常陸の最強武将 佐竹 鬼 義重at SENGOKU
常陸の最強武将 佐竹 鬼 義重 - 暇つぶし2ch168:人間七七四年
07/12/14 20:15:21 ncRciDVA
>>167
本庄の謀反が制圧される前、二月には信玄の要請によって足利義昭から信玄と結べという御内書が謙信へ届いている。
同年閏五月に越相同盟が一応の成立を見て氏康・氏政は謙信への出兵要求を盛んに行うが
謙信は七月に鮎川盛長に対して信玄と同盟交渉中だから信濃への出兵は延期したと言っている。直後に同盟成立。
この時点で氏政のほうはもう謙信との同盟に見切りをつけたらしく八月の由良氏への書状で
管領職、上野、武蔵の所々まで渡したというのに謙信はこっちの言うことをきかないので「氏政」は
どこまでも疑っているとして、同盟破綻の際にも由良氏が北条につくらしいことを感謝している。
しかし氏康のほうはまだ期待していたらしく、謙信への出兵要請を続け、
謙信は沼田に入って武田を攻めるふりをするが、結局佐野を攻めた。
信玄は謙信は攻めてこないと予測して家中の反対を押し切り上野の防備を固めなかった。
氏康は甲越和与のことを知ってこの破棄を要求するが、謙信は甲越和与破棄後も武田と戦うことは無かった。
なお、越相同盟破棄後、謙信は信玄へ甲越和与を復活させともに北条を攻めようと持ちかけるが信玄は応じなかった。
氏康が謙信に期待して振り回されたように、謙信も信玄に期待して振り回されたのかもしれない。
>>166
追加。天正11年10月下旬には小泉、足利へ禁制を出しており、
初旬には氏直が徳川へ上野に居ることを伝えている。

外交手腕を評価すべきする人がいるとすればそれは由良長尾兄弟の母、妙印尼で、
兄弟の抑留後に抵抗を決意し、秀吉のもとに三男の渡瀬繁詮を送り、
由良国繁の妻(結城の養女)の実家皆川氏を通じて家康にも兄弟を返還するよう取り成しを求めている。

中公のでは何の根拠も挙げずに抑留を天正十六年としているが、
十六年の佐野領をめぐる再離反(この離反では由良もちゃんと軍事行動を行っている)での
十七年における和睦条件が由良国繁が降伏した上で小田原に移住するというものになっており十六年の抑留はありえない。


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