06/06/24 21:52:39
最近、MacOS9とX(Xserverも含めて)を弄っていて思ったのは、 これは本来のコンピュータの目的を放棄した、
ファーストインプレッションだけで売る低俗なテレビと同じ、 ただの電影箱に過ぎないということだ。
まかり間違っても仕事に使うためのツールでは無い。
GUIの開祖を名乗りながらインターフェイスの改良を放置し、 インターネットの普及に先鞭をつけておきながら、
イニシアティブを確保し、標準化を行う事もせず、 マルチメディアを標榜しながら他OSとの互換性を満たす努力を怠り、
進化という言葉に自らの失敗を塗り隠して魅力的に見えるだけの 新しいアーィテクチャへの乗り換えを強要する。
安定性と安全性の高さを無闇に強調する影で、 山積みのセキュリティホールが発見されることに怯え、
発見された物への対処すら後手後手に回る。 頼みの綱はシェアの低さとPower命令がマイナーであるが故に
攻撃対象にならないということだけ。
大半のユーザーの意識はWindows3.1の時代から変革どころか 進歩すらしていない。
WindowsはPCを職場に、家庭に供給し続ける原動力になった。
LinuxやUNIXはインターネットの世界を維持する 影の立役者として日々改良と進化を続けてきた。
ではMacは? ただひたすら非効率的で非論理的な塊を量産しただけだ。
見た目を追い求めればMacだ。
ではこれで開発をするか? ではこれで業務をするか? ではこれで創造をするか?
答えはNOだ。
いい加減に目を覚ましたらどうだ?
押し付けがましいデザイン、強要されるデバイス、 無駄だらけのインターフェイス、不安定なシステム、
選択肢が少なく高額なアプリケーション、 お粗末極まりないサポートの技術力。
君たちの前にはMacを捨てる道と、Macと共に捨てられる道がある。
あぁ、もう一つあった。 Macに捨てられる道だ。
好きな道を選べばいい。
窓はいつでも開いているし、ペンギンは今日も生きている。
ただ林檎が腐っているのに気付けばいいだけだ。