08/06/11 00:22:37 fcWYiMaT
自分は軽~い軍オタだけども…いやはやここの皆さんは凄い(笑)
で、うちのお爺さん。別に偉くもなんにもない徴兵だと思うけども北海道の旭川連隊に居たらしい。歌が上手いから(民謡とか江差追分とかね)よく上官に呼ばれて歌ったそうです。
あと、朝鮮とか中国人は一秒でバレる嘘ばかりついて好きじゃないとかいう貴重な?証言があったよ(笑)
ただ大量の勲章らしきのが有ったんだけどお爺さんは投げてしまった…もしかしたら貴重なのもあったかもね。
お爺さんの兄弟はシベリア抑留帰り。寒いとゲートルを巻いたりとかね。ナイス発言としては「シベリアに比べたら北海道は暖かい」「ロスケのバターと黒パンだけはまた食べたいなぁ」「ロシアのニシンはでかくて旨い♪」等々…
尚、北海道の日高の海沿いにはトーチカも現存しており皆様の御来道をお待ちしております♪
711:名無し三等兵
08/06/11 01:28:55
>>710
「投げた」って「捨てた」って意味だよね。
東北から北海道にかけて分布してる方言。
俺も北東北だから分かる。
712:名無し三等兵
08/06/11 01:52:23
重ね重ね金鵄勲章廃止したのが悔やまれる。
せめて受勲者には功級数に応じて恩給加算してやりゃいいのに…
713:名無し三等兵
08/06/11 01:57:48
俺のじいさんは、
「チャンコロはこすい」っていってたな
714:名無し三等兵
08/06/11 03:41:43
シベリア抑留が大変だったって話はよく聞くけれど、
抑留された皆さんはアッチのほうはどうしていたんだろうか?
ピー屋までは抑留されていないので、性欲を満たす機会はほとんどなかったと思うのだが。
715:名無し三等兵
08/06/11 04:37:51
>>714
看守の中には女も居たわけで・・・
俺の上司の知り合いで抑留された方が居たんだけど、
毎晩のように迫られたらしい。
なんでも、日本人のアレは硬いから気に入られたそうだ。
しかし本人曰く 「貧しい食事と強制労働で楽しむ余裕なんてねーよ!」
だってさw
抑留生活でそれが一番苦痛だった方も居るわけで。
716:名無し三等兵
08/06/11 05:16:54
>>681 遅レススマソ
1990年代に入って、旧軍将校が戦後も隠匿してたけん銃を、自発的に警察へ持ってくるケースが増えた。
理由はソ連崩壊と告げる人が多かったそうだが、かつての主敵の消滅で、最後の武装解除を行ったという事か...
これら旧軍将校が隠匿していたけん銃のうち、最も多かったのがモーゼルの軍用けん銃。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
中国国民党軍が大量に配備していたので、戦地でこれを鹵獲して私物として所持していたため、終戦時の武装解除の対象とならずに数十年間隠匿していたとの事。
717:名無し三等兵
08/06/11 12:38:30
>>701
一億人の昭和史の別巻「日本植民地史・朝鮮」で写真を見たけど、確かにきれいな町でした
今は見るかげもないですが……
718:名無し三等兵
08/06/11 14:52:18 xH9Z822r
皆さんこんにちわ。ここを紹介されて始めて来てみました。
僕の祖父が何部隊だったか分かる方はいらっしゃいませんか?
手記があるのですが、断片すぎてよく分からないのです。
手記にある情報を書きますね。
「訓練地=加古川。県別ではなく混成部隊。特殊砲撃。早期訓練の後南京に入る。
南京にて腹痛。地元の中国人老夫婦に薬を貰う。無事に帰ることが親孝行、身体に気をつけろとお叱りを受ける。
その後上海、台湾のタカオ。シンガポールがなかなか堕ちず一ヶ月船底に待機。
一ヵ月後ジャワ入り。軍馬の足腰立たず。蘭人が逃げた後の民家から高級車を拝借。
イソラのホテルは目を見張るものがあった。
スマトラに入る。パレンバン防衛。上空にて戦闘あり。連合軍はすぐに降下。しかし味方は機体と共に爆弾となる。
偵察機は10000m。こちらの高射砲は7000m。ただただ歯噛みする。【続】
719:名無し三等兵
08/06/11 15:11:34 xH9Z822r
捕虜のアメリカ兵は陽気。クリスマスまでには帰れると私に語る。
千人針の小銭を外しておやつを買いに行き店主に笑われた。
バナナ畑のバナナを盗むも、しぶくて食えず。管理者の地元民に怒られた。
隣りの製油基地が襲撃される。九州部隊壊滅。黒煙が三日三晩空を覆う。雨が黒い。
仲間がオーストラリア沖に援軍に行く。清水曹長の計らいにより私のみ税理として残る。
敗戦。
英国の捕虜。傭兵として現地の治安維持にあたる。
夜半過ぎ、地元人の拘留所の警備をしていると現地人が竹槍で襲撃してきた。
こちらは二人。地元民は投げ槍。にわか雨のような音と共に竹槍がふる。威嚇射撃にて応戦。
仲間がかけつける。事なきを得る。しかし混乱に乗じて捕らえていた者逃げる。
初めて人を撃つ。
逃げる背に撃つ。棒の様に垂直に跳ね上がり絶命。翌日回収に行くと真っ黒になっていた。蟻が血肉に群がっていた。
本国に帰れることになった。
終戦より一年経っていた。
独立のため来てくれないかと頼まれ、仲間の大半はマレーシアの傭兵となる。
少数にて本土に返る。
オーストラリア沖海戦は日本軍の全滅。
独立支援の仲間はついに帰らず。
戦友会を作る。……」
こんな感じです。これは何部隊なんでしょうか?
720:名無し三等兵
08/06/11 15:12:22
商品の単価が1万円以上場合、消費税の税率を8%にする。
商品の単価が1万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。
貧乏人でも1万円以上の物を買う時はあるし、金持ちでも1万円未満の物を買う時もあるので、
幅広い国民に公平な負担を求めるという消費税の基本理念は貫ける。
したがって当面の間、これが最善の消費税率と言える。
721:名無し三等兵
08/06/11 15:27:51
>>718
兵科は砲兵でいいのか?
昭和十六年に南方に派遣された部隊だってことだけはハッキリしてるが…。
蘭印に米兵の捕虜がいたの? クリスマスって1941のか42のかは書かれてないのか。
もっと詳しい人に任せよっと。
722:名無し三等兵
08/06/11 16:14:06 xH9Z822r
>>721
祖父は高射砲部隊だったと祖母が言っていました。
祖父の上に清水曹長という人がいて、その上に五十嵐中尉、更に上に丸山中将という人がいたそうです。
捕虜のことはそれ以上の記述がありませんが、祖父は徴兵される前は先生をやっており、
中国語とマレー語と英語が話せたので上官にガクシャと呼ばれ捕虜と話すときの通訳などもやっていたそうです。
その英語がアメリカ英語なのかイギリス英語なのかまでは…。
クリスマスについてもそれ以上書かれていません。
僅かな情報から読み取ろうとしていただき、ありがとうございます。
723:名無し三等兵
08/06/11 16:25:07
加古川だと野戦高射砲じゃないか?
南京配属で丸山中将なら、第二野戦高射砲司令部っぽい
724:名無し三等兵
08/06/11 16:36:25
加古川の高射砲なら高射砲第3連隊か?
725:名無し三等兵
08/06/11 16:48:36
加古川にあった高射砲だと、高射砲第三聯隊
南京の防空なら、高射砲第16連隊か第21連隊、第22連隊
パレンバン防衛に当たった高射砲部隊なら、高射砲第101聯隊、高射砲第102聯隊、高射砲第103聯隊のどれか
再編されたりなんだりで、部隊名は代わってったと思うが
726:名無し三等兵
08/06/11 19:38:20 P3gDYpBS
>714
女と酒は全く興味がなくなるらしいね
シベリヤ帰りの人が書いた本によると
ただタバコだけは欲求が無くならなかったようだ
727:名無し三等兵
08/06/11 19:57:13
かと思えば、極限状態に在る時程思いがけず勝手に股間が反応すると書き残す方も多いとか。
728:名無し三等兵
08/06/11 21:06:00
>>719
地元民に混じって新たな戦いに向かった元日本兵って本当にいたんだね。
ベトナム戦争にもベトコンと一緒に戦った日本兵がいたとか。
729:名無し三等兵
08/06/11 21:12:08
>>728
インドシナ戦争じゃなかったっけ?
まぁ、実際ベトナムやラオスには相当数の残留日本兵がいたようだが
730:名無し三等兵
08/06/11 21:32:38 fwMhL5V6
>>726
タバコには依存性があるし吸っている時は空腹感と肉体的な苦痛と
精神的なストレスを麻痺させる作用があるらしい。
ビルマ・インパールで物資調達をされていた将校の回想録を読むと
タバコの確保に気を使っていた記載があった気がする。
タバコは軽いし湿気に気を付ければ長持ちするから戦場での娯楽品
として重宝したのかも。
731:名無し三等兵
08/06/11 21:35:26 BP4Y3IMN
ベトナムでは殆ど反日感情がなかっていう話もあるね。
統治が短かったのと、「ベトナム帝国」を立てたことと、主戦場にならなかったことなどが原因かなあ。
フィリピンなんかは現地人が反日ゲリラだったわけで、その辺の違いは凄まじい。
732:名無し三等兵
08/06/11 21:37:36
逆に言えば煙草位しか娯楽が無いのか
733:名無し三等兵
08/06/11 21:39:53
>>729
インドシナにはゴロゴロいたそうだが、「ベトナム戦記」開高健によるとベトナム戦争にもいたという話を人伝に聞いたそうだ。曖昧ご免
734:名無し三等兵
08/06/11 21:40:42
>ベトナムでは殆ど反日感情がなかっていう話
>なかっていう話
日本軍の占領によって相当数の餓死者が出てたが
735:名無し三等兵
08/06/11 23:05:06 xH9Z822r
こんばんわ。718です。
>>723
>>724
>>725
ありがとうございます!
いろいろ名前が挙がりましたが…すると僕の祖父は一つの部隊にいたのではなく、
転々とした可能性が高いということなんですね?
あと、もう一つ質問してよろしいでしょうか?
祖父は「清水曹長」に言われて下士官試験をわざと落ち続け、
ずっと下士官にならなかったそうです。
それなのに家には、祖父の当時の持ち物として、日本刀があります。
戦国時代の武士が使いそうなやつです。鞘は白木の鞘で、
何かを削り取ったあとのような凹みがあります。
なんで日本刀なんて持っていたんでしょうか?
>>728
なぜ故郷に帰ろうとしなかったんでしょうかね…?
736:名無し三等兵
08/06/11 23:08:11
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月~金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
737:名無し三等兵
08/06/11 23:28:49 9vuxWos3
最近の話だとイラクとかチェチェンで戦った日本人もいるね。
738:名無し三等兵
08/06/11 23:29:34
>>735
訓練受けた部隊から小隊・中隊の所属する上位部隊・司令部が再編などで代わるのはよくある話でして
部隊名が変わるだけで、お爺様の戦友たちとは多分ずっと一緒だったんじゃないでしょうか?
部隊の通称や符号はわかりませんでしょうか?漢字一文字の
739:名無し三等兵
08/06/11 23:31:04
特に思い出ってワケじゃないんだが・・・・・・・・・・・・・
ウチの爺さん(当時陸軍大尉)は、当時看護婦だった婆さんと入院したとき病院で知り合って結婚したんだそうな
死んでからお袋に聞いた話なんだが、オレは
「それなんてエロゲー」とか「陸軍にもモギリがいたんですかw」
とか、そんな印象しか持たなかった
しかしあとから思い出してみると、オレってば、自分のじいちゃんというより
「帝国陸軍の大尉殿」
に顔合わすたびに、無礼極まりない態度を取り続けてたわけで、そう思うとちょっとぞっとした
740:名無し三等兵
08/06/11 23:50:08
>>735
部隊を移る事もあるだろうが、戦闘での消耗等々で、
他部隊の残存兵力と糾合して新たに部隊を編成し直す事もある。
刀については先祖が武士で家に代々あったんじゃないか?
人によっては軍刀用として作られた昭和新刀ではなく、
家に伝わる文字通り伝家の宝刀の拵を軍刀に仕立て直して
戦場に持参した方もいた様だが。
俺の家の物置にも同じ様な白木拵の脇差が残ってるが、
祖父は大正生まれで徴兵はクジで外れたんで戦地には当然出てない。
先祖は庄屋か何かで名字帯刀を許され、その刀が残ってるらしい。
741:名無し三等兵
08/06/11 23:53:30 xH9Z822r
>>738
はい。戦友は、加古川から敗戦までずっと一緒だったようです。
通称かどうか分かりませんが、敵に第何部隊かわからなくするために、
隊長の苗字を取って五十嵐中隊と呼ばれていたときがあったようです。
その他にも隊長が変わるたびに○○(隊長の苗字)中隊と呼ばれたとか。
漢字一文字の部隊名は、申し訳ないですが手記には記されていません。
742:名無し三等兵
08/06/12 00:04:03 gFv1D1vy
>>740
なるほど~!
武士かどうか分かりませんが…
僕の先祖は、家系図を見ると明治初期あたりまでしか遡れないのですが、
その頃は岐阜の一帯を治めていたようです。
家は僕の曽祖父のときに没落しましたが、父の話によると、
幼少のころの家の物置には不自然なもの(大きな火鉢、屏風、馬印?など)が
多く埃をかぶっていたそうです。
ちなみに祖父は弟がいたんですが、体が弱かったため長男の祖父が徴兵されたそうです。
743:名無し三等兵
08/06/12 00:05:47
私の祖父(海軍)は、下駄ばき機に乗っていたそうです。
正確には覚えていないと言っていましたが、
P-38を2機、P-40を1機墜としたそうです。
B-17にも遭遇し、ヤリ合ったこともあるとか。
グラマンと交戦中、被弾して不時着したこともあるとか。
744:名無し三等兵
08/06/12 00:12:09 LGdBDOjr
俺の知り合いの祖父は「回天」に二度搭乗し、今も生きています。
745:名無し三等兵
08/06/12 00:26:30
>>743
マテ
その撃墜数はさらりと言ってるが、かなりすごいことだぞ?
乗っていたのは零式観測機か?
二式水戦ならさほど不思議でもないのかな
746:743
08/06/12 00:42:09
>>745
ご推察のとおり、三菱零式水上観測機です。
水上機母艦に乗り込み、太平洋戦争の緒戦、南方にて
暴れまわっていたとのこと。
時には、250kgの爆装で出撃したこともあるそうな。
747:名無し三等兵
08/06/12 00:49:38
>>728-729 残留(脱走)日本兵がベトミンに参加した事を、最近まで越南政府は認めていなかった。
かつて旧ソ連ブロックの社会主義国だった越南では、基本的に日本は越南に有史以来初の飢饉をもたらした“ファシスト・ザパン”であり、その評価は“中国の仲間”とも認識されていたため、かなり低かった。
この評価が+へ変わり始めるのは、日本政府のODAや留学生の交換の成果だが、友好国からの援助で長い戦争を戦って来た越南人の性質の反映とも言える。
(現在の日越関係は、“緩やかな同盟関係”にあると越南側では認識されている)
ベトミンに参加した残留(脱走)日本兵は最初期のベトミンに軍事的知識を伝授するのに貢献したと言われているが、その貢献度合いは越南側のリップサービスの範疇と考えて良いだろう。
ベトミンの古参である軍事的指導者達は第一次国共合作期の中国・国民革命軍 黄浦軍官学校の出身者(ホーチミンはコミンテルンから派遣され、独露出身教官の通訳を務めた)たちであり、
中核となったのはWW1で欧州の塹壕戦に投入された“安南兵”のOB達と、ホーチミンによる独立宣言後にベトミンに参加した若者達だった。
ソ連・欧州型の軍事教育システムを通過した人材によって構成されたベトミン軍に、日本軍の軍事教育システムが導入された形跡は無い。
これは、国府軍への対処として日本軍の野戦戦術を模倣した中共とかなり対照的である。
第一次インドシナ戦争の帰趨を決めたディエンビエンフーでの戦いで用いられたのも、前線への兵站の確保は越南人の米運搬手法の流用(旧軍よりよほど重要性を認識している)であり、
周囲の山頂からの砲撃と対空射撃は朝鮮戦争を経験した中国軍顧問の発案によるものであり、仏軍陣地への肉薄は典型的なWW1型塹壕戦の態を取り、
陣地の突破は手榴弾だけを武器とする若年兵を大量動員した肉弾突撃と後方からの軽機による援護という分かり易いまでのソ連式、という混成された戦術だった。
尚、ラオスには残留日本兵として有名な赤坂勝美氏がおり、昭和36年に日本から逃亡した辻正信の殺害に関与したとされている。
748:uaa
08/06/12 02:17:34 Jppg+NKN
残留して現地人と一緒に戦った日本兵っていうとインドネシアが多そうだけど。
武装解除される前に武器をゲリラに流したそうだし。
749:名無し三等兵
08/06/12 02:33:59
ゲリラに武器を流したなんて、とんでもない!
でも泥棒が勝手に持って行っちゃったらどうしようもねぇなぁ…(以上棒読)
750:名無し三等兵
08/06/12 02:55:33
インドネシア独立戦争
URLリンク(ja.wikipedia.org)
751:名無し三等兵
08/06/12 11:44:11
>>749
そうだ。我々はきちんと山奥に廃棄した…(棒読)
752:名無し三等兵
08/06/12 13:47:32
>>738
>部隊の通称や符号はわかりませんでしょうか?漢字一文字の
たいがいの高射砲隊は軍直属だから、通称号はスマトラなら「富」(第25軍と同じ)だろう。
753:名無し三等兵
08/06/13 15:39:08 Dy7vd3KX
今日から愛知県図書館5階で『平和祈念展』開催。本格的展示内容。
URLリンク(www.pref.aichi.jp)
歴史的写真やパネル、爆弾や軍隊や生活用品など実物展示、音楽、籾突き体験など多数。
水木しげる直筆のラバウル風景画や、西村晃の特攻隊体験記、松島トモ子の朝鮮逃避行物語もあった。
一番興味深かったのは、昔の名古屋市街の航空写真の大フロアパネル。
三菱重工大幸工場(発動機主力)の空襲前、空襲中、空襲後が比較でき、B-29の視点になれる。
今日から6月22日(日)まで。受付嬢も美人。必見。入場無料。
754:名無し三等兵
08/06/13 15:40:46
7,7mmでP38って落ちるの?
755:名無し三等兵
08/06/13 16:27:40
相対速度考えたら仮にパチンコ球だったとしても当たり所によっては落ちるだろ常考。
756:名無し三等兵
08/06/13 16:46:29
零観の機動性ならマニューバキルもあるかも。
757:名無し三等兵
08/06/13 17:03:03
>>747
当方、にわかですが、辻 参謀の最後についてお願いします。
758:名無し三等兵
08/06/13 17:51:06
そんなものは当事者しかわからん…
759:名無し三等兵
08/06/13 19:29:03
戦争中にさんざんな目に遭わされた
残留日本兵に天誅をくだされたそうな・・。
760:743
08/06/13 20:31:47
>>754
>>755
>>756
じいちゃん曰く
下駄ばき機には、下駄ばき機なりの戦い方があったようで、
「5,000フィートくらいの中高度へ上手く誘い込めば、
ライトニングやカーチスなどの陸軍機は怖くなかった」
「でも、グラマンなどの海軍機には通用しなかった」
とのこと。
零観は複葉機ですが、機動性、空戦性能は二式戦よりも上
と言ってました。
761:名無し三等兵
08/06/13 21:31:18
じーちゃん、かっこえー
762:名無し三等兵
08/06/13 23:06:21
下駄履きで引き込み脚を・・・
763:名無し三等兵
08/06/13 23:30:46 h6cH7arv
>家系図を見ると明治初期あたりまでしか遡れないのですが、
>その頃は岐阜の一帯を治めていたようです。
明治初期に岐阜の一帯を治めていた?
県知事でもやっていたの?
764:名無し三等兵
08/06/13 23:42:56
廃藩置県前の知藩事じゃないか?
つまり元の大名家。
765:名無し三等兵
08/06/14 01:17:27
新政府軍の頭目だったんか?
766:名無し三等兵
08/06/14 02:32:06 pfOJtm5t
>>763
どうも、>>742です。
「そうらしい」という話だけで、実際は分かりません。
父が物置にあったという馬印の詳細を覚えていてくれたら良かったのですが…。
家などは残っていないそうですが、墓地は残っているそうです。
>>764
小作農に田を分割しても依然として力は衰えなかったそうです。
しかし祖父の父、つまり曽祖父が旅好きで家を省みず、ついには北海道で妻子を持って定住する始末。
お家の存続のために次男が跡取りになるという話があがったのですが、
その時に曽祖父が「長男を差し置いて何事だ」と待ったとかけたそうです。
そして一族内で裁判。裁判は曽祖父が勝ったそうなのですが、結局それが原因で
蓄えの財力が分散し、家が没落したそうです。
大名ではないと思います(笑)
でも曾祖母は北海道の公家の出であることは確かなので、そんな家の人がお嫁に来るくらいだから、
多少は名の知れた家であったと思われます。
767:名無し三等兵
08/06/14 02:58:53 pfOJtm5t
>>766ですが
そういや皆さんの中に、「列聖珠藻 聖徳餘光」という題名?の書かれた本についての
詳細を知っている方はいらっしゃいませんか?
768:名無し三等兵
08/06/14 03:16:15 pfOJtm5t
ええと、今のうちに詳細書いておきますか。
先に記述した本ですが、なんか家にありました。
曽祖父が「このえさん?」って人に貰ったそうです。
あと、なんかバッジも一緒に貰ったようですね。確かバッジは仏壇にあります。
天皇も拝顔したとかなんとか。
証拠品のアップとかは出来ないのかな。
769:名無し三等兵
08/06/14 03:26:09
>>759
山奥で亡霊につかまって延々とコキ使われている、とかのほうが良くない?
770:名無し三等兵
08/06/14 04:20:54
>>767
列聖珠藻/聖徳餘光
辻善之介・佐々木信綱
昭和15年 紀元二千六百年奉祝会
前者は歴代天皇御製の和歌集、後者は歴代天皇の事蹟を記してある様だ。
て事は近衛文麿首相から貰ったみたいだな。
バッジてのは紀元二千六百年奉祝会で記念事業に携わった者に
贈られた記念章だろう。
本もその関係で手に入れた物ではないかな?
771:名無し三等兵
08/06/14 05:38:43
でっかいどうに公家さんなんかおったかな・・。
772:名無し三等兵
08/06/14 05:53:25 vflK6Lgj
>>771
開拓の時に一緒に移り住んだ公家ならいるぞ。
俺は山科家と八田家しか知らんが、調べればもっといるんジャマイカ
773:名無し三等兵
08/06/14 05:53:45
>>771
あんな歴史が浅い土地に、公家なんていない
774:名無し三等兵
08/06/14 06:51:41
俺の爺ちゃんは工兵だったらしい
爺ちゃんの部隊が橋とか作ってるときに中国人を雇ったりしてたらしいんだけど
その中国人のほとんどが中国兵で、昼は普通に働いてるんだけど
夜になると夜襲をかけてきたりして苦労したって言ってた。
あと、爺ちゃんは運がよかったらしく、南方に転戦する途中マラリアにかかって
バナナしか食べれなくなるぐらい弱ったから部隊から置いていかれたらしいんだけど
その部隊は全滅したって言ってたなぁ。
っていうか爺ちゃんの遺品で戦友って本があるんだけど、なんか当時の新聞記事と
出征した人の写真と住所とか簡単な家柄の説明とか乗ってるやつ。
他にももってる人いる?
775:名無し三等兵
08/06/14 10:47:30
承子さま、乱交パーティーのあとのお言葉であります。臣民はありがたく傾聴せよ。
乱交SEXに関する記述
やっちゃった、久々の成り行きってやつ(笑)
いいんだけどね、めっちゃ楽しい夜だったけどね、けど布団が他人のにおい
なのがやだぁ~自業自得ですが。。。
昨日のパーティーは最近マジでman eater化してて男を片っ端から選ばず喰ってるとある友達に呆れられたけど、基本は楽しかった♪知らない人といっぱい知り合えてよかった×②。けど寝すぎなんだかなんだか、ハイパーです。
776:名無し三等兵
08/06/14 13:37:28
イってもよろしいですかー!?いやもうすでに出てました
777:名無し三等兵
08/06/15 11:09:55
承子様~!
778:名無し三等兵
08/06/15 11:09:54
うちのじーちゃんは徴兵検査を学校?かなんかで受けてるとき機銃掃射受けたらしい。
その時兵士が大慌てで隠れてしまったが、検査していた医師が、「この若者達はまだ兵士ではないのに、
軍人が一番先に逃げてどうする!!」みたいなことを言って一喝したらしい。
もう戦争末期のことです。
779:名無し三等兵
08/06/15 12:06:20
>>762
まあ模擬戦闘でF104でF15を撃墜した例もあるので
あながち無理とはいえないな
780:名無し三等兵
08/06/15 12:16:40 R2X0fOrF
満州では97戦のB29体当たり撃墜があった
781:名無し三等兵
08/06/15 13:03:04
うそーん!
782:名無し三等兵
08/06/15 14:30:55
>>742さん
某所から誘導してきた者です
お爺様がいらっしゃった第16高射砲連隊は後にパレンバン防衛隊に移って防空第101連隊に改変され、
さらに昭和19年4月に第101高射砲連隊に名称変更されておりました
終戦時の連隊長は山県諒大佐で、部隊符号は「翔」です
783:名無し三等兵
08/06/15 16:30:37 pHGOzhma
このスレやら関連スレ見てたら旧日本軍のパイロットって生き残るだけでスゲーんだな・・・
俺の死んだじいちゃんも昭和19年始めから結核で除隊するまで一年間パイロットやって戦果が高射砲で落伍したアベンジャー一機だけって聞いて、
ドイツのエースとか坂井三郎しか知らなかった俺は「じじぃしょべぇwww」と思ってた・・・ ゴメンじいさん・・・
784:名無し三等兵
08/06/15 17:53:17
日本軍に限らずパイロットはどこでも消耗品なんだから、生き残るだけで大したもんだろ
785:名無し三等兵
08/06/15 18:02:17
>>754
旧軍が搭乗員を消耗品扱いしてどうなったか御存じ無いと見える。
786:名無し三等兵
08/06/15 18:45:57
>>784
パイロット、
育成にはものすごいお金と時間が掛かるので、とても消耗品になんか出来ません。
ドイツでは期せずしてそうなってしまいましたが、
日本ではその辺が理解できてなかったのが残念です
787:名無し三等兵
08/06/15 18:55:57
消耗させたくなくても結果的にはそうなる。大小の差は有れ、同じだ。
788:名無し三等兵
08/06/15 19:06:09
その大小の差は、大戦末期の日本兵の連度の低さとなって現れた。
艦載機のパイロットなのに着艦できないとか死にに行くしかないじゃないか。
789:名無し三等兵
08/06/15 19:32:53
帰らずに敵艦へ突っ込めばいいじゃない
790:名無し三等兵
08/06/15 19:56:18
>>787
結果的にはそうなる、
確かにそうで、事実ドイツではそうなった
(計画的な養成にもかかわらず)
だが、
消耗の度合いがドイツに比べていかにも酷い
>>789の様な馬鹿な事を本当に言う、飛行機に触った事すらない馬鹿参謀がいたからだい
791:名無し三等兵
08/06/15 20:00:46
海上戦線が多いから制海権ないと救助できない
792:名無し三等兵
08/06/15 21:43:45
>>791
それもあるな、
ハルトマンなんかああ見えて被撃墜が何回もある
もっとも、
パイロット側に制海権云々関係なく
『被弾即自爆』(自分自身にケガがなくても)
という気持ちがあったのも問題だが
※参考文
『自爆待て!』↓
URLリンク(www.yokaren.net)
793:名無し三等兵
08/06/15 23:10:26 NJc3HKns
>>782さん
その説はどうもお世話になりました!
貴方のおかげでこんな素晴らしいところに来れて、感激しています(嬉)
うわぁ!こんなに詳細に至るまで教えて頂けるなんて!?
本当にありがとうございます!!
794:名無し三等兵
08/06/15 23:41:17
うちの爺さんは存命中に聞いたところによると、
巡洋艦(重巡?)で機銃を担当してたらしい。最も射手じゃなくて測距担当。
射手が負傷してからは交代して機銃を撃ったらしいが、
いくら撃っても滅多にあたるもんじゃなかったそうで、
かろうじて一機オイルを噴きながら落ちていったから、あれは撃墜しただろうと言ってた。
結局乗ってた艦は魚雷を食らって、かろうじて港にたどり着いた後で着底したとか。
795:名無し三等兵
08/06/16 00:06:53
乗っていたのは、青葉か高雄か、もしくは利根か?
796:名無し三等兵
08/06/16 00:27:06
>>795
従軍時の話を積極的にするような爺さんじゃなかったからなぁ。
聞いたのがかれこれ20年近く前の話なので曖昧です。
駆逐艦でなくて巡洋艦だったのは多分確かだけど、軽なのか重なのかは曖昧。
佐世保に帰港した、というような話も聞いたような気がしますが…。
797:名無し三等兵
08/06/16 00:47:35
青葉に乗ってた俺がきましたよ
798:名無し三等兵
08/06/16 01:17:52
青葉城?
799:名無し三等兵
08/06/16 01:34:56
佐世保で着底て、涼月…いやまさかな、巡洋艦だしな。
800:名無し三等兵
08/06/16 01:45:56
>>799
大和に随行したって話は聞いてないから、涼月ではないかと…。
でも微速後退で帰港、ってフレーズにも覚えがあるような。
本で読んだ内容とごっちゃになってる気がしてきました。
佐世保云々は忘れてもらったほうがいいかもしれません。
801:名無し三等兵
08/06/16 02:15:26
国内で着底した巡洋艦、ってなれば青葉か利根
さもなきゃ常盤かな?
802:名無し三等兵
08/06/16 16:45:00 EJ25HgMU
常磐に乗りたい俺が来ましたよ
尤も乗りたいのは貴子の方だが…
803:名無し三等兵
08/06/16 21:03:18
>>801
>さもなきゃ常盤かな?
「常磐」は敷設艦。
出雲か磐手では?
804:名無し三等兵
08/06/16 21:48:12
>>803
出雲は呉で転覆、磐手も呉で防空戦闘やって着底
少なくとも出雲は違う気がする
805:名無し三等兵
08/06/16 23:25:36 VB8rZ+wg
戦争体験者もずいぶん少なくなられつつある。
朝日新聞の語りつぐ戦争を毎回涙を浮かべながら体験者の
搾り出すような声をきいているが、本日の投稿者の方も掲載される
前にお亡くなりされたそうだ。60年以上前の勇者達へ敬意を
込めて 敬礼
806:名無し三等兵
08/06/17 00:00:44
この人を覚えていますか?
URLリンク(jp.youtube.com)
807:名無し三等兵
08/06/17 00:33:10 DAAE0ws1
>>806
何かと思い見たがスレチでしょ。
808:名無し三等兵
08/06/17 00:49:38
>>807
人物と事件自体はスレチであるが、このスレ住人への教訓を残してもいるな
すなわち、
「証言を鵜呑みにするな」
ってことで
おらも気をつけなくては
809:名無し三等兵
08/06/17 01:21:42
家のじいちゃんは兵学校の助教官だったらしく、手記には二二六事件に関わった安藤さんという方の弟さんがいたと書いてある。後、答案を集めた時は殿下の答案を一番上に置いたらしい。 また調べてみるね。
810:名無し三等兵
08/06/17 01:38:45
俺の母方の祖母の兄はどこだか忘れたが抑留されてたとか。
何とか帰ってきた時に40歳。
それから100近くまで生きた。
親父の方は一番上の兄貴がレイテ沖で戦死。
軍服姿の写真を親父の実家で見た記憶がある。
戸籍を見たらレイテ沖と書いてあったのも覚えてる。
婆さんは戦死の恩給をずっと貰っていたとか。
811:名無し三等兵
08/06/17 04:51:23 zYjYDcx2
ここまで読んで
特攻=神
南方=英霊
満州=ああ・・
シベリア=・・・・
812:名無し三等兵
08/06/17 05:15:06 tExpJGpN
前働いていた会社の同僚の祖父がソロモンで船がやられて海に浮いていたら連合軍に飛行機に銃撃加えられ
「撃つなー撃つなー」と叫んだが駄目で指を吹き飛ばされたらしい。日本軍の戦闘機が敵機を撃墜して助かり
帰国して除隊という幸運を得て生き延びた
813:名無し三等兵
08/06/17 08:04:14 3gzYvDiJ
うちの祖父は乙種で徴兵され、大陸への出征を前に硫黄島が陥落したので、連隊はそのまま茨城県坂戸へ
そこで陣地壕の建設に従事し、艦砲射撃や空襲、時には目の前に墜ちた1t爆弾が不発だったなどの悪運に見回れ、終戦と同時に帰郷
去年5月、81歳でこの世を去った
814:名無し三等兵
08/06/17 22:59:23
>>811
それぞれがそれぞれの義務をはたしてくれたから
今の繁栄があるのよ。
亡くなられた方、生き残って復興を支えた方、みんなまぎれもない英雄だよね。
815:名無し三等兵
08/06/18 00:14:01
>>813
いや、不発は幸運だろ・・・
816:名無し三等兵
08/06/18 00:24:43 ELQqaUUJ
母方の婆ちゃんの叔父の話。
戦時中は宮様がいる部隊にいたらしい。(陸軍か海軍かは忘れた)
イケメンでなかなか上位の階級だったとも聞く。九州の基地にいたそうだ。
8/15に出撃が決まり、腹をくくっていたのだが敢え無く終戦。
戦犯にも引っかからず、九州の大きな商家のお嬢さんに見初められて
婿入りで結婚したそうな。
爺ちゃんじゃないけど父方のひい婆ちゃんの話も。
爺ちゃんが朝起きたら、ひい婆ちゃんが竹やり持って
「ヤーッ!!」という掛け声と一緒に突く練習してたんだって。
817:名無し三等兵
08/06/18 02:49:07
本土決戦に備えて待機していた俺の曽祖父(陸軍少尉だか中尉だったそうだ)は、
日本降伏直後、部下を率いてアメリカに最後の決戦を挑もうとしていたらしいが、
拳銃抜いた先任下士官に止められて諦めたらしい。
818:名無し三等兵
08/06/18 03:59:26
うちの祖父の兄はインパールで戦病死
祖母の兄はどこだったか忘れたが南方の島で、
米軍も上陸してこずバカンス気分で南方ライフを楽しんでたらしい
「海は綺麗だし山に入れば果物はあるし他と比べればとても恵まれてた」とのこと
なんたる差・・・
819:名無し三等兵
08/06/18 05:53:16
じいさまは、痔で徴兵に落ちた。
墓参りの時、同じ寺の戦死者のお墓を見まくったら。
ペリリュー島、ラングーンとか危ない場所が多かった。
820:名無し三等兵
08/06/18 15:27:57
もう亡くなってしまったが、父方のおじいちゃんは戦艦武蔵に乗っていたとの事。
戦争の話は全く話してくれなかった…
調べたところ、2399人のうち生存者は400数十人とのこと
又聞きだが泳ぎ続けて助かったと聞いたなぁ‥
821:名無し三等兵
08/06/18 16:21:11
>>819
きっと土地神様に掘られたんだな。
822:名無し三等兵
08/06/18 20:01:20 DK98Imr8
じいさまの話ではないけど、思わずもらい泣き(ある意味俺号泣)した話
数年前男たちの大和の映画ありましたよね、かみさんの同僚の女の子がデート
したときの話です。彼女の彼氏結構年上で結婚の話もないため、わかれようか
と思ってたとき大和の映画を見に行ったそうです。なぜこんな映画をと彼女
は思ったらしいんですが、彼がどうしても見たいからとそれならと見てたそうです
途中から彼氏の方が泣き始めずっと泣いてたそうです。映画館でてすぐ彼
が、泣きながら電話し始めたそうです。恥ずかしいと彼女は思ってたらしい
のですが、じいちゃん、じっちゃん、えらかったな、えらかったな、と
話し始め耳が悪いせいか大きな声で話してたらしい途中で彼女にじいちゃん
大和の生き残りと聞かされた瞬間彼女彼に抱きつき号泣したらしい。
そのあとじいちゃんが生きてる間に孫見せると田舎に彼女を連れそのあと
とんとん拍子で結婚今は子供もいる。
823:名無し三等兵
08/06/18 20:48:19 5ZZ0lobe
最近、祖母が俺によく
「兄ちゃんそっくりだよ」と言ってくるんだよね
浴衣なんか着たときには特に
祖母の兄は大戦末期に、今の俺と同じ二十歳で南方へ出征し、フィリピンの土を踏む前に胸部に銃弾をうけ戦死した。
戦死報告によると即死だったらしい。
祖母たち家族のもとには遺骨ではなく一房の髪が届けられたという
しかし、祖母曰く
「本当はどこで戦死したのかまるでわからない」とのこと
たしかに、大戦末期のフィリピンなんて制海権も制空権も連合軍に抑えられてただろうから、実際は輸送艦ごと海の底だったのかも知れない
824:名無し三等兵
08/06/18 21:01:48
>>823
じゃぁ、その髪の毛は・・・・・
825:名無し三等兵
08/06/18 21:24:44
>>824
部隊の戦地移動前に留守居の連隊に預けて行ったとかじゃないか?
うちの爺さんも満州駐屯の連隊から南方へ移動する際に
髪と爪置いてきたと言ってたが。
826:名無し三等兵
08/06/18 21:37:15 dWdPkpe1
小学生の時祖父が海自の海将補してるやつがいてそいつが世界で初めて作られたという腕時計を持ってきて騒ぎになったことがある。
そいつの家系は征途の藤堂家のような家系で親も海自の士官だった。こいつの家系の戦争体験を聞いてみたかった。先祖にドイツの
駐在武官になった人がいると言ってた。その人はドイツ人の妻を娶ってるのでやつもドイツ人の血が混ざってる。
827:定番リアクション
08/06/18 22:46:06
>>826
それはどこのドイツだ?
828:名無し三等兵
08/06/18 23:48:27
海軍冥土さん事件ですね。
わかります。
829:名無し三等兵
08/06/19 05:24:52 ZLlJc2nj
>>827名前出すと素性がばれるぐらいこの世界では有名だと思うので。
多分やつも防大に行ったと思う。
830:名無し三等兵
08/06/19 09:06:23
夜勤明けの俺には「防大」が「防人」に見えて妙に納得したじゃないか…
831:名無し三等兵
08/06/19 10:38:38
うちの爺ちゃんは納屋の影でせくーすしている最中になぜか機銃掃射を受けた。
相手は夫が出征中で体を持て余していた夫人。
戦時中は男が少ないので、農村ではやりたい放題できたらしい。
これが窒痙攣を起こして抜けなくなって大変だったとか。
832:名無し三等兵
08/06/19 11:16:34
>>831マジかよ?国の為に散った方々が…
833:名無し三等兵
08/06/19 11:18:11
>>822の映画繋がりに近いけど…
うちの爺さんは、ビルマの鉄道隊?だった。
それなりに責任ある階級で、敵軍に線路を爆破されても、直ぐに復旧し線路を繋げ、目的地迄繋げるはずだったんだが、うちのジサマ、出兵前の軍服写真で見る限り屈強な身体してたのに、風土病に倒れ本国へ送還。
しかも、病院で療養してる間に終戦
「マッチョも病気に勝てない」
は語り種。
因みにビルマの竪琴という映画本編にてうちのジサマ達日本軍とビルマの人達が作った汽車の線路映っており、当時の事話してたが、病気の事がインパクト強すぎて他の事は、覚えてない。
因みに療養中に2回も未亡人になってしまった、ばーちゃんと結婚し7年前肺ガンで他界。
「マッチョも病気に勝てない」
逝く前に思い出して、言うなっつーの。
834:名無し三等兵
08/06/19 14:51:34
>>832
戦中、出征してる兵隊の女房は暇と性欲を持て余してて、間男がうようよいたらしい。
当時は姦通罪があったので摘発の対象だったが、余りに数が多いのと事実を知った前線の兵士の士気に悪影響があるってことで警察も見て見ぬ振りになったとか。
835:名無し三等兵
08/06/19 18:32:05
>>833
マッチョはそんなに古くから使われてたのか?
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
836:名無し三等兵
08/06/19 20:37:50
>>834
貫通罪は旦那が戦地で起訴出来ないんで不法侵入(家屋に)で起訴したと聞いた事がある。
不法侵入に違いは無いが、家屋じゃなくて…その…に、だな。
837:名無し三等兵
08/06/19 21:24:21
>>830
防人といえば、こんなページがありますな。
URLリンク(blog.hix05.com)
838:名無し三等兵
08/06/19 21:26:26
>>835
マッカーサーを松川さんと間違えたという話と似たような、全く単なる聞き間違いじゃない?
839:名無し三等兵
08/06/19 22:43:34
そもそも戦前の村社会では、一種のフリーセックス状態だったので、
取り締まること自体が無意味なのでは?
姦通罪は武家社会のルールを押し付けたもので、農民には無縁だったし。
840:名無し三等兵
08/06/19 23:06:03
うちの母ちゃん、北九州なんだけど、
夏の草刈に米軍の捕虜が借り出されて、
それを遠くからドキドキしながら覗いてたらしい。
そりゃ白人なんて見るの初めてだし。
後に九州大学に入って、
あの先生が捕虜生体解剖の…と教えられたらしいけど、
もしかしてその時の捕虜が…
841:名無し三等兵
08/06/19 23:49:46 glgOmuV3
うちの爺さんは大戦末期に三菱に勤めてて技手として爆撃機製造してた
といっても一番やらされた仕事は「部品集め」だったそうで
「どっかから部品探して来い」といわれて民家やら役所やら駆け回って部品集めてたそうだ
(一番回収率高かったのは刑務所だったそうな)
製造工場がそんな状況だからもうアメリカに勝てるわけないことくらいとっくに分かってたと言ってたな
あと、技手にも2階級特進があって、技手の同僚が作業中に爆撃で死ぬと
技手→技師→工場長 と資格が昇進して
遺族には工場長待遇の退職金(?)が支払われたとも言ってた
842:名無し三等兵
08/06/19 23:49:48 yD+YsLzi
戦争とは直接関係ないけど、
ウチの祖母の話。当時東京美術学校の学生だった祖母は、1938年ヒトラーユーゲントが来日したとき
友人らと共に見学に行ったそうだ。もう黒山の人だかりで、特に若い少女らの歓声が凄かったらしい。
ビートルズの来日よりも群衆の興奮度は上だったとのこと(あくまで祖母の個人的感想)。
ヒトラーユーゲントの青年達は、背が高く、色が白く、スマートで制服も格好良く、今まで見たどんな男性よりも
格好良かったらしい。早速スケッチブックに彼らの姿を描き、その後自宅にて色づけ。
戦時中は軍国少女ならぬ「軍国女子青年」で、独逸やヒトラーを心の底から尊敬し、英雄だと思っていたとか。
大切に所持していたらしいけど、東京大空襲で住んでいた家が焼失。そのスケッチブックも失ってしまったらしい。
その後現在に至るまで、ヒトラーユーゲントほどカッコイイ人を見たことがない、と言ってたな。
話を聞いた当時、祖母は75歳だったけど、その表情は純粋な乙女になっていたよw
ヘイセイジャンプとかにキャーキャーいってるジャニヲタと同じ。今も昔も変わらないんだなあ、ってオモタ。
843:名無し三等兵
08/06/20 00:19:34
俺のばーさんは女学生時代に勤労動員先で白人捕虜達に遭遇したそうだ。
でも、その夜の寮はどの捕虜がハンサムだったとワーワーギャーギャーで遅くまで大変だったそうだ。
マスコミで「鬼畜米英」と言ってても外国映画に憧れて育った世代にはあんまり意味なかった
ってことらしい。
844:名無し三等兵
08/06/20 00:40:39 BILFeJ6l
>>843
俘虜にもキャーキャーなるのかあ。ヒトラーユーゲントなら分かるけど・・・
やっぱり明治以降の白人至上主義は払拭できなかったんだねえ・・・。
845:名無し三等兵
08/06/20 01:12:55
>>834 やはりあの当時でも本能が…
ちなみに自分は>>809なんですが『本当に純粋な恋愛もできない時世でした…』と、じいちゃんの手記を見て自分をはじめ現代人はいかに恵まれてるか痛感しました
846:名無し三等兵
08/06/20 02:24:00
>>840
「海と毒薬」ですか。
847:名無し三等兵
08/06/20 03:20:18 2B4YiUdB
大和建造の情報統制、、、
当時の呉ですが、
道から海が(ドック)見える所にはすべて、
ゴザやムシロが張り巡らされていたそうです、
それに、海の見える道を歩く時は、
絶対に海側に顔を向けないよう指導されていたそうです、
ただ、
大きな戦艦を作っているのは皆知っていたそうですよ!
ジーサン、
軍の用事で呉まで何人かで行き、
ドック近くで海をみながら歩いていて、
憲兵に呼び止められて整列させられ、
全員ブチマワサレタそうです(笑)
848:名無し三等兵
08/06/20 03:20:18
うちのじいさんは造船所で潜水艦の蓄電池の担当をしてたらしい。
水島か玉野で造ってたみたいだけど、芝浦かどこかで勉強をしたとも言ってた。
あと通信兵もしてたらしく、富士山の近くの飛行場にいたらしい。
その時に木で偽物飛行機があったって言ってた。
849:名無し三等兵
08/06/20 03:28:41
↑木で作った偽物飛行機
850:名無し三等兵
08/06/20 03:35:27
>>848
偽物飛行機は苦肉の策ではあるけど、それなりに効果はあったとか。
851:名無し三等兵
08/06/20 07:08:52
木製「疾風」もあるよ
852:名無し三等兵
08/06/20 08:32:06
本物も木造だから、もはやどこからどこまでが偽物(デコイ)かわからん。
853:名無し三等兵
08/06/20 17:22:39
知り合いの元赤軍戦車兵の方の話だ。
彼の娘は日本人と結婚したんだが、その婿殿が軍オタだったらしく、
披露宴の席でモスクワ防衛軍歌を一緒に歌ったんだそうだ。
何でも、義父がモスクワ防衛戦を戦った戦車兵で、
今でも当時のことを誇りに思っていることを知った婿殿が、
それなら一緒に歌おうと言ってくれたらしい。
招待客の大半がドン引きする中、二人+α(軍オタ、軍人一同)で色々歌った
という話だ。
854:名無し三等兵
08/06/20 17:52:28
いろんな意味でスゲー。
その披露宴って日本でやったの?
855:名無し三等兵
08/06/20 18:09:12
>>854
それに関してはちょっと揉めたらしいが、
「式は日本、新婚旅行はソ連の観光都市巡り」ということで
双方納得に到ったとのこと。
856:855
08/06/20 18:14:06
ああ、でも、来賓が何人か入国できなかったとかで、
結局向こうでも似たようなことをもう一度やったらしいよ。
披露宴というよりは単なる宴会みたいなものだったらしいが。
857:名無し三等兵
08/06/20 18:25:10
>>来賓が何人か入国できなかった・・。
聞けば聞く程スゲー話だなぁ。
入国できなかった方は残念だったろうに。
858:名無し三等兵
08/06/20 20:24:56
結婚式に軍歌といえば、同期の桜歌って「見事散りましょ」とやって大顰蹙というのはよく聞く話だが、モスクワ防衛軍は初耳だわw
859:名無し三等兵
08/06/21 00:11:09
>>婿殿が軍オタ
>>新婚旅行はソ連の観光都市巡り
どこいったか容易に想像がつく
860:名無し三等兵
08/06/21 05:14:01 ZDFXMpL9
ハバロフスク?
861:名無し三等兵
08/06/21 07:16:05
ノモンハン?
862:名無し三等兵
08/06/21 08:47:05
ヴォルゴグラード!
863:名無し三等兵
08/06/21 17:28:18
>>853
赤軍と言えば、タンクデサントとして半年生き延びたという化け物が祖父の知り合いにいた。
もう二人とも故人となって久しいが。
二人ともノモンハン経験者ということで仲良くなったらしい。
(祖父曰く「もしかしたらノモンハンで擦れ違ったかもしれんな」)
祖父からの又聞きだが、その人はウォッカを飲んで酔っ払うたび、
「俺がソ連邦英雄に選ばれないのは間違ってる!」と喚いていたそうな。
864:名無し三等兵
08/06/21 20:24:47 ZDFXMpL9
昔売っていたロシア軍の時計買ってきてもらえばよかったのに。
865:名無し三等兵
08/06/21 20:59:50
曾爺さんの漁船が徴用されたってじっちゃがいってた
866:名無し三等兵
08/06/21 21:03:36
返ってきたか?
867:名無し三等兵
08/06/21 21:42:40
婆様(御年93歳)の話は、引き揚げ時よりも女学生時代の方が面白い。
艦隊が入港して戦艦に載せてもらった話や、巡洋艦の進水式の話。
海軍のエライさん宅への見習奉公の話。
引き揚げの時の話は、ホント笑えない。
868:名無し三等兵
08/06/22 02:01:03 ajdXZub2
ウチの母方の祖母は、志布志で竹槍訓練や築城作業をやってたそうな。
東串良に住んでて、空爆は少なかったけれど、敵が上陸してきたら皆殺しになる地域だからね。
そりゃあもう必死で頑張ったらしい、士気も旺盛だったけど、如何せん資材が足りず・・・il||li_| ̄|○il||li
結局意味もない穴掘りなどをやってたらしい。
869:名無し三等兵
08/06/22 04:05:03
うちのじいちゃん「ほうしょう」って船乗ってたんだって
でも戦争の話は生前ほとんどしてくれなかった
好きな花に囲まれていたいと、戦後何年かたって
小さな花屋を経営し死ぬまで花屋だった
870:名無し三等兵
08/06/22 11:35:00
>>869
空母・鳳翔? オンボロ空母で有名な。
871:名無し三等兵
08/06/22 12:06:00 cafbZH8O
>>870
日本で初めて本格運用された空母として評価しよう。
ミッドウェーでは戦艦大和の護衛として出撃しているよ。
小さい船体で太平洋の荒波に耐えたと感心する。
戦後になってから復員船として活躍したのが最大の功績かも。
これじゃ空母と言うより輸送船だね。
872:名無し三等兵
08/06/22 15:25:24
世界で初めて空母として「最初から」設計・建造された艦だし。
ミッドウェー海戦後は、内地で搭乗員の訓練に使用され、戦後は復員輸送に尽力。
功績艦だと思う。
873:名無し三等兵
08/06/22 18:53:09 /eZKZmMz
>>世界で初めて空母として「最初から」設計・建造された艦
広大な海を保有していた当時の日本の実情を考慮したとしても
(現在の日本も広大な海を保有しているけど)
当時の帝国海軍には先見性があったんだ。
空母は海の真ん中に航空基地を保有できる便利な存在だもんね。
ついでに自由に移動可能なのもポイント。
874:名無し三等兵
08/06/22 21:05:51
明後日は曾祖父の命日だ…
875:名無し三等兵
08/06/22 21:49:47 ajdXZub2
沖縄戦で散華されたのか?
876:名無し三等兵
08/06/22 22:13:26
いんや、戦後に妾の腹上で散華したんよ。
877:名無し三等兵
08/06/22 23:01:08
明日は慰霊の日だな。母方の祖父(すでに故人)が沖縄戦に出ている。
いつ入隊したかは聞きそびれたが、日華事変の時は大陸に(1930年代とのこと)
↓
満期除隊して沖縄に帰る
↓
沖縄戦で郷土防衛隊に
↓
戦後は米軍(米民政府)で運転手
自分が小さいときに亡くなったから戦場話は聞けなかった。
復帰前に運転手関係(安全運転者表彰とか?)でもらった運輸大臣名の感状があって、
この表彰のためにパスポート取って東京までいったという話はたっぷり聞かされたな。
878:名無し三等兵
08/06/22 23:33:13 ajdXZub2
鹿児島の護国神社では今日慰霊祭があったよ。「孫代表」の母親と同時に参加した。
陸自の軍楽隊や、代議士、部下や戦友が集まって厳粛な雰囲気だったなあ。
鹿児島県からは2,582柱もの戦死者を出したようですね。
879:名無し三等兵
08/06/23 02:13:38
>876
懺悔だな・・・
880:uaa
08/06/23 02:23:39 1S9H1CoK
>>876
男子たるもの斯くありたい。
稼ぎが少なくて三人目の彼女を切り、二人目も切ろうとしている自分が恥ずかしい・・・・
881:名無し三等兵
08/06/23 03:02:13 1+ZrenZ+
祖父はインパール作戦に参加し、帰還した一人。所属はなんと60連隊・・
小さい時に聞いた話しによると、最初は物資が豊富でうはうはだったけど夜に飛行機で後ろに回り込まれ挟み打ちされてから負けっぱなしだったとか。
援護にきたインド人は戦況が悪化するとほとんど逃げ出したらしい
882:名無し三等兵
08/06/23 03:17:18
記録によると、ほとんど飢餓で前線までたどり着けなかったらしいぞ。
やってきたのも病人だらけ。
883:名無し三等兵
08/06/23 03:51:24
うちのバアチャンの原爆体験をひとつ。
当時バアチャンは広島から上り方面2つ目の駅の海田って町で小学校教師をしていた
らしいのだが、原爆が落ちた瞬間は一瞬激しく光った後学校の窓ガラスが一瞬ですべ
て割れて、かなり体に刺さったらしい。
先生、生徒共に負傷者続出の中、応急救護をしていたらメチャクチャ恐ろしい姿になった
人々が広島方面から列を作って歩いてきたらしい。
本当におぞましい姿で今でもはっきり覚えていると言っていた。
学校はすぐに病院になったわけだが、その時に撮られた写真のなかには原爆の写真と
してとても有名な写真も(着物の後がついてるやつとか)何枚かあるらしいです。
乱文失礼しました。
884:名無し三等兵
08/06/23 09:03:29
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
885:名無し三等兵
08/06/23 10:58:35
>>883
被爆認定・入院されているのですか? >祖母
何も症状が出ていないのなら良いのですが。
886:名無し三等兵
08/06/23 12:25:00 1+ZrenZ+
>>882
そうだったのか・・
ちなみに祖父は撤退時に戦友の死肉を食べたらしいです・・・
887:名無し三等兵
08/06/23 12:37:54 gadi6w+W
祖父と曾祖父は二人とも戦前から中島飛行機で働いた。
祖父は電気技師として、曾祖父は事務方の管理職だったらしい戦時中でもバイクに乗って通勤してたからそこそこ生活に余裕があったのかな。
戦後祖父は電気技師として民間企業に再就職し、曾祖父は中島飛行機の解体事業をしたあと国家公務員という戦争によってあまり不幸や不運にならなかった人達でした。
888:名無し三等兵
08/06/23 15:34:29 HwIL9JhN
爺さんは、某重工で艦船の擬装技師。 重巡洋艦なんかの艤装をやってたらしい。
戦争中は修理で24時間働く事もあったそうな。白い麻のスーツにカンカン帽で家族で食事に行く話はよくきいたなぁ。
親父は海軍兵学校。あと1年若かったらきっと特攻隊かなぁといっていた。
兵学校にいたから、腹がすいて困る事はなかったみたいだけど早起きがきつかったらしい。
母方の爺さんはシベリア抑留組で無事帰国できた口。銀行やさんだからロシアの部隊の経理やってあげてタバコもらったらしい。
戦後たべた黒パンは、ロシアの奴とは別物だそうだ。
義父は少し若くて、練兵場の薬きょうを拾ってそれで、ご飯食べさせてもらった話を良くきいた。
白いご飯は練兵場でいつもたべてたみたい。
生死をさまよう話のなかにどことなくのどかな話もあり、小さいころからよく話を聴いていた。
この人たちが日本を復興させたんだよね。
もう皆お墓の中なんだけどね。 合掌
889:名無し三等兵
08/06/23 15:41:13 HwIL9JhN
戦争中、召集される前に、銀座でビールの配給があって、
1杯のんで、前に並んだ人たちと他の配給所へ走る話は、なんか楽しそうだった。
つらい事暗いことばっかりで、そういうことは話してくれないけど。
890:名無し三等兵
08/06/23 16:30:26
>>885
原爆手帳は持ってるけどピンピンしてますよ。
ジイチャンは海軍で通信兵をしてたらしい。
広島は軍港があるし海軍のほうがカッコイイ!ってね。
場所はどこだか忘れたけど突然盲腸で入院することになって
船を降りることになったんだけどその船はそのあとすぐ轟沈した
って言うのを聞いて本当に運がよかったと思ったって言ってたよ。
ジイチャンは去年亡くなったけどもっと話を聞いておけばよかった
って心から思うよ。
あと10年もしたら生き証人はほとんど居なくなってしまうから。
大事なことだよね。
891:名無し三等兵
08/06/23 16:42:25
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
892:名無し三等兵
08/06/23 17:20:59 8d+SVedU
俺の爺様はキリバスで軍医をしていました。生き残りでありました。
右翼から段ボールで現金が上納されておりました。
今だに何物だったのかわかりません。
893:名無し三等兵
08/06/23 17:26:45
軍医さんなら、誰かを助けたのだろう。
その誰かが、恩に思ってくれたのだから、いいことじゃまいか?
つーか。生き残りの軍医さんって
結構、出世していたりする方が多いですね。
(今よりも、医者はエリートだったんだろうけど)
894:名無し三等兵
08/06/23 19:03:25
私のおじいさんは、(東京)「国分寺にB29が落ちてきた」って言ってました。
この前の不発弾騒ぎのこともありますから、あながち嘘ではないと思うんですが・・・
どなたか知っておられる方いらっしゃいませんか?
おじいさん(故人)は現場まで見に行ったと言っていました。
以前このスレッドに書き込んだ時は何の反応もなかったです。
街のコミュニティー掲示板にも書き込んだんですが、「へえー」位の反応で、
具体的な情報は得られませんでした。年配の方がそういう掲示板は見ないとは思いましたが。
本土防空に関する本や文献・ネットなどを漁ってみても戦闘そのものの記述ばかりなんですよね(そりゃそうだ)。
895:名無し三等兵
08/06/23 19:16:50
>>894
URLリンク(www10.ocn.ne.jp)
896:名無し三等兵
08/06/23 20:15:22 0imxgvEB
>>894
自分の地元、群馬にも墜落したことがあるらしい
機種は不明
現在の大泉市にあるった軍需工場を爆撃した帰りに、事故か、撃墜されたかと思われる
897:名無し三等兵
08/06/23 21:52:15
>>895
本土空襲墜落機調査を見ました。
やっぱり本当だったのですね!!静かな感慨に耽っております。
検索方法の甘さがあった様ですね。それにしても感謝です。大変ありがとうございました。
898:名無し三等兵
08/06/23 23:26:16 YUJOGoAb
もしかしたら、うちの爺さんが撃墜したB29かもしれない
899:名無し三等兵
08/06/23 23:33:38
しまった、ちょっと誤表記があったので訂正を
>>896
× 大泉市
○ 群馬県大泉町
900:名無し三等兵
08/06/24 00:08:33
>>866
返ってこなかった
それとどうも漁船じゃなくて貨物船だったみたい
901:名無し三等兵
08/06/24 01:28:08 wFRISR6/
日本は従軍慰安婦などと称してアジアの女性の尊厳をことごとく奪った。
中国ではなんの罪もない人々を何百万人も人間の所業とは思えないような酷いやり方で殺した。
善良な人間は殺人鬼たちによって権利を奪われ、殺人鬼は戦後のうのうと生きながらえた。
しかもこの国はいつまでも過去を清算しない。
それがアジアの人々を傷つけていると分かっていながら謝らない確信犯。
独りよがりの日本は世界から孤立しているのに気づかない。
全く持って恥ずかしいことだと思う。
902:名無し三等兵
08/06/24 01:59:05 CNe9H1KN
>>901
とか何とか針小棒大なことをいって難癖をつけて、いくらせびり取りたいのかね?
903:名無し三等兵
08/06/24 02:24:30 qTijKAhy
今回は祖母の妹の話
うちの祖母は三姉妹の長女だったんだけど、姉妹の中で唯一の喫煙者で一番長生きした次女のお婆様
の昔語りを何度か聞きました。内容は
戦時中はこの人(旦那様)と一緒になる気はなかったんだけどね…
当時は凄く格好良い将校さんがいて白い軍服(海軍さんかな?)が良く似合ってた。
たぶん戦死されたんだと思う……
と。また少女時代の話として
川嶋美子みたいになりたかったそうで、夢は満州で馬賊になって大陸を駆け廻りたかったそうな。
もう祖母含めて三人とも故人となりましたが時折、親族が集まると
そういった話題もでます。
904:uaa
08/06/24 03:05:38 ZCoYkQZG
ここにいる20代の奴は曾祖父さんが太平洋戦争に従軍してるんだよね?
秋葉の加藤は曾祖父さんが青森連隊に居て、八甲田の遭難事件で死んだって聞いたんだけど、
ガセかな?
905:名無し三等兵
08/06/24 04:40:09
>>901
過去のことはとっくに清算してるだろ
いつまで基地外じみたウソをつき続けるつもりですか?w
906:名無し三等兵
08/06/24 04:45:30 0VzGAz7+
うちの爺ちゃんは若い頃、特攻隊員だったが、特攻機に搭乗する直前に終戦になった。しかしその一時間前に出撃した同期は戻って来なかったと、涙を流して話してくれた。ちなみに爺ちゃんの特攻機は、彗星33型です。
907:名無し三等兵
08/06/24 06:12:37 4ED4FoEb
友達のじいさんの話だけど
友達のじいさんはとある航空母艦で整備兵やってたらしい。
戦後は自転車屋やってたね。
そのじいさん曰く、空母が沈むとき、みんなで傾く甲板に立って泣きながら敬礼したらしいよ。
絶対忘れられない思いでだそうです。
908:名無し三等兵
08/06/24 06:52:09
>>904
八甲田山で遭難死した兵隊は、ほとんどが岩手県出身だったって聞いたけどなぁ
909:名無し三等兵
08/06/24 07:04:43
>>907
URLリンク(www.history.navy.mil)
910:名無し三等兵
08/06/24 07:45:45
>>904
いや、うちは祖父が従軍してた。
他の方々も従軍されたのはおそらく祖父世代でしょう
911:名無し三等兵
08/06/24 10:24:58 ubDEwkpS
>>904
私は24歳ですが、祖父は兵卒→下士官として勤務。曾祖父は将官として勤務してました。
まぁうちは代々晩婚なのでそうなのでしょうが・・・・。
大抵の方は学徒動員などで軍需工場で働いたり、各種学生だったりしたのではないでしょうかね<祖父世代
912:名無し三等兵
08/06/24 11:09:46
>>907
飛龍? 翔鶴?
913:名無し三等兵
08/06/24 11:27:45
>>907
瑞鶴?
飛龍は機関停止を理由に魚雷で処分なんで、乗員が退去する際は傾いてない。
翔鶴は魚雷命中後しばらくしてからのガソリン爆発で沈没だからそんな余裕は無い。
914:名無し三等兵
08/06/24 12:18:36 Fpi0LGrP
信濃をおわすれか?
915:名無し三等兵
08/06/24 12:26:22
信濃は乗員が転覆する最後まで傾斜復旧、曳航に努力していたので総員退去命令は
出てなかったとも。
そのため艦長以下生存者少ないし。
916:名無し三等兵
08/06/24 12:31:34
>>913
>飛龍は機関停止を理由に魚雷で処分
いや、『火災鎮火不可能』ではなかったか?
機関そのものには損害がなかったはずだが?
(まぁ釜への空気の供給が止まったのかな)
それにしても、Wikiに書いてある
『空母「鳳翔」の偵察機が、漂流中の飛龍と、大穴が穿たれた飛行甲板にたたずむ人影を二人確認。
二つの人影は、艦と運命を共にした山口少将と、加来止男艦長と思われる』
ってどんなヨタ話だよw
(真実は下層甲板から脱出してきた機関科員らであろう)
917:名無し三等兵
08/06/24 13:29:28
>>飛龍は機関停止を理由に魚雷で処分
>いや、『火災鎮火不可能』ではなかったか?
火災は一時的に鎮火しているが、機関が停止して機関室との連絡が途絶えたので
処分を決めたはず。(実際は機関は無事で機関員が脱出を図ったからだけど)
918:名無し三等兵
08/06/24 19:00:28
>処分を決めたはず
実際は『中破』程度の損害で、
機関室への有線電話か伝声管かが復旧すれば自力航行で戦場離脱できたんだよね
(機関は全く無傷)
まぁ、戦場のど真ん中で判断には急を要する局面だし、
歴史に “ IF ” は禁物なんだけど
ところで、例の漂流する飛龍の写真撮ったの、
鳳翔の九六式艦爆だよね?
919:名無し三等兵
08/06/24 20:55:46
うちは大学教授だったから徴兵されず。
戦争で死ぬ人間は馬鹿だといっていた。
おれも戦争おきても多分徴兵されない地位にいる。
920:名無し三等兵
08/06/24 20:58:54 qTijKAhy
>>904
私は今年30になるけど祖父は明治43年生まれ。
921:名無し三等兵
08/06/24 20:59:54
あと、いっていたのは、
下層階級の人間が軍に入ったせいで風紀が乱れた、と。
日露戦争のときとはぜんぜん違っていたみたい。
922:名無し三等兵
08/06/24 21:08:58
>>908
岩手県には連隊がないから、調べていないけれど青森の第5連隊(遭難部隊)
の徴集地区の可能性は大いにある。
それに、徴集は本籍地別にするから、うちの御先祖サマは東京在住だったが、
本籍は長野県で、入隊は金沢の第7連隊であった。
東北6県で岩手県に連隊はないが、青森県は2連隊ある。
これは、廃藩置県のときの新政府の東北嫌がらせの一つが原因ともいわれる。
青森県を形成する主な藩は弘前藩と盛岡藩の一部だが、この2藩は秀吉の小田
原戦時に帰参する時の領土争い以来犬猿の仲であった。
最初は弘前県だったが、県庁をわざわざ小都市青森に移転され、青森県になった。
だから、青森第5連隊の駐屯地は最初は弘前で、後に弘前第31連隊ができて移転、
その後も1ケタ連隊駐屯地を差し置いて、弘前が師団編成地であった。
八甲田事件の時、弘前第31連隊も雪中行軍中で、こちらは全員生還した。
新田次郎の小説では、遭難に気付いた31連隊は二重遭難の危険を避け、泣く泣
く下山したことになっている。
しかし友人のじいさんの話では、地元では「見つけても誰が助けるか」「遭難
したほうがましじゃい」と言い合っていると聞く。
923:名無し三等兵
08/06/24 21:42:52 bUl3ao13
>>919
次戦争するときは本土決戦から始まるからさ
924:名無し三等兵
08/06/24 21:54:39
大学教授も徴兵されているお
925:名無し三等兵
08/06/24 22:14:52
>>904
それは人というか家によるだろ。
俺は現在29歳だが曾祖父は文久2年生まれだ。
926:名無し三等兵
08/06/24 22:28:54
スレチの話続けてすまぬが、飛龍の機関科員の話はせつない
捕虜になって生還した機関科員が戦後
「(脱出前に)隣のカマの隔壁をたたいた時向こうからたたき返してきた音を一生忘れられない」
と語ってた話とか
生き残りの方もほとんどが鬼籍に入られたことでしょう
>>904
私も30ですが祖父は支那事変時に上等兵でした
生まれる前に亡くなってるのでその後の軍歴を調査中
927:名無し三等兵
08/06/24 23:14:25 JMqN0E0+
軍人ではないけど中島で航空技師をしていて戦時中捕獲した外国の航空機を見学旅行に行った。
満洲にもいきロシアの木製の航空機を見たという。3式戦とよく似ていたというからイ17かもしれない
ノモンハンで使用されてたという話を聞いたことがある。
928:名無し三等兵
08/06/24 23:55:31
兵隊やくざの中の従兵も大学教授だったな
929:uaa
08/06/25 03:45:11 7uYTj7WN
>>910>>911>>920>>925>>926
サンクス
全くのガセじゃなかったんだ。
父親か母親のどっちかが、祖父さんが50過ぎの時の子なんだな。
930:名無し三等兵
08/06/25 14:17:17
父方の祖父は善通寺連隊で、日中戦から従軍、終戦時は
ビルマにいたそうです。生前いろんな話を聞きました。
丁稚奉公先から召集され(甲種合格)歩兵でしたが、
主計科に移りたくて、尋常小学校しか出ていないけど
いろいろと主計に関する勉強して終戦時は主計伍長でした。
インパール戦のとき、土嚢が確保できずに、放棄された砂糖工場の
砂糖で土嚢を造ったそうです。
弾は砂よりよく止まったそうですが、一雨くるとえらいことになったそうですw
ほかにもいろいろ教えてくれました。
ゲートルの巻き方や、携帯天蓋の張り方、38式や擲弾筒の使い方なんて
小学3年生に教えてどうする気だったんだかw孫の中でちゃんと聞くのは
オレだけだったし、
内容はどうあれ、誰かに聞いてもらいたかったんだと思います。
931:名無し三等兵
08/06/25 16:32:42
>929
俺加藤より10上だが爺様が従軍してたよ。
爺婆大将10年代で親が昭和20年代だから両方30代で子どもなら今ちょうど加藤くらいだわ。
50代てのは何処から?
932:uaa
08/06/25 16:48:02 eQ3AHrzZ
>>931
曾祖父さんが死んだのが1902年1月だから、祖父さんが生まれたのは遅くても、
出かける直前に仕込んだとして同年11月生まれ。
父母は1959年と1955年生まれ。(報道による。誕生日の関係で1年ずれるかも。)
933:名無し三等兵
08/06/25 17:01:57 ckZ9732p
前付き合っていた彼女のおじいさんから聞いた話。
「中国軍よりも補給物資を盗む市民の方に苦労した」
934:名無し三等兵
08/06/25 21:05:10
>>933
昔も今も(手ぐせ)が変わらないんだなw
935:名無し三等兵
08/06/25 22:13:51
流れと全っ然、関係ないんだけど、>>928を読んで思い出した。
ちょっと世間話をした見ず知らずのおじいさんの話。
兵隊に行ってみると色んな人がいてその中にチンピラ風で悪ぶっているヤツがいた。
いつも相手を脅すようなモノの言い方をしていた。
初めての戦闘で普通の人はみんななんとか頑張って動いたが、
チンピラ風のヤツは恐怖で震えててまったく動けなかった。
「普段悪ぶってるヤツほど役に立たなかったなぁ。」と言ってた。
その後どうなったかは聞いてない。
936:名無し三等兵
08/06/25 22:51:47
>934 冗談抜きで、補給物資をかっぱらいに来る中国軍が一番厄介だとか。重砲隊がきれいさっぱり消滅したとかね。
937:名無し三等兵
08/06/25 23:39:26
>>936
おいまさか砲兵も盗まれたのか?
938:名無し三等兵
08/06/25 23:47:58 RDkWJ8t0
潜水艦乗りだった人はいない?
ウチの祖父の兄は大型潜水艦(伊号?)に乗って、インド洋でドイツ軍と共に対英通商破壊をやってたらしい。
敵駆逐艦が機雷を投下すると、離れている場所で爆発しても船体が大揺れして、慣れるまでは相当恐かったとか。
「ブレストまで行った連中は超人だよ」と言ってた。
シンガポールで終戦、英軍俘虜になったらしい。
商船を攻撃するときは魚雷ではなく艦載砲や機銃を使い、撃沈or拿捕したそうで、駆逐艦などに出くわしたときだけ
魚雷を使ったとか。
939:名無し三等兵
08/06/26 00:04:14
うちの爺さんは海軍だった。鳥海という船に乗っていて、艦橋で見張りとかの仕事をし
ていたと言っていた。どんなに船が揺れても、食欲と元気だけはあったそうだ。
「殴られたり、蹴られたり
とか毎日だったけど、そんな人でも褒めるとこはちゃんと褒めてくれたし、お菓子を
くれたりした。海兵団にいた時に、普段厳しい班長がみんな寝てるときに、こっそり
お菓子を差し入れてくれた。理不尽な制裁もあったけど、みんな心は優しかった」
と、しみじみ聞かせてくれた。戦争は悪いことだろうけど、僕は海軍に入って本当によ
かったよ、と最後にぽつりと言ったのが印象的だったなぁ。
もう随分前に亡くなったから、もう話聞けなくなっちゃったなぁ・・・。
当時の上官だった人から、形見としてもらった白くて黒い線の入った帽子を散歩の時
毎日被ってた。戦争が終わってしばらくして、再開を果たした時にくれたそうだ。
あれが士官二種略帽だと知ったのはずっと後だったけど。
940:名無し三等兵
08/06/26 00:37:32
戦争のロマンに洗脳されてるやつがいるな。
現実の戦闘はそんなもんじゃない。
941:名無し三等兵
08/06/26 01:55:27 ft7oLifr
酒に酔った時にしか戦争体験を話さない祖父。
フィリピン・ルソン島からの生還者。
一度だけ聞いた話だが、連日の戦闘と、食糧の不足、マラリアなどの過酷な環境で、同郷出身の戦友が精神的におかしくなってしまい、敵の飛行機が来ると、陣地を抜け出して行っては敬礼をする。
祖父はその度に、命懸けで連れ戻しに行くんだが、機銃掃射を浴びせてきたグラマンの米兵が、白い歯を剥き出して笑っていたのが見えたと言っていた。
「一緒に日本に帰ろうな」と言い聞かせて、身の回りの世話をしていたが、ある日、また飛行機が飛んで来て陣地を抜けだそうとした所を、上官にピストルで撃ち殺されたそうだ。
942:名無し三等兵
08/06/26 02:27:30
>>940
むしろ逆だろ。戦闘体験というのは殺伐とした環境を長く過ごした人からの
他人にしゃべれることの出来るエッセンスだ。貴様のは脳内妄想。
943:名無し三等兵
08/06/26 03:34:29 ucHNSQCq
うちの、じいちゃんは千葉習志野戦車学校を出て、満州に戦車兵で
行ってたらしい。満州では今程、チャンコロとは仲が悪くなかった。と聞いた。
まぁ中国の一般市民だろうけど。敗戦後 日本に帰っていたら、ロシアが攻めて来た、
と聞いた。応戦するも火力に圧倒的差が、あったらしい。
で、連行されて、シベリア送りだったと聞いた。
シベリアでは、極寒での強制労働。栄養失調で仲間が毎日死んでいったと聞いた。
特に都会の人は、体が弱いので死にやすかったらしい。
944:名無し三等兵
08/06/26 07:10:58
>>938
ちなみに、そのインド洋の潜水艦隊の指揮を取っていたのが、
『女装の仮装巡洋艦』報国丸と愛国丸
URLリンク(www.down.ne.jp)
>>940
“ ロマン ” は無いけど “ ユーモア ” は必要
上記の報国丸・愛国丸の乗員、
「非番直員女装用意!」の号令が掛かると、
もうみんなノリノリwで着替えたそうだ
945:名無し三等兵
08/06/26 09:46:17
うちの伯父(故人)もシベリアだ。
学徒で出征、砲兵隊の中尉で捕虜。部隊は三分の一が帰ってこれなかった。
ハバロフスク地区では成績が悪いほうだといわれ、帰還も遅かった。
伯父の優柔不断さが多量の死者を出した原因と一部の兵から指弾されたらしい。
それでも将校だから生きて帰れたと本人は言う。
1995の最後の戦友会に初めて出席したが、「皆、喜んでくれた。ビックリした」
と言っていた。
実は3割死亡というのは平均値だとの話もある。
946:名無し三等兵
08/06/26 10:27:57
俺の死んだじーちゃんもシベリア体験者。
存命中は「子供にはわからん」と中学生の俺には何も話さなかったが
ばーちゃんは曰く、
・初日に軍隊から持ってきた身の回りのものをほとんど盗られた。
・囲まれて金目の物を取られた。で、「あいつらは土人」
・警備兵がこっそり死体の金歯を抜いていた。
・量が少なくて消化の悪い食事のためによく噛む事を心がけたから
生き残れた。 がっついて食べて、腹を壊した奴は衰弱して死ん
でいった。
・仕事は機械の点検。アメリカ製で英語表記の注意書きがついていた。
・帰国する前に、国に着いてから収容所の虐待の事を話すと、
スパイから報告されて、シベリアに残った戦友が帰国できなくなる
ぞと脅されたので、しばらくは自分の妻にも黙っていた。
・収容所で酷い食事をしていた割には料理の味にうるさかった(笑)
最後の1つはばーちゃんの愚痴(笑)
947:名無し三等兵
08/06/26 10:58:56
>>939
重巡・鳥海?
雷撃で沈んだ船だけど、その際の事は何か言ってなかった?
こういう軍艦クルーの祖父の体験談は興味津々なもんで。。
948:名無し三等兵
08/06/26 11:01:05 EF83bApm
うちの爺さんは工兵だッたが
所属していた部隊が爺さん残し全滅して
敵の銃弾が目に当たり失明して
日本に帰国したと母から聞いた。
爺さん義眼だったのは記憶にあるんだがな
949:名無し三等兵
08/06/26 12:49:37
爺さんは第25軍に従軍したらしいけど
どの師団かはわからないんだよなぁ
もう爺さん死んじまったし、聞くこともできない
近衛だったらいいなとは思ってるけどどうなんだろ
ちなみにマレーで負傷して後方部隊に移ったらしい
950:名無し三等兵
08/06/26 13:15:23
>>946
ほんと、ロスケはろくなもんじゃないよ。
ただ、あいつらバカだからうまくやればおいしいこともあると
昔シベリアに連れて行かれたことのある教師にきいた。
たとえば、その人は腕時計をいくつか持ってたんだけど、
一つだけネジ巻いて腕につけておくんだって、
あとのはネジ巻かずにベルトにでもつけておく(隠すと厄介らしい)
ロスケは動かない時計は壊れてると思ってスルー
腕につけた動く時計は当然ロスケが欲しがる
↓
食い物と交換
↓
そのうちロスケの時計は止まる
↓
その辺に捨てる
↓
拾ってベルトへ
↓
別の一つをネジ巻いて装着
↓
ロスケry
↓
食べ物と交換
無限ループウマーw
951:名無し三等兵
08/06/26 16:44:03
ロスケもひどいが日本もひどいと知り合いの爺様が言っていたよ。
シベリアで苦労して、やっと帰ってきたところで一時金かなんかが出たそうな。
で、やっと故郷の駅について、腹がへったんで今川焼きを買ったらなくなちゃ
ったとか。
いろんな意味で涙が出て止まらなかったと言っていた。
ユーモアのある面白いじいさんだったんですごい印象的だった。
952:名無し三等兵
08/06/26 21:13:15
俺の母親の祖父だから俺にとっては曽祖父になるんだが
B-29乗りで東京大空襲に参加した。
何の因果か、娘が日本人と結婚し俺の母親誕生。
ちなみに俺の父方は天保年間からの江戸っ子という
皮肉な組み合わせ。
父方バーサンは大空襲逃げまくった。両国で火にまかれて
命からがら生き残った。
953:名無し三等兵
08/06/27 00:13:30 TBGJa7cr
漏れの爺さんは陸士51期、中尉の時にガダルカナル島に行って筆舌に尽くしがたい
苦労をしたそうな。将校でさえ野生の動物を食って生きるしかなかったような事を聞いた。
もっとも参謀とかの中級以上の将校は別かもしれないけど。九死に一生を得てガ島から
撤退時に乗った輸送船で出されたお粥とミルクが「一生のご馳走」だったらしい。
さらに目的地に向かう途中で潜水艦に襲われて輸送船も沈没、今度こそ生きて内地に
帰れないと思いきや、後続の水雷部隊が潜水艦を撃沈、ところが救助までに相当時間が
掛かったらしく、駆逐艦に引き上げられた時に水兵に思いきり顔をぶん殴られてカツを
入れられたらしい。終戦後、漏れが生まれて間もない昭和59年、ある新聞記者の協力で
この水兵と再会して礼を述べ、奇しくも昭和の終わりの日に急性心不全で亡くなった。
今でもこの水兵は老人ホームに居るけど元気なのでたまに会いに行ってる。
954:名無し三等兵
08/06/27 00:48:37
俺の母方の爺は東京の立川で飛行機の整備士をやっていたと言っていた。
やはりグラマンはすごかったとのこと。戦後はトヨタに勤務。
955:名無し三等兵
08/06/27 14:10:07
>>922
>新政府の東北嫌がらせの
北海道が激戦区に行かされたのが多いのもこれに関係するのかな
956:名無し三等兵
08/06/27 16:54:04
鹿児島とか九州も激戦区に行っている。菊とか龍兵団。
都会から離れた地方こそ強兵って概念がある。
(例外として、ペリリューの水戸とかもあるけど)
貧しい農村の2男3男が軍隊のメリット(毎食有るとか)を受け、
軍も、他に行き場のない人間を強兵に仕立てたってこと。
957:名無し三等兵
08/06/27 19:02:19
それは「激戦地」という名のノタレ死にコース。
958:名無し三等兵
08/06/27 20:39:26
子供の頃から歩いてきた距離が違うんだろうな…
959:名無し三等兵
08/06/27 20:40:20
>956
カゴウマは西郷ドンがああいう結果になったんで逆賊一味扱いじゃまいか。
佐賀も熊本も福岡も似たようなモン。
長州なんぞは激戦地送りのはあまり聞いたことが無いけど・・。
960:名無し三等兵
08/06/27 21:13:41
長州は広島第五師団の管区下。
上陸作戦の専門家として知られる師団で、大陸出兵に際して常に先陣を切る部隊だよ。
961:名無し三等兵
08/06/27 22:39:37 ffZ9CUjN
こないだ仕事に行く途中の電車に乗ったとき昼間なのですいてた
おばあちゃんと車椅子のおじいちゃん、おばあちゃんが車椅子動かそうと
してたので大丈夫ですか?と声をかけたらおじいちゃんとおばあちゃんに
にっこり挨拶された、雪風は沈まずの本を読んでいてきっとおじいちゃん
表紙を見てたんだろうね、僕が電車降りるとき軽く挨拶して降りたとき
おじいちゃんに海軍式敬礼されただいぶお年を召された方だったので
ひょっとしたら戦争経験者?の方だったのかもしれない、急だったので
頭を下げただけだったけど、その後つい涙ぐんでしまった。
変かな?
962:名無し三等兵
08/06/28 02:22:59 m4Pf3f9e
俺のじいさん(宮城)は平壌や延吉辺りまで行ったらしい
除隊寸前で挨拶の言葉も考えていたのに日米開戦して内地に帰れなかったそうだ。
でも、シゴキなど嫌な事もあったが軍隊生活にも楽しい思い出もあるらしく
野球チーム作って他の隊のチームと試合するため飛行機使って遠征したり
他にも現地人から娘を貰ってくれないかと言われたりしたそうだ。
じいさんの身内には失恋したショックで南方の最前線を志願して戦死して、皆から大馬鹿者と思われた人もいたり
上官の奥さんが露助に強姦され自殺したという事もあったらしい。
963:名無し三等兵
08/06/28 04:00:53 kAXA6Ium
>644、653
いまさらのレス、もしご覧になれば幸い。
マラリアは別段熱帯の病気ではありません。また媒介する蚊も温暖な所のみに生息するわけではありません。
20世紀にマラリアが最も深刻な事態を引き起こしたのは1920年代の旧ソ連です。北極圏までマラリアが蔓延して
大変な死者数を出したそうです。
ソースは、The Global Warming Swindle というgoogle video から。
5分割なんだが結構長いんで何番目だったか?
日本語字幕スーパー付き「The Global Warming Swindle(地球温暖化詐欺)」
URLリンク(video.google.com)
URLリンク(video.google.com)
URLリンク(video.google.com)
URLリンク(video.google.com)
URLリンク(video.google.com)
964:名無し三等兵
08/06/28 09:46:28
うちのお爺さんは、海軍の特別陸戦隊で上海でも戦ってた。
その後、太平洋戦争のとき出撃途中に乗ってた船が撃沈された
965:名無し三等兵
08/06/28 10:16:10
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月~金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
966:名無し三等兵
08/06/28 11:55:31 7IuN5luA
支那戦線でのチェッコ機銃の砂埃だけの無音の弾着は、めちゃめちゃ怖かったって。
機銃は、敵を定めたら縦に銃身を振って撃つもので、映画みたいに左右に振って撃ったところで当たりはしない、とは重機部隊だったうちの爺さんの話。
967:名無し三等兵
08/06/28 12:28:48
>>966
発射速度の遅い九ニ式とかだとそうだけど、
機関銃は本来『面制圧兵器』なので左右に振るのは本来あり
968:名無し三等兵
08/06/28 12:36:19 GnI4pSJn
兵隊だったとしか聞いてない
969:名無し三等兵
08/06/28 12:37:47
>>963
別人だが、考察サンクス。
ドイツが戦争後半にニキーネ不足になった理由が分かりました。
970:名無し三等兵
08/06/28 12:51:44 oOn4KkBc
うちのじいさんはゼロ戦乗ってた。天皇陛下に貰ったっていう金属製のゼロ戦の模型持ってた。その孫の俺の従兄弟は空自でイーグル乗ってる。
その従兄弟の結婚式で自衛隊の人等がじいさんに敬礼してた。自衛隊の人等はみんな軍服で来ててそのテーブルはなんかの作戦会議してるようにしか見えなかった。
971:名無し三等兵
08/06/28 13:28:46
>>967
ところがどっこい、日本でそれは通用しない。現代では迫撃砲をピンポイントで当てる国ですから。
972:名無し三等兵
08/06/28 14:03:21
>>935
巣鴨プリズンでは軍人より文官の方が堂々としてたって児玉誉士夫だか笹川陽一だかが言ってたよな。
弘前師団、旭川師団は日露戦争の時には虎の子だったそうじゃないか。
勿論戦場が寒冷地だからだけど。
八甲田遭難の話は「八甲田から還ってきた男」(高木勉・文春文庫)に詳しい。
973:972
08/06/28 14:04:51
間違えた。
笹川良一だった。
974:名無し三等兵
08/06/28 14:06:35
笹川良一かぁ。
公文書やぶりとりの真偽はどうなのだろう?
975:名無し三等兵
08/06/28 17:23:54
祖母は、8歳の時にサイパン戦を経験。
家族や他の人達と隠れていたジャングルの洞窟に、これから最後の突撃をするという日本の兵隊さん達がやって来て、
「今からアメリカをやっつけて来るからね。これでも食べて、最後まで頑張りなさい。」と、
持っていた水筒と食糧を沢山置いて行ってくれたおかげで、餓死する事無く助かった。
しばらくして米軍に見つかり、収容所に連れて行かれる道中、沢山の日本兵が刀や銃を持ったまま倒れてる場所があって、あの時の優しかった兵隊さん達だと言って、みんなで涙を流したそうだ。
976:名無し三等兵
08/06/28 17:43:36
>>971
貧乏自慢は止めてくれー(滂沱
977:名無し三等兵
08/06/28 19:41:35 6vK1m/qr
だれか覚えてないかな、30年位前何の本だったか忘れたが、終戦間もなく
満州で中国軍からみなで逃げてるとき、しんがりの兵隊さん達が応戦してるとき
中国軍の銃撃が少なくなってどうしたんだと後ろを振り向いたとき小さな男の子
が、兵隊さんのほうへ歩いて来ていて飛び出して助けに行って何をしていると
怒ったら母ちゃんが兵隊さんにとオムスビ出した話。撃たなくなった中国兵
にも泣いたけど銃弾飛び交う中オムスビ持ってけと言った母ちゃんに子供
ながら泣いた記憶がある。あとソ連軍に侵攻され毎日のように日本人の婦女子
がレイプされてた時、兵隊や男達は何もできなかったのに日本人のきれいな
看護婦さんが、直談判に行くと行ったきり帰ってこなかったがその後暴行は
無くなった話。体験談だったけど未だに子供のころ泣いた事思い出す。
978:名無し三等兵
08/06/28 20:18:52
>>927
そのロシア製の飛行機は多分、ソ連から亡命してきたラボーチキンLag3戦闘機じゃないかな。
979:名無し三等兵
08/06/28 20:21:43 MFKf5OBQ
>>977
日教組左翼教員が拡散した話じゃね。
日本軍の兵隊を一方的に悪く言いまくっている。
一方で共産軍を良く言っている。
君は定年退職した団塊元教員かな?
残念ながら2ちゃんは教室と違うから自分の言いなりにならないぞ。
980:名無し三等兵
08/06/28 20:54:26
>>979
>>977の文章をから日本軍が悪し様に書かれていると読み取る
君の読解力に心底敬服する。
981:名無し三等兵
08/06/28 21:33:26 MFKf5OBQ
>>980
貴官の発言に対して心から感謝の意を示したい。
既存のTV番組や雑誌や新聞では反日活動の効果が少ないと
彼らは気が付いた。
だからアクセス数が膨大な量を誇る2ちゃんを利用する手を
彼らは考えたんだろうね。
南満州に抑留されてたる日本人を内地へ帰還させる作戦を
実行した元関東軍兵士が実在する。
特定されたくないので詳細をカキコしない。
「ウッドマイヤー」でネット検索すればヒットするかも。
982:名無し三等兵
08/06/28 22:05:42
>>981
大将、自分にはその文章の前半と後半のつながりが理解できないから、くわしい解説ヨウソロ。
983:名無し三等兵
08/06/28 22:31:10
普通の話を強引にウヨサヨ話にもってく
極東板住人になえた。
早く巣にお帰り。
984:名無し三等兵
08/06/28 23:26:34 MFKf5OBQ
>>982
前半と後半の文章を無理矢理繋げたカキコを発見するとは貴官は
優秀な情報分析官だと断定する。敵ながら天晴れだ。
それに比べて文章構築能力がゆとりレベルの漏れは修行が足りない。
ゲバラの本とレーニン本と似奔共産党60年史をかじっただけでは
ケツが青いと自己批判を強要されそうw。
>>983
本スレは戦場へ出征された軍人軍属の体験談であるのにウヨサヨ話へ
持ち込んだことに対して反省の意を示す。
小学生時代に日教組の教員に苛められた経験が共産党への憎悪へ
?がっている事実を考慮して頂きたい。
大東亜戦争で戦病死した父方の祖母の弟が草葉の陰で漏れを操った
と言い訳するかw。
985:名無し三等兵
08/06/28 23:44:21
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月~金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
986:名無し三等兵
08/06/28 23:47:05
何このウンコな流れ?
987:名無し三等兵
08/06/29 00:31:02
>>986
新手の埋め作業
988:名無し三等兵
08/06/29 00:51:52
>>984
閣下、文章はつなげるもので無く、つながるものだぞ。
「イイタイコト」がまず先にあってそれから文章をつくることが、文章を書く本道。
989:名無し三等兵
08/06/29 01:08:45 S8/jWqrl
>>988
貴官の助言に対して感謝の意を示したい。
「結論」を述べてから「データと理由」を述べるのが
報告文書を作成する時の基本中の基本である事を忘れていた。
990:名無し三等兵
08/06/29 01:32:16
>>979
反乱の満軍なら、戦意はあまり高くない。難民とわかれば撃ってこないというのは有りうる話だ。
共産軍にしても、日本人に対しては怖くない、というか日本軍に対して中国兵は怖くないぞ。
南京大虐殺?以前は敵意丸出しだったが、その後はかなりなあなあ。捕虜に対する扱いも天地ほど変わった。
ソ連軍は怖い。容赦ない。占領確定後、日本人が死に絶えるかゲットー行きした後は、
朝鮮人、そして満人漢人が略奪、強姦の目標となった。
991:uaa
08/06/29 02:17:05 fBCLkXCr
次スレ立てたぉ
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その19
スレリンク(army板)l50
992:名無し三等兵
08/06/29 02:34:09
自分の爺さんの話じゃなくて、中学の時の先生のお父上の話なんだが、
捕虜としてシベリアに送られて、強制労働させられていたらしい。
そしてあるとき健康診断があったのだが、担当の女医がものすごいブスだったらしい。
他の捕虜が顔を見て笑いをこらえている中、先生のお父上だけは診察後に最敬礼を行った。
診断の結果が「伝染病」であったため、先生の父親は帰国させられたらしいが、
実は健康で、女医が虚偽の診断をして、自分を馬鹿にしなかった先生の父親だけを帰国させてくれたらしい。
先生が子どもの頃、酒を飲んだ父親から聞いた話らしいので、信憑性は?だが、
自分にとって、人間性の大切さを教えてくれるいい話だった。
993:名無し三等兵
08/06/29 07:21:13 r+4/+Ely
>>990
父ちゃんの知り合いでシナ帰りの人は重い装備を担いでシナ大陸を歩いた。
昼も夜も関係無し。仲間から外れるとシナ人から何をされるか分からず
怖かったそうだ。そんな話を聞いていたのでシナ人に対する不信感が漏れに
醸造された。
本で「暴をもって暴で報いるな。得をもって報いよ。100万人の軍人軍属
民間人を無事に日本へ帰国させた蒋大総統」と書いてあるのを疑いながら
読んでいたけど嘘じゃなかったんだね。
>>992
「ロシア人は冷酷な奴」と婆ちゃんに散々聞かされてきたし
父ちゃんの知り合いでシベリア帰りの人は体を壊しているのを
見ているとロシア人に対する敵意が漏れの中に醸成されていた。
だけど中には温厚なロシア人も存在するんだね。
994:名無し三等兵
08/06/29 07:48:00 pok8QMDC
白系ロシア人はそれほど残酷でないらしい。やはり中央アジア出身とかは本当にひどいことをした。
まあ比較的という但し書きはつくけど
995:名無し三等兵
08/06/29 09:01:17
同志大元帥書記長閣下て中央アジア方面の出だろ。
996:名無し三等兵
08/06/29 09:22:37 pok8QMDC
そうグルジア人。>>993そんなきれいごとで日本人を扱ったわけでない。戦争中まともに勝てなかった日本人に対し恐怖があっただけ
それが100万もいたらどうなると想像し静かに退散させたというのが真相。
997:名無し三等兵
08/06/29 09:43:55 VFmkeCjv
グルジアのような小国出身のオッサンに滅ぼされたロシア帝国・・・
そして振り回された国民って一体・・・
998:名無し三等兵
08/06/29 09:54:49
逆に考えるんだ
グルジア出身のオッサンがすごかったんだ…きっと
999:名無し三等兵
08/06/29 10:13:24
1000
1000:名無し三等兵
08/06/29 10:17:07 XiT9kyYg
さよなら1000
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