08/04/28 17:14:56 RFKKvKPv0
それは、ダーウィン主義の下では精神的に価値のあるものがことごとく踏みに
じられてしまうからです。ダーウィン主義者たちは、人間は高度な有機体を備え
た動物に過ぎない、と唱えます。ダーウィン主義が浸透するようになると、次第
に人間は自らの中に潜んでいる動物的な欲望やエゴイズムを肯定し、道徳的な
ものに価値を見出さなくなるのです。
シュタイナーの主著のひとつである『自由の哲学』によれば、、道徳とは、道徳
とは精神的世界に客観的に存在する法則性を意味します。道徳とは外から人
間を縛るものではなく、一人一人の人間が自由意志を元に精神的な世界から
取り出してくることが可能な、客観的宇宙の法則なのです。
ところが、ダーウィン主義者たちは、目に見えないものや数量化できないもの
はことごとく否定します。ダーウィン主義の立場にたつ人たちにとって、道徳と
は国家や権力者が一方的に押し付けてくるものであり、客観的妥当性などな
い、ということになるのです。ダーウィン主義を徹底して押しすすめると、人間
は確実に荒廃していきます。人々はお互いのエゴイズムのみを主張するように
なり、共通の目的のためにお互いに協力し合うことはなくなってしまいます。
ダーウィン主義を突き詰めると、結局は「人間は動物と同じなんだ。この世はす
べて食うか食われるかだ」という世界観に行き着くことになります。ダーウィン
主義が広まれば広まるほど、おのずと人間同士の間に争いごとが生じやすく
なるのです。
ダーウィン主義に代表される唯物論的な思考方法が浸透するとともに、人間は
霊的なものに対する畏敬の念を少しずつ失っていきます。知らず知らずのう
ちに人間の内面は荒れ果て、人々は他者に対する友愛の気持ちをなくしてい
きます。そこにソラトにつけ込まれる隙ができるわけです。
411:、
08/04/28 17:16:23 RFKKvKPv0
20世紀にはいってから、人類は実に数多くの戦争を経験してきました。
戦争はソラトが引き起こす災厄の中でも、もっとも大きなもののひとつです。
たとえばシュタイナーは、第一次世界大戦の勃発にソラトがどう関与したか、という
点について次のように述べています。
いまや、おおいなるソラトの悪魔の信奉者である、悪魔たちが入り込むため
の道が開かれています。たとえば、第一次世界大戦の出発点について何らか
のことを知っている、あの悟性的な人々と話をするだけで、このことがわか
るはずです。ここで、「この世界大戦の勃発に関して責任のある、40人の人々
のほぼ全員が、戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた」といってもまち
がいではないでしょう。このような入り口を通って、アーリマン的な悪魔の
力は、そしてこのアーリマン的な悪魔の中でも最大の存在のひとつである、
ソラトが入り込んでくるのです。まず、最初に少なくとも一時的に人間の意
識の中に入り込み、災厄や混乱を引き起こす、というのが、ソラトの側から
やってくる誘惑なのです。世界大戦ではなく、それに続いて起こり、それよ
りもっと恐ろしく、将来ますます恐ろしいものとなるものをーーたとえば現
在のロシア国家体制を旧ソビエト連邦を指す)、人間の魂の中に入り込むソ
ラトの霊が引き起こそうとするのです。
412:本当にあった怖い名無し
08/04/30 01:24:31 yxHug9oF0
凄すぎる。
413:本当にあった怖い名無し
08/04/30 16:30:23 MB1EtNMT0
なんだ盤古大神のことか?
アーリマン=盤古大神
414:、
08/05/01 18:54:58 P4MmwHZh0
戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた >>
解るよね、、、イデオロギーによる重圧と言うか、、、朦朧性癲癇の大方はここから来てるんじゃないかな、、、。
場合によってはトラウマを伴う体験で、不可解な偶然が目立つ傾向があります。癲癇は昔からある病気ですから、
666に関係する出来事は昔から度々あったと判断する事になります。特にMKウルトラはこの現象を利用すると
効果を表す性質のものと思われます。その影響の発揮の準備が網の目のように張り巡らされていると言えるでしょう。
これに対抗するのがミカエルと言われているようだが、実際は、それは、居たり居なかったりするアレが事実でして、
金星の愛の呪いの力の方が実際には有用であると判断を私の場合はしていますが、、、。
415:、
08/05/01 18:59:07 P4MmwHZh0
414>>実際は、ミカエルや金星の力も含め色々な備えがあると良いといえるでしょう。
シュタイナーによれば、第一次世界大戦が勃発したとき、列強の指導者の意識はソラ
トによって支配されていました。ソラトは自ら直接軍勢を率いて人類を襲うわけ
ではありません。ソラトは、国家の最高権力を握っている人間の意識の中に入
り込むことで、結果として戦争を引き起こすのです。
20世紀には、ほんの一握りの権力者が大きな災厄を引き起こしたという例
は枚挙に暇がありません。シュタイナーは1925年になくなっていますが、もし
その後の時代も生き続けて 、世界の歴史を目の当たりにしたら、なんと言
ったでしょうか。
ソラトが戦争を引き起こす方法は実にたくみです。なぜならこの場合、汚名
を着せられるのは、ソラトに憑依された権力者のほうであって、ソラト自体はまっ
たく人間に感知されることはないからです。ソラトの影響を受けた権力者は、
国民の中に潜んでいる憎しみや怒りといったネガティヴな感情を巧みに利用し
て、好戦的な気分を煽り立てようとします。
たう。とえばヒトラーは、ドイツ国民が抱いていた第一次世界大戦の戦勝国やユダ
ヤ人に対する怒りや憤懣を巧妙に利用しました。その結果、ヒトラーは、ドイツを
救う英雄として、圧倒的な支持を受けたのです。このタイプの権力者は、権
力の座から失墜すると、一転して激しい非難を浴びることになります。さま
ざまな罪が暴かれ、国民は皆、ようやく悪しき権力者にだまされていたこと
に気づきます。熱狂的支持から断罪へーーこれは20世紀の独裁者に見られ
る典型的なパターンです。
416:、
08/05/01 19:02:58 P4MmwHZh0
414>>実際は、ミカエルや金星の力も含め色々な備えがあると良いといえるでしょう。 >>
つまり、何通りもある。しかし、ミカエルだとか騎士団の壊滅の後で言われてもねぇ、、、。
この場合、人々はすべてを独裁者個人の問題に還元ようとします。たとえ
ば、ヒトラーは精神病の傾向があったのではないか、などと病理学的に権力者の
精神状態を説明しようとします。つねに権力者個人のみが非難と分析の対象
となるわけです。
しかしそれだけでは、なぜ20世紀になってから悪しき権力者が次々と現
れ、世界中で戦争と殺戮が繰り返されるようになったのか、という疑問に対
する説明にはなりません。ここで私たちは歴史の表面に現れた現象のみに目
を向けるだけではなく、さらに一歩踏み込んで、権力者の内面に入り込んだ、
ある精神的な傾向に目を向ける必要があります。20世紀の独裁者たちの精
神的傾向をよく考えてみてください。かれらはすべて、同じような傾向を備
えていたのではないでしょうか。彼らはみな、争いを好み、その内面に激し
い憎しみの感情を抱きながら、時には才知や弁舌の冴えを見せ、人をひきつ
けます。それこそがシュタイナーの言うソラトの精神(霊)の働きなのです。
417:、
08/05/01 19:04:32 P4MmwHZh0
ところが、霊的なものの存在を信じようとしない人は、権力者個人ばかり
を攻撃しようとします。そしてこれこれの権力者さえいなければ、戦争は起
こらなかった、と単純に信じ込もうとします。ソラトにとって、これは実に都
合のよい事態だといわなくてはなりません。なぜなら人間が唯物論的な思考
方法に固執する限り、ソラトはその存在を悟られずにすむからです。私たちが
目に見える物質的な世界のみを信じようとする限り、ソラトはつねに効果的に
人類に影響を及ぼしつづけることができるのです。
666という数字は、ソラトの名前を意味すると同時に、さらにソラトが人類に大
きな作用を及ぼす歴史上の年号をあらわしています。「黙示録」の作者は、
ソラトの影響は、666年を周期として、繰り返し地上に現れることになる
と予測しているのです。
ソラトの最初の影響は666年、西アジアに現れました.西暦7世紀のサ
サン朝ペルシアで最強のアーリマンとしてのソラトの影響を受けた楽員が活動し
たのです。
その発端は、529年に東ローマ帝国の皇帝ユスティアヌスが、アテネのアカデミアを閉鎖
し、古代ギリシアの学問を伝えてきた学者たちを追放した、という出来事に
までさかのぼります。このとき行き場をなくしたギリシアの学者たちを受け
入れたのが、ゴンディシャプールの学院です。学者たちはゴンディシャプールの学院で、
アリストテレスの著作をアラビア後に翻訳する仕事に没頭しました。その結果、
アリストテレスの哲学の中にアラビア的な魂が混入することになったのです。
418:、
08/05/01 19:21:55 P4MmwHZh0
ソラトがゴンディシャプールの学院を通して、地上に撒き散らそうとしと試みた知恵
とは何だったのでしょうか。
「人類が将来獲得することになる3つの知恵」
まず、第一は、優生学、これは人間が受胎と出産を思いのままにコントロー
ルすることを可能にする技術です。
第二は精神的な医学で、これを用いることで人間はほとんどあらゆる病気を
予防することができるようになります。
第三は律動学で、人間は生命体の振動を用いて、あらゆる機会を動かすこと
ができるようになります。
人類は遠い将来において、この3つの知恵を獲得することになりますが、現
在のところ、人類はまだその段階に到達していません。ところがソラトは、な
んと666年に、ゴンディシャプールの学院を通してこの3つの知恵をじんるいに
もたらそうとしたのです。
考えてみてください。ヨーロッパではゲルマン民族がフランク王国をはじめとする諸
国を建立し、東アジアでは唐が栄え、日本では天知天皇が在位していた時代
に、これら3つの知恵が世界中に広まろうとしていたのです。
このときソラトの目論見が成功していたらどうなっていたでしょうか。
419:、意識魂→木星(ジュピター)意識
08/05/01 19:25:21 P4MmwHZh0
人間は、ゴルゴタの秘儀を通して、自分自身の人格の中から意思既婚を見出
し、将来さらに霊我、生命霊、霊人、へと上昇するための手助けを得るよう
に定められていました。しかし、その一方で、人間が天才的なグノーシス的学問
から霊的な開示を通して直接ある知恵を手に入れることもまた、運命的なも
のでした。もし実際にこのような知恵を人間のために決定し、そして人間そ
のものを決定する心的かつ霊的な諸存在とのつながりにおいてーーこれら
の諸存在には、イエス・キリストも属しているのです。-----自分自身で個人的に活動
することを通して見つけなければならないはずでした。ところが人間は、こ
のような知恵のすべてを天才的なものの中から開示のように受け取る道を
歩もうとしていたのです。
もしソラトがほんとうに3つの知恵を世界に広めるのにせいこうしたなら
ば、人間はあるいみにおいて、非常に楽な道をたどることになったかもしれ
ません。なぜなら、この場合、人間は3つの知恵を自分の知恵を獲得するた
めに、さまざまな失敗を積み重ねて努力する必要がなくなるからです。しか
し、もしそうなったとしたら、人間は自己意識に基づく個人としての自由を
手に入れることはできなかったでしょう。
正しい進化のプロセスにおいては、本来人類は15世紀以降、意識魂(木星
意識)を発達させる努力を続けた末に、自分自身の力でこの3つの知恵を獲
得することになっていました。ところがソラトは、「努力する必要はない、私が
必要な知恵はすべて与えてあげよう」と人類にささやきかけてきたのです。
420:、
08/05/01 19:26:42 P4MmwHZh0
もし、ソラトの目論見がせいこうしたならば、人類が地上で意識魂を発達さ
せる可能性は永遠に失われることになったでしょう。そして、人類はこの地
上で、自己意識に基づく真の自由を獲得することができなくなったことでし
ょう。
実際には、7世紀半ばにササン朝ペルシアがイスラム勢力に滅ぼされるとともに、
ゴンディシャプールの学院は消滅し、ソラトのもくろみは失敗に終わりました。しかし、
そのときソラトが蒔こうとした種は別の形で芽を吹くことになります。
グノーシス的なゴンディシャプールの知恵は弱められはしたものの、南ヨーロッパ
とアフリカを経て、スペインへ、フランスへ、イギリスへと広まっていきま
した。またそれは、修道院という回り道を経ながら、ヨーロッパ大陸にも伝播していきました。またそれは、修道院という回り道を経ながら、ヨーロッパ大
陸にも伝播していきました。私たちは、ゴンディシャプールの知恵がこのように拡
大していく様子を、1段階ずつ、十年ごとにたどることができます。私たち
は、「ゴンディシャプールの知恵の拡大とともに、超感覚的なものがいかにして追
放され、そのあとに感覚的なものだけがーーいわば特定の意図だけがーー保
持されることになるか」という過程を追っていくことができるのです。つま、
り、ゴンンディシャプールのグノーシス的な知恵が弱められたことの中から、西洋の自
然科学的な思考が生まれてくるのです。
421:、
08/05/01 19:27:44 P4MmwHZh0
イスラム帝国は、人類の間にソラトの3つの知恵が撒き散らされるのを未然に防
いだ、ということができるのです。しかしその一方で、イスラム教徒たちはゴンデ
ジシャプールの学院の学問の系譜を受け継ぎ、アラビアの哲学や自然科学を発達さ
せていきます。イスラム帝国は政治的にはササン朝ペルシアに敵対しましたが、学
問の分野においては、ゴンディシャプールの学院が備えていた思考方法を継承する
ことになるのです。この場合私たちは、イスラム主義が果たして善なのか悪なの
か、という点に関して即断を下すことは避けなくてはなりません。私たちに
は精神科学の立場に立ちながら、7世紀以降、イスラム教徒たちによってその後
の人類のために何が準備されたのかを、あくまで客観的に観察することが求
められているのです。
イスラム帝国では、まず、アラビア語に翻訳されたアリストテレスを基礎としてアラビア哲
学が発達しアヴィケンナ(イブン=シーナ)、アヴェロエス(イヴン=ルシ
ュド)などの学者が登場します。また、科学、天文学、医学、数学、などの
分野におぴても、アラビアの科学者たちは優れた功績を残しています。この
ようなアラビアの学問は西へと伝播し、中世のヨーロッパに多大に影響を与える
ことになります。このとき、アラビアの学問を通して、唯物論的な世界観の
ほうががヨーロッパにもたらされたのです。
422:、
08/05/01 19:29:38 P4MmwHZh0
唯物論的な思考方法に基づく自然科学は、近代になっていきなりヨーロッパで
発生したのではありません。アラビアの自然科学が導入されるまで、ヨーロッパに
は、近代科学のさきがけとみなされるような学問はほとんど存在しませんで
した。アラビアの自然科学は、中世のヨーロッパ人の目には驚くほど進んだ学問
と映ったのです。
もちろん、アラビアの科学や哲学がヨーロッパ世界に広まっていくことに警戒
心を抱く人々がいなかったわけではありません。たとえば、中世のスコラ哲学
者たちは、アラビア哲学の中に霊的なものを軽視する傾向があることを敏感
に察知しました。スコラ哲学者たちは、アラビア哲学の中には反キリスト的な精神が息
づいていることに気づいていたのでした。しかしスコラ哲学の側からの抵抗が
あったにもかかわらず、ヨーロッパに入り込んだアラビア主義はロジャーベーコンらによ
って更に発達を遂げ、17世紀には実験と観察と推理に基礎を置く、近代科
学となって結実しました。私たちが現在享受している化学文明の基礎がこの
とき作られたのです。
なぜならアラビアの学問はこれほどまでにヨーロッパ世界の人々に受け入れられ
たのでしょうか。それは、カトリック教会の教義そのものの中にアラビアの自然科学
を受容する地盤が形成されていたからに他ならなかったからなのです。
423:、
08/05/01 19:31:49 P4MmwHZh0
ゴンディシャプールの学院からアラビアの自然科学、そして近代科学から唯物論哲学
にまで至る唯物論的思考方法の歩みを以下にまとめる。
7世紀 ゴンディシャプールの学院の成立――ソラトによる第一の作用
(666年)
イスラム世界の誕生――3つの知恵
↓
9-12世紀 アラビア自然科学の発達――唯物論の萌芽
フワーリズミー アヴィケンナ アヴェロエス
↓
中世 ヨーロッパ世界がアラビアの哲学・自然科学を導入
アラビア数字 3角法 火薬・羅針盤・印刷術
↓
13世紀 ロジャー・ベーコンの経験主義的自然学
424:、
08/05/01 19:34:26 P4MmwHZh0
↓
17世紀 近代自然科学の誕生――唯物論的」思考方法の基礎
ニュートン ケプラー
↓
19世紀 唯物論哲学 実存主義哲学――唯物論の完成 唯物史観
フォイエルバッハ マルクス コント
進化論―――――人間とサルは同一の祖先から進化したと説き、宗教界に打撃を与える。
ダーウィン
20世紀 ボルシェヴィズムーーーーー科学的社会主義
レーニン トロツキー
このように見ていくと、「第一の666」としての、西アジアにおけるソラトの
活動は現代を生きる私たちにも大きな影響を及ぼし続けていることがわか
ります。
17世紀後半に近代科学の基本的な体系が作られてから、わずか数百年の間
に、人類の科学文明は、核兵器やコンピュータを開発するレベルにまで到達しま
した。20世紀末の現代において、唯物論的思考方法は、科学文明の発達と
歩調を合わせながら、世界の隅々にまで広がっていこうとしています。超感
覚的なものを軽視し、目に見える物質のみに目を向けようとする傾向は科学
のみならず、一般の人々のあいだにも深く浸透するまでになりました。この
いみにおいてソラトが千年以上の歳月をかけて準備してきたことが今まさに実
を結ぼうとしているのです。
425:、
08/05/01 19:35:42 P4MmwHZh0
666 666×2=1332
333年にキリスト教会内部で起こった出来事について考察する。
1332年の事件を理解するためには、1232年以降、キリスト教がどの
ような道をたどってきたか、ということを頭に入れておく必要があるからです。
シュタイナーによると、人間の悟性魂(火星意識)は、紀元前八世紀から15世紀
にかけて形成されました。この時期は精神科学では悟性魂の時代(ギリシア・
ラテン文化期)と呼ばれています。333年という年は、悟性魂の時代のちょ
うど痛感に位置します。いったいこのとき何が起こったのでしょうか?
紀元前8世紀から徐々に発達を遂げていった人間の悟性魂は、333年にな
ってようやく自我を受け入れることができることができるまでに成熟しま
した。つまり、333年ごろに人間の悟性魂の中に自我が入り込んできたの
です。それまでの人間はいわば神と一体になって生きてきたわけですが、自
我を獲得するとともに人間の中で、神と世界、神と人間の関係に関する確信
が揺らぎはじめたのです。
426:、
08/05/01 19:37:21 P4MmwHZh0
その結果キリスト教会の内部でも、それまでの初期キリスト教の教義に対す
るさまざまな疑念が生まれるようになりました。この後でお話しする、アリ
ウスとアタナシウスの論争やカトリック教会の成立の背景には、人間の悟性魂が自我を
受け入れるようになった、という事実が背景になってよこたわっていたのです。
また、333年という年は、666÷2=333
666のちょうど半分にあたる数字です。
333という年は、イエス・キリストが地上に現れてきた時期と、第一の666の年
の中央に位置します。333年は人間の悟性魂が自我を受け入れた時期であ
ると同時に、666年にソラトが人類に作用を及ぼすための基盤が作られた年
に当たります。そして、333年の出来事は、666の年だけではなく、「第
二の666」としての1332年の事件にも間接的に影響を及ぼすことにな
るのです。
シュタイナーによれば、333年ごろ、キリスト教は2つの危機に直面しました。
その第一はアリウス派とアタナシウス派の論争です。
427:、
08/05/01 19:38:34 P4MmwHZh0
アリウスは「イエス・キリストが『子』と呼ばれる以上、子は父なる神とは本質を異にす
る」と考えました。「子は父から生まれることによって、初めて存在ことが
できる。生まれる前には子は存在できない。だから子は永遠の存在ではな
い。」というのがアリウスの説の骨子です。つまり、アリウスは「永遠なる神に対し
て、子であるキリストは時間的存在に過ぎない。キリストは神そのものではなく、被
造物に過ぎない」と唱えたわけです」。
じつに見事な論理です。
アリウスは弁舌の才にたけたじんぶつですから、このとき、少なからぬ人々がアリ
ウスの説を信じようとしました。
これは、当時のキリスト教会全体を揺るがす大事件でした。
このような事態を重く見たローマ皇帝コンスタンティヌスは、325年世界最初のキリ
スト教会総会議をニーケアで開きます。この会議の席で、「子は父なる神と本質
を同じくする」と唱えるアタナシウスの説が正統と認められ、アリウスは異端とされます。
428:、
08/05/01 19:40:30 P4MmwHZh0
かくしてかろうじてキリスト教の正統な信仰は守られたわけですが、アリウス
の巧みな論理によって、一時的なものであったとはいえ、キリストの神聖が否定
された、というのはやはり大きな事件でした。このときアリウスは公然と、子な
るキリストの権威に敵対する考えを広めようとしたのです。
第二の危機はキリスト教のローマ化です。
ご存知のように、初期キリスト教の時代には、ローマ帝国はさまざまな形
でキリスト教徒に迫害を加えました。前に触れた、皇帝ネロによるキリスト教
徒虐殺もそのような例の一つです。
しかし、ニーケアの公会議に先立つ313年のミラノ勅令によって、キリスト教は
ローマ帝国によって公認されます。また、381年のコンスタンティノープルの公会議
では、先ほどお話したアタナシウス派の教義が正統なものとして確認されました。
このときローマ・カトリック教会の基礎が確立されたわけです。表面的に見ると
このときキリスト教は、華々しい勝利を収めたように思われます。ところが
シュタイナーによれば、カトリック教会の誕生はキリスト教の堕落以外の何者でも
ありません。なぜならカトリック教会はローマ帝国に従属することでキリス
ト教本来教義から離れていったからです。
429:、
08/05/01 19:41:54 P4MmwHZh0
カトリック教会は国家権力と結びつくとともに、ローマ帝国の国家体制に
すばやく順応していきました。そしてローマ帝国滅亡後は、皇帝に変わって、
教皇がローマ帝国の頂点に君臨することになります。カトリック教会は、真
のキリスト教の精神にふさわしい国家や社会を新たに建設しようとはしま
せんでした。古代ローマ帝国そのものはカトリック教会が誕生してもまったく変
わっていない、それどころか、カトリック教会はローマ的な秩序の存続に協力
しているだけではないか、というのがシュタイナーの考えです。(エッセネ派、フリー
メーソンの考え)
私たちは、偏見を抱くことなく、最初にキリスト教が発達していった時代を振り
返らなくてはなりません。初期のキリスト教の発達は、基本的には、のちのロー
マカトリックとは何の関係もありません。というのも、ローマ・カトリックの内
部で、キリスト教は堕落していくことになったからです。ですから人類がさらに
発展していくためには、私たちはすべての問題をアタナシウスが意味したところに
基づいて決定することが特に重要です。アタナシウスはキリストの中に、まさに
直接の神的な存在を見ていました。アタナシウスはキリストの中に、現実の
心的な太陽の霊を見たのです。もっともこのような考え方は、後の時代に、
キリストを宇宙的に考えることが拒否されたために、背景に退くことになっ
たのですが。しかし霊的性質全体において、アタナシウスはキリストを実際
に、父なる神に等しい神とみなしていたのです。
430:、
08/05/01 19:43:12 P4MmwHZh0
このようなアタナシウスの見解は、その後も作用し続けた後、869年にコンスタ
ンチノープルで開かれた、第8回目の公会議(第4回コンスタンチノープル公会議のこと)
で鈍らされることになりました。この公会議では、霊・魂・肉体の3分説が
異端として退けられることによって、第一回目のニーケアの公会議で認めら
れた教養が、基本的には破棄されることになりました。そしてそれとともに、
教会に基礎を置いたキリスト教の堕落が始まります。なぜならば、それとともに、
その後の数世紀にわたって、カトリックの教会の発達の内部で、人間が霊的なも
のの中へと成長していく可能性が徹底的にたたれてしまったからです。
アタナシウスの思想の中には、初期キリスト教の秘儀に見られた教義がそのまま息
づいていました。たとえば、「キリストは、太陽からやってきた神的な例である。」
とか、「人間は、霊・魂・肉体の3つから構成されているといった教義がそ
れに相当します。
ところが時代を経るにしたがって徐々にカトリック教会は本来のキリスト
教の教義から離れていくようになりました。アタナシウスのころには、「人間は自
らの霊性を通してキリストとつながることができる。」という教えが生きていた
にもかかわらず、カトリック教会は政治的影響力を強めるとともに、次第に人間
の中の霊性を否定するようになったのです。869年のコンスタンティノープルの公会
議において、カトリック教会は、「霊・魂・肉体」の三分説を否定し、「魂・
肉体」の2分説を採用しました。このときから「人間は肉体と魂のみからな
り、魂は特性として霊的なものを含んでいるに過ぎない。魂は一面において
霊的であるという説がカトリック教会の公式な見解となったのです。
431:、
08/05/01 19:44:34 P4MmwHZh0
869年以来、カトリック教会から生じる西欧の文化にとって、もはや霊は存在しな
くなりました。霊とのつながりがたたれるとともに、人間は世界とのつなが
りも失ったのです。人間はますますエゴイズムのなかへ駆り立てられました。
そのため、宗教それ自体もますますエゴイスティックなものになりました。
以来、人間と神との間には深い溝が存在するようになりました。どんなに努
力しても人間は神に近づくことはできない、人間はただ全能の神に祈り、自
己救済を願っていればそれでいい、というのがカトリック教会の基本的な教義に
なりました。「魂・肉体」2分説によって霊の存在を否定されてしまった以
上、もはや一人一人の人間が自らの霊性によってキリストにつながる道はたたれ
ました。このときから、教会がすべての人の霊の代わりを務めるようになっ
たのです。「霊を持たない以上、あなたは自分ひとりで神に近づくことはで
きない。だからあなたは教会に従属しなさい。教会があなたたちの神の仲介
役を務めてあげよう」カトリック教会は信徒たちにこう説きました。教会は、人
間から霊性を取り上げることによって、宗教的にも政治的にも人々の上に君
臨しようとしたのです。
こうしてシュタイナーの言葉をそのまま借りるならば、「人間と神の間に境界を
設け、人間の中に神が内在することを認めようとはせず、神と人間の間に深
淵をおこうとする」態度がカトリック教会を通じてヨーロッパ人の間に広ま
っていくことになりました。
432:、
08/05/01 19:49:26 P4MmwHZh0
これにたいして本来のキリスト教の教義を現代にふさわしい形で復興させ
ようとするのが、シュタイナーの精神科学です。シュタイナーが唱えている、「霊・魂・
肉体」からなる人間の三分説や、カルマについての思想は、すべて初期のキリ
スト教において守られてきた教義と深いつながりを持っています。
シュタイナーは、15世紀以降の意識魂の目覚めを経験した人間が、自己意識に
基づく認識を基礎として「子」であるキリストとつながることが元も重要である、
と考えました。なぜなら20世紀の今、人間が唯物論の限界を脱して、人間
と霊との、人間と世界との正しい関係を取り戻さなくてはならない時代がや
ってきたからです。シュタイナーが現代にふさわしい形でよみがえらせようとした
初期キリスト教教義の核心とはどのようなものでしょうか。
子(キリスト)の衝動は、魂の中に受け入れられ、魂によって手を加えられ
なくてはなりません。子の衝動は、魂が肉体の力や遺伝の力から自由になる
ように、魂を拡大することができなくてはなりません。子の衝動は人間の自
由の中へと入り込んでいきます。――初期キリスト教の時代の人々は自由をそ
のように理解していたのですーーー。子の衝動は魂の自由の中へと入り込み
ます。そこでは、魂は遺伝の力から自由になります。子の衝動こそが、人間
を魂的に生まれ変わらせるのです。子の衝動こそが、「父親によって与えら
れた人生を送る間に自分自身を手に入れる能力」を人間に与えるのです。こ
のようにして太古の秘儀において、人々は父なる人間と、父の息子であり、
キリストの兄弟である人間とを見ました。キリストの兄弟である息子は、自分自身を
手に入れ、ある意味において肉体から自由になったものを自分の中に受け入
れます。彼は自分自身の中に新しい領域を担わなくてはなりません。それは
自然とはなんのかかわりもありません。それは自然とは別の秩序を提示しま
す。すなわちそれは、精神の領域なのです。
433:、
08/05/01 19:51:10 P4MmwHZh0
太古の秘儀においては、父なる神と人間の関係のみが強調されてきました。
たとえば旧約聖書に書かれた、古代ヘブライ民族の教義を読んでみてくださ
い。そこには父親から息子へと伝えられる、遺伝的な血の流れが強調されて
はいないでしょうか。そこでは肉体的なものとともに霊的な衝動も親から子
へと伝えられる、ということが自明なこととしてかかれてはいないでしょうか。
父についての教義に基づきながら、太古の人間は自然の現象の中に神の力
が働いているのを見いだしました。しかし、父についての教義のみを受け入
れる限り、人間は自然に従属し続けなければなりません。
もし、遺伝的な流れから自由になって、自ら霊的な世界に参入しようと思う
ならば、人間は子なるキリストに導かれなくてはなりません。
人間の霊は肉体には拘束されません。霊は生前からやってくるものであり、
父祖から受け継ぐものではないからです。霊とは、まさにその人個人の属す
るものでリ、親が遺伝的流れを通して与えるものではないからです。
人間が行為を通して霊を肉体にまでもたらすとき、生前の結果としてやって
くるカルマが入り込んできます。このとき人間は初めて個人としての自由を獲
得するための基盤を得るのです。
434:、
08/05/01 19:53:25 P4MmwHZh0
人間は子であるキリストの教義を受け入れるとき、初めて遺伝の流れから自由
になり、真の自分自身を手に入れることができます。このとき人間は自らの
霊性に基づきながら人間は自由な存在として精神(霊)の猟奇に足を踏み入
れます。
ところが「魂・肉体」の2分説を唱えるカトリック教会は、「父」である神と人間
のつながりのみを強調します。そこでは、人間に自由をもたらす「子」とし
てのキリストの真の役割は覆い隠されています。この意味においてカトリック教
会はキリスト以前の古い信仰形態を復活させたということができるでしょう。
シュタイナーは教会のような宗教上の権威を認めません。シュタイナーは霊的な認識に基
づく自由な個人とキリストとのつながりだけが、未来の宗教の基盤になりうると
予見していたからです。
未来において任類の中で発達することになる自由な宗教はすべて、「単なる
理論ではなく、直接的な人生の実践において、ここの人間の中に実際に神性
の似姿が認められる」ということをよりどころとするのです。そうなると、
もはや宗教が強制されることもなくなります。もはや宗教を強制する必要も
なくなるのです、というのも、そのときには、それぞれの人間がほかの人間
と出会うということがすでに宗教的な儀式、秘儀となるからです。そのとき
にはだれも、物質界に外面的な機構を持つ特別な教会によって宗教上の生活
を整える必要がなくなります。人生全体が超感覚的表現となることによって、
教会が持ちうる唯一の目標はーーもし教会が自分自身を正しく理解するな
らばーー「教会それ自体を物質界で不要なものにすること」のみになるので
す。
435:、
08/05/01 19:56:06 P4MmwHZh0
シュタイナーは、教会がキリスト教信仰の唯一のよりどころとなる時代はもはや終
わりつつあると考えました。なぜなら教会が守ろうとしているのは、真のキリ
スト教ではなく、「見かけのキリスト教Scheinchristentum」
にすぎないからなのです。ここで以上述べてきたローマカトリック教会成立
の歩みを表にしてまとめておきます。
カトリック教会の歩み
313年 ミラノ勅令――――ローマ帝国でキリスト教が公認される。
↓
325年 ニーケアの公会議――アリウス派が異端とされ、アタナシウスの説が正
統なものと認められる。以後、これにしたがう教会をカトリックと呼ぶ
↓
333年 人間の語精魂が自我を受け入れるーー神的なものへの信頼がゆらぐ
↓
381コンスタンティノープルの公会議――ニケーア公会議の確認
↓
476年 ローマ帝国滅亡
↓
7世紀 教皇権の確立――教皇グレゴリウス一世が中世教会国家の基礎を作る
↓
8世紀 カトリック教会とフランク王権の協調関係
↓
869年コンスタンティノープルの公会議――霊・魂・肉体の3分説否定
アタナシウスの教義が弱められる。
436:、
08/05/01 19:59:43 P4MmwHZh0
キリストは太陽からやってきた神的存在である」という本来のキリスト教の教義
から離れていくとともに、カトリック教会は後にソラトが地上に影響を及ぼす
ための一つの基盤を提供することになります。
私たちは、次のことをますます深く、魂の前に描き出さなくてはなりません。
すなわち、反キリスト勢力がキリスト教と戦う際には、まさに、「キリスト教の本来の霊
性が太陽と結びついている」という事実と立ち向かうことが重要な意味を持
っていました。キリスト教の敵対者にとっては、「人間たちが霊的存在としての
太陽としての見解を完全に失い、物質的な存在としての太陽の見解のみを受
け取る」ということが最も重要でした。
カトリック教会はその機構が整うのと平行して、次第に「大要の守護神としての
キリスト」に関する教義を重視しなくなり、人々からキリストの真の姿を覆いかくす
ようになりました。
一方ソラトは西暦333年から更にさらに333年が経過した666年に、先
にお話したゴンディシャプールの学院を通じて唯物論的な思考方法の種を蒔き、反
キリスト勢力としてのイスラム主義が台頭するための基礎を築きました。
437:、
08/05/01 20:00:51 P4MmwHZh0
黙示録の作者は断固とした方法で、人間を脅かしているものを内的に予見し
ました。すなわち、「キリスト教は二つの方向(カトリック教会とギリシア正教会)に向
かって、見掛けのキリスト教へと堕落するだろう。」より正確に言えば、「キリ
スト教は霧に包まれたキリスト教になるだろう。」と。このようにあふれる水のよ
うに「黙示録の作者に権威を与えるものは666という数字を通して表されて
います。666の年は霊的な世界においては意味深い年でした。つまりこの年
には、アラビア主義の中に、モハメッド主義の中に生きているものが、いたると
ころに姿を現すのです。黙示録の作者は、この666という年をきわめてはっ
きりと記しました。黙示録的に読むことのできる人はこのことを確かに理解
します。力強い言葉で666という数字を獣の数として言い表すとき、黙示録
の作者は、666年に侵入してくるものがどのように作用するか、ということ
を予見していたのです。
666年の時点で、すでに地上には新のキリスト教徒は相いれない、2つの
潮流が存在していました。ひとつは父の教義に基づく、古い信仰へと立ち戻
ったカトリック教会、もうひとつは、アラビア主義の代表される唯物論的な思考方法
です。カトリック教会は、869年のコンスタンティノープルの公会議以降、次第に父なる
神と人間の関係のみを強調するようになり、子であるキリストに関する教義を排
除するようになります。このときカトリック教会は父の教義のみを重視すること
で、アラビア起源の西欧世界に唯物論が広まるための準備を行ったといえます。
438:、
08/05/01 20:02:47 P4MmwHZh0
なぜでしょうか。
先にお話したとおり、父なる神に関する太古の教義とは、自然の現象の中
に神の作用を見ようとするものでした。父の原理に基づく限り、人間は外な
る自然の中に働く力を探求することができます。目に見える現象の中に自然
の法則性を見出そうとする科学者の姿勢には、父なる神の教義と共通するも
のがあります。この場合、人間は父祖から遺伝的に受け継いだ肉体の中に拘
束されているのです。
宇宙の物質的な側面(目に見える自然現象、自然の法則) →遺伝的流れを強調する父なる神の教義→自然科学、唯物論(カトリック教会 イスラム教)
ダーウィン主義
宇宙の霊的な側面(目に見えない霊性、霊的な法則、カルマの法則)
→個人の霊性を強調する子なるキリストの教義 → 精神科学
(初期キリスト教 アタナシウス) シュタイナー
439:、
08/05/01 20:05:07 P4MmwHZh0
宇宙の中には本来、自然の法則と霊的な法則の2つが働いています。しかし、
父の教義のみを信奉する限り、人間は自然現象以外のものに目を向けること
はできません。霊的な法則、カルマの法則は自然現象を支配している法則とは
全く別の基盤の元に成り立っています。このような霊的な法則を探求するた
めには、人間は、子なるキリストの教義を受け入れ、遺伝的流れから自由になっ
た個人として、霊的な世界に足を踏み入れなくてはなりません。
しかし父なる神のみを重視するカトリック教会の教義は、人間が自らの霊
性に基づきながら、自由な存在として霊的な世界を探求するための道を閉ざ
しました。
ご存知のようにイスラム教ではアラーの神と人間のつながりのみを強調し、
神の子としてのキリストの権威は一切認めません。カトリック教会とイスラム教は一
見、何の共通点もないように見えますが、父なる神の教義のみを説き、子な
るキリストの真の役割を覆い隠している、という点においては同じ基盤の上に立
っているということができるのです。カトリック教会の側の人間も、自然現象の
背後に神の力が働いていることは認めますが、自然の法則とは別の霊的な法
則が宇宙に働いているとは考えません。ですからカトリック教会の支配が最
高潮に達した中世において、ヨーロッパ世界がアラビアの自然科学を受け入れたこ
とには、何の不思議もないのです。父の教義のみを信奉する人々の関心が目
に煮える自然現象へ、物質的なものへと向かっていくことはきわめて自然な
なりゆきなのです。
440:、
08/05/01 20:07:11 P4MmwHZh0
父なる神に関する教義から唯物論への流れ
333年に始まったキリスト教の堕落 666のゴンディシャプールの学院
カトリック教会の発展 イスラム教の成立
(父に関する教義) (父に関する教義)
↓
イスラムの哲学・自然科学
↓
ヨーロッパの自然科学の発達
↓
唯物論 ダーウィン主義
このようにカトリックの教義とアラビアから入り込んできた自然科学が結びつ
くことによって、19世紀にダーウィン主義が誕生するための基盤が形成されま
した。「人間は進化する動物に過ぎない」と説くダーウィンの進化論は、333
年ごろ始まったキリスト教会のカトリック化と、666年に準備されたアラビア主義
に端を発するのです。
獣の数である666が上昇することによって、人間は自らをもはや人間とし
てではなく、一種の高次の獣としてしか理解することができなくなった。」
――ダーウィン主義の中には、まさにこのことが含まれていなかったでし
ょうか。キリスト教が父の教義の唯物論的な形態に浸透されるということの中に、
子なる神(キリスト)に対するアーリマン的な抵抗の力が作用しているのを、私たち
は見て取ることができないでしょうか。このような抵抗の力は私たちの時代
に至るまで、なお、作用し続けてはいないでしょうか。
441:、
08/05/01 20:09:59 P4MmwHZh0
ソラトの最大の目的は、人間に自分は動物と同じ存在なのだ、と思わせるこ
とにあります。このようなソラト的思考方法はの最大の現れが先ほど触れたダー
ウィンの進化論なのです。そしてこのような思考方法は、現代に至るまでなお、
私たちに強い影響を及ぼし続けているのです。
傍ら、11世紀のヨーロッパに、初期キリスト教の教義を復活させ、それを宗教
のみならず経済、社会、政治の領域における運動へと展開させていった人々
が現れたのです。彼らは何者でしょうか。また、彼らの活躍を果たしてソラ
トは黙って見過ごしたでしょうか。
第一次十字軍の遠征が終わって間もない1119年、聖地エルサレムにおい
て新しい騎士団が組織されました。このときユーグ・ド・パイヤンのもとに集ま
った騎士たちは、キリスト教への熱い信仰を胸に抱きながら、修道会の規律
を守るだけでなく、更に巡礼を保護し、武器を取って聖地の守護にあたるこ
とを固く誓い合いました。。これが、歴史上名高いテンプル騎士団(聖堂騎士団)です。
はじめは少人数で組織されていたテンプル騎士団ですが、当時のヨーロッパ
社会の指導者ペルナールから保護を受け、教皇から数々の特権を与えられるとと
もに、次第にその規模を拡大していきます。またテンプル騎士団は、ヨーロッパか
ら近東にかけていくつもの根拠地を確保するようになると、当方の通貨を手
に入れたり、ヨーロッパから十字軍の兵士たちに送金する際の銀行の役目を
果たすようになりました。最盛期にはパリの本拠地タンプルはヨーロッパの金融界
の中心となり、テンプル騎士団は莫大な財源を得るまでになったのです。
442:、
08/05/01 20:11:37 P4MmwHZh0
このように順調な発展を続けたテンプル騎士団ですしたが、1307年10
月13日の金曜日にフランス国内で、総長ジャック・ド・モレーをはじめとするすべて
のテンプル騎士団が突如逮捕され、宗教裁判にかけられた上、全員が刑死する
事になります。逮捕の理由は、テンプル騎士団が異端的行為や魔術を行った、
というものでした。
この事件をきっかけとして、テンプル騎士団は1312年の5月に正式に廃
止されます。以来、テンプル騎士団は背教的な集団というレッテルを貼られた
まま、歴史に汚名を残すことになりました。
現在でもヨーロッパでは、テンプル騎士団は魔術に手を染めたいかがわしい集団
だった、と思っている人が少なくありません。たとえばイギリスの児童文学
者ネズビットの童話のなかでは、子供が次のように語ります。
「魔法ごっこしてもいいじゃない。テンプル騎士団になりましょうよ。あの人
たちよく魔法を使ったのよ。呪文を唱えたり、山芋とガチョウを使って何かや
ったってお父さんがいってたわ(「火の鳥と魔法のじゅうたん」より)
このような童話の一説を読むだけで、ヨーロッパでは、テンプル騎士団が魔術を
行っていた、という話が広く知られていることがわかります。しかもテンプル
騎士団の汚名は大人ばかりではなく、子供の間にまで浸透しているのです。
443:、
08/05/01 20:13:50 P4MmwHZh0
ところが近年、歴史家の間では、テンプル騎士団は冤罪を着せられたまま滅
ぼされたのではないか、という説が有力になりつつあります。当時のフランス国
王フィリップ4世は異常なまでに黄金に執着した人物でした。どうやらフィリップ4
世はテンプル騎士団の莫大な富を手に入れるために、騎士団そのものを滅ぼし
た、というのが事件の真相のようです。またテンプル騎士団と魔術の関係に関
しても、このときの宗教裁判がどれだけ公正なものであったか、疑問視する
歴史家は少なくありません。当時の宗教裁判では、容疑者は拷問による自白
を強制されるのが常でした。捕らえられたテンプル騎士団の団員たちは拷問に
よって、自分たちが悪魔を崇拝しているという、偽りの自白を強要された可
能性が高いのです。テンプル騎士団の宗教裁判に関しては、カトリック教会の
関係者も関与していたのではないか、とする説もあります。現代に至っても
なお、テンプル騎士団は解明されない多くなのぞを残したままなのです。
シュタイナーは、早くから、テンプル騎士団事件の精神科学的意味について注目してきました。
たとえばシュタイナーは1916年の「人類の内的な進化の衝動 ゲーテと19
世紀の危機」という連続講義の中で、テンプル騎士団の霊的な役割について言
及しています。シュタイナーは時の権力者の行動に注目するだけでなく、さらにテン
プル騎士団が壊滅するように背後から操っていた霊的な力に目を向けます。
なぜなら精神科学的に見るとテンプル騎士団の責任者そのものを糾弾すること
よりも、この事件にかかわった人々を内面から突き動かしていた霊的な衝動
を解明するこのとほうがはるかに意義があるからです。このようなテンプル騎
士団についての考察は、今回の黙示録講義において、さらにいっそう深めら
れます。なぜならテンプル騎士団事件は、第二の666の年と密接なつながり
を持っているからです。
444:本当にあった怖い名無し
08/05/03 01:35:09 qz/h4L/J0
>>410
>知らず知らずのう
>ちに人間の内面は荒れ果て、人々は他者に対する友愛の気持ちをなくしてい
>きます。そこにソラトにつけ込まれる隙ができるわけです。
友愛という表現、翻訳は適切なのでしょうか?
445:尊き一念一釘一打を
08/05/03 08:36:05 OJThLL/+0
>>1
【追儺】胡錦濤の日本接近阻止祈願スレ2【退去】
スレリンク(occult板)
皆さんの尊き祈願を一日一つでも二つでも書いてください。塵も積もれば山となります。
この国を護りましょう。どうか一度だけでも良いので貴方の国を護りたい思いをこのスレに
打ち込んでください。5月5日までに20スレ完成で願いは実現します。世界中の人達が
中国の横暴に対して怒りに燃えているので我々日本人は先駆けてその怨念の通る道筋を
神仏に祈願するだけで良いのです。神風は吹きます。雷も落ちます。天変地異、災い
何でもありで天にお任せしながら祈りを捧げてマコトを形にしましょう。
尊き1票を!尊き1レス祈願をお願いします。
中国はチベットと同様な侵略を政治的威圧で行って来ています。今、阻止しないと
日本の数年後は悲惨です。真剣に気が付いてください。この日本の危機を!
446:、
08/05/04 07:44:07 nIorFx9J0
当時この騎士団が1312年に滅亡するまでは、
そしてジャック・ド・モレー(1295年よりテンプル騎士団の総長を務めた人物)が1314
年に死ぬまでは、心安らかに過ごすことができなかった人々がいました。こ
のような人々の心と魂の中に(つまり宇宙的なキリストの、宇宙のかなたまで目
を向けようとするキリストの敵対者であった人々の心の中に)ソラトは再びよみが
えったのです。そしてまさにテンプル騎士団の全員を殺すために、ソラトは、
少なからぬ部分において、当時のローマ教会の意向を利用しました
テンプル騎士団が逮捕され、裁判にかけられたとき、その敵対者の中に入り込
んでいたものこそ、ソラトだったのです。ソラトは当時のフランス王国ばかりで
はなく、ローマ教会にまで影響を及ぼし。テンプル騎士団を滅ぼすように仕向
けました。
それだけではありません。
シュタイナーによれば、このときソラトは拷問にかけられた団員たちに憑依し
テンプル騎士団について偽りの自白をさせたのです。
ソラトの作用を受けた結果、テンプル騎士団の団員は自分たちの行いについて誹謗し
ました。そのため人々は、テンプル騎士団の団員自身の口から出たものに対して、正
当な告発をすることができたのです。このとき人々の前に、恐るべき光景が繰り広
げられました。すなわち、まったく別のもの(太陽存在としてのキリスト教に関する教
義)を信じていた人々が、拷問にかけられている間はそれについて話すことができ
ず、むしろソラトの軍団からやってくるさまざまな霊達が、彼らの口を通して語っ
たのです。つまり、テンプル騎士団に属する人間の口から、この騎士団そのものにつ
いて、きわめて不名誉な事柄が語られることになったのです。
447:、
08/05/04 07:46:30 nIorFx9J0
拷問にかけられたテンプル騎士団の団員たちは、騎士団そのものを誹謗するよ
うなことを語りました。そのため、当時の人々は、それを動かぬ証拠と決め
付けていたわけですが、このときすでにテンプル騎士たちはソラトによって内面を
支配されていました。テンプル騎士の口を借りて騎士団と魔術の関係について
嘘の自白をしたのはソラトだったのです。ソラトは、テンプル騎士団の中にまで入り
込み、この騎士団を内面から滅ぼそうとしたのです。
なぜならソラトはこれほどまでにテンプル騎士団に攻撃を加え泣けてはならな
かったのでしょうか。その最大の理由はテンプル騎士団の教義にあります。
すでにお話したとおり、初期のキリスト教では「キリストは太陽の守護神であ
る」という教義が守られていましたが、カトリック教会が強大になるにつれ
て、このような教義は異端として退けられるようになりました。そして父な
る神と人間のつながりのみを重視するような教義が、キリスト教世界を支配
するようにうなったのです。
そのようななかで、テンプル騎士団は、中世のキリスト教世界で忘れつつあ
った、キリストに関する正しい教義をもう一度復活させようとしたのです。
448:、
08/05/04 07:47:25 nIorFx9J0
このとき深い魂のそこから駆り立てられながら(というよりは、むしろ東洋
的なものによって駆り立てられながら)テンプル騎士団がヨーロッパに、太陽につ
いてのキリスト教的な見解を打ちたてようとしました。そのキリスト教的な見解とは、
再び太陽存在としての、宇宙的存在としてのキリストを仰ぎ見ようとするもので
した。テンプル騎士団はこのような見解に基づきながら、惑星や星の霊性につ
いてある知識を獲得していました。その見解は「ある惑星の存在たちだけで
はなく、お互い遠くはなれた惑星に属する知的存在たちが、世界の出来事の
中でどのように共同作業を行うか」ということを知っていました。また彼ら
は、太陽の悪魔であるソラトのような反抗的な存在たちによって生じる、強
力な抵抗についてもあることがらを知っていました。すなわちソラトは私た
ちの太陽系の中でも、もっとも強大な悪魔のひとつであり、それは基本的に
は、人間の唯物論の中で働く太陽の悪魔的な力なのです。
テンプル騎士団の団員たちはキリストの敵対者であるソラトの存在を知っていまし
た。だからこそ彼らは、宇宙存在としてのキリストについての教義を新たによみ
がえらせることによって、人類を唯物論へと向かわせようとするソラトの力
に対抗しようとしたのです。
ソラトとしてはテンプル騎士団を攻撃しないわけには行きませんでした。な
ぜならば、テンプル騎士団の力が強まり、地上に影響力を及ぼすことになれば、
ソラトにとっては、はなはだ都合が悪い事態となるからです。もしテンプル騎
士団が壊滅することなく、その後も成長を続けていったならは、真のキリストの
霊性に貫かれた社会が地上に誕生したかもしれません。そうなれば、その後
の唯物論的な世界観の拡大は未然に食い止められることになったかもしれ
ないのです。
449:、
08/05/04 07:48:54 nIorFx9J0
このように見ていくと、十字軍の時代にテンプル騎士団とソラトの間で繰り
広げられたものは、まさに霊的な戦いであったことがわかります。結果とし
ては、テンプル騎士団はソラトの前に敗退し、太陽の守護神としてのキリストに関
する教義は再び歴史の背後へと姿を消すことになります。このようなテンプル
騎士団の壊滅こそが、、第二の666の現れにほかなりません。
1312年のテンプル騎士団事件は、二度目の666の年、1332年にそ
なえてソラトが行った強い働きかけの現れなのです。テンプル騎士団の崩壊後、
ヨーロッパの歴史は次第に唯物論化の傾向を強めていくことになります。
アラビア科学とともに唯物論的な世界観がヨーロッパに入り込み、今日のような
化学文明の基礎が準備されていくのです。
このように「第一の666」の年と「第二の666」の都市に起こった出来
事はに目を向けてみると、ソラト自身は決して歴史の表面には直接姿を現さな
いことがわかります。第一の666の年に備えたゴンディシャプールの学院創設に
しても、第二の666の年にを前にしたテンプル騎士団の崩壊にしても、どち
らも歴史上の出来事としては比較的地味な部類に属するといえます。しかし、
精神科学的に見ると、その影響力は実に絶大なものです。
ソラトは常に人間の内面に働きかけます。ソラトは目に見えないにもかか
わらず、後の人類の歴史に非常に大きな影響を与えることになるような作用
を及ぼすのです。このことは、来るべき「第3の666」の年について考察
する際にも、重要な手がかりを与えてくれます。私たちはともすれば、人目
を引く、センセーショナルな出来事にばかり注目しがちですが、精神科学の立場から
歴史上の出来事を観察しようと思うならば、その後の人類の精神のあり方を
決定付けるような、どんな些細な事件も見逃してはならないのです。
450:、
08/05/04 08:24:33 nIorFx9J0
以上、シュタイナーの大予言2より、、、。
以下、コリンウィルソンの著作の記述より、、、。
451:、
08/05/04 08:26:27 nIorFx9J0
ロマスとナイトは、セクエンエラ殺害(ツタンカーメン)の動機となったエジプトの儀式がエッセネ派の秘密の
ひとつであるという説得力のある証拠を示す。この秘密はイエスの死後、イェルサレム神殿の
地下に隠匿されたー―そういえばイエスの物語においても、復活は中心的役割を果たしている。
この秘密を守っていたエッセネ派は、ティトゥスによって殲滅され、神殿は破壊される。
ロマスによれば、フリーメーソンリーには、「紀元70年のナザレ派の殲滅と、このときフリーメーソンリーの
始祖たちがイェルサレムを去り、ヨーロッパ各地に散った流れを語るものがある。」という。ま
た、ロマスによれば、この生き残りたちは、「ダヴィデとアロンの2つのメシアの血統を保存して
いると信じていた。そしていつの日か彼らが到来し、地上に神の王国を打ち立てることを」。
マンダヤ教徒(エッセネ派関係)からペテン師と見なされたイエスは、聖パウロによって神とさ
れた。そしてコンシタンティヌスが、崩壊しつつあった帝国を束ねるためにキリスト教を利用
したとき、イエスの復活はキリスト教会が超自然的な権威を持つことを示すもっとも強力な根拠と
なった。
452:、
08/05/04 09:01:55 nIorFx9J0
1307年にテンプル騎士団のほとんどを壊滅させたのは、まさにこの権威だった。だが騎
士団の艦隊は脱出し、一部はアメリカに、そのほかはスコットランドに向かった。そこにはテンプル騎士
団の最盛期である1140年に、キルウィニングという修道院が作られていた。それはグラスゴーの
すぐ南で、テンプル騎士団の中枢基地だった。当然ここは避難所となっただろう。特に、さほ
ど遠くないロスロリンにはセント=クレア家がいたのだ。スコットランド王ロバート・ザ・ブルースは教皇から破門
されていたので、テンプル騎士団はスコットランドで恐れるものは何一つなかった。
「ヒラムの鍵」で提唱された主要な仮説のひとつは、ロスロリン礼拝堂がヘロデの神殿の複製とし
て造られた、というものだ(驚くべきことだが、ヘロデの神殿というものは小教区の境界ほ
どの大きさしかなかったのだ)。その目的はテンプル騎士団の最も重要な「財宝」である貴重
な文書を収蔵することである。彼らによれば、ロスロリンの未完成の外壁は、単にその時点で工
事が中断したかのように見えるが、実際にはそれはヘロデが再建したソロモン神殿の未完
成の壁を模したものなのだという。
ではこの神殿を立てた男、ヒラム・アビフはどうなったのか?ロマスとナイトによるヒラム・アビフに関
する説を読んでいて、私は、別の興味深いつながりに気づいた。すでに述べたように、ヒラム・
アビフはテュロスの出身だ。レバノンに行く途中でテュロスに行ったことがある私は、それがフェニキア人の
都だということを知っている。フェニキア人はヤハウェの信徒ではない。なぜソロモンはフェニキア人の
建築を望んだのだろうか?
453:、
08/05/04 09:04:05 nIorFx9J0
とはいうものの、奇妙な話ではある。フェニキア人の主神はバアルもしくはベルであり、旧約聖
書の著者たちはこの神をひどく嫌っていた。またフェニキア人の主要な女神はアスタルテで、またアシュ
レト、イシュタールなどと呼ばれる。
マイケル・ベイジェントとリチャード・リーの『神殿とロッジ』(1989では)驚くべき主張が展開され
ている。「現代の考古学的調査の結果、ソロモンの神殿は,,,,フェニキア人の神殿と明瞭な類似が見
られた。、、、、、さらに考えを一歩進めてみよう。テュロスの神殿は、フェニキア人の母神アスタルテのため
に建てられたものだ、、、、、丘や山にはーーたとえばヘルモン山には―
彼女の聖堂がたくさんある」。そして彼らによればソロモン王もまた「聖なる高台で生贄をささ
げ、香をたいていた」。
ロマスとナイトによれば、ソロモンの宗教は、厳密な政党ユダヤ教ではなかったという。
老境に達したとき、「彼の妻たちは、王の心を迷わせ、ほかの神々に向かわせた、、、、ソロモン
は、シドン人の女神アシュトレト、、、に従った。彼らはまた有名なソロモンの雅歌はアスタルテへの賛歌だ
と述べている。
それから彼らは、驚くべき問いを投げかけるー-「(この神殿)が献じられたのはイスラエル
の神か、それともアスタルテなのか?」。この問いは、一見どうでもよいかのように見えるかも
しれない。だが、アスタルテは、ギリシア人には、アフロディテ、つまり、愛の女神として知られていた
のであるー―媚薬(アフロディシアック)という言葉は、彼女の名に由来する。同様に、ローマ人には
ウェヌスであった。つまり、ソロモンの神殿を作った人物は金星の崇拝者であり、その雇い主もそ
の傾向があった。この異教の女神は、古代の儀礼を巡るこの奇妙な物語の次の章の鍵とな
る。金星は愛の女神であるのみならず、また魔術の女神でもある。その理由は、その軌道
の奇妙な性質にある。それはほかのすべての惑星と異なっているのだ。
454:、
08/05/04 09:06:13 nIorFx9J0
今、地球が太陽系の中心であると想像して見よう(古代人はそう信じていたわけだが)。
すると当然ながら各惑星は太陽によって「蝕」とされる瞬間がある。太陽がその惑星と地
球の間に入ったときだ。たとえば水星は年に3回蝕になる。そして天にあるこの3つの点
を線で結ぶと、歪んだ3角形となる。火星の蝕は4回で、その形はゆがんだ三角形だ。実
際、すべての惑星はゆがんだ形を作るー―だが金星だけは例外だ。金星は、完璧な五角形
を描くのだ。
そして5角形の内部に5つの頂点を持つ星型を描くと、それは、歴史上のあらゆる魔術
師が親しんできた図形となる。5角星形だ。それは、しばしば人間を象徴するとされる。
なぜならそれは2本の腕、2本の脚、そして頭に見えるからだ。ダ・ヴィンチの有名な素描「ウ
ィトルーウィウス的人体」は、5角星形の形に手足を広げた人間の姿だ。
金星はまた、世界最古の宗教、自然崇拝を主宰する女神でもある。これはテュロスで行われ
ていた宗教であり、ソロモン王もまたその不肖の信徒だった。かの2人のメーソンによれば、ソロモンの神殿は金星の崇拝者、テュロスのヒラムによって建てられた。
テンプル騎士団を創った9人の騎士たちは間違えなくキリスト教徒であり、金星の崇拝者で
はなかった。だがその後の歴史、そして最終的な騎士団の瓦解を見ると、彼らが聖パウルの
言う救世主の教え、すなわちニカイエ信経のキリスト教の信者ではなかったことは確かだ。彼らは、
<天上のイェルサレム>を描いた無名の画家と同じ宗教を信仰していた。
455:、
08/05/04 09:07:18 nIorFx9J0
1446年にウィリアム・セント・クレアがロスロリンを建立するまで存在しなかった言葉をあえて使うなら、彼らはフリーメーソンだったのだ。
だが彼らは何者なのか?いったい誰からこれらの古代の宗教を受け継いだのか?
この問いに対する驚くべき回答が提示されたのが1982年、リチャード・リー、マイケル・ベイジ
ェント、そしてヘンリー・リンカーンの書いた「聖なる血脈と聖杯」(レンヌ=ル=シャトーの謎)という本であ
った。リーとベイジェントはその本の扉にデカデカと名前を書かれているが、最初にこの本に
出くわしたのは第3の男、ヘンリー・リンカーンである。
物語の主人公は、ある村の司祭ベランジェ・ソニエール。その教区はピレネーの北、ラングドッグにあ
った。彼はきわめて貧しかったーー年収は英貨にして6ポンドほど。これで彼は自身と家
政婦を雇っていた。その名は、レンヌ=ル=シャトー。
456:、犬猫にゃんわん
08/05/04 19:42:25 nIorFx9J0
一通りは先ずキリスト教問題は詰めましょう、、、、。
457:、
08/05/04 19:43:33 nIorFx9J0
ロマスとナイトによればフリーメーソンリーは紀元前7600年の大洪水にまでさかのぼる知識を伝承
している。これは、巨大な天体の衝突によるもので、それは、「エノク書」にあるように「7
つの燃える山」となって落下した。
紀元前15390年ごろ、ファラオ・セクエンエラはヒクソスのファラオであるアポピの雇った3人の男に殺
害された。アポピは、ファラオを神に変容させる儀式を聞き出そうとしたのだ。だが、彼らは失
敗し、新たなファラオであるセクエンエラの息子が、叛乱を率いてヒクソスをエジプトから追放した。紀元
前1522年のことだ。彼の父を殺したのは恐らくへブル人だ。だが6世紀後、この話は、
換骨奪胎され、殺されたのはソロモン神殿をつくったテュロスの職人ヒラム・アビフということになった。
ソロモンは、フェニキア人の妻の誰かによってヤハウェ信仰から迷い、近世の女神の一人である、アス
タルテにささげものをした。彼の神殿はアスタルテの神殿に倣って造られた.
紀元前587年、ユダヤ人はネプカドネザル王によってバビロンに捕囚され、50年後に
ようやく帰国を許された。囚人の間、彼らは、メシアすなわち「油注がれたる王」を夢見てい
た。それは彼らを勝利に導き、地上に神の大国を樹立するものだ。彼らは、神殿を再建し
たゼルバベルがメシアを宣言することを望んでいたが、彼にはそのような野心はなかった。
ばれ区さんだー大王が彼らの主人になると、多くのものは彼らはメシアだとのぞんだ。だが、
セレウコス朝-―アレクサンダー大王の後継者―の王の一人が神殿にゼウス像を立てると、それが原因
でユダス・マカバイオスの乱が起こった。以後、彼の家系が世襲の祭司となった。
458:、
08/05/04 19:44:49 nIorFx9J0
これに嫌気がさした保守派のエッセネ派はクムランの荒野に移住し、そこで禁欲的な生活
を送った。彼らの指導者は、(義の教師)と呼ばれ、奇跡を起こし、メシアを自称し、処刑さ
れた。イエスの到来より一世紀ほど前のことだ。この教師とイエスの類似ははなはだしく、研究
かG・R・Sミードは「イエスは紀元前100年に生きていたのか?」という本を書いた。
イエス自身は、4人の兄弟と2人もしくは、それ以上の姉妹の長男で、父親のヨセフはファリ
サイ派だった。ファリサイ派というのはユダヤ教の一派で、律法の厳守を主張する。イエスは
この宗教を不毛と感じて背を向けた。彼の徒兄弟である洗礼者ヨハネは、ゼガリアという
祭司の息子で、ゼガリアはアビア派の出身だった。(アビヤ派はアロンの子孫)
かなり早い段階で、ヨハネは荒野に出た。--彼が生まれたときすでに両親は年老いてい
たので、彼は、幼くして孤児となったらしい。エッセネ派は孤児を受け入れていたのでー
-彼らは純潔を守っていたので、そうする以外に人口を維持することができなかったのだ。
-―「荒野」というのはクムランのことらしい。エッセネ派の中に徒兄弟がいたということが、
イエスと弟のヤコブが、エッセネ派に入った理由かもしれない。
イエスが処刑されたのは、ローマ人をユダヤから追放しようとする氾濫を率いたからだ。ヘロデ王
は、親ローマであるだけでなく、「ヘロデ派」と呼ばれる裕福なユダヤ人集団の支持を受けてい
た。彼らはローマの支配に満足していた人々だ。つまりイエスは、前門のトラに後門の狼という
状況で、危険な賭けに出たことになる。だが、彼がもくろんだ反乱は起こらず、イエスは有罪
とされ磔刑に処せられた。
459:、
08/05/04 19:46:02 nIorFx9J0
とは言うものの、磔刑はわれわれが思うほど苦しい試練ではなかった。最悪の重罪人以
外では、十字架に釘で打たれるということはなく、手首と足首を縄で縛られるだけだった
のだ。さらに磔刑に処せられた人間は通常、死ぬまで何日も十字架に放置されたのに対し
て、イエスがそこにいたのは、たった6時間だった。なぜなら、その翌日が過越祭--安息日―
―であり、過越祭を十字架ですごすことは立法で禁じられていたからである。
そこでサンヘドリン―ユダヤの最高法院--の一員である裕福な人物がピラトに願い出てイエスの身体
をおろす許可を得た。彼はイエスの死に深く感動し、彼を近くにあった自分自身の墓に入れた。
イエスは、墓に入れられたが、アリマタヤノヨセフは、彼を公然と支援したとして数年間投獄された。
新約学者のバーバラ・シーリング(1992イエスのミステリー)によれば、イエスはその後、海面に含まれ
その後、もしもリンカーン、ベイジェント、リーが正しいなら、イエスは地中海を渡って恐らくマルセイユに
いき、そこで宣教を続けた。バーバラ、シーリングによれば、彼は、最後にローマに行き、紀元64
よりあとのいつかに死んだ。恐らく71にはなっていたはずだ。
460:、
08/05/04 19:47:10 nIorFx9J0
そんなわけで、イエスが十字架で死んだという伝承は、アイレダ地方(後のレンヌ=ル=シャトー)で
は決して受け入れられることがなかった。なぜなら彼はその地で後半生を過ごしたからだ。
だが、もしそうなら、なぜ南フランスにはマグダラのマリアに関する伝承は根強くあるのに、イエ
スに関するものはあまりないのだろうか?たぶん、ヘロデ王もまたカリグラによってガリアに追放
され、69年にそこで死んだからであろう。逃亡者にとっては、あまり世間の耳目に集め
るのは得策ではない。
すでに見たように、ピーター・ブレイクはイエスとマグダラのマリアの墓が並んでいるんもを発見し、
その位置はブッサンの絵に暗号化されていると考えている。
もしそうなら、「王といえども彼から手に入れることはきわめて困難」な秘密とは、この
ことだろう。ことにルイ14世は偽りの王朝の王なのだから。
次の謎は、メロヴィング王朝に関するものだ。ヘンリーリンカーンが研究を開始したころ、その詳細は
謎に包まれていた。キリスト教会がたゆまぬ努力で記録を検閲していたからだ。わかっている
のは、それがフランク族の王メローヴィス(メロヴィウス)にょって開始されたもので、彼は448年に
戴冠したことだ。つまり彼はアーサー王と同時代人らしい。彼の王国はフランスの大部分を含
み、南はマルセイユから北はアルデンヌまでに及んでいた。
461:、
08/05/04 19:48:11 nIorFx9J0
ヘンリー・リンカーンとリチャード・リーは、この人物の出生を物語る伝説に関する洞察に基づいて、『聖
なる血脈と聖杯』を書いた。つまり、メローヴィスの母親を孕ませた魚とは、キリスト教の教祖をさ
しているのではないか?初期キリスト教においては魚はイエスのシンボルとされていたのだ。ま
たリンカーンは、メロヴィング王朝の王はオカルトの達人であって、しばしば「呪術師の王」と呼ばれて
いるという伝承を引用する。だからこそ、彼らは天然の5角星型は位置を持つレンヌ=ル=シャトー
地域を重視したのだ。
リンカーンによれば、メローヴィスの息子であるヒルデリヒ一世の墓が、1653年にアルデンヌで発見さ
れた。そこには莫大な財宝もあったのだが、中には明らかに呪具と見られるものも数多く
あったー―水晶球、馬の頭、黄金の牛の頭像などだ。さらに、純金の蜂が300個も見つ
かった。奇妙なことにナポレオンは戴冠式の衣装にこの鉢を縫い付けさせた。彼がメロヴィング家
に関心を持っていたことは、その王朝の家計図を作らせたことにも示されている。この家
計図は後に国立図書館に委託された文書に含まれることになる。
メロヴィング家を巡る神話のひとつに彼らがギリシア神話のアルカディア出身だとするもの
があるー―恐らく『アルカディアの牧童』の墓の命はそれゆえだろう。
462:、
08/05/04 19:49:14 nIorFx9J0
その後、メロヴィング家からきているゴドフロウ・ド・ブイヨンは第一回十字軍を率い、そ
の死後は弟であるボードゥワン一世が(シオンの僧院)のメンバーに例の厩舎に移る許可を得た
彼らは、そこで探していたものを発見した。―エッセネ派が神殿に隠匿した巻物だ。そこに
は、メーソンリーのシンボルを満載した。(天井のイェルサレム)もあった。これらはフランスに持ち帰られ、
カタリ派の領地の只中にあるベズの城に安置された(リンカーンによれば、カタリ派を折伏しよう
としてこの地方に行った聖ペルナールは、この異端よりも自らの教会の腐敗に唖然とし、異端
者たちの倫理的純粋を褒め称えた)。
テンプル騎士団がフィリップ端麗王に捕らえられたとき、彼らの艦隊はこの文書をつんで出航し、
ロスリンにたどり着いた。だが(僧院)のほうはバル伯エドワールの下で存続した。フリーメーソンリーは1
640年に公然たる結社となった。これに先だって、薔薇十字団の奇妙な事件があった。
1614年、薔薇十字団の『友愛団の名声』と呼ばれるパンフレットが発刊され、全ヨーロッパにセン
セーションを巻き起こした。それは15世紀の神秘家・魔術師であるクリスチァン・ローゼン・クロイツの伝
記と証するもので、彼は106まで生き、その死体はその後120年間、謎の墓にーー腐
敗もせずに----保管されているという。さらにこのパンフレットは、これに興味を持つ人々に友愛
団の加入を呼びかけ、その意思を(口頭もしくは文書で)表明しさえすれば、その者は「接
触」を受けると述べている。参加表明をするものは数百名に上がった―だが知られてい
る限り、「接触」を受けたものは誰もいない。
463:、
08/05/04 19:50:22 nIorFx9J0
『名声』に続いて、更に二つの「薔薇十字」文書が世に出た。『宣言』(1615年)と、
大部の著作である『科学の結婚』(1616)だ。これらによって、薔薇十字団に対する熱
狂はさらに高まった。その著作はプロテスタントの神学者ヨハン・ヴァレンティン・アンドレイエであるとさ
れている。彼は「化学の結婚」の著者である可能性が最も高いが、ほかの二つに関しては
否定している。彼は理想に燃える若者で、新たな霊的運動を開始しようと熱望していたよ
うだー-当時の多くの人々と同様、今こそ新たな始まりのときと考えたのである。そして
重要なことに、彼は(秘密文書)において、(シオン修道院)の総長の一人と名指しされている。
最後に、スコットランドとイングランドで、自らをフリーメーソンリーと称する結社が1640年ごろに誕生
した。カトリック教会はこれを憎んだが、初期のころは、―特にスコットランドでは―プロテスタントと
ともに多くのカトリック信者がこれに加入していた。
すべてが明らかになったのは第二次世界大戦後、ピエールプランタールの下で、(シオン修道院)が
公に出ることを決断したときだ。その最大の成功はヘンリー・リンカーンがジェラール・ド・セードの
本を発見し、BBCにドキュメンタリーを作らせたことだった。
464:、
08/05/04 19:51:11 nIorFx9J0
その結果として世に出た『聖なる血脈と聖杯』は世界的なベストセラーとなった。
とはいうものの、それは依然として、メロヴィング家の歴史に興味を抱いた共用ある少数者
の範囲内に留まっていた。それが2003年になって、(シオンの僧院)を扱うダン・ブラウンの
小説『ダ・ヴィンチ・コード』が空前の大成功を収め、イエスとテンプル騎士団の歴史を何千万という
読者に提示したのだ。それは恐らく、マルティン・ルター以来、最も広く読まれたカトリックへの攻撃文
書だろう。だがブラウンはどうやら、ソニエールとレンヌ=ル=シャトーをいれると話がややこしくなり過ぎ
ると考えたらしく、ソニエールの名は開巻後数ページで殺されてしまうルーブル館長の名前として
採用されただけだ。そしてそれは、本稿執筆時点において、キリスト教の歴史をめぐるこの奇
妙な物語の最新のエピソードである。
465:、
08/05/04 19:52:24 nIorFx9J0
、、、、、、、、、、、、、。
466:、
08/05/07 05:45:09 2uoE7qH10
,
467:本当にあった怖い名無し
08/05/07 20:43:53 /Vzik0Uv0
ヘミシンクってゴンディシャプールの知識かな?
468:本当にあった怖い名無し
08/05/08 14:55:08 hVleHZNc0
テンプル騎士団が壊滅しなかったら世界はもっとマシだったんですねw
469:本当にあった怖い名無し
08/05/08 23:21:07 kKHDvo0mO
キリストって海に含まれたんかぬ?(´・ω・`)
きっとキリストはナトリウムかなんかでできてたんだぬ!(`・ω・´)
470:、
08/05/09 22:26:41 hDoSbob/0
、
471:、
08/05/11 20:36:29 ma3qvAT60
,
472:、
08/05/13 10:21:11 Hg20klVu0
,
473:、
08/05/15 21:01:34 wvrXOEqk0
,
474:、
08/05/15 21:03:17 DNe1gEL70
、
475:、
08/05/17 07:38:39 UsvE5/YD0
,
476:、
08/05/17 08:53:20 0aBgD8GB0
,
477:、
08/05/19 17:58:11 +aEeRN1a0
,
478:、ミジンコ
08/05/21 19:46:12 tb7DZ85D0
以下の文は、初めは、このスレで残りは、異常心理スレにまわします、、、。
何故かと言うと少しおかしいのは明らかだからです、、、。、、、色々な意味で、、、。
タイミングも、出版と在庫も、教祖の由来も、発想と意図も、、、。とりわけメンヘラを殺していると言う事です。
すでに見てきたように、黙示録にソラトの数字として登場する666という数字
は、、歴史の年号の上に、繰り返し現れることになります。第一の666はゴンデ
ィシャプールの学院創設とイスラム主義の発達、第二の666は、1332年に備えての
テンプル騎士団の壊滅として、歴史上に現れました。そして第三の666こそ、
666×3=1998
目前に迫りつつある、1998年にほかなりません。
私たちは現在、第三の666の時代、すなわち1998年を目前にしています。こ
の世紀の終わりに私たちは、ソラトが再び進化の流れの中から最も強く頭をもたげ
ることになる時点に到達します。エーテル化したキリストが可視的になることによって、
そのために必要な準備のできた人々は、すぐに20世紀の前半にキリストを見るよう
になります。しかしこの第三の666の時点において、ソラトは人々がキリストを見るの
を妨害することでしょう。
479:、
08/05/21 19:48:32 tb7DZ85D0
いま、私たちは、第三の666の年である、1998年を目前にしています。
シュタイナーによれば、1879年から大天使ミカエルが地上を支配する「ミカエルの時代」が始まり
ました。大天使とは天使の上に位置するヒエラルキー存在であり、その役目は地球進化の特定の
時代に衝動をもたらすことにあります。時代を支配する大天使はオリフィエル、アナエル、ツァハリエル、
ラファエル、サマエル、ガブリエル、ミカエルの7柱で、それぞれ約2000年ごとに人類の文明に作用を
及ぼすのです。
大天使ミカエルの性格とはどのようなものなのでしょうか。
大天使ミカエルはもっぱら人類の精神的な特性や精神文化に関与します。ミカエルは精神的に優
れた文化をすべての民族に広めようとする、コスモポリタン的な衝動を人類にもたらします。ま
たミカエルは、人間の知性によって、理念と思考で理解できるような霊性を人類に与えます。
ミカエルは何よりも、人間が霊的な啓示を自分自身の理念を用いて洞察することを望んでいる
のす。
すでに第4章でお話したように、太陽系の星にはさまざまな霊的存在たちが住んでいま
す。大天使ミカエルは太陽に住む知的存在です。ミカエルは太陽光線を通して、霊感に満ちた知性
を地球に届けます。ミカエルは太陽から宇宙的な知性を人類に贈り物として与える存在なのです。
すでに第4章でお話したように、太陽系の星にはさまざまな霊的存在たちが住んでいま
す。大天使ミカエルは太陽に住む知的存在です。ミカエルは太陽光線を通して、霊感に満ちた知性
を地球に届けます。ミカエルは太陽から宇宙的な知性を人類に贈り物として与える存在なのです。
テンプル騎士団の教義にも含まれていたとおり、太陽にはミカエルばかりではなく、キリストという
神的な存在もすんでいます。キリストもまた、ミカエルと同じように太陽の光を通して神的な恵み
を人間の中に送り届けます。ミカエルは、太陽の守護神であるキリストに仕え、キリストを手助けする
という重要な役目になっているのです。
480:、
08/05/21 19:50:01 tb7DZ85D0
現在ソラトは、ミカエルがミカエルが霊的な衝動を人類のもたらすのを妨害するのを狙っています。
ミカエルが知的なものと宇宙的な霊性が結びついた文明を地上に生まれさせようとしているに
もかかわらず、ソラトは人類の知性を地上的なものにのみ向かわせようとします。そのため2
0世紀末の現在、太陽の守護神キリストのために働くミカエルと太陽の悪魔ソラトとの間に激しい戦い
が繰り広げられることになったのです。
古くから西洋のキリスト教美術では、ミカエルは手に券を持ち、竜と戦う姿で描かれてきま
した。ミカエルが戦う竜こそ、最強のアーリマンとしてのソラトなのです。
現在、霊界では、ソラトとそのほかのキリストに敵対する悪魔たちが、太陽の原理を地
上に入り込ませないように妨害する仕事にとりかかっています。しかしその一
方では、ミカエルが新たな支配を準備しながら、その軍勢とともに太陽の原理のた
めに戦っています。
中世には、第二の666の年1332がやってくる前に、真のキリストについての教義を
復活させようとするテンプル騎士団と、彼らを滅ぼそうとするときの権力者の間に争いが生じ
ました。精神科学的に見ると、このときキリストのために働こうとする勢力と、ソラトに味方しよ
うとする勢力が地上で衝突したのです。
そして、現代においては、1879年以降ミカエルの支配が始まるとともに、太陽の原理が人
類の前に広まるのを阻止しようとするソラトが活動を開始しました。いま霊界では、666年
ぶりに、キリスト勢力と反キリスト勢力の争いが起こっているのです。しかしながら、今回の戦い
は前回の第二の666の時代のものとは比較にならないほど大きなものとなっています。
というのも、20世紀前半からエーテル会にキリストが出現し、人類への働きかけをいっそう強め
ているからです。これがシュタイナーのいう「エーテル界へのキリスト再臨」です。
481:、
08/05/21 19:53:11 tb7DZ85D0
かつてゆめみるような意識状態にいたころ、人類は透視能力によって霊界を見ることが
できました。しかし紀元前3101年から人間は次第に透視能力を失い、感覚的世界以外
のものは知覚できないようになりました。精神科学において「カリ・ユガの時代(暗黒時代)」
と呼ばれる時代が始まったのです。
紀元一世紀にキリストが地上に現れたとき、このようなかり・ユガの時代は依然として続いて
いました。このとき人類は霊的な存在を直接見ることはできませんでした。だからこそ、
太陽の守護神としてのキリストはナザレのイエスと合体することで、感覚的に知覚できる姿で人間
の前に現れなくてはならなかったのです。
しかし、このようなカリ・ユガの時代は1899年に終わりを告げました。20世紀の幕開
けとともに、まさに人類の中に霊的なものを知覚する能力が新たに目覚める時代が始まっ
たのです。いまや人間が自らの自己意識をたずさえながら、霊的な世界の中に足を踏み入
れることが可能になりました。現在1部の人間の魂の中に、すでに新しいと押し能力が芽
生えつつあります。このような人々は物質的なものばかりではなく、さらにエーテル的なもの
を知覚する能力をそなえています。
もはや、キリストはかつてのように物質体を身にまとって地上に姿を表すことはありません。
キリストはエーテル的な透視能力を備えた人々のエーテル体の中に出現します。シュタイナーによれば、20
世紀が終わるまでに多くの人々がエーテル界にキリストを見るようになります。そしてこのような
人々は、21世紀になると、さらに増えていくのです。
19世紀の終わりから、すでにミカエルが再臨するための準備をしてきました。そして20
世紀にはいって、キリストがエーテル界に再臨し、一人一人の人間が直接キリストを認識できる時代が
始まりました。自分自身でキリストについての認識を獲得した人は、、もはや宗教上の権威や文
献に依存することはありません。「もはや教会は必要ない」というシュタイナーの言葉は、このよ
うな精神科学的事実に基づいているのです。
482:、
08/05/21 20:12:05 tb7DZ85D0
スレリンク(psycho板:384番)
スレリンク(sm板:179番)
483:、白からす黒ひつじ
08/05/21 20:26:55 tb7DZ85D0
スレリンク(psycho板:370-377番)
松浦は、ローマの先を行くシュタイナーの後継者だけに警戒されると言う事です、、、。
シュタイナーの進化論の問題を突っ込まれたら人智学関係者は大方馬脚をあらわす、、、。
、、、、これは、本当に危ない、、、みておわかりの通り、シュタイナー的な者は纏まりがつかず
埒があかないし、意識操作の究極と判断される意味で精神医療の見地からも危険視される性質のものである。
484:、
08/05/22 09:41:23 yu+RWq380
スレリンク(psycho板:394-397番)
カリ・ユガから「万人による万人のための戦い」までのながれ
bc3101年 カリ・ユガ(暗黒時代)の始まり
BC747年 ご成婚の始まり。 ギリシア ラテン文化期
AD1世紀 キリスト地上に現れる
333年自我が悟性魂の中に入り込む
666ソラトの第一作用(ゴンディシャプールの学院)
1332年 ソラトの第二作用(テンプル騎士団の壊滅)
485:本当にあった怖い名無し
08/05/23 07:09:11 QE/Hgmv30
何?このスレ?
486:、ミジンコ
08/05/23 07:29:39 rPoQdwkl0
>>484
1413年 意識魂の始まり 第五文化期
1879年ミカエルの支配の始まり
1899年 カリ・ユガの終わり。
20世紀キリストのエーテル界への再来 普遍アントロポゾフィー協会の活動
1998年ソラトの第3の作用
3573年 ロシア文化期
5733年 アメリカ文化期
7893年 万人による万人のための戦い(最終戦争?)の直前
7893年 第六根幹人類期の始まり。
487:、ミジンコ
08/05/23 07:51:32 rPoQdwkl0
これで、松浦賢著作の シュタイナーの大予言2が終わった。この著作は在庫にありませんので、
もはや書店からは入手は出来ないし、1997年あたりの出版のみの出版で終わったきり現在に至っています。
大方の図書館にも置かれていません、、、、。一体、何を考えているのか理解に苦しまれる事が度々あります。
ちょっと、変なんですよね、、、。ちなみに1998年にはユル・ブラウン博士も亡くなられています。
スレリンク(psycho板:378-382番) 意味深長で不吉です、、。
ここからは、シュタイナーの大予言1についての投稿を進めようと思いますが、このスレッドと以下のスレッドに
投稿していく事にします。
スレリンク(bake板)l50 化学
スレリンク(psy板:201-300番) 宗教
スレリンク(pedagogy板)l50 教育
スレリンク(sociology板)l50 社会学
スレリンク(economics板)l50 経済学
スレリンク(doctor板)l50 医療
スレリンク(doctor板)l50
488:本当にあった怖い名無し
08/05/23 20:10:04 3N2lCwIR0
2400年ころからマモンが活動始めるだって
マモンは精神ではなく肉体を崩壊させるんだって
489:本当にあった怖い名無し
08/05/24 15:40:40 eJWYtSrZ0
ソラトは精神を崩壊させようとする
マモンは肉体を破壊しようとする
490:、
08/05/25 20:53:15 BDl/HMJZ0
>>488-489
そうか、、、、。ソラトは無自覚な精神で、マモンは、誤った意思の展開ということだな、、、。
ソラトはイデオロギー的で、マモンは魔術的であると考えたら、、、、。何時の世でも影響はあると思うがね、、。
ソラトと同様に、、、。私には、、、、。しかし、オカルト的には黄金時代に入っているわけです、、。
491:、
08/05/27 08:05:31 9W9JvQuv0
、
492:本当にあった怖い名無し
08/05/27 13:18:14 fylzWsx40
ソラトが上級アーリマンだから
マモンは上級アスラかな
493:、
08/05/28 19:16:27 TD/3JVYb0
>>487
ルドルフ・シュタイナーはすでに今世紀の初めに、物質主義文明は近い将来ある限界に達すると予言
していました。
当時はまだ現在ほどには、環境破壊や核兵器といった科学のもたらすマイナスの側面は表面
化していなかったし、科学万能の世を賛美する風習は支配的でしたから、シュタイナーの見通し
の確かさは、これだけでも驚くべきです。
しかし、終わったばかりの第一次世界大戦の模様と戦中戦後の各国指導者の考え方の中
に、シュタイナーは危機の本質を読み取っていたのです。彼の危機意識の深さは、たとえば次の
ような発言によく現れています。
すでにしばしば強調してきたように、もし、現代の文明社会の到来とともに私たちが足を
踏み入れることになったこの衰退が、完全な廃墟になってはならないと言うのなら、非常
に多くの人間が、つぎのようなことを理解しなくてはなりません。すなわち現代文明を、
精神科学的に世界をとらえることによってのみ、もっとも広範囲に到来することになるあ
る種の衝動に満たされなくてはならないのです。
(GA197 74)
494:、
08/05/28 19:18:00 TD/3JVYb0
「精神科学」というのは、シュタイナーが創始した学問の総称です。この当時彼が活躍したドイツ
は第一次世界大戦に破れ、戦勝国側から突きつけられた法外な賠償金の負担に苦しみ、そ
のために経済は悪性インフレに陥ってました。一方ロシアでは、レーニンの指導の下に共
産主義革命が起こり、1927年にボルシェビキ独裁のソヴィエト連邦が成立しました。
シュタイナーが「現代の文明社会の到来とともに私たちが足を踏み入れることになったこの衰
退」と述べているのは、彼がこの間の推移全体を「衰退」と見ていたことを表しています。
人類が、取り分けヨーロッパ人がこのままの考え方を続けるならば、やがて「完全な廃墟」が
到来するであろうとシュタイナーは予測し、早くも1918年には警告していたのです。
その後の歴史を見てみれば、シュタイナーの警告がまさに的を射ていたことは、誰の目にも明
らかです。
長期にわたる大不況に苦しむドイツでは、対外強硬路線を主張するヒトラーのナチスが国民の
不満を吸収して政権を掌握しました。英・米・仏など戦勝国政府は、領土的野望なとヒトラー
の危険な性格が明らかであったにもかかわらず、自国の国益のみを追求するあまり、ヒトラー
に対して妥協に妥協を重ねました。やがてヒトラーは近隣の弱小国への侵略を開始するととも
に、ドイツ同様全体主義の体制となった日本・イタリア・スペインと同盟を組み、こうして世界は第
二次世界大戦へと突き進んで行きました。
495:a
08/05/28 19:19:33 TD/3JVYb0
一体、シュタイナーは現代の最大の問題を何処に見出したのでしょうか?
宗教 カルトに関する「大予言」
オウム事件が意味するもの
カルトや新興宗教の問題は、90年代半ばの今になって、突然持ち上がったわけではありません。
これらの問題の最初の萌芽は、すでに60年代のヒッピー文化やサイケゲリック・ムーブメントの中に現れていました。
日本では70年代半ば、ようやく学園紛争の時代が終わり、キャンパスに見気力でシラケたムー
ドが広がっていたころから、学生や若者たちの間に新興宗教が浸透し始めました。
したがってオウム事件は、過去数十年にわたって続いた世界的な新興宗教・カルトブームの総決
算ともいうべき意味を持っているのです。
オウム事件は、宗教が内包している負の側面を白日の下にさらし、満天下の人々の目にまざ
まざと見せ付けることになりました。
宗教が内包する負の側面とは、人類の進化に逆行して、前掲のミヒャエル・エンデも指摘したよ
うに、「本能的に、世界との一体性を回復しようとする」という傾向のことです。ここにカル
トや新興宗教がセックスやドラッグと結びつきやすい理由があります。彼等はセックスやドラッグの力を
借りて、現代人が失ってしまった「本能的な」宇宙との交換能力を回復しようと言うので
す。
496:、
08/05/28 19:22:53 TD/3JVYb0
しかし、一度思考力を獲得した人間は、セックスやドラッグのようなどんな人為的手段を用い
ても、古代人のような本能的な能力を再び獲得することはできません。なぜなら、人間が
いかなる意味でもかかわることができないからこそ、それは「本能」なのですから。
そうした領域には、私たちは神聖な力の働きを感じるべきものです。いかなる宗教、い
かなるカルトの教義と言えども、そうした性や宇宙との交感のの領域に、人為的な影響力や支
配力を振るうことは本来できないのです。そうした封建的・暴力的な支配力や影響力によ
って、ひとたび過ちが犯されてしまえば、その人は破壊されてしまうかもしれません。こ
れこそマインド・コントロールの恐ろしさです。ひとたびインドコントロールをされてしまえば、それを完全
に解くには数年から、時には十年以上も要するのです。そしてカルトのマインド・コントロールの恐怖
は、本人だけでなく、その本人の属する家庭や職場などを巻き込み、それに多大な不安と
動揺を与えついには破壊させてしまうことさえ珍しくはありません。特にインド系やチベット密
教系の教団には、オウムに限らずこうした危険な傾向が強いと言わざるを得ません。
近代以降、唯物論の発展とともに、絶大な支配力を誇っていた宗教は、次第に権威を失
っていきました。現代は旧い時代の遺物である宗教が、様々な形で最後の抵抗を試みてい
る時代だとも言えるでしょう。
にもかかわらず一部には、キリスト教や仏教と言った伝統宗教の復権を唱える人たちも居ま
す。そうした意見の持ち主たちは、
「現代人は堕落している、だから宗教を通して積極的なものへと至る道を再び見出すべき
だ」
と主張しています。
497:a
08/05/28 19:24:52 TD/3JVYb0
しかしながら宗教が、少なくとも既存の形のままで復興することはありえないでしょう。
シュタイナーによれば、近代以降人間は自我意識を発達させるとともに宗教的な権威から自由に
なったのです。これは、人類の進化の必然性なのです。
ところが過去の宗教の復興を唱える人たちは―特にインドやチベット計の宗教を信奉する
人たちは―人類進化のベクトルを逆転させようとしています。
「西欧的な自我は悪の根源であるから、これを消し去らなくてはならない。そして、それ
を消し去ることによって、人間は神と一体とならなくてはならない」
と、いうのです。これは一見最もな主張のように聞こえますが、実は大変危険な思想と言
わねばなりません。「近代の超克」という現代の歴史的課題に名を借りて実は旧い宗教的形
態をそのまま復興しようとするこうした考え方には、現代人としての個人の人格を破壊し、
道徳性や義務感を失わせ、個人の社会性を失わせて挑戦的になる、そういう現実的な危険
があります。
シュタイナーの考えでは、こうした人類進化の過程を逆に進ませようとする力は明らかき誤りで
あり、時としてそれは大きな悪であることすらありうるのです。
未来社会のための3つの原則
ルドルフ・シュタイナーは、「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(『天使と人間』)と言う有名な
公園の中で、来るべき未来社会の姿を、3つの原則に基づいて描いています。それは人類
が正しい進化の道を歩み続けるなら、必然的に到達しなければならない段階を示している
のです。
このようなシュタイナーの予言では、
「未来の宗教はどのようなものになるのか」
ということが、きわめて重要な意味を持っています。というのも、シュタイナーは、「これからじ
んるいが精神的なもの、超感覚的なものとどのように関わり合っていくのか」と言う点が、
必然的に未来社会のあり方を決定すると考えたからです。
それでは未来社会において、宗教はどのような形をとるのでしょうか?
498:a
08/05/28 19:26:39 TD/3JVYb0
【大予言5】誰も、物質界に外面的な気候を持つ
特別の教会によって宗教上の生活を支える必要がなくなるだろう。
未来において人間の中で発達することになる自由な宗教はすべて、「単なる理論ではなく、
直接的な人生の実践において、個々の人間の中に実際に神性の似姿が認められる」と言う
ことをよりどころとするのです。そうなるともはや宗教が強制されることもなくなります。
もはや宗教を強制する必要がなくなるのです。というのも、そのときには、それぞれの人
間が他の人間と出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟となるからです。そのと
きには、それぞれの人間が他の人間に出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟と
なるからです。そのときには誰も、物質界に外面的な機構を持つ特別の教会によって宗教
上の生活を支える必要がなくなります。人生全体が超感覚的なものの表現となることによ
って、教会が持ちうるただ一つの意図は―もし教会がそれ自身を正しく理解するならば
―「教会それ自体を物質界で不要なものとすること」のみになるのです。
(「天使と人間」54~55)
これは、現在私たちが言うところの宗教とは、まったく別のものです。それはもはや、
宗教という名で呼ぶことすらふさわしくないものかもしれません。
現在のような宗教はすべて、ゆっくりと消滅していくでしょう。そこにはもはや、教祖
と信者、出家と在家と言った区別も存在しなくなるでしょう。しかし、そうなるには、私
たちの意識が全面的に変化しなければならないのです。
私たちは理解においても、実践においても、質の高い肉体を備えているからと言って、人
間を単なる高次の進化を遂げた動物と見なすことがあってはなりません。私たちは「心的
な世界の根拠の中から示現するものが、人間の中に現れる」と言う感情を完全に発達させ
た上で、一人一人の人間と向かい合うべきなのです
(天使と人間 53~54)
499:a
08/05/28 19:28:30 TD/3JVYb0
これが、シュタイナーの説く未来の宗教の根本精神です。
これに対して、既存の宗教は、本当に人間存在そのものを尊ぶことを教えているでしょうか?
実際は現実に生きている人間を卑しいものと見なし、人間を度外視した「精神世界」と
証するものの中に、直接神を見出そうとしてはいないでしょうか。
現在の進化のレベルでは、人間が直接神を見たり、神に触れたりすることはありえないの
です。シュタイナーの宇宙進化論によれば、霊界は3つのヒエラルキーから成り立っていますが、人間
に直接影響を及ぼしているのは、その中で最も人間界に近いところに存在する天使たちと
四大元素霊(地、水、風、火の霊)だけなのです。
現在の唯物論的な教育において、まるで「霊界や神は存在しない」と教えられているも
同然のような私たち現代人の多くは、その結果、霊界や神についてほとんど無知同然とな
ってしまいました。
そして巷には、信者一人一人を罪深い無明のやからなど決めつけ、
「われこそは神の代理人なり」
と称して、信者に服従や「お布施」を強要してはばからないような、お粗末な「教祖様」
が数多く存在することとなりました。
一方、「人間は神性の似姿である」という罪深い宗教的哲理を悪用して、「人間は神であ
る」などと教え込むバグエワン・ラジニーシのような悪徳教祖が猛威を振るっています。人間は神
性の似姿ではあっても、正しい努力と認識に欠ければ、何処までも堕落してしまうのです。
社会的弱者や人生の道に迷う人々に、フリー・セックスや麻薬を与えて人生の重荷から開放された
と言う錯覚を与え、一方で教祖と教団幹部は莫大な富を蓄えているのです。こうしたカルトは、
オウム真理教やラジニーシの教団だけではないでしょう。
かねてシュタイナーは、こう警告していました。
500:、
08/05/28 19:32:06 TD/3JVYb0
【大予言6】チベットの文化は、少しずつ退廃と没落に向かっている。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない。
チベットの文化は極めて古いもので、その紀元は太古のアトランティスの時代にまで遡ります。―
中略―このような文化は、人間が現代とは別の条件の元に生きていた、あの太古の時代
にのみ、ふさわしいものでした。皆さんは次のようなことを思い浮かべてみるだけでよい
のです。すなわち当時、大気は今日と異なり、人間は今日のように重くはなく、人間の体
重は今日よりもはるかに軽く、当時の大気は今日よりもはるかに濃密でした。大気は常に
熱い霧に満たされ、そのため人間は今日とはまったく別のやり方で生きることが可能とな
ったのです。
―中略―
このようなチベット文化は、少しずつ退廃と没落に向かっています。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができません。なぜならチベッ
ト文化は、インド文化よりも古いからです。インド文化は、地球が現在のような形姿とるよう
になった後で成立しました。これに対してチベット文化は、まったく古いものです。このチベッ
ト文化は、太古の昔には比較的善い形態のうちに存続していたものを、悪しき形態のうちに
保持してきました。特にチベットの支配者(訳注ダライ・ラマのこと)の原理は、非常によくない
形態のうちに形成されました。チベットでは、支配者になる人物は心的な崇拝を受けることに
なるからです。
(GA353 264~265)
501:、
08/05/28 19:33:06 TD/3JVYb0
「アトランティス以降にチベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない」
という指摘は、まるで今日のオウムの事件について警告を発しているかのようです。
シュタイナーほど早く、的確かつ本質的に、こうした二十世紀末の反時代的宗教感情の台頭と
その危険に対して警告を発している人物が他に居るでしょうか。
最近、著名な作家や評論家の中にまで、
「人々がイデオロギーに頼る時代は終わった。これからは宗教の時代だ」
などという趣旨の発言をしているひとがおりますが、まことに無責任であるとしかいいようがありません。
つい最近まで、無責任な進歩的知識人たちが「平和、平和」と盛んに唱えていたかと思
えば、こんどは、「宗教、宗教」と唱える知識人が活躍する順番だとでも言うのでしょうか。
現代という時代がいかに無機的で先が見えないからと言って、人々の自我(主体性や個
人的尊厳)を奪ってマインド・コントロールをかけるようなカルトや宗教に道を譲る必要が一体何処に
あるというのでしょうか。
また、今日の宗教界の退廃については、既成の宗教界もおおいに反省すべきでしょう。
まともに信者に人倫の道を説くことも怠り、ましてや本来信者の苦しみを軽滅するためで
あるはずの「序霊」行為をカネ儲けに利用してはばからないような一部の教団の姿こそ、
退廃そのものなのではないでしょうか。
502:、
08/05/28 19:38:19 TD/3JVYb0
第4章 医療と科学技術に関する「大予言」
1
機械に関する「大予言」
ルドルフ・シュタイナーは1920年前後に、将来医学や科学技術の分野において非常に大きな改革が
もたらされるであろう、と述べています。すなわち、
【大予言20】未来の人類の本性の中から、3つの能力が発達してくることになるだろう。
(GA186「変化した時代状況における私たちの時代の社会的な基本要求」)
と、予言しているのです。
シュタイナーがここで「3つの能力」と言っているのは、機械・性・医療をめぐるもののこと
ですが、人類の運命はこの「3つの能力」がどのような方向に発達するかにかかっている
と言っても、けっしておおげさではありません。
それではこれから、これら「3つの能力」に関してシュタイナーが何を予言したのか、そして、
その予言はどれほど当たっているのかを見てみることにしましょう。
今世紀初頭、ルドルフ・シュタイナーが活躍した時代に、主な動力は石炭エネルギーでした。それ以後わ
ずか70年の間に、エネルギ―の主役は石油になり、今では原子力エネルギ―や光エネルギーに
なっています。それにともない機会も驚くべき発達をとげました。向上では人間の変わりに
ロボットが作業し、様々な機械の中では半導体が大きな役割を担っています。
機械文明のこうした急激な発展は、さまざまの強い影響を二十世紀の人間と社会に与え
てきました。二次にわたる世界対戦、共産主義革命、ファシズムの台頭と衰退、人口の都市集
中化、公害、自然破壊等々の問題の底辺には、必ずエネルギー問題が横たわっています。
こうした大変化を、シュタイナーは何処まで予見していたのでしょうか。
503:本当にあった怖い名無し
08/05/28 19:40:17 TD/3JVYb0
【大予言】人間は自分自身の振動を用いて、マシーンを動かすようになるだろう。
人間は、自ら生命体の中に存在する繊細な振動を、機会に衝動を与えるために利用する
ことができるようになります。人間は自分に結びついた機械を持つようになります。そし
て人間は自分自身の振動を機械に移すようになります。つまり人間は自分が引き起こした
振動を用いて、ある種の機械を動かすことができるようになるのです。
(GA186 214~215)
シュタイナーが「振動」といっているのは、物理的な振動のことDDけではありまSけではあり
ません。そこでは人間の中に存在する生命科学的なしんどうが想定されているのです。
人間の振動を利用した機械と言えば、電話もその一つです。人間が声を発し、その声が振
動となって相手に伝わり、相手の受話器の中でこんどは振動が声に変わるわけです。
「人間が生命体の振動を使って、機械を動かす」研究は、現代の技術革新の主力となって
います。
最新の科学においても、
「あらゆる物質が原子レベルでは絶えず振動している」
ということが、常識になりつつあります。
光も振動しています。
この物質界に存在するものはすべて、肉眼ではとらえられないレベルで振動しているのです。
この一世紀はどの間に人間は
、物理学振動と生命科学的な振動を結びつけることに成功し、技術革新の大波を作り出し
ました。バイオ・テクノロジー等の先端産業は、このような傾向の現れです。
遺伝子工学という分野がさいきんことあるごとに注目を浴びています。遺伝子工学にお
いては、いままでは工学・医学・生理学にそれぞれ分類されていた複数の学問分野が混ざ
り合っているのです。
現代の学問はこうして相互に相互に影響しあいながら、私たちの予想を遥かに超える発展を遂げています。
504:,
08/05/28 19:41:54 TD/3JVYb0
生命的なレベルのバイブレーション(波動)やエネルギーに対する認識の深まりは、急速に自然科学の
研究対象となっているばかりか、自然科学それ自体を一変させています。
また、それとは正反対の方向の変化も見られます。たとえば電子顕微鏡などの発達・発明
によって、人間の観察の目は生命体内部の今まで到達できなかった細部にまで届くように
なりました。
そうした機械や技術の進化は、動植物を問わず生命体そのものを大きく変化させています。
人間もその例外ではありません。
こうした文明のもとに生きる私たちはいま、一方では大きな期待を抱きながら、他方で
は底知れない不安にさいなまれています。
たとえば原子力がよい例です。周知のように、いずれは枯渇するに違いない石油エネルギー
に代わるものとしては、今のところ人類は原子力に期待するしかありません。しかし、そ
れも物質文明の現在の消費レベルを維持し続けるとすれば、のはなしですが。この点に関し
ては、人類がエネルギーの消費レベルを下げるように努める気配は、いまのところまったくあり
ません。それどころか石油の消費量は増える一方であり、90年代に入ってそれまで原油
輸出国だったソ連とアメリカが次々と輸出国に転落し、さらに二十一世紀初めには、中国の石
油消費量がアメリカや日本を追い抜く見込みなのです。開発途上国が次々に工業化することに
よる公害や自然破壊の深刻化を避けるためにも、クリーン・エネルギーの利用拡大が叫ばれている
わけですが、原子力の安全性にはあまりにも問題がありすぎるといわねばなりません。
私たちは心弱き人間として、こうした科学文明のが私たちの未来に安全と平和をもたらし
てくれることを祈りたいのは当然なのですが、はたしてそうなってくれるかどうかは、私
達の生き方しだいなのです。
この点に関して、シュタイナーはとても気にかかるような予言的といえる言葉を述べています。
505:、
08/05/28 19:45:50 TD/3JVYb0
【大予言】科学技術は限界に達し、消滅するだろう。
比較的近い未来において、現代の驚嘆すべき科学技術はある種の限界に到達します。そし
て、この限界に達した時点で、科学技術はある方向によって自らを消滅させてしまうこと
になるでしょう。
(GA173 214)
「ある種の限界」とは簡単には説明することができません。しかし、「驚嘆すべき科学技術」
が、もはや心ある人間の耐えうる限界を超えていることは、確かな事実なのではないでし
ょうか。
遺伝子工学や内臓移植やバイオ・テクノロジーの領域においては、すでに、「ここまでしてよい
のか」と不安視されるような研究例が報告されています。理性によってコントロールされるべき
ものが暴走するような事態はすでに実際に起きており、今後ますます増えることでしょう。
人間の理性や倫理観は、そうした暴走を食い止めるほどには、まだ強くはなっていないの
でしょう。
人類はそこまで自分自身を信じられるほど内面的に強くはなっていないのに、科学技術
の進歩はとどまるところを知りません。このことについて、私たちは大きな不安を抱いて
います。このシュタイナーの指摘をどう受け止め、どう考えるか、それは人によって様々でしょ
う。しかし、いずれにせよ現在の自然科学に過剰に依存した物質文明がこのままでよいと
考える人は、それほど多くはないと思われます。
私たち人類は今、運命の重大な岐路にたっているのです。
506:,
08/05/28 19:48:35 TD/3JVYb0
【大予言23】
人々はある能力を通して、調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲にわたって機
械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになるだろう
人々はある能力を通して―この能力はまだ人間の中で潜在的な段階にとどまっています
が、やがて発達することになります―調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲
にわたって機械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになります。―中
略―それに当てはまる振動の曲線を知ることによって、人間はほんのわずかな振動を与
えるだけで、ある種のモーターを動かし、駆動させることができるようになります。そしてそ
のことによって、今日の人間の力が必要とされている多くの事柄が、純粋に機械的な力に
よって取って代わられることが可能になるでしょう―中略―そしてこのことによって、
英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる可能性が生じる
ことになるでしょう。
(GA186 71~72)
技術革新には、他にも無視できない問題が付きまとっています。大量失業と言う問題です。
シュタイナーが生きた今世紀初めの時代は、ヨーロッパのほとんどの国は農業国でしたから、失業
などと言う考えはありませんでした。ところが産業革命によってイギリスが工業国へと移行す
るに従い都市人口が増え始め、まもなく都市に失業者が溢れるようになりました。そうし
た社会の大変化をいち早く見通して、シュタイナーは、
「、、、、、、英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる」
と、じつに的確な予言をしたのです。
その後、現実はまさにシュタイナーの予言どおりになりました。斜陽の資本主義イギリスでは、失
業者が絶えず10パーセントを超えるようになったのです。
その後4半世紀を経て現在では、人体工学・バイオ・テクノロジーその他の先端技術を応用し
たさまざまなマシーンルイの驚異的発展により、慢性的に労働が供給過剰になっています。
「英語を話す領域内」とシュタイナーがいっているのは、当時は英語圏の国々で資本主義が発展
していたからでしょう。
507:、
08/05/28 19:50:24 TD/3JVYb0
失業率が低いことでは有名だった日本も、社内失業と言う独特の習慣を計算に入れれば、
失業率はとっくに10パーセントに近づいているといわれています。
かつて19世紀前半のイギリスで、産業革命に伴う機械の導入とともに職を失った手工業者た
ちが、機械を破壊する運動(ラッダイト運動)を起こしたことがありました。ルドルフ・シュタイナーは
こうした社会問題についても、極めて明確な予測を語っています。
【大予言24】 不満を抱く人間の集団が反抗的な動きに出ても、それは麻痺させられてしまうだろう。
歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。
19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
(GA186 72)
508:,
08/05/28 19:52:49 TD/3JVYb0
歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。
19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
いずれにせよシュタイナーは、このような「振動を用いて機械を動かす能力」は英語圏で発達
するだろうと述べています。そしてこの力は西暦3500年ごろまで、英語圏以外の地域
の人間をも支配するようになるだろう、というのです。
産業主義を担う一方の柱であったソヴィエトがあっけなく崩壊した―第3章で見たとおり、
今世紀初めにはすでに、シュタイナーははっきりと共産主義の崩壊を予言していました―以上
は、こうした開発を担うのはアメリカかイギリスであろうと推測するのは難しくありません。
ドイツや日本はどうかと考える人も少なくないかもしれませんが、第二次世界大戦に敗れた
両国には、もはや世界支配の野望はほとんどなく、またそうした野望を支配層が抱いたと
しても、両国の国民はそれを許そうとはしないでしょう。
しかし、世界大戦に敗れた体験がない米・英両国には独・日のような戦争アレルギーは
うすく、みずからが世界警察の役割を果たすことが当然と考えています。
こうした現代の世界情勢を考慮に入れると、先に掲げた(GA173 214)のシュタイ
ナーの言葉は、ますます意味深く感じられてくるのではないでしょうか。