あなたのおじい様の戦争体験を教えて その18at ARMY
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その18 - 暇つぶし2ch238:名無し三等兵
08/05/02 09:17:22
1945年8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没した。

かな。

無事だった船の名前がわからない。

239:名無し三等兵
08/05/02 09:20:07
三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)1945年8月22日

google検索すれば詳細はつかめるかと。

240:名無し三等兵
08/05/02 11:27:54
>>239
調べるの面倒くさいから絵本にして枕元で聞かせてよ

241:名無し三等兵
08/05/02 12:06:52
>>240
>枕元で聞かせてよ
・・・『底の無い柄杓』渡さないといけなくなるような話になって、寝汗かきそうだな

242:名無し三等兵
08/05/02 13:14:55
>>237
続報たのしみにしてます。

243:uaa
08/05/02 16:56:47 op7SJRZL
>>236
第11戦車連隊?
すっげ~かっこいい!

244:名無し三等兵
08/05/02 20:15:02
>240
字の読み書きができれば後は自分でやってくれ



じい様は台湾におったがあまり話をしないなぁ

電線とか電話線とか電柱とかあまりネタにならない仕事ばかりだったそうな

245:名無し三等兵
08/05/02 22:15:20 kxyS0YTu
>>238
>>239
サンクス。
調べてみたけど、無事な船については分からなかった。聞こうにも爺ちゃんは亡くなってるし…
生きてる間にもっと聞いとけばよかった。

246:名無し三等兵
08/05/02 22:58:09
第二新興丸だ。
といっても大破して300人近く死んでるが。
確か搭載砲で反撃して敵潜沈めたんじゃなかったか?

247:名無し三等兵
08/05/02 23:12:00
>>236
>4隻あった艦のうち3隻が沈められたって話を聞いたんだけど、

確か俺の爺ちゃんもそんなこと言ってたような気がする。
記憶違いかもしれないが。

248:名無し三等兵
08/05/02 23:59:25
戦車部隊で97式に搭乗してたらしい。
もっと話を聞いておけば良かった。


249:名無し三等兵
08/05/03 03:46:24 l436Lj0i
インパール戦線にて前線で戦っていた祖父の話。
イギリスやアメリカの陣地が近かったせいか、よく敵軍の輸送機から投下されたパラシュート付きの食料が風に流されて祖父がいる陣地の近くに落ちることが多かったらしい。
祖父の部隊は、偵察にいくふりをして、敵が落とした物資(特にビスケットやコーヒー)を拾ってきて夜にこっそりと―――ウマ――(゚д゚)イ――と言いながら食べてたそうです。
他界した祖父は、あの時のアメリカのビスケットやコーヒーの味が忘れられなかったと言ってました。

250:名無し三等兵
08/05/03 05:04:20 hJP84THS
祖父から聞いた話だけど、曾祖父が潜水艦乗りだったそうで、何かの任務でドイツまで行ったらしいが、帰り道に沈められて戦死したとか言ってた。
詳しくは知らんけど。

251:名無し三等兵
08/05/03 14:11:30 bk4XVLeS
>>249
「チャーチルの給料」と言われていた投下物資ですね。
御存知のとおり日本軍の補給戦はアーだったから
戦場で食べたお菓子の美味しさを実感したのでしょうね。

漏れは台湾の人でインパール作戦に従軍した人の話を
少し聞いた事があります。
赤痢と発熱に苦しみながら担架に乗せられて後方地区に
搬送してもらい助かったそうです。

252:名無し三等兵
08/05/03 15:44:00
うちの爺さんは予科練で土浦とか行ってたそうな飛行服着た写真を見せられたことがあるようなないような・・
それと軍刀携えた写真が飾ってあるんだが、調べたら予科練の制服に佩刀の制度は無いそうで・・
下士官に任官したのだろうか・・今度聞いてみよう。
それとこないだ物置で実弾5発クリップ付きを発見。口径を測ったら6.5mmで三八式のだった。おそらく持って帰ってきたのだろう。

母方の爺さんはまだ子供で、数キロ離れた町が空襲されるのを見てきれいだなと思っていたそうだ。

253:名無し三等兵
08/05/04 12:21:06
爺さんがグラマンのPの顔がはっきり見えたと言ってたけど音速の半分ぐらいで飛ぶ飛行機のPの顔なんて見えるわけないよな。
38を並んで発射してグラマン落としたとか言ってる人だしほらなんだろうな。

254:名無し三等兵
08/05/04 12:53:40
パイロットの顔が見えた発言はよくある
有名人だと松本零次とか
全部がホラだとしたら戦中派の日本人はホラ吹きだらけだな

255:名無し三等兵
08/05/04 13:53:46
>38を並んで発射してグラマン落とした
歩兵はそういう戦法もやっていたようだよ。
もう死んだが、親父いわく、なかなか墜ちなかった。

256:名無し三等兵
08/05/04 14:45:49
単発式の歩兵銃でポンポン落とせたら対空機銃要らんわw

257:名無し三等兵
08/05/04 18:46:13 ddWl4LGV
>>単発式の歩兵銃でポンポン落とせたら対空機銃要らんわw
1,000人が並べば話は別。
そんな人数や物量が日本陸軍にある訳ないがなw。

258:名無し三等兵
08/05/04 20:37:54
フライングタイガースかシェンノートかなんかの本で
日本兵が整列して空に向けて発砲してくる記述があった。
上空から何度も機銃掃射しても逃げずに撃ってきたなんて
書いてあったな。さすが錬度が高かったというか怖いもの
しらずというか。
あと、Pの顔が見えたという話はよく聞くな。
武勇伝的なテンプレなんかも知れんが複数から
聞いたことあるな。



259:名無し三等兵
08/05/04 22:21:45 RfygP53X
>>上空から何度も機銃掃射しても逃げずに撃ってきた
弾道特性が優秀なM2に命中すれば肉体が粉々になるというのに
全く動じないのは凄いな。
我々の御先祖様は勇敢だったんだ。

>>Pの顔が見えたという話
戦時中、池袋に住んでいた父方の祖母から何度も聞かされた。
顔が見えるくらいの低高度を飛行していたのだろう。

終戦時に4歳だった父親から聞いた話:
非戦闘員である農民や漁民を米軍機が機銃掃射した。
「戦争に勝てば戦時中の非行を問われないんだな」
とよく怒りの言葉を口にする。



260:名無し三等兵
08/05/04 22:54:35
親戚のじいちゃんの話だが
ソロモン群島に送られ
敵からも味方からも置いてきぼりにされ
実際の戦闘のの経験の無いまま終戦になったそうだ
しかし小さな島なんで、
食い物には心底、苦労したそうだ

261:名無し三等兵
08/05/04 23:10:55
>>253
銃撃しているときなら、地面に向かってきてるわけだから、狙われてる辺りにいる人なら見えるに決まってるし、
横を掠めて行ったときでも、視力が良くて動体視力も良い人なら、ハッキリ見えても不思議はないんじゃない。
電車がすれ違うときに、10mもない至近でも、目の持って行き方次第で、残像がハッキリ見えることもある。
さすがに新幹線では無理だけど。

262:uaa
08/05/04 23:50:31 Jl4Mx5XQ
>>253
鈴木武樹は軍国少年で、アメリカ人には角が生えてると信じてたが、
ある日、低空飛行するグラマンのパイロットに角が生えてないのを見てアメリカ人も人間だと知ったそうだ。

>>255
歩兵が対空戦訓練として、一斉に仰向けに寝て小銃を構える写真があるよ。
ベトナム戦争でもベトコンがやった。墜とされたジェット機もあるらしい。

263:名無し三等兵
08/05/05 00:33:26
ナム戦の時ハノイじゃ、女子供が小銃で米軍機を撃墜してたそうだ。一見「まさかぁ~」と思うがベトコン曰く、「爆撃進路に入ったら敵機はまっすしか飛べない。投下地点はわかってるのでそこを狙う」「飛行機はハイテクの塊なので小銃弾でも当たれば落ちる」そうだ。

264:名無し三等兵
08/05/05 00:37:17 RNQH67r5
俺のじいさんは満州のコトウ要塞(?)だかにいたとか。戦後はシベリア。

265:名無し三等兵
08/05/05 02:03:13
>>264
それって必殺15榴があったシベリア鉄道沿線の僻地だっけか

266:名無し三等兵
08/05/05 02:15:05
>>264
ここか?

URLリンク(ww3.tiki.ne.jp)

267:名無し三等兵
08/05/05 05:25:38 qcbnemX1
陸軍航空隊のパイロットとして、疾風にも乗った事があるという祖父。
海軍の紫電と、アメさんのF6Fはシルエットが良く似ているので、見間違えて冷や汗かいた事があるって言ってたなぁ。

268:名無し三等兵
08/05/05 11:17:16
ゴールデンウィークで田舎に来てるので爺ちゃんに戦争の話を聞いてみました
爺ちゃんはまだ子供だったけどひい爺ちゃんが戦争に行ってたとのこと
ひい爺ちゃんはニューギニアで終戦だったみたいで戦争が終わってしばらくして帰ってきたらしい
戦争の話はあまりしたがらなかったけど向こうでは食料の補給が少なくて猿ばっかり食べてたから猿って言葉を聞くのも嫌になったって


269:名無し三等兵
08/05/05 12:13:03
大東亜戦争=曾じいちゃん
もう、そんな世代か

270:名無し三等兵
08/05/05 12:18:55
>>268
ん~
俺の思い過ごしかな!

271:名無し三等兵
08/05/05 12:40:32 KwnOsGfP
>>268
「地獄のニューギニア」と言われた戦場ですからね。
曽祖父様が口に出したくない思い出が沢山あると思います。
14人中1人しか生きて帰国できない戦場から復員出来たのですから
それだけ話して頂ければ十分だと思います。

272:名無し三等兵
08/05/05 13:01:39
だいぶ以前、祖父の件を書いたことがあるのだが

祖父が最初の招集で転戦の末に派遣されて病を得たのがトラック島で、
そこから氷川丸が病院船として最後に南方を回った時に帰った、と聞いていた。

で、日本郵船が氷川丸をリニューアルして再公開したので、この連休を機会に行ってきた。
古風な船体に、平時の郵船の上質なサービスやのどかな航海の記録、巨大なB&Wディーゼルエンジンにも感心した。
航海記録がパネルになって展示されていたので、最後の南方への病院船航海記録を探した。
「1944年4月27日 トラック」 あった。

その後のルートが凄い。
「トラック→パラオ→パリクパパン→アンボン→スラバヤ→昭南(シンガポール)→マニラ→佐世保→横須賀」
横須賀帰着は同年6月14日
マジックで写真にルートを書いてみて、めまいがした。これ、1万キロ超えないか?
直線ルートなら数日で行けそうなところ、一月半かよ……「沈められない保証がある?」病院船とはいえ……

90歳を超えて寝たきりになったが、頭はしっかりしている祖父に、
俺の撮影してきたいまの氷川丸の写真を見せ、日付を尋ねた。
「おそらくそのとおりだ」という答えだった。
戦時中の写真は空襲などでなくしてしまったが、従軍の時の日誌がしまってあるから、突き合わせればわかるはずだという。
祖父は「(氷川丸は)一度行ってみたかったが、もう行けなくなった。見てきてくれてありがとうよ」と言ってくれた。

あの船に祖父が乗らなければ、祖父が離れたあと空襲が激しくなったというトラック島で、祖父は命を落としていたかも知れない。
俺もいなかったかも知れない。
老船・氷川丸へ幾ばくなりの敬意を抱くと共に、少しは孝行になったかな、と思った。

273:名無し三等兵
08/05/05 13:39:43
じいさんは2人とも早死にしたんで戦争には行かずだったが、
親父が子供ながらに戦争体験してる

東京へ行くB29の進路の下に住んでたんで
B29特攻する日本の戦闘機を、丘の上で眺めてたら
突然機銃掃射を受けてビックリしたと
夢中で見上げてて気づかないうちに
随伴の米戦闘機が地上付近に来てた
ただ、そのパイロットは本気じゃなくて
子供だから、からかっただけ
低空飛行しながら笑って手を振ってた
もうそのころはアメさんも余裕だよ   ・・・だ、そうだ。

274:名無し三等兵
08/05/05 14:25:10
うちのオヤジは進駐軍が水田に投げるチョコやガムを夢中で拾って5人兄弟全員で分けて食べたっていってたな
ガムは一枚を長兄から順に食べ始めて下に回していくらしいけど最後は味がなくなるんで砂糖を少しまぶして食べたって

275:名無し三等兵
08/05/05 16:27:43
爺さんは酔うと大陸での徴発ボボの話ばかりだった。
日本の軍人は大陸でさんざんひどいことしたんだから中国人に恨まれても仕方ないよ。


276:名無し三等兵
08/05/05 17:14:49
>>275
じゃ爺さん筆頭に一族郎党雁首そろえて中国と朝鮮に謝罪と賠償をしてくりゃいいだろ


277:名無し三等兵
08/05/05 17:40:34
俺には非人間の血は流れてない。有り難い事だぜ

278:その1
08/05/05 17:40:48
昨日プールの帰りに公園のベンチでぼーっとしてたら、知らないおじいさんに話しかけられ、
よくわからないままじいさまは戦争体験を話しだした。
その人は現在86歳、21から26ぐらいまでのおおよそ4年間マレーに行っていたという。
ナマケモノやワニやいろんな動物を見たが、何より恐ろしかったのは虎。
一度人間を食べた虎はまた襲ってくる。
人間を襲うときは、首の後ろに噛み付き、噛み付かれた側が息絶えるまで放さないらしい。
また、幌のないトラックの荷台に兵隊を乗せ50kmぐらいで走っていると、
虎が走ってきて荷台を飛び越える。飛び越えるときに前足の爪で
荷台にいる兵隊の服を引っ掛け、そのまま持っていってしまう。
一瞬のことなので運転手は気がつかず、目的地に着いたら荷台は空っぽだったということも
あったらしい。(「あの千葉の兵隊もやられたなあ」という言葉がリアル…)
あまりに恐ろしいので、軍用犬のシェパードを送ってもらい、出そうとしたら
犬が怯えて出ようとしない。尻尾を足の間にしまいこんで吠えもせず踏ん張っている。
しょうがないので、怯えていてももし虎が来たときには吠えるだろうと思い、
外に繋いでおいたら、次の朝には首輪と耳しか残っていなかったという。
(じいさんは3mぐらいの虎、と言ってたけどそんな大きいのはいないよね?)
もうひとつ恐ろしかったのが「百歩コロリ」という蛇。
30cmぐらいだが、噛まれたら百歩で死んでしまうからそう呼ばれていたらしい。
ただインドネシアの人たちは裸足だったのに比べ日本の兵隊たちは
編み上げ靴を履いていたのでまだ被害は少なかったらしい。
あとキングコブラもいたと言っていた。サソリもいたがそれは別に怖くなかったらしい。

279:その2
08/05/05 17:41:09
終戦後は英軍が飛行機から原爆投下後の広島・長崎の写真をばら撒いてきた。
ほかに情報も入らず、東京もこんな風に焼け野原になってしまったに違いない、
もう日本には帰れないと皆思ったらしいが、シンガポール奪還したこともあり、
投降したら一人残らず英軍に殺されるだろう、
しょうがないからここで畑を耕して何十年か生き延びようという話もあったらしい。
でも捕虜になった後は意外とイギリス人は優しくて、○×中尉(聞いたけど名前忘れた)と
いう人にコーラを貰ったといっていた。
「うちのじいさんは中国行ったんです」と言ったら、
一番大変だったのはロシアに行った人、その次は中国、
マレーの自分たちはまだ良かった方だと言っていた。
そんなことをいろいろ話してそのまま行ってしまった。一体何だったのだろう…

280:名無し三等兵
08/05/05 17:54:57
> 一体何だったのだろう…
2ちゃんに代筆させる企みだろうなw


281:名無し三等兵
08/05/05 18:03:02
>>275
ヒトモドキ乙

282:uaa
08/05/05 18:08:55 7g1rBK5m
>>278
>百歩コロリ
百歩蛇(ヒャッポダ)のことだな。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

>3mぐらいの虎
URLリンク(ja.wikipedia.org)
いるようだ

>キングコブラ
あまりにでかいんで、ニシキヘビだと思って捕まえた日本兵の話を読んだことがある。
料理していたら原住民が来て「日本兵は勇敢だ」と驚いたことで初めてキングコブラだと知ったそうだ。
捕まえた日本兵は熱を出して寝込んだそうだ。


283:名無し三等兵
08/05/05 18:28:31
スレ違いかもだが。
婆ちゃんが曾婆ちゃんだかに教わった数え歌。

いちれつだんぱん(談判)、はれつ(破裂)して、
にーちろせんそう(日露戦争)はじまったぁ。
さっさとにげるはぁロシアの兵、
死んでもつくすはぁ日本の兵。
五万の大軍引き連れてぇ、
六人残して皆殺しぃ、
7月8日の戦いでぇ、
ハルピンまでもぉ、せめよせてぇ、
クロポトキンのくぅび(首)をとりぃ、
東郷大将ばんばんざーい、ばんばんざーい。

こういうの、記録には残らず消えていくんだろうな。

284:国を追うのも、人を殺すも、誰も本意じゃないけれど
08/05/05 18:38:18
>>283
♪宮さん、宮さん お馬の前に
 ひらひらするのは何じゃいな・・・

この歌も、しっかり“記憶”と“記録”に残されています。
あなたがご紹介の歌も、
私は知っていましたよ

結論:小沢昭一なめんなw

285:名無し三等兵
08/05/05 20:09:11
>>283
元々はもっと古い「日清談判」の派生バージョンだろうが、
日露戦当時とその後、戦前を通じて子供の間で長く歌われた数え歌の一つだから
ちゃんと記録に残ってるよ。音声も。


スレ違いだが、小沢昭一は初対面の香具師(露天商ですよ)同士が仁義を切り合う様子まで
昭和40年代に取材してテープ録音にも残している。
(渥美清が寅さんに扮して演じた「生まれも育ちも~フーテンの寅と発します」の、あれね。
香具師とか渡世人とかが、初対面で「お控えなすって」と口上を交わしあい
互いに敬意を表しながら自己紹介して、同類としての挨拶をする儀式だ)
ああいう世界の記録採取は貴重だね。

286:名無し三等兵
08/05/05 23:28:31
全然大した話じゃないんだけど、婆ちゃんが空襲が来た際に町内の鐘?をガンガン
鳴らす係りをやっていたんで、逃げ足だけは誰にも負けん!ってよく言ってたなぁ・・・・。

287:名無し三等兵
08/05/05 23:34:58
何故か「八百屋お七」というキーワードを閃いた・・・・。

288:名無し三等兵
08/05/05 23:41:22
昨日親戚が集まったんで婆さん囲んで世間話してたんだが詰まらん内容だったんで
つい横でうたた寝してしまった。
起きたのは婆さんが放った「機銃掃射」と言う言葉に脊髄反射してだった。
後で母ちゃんに聞いた話だと爺さんの出征話やら内地での苦労話やらスレ的にネタになるような
おいしそうな話ばかりだったようだ。
婆さん普段戦争話はしないんだが気分よかったのかかなり盛り上がったようでかなり興奮して
喋っていたようだった。

なにやってんだ俺。

289:名無し三等兵
08/05/06 00:16:47
>>252
お前さんかなり若そうだな

290:名無し三等兵
08/05/06 00:35:21
>>287
うちの婆ちゃんは火なんか点けとらんぞ!o(`ω´*)o
・・・タブンナー

291:名無し三等兵
08/05/06 01:11:46
昔家の婆さんに戦争体験を聞いたら、「田舎の農村も戦中戦後とひどい食糧難だった。苦労して収穫したカボチャをリヤカーに積み込み、ちょっと目を離した隙にリヤカーごと盗まれたことが一番腹が立った」とまるで昨日の事の用に怒ってた。

292:名無し三等兵
08/05/06 01:24:54
ウチの近所(田舎)に住む二人のおじいさんの話

Aさん(農家)「ひもじい思いをした記憶はないなぁ…」
Bさん(散髪屋)「ウチの妹は栄養失調で死んだ。
          オヤジはあちこちの村に散髪しに行って必死に食料を集めた。」

293:名無し三等兵
08/05/06 02:04:01
戦中の農家の大半は小作人で、先祖代々の土地持ちは少数だったそうです。
一番お金になる米は地主と軍部に殆んど取られ、米なんてお盆と村祭りにしか食べれなかったとか。
Aさんは土地持ち農家では?

294:名無し三等兵
08/05/06 03:13:12
>>293
オイラが住んでる地域ではその例は当てはまらんよ。

Aさんは土地持ち農家であることは間違いないが「大地主」ではないよ。
オイラが住んでる地域の古くから有る農家はほぼすべて先祖代々の土地持ちなのサ。
確かに「地主」と呼ばれる家は何件かあるが、それは他の家よりも
ほんのちょっと多くの田畑を所有している、という程度の話。
その「地主」も他の家同様、小作人を雇わず自分で耕して米を作ってたらしい。
(そもそも小作人を雇うほどの広さじゃないし)
んで、Bさんちは田んぼも畑も持ってなかったと思うな。

ウチのばーさん「お金はなかったが米はあったので、
          ○○(漁村)からリヤカーで魚を売りに来た人に米と魚を交換してもらってた。」
Cさん(大工)「昔の日当は米二升だった。
         金持ちという意味ではないが百姓の人をうらやましく思った。」

貨幣経済?ナニソレ?

295:ZII ◆RPvijAGt7k
08/05/06 03:58:46 3hBD8qoL
私はフィリピン戦遺族会「曙光会」に入っています。
以前は武蔵の元乗組員の方が来られましたが、今回は愛宕から大和に移乗した
栗田司令部付の方が来られるかもしれません。
今年の北海道支部の会合開催は海軍記念日の5月27日、定山渓のいつもの某ホテルです。

296:名無し三等兵
08/05/06 08:57:41
栗田はなんで対潜警戒しとらなんだのかよーう聞いておいてくれ。

297:名無し三等兵
08/05/06 10:43:18
宇垣との確執で頭が一杯だったから

298:名無し三等兵
08/05/06 13:03:25
家の近所に疎開してた宮さまのお宅の台所には、アメリカの飲み物がたくさん積んであったそうな…
いつの時代にも、あるとこにはあるんだ。

299:名無し三等兵
08/05/06 13:40:03
戦後の宰相、吉田茂は
戦時中にお気に入りの輸入葉巻を備蓄して吸っていたし、
外交官としてイギリス赴任中に購入し、持ち帰ったロールスロイス25/30HP
(ロールスの中型セダン。没後に婿であるローゼン閣下の父・麻生多賀吉が引き取った)
も、他の有力者みたく軍に差し出したりはせず、手元で保管してたぐらいだもんな。

サントリーがウィスキーでシェアを伸ばしたのは、海軍で角瓶をスコッチの代用にして貰えたところが大きいが、
ワンマンのあの人だったら、ジョニ黒かオールドパーを隠匿していても不思議じゃないw
外交公嚢でいろいろ持ち帰れただろうし。

(外交官はいろいろ職権濫用できる。
ボサノバの生みの親の一人でオールマイティの詩人・ビニシウス・ジ・モライスはブラジルの外交官でもあったが
欧州からの帰国に際して外交公嚢でスコッチの「ヘイグ」10ダースを税逃れで持ち込んだ。
長期休暇を取ると、ギタリストのバーデン・パウエルと一緒にアパートに1ヶ月引きこもって作曲作業に熱中、
後世に残る名曲を10曲以上仕上げたが、その時には10ダースのヘイグが空になっていて、二人はそのままアル中治療のため入院した)

ウチの爺さまは陸なんで、南方では日本酒メイン、たまにビールだったそうだが。
部隊長の従兵で呑み相手だったからずいぶん飲めたと言ってた。

300:名無し三等兵
08/05/06 14:07:08
>>299
部隊長さんとお爺さんの階級ってどんなもんなんだろ?

301:名無し三等兵
08/05/06 14:38:43
部隊長は当然佐官だが、爺さまは上等兵だったと。
部隊長は酒好きなんだが、
それまでの従兵のイビキが酷くて眠れなかったのと、参謀たちに酒好きがあまりいなかったんで
酒が飲めて大人しく話し相手になる爺さまが抜擢されたそうだ。

部隊の隊旗を持つことになった時も士官たちから
「さほど古参でもない招集の上等兵ではいかがなものか」とか言われたが、部隊長が構わんと言って通したらしい。


302:名無し三等兵
08/05/06 15:07:54
>>301
レスthx
お爺さんは上等兵ですかい!
隊長の人柄にもよるだろうが最初はかなり緊張したんだろうなw


303:名無し三等兵
08/05/06 15:30:40
隊長は温厚な好人物だったと言ってるよ。

補給の連中からは、隊長の命で燃料(笑)を取りに行くたびに
「隊長のおかげでおまえばかり飲みやがって」と妬まれたそうだが。

304:岡崎の人
08/05/06 18:43:03 PWB9oLzT
俺の爺さんは昭和20年8月20日 岡崎空襲の体験者
その時は14歳、真夜中の爆撃音で目が覚めて焼夷弾の落ちる中を必死で
逃げたらしい。次の日には一面の焼け野原、所々で人々の叫び声・うめき声
が聞こえてきてこの世の状態ではなかったと話してくれた。
話を聞いた後には震えていたよ。


305:名無し三等兵
08/05/06 18:52:10
なんかこうさ もっと血沸き肉踊るような爺さん武勇伝はないもんかね

306:uaa
08/05/06 19:19:35 uO7CORCb
>>298
天皇陛下が質素な食事をしてた時も宮家の中には贅沢な食事をしてた所があったそうだ。

307:名無し三等兵
08/05/06 19:27:44
>>304
おいっ、日付!

308:名無し三等兵
08/05/06 21:20:15
>305

異世とやらの住人が迷い込んで来たんだろう。
ほっとけ。

309:名無し三等兵
08/05/06 21:50:45
友人の曽祖父の話だが、仕事で満洲に行ったそうで、
そこでなんと、かの伊藤博文閣下を見たらしい。
・・・伊藤閣下が安重根の凶弾に倒れたのは、その次の日だったそうな。

310:名無し三等兵
08/05/06 22:01:01
>>309
俺が子供の頃近所に住んでた爺様は、原敬だか暗殺現場に居合わせたと言っていた。

311:名無し三等兵
08/05/06 22:53:34
祖父の話ではないが・・

つい先日、親父の長兄(親父は5男2女の末っ子)が戦争で死んだ話をしていて、
死んだ先がパラオだったといっていた。
玉砕だったそうな。



312:名無し三等兵
08/05/07 04:43:40
>>311
奇遇だな。
うちの爺様はアンガウルで死んだよ。

313:名無し三等兵
08/05/07 05:34:25
以前勤めていた会社の会長は幼少の頃、
渋谷駅でハチ公と遊んだらしい。2・26事件も目撃したとか

314:名無し三等兵
08/05/07 14:38:48
徴兵すっぽかして山へ逃げて終戦まで逃げ切ったじいちゃんは神。
親族はひどいめにあったらしいけど、戦争で死ぬよりはましだよな。

315:名無し三等兵
08/05/07 15:04:33 xGh5kHYt
戦艦武蔵の乗組員で艦と共に沈んだ祖父の事を、祖母は「立派な海軍さんじゃった。」と、額縁に飾られた真っ白い軍服姿の遺影を毎朝惚れ惚れしながら見て、今でも夫の事をとても誇りにしとるみたいだ。

316:名無し三等兵
08/05/07 15:15:05
>>314
ナニが神だよただの卑怯者じゃねえか。お前の一族チョンだろ!さっさと祖国に帰れカス!

317:名無し三等兵
08/05/07 15:19:37
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。

日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。

しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。

つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。

それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。

株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。

金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。

海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。

318:名無し三等兵
08/05/07 18:05:12 x3hsoH7b
俺のじい様の戦友の話。じい様の戦友の人は九州南部にある赤江飛行場と言う場所から特別攻撃隊として52型の零戦で出撃したがなぜか無事生還してアメリカ軍の捕虜になった。
理由は、敵艦隊に接近する際に米空母の護衛戦闘機隊に追い掛け回されて海面すれすれまで逃げ回ったが撃墜され着水→コクピットから脱出して飛行服のまま浮かんでいた→そして米軍の駆逐艦に救助されたらしい。

319:名無し三等兵
08/05/07 18:22:31
>>318
同じ様に特攻に失敗して海面を漂っていたパイロットが、救助しようとした米軍の目の前で、手榴弾で自爆した瞬間の動画なら見た事ある

320:名無し三等兵
08/05/07 18:35:01
カワイソス.....

321:名無し三等兵
08/05/07 18:46:26
近付いて来た米艦(機)が問答無用で機銃掃射で止めさしたってのもあるから、
その方は運が良かったんだろう。

それ以前に救助されないまま鱶の餌なんてのも往々にしてあるからなぁ…

322:名無し三等兵
08/05/07 19:59:00
>315

うちの婆さまニューギニア戦死した弟の写真大事に持っていたな。
飛行機乗りだって自慢しとったしお墓にも飛行兵曹と大書してあるけど・・・。
写真には何故か軍艦霧島と・・・。


323:名無し三等兵
08/05/07 20:12:09 zU5zmXlC
水偵乗りでは?

324:名無し三等兵
08/05/07 20:19:12
なるほそ

325:名無し三等兵
08/05/07 20:58:27
漏れの爺さんは終戦直後、大胆にも米軍基地に忍びこみ泥棒をしていたが
ついに歩哨に見つかり命からがら逃げのびたといってた
それでやっぱり泥棒は割に合わないと、素直に?ヤミ屋になったとかw
なんでも米軍は進駐直後はかなりピリピリしていたが、日本人が羊のようにおとなしいと解ると
あっというまにだらけてしまったそうだ。

326:名無し三等兵
08/05/07 21:01:32 zU5zmXlC
戦艦の水偵乗りは飛行時間2000以上の腕の良い飛行士だとか。ソースは書籍『大空のサムライ』のどこか…思い出せません。
自慢の弟だと。

327:名無し三等兵
08/05/07 21:37:28
自衛隊でもPS-1のパイロットはプロ中のプロらすいよと言う噂。水上機ってかなり難しいんだろね。

328:名無し三等兵
08/05/07 21:46:52
偉大なる祖国
勇気溢れる偉大なる先人達へ敬礼

329:名無し三等兵
08/05/07 21:47:48
>>327
>PS-1のパイロット
硫黄島の基地からポリネシア辺りまで救助に出撃、
他の国の救助隊が着水を躊躇う波頭の中を着水強行する

330:名無し三等兵
08/05/07 21:53:10
飛行艇でも横波があると着水は至難の業だろうから、
況してや下駄履きの水偵ではかなり高度な技術が。
戦闘中の着弾観測なんか戻って来ても回収されるかわからんしね。

331:名無し三等兵
08/05/07 21:54:12
艦載の水上機のパイロットは、海軍のパイロット100人に
一人が空母パイロットに成れ、空母パイロット100人に1人が
艦載のカタパルトパイロットに成れた。
なんて読んだ事ある。まあ、誇張だろうけどね。

332:名無し三等兵
08/05/07 22:01:44
PS-1は荒れた海でも着水できるって学研の図鑑に書いてあったよ!

333:名無し三等兵
08/05/07 22:32:45
>>322
もしくは元は霧島乗り組みで、後に飛行機に転科したとかね。

334:名無し三等兵
08/05/08 00:20:21
>>322
>>333さんの推理に同意
坂井三郎も霧島や榛名の砲手だったしね
転科は、すごい優秀じゃないと合格しなかったらしいぞ!

335:名無し三等兵
08/05/08 01:46:52
ここで聞いてもいいかな?俺の母ちゃんは宮城県の田代島という所の出身です。そんな小さな島にも敵機が飛んで来たそうです。
戦略的に見て小さな島に攻撃をする意味があるのでしょうか?また終戦後には進駐軍が居たらしいのですが、これもまた小さな島に駐留する意図は何でしょうか?

336:名無し三等兵
08/05/08 02:09:55
朝鮮戦争時、祖父は米軍基地(今は航空自衛隊の基地)で前線部隊への
補給物資の整理の仕事をやっていたとのこと。でその基地で一人の朝鮮人に出会いその人から
「今度故郷に帰る事になったから内地の記念に何か欲しいんだ」
と言われて自分の万年筆をあげたとの事。で代わりにタバコを何箱もくれたそうな。

ノムヒョンが大統領の時の反日関連のニュースをみて寂しそうに語ったのが印象的だったな・・。

337:名無し三等兵
08/05/08 02:11:17
>>335
地図で見ると、金華山と仙台を結んだ線の近くにある島ですよね。
その島自体が目的で飛んできたわけでははなくて、仙台方面への進入路だっただけでは?
牡鹿半島と金華山を目標にして来て、金華山あたりで西に向かったとか。
帰りも、金華山あたりで方位を定めたとか。
進駐軍がいた理由は分からないけど、通信施設でも作ったとかですかね?
いずれも、地元の役所とかに歴史資料があるのでは?
といっても、母方の田舎というだけで、気軽に行けるほど近くはないのかな?

338:335
08/05/08 02:49:06
>>337
すいません重大な事を忘れてました。隣町から引っ越した時には既にあったのですが、地元には松島基地があります。
もしかしたら基地を目標に飛んで来たのかもしれません。これが正しければ質問の意味さえ無くなってしまいますね。
本当にすいません。
母ちゃんも当時は4歳で空襲警報が怖かったのと進駐軍から綺麗な色の飴を貰った事しか覚えてないようで、どうやって当時を調べたら良いのか困っていましたが、おっしゃる通り市役所で資料が残っていないか問合せてみます。
わざわざ地図を調べて頂いて有難うございました。

339:名無し三等兵
08/05/08 03:11:55
>>338
松島の飛行場って戦時中に既にあったのかな?
それはともかく、仙台も空襲の目標だったんじゃないですかね?
調べて分かったら教えてね。

340:名無し三等兵
08/05/08 03:16:17
>>338
なお、米軍機が跋扈した末期には、残存していた航空兵力を集中させていた一部を除いて、
飛行場があっても、飛行機も乗員もいなくて機能してないほうがむしろ普通だったみたいです。
その基地のばあいにどうだったか、土台からしてあったのかも調べてないから知らないですが。

341:338
08/05/08 03:22:31
>>339
テレビ映画バンドオブブラザーズのワンシーンで、
ウェブスターがオランダ人の子供にチョコをあげる微笑ましいシーンがあって、それが何だか母ちゃんが飴を貰ったと言う話と重なってしまって。
調べて分かりましたら報告にきます。

342:uaa
08/05/08 04:09:05 igJvruWQ
>>319
浮いてる特攻機をピストルで射殺する映像が You Tube にあった。


>>339
自衛隊の飛行場は殆どが戦前・戦中からの飛行場。普天間は米軍が作ったんだけど。
戦後作られたのは秋田と舞鶴だけ。
秋田は民間空港に間借りしているだけだから、自衛隊が新しく作ったのは舞鶴だけ。

343:名無し三等兵
08/05/08 11:34:32
結局、戦争で死ぬかどうかなんて運しだいだよな。
俺の爺ちゃんは徴兵されて南方への輸送船が出航する前日精がつくようにと
ひまし油飲み過ぎてひどい下痢になって助かった。その輸送船は潜水艦の攻撃で撃沈されて全員戦死
したそうです。

344:名無し三等兵
08/05/08 11:57:58
>>331
彗星夜襲で有名な芙蓉部隊も元々は美濃部少佐が水偵乗りの技量に着目して組織した部隊だもんな

345:名無し三等兵
08/05/08 19:20:07
>>343
いいな、羨ましい
俺の爺ちゃんのお兄さんも同じように南方に行くために輸送船に乗ったんだが
途中で潜水艦に雷撃されて沈没
乗船していた全員が死亡したそうだ
今は家の額縁に写真がぽつんと飾ってある
遺骨は今もどこかの海の底…
できれば拾って里帰りさせて実家のお墓に収めさせてあげたいが…

346:名無し三等兵
08/05/08 21:15:57 ChQhMCrF
引き上げ船で、グラマンの機銃掃射受けて、死亡。


347:名無し三等兵
08/05/08 21:46:48
>339

松島なら終戦間際にサイパン降下作戦用に残った陸攻とダグラス集結させてたぞ。

呉鎮101特別陸戦隊とか剣作戦、園田直でぐぐって見。

348:名無し三等兵
08/05/08 22:29:38
>>343
そもそも、ひまし油って下剤なんだが・・・

349:名無し三等兵
08/05/08 23:39:54
 おれの義父は,松島航空隊にいたそうだ.
予科練(たぶん)で,練習機までぐらいしか乗れなかったそうだが,
終戦直前の空襲で,仲間が大勢やられたらしい.
たまたま皆と違う方向に逃げたので助かったとか.


URLリンク(www.pacs.co.jp)


350:名無し三等兵
08/05/08 23:40:59
>>342
なるほど、そういわれてみれば、「非常時」でないと容易に作れるものではないですね。

351:名無し三等兵
08/05/09 00:17:32
ウチの爺ちゃんは今年で85になるけど、戦前は陸軍工兵で大陸に行ってました。
歩兵よりも体力使うから辛かったって言ってたけど、終戦後は3年くらいに現地に留まり遊んで帰ってきたと言うが…(汗


352:名無し三等兵
08/05/09 19:34:42 wjO1eWpr
男子校の県立高校教師で校長の転勤命令に逆らい続け、転勤皆無で同じ高校に定年まで勤務。
趣味は生徒をビンタする事と、登山と海外旅行と歴史書を読む事と、野球観戦に国会中継罵倒。
大学受験に落ちてうろうろしてたら徴兵され、地獄のビルマ戦線に衛生兵として送り込まれたそうだ。
命からがら生き残り奇跡的にビルマから帰還して、大学に入りなおして教職についた。

戦友会は毎年出席していたが、赤旗も一時取っていてデモもやったことがあり、洗礼名も持っていて
わけわからん矛盾した人だった。
書斎には「共産党宣言」と「我が闘争」とソルジェニーツインの「がん病棟」と「収容所列島」と
「ドイツ参謀本部」と「ゼロ戦」と「一億人の昭和史」と「旧約聖書」と「エロ本」
留守中に入り込んでアウシュビッツのグロ写真や拷問史を見たりした。戦争関係の歴史書は豊富だった。

ヤクザに絡まれて喧嘩をして爪をはがして定期も取られて、帰ってきた事もあるらしい。
戦争に行った人間はサバイバル精神がすごく地震のときも野宿して帰ってきた。
行軍中に川を泳いで泥水を越して飲んだとか。すごすぎる。
父が言うにはよく戦友がよく遊びに来て軍隊時代の内務班の新兵時代のいじめとか、
苦しかった頃の思い出話をしていたらしい。あの世代の戦友との一体感はすごいらしい。
でも保守ではなく妙に進歩的でわけわからんひとだった。

おかげで歴史に興味を持つようになり、同世代よりは詳しくなった。



353:名無し三等兵
08/05/09 19:40:01
収容所「群島」じゃね?

まあそれはいいとして、すんばらしいはなしだな。ビルマ

354:名無し三等兵
08/05/09 19:43:06
>>352
教職と軍隊体験以外は俺とよく似た先生だなぁ。
特に読書傾向。
同じ学校にいたら気が合いそうだわ。

355:名無し三等兵
08/05/09 22:20:11 h7TCKl5B
>>352
真の漢だな

356:名無し三等兵
08/05/10 00:57:03 xxaKT8gt
さっき爺さんが死んじゃった。
マレーを統治していた頃日本語の先生として赴任してきました。
ところが戦局の悪化で兵として駆り出されてニューギニアへ
何とか生き延びて復員できたそうです。

しかし脳梗塞で5年寝たきりで、昨日の23時30分頃亡くなったそうです。
人間の運というものは分かりませんな。これで戦争に行った爺ちゃん2人とも居なくなった。
正式な軍人とはいえないでしょうね、でも戦友会には入ってたみたい。

357:名無し三等兵
08/05/10 02:03:52
俺のじっちゃんの兄は「もや部隊」にいました。
親戚ながら家が近かった事もあり、ガキンチョの頃からよく遊びに行き、蛇を食った事、抑留での惨々たる出来事を聞き子供ながら酷い事だと感じていました。
俺のじっちゃんは国鉄に勤めていたということもあって、生まれてから戦争なんぞ行ってませんが兄を大変に誇りに思っていたようです。
俺が高校三年の5月5日に逝ってしまいましたが前の月、4月はピンピンしながら兄から又聞きの戦争体験を話してくれ、じっちゃんの兄たちが自費で出版したもや部隊戦記をくれたのを覚えています。
ものすごく誇らしげに


「兄はシベリアに行ったが日記を隠して毎日書いていた。この中でも一番いっぱい書いているんだ。それをおまえに見せられるのはとてもいいことだよ」
と言ってくれました。
私の家からすぐそこにはA級に指定されてしまった方の生家がありますし、石原完爾さんの生家も職場の近くです。

友人は戦争?はぁ?みたいのもいますが俺はめっちゃ無茶しながら頑張って生きたじっちゃんとその兄と5人の兄弟を尊敬できることをじっちゃんと同じように尊敬してます。

あぁじっちゃんと酒は飲んだが麻雀できなかったなぁ…




358:名無し三等兵
08/05/10 02:07:03 V72bflGo
>>356
合掌…。

359:名無し三等兵
08/05/10 02:09:55 vQJgXOMZ
俺の・・・・・・
父方の爺様は戦時中郵便局にいたがなぜか徴兵されなかった。
母方の爺様は戦時中農業委員であった為に徴兵が免除された。
ところが、
父方の祖母の弟は戦時中船舶工兵として招集され・・・・・
広島にて20年8月14日戦傷死、原因は例のアレですわ。
母方の祖母の兄は予備役砲兵中尉として招集され・・・
帰って来ちゃいました。
なにぶんなぜか父方は母方合わせても女だらけの兄弟でして、
なんという戦死率の低さよ。サーセン。

後年
俺→陸自にて幹部として5年間勤務(上官のやり方に頭に来てやめた)


360:名無し三等兵
08/05/10 02:10:28
>>356
おじいさまのご冥福を祈っています。

めっちゃ懸命に生きた人なんだろうと思います。

やっぱりじっちゃん達はすごい。

>>356
うちらも頑張ってきましょうや



361:名無し三等兵
08/05/10 02:19:50
俺の爺様は落下傘部隊にいたが、落下傘って過酷なの?

362:名無し三等兵
08/05/10 02:31:56
>>361
どこの国でも空挺は精鋭とされており、我が国も然り。

363:名無し三等兵
08/05/10 02:32:45 k+VKzRtE
祖父ちゃんは帝大出て海軍士官になったとか言ってたな。
おそらく短期現役士官のことだと思う。

主計将校として厚木基地で終戦を迎えて、戦後は銀行員。
本人曰く「やってることは大して変わらなかった。」

黒部川発電所建設の資金調達に関わってから、関西電力の
社史に名前だけ登場する。

364:名無し三等兵
08/05/10 07:18:14 Z0fd/jsR
東北抗日聯軍で日本軍と戦ってた

365:名無し三等兵
08/05/10 07:25:06
ちなみに日本軍の部隊をかなり壊滅させたらしい
解放後は粛清されかけたので大阪へ逃げたけどな

366:名無し三等兵
08/05/10 07:35:47
>>363>>365
いろいろな「戦後」があるなあ……

主計将校の「やってることは大して変わらなかった」
抗日ゲリラなのに日本へ亡命

原爆で死んだり、21世紀まで生き延びたり、運命もいろいろだ

367:名無し三等兵
08/05/10 07:36:52
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。

日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。

しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。

つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。

それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。

株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。

金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。

海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。

368:名無し三等兵
08/05/10 07:44:57 w4Im5chv
昨年亡くなった私の祖父は、義烈空挺隊員だったそうで、隊員達は十数機の航空機に分乗し、沖縄へ向けて出撃したが、乗っていた爆撃機の発動機が不調でやむなく途中で引き返し、次の出撃を待つも天候不順続きでなかなか命令が出ずに、そのまま終戦を迎えたと言っていた。

もし発動機が順調だったら、おそらく自分は生まれて来なかったわけで、何だか運命的なものを感じました。

369:名無し三等兵
08/05/10 07:51:49
>>356
の爺様に

帽振れええ

370:名無し三等兵
08/05/10 08:35:10
父方の祖父の場合。
小作をいくつか抱える関東平野の米農家出身。
体格はいいが荒事苦手。釣りとクラシック音楽が好き。
製本職人で兵役は免除されたっぽい。
東京が空襲で燃える様が遠くから見えたらしい。
住んでた集落にも米軍の爆撃があって知り合いの家が吹っ飛んだらしい。

母方の祖父の場合。
豪雪地帯の貧農出身。体格は悪くなくスポーツ万能で徴兵検査も甲種合格。
弱い者には手を出さず、強い者にも敢然と立ち向かう人だったらしい。
肩章付きの軍服着た写真があるところをみると、それなりに長いこと軍人やってたらしい。
最終階級は曹長。満州だか朝鮮だかでソ連軍に降伏してシベリアに連れて行かれて鉄道建設に従事したそうな。
宿舎を建設するところからやらされ、栄養失調と寒さで次々に死んでいったと語ってた。

戦闘については興味無かったんで聞かなかった。

371:名無し三等兵
08/05/10 12:31:19
徴兵ばっくれて逃げ切った俺の爺様が最強の勇者だな。

大日本帝国にうち勝った爺様に敬礼!

372:名無し三等兵
08/05/10 12:32:16
うちの窓から時折見える落下傘演習はそんなにスゴい人たちだったのか
確か入り口に「第一空挺団」と書いてあったな

373:名無し三等兵
08/05/10 12:49:48
家の爺ちゃんは戦車隊として中国戦線で戦い
ソビエト参戦により日本軍が降伏したためシベリアへと収容された
シベリアへと向かう中での列車から見えた湖を日本海だと勘違いして日本に帰れると思ったらしい

374:名無し三等兵
08/05/10 13:29:49
>>372
降下作戦では重火器を持って行く事が難しいんで個人携帯火器だけ
で戦わなければならない場合もある。
それに空挺部隊は敵の勢力圏に降下して破壊工作を行ったり、
後方撹乱や拠点の制圧等で味方の進撃を援護する事もあるが、
友軍の来援が無ければそのまま包囲されかねないしね。
孤立無援でも戦える様に空挺は特に優秀な兵士で編成されてる。

第一空挺団も陸自のエリート部隊だよ。

375:名無し三等兵
08/05/10 15:55:21
空挺が精鋭揃いなのはそういう理由があったのか。

376:名無し三等兵
08/05/10 17:03:38
精鋭無比

377:名無し三等兵
08/05/10 18:17:54
>>365
「義烈空挺隊」ってさっきググってみたけど、当時の日本軍人は勇敢だなぁとしみじみオモタ。

378:名無し三等兵
08/05/10 18:28:28
>>377
一緒に戦ってくれた高砂族の人々もたまには思い出してあげてくださいね。

379:名無し三等兵
08/05/10 18:48:30
義烈空挺隊は陸軍特攻隊と近い扱いで知覧の資料館に展示されているね。
しかし、成功率低すぎ、敵掌握飛行場に胴体着陸難しすぎ
成功した奴の攻撃力凄すぎ

380:名無し三等兵
08/05/10 18:51:20
>>378
高砂族の皆さんが参加したのはレイテの薫空挺隊では?

381:名無し三等兵
08/05/10 20:38:40
>>361
つ空の神兵

382:名無し三等兵
08/05/10 21:18:22
>>362
そっか…
生き残った隊員達と写真取ってるのもあったからなあ
もっと色々と話を聞いておくんだったよ

383:名無し三等兵
08/05/10 21:44:35
パレンバン降下作戦には参加されたのだろうか。

384:名無し三等兵
08/05/10 23:24:26
幹部候補生学校の研修で義烈空挺隊終焉の地を見に行った
ただっ広い平原にポツンと記念碑みたいなのが建ってるだけというのが寂しいやらなんやら…

385:uaa
08/05/11 00:32:28 myY/cfeD
>>357
大川周明?

>>361
戦争中の日本の落下傘は開傘率が 99.0 % 位だったそうだ。
100人飛び降りたら1人は確実に事故死。
大規模な演習の後は火葬場がフル稼働だったらしい。

386:名無し三等兵
08/05/11 00:43:22
>>383
実家に帰ったとき、空挺写真集?があったな
ひょろひょろで伊達眼鏡をかけた写真があったけど、そんな爺様が輸送機から飛び降りていったんだねぇ


387:名無し三等兵
08/05/11 01:01:37
義烈空挺隊の隊長も眼鏡だったような…

388:名無し三等兵
08/05/11 01:16:47
>>387
そんな立派な人じゃないなw
でも、うろ覚えだけど乗ってた輸送機が落ちて海を漂流したとか言ってたんだよねえ
俺が覚えているのってそんぐらい

389:名無し三等兵
08/05/11 01:46:53 UMSvGoBB
①祖父ちゃん達、マラッカ海峡辺りを輸送船にて移動中
②突如、輸送船の目の前に潜水艦浮上
③祖父ちゃん、持っていた軽機関銃を潜水艦に向け発砲
④驚いた潜水艦、急速潜行
⑤祖父ちゃん達、「撃退した」と大喜び
⑥怒った潜水艦、輸送船に向け魚雷発射
⑦輸送船、魚雷で吹っ飛ぶ
⑧祖父ちゃん達海に投げ出される
⑧祖父ちゃん漂流
⑨数時間後、味方駆逐艦、救援に到着
⑩祖父ちゃん、駆逐艦に発見されずそのまま漂流
⑪被弾より17時間後、祖父ちゃんようやく違う駆逐艦に救助される

祖父ちゃん、生きててくれてありがとう


390:名無し三等兵
08/05/11 03:21:42 XljNRJuE
>>238
うちの祖父はそれで、全員死亡とされているはずの船の数人しかいない
生存者の一人です。犬HKから取材の申込あったが断ってた。


391:338
08/05/11 10:57:53
>>349
田代島については書かれてないので市役所で調べてみますが、松島基地は大戦当時からあったんですね。
5回も空襲爆撃されたとか終戦後500人のアメリカ兵が接収しに来たとか。
有難うございました。

392:338
08/05/11 11:02:51
*追記 自分も調べますがその接収部隊は第11空挺師団でしょうか?

393:名無し三等兵
08/05/11 19:49:01
戦中でも爺様の話でもなくて父の話だが。
佐世保に住んでいたんだが、よく米軍基地に遊びに行っていたらしく、
一緒にサッカーやラグビーをしたり、泳いだりして遊んだそうだ。その写真が今も飾ってある。
誕生日を米兵と祝ったりもしたらしい。
基地の敷地に顔パスで入っていたとか、そんな話も聞いた。
流石に誇張も入っていると思うが、一応聞いたままを報告。


394:名無し三等兵
08/05/11 19:51:17
それと、友人の爺様の話。
戦後様々な国(主に中東諸国)へ仕事などで行っていたらしい。
ターバン巻いてAK持った男と肩を組んでいる写真などを見せてもらった。


395:名無し三等兵
08/05/11 21:24:05
戦争体験書けよ

396:名無し三等兵
08/05/11 22:38:59
うちのじいちゃんは船乗りで、戦時中は軍に徴用されて働いていた。
終戦まで働いていたようで勲章も貰ったらしい。


397:名無し三等兵
08/05/11 23:47:01
>>387
こちら↓の方ですな
URLリンク(www.horae.dti.ne.jp)
・・・奥山大尉は、陸軍幼年学校からのバリバリの職業軍人です

この写真↓
URLリンク(www.horae.dti.ne.jp)
は、奥山大尉の機転のおかげで『検閲に通る写真』になりました...

398:名無し三等兵
08/05/12 18:52:37 4TtAORcN
海軍の一式陸上攻撃機の後部20mm機銃の機銃手だった親戚の爺様の話だわさ。
なぜか飛行兵の弁当は白米と梅干しに飲み物はラムネが多かったらしい。
防弾がほとんどない死亡率90%のこの機体に乗っていたが、南方の基地に配属された為にあまり交戦回数が少なく、なんとか終戦まで生還できたとの話ですが、爺様の話では20mm機銃は弾が重いから真っ直ぐ飛ばずに下に落ちていくみたいだったと言ってますた。

爺様曰く、あんな危ない機体には二度と乗りたくないと言う話です。

399:名無し三等兵
08/05/12 19:45:42
>>398
この映像↓
URLリンク(jp.youtube.com)
で、20mmのションベン弾具合がイヤと言うほど判ります

400:名無し三等兵
08/05/12 20:12:41
以外と火吹かないものだな。
もっと派手に燃えるかと思ったが。

401:名無し三等兵
08/05/12 21:29:31
ワンショットライター→一式陸攻
ワンショットライターの兄→九六式陸攻

402:名無し三等兵
08/05/12 22:22:36
>>400
…そりゃ、これでも初期型に比べりゃ被弾対策してるからさ。

というか、
一式陸攻でこれなんだから、B-29がいかに燃え難く落ち難いかが判るベ。


>>398
たとえ機体が落ちなくても、
『機上戦死』も十分有り得る機材です、あなた様のおじい様は凄い方ですね。

403:名無し三等兵
08/05/12 22:25:46
>>398
海軍にも陸軍にも言える事だけどパイロットはちゃんとした食べ物を食べてたみたいだね。チョコレートとかドロップとかの甘い物とかも支給されたとかされなかったとかの話。

404:名無し三等兵
08/05/12 22:39:46
>>403
>パイロットはちゃんとした食べ物を食べてたみたい
この機体↓
URLリンク(www.arakawas.sakura.ne.jp)
を前にして、戦時中は子供だった歳のおばさんが、
「戦時中も末期の頃、近所に下宿してた海軍さん(引用者注:営外居住の士官と思われる)から、チョコレートや饅頭やらカルピスやら沢山貰った。
 アルマイトの海軍弁当箱に入れて持って帰って来てくれた。」
という思い出話を楽しそうにされていました。

その士官搭乗員の方が、戦争を生き延びておられる事を心から祈ります。

405:名無し三等兵
08/05/12 23:00:56
いい話ですね~さすが海軍さん。

406:名無し三等兵
08/05/12 23:27:11
チョコレートやらは搭乗員の機上食じゃなかったっけ?
戦闘行動等でやむを得ず機内に持ち込む非常食扱いなんで、
搭乗員でも普段は食えなかったらしいが。

407:名無し三等兵
08/05/12 23:46:08
 一式陸攻ではないが俺の祖父も陸軍の爆撃機乗りだったなぁ。
 97式重爆の機長だったけどインパールで戦死したよ。

408:名無し三等兵
08/05/13 00:02:24
空に散った英霊達へ帽振れー

409:名無し三等兵
08/05/13 02:28:02
35年以上前に亡くなった父方の祖父(山形の水呑ん百姓)の話。

満州国建国の直前に徴兵されて、
地元の連隊では無く、
ソ連と満州の国境近くの騎兵部隊に配属。

昼も夜も無く、馬の世話をさせられたと。

それ以外は、とても待遇が良く、
戦闘を、一度もした事が無く、
それに、食事が豪華だったと。

内地に還って来てから作った末っ子(私の父親)に、
直属の上官から一文字を貰って名前を付けて居る位だから、
余程、良い扱いだったのでしょう。

しかし、没年から計算すると、
当時、36~37歳のはずなのですが、
この様な歳でも徴兵されるのでしょうか?


410:名無し三等兵
08/05/13 03:12:47
オイラの親父の親父(つまり爺さん)は本当の親父ではなかった。
本当の親父は、某島で戦死。離婚した祖母は籍を離れて新たな婿を得て結婚。
その再婚先も戦死。仕方なく再婚相手の弟と結婚。が、結婚後すぐ、乗っていた潜水艦が帰還せず。
戦死と判定されて、新たな嫁入り先を見つけて結婚。すぐに終戦となるが、某台風で夫が死亡。
その後、女手一つで親父を育てて・・・・・・・・・・・






俺は誰の子供なんだwwwwwwwwwwwwwwwww


411:名無し三等兵
08/05/13 04:32:30
>>410
親父とオカンの子だろう。

412:名無し三等兵
08/05/13 08:12:36 reiyI0TS
>>410
君が悲観的になってないからコメントしない。

413:名無し三等兵
08/05/13 08:25:13
保守がてらにどうでもいい話

小学生のころ、埼玉県浦和市に住んでいましたが、
当時のじゃんけんのグーチョキパーが軍艦・朝鮮・ハワイでした
あのころは何も感じませんでしたが、今から思うと戦中からの風習だったんでしょうねえ
1970年代末期から80年代初頭にかけての思い出です
さすがに今では廃れたでしょうねえ
60年前のガキンチョも同じことしてたのかな

軍艦軍艦チョーセン! 朝鮮朝鮮ハーワイ!
てな感じで2回復唱ののち3回目のコールで勝負でした


414:名無し三等兵
08/05/13 08:36:39
軍艦はチョーセンに勝って、朝鮮はハワイに勝って、ハワイは…?…
如何しようも無いじゃないか?

415:名無し三等兵
08/05/13 11:15:35
母親から聞かされて、曖昧なのだが
家の母方の親父、平時は農夫として戦時は陸軍軍人(将校クラス)として戦争に参加する人だったとか
母の家には士官クラスの軍服や軍刀が置いてあって、戦争に関わる資料も豊富だったとか言ってた
資料とか服は写真だけでほとんど親戚が処分したらしいけどね
戦中は何をやっていたのかは不明だが、地元に残ってなにかやってはいたらしい
戦後は農夫として生活し、「日本が負けたのは、陸軍じゃなくて海軍に原因がある」と言ってたと母親は言ってた。
ある日、脳卒中であの世へ逝ったとか
よくわからない母方の親父だが、父方の親父は工兵としてミャンマー等で活躍してた(本人は何にも言わないのでこれまた不明)
ただ、今村均から貰った賞状(内容はどこかの油田の火災を部隊ごと消したとか)を大事にしてる
戦後は墓石作ってたが、今は引退してテレビを見ながらお茶をする毎日を送ってる

416:名無し三等兵
08/05/13 11:47:00
>>415
日本が負けたのは圧倒的物量の差ですよ。

417:名無し三等兵
08/05/13 12:01:36
>>410

少しは冷静になれただろうか?

418:名無し三等兵
08/05/13 14:57:18
>>413
90年代に小学生を過ごした人にも伝わってますよ

419:名無し三等兵
08/05/13 18:09:53
皇軍の兵士だった爺ちゃんがうらやましい。
俺も皇軍の兵士になりシナ兵撃ちまくってから最後は機銃弾の雨に打たれて死にたかった。
もうぬるま湯の日常にはうんざり、生まれるのが遅すぎた。

420:名無し三等兵
08/05/13 18:15:23 reiyI0TS
>>419
何も遅くはない。斎藤さんのようにフランス外人部隊に入ればいい。

421:名無し三等兵
08/05/13 19:26:27
市ヶ谷の駐屯地に殴りこめ

422:名無し三等兵
08/05/13 19:30:11
>>410
うひゃ~~~ そりゃ大変。

423:名無し三等兵
08/05/13 19:31:06
>419
パンパンパーン
    ∧__∧ ∩
  (,, ゚ Д ゚)彡☆
   ⊂彡☆))∀´))) ←うれしそうな顔するな!
       ☆


424:名無し三等兵
08/05/13 19:36:35
>>419
今すぐチベットかミャンマーに行きたまえ、君の願いは叶えられん。
案ずるより生むが易し、だ。

425:名無し三等兵
08/05/13 20:06:33
>>420
俺は皇軍の兵士として戦って死にたいんだ。
銃身が焼けるほどチャンコロ兵を撃ちまくって栄えある皇軍の兵士として散りたい。

426:uaa
08/05/13 20:28:34 VFC6u4u4
>>410
祖母さんがサゲマンだったんじゃ・・・・・

427:名無し三等兵
08/05/13 20:32:07
大君の御盾となりて散る桜
九段の庭で戰友(とも)が待つ  

特攻隊員辞世の句


皇軍の兵として陛下の盾となって散華できた特攻隊員がうらやましい。
生まれた時代が遅すぎた。



428:名無し三等兵
08/05/13 21:01:29
だからはやく決起して皇居で天皇さらって九州で抵抗を続けろよ

429:名無し三等兵
08/05/13 21:12:34
>>415
爺さんが将校だったら
偕行社か偕行会の冊子があるとおもう

430:名無し三等兵
08/05/13 21:28:30
>>154
>「近衛だったから外国へ行ってアメ公を殺せなかった」

それは一部の部隊だろうふ

431:名無し三等兵
08/05/13 22:29:47
>154

近衛の桜田旅団は支那だし。
第二師団はマレーだしな。

アメ公殺せたのは近衛機関砲大隊位だろうけど
弾がB29まで届かないし・・・。

432:名無し三等兵
08/05/13 22:47:41
十数年前の学生時代、海に近い駅弁大学近くの漁師町が学生アパート街でもあった。
俺は砂丘上に広がる漁師町の、その丘の上の安アパートに住んでいた。

バストイレ共同の安アパートを3棟持つ土地持ちの大家さんは、近辺でも唯一という近衛師団出身が誇り。
戦後は東京で商売をして小金を貯めてから、郷里に戻って、もうけ度外視でアパート経営に悠々自適だった。

家賃を払いに行くと、「まあ上がれ、呑めや」
昼日中から安酒に小ダコ(近くの漁港で知り合いの漁師から貰ってきて醤油で丸煮。まずい)を出してきては、
近衛師団の時の話を繰り返し聴かせた末に、カップラーメンや野菜をたっぷり持たせてかえしてくれたものだった。

もうご他界されたろうが、大正ヒトケタの豪快なお人だった。懐かしい。

433:名無し三等兵
08/05/13 22:50:06
>>425
  皇軍の兵士は……
  この中にいる!
└──v──
                  | なんだって!
                  └―v―┬─――
                            | 誰なんだ!
   Λ_Λ                   └―v――─
  ( ´Д`)
  / J J           ∧_∧∧_∧∧_∧
  |. | ̄ ̄ ̄|        (((( ´Д (Д`  (Д`   ) )))
  し|      |         (    (    (     )



   |      |
   |___|           ええーーーーー!!
   /∩ Λ∩         └─v─‐v─‐v─
  (ノノД`)ノ ミ
  /   /   ムー!ムー!    ∧_∧∧_∧∧_∧
  |    (;゚□゚)          (Д`  (Д`  (Д`   )
  し ((<( ヘ)ヘ ))        (     (     (     )


434:名無し三等兵
08/05/14 00:22:53
>>385
大川さんです
うちのばあさまによると大川周明の祖母は町に名前が知られるほど躾が厳しい方だったとか

435:名無し三等兵
08/05/14 00:41:36 zV1m/sqR
俺の曾じいさんが日本海海戦で軍医として
三笠に乗ってたらしい。かなり偉かった人なのか
勲章が5個くらい今でもばあちゃん家にある。

436:uaa
08/05/14 01:04:00 MJWwgx8K
>>434
父方の祖父さんが市内で祖母さんが寒河江なんだけど、甘粕正彦も山形だよね。危ない思想の奴が多いwww
曾祖父さんがどこかの温泉で無職時代の甘粕正彦と一緒になって意気投合したそうだ。

でも、祖父さんや祖母さんと話してると、米沢は”同じ山形”って感じだけど、酒田や鶴岡は他所のクニって感じだった。



437:名無し三等兵
08/05/14 01:26:08 Uuw2dzl/
爺様ではなく、高校の技術の先生が元陸軍少尉殿で、
8月6日に広島にいたらしい。つまり被爆者。

8月6日に部隊から司令部へ軍刀の完成本数報告に行こうと宮島あたりで市電を待っていたが、
乗ろうとした電車は混雑し、見送った。
その電車が広島市内に入る時間に8時15分。
本人は直撃を避けた。
その後被災地で救助活動。

この体験を先生本人が生徒の面前で「自慢」するものだから、
被爆体験談なんか疑って聞くようになりましたよ。

その日生徒達は「なんで電車に素直に乗らなかったんだ!」
と言う意見が多くって・・・・
豪傑だったもんなぁ。

広島は宮島の方でで軍刀の製作?どこの部隊にいたんだ?




438:名無し三等兵
08/05/14 07:21:20
>>437
幕末期、関門海峡防備の武器作成の為、
岩国藩が藩出身者で江戸で刀工となっていた人を呼び返し、
以後、広島の大竹にて日本刀や日常生活の刃物(大竹手打刃物)を作成する様になりました
彼ら大竹の刀工等は、軍刀の需要拡大の為に軍部の肝いりで軍刀を打つようになり、
鍛錬場を宮島に開いた様です(歴史的にそう言うのに向いた場所だから)
当然、軍に納入する物ですので、軍から監督官が来ます

自分が中学時代に歴史を習った先生は、
戦時中広島で船舶工兵をなさってたとの事でした
被爆の直接の被害はあまりなかった様ですが、
「・・・その後の1ヶ月は酷かった。もう思い出したくもないくらい。」
とおっしゃってました

439:名無し三等兵
08/05/14 17:21:17
爺ちゃんは生まれついてのちんばであれじゃあ嫁ももらえんと言われてたのが、村の同年代の男性が戦死しまくって
女余りになって、選り取りみどりで嫁さんがもらえることになった。それで美人で山餅の嫁さん貰って戦後の不動産ブーム
で大儲けして2,3号も作って道楽の限りをつくしてしんだ。人生塞翁が馬ということだね。

440:名無し三等兵
08/05/14 20:56:13
>>436 昔の藩割りじゃないの?上杉と酒井じゃ全然違うし。

441:名無し三等兵
08/05/14 22:47:23 Mzx1Y0K3
昭和19年夏に一号作戦で負傷した陸軍大尉の親戚が帰国した時、あまりにも内地の人の
暮らしがひどいので驚いたそうだ。大人も子供もみんな栄養の悪い顔をして、もう一つ驚いた
のが新たに編成される部隊を将軍閣下の閲兵に付き合って見たとき。
兵士の服や装備が見るからに安いっぽいか古いか、みんなおっさんばっか。
これで本土決戦できるのかと密かに泣いたそうだ。

442:名無し三等兵
08/05/15 00:51:59 F66NHJTS
>>438
勉強になった。ありがとうと言いたいが・・・・・

実を言うと、父方の大叔父はその歴史の先生と同じ船舶工兵の
幹部候補生で8月6日にアレを喰らって14日に死んでしまったらしい。

まさかと思うが神奈川県出身?

443:名無し三等兵
08/05/16 20:53:02
りりーすゆあうぇぽん

444:名無し三等兵
08/05/17 21:28:59
他界した祖父の話。
アメリカ軍が上陸していたフィリピンにおいて味方の飛行場を死守する為に基地守備隊として配属される。重機関銃や軽機関銃が不足していた為に、飛行場周辺の大破して壊れていた友軍の航空機から7.7ミリ機銃や20ミリ機関砲を取り外して使用したそうです。

445:名無し三等兵
08/05/17 21:37:14 gsYykMJM
>>続き
飛行場は占領され守備隊は壊滅しましたが祖父と部下3名は瀕死の重傷を負いながらも捕虜になり助かりました。
祖父は航空機用の7.7mm機銃で陣地を守っていたが、アメリカ軍の戦車砲を至近距離で受けた為に奮戦むなしく惨敗したと言ってました。

446: ◆7UjVOSFSOI
08/05/17 22:36:26
父方は軍医として満州へ言ったと聞く

母方は広島で軍曹だったとは聞くも、体には傷痕が多数在るだけで
8月16日に何故無事だったのかは不明のまま天命を終えた

447:名無し三等兵
08/05/17 22:48:47
あまりこういう事は言いたくないんだが。

君ら日付を間違え過ぎるぞ

素で知らないのか分からんが、もしミスタイプなら
書き込む前に確認した方が良い。

448:名無し三等兵
08/05/17 23:55:09
>>444臨時で戦車の車載の重機を使用した例や貴方のお爺様のその話のように
故障した戦闘機の機銃を陸上で固定銃座
として使っていた例は割と多く見掛けるね。何でも利用出来る物は利用するのが日本軍流。

449:名無し三等兵
08/05/18 00:30:01
>>439
現在の日本人が軟弱なのは、そこに原因がありそう。
今徴兵制があったとしたら、兵士適格者はあまりいなさそう。

450:名無し三等兵
08/05/18 00:30:31
今年の終戦記念日を以って、祖父の戦友会は解散する

451:名無し三等兵
08/05/18 00:41:22
>>448
資材不足からなのか、竹で弩を作って弓矢部隊とか編成したのもあったらしいね

まぁまぁ利用出来るw

452:名無し三等兵
08/05/18 00:54:18
>>451
考案者がその道の専門家だからな。
徹甲弾こそ撃てないが、砲丸や手榴弾から糞尿袋にペスト患者の死体まで、
手当たり次第ブン投げるにはもってこい。

453:名無し三等兵
08/05/18 01:06:36
>>452
(( ゚д゚))実に素晴らしい

454:名無し三等兵
08/05/18 01:10:45 hGDgvgYE
曽祖父が戦死した時に呉鎮守府司令官(総督?)から曽祖母宛てに来た手書きの
手紙が残ってる。
 機関長だったって聞いてるが、それなりの階級だったんだろか?

455:名無し三等兵
08/05/18 01:15:19
>>454
艦種にもよるがそれなりなんじゃないかな。

456:名無し三等兵
08/05/18 01:21:35
>>455
艦種は分かんないんだわ。ただ真っ白な詰襟の軍服姿で手袋して制帽を
脇に抱えた写真は見た記憶がある。

457:名無し三等兵
08/05/18 01:29:56
皆知ってるとは思うが、知らない方へ。
>>452のカタパルトの考案者は彼の大山巌の御子息、大山柏少佐。
考古学者でもあり、古代ローマ時代のカタパルトを復元して20kgまでの
対戦車爆雷を投擲可能な代物だったらしい。

458:名無し三等兵
08/05/18 13:16:09
加えると大山柏氏は縄文農耕論者

459:名無し三等兵
08/05/18 19:20:05
887 :名無し三等兵 :2008/05/13(火) 00:56:13 ID:???
バイク板より

【心霊】バイク乗りの心霊体験part8【死神】
スレリンク(bike板)l50
724 名前:774RR 本日のレス 投稿日:2008/05/13(火) 00:33:26 ndQY0HPO
霊なのか偶然なのか。まああんまバイクと関係ないんだけど

俺のじいちゃんは軍艦乗りだったのよ。軍艦っても駆逐艦だけど。
んで、俺が小さい頃とかよく自慢してたわけ。日本の艦はすごいとか。
で、そのじいちゃんがそろそろヤバイって時、じいちゃんがうわごとのように
「艦が迎えに来た」「仲間が迎えに来た」って言ってたのよ。
そしてしばらくして、俺がバイク乗ってたら、かすかに軍艦行進曲が聞こえてきた。
実際聞こえてたかはわからないんだけど、頭の中にすごい響く感じっていうか、
なんと表せばいいかわからん。
最初は併走してる車か、どっかにバカチョン右翼でもいるのかと思ったけど、どうも違う。
んで、家に帰って携帯見てみたら、実家から電話。
着信の時間は、ちょうど軍艦行進曲が聞こえてた頃。
電話したら、じいちゃんが亡くなったとの知らせ。

後にばあちゃんから聞いたんだけど、じいちゃんは観艦式で乗ってた駆逐艦の準備指揮を取ってたらしい。
その後、米の潜水艦の魚雷で爆沈。じいちゃんは重症で終戦まで入院。
仲が良かった戦友はその時みんな死んでしまったらしい。


あんまり怖くないけどwwww


725 名前:774RR 本日のレス 投稿日:2008/05/13(火) 00:51:02 b3ibEO46
なかなか深い話やね。

てか魚雷食らって生き延びたじいちゃんすげーww

460:名無し三等兵
08/05/18 19:30:43
駆逐艦って軍艦だっけ?とか無粋なことを言うw

461:名無し三等兵
08/05/18 21:09:32
>>460
何だっけ、艦首に菊の紋章が着いているかどうかで分けるんだっけ?

462:名無し三等兵
08/05/18 21:19:11
>>461
菊花紋の有無で分けるというか、御紋が軍艦に付けられるものだから。

463:名無し三等兵
08/05/18 21:45:49
wikiぺによると、殊勲艦には軍艦でなくてもつけてたらしい。
模範解答は艦艇か。

464:名無し三等兵
08/05/18 23:22:06
>>457 バネは自動車用の鉄の奴だがなー。このエピソード見るたびに白魚の天麩羅食いたくなって困る。
(当時の根室では網にかかった白魚をぞのまま捨ててたので、飯はあるがおかずに困っていた柏少佐がただで貰い受けて天麩羅にしてみたらウマかったそうな)

465:名無し三等兵
08/05/19 11:12:23
お祖父さんは日系人部隊でイタリアで戦ったと聞いております。

466:名無し三等兵
08/05/19 23:42:15
>>459
いつも思うんだけど、霊ってもんがあるなら敵前逃亡の富永とか特攻の黒亀とか
どうしてとりつかれないんだろうか。なんか全然関係ない人脅かして喜んでる
霊が多すぎ。

467:名無し三等兵
08/05/20 13:14:28
>なんか全然関係ない人脅かして喜んでる 霊が多すぎ。

そーゆーのはオバケとか妖怪とか。
人じゃなく場所に付いている、いわゆる自縛霊。

WWⅡじゃ各陣営、相手を呪い殺そうとしたり、占いで作戦決めたり…

468:名無し三等兵
08/05/20 15:40:13
>>466
悪逆非道の外道が幸せに天寿をまっとうするなんていくらでも例があるじゃんか。
この世には神も霊もねえよ。
あるのは力の論理だけ。


469:名無し三等兵
08/05/20 17:57:56
富永の場合は何故祟らなかったのか、ではなく
何故銃殺刑に処さなかったのかが問題だろう。
敵前逃亡は明確な軍規違反にもかかわらず、だ。

470:名無し三等兵
08/05/20 18:28:16
>>469
下に厳しく上に甘いのは日本の組織の特徴だからしょうがないんじゃないか。


471:名無し三等兵
08/05/20 19:13:32
>>470
だからそれが問題だと言うとるんだ。
戦闘機搭乗員だった祖父をシャーマンのキャタピラの脂にしておいて、
テメェ等だけ逃げてのうのうと生き延びた奴をしょうがないの一言で
済まされてたまるか阿呆。

472:名無し三等兵
08/05/20 19:48:59
>>471
しかし実際問題としてもうどうしようもないのも事実でしょう?

あなたが『二代目・神軍平等兵』を名乗って先代さん同様の活動を行えば、別ですが

473:名無し三等兵
08/05/20 21:09:28 qiBsU5oH
うちの近所のおっさんが、ビアク島での遺骨収拾に、参加してるみたいなんですけど、玉砕したのはどこ出身の部隊なんですか?

474:名無し三等兵
08/05/20 21:24:30
>>466
そのために地獄ってものがある…んじゃね?

うちのじーさんは支那事変の初期頃に徴兵されて輜重兵をやってたらしい。
ただ、盛岡連隊区で事務だけやってたのか出征もしたのかは知らん。
俺が生まれる前に他界したからね。

475:名無し三等兵
08/05/20 21:26:02
>>473
ゆとりってググルことすらできないの?

URLリンク(ja.wikipedia.org)

476:名無し三等兵
08/05/20 21:30:03
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月~金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。

477:名無し三等兵
08/05/20 21:51:01
>>476
お前は何を言ってるんだ?
現場の教師のことをもう少し考えたらどうだ?

この前授業参観の後、教育方針の説明会のようなものがあった。
現場の教師は子どもたちの国語力の低下を痛切に実感しおり、
読書を推奨して語彙を増やさせようとしたり、
テーマを与えて発表内容を子供に考えさせて文章力を付けさせようとしたりと
色々と工夫をしている、という説明を受けた。
しかし授業時間そのものが少ないからとても大変だということらしい。

そこで俺は考えた。
土曜日の授業を復活させて、教師の休みを月~金に分散させるのが一番だ。
授業週6日制復活、やっぱりこれしかないな。
>>476よ、おまいさん、なかなかいいことを言うじゃねぇかw

478:名無し三等兵
08/05/20 22:55:18
土曜日は自習のはずのに案の定子供たちは遊びほうけてるからなぁ
でも毎日の宿題は遊ぶ暇もないほど出されてるよ
放課後は遊び放題だった昔とは随分変わった
今の子供たちはかわいそうだ
あれじゃ歪みも出てくるよ

479:名無し三等兵
08/05/20 23:19:41
>>449

晩年、『朝まで生テレビ』に坂井が出演した際、戦争の是非や戦争への構えかた等についての彼の発言に対し、
周囲に陣取った反戦系の論客は何一つ反論できなかった。もちろん討論をどう解釈するかは視聴者の主観に
よるものであり、これは正確とは言えないが、番組を見ていた視聴者の多くにそう思わせるような存在感を示し
ていたとは言える。また現在の若者への苦言を期待された質問には、「自分の時代にも若いやつは駄目だと
言われ続けた」とかわすと、スタジオ内で観覧していた若者から拍手が起きた。

坂井三郎 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)


480:名無し三等兵
08/05/21 10:32:29
>>479
テレビ内容を詳しくヨロ
坂井さんは右も左もなく戦争で学んだ事を脚色せず現代人に伝えてくれた。
こんな人を指差して「人殺し」と言う若者には耳を疑ってしまう。

481:名無し三等兵
08/05/21 11:10:21
坂井氏は戦後医療関係のパイロットとしても大きく貢献したしな

482:名無し三等兵
08/05/21 18:32:41
赤松さん・・・

483:名無し三等兵
08/05/21 20:52:44
俺の爺さんは戦中生まれで、名前を信政で、旧姓は辻(婿養子なんだ)。
曾祖父が「天下の英雄の辻参謀にあやかりたいが、
そのままというのは恐れ多いから、順番を入れ替えよう」と名付けたんだそうだ。

で、戦後。
祖父は旧軍上がりの上司達に
「貴様、いい名前しとるのお。あの糞の親戚か、ん?」
といびられまくったらしい。

484:名無し三等兵
08/05/21 22:20:57
>>483
全くあやかってないね。

485:名無し三等兵
08/05/22 07:04:08
ロクなこと無いなw

486:名無し三等兵
08/05/22 15:42:06
足利出身の爺さんは不忠者の子孫ということで気合いを入れられたって言ってた。

487:名無し三等兵
08/05/22 17:19:45
>>486
相手は奈良出身か?

488:名無し三等兵
08/05/22 19:37:16
>>486
そういう話をけっこう聞いたことあるな、戦前は皇国史観に支配されていたので
足利尊氏は謀反を起こした超大悪人とされていた
そのとばっちりで足利市出身者はかなり肩身の狭い思いをし、差別を恐れて出身地を隠したとか

489:名無し三等兵
08/05/22 19:40:10
じゃあ、新田さんや楠木さんや北畠さんはもてもてだな。

490:名無し三等兵
08/05/22 20:01:58
今でも右翼に殴られる可能性あるらしい
>足利出身

491:名無し三等兵
08/05/22 21:32:08 wUAUk1lp
>>490
出身地だけで行動を決めるのは酷すぎじゃね?

生前の婆ちゃん(明治生まれ)は「足利尊氏は賊軍」と頻繁に言っていた。
当時、左翼教育に洗脳されていた漏れは「軍国主義の影響は酷すぎ」と
心の中で唱えていたw。
今となっては足利尊氏を良い方向で評価すればいいのか、そうでない方向で
評価すればいいのか判断に迷うw。

ついでに婆ちゃんは「ドイツがソ連(当時)を攻めている間に極東から
日本がソ連(当時)を攻めればモスクワは陥落した。
あのチャンスを逃した政府の責任は大きい」と言っていた。
要するに北進指示者だったのかな。

492:名無し三等兵
08/05/22 22:59:22 ZsA3AWs5
今は亡き伯父さんの話。
駆逐艦乗り(名前失念)だったが、米潜に雷激され撃沈。二晩、浮遊物にしがみついていて
「もうだめか」と思った時に戦艦武蔵に拾われたとのこと。
自分のいた駆逐艦よりも武蔵の飯の良さに驚いたと言っていた。

493:名無し三等兵
08/05/22 23:31:50
>>491
たのしい婆ちゃんだなw
モスクワ落としてもソ連にゃかてねーけど、当時のひとはみんなそう思ってたみたいね。

494:名無し三等兵
08/05/22 23:46:07
>>491
尊氏は源氏の代表者として武家の利益を図った。
後醍醐帝は過去の理想に染まった復古主義者。

尊氏が逆賊なら昭和陸海軍だって逆賊だよ。

495:名無し三等兵
08/05/22 23:47:41
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

左翼は国防なんて糞くらえ!9条万歳!殺されても殺さない!
URLリンク(www.nicovideo.jp)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


吹いたら負けwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

496:名無し三等兵
08/05/23 00:26:01
>>494
逆賊かそうでないかは動機や目的で決まるのか?

497:名無し三等兵
08/05/23 01:28:20
坂井さんのテレビの話で思い出したけど、以前何かの番組で硫黄島戦の生き残りの方の言葉は胸に響いた。
番組内で戦争反対を叫ぶ方々はそもそも戦争のことを良く知らないのか
日本兵=天皇陛下万歳を唱えながら国に騙されて死地に追いやられた被害者→今は皆戦争が嫌いで大日本帝国を恨んでる。
みたいな在り来たりな考えしかないようだった。
だから生き残りのご老人が
「もう一度戦争に行けと言われれば行く。それが当然だし行かないと家族を守れない」
とキッパリ言うと皆黙り込んでた。
「お孫さんが戦争に巻き込まれたり戦争に行くことになっても良いんですか?」
とか言われてもビクともせず堂々と言い返してた。
内容抜きにしても両者の言葉の重さが全然違って感じられたよ。
BB弾と大砲の弾くらい違った。

498:名無し三等兵
08/05/23 01:52:27
そんなもん人次第だよ
うちの爺さんはもう二度と行きたくないと行ってたし

499:名無し三等兵
08/05/23 02:31:59
>>498
「好きこのんでいく」という意味合いだと勘違いしてない?
「どうしても行かなければ済まないような状況になったら」という話でしょ。

500:名無し三等兵
08/05/23 02:49:26
どんか状況でも行きたくない人もいるだろ
そんなもん人それぞれだよ

501:名無し三等兵
08/05/23 03:13:39
重みという点では従軍者同士で語り合ってるの見てみたいな

502:名無し三等兵
08/05/23 06:41:36
>>499
戦争なんか行きたくなかったけど、嫌々行ったんだって話してたからそうじゃないと思うよ

格好つけて本当の事言わなくたって誰もわかんないのに、爺さん正直だなって、ある意味感心したわ。

503:名無し三等兵
08/05/23 16:35:28
「あー、戦争なんてやるもんじゃねえよ。殺されるかもしれんし、
殺すかもしれんし、昼飯一緒に食った友達が次の日には死んでるかもしれんし。
二度と行きたくねえよ、ほんと。
でも、俺が鉄砲持って戦えばくに(故郷の意だと思われる)に落ちてくる爆弾が
一発でも減る……ってのは言い過ぎでも、爆弾が落ちるのが一秒でも遅れるっていうんなら、
やっぱり行かずにはいられんよなあ」

とうちの爺が申しておりました。

504:名無し三等兵
08/05/23 16:57:08
俺の爺ちゃんも「オーストラリア兵を何人も撃ち殺したけどその感触がずっと忘れられない。戦争なんて二度とやるもんじゃない」とよく言ってた。
飛行兵なんかと違って陸軍の兵隊は直にやりあうからそういうふうに思うのかもね。



505:名無し三等兵
08/05/23 17:04:18
>>503
ヴェトナムから帰還したランボーもそんなこと思ってたんだろな。

506:名無し三等兵
08/05/23 17:09:16
>>503の爺様に敬礼!

507:名無し三等兵
08/05/23 17:17:17
>>503
そういう心情に付け込む指導者は糞だが、
そういう心情自体は尊いものだよな。

508:名無し三等兵
08/05/23 17:23:13
>>503
犯される前に股を開こうっていう某プロ市民に聞かせてあげたい

509:名無し三等兵
08/05/23 17:36:49
>>504
『戦争における「人殺し」の心理学』によると、まさにその通りらしい。
飛行機、戦車、大砲などで戦う場合、物理的距離や間に機械が存在しているという事実が
殺人に対する嫌悪感を緩和してくれるらしい。
あと、相手が車両や艦艇や航空機だったりすると、
「俺が撃ってるのは「人間」じゃなくて「飛行機」だ」みたいな認識になって、
殺人をしているという意識そのものが希薄になるらしい。

510:名無し三等兵
08/05/23 19:02:44
ガンダムを降りた時のアムロみたいなもんだな

511:名無し三等兵
08/05/23 19:37:23
職業軍人だった俺の爺さんに同じ質問した事があるが、

「何回起きようが俺は行っただろうなぁ、それで飯食ってたし」

と笑ってた。
ビルマで迫撃砲弾食らって片腕飛ばされた人の言葉だ。

512:名無し三等兵
08/05/23 19:37:58
終戦での地方人の豹変ぶりにあきれはてたと言ってたな。
玉音放送があった後、上官の命令で警戒態勢をとかずにいたら通りがかったおばはんに
「戦争終わったのに何やってんのあんたら」と笑われたらしい。
兵隊さんご苦労さんですからいきなりこれだからな。


513:名無し三等兵
08/05/23 19:57:52
そのおばはんにとっては兵隊は有難いものじゃなかったって事なんだろ
別に不思議は無い

514:名無し三等兵
08/05/23 20:19:47
玉音放送前後に警戒態勢にあったのは一部の部隊が徹底抗戦を唱えて
武装蜂起する恐れがあったからなんだがなぁ。

515:名無し三等兵
08/05/23 23:22:54
まあそんなことを民間人がすぐに理解するとも思えないしね

516:名無し三等兵
08/05/24 08:02:56 oLBiNukX
満州→シベリアでやっと帰ってきて、消防士になり、火事場で殉職。
どういう人生だったか、話してみたかった…
ちなみに、東京消防庁で戦後殉職した20人ほどのうちの一人。

517:名無し三等兵
08/05/24 08:48:53
第2回の学徒動員(明治神宮で雨のヤツ)で出陣。
陸軍航空隊の見習い士官・特別操縦生として養成を受けました。
特攻隊志願の意思確認の時、末弟だった自分は即座に志願。
しかし、部隊で長男や一人っ子だった何人かは拒否、偉い奴らだな~と思ったそうです。
終戦時はポツダム中尉、訓練は部下?の下士官に受けていたので、指揮をしたのは、帰省時の連絡船で最上位者として満員の兵士を整列させた時だけだとか。
自慢は一家伝来の刀を仕立て直した軍刀だったとか。

518:名無し三等兵
08/05/24 10:17:30 mfoFyu6F
家のじいさんは早死にしたので
直接聞いた話で無いけど、
身体が弱かったので兵役検査?では不合格・・
しかし九州出身の人だったので、
男子として親戚に顔向けできない。
そこで音楽学校出だった事もあり、
陸軍の軍楽隊に入り指揮者をしてたらしいっす。
中国とかにも出征していた事もあるとか・・
そんな訳で、殆ど実戦は経験せずに
名目上結構上の階級になり、
ピストルも携行?していたとか。
子供時代のウチの親父がピストルに触りたがると、
「子供が触るもんじゃない!」と怒られたそうな。

戦後になり、すっかりアカに染まったウチの親父が
「親父はあの侵略戦争で人を殺さなかったんだね」
などとほざくと、
「俺もあの戦争に参加した事には変わりは無い。」
と静かに一喝したそうだ。
そんなじいさんは戦後十年ほどで病死しますた。
会って話がしてみたかったなあ。


519:名無し三等兵
08/05/24 10:43:09 o9bUi7o/
小学校時代の先生の話。

当時55歳くらいか?
偵察機の通信兵だったらしい。

との先生の話によると帰還または特攻を免れた兵士の話では
天皇陛下万歳なんてする兵隊は皆無だったらしい。

発狂する者、「母ちゃん」と叫ぶ者、ウツ状態で一言も喋らない者
些細な事でケンカをする者。

美談なんてなく地獄そのものだったらしい。

520:名無し三等兵
08/05/24 23:05:17 cL9Lmt5e
漏れの祖父から聞いた話。

戦場は中国
ラクダに乗った事がある
こっちはパンパン、向こうはダダダダッで戦争にならんかった
但し戦闘はたまにある程度で、割とのんびりしていた

ちなみに姫路の連隊所属。部隊名とかは聞いてないが。

521:名無し三等兵
08/05/24 23:14:04
>>520
歩兵第三十九?騎兵第十?

522:名無し三等兵
08/05/25 11:00:44
>>521
歩兵第百三十九聯隊の方じゃないの?

523:名無し三等兵
08/05/29 20:28:08 H4d3PTad
すいません、ちょっとお聞きしたいんですが、九州の熊本にあった連隊に詳しい方はいますか?

524:名無し三等兵
08/05/29 21:33:21 BtWCQ3sv
>>519
ウチのジーサン
地獄のニューギニア戦線の生き残りだけど
天皇陛下万歳って死んで言った兵隊が
多かったらしい。

525:名無し三等兵
08/05/29 23:19:02 S6v1qckZ
キムジョンイルマンセーみたいでやだな。もっとも、陛下とは比べる意味が無い糞だが。

526:名無し三等兵
08/05/29 23:24:50
私の大伯父はレイテ島に増援部隊の大隊長として赴任し、戦死しました。戦史業書やレイテ戦記にも部隊の行動は出てくるのですが、本人の戦死がいつだったのかは判りませんでした。
レイテ戦についてこれらより詳しく書かれた本はありますか?ちょっとスレ違いの質問ですいませんが。

527:名無し三等兵
08/05/30 01:29:15
大隊程度の小規模部隊まですべからく網羅している
本って思いつかないな。


528:名無し三等兵
08/05/30 02:41:46
>>526
レイテ島の増援て、「玉」師団とか?

529:名無し三等兵
08/05/30 12:31:04 agDboal7
祖父はフィリピン・ミンダナオ島から生還した人だけど、戦闘中、弾がビュンビュン飛んで来てるのに、
蛸壷から、いきなりスクッと立ち上がって、「天皇陛下バンザイ」とか、「母ちゃん」って叫んで、わざと敵弾に当たって死ぬ兵士が結構いたと言ってたなぁ。
日本軍は弾も食糧も無くなって、極限まで追い詰められた状態だったのに、米軍の攻撃は鬼の様に凄まじくて、精神的におかしくなる人も多かったみたいだ。

530:名無し三等兵
08/05/30 15:23:05
>>526
実名出したら誰かが見つけて来るかもよ。

531:名無し三等兵
08/05/30 17:27:18
>>526
レイテに行った大隊長がどれだけいると思っていやがる。
名前出してくれ。

532:名無し三等兵
08/05/30 20:18:11
>>526

部隊名でも出しやがれ。

533:名無し三等兵
08/05/30 20:24:36
すべからくおしえろ

534:名無し三等兵
08/05/30 22:32:47
526です。
仕事帰りで何も手元にないのですが、第102師団の第171大隊長で階級は中佐です。精鋭などではなく、中部フィリピンの治安部隊を急遽形だけ統合した師団で装備も相当悪かったようです。

535:名無し三等兵
08/05/30 22:42:04
独立歩兵第171大隊(抜10633), 田辺中佐

536:名無し三等兵
08/05/30 22:48:22
第35軍管下  第102師団 福栄真平中将 23期 セブ島 イリハン
  歩兵第77旅団 河野 毅中将 23期  
  独立歩兵第170大隊 戸塚良一中佐 30期  
  独立歩兵第171大隊 田辺侃二中佐 32期

537:名無し三等兵
08/05/30 23:22:52
526です。
大伯父は田辺侃二です。早くてびっくりしました…。

538:名無し三等兵
08/05/30 23:44:34 syAs01b+
一年以上前、厚木のジーサンの話を書き込んでいたものです、
ジーサンが他界され、書き込みを終わらせていたのですが、
久しぶりに訪れてみました!
私の父の事でも書き込ませていただきます!
父は予科練に憧れ、志願して海軍に入りました、
今も元気に存命ですが、
戦争当時の事はほとんど話しません、
どんなかったんや?
そう聞いても、何か遠くを見るような顔をして、
戦争なんかするもんじゃない、、、、それを繰り返します!
そんな父が語った数少ない話です、 沖縄にグライダーで突っ込んでいった、、、、
切り込んでいったのですが、
そんな特攻が行われました!
父は飛行場の兵舎横で洗濯していたそうです、
みんなが手を振り、走り、見送りする中、
夕日に向かって、グライダーが飛行機に引かれて、
ユックリ、、、ユクッリ、、、ものすごくユックリ上がっていった、
父は何かに取り付かれたように兵舎の屋根に上がって、
洗濯していたシーツを思いっきりふっていたそうです!
みんな機影が見えなくなるまで手を振っていた!
あの時のグライダーはユックリ上がっていった!
キレイな夕日だった!
そればかり繰り返していました!
父達は日本が負けるのはもう時間の問題だと思っていたそうです!


539:535&536
08/05/30 23:57:28
独立歩兵第171大隊
通称号:抜第10633部隊
編成地:パナイ島
補充担任:熊本師管区歩兵第3補充隊(旧歩兵第45連隊補充隊)
最終位置:パナイ島
大隊長:田辺 侃 中佐(陸士32期)(戦没)
副官:松村平三郎 大尉(戦没) 

1943年(昭和18年)11月16日軍令陸甲下令によりフィリピン、パナイ島キャピスにおいて復帰した独立守備歩兵第37大隊を改称して編成業務に入り完結。
引き続き同島にて治安粛清作戦に従事した。
1944年10月20日米軍がレイテ島へ上陸。第35軍司令官は「鈴二号作戦」(尚作命甲)を下令し、師団先遣として大隊主力(一中隊欠)は24~27日にかけ
機帆船にてキャピスを出発し、それぞれ25~30日頃にレイテ島オルモックに上陸。直ちにカリガラを経由しハロへ向け前進途中11月2日カリガラ付近にて
突然米軍戦車の攻撃を受けたため、ナジソン川西方山地(717高地)へ撤退し同地の確保に努め、歩兵第41連隊の残兵とともに米軍戦車部隊と交戦を続け
兵力が半減するにいたった。 12月末ごろまでに軍司令官以下日本軍部隊が同島を脱出するなか大隊はレイテ残留となり歩兵第126連隊長指揮の金田支隊へ
編入され、カンギポット山東方地区にて米軍に抵抗を続けたが1945年(昭和20年)4月ごろまでに大隊長以下全員戦死したものとみられる。
パナイ島残留の第1中隊(長:野田中尉)は、キャピス飛行場警備に従事中、同年3月の米軍上陸により北部山地帯へ撤退したのち、自戦自活状態で
終戦を迎えた。

540:名無し三等兵
08/05/31 00:00:56
>>538
義烈空挺隊ですか?

541:名無し三等兵
08/05/31 00:10:10
>>526 の大伯父貴殿へ敬礼っ

                                 ●
     _             __  /    /  /  / 
    │/          /ヽ=v=ノ        
    │|         // (゚Д゚,(ヾ /   ヾ    ミ
     │|              | 。 y'     ヾ ゝミ
     │|        巛巛巛 | 。  ~       (ヽ//ミ  
     ┝          巛巛 ∪∪ ミ  ミ
     |..  
  彡∴. .

542:名無し三等兵
08/05/31 00:47:40
526です。
大伯父が最後まで部下と共に戦ったらしいことが判りました。昨年亡くなった祖母が生前どんな最後だったか気に掛けていたので調べ始めたのですが、報告できます。(続く)

543:名無し三等兵
08/05/31 00:54:23
(続き)539さん、ありがとうございました。いつか読んでみたいので、できたら出典も教えて頂けませんか。541さん、皆さん、ありがとうございました。私も装備劣悪な部隊で勇戦した大伯父を少しでも見習いたいと思います。

544:名無し三等兵
08/05/31 06:55:38
>>526
出典
URLリンク(jiten.biglobe.ne.jp)

本とかじゃない。ぐぐっただけ。

545:名無し三等兵
08/05/31 10:21:22 px8KGAhr
>>540
義烈空挺隊は、十数機の九七式重爆撃機に分乗して出撃したから違うと思う。

546:名無し三等兵
08/05/31 12:15:08
>>540
グライダーといえば・・・
ドゥーチェ救出ですね。解ります。

547:名無し三等兵
08/05/31 12:57:54
>>544
フルネームでしかググらなかったのがまずかったようですね。お恥ずかしい…スレ違い、ありがとうございました。

548:名無し三等兵
08/05/31 15:45:54
>>547
あと、陸士関係の書籍あたった方がいいかもです

549:名無し三等兵
08/05/31 23:20:32
>>548
はい、探してみます。

550:名無し三等兵
08/06/01 02:27:36 v4yLAv6D
二年前に亡くなったおじいちゃん、昭和8年生まれだったはず。
戦時中、兵士ではないけど親戚と樺太に移住。
酪農?農家?で生活してて、そのときはロシア人より強かったらしい(力とかじゃなく)
終戦になって引き上げ船が来るって言うので、みんなで2日かけて山を越えて船のとこまで行ったのに着いた頃にはもう出航したあとでガッカリして戻っていったんだって。ロシア人に銃を突きつけられたとも言っていた。敗戦したから立場が変わったのかな。

次の船には乗れたから帰って来れたんだけど、前に乗るはずで出航した船は撃沈されたって聞いた・・

551:名無し三等兵
08/06/01 03:07:32
じいちゃんが持って帰ってきた飯盒には
カタカナで カトウ と刻んである
死んでしまった仲間の持ち物と交換したらしい

それからこれは戦争体験ではないのだけど
海部総理(だったかな?)から従軍者に対して感状が送られた来たときに
わざわざ軍服と軍刀借りてきて着替えて写真撮ってた
しかもモノクロで
凛々しかったな


552:名無し三等兵
08/06/01 03:30:12
>550

わざわざ出航させて潜水艦で撃沈したつーのは。
アカの考えることは。

553:名無し三等兵
08/06/01 08:05:31
じいちゃんは国民学校の教師で少年戦車兵に大量志願させて新聞で誉められた軍国教師
戦後は民主主義平和憲法万歳に豹変して教育委員会のボスになって91で大往生、
要領の良いじいちゃんだよ。
少年戦車兵になって戦死した子供の親からはひどく恨まれていたらしいけどね。

554:名無し三等兵
08/06/01 08:19:29
>553

うちも同じだわん。
でも大伯父を予科練に志願させて、特攻に出させた分恨まれていないハズ・・・。





引き返して着陸に失敗。
結局、大怪我して入院中に終戦になりますたが・・。

555:名無し三等兵
08/06/01 09:49:07 6YhoucdB
我々一族の中で今も美談になっている伝説があります。
うちのお爺さんは第二次大戦前から海軍に所属していました。
海軍に入隊を熱望してたのですが、正式に入隊するまで若干遠回りして、
苦労しましたが、猛勉強して、入隊したそうです。
うろ覚えですが中偉だった様に記憶してます。
お爺さんは漁船を改造して造った、護衛艦の艦長でした。
その語り草になっている事件は真珠湾の時、起こったのですが、
お爺さんは3隻の船と、とある岬で待機している守備的な役目でした。
その岬で待機していると、日本の小さな蟹工船がロシアの不良の船(お爺ちゃん曰く海賊船?)
が猛スピードで近づき今にも襲いかかろうと、追いかけていました。
当時も漁船を襲い→品物金品を奪い→漁師を殺し→船を沈める。悪い輩がいたそうです。
お爺ちゃんも大使命があり、場面は岬に潜んでいなくてはいけない、あくまで守備でした。
目の前の蟹工船が捕まり悲惨な末路を迎えるのは、誰の目にも一目瞭然。
その光景を双眼鏡で目の当たりにして岬の日本軍の船艦は皆心配そうに見つめていました。
見るに耐え切れず、お爺ちゃんは部下に指示をだしました!次の瞬間
『ちゅるる…っ』
『ズッドーン!!』


556:名無し三等兵
08/06/01 10:25:27 6YhoucdB
続き…
そう、お爺ちゃんはやってしまった。ロシア船にむかって、威嚇の一撃を命じてしまったんす。
岬に潜む黒く怪しくも凛々しく構える日本軍船隊www!!
それに気付いたロシア船は慌てて速度を落とし…イソイソとUターンし、
バタバタと手旗信号を振ってきました『本日はお日柄もよく…』
蟹工船は事なきを得ましたが、何故か更に猛スピードで逃げ去ってしまったらしい…。

その後、お爺ちゃんは使命に背いた事実を責められる覚悟していた様だが、
さにあらず。当時、の海軍は強くて、賢く、何よりも粋な男達なのでした。
寧ろ、当時、酒の席では、仲間の間でも語り草になったそうです。
ただ、もし、あの時目の前の蟹工船を見て見ぬふりをしていたら、逆に良くなかった。
つまり、船隊の全員の士気が下がり、良くなかったと上官や仲間もちゃんと理解したのだと。
どんな時でも人間、本当は美意識を求めているのだと。
組織を動かす時には美意識やハートが一番大事なのだと説いてました。
しかし太平洋戦争に関してお爺ちゃんは反省していました。


557:名無し三等兵
08/06/01 15:38:42
>>555
0点。つまらな過ぎ、考証からやり直せ。
後、国語の勉強も。

558:名無し三等兵
08/06/01 17:27:24 ZvLEY0xz
坂井中尉は言ってることがやはり偉人だなーと思わせる。ほんとにすごい人だ小野田少尉もそうだし
自分とは違いすぎる。生物学上これから戦中の人たちは消えていくけど大いに学びたい。そして彼ら
を貶す人間がいたら自分の立場を超え徹底的に打ちのめそうと思う。彼らはもっと過酷な状況で
強大な敵と立派に戦いつづけたのだから

559:名無し三等兵
08/06/01 17:48:11
よく見ると創作が多いな。まあソース無しだからしゃあないけど、俺の経験からすると「辛い体験をした人ほど過去は語らい」だけどな。自慢気に昔話する年寄りには嘘つきが多いのも事実だ。

560:名無し三等兵
08/06/01 18:55:03
ボルネオ島から生還した、うちの爺さんも、酒を飲んで酔った時しか戦争の事を話さんかったなぁ。
食い物無くて、虫食っただの、マラリアで動けなくなった戦友に、自決用の手榴弾を渡して置き去りにして来た事への無念やらを、泣きながら話してたな。


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