08/04/30 21:10:32 p0R0zTjm
>>390
>当時としてはワイドボディで荷物がたくさん積め、大型プレス機さえ導入すれば量産しやすかったから
>また日本やソ連が生産に着手したころはほぼ最新鋭機であり「枯れて」なんてない
>カスミンは戦後、余剰機が大量放出されたのや、それらの貨物型改造旅客機が各国の民間航空で
>使用されたときの話と戦前戦中の事情とを混同しとる
>「補足」した奴もな
霞ヶ浦の住人の質問(反問)。
DC-3の初飛行は、1935年です。
日本の中島飛行機が零式輸送機の名でライセンス生産を始めたのは、1940年です
ソ連がLi-2の名でライセンス生産を始めたのは、1942年です。
この時点でまで「日本やソ連が生産に着手したころはほぼ最新鋭機であり『枯れて』なんてない」ですか?
下記、ウィキペディアの中島飛行機の代表的な航空機の日本海軍向けの輸送機を参照ください。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
下記、ウィキペディアのDC-3の沿革の第二次世界大戦のソ連のDC-3を参照ください。
URLリンク(ja.wikipedia.org)