【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】at SENGOKU
【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】 - 暇つぶし2ch114:人間七七四年
08/01/17 23:30:56 D5L+67WF
ここらで「当代記」を引用しておこう。このスレでは初めてのはず。
「(天正7年)8月5日、岡崎三郎信康主家康公一男牢人せしめ給ふ。
これ信長の婿たるといへども、父家康公の命を常に違背し、信長公をも
軽んじたてまつられ、被官以下に情けなく行われ、非道の間かくのごとし。
この旨を去月、酒井左衛門尉(忠次)をもって信長に内証を得らる所、
左様に父・臣下に見限られぬる上は、是非に及ばず。家康存分次第の由
返答あり」
ここで大切なのは信長が「信康を殺せ」などと言わず、「家康の思う通り
にせよ」と答えていることである。
ちなみに「当代記」は、研究者の間でもかなり信頼度の高い史料と
されている。

115:人間七七四年
08/01/18 03:49:45 CY2QJ+UF
>>109
いやいやそれは命令否定派の仕事だろw

116:人間七七四年
08/01/18 07:26:55 FhoZjU5r
>>115
すぐ上に書いてあるのも見えないのか?
通説派は史料の提示すら出来ないのだな。
「お前も息子が可愛いか?」も何に書いてあった
のか言えないし。

117:人間七七四年
08/01/18 09:51:57 7u7N8BMV
>>115
どちらの説が正しいか決定打はない。
だが通説に対し疑問点や辻褄の合わない点が指摘されている。
通説が正しいと主張するならそれらに答えるのが先ではないか。
新説派は>>114にもあるように史料も示している。
答えるどころか事実がどうかも疑わしい「お前も息子が可愛いか?」
を持ち出すなど話にならない。新説ではその台詞や「あやつではないわ
信康よ」も創作と考えてるのだからな。

118:人間七七四年
08/01/18 16:48:32 +RyUiUBo
「信長公記」の一つである「安土日記」。
それに信康に「逆心の雑説」があったとあり、これも
通説を疑わせる材料の一つになっている。
現在「信長公記」の現代語訳がいくつか刊行されているが、
別の底本を使用したため、この記載がないのが残念。

119:人間七七四年
08/01/20 16:11:51 OBSTfK4K
「安土日記」「当代記」そして天正7年8月に家康が堀秀政に
送った書状に共通するのは、家康の方から信長に信康について
相談したこと、つまり通説とは逆であるということだ。
これだけでももはや「信長命令」説は成立しないと見て
いいのではないか。

120:人間七七四年
08/01/23 21:59:07 Mg/dCi+8
徳川信康が江戸幕府第2代将軍だったら
スレリンク(history板)

121:人間七七四年
08/01/24 00:50:28 kxTleH0X
それは分からなさ過ぎる

122:人間七七四年
08/01/25 10:57:58 RlPSNOaA
話題転換か。

123:人間七七四年
08/01/31 13:03:11 wD3sjtSk
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW

124:人間七七四年
08/02/02 14:47:01 6gmz3Kmo
この事件に限らず、織田・徳川関係は徳川の世で
歪められた点が多いようだ。
姉川で徳川勢敢闘は捏造に近いと以前から指摘されてるが、
攻守同盟と思われてる織田・徳川同盟はそうではなく
単なる領土確定であったともいう。
また、京を追放された将軍義昭を家康は招こうとする動きも
あったという。
いずれにしても、これまでの家康の歴史は松平・徳川中心史観
というべきもので成り立っており、再検討の余地が大きい。

125:人間七七四年
08/02/02 15:40:54 YLSs5rDC
各大名家でリアルタイムで書かれて残ってる資料なら徳川寄りじゃ無くない?
後で書かれたら他の家も幕府から圧力が掛かってたかもしれんが

126:人間七七四年
08/02/02 16:12:15 j3zzAaLM
>>124
> 攻守同盟と思われてる織田・徳川同盟はそうではなく
攻守同盟じゃなくてもそれに近いものだったと思うよ。
だから信長の上洛に家康が加わってたし、姉川も参戦してた。
義昭の命令という見方もあるが、それなら三方ヶ原に織田は援軍を出さなかったし、
高天神の落城に賠償金を払わなかった。

127:人間七七四年
08/02/08 06:57:41 a1fMFxxC
今更ながら>>1
信長人気の興隆と言うが、最近はむしろ信長の業績とされるものに
疑問が呈されてると思うのだが。
桶狭間は奇襲ではない、長篠で3段撃ちはしていない、
鉄船は造っていない、楽市楽座の創始者ではないなど。

128:人間七七四年
08/02/08 19:17:01 1ezoK12I
>鉄船は造っていない
これマジ?
他のは承知してるけど


129:人間七七四年
08/02/09 19:47:46 NkMCKH2+
「信康は家康の種ではない」説というのがあったな
義元?氏真?との不義懐妊の築山を押し付けられた家康は事あれば信康を処分したがっていた、とか

130:人間七七四年
08/02/09 20:01:36 Wrf0rDNm
信康は言うまでもなく今川の血を引いている。
その今川を裏切った上領土まで奪った家康に
いい感情は持たなかったとも思える。
同じように家康は家康で、裏切った旧主家の血を引いた
信康をよく思っていなかったのではないか。
信長命令説では信康を死なせたことが「家康生涯の痛恨事」
などと言われるが、そうまで信康を大事にしてたとは
思えない。
この父子の感情が事件を呼んだとも思える。


131:人間七七四年
08/02/09 21:03:19 eMnvlTuH
岡崎に信康を分けたのは良かったが
築山殿まで一緒にしたのはまずかったな

132:人間七七四年
08/02/09 21:20:00 sYo9f5J0
一般に築山殿は最期まで家康の正室だったとされているが、
異論も出ている。
家康の母お大が実家水野家が織田方に鞍替えしたのが
原因で離縁されたように、築山殿も家康が今川氏を
裏切った時点で離縁されたという見解だ。
だから彼女は家康が岡崎城主だった間は入城できなかった。
岡崎城が信康に譲られると、彼女は城主の母ということで
入城した。
こう考えると築山殿が家康の正室でありながら、家康と共に
浜松へ行かなかったのが理解できる。

133:人間七七四年
08/02/09 21:31:37 NkMCKH2+
幕府の御用学者が秀忠を妾の子のまま放置してたのも謎だな
後付けでどんな捏造も出来ただろうに
まあスレ違いだわなw

134:人間七七四年
08/02/09 23:06:19 kqMzBHe6
秀忠の母お愛(西郷局)は若死にしたが
秀忠が将軍になると将軍生母ということで従一位を
追贈されている。
よって捏造の必要などまったくなかった。

135:人間七七四年
08/02/10 00:28:26 ECH8vv6K
放置されてたのは秀康じゃないの?

136:人間七七四年
08/02/10 13:11:33 Jn9T5+fW
>>134
話がずれてるね。
>>133が言いたいのはやろうと思えばお愛の方を正室扱いとか
秀忠を正室腹とかに捏造できたのに何でしなかったのかってことじゃないの?

137:人間七七四年
08/02/10 14:44:31 yozd4Svt
妹の亀姫と家康の仲は、どうだったんだろう

138:人間七七四年
08/02/11 20:02:57 BdJfObta
>>136
それに対して捏造する必要なんてなかったと言っているのでは?

139:人間七七四年
08/02/12 01:00:38 2S5s/EHd
築山殿が生きてる頃は氏真は家康に従っていて
諏訪原城あたりで今川旧臣を率いていたんだよな

140:人間七七四年
08/02/16 11:07:18 fx6I/KA8
「当代記」を「三河物語」より上位に上げる人が多いけど、「三河物語」だって徳川家の事を
かなり率直な物言いで書いてあるからその点も考慮すべきかと

後、信康付の重臣がその後、粛清されていないのも可笑しいと、自分は感じる。
植村家次は出奔してるけど、後に復帰しているし

仮に原因が内紛だとしても、派閥争いではなく、あくまで家康、信康との個人的な
諍いが原因とは感じている

で、大した事がない話を忠次が信長にばらしてしまい、話が大きくなって止む無く
切腹を命じたのではないかと

141:人間七七四年
08/02/16 11:32:49 sOiXS62H
「三河物語」は松平・徳川中心史観の嚆矢であると
研究者の間でも言われている。
三河物語に改ざんがあることは一例を挙げれば
家康の父広忠を病死としていることでも証明される。
これは松平家の当主が2代続けて横死した事実を
粉塗するためと思われる。
神君礼賛、家康に対する批判が許されない時代に
家康が妻子殺しなどと正直には書けまい。
>粛清されていない
三河一向一揆に荷担した家臣も帰参を許してる位だから
不思議はない。

142:人間七七四年
08/02/16 11:49:21 fx6I/KA8
>>141
大坂夏の陣での旗奉行のやり取り見てもそんなに気を使ってるようには見えない
家康と彦左衛門が言い争う場面なんて、杖をドンドン叩いて語気強く言い募るという
具合にそこまで礼讃しているとは思えん

後、家忠日記の当時の部分みても特に浜松と岡崎、家康と信康の間に深刻な
軋轢があったとは思えん。8月3日に家康が部隊を率いて岡崎に来るまで特に
問題は感じられない。6月3日にも家康は信康に会いに来ている。

143:人間七七四年
08/02/16 12:02:16 fx6I/KA8
因みに酒井が安土に出かけたのは1月4日

144:人間七七四年
08/02/16 15:02:47 jqV9qTTG
>>142
そうした例をいくら挙げても、新説派は三河物語が全部
出鱈目と言ってるわけではないのだから、信長命令説が
正しいという証明にはならない。
また、「家忠日記」の天正6年の記事に、家康が岡崎衆に
「岡崎在郷無用」という命令を出しているのがある。
これは信康と岡崎衆の関係を断ち切ろうとしたものでは
ないか?父子の相克が窺われる。

145:人間七七四年
08/02/16 16:14:53 fx6I/KA8
>>144
まあね。ただ当代記も直接、記録を始めたのは1600年からでそれ以後は編纂と考えられるし、
場所も伊賀や安濃津というと伝聞としてもあまり信頼できない(当時の伊勢は信長領だし)
URLリンク(izuna.ed.shizuoka.ac.jp)

信頼性は三河物語と大して変わらん、いや三河出身という感じを考慮すると俺は後者を無下に
はできん


146:人間七七四年
08/02/16 16:20:18 /fG9pZKr
出身だからこそ岡崎譜代岡崎衆の不祥事を隠そうとしたという見方もできるなあ

147:人間七七四年
08/02/16 16:57:59 fx6I/KA8
>>144
「家忠日記」の記事には
九月二十二日に
「亥刻ニ吉田左衛門より家康各国衆岡崎在郷之議無用之申~」とあり
翌日に鵜殿八郎三郎、松平太郎左衛門の三人と石川・平岩と会って
その後も在郷のお礼とかある
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)
単純に行くなという話ではないかと


148:人間七七四年
08/02/16 17:33:04 fx6I/KA8
>>147
後、俺には「無用」ではなく「参用」に見える

149:人間七七四年
08/02/16 17:52:47 aMCRwjxX
三河物語と当代記とでは編纂目的が違うだろう。
前者は徳川中心史観による史実の改変が見られることは
すでに明らかにされている。
後者は研究者の間でも「かなり信頼度が高い」と
されている。
それでも前者の方を信じるとすればそれは学問ではなく
信仰の世界だな。
それから「安土日記」の記載は知ってるか?

150:人間七七四年
08/02/16 17:57:43 aMCRwjxX
>>147
9月5日条には
「家康より鵜殿善六御使。岡崎在郷無用の由、仰せ越され候」
とある。
こっちの説明もしてくれないか?

151:人間七七四年
08/02/16 18:10:48 fx6I/KA8
>>149
「三河物語」でその間違いが指摘されているのは、主に忠教の生前に関連することが主で
それ以後は兵力の水増しや行為に対する好意的解釈はあるけど、事実をひん曲げると
いったことは無い様に思うのだが

152:人間七七四年
08/02/16 18:49:48 fx6I/KA8
>>150
やっぱ「無用」かなぁ
でも松平家忠、鵜殿八郎三郎、松平太郎左衛門は東三河衆として
酒井忠次の寄旗下だからその辺の整理なんじゃないのかね

153:人間七七四年
08/02/16 19:09:42 fx6I/KA8
>>152
後、牧之原城普請なんかで負担が増えたから、これまで浜松・岡崎双方に出仕していたのを
浜松だけでよいとして、妻子を実家に帰すというのは負担の軽減ですし
家忠日記からは自分は事態の切迫は感じないのだが

154:人間七七四年
08/02/16 19:35:55 A7CrOAol
>>151
あんたがどう認識しようと専門の研究者が
三河物語は「松平・徳川中心史観による事実の改変が見られる」
と指摘してるんだよ。
学者や研究者の言うことが全て正しいわけではもちろんないが、
素人はそういうものに耳を傾けるべき。
なお、信康の死が信長の命令ではないとするのも谷口克広氏を
中心とする研究者。
素人がその間違いを指摘しようというならよほどの根拠が必要。
「三河物語」の評価については平野明夫著
「徳川権力の形成と発展」(岩田書院)という本に詳しいから
一読を勧める。

155:人間七七四年
08/02/16 19:40:44 A7CrOAol
連投だが、
>無いように思うのだが
って、思うのは自由だが、それが正しければ
このスレは終了。議論の余地はなし。
それが分かってる?

156:人間七七四年
08/02/16 20:39:27 x9Uyewyr
通説で言うところの信康切腹に至るまでの経緯も
疑問・矛盾だらけ。
たとえば三河物語では夫婦仲が悪くなったことや
信康の不行状で死が命じられたとするが、
どんな不行状があったかは書かない。
不行状どころか「これほどの殿はまた出がたし」だからな。
そもそも嫡男を殺したいのなら、信長は徳川家そのものを
滅ぼすのではないか?

157:人間七七四年
08/02/16 20:40:03 fx6I/KA8
うーん、実は個人的には家康命令説もそれなりに色はあるとは思っています。
ただ、当代記の信用性が実は三河物語位だからそこは慎重にという事。
なんせあれ、大坂冬の陣の講和条件で二の丸埋めなくて良いという大間違い
やってますし

後、岡崎派と浜松派の争いは、家康命令の適当な理由付けでしかないでしょう。
実際、こういうことがあったという推論は根拠がないですし。
あくまで家康が信康を殺したのだとするならば、それはあくまで個人間の、しかも
傍から見れば実に些細な理由からだと、自分は考えます。

158:人間七七四年
08/02/16 20:59:54 x9Uyewyr
新説派の根拠は当代記ばかりではないよ。
「安土日記」には、信康が逆心を抱いたので家康が
信長にそのことを申し上げ、信康を国端へ追い出した
とある。
また、天正7年8月に家康が信長の側近堀秀政に送った
書状には、三郎(信康)不覚悟につき岡崎を追い出した
とある。
これらに共通するのは信康の処分について家康から信長に
伝えたということで、通説とは正反対であるということだ。
通説では信長が酒井を通じて意向を家康に伝えたことに
なっていて、家康が自ら何かしたということはないはず。

159:人間七七四年
08/02/16 21:11:51 fx6I/KA8
>>158
ああ、それならそれでもいいんですよ。
有力説として通説と比例されると思います。

私が気に食わないのはとにかく原因とさせる岡崎・浜松の
派閥争い説ですので。

160:人間七七四年
08/02/17 00:06:00 KS1CFgRe
むしろ、当の時代の一次・二次史料では家康の命令となっているのに、どうして
通説の方が有力視されてきたのか。

161:人間七七四年
08/02/17 00:20:03 5ZV0RaaT
神君が妻子殺しじゃマズイだろう

162:人間七七四年
08/02/17 07:50:29 KrYt7NgP
>>160
三河物語は何のかんのと言われても、いまだに重要な史料とされてますので

163:人間七七四年
08/02/17 10:09:33 Iljk3yFg
>>160
それは江戸時代、幕府の御用学者によって
「信康切腹は信長の命令」説が流布され
人々に刷り込まれたのが現在まで
続いてるってことだよ。
何しろ同時代史料は皆無、ほかにそうした
通説に反する史料も見付けられなかったのだし。
「当代記」の記述が注目されたのはごく近年。

164:人間七七四年
08/02/17 10:39:38 KrYt7NgP
>>163
個人的には「三河物語」の成立過程からして、後世の意図的な流布は考えにくいかと
むしろ家康が対内的にそういう話を流したという方が在り得ると思うのですが

よく御用学者の捏造とはいいますが、私はどうもそれ「便利な言い訳」に感じてしまうんですよ

165:人間七七四年
08/02/17 22:44:26 opMdVrqQ
むしろ「三河物語」が書かれた時点ですでに
信長命令説が普及しており、大久保もそう
信じて書いた、ということではないか。
なお「三河物語」を始め徳川氏創業記には
今川義元は必ず家康主従に苦労をかけた悪役と
して登場している。
これが嘘に近く、家康は実はつらい人質生活など
送っていなかったというのが最新の研究成果。
同書は決して荒唐無稽の書物ではないが、このように
主に家康を美化するための改ざんがあることに
注意すべき。

166:人間七七四年
08/02/17 22:52:16 2XCKQL81
>>165
今川家臣のどれぐらいかは竹千代をバカにしてたかもしれんけど
当主の義元自身はかなり期待をしてたようだからね
雪斎に説得されたのかもね、竹千代は使える人材だと


167:人間七七四年
08/02/17 23:06:26 KSOkNBU9
西三河一円に大きな所領と影響力を松平氏が有してたが故でしょう。


168:人間七七四年
08/02/17 23:47:36 5ZV0RaaT
>>166
重用し始めたのは雪斎死後だから、
義元自ら家康の才能を確認して納得したんだろう。
実際大高城での働きを聞いて喜んでたし。
もちろん、今川家臣の中で家康をいじめたヤツがいたらしい。

169:人間七七四年
08/02/18 06:45:34 L14zyOSk
>>165
あの時、忠教生まれてませんし。で、信康の時は既に元服してます。

170:人間七七四年
08/02/18 09:36:00 s/LuacGp
>>169
その時生きていたからと言って、正しいことを書いている
保証にはならない。
大久保が信康の直臣でもなければ真実を知る立場でもあるまい。
直臣だったっけ?
どうしても「三河物語」の信憑性を主張したいらしいが、
松平・徳川の専門研究者が「同書は松平・徳川中心史観で事実を
歪めている」と言ってるのだよ。
お前さんは専門研究者より上なのかい?

171:人間七七四年
08/02/18 09:48:05 s/LuacGp
仮に大久保が信康の死についての真実を知っていたとしても
神君が妻子殺しとは正直には書けまい。
そういうことも考慮しないでただ「三河物語」は正しい!と
叫ばれてもねえ。
そういうのは学問ではなく信仰の世界。

172:人間七七四年
08/02/18 10:42:02 3/AvQsON
>>169
大久保彦左衛門が生まれる前のことは誤りがあると
認めてるようだが、その誤りは家康や徳川家を美化する
ための意図的な改ざん。
だとすれば彦左衛門が生まれてからのことも全て事実では
なく、同じ目的による潤色・改ざんがあると考えるのが
自然。
大久保が生まれる前のことは誤りがあっても生まれた後の
ことは全て真実とは単純すぎ。
それから>>155をもう一度読むように。


173:人間七七四年
08/02/18 12:38:44 EQXiEJkC
人質であるがゆえに家康主従が苦労したのは本当だ。
義元に難題を与えられて家臣が家康に無理だから断れと進言したが、
家康は断れるわけなかろう、ここは自分に任せてくれと言うしかなかった。
無理難題を与えられても家康にそれをやってのける能力があったので
苦労していないように見えるだけ。
義元が家康に理不尽な虐待を加える理由はもちろん無い。

174:人間七七四年
08/02/18 19:40:36 u919jZC1
人質ってものを誤解してないか?
人質とはそのまま質、つまり預かりもの。当然、粗末には扱えない。もちろん
丁重にもてなすほどでもないが、だからって人質を虐待だの苛めるだのは通常
やらない。何故なら、人質を粗末に扱うことは人の上に立つものとしての器量
の問題だけでなく社会における礼儀の問題でもあり「預けた人質を粗末に扱われた
からもう従わない、離反する」というのは正統な行為と認められた。

175:人間七七四年
08/02/18 19:58:32 L14zyOSk
>>170
>>172
旗奉行の件を書いているので単純に「同書は松平・徳川中心史観で事実を歪めている」
とはいえんと思うのだが
その点その識者はどういってるのですか?

176:人間七七四年
08/02/18 20:19:01 MwLvgjI3
>>154の本を自分で読んでみな。
専門研究者の言うことにも耳を貸さずに自分流の解釈を
垂れ流すのはどうかと思うがね。
一点だけ書いておくがこの本(論文集だが)は
信長命令説は「家族の処断は家父長の権限」であるから
成り立たないとしている。
従ってあんたが信奉する「三河物語」のその部分は嘘という
結論になる。


177:人間七七四年
08/02/18 20:34:35 MwLvgjI3
最初に「三河物語」は家康・徳川家を美化するための事実の
改変があると言っているのではない。
他の史料などと突き合わせてみて、この信康事件に見られるように
事実とは異なる点がある、だから松平・徳川中心史観だと言っている。
それに対して>>175のようなのは単に自分が「三河物語」を信じたい
という願望に過ぎない。
だから学問ではなく信仰の世界だと言ってるのだよ。

178:人間七七四年
08/02/18 21:39:07 L14zyOSk
勘違いされてるので言いますが、別に三河物語を一切、疑問なしに信じてませんよ
三河物語の記事が可笑しくても、そこにはいくばくかの事実も含まれており、
その点を考慮せずに唯、否定するのはどうかと思ってるのですが
基本的に話というのは一から十まで嘘ばっかりということはないのですし


179:人間七七四年
08/02/18 21:49:07 1V3icPnH
だから誰が三河物語は全部出鱈目だと言った?
そのレス挙げてみな。

180:人間七七四年
08/02/18 21:59:45 1V3icPnH
もう一点。
ここは「三河物語」の信憑性を論議するスレではない。
信康が誰のために死に追いやられたかを考えるスレだ。
で、もしそれが家康で正しいとすれば「三河物語」のその
部分の記述が嘘になるというだけの話。
同書全体がどうとかは関係ない話だ。
お前さんがこうまで「三河物語」がどうこう言うなら
新スレでも建ててそっちでやれ。

181:人間七七四年
08/02/18 22:00:32 L14zyOSk
>>179
俺も三河物語は総て正しいとは言ってないよ

182:人間七七四年
08/02/18 22:04:58 L14zyOSk
>>180
信康切腹に関する「三河物語」の記事総てが間違いとは言えんのじゃない?
が俺の説
その間違えてるには主因が家康・信康の間にあるとも考えている。
但し、だからといって徳姫と信康の仲とか、信長がこの件に一枚噛んでいる事も
間違えているとするのはどうかという話

183:人間七七四年
08/02/18 22:21:07 1V3icPnH
では聞くが「安土日記」の信康が謀反を企てたという記事は?
家康が自ら信康を岡崎から追い出したと書状に書いているのは?
いずれも「三河物語」とは矛盾してるが。
同書には信康が謀反を企てたなど一言も書いてないはず。

184:人間七七四年
08/02/18 22:32:30 L14zyOSk
>>183
だからさ、主因を家康・信康の不仲とするも、それを切腹まで持ってった副因に織田家は
介在しているのではないかという話
もしそうならば、主副転換することで「三河物語」の話へと容易に転換する

185:人間七七四年
08/02/18 23:11:01 u919jZC1
>>178
三河物語の全てが間違いではなく、真実も含まれているだろうというのはそうだろう。
しかし三河物語の築山事件のくだりについては、他の史料、しかも当の時代の一次
史料にまで三河物語の記述を否定することが記載されている。
これで「三河物語の他の部分には真実もあるだろうから、三河物語の築山事件の記述
だってまるっきり否定はできないよ」と言われても妄言としかいいようが。

186:人間七七四年
08/02/18 23:14:30 u919jZC1
>>184
>切腹まで持ってった副因に織田家は介在しているのではないかという話
それを史料なりなんなりでまず証明してください。信長が家康に切腹を求めたとか
そういった記述のある史料を。もちろん三河物語以外でね。それなしに主張するの
なら、それは根拠のないあなたの妄想です。


187:人間七七四年
08/02/19 01:38:58 4jSrI5wL
三河物語の端書きに、「俺は年寄りだから記憶間違いとかあるお」って書いてあったようなw

188:人間七七四年
08/02/19 09:15:19 nh2ORXZC
実は信玄の真似をしたかっただけ。
根っからの信玄ヲタだったからな糞漏らしは

189:人間七七四年
08/02/19 10:09:59 g5xc3ABi
正室の子で今川とつながりのある長男を始末して側室の子に継がせるのもそうなのか。
よほどトラウマになってたのか家康。

190:人間七七四年
08/02/19 18:10:30 /BXHgq3h
俺ってつくづく暇人だなあ・・・

ていう人が、家康・信康の関連年表でも作ってくれないかなあ
xxxx年 信康が××する (△△△△より)
xxxx年 家康が信康に◎◎する (◆◆◆◆より)
xxxx年 信長が家康に●●する (□□□より)
みたいな
もうそういうサイトはすでに有るものなのかな
最後は信康自刃じゃなくて、逸話も込みでみて
「xxxx年 信康が生きていたらと家康愚痴る」で〆


191:人間七七四年
08/02/19 22:02:21 XhxvDMib
真実も含まれてるからこれも否定できない・・・って、
偽書武功夜話を擁護してるヤシの言い分と同じだな。
武功ももちろん頭からシッポまで事実無根のことを
書き並べたわけではあるまいから、真実である部分があって
当然だが、だからと言って偽書という評価が覆るわけではない。
「三河物語」も同じ。もちろん真実である部分もあるが、
家康の神格化、将軍家美化のために事実を歪めた部分がある
ことは明らか。

192:人間七七四年
08/02/19 22:24:27 XhxvDMib
「武功夜話」を引き合いに出したが、本来「三河物語」と
同列に語るべきでないことは分かってるので念のため。
もちろん「三河物語」が偽書であるなどと言うのではない。

193:人間七七四年
08/02/23 13:07:33 WRQz5gCD
話の腰を折ってすまんが、大久保忠教の兄弟には信康付きが居たはず。
そいつは信康の切腹後、兄の忠世とは生涯反目し続けてたよな。
(家康が一族だから協力しろっつってもケンカばっかりするんで結局別の組になってる)

信長に信康の行状を否定しなかった酒井が有名だけどけど、この時一緒に行った
大久保忠世の事に触れられてないのは、なんでだ?
「三河物語」は読んだことないけど、忠世が行ったことは体面を憚って削られてるのか?

ある意味、当事者でもある大久保家が信康自刃について、他と違う情報を持っている
可能性がないわけでもないと思うが、そういう考えを持つのは俺が素人だからなのかな。

194:人間七七四年
08/02/23 16:04:16 CO4DOz8w
忠佐だすな

195:人間七七四年
08/02/23 19:58:41 WRQz5gCD
忠佐より下。つか、忠佐と忠世は仲悪くないだろ。
大久保兄弟の中でも下から二番めだか三番めだかのヤツだよ、信康付きだったのは。



196:人間七七四年
08/02/23 20:38:31 4icy2nLZ
「真実を知る立場にいた」と、
「それをありのまま史書に記す」は全然別のこと。
大久保彦左衛門が真実を知っていても、
幕府の方針(?)として「信康は信長のために切腹させられた」
とあれば、それに反することが書けるはずがない。


197:人間七七四年
08/02/23 22:04:02 Y/PbDxCJ
この中から選べ

忠世、忠佐、忠包、忠寄、忠核、忠為、忠長、忠教、忠元

198:人間七七四年
08/02/23 22:09:52 RLsxaJS1
>>196
………三河物語の成立その他をご存知ですか?

199:人間七七四年
08/02/23 23:39:43 zcRSIRl9
>>196
旗本大久保彦左衛門忠教が著した松平・徳川創業史である。
元和8年には草稿本が完成していたと見られている。ただし
現存する自筆本が最終的に成立するのは寛永3年である。
松平氏の発祥から徳川家康が天下をとって東照権現として
祀られるまでを、編年的に叙述し、そのなかで大久保一族の
忠勤ぶりを力説する。巷間流布した最初の松平・徳川創業史で、
以後に作成される松平・徳川創業史の原型となった。そこでは、
すでに松平・徳川中心史観による事実の改変がみられる。
(平野明夫著「徳川権力の形成と発展」より)
これに付け加えることがあったら教えてくれ。
要するに「三河物語」は大久保が自主的に書いたのだから
幕府の意向など入っていないと言いたいのか?
それとあんた、>>185>>186で回答を求められるのと
違うんかい?そうならまずそれに回答するように。

200:人間七七四年
08/02/24 00:02:27 lgJn+Qww
アンカーミス
>>198
× >>196

201:人間七七四年
08/02/24 00:27:03 lgJn+Qww
このところ「三河物語」の成立がどうとか言って
反対意見を封じようとしてるヤシって同一人物か?
こいつの特徴は自分は人からの質問には(都合悪いからか)
答えないところにある。
自分の意見は書くが人からの質問は受けつけないというなら
こういう場所には向いてない。
もう書くなよ。

202:人間七七四年
08/02/24 02:11:58 ChzoWycK
>>199-201
一応こたえておきますが、別人です。勝手に決め付けないでください。

203:人間七七四年
08/02/24 08:34:53 z67MPTPF
>>202
で、>>199に対する感想・反論は?
それを書かないから「人からの質問は受けつけない」と
言われるんだろう。

204:人間七七四年
08/02/24 20:21:49 sWJ9QKaz
>>201
「三河物語」については俺

>それを史料なりなんなりでまず証明してください。信長が家康に切腹を求めたとか
>そういった記述のある史料を。もちろん三河物語以外でね。それなしに主張するの
>なら、それは根拠のないあなたの妄想です。

「家忠日記」の天正七年八月四日の項に
「御親子被仰様候て、信長大濱江御退候」
                康
という具合に「信長」を「信康」に訂正している。
URLリンク(www.hi.u-tokyo.ac.jp)

205:人間七七四年
08/02/24 21:55:54 ENVDWpsI
>>199
>松平・徳川中心史観による事実の改変

もしかして人質時代に苦労したという話?
苦労したかどうかなんて感じ方の問題だから改変というほどのものでもない
この程度が改変なら、改変してない歴史書なんてないだろうな

206:人間七七四年
08/02/24 22:16:36 rLAqRvyB
>>205
信康事件が信長の命令でないとしたらこれも
その「事実の改変」の一つになる。
一つ聞きたいが江戸時代には神君礼賛のため
歴史の書き換え・捏造が多く行われた。
これは研究者の間ではもう常識と言っていいが
お前さんはこれも否定するの?


207:人間七七四年
08/02/24 22:28:40 rLAqRvyB
もう1点。
「松平・徳川中心史観」を指摘してるのは研究者。
あんたがそんなものはなく、「三河物語」をはじめとする
徳川創業史が全て事実だと主張するならまずその根拠を
示すのが先。
専門研究者の言うことを否定しようというのだからさぞかし
ご立派な見解をお持ちなのだろうな。

208:人間七七四年
08/02/24 22:42:55 rLAqRvyB
>>204
残念だが、全然証明になってない。
信長を信康に訂正したのがどうだと言うのだ。
信長が家康に信康の切腹を求めたなんて
まったく書いてないではないか。

209:人間七七四年
08/02/24 23:10:40 rLAqRvyB
>>205
これ以上連投はスマンが、そんな発言をする前に関連書籍くらい
読めよ。
「三河松平一族」という本には、三河物語が家康の父広忠を病死と
していることが書いてある。正しくは家臣に殺された。

210:195
08/02/25 16:47:26 cMO1XLco
>>197
忠為か忠長のどっちか。
「寛永譜」あたりに載ってたと思う。>忠世と反目


つーかさ、「三河物語」って史書なのか?
当時の人間が書いた一次資料としては重要だと思うけど、“物語”とタイトルに付いてるんだから、
史料として読むのはお門違いのような気がするんだが。

あとさ、松平・徳川中心史観なんてのに凝り固まって資料を読んでたら、素人は歴史を楽しむ
余地ないぜ?
解釈なんてのは見方によっていくらでも変わるんだし、信頼できる人間が常に正しいことしか
言わないとは限らないからな。

211:人間七七四年
08/02/25 17:59:54 cz0PR+fc
ただ言えることの1つには
歴史の中には作家ですら避けたくなるような嘘みたいな展開も結構あるということ
その時に生きてた人間が居ない今、何が正しくて何が間違ってるかは、
100%は確定できないよね

212:人間七七四年
08/02/26 21:49:51 Taj6UFUE
言うまでもないが「信長命令」説は徳川方の一方的な主張。
織田方から出たものにはまったく記されていない。
それを記している徳川方の文献は何のために
編纂されたかが明瞭。
しかも徳川は戦国の最終的な勝者。
ここまで揃えばどちらを採るべきか明らかであろう。

213:人間七七四年
08/02/28 18:51:28 KjtfXLKH
そいや、>>209の言ってる本の筆者の別本だが「徳川権力の構想と発展」という本の中で、
織田との同盟がどういう物だったかの考証があって、その中で信康・築山の事件について
触れてるから、興味があるなら一読するといい。

裏付けというか、何を底本にして展開した論かきちっと書く人だから、参考文献集としても
使えるぞ。 高いがなw

214:人間七七四年
08/02/29 22:02:13 m6xsDt6Q
その著者も、信康事件は家康の意思という説だが、
松平・徳川研究者として、「三河物語」の成立過程も
当然よく知っているはず。
なのに「三河物語」の成立過程から見て大久保による
改ざんは考えられないとかってどういうことか。
一介のネラーより研究者の方が詳しいはずだが。
自分の方が詳しいと言わんばかりのヤシって何者だ?

215:人間七七四年
08/03/07 20:43:27 uS+Z1s+g
大久保忠教の逸話にこんな話しがある。
彼が若衆と談笑してた時に
若衆が「こういう時、あの源義経はこういう立派な立ち振る舞いをしたと史書に欠いてありますな」と
言ったところ、
大久保忠教は大笑してこう答えた。
「馬鹿者、史書なんて信じておるのか? ああいうのは人物や家を賞賛するために書かれたものだ」と

こういう考え方の大久保が
大久保家の人間に大久保家の誇りや徳川家の忠誠を説くために書かれた
三河物語にはたいした資料的価値はないだろう。

なんていうか教育書か思想所みたいなもんだろう。史実なんて二の次。

216:人間七七四年
08/03/07 20:45:37 uS+Z1s+g
>>214
「大久保による改ざん」って考え方そのものがそもそも違う。

三河物語はあくまで「子孫に誇りや忠誠を説くために書かれた書」であり、
歴史書とは違う。

217:人間七七四年
08/03/07 23:46:57 71vMhDPK
その辺は三河物語に限らず、古今東西の歴史書ほぼすべてがそうでしょう。

218:人間七七四年
08/03/08 00:39:04 Zp1gR2B+
三河物語は物語だからな

219:人間七七四年
08/03/08 10:21:02 5+yb/Iug
安土日記や当代記の記述も、所詮は風聞(噂話)

220:人間七七四年
08/03/08 13:49:25 GZ/tWY40
んじゃ三河物語も風聞だなあ。大久保忠教ごとき軽輩が、どうやったら信長と酒井忠次の
安土での会談の内容を知りえたんだか。

221:人間七七四年
08/03/08 15:29:33 QpdbT6Bs
>>220
少なくとも同僚・味方陣営ではあるので取材はできる可能性がある。
同じ伝聞資料でも、本人もしくはその場で聞いていた人から取材(というか雑談)できるのと、単なる風の噂では同列とは言え
ないと思う。

222:人間七七四年
08/03/08 21:03:25 7g0Yv/ze
だからと言って本当のことを書いているとはなるまい。
政治的目的を持った「三河物語」などはなおさら。
比して「当代記」などは政治的史書ではない。

223:人間七七四年
08/03/08 22:40:49 LhwOAmmw
>>222
当代記や安土物語の内容が織田方の見解と言え、
三河物語が徳川方の見解なのだろう
どちらかが絶対正しいと考えるのは問題かと

224:人間七七四年
08/03/09 00:19:20 NKwaXPDo
>>223
アメリカ独立戦争もイギリスとアメリカでは見解が一致しないだろうが、どちらを正しいとも決められないだろう。
決めた時点で、決めた人はどっちかに肩入れしていることになる。

225:人間七七四年
08/03/09 01:18:15 1QQNV277
記録の上では、な>見解の不一致

しかしこの信康切腹事件に関しては、信長が積極的に関与して命令を下したのか、
家康の方から言ってきて信長は許可を出しただけなのか、二つに一つでしかない。

226:人間七七四年
08/03/09 03:05:25 GlVNyA3r
信長は意外となんにもしなかったんじゃないかね
正しくは、できなかった
家臣じゃなくて、他家だから

227:人間七七四年
08/03/09 03:55:12 1QQNV277
>>226
それが正解だと思う。織田に対する反逆でも企んだのでもない限り、信長がわざわざ
他家の嫡子の生命を要求する理由がない。

228:人間七七四年
08/03/09 11:20:59 04CmnTAu
となると問題は家康と信康の仲違いの原因
従来の浜松派・岡崎派の主導権争いに巻き込まれたという説は
識者が言うほどの重臣の処分がないことから怪しい

あくまで、親子間の相克と信康・徳姫との夫婦の不和が重なり家康は
おろか信長の取り成しまで上手くいかなかった事に、家康が信長の
不興を買うことを恐れ、過剰反応とも言うべき追放に追い込んだという
昼メロ的展開はある

だから、本当はこのまま逐電させたかったんだろうけど、通説どおり
部下が馬鹿正直に監視していたから、切腹に至った可能性はある

築山殿はこれは完全についでかな?信康が死んだら、彼女はもう
なにもないし

229:人間七七四年
08/03/09 12:12:17 QRQNbaOX
>>227
つーか家臣ですら余程の事でも無い限り嫡男に死ねなんていうのはヤバイわな。
当時の家の概念からすれば、本人に対して切腹を命じるより重い刑と言っても過言じゃない。


230:人間七七四年
08/03/09 12:35:45 6ww03dXj
そもそも相手の嫡男が自分のより優秀で将来が怖い、というなら相手の家をつぶせばいいだけだろう。
嫡男だけ殺す理由はないし、そもそもその嫡男は自分の婿だから、子が生まれれば自分の孫。
嫡男が怖いならその嫡男を飛ばして自分の孫に継がせればいいだけの話。
何も子供が生まれる前に殺す必要はない。
信長の命令説は常識からあんまりにも外れるから信憑性が薄い。

231:人間七七四年
08/03/09 12:43:01 04CmnTAu
信長命令説が否定された現状で考察すべきは、では何故家康が信康を殺さなければならなかったのかと
言う点なのでは?
経過が解明されていても原因が不明というのが、信長命令否定説が主論足りえない大きな理由ですから

232:人間七七四年
08/03/09 12:44:55 GlVNyA3r
>>228
>重臣の処分がない
三河一揆で自分に反抗した一揆側家臣を許してたこともあるから
そういう点については寛大かもよ

>>229
確かにそれもあるね
信長が家督に口を出したことはあるけどあくまでもそれは家臣に対してだったし

信長としては、頼むから三河で内紛が起こらないでくれよ~と思ってたんでは・・・

233:人間七七四年
08/03/09 12:55:35 GlVNyA3r
親子喧嘩に関しては・・・
事実は小説より奇なことは本当に多いし
原因も意外と「くっだらねー・・・」ってこともある

信長原因説が「信長を悪者にしとけば云々」とあるように
実は信康は言われてるほどの器でなくて家康は悩んでいて
いろいろ悪行があってそれで切腹させたけど、
良かった事にしとけばかっこがつく、みたいな、
他にもなにやらいろいろと考えられるかもしれんよ
でも、築山殿までも同時に、ていう点はよほどのことが考えられるから
推測するにはここがかなりのポイントになると思われる
信康だけが問題ならいくらなんでも築山殿までは、だからね
これがあるから陰謀説が有力とされてきたのも理解できる

234:人間七七四年
08/03/09 13:18:48 04CmnTAu
>>232
三河一揆は一揆側に付いた重臣である酒井忠尚や石川康正(数正の親父)なんかは
追放されているから、一概に許しているとはいえない
この辺の家康の裁量を見ても、信康事件は家臣の処分が低すぎる傾向がある

235:人間七七四年
08/03/09 15:24:33 1QQNV277
>>232
信長だって信勝謀反のときは関係者処分なしですませたが、後には粛清などかましまくってる。
ある時に許されたからって、またやっても許されるってもんでもないでしょう。

>頼むから三河で内紛が起こらないでくれよ~と思ってたんでは・・・
これはその通りでしょう。当時東の脅威である武田は完全に徳川任せで、美濃尾張の信忠の軍
ですら畿内や西国に回されている。
この状況で徳川が内紛で弱体化すれば信忠軍団を西に回す余裕もなくなるし、最悪徳川が敵に
回ればどうなることか。

>>233
そうですね信康だけの問題なら、築山殿までが「処刑」される理由としては弱い。
武田や伊達など親子相克は他に例があるが、息子が反したからその生母が処刑されたなんて話は
知らないなあ。やるとしたって精々離婚するくらいでしょう。実際に嫡男が謀反を起した武田家
では、義信は処分されたが三条殿は特にお咎めなし。正室としての立場もそのままだった。


236:人間七七四年
08/03/09 17:13:07 TVzqPP3u
通説だと武田との内通だがこれは先ずなかろう
他の通説として彼女の讒言が信康と家康・徳姫の不和に繋がった説があり、
その点から責任を取らされた可能性はある

他にも当時の築山殿は既に家康正妻の立場ではなく、信康の母という立場で
しかなく、その為に殺害もさして問題なく行われたという考えもできる

237:人間七七四年
08/03/09 19:36:29 6l92VJjA
事件当時築山殿はすでに家康正室の立場ではなかったとする
説もある。
正室であれば家康と共に浜松へ行ってしかるべきだが、
岡崎に留まったのはその立場が信康生母としてのものだった
とすれば理解できる。
単に夫婦仲が悪かったとかでは説明できない。

238:人間七七四年
08/03/09 20:13:20 TVzqPP3u
後、不和の原因が信康の性格にあるとしたら守役の平岩親吉に何らかの責任
が生じるのが当然なのだが、切腹後に多少の謹慎があったが、その後は重用
されているし、関東入国後は秀康の後見役や義直の付家老、おまけに早世し
たが養子に家康の子を貰う重用ぶり

信康の性格は問題なかったということになるだろう

239:人間七七四年
08/03/09 21:23:08 uuXol7G/
>>231
原因が不明なのは史料がないためで、それは「信長命令説」を
正史とする幕府によって記録が抹殺されたためと考えられる。
よって推測するしかないわけだが、だからと言って、つまり
原因が不明なら「信長命令説」が正しいかのような言い方は
どうか。
そこらの事情はすべて徳川方に有利になっていることを
忘れてはならない。

240:人間七七四年
08/03/09 21:29:50 TVzqPP3u
>>239
正しいとは言わんが、問題なのは間違いない

241:人間七七四年
08/03/10 00:40:43 PuMFz6zw
上で書き忘れたが
>>235
女だったら剃髪して尼僧にして寺に放り込んで終わりと思うから
殺害は尋常じゃなかったと勘繰りたくなっちゃうのはしかたないね
信長が叔母さんを磔、とか、秀吉が秀次一族を、というのとはちょっと意味が違う気がするし

>>236-237
しかし、長男は長男として跡継ぎは考えておいても
その母親だけ離縁というのもなんかちぐはぐな気がしないでもないけど
名目正室としてはそのままで、事実上は離縁状態みたいなら分かる
秀吉のところもそんな感じだったんじゃなかった?


242:人間七七四年
08/03/10 04:29:58 tMvwuaN+
>>241
信長の叔母は明確に裏切っているわけだからこれはある意味当然。秀次の妻子は
謀反人の一族ということで処刑されたわけだが、信康事件に当てはめるとすると、
処刑されるのは五徳とその間の娘となってしまう。秀次の妻子に関しては避難の
声もあったそうだから、なんともいえないが。

>母親だけ離縁というのもなんかちぐはぐな気がしないでもないけど
家康の母は実家が裏切ったことから離縁されたが、息子竹千代は嫡男としてその
まま松平家に残った。少なくとも前例はある。これが松平家の特殊な処分なのか、
この時代の普通だったのかは不明ですが。
可能性としては、築山殿は離縁されたが帰る家がなかったので、信康が引き取って
岡崎に家を与えた、というところか。

243:人間七七四年
08/03/10 06:48:25 qJIQe274
築山殿が家康の妻としてみなされていなかったのは「家忠日記」で「信康母君」
でも見ることができる

信康事件で築山殿に責任があった可能性はある
問題はどのような責任があったかということであろう

244:人間七七四年
08/03/10 21:43:56 4k1F/hdb
>>242
あのとき今川方の勢力はどれぐらいだったのか
ちょっとすぐには分からないが
それと当時は松平は完全に今川配下で、
それこそ離縁しないと広忠も冷や汗ものだったと思う
これと比較すると徳川と織田との関係はまだゆるかったはずで、
それでもなお築山殿が殺害されたということは・・・
>>243
そこなんだよね
むしろこうなったら信康よりも築山殿殺害の方が興味深くなってきたwww

れが縦に4つ並ぶとかっこ悪いな・・・

245:人間七七四年
08/03/10 22:06:53 qJIQe274
築山殿が殺された理由といて考えられるのは
・信康を切腹しなければならなかった要因のひとつが彼女にあったから
・信康が死ねば彼女に頼るものは一切なくなるので、慈悲の殺害
・家康が邪魔な正室を処分するのにちょうど良い機会だったから
こんなとこか

246:人間七七四年
08/03/11 21:50:26 umAJLJvp
>>245
・家康が邪魔な正室を処分するのにちょうど良い機会だったから

これっぽいね。
どう見ても家康が築山殿を愛してたようには思えない。
煙たがってた感じはするが。

247:人間七七四年
08/03/11 22:07:10 oKlt/jCu
>>246
離縁すればいいだけでは?

248:人間七七四年
08/03/11 23:29:18 KVnLwfSF
「必要がない」と「邪魔、目障り」の間ははてしなく遠い。

当時の家康に、今川の血筋が必要とは思えない。しかしただそれだけなら離縁すればいい。
積極的に「殺さなければならない」理由ってのがほんと謎なんだよな。

249:人間七七四年
08/03/12 10:41:56 tnv/5N18
>>248
> 積極的に「殺さなければならない」理由ってのがほんと謎なんだよな。

家康の方が年下だったと聞くので、「あなた、小さいし早いわよ」程度のことだったりw

250:人間七七四年
08/03/12 11:02:30 ulJSlR5j
復讐を恐れたんじゃないのか?
年上だし、それにかつての主君の娘だし、
家康は築山とのに恐怖心はあったと思うよ。
女ながらある程度の人脈があったのかも。

ちなみにある小説では石川数正が信康母子を殺された恨みから
豊臣に寝返るいうラストだったし。

251:人間七七四年
08/03/12 19:55:22 YB0BPNUn
小説だったら、「築山殿が過去に義元と通じていて、信康はその種だった」というのがあったな。
だから家康は築山殿も信康も殺さなければならなかった、と。

小説としては、さまざまな状況証拠への説得力もあって、上手いネタだなと思ったよ。
(例えば、この理由だと問題なのは妻と息子の二人だけで政治的な事情はないので、信康付の
岡崎衆への処罰は軽かった、とか)
仮にこれが真実だったとしても、史料で確認されることはないだろうなw

252:人間七七四年
08/03/12 22:02:46 +0bEhTLy
新説を唱えた論者の言う岡崎派と浜松派の争いが要因という説は正直、怪しい
やっぱ昼メロだとはおもうのだが、その点家康は「全う」な家族付き合いができない
男だった可能性はある。
両親とは早くから引き離され、親父は生き別れ、母も元服してからやっとの再会。
兄弟もいない彼が普通の生活を送ることはできなかったであろう。

その点が子と妻との不仲を生じたことは容易に考えられる。

253:人間七七四年
08/03/15 23:29:08 iWiPITWB
松平健が家康を演じたドラマを今日TVでやってたけど、また信長が命令したことにしてたねw

254:人間七七四年
08/03/15 23:49:58 +0+U4d0u
信康の器量にビビった信長がいちゃもんつけてたなWW

255:Y ◆VqSh5C7CR6
08/03/16 02:55:51 GoIg8SgH
信忠がアホ扱いで出てないだけマシじゃないかw


256:人間七七四年
08/03/16 08:13:18 PPEsX+iJ
>>255
だな。にしても歴代の信忠が出た大河ドラマで酷かったのは秀吉に出てた信忠だな。今で言うKY気味で気が弱くて泣き虫みたいな設定だったWW一番マシだった信忠はだいぶ前の正月12時間大河ドラマ織田信長の時の信忠だな。

257:人間七七四年
08/03/16 11:42:11 knU1su98
信長が毅然と命令したわけではないが、
信長の存在が重圧になった家康が
思い余って信康を切腹させたという推測を考えてみた。

単なる空想だが、
いろいろな矛盾も解消できて悪くない説かも。

258:人間七七四年
08/03/16 11:59:41 HQTEHPB7
考えられない

259:人間七七四年
08/03/16 12:16:41 GNBi/0cx
>>257

>>228

260:人間七七四年
08/03/20 18:39:04 MlWaCMMf
>>258
何で考えられないのか理由を書けよ

261:人間七七四年
08/04/10 17:56:18 YHHmt8qT
浜松城のボランティアガイドの解説
信長が命令で信康を殺したことになってるらしい
まずいだろ・・・年寄りだから以前からある説しか知らないのが原因だと思われ
異説も同時に言ってるのかなあ

262:人間七七四年
08/04/10 20:27:46 BOhqj6O3
観光地なんて大抵そんなもんだよ。
気にしても意味無い。


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