
かったのでしょうか。その最大の理由はテンプル騎士団の教義にあります。

 すでにお話したとおり、初期のキリスト教では「キリストは太陽の守護神であ
る」という教義が守られていましたが、カトリック教会が強大になるにつれ
て、このような教義は異端として退けられるようになりました。そして父な
る神と人間のつながりのみを重視するような教義が、キリスト教世界を支配
するようにうなったのです。

 そのようななかで、テンプル騎士団は、中世のキリスト教世界で忘れつつあ
った、キリストに関する正しい教義をもう一度復活させようとしたのです。


448:、
08/05/04 07:47:25 nIorFx9J0

このとき深い魂のそこから駆り立てられながら(というよりは、むしろ東洋
的なものによって駆り立てられながら)テンプル騎士団がヨーロッパに、太陽につ
いてのキリスト教的な見解を打ちたてようとしました。そのキリスト教的な見解とは、
再び太陽存在としての、宇宙的存在としてのキリストを仰ぎ見ようとするもので
した。テンプル騎士団はこのような見解に基づきながら、惑星や星の霊性につ
いてある知識を獲得していました。その見解は「ある惑星の存在たちだけで
はなく、お互い遠くはなれた惑星に属する知的存在たちが、世界の出来事の
中でどのように共同作業を行うか」ということを知っていました。また彼ら
は、太陽の悪魔であるソラトのような反抗的な存在たちによって生じる、強
力な抵抗についてもあることがらを知っていました。すなわちソラトは私た
ちの太陽系の中でも、もっとも強大な悪魔のひとつであり、それは基本的に
は、人間の唯物論の中で働く太陽の悪魔的な力なのです。


テンプル騎士団の団員たちはキリストの敵対者であるソラトの存在を知っていまし
た。だからこそ彼らは、宇宙存在としてのキリストについての教義を新たによみ
がえらせることによって、人類を唯物論へと向かわせようとするソラトの力
に対抗しようとしたのです。

 ソラトとしてはテンプル騎士団を攻撃しないわけには行きませんでした。な
ぜならば、テンプル騎士団の力が強まり、地上に影響力を及ぼすことになれば、
ソラトにとっては、はなはだ都合が悪い事態となるからです。もしテンプル騎
士団が壊滅することなく、その後も成長を続けていったならは、真のキリストの
霊性に貫かれた社会が地上に誕生したかもしれません。そうなれば、その後
の唯物論的な世界観の拡大は未然に食い止められることになったかもしれ
ないのです。


449:、
08/05/04 07:48:54 nIorFx9J0

 このように見ていくと、十字軍の時代にテンプル騎士団とソラトの間で繰り
広げられたものは、まさに霊的な戦いであったことがわかります。結果とし
ては、テンプル騎士団はソラトの前に敗退し、太陽の守護神としてのキリストに関
する教義は再び歴史の背後へと姿を消すことになります。このようなテンプル
騎士団の壊滅こそが、、第二の666の現れにほかなりません。

 1312年のテンプル騎士団事件は、二度目の666の年、1332年にそ
なえてソラトが行った強い働きかけの現れなのです。テンプル騎士団の崩壊後、
ヨーロッパの歴史は次第に唯物論化の傾向を強めていくことになります。

アラビア科学とともに唯物論的な世界観がヨーロッパに入り込み、今日のような
化学文明の基礎が準備されていくのです。

このように「第一の666」の年と「第二の666」の都市に起こった出来
事はに目を向けてみると、ソラト自身は決して歴史の表面には直接姿を現さな
いことがわかります。第一の666の年に備えたゴンディシャプールの学院創設に
しても、第二の666の年にを前にしたテンプル騎士団の崩壊にしても、どち
らも歴史上の出来事としては比較的地味な部類に属するといえます。しかし、
精神科学的に見ると、その影響力は実に絶大なものです。

 ソラトは常に人間の内面に働きかけます。ソラトは目に見えないにもかか
わらず、後の人類の歴史に非常に大きな影響を与えることになるような作用
を及ぼすのです。このことは、来るべき「第3の666」の年について考察
する際にも、重要な手がかりを与えてくれます。私たちはともすれば、人目
を引く、センセーショナルな出来事にばかり注目しがちですが、精神科学の立場から
歴史上の出来事を観察しようと思うならば、その後の人類の精神のあり方を
決定付けるような、どんな些細な事件も見逃してはならないのです。


450:、
08/05/04 08:24:33 nIorFx9J0


以上、シュタイナーの大予言2より、、、。

以下、コリンウィルソンの著作の記述より、、、。

451:、
08/05/04 08:26:27 nIorFx9J0

ロマスとナイトは、セクエンエラ殺害(ツタンカーメン)の動機となったエジプトの儀式がエッセネ派の秘密の
ひとつであるという説得力のある証拠を示す。この秘密はイエスの死後、イェルサレム神殿の
地下に隠匿されたー―そういえばイエスの物語においても、復活は中心的役割を果たしている。

 この秘密を守っていたエッセネ派は、ティトゥスによって殲滅され、神殿は破壊される。
ロマスによれば、フリーメーソンリーには、「紀元70年のナザレ派の殲滅と、このときフリーメーソンリーの
始祖たちがイェルサレムを去り、ヨーロッパ各地に散った流れを語るものがある。」という。ま
た、ロマスによれば、この生き残りたちは、「ダヴィデとアロンの2つのメシアの血統を保存して
いると信じていた。そしていつの日か彼らが到来し、地上に神の王国を打ち立てることを」。

 マンダヤ教徒(エッセネ派関係)からペテン師と見なされたイエスは、聖パウロによって神とさ
れた。そしてコンシタンティヌスが、崩壊しつつあった帝国を束ねるためにキリスト教を利用
したとき、イエスの復活はキリスト教会が超自然的な権威を持つことを示すもっとも強力な根拠と
なった。


452:、
08/05/04 09:01:55 nIorFx9J0

 1307年にテンプル騎士団のほとんどを壊滅させたのは、まさにこの権威だった。だが騎
士団の艦隊は脱出し、一部はアメリカに、そのほかはスコットランドに向かった。そこにはテンプル騎士
団の最盛期である1140年に、キルウィニングという修道院が作られていた。それはグラスゴーの
すぐ南で、テンプル騎士団の中枢基地だった。当然ここは避難所となっただろう。特に、さほ
ど遠くないロスロリンにはセント=クレア家がいたのだ。スコットランド王ロバート・ザ・ブルースは教皇から破門
されていたので、テンプル騎士団はスコットランドで恐れるものは何一つなかった。

 「ヒラムの鍵」で提唱された主要な仮説のひとつは、ロスロリン礼拝堂がヘロデの神殿の複製とし
て造られた、というものだ(驚くべきことだが、ヘロデの神殿というものは小教区の境界ほ
どの大きさしかなかったのだ)。その目的はテンプル騎士団の最も重要な「財宝」である貴重
な文書を収蔵することである。彼らによれば、ロスロリンの未完成の外壁は、単にその時点で工
事が中断したかのように見えるが、実際にはそれはヘロデが再建したソロモン神殿の未完
成の壁を模したものなのだという。

 ではこの神殿を立てた男、ヒラム・アビフはどうなったのか?ロマスとナイトによるヒラム・アビフに関
する説を読んでいて、私は、別の興味深いつながりに気づいた。すでに述べたように、ヒラム・
アビフはテュロスの出身だ。レバノンに行く途中でテュロスに行ったことがある私は、それがフェニキア人の
都だということを知っている。フェニキア人はヤハウェの信徒ではない。なぜソロモンはフェニキア人の
建築を望んだのだろうか?


453:、
08/05/04 09:04:05 nIorFx9J0

とはいうものの、奇妙な話ではある。フェニキア人の主神はバアルもしくはベルであり、旧約聖
書の著者たちはこの神をひどく嫌っていた。またフェニキア人の主要な女神はアスタルテで、またアシュ
レト、イシュタールなどと呼ばれる。

 マイケル・ベイジェントとリチャード・リーの『神殿とロッジ』(1989では)驚くべき主張が展開され
ている。「現代の考古学的調査の結果、ソロモンの神殿は,,,,フェニキア人の神殿と明瞭な類似が見
られた。、、、、、さらに考えを一歩進めてみよう。テュロスの神殿は、フェニキア人の母神アスタルテのため
に建てられたものだ、、、、、丘や山にはーーたとえばヘルモン山には―
彼女の聖堂がたくさんある」。そして彼らによればソロモン王もまた「聖なる高台で生贄をささ
げ、香をたいていた」。

 ロマスとナイトによれば、ソロモンの宗教は、厳密な政党ユダヤ教ではなかったという。
老境に達したとき、「彼の妻たちは、王の心を迷わせ、ほかの神々に向かわせた、、、、ソロモン
は、シドン人の女神アシュトレト、、、に従った。彼らはまた有名なソロモンの雅歌はアスタルテへの賛歌だ
と述べている。

 それから彼らは、驚くべき問いを投げかけるー-「(この神殿)が献じられたのはイスラエル
の神か、それともアスタルテなのか?」。この問いは、一見どうでもよいかのように見えるかも
しれない。だが、アスタルテは、ギリシア人には、アフロディテ、つまり、愛の女神として知られていた
のであるー―媚薬(アフロディシアック)という言葉は、彼女の名に由来する。同様に、ローマ人には
ウェヌスであった。つまり、ソロモンの神殿を作った人物は金星の崇拝者であり、その雇い主もそ
の傾向があった。この異教の女神は、古代の儀礼を巡るこの奇妙な物語の次の章の鍵とな
る。金星は愛の女神であるのみならず、また魔術の女神でもある。その理由は、その軌道
の奇妙な性質にある。それはほかのすべての惑星と異なっているのだ。


454:、
08/05/04 09:06:13 nIorFx9J0
今、地球が太陽系の中心であると想像して見よう(古代人はそう信じていたわけだが)。
すると当然ながら各惑星は太陽によって「蝕」とされる瞬間がある。太陽がその惑星と地
球の間に入ったときだ。たとえば水星は年に3回蝕になる。そして天にあるこの3つの点
を線で結ぶと、歪んだ3角形となる。火星の蝕は4回で、その形はゆがんだ三角形だ。実
際、すべての惑星はゆがんだ形を作るー―だが金星だけは例外だ。金星は、完璧な五角形
を描くのだ。

そして5角形の内部に5つの頂点を持つ星型を描くと、それは、歴史上のあらゆる魔術
師が親しんできた図形となる。5角星形だ。それは、しばしば人間を象徴するとされる。
なぜならそれは2本の腕、2本の脚、そして頭に見えるからだ。ダ・ヴィンチの有名な素描「ウ
ィトルーウィウス的人体」は、5角星形の形に手足を広げた人間の姿だ。

金星はまた、世界最古の宗教、自然崇拝を主宰する女神でもある。これはテュロスで行われ
ていた宗教であり、ソロモン王もまたその不肖の信徒だった。かの2人のメーソンによれば、ソロモンの神殿は金星の崇拝者、テュロスのヒラムによって建てられた。

テンプル騎士団を創った9人の騎士たちは間違えなくキリスト教徒であり、金星の崇拝者で
はなかった。だがその後の歴史、そして最終的な騎士団の瓦解を見ると、彼らが聖パウルの
言う救世主の教え、すなわちニカイエ信経のキリスト教の信者ではなかったことは確かだ。彼らは、
<天上のイェルサレム>を描いた無名の画家と同じ宗教を信仰していた。


455:、
08/05/04 09:07:18 nIorFx9J0

1446年にウィリアム・セント・クレアがロスロリンを建立するまで存在しなかった言葉をあえて使うなら、彼らはフリーメーソンだったのだ。

 だが彼らは何者なのか?いったい誰からこれらの古代の宗教を受け継いだのか?

 この問いに対する驚くべき回答が提示されたのが1982年、リチャード・リー、マイケル・ベイジ
ェント、そしてヘンリー・リンカーンの書いた「聖なる血脈と聖杯」(レンヌ=ル=シャトーの謎)という本であ
った。リーとベイジェントはその本の扉にデカデカと名前を書かれているが、最初にこの本に
出くわしたのは第3の男、ヘンリー・リンカーンである。

 物語の主人公は、ある村の司祭ベランジェ・ソニエール。その教区はピレネーの北、ラングドッグにあ
った。彼はきわめて貧しかったーー年収は英貨にして6ポンドほど。これで彼は自身と家
政婦を雇っていた。その名は、レンヌ=ル=シャトー。


456:、犬猫にゃんわん
08/05/04 19:42:25 nIorFx9J0

一通りは先ずキリスト教問題は詰めましょう、、、、。

457:、
08/05/04 19:43:33 nIorFx9J0
ロマスとナイトによればフリーメーソンリーは紀元前7600年の大洪水にまでさかのぼる知識を伝承
している。これは、巨大な天体の衝突によるもので、それは、「エノク書」にあるように「7
つの燃える山」となって落下した。

 紀元前15390年ごろ、ファラオ・セクエンエラはヒクソスのファラオであるアポピの雇った3人の男に殺
害された。アポピは、ファラオを神に変容させる儀式を聞き出そうとしたのだ。だが、彼らは失
敗し、新たなファラオであるセクエンエラの息子が、叛乱を率いてヒクソスをエジプトから追放した。紀元
前1522年のことだ。彼の父を殺したのは恐らくへブル人だ。だが6世紀後、この話は、
換骨奪胎され、殺されたのはソロモン神殿をつくったテュロスの職人ヒラム・アビフということになった。
ソロモンは、フェニキア人の妻の誰かによってヤハウェ信仰から迷い、近世の女神の一人である、アス
タルテにささげものをした。彼の神殿はアスタルテの神殿に倣って造られた.

紀元前587年、ユダヤ人はネプカドネザル王によってバビロンに捕囚され、50年後に
ようやく帰国を許された。囚人の間、彼らは、メシアすなわち「油注がれたる王」を夢見てい
た。それは彼らを勝利に導き、地上に神の大国を樹立するものだ。彼らは、神殿を再建し
たゼルバベルがメシアを宣言することを望んでいたが、彼にはそのような野心はなかった。

 ばれ区さんだー大王が彼らの主人になると、多くのものは彼らはメシアだとのぞんだ。だが、
セレウコス朝-―アレクサンダー大王の後継者―の王の一人が神殿にゼウス像を立てると、それが原因
でユダス・マカバイオスの乱が起こった。以後、彼の家系が世襲の祭司となった。


458:、
08/05/04 19:44:49 nIorFx9J0
これに嫌気がさした保守派のエッセネ派はクムランの荒野に移住し、そこで禁欲的な生活
を送った。彼らの指導者は、(義の教師)と呼ばれ、奇跡を起こし、メシアを自称し、処刑さ
れた。イエスの到来より一世紀ほど前のことだ。この教師とイエスの類似ははなはだしく、研究
かG・R・Sミードは「イエスは紀元前100年に生きていたのか?」という本を書いた。

イエス自身は、4人の兄弟と2人もしくは、それ以上の姉妹の長男で、父親のヨセフはファリ
サイ派だった。ファリサイ派というのはユダヤ教の一派で、律法の厳守を主張する。イエスは
この宗教を不毛と感じて背を向けた。彼の徒兄弟である洗礼者ヨハネは、ゼガリアという
祭司の息子で、ゼガリアはアビア派の出身だった。(アビヤ派はアロンの子孫)

 かなり早い段階で、ヨハネは荒野に出た。--彼が生まれたときすでに両親は年老いてい
たので、彼は、幼くして孤児となったらしい。エッセネ派は孤児を受け入れていたのでー
-彼らは純潔を守っていたので、そうする以外に人口を維持することができなかったのだ。
-―「荒野」というのはクムランのことらしい。エッセネ派の中に徒兄弟がいたということが、
イエスと弟のヤコブが、エッセネ派に入った理由かもしれない。

 イエスが処刑されたのは、ローマ人をユダヤから追放しようとする氾濫を率いたからだ。ヘロデ王
は、親ローマであるだけでなく、「ヘロデ派」と呼ばれる裕福なユダヤ人集団の支持を受けてい
た。彼らはローマの支配に満足していた人々だ。つまりイエスは、前門のトラに後門の狼という
状況で、危険な賭けに出たことになる。だが、彼がもくろんだ反乱は起こらず、イエスは有罪
とされ磔刑に処せられた。

459:、
08/05/04 19:46:02 nIorFx9J0

とは言うものの、磔刑はわれわれが思うほど苦しい試練ではなかった。最悪の重罪人以
外では、十字架に釘で打たれるということはなく、手首と足首を縄で縛られるだけだった
のだ。さらに磔刑に処せられた人間は通常、死ぬまで何日も十字架に放置されたのに対し
て、イエスがそこにいたのは、たった6時間だった。なぜなら、その翌日が過越祭--安息日―
―であり、過越祭を十字架ですごすことは立法で禁じられていたからである。

そこでサンヘドリン―ユダヤの最高法院--の一員である裕福な人物がピラトに願い出てイエスの身体
をおろす許可を得た。彼はイエスの死に深く感動し、彼を近くにあった自分自身の墓に入れた。
イエスは、墓に入れられたが、アリマタヤノヨセフは、彼を公然と支援したとして数年間投獄された。
新約学者のバーバラ・シーリング(1992イエスのミステリー)によれば、イエスはその後、海面に含まれ

 その後、もしもリンカーン、ベイジェント、リーが正しいなら、イエスは地中海を渡って恐らくマルセイユに
いき、そこで宣教を続けた。バーバラ、シーリングによれば、彼は、最後にローマに行き、紀元64
よりあとのいつかに死んだ。恐らく71にはなっていたはずだ。


460:、
08/05/04 19:47:10 nIorFx9J0

 そんなわけで、イエスが十字架で死んだという伝承は、アイレダ地方(後のレンヌ=ル=シャトー)で
は決して受け入れられることがなかった。なぜなら彼はその地で後半生を過ごしたからだ。
だが、もしそうなら、なぜ南フランスにはマグダラのマリアに関する伝承は根強くあるのに、イエ
スに関するものはあまりないのだろうか?たぶん、ヘロデ王もまたカリグラによってガリアに追放
され、69年にそこで死んだからであろう。逃亡者にとっては、あまり世間の耳目に集め
るのは得策ではない。

 すでに見たように、ピーター・ブレイクはイエスとマグダラのマリアの墓が並んでいるんもを発見し、
その位置はブッサンの絵に暗号化されていると考えている。

 もしそうなら、「王といえども彼から手に入れることはきわめて困難」な秘密とは、この
ことだろう。ことにルイ14世は偽りの王朝の王なのだから。

 次の謎は、メロヴィング王朝に関するものだ。ヘンリーリンカーンが研究を開始したころ、その詳細は
謎に包まれていた。キリスト教会がたゆまぬ努力で記録を検閲していたからだ。わかっている
のは、それがフランク族の王メローヴィス(メロヴィウス)にょって開始されたもので、彼は448年に
戴冠したことだ。つまり彼はアーサー王と同時代人らしい。彼の王国はフランスの大部分を含
み、南はマルセイユから北はアルデンヌまでに及んでいた。


461:、
08/05/04 19:48:11 nIorFx9J0

 ヘンリー・リンカーンとリチャード・リーは、この人物の出生を物語る伝説に関する洞察に基づいて、『聖
なる血脈と聖杯』を書いた。つまり、メローヴィスの母親を孕ませた魚とは、キリスト教の教祖をさ
しているのではないか?初期キリスト教においては魚はイエスのシンボルとされていたのだ。ま
たリンカーンは、メロヴィング王朝の王はオカルトの達人であって、しばしば「呪術師の王」と呼ばれて
いるという伝承を引用する。だからこそ、彼らは天然の5角星型は位置を持つレンヌ=ル=シャトー
地域を重視したのだ。

 リンカーンによれば、メローヴィスの息子であるヒルデリヒ一世の墓が、1653年にアルデンヌで発見さ
れた。そこには莫大な財宝もあったのだが、中には明らかに呪具と見られるものも数多く
あったー―水晶球、馬の頭、黄金の牛の頭像などだ。さらに、純金の蜂が300個も見つ
かった。奇妙なことにナポレオンは戴冠式の衣装にこの鉢を縫い付けさせた。彼がメロヴィング家
に関心を持っていたことは、その王朝の家計図を作らせたことにも示されている。この家
計図は後に国立図書館に委託された文書に含まれることになる。

 メロヴィング家を巡る神話のひとつに彼らがギリシア神話のアルカディア出身だとするもの
があるー―恐らく『アルカディアの牧童』の墓の命はそれゆえだろう。


462:、
08/05/04 19:49:14 nIorFx9J0

 その後、メロヴィング家からきているゴドフロウ・ド・ブイヨンは第一回十字軍を率い、そ
の死後は弟であるボードゥワン一世が(シオンの僧院)のメンバーに例の厩舎に移る許可を得た
彼らは、そこで探していたものを発見した。―エッセネ派が神殿に隠匿した巻物だ。そこに
は、メーソンリーのシンボルを満載した。(天井のイェルサレム)もあった。これらはフランスに持ち帰られ、
カタリ派の領地の只中にあるベズの城に安置された(リンカーンによれば、カタリ派を折伏しよう
としてこの地方に行った聖ペルナールは、この異端よりも自らの教会の腐敗に唖然とし、異端
者たちの倫理的純粋を褒め称えた)。

テンプル騎士団がフィリップ端麗王に捕らえられたとき、彼らの艦隊はこの文書をつんで出航し、
ロスリンにたどり着いた。だが(僧院)のほうはバル伯エドワールの下で存続した。フリーメーソンリーは1
640年に公然たる結社となった。これに先だって、薔薇十字団の奇妙な事件があった。
1614年、薔薇十字団の『友愛団の名声』と呼ばれるパンフレットが発刊され、全ヨーロッパにセン
セーションを巻き起こした。それは15世紀の神秘家・魔術師であるクリスチァン・ローゼン・クロイツの伝
記と証するもので、彼は106まで生き、その死体はその後120年間、謎の墓にーー腐
敗もせずに----保管されているという。さらにこのパンフレットは、これに興味を持つ人々に友愛
団の加入を呼びかけ、その意思を(口頭もしくは文書で)表明しさえすれば、その者は「接
触」を受けると述べている。参加表明をするものは数百名に上がった―だが知られてい
る限り、「接触」を受けたものは誰もいない。


463:、
08/05/04 19:50:22 nIorFx9J0

 『名声』に続いて、更に二つの「薔薇十字」文書が世に出た。『宣言』(1615年)と、
大部の著作である『科学の結婚』(1616)だ。これらによって、薔薇十字団に対する熱
狂はさらに高まった。その著作はプロテスタントの神学者ヨハン・ヴァレンティン・アンドレイエであるとさ
れている。彼は「化学の結婚」の著者である可能性が最も高いが、ほかの二つに関しては
否定している。彼は理想に燃える若者で、新たな霊的運動を開始しようと熱望していたよ
うだー-当時の多くの人々と同様、今こそ新たな始まりのときと考えたのである。そして
重要なことに、彼は(秘密文書)において、(シオン修道院)の総長の一人と名指しされている。

 最後に、スコットランドとイングランドで、自らをフリーメーソンリーと称する結社が1640年ごろに誕生
した。カトリック教会はこれを憎んだが、初期のころは、―特にスコットランドでは―プロテスタントと
ともに多くのカトリック信者がこれに加入していた。

 すべてが明らかになったのは第二次世界大戦後、ピエールプランタールの下で、(シオン修道院)が
公に出ることを決断したときだ。その最大の成功はヘンリー・リンカーンがジェラール・ド・セードの
本を発見し、BBCにドキュメンタリーを作らせたことだった。


464:、
08/05/04 19:51:11 nIorFx9J0

 その結果として世に出た『聖なる血脈と聖杯』は世界的なベストセラーとなった。

 とはいうものの、それは依然として、メロヴィング家の歴史に興味を抱いた共用ある少数者
の範囲内に留まっていた。それが2003年になって、(シオンの僧院)を扱うダン・ブラウンの
小説『ダ・ヴィンチ・コード』が空前の大成功を収め、イエスとテンプル騎士団の歴史を何千万という
読者に提示したのだ。それは恐らく、マルティン・ルター以来、最も広く読まれたカトリックへの攻撃文
書だろう。だがブラウンはどうやら、ソニエールとレンヌ=ル=シャトーをいれると話がややこしくなり過ぎ
ると考えたらしく、ソニエールの名は開巻後数ページで殺されてしまうルーブル館長の名前として
採用されただけだ。そしてそれは、本稿執筆時点において、キリスト教の歴史をめぐるこの奇
妙な物語の最新のエピソードである。


465:、
08/05/04 19:52:24 nIorFx9J0


  、、、、、、、、、、、、、。



466:、
08/05/07 05:45:09 2uoE7qH10
,

467:本当にあった怖い名無し
08/05/07 20:43:53 /Vzik0Uv0
ヘミシンクってゴンディシャプールの知識かな?

468:本当にあった怖い名無し
08/05/08 14:55:08 hVleHZNc0
テンプル騎士団が壊滅しなかったら世界はもっとマシだったんですねw

469:本当にあった怖い名無し
08/05/08 23:21:07 kKHDvo0mO
キリストって海に含まれたんかぬ?(´・ω・`)
きっとキリストはナトリウムかなんかでできてたんだぬ!(`・ω・´)

470:、
08/05/09 22:26:41 hDoSbob/0


471:、
08/05/11 20:36:29 ma3qvAT60
,

472:、
08/05/13 10:21:11 Hg20klVu0
,

473:、
08/05/15 21:01:34 wvrXOEqk0
,

474:、
08/05/15 21:03:17 DNe1gEL70


475:、
08/05/17 07:38:39 UsvE5/YD0
,

476:、
08/05/17 08:53:20 0aBgD8GB0
,

477:、
08/05/19 17:58:11 +aEeRN1a0
,

478:、ミジンコ
08/05/21 19:46:12 tb7DZ85D0

以下の文は、初めは、このスレで残りは、異常心理スレにまわします、、、。
何故かと言うと少しおかしいのは明らかだからです、、、。、、、色々な意味で、、、。
タイミングも、出版と在庫も、教祖の由来も、発想と意図も、、、。とりわけメンヘラを殺していると言う事です。




すでに見てきたように、黙示録にソラトの数字として登場する666という数字
は、、歴史の年号の上に、繰り返し現れることになります。第一の666はゴンデ
ィシャプールの学院創設とイスラム主義の発達、第二の666は、1332年に備えての
テンプル騎士団の壊滅として、歴史上に現れました。そして第三の666こそ、

666×3=1998 

目前に迫りつつある、1998年にほかなりません。

私たちは現在、第三の666の時代、すなわち1998年を目前にしています。こ
の世紀の終わりに私たちは、ソラトが再び進化の流れの中から最も強く頭をもたげ
ることになる時点に到達します。エーテル化したキリストが可視的になることによって、
そのために必要な準備のできた人々は、すぐに20世紀の前半にキリストを見るよう
になります。しかしこの第三の666の時点において、ソラトは人々がキリストを見るの
を妨害することでしょう。


479:、
08/05/21 19:48:32 tb7DZ85D0

いま、私たちは、第三の666の年である、1998年を目前にしています。
 シュタイナーによれば、1879年から大天使ミカエルが地上を支配する「ミカエルの時代」が始まり
ました。大天使とは天使の上に位置するヒエラルキー存在であり、その役目は地球進化の特定の
時代に衝動をもたらすことにあります。時代を支配する大天使はオリフィエル、アナエル、ツァハリエル、
ラファエル、サマエル、ガブリエル、ミカエルの7柱で、それぞれ約2000年ごとに人類の文明に作用を
及ぼすのです。
 大天使ミカエルの性格とはどのようなものなのでしょうか。
 大天使ミカエルはもっぱら人類の精神的な特性や精神文化に関与します。ミカエルは精神的に優
れた文化をすべての民族に広めようとする、コスモポリタン的な衝動を人類にもたらします。ま
たミカエルは、人間の知性によって、理念と思考で理解できるような霊性を人類に与えます。
ミカエルは何よりも、人間が霊的な啓示を自分自身の理念を用いて洞察することを望んでいる
のす。
 すでに第4章でお話したように、太陽系の星にはさまざまな霊的存在たちが住んでいま
す。大天使ミカエルは太陽に住む知的存在です。ミカエルは太陽光線を通して、霊感に満ちた知性
を地球に届けます。ミカエルは太陽から宇宙的な知性を人類に贈り物として与える存在なのです。

すでに第4章でお話したように、太陽系の星にはさまざまな霊的存在たちが住んでいま
す。大天使ミカエルは太陽に住む知的存在です。ミカエルは太陽光線を通して、霊感に満ちた知性
を地球に届けます。ミカエルは太陽から宇宙的な知性を人類に贈り物として与える存在なのです。
 テンプル騎士団の教義にも含まれていたとおり、太陽にはミカエルばかりではなく、キリストという
神的な存在もすんでいます。キリストもまた、ミカエルと同じように太陽の光を通して神的な恵み
を人間の中に送り届けます。ミカエルは、太陽の守護神であるキリストに仕え、キリストを手助けする
という重要な役目になっているのです。


480:、
08/05/21 19:50:01 tb7DZ85D0
 現在ソラトは、ミカエルがミカエルが霊的な衝動を人類のもたらすのを妨害するのを狙っています。
ミカエルが知的なものと宇宙的な霊性が結びついた文明を地上に生まれさせようとしているに
もかかわらず、ソラトは人類の知性を地上的なものにのみ向かわせようとします。そのため2
0世紀末の現在、太陽の守護神キリストのために働くミカエルと太陽の悪魔ソラトとの間に激しい戦い
が繰り広げられることになったのです。
 古くから西洋のキリスト教美術では、ミカエルは手に券を持ち、竜と戦う姿で描かれてきま
した。ミカエルが戦う竜こそ、最強のアーリマンとしてのソラトなのです。


現在、霊界では、ソラトとそのほかのキリストに敵対する悪魔たちが、太陽の原理を地
上に入り込ませないように妨害する仕事にとりかかっています。しかしその一
方では、ミカエルが新たな支配を準備しながら、その軍勢とともに太陽の原理のた
めに戦っています。

中世には、第二の666の年1332がやってくる前に、真のキリストについての教義を
復活させようとするテンプル騎士団と、彼らを滅ぼそうとするときの権力者の間に争いが生じ
ました。精神科学的に見ると、このときキリストのために働こうとする勢力と、ソラトに味方しよ
うとする勢力が地上で衝突したのです。

そして、現代においては、1879年以降ミカエルの支配が始まるとともに、太陽の原理が人
類の前に広まるのを阻止しようとするソラトが活動を開始しました。いま霊界では、666年
ぶりに、キリスト勢力と反キリスト勢力の争いが起こっているのです。しかしながら、今回の戦い
は前回の第二の666の時代のものとは比較にならないほど大きなものとなっています。
というのも、20世紀前半からエーテル会にキリストが出現し、人類への働きかけをいっそう強め
ているからです。これがシュタイナーのいう「エーテル界へのキリスト再臨」です。


481:、
08/05/21 19:53:11 tb7DZ85D0

 かつてゆめみるような意識状態にいたころ、人類は透視能力によって霊界を見ることが
できました。しかし紀元前3101年から人間は次第に透視能力を失い、感覚的世界以外
のものは知覚できないようになりました。精神科学において「カリ・ユガの時代(暗黒時代)」
と呼ばれる時代が始まったのです。
 紀元一世紀にキリストが地上に現れたとき、このようなかり・ユガの時代は依然として続いて
いました。このとき人類は霊的な存在を直接見ることはできませんでした。だからこそ、
太陽の守護神としてのキリストはナザレのイエスと合体することで、感覚的に知覚できる姿で人間
の前に現れなくてはならなかったのです。
 しかし、このようなカリ・ユガの時代は1899年に終わりを告げました。20世紀の幕開
けとともに、まさに人類の中に霊的なものを知覚する能力が新たに目覚める時代が始まっ
たのです。いまや人間が自らの自己意識をたずさえながら、霊的な世界の中に足を踏み入
れることが可能になりました。現在1部の人間の魂の中に、すでに新しいと押し能力が芽
生えつつあります。このような人々は物質的なものばかりではなく、さらにエーテル的なもの
を知覚する能力をそなえています。

 もはや、キリストはかつてのように物質体を身にまとって地上に姿を表すことはありません。
キリストはエーテル的な透視能力を備えた人々のエーテル体の中に出現します。シュタイナーによれば、20
世紀が終わるまでに多くの人々がエーテル界にキリストを見るようになります。そしてこのような
人々は、21世紀になると、さらに増えていくのです。

 19世紀の終わりから、すでにミカエルが再臨するための準備をしてきました。そして20
世紀にはいって、キリストがエーテル界に再臨し、一人一人の人間が直接キリストを認識できる時代が
始まりました。自分自身でキリストについての認識を獲得した人は、、もはや宗教上の権威や文
献に依存することはありません。「もはや教会は必要ない」というシュタイナーの言葉は、このよ
うな精神科学的事実に基づいているのです。


482:、
08/05/21 20:12:05 tb7DZ85D0
スレリンク(psycho板:384番)
スレリンク(sm板:179番)





483:、白からす黒ひつじ
08/05/21 20:26:55 tb7DZ85D0

スレリンク(psycho板:370-377番)

松浦は、ローマの先を行くシュタイナーの後継者だけに警戒されると言う事です、、、。

シュタイナーの進化論の問題を突っ込まれたら人智学関係者は大方馬脚をあらわす、、、。

、、、、これは、本当に危ない、、、みておわかりの通り、シュタイナー的な者は纏まりがつかず

埒があかないし、意識操作の究極と判断される意味で精神医療の見地からも危険視される性質のものである。


484:、
08/05/22 09:41:23 yu+RWq380
スレリンク(psycho板:394-397番)


カリ・ユガから「万人による万人のための戦い」までのながれ

bc3101年 カリ・ユガ(暗黒時代)の始まり

BC747年 ご成婚の始まり。  ギリシア ラテン文化期

AD1世紀 キリスト地上に現れる

333年自我が悟性魂の中に入り込む

666ソラトの第一作用(ゴンディシャプールの学院)

1332年 ソラトの第二作用(テンプル騎士団の壊滅)




485:本当にあった怖い名無し
08/05/23 07:09:11 QE/Hgmv30
何?このスレ?

486:、ミジンコ
08/05/23 07:29:39 rPoQdwkl0
>>484  


1413年 意識魂の始まり  第五文化期

1879年ミカエルの支配の始まり

1899年 カリ・ユガの終わり。

20世紀キリストのエーテル界への再来 普遍アントロポゾフィー協会の活動

1998年ソラトの第3の作用


3573年 ロシア文化期



5733年   アメリカ文化期

7893年 万人による万人のための戦い(最終戦争?)の直前

7893年 第六根幹人類期の始まり。


487:、ミジンコ
08/05/23 07:51:32 rPoQdwkl0


これで、松浦賢著作の シュタイナーの大予言2が終わった。この著作は在庫にありませんので、

もはや書店からは入手は出来ないし、1997年あたりの出版のみの出版で終わったきり現在に至っています。

大方の図書館にも置かれていません、、、、。一体、何を考えているのか理解に苦しまれる事が度々あります。

ちょっと、変なんですよね、、、。ちなみに1998年にはユル・ブラウン博士も亡くなられています。

スレリンク(psycho板:378-382番) 意味深長で不吉です、、。 

ここからは、シュタイナーの大予言1についての投稿を進めようと思いますが、このスレッドと以下のスレッドに

投稿していく事にします。

スレリンク(bake板)l50  化学

スレリンク(psy板:201-300番)  宗教

スレリンク(pedagogy板)l50 教育

スレリンク(sociology板)l50  社会学

スレリンク(economics板)l50  経済学

スレリンク(doctor板)l50  医療
スレリンク(doctor板)l50


488:本当にあった怖い名無し
08/05/23 20:10:04 3N2lCwIR0
2400年ころからマモンが活動始めるだって
マモンは精神ではなく肉体を崩壊させるんだって

489:本当にあった怖い名無し
08/05/24 15:40:40 eJWYtSrZ0
ソラトは精神を崩壊させようとする
マモンは肉体を破壊しようとする

490:、
08/05/25 20:53:15 BDl/HMJZ0
>>488-489

そうか、、、、。ソラトは無自覚な精神で、マモンは、誤った意思の展開ということだな、、、。

ソラトはイデオロギー的で、マモンは魔術的であると考えたら、、、、。何時の世でも影響はあると思うがね、、。

ソラトと同様に、、、。私には、、、、。しかし、オカルト的には黄金時代に入っているわけです、、。



491:、
08/05/27 08:05:31 9W9JvQuv0


492:本当にあった怖い名無し
08/05/27 13:18:14 fylzWsx40
ソラトが上級アーリマンだから
マモンは上級アスラかな

493:、
08/05/28 19:16:27 TD/3JVYb0
>>487
ルドルフ・シュタイナーはすでに今世紀の初めに、物質主義文明は近い将来ある限界に達すると予言
していました。
 当時はまだ現在ほどには、環境破壊や核兵器といった科学のもたらすマイナスの側面は表面
化していなかったし、科学万能の世を賛美する風習は支配的でしたから、シュタイナーの見通し
の確かさは、これだけでも驚くべきです。

 しかし、終わったばかりの第一次世界大戦の模様と戦中戦後の各国指導者の考え方の中
に、シュタイナーは危機の本質を読み取っていたのです。彼の危機意識の深さは、たとえば次の
ような発言によく現れています。

すでにしばしば強調してきたように、もし、現代の文明社会の到来とともに私たちが足を
踏み入れることになったこの衰退が、完全な廃墟になってはならないと言うのなら、非常
に多くの人間が、つぎのようなことを理解しなくてはなりません。すなわち現代文明を、
精神科学的に世界をとらえることによってのみ、もっとも広範囲に到来することになるあ
る種の衝動に満たされなくてはならないのです。
                              (GA197 74)


494:、
08/05/28 19:18:00 TD/3JVYb0

「精神科学」というのは、シュタイナーが創始した学問の総称です。この当時彼が活躍したドイツ
は第一次世界大戦に破れ、戦勝国側から突きつけられた法外な賠償金の負担に苦しみ、そ
のために経済は悪性インフレに陥ってました。一方ロシアでは、レーニンの指導の下に共
産主義革命が起こり、1927年にボルシェビキ独裁のソヴィエト連邦が成立しました。

 シュタイナーが「現代の文明社会の到来とともに私たちが足を踏み入れることになったこの衰
退」と述べているのは、彼がこの間の推移全体を「衰退」と見ていたことを表しています。
人類が、取り分けヨーロッパ人がこのままの考え方を続けるならば、やがて「完全な廃墟」が
到来するであろうとシュタイナーは予測し、早くも1918年には警告していたのです。

 その後の歴史を見てみれば、シュタイナーの警告がまさに的を射ていたことは、誰の目にも明
らかです。

 長期にわたる大不況に苦しむドイツでは、対外強硬路線を主張するヒトラーのナチスが国民の
不満を吸収して政権を掌握しました。英・米・仏など戦勝国政府は、領土的野望なとヒトラー
の危険な性格が明らかであったにもかかわらず、自国の国益のみを追求するあまり、ヒトラー
に対して妥協に妥協を重ねました。やがてヒトラーは近隣の弱小国への侵略を開始するととも
に、ドイツ同様全体主義の体制となった日本・イタリア・スペインと同盟を組み、こうして世界は第
二次世界大戦へと突き進んで行きました。


495:a
08/05/28 19:19:33 TD/3JVYb0

一体、シュタイナーは現代の最大の問題を何処に見出したのでしょうか?

宗教 カルトに関する「大予言」

オウム事件が意味するもの

カルトや新興宗教の問題は、90年代半ばの今になって、突然持ち上がったわけではありません。
これらの問題の最初の萌芽は、すでに60年代のヒッピー文化やサイケゲリック・ムーブメントの中に現れていました。
 日本では70年代半ば、ようやく学園紛争の時代が終わり、キャンパスに見気力でシラケたムー
ドが広がっていたころから、学生や若者たちの間に新興宗教が浸透し始めました。

 したがってオウム事件は、過去数十年にわたって続いた世界的な新興宗教・カルトブームの総決
算ともいうべき意味を持っているのです。

 オウム事件は、宗教が内包している負の側面を白日の下にさらし、満天下の人々の目にまざ
まざと見せ付けることになりました。

 宗教が内包する負の側面とは、人類の進化に逆行して、前掲のミヒャエル・エンデも指摘したよ
うに、「本能的に、世界との一体性を回復しようとする」という傾向のことです。ここにカル
トや新興宗教がセックスやドラッグと結びつきやすい理由があります。彼等はセックスやドラッグの力を
借りて、現代人が失ってしまった「本能的な」宇宙との交換能力を回復しようと言うので
す。


496:、
08/05/28 19:22:53 TD/3JVYb0
 しかし、一度思考力を獲得した人間は、セックスやドラッグのようなどんな人為的手段を用い
ても、古代人のような本能的な能力を再び獲得することはできません。なぜなら、人間が
いかなる意味でもかかわることができないからこそ、それは「本能」なのですから。

 そうした領域には、私たちは神聖な力の働きを感じるべきものです。いかなる宗教、い
かなるカルトの教義と言えども、そうした性や宇宙との交感のの領域に、人為的な影響力や支
配力を振るうことは本来できないのです。そうした封建的・暴力的な支配力や影響力によ
って、ひとたび過ちが犯されてしまえば、その人は破壊されてしまうかもしれません。こ
れこそマインド・コントロールの恐ろしさです。ひとたびインドコントロールをされてしまえば、それを完全
に解くには数年から、時には十年以上も要するのです。そしてカルトのマインド・コントロールの恐怖
は、本人だけでなく、その本人の属する家庭や職場などを巻き込み、それに多大な不安と
動揺を与えついには破壊させてしまうことさえ珍しくはありません。特にインド系やチベット密
教系の教団には、オウムに限らずこうした危険な傾向が強いと言わざるを得ません。

 近代以降、唯物論の発展とともに、絶大な支配力を誇っていた宗教は、次第に権威を失
っていきました。現代は旧い時代の遺物である宗教が、様々な形で最後の抵抗を試みてい
る時代だとも言えるでしょう。
 にもかかわらず一部には、キリスト教や仏教と言った伝統宗教の復権を唱える人たちも居ま
す。そうした意見の持ち主たちは、
「現代人は堕落している、だから宗教を通して積極的なものへと至る道を再び見出すべき
だ」
と主張しています。


497:a
08/05/28 19:24:52 TD/3JVYb0

 しかしながら宗教が、少なくとも既存の形のままで復興することはありえないでしょう。
シュタイナーによれば、近代以降人間は自我意識を発達させるとともに宗教的な権威から自由に
なったのです。これは、人類の進化の必然性なのです。

 ところが過去の宗教の復興を唱える人たちは―特にインドやチベット計の宗教を信奉する
人たちは―人類進化のベクトルを逆転させようとしています。

「西欧的な自我は悪の根源であるから、これを消し去らなくてはならない。そして、それ
を消し去ることによって、人間は神と一体とならなくてはならない」
と、いうのです。これは一見最もな主張のように聞こえますが、実は大変危険な思想と言
わねばなりません。「近代の超克」という現代の歴史的課題に名を借りて実は旧い宗教的形
態をそのまま復興しようとするこうした考え方には、現代人としての個人の人格を破壊し、
道徳性や義務感を失わせ、個人の社会性を失わせて挑戦的になる、そういう現実的な危険
があります。
シュタイナーの考えでは、こうした人類進化の過程を逆に進ませようとする力は明らかき誤りで
あり、時としてそれは大きな悪であることすらありうるのです。

未来社会のための3つの原則

ルドルフ・シュタイナーは、「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(『天使と人間』)と言う有名な
公園の中で、来るべき未来社会の姿を、3つの原則に基づいて描いています。それは人類
が正しい進化の道を歩み続けるなら、必然的に到達しなければならない段階を示している
のです。
 このようなシュタイナーの予言では、
「未来の宗教はどのようなものになるのか」
ということが、きわめて重要な意味を持っています。というのも、シュタイナーは、「これからじ
んるいが精神的なもの、超感覚的なものとどのように関わり合っていくのか」と言う点が、
必然的に未来社会のあり方を決定すると考えたからです。

それでは未来社会において、宗教はどのような形をとるのでしょうか?


498:a
08/05/28 19:26:39 TD/3JVYb0

【大予言5】誰も、物質界に外面的な気候を持つ
特別の教会によって宗教上の生活を支える必要がなくなるだろう。

未来において人間の中で発達することになる自由な宗教はすべて、「単なる理論ではなく、
直接的な人生の実践において、個々の人間の中に実際に神性の似姿が認められる」と言う
ことをよりどころとするのです。そうなるともはや宗教が強制されることもなくなります。
もはや宗教を強制する必要がなくなるのです。というのも、そのときには、それぞれの人
間が他の人間と出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟となるからです。そのと
きには、それぞれの人間が他の人間に出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟と
なるからです。そのときには誰も、物質界に外面的な機構を持つ特別の教会によって宗教
上の生活を支える必要がなくなります。人生全体が超感覚的なものの表現となることによ
って、教会が持ちうるただ一つの意図は―もし教会がそれ自身を正しく理解するならば
―「教会それ自体を物質界で不要なものとすること」のみになるのです。
                (「天使と人間」54~55)

 これは、現在私たちが言うところの宗教とは、まったく別のものです。それはもはや、
宗教という名で呼ぶことすらふさわしくないものかもしれません。
 現在のような宗教はすべて、ゆっくりと消滅していくでしょう。そこにはもはや、教祖
と信者、出家と在家と言った区別も存在しなくなるでしょう。しかし、そうなるには、私
たちの意識が全面的に変化しなければならないのです。

私たちは理解においても、実践においても、質の高い肉体を備えているからと言って、人
間を単なる高次の進化を遂げた動物と見なすことがあってはなりません。私たちは「心的
な世界の根拠の中から示現するものが、人間の中に現れる」と言う感情を完全に発達させ
た上で、一人一人の人間と向かい合うべきなのです
                        (天使と人間 53~54)


499:a
08/05/28 19:28:30 TD/3JVYb0

これが、シュタイナーの説く未来の宗教の根本精神です。
 これに対して、既存の宗教は、本当に人間存在そのものを尊ぶことを教えているでしょうか?
 実際は現実に生きている人間を卑しいものと見なし、人間を度外視した「精神世界」と
証するものの中に、直接神を見出そうとしてはいないでしょうか。
 現在の進化のレベルでは、人間が直接神を見たり、神に触れたりすることはありえないの
です。シュタイナーの宇宙進化論によれば、霊界は3つのヒエラルキーから成り立っていますが、人間
に直接影響を及ぼしているのは、その中で最も人間界に近いところに存在する天使たちと
四大元素霊(地、水、風、火の霊)だけなのです。
 現在の唯物論的な教育において、まるで「霊界や神は存在しない」と教えられているも
同然のような私たち現代人の多くは、その結果、霊界や神についてほとんど無知同然とな
ってしまいました。
 そして巷には、信者一人一人を罪深い無明のやからなど決めつけ、
「われこそは神の代理人なり」
と称して、信者に服従や「お布施」を強要してはばからないような、お粗末な「教祖様」
が数多く存在することとなりました。
 一方、「人間は神性の似姿である」という罪深い宗教的哲理を悪用して、「人間は神であ
る」などと教え込むバグエワン・ラジニーシのような悪徳教祖が猛威を振るっています。人間は神
性の似姿ではあっても、正しい努力と認識に欠ければ、何処までも堕落してしまうのです。
社会的弱者や人生の道に迷う人々に、フリー・セックスや麻薬を与えて人生の重荷から開放された
と言う錯覚を与え、一方で教祖と教団幹部は莫大な富を蓄えているのです。こうしたカルトは、
オウム真理教やラジニーシの教団だけではないでしょう。
かねてシュタイナーは、こう警告していました。


500:、
08/05/28 19:32:06 TD/3JVYb0

【大予言6】チベットの文化は、少しずつ退廃と没落に向かっている。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない。

チベットの文化は極めて古いもので、その紀元は太古のアトランティスの時代にまで遡ります。―
中略―このような文化は、人間が現代とは別の条件の元に生きていた、あの太古の時代
にのみ、ふさわしいものでした。皆さんは次のようなことを思い浮かべてみるだけでよい
のです。すなわち当時、大気は今日と異なり、人間は今日のように重くはなく、人間の体
重は今日よりもはるかに軽く、当時の大気は今日よりもはるかに濃密でした。大気は常に
熱い霧に満たされ、そのため人間は今日とはまったく別のやり方で生きることが可能とな
ったのです。
―中略―
 このようなチベット文化は、少しずつ退廃と没落に向かっています。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができません。なぜならチベッ
ト文化は、インド文化よりも古いからです。インド文化は、地球が現在のような形姿とるよう
になった後で成立しました。これに対してチベット文化は、まったく古いものです。このチベッ
ト文化は、太古の昔には比較的善い形態のうちに存続していたものを、悪しき形態のうちに
保持してきました。特にチベットの支配者(訳注ダライ・ラマのこと)の原理は、非常によくない
形態のうちに形成されました。チベットでは、支配者になる人物は心的な崇拝を受けることに
なるからです。       
                          (GA353 264~265)


501:、
08/05/28 19:33:06 TD/3JVYb0


「アトランティス以降にチベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない」
という指摘は、まるで今日のオウムの事件について警告を発しているかのようです。
 シュタイナーほど早く、的確かつ本質的に、こうした二十世紀末の反時代的宗教感情の台頭と
その危険に対して警告を発している人物が他に居るでしょうか。
最近、著名な作家や評論家の中にまで、
「人々がイデオロギーに頼る時代は終わった。これからは宗教の時代だ」
などという趣旨の発言をしているひとがおりますが、まことに無責任であるとしかいいようがありません。
 つい最近まで、無責任な進歩的知識人たちが「平和、平和」と盛んに唱えていたかと思
えば、こんどは、「宗教、宗教」と唱える知識人が活躍する順番だとでも言うのでしょうか。
 現代という時代がいかに無機的で先が見えないからと言って、人々の自我(主体性や個
人的尊厳)を奪ってマインド・コントロールをかけるようなカルトや宗教に道を譲る必要が一体何処に
あるというのでしょうか。
 また、今日の宗教界の退廃については、既成の宗教界もおおいに反省すべきでしょう。
まともに信者に人倫の道を説くことも怠り、ましてや本来信者の苦しみを軽滅するためで
あるはずの「序霊」行為をカネ儲けに利用してはばからないような一部の教団の姿こそ、
退廃そのものなのではないでしょうか。


502:、
08/05/28 19:38:19 TD/3JVYb0

第4章 医療と科学技術に関する「大予言」



機械に関する「大予言」

ルドルフ・シュタイナーは1920年前後に、将来医学や科学技術の分野において非常に大きな改革が
もたらされるであろう、と述べています。すなわち、

【大予言20】未来の人類の本性の中から、3つの能力が発達してくることになるだろう。
      (GA186「変化した時代状況における私たちの時代の社会的な基本要求」)
と、予言しているのです。
 シュタイナーがここで「3つの能力」と言っているのは、機械・性・医療をめぐるもののこと
ですが、人類の運命はこの「3つの能力」がどのような方向に発達するかにかかっている
と言っても、けっしておおげさではありません。
 それではこれから、これら「3つの能力」に関してシュタイナーが何を予言したのか、そして、
その予言はどれほど当たっているのかを見てみることにしましょう。

今世紀初頭、ルドルフ・シュタイナーが活躍した時代に、主な動力は石炭エネルギーでした。それ以後わ
ずか70年の間に、エネルギ―の主役は石油になり、今では原子力エネルギ―や光エネルギーに
なっています。それにともない機会も驚くべき発達をとげました。向上では人間の変わりに
ロボットが作業し、様々な機械の中では半導体が大きな役割を担っています。
 機械文明のこうした急激な発展は、さまざまの強い影響を二十世紀の人間と社会に与え
てきました。二次にわたる世界対戦、共産主義革命、ファシズムの台頭と衰退、人口の都市集
中化、公害、自然破壊等々の問題の底辺には、必ずエネルギー問題が横たわっています。
 こうした大変化を、シュタイナーは何処まで予見していたのでしょうか。


503:本当にあった怖い名無し
08/05/28 19:40:17 TD/3JVYb0

【大予言】人間は自分自身の振動を用いて、マシーンを動かすようになるだろう。

 人間は、自ら生命体の中に存在する繊細な振動を、機会に衝動を与えるために利用する
ことができるようになります。人間は自分に結びついた機械を持つようになります。そし
て人間は自分自身の振動を機械に移すようになります。つまり人間は自分が引き起こした
振動を用いて、ある種の機械を動かすことができるようになるのです。
                          (GA186 214~215)
シュタイナーが「振動」といっているのは、物理的な振動のことDDけではありまSけではあり
ません。そこでは人間の中に存在する生命科学的なしんどうが想定されているのです。
人間の振動を利用した機械と言えば、電話もその一つです。人間が声を発し、その声が振
動となって相手に伝わり、相手の受話器の中でこんどは振動が声に変わるわけです。
「人間が生命体の振動を使って、機械を動かす」研究は、現代の技術革新の主力となって
います。
最新の科学においても、
「あらゆる物質が原子レベルでは絶えず振動している」
ということが、常識になりつつあります。
光も振動しています。
この物質界に存在するものはすべて、肉眼ではとらえられないレベルで振動しているのです。
 この一世紀はどの間に人間は
、物理学振動と生命科学的な振動を結びつけることに成功し、技術革新の大波を作り出し
ました。バイオ・テクノロジー等の先端産業は、このような傾向の現れです。
 遺伝子工学という分野がさいきんことあるごとに注目を浴びています。遺伝子工学にお
いては、いままでは工学・医学・生理学にそれぞれ分類されていた複数の学問分野が混ざ
り合っているのです。
 現代の学問はこうして相互に相互に影響しあいながら、私たちの予想を遥かに超える発展を遂げています。

504:,
08/05/28 19:41:54 TD/3JVYb0

生命的なレベルのバイブレーション(波動)やエネルギーに対する認識の深まりは、急速に自然科学の
研究対象となっているばかりか、自然科学それ自体を一変させています。
また、それとは正反対の方向の変化も見られます。たとえば電子顕微鏡などの発達・発明
によって、人間の観察の目は生命体内部の今まで到達できなかった細部にまで届くように
なりました。
そうした機械や技術の進化は、動植物を問わず生命体そのものを大きく変化させています。
人間もその例外ではありません。
 こうした文明のもとに生きる私たちはいま、一方では大きな期待を抱きながら、他方で
は底知れない不安にさいなまれています。
 たとえば原子力がよい例です。周知のように、いずれは枯渇するに違いない石油エネルギー
に代わるものとしては、今のところ人類は原子力に期待するしかありません。しかし、そ
れも物質文明の現在の消費レベルを維持し続けるとすれば、のはなしですが。この点に関し
ては、人類がエネルギーの消費レベルを下げるように努める気配は、いまのところまったくあり
ません。それどころか石油の消費量は増える一方であり、90年代に入ってそれまで原油
輸出国だったソ連とアメリカが次々と輸出国に転落し、さらに二十一世紀初めには、中国の石
油消費量がアメリカや日本を追い抜く見込みなのです。開発途上国が次々に工業化することに
よる公害や自然破壊の深刻化を避けるためにも、クリーン・エネルギーの利用拡大が叫ばれている
わけですが、原子力の安全性にはあまりにも問題がありすぎるといわねばなりません。
私たちは心弱き人間として、こうした科学文明のが私たちの未来に安全と平和をもたらし
てくれることを祈りたいのは当然なのですが、はたしてそうなってくれるかどうかは、私
達の生き方しだいなのです。
 この点に関して、シュタイナーはとても気にかかるような予言的といえる言葉を述べています。


505:、
08/05/28 19:45:50 TD/3JVYb0

【大予言】科学技術は限界に達し、消滅するだろう。

比較的近い未来において、現代の驚嘆すべき科学技術はある種の限界に到達します。そし
て、この限界に達した時点で、科学技術はある方向によって自らを消滅させてしまうこと
になるでしょう。
                            (GA173  214)

「ある種の限界」とは簡単には説明することができません。しかし、「驚嘆すべき科学技術」
が、もはや心ある人間の耐えうる限界を超えていることは、確かな事実なのではないでし
ょうか。
 遺伝子工学や内臓移植やバイオ・テクノロジーの領域においては、すでに、「ここまでしてよい
のか」と不安視されるような研究例が報告されています。理性によってコントロールされるべき
ものが暴走するような事態はすでに実際に起きており、今後ますます増えることでしょう。
人間の理性や倫理観は、そうした暴走を食い止めるほどには、まだ強くはなっていないの
でしょう。
 人類はそこまで自分自身を信じられるほど内面的に強くはなっていないのに、科学技術
の進歩はとどまるところを知りません。このことについて、私たちは大きな不安を抱いて
います。このシュタイナーの指摘をどう受け止め、どう考えるか、それは人によって様々でしょ
う。しかし、いずれにせよ現在の自然科学に過剰に依存した物質文明がこのままでよいと
考える人は、それほど多くはないと思われます。
 私たち人類は今、運命の重大な岐路にたっているのです。


506:,
08/05/28 19:48:35 TD/3JVYb0
【大予言23】

人々はある能力を通して、調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲にわたって機
械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになるだろう

人々はある能力を通して―この能力はまだ人間の中で潜在的な段階にとどまっています
が、やがて発達することになります―調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲
にわたって機械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになります。―中
略―それに当てはまる振動の曲線を知ることによって、人間はほんのわずかな振動を与
えるだけで、ある種のモーターを動かし、駆動させることができるようになります。そしてそ
のことによって、今日の人間の力が必要とされている多くの事柄が、純粋に機械的な力に
よって取って代わられることが可能になるでしょう―中略―そしてこのことによって、
英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる可能性が生じる
ことになるでしょう。
                          (GA186  71~72)
技術革新には、他にも無視できない問題が付きまとっています。大量失業と言う問題です。
 シュタイナーが生きた今世紀初めの時代は、ヨーロッパのほとんどの国は農業国でしたから、失業
などと言う考えはありませんでした。ところが産業革命によってイギリスが工業国へと移行す
るに従い都市人口が増え始め、まもなく都市に失業者が溢れるようになりました。そうし
た社会の大変化をいち早く見通して、シュタイナーは、
「、、、、、、英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる」
と、じつに的確な予言をしたのです。
 その後、現実はまさにシュタイナーの予言どおりになりました。斜陽の資本主義イギリスでは、失
業者が絶えず10パーセントを超えるようになったのです。
 その後4半世紀を経て現在では、人体工学・バイオ・テクノロジーその他の先端技術を応用し
たさまざまなマシーンルイの驚異的発展により、慢性的に労働が供給過剰になっています。
「英語を話す領域内」とシュタイナーがいっているのは、当時は英語圏の国々で資本主義が発展
していたからでしょう。


507:、
08/05/28 19:50:24 TD/3JVYb0

 失業率が低いことでは有名だった日本も、社内失業と言う独特の習慣を計算に入れれば、
失業率はとっくに10パーセントに近づいているといわれています。
かつて19世紀前半のイギリスで、産業革命に伴う機械の導入とともに職を失った手工業者た
ちが、機械を破壊する運動(ラッダイト運動)を起こしたことがありました。ルドルフ・シュタイナーは
こうした社会問題についても、極めて明確な予測を語っています。

【大予言24】 不満を抱く人間の集団が反抗的な動きに出ても、それは麻痺させられてしまうだろう。
        歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。

19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
 将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
 今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
 それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
                  (GA186 72)


508:,
08/05/28 19:52:49 TD/3JVYb0

歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。

19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
 将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
 今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
 それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
 いずれにせよシュタイナーは、このような「振動を用いて機械を動かす能力」は英語圏で発達
するだろうと述べています。そしてこの力は西暦3500年ごろまで、英語圏以外の地域
の人間をも支配するようになるだろう、というのです。

 産業主義を担う一方の柱であったソヴィエトがあっけなく崩壊した―第3章で見たとおり、
今世紀初めにはすでに、シュタイナーははっきりと共産主義の崩壊を予言していました―以上
は、こうした開発を担うのはアメリカかイギリスであろうと推測するのは難しくありません。

ドイツや日本はどうかと考える人も少なくないかもしれませんが、第二次世界大戦に敗れた
両国には、もはや世界支配の野望はほとんどなく、またそうした野望を支配層が抱いたと
しても、両国の国民はそれを許そうとはしないでしょう。
 しかし、世界大戦に敗れた体験がない米・英両国には独・日のような戦争アレルギーは
うすく、みずからが世界警察の役割を果たすことが当然と考えています。
 こうした現代の世界情勢を考慮に入れると、先に掲げた(GA173  214)のシュタイ
ナーの言葉は、ますます意味深く感じられてくるのではないでしょうか。


509:,
08/05/28 20:15:50 TD/3JVYb0



優生学に関する「大予言」

将来、人類が発達させることになるとシュタイナーが述べている「3つの能力」のうち、残り不
意辰は医療に関するものです。
そして、その一つ目は、優生学に関する能力です。
 優生学とは一般に、人間を含めた生物の遺伝的素質を改良する方法を研究する学問の事
を指しますが、ここでいう優生学とはそれとは少しニュアンスをことにするもので、シュタイナーはそれを、
「人間の生殖を単なる恣意や偶然から独立させること」(GA72)
と定義づけています。

【大予言25】人間は受胎と誕生を高度にコントロールすることになるだろう。」

東洋の人々の内部で、本能的に明確な知識が発達してくるでしょう。その知識は「人口の
法則が、どのようにしてある種の宇宙的な減少と平行して進行していくか」ということに
関するものとなるでしょう。つまり、人々は、ある星の位置と調和させることによって受
胎をコントロールし、そうすることによって、善良な人間をあるいはそうでない人間を地
上に誕生させるきっかけを作り出すようになるでしょう。アジア住人の民族の連続を、地の
連続を形成している人間だけが、「今日混沌としたまま、恣意的に地球上で作用している受
胎や誕生を、どうすれば個々の具体的な場合において、宇宙の大いなる法則と調和し得て
ながら作り出すことができるか」ということを洞察する能力を獲得できるのです。ここで
は抽象的な法則は役に立ちません。ここで獲得されるのは具体的な能力です。その能力は
個々の場合において、「いまは受胎してもよい」とか「いまは受胎してはならない」という
ことを知るようになるのです。
                           (GA186  72~73)

510:,
08/05/28 20:18:03 TD/3JVYb0

有史以来人類は長い間、受胎と出産に関してはすべて自然のままにまかしてきました。子
供がいつ胎内に宿るか、いつ誕生するのかと言ったことはすべて、人間の力を超えた領域
に属する事柄とされてきたのです。また、生まれてくる子供が男か女か、勉強が得意かスポ
ーツが得意かいったこともすべて、人類は偶然の手にゆだねてきました。
 ところがシュタイナーは、将来人類は受胎と出産にかかわる事柄までも居のままに操作する能
力を身に付けるようになるだろう、と述べているのです。1920年前後にどれほど医学
がまだ未発達であったかを考慮に入れるなら、その当時シュタイナーからこうした説を聞かされ
た人々は、さぞかし呆気に取られたことでしょう。
 しかし、その当時から4分の3世紀を経た現在、医学の分野ではどのようなことが行わ
れているのでしょうか?
 そこではすでに、遺伝や染色体を操作することによって男女を産み分けたり、遺伝的な
病気を克服したりする試みが行われています。また、薬物を用いて排卵や出産の時期をコント
ロールすることも、多くの病院で実行に移されるまでになりました。
一見荒唐無稽に移った―特に今世紀初めの人々にとっては、そうだったにちがいありま
せん―シュタイナーの予測は、当時から70有余年たった現在、ようやくその的確性を確認で
きることとなったわけです。なぜなら人類はすでに「いかにして自分の望むとおりの子孫
をこの世に生み出すか」と言う方法を探究し、相したテクノロジーの一部を実行しはじめ
ているからです前掲のシュタイナーの予言において注目すべきことは、星の位置と言う宇宙的な事象と人間の受
胎あるいは誕生との関連について述べている、と言う点です。太古の昔にバビロニアや昔の
人々は、天界の事象と人間の運命の間には密接な繋がりがあると信じていました。
 当時の占星術は―占星学と呼ぶべき―学問であり、星の位置や運行に関して正確な
知識を必要としたとこから、今日の天文学の基礎が生まれました。



511:,
08/05/28 20:19:36 TD/3JVYb0

 ところが、近代になって自然科学が発達するとともに、占星術は迷信として退けられる
ようになりました。そして、天体を人間から切り離して研究する天文学のみが学問として
認められるようになりました。というのも、天体の運行と人間の運命の結びつきに関して
は、今日の自然科学のように物質的因果律のみによって証明することは困難だったからで
す。ところが今世紀に入ると、科学者の側からも従来退けられてきた占星術的な諸現象を
研究しようとする動きが現れるようになりました。なかでも代表的なものは、C・G・ユング
とW・パウリが共同で行った研究です。(自然現象と心の構造)。アジアの人々が、シュタイナーの示
唆する

【大予言26】医療倫理は荒廃するだろう。

 優生学や医学上の問題を考える場合には、倫理上の問題を避けることはできません。体
外受精・遺伝子操作・臓器移植などの医療行為の倫理性を巡って、様々な論議がなされて
います。
 しかし、医学の領域においてもテクノロジーの進歩はあまりにも急速です。それにたいして人
間のモラルの進歩はとてもゆっくりとしたものです。今のままで推移するなら、いつ何時
恐るべき事態が発生するかもしれません。いや、すでに恐るべき事態は幾つも起きている
のです。
 心臓移植は1970年代にはすでに実地されています。しかし、現在では中止されてい
るようです。
 なぜでしょうか?
 移植手術を施した結果、患者の自我に変化を来たし、自我は別人のそれのようになって
しまったのです。
 かねてシュタイナーはこう警告していました。すなわち、
「心臓はポンプではない。人間の臓器はオートバイの部品のように扱ってはならない」と。
ような能力をいつ獲得するのかはわかりませんが、すでに私たちは彼の示唆する方
向に向かって歩み始めていると言うことができるようです。

512:、
08/05/28 20:20:58 TD/3JVYb0

 人間を徹底して機能的にとらえる現代医学の外科手術は、予想もしない結果を引き起こ
しました。つまり、機能的にはとらえることの決してできない精神と言う領域に、述語の
変化が現れたのです。これは明らかに機能的・物質的因果関係では説明することのできな
い結果です。
 しかし、こう述べたからと言って、決して現代医学を一面的に非難したりするつもりは
ありません。ただ、私たちが現在置かれている現実について、正確に述べようとしている
に過ぎません。
 医学の新たな挑戦は今後も盛んに続けられるでしょうし、そのたびに私たちの倫理観は
大きく揺さぶられることでしょう。
 シュタイナーもアジア陣が獲得するであろう優生学上の能力の前提として、
「そのためにはまず、人類が道徳的に成熟することが不可欠になるでしょう」
                          (GA173  215)
 と、述べています。
 さらにシュタイナーは、この能力はロシアかアジアの周辺地域で開発されるだろう、と予測していま
す。これはヨーロッパから見た極東地域つまり中国あたりを指している可能性がありますが、
もしかすると日本のことかもしれません。



医学に関する「大予言」

将来人間が獲得することになるとシュタイナーが予測した3つめの能力も、医療に関するものです。

【大予言27】神秘的な衛生学が発達し、人々は外面的な医学を必要としなくなるだろう。


513:,
08/05/28 20:21:56 TD/3JVYb0

この能力は、「誕生から死まで続く人間の人生が病気のプロセスとまったく同一のプロセスにした
がって信仰する」と言う洞察によって成熟します。病気のプロセスは、誕生から死まで続く通
常のノーマルな生のプロセスが特別に過激に変形したものに過ぎません。私たちは自分の中に、病
気を起こす力だけではなく、健康を作り出す力をも備えているのです。―中略―未来
において、物質主義的な医学はその基盤を失うことになるでしょう。なぜなら神秘的な衛
生学の能力が発達する瞬間に、人々は外面的な物質的医学を必要としなくなるからです。
そのためカルマ的な原因によって発生する病気以外の非伝染性の病気は、心理的な方法で予防
的に取り扱うことが可能となるでしょう。この点において、すべては変化するでしょう。
現在のところ単なる夢物語のように思われるとしても、このことは非常に近い将来に実現
することになるでしょう。
                          (GA186 174~175)

人間有機体を一種の機械のようなものと見なす医学は、このころ目覚しい発展を遂げつつ
ありました。
 日本からも北里柴三郎(1852~1931)などの優秀な医師が渡欧し、最新の医療
知識や技術を熱心に急襲しようとしていました。
 そうした時代に、ルドルフ・シュタイナーが時代に真っ向から逆らうようなこうした見解を述べて
いたと言うことを、私たちは深く記憶しておくべきかもしれません。


514:,
08/05/28 20:23:59 TD/3JVYb0
「神秘的な衛生学」などといわれると、どこかうさんくさいように思われる方もおられる
かもしれませんが、それはことばにこだわるからで、ここでも私たちはシュタイナー以後の医学
がどのような傾向を帯びたか、それを事実を持って検証する必要があるでしょう。
 まず第一に挙げられるのは、フロイトとユングの登場です。二人は活躍した地域(オーストリアとスイス)
も年代(19世紀末~20世紀初め)も、ルドルフ・シュタイナーとほぼ同じです。二人は協力して
フロイトが創始した精神分析学の発展に努め―後に袂を分かちましたが―、心理学の発展
の基礎をすえました。

フロイト オーストリアの心理学者・精神医学者。人間の心理生活を、下意識または潜在意識の領域
内に抑圧された性欲衝動(リビドー)の働きに帰し、心理解明の手段として精神分析の立場
を創始。1856~1939.

ユング スイスの心理学者・精神医学者。ブロイラーに協力、連想検査をつくり、また、性格を外向
型・内向型に分類。フロイトの考えに共鳴し、精神分析運動の指導者となったが、後にフロイトと
別れた。1975~1961 
                      』
2人が当時の医学会に与えた衝撃と影響はおおきなものでした人間の病気を物質的因果関
係の枠内で考える立場は、心理や意識・無意識を研究することによって、微妙な変化をき
たしはじめました。
子供が腹痛を起こしたときには、
「何か悪者を食べたのだろう」
とか、
「朝食を食べ過ぎたのだろう」
などと外的な原因を探すだけでは不十分であり、場合によっては原因は、まったく内的―
―心理的なものであるかもしれないのです。すなわち、
「学校に行きたくない」
とか「親の注意を自分にひきつけたい」
という子供の心理的な要因も研究する必要があります。
こうして精神分析や心理学は、臨床医学にも頻繁に応用されるようになって行きました。
 バーニー・S・シーゲルはこのような分野の研究者の一人ですが、がんのような病気の場合です
ら、その背後に罪悪感や愛の欠如と言った心理的な要因が潜んでいる可能性がある、と述べています。


515:,
08/05/28 20:26:07 TD/3JVYb0

「自分のせいで病気になったと考えて罪悪感を持ったり、病気を治すことができないと敗
北感を感じたりする人は、体の治癒システムにマイナスのイメージを送っていることになる。こう
した罪悪感や敗北感は、捨てなければならない。そうすれば、生まれつき体に備わってい
る治癒能力は、否定的メッセージに邪魔されることなく、存分にその力を発揮できるだろう」
シーゲルは、これからの医学は単に物質としての肉体を治療することを目指すだけではなく、
「人間は心と身体が一つに結びついた存在である」
という考え方のもとに患者の自然治癒力を引き出すことを同時に考慮しなくてはならない、
と主張しています。

『個人のライフ・スタイルや感情が健康に影響すると言う考えは、百年前には当然のこととして受
け入れられていた。今日では、感情が身体に化学的な変化を起こすことが明らかにされな
い限り、感情に生理的影響があるとは認められない。だが幸いなことに、現代の科学によ
って、そうした変化が実際に起こっていることが証明できるようになった。生理学者の研
究により、愛が身体に与える影響は測定できることがわかっている。愛情を与えられない
赤ん坊は骨の発達が送れ、志望することもあるのに対し、体をなでてもらった赤ん坊は成
長が早いのだ。
―中略―
医学はもはや、説明のつかないものを奇跡として片付けるだけの、機械的な学問にとどま
ってはいけないと思う。治癒のプロセスについて再び勉強を始め、これに対してこれまでの医
学とは違うアプローチをするときがきている。病気と死ではなく、健康と生へ目を向ける
のだ。
 医学の理論と実践においてこのような転換を行わない限り、発展は望めない」
(シーゲル博士の心の健康法)


516:,
08/05/28 20:27:38 TD/3JVYb0
ルドルフシュタイナーがどのような意味を込めて「神秘的な衛生学」といったのかをすべてあきらか
にするのはとても困難なことですが、ここではさしあたり、
「心=外的な医学ではとらえられないもの=神秘的」と理解しておくだけで十分でしょう。
そうすれば、あのシュタイナーの見通しが荒唐無稽なものではまったくなく、それどころか大変
な先見性をもつものであったことが、誰の目にも明らかとなることでしょう。
ルドルフ・シュタイナーは、さらにこう述べています。

【大予言28】第3に、人間はさほど遠くない未来において、病気と健康についてのあら
ゆる考えかたが変革されるのに気づくようになるだろう。
医学は、精神の中でとらえることができるものによって浸透されるようになるだろう。な
ぜなら人間は、まさに病気を精神的な原因の結果として認識することを学ぶようになるからだ。
                             (GA173 215)

ここまでくれば、もはやシュタイナーの見通しの確かさを疑える人は居ないでしょう。二十世紀
の医学の進歩の大きな潮流の一つは、まさに「病気を精神的な原因の結果として認識する
ことを学ぶ」過程そのものであったからです。
「物質的な医学はその基礎を失うことになる」という表現はいささか強すぎるような気も
しますが、医学の基礎が外的―物質的な認識から内的―精神的な認識へと変化してい
くことを指摘したものと考えれば、理解しやすくなるのではないでしょうか。
 シュタイナーはこのような衛生学の能力は「ライン川から東アジアに至るまでの地域」で発達するだ
ろう、と予測しています(GA186  75)。そうだとすると、これまで書いてきたこ
とを総合すれば、機械に関する能力を英語圏が、優生学に関する能力をアジアが、そして新
しい医学を中部ヨーロッパが担うことになります。


517:,
08/05/28 20:28:43 TD/3JVYb0


人類を破滅させるかもしれない「3つの能力」
人類が精神的に進歩しないままで「3つの能力」を濫用するならば、どんなことになるで
しょうか。
 ルドル・フシュタイナーは「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(GA182 138「天使と
人間」)と題された講演の中で、先に掲げた講演の調子とは一転して、これらの「3つの能
力」を人類を破滅させるかも知れぬ危険をはらんだものとして紹介しています。
こうした未来に暗い影を投げかけるものについて、できることなら考えたくはないという
のが偽らざるところですが、 いま をしっかり生きるためにも、シュタイナーの未来に向けた
警告に耳を貸すことも、あながち無駄ではないでしょう。
 まず、主として英語圏で発達すると言われる「機械に関する能力」については、どのよ
うな危険があるのでしょうか。

【大予言29】あらゆる技術は荒廃し、人間はそれを歓迎するだろう。

人間はある特定の力に精通するようになります。この力を用いて人間は、ほんのわずかな
きっかけによって、つまりある種の振動を調和させることによって、世界に多数の機械の
力を解き放つことができるようになるでしょう。まさにこのような方法で人間は、機械的
かつ力学的な存在をある精神的な方向に向けるすべを本能的に知ることになります。その
結果、あらゆる技術は荒廃するようになるでしょう。しかしながら人間のエゴイズムにとって、
この荒廃はむしろ非常に役立ち、歓迎すべきものとなるでしょう。
(天使と人間72)


518:,
08/05/28 20:30:57 TD/3JVYb0

「世界に多数の機械の力を解き放つ」というところまでは、すでに現実となっていると言
えるでしょう。それに続く言葉は、いささか奇妙な感じを受けますが、まさに戦慄すべき
ものではないでしょうか。
「機械的かつ力学的な存在をある精神的な方向に向ける」とは、何を意味するのでしょう
か?そもそも後半部分の表現はなぞめいていて、今のところ私たちにもはっきりした具体
的な解釈はありません。しかし、この言葉に秘められたもののニュアンスくらいは、誰でも感じ
取ることはできるでしょう。
「機械的かつ力学的な存在」とは、例えば原子力もその範疇に入るのではないでしょうか。
「ある精神的な方向に向ける」と言う言葉はまったく解釈が困難なのですが、後に「人間
のエゴイズム」と出てくることから判断して、あまりよいニュアンスを伝えるものとは思えま
せん。すぐに思い浮かぶことは、たとえば原子力の兵器利用です。現在の世界では、原子
力に限らず、あらゆる「機械的かつ力学的存在」の武器利用が計られています。そして、
それらは世界平和の維持と言う美名の下に維持されていますが、そこに一部の国家や支配
層の「ある精神的な方向=エゴイズム」が隠されていないとは、誰にも断言できません。
 また、こうした国家レヴェル・地球レベルの話でなくとも、例えば一部の企業がまさに利
益だけのために秘密裡にあるテクノロジーを開発し、人類を危機に陥れるようなことは部分的に
はすでに行われていることですし、今後そうした事態が拡大しないとは保証の限りではあ
りません。
近い将来、テクノロジーは私たちの想像力をはるかに超えて、ますます発展していくに違いあり
ません。 テクノロジーは諸刃の剣のようなものです。もしそれが善用されればその利益は無限に大きな
ものとなりうるでしょうが、もしあくようされればそれはわたしたちに破滅をもたらしま
す。私たちは、無限大の希望と無限大の不安のもとに生きることを強いられているのです。
人間精神はかつてなかったほど深刻な試練に見舞われているといっても、決して過言では
ないでしょう。
すべては私たち人間の心、精神にかかっているのです。

アジア辺縁地域で開発されるという「優生学に関する能力」に関して、起こりうる最悪の事
態とは一体どのようなものなのでしょうか。

519:,
08/05/28 20:32:34 TD/3JVYb0

【大予言30】有害で破滅的な性本能が現れ、社会生活に浸透するだろう。

すなわちこの場合、人類進化の内部で起こることに関して、「性生活と性の本質の中から本
能が、明るい目覚めたいしきの中で人類にとって有益な方法で生じるのではなく、むしろ
有害で破滅的な方法で現れることになるだろう」と言い表すことができるのです。本能は
単に混乱を引き起こすだけではなく、社会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形を
とるまでになるでしょう。性生活を通して地の中に現れてくるものによって、人間は他の
何者にもまして強い影響を受けます。そして地球に何らかの友愛の精神を展開する代わり
に、人類は友愛の精神を絶えず拒絶することになるでしょう。私がここでいう本能とは、
このようなものになるでしょう。

(天使と人間69~70)

「性生活と性の本質の中から本能が、、、現れる」というシュタイナーの予言もやはり、解釈が困
難なものです。
しかし、私達はここで、何かをかすかに思い出さないでしょうか。
そう、70年代にアメリカ西海岸を中心として沸き起こったヒッピー運動(フラワー・チルドレン)です。
とりわけヒッピーたちが熱心に主張し実践したのは、フリー・セックスでした。


520:,
08/05/28 20:55:54 TD/3JVYb0

そして、フリー・セックスが「悟りに通じる」ものだとして、宗教的意味づけと許しを与えたのは、
「堕ちた神(グル)」と呼ばれたインド人バグワン・ラジニーシ(和名 和尚)です。ここで、バグワ
ンの問題に深く立ち入ることはしませんが、この教団の姿を詳しく知りたい方は『ラジニーシ・
堕ちたグル』をお読みになってください。
バグワンの教団は多国籍型のカルトで、インドのみならずアリゾナ・マウイなどに共同体をもち、我が国
にも少数ながら活発に活動しているグループがあります。
 まさに彼等の狂った教義は「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部でかたちを形を
とる」までに、この日本でもすでになっているのです。
 インドで近隣との摩擦を引き起こし、自己防衛と信者の囲い込みのために軍隊を造ったり、
アメリカで選挙運動に参加し有利に運ぶために細菌をばら撒いたり(最近ある地方新聞で報道
された)、信者にお布施を強要して莫大な富を築いたりと、信者獲得のために真の目的とラジ
ニーシの名前を隠して「セラピー」などの講座を全国各地で開く―オウム真理教の場合は「ヨガ」
ですが―など、この教団のすることはオウムそっくりなのです。おそらくオウムのほう
がラジニーシの手口を真似たのかもしれません。
 しかし、性本能が「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部で形をと」り、「有害で破
滅的な方法で現れ」ているのは、オウムやラジニーシのような極端で破滅的なカルト教団ばかりでは
ありません。
大都会の夜を彩る性を売り物とする様々な商業主義的施設もこれにあたるでしょう。
こうした堕落した性の文化の中で、多くの未来ある若者たちがそれと知らずに傷つき、人
生を台無しにしているのです。
「本能は単に混乱を引き起こすだけでなく」と、ルドルフ・シュタイナーは指摘しています。オウムが
こんなひどい「混乱を引き起こし」たかは、ここでわざわざ説明するまでもありません。
 いつまでも彼等の活動―カルトはオウムばかりとは限りません―を放置するならば、家庭
も、友情も、愛も、それどころか生命までも、永遠に奪われてしまいかねないのです。
 ルドルフ・シュタイナーの立場は、理想的にも信仰的にも、こうしたカルト的退廃文化を生み出した
ニューエイジ運動とはまったく無縁のものであり、断固としてそれらに反対するものです。

521:,
08/05/28 20:58:37 TD/3JVYb0

シュタイナーのことばの恐るべき予言性に、慄然たる思いを感じるのは私だけでしょうか?
 ところで、「性生活と性の本質」とはなんでしょうか?それだけでも大問題です。しかも
シュタイナーはこれとは別のところで、
「性の秘密は最高の神秘学に属することなので、いまはまだそれを明らかにすることはで
きない」
 と、いっています。
「最高の神秘学」などといわれると、いささか権威主義的な感じがするかもしれませんが、
決してそんなことはありません。例えば20世紀アメリカ文学を代表する文豪ヘンリー・ミラーの主要
な作品は、あくまでも文学的な表現方法によるものですが、性の世界と言う主題のあくな
き追求に貫かれています。
また、やはり現代アメリカ文学を代表する作家ノーマン・メイラーも、「性は小説家に残された最後の荒
野であり、フロンティアである」
と、書いています。
私たちはまだ、性についてほとんど何も知らないのです。
しかし、ここでもやはり、私たちは事実を追及することができます。
第一に考えられることは、受胎と誕生に関わるテクノロジーの問題です。人間が受胎と誕生を思
いのままに操作することが近未来において実現するであろうことはほとんど確実なのです
が、その結果人体にどんな影響が出るのかはよくわかりません。
 あるいはまたここで述べられていることは、エイズのような病気を予想していた可能性が
あります。「性生活を通して血の中に現れてくるもの」というシュタイナーの表現には、十分にそ
れを実感させるものがあります」。エイズは病気として出現してきましたが、それはまさに「社
会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形をとるまでに」なっています。シュタイナーが示
唆するものがエイズに決まっていると主張するつもりはまったくありませんが―というの
は、エイズ以外にも今後どんな病気が出現するのかは誰にもわかりませんから―すでにエイ
ズを知り体験してしまった私たちにとって、シュタイナーのこの言葉は思い響きを持つものでは
ないでしょうか。

522:,
08/05/28 21:01:23 TD/3JVYb0

 いずれにしても、シュタイナーは性および性生活と私たち人間のエゴイズムの関連を深くとらえ、
重要視しているようです。性の商業化や乱れた性関係などの底辺に、欲望と言う名のエゴイズ
ムが潜んでいることは否定しがたいことです。いまや私たち人類は、シュタイナーのこうした予言
を、事実を持って確認するだんかいにはいってしまったのではないでしょうか。それを認
めることはとてもつらいことですが、だからといってそれを否定したり無視したりするこ
とに何の意味があるのでしょうか。いまこそ事実を正面から見据え、それを意識化しなけ
ればならないのではないでしょうか。
 最後に、中部ヨーロッパの人々が担うことになるとシュタイナーが指摘している「第3の能力」に
ついて、検証してみることにしましょう。それは医療と衛生学に関するものです。先にも
紹介したように、シュタイナーはこの能力は主に中部ヨーロッパで発達するだろうと予測していまし
た。

【大予言31】薬や治療に関する本能的で危険な認識が生まれ、恐るべき損害をもたらすだろう。

 つまりこのとき、ある治療薬についての本能的な認識が生まれてくるわけですが、それ
は有害な認識なのです。医学に関することはすべて唯物論的な意味において、著しく促進
されることになるでしょう。人間はある種の物質や処置が備えている治癒力に関して本能
な洞察を身に付けますがそのためにまた恐るべき損害を引き起こすことになります。しか
し、人々はこの損害を、むしろ有益なものだと言い張ることでしょう。人々は病的なもの
を健康的だと考えたがることでしょう。というのも人間は、ある処置を施していると、し
だいにそれが気に入るようになってくるものだからです。人類を不健康な方向へと導いて
いくものが、単純に好まれるようになることでしょう。こうしてある事象や処置が備えて
いる治癒力に関する認識が高まるわけですが、このような認識は極めて危険な領域に足を

523:,
08/05/28 21:02:49 TD/3JVYb0
踏み入れることになります。というのも、人間は取り分け本能を通して、ある種の物質や
病気に対する処置が生み出す効果に関して、知識を得ることになるわけですが、この場合、
まったく利己的な動機にしたがって、病気を引き起こしたり、引き起こさなかったりする
ことができるようになるからです。
                      (天使と人間71~72)
先に紹介したとおり、シュタイナーは、医学がこの先正しい方向に発達していくとしたら、それ
は現在のような物質主義的な医療のあり方を乗り越えたものとならなくてはならない、と
考えていました。すなわち、人間の心と病気の結びつきに関する深い洞察に基づいた医療
が、将来現れることになるだろう、と予測していいました。
 しかし、シュタイナーが想定していたことは、そうした楽観的な未来だけではありません。こ
こに掲げたようなまったく悲観的な事態も、ありうることとして考慮に入れたのです。未
来を単純に白と黒のように予想することはできないと言うのが、シュタイナーの教えです。未来
が悲観的なものとなるか楽観的なものとなるかは、わたしたち人間次第なのです。私たち
が人生を生きなければならない意味もそこにあります。
 したがって、ここでもシュタイナーは、人類が精神的に進歩することを怠ったまま、なおも現
在のような唯物論的な医療のあり方に固執し続けたらどうなるか、そうした事態を想定し
て述べているのです。治療効果を追求するあまり、人類は今以上に薬物や物質主義的な医
療技術―そこには当然ハイテクノロジーも含まれます―の開発に先進するだろう、だとするな
らば、その結果人類は「恐るべき損害」を被るだろう、とはっきり断定しています。


524:、
08/05/28 21:04:05 TD/3JVYb0

現在でもすでに大きな発展を遂げた先端医療や新薬は、めざましい治療効果をあげる反
面、さまざまな弊害をも引き起こしています。こうした現状を考慮に入れれば、シュタイナーの
予想はすでに実現してしまったと言っても過言ではないのかもしれません。新薬の投与や
臓器移植に伴う副作用の問題は、既に十分に深刻なものとなっています。しかし、医療者
にしてみれば、新薬や先端医療こそ最も効果的な治療方法なのです。
まさにシュタイナーの観察どおり、「人々は病的なものを健康的だと考えたがる」のです。

さて、こうした3つの事態が現実のものとなったら、いったいどうなるのでしょうか?

【大予言32】人間は性本能の逸脱を賛美し、醜いものを美しいとし、美しいものを醜いとするだろう。

ある種の事象や物質の治癒力に関する認識を本能的に拡大していくことに、人間は楽し
みを見出します。また人間は、道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚えます。
超人間的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこの
ような性本能の逸脱を賛美することでしょう。ある意味において醜いものが美しいとされ、
美しいものが醜いとされるのです。そして、人間はこのような事態について何も気がつき
ません。なぜなら、人間はすべてを自然の必然とみなすからです。しかし、それでは、人
類は人間自身の本質に命じられた道程から逸脱することになってしまいます。

                         (GA183 156~157)



525:、
08/05/28 21:06:20 TD/3JVYb0

シュタイナーのこの警告は、まるで75年前に、現在のラジニーシやオウムなどの狂信者集団の登場を
予告しているとしか思えません。
「道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚える」
とか、
「超人的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこ
のような性本能の逸脱を賛美する」
という指摘は、そのままカルト教団の悪魔的な本質をみごとに見抜いているようです。ラジニ
ーシが「堕ちた神(グル)」と呼ばれることは、まことに的を得ているといえるでしょう。
 さらにシュタイナーは、人類はたとえ誤った道を歩むとしても、そのことにまったく気づかな
い、というのです。この指摘を理解するには、マインド・コントロールにかけられたオウムの幹部や信
者たちの状態を想起してみれば、よくわかるでしょう。
そして、事態が取り返しのつかないところまで悪化したとき、人類はようやく自分たちの
誤りに気づくのですが、これもやはり、警察に留置されて少しずつマインド・コントロールがほどけ、
ようやく人間の心を取り戻して供述を始めているとされるオウム幹部たちのことを考えてい
ただければ、よく理解できるはずです。しかし、シュタイナーはこうした問題について、決して
楽観してはいませんでした。

【大予言33】それは人類にとって極めて悲惨な目覚めになることだろう。
と、シュタイナーは述べています。
さて、このような取り返しのつかないような状況にまでたっした後に、人類はどうなるの
でしょうか?ふたたび正しい筋道へと戻る機会は与えられるのでしょうか。それとも人類
は自らなした行為によって、そのまま消滅するしかないのでしょうか?
 残念ながら、ルドルフ・シュタイナーはこの先のことについては何も語ろうとはしませんでした。

この部の前半で紹介したとおり、シュタイナーは、将来人類は機械・優生学・衛生学に関する3
つの能力を開発するだろうという予測を立てていました。そして、そのことが国際間の強
調を生み出すきっかけとなるだろう、という明るい見通しを明らかにしました。ところが、
相する一方で、人類の未来に対して、シュタイナーはこのように非常に暗い予言を語っていたの
です。いったい、シュタイナーのこうした矛盾した態度を、私たちはどう受止め、理解したらよ
いのでしょうか?

526:、
08/05/28 21:09:21 TD/3JVYb0

 結論から先に言えば、未来の帰趨はあきまでも人間次第ということです。そのいみで、
人間の行為や思考は決してむなしいものではないし、意味のないものでもないのです。現
在の人間の思考や行為の中から、未来は生まれてくるのです。
したがって、
「人類が精神的にも道徳的にも進歩を続けながら、確実な基盤の上に立って3つの能力の
開発に力を注ぐ」
と言う前提に立つならば、人類は明るい未来を迎えることができるでしょう。しかし、そ
れとは反対に、もし人類が精神的に向上しないままで、現状のように、3つの能力を性急
に、しかも物質主義的な方向のままで「開発しようとするならば、遠からず破局が訪れる
ことになるでしょう。

第二部 堕天使アーリマンの受肉は目前に迫っている。
第一章 シュタイナーの「大予言」はなぜこれほど当たるのか。

関東大震災を警告した寺田寅彦博士

第二次世界大戦前に寺田寅彦という人物がいました。寺田寅彦は自然科学者としても有名
でしたが、文学者としても、かの文豪夏目漱石の弟子として広く知られていました。その
寺田博士が大正11年の1月に、「断水の日」と題したエッセーを朝日新聞に発表しました。博
士はそのエッセーの中で、東京と言う都市が、地震のような天災に対してはまったく備えがで
きていないことに、次のように警告を発しています。

『私の頭の奥のほうで、現代文明の生んだあらゆる施設の保存期間が経過した後に起こる
べき種々な困難がぼんやり意識されていた。これは昔天が落ちて来はしないか心配した 
木己国の人の取り越し苦労とは違って、あまりに明白すぎるほど明白な有限な未来にきた
るべき当然の事実である。たとえばやや大きな地震があった場合には年の水道やガスがだ
めになるというようなことは、初めから明らかにわかっているが、また不思議に皆がいつ
でも忘れている事実である」
                       (寺田寅彦随筆集第一巻)

527:,
08/05/28 21:11:20 TD/3JVYb0

寺田寅彦博士のこの不吉な予測が、はやくもその翌年には現実のものとなったのは、誰で
もよく知っている事実です。大正12年9月1日、帝都東京は関東大震災によって壊滅的
な打撃を被ったのです
それでは、なぜ寺田博士にとっては「やや大きな地震が」が、「明白すぎるほどに明白な有
限な未来に来るべき当然の事実」だと考えられたのでしょうか?
 それはまず第一に寺田博士が、大都市東京の構造上の弱点を、冷静な科学者の目で徹底
的に観察したからにほかなりません。『断水の日』を読むと、大正10年12月に東京でか
なり大きな地震が起こり、水道の溝渠が崩れる騒ぎがあったことがわかります。
そのとき、ほとんどの人は、水道が復旧するとともに、地震のことなどはすっかり忘れて
しまいました。
「のどもと過ぎれば暑さ忘れる」という諺どおりに、人々が地震をけろりと忘れる様子を、
寺田博士は「不思議」だと評しています。
しかし、優れた科学者である博士の目には、さまざまな不安要素が映りました。
断水の日に、寺田家では電気のスイッチが壊れました。また銀座では煉瓦が破損しました。
こうした事実から、寺田博士は次のように考えました。

『水道の断水とスイッチの故障との偶然な合致から、私はいろいろの日本でできる日用品につ
いて、平生から不満に思っていたことを一度に思い出させられるような心持になってきた
―中略―水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し
根本的に行き届いていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、
そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、
誰も容認しないことになっていたのならば、恐らくそれほどのことはないと思われる。』

しかし、それでは寺田博士は、こうした防災に関する意識や対策のみで、不安を克服でき
ると考えたのでしょうか?
もちろん、防災に対する意識や対策がなんの役に立たないなどと考えるべきではありませ
ん。全力を尽くしてそうした対策に取り組むべきであることは、ここでわざわざ強調する
までもありません。それは、先進国の中でも特に対策が遅れていると言われているわが国
では、特に強調されるべきことです。

528:,
08/05/28 21:14:11 TD/3JVYb0


政治家や役人は、なぜ都市計画を骨抜きにするのか?

しかし、はたして現代のあまりに巨大で複雑な大都市を、地震の様な大災害から守りきれ
るのでしょうか?
現代科学というものを、私たちはそこまで信用してよいものでしょうか?
百歩譲って信用するとしても、それでは平素から、
「科学的考え方以外に信用できるものはない」
と明言している政治家や行政官などの実務家たちは、これまで一体何をしてきたでしょう
か。彼らは科学者の警告に従って完全に科学的な対策を施してきた、と胸を張って言い切
れるのでしょうか?
信用できる一級の科学者である寺田博士が、
「これは昔天が落ちては来はしないか心配した木己の国のとりこし苦労とは違って、あま
りに明白すぎるほど明白な、有限の未来に来るべき当然の真実である」
と認定したことを重要視して、政治家や行政官が関東大震災後に本格的な都市再建と防災
対策に取り組んだでしょうか?
事実はその反対です。
彼らは関東大震災後に提出された本格的な再建案をよってたかって骨抜きにしてしまった
のです。
第二次世界大戦後の事情も、これとたいした違いはありません。
政治家や行政官・経営者などの自他共に実務家と認める人たちこそ、科学を軽視してきた
のです。「科学を信じる」ことだけしかモットーらしいモットーを持たない彼らこそ、実際には自ら
の信念を裏切っているのです。
寺田寅彦博士は「断水の日」を、次のような言葉でしめくくっています。


529:,
08/05/28 21:15:23 TD/3JVYb0


こんなことを考えていると我々の周囲の文明と言うものがだんだん心細く頼りないものに
思われてきた。なんだかコタツを抱いて氷の上に座っているような気持ちがする。そして
不平をいい人を責める前に我々自身がしっかりしなくてはいけないと言う気がしてきた。

断水はいつまで続くかわからないそうである。
どうしても「うちの井戸」を掘ることに決めるほかない。       』

現代文明に対する科学者寺田寅彦博士のこうした正直な危惧と不安は、まことに古くて新
しいといわねばなりません。科学的な問題意識だけではこの物質文明の先行きに確かな展
望をもてないことを、寺田博士は80年近くも前に予感していたのです。
その後、こうした現代文明に対する危惧や不安は少しでも軽滅したでしょうか?軽滅どこ
ろか、人類はその生存も危ういところまで来てしまったのです。
私たちの文明の危惧は、すでに回避不能なところまで来てしまったのでしょうか?先進国
では物質世界に閉じ込められた人々はとらえどころのない不安と悩みを抱えながら、何と
かして物質世界を超えて宇宙や見えない世界との意識のつながりを求めようとしています。
それは決してたやすいこととは思われませんが、人類の意識に大きな転換が起きているこ
とだけはたしたなようです。


530:,
08/05/28 21:27:20 TD/3JVYb0



「科学信仰」という名の迷信とは?

私はここで、
「予見などと言う非科学的なものを、私は信じない」
という意見を全面的に否定しようとしているわけではありません。ただし、私がここでそ
ういう人にたずねてみたいことは、
「あなたは科学を信じると言いますが、そういうあなたはどれほど科学を知りもせずに相
した信念のみに従っているのなら、それこそ科学信仰という名前の迷信なのではないでし
ょうか?」
ということです。
そもそも科学は認識の対象であっても、信仰の対象ではないはずです。
それなのに、現代には科学信仰というなの迷信が蔓延っています。
だれも気がつかないそうした事実を最初に指摘したのは、ルドルフ・シュタイナーです。
シュタイナーがまさに偉大な預言者のように、共産主義の崩壊とその年を正確に予言したことは
第一部で書いたとおりですが、そのとき以来現在に至るまで、マルクス主義者は自分たちのイデ
オロギーを「科学的」社会主義と呼んできました。こうした事実には、それこそ迷信と呼ぶべ
きいいかげんな科学信仰が見られるのです。そして、4分の3世紀前のシュタイナーの予言どお
り、共産主義社会はあきれるほどに非科学的であった実態をさらけだして、あっけなく崩
壊してしまったのです。
 ところで、私たちがよりどころとしている近代の分析的な知性は、必ずしも予言と言う
ような信仰的な行為と矛盾するとはかぎりません。むしろ、この二つを対面的にとらえて、
どちらか一方を絶対否定するような考え方にこそ問題があるのです。


531:,
08/05/28 21:29:18 TD/3JVYb0

 ルドルフ・シュタイナーが1920年前後に語った未来予測は、今世紀の歴史に照らし合わせてみ
ると、きわめて正確な見通しだったとわかりました。すなわち共産主義の崩壊(これは具
体的な年まで予告しました)・国家(政治国家)の衰退・医療の荒廃・性のモラルの乱れ・教
育の荒廃・ヨーロッパ列強に対する日本の抵抗と、日本のアジアへの裏切り=第二次世界大戦の
勃発・都市の破滅・産業資本主義の崩壊などです。
最後の二つについては、まだ都市が破滅したわけでも、産業主義が崩壊したわけでもない
ではないかと思われるかもしれませんが、第二次世界大戦ではヨーロッパや日本の主な大都市
はほとんどシュタイナーの予言どおりの壊滅しましたし、最近では地震によって神戸が崩壊しま
した。また、産業主義の未来については、すでに深刻な危機に陥っているというのが良心
的な専門家の間では常識となっており、その予兆は最近の金融界の混乱・エネルギー危機・自
然破壊および公害問題・貿易戦争などにも見られるのです。
産業主義のチャンピォンたる私たちのこの国が現在陥っている大不況も決して循環的・一過
性のものではなく、今度ばかりは抜け出すのはそう簡単なことではないということが、よ
うやく認識され始めています。もしかすると共産主義の崩壊は資本主義の崩壊の序曲に過
ぎなかったかもしれません。



人間の心に衝動を与える宇宙的な存在は実在する。

「物質的なものの現れのうちに、精神的な力の働きを見よ」
というのが、シュタイナーの教えなのです。
例えば共産主義を考える場合に、その理論やイデオロギーの妥当性、運動の階級性や党派性な
どを検討するだけでは、不十分なのです。その運動と思想を支えている精神的エネルギー、す
なわち衝動を洞察しなければならないのです。そして、その衝動が物質的なものに向けら
れているか、それとも精神的なものに向けられているかを見通さねばなりません。シュタイナー
はマルクス主義を信じた労働階級の人々がその要求の矛先を富の平等な分配に向けること
を深く理解していましたが、それらの人々の関心が富と言う物質的なものにばかり向かっ
ていくことに、強い懸念を抱いていました。

532:,
08/05/28 21:30:40 TD/3JVYb0

カール・マルクスは、
「精神的なものは物質的なものの上部構造に過ぎない」という考えの下に精神を軽視した
わけですから、その思想を辛抱するプロレタリア階級の運動がもっぱら物質的なものにだけ関心
を向けるのは、当然と言えば当然のことです、
「科学は物質的なものにのみを対象とする。したがって、同じく物質的なもののみを追求
する共産主義も科学的である」
というマルクス主義者の思想(迷信?)の背後に、物質的なものに向かう精神エネルギー、すなわ
ちアーリマンの存在をシュタイナーは見て取ったのです。こうしてみると、
「物質的なものの現れのうちに、精神的な力の働きを見る」
という態度のうちにこそ、20世紀の主要な出来事をまことに正確に予言したシュタイナーの秘
密が隠されていると言うことができるでしょう。



第5章 堕天使アーリマンは、西暦2千年代に地上に降りてくる。



科学的人間と精神的人間

大型フォークリフトが大きな騒音を立てながら、まるでカマキリのように盛んに首を上下に振っていま
す。ダンプカーが列をなして行進し、リフトのシャベルがほおりだす泥を、荷台で受止めています。
あたりは、思わず両手で耳をふさぐような騒音と、まともに目も開けていられないほどひ
どい埃です。




次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch