常陸の最強武将 佐竹 鬼 義重at SENGOKU
常陸の最強武将 佐竹 鬼 義重 - 暇つぶし2ch658:人間七七四年
08/01/16 21:43:55 il+hAryA
人取橋の戦い
1585(天正13)年11月17日、ついに伊達軍と連合軍は人取橋付近で激突する。戦いは終始伊達軍の劣勢で進んだ。
人取橋を挟んで防戦に終始する伊達軍。本陣まで敵が迫り、政宗自身も鎧に矢を1筋、鉄砲5発を受けている。
伊達軍は敗走を重ね鬼庭左月をはじめ多くの犠牲者を出した。 瀬戸川館に陣を布いていた伊達成実は挟撃を受け、
それでも退かずに討ち死に覚悟で奮戦した。 伊達軍は壊滅寸前にまで追い込まれたが、幸運にも壊滅前に日没を
迎え連合軍は一旦引き上げた。なんとか、1日は凌ぎきったのである。

連合軍の撤退
明けて18日、伊達軍にとっては奇跡とも思える出来事が起きる。一夜にして3万の連合軍が撤退していたのである。
政宗は「幸運にも」この最大のピンチを乗り切ることに成功したのである。政宗は岩角城へ引き上げ、連合軍の
様子を伺いつつ、小浜城へ移った。

連合軍撤退の謎
連合軍の主力は佐竹氏である。その佐竹氏に異変が起きた。佐竹氏の将総帥・佐竹義政=小野崎氏(義重の叔父)
が何者かに刺殺されるという事態が発生し、さらには留守の本国常陸に隣国の里見氏らが攻め入る動きを見せたの
である。
この報を知った当主・佐竹義重は一夜にして撤退を決めた。 盟主と仰ぐ佐竹氏が撤退すると、他の諸氏も各々撤
退に入った。こうして3万の軍勢は一夜にして伊達軍の前から消えた。 佐竹氏の本国急変は、『実は政宗による裏工
作があった』のではないかという説や伊達本国を攻めた場合の伊達家出身の諸将(岩城親隆・石川昭光)の離反を
危惧したとの説がある。


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