ヒストリカルフィギュア・ミリタリー考証スレッド2at MOKEI
ヒストリカルフィギュア・ミリタリー考証スレッド2 - 暇つぶし2ch726:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 19:05:17 EnrEYOSg
URLリンク(www.oningyo.com)
上を見る限り側面の草摺の糸の部分には
皮が有るし
この部分は戦闘時には鉄板は無いと言う事かも知れぬし
槍が飛び込んだら厄介と言う事かも知れぬが
胴丸では隙間は無くなっていただろうか

727:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/21 19:38:52 GKoRQjFa
URLリンク(www.fsinet.or.jp)
大鎧の下に腹当を装備する例も有ったと言う事だろうし
URLリンク(www.chiba-muse.or.jp)
URLリンク(bunkazai.ysn21.jp)岩国歴美館腹当002.jpg
腹当は大鎧と異なり腹部の側面は防護されているが
防御力は余り高くは無いかも知れぬが
胴丸や当世具足の下に此れを装備すると言う事は
下馬戦闘が彼等は主体なら
無かった訳だろうか

728:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/21 20:00:56 GKoRQjFa
南北朝時代でも槍での戦いや下馬戦闘に備えて
胴丸鎧や胴丸の比率が
多く成ったと言う事は無いのかだが

729:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/21 22:37:43 GKoRQjFa
現実的に集団戦用の武器で何が良いのかだが
雑兵はパイク・精鋭兵はツヴァイハンダーやハルバードと言うのが
良いのかだが
ツヴァイハンダーはパイク兵には有効だが
ハルバード兵には勝てるのかだが
長さはツヴァイハンダーとハルバードでは
大差は無いかも知れぬし
先端が軽い分ツヴァイハンダーの方が
扱い易いかも知れぬが
17世紀では銃砲・手榴弾でパイク兵を崩すと言う事を考えたから
両方共廃れ
ハルバードは士官の飾りの様な武器に
成った訳だろうか

730:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 01:51:22 HRKD+omv
重騎兵はランス及びバスタードソード
歩兵はパイク・クロスボウ・弓
精鋭歩兵はツヴァイハンダーと言う様な方向も
有る訳だろうか
(後は近接戦用に小剣を携帯と言う
 方向だろうか)

731:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 01:59:31 HRKD+omv
防具は重騎兵は完全鎧を装備だが
甲冑は腹にスペースの無い古いタイプの物を着るなら
盾が必要だろうが
軽騎兵も鎧は軽量で盾で槍は防御と言う事だろうが
歩兵は機動力確保の為に綿甲程度を装備した
パイク兵やクロスボウ兵・弓兵だが
必要に応じてパビスやスクトゥムの様な盾を装備すると言う
方向も有るだろうが
精鋭歩兵は当世具足程度の余り重く無い
長時間下馬戦闘可能な鎧を装備し
安い小型の馬に騎乗して行軍すると言う方向だろうか
(他の歩兵も馬や馬車に乗って行軍と言う事は
 有り得る訳だろうか)

732:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 15:15:33 HRKD+omv
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ポワティエでは馬甲を装備した重騎兵に乗馬突撃を受け
ロングボウも側面攻撃を
余儀無くされた訳だろうが
仏重騎兵も側面攻撃で何処迄やられたのかだが
英の下馬した重騎兵を突破出来ずに
側面や背後を向けた時に馬をやられたと言うのが
正しいのだろうか


URLリンク(www.toride.com)
上のポワティエの絵では騎士は後方から矢を受けているし
騎士の馬が側面や後方からやられたと言う事を
再現しているのだろうか

馬の側面や後方に装甲が施されたのは
ポワティエの戦訓からなのかだが
ゲクランの時代には此のタイプの馬甲は
普及していたのだろうか

ナポレオン時代でも馬鎧は一部残っているが
頭部と胴部正面だけだろうし
此れはピストルに対抗しての物だろうが
余り役には立たなかったと言う可能性も有るだろうか

733:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 22:08:07 HRKD+omv
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
ヘースティングスの時は槍を逆手に構えての
突撃が基本だった様だし
此れはマケドニアやローマの騎兵と変わらないと言う事かも知れぬし
馬の体重が槍に乗らないから
シールドは貫通出来ぬ訳だろうが
騎馬武者も突撃時は馬上では槍を逆手で構えたと言う事は無いのかだが
両手持ちで打ち合う事も多かった訳だろうか

734:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 01:28:13 61aEoik5
猟師を兵士にすると言うのもファンタジー等では良く有るだろうが
弓の長時間の高速連射は無理かも知れぬが
精度は割合高いかも知れぬが
パビスや下馬した重騎兵等で防護しないと
容易に背走する危険も有る訳だろうか

狩猟用の槍・斧・フレイル等での近接戦闘は
何処迄訓練されているのかだろうし
同種の雑兵以外では困難と言う
事かも知れぬが

735:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 12:15:29 61aEoik5
URLリンク(photozou.jp)
上の様に騎士の様に脇に槍を構えての突撃と言うのは
果たして有ったのかだが
馬上でスリッパ状の鐙を利用して立ち
両手で槍を構えていたと言う事は無いのかだろうし
槍で突くのでは無く打撃をしたと言う事は
無いのかだが

736:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 12:24:26 61aEoik5
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
>宮本武蔵の二刀流を考えてください。片方の刀が攻撃で、もう一方が防御をします。これは、武蔵の独創ではなくて、日本古来からの下級兵士の戦闘法なのです。
>倭寇などの絵巻物を見ると、日本人は二刀で戦っている。

太刀二本の二刀流は平安時代から有るだろうが
極一部の兵だけと言う事かも知れぬし
平安・鎌倉時代では馬上では太刀1本
徒士は長巻を使用したと言う事かも知れぬが
槍の出て来た南北朝以降は戦場では
殆ど使われなく成ったと言う事は
無いのかだろうし
戦国時代では打刀二本や
脇差と打刀の二刀流等が戦場で何処使われたのかどうかだが

737:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 12:40:39 61aEoik5
URLリンク(www.hi.u-tokyo.ac.jp)
上の明末に描かれた倭寇図巻では
明軍も可也長い槍を使用しているが
明軍兵士は妙に軽装だが
雑兵が大半だったのだろうか
倭寇の装備は只の服だし
銃も使用していないが
槍は可也使われている訳だろうか

738:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 13:11:59 61aEoik5
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
>戚継光が陰流の伝書を入手なんてのもまず作り話じゃないかなぁ…。戚継光って有名人なもんでいろいろ話が作られちゃうんですよ。
>むしろ話として面白いのは同僚だった劉顕という武将で、彼は倭寇のやり方に学んだのか二刀流を得意として「劉大刀」と呼ばれておりました。「敵はその刃をみるも顕を見ず」と讃えられたとか。

>まず、倭寇が二刀を使った件ですが、中国で刀剣は片手持ちが多く、二刀・二剣を使う技法も多数あります。そのような背景があった上に、槍のような大型の武器を携行しない場合、片手で防御、片手で攻撃ができる二刀流は十分有効だったでしょう。

倭寇の中国人が二刀流を多用したと言う事なのかだが
絵を見る限り槍が基本と言う事かも知れぬが
乱戦に成った場合は味方より敵の数が多い事が大半かも知れぬし
故に二刀流を多用したと言う可能性も有る訳だろうか

739:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 13:29:06 61aEoik5
>明軍も可也長い槍を使用しているが

明軍も長刀やフックの様な武器の比率が
妙に多いが
この時点では盾は廃れていた訳だろうか
銃兵らしい物も見当たらないが
此れは単に描かれて居ないだけと言う事だろうか

明軍槍兵も陣笠の様な物を装備していないから
槍の上方からの打撃と言うのは行ったのかだろうし
長刀やフックの比率が多いなら
日本軍の槍の打撃戦術に敗れていたと言う事は無いのかだが
(騎兵も槍を構えていないから
 槍の比率は可也減る訳だろうか)

740:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 15:51:44 61aEoik5
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>中世ヨーロッパではレヒフェルトの戦いにおいて重装備の騎士の軍が数で倍する軽騎兵で構成されたマジャール人の軍を打ち破るなど、
>重騎兵が大きな力を発揮し軍事上最も重要な地位を占めた。

と有るが
重騎兵も倍程度の軽騎兵にそう簡単に勝てるのかだが
3-4倍では困難なのかどうかだが
(同じ金で重騎兵の
 3-4倍の軽騎兵は揃えられると言う事は
 無いのかだが)

URLリンク(www1.neweb.ne.jp)
レヒフェルトの場合は側面攻撃で
マジャール軍軽騎兵も壊滅している訳だろうし
正面から戦ったらどうだったのかだが
(この時点ではドイツ軍も鎧はホーバーク程度と言う
 事だろうし
 ランスチャージもカイトシールドも無い訳だろうか)


URLリンク(members.aol.com)
>圧倒的な物量を持つオスマントルコに散々に撃ち崩されます。後退しようとすると、これを予見し廻り込んでいたオスマントルコ軍 10000に背後を抑えられ、
>挟撃されたハンガリー軍は壊滅的打撃を受け殲滅されたのです。現在でも、スポーツの試合などであまりに一方的な敗北を喫した場合「モハーチ以来の大敗北」という言い方をするそうです。


まあ重騎兵では軽騎兵から逃げられるのかだろうし
軽騎兵に追撃を受けてやられる例も多かったかも知れぬが
ファンタジー等では重騎兵が鎧を捨てて逃げると言う様な描写も
多いだろうが
実際はどうだったのだろうか

741:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 15:59:04 61aEoik5
>馬上でスリッパ状の鐙を利用して立ち
>両手で槍を構えていたと言う事は無いのかだろうし
>槍で突くのでは無く打撃をしたと言う事は
>無いのかだが

乗馬突撃の場合は馬を敵に直接当てて倒し
突進が止まった場合は槍を両手で構えて突くか
叩くかと言う事だった可能性も有るだろうか
(南北朝時代では槍襖や盾の壁を弓や歩兵・下馬した騎馬武者で崩した後
 馬が突入したと言う事だろうか)

追撃時に逃げる敵を馬で引く等と言う事は
有ったのかだろうし
背後から槍で突くか刀で斬ると言うのが
基本だったと言う事は無いのかだが
この場合の槍は逆手で構えていたのか
どうかだが
敵が向かって来たら馬で引いていた訳だろうか


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