ヒストリカルフィギュア・ミリタリー考証スレッド2at MOKEI
ヒストリカルフィギュア・ミリタリー考証スレッド2 - 暇つぶし2ch700:某研究者
08/05/19 12:49:50 J7Qam1JL
テルシオ相手なら背後にも銃兵が居るから
同様の手は使えないかも知れぬし
3兵戦術でも槍兵の後方や側面に銃兵が居るから
後方からの一方的な襲撃と言うのは困難な訳だろうし
備も方円陣等を使用すれば同様に襲撃は困難な訳だろうか

701:某研究者
08/05/19 12:51:48 J7Qam1JL
3兵戦術の銃兵はパイク兵と分離しているから
サーベルチャージや槍騎兵での突撃を受ければ
壊滅した可能性も有るかも知れぬが
スウェーデン軍や仏軍以外はサーベルチャージは
無かった訳だろうか

702:某研究者
08/05/19 13:03:12 J7Qam1JL
当世具足の袖省略と言うのも
単に機動力を高める為では無く
腕を動き易くして槍で敵の槍を防御した方が
効率的と判断した故なのか
どうかだが

703:某研究者
08/05/19 17:01:02 S4DR3NMn
URLリンク(photozou.jp)
又女冒険者を多少修正したが
皮や分厚い布で包んだ鉄板同士が当たったとしても
そう音はするのかだろうし
隙間の無い音を発しない鎧も
作れるかも知れぬが
鋲を軸にして関節を可動させれば音がするので無理かも知れぬが
鋲の周囲をポリキャップの様に
皮や布で包めばどうなのかだが
こんな構造の鎧は現実には無い訳だろうか

704:某研究者
08/05/19 17:08:17 S4DR3NMn
URLリンク(www.plasticsoldierreview.com)
9-11世紀のバイキングと言う事の様だが
URLリンク(panograph.free.fr)
円盾は1066のヘースティングスの戦いを描いた
バイユーのタペストリーでは少数であり
この段階では大半はカイトシールドを装備して居るが

URLリンク(209.85.175.104)
カイトシールドは11世紀半ば登場と有るが
1066のヘースティングス当時は既にこれが主流だったのか
どうかだが


URLリンク(en.wikipedia.org)
バイユーのタペストリーも1070年代には完成して居たと言う
事かも知れぬし
1070頃にはカイトシールドは可也
普及して居たと言う事かも知れぬが
URLリンク(ja.wikipedia.org)
カイトシールドが発明されたのは
ノルマンディーを領地に得たバイキングが
仏の影響を受けて
陸上で騎兵戦を多くやる様に成った事が
影響しているのだろうか


705:某研究者
08/05/19 17:22:33 S4DR3NMn
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>騎士を主力とするギヨーム軍ははじめ徒歩のハロルド軍に苦戦を強いられたが、敗走と見せかけて後退した。
>それを追ってハロルド軍が分散するのを見届けると、これを各個撃破して戦況を好転させ、ついにはハロルド2世を討ち果たした。

この時点ではノルマン軍の方がサクソン軍より騎兵は
多かった訳だろうし
12000の内半数が騎士と言うから
URLリンク(www1.neweb.ne.jp)
クレッシーの時の仏軍より騎士の比率は多いかも知れぬが
サクソン軍はフランクの頃の
旧い歩兵主体の軍隊だったと言う
事かも知れぬが
英もノルマンの支配を受けた後は騎兵はある程度は
増強されたと言う事かも知れぬが
仏に比べたら全く大した事は
無い訳だろうか


706:某研究者
08/05/19 17:28:58 S4DR3NMn
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
>サクソン軍は中央には十分な装備の近衛兵を置きましたが、両翼は鎧もない軽装の民兵6千名で構成されていました。また、騎兵はおらず、弓兵もごく少数しかいませんでした。

サクソン軍には騎兵は全く居らず
弓兵さえも少数の蛮族軍だったと言う
事なのだろうか
(サクソン軍は円盾主体と言う事かも知れぬが
 ノルマン軍も歩兵は円盾主体だったと言う事は
 無いのかだが)


>剣、槍、斧、棍棒での大乱戦の後、 ノルマン人騎兵が進み出ましたが、サクソン軍の密集隊形をとる重装歩兵の盾に阻まれてしまいました。

棍棒もバイユーのタペストリーでは可也描かれて居るが
バイキングも古くから使用して居たのか
どうかだが


URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
盾を大斧を同時に構えている兵も居るが
こんな物を片手で振るえたのかどうかだが
(両手で大斧を構えている兵も
 多いだろうか)
棍棒は馬上で両手持ちで振るっている例が
多い様に見えるが
タペストリーを全部見た訳では無いから
他にも色々有るかも知れぬが


707:某研究者
08/05/19 17:40:19 S4DR3NMn
URLリンク(photozou.jp)
>同様に音を発せず着脱が簡便な鎧を装備した
>和風女冒険者を描いたが

URLリンク(www.picure.l.u-tokyo.ac.jp)
頭部は上の様な簡便で着脱が容易な
半首を装備して居ると言う事だが
面具と一体化した様な頭部前部を完全に防護する様な物は
有ったのかどうかだが

佩楯は胴と一体化しており
着脱を容易にして要る訳だが
(綿甲に筏(細長い鉄片)を放して装備し
 音がしない様にして有る訳だが
 忍者用の甲冑で同種の構造の物が確か有ったが
 これは鎖で筏を繋いで居たが
 忍者用の鎖帷子は目が細かいので
 音はしないと言う事だったかも知れぬが
 多少は音はすると言う事は無いのかだが)
胴と一体化した物と言うのは実際に有ったのかだが
今度調べて見るとしたいが

装甲を皮で包んだ皮包胴等も音は
するのかどうかだが

708:某研究者
08/05/19 17:42:06 J7Qam1JL
URLリンク(photozou.jp)
片手で馬上筒を使用する場合は
この程度のサイズが限界かも知れぬし
上の様に可也小型の馬上筒も有る訳だろうが
此れが主流では無い訳だろうし
もう少し短い物を両手で放っていたと言う事かも知れぬが
此れは腰等に差した槍を敵が万一反転して来た場合は
構えられる様な距離で
放っていた訳だろうか

709:某研究者
08/05/19 17:46:34 S4DR3NMn
籠手の綿甲は余り簡単に着脱は出来無いだろうが
軽いので此れを装備した侭逃げても
問題は無いかも知れぬが
鉄の部分は別のパーツに成っていて
此れは簡単に外せる構造だが
販売している忍者の武具にこの様な
短い鉄の籠手は良く有るが
果たして実在していたのかどうかだが

710:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 17:52:33 J7Qam1JL
私の可也過去の書き込みと同じ物が
何故かULされている様に見えるが
此れはシステムのバグなのかどうかだが
分かり難く成るので今後は上のトリップを使う可能性も
有るが

711:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 18:44:53 J7Qam1JL
火縄銃も黒色火薬使用では可也煙も出るだろうが
旗指物はナポレオン軍が派手な格好をして居たのと同様に
敵味方識別を考えての物と言う
可能性も有るだろうが
戦国時代の鎧は赤備え等を除いて
地味な配色が多いのは
旗を外した際は秘匿性を重視した為と言う
事かも知れぬし
旗を外して森林等に隠れたと言う描写も
多いだろうか

戦国時代も銃が出る前には旗指物と言うのは
何処迄有ったのかどうかだが
母衣は退却時に矢を止める為に
使用されて居た訳だろうか

712:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 19:23:55 J7Qam1JL
URLリンク(photozou.jp)
左上は40cm程度の標準的な馬上筒
右上は60cm程度の伊達軍等が使用したと言う長目の馬上筒
左下は100-130cm程度の通常の火縄銃
右下は70cm程度の侍筒を
馬上で構えた物を適当に描いたが
長さは合って居ない物も有るが
20mm等の侍筒は反動が強いので馬上では使用しなかった可能性も
有るだろうか

713:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 19:44:32 J7Qam1JL
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>これに対し、ヨーロッパや西アジアのイスラム諸国、中国に多い方式は緩発式火縄銃と呼ばれる。これは逆にばねの力で火縄を装着した火挟みを常に上がった状態にもどす反発力がかかっており、
>引金を引くと引いた速度に連動してゆっくりと火挟みが火皿に降り、火縄の火が火皿の火薬に触れて撃発する。また、照準途中で引金の手を緩めると、常に上がるようにばね仕掛けになっているため火挟みが上に戻る。
>これは命中精度に劣るが、暴発の危険が少なく火縄を付けたまま持ち歩ける利点から、狩猟に向いている。またヨーロッパの銃兵隊は伝統的に隊列を組んだまま指揮官の命令で同じ方向に向けて一斉射撃して弾幕を張る戦法が一般的であったため、
>命中率は特に問題とはされなかった。

ヨーロッパの銃も此れでは近距離しか命中は期待出来ぬ訳だろうし
照門が無いのは当然だろうか
(発射速度の優位もテルシオ正面は巨大なマスケット銃を使用しているから
 日本の火縄銃に比べたら此れ等は無いと言う事かも知れぬし
 遠距離からは当てらない訳だろうか)


>今となってはこれが幸いしてか、マズルローダー競技(前装銃競技)のマッチロック(火縄銃)種目では、欧米人の選手の多くが日本製の火縄銃を使用し、当然これを使い慣れた日本人選手もメダルを獲得し易い。

欧州の瞬発式火縄銃は
現存しているのは極少数なのだろうか


>命中率が低くなるホイールロック式銃やフリントロック式銃も、既に戦国時代には輸入されたものの定着せず、幕末の動乱で一掃されるまで火縄銃が使われ続けた要因になったと考えられている。

まあしかし遠距離での命中率が重視されないピストルは
ホイルロックやフリントロックで
良かったかも知れぬが

714:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 19:50:16 J7Qam1JL
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>二段撃ち:2列横隊に並び、前列が片膝をつき、後列が直立して射撃する。佐々成政が考案したという記録が残っているが、実際に採用されていたのか、上記の議論上問題がある。

西欧はマスケット銃で此れをやっていたと言うから
火縄銃でも可能かも知れぬが
この様な密集隊形は何処迄利用されたのかだが
最初の1発目を此れで同時大量に銃を放って
次弾以降は装填手と射撃手を分けて
放っていたと言う可能性も有る訳だろうか

715:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 20:08:13 J7Qam1JL
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
>約6%くらいに口径が15.5-16mmくらいのいわゆる「六匁筒」と言うのがあった。
>この口径は大きい。どういう目的の銃なのか。

>ただし、これらの銃は、土浦の関流、薩摩、土佐、松本、金沢、仙台、そして国友製もあったが、
>全長は100-110cm、銃身長は75-80cmくらいで、標準サイズ2匁半くらいの全長130cm、銃身長100cmより短い。

騎馬武者・武士が使う物の標準は六匁筒だろうし
此れは100cm程度だった訳だろうか

716:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 20:31:38 J7Qam1JL
URLリンク(www.regimentals.jp)
>12匁筒(20mm)と大きな口径で抱きかかえるようにして射撃をしたと思われます。

こんな物を馬上から撃つ訳に行くのかだが
抱えて撃つと言う割には照準器は一応有るが
狭間から撃つ場合のみ使われたと言う事かも知れぬが


URLリンク(www.hiro.org)
>鉄砲は明や朝鮮では"鳥銃"と呼ばれていましたが、日本の鉄砲のルーツは東南アジアで製造された鳥打ち銃にあります。鳥打ち銃だからこそ口径が比較的小さく、
>したがって反動も比較的小さく、角度を付けて撃ち上げる射撃姿勢を前提に設計されていたため、銃床が頬付け型だった訳です。

攻城戦では上に向けて撃つ必要も有るかも知れぬが
どうだったのだろうか


>実際に頬付けの姿勢で射撃できたのは100匁筒辺りまでだったようですが、

100匁筒迄頬付けで
放っていた訳だろうか


>なぜ肩付け型の銃床という画期的ではあっても単純なアイディアを思い付けなかったのでしょうか?。

此れを装備すると
甲冑の袖部分が邪魔に成ると言う意見も合っただろうが
袖の無い鎧が足軽では大半と言う事かも知れぬし
後期には足軽は鎧は全く無い場合も
多かった訳だろうか

717:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 23:07:57 J7Qam1JL
URLリンク(photozou.jp)
戦国時代前期の騎馬武者を描いたが
銃の無い時代だから追撃時は槍で
乗馬戦闘して居たのだろうか
(弓を扱える少数の騎馬武者は
 主に弓を使ったと言う事かも知れぬが)

718:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/19 23:36:21 J7Qam1JL
URLリンク(www.oningyo.com)
>胴丸や腹巻が多く見られるようになります。胴丸との相違点は胴丸が右引き合わせなのに対し、腹巻・腹当は後引き合わせになっているところです。

腹巻が多く成ったのは背面に臆病板を付けて
胴部の隙間を無くす為かも知れぬし
此れは組打ちを考えたと言う事かも知れぬが

719:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 09:07:40 EnrEYOSg
袖を盾にして矢では無く
槍を防御している絵も有るが
乗馬突撃時に歩兵の槍を受ければ
袖を貫通して落馬と言う事も
多かったのだろうか
(戦国時代の小袖等防御に使えるのかだろうし
 袖の無い鎧も多いから
 正面から桶側胴等の板金鎧で受け流すと言う方向に
 成ったのかどうかだが
 槍が貫通していた例も多いのかどうかだが)

720:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 09:10:29 EnrEYOSg
大鎧や胴丸等の札鎧では
正面から槍を食らえば貫通するだろうし
故に大袖で防御と言う方向に成ったのか
どうかだが
(鎧も一部はは袖から出るが
 敵に対して斜めに向けているので貫通し難いと言う
 事だろうか)

721:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 09:16:27 EnrEYOSg
>(戦国時代の小袖等防御に使えるのかだろうし
> 袖の無い鎧も多いから
> 正面から桶側胴等の板金鎧で受け流すと言う方向に
> 成ったのかどうかだが
> 槍が貫通していた例も多いのかどうかだが)

戦国時代では騎馬武者同士の乗馬突撃は無く
歩兵相手の突撃時では相対速度も余り無いから
鎧で受け流せる例も多かったのかどうかだが
南北朝時代では騎馬武者同士の槍での乗馬突撃は有る訳だろし
大袖や敵に対し斜めに向けた鎧等で
槍を防御していた訳だろうか

722:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 09:27:27 EnrEYOSg
>戦国時代では騎馬武者同士の乗馬突撃は無く
>歩兵相手の突撃時では相対速度も余り無いから
>鎧で受け流せる例も多かったのかどうかだが

歩兵は槍で馬を狙うのが基本だから
此れを防ぐ為に
逃げる歩兵は馬上筒で倒していたと言う
可能性も有る訳だろうが
逃げる騎馬武者が馬上筒を回避して向かって来たら
槍で応戦すると言う可能性も有る訳だろうが
此れに対抗する為の鎧の防御力は
当世具足では不足かも知れぬが

723:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 13:10:46 EnrEYOSg
URLリンク(www.oningyo.com)
南北朝時代の傘しころの部分の
防御力は
プレートアーマーの肩部よりも上と言う事は無いのかだが
プレートアーマーもパスガードで
上からの斬撃は可也止まるかも知れぬが

URLリンク(www.flickr.com)
上のアーマーの肩を正面上或いは側面上から殴っても
パスガードの部分に当たって衝撃は肩全体に
分散され
傘しころより防御力は可也上と言う可能性も
有る訳だろうが
パスガードの無い鎧も可也有る訳だろうか

兜は上部が尖っておらず
衝撃をまともに受け易いかも知れぬが
腕はスペースは余り無いが
鎖も入っているから防御力は可也有るかも知れぬが
首を横から殴られたらどうなのだろうか


ハルバードやツヴァイハンダーは
片手剣や盾では受けられなかったから
ローデレロは廃れたのかも知れぬが
日本の場合は重い長巻や野太刀・鉞で槍・長刀を折られたと言う事は
有るのだろうか
(長巻・鉞・ハルバードは柄に針金が巻いてある物も多いし
 柄が折られたと言う事の証明かも知れぬが
 槍や長刀では見ないが)

724:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 17:27:57 EnrEYOSg
URLリンク(www.nipponrentacar.co.jp)
NHK太平記の甲冑は
一応南北朝時代の傘しころに成っている様だが
馬上での武器は何だったのだろうか

725:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 18:58:11 EnrEYOSg
URLリンク(www.city.hachinohe.aomori.jp)
上の南北朝時代の鎧の兜は
殆ど筋兜化しているが
此れは刀を滑らす為だっただろうが
大鎧の帯部側面の糸の下には隙間が有るのかだが
腰部側面の板は何か前部の板に比べ長過ぎる様に見えるし
当世具足の帯部の糸の様に
飾っている時だけ伸ばしていると言う意見も
確か有っただろうか

726:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/20 19:05:17 EnrEYOSg
URLリンク(www.oningyo.com)
上を見る限り側面の草摺の糸の部分には
皮が有るし
この部分は戦闘時には鉄板は無いと言う事かも知れぬし
槍が飛び込んだら厄介と言う事かも知れぬが
胴丸では隙間は無くなっていただろうか

727:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/21 19:38:52 GKoRQjFa
URLリンク(www.fsinet.or.jp)
大鎧の下に腹当を装備する例も有ったと言う事だろうし
URLリンク(www.chiba-muse.or.jp)
URLリンク(bunkazai.ysn21.jp)岩国歴美館腹当002.jpg
腹当は大鎧と異なり腹部の側面は防護されているが
防御力は余り高くは無いかも知れぬが
胴丸や当世具足の下に此れを装備すると言う事は
下馬戦闘が彼等は主体なら
無かった訳だろうか

728:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/21 20:00:56 GKoRQjFa
南北朝時代でも槍での戦いや下馬戦闘に備えて
胴丸鎧や胴丸の比率が
多く成ったと言う事は無いのかだが

729:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/21 22:37:43 GKoRQjFa
現実的に集団戦用の武器で何が良いのかだが
雑兵はパイク・精鋭兵はツヴァイハンダーやハルバードと言うのが
良いのかだが
ツヴァイハンダーはパイク兵には有効だが
ハルバード兵には勝てるのかだが
長さはツヴァイハンダーとハルバードでは
大差は無いかも知れぬし
先端が軽い分ツヴァイハンダーの方が
扱い易いかも知れぬが
17世紀では銃砲・手榴弾でパイク兵を崩すと言う事を考えたから
両方共廃れ
ハルバードは士官の飾りの様な武器に
成った訳だろうか

730:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 01:51:22 HRKD+omv
重騎兵はランス及びバスタードソード
歩兵はパイク・クロスボウ・弓
精鋭歩兵はツヴァイハンダーと言う様な方向も
有る訳だろうか
(後は近接戦用に小剣を携帯と言う
 方向だろうか)

731:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 01:59:31 HRKD+omv
防具は重騎兵は完全鎧を装備だが
甲冑は腹にスペースの無い古いタイプの物を着るなら
盾が必要だろうが
軽騎兵も鎧は軽量で盾で槍は防御と言う事だろうが
歩兵は機動力確保の為に綿甲程度を装備した
パイク兵やクロスボウ兵・弓兵だが
必要に応じてパビスやスクトゥムの様な盾を装備すると言う
方向も有るだろうが
精鋭歩兵は当世具足程度の余り重く無い
長時間下馬戦闘可能な鎧を装備し
安い小型の馬に騎乗して行軍すると言う方向だろうか
(他の歩兵も馬や馬車に乗って行軍と言う事は
 有り得る訳だろうか)

732:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 15:15:33 HRKD+omv
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ポワティエでは馬甲を装備した重騎兵に乗馬突撃を受け
ロングボウも側面攻撃を
余儀無くされた訳だろうが
仏重騎兵も側面攻撃で何処迄やられたのかだが
英の下馬した重騎兵を突破出来ずに
側面や背後を向けた時に馬をやられたと言うのが
正しいのだろうか


URLリンク(www.toride.com)
上のポワティエの絵では騎士は後方から矢を受けているし
騎士の馬が側面や後方からやられたと言う事を
再現しているのだろうか

馬の側面や後方に装甲が施されたのは
ポワティエの戦訓からなのかだが
ゲクランの時代には此のタイプの馬甲は
普及していたのだろうか

ナポレオン時代でも馬鎧は一部残っているが
頭部と胴部正面だけだろうし
此れはピストルに対抗しての物だろうが
余り役には立たなかったと言う可能性も有るだろうか

733:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/22 22:08:07 HRKD+omv
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
ヘースティングスの時は槍を逆手に構えての
突撃が基本だった様だし
此れはマケドニアやローマの騎兵と変わらないと言う事かも知れぬし
馬の体重が槍に乗らないから
シールドは貫通出来ぬ訳だろうが
騎馬武者も突撃時は馬上では槍を逆手で構えたと言う事は無いのかだが
両手持ちで打ち合う事も多かった訳だろうか

734:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 01:28:13 61aEoik5
猟師を兵士にすると言うのもファンタジー等では良く有るだろうが
弓の長時間の高速連射は無理かも知れぬが
精度は割合高いかも知れぬが
パビスや下馬した重騎兵等で防護しないと
容易に背走する危険も有る訳だろうか

狩猟用の槍・斧・フレイル等での近接戦闘は
何処迄訓練されているのかだろうし
同種の雑兵以外では困難と言う
事かも知れぬが

735:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 12:15:29 61aEoik5
URLリンク(photozou.jp)
上の様に騎士の様に脇に槍を構えての突撃と言うのは
果たして有ったのかだが
馬上でスリッパ状の鐙を利用して立ち
両手で槍を構えていたと言う事は無いのかだろうし
槍で突くのでは無く打撃をしたと言う事は
無いのかだが

736:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 12:24:26 61aEoik5
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
>宮本武蔵の二刀流を考えてください。片方の刀が攻撃で、もう一方が防御をします。これは、武蔵の独創ではなくて、日本古来からの下級兵士の戦闘法なのです。
>倭寇などの絵巻物を見ると、日本人は二刀で戦っている。

太刀二本の二刀流は平安時代から有るだろうが
極一部の兵だけと言う事かも知れぬし
平安・鎌倉時代では馬上では太刀1本
徒士は長巻を使用したと言う事かも知れぬが
槍の出て来た南北朝以降は戦場では
殆ど使われなく成ったと言う事は
無いのかだろうし
戦国時代では打刀二本や
脇差と打刀の二刀流等が戦場で何処使われたのかどうかだが

737:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 12:40:39 61aEoik5
URLリンク(www.hi.u-tokyo.ac.jp)
上の明末に描かれた倭寇図巻では
明軍も可也長い槍を使用しているが
明軍兵士は妙に軽装だが
雑兵が大半だったのだろうか
倭寇の装備は只の服だし
銃も使用していないが
槍は可也使われている訳だろうか

738:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 13:11:59 61aEoik5
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
>戚継光が陰流の伝書を入手なんてのもまず作り話じゃないかなぁ…。戚継光って有名人なもんでいろいろ話が作られちゃうんですよ。
>むしろ話として面白いのは同僚だった劉顕という武将で、彼は倭寇のやり方に学んだのか二刀流を得意として「劉大刀」と呼ばれておりました。「敵はその刃をみるも顕を見ず」と讃えられたとか。

>まず、倭寇が二刀を使った件ですが、中国で刀剣は片手持ちが多く、二刀・二剣を使う技法も多数あります。そのような背景があった上に、槍のような大型の武器を携行しない場合、片手で防御、片手で攻撃ができる二刀流は十分有効だったでしょう。

倭寇の中国人が二刀流を多用したと言う事なのかだが
絵を見る限り槍が基本と言う事かも知れぬが
乱戦に成った場合は味方より敵の数が多い事が大半かも知れぬし
故に二刀流を多用したと言う可能性も有る訳だろうか

739:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 13:29:06 61aEoik5
>明軍も可也長い槍を使用しているが

明軍も長刀やフックの様な武器の比率が
妙に多いが
この時点では盾は廃れていた訳だろうか
銃兵らしい物も見当たらないが
此れは単に描かれて居ないだけと言う事だろうか

明軍槍兵も陣笠の様な物を装備していないから
槍の上方からの打撃と言うのは行ったのかだろうし
長刀やフックの比率が多いなら
日本軍の槍の打撃戦術に敗れていたと言う事は無いのかだが
(騎兵も槍を構えていないから
 槍の比率は可也減る訳だろうか)

740:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 15:51:44 61aEoik5
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>中世ヨーロッパではレヒフェルトの戦いにおいて重装備の騎士の軍が数で倍する軽騎兵で構成されたマジャール人の軍を打ち破るなど、
>重騎兵が大きな力を発揮し軍事上最も重要な地位を占めた。

と有るが
重騎兵も倍程度の軽騎兵にそう簡単に勝てるのかだが
3-4倍では困難なのかどうかだが
(同じ金で重騎兵の
 3-4倍の軽騎兵は揃えられると言う事は
 無いのかだが)

URLリンク(www1.neweb.ne.jp)
レヒフェルトの場合は側面攻撃で
マジャール軍軽騎兵も壊滅している訳だろうし
正面から戦ったらどうだったのかだが
(この時点ではドイツ軍も鎧はホーバーク程度と言う
 事だろうし
 ランスチャージもカイトシールドも無い訳だろうか)


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>圧倒的な物量を持つオスマントルコに散々に撃ち崩されます。後退しようとすると、これを予見し廻り込んでいたオスマントルコ軍 10000に背後を抑えられ、
>挟撃されたハンガリー軍は壊滅的打撃を受け殲滅されたのです。現在でも、スポーツの試合などであまりに一方的な敗北を喫した場合「モハーチ以来の大敗北」という言い方をするそうです。


まあ重騎兵では軽騎兵から逃げられるのかだろうし
軽騎兵に追撃を受けてやられる例も多かったかも知れぬが
ファンタジー等では重騎兵が鎧を捨てて逃げると言う様な描写も
多いだろうが
実際はどうだったのだろうか

741:某研究者 ◆7rfe1CE8cw
08/05/23 15:59:04 61aEoik5
>馬上でスリッパ状の鐙を利用して立ち
>両手で槍を構えていたと言う事は無いのかだろうし
>槍で突くのでは無く打撃をしたと言う事は
>無いのかだが

乗馬突撃の場合は馬を敵に直接当てて倒し
突進が止まった場合は槍を両手で構えて突くか
叩くかと言う事だった可能性も有るだろうか
(南北朝時代では槍襖や盾の壁を弓や歩兵・下馬した騎馬武者で崩した後
 馬が突入したと言う事だろうか)

追撃時に逃げる敵を馬で引く等と言う事は
有ったのかだろうし
背後から槍で突くか刀で斬ると言うのが
基本だったと言う事は無いのかだが
この場合の槍は逆手で構えていたのか
どうかだが
敵が向かって来たら馬で引いていた訳だろうか


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