07/11/21 01:15:47 H9u9Y5iC
>>430
牛車が使えたのはは道路が整備されてたからであって、『方丈記』では乗馬と牛車が反比例。>>67
【関東・信濃】 馬牧=台地・山麓(広い) 高句麗系 畑作と牧(馬飼育複合文化=森、大林氏)
【畿内】 馬牧=川原(狭い) 百済系 田と牛
常一は絵巻の見方もいい加減で話にならないし、貴族に馬口取り(舎人)は付く。
なぜ、平安貴族は落馬するのだろうか?武士じゃない頼長だけがなぜ射られたの?戦わないのに?
頼長が豊原時秋に贈った馬は、鞍と舎人もセットだったようだな。
貢馬の制度は牧を武士に横領されて廃れた。貢馬といっても貴族に贈るわけだから、実戦に使わないコレクション。
京の軍事貴族は独自に奥州などから手に入れたわけ。
東国では熊谷クラスの小領主でも立派な乗馬を手に入れてたが、畿内の在地領主は体力の無い博労馬だろう。
>>431=゚ω゚)
富士山
>>432
そっち系の話じゃなく、彼独特のフォームの事よ。負担大きいから故障心配ね。
近世・近代のそれは薩摩武士。
東国ロマン伝説、新語キタアッ━━━!!!