07/06/07 00:51:01 Q3XuC1ox
万人橋……
戦国時代武田信玄と松山勝善の合戦の折
窮地に陥った主人 松山勝義を助けるべく 侍大将楠清久は援軍をひきいてむかった
しかし松山勝義のたてこもる高楼山へ行く途中にある雛谷の橋は敵の手によって落とされていた
そこで楠清久は一計を案じ、中国の兵法書『武鑑』にヒントを得た人橋をかけ 谷を渡った
この時人橋となった者三十人は 味方の兵を渡しきったあと ことごとく力尽きて谷に落ちたという
その後松山勝義はこの三十人の勇者達を讃え そこに高楼三十塚を建立した
現代でも橋を建設するときは 工事関係者がこの塚に参拝し工事の安全を祈願する習慣がある