出身国別 最強兵卒はドコだ?? パート③at SENGOKU
出身国別 最強兵卒はドコだ?? パート③ - 暇つぶし2ch423:人間七七四年
07/11/19 22:09:22 9kTtOqWz
=゚ω゚) 寛永10年度江戸幕府の軍役令だと
200石で侍:1、甲持:1、槍持:1、挟箱:1、小荷駄1、草履取:1、口取:2で計8人。
900石で侍:6、甲持:1、槍持:3、挟箱:2、小荷駄2、草履取:1、口取:4、弓:1、鉄砲:1で計21人。
1万石になると人数規定の記載が無く
馬上:10、鉄砲:20、弓:10、槍:30、旗:3となる。
馬上武者は最低200石以上だから、それを10セット揃える事になる。
500石以上は計13人で>>414氏のデータとほぼ同じとなる。

=゚ω゚) 東西農耕と牛馬の違いは島原の乱にも見られる。
寛永15年からの牛の伝染病により西国地域の牛がほぼ全滅。
旱魃に加え耕作能力が低下し飢民は江戸まで流れてきた
これも西国飢饉の一因であったと言われる。
(東北はふつうに大雨と冷害だった)

>420
=゚ω゚) よくぞオイラの謎かけを見破ったな明智君。
他にも「望遠鏡にウサギのマークとはこれ如何に?」とか有るのだが
また今度にしちゃる。戦国に暗号は憑き物じゃけんのう。にんにん。

424: ◆26IT/WpOkg
07/11/20 00:52:32 UmuhIye7
>>419usi
その常一電波は論破されたろ>>109>>110>>119
律令的歩兵は弱小
>馬の口取り
口取りは貴族社会に見られる。舎人の「くとり」。
武士社会の馬口取りは容儀を整える意味でも必要なもので、もちろん全国共通。馬柄杓もだろう。
まぁ、畿内産の軍馬は関東甲信の駄馬より劣るしw
usiの東日本に対する偏見がマルクス史観。

425: ◆26IT/WpOkg
07/11/20 01:03:38 UmuhIye7
地理人類学板の鎮西人ワロス
鯉のドラ1は前商出身の篠田か。多田野獲れなかったね。
捻り嫌いのusiとしては多田野は好みじゃないだろうな。変な意味じゃなくてw
>>423=゚ω゚)
江戸泰平の世だと、旗本の殿様も若党や中間より女中を多く雇ったり・・・
本来は精鋭であるべき大番組番士クラスじゃ馬も飼えないだろうし、軍役も糞も無くなるね。

426:人間七七四年
07/11/20 01:10:33 wjI3UjaL
伝染病でusiが死ねば良かったのに

427: ◆26IT/WpOkg
07/11/20 01:18:08 UmuhIye7
   ∧ ∧
  ( ゚∀゚)   あと、>>419の>畿内の文筆に携わる者
  _| ⊃/(___      これって日本書紀の頃からだけど?坂東を重視する姿勢はね。
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

428:白馬青牛
07/11/20 23:04:49 mOJnvj+2
>>421
ネットウヨは、ネオナチとKKKとまるで違うんなえら、キリスト教
福音派の原理根本主義者か?第一民主主義否定論者はいない?ネットウヨの
親分の幕屋、創始者の手島郁郎氏は民主主義を否定しとるじゃないか。
URLリンク(www.tokakushin.org)
3 キリスト教幕屋ーその教義と実践
◆強烈な民族主義と反民主主義 
手島郁郎氏は「私は聖書を深く読めば読むほど民主主義というものに
反対です。」と、云う。操られたネットウヨも同類じゃろう。
URLリンク(www.ginzado.ne.jp)
URLリンク(www4.tiki.ne.jp)
URLリンク(homepage2.nifty.com)
これらのサイトからネットウヨの思考源流が宗教原理主義から来とることが
解るが、聖書を一字一句正しいと信じる根本主義者と歴史文献を文字面から
額面通りに受け取る板東蛙君は類似しとるのう。宗教を否定するマルクス
左翼ボーイがマルクス史観を神の経典としたんと、ネットウヨ宗教右翼も
狂信さにおいて変わりなきものよ。

429:白馬青牛
07/11/20 23:53:25 mOJnvj+2
>>428のに、出んかったんがあったか。
URLリンク(ww4.tiki.ne.jp)
じゃったかいのう。
>>423
寛永期の牛の伝染病で西国の牛がほぼ絶滅したかどうかは、遺伝子を
調べて見んことにゃあ解らんよ。寛永の飢饉は西日本だけじゃのうて、
東北地方にも波及しとるじゃろうに。
飢饉は小氷期には頻発しとる。15世紀には洛中の死者8万4千が事実か
どうか解らんが、戦国時代は小氷期によってもたらされたとも云えよう。
4世紀の氷期には、渡来系の大量移住もあったろうし、平安期の9世紀
頃には、西日本の小氷期に比べ、東日本は温暖化現象が起きて
西日本人の東日本へ殖民活動や温暖化による生産向上で奥州藤原氏や関東
武士連中の自立のきっかけにもなったんじゃろう。

430:白馬青牛
07/11/21 00:11:31 t+zqjv61
>>424
論破されとるんは、蛙君の方で。宮本常一氏は、家畜飼育文化から
東日本は欠落部分が多いとされとるんじゃ。
確かに、東日本は蒙古や高句麗の牛車文化や犂を使う部分に乏しい。
東日本は、馬を荷駄や農耕に使う要素が強いわけじゃ。
舎人を馬の口取りと語呂合わせしょうるが、新羅の舎人も同じ意味か?
畿内に馬を献上した東国の方が駄馬を使うとったんじゃないか。
自民族発展段階説で完結されるんがマルクス史観じゃ。東日本の
鎖国閉鎖史観が相当するよ。
>>426
人を呪うようなことを云うんは、われが恥を掻くんじゃのうて、われを
育てて下さった、ご両親が恥を掻くんで。どがいな育て方をしたんか
云われるんど。自分自身の汚名よりご両親の責任になることを自覚せえ。
親不孝もんが。

431:人間七七四年
07/11/21 00:13:29 WRJoIPTJ
=゚ω゚) だから東北はふつうに冷害と洪水だっつーに。
あと、噴火も有ったかな? 西国は旱魃だよ。
東日本は耕作に馬を使ってたから被害はやや少なかった。

>牛がほぼ絶滅したかどうかは、遺伝子を調べて見んことにゃあ解らんよ。
=゚ω゚) そんなもん調べなくても記録にのこっとるじゃろ。
九州、中国ら西国大名が幕府にその旨を申告している。

>428
=゚ω゚) フランチェスコ上人は福音書しか読んでおらんでも悟りを開かれたそうな。

432:白馬青牛
07/11/21 00:28:05 t+zqjv61
>>425-427
殿様の女色好みじゃろうが、戦国期のような男色(ホモ)ならええんか?
心配せんでも男色は、明治期には再び流行したよ。戦後は天下泰平時代が
続きよるけえ、男色の復権は難しい。あんたあ残念じゃったのう。
『日本書記』等の記紀が創られた時代は、東国ロマン伝説の時代じゃ。
5~6世紀に書かれたもんじゃあるまいし。

433:白馬青牛
07/11/21 00:52:45 t+zqjv61
>>431
冷害と洪水も旱魃も気候変動による現象云うことじゃ。
記録だけなら書き手の主観でどうとでも書けるど。
都合の悪りいもんなら、終戦時のように焼却して終わりじゃ。
『日本書紀』にしても、記録云うか記紀は、文学の一形態じゃけんのう。
飢饉の犠牲者を報告するんも戦闘報告の何人殺したかで、殺してもない
数が加算されるんと同様、飢饉の犠牲者数も正確じゃない。ただ飢饉が
あった事実だけが記録に残るわけじゃ。あんたも原理福音派聖書根本主義者
の一字一句を額面通り、解釈するんと変わらんじゃないか。
ほんま関東の連中は、妄想原理主義者がようけ(多い)じゃのう。
こんなあ、ローマカトリックの新約聖書の福音書解釈と根本主義者の
旧約聖書を文字通り解釈するんと混同しょうるわい。

434: ◆26IT/WpOkg
07/11/21 01:15:47 H9u9Y5iC
>>430
牛車が使えたのはは道路が整備されてたからであって、『方丈記』では乗馬と牛車が反比例。>>67

【関東・信濃】 馬牧=台地・山麓(広い) 高句麗系 畑作と牧(馬飼育複合文化=森、大林氏)
【畿内】     馬牧=川原(狭い)     百済系   田と牛

常一は絵巻の見方もいい加減で話にならないし、貴族に馬口取り(舎人)は付く。
なぜ、平安貴族は落馬するのだろうか?武士じゃない頼長だけがなぜ射られたの?戦わないのに?
頼長が豊原時秋に贈った馬は、鞍と舎人もセットだったようだな。

貢馬の制度は牧を武士に横領されて廃れた。貢馬といっても貴族に贈るわけだから、実戦に使わないコレクション。
京の軍事貴族は独自に奥州などから手に入れたわけ。
東国では熊谷クラスの小領主でも立派な乗馬を手に入れてたが、畿内の在地領主は体力の無い博労馬だろう。
>>431=゚ω゚)
富士山
>>432
そっち系の話じゃなく、彼独特のフォームの事よ。負担大きいから故障心配ね。
近世・近代のそれは薩摩武士。
東国ロマン伝説、新語キタアッ━━━!!!

435: ◆26IT/WpOkg
07/11/21 01:55:34 H9u9Y5iC
▽保元物語(半井本)
(為朝)「清盛ナンドガヘロヘロ矢ハ、何事カ候ベキ」
(為義)「合戦ノ道ニ調練不仕シテ、不案内ニ候ナリ」
(為義)「嫡子ニテ候義朝ハ、坂東ソダチノモノニテ候間、弓矢ノ道奥義を極タル上、付随所ノ郎等、皆関東ノ兵者共也」

436:人間七七四年
07/11/21 21:50:18 EI1qR/Kz
>>430
己が広島の恥なことに気づいてない件


437:白馬青牛
07/11/21 22:48:12 t+zqjv61
>>434
道路がのうてもモンゴルじゃ牛車を使うとったよ。
森浩一氏は、東国の山麓馬牧が広く、河内の川原馬牧が狭い云われとらん
じゃろう。森氏は「五~六世紀ごろは、河内平野はわが国における馬の
文化の中心であった。」と、される。元来馬牧は水草を追うもんじゃ
ないんか。南満州~朝鮮北部の山麓に住んだ高句麗自体、果下馬で
小型馬じゃったよ。中型馬は満州平原の夫餘かモンゴル~西満州の鮮卑から
手に入れて重装騎兵が作れたんじゃないか。東国山麓の高句麗と共に、
関東低地平野部の新羅系の要素もあり、馬文化も日本海側から流入したと
考えられる。
一方河内の馬牧は、百済系云うても、東漢氏と新沢千塚古墳と鮮卑の関連も
あり、鮮卑、楽浪漢人、百済、伽耶の混合で黄海側の要素が強いんじゃ
ないか。
『年中行事絵巻』の貴族の方が見た目に騎乗姿が良いが、板東武者は、
源平合戦の絵巻でも馬が暴れて騎乗者が落ちまいと馬にしがみつき、
哀れな姿態じゃけんのう。これじゃあ、近代軍隊の弱いとされた日本
騎兵以下じゃ。騎馬戦闘の集団運用どころじゃないわ。
新羅じゃあ舎人は、豪族の郎党で大舎、舎知は上干、干と官位を持っと
るよ。馬の口取りから発生したかは、疑問じゃのう。
関東の実戦云うてどの戦闘か?具体的に云わにゃあ。出入りと戦争は
違うで。奥州や北海道の渡島等の馬を京都貴族が求めたことじゃが、
関東は馬の質が良うなかった云うことか?
安芸に移住した熊谷氏じゃけえ、熊谷クラス云いたいんかいのう。
まあ、セミプロじゃったんは、認めるが。熊谷氏が移住した処が、
安芸国漢弁郷(広島市安佐北区可部地域)じゃ。安芸に先に移住したんは
騎乗プロの渡来系漢氏じゃったんも面白い現象よのう。

438:白馬青牛
07/11/21 23:13:56 t+zqjv61
>>434
そっち系は薩摩人に顕著じゃが、地域的に西日本の方じゃのう。
もっとも、江戸でも旗本奴や町奴らDQNは、その気も強かったんじゃ
ないか。男色は地域や時代と両面見んといけんが、戦前の昭和期では、
陸軍より海軍に蔓延しとったようじゃ。広島ヤクザを描いた
『仁義なき戦い』や日露戦争を題材とした『203高地』の脚本家、
新潟県人の笠原和夫氏は、広島県の大竹海兵団出身じゃったが、
海軍は「そっち系」じゃないと出世出来んと云われる。船の中の閉ざされた
環境か、海軍が薩摩閥が多かったせいか、それとも海軍がモデルとした
英国の紳士の男色習慣か、要因は様々あろうのう。
>>436
広島県の恥は、参議院議員になって無所属から自民党へ変節し、
反日分子発言をした漫画道場のK氏じゃないか。反日分子云うて、
ネットウヨの発言と同レベルじゃわい。市長選に落選してえかったのう。

439: ◆26IT/WpOkg
07/11/21 23:43:33 tW87S4EQ
>>437
京都貴族は馬にも乗ったがそれより牛車。モンゴル人は一にも二にも馬だから全く違う。
森氏は古墳時代から関東の優位性を認めてるよ。

高句麗の馬は小型だが、後に大陸から中型馬が入って来たろう。
それらが南下するなどして、朝鮮南部から日本に中型馬が入って来た。(日本書紀)
だから、信濃や上野の高句麗系の馬文化は中型馬。畿内のそれも中型馬だが、後世の評判は頗る低い。

絵巻なんてものは省略して描かれてるわけで、武士戦闘の場面で口取りが居ないのも普通にあるぞ。
貴族の見た目ってむくみ顔で肥満だろw落ちまいと馬にしがみついてるのは随身絵巻の近衛舎人だぜw
権太栗毛1200束、直実がセミプロなら教経や景清は高陽東か新庄か。。。
任那・百済系の漢氏(漢=韓)がプロ?戦闘が恒常化するのは東国だよ。漢氏は「兵の家」になれなかった。
>>438
京・奈良が本場だからな。それに較べりゃ信玄なんてかわいいもんだろw

440: ◆26IT/WpOkg
07/11/21 23:44:31 tW87S4EQ
浅間山の方が影響は遥かに大きいか       ↓ココ
1083年(富士)1108年(浅間)1707年(富士)1783年(浅間)
富士や浅間も 何ならむ 君思ひねの 胸のけぶりは

441:人間七七四年
07/11/22 00:12:47 Zden2UtC
>433
=゚ω゚) 寛永18~20年の大飢饉は蝦夷駒ケ岳の噴火。
伊達領の洪水および冷害。五機内、中国四国の旱魃と虫害。
そして九州の牛死

これに先立つ寛永15年に九州筑後、豊前に始まる大量の牛死が発生。
国境を接する肥後、長門の牛もことごとく死んだ。
熊本藩は薬を注文しているが使うべき牛が死に絶えていたと言われる。
この事は萩藩毛利家も幕府へ報告すべきか黒田、細川らと問い合わせを
行ったと萩藩留守居役の日記に書いて有るそうな。

442: ◆26IT/WpOkg
07/11/22 00:59:48 thacp06l
貴族は米中心の偏食、魚肉を忌み嫌い、都市生活者ゆえ新鮮な食物も摂取できず酸性体質。
運動不足で肥満、顔もむくみ、その容姿が絵巻に描き出されてるか。
地方からの食料に依存してた京都が飢饉に弱いのは当然の成り行き。

>=゚ω゚)
馬は日本>朝鮮だが、明治~大正期に移入された朝鮮牛は和牛より力があり、役畜としての能力も高かったそう。
それで近代、関東でも耕起に畜力を利用するようになったのだが、牛の朝鮮&近畿と言えるか(usi激怒)
明治初期の肥後牛は体高111cm、それが品種改良で昭和初期には130cm前後まで体格アップしたんだってさ。
戦国時代、軍事物資輸送用に駄馬ならぬ駄牛も使われていたそうだけど、西国大名かな??

443: ◆26IT/WpOkg
07/11/22 23:41:56 lqdNfO5s
関東 筋肉労働者 濃味 辛味 塩分多
上方 知的労働者 薄味 甘味 塩分少

444:白馬青牛
07/11/23 22:52:35 7Cjhucj2
>>439
古代モンゴル人は、馬の少ない室韋や初期の柔然のように、牛に乗って
掠奪した連中もおったよ。日本では、大国主命が牛に乗って北陸の越を
平定した伝説を持つのう。馬が少ない場合は牛に乗りゃあええ訳じゃ。
東国に牛車文化や犂文化が乏しい云うことは、家畜飼育文化にも
乏しかった云うことで、牛馬の区別以前の問題じゃ。
森氏は、馬具の出土が長野県(高句麗系)に一番多いことからじゃろう。
『日本書紀』は8世紀に書かれたもんじゃけえ、あてに出来んが古墳期に
中型馬が流入した確率は高いのう。
そう云やあ、関東武士の佐奈田与一は、馬が暴走して討ち取られたんじゃ
ないか。後世の物語文献で信憑性が薄いとしても、書かれた鎌倉期も
騎馬戦を実戦として運用出来んかった云うことじゃのう。
後の文も妄想を云うとるのう。じゃけえ、何回も聞くが東国の実戦とは
どの戦闘のことか?

445:白馬青牛
07/11/23 23:42:00 7Cjhucj2
>>442-443
このスレのパート①でも挙げたサイトじゃが、
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
■「史論」間違っている論理展開
「以下は恣意的な事例選択により、間違った解を導き出した例。」
『ビジュアル源氏物語 第5号』の文について、
「平安貴族は短命」や「ひ弱な貴族」「屈強な武士」と云うのが、
如何に根拠の無いものか書いてあるが、蛙君もマルクス左翼史観の見解から
堕落した貴族を倒した関東武士云う前提条件(妄想前提条件じゃが)を
造って云うとるけんのう。貴族が魚肉を食べんかった根拠も無いしのう。
建前で魚肉を嫌うても、ほんまは江戸期のように薬喰いじゃ云うて喰う
ことも出来るけんのう。蛙君よ、貴族の便所址からの寄生虫から魚肉は
喰わんかった云う根拠でもあったんか?
シベリアの狩猟民族や内陸アジアの遊牧民も味付けは薄いど。
日本では、畿内~瀬戸内食文化圏の味付けは薄い。ほいで関東人は
素材の味を知らん馬鹿舌と嘲笑すわけじゃが、逆に味付けが濃い云うことは
文明化云う面もあるけんのう。東国の長子相続制等、宗族概念も儒教色の
強い文明化とも云える。素材を生かす西国の食は野蛮人で、
関東はひ弱な文明人云うことかのう。

446:白馬青牛
07/11/24 00:03:54 S9mpbMRn
>>442
馬は日本>朝鮮かのう?騎乗者レベルじゃあ逆になるんか?
URLリンク(bbs.enjoykorea.jp)
「エンコリ」からじゃが、朝鮮半島の方が大陸の騎馬民族と直接接して
おるだけに、騎馬は上じゃないか。赤組の嫌韓低脳連中の方が、
火病を起こし、形勢不利じゃのう。まあ日本でも民間に馬の曲乗りは
あるけど。

447: ◆26IT/WpOkg
07/11/24 00:52:44 XB5waDrH
まあ、陰徳太平記よりはマシ
>>443
モンゴル人は牛を馬鹿にして乗らないらしい。プライドが許さないと言って。
森氏は関東の馬型埴輪を重視してる。ついでに家畜についても。
与一は勇者。
>>440の噴火の頃も戦ってる。
>>445
前に挙げてた下らないやつか
>>446
今の朝鮮は小馬が残っただけで、畿内と似て牛の産地。
創意工夫が足らず大陸の物真似だろ。日本は独自に進化した。


448:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/11/24 00:59:18 DNC4e3ff
塩について一応言っておくと。

関東と関西では関東のほうが内陸が多いぶん塩に飢えている。
>>443が挙げてくれているところだが、それだけに塩分の消費は少ない。
薄味の旨味の昆布には塩が多くなければならない。
旨味が強い節文化の関東は、漬物以外に多くの塩分を必要としない。

449: ◆26IT/WpOkg
07/11/24 01:01:09 XB5waDrH
アンカー >>444usi

450:人間七七四年
07/11/25 01:22:02 pi9mb2pf
=゚ω゚) うむ。これは本場長浜博多ラーメンの方が関東しょうゆとんこつより
あっさり味である事に通じる部分が有るかもしれない。食ったことは無いが・・・
替え玉を使うのが本場の味らしいがこれは立花道雪の
早合にヒントを得たのではないかとオイラは直感したね。と言うのはウソぴょん。

味覚と言えば本州の米味噌。愛知三重岐阜の豆味噌。九州中国の麦味噌だな

そういや老子が牛に乗ったのは何故かのう?
日本では徳一や長野無楽が牛に乗っていた。
そして我々はusiにのせられている。はっはっは。

451:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/11/25 22:27:52 ZW+fR2pf
誰うま(ry

452:白馬青牛
07/11/25 23:50:47 TBqZatf0
>>447
陰徳太平記は、古老を尋ね聞き取りしたもんじゃ。あんたの云う妄想
文書と同一視すなや。現代のモンゴル人は牛にあんまし乗らんが、
古代の柔然はどうか聞いとるんで。チベット系牧畜民は今でもヤクに乗る
ど。下らんのは、根拠の無い蛙君の共産主義的関東マンセーよのう。
創意工夫の進化云うより劣化じゃないか。西洋や日本はユーラシアの
辺境部で騎馬技術が発達せんかった。独自云う言葉を使うんはマルクス
左翼史観の影響じゃろう。
>>450
わしゃあ、ラーメンは滅多に喰わんよ。博多の屋台の替え玉を遠き昔に
なったわい。うどん等の麺の汁にゃあ瀬戸内のイリコダシが一番ええ。
まあ、ラーメンたあ、関東のソバの方が好きじゃのう。難点は汁が
濃すぎで塩辛ろうて、後に喉が渇くことじゃ。
広島の沿岸部は米の白味噌を多用する。県北に行くほど、味が濃ゆうなる
わい。瀬戸内沿岸と違うて、県北のもんの味覚は、関東人並み馬鹿に
するもんがおるけんのう。そう云やあ、広島県北部や島根県はソバ食
文化圏じゃった。

453:人間七七四年
07/11/26 01:10:29 aB+q2zwK
=゚ω゚) 九州、西国は麦ミソ、甘口しょうゆだと聞くが?
瀬戸内は米ミソなんか?
現代の関東は信州ミソで、しょうゆは千葉だな。
醤油の元祖は紀州のたまり醤油で漁民とともに銚子へやってきたのが
ヤマサ濱口儀兵衛一族の初めらすい。

やはり特殊なのは天下人の八丁ミソ文化圏か

454:白馬青牛
07/11/26 01:50:42 pgJs58Jw
>>453
瀬戸内沿岸部は、米の白味噌が多いが山間部は麦味噌も多用するよ。
URLリンク(www.my-styles.jp)
全国味噌の一覧も参考になろう。
ほいから、関東の食は濃口醤油の香りが強いのう。

455: ◆26IT/WpOkg
07/11/27 01:10:05 nzlwBoju
>>444
大国主命のソースは
>>445
平安の貴族社会は穢れちゃうからダメなの
奈良貴族>平安貴族(タンパク、ミネラル、ビタミン欠乏)
平安貴族にキレやすい奇人変人が多かったのも納得。
>>452
毛利家臣の香川親子が毛利家臣の古老に聞いたか。で、元禄8年(1695)の完成と・・・
妄想関八州古戦録とかネタにしてないよw

456:人間七七四年
07/11/27 01:30:03 0z+eLJQs
=゚ω゚) 大味必淡、大音必稀かのう?京の着だおれ江戸の食い倒れ
とは言うが江戸っ子自体は薄味好みだったようだ。
(だが、じっさいの塩分は関東の方が多い)
感覚的に関西は見た目より「塩味」が強く、関東は「醤油風味」がキツイの
ではないかといわれる。
寿司なんか見比べると一つは保存と手軽さが有ったのかも知れん。

あと昆布は北前舟の関係上、関西が先に発達完成したためと言う説も有るな。
鰹節は土佐産と言われる。水上流通だな。


>妄想関八州古戦録とかネタにしてないよw
=゚ω゚) うっ・・・ すんません使ってますた。

457: ◆26IT/WpOkg
07/11/27 02:05:28 nzlwBoju
=゚ω゚)
俺とusiはデムパ新人国記

京は水。
昆布は鰹節を使え(わ)ない貴族僧侶の食文化から発展した上方らしい。
鰹の話は徒然草にあるが、元来下等な魚だったのに世の中変わるもんだと。
北前含めて食い物は北海道最強。

458:白馬青牛
07/11/28 01:55:37 bHPwwKl2
>>455
大国主命のソースか。
URLリンク(www.cap.or.jp)
URLリンク(www5.ocn.ne.jp)
上の伝承は『山田村史』の悪者が多く住み農民を苦しめたので、大国主命
が、牛に乗って山を登り、悪者を平定したと云う。
下の方の奥山駒ヶ岳の話も牛に乗った大国主命の説話がある。
下記の沼河比売と、「その夜は結婚しないで、翌日に結婚なさった」と
あるが、<初夜の忌>(初夜の性的抑制)で北陸から美濃・三河や東北に
分布する習俗。折口信夫氏は「三河南北設楽郡(新羅系か)の山中では、
結婚の初夜は、夫婦まぐわく(SEX)ことを禁ぜられている。
花嫁は「ともおかた」と称する同伴のかいぞえ女[添い寝]と寝、
『お初穂(処女)はえびす様にあげる』のだと言ふ。」
ほいで、平安貴族のタンパク・ミネラル・ビタミン欠如の根拠は?
陰徳記は、日の目が出るんが遅かった云うことじゃ。完成期が遅かった
けえ、文体が物語風装飾要素が強うなったことは否定せんよ。

459:白馬青牛
07/11/28 02:22:17 bHPwwKl2
>>456-457
ひねりよるのう。江戸の着倒れ、大阪の食い倒れじゃろうに。
東京人は、気取っとる人種じゃし、普段不味いもんばっかし喰うとるけえ、
値段の高い、高級な料理とやらを喰いたがる傾向は現代まで及んどるんじゃ
ろうかのう。
ほうよ、北の昆布、伊勢湾周辺の鰹節、瀬戸内のイリコよのう。
北海道の食い物がまずい云う逆説か?
魚に関しては瀬戸内が最強で、外海の魚は大味じゃが、
確かに北海道の昆布類は、最強じゃのう。
わしゃあ今日もガゴメ昆布の汁を飲んだよ。
昆布はグルタミンじゃけえ、イノシンの鰹や肉類の組み合わせも旨い。
海藻類ならメカブでも、西国物より東北物のほうが旨いのう。

460:人間七七四年
07/11/28 21:26:49 LsQ44tb0
=゚ω゚) ひねるもなんも京の着倒れ、大坂食い倒れ、江戸の呑み倒れ
神戸の履き倒れ、名古屋の貯め倒れetc
特に江戸は着倒れ、食い倒れ、呑み倒れ、履き倒れ、買い倒れ何でも有りだ罠。
まあ、人口が多いからな。

>『お初穂(処女)はえびす様にあげる』のだと言ふ。
=゚ω゚) ほう、これは面白い。大国主命は縁結びの神でもあるな。
しかし「エビス様」ならセガレの事代主神や
同じ国造り神の、♪指に~足りない♪ヒルコ神だと思うが
いずれも水の神、マレビトの神、福の神だな。
だが漫画書きの蛭子さんは賭けマージャンで捕まったが・・・貧乏神か?
もっともオヤジの牛頭天王(武塔天神・スサノオ)も蘇民将来では福の神とされるが
疫病と戦争を撒き散らす荒ぶる神でもある。馬との縁も深い。

駒ヶ岳の話は、どちらかというと牛馬は供物としての性格に思えるのだが?
若狭、越前の民は牛馬を殺して漢神を祭ると言う。
牛を用いた戦術だと木曾義仲か?

461: ◆26IT/WpOkg
07/11/29 00:22:19 rgjPIJIC
>>458
越と大国主はただの伝説か。ソースになってないよ。

塩辛い魚介類の干物など、堅くて消化の悪い乾燥食品が中心の副食。野菜・肉、鮮度不足。バランス悪っ!
米中心、甘い酒を大量に飲んで、飲水(糖尿)病の平安貴族。
お姫様は髪が臭いw
畑中心の関東は生産性が低い分、主食として雑穀も食ったろうし、弓馬狩猟は武士の生業、軍事訓練も兼ねた。
日々豊富な運動量で、新鮮な野菜・魚・肉を食った。
戦国武士の味噌は栄養価が高いけど、塩分取り過ぎのようだが。
>>459
江戸っ子も普段は質素、明治期から山の手と下町(江戸っ子)は仲悪い。
北海道は何気ない物でも美味いよ。
>>460
あのおっさん所沢か。青チアカワエエ( *^ω^)
牛が出て来るのは盛衰記かね。猛き義仲も牛車は苦手>>67

462: ◆26IT/WpOkg
07/11/29 01:32:16 rgjPIJIC
拾い貼り

NHK 知るを楽しむ 『歴史に好奇心』 教育テレビ 6月7日 午後10:25~10:50

「藤原道長の食卓・衝撃の偏食」

平安時代、宮廷や貴族の祝宴で出された「大饗料理」は、第一に見せる料理である。
塩辛い「乾きもの」が多く、味付けはいたってシンプルだったが、素材の切り方、盛り付け方には異様なほど
神経を使った。
「この世をば我が世とぞおもう」の藤原道長は毎日のように大饗料理を食べ、糖度35パーセントという猛烈に
甘い日本酒を愛飲して中年期から糖尿病に苦しんだ。
しかも牛乳を濃厚なチーズ状にしたものにたっぷりと蜜をかけた「道長スペシャル」ともいうべきデザートを
手放せず病気を悪化させていく。見栄えは良いが多すぎる塩分と糖分で生活習慣病を頻発させた平安貴族の
食生活を描く。

463:人間七七四年
07/11/30 19:28:46 FBLxRpSp
ぶっちゃけこのスレ戦国板にある意味無いよな
牛の隔離スレとしては一応有用だが戦国話なんてほとんどしてないし

464:人間七七四年
07/11/30 19:31:49 HGlWCSex
ココは異質な戦国板の中で更に異質な存在なのかもしれない・・・

465: ◆26IT/WpOkg
07/11/30 19:53:39 aJudx2TD
今の日本史板は・・・

466:白馬青牛
07/12/01 00:25:39 OqXjI1Ka
>>460
旨い物がなかった江戸に食い倒れ云うてものう。
蘇民将来、漢神みな渡来系じゃないか。
>>461-462
伝承の方が、史実を隠蔽し切れんけえのう。ほう、文化人類学的考察、
神話学はソースにならんのか?事物の本質は史料に残らんのじゃないか。
文献史料は、まつりごと物語じゃけんのう。
NHKの教育TV云うて、落語家の柳家花緑氏の見解をソースにしとるが、
柳家花緑氏は、考古学的考察でもしたんか?
平安期の十世紀頃から気候温暖化じゃったんに、、関東の生産力が低かった
たあ、わしでもよう云わんわい。関東でも低地平野部は弥生・古墳期以来
伝統の水稲農耕じゃないいんか?豊富な運動量なら徒歩で狩りをする
専門猟師じゃろう。平安貴族も板東のセミプロ親方階級も上層階級なん
じゃし、さほど違わん。
江戸っ子より、物や食を粗末にせん上方の「しまつ文化」の方が質素じゃ
ろう。シジミの身を捨てる関東人よりも。北海道も味覚音痴の関東人に
美味しい云われたら、複雑な心境じゃろうね。

467:人間七七四年
07/12/01 01:04:04 wMwe+TEX
史料に裏打ちされない文化考察や神話学なんぞ
トンデモ理論の温床や妄想にはなり得てもまともな論拠にはならんよ

468:人間七七四年
07/12/01 11:51:44 lTTNz1zU
>関東でも低地平野部は弥生・古墳期以来伝統の水稲農耕じゃないいんか?

=゚ω゚) いや、そうでもなかったかもしれない。
オイラも詳しくはわからんが古代関東の水田は「谷津田ヤツダ」だったはずだ。
当時の低湿地帯(現代の水郷)は日本最大の暴れ河川の利根川水系、
とても耕作などできない。
てか、風土記では内地の稲敷で藻塩を焼いていたりするw つまり汽水だ。
また、台地部に畑を開墾しようにも、茫漠とした原野と1mを超える酸性土壌
ローム層。火山地帯にお茶の産地が多いのはこのためだ。
茶産については修験の時に書いたが茶は酸性に強い。
北関東は軽石。大谷石や鹿沼土は有名じゃろ。つまり火山灰地帯だな。
明治の開拓記を見ても関東の台地耕作には失敗が多かったとの記録がある。
つまり馬牧ぐらいしかできなかった。

ちなみに上総カズサ、下総シモウサ、結城ユフキとは「ユフ(木綿)」の事じゃ。
九州の湯布院なども語源はユフからきている。
つまり桑科のような植物しか育たなかった。黒澤の用心棒の世界だな。
まともな作物なんて当時は谷津田以外では育たんかったと思うぞ。

469:白馬青牛
07/12/01 22:49:25 OqXjI1Ka
>>467
史料崇拝は、宗教じゃのう。経典を読むように一字一句額面通り受け取る
んか?それこそトンデモ理論じゃないか。伝承、神話も、他民族と
類型説話があれば、近縁関係と判断するもんじゃし、説話類型から、
伝承物語が真実かどうかの話じゃあるまい。
戦国期の『人国記』も、畿内五国から東西辺境と、都から辺境に向かう
過程の気質の変化を書いとる訳じゃ。安芸の「気自然と狭くして」
駿河の「気狭くして」を対応させとるよう、畿内を中心にして、中国地方
と東海地方を対応させ、関東と四国西部や九州と対応せる構成になっとる。
そういう構成の癖を読む方が、単に書かれた文章を読むことより大切な
ことじゃ。蛙君も全体から推理して読む訓練せにゃあのう。
『人国記』は、近代郷土兵団の兵の気質の座標軸にもなったけんのう。
畿内は都会兵で信用できんし、関東は東都で都会兵化して弱兵に等しい。
九州や東北の辺境へ行く程、強兵云う実戦と関係ない思い込み見解が
風評を中心に構成されたわい。まあ、広島師団は、戦闘、実績をもって、
実力で最強師団を築いたわけじゃが、他師団は人気優先や、人気、実力も
パッとせん地域もあるけんのう。

470:白馬青牛
07/12/01 23:18:35 OqXjI1Ka
>>468
利根川が暴れ河川でも農民は生産せにゃあいけんわけじゃし、
相模も水稲遺跡は弥生期からある。
関東の火山地帯の山麓馬牧も畑作との複合で、遊牧民の水草を追う生活と
違う。明治期でも犂耕作の普及度の低い関東農地開拓は、農耕技術が
必要となろう。桑科は、水郷地帯より山麓の畑作複合文化に含まれるん
じゃないか。

471: ◆26IT/WpOkg
07/12/02 00:59:11 xGl6c3En
>>466
田舎者がほざいてろと(ry
神話じゃねーだろ、それ
三浦カズの運動量か?

472:人間七七四年
07/12/02 01:07:29 yxO6GBpA
>469
=゚ω゚) 牛の好きな畿内悪党か。
近江の甲賀とか、ちょっと外れて丹波の赤井悪右衛門とかカコいい

>明治期でも犂耕作の普及度の低い関東農地開拓は、農耕技術が必要となろう。
=゚ω゚) 単に地質の問題だよ。酸性土壌は石灰等で土壌改良しないとね。
水稲は作っても河川の氾濫ですぐ流された。
だから徳川が最初に行ったのが利根の治水。まあ、当時に田中角栄はおらんからのう。

>桑科は、水郷地帯より山麓の畑作複合文化に含まれるんじゃないか。
=゚ω゚) それは水郷部ではなく台地部分な。海抜10m程度のトトロの森が
葦原の水上にモコモコと広がっていた。
その境目の谷間に作られる小さな棚田が谷津田だ。

黒澤明の用心棒こと桑畑三十郎が、映画の冒頭で土埃の荒野を歩くと
延々と続く桑畑と絹織物の農家が見えてくる。そして博打とヤクザの喧嘩。
これは浅間や赤城の火山灰が積もって、ろくな作物が育たなかった
上州の風景だ。桑ぐらいしか育たない。

473: ◆26IT/WpOkg
07/12/02 01:14:07 xGl6c3En
上州の山野の殺風景な情景が目に浮かぶよ
上州の桑が横浜を育てた。
精強な騎兵西上野衆、剣聖、海野能登

474:人間七七四年
07/12/02 03:49:25 YlsJBSo7
関東人はシジミ汁を捨てr
どkの学校で習ったんだ?とういうか、たかが数十年生きた程度で長く続いてきた
食文化を偉そうに語るな。関東人は味覚音痴だとかすごい失礼だぞ。親が聞いたら
悲しむぞ人様を平気で愚弄する人間になってしまったって。反省せいバカタレが!

475:人間七七四年
07/12/03 01:41:52 paRrgvh5
=゚ω゚) あ、ちょっと書きそびれた。谷津田は水稲。桑畑は台地部な。

>473
=゚ω゚) むむっ。新当流、海野能登じゃな。
力は100人に対し、荒馬を御し、武田家に仕える。
沼田落ちのさい、敵、田口又左衛門押し来るを海野取って返し
これを一刀に下げ斬りに斬って捨てる。

さらに利根川郡内に名のある早業の剣士、木内八左衛門が打ち掛かる。
海野三尺三寸の備前長船を上段に構え、木内の突き入るを引き外し
唯一太刀に梨割りに仕る。 時に海野能登72歳・・・ 超人やねw

まぁ、オイラ的には林崎流の長野無楽を推しておこう。

476:人間七七四年
07/12/03 15:08:49 7kqiBNyD
300の島津版映画化希望

477:人間七七四年
07/12/03 16:49:15 lKHj1i/Y
>>469
少なくとも自分の脳内妄想を垂れ流すよりはマシだな
そもそもその辺のはあくまで「推察される」レベルの学説にしかならん
いいからお前は日本史板でお仲間とキャッキャウフフと戯れてろ
訳の分からん話題そらしで誤魔化してくるだけの卑怯者とまともに付き合う気はない

478:白馬青牛
07/12/03 23:08:28 6aIswrKB
>>471
田舎者と違い贅沢で軟弱な関東じゃ云いたいんか?神話でも伝承でも
同じこと。現代に受け継がれた習俗と比較することも大切じゃ。
サッカー選手の運動量は知らん。
>>472
地質云うても、日本は酸性土壌がえっと(多く)じゃけんのう。
関東だけの問題じゃない。関東は谷住みの稲作民と台地の畑作じゃのうて
畠作民じゃろう。
>>473
シジミ汁じゃのうて、シジミの身を捨てる関東人の食物を粗末にする
精神を云うたんじゃが。戦前から関東はそうじゃったらしいのう。
わしの祖父の従兄弟は、確かに東京のKが付く大学出身じゃったわい。
ほいで、関東の味覚音痴ぶりも戦前から云われとったことじゃし、
失礼以前の問題じゃ。わしの親類縁者で関東で暮らしたことがあっても、
関東の食を誉める人がおらなんだよ。事実を云うて、わしの親が悲しむ
わけあるまい。まあ、あんた自身が謙虚になる方がええんじゃないか。

479:白馬青牛
07/12/03 23:45:18 6aIswrKB
>>478>>473は×で>>474○じゃった。
>>474
大正十五年生まれの山口瞳氏も、司馬遼太郎氏との対談で、「残念ながら
、瀬戸内や裏日本をバックにしている上方と違って、東京にはウマイモノ
がないんです。」やら東京人は「権威に弱いんです。それは私自身の中にも
あります。それに臆病です。五月の鯉の吹き流しで、ハラワタはない。」
と山口氏は、江戸の食が不味く、隷属社会のせいか権威に弱いことは
自ら認められた。上方人の司馬氏が、「小田原以東の家の屋根はイモリ
みたいな配色で、日光の建物は許せない。あんな田舎の建物はない。
浅草の雷門を見ると、よくもまああんなものが見えるところに人が住んで
いると思ってしまう。」と建築物の美意識の欠如も云われたわい。
山口氏は「京都は閉鎖的で田舎なり、テレたり恥ずかしがらん関西人は
臆面がない。それが耐えがたい。対陣関係において気の使い方に欠ける
田舎者は自己本位。」と云われ、司馬氏の攻撃に、旗色が悪かったのう。
ついでに>>473
上州が精強?なわりにゃあ上杉軍の越後の百姓どもに隷属しょうる。

480:白馬青牛
07/12/04 00:01:23 XuD2qZNQ
>>477
具体的な言もない、おどれの方が妄想じゃ。
わしゃあ、最近「日本史板」に行きょうらんのう。「考古学板」か
「人類学板」よのう。
訳の分らん(解らん)のんは、われの低脳さの問題で、わしに押し付け
られてものう。人に「卑怯者」云う言は吐く処、育ちもようない思うど。
最大の侮蔑語の「卑怯者」じゃ云われたら殺し合いにもなるんど。
そがん事も知らん糞外道かいのう。わりゃどこの人間なら?
こんなこそ親に恥を掻かせる典型じゃわい。


481:人間七七四年
07/12/04 00:34:00 DdgsLy8p
歴史地理学的に関東は江戸川鬼怒川を結ぶ線によって東西に分けられとした上で次のように言える。
東関東においては平野部はほぼ沼沢地であり、沖積低地にもほぼ手がつけられなかった。
耕作の中心は谷田地となり、結果として古墳の分布が非常にまばらである。
西関東においては古墳は密度が高く、その地域に稲作による強大な権力があったことを示している。
(ただし、武蔵野台地をはじめ台地部や古利根川の沖積低地には手がつけられていなかったようである。)
利根川と烏川流域の平野部には関東でも最大規模の条理遺構があり、稲作遺跡も多い。
相模を除いては谷田地を基盤とせず、鏑川では谷にまで条理遺構が及んでいるが、烏川、神流川ではそうではない。(小出博の説)
この東関東の後進性の結果として、在地領主の発達が遅れたが、後に都から貴種系の下向によって
小規模な領主が団結することとなり、後に東関東では貴種系の大豪族が分立することとなり、
西関東では在地領主が発達したことがかえって貴種系の大豪族の土着を阻むことになり、
西関東には中規模の豪族が多数存在することになった。(峰岸純夫の説)
後にこれらの中小豪族が白旗一揆として団結し、
関東管領はこの白旗一揆の勢力を基盤にしようとするが、戦国大名への成長には失敗した。
烏川、利根川の間の条理遺構地域を基盤としたのが、布留社石上寺別当、物部系の長野氏であり、
長野業正が古代の稲作遺跡もある地域をさらに開発して長野堰を作った。
しかし、江戸時代になると利根川東岸が豊富な伏流水を有するのに対し、
長野堰流域はその発展に伴い徐々に水不足に陥り、養蚕が発達することになった。
また、西関東の山間部には丘陵、山の斜面を利用した古代牧が発達した。
勅旨牧があったのは甲斐信濃上野武蔵のみであり、信濃滋野氏や武蔵児玉党は
これら古代牧の別当になることで武士団として発展した。
戦国時代には小幡氏が南牧、西牧を有し、『関東衆馬上の巧者』と言われた。

482:人間七七四年
07/12/04 01:13:30 tigft81D
>>478
お前や親類縁者の味覚がおかしいんだろw
それに風評なんぞあてにならんみたいなこと言ってたのどちらさんでしたっけ?

ほんと都合のいい脳ミソですね


483:人間七七四年
07/12/04 01:32:09 tigft81D
>>479
で、大正十五年生まれの山口瞳氏の云うておられることの具体的な根拠は?

484: ◆26IT/WpOkg
07/12/04 01:33:33 G85ThwsS
>>478
地方から大量流入、独自の特徴は薄くなる。
地域レベルの伝承ねw
関東は酸性地盤。畑作中心、生産効率は悪い。
深川めし。K際武道大は魚が旨かろうな。
滝沢馬琴は京の味が嫌い。女・寺社・水は褒めてるけど。
関東から見て広島の存在など、別に意識しない。むしろ興味の対象外かもよ。
>>479
遼太郎がどうしたってw
長尾為景は上杉顕定率いる上州一揆に負け一時逃亡。
岡山や愛媛の兵は平安期から活躍してるが、広島武士は・・・東国御家人の移住以降な。

485: ◆26IT/WpOkg
07/12/04 01:47:29 G85ThwsS
>>475=゚ω゚)
海野親子vs真田昌幸か。

弓馬主流の源平期は東国が弓の本場。船戦など徒歩で扱う打物は西国の技。
南北朝以降は馬上打物の時代。
で・・・・・室町・戦国期、打物(兵法)は関東の独壇場。やはり武の本場。
「上り兵法、下り音曲」

486:人間七七四年
07/12/04 01:53:03 /r93KQrk
>>480
牛程の親泣かせはそうそう居ないと思うぜ。だからもっと自信持てって!
まぁお前はこのスレから出ないでくれよな
他のスレや板で馬鹿にされるかスルーされてるのを見るのは哀れ過ぎるから

487:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/12/04 22:55:22 Rkmav0s+
よし。ここは間をとって美濃最強で結論付けよう。

488: ◆26IT/WpOkg
07/12/05 21:57:41 vfpCvoEF
斎藤妙椿

489:人間七七四年
07/12/06 11:24:42 7NMF0xjh
=゜ω゜) 清洲戦では信長の長槍が勝ってたようだ
道三も、それをわかっていながら対応してないところを見ると
信長の足軽はかなりの訓練を積んだんだろう

ただ馬は飼殺しが多く3里でへばったとか

490:白馬青牛
07/12/07 00:02:02 wZgPbxGY
>>482-483
西日本の素材を生かす為に薄味を美味しいとするか、東日本の素材の味より
も「文明的」に濃味にするんが美味しいと感じるかは、幼い頃から形成
された味覚文化によるもんじゃが、日本では素材の味を生かす方に
価値観を置くゆえ、関東は味音痴じゃ云うとるんじゃ。
ほいで風評じゃのうて、食文化のことで。
山口瞳氏の云われることの根拠云うてもご本人が関東食文化で降参されとる
んに。
司馬氏が「牛肉でも大根でも、西のほうはその辺の八百屋で食っても
うまいが、関東は料理屋はべつとして、素材がなんといってもまずい。」
山口氏は「そのこと自体はまぎれもない事実なんです。銀座で二代続いた
小料理屋は十軒ありません。飲食店は全部、関西及び東京以外の人に
席捲されてしまった。もう、お手上げです。降参です。(笑い)」
まあ、西日本人の納豆嫌いを喰わず嫌いで、馴れると美味しいもんじゃと
普段弁護しとるわしでも、関東の食文化を西日本と比較されたら、
不味いと云う以外ないのう。
まあ、わし個人の罵倒なら兎も角、わしの親類縁者を馬鹿にするんは、
どがいな躾を受けて来たんじゃろうか。東日本の一般庶民は、躾が施されて
おらんかった。と、される宮本常一氏の云われる通りじゃのう。

491: ◆26IT/WpOkg
07/12/07 00:13:52 OYY1yUe+
>白馬様
牛は西、馬は東
関東大震災で壊滅
亀田

492:白馬青牛
07/12/07 00:31:11 wZgPbxGY
>>484-485
地方からの流入じゃのうて、風土が人をつくるもんじゃ。
平安期は温暖化により、関東の生産も向上したんじゃないか。
上州か。越後百姓に蹂躙された関東の最も越後寄りの地域にあって
災難よのう。戦闘らしい戦闘もない平安期に活躍云うて何なん?
都の劣化コピーの関東騎射民がのう。そのせいか蛙君もここや他板でも
コピーが好きじゃのう。駿河・遠江の新羅人の反乱に人海戦術で
対応し、蝦夷にも同様苦戦した関東が強いんか?近代兵団でも、
東京や宇都宮の関東の兵団はどうかいのう。
兵法者は、名声を得て仕官すりゃあええ、猟官出世欲があるもんが
やるけんのう。音曲の方がスパイ活動やいざとなると遊撃兵となる
要素も含んどるけえのう。鉢屋賀麻党みたいに。芸能遊芸者の方が
兵法者より武士らしい。名声や出世欲も薄いけんのう。
>>486
わしに、この板から出な云うてものう。他板も面白いけんのう。
まあ、他板にもあんた程度の馬鹿がおるわいのう。


493: ◆26IT/WpOkg
07/12/07 01:57:21 OYY1yUe+
城・新田・長尾、関東武士が大量進出したのが越後。
西国の戦でも坂東人の力に頼ったのが平安期、戦闘らしい戦闘がなかったのは畿内。
中国地方は上野山名氏に蹂躙されたお寒いレベルか。

494:人間七七四年
07/12/07 14:18:55 E7MqCUU/
=゚ω゚) 平安なんてわりと荒れてる時期じゃん
富士は噴火、疫病は出るし大陸では国が滅びる。
地方では将門、純友らのツワモノが独立を始める。
芋粥だな。
都もわりと物騒だったしね。

=゚ω゚) あ~ あと昔の関東にも旨いもんはたぶん…有った…ぞ
鯉にドジョウに里芋にゴボウに猪に山鳩と…ハッハッハ
まぁ旨くなるのは江戸の屋台以降だな。
頼朝も黄門様もシャケが好きだった。

495:白馬青牛
07/12/09 00:26:34 PHaFD5KX
>>493
越後百姓に蹂躙された関東勢の弱さよのう。平安期坂東人が戦闘らしい
戦闘をしたんか?帰化新羅人や蝦夷の反乱に兵力を動員して多勢をもって
小勢に当る人海戦術ぐらいじゃろう。
上野国多胡郡の新羅末裔軍の親方山名氏が、西国で領地を得たことが蹂躙?
まあ山名氏自体が中国地方を制圧するどころか、段々つまらんように
なったのう。お寒いレベルじゃ。
>>494
平安期は、西日本の方が荒れとったね。
URLリンク(www.um.u-tokyo.ac.jp)
■気候の変化と海水準の変動
鈴木秀夫氏の「八世紀になると、気温の立ち上がりが著しく、気温の高い
時代」で「九世紀末の日本の気候に、気温の低下があった」が
「「十世紀には温暖が東国の生産力を高め、西日本では干ばつがその前後の
世紀に比べて頻発したとしている。」
西日本に比べ東日本は恵まれた環境になっとのう。十四世紀~十九世紀の
「小氷期」が日本の動乱の時代が始まり~鎖国時代に展開する。
江戸の屋台が旨い云うより、江戸に食通ぶるもんが出てきただけじゃろ。

496:白馬青牛
07/12/09 00:37:04 PHaFD5KX
>>495は、
URLリンク(www.um.u-tokyo.ac.jp)
じゃったか。

497: ◆26IT/WpOkg
07/12/09 08:14:44 pqe9tWLs
J2(゚∀゚)くやしいのうくやしいのう

498:人間七七四年
07/12/10 23:34:10 bmj4bwbS
>495
=゜ω゜) いつもながらの釣りじゃのう
将門、平忠常、八幡太郎への従軍とやっとるじゃろ
洪水が起これば土地争い、収穫が増えても土地争い
水不足だと土地争い、開墾しては土地争い
武装開拓コロニー同士の戦闘。それが東国だよ。

だいたい将門から始まり、大庭御厨まで平安の東国は土地争いばっかやん

499:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/12/11 00:16:46 /LtyH+PI
もとは兄弟ゲンカだよな。

500: ◆26IT/WpOkg
07/12/11 02:08:16 QRndaDuM
>>495
それは西国に移住し、西国で生まれ育った上野山名の子孫の事か。

西国の方が荒れてた?白馬様得意の妄想、虚言。
自力救済の中で戦闘に明け暮れた坂東と、武に馴れない畿内の仮武者。
『今昔物語』や『宇治拾遺物語』にも粗野で猛々しい坂東人が登場してくる。
東人に対する畿内西国人の印象。吾妻から美作にやってきた狩人のような。
農業生産性の高い畿内は逆に脆さも併せ持つ。

501:白馬青牛
07/12/15 00:02:38 uCeLymKb
>>497
広島のサッカーも駄目じゃのう。広島第39師団(藤)の薄紫を
ユニフォームにしながら、どうもならん。同様にカープも広島第5師団
(鯉)の戦歴とは、大違いじゃわい。
>>498
釣り?土地争いの私闘と戦闘は違うよ。土地に対する執着は北亜細亜の
牧畜民と違い、板東は騎馬技術に拙劣な農民集団じゃった云いたいんか?
>>500
自力救済云う、マルクス共産主義史観に都合のよい妄想じゃないか。
虚言たあなんなら。わしが何時虚言を云うたんなら。何処の文か云うて
みい。『今昔物語』『宇治拾遺物語』は、関東をフロンティアとして、
米国の西部開拓物語のアウトロー伝説と同様、東国フロンテイア物語を
面白ろ可笑しゅう書いとるだけじゃ。『宇治拾遺物語』の「猿神退治」の
東国武士が退治する説話も、野蛮で荒々しい東国フロンティアを、
強調しょうる畿内文筆家の脚色物語に過ぎんよ。東国はセミプロか、
烏合の衆の雑軍じゃけえ、蝦夷や帰化新羅人に対して弱かったんかいのう?
まあ、十世紀の東国温暖化は、河内・摂津源氏が関東へ勢力を広げる要因に
なったわいのう。畿内の生産力ままならんかったせいかのう。

502: ◆26IT/WpOkg
07/12/18 00:51:20 RYPf0t1a
アイスクリームが返レス待ってるぞw

503:白馬青牛
07/12/20 01:20:55 GGYSU3ad
>>502
最近、「地理・人類学」板に返答することがえっとじゃけんのう。
「考古学」板もほうよのう。

504:人間七七四年
07/12/23 00:48:59 xWxop9y6
=゜ω゜) やれやれ、やっとアク禁解除じゃ

>>478
>地質云うても、日本は酸性土壌がえっと(多く)じゃけんのう。

=゜ω゜) そう?このサイトだと黒ボク土に関しては、ぼろくそだけどな。
URLリンク(www.1brain.jp)
ついでだが耕作地について、ひとつ面白い例がある。「地すべり耕地」だ。
これが意外と多い、山間部では耕地への転換率50%と言われる。
主に棚田だな。
地すべり地は新潟兵庫地区は水田。長野では畑に転用されているとか。

505: ◆26IT/WpOkg
07/12/23 01:06:01 nj1odFbY
>>501
広島のサッカーレベルは結構高いぞ、脚色の白馬様よ。
>=゜ω゜)
災難だったね

506:人間七七四年
07/12/23 11:33:52 s0hMqv6c
>>490
482を罵倒するならまだしも東日本全体を愚弄するあんたは己の言
の矛盾に気づかない痴呆か、確信犯の卑怯者かのどっちかじゃのう

507: ◆26IT/WpOkg
07/12/23 12:11:21 obBg2/Bg
白馬様「広島の健脚」
…ケニアの留学生が楽しみ(  ̄ー ̄)

508:白馬青牛
07/12/29 01:05:10 USJxiBtY
アク禁解除じゃのう。

509:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/12/29 01:12:10 oaMvOsPp
おかえり。

510:白馬青牛
07/12/29 01:33:57 USJxiBtY
やれやれ解除されたか。
>>504
そのサイトの引用元は解らんが、松井健と浅海重夫の研究による成帯土壌に
よると、関東は、西日本の黄褐色森林土壌帯と東北北部~北海道の酸性
褐色森林土壌漸移帯じゃないか。
>>505-507
広島のサッカーレベルは高いんか?いやいや、旧国軍じゃあ、健脚は
島根県、山陰の連中の独壇場じゃろう。
>>506
東日本を愚弄?そりゃあ被害妄想じゃないか。わりゃあ、また卑怯者云う
言を吐く処、東日本の庶民階級の躾が教育されとらん云われる宮本常一氏の
言が正しかった云うことか。

511:白馬青牛
07/12/29 01:41:04 USJxiBtY
>>509
ただいま。アク禁解除で参上したよ。

512: ◆26IT/WpOkg
07/12/29 02:01:34 D77n3Fgk
早速、西国厨の常一とは流石だw
>>510
広島ユースに総体、それに国体も強いべ。
青森と埼玉の1年坊は凄かったよ。

513:人間七七四年
07/12/29 10:24:12 XCYcJmKh
>510
=゜ω゜) 問題は生産力じゃろう。農は国の基なりじゃ。
どれだけの兵を養えるか?どれだけの金に換えられるか?
どれだけ備蓄できるか?どれだけ新しい技術を取り入れられるか?
作物は気候変動に耐えられるのか?流通は確立しているか?
これは文化の相違でもある。
江戸の記録を見てもサツマイモ一つ栽培できるようになるまで
国策で多くの研究が行われてきているしな、作物の普及と言うのは
意外と難しいのだ。また、それを金に換えるのも難しい。

例えば茶産と修験のルートにしても山伏が茶を貨幣(薬)として
流通していた由来があって初めて成立するのではなかろうかと
オイラは考える。

・PS
=゜ω゜) 日頃の行いが悪いからアク禁解除なぞくらうのじゃ。はっはっはっは。

514:白馬青牛
07/12/30 17:37:07 Z4Nl/ed2
>>512
意外じゃったが、サンフレ決勝まで進んでしもうたのう。
>>513
江戸期サツマイモは、瀬戸内地域で主食じゃったし、飢饉から救うたよ。
日頃の行いの悪さか。わし自身反省すること毎度じゃが、なかなか
改めることが出来んのが人間の業よのう。

515:人間七七四年
07/12/31 01:04:39 y6/rngxd
>江戸期サツマイモは、瀬戸内地域で主食じゃったし、飢饉から救うたよ。

=゜ω゜) いや、そういう意味じゃなくて、新規の作物の普及に関しての話だな。
サツマは里芋みたいな保存法だと東国では越冬できないんだよ。
たとえばトマトみたいな南米産の夏野菜は冷蔵庫に入れないし雨に弱いだろ。
肥料も水もほとんど必要としないし。作物の性質が根本的に違うんだな。
たったそれだけの事でも新しい土地で栽培するには
多くの研究が必要だったと言う話さ。
飢饉対策としてサツマ栽培は国家プロジェクトだったが、完成させるには
意外と困難だったようだ。

516:白馬青牛
08/01/01 00:40:37 Zpbb358b
みなさん、あけましておもでとう。
>>515
サツマイモは、栗よりうまい十三里じゃけんのう。里芋の保存法の違いは
どがいなもんか?サツマイモは、まあ、栽培当初完成させるに困難じゃった
かも知れんが、現在じゃあ手間をかけんで出来る部類じゃないか。
そういやあ、わしゃあ、二、三日、里芋の煮物と薩摩芋を蒸したんを
喰うて、パンやパスタしか喰うとらん。米の飯にありつけん。
元旦は待望の餅が食える。うれしや、うれしや。ハレの日じゃけえ、
一膳だけの多少の贅沢よのう。

517: ◆26IT/WpOkg
08/01/01 01:11:52 ngW2Uv9q
       ∧∧
      (´∀`)
┏━━∪━∪━━┓
┃ こちらこそ おもでとう  ┃
┗━━━━━┛

518:にゃんこ
08/01/01 01:24:25 bdxovX2w
数版前の大阪書籍の裏表紙に乗っていた。図解で。

「水田は、丘陵地や山麓で興り、戦国時代に、平野部に移っていった。」
 この辺の歴史は、イデオロギーが絡まないから、定説なんだろう。

確かに、大和の葛城や平群は山麓。明日香も丘陵地。
どうも、雨の多い日本では、取水よりも排水が難しくて、平野部は水田にしにくかった
らしい。


519:にゃんこ
08/01/01 01:25:37 bdxovX2w
すまん、上記のネタ元は大阪書籍の中学校の教科書だ。

520:人間七七四年
08/01/01 02:33:37 wZxAh5ue
=゜ω゜)ノシ あけおめっ!

>516
うちの地方だと里芋は土をかぶせるだけで冬までもつよ。
サツマは寒さに弱いので防空壕掘ってその中に貯蔵しないと無理だろ。
だから江戸の中頃まで普及できなかったんだよ。
ごぼうとか長芋とか在来種の保存はわりと手間要らずだわな。

米だってさんざん品種改良され化学肥料や農薬、栽培法が
研究されたからふつうに全国で作付けできるようになったわけだし。
もし北海道のキララとかを他の地域で作ったら未成熟のまま
極早稲より早く出穂しちゃってほとんど収穫できんと思うよ。たぶんね。
現代人が考える以上に農業は変化しているワケだ。

>518「排水が難しくて平野部は水田にしにくかったらしい。」
=゜ω゜) 現在の米どころは本来湿地帯が多いですな。
角栄以前の新潟の低地なんて凄かったようだ。
縄文時代のジャポニカ米は水田単作ではなく混作じゃったらしいとか。

521:白馬青牛
08/01/01 23:38:49 Zpbb358b
>>517
おめでとうが、>>516でおもでとうになっとったのう。
新年早々サンフレは決勝戦で敗退、昨年の広陵も決勝で駄目じゃったし、
広島のスポーツ界に明るい話題はないのう。広島兵団は旧国軍時代紙一重の
戦闘に勝利した過去の遺産に較べ・・・スポーツ分野は寂しいのう。
>>520
サツマイモは、温暖な地域のもんが美味しいのう。広島県でも県北の
冬季雪に閉ざされる寒冷地よりも、瀬戸内島嶼部の甘藷の方が美味い。
ゴボウもあんまし手間のかからん作物じゃわい。米か。わしゃあ有機米を
購入しょうるよ。じゃが、麦飯にする麦は高うつく。
昔は貧乏人は麦を喰え云うた広島県出身の総理もおったけど、麦飯にする
にも最近は逆に贅沢なもんになったわい。まあ副食の多い現代じゃあ、
白米でも江戸患いの脚気にならんじゃろうし。
縄文期の稲作は水稲じゃのうて、畑作農耕に含まれる陸稲じゃろう。

522:人間七七四年
08/01/02 01:03:13 +uGlZgQk
=゜ω゜) 麦などは乾燥に強いからなあ。その結果が讃岐うどんだろう。
陸稲は水稲より乾燥に弱いと言われる。
人口と収穫量を考えると日本は水稲を選ぶしかなかったのだろう。
水稲は河川の氾濫原で作ってたんじゃまいかと言われる。

古代中国は粟食だったらしいからな。日本はヒエだな。
アイヌはヒエが主食だったと言われ冷害の飢饉にも強い。
最近はこれも健康食らしいw

523:白馬青牛
08/01/02 23:44:39 Wzez7weF
>>522
うどん食文化圏は、畿内、瀬戸内と武蔵野うどん等の関東の飛び地に分布
しとる。渡来人の影響かのう。日本が水稲に適した地帯かのう?
イネ二期作が出来るほどの、温暖な地帯と違うし。
西日本の切替畑では、雑穀のなかではアワが重要視されたが、東日本の
常畑ではヒエの作付けが多かった。日本でも地域差があるよ。
最近は健康食思考のせいか、アワやヒエ入りの麺類等は、値段が高いね。

524:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
08/01/03 00:12:36 8WrAr0b+
単純に、痩せた土地で育つ麦食文化だと思えばいいんじゃないのか。
もっと痩せてりゃ蕎麦に変わるし。

525:人間七七四年
08/01/03 00:27:06 EmALHJmA
>日本が水稲に適した地帯かのう?
=゜ω゜) いや、水稲は陸稲より収穫量が多いんだ。日照りにもやや強い。
ヒエ等の雑穀は保存が効き飢饉にも強いが、やはり収量は悪い。
たしか虫害にも弱かったと思う。
狭い耕作地で手間をかけて収量を上げる・・・なんと日本的な耕作法じゃまいかw

>うどん食文化圏は~渡来人の影響かのう。
=゜ω゜) あの時代にうどんなんて有るわけねーべ!
切麦うどんが食われるようになったのは室町以降。ラーメンは黄門様以降だよ。
てか古代中国の麺は「粟」の麺。稲産の華南だとビーフンつまり米麺だ。
小麦はふつう餅かすいとんだろ。

526:白馬青牛
08/01/05 00:55:46 Bv63BMkd
>>524
稲作が不向きな土地は畑作でまだ奥地へ行くとソバとワラビが主食の
地域が終戦まであったと、宮本常一氏は云われるね。
>>525
日本は、稲作一毛作で、雑草との戦いで稲作二期作じゃないし、春から
夏にかけて米、秋から冬は麦云う共存地域と、中国の北部の麦耕作、
中国南部の米稲作地のように、地域による完全分化されとる地帯と違う。
うどん食文化圏は、うどんが室町期から、現代のうどんの原型云々の話
じゃのうて、大陸・半島の小麦文化の影響が及んだ地域のことじゃ。
華北は小麦を主食とする羊や豚の牧畜とセットになった地中海農耕の
影響を受け、乳利用が無い点を除き、農牧文化という面で、西洋に近い。
朝から小麦の饅頭を食すけんのう。華南は、米が主食で麺も米じゃし、
東南アジアもライス・ペーパーを作るが、日本は小麦文化も稲作文化も
断定的流入、完結しとらん形で流入した。常陸風土記の築波郡の新嘗祭の
穀物も米じゃのうてアワじゃった。片や小麦文化もパンのように引いて
焼く文化も乏しい。乳利用文化も定着せんかった。納豆やショッツルの
ような魚醤等、日本でも寒冷地の東北日本に多く残るが、西日本は
大陸・半島の文化が流入するゆえ、暖帯照葉樹林の古い食生活は、
冷温帯の落葉広葉樹林東北日本に残っとるんも皮肉なことよ。

527:人間七七四年
08/01/05 15:49:19 MMItistG
>日本は、稲作一毛作で、雑草との戦いで稲作二期作じゃないし

=゜ω゜) 基本的に夏場は、田畑どっちも雑草との戦いだよ。
ただ、夏の水田での雑草取りは死ぬほど辛いがな。
二期作は四国や沖縄でやってるだろ。単純に気温の問題じゃね。


>常陸風土記の築波郡の新嘗祭の穀物も米じゃのうてアワじゃった。

=゜ω゜) 「新粟(わせ)の新嘗」か?
常陸国風土記にはちゃんと水田の記載も有るが?
粟じたいはふつうに食ってただろ。粟麺は無いと思うけどw
ちなみに『新粟』には脱穀してない稲実の意味も有るそうだ。

新嘗祭は収穫祭の意味も有る。
米、粟の飯と粥。そして米の白酒・ヒエの黒酒を捧げる。
ちなみに高麗神社の神饌は麦な。

日本書紀では月夜見尊が来たので保食神は米飯や魚、獣を吐き出し
もてなしたが、月夜見尊は怒り保食神を殺した
死んだ保食神の頭部から牛馬が、額からは粟、眉から蚕、目から稗
腹から稲、○○から麦と大豆が出てきたそうな。
あれっ?麦が無いなあ・・・

うどん食文化圏構想の道は険しいのう。がんばれ牛。

528:人間七七四年
08/01/05 22:12:30 MMItistG
=゜ω゜) あ、ごめん見落としてたw
×麦が無いなあ・・・
○ありましたよ牛君!

529:白馬青牛
08/01/06 00:30:06 2CsRSXff
>>527
土佐の二期作も、近世から常にじゃあるまい。気候寒冷期は難しいのう。
全国の農村を歩き、見聞した宮本常一氏も、日本は一毛作地域と云われる。
アワ・ヒエ・イネ(陸稲)も照葉樹林文化の焼畑栽培段階で、水稲稲作が
後に続くわけじゃ。日本の西日本~関東の暖帯の照葉樹林地帯の中に
小麦文化の要素もあった云うことじゃ。うどん食文化圏の関東の飛び地は、
地理学者の鈴木秀夫氏の引用じゃが、家筋を伝わる憑き物の分布で関東西部
は、瀬戸内文化圏の飛び地であり、関東西部のうどん文化も飛び地地帯を
想定される。躁鬱質と分裂質の分布からも、関東西部の高句麗人移住地帯は
建築も畿内的入母屋である等、関東西部に渡来人の要素が強いんじゃないか
とされる。わし自身も関東で、高句麗系?武蔵野うどんや上野に多い
新羅系?前橋うどんを喰うたが、北東アジアの小麦文化の影響を考えた
もんじゃ。ほいで、群馬県は小麦文化の影響のお焼きも美味しかったわい。

530:人間七七四年
08/01/06 02:18:08 qYweY7AG
=゜ω゜) すると、、、もんじゃ焼きはどこの小麦文化の影響なんじゃ?

531:人間七七四年
08/01/06 02:56:11 Bq2LzbWx
西関東への満州系民族の入植が七世紀、関東への麦作の伝播が十六~十七世紀、
蕎麦文化圏vsうどん文化圏構図の成立が江戸中期以降。
これらを一緒にしようっていうのは無茶で、俗解にありがちな暴論だろう。
前橋うどんなんてものはまず聞かないが、元々、上野武蔵のローカル粉モノは
甲斐の『ほうとう』と同じく、うどんのルーツの『はくたく』直系の『おきりこみ』だ。
群馬で有名なうどんとしては水沢うどんがあるが、稲庭うどんと同じく地元では中々食べられない高級食。
ちなみに、稲庭うどんと五島うどんは製法的にこれまたうどんのルーツの一つ『索餅』直系。
こうやって見るとうどん文化と一概に言っても複雑で、一緒くたにして語れるのは現在の形のうどんが徐々に広まったと言うことだけだ。
さらに、上野の麦作は二毛作であり、戦国時代までには行われていたが、
本格化するのは江戸時代に土地と水が足りなくなって集約化が進んでから。
利根川流域や渡良瀬川による扇状地扇端は水が豊富な稲作が盛んな地域であり、
これらの地域で麦作が盛んなのは乾燥ゆえというより二毛作の発展によるもの。
逆に水が少なく江戸時代には桑作が盛んになる渡良瀬川扇状地や西上野山間部は麦作が盛んではない。
武蔵野台地の水が少ない部分の開発が進んだのも江戸時代に入ってからだ。
古代に発展したのは府中たる多摩川流域部分と後は武蔵野台地のさらに東の地域。
それより、まず第一に高句麗はともかく朝鮮半島に小麦食文化があるかねえ。近世だって高粱じゃないの。

>躁鬱質と分裂質
クレッチマーの気質分類なんて血液型による性格診断と同レベル。
古い心理学者の本で堂々と引用されていると信じてしまう人も居るかもしれないが
科学的根拠は全くない代物なので注意すべし。

532:白馬青牛
08/01/06 23:46:47 2CsRSXff
>>531
西関東への満州系民族(高句麗)の入植が七世紀?高句麗の名をもじった
狛江もそうじゃが調布等多摩川流域に高句麗系の積石塚は5~7世紀じゃ
ないんか。文献に現れる武蔵国高麗郡の高句麗王系は時代が下がる今来の
渡来人じゃ。
関東の麦作は、『万葉集』巻一二、一四の東歌に馬が麦を食べることが
出とるが、馬の飼料にも麦は必要じやったんじゃないか。
前橋でも距離の近いし、水沢の水を使うたら水沢うどんじゃろう。
むぎなわがうどんの祖とされるが、どがいな食い方をしたか不明じゃし、
関東がはくたく直系おきりこみ云う考古学的な根拠も無いのう。
世界の諸民族の麺文化類型から比較する以外無いんじゃないか。
稲作二期作の話が麦作二期作に変わっとるのう。
おいおい、朝鮮半島に小麦文化ないんか?朝鮮の平安道や黄海道は
麦作地帯じゃなかったか。南へ行くと米作地帯になる。『世宗実録』にも、
麦が貢賦の対象になっとる。豆やアワも税や俸禄の対象じゃのう。
キビ・コーリャンも朝鮮北部に顕著じゃが、特に北朝鮮東北部じゃないか。
何れにせよ、河北・山東・遼寧の「大豆・小麦・コーリャン地帯」の
影響を朝鮮は受けとるわけじゃし。どうも、あんた嫌韓サイトの引用で
云うとるんじゃないか?

533:人間七七四年
08/01/07 00:13:41 aZ6ss8J0
なんか全く関係無い話になってる。


534:白馬青牛
08/01/07 00:36:01 s4VbkGwv
>>531
最後の鈴木秀夫氏が引用された日本列島の躁鬱質と分裂質の分布図は、
宮城音弥氏による考察。まあ、回答者が正直に答えたことを前提にしとる
わけで、その点だけ見れば、歴史文献が正直に事実を語っておるか?
と、同様信憑性も文献並みになるが、質問項目に回答者に地域性がある
以上性質分類の一つの根拠になりうる。科学的根拠?そう云えば、井上秀雄
氏が、日本史学者の人たちは、「科学的、客観的であるかにように装われ
ても、おれは非科学的な『日本書紀』なんて、・・・とおっしゃっても、
日本古代史は『日本書紀』にひきずられています。」と、云われたが、
古代史において『日本書紀』が非科学的な信仰材料になって、
考古学も『日本書紀』の記述に合うよう努力しとる。中世史でも網野善彦氏
ぐらいじゃないか。考古学、民俗学的考察も活用し歴史を論じられるんは。
多様な学問の要素から判断する方が総合的で誤差が少なく済む云うんが、
客観性に乏しい人文科学において大切なことじゃないか。
あんたの好きなマルクス共産主義史観の科学信仰から歴史発展段階説が
科学的歴史法則じゃ云うても、近代科学はあらゆるものを対象化する。
対象化する自分自身(主観に過ぎん)は、客観的に対象を考察する
神の視点に立たせる云う、つまり歴史検証をする個人作業は主観的見解で
あるのに、まして科学的客観性等あるわけないのに、自分の意見こそ
科学的客観性で対象化する理性を持ち、反論者は非科学的、感情的主観論者
と、定義する。共産主義理論の構造の欠点は人類学板でも書いたが、
(科学的と自慰妄想する)理性的為政者による、(非科学的で理性に
乏しいと勝手な判断じゃが)感情的大衆の支配じゃないか。
史料検証も個人的作業で(文献自己解釈妄想オナニーに近い)、主観的な
もんを、あたかも科学的、客観的と装い偽装する。
あんた、どがいな真意で「科学的根拠」云う言葉を選んだんか?

535:人間七七四年
08/01/07 00:52:48 LG3q+mHA
>『万葉集』の東歌に馬が麦を食べることが出とるが
>馬の飼料にも麦は必要じやったんじゃないか。

=゜ω゜) 馬が馬柵越しに人間様の麦畑の麦を喰って怒られたと言う歌の事かな?
人馬一体の東国兵の片鱗を見るようじゃ。

>どがいな食い方をしたか不明じゃし

=゜ω゜) 中国や半島では小麦餅とか粟餅だよ。まんじゅうとかワンタンの元祖。
オカボは雑穀扱いだった。
麺の食い方は奈良時代には日本に伝来していいる。渡来人も知ってたはずだ。
でも小麦麺食が広まったのは室町以降。
つまり食文化に影響を与えるほどの存在でも無かったという事じゃね?

>534
=゜ω゜) 長すぎっ!!!

536:人間七七四年
08/01/07 01:54:14 Nj+pr2S3
>>532
俺が言いたいのは渡来文化(あるとすれば)の流入と麦作の伝播とうどん文化圏の成立が
あまりに時代が違うので相互の影響がないってことであって後は枝葉末節なんだがね。
>狛江もそうじゃが調布等多摩川流域に高句麗系の積石塚は5~7世紀じゃ
狛江は『古乃江』な。西関東の積石塚と言えば瀬戸岡古墳群くらいだ。
それ以前にこの手の『コマ』とか付く地名を渡来系の名残と考える論法において注意しなければならないのは
日本に日本人街がなく、中国に中華街がないということで、
それらがあるアメリカ西海岸で日本人や中国人がマイノリティーにすぎないように
コマとか付く地名のある地域はむしろ渡来系が少なかったと考えるべきだ。
積石塚は5~7世紀っていうのは全国的な話であって、高句麗系のものというよりはただの流行だろう。
瀬戸岡古墳群はたぶん積石塚の多い甲信から伝わったのかもしれない。
麦が飼料に使われたと言う話と室町以降の二毛作による麦作の伝播は全く次元が違う話。
水沢うどんは製法が違う。おきりこみはほうとうとほとんど同じものだ。
朝鮮の小麦食文化については日本ではこのように時代ごとの変遷があるんだから
朝鮮においてもそのような変遷を視野に入れて書かなきゃいけない。
日本への流入という話よりそのような朝鮮での小麦食文化の論を進めるのが先と言うのが理想的な議論の形なんだけどね。
>>534
どうせこの手の俗流心理学なら宮崎音弥かそれに似たようなもんだろうと思って
宮崎を想定して科学としてインチキであるといったんだが、宮崎本人だったんだね。
宮崎というのは若い頃宗教的な問題で非常に悩んでいたが科学こそ確かなものだと思い、
やがて心理学を知って科学としての心理学にのめりこんだという人で
戦後も科学主義の立場から発言する文化人だった。
唯物論にもこの科学者として科学主義の立場から発言しているが、たいていにおいてマルクス主義と違いはない。
このように科学を信じ科学である故に心理学を信ずる宮崎にとって
心理学が科学としては否定され、クレッチマーの論も
最新の精神医学と合致しないということは丸ごと土台が吹っ飛んだに等しい。
宮崎が科学者として発言しようとするのも、その宮崎の論が影響力を持つのも
心理学は科学であるという考えがあったからだし、宮崎にその過信がなければこんな他愛もない論は立てなかっただろう。
科学的でないことには何の問題もないが科学という外観を装っているのに科学的でないことは非常に問題だ。
血液型性格診断がそうであるようにね。
牛君の科学が何だという大議論は全然読んでないけどきっと大変すばらしいものだろう思うので、
是非是非宮崎のような科学主義者とその言説を受け入れてしまう人間に批判を向けてくださいな。

537:白馬青牛
08/01/08 01:43:39 zyt0aI8+
>>535
馬柵が人馬一体?馬飼育の遊牧民は馬柵を作らんよ。馬柵を作るんは、
農作物が大切な農耕が牧畜より生業になっとることを現しとる。
中国の北部は、朝から饅頭を喰うけんのう。戦前の満州でも、
饅頭を喰いながら、ニンニクをかじる。朝鮮人は朝は粥が多かったんじゃ
ないか。わしの親類に戦前、多門に朝鮮人を住まわせたが、朝は米粥を
喰うとったそうな。
麦の麺は、アジアでは日本、朝鮮、中国、チベット、内陸アジアと広く
分布しとることは事実じゃ。考古学上も残らんもんじゃけえ、何時からか
解らんのう。時代区分は難しい。文献だけじゃあ根拠に薄いけんのう。
仮に常食しとっても、市場に売られてなかったら、広まってない云うん
じゃ説明にならんし、文献や出土品にないものから、歴史考察は始まる
わけじゃど。食文化は影響するもんじゃ。影響を受ける方の選択もあるが。

538:白馬青牛
08/01/08 02:24:43 zyt0aI8+
>>536
麦作は古墳期には、広い地域で行われたろう。小麦だけじゃのうて大麦も。
大麦の遺伝子は、表日本がE型、山陰、北陸、東北の裏日本がW型。
野菜のカブの品種も北陸の若狭湾~東海の尾張あたりで東西に分かれる。
影響と選択や風土によって植生が違うことを考慮せず、時代段階説で
云われてものう。
渡来人がマイノリテー?>>168の形質人類学的考察でも、多数派じゃ。
>>411の、マルクス史観は、自民族の発展段階説を取るけえ、旧共産国や
現在の北朝鮮のよう鎖国的閉鎖国家になるんじゃろうが、歴史や民族に
ついても、外来の要素より自民族主義に陥る。関東の上毛野も、渡来系から
天皇家に結びつけようと、必死じゃったんじゃないか。系図なんか
本人が源氏云うたら源氏にして貰うだけじゃ。その云うやり方はどこでも
あるが、特に貴種権威に弱い関東人の隷属根性が見えるのう。
ほいじゃが、あんた科学的云うわりにゃあ、ほとんど文献妄想じゃないか。
ほいで、わしゃあ「宮崎音弥」氏じゃのうて、「宮城音弥」氏のことを
云うたんで。

539:人間七七四年
08/01/08 02:47:14 jXeP6Jpq
>朝鮮人は朝は粥が多かったんじゃないか。

=゜ω゜) 粥なんて世界中に有るじゃろ。
ヨーロッパで食われとるスープも粥の一種だよ。
オートミールは燕麦だべ、麦粥な。
ほかにも乳粥、蕎麦粥、豆粥、粟粥、ヒエ粥。
中国は華北の粟粥。南方の朝飯はモスバーガー。日本は南方系かもな。


>馬飼育の遊牧民は馬柵を作らんよ

=゜ω゜) ふつうに国土面積の違いだろ。
それとも遊牧民の影響を受けていないと言いたいのか?

540:白馬青牛
08/01/09 23:47:26 YnfcyCje
>>539
南方の朝飯はモスバーガー?云うてなんなら?日本は、列島北東部を
除いて概ね暖帯の照葉樹林地帯で、植物や農業も中国南部や東南アジアと
似とる。東北地方や中部日本の高地の植物は大麦のW型や、ダイコン・
ゴボウ等、朝鮮、満州等の北東アジアのナラ林地帯系のもので、
犬やノネズミの遺伝子が西日本を中心に北方系で、人間も西日本の方が
東日本よりも北方形質じゃし、動く動物や人は西日本の方が北方系、
気候風土に根ざした植物系は東北日本が北方系云うことになる。
ただし、ねばねばの納豆等、中国南西部の雲南にあるような南方系
食習慣は、東日本の方に顕著で、アジアの古い食習慣は、雲南や東日本の
ような辺境に残ったとも云えよう。>>535で中国や半島では小麦餅とか
粟餅云うとるが、日本でも、昔、米の白もちは贅沢なもんで、正月でも、
あわもち、ばんばらもち(きび入り)、だんご麦(ねばりの強い大麦)
もち、じゃないか。戦後でもメリケン粉もちじゃろう。
かもち(さつまイモと4分の1ほどのだんご麦で作る)、いがもち(麦や
粟に貴重な米を数粒つける)等が広島県じゃあ昔、普通の餅で、現代の
米で作った餅を頭に描いてものう。「絵に書いた餅」になるど。

541:白馬青牛
08/01/10 00:19:02 /+Bltmq0
>>539
米は贅沢なもんで、わしも米を喰いすぎると馬鹿になる云われたもんじゃ。
馬鹿になるかどうか解らんが、白米だけじゃあ江戸っ子のように江戸患いに
なる。麦飯を喰わんせいで脚気になる。軍隊の食事は麦飯にすべしか。
広島県出身の総理大臣も貧乏人は麦飯を喰え云うとられるし、知能にどう
影響するか知らんが、米を喰い過ぎると馬鹿になるも、肉体や精神に
信憑性が薄いとは一概に云えんのう。
牧畜形態は、面積よりも生業の違い。西洋の牧畜は農耕主体の混合農業で
柵をつけるが、ステップ地帯は牧畜中心で柵はつけん放牧じゃ。古代日本に
おける遊牧民の影響は、梅棹忠夫氏や岡正雄氏の云われるよう、軍制、
支配者が列島に持ち込んだ王朝、社会組織であって、生業のことじゃない。

542:人間七七四年
08/01/10 00:50:38 0byXw2u4
>米で作った餅を頭に描いてものう。

=゜ω゜) てか、『餅』をそのまま日本風の糯米の「モチ」と解釈するのも
どうかと思うが・・・
「餅」と聞いて月餅とか煎餅とかふつうに思いつかんかったんかい?

中国北方で食われているのはマントウ(饅頭)だろ。
酵母を使わず小麦を固めて焼いたのが古代の餅だよ。
 餅→饅頭→包子→肉まん→月餅→ もみじ饅頭な、
うどんもこの饅頭の派生形と言える。つまり『索餅』だな。

543:白馬青牛
08/01/12 01:56:26 X60coDAG
>>542
せんべえを普通に思いつかんか云うてもお菓子じゃけんのう。
もみじ饅頭までか。うどんも派生型で餅に分類されるんか?
穀物で作ったらみな餅かいのう。

544:白馬青牛
08/01/14 03:18:20 S+duuG1c
アク禁じゃげな。

545:白馬青牛
08/01/14 03:20:09 S+duuG1c
人類学板と違い、この板はアク禁にならんかったのう。

546:人間七七四年
08/01/14 05:42:42 ns+jSXqc
ちょっと科学に対してだけ意見を言わせてもらいます。
科学ってのは別に現在の定説らしきものを信じるものじゃないと。

科学はまず仮説を立てる、そしてその仮説を証明するために、実験やフィールドワークで
データを集める。仮説を検証してより確かなものに修正していく、というプロセスを
厳密に数多くやることが科学的な真理だと言える。

そりゃマルクス主義にしろ、血液型占いにしろ変な仮説はあったし、それをいまだに
すべて信じてしまうのは疑似科学になるけど、ただ失敗した仮説の「歴史」を知ることは
無駄じゃない。

多様な人間を分類したいという試みは・仮説は、現在でも様々になされているし、
現在の定説らしきものも10年先や20年先の未来で否定されてしまうのも多いだろう。
人間の思いつく仮説なんかは似たものが多いのだから、どう歴史と資料を読み返しながら
せめて自分の専門と思うところで、よりよい仮説を検証していくかが楽しいんじゃないw

白馬青牛さんも知識が豊富で面白いけど、どういう仮説というか問題意識を持っているかが
2chで書いたものでもまとめて、HPやブログに残した方がいいと思いますよw


547:白馬青牛
08/01/15 01:18:43 bcnN2exm
>>546
科学は仮説の上に成り立ってますからね。多様なデータから全体的に
解釈することですが、地理学者の鈴木秀夫氏は天地創造の世界観を持つ
西洋などの学者は「世界は認識しきれないという前提から出発するから
私にはこう見えると主張し、その証明は本質的に必要なく、他の伝達手段と
して証明を利用する。日本の学者の、証明に対し信頼ないし幻想は、目に
みえている範囲のことをきっちり組み立て、目にみえないところまでは、
いずれ、きちっと知識が積み上げられてゆくと考える。欧米の陪審員制度
も、学問も「私にはこうみえる」ということであれば、一般市民も同じな
わけで、有罪にみえる人が多ければ有罪、少なければ無罪で、
日本では学識経験者が裁判にたずさわるのが当然と考えるが、
学識経験者が真理に近いという、信頼ないし信仰がある。」と云われます。
わしも、学問はあらゆるデータを集めて自分なりに構築することじゃ
思いますが、わし自身が知識は足りんと自覚しとりますから、
ブログに残す程の知識がありません。まだ幅広い知識が必要です。

548:人間七七四年
08/01/15 02:04:11 3kqhEdQL
=゜ω゜) なにげに陪審員制度で科学認識を説明してしまう牛脳は
読んでてなぜか江戸川乱歩のD坂殺人事件思い出しちゃったよ。
格子窓の向こうに見えた犯人の服は白か黒かそれともシマシマか?
その答えは牛脳だっ!!


>穀物で作ったらみな餅かいのう

=゜ω゜) 辞書ひけって。URLリンク(ja.wikipedia.org)
『「餅」は中国・韓国・東南アジアなどに多くの種類がある。
古くは主に小麦を粉にして平たく固めてから加熱した粉食のことを指していたが、
大麦、粟、トウモロコシなど他の食材を用いた粉食のことをも含めるようになった。
月餅や饅頭は、小麦の「餅」が発達・改良されてきたものであり、
麺類もその派生であるともいわれている。』

549:白馬青牛
08/01/17 02:03:32 Pp6+5dhP
>>548
じゃけえ、陪審員制度についても、地理学者の鈴木秀夫氏の文の引用じゃ
云うて「」の中に収めとるよ。
ほいじゃあ「餅」云う用語より「粉食」を使うほうがええで。
わしゃあ「麺」を喰う時に、「餅」を喰うたあ云わんよ。
URLリンク(www.sanspo.com)
フォッサマグナの図の下の指紋の図の右にも、鈴木秀夫氏の東の沢と西の谷
のことが出ておるが、列島東西の違いは、食文化でも、すき焼きの関西、
広島はヘカ(犂)焼き、関東は煮る牛鍋。西の方が律令制を持ち込んだ
人々は家畜に依存したと思われる現象は、西日本が牛肉消費量が高いこと、
東日本は納豆で、東日本の朝炊きの習慣と合うんじゃろう。
朝から米を炊いて、暖かい飯に、納豆と味噌汁なんか、東日本の風景じゃ
のう。広島なんか、昔は朝は芋か素麺汁みたいなもんで、朝から米をようけ
喰わんよ。その点東日本は贅沢なのう。わしゃあ今でも朝は芋、麺、粥、
パンじゃけえのう。

550:人間七七四年
08/01/20 13:08:01 Ovnxxee5
牛の田舎はどうか知らないが、朝飯に米を食うのは今や日本中で普通の事です

551:人間七七四年
08/01/20 13:36:21 CuA4CBPW
>東日本は贅沢なのう。

=゜ω゜) 関東平野全般で見れば、おそらく耕地面積では
日本最大規模だろう。治水と酸性土さえ整えば本来豊かな土地だ。
納豆は冬の保存食としての意味からやせた土地での生産が多く
関東全域で主食だったわけではない。まぁ、他の地域よりは多いけど。
どちらかというと東北の方が多いかもしれない。
また、納豆発祥伝説には木曾義仲や加藤清正のような
軍馬に関連する伝説も多い。

ついでに腐った芋の話。
たしか台湾には芋を腐らせた調理法が有るが、これは
毒消しの名残ではないかと言われている。
東南アジアのタロ芋が黒潮ルートで伝わり芋食の原形となったとか。

552:白馬青牛
08/01/22 00:48:24 yS93mQ7O
>>550
現在は、東日本風に朝飯に米を食う家庭も増えたけんのう。
わしの祖父や祖母は亡くなるまで、朝はパン食で祖父の母は朝はさつま芋。
わしの両親は朝から米の時もあるが、パンの方がえっとじゃのう。
わし自身も朝から米を喰う方が少ない。
ほいじゃが、海外へ出て関東人が、日本人は朝から米を炊き、味噌汁と納豆
を喰う云う宣伝は東日本のことじゃけえ、日本人全体に押し付けるな云うた
こともあるが、何で関東の者は、自分たちの価値観が日本全体で普遍的と
思い、日本人の代表ズラするんじゃろう。困ったもんじゃ。それだけ
米食への愛着もあるんじゃろうね。
>>551
ネバネバ納豆は、東日本や雲南等に残存した古い食文化じゃろうね。
現在でも納豆消費量が多いんは、東日本以外は熊本ぐらいだけじゃし。
タロ芋の根菜文化が文化の軸線でない黒潮経由か解らんが、温暖な地域に
普及した農耕形態の一つであろう。

553:人間七七四年
08/01/27 13:12:01 5tzm5PNA
結局、戦国時代の兵に限って言えば、越後、薩摩が東西の両横綱。
甲斐、土佐辺りが両大関ってことでいいのかな。



554:白馬青牛
08/01/27 23:31:01 FWAnB1GA
>>553
薩摩?毛利勢や黒田勢に勝ったこともない。九州でも兵卒じゃあ、
熊本に比較すると今一つじゃのう。
越後も兵卒で陸奥・出羽や越前・加賀と比べ優ったと云える材料が
無いのう。
土佐勢は、毛利勢がおらん時に、伊予へ空き巣に入る程度じゃろう。
精強な中国勢と比べもんにならん。せいぜい薩摩と正面攻撃なら互角か、
それ以上じゃろうが、野伏り戦法に引っ掛かるよう、戦術面じゃあ
ぱっとせんのう。甲斐も関東で人身売買するだけで、兵卒が強いわけでも
ない。
どうも、上杉、武田、島津の戦国掠奪王を横綱、大関じゃの強いと
誤解しとるようじゃ。「精強は軍紀にかかる。」と、中国者の律儀の
伝統と全然違う。民衆を犯して強いと威張っても意味をなさんよ。

555:人間七七四年
08/01/28 22:18:33 wnvPZxaR
=゜ω゜) オイラ的には村上、松平、最上、高橋、金子みたいに
大国相手にがんばった連中も評価したいねぃ。

556:人間七七四年
08/01/31 11:52:04 HCCwJHGK
ま、薩摩は強いな

557: ◆26IT/WpOkg
08/02/01 00:00:07 G1+ZCWxY
usiはアンチ薩摩でもある

558:白馬青牛
08/02/01 01:35:49 ki0DhF5q
>>555
大国相手に頑張ったか。滅び(滅ばんかったとしても、少数で奮闘したんも
含め)の美学じゃのう。
>>556
九州ローカルで屈指じゃろうね。
>>557
わしが、アンチ薩摩?薩摩人の思想、主義と算盤勘定で結局後者を
選ぶ現実的判断力、行動力は嫌いじゃないよ。逆に肥後人なんか
薩摩人より勇猛じゃが、思想的自我云うか、頑迷さがあるけんのう。
結局戦国期も自ら統一出来んで、他所から来た者で治まる結果になった
けんのう。薩摩人は節操がのうて軽薄なが、現実的対応力、判断力に
優れとる。その点じゃあ大したもんじゃ。

559: ◆26IT/WpOkg
08/02/01 01:53:35 UvK85DlZ
usiに乗った上州人のレスがあったので
貼り

長野業正の一族の出羽守業親の嫡男 長野無楽斎(長野十郎左衛門業真)は、剣人達の間で名の知られた「居合の大御所」だったらしいね。
無楽斎の居合一流 無楽流は彼に師事した者から会津藩や仙台藩などに広まり、今日まで隆盛をみる夢想神伝流・無双直伝英信流が生まれたそうだ。
井伊家で功名いちじるしかった彼は木俣・庵原という代々主家に仕える名門に次ぐ家柄まで進められたが、寛永十三年頃に隠居、その後は牛にまたがって出歩き、出会う人みれば上下隔たりなく交わる事を楽しみ、生涯妻帯せず九十歳程で没したらしい


560:人間七七四年
08/02/02 15:16:11 YuwOR7Fn
=゜ω゜)ノ おひさ。
>>51>>450 にもちょっと書いたけど長野無楽斎は知られざる大物武芸者でござる。
「長野は武道家にて、長野長柄刀とて、柄をことごとく長くして差しけり。」
 長柄刀とは林崎流長巻術より興った居合兵法の事ですな。
特に小田原北条の田宮流、長野家の長野流は現代の居合道統の大半を占めてます。
家臣であり剣聖の上泉伊勢守(大胡武蔵)公も孫に長野流を学ばせました。
 ちなみに当時の小田原藩士の記述では
「小田原の藩士は多く長柄とて帯を胸間あたりに締め、柄の2尺もある刀を差し」
と有り、東国各地でも広く使われていたことがわかります。


>滅びの美学じゃのう。

=゜ω゜) 「お侍は死ぬのが仕事。百姓は生きるのが仕事」は雑兵の言葉。
つまり「もののふは死をたしなむ道なり」じゃな。
滅びの美学というより潔さの美学じゃまいか。

561:白馬青牛
08/02/03 00:48:28 KfBhjzKM
>>560
「お侍は死ぬのが仕事」の割りにゃあ、上層武士や近代の軍上層部の
人たちは、逃げるんが得意じゃのう。徳川慶喜さんも前線兵士を置いて
お江戸に逃げろじゃったろ。滅びの美学も潔く死ぬんも同じような
もんじゃ。前スレでも山中鹿之助を例に云うたよう、残念じゃが、
中国地方にゃあ「潔さ」はないねえ。九州まで行くと「潔い」わいのう。
中国地方は「しぶとい」んが特性じゃ。
ニューギニアでも、玉砕命令が出ても、北関東の宇都宮兵団の兵士と違い、
島根県の浜田聯隊の兵士はあくまで「死中に活」を求め、戦闘をあきらめん
かった。
死を軽んじる勇猛な九州兵団、特に熊本や鹿児島の壮丁の熊本兵団
と違い、広島兵団の特徴は、「死んでは御奉公は出来ん。生きて、生きて、
生きぬいてお役に立つ。そうして死を恐れない。それでなくてはいけない。
死ぬことが一番やさしいのである。戦地へ来た以上、これから敵を撃滅
するために、どんな困難があるかも知れぬが、歯をくいしばって生きられる
だけ生きるのだ。そうして、やり出したら最後までやる。」
広島部隊が攻撃だけじゃのうて、防御戦に比類なき強さを発揮したんも、
こういう特性があったゆえじゃろう。
その雑兵は、死を急ぐだけで、勝利を奪取する戦闘を知らんと視える。

562:人間七七四年
08/02/03 13:28:04 Fj8aMAh0
ものは言いようって奴ですね

563: ◆26IT/WpOkg
08/02/04 22:54:12 +kPnCo7+
>>560=゜ω゜)ノ
馬上巧者小幡赤武者の生き残り岡本半介、長野業正の孫・長野業実、上泉権右衛門?
小幡⇒岡本=上泉=長野=井伊家
井伊家の軍学・兵法と上州武士は切り離せないな
世上で赤備えといえば甲州武士の独壇場であり、井伊家のそれでもあるが。

564:人間七七四年
08/02/06 20:07:47 k/EWw78N
>>559ではそうなっているけど長野無楽斎と長野民部業実って同一人物なんですかね?

565:人間七七四年
08/02/07 01:27:28 Auodj/4Q
=゜ω゜) 小幡と言えば、あずみの・・・じゃなくて甲陽軍鑑の小幡勘兵衛!

>564
=゜ω゜) オイラも知りたいっ!
たしかに向坂伝蔵とかぶる感じは有るかな?武芸伝書からは詳細は不明です。

=゜ω゜) ちなみに、ここふざけてるけど意外と詳しい。
URLリンク(www1.seaple.icc.ne.jp)
新陰流祖上泉武蔵守信綱(伊勢守秀綱)は小笠原宮内大輔氏隆の兵学に勝れ、よく軍配に達す。
岡本半助は小笠原家訓閲集を息子の上泉常陸介秀胤に習ったという。

上泉孫次郎義胤(上泉孫四郎)
長野無楽斎の弟子として居合の修行を重ね、上泉流居合の祖として知られる
上泉武蔵守信綱の三男、上泉源左衛門尉行綱の子として
小田原上泉屋敷に生まれた。初名は上泉大学秀秋。または岡村新之丞、民弥権右衛門宗重。
天正18年(1590)孫四郎13,4歳の頃小田原北条氏滅亡。
従兄の上泉主水佐泰綱を中心として、上泉一族は上州館林・越後春日山・会津・羽州米沢と転住。
長野無楽斎槿露もその当初はこの上泉一族と行を一にしていたものと思われる(上泉文書)

566:人間七七四年
08/02/07 22:57:39 R1SpBVtX
>>559のではずばり同一人物としていますが、そうでなくても長野無楽斎が彦根藩に家老として仕えたという話は
業実と同一人物であるっていう話でしょうね。いくら剣名が高くとも剣客業だけで大藩の家老はないでしょう。
或いは、混同されたのではないでしょうか。
長野業実は家康に小姓として仕えて後に井伊につけられ
武田攻め、小田原攻めで活躍したと言うことですから
もう片方で剣の修行をやり会津、仙台に流派を広めたと言うのは難しいんじゃないかという気がしますが…。
調べたら、彦根藩に詳しい人(与板井伊家に養子に入った人)が無楽斎について書いている様。
URLリンク(www.koutouclub.net)

567:人間七七四年
08/02/08 00:28:05 T7THJSAa
=゜ω゜) 会津、仙台に流派を広めたと言うのはたぶん上杉時代じゃないっすかね?
上泉主水が長谷堂で討ち死にした頃かな?

ウチの本だと長野十郎左衛門正次となっております。
永禄6年、箕輪落城後玉出に赴き林崎流居合を学び一家を成す。
最上の人、沼澤長政奥州にこの伝を残す。
また甲州武田の臣、土屋惣蔵が旗下の一宮左太夫照信は長野無楽斎から
伝へて一流を起こす。

568:人間七七四年
08/02/13 01:52:54 UdCT6E+X
天保年間にいくつかの寺で調べさせたらしい申立状によると
長野新十郎左衛門業通の次男で後の彦根長純寺開山・珠山玄宝の子で長野十郎左衛門業源が
後の長野民部業実だとか。
『十郎左衛門』が気になりますね。

569:人間七七四年
08/02/13 19:32:47 cBZUgz7m
=゜ω゜) なるほど十郎左衛門正次=十郎左衛門業真。
すると長野無楽斎=長野業実=向坂伝蔵だったのはホントでしょうか?
向坂伝蔵はかなりの兵だったようですが?

>いくら剣名が高くとも剣客業だけで大藩の家老はないでしょう。
=゜ω゜) そうですね、ふつうはありえません。
江戸期の兵法指南は数10~数100石ぐらいが普通です。
まぁ中には名人越後みたいに大名以上の人も稀に居たけど、
柳生などは関ヶ原以前から家康の旗本として活躍していましたので別格です。
外様の留守居役は幕府との取次ぎで宗矩にたいへん助けられたと言います。

家老職はある程度の政治的発言力を持たないと無理でしょう。
猛将井伊直政は関東入国のさい、北の要所上野箕輪に配置されたくらいだし
長野や、武田旧臣などは領国統治に必要だったんではないでしょか?

570: ◆26IT/WpOkg
08/02/17 09:19:42 Hi5TuGU9
暴走牛        Y   Y
こらへてつかあさい(・∀・)

571:白馬青牛
08/02/17 23:48:00 qqZ7VCcN
>>570
暴走し節度を失うとるんはわれじゃ。こん糞外道が。人をなめるんも
ええかげんにせいや。

572:人間七七四年
08/02/18 16:38:24 QzwQLlDK
結局畿内の兵がいっちゃん強いな。
地方の風評は所詮コンプレックスによるもの。
田舎だという潜在的な負い目があるから、我がのトコが強いんじゃあと声が大きくなる訳。

573:人間七七四年
08/02/18 18:51:17 AUvq7QPW
=゜ω゜) まぁ、畿内は立地的に為政者から弾圧され、
強力な外敵に攻め込まれる立場なので、対外的に
目立った戦果が出ないのもしかたない。
でも甲賀の傭兵なんて全国的に有名だわな。
柳生萌え~。

574:糞外道w ◆26IT/WpOkg
08/02/18 22:48:29 qSsWeJw5
「甲斐・越後之弓矢天下一之軍士之由風聞」
(大和国興福寺蓮成院記録 釈迦院寛尊・天正十年三月)

575:白馬青牛
08/02/18 23:55:39 LIf0QgvR
>>572
合理的な計算で行動する畿内兵のいっちゃん強いはないが、風評の弱兵でも
ない。我がトコが強いかは、戦歴、実績による。
>>574
糞外道云うて、こんなあ自覚しとるんか?
越後・甲斐に犯された、関東奴隷の劣等感か?

576:人間七七四年
08/02/19 00:08:36 7fQhRmGj
誰が客観的に見ても薩摩隼人だろ。数百の兵で関ヶ原中央突破。史上例のない比類なき武を見事に示した。

577:人間七七四年
08/02/19 00:09:45 oAwxnGCH
ランキングつけてみてくれよ牛
関東>関西>中部
みたいにな

578:奴隷民w ◆26IT/WpOkg
08/02/19 00:41:51 Uwsk9cKD
>>576
>>20は備中商人古川古松軒の西遊雑記(18C後)
師団usiの罵倒より有益情報

579:白馬青牛
08/02/19 02:00:18 hEAB+gmz
>>578
薩摩隼人?攻城戦も下手で、毛利、黒田勢に勝ったこともない。
どこに客観性があるんか?正面攻撃じゃあ土佐勢相手すら危ういもんじゃ。
対琉球でも苦戦し、九州でも勇猛さでは肥後に劣る。
関ヶ原で兵力を温存し、九州らしい短期戦闘で勇猛振りを発揮しただけで、
比類ない事でもあるまい。朝鮮でも加藤・小西の肥後勢が緒戦で活躍
したんと同じ。息が切れて、反攻された見事な負けっぷりも九州兵らしい
処よ。
>>577
ランキング云うても戦闘形態で変わるよ。どがいな戦闘でも順応出来る
中国地方兵は別格として、まあ、九州は対東北じゃあ分が悪りいん
じゃないか。戊辰でも薩摩は越後長岡藩に苦戦し、相馬方面でも九州勢は、
米沢藩やドンゴリ仙台藩にやられた。短期戦じゃあ違う結果が出るかも
知れん。
>>578
馬鹿げなこと云うのう。古川古松軒氏が実際に戦闘したんか。

580:人間七七四年
08/02/19 13:38:49 PuiYA+HC
>>579
スレリンク(sengoku板)

ここ行って広島最強説を主張して来いよw

581:人間七七四年
08/02/19 16:00:36 jHAH4Jlv
広島の奴ってなんでみんなこう、ネチっこいつーか自己主張強いつーか。
考えが偏ってる一方、人にもそれを押し付けてくるんだよね。
ラグビーやってる奴も同じような感じかな。自信過剰で暑苦しい。
まぁでもそういう奴らが集まったらいくさ場ではプラスにも働くのかな?兵隊としては。
目的意識をはっきり示せる指揮官が必要だけどね。この位置の人間は別のトコから引っ張ってきたほうがいいだろな。

582:人間七七四年
08/02/19 18:21:47 bQPnE/eW
=゜ω゜) おお!いっきに流れを元に戻してしまった職人芸。
さすが牛!やるなぁ。

583:人間七七四年
08/02/19 22:29:10 MYqZons+
戦に勝つのは兵卒の質だけじゃないんじゃなかろうか。
こんなヘタレに率いられてたから負けちゃったけど、
一般兵は物凄い頑張りましたみたいなとこはどっか無いのかな


584:人間七七四年
08/02/20 00:47:26 UY/76435
>>569
伝蔵の名は『彦根藩諸家異譜』にありました。
元祖十郎左衛門業実幼名伝蔵改民部、と。
天正八年に家康に小姓として仕えた後に井伊につけられたようで、その後
甲州新府若御子(本能寺後の北条との甲斐争奪戦か)以降大坂両陣までほとんど参加したとのこと。
特に小田原攻めでは篠曲輪乗取り(井伊隊だけが小田原城内へ攻め込んだ)で秀吉にも褒美を貰ったととか。
ここでもやはり十郎左衛門とあります。しかし無楽斎の名や剣の話はほとんど出ていない。
うーん、まだ謎としておくほかないですね。

585:人間七七四年
08/02/20 00:53:52 OsRrDUva
・・?お前達、播磨兵は無視でつか?

586: ◆26IT/WpOkg
08/02/20 00:58:03 hJ+g2v37
>>569=゜ω゜)
>>584
結果的に流れを豚切ってしまったな
すまんね

井伊家の侍由緒書も長野十郎左衛門の記述はあまり多くないか
小幡旧臣岡本半助の方は詳細だけど

587:白馬青牛
08/02/20 01:07:55 1tvcPiv0
>>580
そっちにも書いとるが、兵卒の地域性の話題じゃないけんのう。
>>581
自信過剰つまり必勝の精神、上下よりも横の団結心、個々の独立精神は、
強兵を生む土壌になる。いかに広島の兵士が精強であっても、他地域の
兵との混成部隊じゃったら、日本の雑軍になるねえ。
命知らずの南九州兵も、他地域兵が大勢混じると、郷土の誇り、世間体を
気にせず、無理に命を投げ出さず、勇猛な特性も影をひそめる。
地域郷土愛があればこそで、大きい枠組みの日本じゃあ、郷土よりも
抽象的で、余所者同士なら勝手にせえ、わしゃあ知らんになるよ。
>>582
流れまで考えんよ。
>>583
指揮官より戦闘経験豊富な下士官や兵卒がおれば、局地戦闘じゃあ
カバー出来るけどね。戦略、大まかな戦術レベルじゃあ上層部の意向で、
拙劣な作戦でも、兵士は戦闘せにゃあいけん。こういう場合近畿兵は
合理主義が優先するけえ、戦意が急速に低下する事態も招く。

588:人間七七四年
08/02/20 03:18:31 OlMw9xLP
牛の進む道、それが流れとなり、スレを大きく変えていく
糞スレにな

589:人間七七四年
08/02/20 17:56:42 mQFNJbPz
八路でFAじゃん
質+量>>>>>>量>>>>>質
個の武勇が決め手になるのは古代まで

590:人間七七四年
08/02/20 21:29:13 Pe2clmG5
>>581さん確かに。
白馬なんたらのレスを見てると文章に抵脳さと歴史についての無知さがありありと出ています。哀れと言うか滑稽と言うか・・・中国兵がどんな戦にも対応できる?毛利軍の一地方局地的戦闘からの妄想でしょうか?

591:人間七七四年
08/02/20 21:37:48 1jU3CAAd
>>584
=゜ω゜) いろいろありがとうございますた。
「三百諸藩家臣事典」によると
長野業真(ナリマサ)十郎左衛門。幼名伝蔵。上野出身。
戦歴も甲州若御子台、真田陣、小牧長久手、関ヶ原、
小田原の篠曲輪では秀吉より馬を賜ると、一致しており
たぶん同一人物なのでしょう。
無楽斎本人か、かなり近しい人物であると思います。
「長野は武道家にて、長野長柄刀とて、柄をことごとく長くして差しけり。」
が本当ならば林崎流の可能性は大いに有りますし。
また新たな資料を見つけたら次は長野スレあたりにあげておきます。

>>586
=゜ω゜) いえいえ、過疎ってたのであれでよいと思います。
牛も喜んでるしね。

592:白馬青牛
08/02/21 02:15:07 BE3Xnjd7
>>589
八路軍の強さは、同志愛と団結心じゃのう。量の人海戦術は国府軍の方よ。
兵士として一人一人が強いんは広西軍じゃろう。正確な射撃技術と夜目が
きく、性格の獰猛さ。ネパールのグルカ兵やビルマのカチン族兵、台湾
山地の高砂族に劣らん世界的な強豪よのう。
古代云うてどこの古代か?中世の騎馬下手鎌倉武士と違い、
パルティアや匈奴は騎馬の集団運用じゃけんのう。
>>590
歴史についての無知云うて、あんたの歴史解釈たあ何なら?
一局地戦なら、上杉、武田らは一局地戦の典型じゃないか。

593:人間七七四年
08/02/21 02:34:11 V+phTbuK
ガチ無知青牛兄貴オッスオッス!!

594:人間七七四年
08/02/21 10:00:45 WCcsN+5y
広西軍は夜目がきく・・・痛すぎる妄想固定観念。武田軍、上杉軍共に局地戦。だが強い。何より当時の同世代人の認識がそうだったと言う事。肥後人が最も勇猛だとか書いてたね。葉隠に影響されすぎ。妄想と痛い自己中な無知さ。

595:白馬青牛
08/02/22 01:17:44 Q5FAGiPg
>>594
>広西軍の夜目がきく。のどこが妄想固定観念なんか?そうじゃない云う
根拠でもあったんか?日本軍の夜目がきく場合は周辺視と暗調応の訓練と
経験で、部落同士が夜襲する広西人のような天性のもんじゃない。
武田、上杉が強い云う当時の同世代の認識云う根拠は?
文書を残すもんは、当時の文化人で、限られた層じゃ。
現代でも畿内文化人の司馬遼太郎氏や湯川秀樹氏の言だけが後世に残っ
たら、畿内人は弱かったと誤解する後世そう解釈する連中も出てくる云う
ことじゃ。これは以前にも書いたか。肥後人の熊本聯隊が薩摩人の
鹿児島聯隊よりも勇猛で命知らずで最も鼻息が荒かったんは、当時の
熊本師団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の兵)に所属した方の言から、
明らかなことよ。肥前の葉隠れが何で出てくるんか?

596:人間七七四年
08/02/22 06:14:51 evDmhEAr
>>595 広西人が夜目が聞くのではなく辺境の人は生活に順応して夜目が効くようになる。天性だって。痛いな。なんだお前は戦国板で近代戦の話ししてたのか。すでにズレてんだよ、お前は。

597:人間七七四年
08/02/22 06:15:27 evDmhEAr
>>595 文化人のみ?兵士も農民も認識してる。何で織田軍の兵士は武田軍を必要以上に恐れてたんだ?どうして鎌倉以前から西国武者は関東武者を恐れたか知れ。屁理屈のみの滑稽で無知なやつ。

598:人間七七四年
08/02/22 12:46:55 JsbjnK5O
恐れてない

599:東海
08/02/22 13:54:24 5nfiL2Wp
出身国別 明朝
最強兵卒 遼東鐵騎 韃軍 浙江兵 四川兵
時代 明朝后期
將領 李如松 痲貴 陳璘 劉綎
vs
小西行長 加籐清正 島津義弘 黑田長政

600:人間七七四年
08/02/22 22:41:27 KR3Kq1XQ
=゜ω゜) おお、新たなる挑戦者だぞ牛っ ・・・てか、読めん。

601:人間七七四年
08/02/22 23:00:07 9aa+agrG
白馬の痴呆爺さん、自分は何でも知っていると威張りたいんだね。
少しでも賢く見られたいんだね。でも馬鹿は直らないよ。

602: ◆26IT/WpOkg
08/02/23 01:32:57 s0CSX7GS
>>597
確かにあの三河武士でも長篠の時は武田騎兵をかなり警戒していた節があるっぽい。
家康から重臣への書状で。

603:白馬青牛
08/02/23 02:05:07 WU4hNvkR
アク禁したんは、関東の糞奴隷民じゃろう。

604:白馬青牛
08/02/23 02:12:40 WU4hNvkR
>>597-601
糞奴隷民らが。糞奴隷民の関東を恐れる馬鹿がどこへおるんなら。
根拠のなあことぬかすな。
姑息で陰険な手段しか出来ん糞外道らじゃのう。


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