08/01/17 23:30:56 D5L+67WF
ここらで「当代記」を引用しておこう。このスレでは初めてのはず。
「(天正7年)8月5日、岡崎三郎信康主家康公一男牢人せしめ給ふ。
これ信長の婿たるといへども、父家康公の命を常に違背し、信長公をも
軽んじたてまつられ、被官以下に情けなく行われ、非道の間かくのごとし。
この旨を去月、酒井左衛門尉(忠次)をもって信長に内証を得らる所、
左様に父・臣下に見限られぬる上は、是非に及ばず。家康存分次第の由
返答あり」
ここで大切なのは信長が「信康を殺せ」などと言わず、「家康の思う通り
にせよ」と答えていることである。
ちなみに「当代記」は、研究者の間でもかなり信頼度の高い史料と
されている。