07/09/29 04:02:31 tOYOIj/P
usiという男は、いろいろ言ってても、
最後は鎧袖一触、
「朝鮮人の戦闘力は随一」
となるのだから、
何が結論なのかはアホみたいに瞭然。
よーやっとるわ
217:人間七七四年
07/09/29 11:05:39 ozMZJ0iO
>215
=゚ω゚) 西濃から富山へ抜ける地帯の山賊と言うと山伏、ワッハ(乱波)の類かな?
火薬ならたしか月山が最上級品。続いて北陸、安芸とかが上物として続いたと思う(記憶書きだが)
生産量が多いのは関東だが品質は下物だったと思う。
傭兵諜報員(乱波働き)兼鉄砲部隊として織田~斎藤氏の間を行き来してたのが
前野・蜂須賀・稲田・坪内氏ら木曾川の川並衆。水運、境界線の者達だな。
織田の鉄砲同心だった坪内氏は加賀富樫の系統だと言う、
徳川軍相手に馬上から鉄砲を撃ち放って味方を援護したとか。
他に川並衆の河田家からは弓の名手が出たらすい。
218:人間七七四年
07/09/29 18:51:35 1IvdtViT
小野田小尉(中野学校)>>>>越えられない根性の壁>>>>>ピカ師団
219:人間七七四年
07/09/30 16:21:51 /lfR1gNs
褒章>>>勲章
220:人間七七四年
07/09/30 18:48:08 TB3OlZjg
>>215
そりゃしょうがないよ。全陸軍が広島師団並みに強かったら今頃アメリカは日本の属州だったのに。
牛が悔しがるのも無理はない。そう思えるほど最強広島師団。
開戦劈頭マレーで英軍を屠ったのも、中国大陸三千キロを打通したのもみなこれ広島師団の戦功だ。
他の部隊はその後をぞろぞろ物見遊山をしていたに過ぎない。
大本営の判断ミスでガダルカナルやレイテやインパールに広島師団が投入されなかったのは千載の悔いを遺す。
ガ島に惰弱仙台師団の代わりに広島師団が出向いていたら、マリンコどもは海に逆落としである。
レイテに虚弱東京師団の代わりに広島師団が出向いていたら、マッカーサーはまたまた「アイ・シャル・リターン」と叫ばなければ
ならなかった。
ビルマに口ばっかり久留米師団の代わりに広島師団が出向いていたら、米式中国軍は永久にビルマ国境を越えられなかった
だろう。また、無能北関東師団の代わりにチンドウィン川を越えていたらデリーの赤い壁に日章旗が翻っていただろう。
どれもこれも、広島師団を後生大事に温存してきた大本営の無能のせいである。
221:白馬青牛
07/10/01 00:06:42 x4fBThI4
>>213-215
戦国と近代郷土兵団の類似は、『陰徳太平記』に「畿内や東国では、
一城を攻め落とせば、五ヶ所や十ヶ所もつぎつぎ没落する。
東国武士は、長期城を守りぬくことは難しく、久しくこらえることが
できぬ。中国勢は、少勢で城を守り、小をもって対陣すること、何百日、
何千日経るとも、士気衰え引くことはない。」
これが、中国地方マンセーのホラ話じゃないんは、近代広島兵団が証明し、
兵の気質として戦国時代から近代まで受け継がれとる。
>>214
ペリリュウ島は、緒戦の水際作戦で米軍を叩き、戦闘主導権が取れ優位に
闘うことが出来たんと、洞窟の自然要塞も米軍を手こずらせたわけで、
他の米軍を上陸させて戦闘し短期で玉砕した部隊より強かったわけでも
なく、何れにしろ、ペリリュウ島も負け戦さじゃ。
武勲のない関東兵団が負け戦さのペリリュウ島戦のみ誇るんも哀れなのう。
あんた青木氏や黒田氏側の関係者に聞いたことがあるんか?
国井氏の実力も道場以外未知数じゃに。
222: ◆26IT/WpOkg
07/10/01 00:41:14 8DPZECnI
>>217=゚ω゚)
武田家の軍役だと、鉄砲は上手の射手を集め、一挺に玉薬300放とあるな。
>>220
そこまで書くとアンチ広島w
広島の何とか連隊がノモンハンで全滅というぞ。
>>221
何千日ってw
223:白馬青牛
07/10/01 00:56:56 x4fBThI4
>>216
朝鮮人の戦闘力は、対モンゴル戦日本戦(文禄・慶長)で国が崩壊しても
士気衰えん兵の強さ、ベトナム戦争も勇猛振りを発揮したが、随一と
云うたことはないでえ。
>>218
現地民の食糧を強奪し、部下を犠牲にして生き残った小野田氏を崇拝する、
小野田信者が日本史板の小野田スレから来たんか。わしの書き込みが
気に入らんかったんか?小野田氏の個人崇拝は北朝鮮の独裁者崇拝や
顔の国井氏崇拝とどこが違うんか?
ほいで、ピカ師団たァ何なら。わりゃ、前線で血みどろの戦いを繰り返した
広島師団を馬鹿にしゃあがって。前線を恐れる陸軍中野学校卒の連中と
較べられる自体、不愉快なことじゃ。
>>220
広島第39師団は、大陸打通の侵攻作戦に参加しとらんよ。広島第39師団
から、陸軍中野学校出身者と共に特殊部隊の桜挺進隊が参加したけど。
広島第39師団は、宜昌防御戦の死闘じゃった。
224:白馬青牛
07/10/01 01:31:15 x4fBThI4
>>220
続き。広島第39師団参謀長草野ニ郎大佐は、第11軍司令部に出頭し、
第11軍作戦参謀島貫大佐(後、防衛庁戦史室長)師団の状況を説明した。
「敵軍は第39師団の警備する襄西地区を突破すれば、あとは武漢に
殺到するのみ。師団はそういうことのないよう、各地区の精強を信頼して、
頑張る自信は持っている。しかし軍としては、もし、第39師団が玉砕した
場合でも、二段構えというものを考えておられるでしょうな」
「玉砕は困る。それまで心配していたら作戦はできぬ。ただ貴師団の精強に
信頼をかけ、運を天に任せて、軍の方針を断行するだけだ。」等のやりとり
があった。ほいで広島部隊が異例の連続感状に繋がるわけじゃ。
もし、大陸打通作戦が無かったら、予定通り名古屋第3師団、
仙台第13師団は南方に派遣され、広島第39師団は大本営予備として
上海に集結する予定で、大本営も広島師団を重視しとったとも云えるが。
>>222
ノモンハンの第71聯隊のことか。ノモンハンの後半は全国から兵を
集めた混成化されたよ。
225:774RR
07/10/01 11:22:23 5wT9bMfO
真田鉄砲隊と村上水軍
226:人間七七四年
07/10/01 20:33:47 ejJIHWu+
>>220
=゚ω゚) すっ・・・スゴイ。2スレ半かかって牛がほざいてる事をわずか1レスで言い放つとは!
我々以上の牛マニアとお見受けイタしますた
>221
>あんた青木氏や黒田氏側の関係者に聞いたことがあるんか?
=゚ω゚) 電波本よりは遥かにマシな情報は知っているとだけ言っておこう。
>国井氏の実力も道場以外未知数じゃに。
=゚ω゚) 藻前、全然調べて無いじゃん。
國井師範はふつうに野試合や街頭でゴロツキを叩き伏せたのは日常茶飯事だよ。
ふつう森田雅なんて弟子に取らんだろw
森田雅の鹿島神流が何度も修羅場を脱するのに役立ったのは安藤組長の証言が有ったな。
その辺に関しては社会復帰された方々が存命中なのであまり言えない。
昔は國井、高松、上野といった実戦派の師範がゴロゴロ居た。
他にもウソかホントか米軍主催の格闘大会に飛び入り参加してレスラーを殴り倒したら
周りの米兵が拳銃を抜いたので隠し持った短刀を抜いて睨み付けたらそれを見た兵士は
たまげて逃げていったと言う伝説も有る。
ところで逆にお前さんにもう一度聞くが、真剣着装の米軍の銃剣教官相手に傷もつけず、自分もケガせず
竹刀一本で「日本武道は不殺の武道です」とGHQを納得させる事ができるのか?
真槍銃剣相手にそれができたらお前さんの言い分を認めてやる。できないヤツに言う権利は無い。
國井はその難題を見事に実現した。これは事実である事に変わりはない。
227:人間七七四年
07/10/01 21:18:52 rvJQD0YG
アッツ島も山梨の連隊だったな
228:人間七七四年
07/10/01 21:27:24 17NrFoWR
>>226=゚ω゚)
その人は時たま出てくる広島厨だな。
229:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/10/01 23:25:34 +8wXn3qO
なんだこの流れ。
230:人間七七四年
07/10/01 23:48:15 ejJIHWu+
>他の米軍を上陸させて戦闘し短期で玉砕した部隊より強かったわけでもなく
=゚ω゚) んーなワケ無かろう。
兵力14倍、航空機200倍、戦車100倍、重火砲1000倍
制空権も制海権も無く補給を絶たれ、食糧もない中で73日間戦闘が続き
自軍より多い被害を米軍に与え、米軍史上最大の犠牲者数を記録させた。
以来米軍はペリリュー島を『天皇の島』と呼ぶと言う。尊皇攘夷じゃのう。
>洞窟の自然要塞も米軍を手こずらせたわけで
=゚ω゚) 五百数十の地下壕と水府山の坑道は人力で拡張され整備されたものだよ
これを参考にしたのが栗林中将の硫黄島だ。
>>222
=゚ω゚) 夏場はやっぱり沼尻で花火w
一挺に玉薬300放とは弾丸300個と言う事なのじゃろうか?
早合での速射が一分間に3,4発。 20連射ほどで熱で硫黄が溶け弾が入りにくくなるので
径の小さい「劣り玉」を使うと有る。意外とめんどくさい。
でも天保年間の記録では朝7時から夕方5時までの間に数撃ち2000発と有るので
意外と撃てたようだ。
ただ、雑兵物語とかを読むと玉箱持ちの雑兵は足軽衆が無駄玉を撃つのを
ものすごく嫌がっているのを見ると、ちょっと萌える。
231:白馬青牛
07/10/02 01:19:56 J10amhz8
>>226
国井氏に都合が悪いと一方的に電波本を決め付け、マシな情報とやらも
云わん。街頭のゴロツキじゃあ個人の差があるし、森田雅氏は、国井氏の
直接の弟子でなく、国井氏の弟子である橋本鎮之助氏に学んだわけじゃ。
北条氏の侍大将安藤式部の末とされる安藤昇氏は、武田氏家臣の末、
ご母堂は長州の吉田松陰縁者の花形敬氏の方を武闘派として評価されたん
じゃないか。安藤氏は「渋谷で酔った花形が森田にからんで口を挟んだ
沖野を花形が投げ飛ばし、止めに入った森田の頬を打った。森田は我慢
した。鹿島神流、日本刀を持ち出せば、血の修羅場は必至だったろう。」
と、云われたが、森田雅氏自身も花形敬氏に一目置いておられた。
花形氏と力道山氏のガンの付け合いで力道山は退散たことや、力道山は
絡んで来た安藤組幹部の一人に怒り花形氏にお伺いを立てたこともあった。
「敬さん、俺とこの男が喧嘩したら、どっちの味方につくんだい」
花形が、「どっちにもつかないよ」と答えた瞬間力道山の頭突きが炸裂し、
男は一発でフロアにのびた。
一方森田氏は、力道山が格闘技のプロなら、こっちは喧嘩のプロだ。
と、カバンの中に武器を忍ばせ路上でにらみ合いの対決で力道山の
方が逃げたようじゃ。伝説としては花形氏の方が知られとる云うか
安藤組幹部の中でも突出しとったんじゃないか。
232:白馬青牛
07/10/02 02:04:31 J10amhz8
>>226
何回も国井氏を美化しとるが、道場と場所が違うと藤田西湖氏の同様
恥を掻いたか解らんし、戦場へ出たら烏合の衆の一人になるかも知れん。
道場自慢は何の足しにもならん。国井信者はカルトじゃのう。
>>230
ワケない云うても、宇都宮14Dの大陸の武勲云うて何なら?
関東軍の中でも戦闘実績もない弱い師団じゃないか。水際作戦で緒戦で
優位に立ったこと、洞窟は自然要塞じゃし、人工的な構築陣地はやられ
とるで。だいたい、硫黄島の109Dは混成部隊じゃったが健闘しとるよ。
混成部隊は日本の雑軍と中国軍にも嘗められたが、どこの師団でも、
弱兵関東兵すら、戦闘主導権と地の利があれば健闘出来る。
しかも最後は負け戦で、健闘しょうが、短期で玉砕しょうが負け戦で、
負け戦を誇るんは負け犬奴隷根性甚だしい。
233:人間七七四年
07/10/03 00:22:00 a1iiYTb8
>231
=゚ω゚) ほう、これは面白い。何という本じゃ?電波本読むくらいならこれを読んだ方がマシだろう。
電波本と言うのはだな。『日本人は明治以前は走れませんでした』とか言ったり
創作武道を古武道と名乗ったり。昔の剣豪は○○の法を学んだのでスゴイ奇跡が起こせたとか
カルト宗教まがいの妄想を飛ばす本の事じゃ。
>道場自慢は何の足しにもならん。
=゚ω゚) 相変わらず空想ファンタジーが好きじゃのう。
なら平時の訓練は全部無駄という事じゃのう。ご苦労な話じゃわい。
どこで訓練しようが基礎訓練は同じだべ。基礎が無ければ応用は効かない。これ常識。
規律も満足にできん軍は有事の役にはたたんべよ。
もう一度聞くが、真剣着装の米軍の銃剣教官相手に傷もつけず、自分もケガせず
竹刀一本で「日本武道は不殺の武道です」とGHQを納得させる事ができるのか???
言うてみい。
234:人間七七四年
07/10/03 13:57:53 7i7dSdj0
>>222
> 広島の何とか連隊がノモンハンで全滅というぞ。
それは、全てあなたの思い込みです。
>>230
宇都宮師団でさえ米軍をてこづらせた、ということであればペリリューに広島師団が配置されていたら米軍は皆殺しになっていた
だろう。下手をすると73日間どころか終戦まで持久できていたに違いない。
広島師団と宇都宮師団では、ヤンキースと楽天イーグルスくらい力の差がある。もしくはサッカーのブラジル代表と日本代表
くらい差がある。
235:人間七七四年
07/10/03 19:04:00 Ajr92CtK
あいつらはチキンだから南方行かないじゃん
236: ◆26IT/WpOkg
07/10/03 19:56:13 I6jGg2RO
『田植草紙』の故郷、新庄の中国大会出場を祝して(^w^)
坂東殿ばらは弓は上手なるもの
空立つ鳥を射て落といたり
さても上手や空飛ぶ鶴を落といた
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は
さても射たのふ見事や弓の姿は
坂東武者は弓の上手、空かける鳥を射落とすそうだ。
え、落したのは鶴だろうなんて冗談は無し。ほんと素晴らしいんだから。
(新日本古典文学大系)
237:人間七七四年
07/10/04 05:43:11 dB3mVmNa
> 朝鮮人の戦闘力は、対モンゴル戦日本戦(文禄・慶長)で国が崩壊しても
> 士気衰えん兵の強さ、ベトナム戦争も勇猛振りを発揮したが、随一と
> 云うたことはないでえ
この一言で素性がわかるし、
こいつが首尾一貫して主張しているのがこれ。
結局、
>>220
のような指摘がさらす矛盾は初めから計画的。
見え見えの工作だよ。
238: ◆26IT/WpOkg
07/10/04 07:38:50 mo5ljm4t
天正13年(1585) 信玄兵法の聞き取り
石原、孕石、広瀬、横瀬、西郷、曲渕、菅沼、辻⇒井伊万千代。
関西武士と関東武士が同数で戦った場合、大将の采配にもよるが、関西勢は五度に四度は負け戦になる例は、
信玄の時代より何度もあったと聞いている。
だが関東武士も剛勇ばかりではない。
関西武士も弱いものばかりではない。
第一に備えが入念でなく、物見を大事にせず、物見武者として選ばず、日頃物見の教育をせず、物見は誰でもできるものと考えている、
心無き者もいるであろう。
関西武士は物見に出ても敵情を、確り把握せず、敵を侮り高言を吐き、兵を預けても合戦になると、采配を振ること無く、
兵を残し一人抜け駆けをするのが手柄と思っており、一番槍を心がけるものである。
名将は一、二を捨て、三四をもって、勝つようにするには、敵の先陣を切り崩せば勝利を得ると心得、二、三の備えを切り崩し、
負け戦にするものである。
しかしながら年寄りも人によりけりで、戦場で預けられた人数の兵を、采配で巧みに操り、兵法に通じていると万人が認めるものなれば、
高知行で召抱えなされ。
そのような巧者の申すことなら、家中(井伊家)の若侍も納得するでござろう。
戦場で年寄りは、若侍と一番槍の巧妙を競うのは無理だが、城の留守居、国境の砦の守備を申し付ければ、敵より合戦の場数を踏んだ武功者なれば、
敵も早急には攻めてかからぬでござろう。
その時分信玄は近隣諸国の武将から、恐れられた大将であったが、諸国の高名で没落した武将の巧者な浪人を召し抱え合戦の話をさせ、
悪しきは捨て良きは採ることを、心がけたが、合戦には入念に準備してかからねば、勝ち戦は望めぬ、と信玄は常々申された。
(合戦騒動事典)
239:白馬青牛
07/10/05 00:46:18 mFri2ORj
>>233
『愚連隊伝説』(洋泉社)、『自伝 安藤昇』(ぶんか社)
『修羅場の人間学』(祥伝社)の引用じゃ。
『愚連隊伝説』の森田雅氏と、新宿の銀行家のご子息で、グレン隊の帝王
加納貢氏の対談も面白かったのう。
鹿島神流を学び武闘派の森田氏が「加納さんの強さはだれでも知って
いますが、でも優しさの方が目立っちゃう。(加納氏が)小さな石粒を
ツバメにぶっつけたらみんな当っちゃって、フラフラ落ちてくるけど、
地面スレスレのあたりで蘇ってまたスーッと飛んで行くの。
(ひえー、佐々木小次郎だ!)ってビックリして俺もマネしてやって
みたけど、全然当んない。すると加納さんが、「おい、もうちょっと
小さい石にしろよ。万一当ったらツバメが死んじゃうよ」って。ああ、
これが加納さんだなって感じですよ。」と。
ほいで、甲野氏を余程嫌うとるのう。平時の訓練が全て無駄じゃ
云うとらんど。訓練と実戦はまた違う云うことよ。
規律も満足に出来ん軍云うて、軍紀厳正の広島師団と違い、関東兵団の
ことか?いや、熊本兵団も夜に初年兵に酒を持ってこさせたりしたけん
のう。広島師団じゃあ処罰の対象になるわい。
国井氏の美化を繰り返すが、道場と違い戦場じゃあ未知数で、
しかも戦場じゃあ相手を傷つけず、竹刀で押さえるんは困難になるのう。
240:人間七七四年
07/10/05 01:34:43 qpZc+0Bs
=゚ω゚) 信玄の物見武者に対する判断力はスゴス。
(永禄4年信州川中島合戦)
日出で霧ことごとく消えければ輝虎13000の軍勢にて近々と備えたり。
対する信玄公8000。たとえ勝ったとしても討死あまたこれ有るべしと武田の各々は思った。
信玄公は信州の先方、浦野という弓矢巧者の侍を物見に出す。
浦野帰って言うには「輝虎のき候(退き候かな?)」と申し上げる。
信玄「謙信が川を越え、この場で引き揚げるワケがないじゃろ。どのような様子で退いた?」と聞く
浦野「謙信は我が陣を廻りてたてきり、幾度もかくの如く候て犀川の方におもむき候。」
信玄「浦野とも思えぬカバチじゃのう。そりゃあんた車掛言うて、いく巡りめに旗本同士をぶつけ合わせて
一戦する時の軍法じゃあないかね。謙信は今日を限りと見えたりじゃけんのう。」
そう言って備えを立て直し給う。(「甲陽軍鑑」牛語適当訳。)
>239『愚連隊伝説』(洋泉社)、『自伝 安藤昇』(ぶんか社)『修羅場の人間学』(祥伝社)の引用じゃ。
=゚ω゚) おうサンキュ。今度探してみるわい。
修羅場の人間学と聞いて杉作J太郎を思い出すヤツはそうとうの歳じゃな。
>戦場じゃあ相手を傷つけず、竹刀で押さえるんは困難になるのう。
=゚ω゚) お前さんの脳味噌には竹刀で真槍銃剣押さえられるほどの人が銃剣使ったら
どれほどの事になるかと言う概念がスッポリ抜け落ちとるのう。
241:白馬青牛
07/10/05 01:56:17 mFri2ORj
>>234
ノモンハンでの壊滅は、第23師団だけじゃのうて、旭川第7師団の
第26聯隊、第28聯隊も壊滅しとる。ロシアの資料では、ソ連軍の
損害も戦死・戦傷・行方不明者も含め2万4千になり、日本側の
1万9千人弱より多いことになるが、実際は日本側ももっと損害は
多かったろう。日本側の幸運な生存者は「敗北でも引き分けでもない。
相撃ちだ。」と云われ。ソ連軍指揮官のジューコフもソ連国防相時、西側の
記者に「ノモンハンは苦しい戦闘であった」と云う。
白兵戦じゃあ日本軍の圧勝で、ソ連側が劣等感を持ったのに、歩兵を
引っ込めて重砲戦と云う兵器の差が出る戦闘でしっぺ返しを喰らうた。
第23師団は、第64聯隊は熊本師団の兵、第72聯隊は久留米師団の兵、
第71聯隊は、広島師団、(歩兵第一大隊は福山、第二は浜田、第三は、
山口、砲兵は広島)で編成されたが、第71聯隊の戦死者数から見ても、
広島、山口、島根、鹿児島、東京、大阪、北海道、秋田、山形、愛知、
栃木等、全国の兵が含まれる。鹿児島第71聯隊史に、「緒戦の勝利、
白銀査千南の戦闘に参加した将兵(広島師団将兵)は、その後補充された
兵隊(関東軍諸隊兵)より勇敢であった。諸隊より幹部及び兵を個別に
補充し、直ちに戦闘に参加させたので戦力の低下来たした。」と、ある。
混成部隊化したら、郷土の横の団結が薄れ、戦力が低下するけんのう。
242:白馬青牛
07/10/05 02:20:53 mFri2ORj
>>236-238
他板でも云うたが、狩猟の腕なら生活者として狩りをする、
中国地方の百姓>趣味の狩猟の板東殿じゃ。
関西武士と関東武士が同数で戦闘した実例たァ何なら?
具体的実例ものうて、自分が強いと思い込む関東人は哀れじゃのう。
そういやあ、宇都宮第14師団も戦後になって関東軍最強とぬかしとるが、
関東軍隷下時は、雑魚師団じゃったのに、ペリリュウ島の健闘が語られ、
一躍精強を掲げ、電波を飛ばす処、東国人のホラ吹き伝説は、武田信玄
以来、いや鎌倉政権以来か、甚だしいわい。関東武士が剛勇には
笑うたわい。個人的には関東も剛勇な者もおろうが、全体的には日本の
雑魚兵団に過ぎん。
243: ◆26IT/WpOkg
07/10/05 07:14:31 QaCQHYI4
>>242
usiがデタラメで否定しようが、中世の安芸や石見の百姓が坂東武士の弓射を称えてる事実が『田植草紙』じゃけん。
戦国広島人は京文化と坂東若武者に憧れすぎだなw
>>230
鉄砲玉のことでしょう
244:白馬青牛
07/10/06 01:03:46 TqaDpZWO
>>243
『田植草紙』の編者が、『人国記』的な東国至上主義的先入観を持っとった
云うことじゃ。戦国広島人が、板東に憧れ?
『陰徳太平記』にある城を捨てて逃げる板東人に憧れてどうすんなら。
245: ◆26IT/WpOkg
07/10/06 01:13:55 vQGkMSSi
『人国記』は信州人なんだろ
また苦し紛れの思い付きで(笑)
『陰徳太平記』(笑)
東国人の武名に逃げるは西国の海賊なり(今昔)
246:人間七七四年
07/10/06 02:11:44 x2+0fy0p
冗談で言うが、
usiは朝鮮人でないとしたら、
小森タツクニじゃなかろうかwwwww
それはそれとして、
関東人と関西人を較べた印象としては、
両方を多感な年代に体験したものとしては、
関東=野蛮、血気盛ん、
関西=上品、丸く治める、
という観念がどうしてもあるね。体験的に。
牛は多分ビンゴの山奥のジジイで世間知らずかも試練がwwwww
関東人のほうが勇猛じゃよ、日常的にも。
もっとも、近年はどうかしらんが。
247:人間七七四年
07/10/06 02:17:17 x2+0fy0p
日常、喧嘩の光景を見る確率は、
関西<<<<<<<<<関東じゃね。
まあ、つい最近は知らんが。
それは事実。
しかしつい最近、
関東の某駅のプラットフォームで、
関西人が関西弁で粋がっている。
やっぱり、関東人は関西弁で粋がられると頭に来るようで、
関係ない者まで寄ってきて、
「なんじゃー」
とゆう感じで迫ってたな。
バカな関西人は、テレビマスコミにはやされて、
自分らの言葉がドスのきいた威嚇効果をもたらしていると勘違いしているらしかった。
とんでもない話での。
関西弁は大人しい女言葉。
最近のマスコミの調子乗りで誤認してしまった悲劇が
そのプラットフォームで生じて、
乗客みんな乗って誰もいない空間で、
1対1の格闘で、その関西人、ボコボコにされとったわwwwwwww
248:人間七七四年
07/10/06 02:30:46 x2+0fy0p
昔、大阪におったとき、
街でいざこざにまきこまれたとき、
相手が、
「お前、関東の人間か?」
と、聞いて来よった。
つまり、こっちが、そいつにとって意外に抵抗を見せる者だったからだろうな。
大阪の人間にとって関東人とは、畏怖の対象なんじゃな、と、そのとき思うた。
249: ◆26IT/WpOkg
07/10/06 07:10:49 vQGkMSSi
>>248-246
言葉、訛りからの視点は非常に面白いな。
250:白馬青牛
07/10/09 00:37:15 88taIM7O
>>245
『人国記』じゃあ、東国人は西国の海賊地域に一目置いとるのう。
>>246
まあ全文冗談じゃろうが、わしゃあ朝鮮人、被差別民でも無く、備後に
親戚はおるが安芸の者じゃ。関東より関西の方が気性が荒いが、あんたの
脳内妄想観念論は面白い。「関東=野蛮、血気盛ん。関西=上品、
丸く治める。」は、畿内文化人の受け売りじゃないか。
湯川秀樹氏も「日本では関西が弱くてね。東から北へ行くほど強いん
です。」と、東北最強説を云われる。
実戦の経験もない、福田中尉(司馬遼太郎)氏も、大阪兵の弱さとは、
お上の恐ろしさを知らない弱さです。東北の部隊が強いのは、封建的な
潜在体制や潜在意識が残っていたからです。庄屋、地主のような人が、
実に権威があり、そのまま国家権力の重みを持ってしまう。軍隊という
国家の恐い最深部に入ると庄屋の恐ろしさにおびえる百姓のような
気持ち。」と、半分封建制の強い土地柄の皮肉交じりで、武は野蛮と云う
兵が弱い文化地域を気取る畿内文化人の伝統を継続されとる。
実際、封建制の弱い地域の我が広島部隊は強かったし、逆に封建制の強い
地域の奴隷根性は独立心に乏しく強兵たァ云えんのじゃが。
251:人間七七四年
07/10/09 01:10:26 QlPLJECZ
>>250
そりゃそうだろ。同じ条件なら広島兵より強い部隊は地球上には存在しないんだから。
252: ◆26IT/WpOkg
07/10/09 01:12:43 qYQ6Kr/B
>>250
何だか知らねーけど、『新人国記』で気風を褒めてるのは九州だろ。
江戸・東京に近い南関東人は常に洗練されていったし、言葉の荒っぽさも薄まる罠。
人口も急増したし、田舎者が頑張る近代兵団なんか関係ねーw
三河から日本の涯に至るまでの東の地方では、一般に物言いが荒く鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない。
(『日本大文典』 1608年、宣教師ジョアン・ロドリゲス)
253:白馬青牛
07/10/09 01:13:06 88taIM7O
>>247-248
喧嘩の光景も関西>>>関東じゃろう。関東の殴り合いよのう。ありゃあ
子供の喧嘩レベルを見たわいのう。関西弁云うより大阪言葉が商人言葉、
女言葉で、現在の大阪人は、喧嘩になると隣国の河内弁を使う云うこと
じゃ。司馬遼太郎氏も、大和国北葛城郡の育ちで、河内人との喧嘩で、
毎度討ち負かされ、河内は楠木勢の板東の精兵相手の強さと兼ね合わせて
語っておられる。実際畿内は弱くは無いが、昔文書を残すんは文化人層
じゃけんのう。現代でも、司馬氏を始め、畿内文化人の書物だけが、後世に
残ったら、後世の人間も一般に畿内は弱く、関東や更に東北の方が強いと
後世の人たちは誤認する人も増えるじゃろう。
現在もそうじゃが、戦前全国の兵士が宇品港が出航した広島でも、
関東の兵士が関西の兵士より喧嘩が強い云う話は聞かん。
大阪の者が、関東人を畏怖する云うんも初耳じゃわい。
余程こんなあ(こいつ)、大阪で殴られよったんじゃのう。
254:人間七七四年
07/10/09 01:13:31 /OC+te+n
>249
=゚ω゚) ウチらの方言ではとても早口の関西弁には太刀打ち出来ないだっぴゃ。
もっとも江戸言葉は啖呵が効いてるが。
そういや三河人が「たわけ!」とか)「やったらあ」とか言ってるのを聞くと
時代劇みたいでちょっといいじゃん。じゃんだらりん。
>250
=゚ω゚) 『雑兵物語』でも東国人は西国の海戦能力に一目置いとるのう。
255:白馬青牛
07/10/09 01:28:02 88taIM7O
>>252
また、畿内文化人の、兵は卑しい板東は東夷で言葉も粗野云う概念を、
関東優位に都合よう変換させる。ポルトガルの宣教師も畿内文化人の
概念の写しで云うとるわけじゃ。関東弁の何処が荒いんか?
水戸っぽの言葉を聞いたら普笑うど。戦前、関東の兵隊は広島弁を聞いて
喧嘩言葉と勘違いしたが、関東の言葉も大阪言葉と同様やおいのう。
256: ◆26IT/WpOkg
07/10/09 01:50:21 qYQ6Kr/B
楠木は地元だから強いっていうか、最初のは精兵じゃなく実戦経験を踏んでからだろうな。
関西弁は柔らかい。
usiの広島弁に笑うど。荒くもねーし可笑しいだけw
257:人間七七四年
07/10/09 02:30:36 /OC+te+n
=゚ω゚) うむ。広島弁と言えば菅原文太じゃけんのう。
癒しの関東弁は警視庁御用達だな。
おう牛っころきしょ、いしゃひとごどけっけめだぁちくらっぽいってっけど
ほぉたしょーどもねぇぬるだっけぇごどいってっからでれすけだっちぃんだよ。
〔訳〕
やあ、皆さんごきげんよう。ボクの名前はハックルベリーフィン。
ミシシッピーと間違えて利根川へやってきた。
258:白馬青牛
07/10/10 02:00:55 d0rANwrH
>>256
関東人の観念論は、カルト信者の信仰と同じじゃのう。
河内の精兵は、古墳時代からの伝統よのう。そう云えば、板東武者も
河内源氏に隷属したわい。北関東の「べい」や「だっぺ」荒いんか?
ほいじゃあ、東北弁は北関東以上に荒いんか?
『人国記』よのう。九州じゃあ肥前、日向、薩摩を誉めとるが、
陸奥を「言詞卑劣なれども、勇気は日本に比ぶ所もあるまじ。これにより
無益の死をする者あり。」と、東北が一番勇敢なんじゃげな。
『人国記』を記したんは信濃人説が有力じゃが、信濃を始め東国人は、
東北に武勇で劣等感を持っとったんじゃのう。逆に畿内を根拠ものう、
ボロクソに貶す。東国文化人の強がり偏見は、畿内文化人の武や兵を
卑しむ伝統と共に、現代も受け継がれとるのう。
>>257
映画の『仁義なき戦い』菅原文太氏が主役じゃったけえ、広島弁の印象が
強いんじゃろうが、菅原文太氏は宮城県人じゃわい。
ミシシッピー川と利根川か。米国の西部開拓と日本の東国開拓の象徴的な
川の一つか?米国の西部開拓で、ミズーリ川を西に渉ると無法地帯。
ペコス川以西は法が無い。じゃの西部は荒らしい無法地帯のイメージが
あるが、実際は西部より東部、南部の方が荒々しい地帯じゃったように
米東部人が作った西部劇伝説じゃけんのう。日本も東国開拓で、
東国勇者伝説が出来た云う共通点があるのう。
259:人間七七四年
07/10/10 19:14:57 cf1bByny
=゚ω゚) うむ。南部の映画と言えば国民の創世とミシシッピーバーニングじゃのう。
>河内は楠木勢の板東の精兵相手の強さと兼ね合わせて語っておられる。
=゚ω゚) 「板東の精兵」とは宇都宮氏の事じゃろうか?まともに戦っておらんと思うが。
>北関東の「べい」や「だっぺ」荒いんか?
=゚ω゚) 旗本奴の六方詞でも、いっちょ聞かせて見るべいか。
イキとイナセでおっちょこちょい。義理と人情とやせ我慢。火事と喧嘩は江戸の華
それが江戸っ子の気っ風ってもんだぜ、べらぼうめ。
>菅原文太氏は宮城県人じゃわい。
=゚ω゚) もう広島でいいじゃん。朝日ソーラじゃけんのう。
260:白馬青牛
07/10/11 00:43:58 OksTrUWA
>>259
『国民の創生』とは、サイレント時代でだいぶ古いのう。ミシシッピー
バーニングは最近じゃが、19世紀でも現在でもそうじゃろうが、
米南部の方は気性が荒い。決闘じゃあ相手の眼球や睾丸を切り抜いたり、
南北戦争で北部派と南部派に別れた中東部のケンタッキー等は、
治安判事から商人まで家族同士の反目、虐殺、暗殺で2800人が死んだ
そうな。
司馬氏の「関東の精兵」云うんは解らんし、そもそも関東に精兵が
おったんかいのう。他の板東勢が弱く、宇都宮氏だけ強かったんか?
太平記の楠木正成のリップ・サービスが根拠か?
江戸の六法(六方)、旗本奴云うより町奴の奴詞の「べい」か。
イキとイナセは江戸後期じゃないか。大阪の六法者云うたら
「灘波(白浪)五人男」じゃのう。
菅原文太氏は、「仁義なき戦い」で回を重ねるごと、広島弁云うか
呉の芸南方言が上達されたのう。時代はパーシャルじゃ。
261: ◆26IT/WpOkg
07/10/11 01:44:58 5v7Z0yTL
>>253
殴り合いといえば、関東出身に名王者多し
>>259
じゃ、アンガールズで
>>258
>河内が古墳時代から伝統
なにそれ?w
河内源氏はマヤカシ。下級貴族として京が本拠で、猛き坂東の地盤(緩い関係)が命綱。
河内の地盤は京武者としての必要性から、家人養成所程度のものだろ(=強い支配)。
ズーズー東北弁は歯切れが悪い。東北に武勇で劣等感などない罠。
関東的な荒い「ぶっ○す」とか、「~ろ」、「つっ~」、「~ー」、「~だ」、「じゃん」、「べい」
標準語(=東京語)は近代以降に創られた言葉。
常陸・下野の方言は関東・東北の中間地帯ともいうが、神奈川とか西関東が荒い。
長野でも佐久地方は群馬に近いので、言葉が荒いといわれるそうだ。
近世だと身分の違いによる言葉の差があったというし、江戸でも高級武士と野卑な一般町人とで違う。
今に残る西関東のも中世の武士が使ったそれとは違うかもしれんな。
>>260
つか悪党厨の太平記でも、騎馬で強い坂東武者は描かれてるし。
広島の精兵は水軍以外で聞いた事ないな。近代兵団は武士のようなプロの戦士じゃないだろ。
262:人間七七四年
07/10/11 19:21:49 AFkS6EMm
>殴り合いといえば、関東出身に名王者多し
=゚ω゚) ガッツ!ガッツ!ビバガッツ!伝説の男~♪だが自伝映画では「どついたるねん」に負けてるか
しかし芸人としては宮城のたこ八郎を越えたとオイラは分析しちょる。
やはりカコ良さでは白井義男じゃのう。
>他の板東勢が弱く、宇都宮氏だけ強かったんか?
=゚ω゚) 宇都宮氏は鎌倉北条家の治安維持部隊だよ。関東、東北のみならず全国の
悪党退治に出動している精鋭部隊じゃったな。
>時代はパーシャルじゃ。
=゚ω゚) むむっ!!3スレ目にして初の敗北感!牛恐るべし!
263: ◆26IT/WpOkg
07/10/11 22:27:28 5v7Z0yTL
今日はT豚Sでレスリング中継があったとさ
ガッツはRデュランと戦ったのが凄いな
264:白馬青牛
07/10/11 23:59:54 OksTrUWA
>>261
関東人の一般的レベルを云うたんじゃが、ボクサーになっとる。
関東の名王者云うたら、加納貢氏や花形敬氏などの実戦に強い喧嘩の
プロを挙げるんか思うたわい。
アンガールズは標準語じゃないか。
河内の史氏ら馬飼いや大和の東漢氏は弓馬の家柄で、板東のセミプロや
徴発された奴隷兵たァ違う。『人国記』じゃあ東北の武勇に劣等感を
持っとるのう。陸奥>越後>板東諸国じゃ。関東で歯切れがええ言葉は
江戸下町言葉ぐらいじゃろう。英国のロンドン、イーストエンドの
コクニーに相当するかどうか。まあ関東は女々しい言葉を使うけんのう。
板東武者は、米国の西部劇と同じ東国勇者物語に過ぎんよ。強かった根拠も
ない。広島県の精兵は水軍?まあ、当時の水軍の戦闘は、大陸の大型船の
船自体の戦闘と違い、白兵主義の要素が強いのう。
近代兵団は武士のようなプロじゃない?大爆笑じゃ。笑いが止まらんわい。
上層武士は、農場経営者で商人の性質が強い云うんなら解るが。
西日本の兵卒は職能傭兵集団の側面は強いが、東国の兵卒は徴発された奴隷
じゃないか。民俗学者の千葉徳爾氏は、武士の心の伝統精神は、「家禄に
依存した」武士より、「常に生きた野性生物と闘って生計を立てて来た
漁夫や猟人たちの間こそ、むしろ強く受けつがれて来た」と、される。
まあ、身分的に武士になるんは、堕落する一形態じゃろう。
265: ◆26IT/WpOkg
07/10/12 00:37:11 Y1qaCjjU
>>264
>河内の史氏ら馬飼いや大和の東漢氏は弓馬の家柄
また南朝鮮系の渡来人か。結局それしかないのね。
河内や大和の極少馬牧で細々と・・・、蘇我氏や物部氏の家来同然の漢氏。
>女々しい
標準語が身に染み付いてるから。田舎の方言丸出しからすればそうだろう。
歯切れは相模。
>>67の東カラスとか
江戸初期の例で、坂東言葉は喧嘩のように聞こえたというぞ。
>職能傭兵集団、奴隷
意味不明
>野性生物と闘って
穢れを怖れぬ狩猟人の東国武者や九州武者の事だな。
現代人でも近畿地方は墓を忌んだり。
新人国記と人国記の内容は似通ってるんだろ。だとすれば越後>坂東とは読めない。
著者が信濃人だから、信濃を一番に挙げてるってことか。
新人国記じゃ近畿や山陰方面は散々に書かれてるだろうにw
その文だと千葉氏は近世武士を意識してるとしか思えないが。
266:白馬青牛
07/10/12 00:45:01 lsNScILl
>>262
宇都宮氏の全国悪党退治云うて、行った諸国の一覧表は?
初の敗北感?何じゃそりゃあ。
>>261の近代兵団でも、指揮官クラスじゃあ、戦国時代を笑えんほど
じゃった。後方部で戦闘の責任を前線に押し付ける司令官、小勢を率い
大軍相手にどうにもならんのに、自分の死に花を咲かそうと、一人で
死ぬのが淋しいせいか、部下に自分と共に死んで呉れと頼む自分に酔う
指揮官等、軍や兵卒を自分の所有物とカン違いしとるセンスは近代じゃ
ないのう。西洋でも近代以前の封建時代は、封建領主にとって兵は
所有物で、アンスバッハ辺疆伯、カール・アレクサンダーは、
パリの女優クレーロンや、クレイヴァン夫人に夢中となって、
国庫を空にして自分の軍隊をイギリスに売り飛ばしたが、
自領の人間を売り飛ばして何が悪い。封建領主として当然の権利じゃ。
と云うわけで、ドイツの小国の国家及び人民は支配者の私有財産で
あるという例証であるが。西洋もフランス革命以前の後進地帯の
ドイツやロシア等の東欧は、そがいなもんじゃ。
日本も特に封建制の強い、後進地帯の東日本なんか、同じような領主の
私有物の奴隷兵じゃろう。
267: ◆26IT/WpOkg
07/10/12 00:54:39 Y1qaCjjU
まあ田植草紙の故郷である中国山地なども、畿内や尾張のような先進地じゃないけどなw
そこに存在したのは豪農(地侍)と零細農民だろ。
268:白馬青牛
07/10/12 22:30:46 lsNScILl
>>265
東漢氏は、新沢千塚古墳から鮮卑的要素もあり、南朝鮮の伽耶地方の
渡来だけで人口を増やせるわけあるまい。
河内の牧でも、東国の牧でも遊牧するだけの土地はない。蘇我氏も
百済人説や坂口安吾氏も高句麗説もあるのう。『日本書記』は、
後世書かれた文学書じゃが、まあギリシャでも歴史は文学から始まるので
歴史文献等は、作家が歴史小説を書くんと大差ない。当時の蘇我氏が
豪族か天皇じゃったかどうかまで解らん。
相模弁?そもそも関東の「つっ~」「~だ」のどこが荒いんか?
畿内文化人が野卑な言葉と考えただけで、近代広島へ来た関東兵の言葉が
女々しいと馬鹿にされたんものう、逆に関東人は、普通の広島弁に喧嘩か、
かん違いしょったぐらいじゃ。
西日本の職能技術集団と東国の徴発された奴隷兵は違う。
穢れの概念は、動物食を常用するモンゴルでも、動物解体んの時、大地に
血を流したら穢れる、とあるんじゃが。狩猟民要素なら畿内>関東
じゃろう。関東人は、シジミ汁の汁を飲んでもケチくさいじゃ考え、
シジミの身を食べん馬鹿がおる。命を取った生物に供養の気持ちもない
外道らじゃ。関東人に云わせると、ケチくさい畿内人の粗末にせん
食べ方の方が余程真っ当じゃ。
269:白馬青牛
07/10/12 23:39:33 lsNScILl
>>265
そもそも、傷ついた動物や、弱者に温情を持つんが狩猟民の論理で、
間引きや僧侶、乞食を殺して自ら勇者と思い込む板東人に道義を求めても
無駄じゃと諦めとるわい。
『人国記』の「越後の国の風俗、千人が九百人は、人に負ける事を嫌ひて、
仮初にも勇を嗜み」と、相模の「科なき人に科を付けて謗りをなし、
非有る人にも、時めく人をば馳走常してこれを褒美し、常に栄花を好み、
好味を求めて酒色を弄ぶ風儀十人に八、九人かくの如し」じゃけんのう。
信州は「柔弱の人も、後には義理を知りて国風となるなり」と道徳心が
強いじゃの自己讃美じゃのう。畿内や山陰等の西国を根拠ものう貶すんは
東国文化人の一般的傾向じゃわい。
千葉氏の武士論は、戦国~近世の武士を中心に、現代に残る狩猟伝承との
比較考察されとる。
>>267
中国山地は貧しかったろうが、東国縦社会ほど悲惨じゃないよ。
尾張は、物質的、織田氏が如く家臣団の組織形態も先進地帯じゃったろう。
じゃが、織田信長は、京町衆や堺の自治を破壊し、門徒衆に圧力を加え、
東国に隣接地帯の東海勢力として、東国的圧政を西に押し付けた
馬鹿暴君で、滅ぶべくして滅んだが、東国的支配は豊臣、徳川に継続された
けんのう。強権専制云う意味じゃあ後進的であろう。
まあ当時の先進地帯は、門徒勢力の強い北陸や三河一向一揆等が、
東国の縦社会と違うんは糸魚川~浜名湖ラインの東西分岐点に求められ
よう、ほいで西の端で東に領地を得た徳川家康によって東西日本の
政治的統一が完了した云うことじゃ。東海地方は民衆は先進的じゃが
上層武士は、東国の影響を受け、政治支配には後進的じゃろう。
270:白馬青牛
07/10/13 00:25:04 yjcwPfLN
日本の東西境界は、糸魚川~浜名湖ラインとして、西洋は、東西冷戦時代の
エルベ川あたりか。東部ドイツはプロシア地方貴族の土地で小作農奴が
多く、独立自営農が育たんかったが、西部ドイツはそれと比べると先進
地帯であるが、英、仏の連中はドイツ自体、後進的じゃと。
ドイツで少々の違法行為でも市民が警察に通報するんは、社会的義務で
あると云う考えに対し、英仏の連中は、警察という公権力への密告は、
警察国家で、専制的全体主義のドイツ人のやることと眉をひそめる。
司馬遼太郎氏の大好きなオランダは市民社会を作り、ドイツは
違うんじゃろうか。ドイツの宗教改革やドイツ農民戦争もあったが、
日本の北陸や東海の一揆と比較出来よう。ドイツは西洋の西側か
東側か判断しずらい処。東日本は専制全体主義で、民衆は農奴で
東欧的、ロシア的な臭いが強い。道理で共産主義者や同類の板東人が、
関東武士がブルジョア的都の貴族や、都化した武士から、政権を確保した
関東武士万歳物語を喜ぶわけか。
271:人間七七四年
07/10/13 01:52:50 R8gmr4lC
>関東の名王者云うたら、加納貢氏や花形敬氏などの実戦に強い喧嘩のプロを挙げるんか思うたわい。
=゚ω゚) 関西きょくしんれんごうの渡辺二郎は極真ではなく日拳じやった。
もともと日本のボクシングを作ったのは渡辺勇次郎じゃのう。
実戦用の方言は鹿児島弁じゃろ。外務省も薩摩弁を暗号代わりに使用しておったそうじゃわい。
>宇都宮氏の全国悪党退治云うて、行った諸国の一覧表は?
宇都宮頼綱 : 奥州藤原氏討伐
宇都宮貞綱 : 『元寇』 鎌倉幕府軍総大将。
宇都宮公綱 : 楠木軍討伐
=゚ω゚) ふつうに鎌倉の治安維持部隊じゃが。
>そもそも関東の「つっ~」「~だ」のどこが荒いんか?
=゚ω゚) ふつうに喋っててもよく他の地域の人から喧嘩かとかん違いされるけどな。
おう牛ころきしょ、いしゃしとごどけっけめだちくらっぽいってげど
ほたしらばくってっがらでれすけだっちんだよ。
>シジミの身を食べん馬鹿がおる。命を取った生物に供養の気持ちもない外道らじゃ。
=゚ω゚) もったいないから殻ごと食え!
>『日本書記』は後世書かれた文学書じゃが
=゚ω゚) へ??
272:人間七七四年
07/10/13 02:58:27 4IDIPCWw
一回牛の脳内を覗いてみたいもんだ
多分三日ぐらいは楽しめる筈
273:人間七七四年
07/10/13 18:17:24 ADUqeeoH
まだやってるのか。
暇だから通報でもしてみるかw
274:人間七七四年
07/10/13 18:21:37 kt5uKf7g
たのんだぞ
275:白馬青牛
07/10/14 01:02:43 wfC4GoiS
>>271
奥州藤原氏が悪党か?『元寇』戦の武勲は何か?全て宇都宮氏に限らんこと
じゃないか。
他地域云うてどこのもんが、柔な関東弁を喧嘩と勘違いするんの。
わりゃシジミの殻を食えるんか?わしゃあシジミの身を云うたんじゃが。
『日本書紀』が文学書じゃのうて何なら?宗教の経典か?
276: ◆26IT/WpOkg
07/10/14 01:56:46 BS7jHJb5
usiわろす
277:人間七七四年
07/10/14 02:17:01 3LrvEbul
>織田信長は京町衆や堺の自治を破壊し門徒衆に圧力を加え東国的圧政を西に押し付けた
=゚ω゚) 京町衆の自治とは法華一揆の事かいな?
一向宗vs法華vs南都北嶺の見苦しい宗派間の縄張り争いじゃないかね?
学生コミュニストじゃあるまいし堺の町衆が平和な自由都市じゃったと思うちょるのか?
京も堺も武器商人ばっかしぞね。
重商主義が常備傭兵を雇いいれても石原莞爾の言うように
『金で備われて来る兵士に対しては、どうしても専制的にやって行かねばならぬ。兵の自由を許すことはできない』
兵卒にとってはあまり平和とはいえん状況じゃったろう。
>全て宇都宮氏に限らんことじゃないか。
=゚ω゚) おまいさんが 『宇都宮氏の例を挙げろ』 と言ったんでないかい。相変わらずじゃのう。
278:人間七七四年
07/10/14 02:24:19 3LrvEbul
=゚ω゚) しかし牛はシジミの殻食えないのか?土光さんはカニの殻まで食ったらしいぞ。
藻前も土光さん見習って立派な牛になるんじゃぞ!
ちなみに今日のウチの晩飯はシジミ汁じゃったが、もちろん殻は捨てた。
279: ◆26IT/WpOkg
07/10/14 08:46:20 BS7jHJb5
寛文のころ、外舅江戸在番より庄内へ帰りて、江戸表繁盛のよし咄けるに、右外曾祖母の云、
江戸はさほどに繁盛なりたるや、昔初て江戸へ大阪より下りたる頃は、よし沼のみ多かりし。
日本橋と云所にて、刀脇差ぬきもちてわやわやといふもの有しに、乗物の内より供の若党に、
喧嘩がゆくにやと尋しに、いや刀を売買ふにて候と、答たりしと咄しけると也。
乱世の後にて、立ちながらも抜身を持て、坂東声にて応答などしたらんには、
畿内の声なれぬには、喧嘩とも思ひけんかし。
大坂にては、その比江戸ものを関東べい、関東ざアといひて笑ひたると也。
今大都会と成て、物言も華に変じぬ。
(『異説区々』)
畿内は言葉甚だ乱雑也。分て京摂は他方混じて野となること多し。
(『橘庵漫筆』=19C初頭、田宮仲宣)
280:人間七七四年
07/10/14 18:43:31 XPjskXZO
>>272
裏を返せば三日で飽きる程度と言うことか!
281:白馬青牛
07/10/14 22:18:31 wfC4GoiS
>>277
信長によって堺や京の町衆自治が壊されたわけじゃが、学生コミュニストの
云うて、誰の意見か?町衆による合議制は、東日本縦社会の専制より
ましじゃろう。傭兵が西洋でも人身売買の品物じゃったんは、>>266でも
封建領主による自国兵も売買したことを挙げとるで。西洋の例では、
農村が兵火に荒らされる。直接に兵火にさらされなくとも、戦費調達、
物資の徴発が厳しいことから喰うことが出来ん農民が増える。そうすれば
兵隊を募り易くもなる。戦争は戦争を養うもの。英国が、植民地アメリカの
反乱軍を鎮圧する為の軍隊で傭兵をドイツの領主から買いとった値段が、
2万9千人で7百万ポンド。
「好鉄不打釘、好人不当兵」良い鉄は釘にせず、良い人間は兵にならない。
近代国家以前の領民兵、傭兵等の兵隊は、概ね奴隷じゃった。まあ、
傭兵でも技術を持った職能集団は、売り込み先が多きゆえ、幾人かの
領主側と交渉出来るじゃろう。同じ傭兵でも農民が徴発された場合と
技術集団じゃあ違うわいのう。
282:白馬青牛
07/10/14 22:50:04 wfC4GoiS
>>278
シジミの殻は喰えんが、カニの殻は油で揚げるか、殻を粉ぐらい砕いても
喰えるど。隣の岡山県人の土光敏夫氏は、財界には珍しい、質素な暮らしを
された方で、立派なことじゃ。わしも見習いたい。じゃがわしは、酒食に
溺れる悪い癖がある。反省すること毎度が現状じゃ。
間違うても太閤秀吉のような贅沢な見識も程度の低い人物をまねせんように
じゃのう。と云うてもわしに、贅沢する金が無いんは幸いなことよ。
明日から忙しいけえ、2、3日書けんわい。はあ、寝るど。
283: ◆26IT/WpOkg
07/10/14 23:15:05 1IXzR1kK
しじみ論争はusiの偏見w
284:人間七七四年
07/10/14 23:58:33 XPjskXZO
牛の辞書に反省と言う言葉があった事に驚いた
285:人間七七四年
07/10/15 00:11:36 /GCmAc0k
>281
=゚ω゚) それは西国の名主制の名残ではないか?おまいさんの言う農民の徴制も
西国では荘園の名主に徴税と人員徴集を拠ったのに対し東国では軍事態勢が確立したので
名主ではなく郎党や地頭になった。この西国荘園制からはみ出したのが牛の好きな西国悪党だろ。
東国では荘園なんて、その頃にはほとんど廃れておる。
富裕都市国家が兵役を嫌いプロ傭兵を雇うのはイタリア戦争の常道
ルネサンスイタリアでは奴隷(傭兵)が王になると言われたほどだ。
もっともルネサンス傭兵隊もスイスの長槍傭兵隊には手も足も出なかったようだが・・・
石原莞爾はこう続けておる。
>常備傭兵になりますと戦術が高度に技術化するのです。くろうとの戦いになると巧妙な駆引の戦術が発達して来ます。
つまり技術集団じゃあのうてプロ集団じゃ。維持するのに金がかかる。
17Cのフランス高官が言うには「スイス傭兵に支払う金額はパリからバーゼルまでの道を金で覆い尽くせる」
とまで言わしめた。スイス「血の輸出」だな。
>同じ傭兵でも農民が徴発された場合と技術集団じゃあ違うわいのう。
=゚ω゚) それは百姓をなめすぎ。江川太郎左衛門が泣いておる。
♪富士の白雪ゃ農ー兵~♪
>282
=゚ω゚) おう、国のために働けよ牛!
>283
=゚ω゚) そうね。オイラはふつうに食うちょります。
286: ◆26IT/WpOkg
07/10/18 19:08:06 fHAlK/ue
usiが来ないと過疎る
287:白馬青牛
07/10/19 00:08:36 KjW1To1U
>>283
しじみ論争はわしの偏見?わし自身や知人の関東食文化体験もあって云う
とることじゃ。ネットで検索したら、面白い見解も出て来るのう。
URLリンク(blogs.dion.ne.jp)
「師(三遊亭円丈)曰く、東京モンはしじみの身を食べず、汁だけ飲み、
名古屋人は身を食べるということだ。」と、なると名古屋人=狩猟民、
東京人=農耕民云うことか。静岡県でもしじみの身を食べたようじゃ。
>>284
わしが反省もせん傲慢な人間じゃ思うとったんか?
>>285
西国と東国の社会制度の違いは、荘園云う以前に、西国の横の一揆連帯と、
東国の縦の主従関係の惣領制の違いがあろう。荘園が崩壊しても、
新しく支配者が変わっただけで、主人と奴隷の関係は変わらん。
西洋では、英語でスイス・ガードと云えばスイス人傭兵じゃが、
ドイツ系の「ランスクネ」も同様、山岳傭兵で需要があったわい。
スイスの国自体が、1848年まで傭兵口入稼業をやりよった。
スイス傭兵の歩兵長槍部隊は馬上の騎士を引きずりおろして討ち取っよった
けんのう。
288:白馬青牛
07/10/19 01:24:07 KjW1To1U
>>285
石原莞爾氏の最終戦争論で、「長年養って商品化した兵隊は非常に高価で
濫費することは、君主として惜しいので、なるべく斬り合いはやりたく
ない。」ことから持久戦になり、「なるべく兵の血を流さない戦争」と
云う牧歌的なもんがプロ集団と云えるんか?
金がかかる以前に、シェイクスピアの『ヘンリー四世』の150人の兵隊を
募る代わりに(独身者に徴発を集中して身代金を要求)300ポンド以上の
金を手に入れ(免役料を出した奴らの埋め合わせに雇い入れ)て員数を
そろえたよう、中国国府軍の徴発のやり方、将校が給料を着服するやり方
と同じで両者の違いは、西洋が近代国家の成立が早かっただけじゃ。
百姓をなめとるんじゃのうて、同じ傭兵でも無理矢理兵卒にされたんと、
錬度の高い戦闘技術を持って傭兵になった集団と分類する必要がある云う
ことじゃ。
289:人間七七四年
07/10/20 01:07:54 itQrH0e1
>ドイツ系の「ランスクネ」も同様、山岳傭兵で需要があったわい。
=゚ω゚) 『ランツクネヒト』ね。「Landsランド田舎-Knecht兵士」南ドイツの傭兵隊。
山地出身者も居たけどランツクネの大部分は都市部の流人、無宿人そして零細農家の次男、三男だよ。
騎士に雇われた無宿人部隊。ヨーロッパの悪党部隊じゃのう。
・・・つーかマジで悪党軍団だったようだが。
それに対してスイスは国家統制の出稼ぎ傭兵だな。
国家契約条項の中に「スイス兵は分散させずに一まとめにしておき本人が帰国を望めば
これを許可する」の条項が有る。
ハイジのおじいさん(アルムおんじ)もナポリのスイス傭兵隊所属じゃのう。
>「なるべく兵の血を流さない戦争」と云う牧歌的なもんがプロ集団と云えるんか?
=゚ω゚) 当時の傭兵は基本素人だよ。だからスイス式槍の方陣体形が多く使われた。
これならたいした訓練は要らないからな。
スイス兵はランツクネヒトの銃攻撃に破れ。ランツクネヒトは経済破壊によって衰退し
それらは軍律によって訓練された近代組織のオランダ軍プロ歩兵によって駆逐される事となる。
290:白馬青牛
07/10/20 22:58:25 MbzmAPBt
>>289
東日本の無宿人と西日本の悪党を同一視出来んわい。社会組織が違う。
グィッチャルディーニは、ルネッサンス期の傭兵について、
「彼らは、一つの要塞を攻略するのに、一夏を費やした。その為に、戦争は
果てしなく続いたが、その作戦行動はわずかな戦死者を出すだけで、
ときにはまったく戦死者を出さずに終わることもあった」と、傭兵は
敵味方お互いにビジネスでやっとるわけじゃし、両者とも不利益なことは
せんよ。
ほいで国営傭兵と違い、封建領主の私兵の場合は、自己の運命が領主次第に
なるけんのう。傭兵にも様々種類があるわ。
291: ◆26IT/WpOkg
07/10/20 23:41:59 XllIGdL+
江戸期、宗門人別帳から除外された者が無宿。
中世の悪党と比較しようも無いが、そりゃ社会組織が違うワイ
292:人間七七四年
07/10/21 02:55:02 ZHjarGIw
>ルネッサンス期のルネッサンス期の傭兵について
=゚ω゚) かのマキャベリが言う傭兵の「無血戦争」の事だな。
だがルネッサンス期の傭兵の場合、重装騎兵のみを戦力と数え、歩兵や兵站要員は
「人間ではない存在」ので無視される。実際の死傷者数はもっと多かったと言われる。
また強すぎる傭兵隊長は危険視され、政府や教会にマジで誅殺されたため、敵味方の隊長同士で通じ合い
契約期間(約半年)をひたすら消化する事に務めた。
もっともこのイタリア傭兵はフランス王率いるスイス長槍部隊によって駆逐されるのだが・・・
>東日本の無宿人と西日本の悪党を同一視出来んわい。社会組織が違う。
=゚ω゚) ??以前書いたと思うが北畠親房は
「諸国同時ト申シナガラ、当国ハ殊ニ悪党蜂起ノ聞ヘ候」と東日本悪党の規模の大きさを
示唆している。彼等は武家も多い。
293: ◆26IT/WpOkg
07/10/22 00:27:48 KqEfhAWG
usiが貶す近世の薩摩
▽『西遊記』 寛政7年刊行、著者橘南谿(1753-1805 伊勢国出身、京の医師)
薩摩国は日本西南の限りにて極辺境なるがゆへに、他国の人の往来も少なく
又、国境の関所堅ければ商人も入ること少なし、まして遊歴の人は猶さらなり。
其故に人民朴質にして絶て戦国の余習去らず、人々義烈をたつとぶ事天下無双にして他国の及ぶべきにあらず。
294:白馬青牛
07/10/22 00:28:35 fbXoThL6
>>292
ルネッサンス期自体、重装騎兵隊「徒歩の小姓(騎士予備)と従者
(一部は馬と共に後退し、一部は長槍を持って騎士と共に前進する)」の
編成で。兵站要員は徴発された民としても、そがいな編成で実際の
死傷者数が増えるんか?
傭兵隊に迷惑したんは現地民で、徴発(略奪)と強姦と軍紀の弛緩した
集団じゃったけんのう。
横社会の合議制の西日本と縦社会の主従制の東日本の社会組織が違う
云うことで、悪党の形態も違う云うたんじゃが。
295:白馬青牛
07/10/22 00:40:27 fbXoThL6
>>293
わしが貶す?儒教朱子学国家の薩摩じゃあ、門徒衆は、隠れキリシタンと
同様、隠れ念仏にならにゃあいけんかったけんのう。李氏朝鮮と同じ形態の
薩摩は、朝鮮的、朱子学的伝統から義烈をたつとぶ事天下無双じゃのう。
幕末でも伝統を引継ぎ、昨日は会津、今日は長州と腰が軽い。
まことに人民朴質な伝統よのう。
296: ◆26IT/WpOkg
07/10/22 00:54:23 KqEfhAWG
一向宗は檀家制度に感謝しないとな
297:人間七七四年
07/10/22 20:56:27 hSb/7aMK
>294
>重装騎兵隊「徒歩の小姓と従者。兵站要員は徴発された民としても、
>そがいな編成で実際の死傷者数が増えるんか?
=゚ω゚) 増えないだろうねぇ歩兵が少なすぎる。石原莞爾が言う商人に雇われた高価な兵隊がこれだろう。
でもシェナなんかは傭兵隊によって陥落してるようだし、まじめに戦ってたヤツもいたと言う事なんだろう。
それに流れ者の傭兵たちを定着させて戦わせないようにしたのが
元傭兵隊長のスフォルツァ公自身だったりする。
商業都市にしてみれば儲からない戦争は必要ないと言う事だろう。
悪名高きランツクネヒトですらドイツ農民戦争の鎮圧部隊に投入したら逆に寝返って農民の味方になって
反旗をひるがえした部隊も有ったという。
まぁ戦う時は戦うが、戦わずに済めばそれにこした事はない。
298:白馬青牛
07/10/23 23:52:37 AOdxEEmy
>>296
檀家制度の懐柔策を採った徳川幕府に、何で感謝する必要があるんか?
>>297
儲からん戦争云々以前に、前の時代のジョン・ホークウッドらの市民に
対する掠奪、強姦もひどかったわいや。
ほいで、傭兵は後にスイスや南ドイツ、ウェールズ、スコットランド等の
山岳兵が多い。アイルランド兵の場合は山岳兵と言い難いが。
まあ支配者は同族よりも支配した地域の民を前線兵士に使うが、
英国は世界中に植民地を持ったけえ、後世は、インド兵やグルカ兵を
使うた。特にチベット系のネパール山岳民のグルカ兵は、現在でも
世界最強の評価もあるけんのう。
イスラム社会の軍人奴隷でも、コーカサスの山岳兵は評価が高かったわい。
299:人間七七四年
07/10/24 01:13:08 PLspQ+KO
=゚ω゚) ホークウッドはイングランド人じゃろうが・・・
ふつうに悪名高かっ・・・いや強かったのはドイツやボヘミアの傭兵だよ
もっともそんな傭兵、重騎兵たちも、オランダ国軍の歩兵、砲兵、軽騎兵、による
自在な機動力と組織戦、塹壕戦により駆逐される。オランダ独立戦争だな。
そして彼等はスペインからの独立を果たし1600年の日本へとやって来るワケだ。
・・・やれやれ、やっと繋がったわい。
そういやこの頃、黒田官兵衛は関ヶ原のドサクサにまぎれて近隣から兵を金でかき集め
領地を広げまくってたな。
300:人間七七四年
07/10/24 07:04:06 +PwQWSXC
天理教幹部が、繰り返し脅迫電話。仕事先の電話番号まで調べてかけてくる悪質行為。
スレリンク(psy板)l50
301:人間七七四年
07/10/24 20:44:16 xQwlbqik
旧軍で精鋭といえば九州と東北の師団だったがなあ
302: ◆26IT/WpOkg
07/10/24 20:48:50 pQ93fnHZ
>>298
檀家制度で繁殖したのが一向宗だから
303:人間七七四年
07/10/24 20:51:06 xQwlbqik
>>302
講っていうんだよ
S学会は現代風にアレンジして広まった
304: ◆26IT/WpOkg
07/10/24 21:10:44 pQ93fnHZ
檀家制度と講は特に関係ない
講に近いのは田植行事も。『田植草紙』などの
田植新庄クジ運いいな
305:白馬青牛
07/10/24 23:06:46 Bi9R4pw9
>>299
ジョン・ホークウッドは、エセックスの革職人の倅じゃが、イングランドも
傭兵の産地で、海外傭兵輸出国じゃ。ドイツ・ボヘミア傭兵が強かった
んか?後世の第一次大戦のスコットランド高地部隊とドイツ軍の戦いでも、
スコットランド兵は強かったし、新大陸でも、英国のケルト系は傭兵として
ドイツに劣らず需要も高かったよ。ほいでそのオランダも、後世
インドネシアでは日本軍との闘いに逃げる闘志欠如じゃった。
まあオランダとイタリアは弱兵の評価もあるが、ガチンコで他国と戦闘した
場合は強いんか弱いんか解らんわい。
>>301
旧軍の精鋭といえば、世間の風評人気の九州と東北の師団に対し、歴戦の
実績を誇る実力の広島師団よのう。九州と東北の師団云うて、九州には
熊本師団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の兵)と北部九州の久留米師団
(福岡・佐賀・長崎の兵)で、東北では弘前師団(青森・岩手・秋田・
山形の兵)と仙台師団(宮城・福島・新潟の兵)であるが、具体的九州と
東北の中でもどこの師団を想定して云うとるんか?その中で広島師団
(広島・島根・山口の兵)よりも実績のある師団があるんなら、具体的に
示さんかい。
306:白馬青牛
07/10/24 23:17:22 Bi9R4pw9
>>302
ほう、全国的な檀家制度でも西国は格差の少ない横社会で、東国は地主と
農奴奴隷の格差のある隷属縦社会じゃった云うことか。社会基盤が
列島東西じゃあ違うけんのう。同じ制度でも風土の「性」が違うわいのう。
307: ◆26IT/WpOkg
07/10/24 23:27:36 pQ93fnHZ
檀家制度は檀那寺である寺と個人(家)の関係だろ。
その上の本寺、さらに幕府や藩は君臨するが。
なんで東西の横とか格差だとか出てくるの?w
308:白馬青牛
07/10/24 23:58:54 Bi9R4pw9
>>307
列島東西の社会組織の違いを無視して、うわべだけを見ても意味がない
云うことじゃが。
309:人間七七四年
07/10/25 00:08:08 1R3NMOTL
>303
=゚ω゚) 講は現代の相互銀行の前身でもあるね。保険の無い時代には重宝だったのだろう。
幕末最強の経営コンサルタント二宮金次郎も信用組合方式じゃけんのう。
だがしかし、凶悪な講も有る。
ネズミ講は無限連鎖防止法により姿を消したけど、その方式は生き残り
現在は直接金銭を使わず品物を会員制で子ネズミを増やす『マルチまがい商法』となりもうした。
もし、その様な連中に「それはネズミ講ですか?」と尋ねてみて
「違います!そう言う貴方こそネズミ講って何だかご存じなのですか!!」と聞き返してきたら
そいつは間違いなくマルチ商法です。
ちなみにマンガのナニワ金融道でも同じ事をやっている(藁
>>305>ドイツ・ボヘミア傭兵が強かったんか?
=゚ω゚) だからそのドイツ傭兵が>>287の「ランツクネヒト」だっちゅうのっ!
ボヘミア傭兵が強かったのはトルコと戦っていたから。
えげれすのホークウッドが戦に巧みなのは当時、英仏100年戦争が終わったばかりだったから。
オランダ兵が強かったのは国が貧乏でロクな傭兵が雇えなかったので
自軍を一生懸命訓練したからw
要するに戦歴と練度の差だわ。
まあ、彼等もカルヴァン派やフス革命の宗教革命の戦士であったと言えなくもない。。。かな?
310: ◆26IT/WpOkg
07/10/25 00:14:28 j3/zTrtT
>>308
宮本常一の粗い区分けだろ
それこそうわべだけだろうよ
田植草紙にも田主殿を称える歌があるし、田植行事も中国地方の縦社会を表してるよ。
時代が下るが、江戸後期・幕末の広島藩内で一揆・打ち毀しが頻発してる事実をどう説明するんだ?
安芸国内の一向宗寺院も、毛利と本願寺の濃密な関係以降に他宗から転宗した寺院が多いんだろうよ。
それに寺檀制度下において寺院数が飛躍的に増加した事実は全国共通のことだし、
だから安芸に浄土真宗寺院が多いからといって、安芸人が戦国以来の門徒だと言えない罠。
真宗寺院を中核とした講が存在したのが近世の安芸門徒ではあるが、かなりの安芸百姓にとってもルーツは葬式仏教だよね。
まあ以前usiが書いてた「(安芸武士が)門徒だから強い」だなんて屁理屈は通用しないって事だ。
311:白馬青牛
07/10/26 01:42:01 981F4Esj
>>309
百年戦争のイングランドの弓隊とホークウッドの重装騎兵隊は違うけど。
オランダ兵が強うなったんは市民社会制度の影響もあろう。
>>310
宮本常一氏は文献の机上の理論じゃのうて、実際日本各地の農村を回り、
調査されとるよ。その何処がうわべなんじゃ?
宮本氏の広島県の地主と小作の家がほとんど見分けることが出来んのに
較べ、関東・東北の地主と隷属小作の格差社会、非平等社会の方が
可笑しい。誰かが富む者がおったら、それだけ貧しい者が増える。
ほいでも関東人は弱肉強食じゃけんのう。旅行してその土地の建築物を
見たら解ろうに。
全国共通を強調するが、一揆も社会形態や地域の風土によって異なる。
真宗王国の広島県や北陸は東国に多い間引きはせんよ。
URLリンク(www2.tiara.cc)
安芸門徒の「進者往生極楽 退者無間地獄」よのう。
戦国以来の伝統じゃ。屁理屈は毎度コピーを繰り返えす蛙君の方じゃ。
312: ◆26IT/WpOkg
07/10/26 07:48:36 I95x4MFj
戦国以来の伝統は北陸であっても安芸ではない。
安芸は毛利家中の侍。
313:人間七七四年
07/10/26 23:45:53 hoKbWGzS
格差とか差別って言葉すきだねぇ。そういうのって普段からそういう環境に
いる人がよく使うんじゃないの。なんか、異教徒の存在は認めない、自分らは
選ばれた人間だって叫ぶ連中と似たニオイするんだよな奴からは。
ま、そういう人種だったとしても納得だけど
314:白馬青牛
07/10/27 01:25:24 fiy+C9K6
>>312
戦国以来の伝統は北陸にあっても安芸ではない。云う根拠は何か?
板東武士の末裔がほとんどの安芸の国人連合の傘連判状等は、西日本の
合議制、横社会の影響で、東日本の惣領から名子、下人の東国縦社会とは
違う。
>>313
格差とか差別?わしゃあ、格差について云うたが差別についてあんまし
云うとらんのう。異教徒云うて、わしが「日本女性は処女性を重んじない」
スレで福音派原理根本主義者をカルトとしたことに、反撥しとるんか?
聖書根本主義者の方が、「天国移送」でキリスト教徒だけが
選ばれて救われるじゃの、異教徒の存在を認めてないじゃないか。
道理で「選ばれた人間」云う言葉が好きなわけか。
まあ、宗教右翼が憎悪する共産主義国家じゃあ、人民の国家ゆえ、
人民の利益に反するものはないとして、労働者、人民のデモ(ネットウヨの
云うプロ市民の活動)が禁止されたわいのう。つまり共産主義も、
ネットウヨのファシズムも専制全体主義で、民主主義を否定したいん
じゃろ。歴史学でも歴史の必然と科学的法則を信条とする左翼史観の
マルクスと帝国主義的、合理主義実証史学ランケは共にヘーゲル流
弁証法の影響を受けたが、机上の理論で文献解釈するドイツ観念論で、
研究室に引きこもって、主観的な空理空論を、科学的法則じゃの、
客観的に検証じゃのと妄想を唱えるわけじゃ。
教条的右翼と教条的左翼は似とるのう。民主主義より突出した資本主義と
共産主義(労働者の代表の前衛と前衛の操り人形の大衆)も社会を
富める者と貧しい者と二分化する類似点もあるわい。
マルクス史観の石母田流鎌倉、関東武士マンセーも、その影響で関東武士を
美化する連中もマルクス左翼史観の臭いは強いよ。ネットウヨも同様に、
いや観念論に、新興宗教の影響も加わるけえ悪臭が強い。
あんたは、そういう人種なんか?
315:人間七七四年
07/10/27 01:49:30 JSvCx2bK
知らん。
316:人間七七四年
07/10/27 21:03:06 kHH6XopD
相変わらず牛は末枝端葉の事に無駄な単語をこねくりまわしながら噛みついてごまかすのが巧いな
317:人間七七四年
07/10/27 22:16:55 YrA9e5bW
>安芸の国人連合の傘連判状等は、西日本の合議制、横社会の影響で
>東日本の惣領から名子、下人の東国縦社会とは違う。
=゚ω゚) へえ~なるへそ、そうだったのか?勉強になるなぁ。オイラも調べてみよう。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
【 傘連判状 】
傘連判状(からかされんぱんじょう)とは、江戸時代の百姓一揆などに代表される署名形式。
通常の連判状では最初に名前が書かれているものや上部に書かれているものが
責任者とされがちなのを回避して、皆が中心より放射線状に署名した。特に首謀者を隠すためでもある。
この独特な署名形式を拡大解釈して「一揆では加盟者全員が平等の立場であった」とする
主にプロレタリアートによる歴史認識が学校教育の場などで広まっている。[要出典]
=゚ω゚) がははははははは!最後の2行は、ちょっと笑った。
318:人間七七四年
07/10/28 01:23:38 bOOPv5J2
牛語録
プロ市民活動の禁止=民主主義の否定
319:白馬青牛
07/10/28 02:13:10 ChAlkJDm
>>316
末枝端葉云々は、以前から騎馬民族スレ等で、わしに対し反論者が採った
つまらん常套手段じゃ。ほいでわしが誤魔化した云うんはどの部分かい
のう?具体的に云えーや。
>>317
最後の2行だけじゃのうて、全体の文が既に思想中毒に侵されとるわい。
加盟者が対等と立場で署名する合議制がプロレタリアにゃあ爆笑もんよ。
前衛たる指導者、独裁者がおらんのが気にいらんのかいのう。
>>318
民主主義じゃけえ、プロ市民だけじゃのうて、カルト宗教団体に率いられた
ネットウヨのプロ奴隷の活動も禁止されとらんよ。
320:人間七七四年
07/10/28 09:04:55 bOOPv5J2
特定アジアの犬となっての工作活動も自由だしな
321:白馬青牛
07/10/29 01:58:17 x3fSRQfD
>>320
特定アジア云う言葉自体、ネットウヨじゃ宣言しょうるようなもんじゃ。
中華文化圏の台湾は、中国や朝鮮と区別し、なんで特定アジアに
含まれんのか?要は文化よりも政治思想で云うとるだけじゃろう。
政治思想で他民族を排斥するんは、思想中毒にかかった洗脳された
哀れな人間よのう。
前線で闘うた将兵は、日中双方敵味方の彼我に分れても、敵軍将兵の闘志を
尊敬し合うたわい。お互いの健闘を讃える。それが日本人の武士道
(他民族の将兵も誇り高き戦士であった。)じゃないか。
他民族排斥政治思想中毒患者のネットウヨは、日本人の誇りを貶めること
甚だしい。これらのネットウヨらこそ、日本人の誇りを汚す売国奴に
ほかならん。風の悪りいことよ。
322:人間七七四年
07/10/29 08:29:24 YNXJAeXd
選民思想丸出しの牛に言われても失笑するしか
323: ◆26IT/WpOkg
07/10/29 23:31:17 2lYbp8N3
しかし県外人の広陵以外ダメダメだなヒロシマ
>>311
常一は西国厨
>>314
北陸と安芸じゃ濃さが違うだろうに
真宗は実に葬式仏教向き
以前に書いた仙道一揆とか
324:人間七七四年
07/10/30 00:34:30 63J1vaMy
=゚ω゚) 新約聖書か・・・まぁあれ自体は選民思想に結びつくとは思わんが
イエスの過激なユダヤ教改革がいつの間にか他宗派否定になってしまったんだろうな。
大友宗麟は教会を建てるため寺社に火を放ったとか。うーむ。
>真宗は実に葬式仏教向き
=゚ω゚)ノ 教行信証発祥の地、坂東もお忘れ無く。
325:白馬青牛
07/10/30 00:44:33 C52SuSeD
>>322
選民思想は排外主義のネットウヨの方じゃ。
>>323
高校野球秋季中国大会の県大会1位の総合技術高校が、下関商に9回表まで
6対2でリードしとりながら、9回裏にサヨナラ負けしたんが嬉しいんか。
まあ、残心が欠如しとった云うことよ。今年の夏の県大会決勝戦でも
紙一重で広陵に負けたわい。もし勝って甲子園に出よってもおよそ
優勝戦まで行くこたァ出来んかったろうのう。戦闘に必要な
「最後の五分間」の欠如じゃ。
そういやあ、宮本常一氏や江上波夫氏を援助した旦那は関東人の
渋沢敬一氏じゃったのう。安芸神機隊に討たれた渋沢平九郎氏と同じ
渋沢一族じゃ。
じゃけえ、北陸門徒、安芸門徒、三河門徒も含め濃さの違いが、
どう違うんか具体的に云わんかい。
326:人間七七四年
07/10/30 00:54:47 63J1vaMy
=゚ω゚) はははは。相変わらず渋沢平九郎一人に、てんてこまいじゃのう。
まぁ手負いの平九郎に脇差し一本で撃退されたのだから仕方がない。
>じゃけえ、北陸門徒、安芸門徒、三河門徒も含め濃さの違いがどう違うんか
=゚ω゚)ノ 教行信証発祥の・・・
327: ◆26IT/WpOkg
07/10/30 01:39:15 JfkCli31
>>324=゚ω゚)
茨城県民か?w
真宗は近世という時代に見事なシフトチェンジをしたよね。
>>325
つ如水、田植新庄がっかりだぜ。
だって著名な活動の北陸と違うやん。
安芸の同行講ってのも、近世小農の自立以降だろうよ。
葬式仏教たる檀家制度とも絡んで。
>>325=゚ω゚)
中央進出、カルト臭とともに勢いを増したからな(健康ランド)
328: ◆26IT/WpOkg
07/10/30 01:51:43 JfkCli31
延慶3年(1310)、『国牛全図』を置いとくか
「馬は関東を以て先とし、牛は西国を以てもととす」
329:人間七七四年
07/10/30 23:56:07 38h9O8Ts
正体は特定アジアの犬だったか・・・
330:白馬青牛
07/10/31 01:40:11 Zs9MAX4M
>>324-326
新約じゃのうて旧約聖書のことじゃろう。板東?関東は、特に茨城県は
儒教朱子学の発信地「水戸学」じゃないか。思想性が強い土地柄よのう。
テロリストの産地じゃし。広島人は、杉本五郎少佐のように、
天皇絶対主義であっても、自国絶対主義じゃないし、中国大陸でも
日本軍の掠奪を皇軍の恥とされる。元来現実重視の広島人は思想狂信者は
少ないよ。茨城人でも、桑島節郎曹長のように、日本軍の蛮行を隠蔽せず、
戦場の真実書いた方もおられるけえ、全ての茨城人が狂信者と云えん。
まだ、渋沢平九郎氏を美化したいんか。降伏せず暴れたけえ、安芸神機隊は
討ち取るしかなかったよ。脇差を返して貰いながら、神機隊を罵るんが
関東人の性格じゃけえ、恩義を知らん困ったもんよのう。
331:白馬青牛
07/10/31 02:06:26 Zs9MAX4M
>>327-328
真宗自体が、東日本人と違い、家に神棚を置かず、病んでも祈祷せず、
間引きをせん近代的な宗派じゃった。近世以前でも合議制社会の西日本と
主従隷属制の東日本は社会組織の構成が違う。カルト臭なら朱子学の
影響の強い九州、板東じゃわい。
牛生産と馬生産は列島東西の農耕形態の違いで、モンゴル等の牧畜民は、
馬を乗馬用だけで農耕や労働に使わん。農耕民の漢民族は馬を農耕に
使う。儒教的長子相続も含め関東は、半中華人じゃのう。
西日本から見た特定アジアは、中国・朝鮮・東日本の朱子学三兄弟じゃ。
三方から包囲されとる西日本は難儀なことよ。しかも九州まで朱子学の
影響が強いけんのう。>>329の排外ファシズム思想中毒患者さんよ、
わしから見た特定アジア(中国・朝鮮・東日本の朱子学三兄弟)の犬になれ
云うてもなれんわいのう。
332:人間七七四年
07/10/31 02:17:54 sFebMiCB
他県の人に率いられた肥後兵は強いぞ
肥後指導者の肥後軍はごみくず
333: ◆26IT/WpOkg
07/10/31 07:35:41 xN3SDCf6
>>330
広島人の中でもusiは異質のよう棚w
>>331
農耕牛の本場が畿内だろうに。
牛馬を酷使した京都の馬借・車借、酷いな(ノД`)
334:人間七七四年
07/10/31 23:56:14 KtilJF3a
様々な思想の否定は民主主義の否定だみたいなこと言っといて
自分は色々なのを否定しているな。民主主義者どころか独裁者タイプだ。
あー怖い怖い
335:人間七七四年
07/11/01 00:47:41 AziSQoQ5
>>331
=゚ω゚) ほう間引きか。長塚節だな。農村ではたしかに多いね。
だが水戸学は間引きを戒める学問でもあったぞよ。
『天より授かりたるたまものをわが物のように思ひ、生死を自由にするハいかなるこゝろぞや、
よくよく考へ見よ、わが身ハ父母のわけたる身、我が子ハ我みをワけたる身なれバ、
わか子を殺すハ、我身ころし、父母を殺すもおなじきに似て、天道において有るまじきことなり』(烈公)
烈公は百姓の像(農人形)を造り一汁一菜の質素な飯を食う前に拝んだと言う。
そういう人だから幕閣にも一目置かれたのだろうよ。
まぁ朱子学っつってもいろいろ有らあな。陽明学も朱子学から出ている。
朱子学も本来性善説を説く立派な学問だ。牛が好きなのは朱子学ではなく科挙の国家教学だろ?
336:白馬青牛
07/11/01 02:33:10 JlPUO81o
>>332
東国偏見の『人国記』じゃあ肥後は評価が低いが、肥後兵は勇猛じゃけん
のう。近代においても、>>211にもあるが、熊本師団は名高かかった。
熊本師団の中でも熊本聯隊と鹿児島聯隊は勇猛で知られるが、
特に熊本聯隊は命知らずで鼻息が荒かったけんのう。
>>333
わしが広島人の中でも異質?広島の風土に育った限り、広島人に他ならん。
モンゴル等の北アジアの牧畜民は牛を農耕や荷駄に使うが馬は騎乗用じゃ。
京都の馬借・車借が牛馬を酷使した云うて、どがいな根拠や?
>>334
「色々なの」云うて何なら?
>>335
間引きは漁村より農村に多く、西日本より東日本に多い。
真宗の影響の強い地域はほとんどないのう。為政者や思想家が、
どう考えようと、間引きをしたかせんかの結果の問題じゃ。
陽明学は、朱子学の影響も強いが、王陽明は、貴州の苗族が多い土地で
生まれ、李卓吾は、イスラム教徒の系統で、漢民族の思想と云いきれん
よ。中共では陽明学は評判が悪りいのう。陽明の哲学が主観的で、朱子学
の理を求める客観性から逸脱し、主観論は共産主義の科学的唯物論の
敵じゃけんのう。ほう朱子学が好きか。廃仏毀釈運動でもするんか?
科挙の国家教学は、現代世界中で採用されとるよ。試験制度は近代以降の
日本もそうじゃし。世界の中国文明化よのう。わしが、試験秀才を嫌うとる
んは、わかろうに。
337:白馬青牛
07/11/01 02:41:50 JlPUO81o
>>336
途中寝よったけえ、間違えたわい。王陽明は浙江省に生まれ、
貴州の苗族の多い土地で静座瞑想し大悟して、朱子学の「性則理」に
変わって「心則理」の陽明学が生まれた。云うこと。
338:人間七七四年
07/11/01 22:25:47 AziSQoQ5
=゚ω゚) 静座瞑想はもともと江南朱子学の基本行法じゃからふつうに
朱子学派だろ?
もっとも九州の博多ラーメンと関東の博多ラーメンぐらいの違いは有るかもしれんがな
>朱子学の理を求める客観性から逸脱し
>、朱子学の「性則理」に変わって「心則理」の陽明学が生まれた。云うこと。
=゚ω゚) 『理』とは何だか判って言ってるのかな?
理屈や理論では宇宙の根本原理の『理』は語れないぞよ。
広島のお好み焼きと関東のもんじゃ焼きぐらいの違いは有るだろう。
339: ◆26IT/WpOkg
07/11/02 00:43:27 JU8CNYww
>>336
人国記は信濃に文句言えや
馬は関東を以て先とし、牛は西国を以てもととす(国牛全図)
大抵、関東には馬多く牛少なし、関西には牛多く馬少なし(和漢三才図会)
『新猿楽記』
340:白馬青牛
07/11/02 01:44:21 encXCX2q
>>338
『理』は、この世の法則性のことじゃが、朱子学における「性則理」は、
心(性+情)の「性」は、先天的に与えられた人の性質や、
後天的に教育知識によって得られる外面的な教化で『理』に到達するが、
朱子学は、「情」は人が本質的に持っておる内面的なもんで個人的主観と
する。陽明学は「心」の内面的なものこそ人間の本質で、外面的知識から
『理』を頓悟するわけでなく、経験と認識は不可分ゆえ「知行合一」云う
ことじゃ。内面を重視する姿勢はイスラム学者のイブン=ハルドゥーンに
見られる。公権威が感化と訓育をもって臨むと、人は畏怖と恭順のうちに
成長し勇気を損なう。遊牧民は教育や感化といった権力から隔たって
いるので、勇気を損なわない。国家的訓育、教育による抑制力は外部
からで、道徳心の強い遊牧民の抑制力は内面に生まれとるもんじゃと。
李卓吾もイスラム教徒の家系ゆえ、陽明学に傾倒したんじゃろう。
341:人間七七四年
07/11/02 20:34:00 P+sCEF0t
=゚ω゚) ♪真ぁっ赤な太陽ぉ~萌え~ている~ぼくらーのハリマオ♪
日本の回教徒と言えば怪傑ハリマオじゃのう!牛。
あと、東京裁判で唯一の民間人被告人じゃった大川周明もおるのう。
朱子はおまいさんが思ってるほどお堅い偏屈ではないよ。
武学博士に幾度となく推挙され断り続け、禅を学び道学を極め
中央の命令をはねのけ貧民救済、地域教育を進めた思想界の巨人だ。
そして朱子学は偽学の禁により中央政府より大弾圧を受け禁止される。
そして日本の朱子学の最初の実践者は河内の悪党、楠正成だったとか。
どちらかというと反権力的思想ではなかろうかい。
>朱子学における「性則理」は心の「性」は先天的に与えられた人の性質や、
>後天的に教育知識によって得られる外面的な教化で『理』に到達する
=゚ω゚) そうではないんじゃない?
本来の『性即理』は人間の本性として最初から存在する。
「赤心」の言葉が有るが人間本来の性。つまり「天真」に近いと思うぞ。
342:白馬青牛
07/11/02 23:18:36 encXCX2q
>>339
『人国記』は信濃人という東国人の偏見見解じゃろう。
「肥後の国の風俗、肥前に似たりといえども、その勇の甲乙を数ふるに、
百にしてその一なり。」、『新人国記』「武士の風俗は、肥前に替わりて
柔らかなり。」じゃと。文禄の役じゃあ加藤・小西に率いられた肥後兵は
イケイケ・ドンドンじゃったのに。
伊藤桂一氏は近代の九州兵について、「粘り強さはないが素質は良い。
もっとも九州といっても、熊本と鹿児島が中核になる。熊本人は竹を割った
ようなからっとした性格、鹿児島人は、小柄だが敏捷な薩摩隼人の伝統に
恥じない。第六師団の気質に対抗し、久留米師団は、炭鉱従事者の川筋気質
と肥前の葉隠精神が支えとなるので、理屈ぬきの行動性を尊ぶ。」と。
まあ、九州は古来政治的に、豊・筑・肥・隼人の国と区分されたが、
東シナ海側の隼人・肥・筑の気質が九州兵の勇猛なイメージじゃろう。
仮に熊本・鹿児島・大村・久留米の聯隊で兵員を構成した師団を作ったら、
より個性が強かったろうのう。
東国の馬は、主に農耕や荷駄馬用じゃけえ、馬耕民の板東人になろう。
343: ◆26IT/WpOkg
07/11/02 23:38:34 17aCC4kC
>>342
信濃は京に近い
>東国の馬は、主に農耕や荷駄馬用じゃけえ
農耕?(笑)
騎乗用と荷駄用は違うよ。畿内産は騎乗レベル(上馬)もウンコだったが。
常陸国風土記で古代坂東人達が騎馬で筑波山に登ってるぞ。そういう伝統もあるの。
>馬耕民の板東人になろう
犂耕目的は近代以降だし、朝鮮牛の移入。
344:白馬青牛
07/11/03 00:36:36 dfPl2YIr
>>341
ハリマオ、谷豊さんか。シンガポール攻略戦たけなわの頃、マラリアを
発病して亡くなられたのう。大川周明氏の東条英機氏の頭を叩いた映像が
残っとるのう。
朱子個人よりも、朱子学の影響を受けた方の問題じゃ。朱子学は、
現実よりも、攘夷思想性の強い排外性の強い性質で、周りの影響よ、
日本も現在でも、ネットウヨの排外思想の親分じゃけんのう。
反権力よりも反異民族じゃろう。
「赤心」は、孟子の「大人は赤子の心を失わず」からの引用で、朱子学
以前になるわい。
>>343
信濃は、フォッサマグナ以東で、地理風土から東国じゃ。
宮本常一氏が云われるよう、荷駄用に家畜を使うんはアイヌ人や東国に
発達したんじゃないか。騎乗よりも荷駄の要素が強い。荷駄の替わりに
騎馬武者を載せとるようなもんじゃ。騎馬用と荷駄用の分類はどう区別
したんか?犂耕「目的」は近代以降と曖昧な。犂耕は古代からあるど。
345:人間七七四年
07/11/03 02:32:28 Mj5sEGA5
んな無茶な
346:人間七七四年
07/11/03 11:40:47 MH7dmPkF
牛はインテリが嫌いなのか。
347:人間七七四年
07/11/03 12:34:57 E/O5b0UV
>荷駄用に家畜を使うんはアイヌ人や東国に発達したんじゃないか。騎乗よりも荷駄の要素が強い。
=゚ω゚) 【道嶋嶋足(みちしま の しまたり】
奈良時代の武人。陸奥国牡鹿郡の出身。武事に通じ騎射を善くした。
牡鹿連道嶋一族は丸子姓で、もともとは関東地方からの移民であったと思われる
>朱子学は現実よりも、攘夷思想性の強い排外性の強い性質で、周りの影響よ、
>反権力よりも反異民族じゃろう。
=゚ω゚) まるで聖書やムスリムが異教徒を排除した事が無いみたいな意見じゃな・・・
348: ◆26IT/WpOkg
07/11/03 20:42:40 5FgHkAxk
>>344
騎馬と駄馬はセットで考える必要もあるな。ところが鈴木厨は全て駄馬にしたいらしい(川合もかw)
騎馬用と荷駄用を比較すれば、主に馬体からして違うだろ。
戦国時代における夫役としての駄馬と、一般武士が騎乗する馬とじゃ別物。
江戸時代、武士の乗用馬で10両前後と高価だよ。
江戸時代だから儀礼的な使用だが、いわゆる農耕馬とは違うな。
駄馬のサイズを江戸期の馬で比較すれば、西国の土佐馬のような小型馬サイズ(120cm以下)だろうよ。
それで畿内の馬は土佐馬(チビでも頑丈で粗食)より低評価と、、、
関東における犂耕は大正以降の朝鮮牛。
農耕馬は耕ではなく厩肥目的。そして農耕馬は近世が盛期でもあるしな。
関東=畑・牧・馬、近畿=田・牛
>>347=゚ω゚)
関東の丸だったのか。
349: ◆26IT/WpOkg
07/11/03 21:46:00 5FgHkAxk
お国自慢板のusiは名無しになったのか
350:白馬青牛
07/11/04 01:39:59 GezYZCSY
>>346
インテリは、嫌いじゃのう。朱子学のエリート主義から、近代ドイツの
秀才登用、英国紳士の秀才軽視の方が、まだしもじゃが、英国の階級社会
制度は、いただけん。
>>347
道嶋嶋足の人骨が出土しとらんけえ、渡来系か在来縄文系か区別出来んが、
東漢氏や百済系と同一歩行じゃけんのう。確率上渡来系じゃないか。
朱子学の祖の朱熹は、女真の侵攻に憂いた攘夷思想じゃわい。
清朝の頃も、浙江省を中心とした江南地方に、頑固な朱子学派の文化人の
群れがわんさかじゃったのう。清朝のインテリ弾圧で「考証学」に転向
したんじゃろう。
考証学の功績は、客観的、科学的方法で近代文献学の精神に具現せされる
古文献にもぐりこむ実証主義であったが、当時の清朝に都合の悪い文書は
当然無視されるか、焚書処分じゃ。『四庫全書』なんかのう。
終戦後、日本の軍部が都合の悪い文書を焼却して、証拠がない云うのも、
その影響じゃろう。焚書と実証主義(為政者に都合の良い)はパラレルじゃ
けんのう。近代ドイツからのランケ流史学実証主義の19世紀の帝国主義も
同様で、こちらはヘーゲルの弁証法の影響を受け、科学的唯物論
(共産主義史観)とパラレルじゃ。文献史学実証主義は、客観性の乏しい
観念論で、権力者に近いエリートにとってのみ好ましい思考じゃろう。
351:白馬青牛
07/11/04 02:18:15 GezYZCSY
>>347
焚書で証拠がないから、残った史料で判断する文献主義も、
考古学や民族学的考察や、戦闘事情は日記や証言で、現代では根拠に
乏しいものになって仕舞うた。
ムスリム云うても、税金を払らやあ、中世まで異教徒を排除しとらんよ。
近代は都市部から宗教原理主義が出て排外主義的傾向が強まったが。
キリスト教の方が、中世宗教思想的頑迷さが強かったろう。
>>348
騎馬用と荷駄用の分類?日本列島の小型馬は、西南諸島や琉球のトカラ馬や
ミヤコ馬に残っとるだけで、本州のほとんどは中型馬じゃろうに。
まあ、山岳地では馬体は小柄の方がええか。
関東は犂耕に乏しい云うんは家畜飼育文化にも乏しい云うことよ。
東日本の農耕における大量の厩肥を投入のう、馬の糞は醗酵する時に熱を
出すゆえ耕地を保温する機能があるけんのう。騎乗より農耕や荷駄用が
優先された根拠になっとるど。
>>349
帝国陸軍師団スレか。後で気がついたけえ、そのままにしといたよ。
352: ◆26IT/WpOkg
07/11/04 02:38:22 xKR0PtKK
>>351
近代になってから大きくなってるんだよ。
日向都井岬の御崎馬は現在130㎝以上だが、近世では4尺ほど(120cm)だったといわれてる。
伊予の野間馬も115~125前後で小柄。
鎌倉材木座の馬骨128本の内、軍用と思われる馬の推定体高は概ね130前後~140まで。
戦国時代の交通制度でも、東国大名の馬に対して西国大名の船と牛だな。
田と牛と犂耕、畑と馬と厩肥
353:人間七七四年
07/11/04 17:13:18 0tknotWK
牛に都合の悪いもの=ナンセンス
ってすごい理屈だな
自己正当化もここに極まれり
354:人間七七四年
07/11/04 20:21:31 hw5Zdf/R
351>ムスリム云うても、税金を払らやあ、中世まで異教徒を排除しとらんよ。
=゚ω゚) ズィンミーの事かな?
対象宗派は同じ聖書系教派の『啓典の民』(キリスト教、ユダヤ教、サービア教徒)のみだったよ。
[ズィンミーの人権とその制限]
・イスラム教徒に改宗を迫った場合死刑。
・信教の自由は保障されるが、ムスリムへの布教を行った場合死刑。
・イスラム教徒の女性とセックスを行ったことが判明した場合、死刑。
=゚ω゚) うーん、たしかに「排除」はしてない鴨w
もっともレコンスタキアに合わせて異教徒弾圧は当然行われたが。
350>確率上渡来系じゃないか。
=゚ω゚) というか・・・ それはオマエの『 カ ン 』だろ?
355:人間七七四年
07/11/05 00:13:11 rOWkVdbz
usiは東日本が嫌いなのか。
356:白馬青牛
07/11/05 01:34:51 F6FkWcvQ
>>352
近代云うて、外来馬との交雑を含むんか?鎌倉材木座の馬骨がとりわけ
大きいように宣伝しょうるが、同時代の何処の馬骨と比較した結果は
無しか。日本在来馬は体高140以下で、だいたい大きい馬はおらんよ。
URLリンク(www.isonly.net)
下の方の東北地方産馬の後裔とされる道産子馬でも、体高130~135
cm。木曽馬や御崎馬も同程度。愛媛県の野間馬は112cmと小さいのう。
URLリンク(www.kis.janis.or.jp)
「木曽馬の起源」に、モンゴル馬も、平均体高は131cm程度で、
日本在来馬を小型と中型は今の処遺伝的に区別出来んし、モンゴル人
留学生が来たときに「モンゴルの馬に混じってもわからないですね」と
言っていました。とあるよう日本在来馬は、蒙古系の馬じゃろう。
URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)
<1996年12月27日 朝刊 26面>
寄贈された韓国済州島の小型在来馬は、雄の体高107cm、雌105,4cm
じゃそうな。『東夷伝』の高句麗や穢の果下馬なんか、面積の狭い島で
飼うと小型化するんかは解らん。
357: ◆26IT/WpOkg
07/11/05 02:07:01 uTxIVsBO
>>356
御崎馬はトロッターの血が。
木曽馬も近代に多少大きくなってる。木曽馬は知名度の割に歴史も浅く、その発展は農耕的要素が強い。
鎌倉材木座の馬骨は、当時の軍馬としての大きさで130~135平均って話。
軍馬としての大きさは大陸の馬とさほど変わらない。秦でも130以上というそうだからな。
農馬としては4尺(120cm)が普通だから、サイズとしては小型。小さい馬は本州にも普通に居た。
ただチビでも、同じくチビの済州馬などよりは優秀。
土佐馬なども小柄だが力はあり、駄載に適していたという。
そんな小さな土佐駒に粗末な馬具でも、勇猛な長宗我部の一領具足は、馬上戦ったんだろうよ。
農馬としては小さい方が、百姓にとって餌が少なく済むので良い。
358:白馬青牛
07/11/05 02:11:59 F6FkWcvQ
>>353
わしに、都合が悪い云うてなんなら?具体的に書けえや。
>>354
ズィンミーの批判的見解から云うとるが、中世においてキリスト教圏と
比較してユダヤ人に対して過酷じゃったんはキリスト教圏じゃし、
イスラム教徒がキリスト教に改宗せずキリスト教圏で暮らしたか、
イスラム教圏以上に、つらいじゃろうのう。もっとも西洋の騎士道は、
節度、恥を知る心、婦人崇拝等は、イスラム文化の影響じゃけんのう。
ほいから、本土日本人が形質や遺伝子から人類学的に渡来系の末裔が
主流で土着在来系が傍流なんは、明らかなことじゃないか。
>>355
東日本が嫌い?先祖が暮らした地じゃけえ嫌いじゃないが、残忍な
関東武士を美化することは出来んし、東日本は社会組織も縦社会じゃけえ、
そういう面も好評価出来んのう。
359: ◆26IT/WpOkg
07/11/05 23:22:47 INkmmAI+
三寸(体高4尺3寸=約130cm)に足らぬ馬をばむかしより軍の馬にはきらふなりけり
乗下もまた扱いのやすきとて小馬を好む人とぞつたなし(武道歌選集 =゚ω゚)
360:人間七七四年
07/11/05 23:43:56 ZguQdTN4
=゚ω゚) はいはい、お呼びで。塚原ト伝遺訓抄(ト伝百首)ですな。
よく見つけたね。
・ 武士(もののふ)の 実(げ)に知るべきは 馬なれや 心掛けぬは愚かなるべし
・ 武士(もののふ)の 鎧の下に乗る馬は 癖あるとても 強き好めり
・ 馬はただ 普通に強く肝ぞよき 勝れる肝と無肝嫌えり
・ 武士(もののふ)の 狩り漁猟(すなどり)を好まずば いかなる事に身をさらさまし
・ 武士(もののふ)の 心の内に死の一つ 忘れざりせば不覚あらじな
361:白馬青牛
07/11/06 01:04:30 6tryd2gH
>>357-359
「木曽馬の歴史」のタルパン系は、汗血馬と同類の中央アジア産で、
蒙古馬と違うが、モンゴルで鮮卑時代の重装騎兵から軽装騎兵に変化する
段階で選択的に淘汰されたんじゃろうか。ほいで、現在でも中型馬と
小型馬の区分がはっきりしとらん。御崎馬も小型説中型説があって、
森浩一氏は中型馬とされとるけど。
中国の馬産地の雲南は小型馬とされ、唐から宋代にかけて「山間を走破する
のに優れた駿馬」(唐の『蛮書』巻七)「蛮人死すとも馬を人に与えず」
(宋の周去非『嶺外代答』巻九)と、小型馬も荷駄用だけじゃのうて、
騎乗用に重宝されとる。川喜多二郎氏は、モンゴル高原の第1次騎馬民族化
(中型馬)、チベット系民族の第2次騎馬民族化(小型馬)と分類される。
西洋なんかは、重い甲冑の重装騎兵で大型馬の方がええじゃろう。
どうも、蛙君は体高の背丈がある馬が好みなんか?
362:白馬青牛
07/11/06 01:31:15 6tryd2gH
>>360
?>>358の続きじゃが、近代においてもアメリカの黒人に対する扱いも
イスラム諸国から考えてもひどかったわいのう。今世紀の1960年代
アメリカのプロ市民(ネットウヨ用語)による公民権運動もあって、
だいぶ、ましになったが、人種排外主義の日本のネットウヨは、
kkk(クー・クラックス・クラン)と同類思想じゃけえ、当然プロ市民に
よる公民権運動に反対じゃろう。じゃが、日本のネットウヨも、アメリカの
kkkの連中から見たら有色人種(人類学的でなく、肌の色、白人の
創作概念)に過ぎんわい。「国民の創生」は夢物語になって仕舞うた。
363: ◆26IT/WpOkg
07/11/06 02:04:45 r8j4L3j4
>>361
用途による馬体の違いについて、usiの>342>344>351あたりに答えてるだけだよ。
本州産でも優秀な馬を乗用にしたのは当然だろ。駄馬は大きさも能力も違う。
たしかに中型・小型の区別は曖昧だけど、林田氏の分類(中型=125~135、小型100~125)に従ってる。
対州馬は中間型というが、元来は小型馬の部類だろうよ。
あと馬の能力が近世に劣化した事も想像できるが、比較的大きな木曽馬も軍馬としての能力は高くないだろうな。
雲南や四川の小型馬より日本の小型馬の方が能力も大きさも上。
肥前国風土記の白水郎も小型馬で騎射に巧みな連中だろう。
・・・小馬も子犬も子猫も小鳥も好きですが、何か?w
>>360=゚ω゚)
『ウマ駆ける古代アジア』からでつw
ほどほどの馬を好んだというのは『北条五代記』にもあるが、甲陽軍鑑にも似たような話はあるようだ。
体高4尺6~7寸とか、140㎝以上になると扱い難いという。
364:人間七七四年
07/11/07 00:25:55 CcTSgGJc
>>358
昔はともかく今は西と東の社会制度が違ういわれてもわからん。
具体的にどこがどう違うのかいってくれ
365:白馬青牛
07/11/07 00:37:12 wqHfZFq/
>>363
用途による馬体の違いがあったんかのう。武士の好みが、騎乗用に
優秀な馬と直結出来る根拠がないよ。雲南の小型馬の件もあるけんのう。
ほいで、また関東鎖国史観が始まったか。雲南や四川の小型馬より、
日本の小型馬の方が能力が上、云うんはどがいな能力で比較したんか?
まあ、騎乗者自身の上手、下手があるが、日本人は騎馬下手じゃけんのう。
水野祐氏戦争体験の話は以前書いたが、その程度のもんじゃ。
366:白馬青牛
07/11/07 01:35:57 wqHfZFq/
>>364
「習俗の社会学」で東京人の加藤秀俊氏は、「現代の職場というものを
考えてみても、東日本ではどちらかというと、親分子分型になっていく。
ボスがいて、手下がいて、末端にチンピラがいたりする。タテ構造に
なっていく。それにひきかえ京都では、仕事をしていた時は、わたしの
先生もいましたが、関係は常に横関係の仲間という感じなのです。(中略)
東京と関西の都市をくらべますと、東京ははるかに後進的です。東京の
悪口をいわれると、東京人としてあまり愉快ではありませんけれど、
江戸についてのもっとも優れた研究を残された三田村鳶魚先生の
著作など読みましても、江戸というところは、けっして洗練された
都市ではなかったということがわかります。
(中略)浄土真宗というのは非常に個人主義的な宗教です。個人の祈りに
よって支えられているのです。もう一つ心学というものがあります。
だいたい、関東あるいは東日本には無縁のものなのです。心学というのも
西国筋の町人層の中では非常に強い支持者をもっていましたけども、
江戸の町人というのは、要するに御用商人の集まりですから、江戸では
花咲いていないのです。」つまり、近代的、個人主義的な精神は
西日本で、東日本は後進地帯であると云われる。
現代では東西日本の相互影響も強いが、風土は変わらんよ。
367: ◆26IT/WpOkg
07/11/07 01:59:52 hMRP7XGF
>>365
前提として地域による能力の違いがある。
【平安期・駅馬価格】
常陸 上馬500束、中馬400束、下馬350束
河内 上馬250束、中馬200束、下馬150束
>348で書いた→戦国時代における夫役としての駄馬と、一般武士が騎乗する馬
高価な、或いは各個人にあった馬に武士は騎乗したろうし、実戦から離れた近世の武士でも高級な馬に乗ったんだから。
農耕馬より大柄な馬体、都市生活、江戸では飼料代も年10両掛かったという例もある。
上手く言葉尻を捉えられたがw、中国西南部の馬は西日本の小型馬より小柄だろ。
で比較の事だが、大正期の済州馬と伊予野間馬の事。
日本人じゃなく、近畿や中国地方の武士が騎乗下手なんだろ。畿内は下馬戦闘だもん。
関東の騎馬戦術に対抗したのが城郭戦やゲリラ戦。でも地の利がないとな。東国武士は東西奔走して戦ってる罠。
着到から見ても鉄砲戦術の西だろ。
>>366
西日本都市は大阪の物真似に過ぎないという話があるぞw
江戸幕末にもなると言葉の洗練度で江戸>京のようだな。大都市邪険脳。
368:人間七七四年
07/11/07 02:07:46 lBThVbSD
=゚ω゚) 既出かな?
軍馬の条件(武者物語)
・合戦のおりは平地を良く走る馬を選ぶ。胴の短い馬は野山を行くのに適し
胴長く頭高くもたげる馬は良く泳ぐ。
・体高3寸(約130cm)、歳は7,8才で扱いやすく片手手綱で乗り回せる物
・若い馬、手に負えない馬はよろしくない。合戦場へ進もうとする馬を止めようとするさまは見苦しい
369: ◆26IT/WpOkg
07/11/07 02:13:13 hMRP7XGF
知らない。
既出じゃないよ。
370:人間七七四年
07/11/07 04:48:03 imrBAzKD
てかさ戦国時代の馬なんてポニーやんwwwww実際wwwww
371: ◆26IT/WpOkg
07/11/07 21:49:58 Y6vEf+kz
モンゴルに代表される東アジアの蒙古馬は体高約125~140㎝。
日本の中型馬も同程度。
アラブ馬はポニーサイズのボーダーライン上。
戦前のサラブレットは平均160㎝以下。
まあ、英語で分類するところのポニー(体高145~148㎝以下)とホースで区別しても意味無いわ。
372:人間七七四年
07/11/07 22:48:33 CcTSgGJc
>>366
ただの自虐ネタみたいな感もするが・・・
それに日本は全体的に親分子分型だと思うけど。東日本の方が度合が濃いって
だけじゃないか?
373:人間七七四年
07/11/08 01:11:06 STaOMJnH
秩父鹿毛:七寸八分(145cm) ご存じ畠山重忠の愛馬
青海波:七寸(142cm) 頼朝の馬
生食イケズキ:八寸宇治川の先陣の名馬
鬼鹿毛:八寸八分!? 武田信虎秘蔵の馬
=゚ω゚) ・・・ホンマかいな?
つーか “いけずき” って変換できんがな。生口婁・・・ orz
木曽馬はわりとおとなしいタイプの馬だと聞く。
374: ◆26IT/WpOkg
07/11/08 02:05:04 9cQ88jYY
畠山重忠のような当代一の怪力で弓馬の名人は、4尺8寸近い「長に余るような大馬」も大きくなかったろうけど
肥えた馬を担いで急坂を降りるのは無理だ罠w
『太平記』の記述だと長崎や新田の乗馬などサラブレット級wさすがは太平記(´ー`)
木曽馬の歴史は、主に近世から盛んに生産されるようになったもので、
それも平安・鎌倉期の牧馬のような馬ではなく、各農家で馬屋と狭い範囲の馬柵で飼われてた。
家族同様に丹精込めて育てられたおとなしい馬で、乗馬向きではなかったそう。
375:白馬青牛
07/11/08 22:46:48 2QdfMuD/
>>367
言葉尻じゃのうて、能力について具体的に云うとらんじゃないか。
大正期の済州馬と伊予野間馬のどこを比較したんか。ほいから四川、雲南の
小型馬との比較もせにゃあ。
関東の騎馬戦術?迂回作戦でもしたんか?騎馬戦の本場、内陸アジアじゃあ
当たり前のことじゃが、関東兵は遁走を常套手段とした例がえっと(多く)
あったんか?騎馬戦は遊撃(ゲリラ)戦的要素が強いど。鉄砲の時代でも
騎馬は後進的東国よ。
水野祐氏は、日露戦争に参戦した父の例として旭川の騎兵隊がロシアの
コサック騎兵に散々やられたことじゃが、旭川師団は、開拓民には
西日本人も多少含むが圧倒的に東日本出身者じゃ。東日本(まあ日本全体
じゃが)の騎馬戦闘の弱さを示しとるよ。
376:白馬青牛
07/11/08 23:22:08 2QdfMuD/
>>372
自虐云うより東日本社会の真実じゃろう。神奈川県人の養老猛司氏も、
顔君の嫌いな甲野善紀氏との対談で、「基本的に日本は東の方が貧乏で
貧乏なところの方が官僚的な政治を敷きやすい。いまでも共産主義国家と
いうのは、どちらかというと貧しいところに発生してくるわけです。
豊かな西が、貧乏な東の官僚制に抑えこまれたのが江戸期だったのでは
ないか、という見方です。ですから、西と東の違和感みたいなものを、
おそらく江戸の為政者はずっと感じ続けていたんだと思うんですね。」
と、云われる。
まあ、東日本は北朝鮮のような共産主義が一番体質に合うんかも知れん。
昔から縦型隷属農奴社会で、同じようなもんじゃ。関東人の鎖国史観、
石母田共産主義史観の関東武士賛美は現代も蛙君にさえ受け継がれとる
んじゃけえのう。ほいで西日本の親分子分型は東日本型の輸入じゃ。
ヤクザ組織も東国発生じゃけんのう。
377:人間七七四年
07/11/08 23:53:05 STaOMJnH
=゚ω゚) 鉄砲伝来は西からじわじわ広まったワケではないよ。鉄砲先進国は九州じゃないかな?
北条五代記 十四 関八州に鉄炮はじまる事
相州小田原に玉瀧坊と云う山伏有。享禄はじまる年、和泉の堺へ下りしに、あらけなく鳴物の声する
是は何事ぞやととへば、鉄炮と云物、唐国より永正七年(1510年)に初て渡りたる
鉄炮を一挺買て、関東へ持て下り、屋形氏綱公へ進上す。
氏康時代、堺より国康といふ鉄炮張りの名人をよび下し給ひぬ。
根来法師に、杉房・二王坊・岸和田などといふ者下りて、関東をかけまはつて鉄炮ををしへし
=゚ω゚) やや時代が前後している感も有るが・・・ まぁ、鉄砲伝来以前からこの最新兵器は
ある程度は全国に知られていたのではなかろうか。
378:人間七七四年
07/11/09 00:25:18 9NHOz5eY
>関東の騎馬戦術?迂回作戦でもしたんか?
=゚ω゚) ふつうに騎馬集団による側面突撃、斬り込み、物見、などだが?
>旭川の騎兵隊がロシアのコサック騎兵に散々やられたことじゃが
=゚ω゚) 機関銃装備しちょる連中相手に互角に戦えるわけなかろう
>養老猛司氏も顔君の嫌いな甲野善紀氏との対談で
=゚ω゚) べつに甲野さんきらいじゃぁ無いよ。インキチじゃと言ってるだけだよ。
>顔君
=゚ω゚) ?・・・・・・・・オイラの事かい?
379: ◆26IT/WpOkg
07/11/09 01:14:16 0rJRt6l7
>>375
野間馬の減少、代わりに済州馬を移入した時のこと。
遁走は有名な富士川の惟盛。
畿内での騎馬は遊撃どころか南北朝期から下馬してるが。
千葉氏が指摘するように、戦で個人の力量に頼るのが日本人で、特に坂東人はその傾向も強いか。
『太平記』で描かれる楠木も指摘してる。
日露戦争って戦国から300年経ってるし、日本で馬の改良は長い間されて来なかった。
起伏に富んだ地形の狭い日本で、弓射騎兵・打物騎兵で戦う中世日本だし、体高130前後の国内中型馬で十分だったろ。
島国日本は国内で戦ってたんだし、国内で較べりゃいいものを。
北海道は名字の分布から見ても東北出身者が多いようだ。旭川限定は知らんが。
ていうか明治のデータによると、近畿地方は馬が極めて少ない。ロシアと比較する以前だなw
>>376
勝手に決め付けるusiの方が共産主義だな。
京文化と坂東武者と筑紫船に憧れる中国山地の百姓(田植草紙)
鎌倉の富裕さ(増鏡)
>>378
顔君にされたね^^
おめでとう