出身国別 最強兵卒はドコだ?? パート③at SENGOKU
出身国別 最強兵卒はドコだ?? パート③ - 暇つぶし2ch162:人間七七四年
07/09/18 01:32:14 Xyuh//n2
>160 >鐙に頼るほど、騎乗者のレヴェルが低かった云うことか。
>143 >必ずしも鞍や鐙を着けた状況で敵が襲うて来るわけじゃないし、
    >裸馬でも射ることが出来んようじゃあ、和弓は実戦的では無い云うことか?
>153>モンゴル式の背筋は真っ直ぐから若干やや反らしぎみで、膝を締める。

=゚ω゚) じゃぁ反対に聞くけどぉー、裸馬で膝を締めて立ち乗りして組み討ちとか打ち物できると思う??

>160
>乗馬日記
 >今回の旅行の表(?)の目的は乗馬。 『筆者は乗馬に関しては全くの素人だが』 旅行前に1度だけ
 >乗馬クラブの『1日体験コース』に行ってみた。
=゚ω゚) へえ・・・・・・ まぁ次の情報に期待。

>ほいで、>>156のモンゴル人お断りの牧場はどこなら。
=゚ω゚) 競走馬の育成牧場だよ。でも2ちゃん情報だぜ?
意地悪してるわけではないが、お前さんにスレッドを教えて良い物かどうか・・・すごく悩む。

あ、追伸。確認してみたら他国の外国人労働者は使ってなかったようだ。たぶん。

163:人間七七四年
07/09/18 04:05:09 sqN9+H6H
>>152
おもわないよ。ソースは他板でゴマかすなよ妄想自慰さんよw
はよ渡来系が日本征服した証拠だせよー在日二世



164:人間七七四年
07/09/18 09:00:49 l+ejaSFe
ソースは他板とか斬新すぐるwwwww

165:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/09/19 00:22:05 0UIut9Um
半島が日本にとって失地だと思えばよかろ。

166:白馬青牛
07/09/19 00:34:09 x1Fs5HQT
>>162
裸馬じゃないが、パルティア(安息)重装騎兵図では、馬甲を着けとるが、
騎乗者は鐙をはいとらんど。
URLリンク(ihbaa.org)
左の写真に、皿鐙を踏み「立ち乗り」スタイルが出ておるが、
鐙は、馬上で長時間立っても疲れんゆえ、皿鐙を使用するわけで、
元来、鐙自体乗馬下手の農耕民族から普及したもんじゃろう。
後の方に「側対歩」のことが出とる。
匈奴の騎兵をあらわした画像図は、明らかに側対歩になっとる。
ほいで、八幡太郎義家説以前に、日本馬など対洲馬や木曽馬なんか
側対歩の方が自然じゃろう。わざわざ調教したんかいのう。
馬だけじゃのうて人間も、西洋人と違い明治以前の日本人は元来ナンバ歩き
(側対歩)じゃった。
2ちゃん情報云うて、どこのスレか教えるんが何で悩むんのう。
確認じゃ、たぶんじゃは、ええけえ、どの板のスレか教えんさい。

167:人間七七四年
07/09/19 01:08:19 UB1zSClU
>また、これをも越えてバランスを取らなければならないほどの激しい動きの場合には、
>踏込み部の面積が広く装着位置がやや高めの鐙が、それを容易にします。

=゚ω゚) モンゴルでもおもいっきりアブミに頼ってるじゃん。
和鐙は踏込み部の面積はもっと広く、重心の自由度も進化している。
八幡太郎の馬術は迎来流だな流祖はヤマトタケル尊で鹿島流の基となった。
「側対歩」は現在でも宮内庁で調教してるよ。流鏑馬もたしか側対歩だろ。
みどりのマキバオーにも側対歩のモンゴル馬が出てくるが天然ではあまり居ないような書かれ方
だったが。。。?
ついでだがナンバ歩きは一部西洋人もやっていたぞ。

>どこのスレか教えるんが何で悩むんのう。
=゚ω゚) お前が荒らしかねないからじゃっ!!!!

168:白馬青牛
07/09/19 01:26:39 x1Fs5HQT
>>163-164
ほう、また質問するが岡崎久彦氏に対しては何で在日認定はせんのか?
岡崎氏流の日韓同祖論に、「妄想自慰」、「証拠を出せ」やらの反論は
せんのんか?
今回は形質人類学的根拠でも云うとこうか。
URLリンク(www.museum.kyushu-u.ac.jp)
■混血の進行■の図を見れば、渡来系が古墳期に全国に拡散しとるが、
中部瀬戸内や南九州は縄文土着民系が多く、人種的に日本人(渡来人)化が
遅れとる。広島は佐伯部の影響もあろう。じゃが、「ほとんどの地域の
人骨に何らかの渡来的形質が表れており、混血が進んでいたことがわかる」
「とくに近畿は古墳時代に多くの渡来人が来たことが文献に記されており、
その反映であろう。また関東・東北地方にも渡来形質はおよんでいる
ことは、文献に登場する近畿勢力の進出や渡来人の関東移住などとの関連で
興味深い。」
渡来系(日本人主流)が支配せず、人種的にも圧迫された在来縄文系が
支配者になった云う方が妄想に近いんは明らかなことじゃ。

169:白馬青牛
07/09/19 01:55:15 x1Fs5HQT
>>167
文面を額面通り受け取りよるが、わしが挙げたんは左写真の乗り方や
側対歩に言及した部分で。鐙が農耕民族が発明した云うんも反江上説の
佐原氏の親分で江南派の樋口隆康氏の説じゃ。元来騎馬民族が
鐙を必要不可欠とせんかったんは、現地でモンゴル人と起居を共にした
江上波夫氏や日本軍の進駐し、騎馬隊が全滅させられた水野氏の裸馬の
言から解ろう。じゃけえ、「長時間」の騎乗が鐙で楽になる云うたんじゃ。
いちいち、幼稚園児並みの解説をせにゃあいけんのか。
ほんま関東人相手はたいぎいわい。成る程関東人が、文献を鵜呑みにする
癖もこがいな処に出とるのう。日本馬の側対歩なら、検索すりゃあ出とる
ことで。ほいで、ナンバ歩きの西洋人は、何時の時代で、どこの地域か、
その地域の生活様式はどうなんか?
わしが荒らすけえ、駄目じゃ云うんなら、最初からワレが書かにゃあええ
ことで。ほんま関東人は吐いた唾を飲むのう。


170:人間七七四年
07/09/19 13:40:57 DM24H1vM
>>168
そのインチキサイトのソースなに?他板?

171:人間七七四年
07/09/19 18:47:52 UB1zSClU
>日本馬の側対歩なら、検索すりゃあ出とることで。ほいで、ナンバ歩きの西洋人は、
>何時の時代で、どこの地域かその地域の生活様式はどうなんか?

>169
=゚ω゚) ひょっとしてこれか?
URLリンク(home.r07.itscom.net)
>専門家によると、戦国時代の絵図には側対歩の調教場面が描かれていることや、
>上下動の少ない側対歩を使えば馬上で弓を正確に射ることができることから合戦の際、側対歩が使われていた
>可能性が極めて高いという。
>上下動がないので弓を射るのに適し、しかも、弓を正面に射る時に馬の首や頭が邪魔だが、
>側対歩だと馬は、身体を進行方向に斜めにして前進できる。

=゚ω゚) ふつうに側対歩を調教していたようだが?
宮内庁主馬班の「調子乗り(側対歩)」の調教法も書かれているな
 あー、ちなみに甲野さんのナンバ歩き理論は電波なので少し間違っておる。
動画を見ればわかるがあの人のナンバは思いっきり不自然。
ちなみに研究機関ではふつうに剣道家で常歩のデータを取っておったな。

172:白馬青牛
07/09/20 01:01:33 9i46yNuq
>>171
日本馬もかっては側対歩したことや、山地を歩くうち馬自身が自然に
会得した要素もあり、水中写真でも、側対歩で泳ぐんは本能にある
云うことじゃ。モンゴルは調教して側対歩にするようじゃが、
側対歩の騎馬軍団構成の起源は解らん。もしモンゴルなら、
アルグン川の狩猟集団が牧馬を覚え、大興安嶺地方の山岳地の斜面を
利用するんに側対歩が便利であったんか、アルタイ地方のトルコ系集団から
学んだんかどうかじゃろうて。
甲野善紀氏について詳しゅう知らんが、どの動きが不自然なんか。
解るようにいいんさい。

173:人間七七四年
07/09/20 01:14:16 mMs9/b/f
スレを覗けば、また白馬問答かよw

つまらねえから他でやれよ

174:人間七七四年
07/09/20 01:37:25 GQydfsIf
>西洋人と違い明治以前の日本人は元来ナンバ歩き
>(側対歩)じゃった。

お前、死ねよ、マジで。
工作員も最近は手が込んでいるな。
中学生レベルの知能の持ち主が工作員になって、
一般人の労働時間につまらぬカキコを垂れ流す。

2chも駄目だな、もう。


175:人間七七四年
07/09/20 01:49:02 GQydfsIf
広島近辺で育ったか暮らしたかの朝鮮人の成人が、
カネを貰ったか、暇を貰ったか、
まあ、せっせと、つたない脳みそで書くこと書くこと。
日本社会の寛容さに感心しますわ。

本人はこれで工作しているつもりなのだろうが。
書けば書くほど化けの皮がはげてくる。

176:人間七七四年
07/09/20 02:42:34 /ixlTbGY
ウシそろそろうざいよー

177:人間七七四年
07/09/21 09:01:41 g2JYTrEq
=゚ω゚) みろ牛。またまた怒られちまったじゃねーか。

>甲野善紀氏について詳しゅう知らんが、どの動きが不自然なんか。

=゚ω゚) ほれ動画 URLリンク(jp.youtube.com)
西南戦争で徴兵された百姓町人は『走れなかったので』薩軍に斬られた
で、軍隊行進で歩法の教育をしたそうなw
以前の甲野理論だと明治以前の日本人は走れなかったと言い切っていたからな。

178:白馬青牛
07/09/21 22:40:57 m6Y5ba1U
>>174-175
岡田久彦氏に対する反論はまだか?どうもネットウヨの尊敬する岡田氏の
日韓同祖論を挙げたら、都合が悪かったようでヒステリックな反応が出て
来たのう。答えるまで続けようよ。岡田氏は、工作しょうる朝鮮人か?
日本社会の寛容さとやらで、岡田氏は日本人になったんか?
こんなら答えんかい。答えにゃあ話が先に進まんど。
>>177
低脳売国奴ネットウヨ怒られたじゃ、謙遜しょってどうすんない。
兵士は戦闘馴れするまで、3ヶ月はかかるよ。西南戦争の鎮台兵は当初
敵の突撃に逃げる雑軍じゃったが、戦闘馴れしだした日向、薩摩の
戦闘じゃあ緒戦の不甲斐なさを払拭しだしたよのう。
逃げる敵を斬り殺した薩摩軍も、後半鎮台兵が戦闘意欲が旺盛になって
逆に押されよった。走れる、走れぬより戦闘経験の熟練度の問題であろう。
養老猛司氏との対談で、甲野氏は、庶民でも忍者、猟師や飛脚は走れたと
云われたが、どうなんかのう。まあ、走ることも日常生活の利用度にも
よるけえ、武士階級が全て走れたとも云えん。

179:白馬青牛
07/09/21 23:09:44 m6Y5ba1U
>>177
養老猛司氏は、日下公人氏との対談でも甲野氏を「解剖学的に我々が名前を
つけている筋肉が外からきれいに見えます。」と高い評価をされる。
動画を見たが、現代剣道と違い、剣を頭上に引かん処は、成る程のう、
思うたよ。わしも祖父から撃ち降ろしたら、引き上げちゃあいけん云われた
こと、喧嘩でも、バットや木刀で相手を投打し、その道具を引き上げた時、
隙が出来るけえ、そん時刺されたら終わりじゃ。
ほいで、作家の津本陽氏が松田隆智氏との対談で、「謎の剣士出会って剣豪
小説の世界へ」で、語られてた体験談も面白い。以下続く。

180:白馬青牛
07/09/21 23:36:21 m6Y5ba1U
>>179の続き。
「昭和三十年頃ですかね。大阪の西印刷の道場で稽古してたんですよ。
そうしたら五十歳位のヒョロヒョロの人が来て、もう一人やや若い人と
二人で。それでボロボロの防具を着けて道場の上手に立って「誰か稽古
せんか。わし四段やねん」て言ってるんですよ。
そうしたら第一銀行の人で六段錬士の結構選手として活躍した、連続技を
得意としている強かった人ですが「ヨーシ」とばかりに。それで立ち合った
のだけど、竹刀がひっついてしまって離れないんですよ。ガチャガチャと
なって。普段なら打ち込んでガチャッとなったら、パッと飛び退ってから
バーンと打ったり、色々と技が出るわけですよ。それが何も出来ない。
飛び退ろうとしてもガチャガチャと竹刀が離れない。
それで道場の隅まで行くと、ポンと突いてくるからハッとして竹刀を払うと
、その瞬間に小手を取られるんです。
それで同じことを三回くり返して、すべて突きから小手を打たれて、六段
錬士の方が「恐れ入りました」と言った。それからまた五、六回やった。
終わって面をはずしたら六段錬士の方は顔が真青で汗をビッショリかいて。
とにかく突きから小手と、それしかやらないから、わかっているのだけど
やられてしまう。ベタ足で間合いもとらず、打ち込んで行くと竹刀が触れて
離さない。」

181:白馬青牛
07/09/22 00:05:20 kYjAwxEq
「飛びのけば良いのだけど、それができない。突きから小手だとわかってる
から、突きは誘いだと思って小手を警戒しているとバーンと突かれる。
たまに運良く竹刀をはずすことができても、バッと足を掛けてバーンと
倒す。若くてごつい男が皆倒されてしまう。
それでその人が、道場の師範の人や巡査部長で五、六段の負けたことが
ないと、日頃から豪語している人たちに「一本稽古をつけて下さい」と
いっても、皆「いや、これから一寸用事があるから」とか言って稽古しな
かったですね。そのくせ後で「あれは邪剣だ。だから四段以上には
なれない」とか訳のわからんことを言って、自分をカバーしてました
けどね。そのことを僕は何十年たっても憶えていて、それを短編として
書いたんです。今はもう名も無く死なれたでしょうけど、ああいう人が
武道の世界にはいるんでしょうね。」と、云われた。
その剣士が昭和三十年頃五十歳ぐらいなら、明治三十年代後半生まれで、
わしの祖父や曾祖父の言からも、技量を持った人たちも多かった時代
じゃけんのう。戦前の初段が戦後の三段レヴェルじゃけえ、
四段云うたら相当なもんじゃ。

182:人間七七四年
07/09/22 00:37:59 Ag/AX9ni
>180 >竹刀がひっついてしまって離れないんですよ。ガチャガチャとなって。

=゚ω゚) ああ、津本陽の「孤独な武者振り」ね。昔読んだ。たしか水道局の人だろ?
近間で竹刀をひっつける人はわりといたよ有信館の中山博道とか。
現代ではそんなことすると審査で落ちるねw 古流では続飯と言ってわりとポピュラーな技だよ。

剣を頭上に冠らんのは「くねり打ち」と言う神陰流の技法じゃ。
甲冑を着けると兜の前立がおじゃまで振り冠れないから鹿島流では無構えから
円転させた勢いで斬りつける。香取流だと「巻き打ち」と言って肩上体側に振り冠る。
あるいは大きく上八相上段に構え一気に斬り殴る。脇(車)からブン回す。

幕末の千葉周作も、とにかく強く撃てと言う。戦場なら当然じゃろう。
だが甲野さんのように技が小さいと威力は出ないね。

ちなみに甲野さんが昔ちょこっと習った事がある剣豪国井師範。
甲野さんの技はこれが元ネタで、見ればわかるが力強さが全然違う。
URLリンク(jp.youtube.com)

>後半鎮台兵が戦闘意欲が旺盛になって逆に押されよった。
=゚ω゚) 警視抜刀隊?

183:白馬青牛
07/09/22 01:33:06 kYjAwxEq
>>182
ああ、昔の人は剣道の試合を実戦にほど遠い存在として馬鹿にしょった
わい。甲野氏は体の使い方で実戦云々じゃあるまい。剣術で曲芸が
出来ても、実戦はまた別の話じゃ。千葉道場の門下生の実戦での実力は
どうかのう?
国井師範の孫弟子にゃあ安藤組の森田雅氏もおられ、裏の世界でも
実力はあったろう。じゃが、米軍の銃剣術の拙劣さは国井氏の評価を
高めるもんじゃないのう。真横から銃剣の尾を出しちゃあ。
日本兵士なら、前進するよ。米軍はフットワーク戦術じゃし。
ほいで国井氏は、鹿島神流として馬庭念流の影響も強いんか?
鎮台兵は当時雑軍に等しく、警視庁抜刀隊や近衛兵が肥後での前半戦
活躍したろうが、鎮台兵も後半は戦闘馴れしょうったよ。

184:人間七七四年
07/09/22 01:41:19 sobSpL0P
最近のスクリプトは凄いんだな

185:人間七七四年
07/09/22 02:00:25 Ag/AX9ni
=゚ω゚) うむ森田雅の「闘いて候」は絶版じゃった。残念。

>米軍の銃剣術の拙劣さは国井氏の評価を高めるもんじゃないのう。
=゚ω゚) 米軍のフランス人銃剣術教官な。
ならお前さんなら真剣着装の銃剣術教官を『傷もつけずに一瞬で戦闘不能に』できるのかい?
・・・いや、ぜひおやりなさいw

186:白馬青牛
07/09/23 00:24:19 kNUeC/xK
>>185
森田雅氏の「修羅場の人間学」は読んだよ。
喧嘩の駆け引きに触れられて面白かったわい。
ほう、米軍の銃剣術教官はフランス人じゃったんか。フランスは白兵主義に
代表され、フランス人は西洋の中でも勇猛じゃけんのう。
じゃが、映像の銃剣術は高度な技術とは思えんよ。
国井氏は、剣道、柔道、空手、ボクシング等の連中を傷つけず降参させた
技量は感心するよ。わしに?相手に傷をつけずに一瞬に戦闘不能は出来ん
のう。ほいで、国井氏は黒田泰治氏に真剣で決闘を申し込んでおきながら
逃げた云うんは本当の話か?何年か前武道板にそがあな話があったが。
まあ道場で強うても、場所を変えると必ずしも強いことにならん。
国井善弥氏の友人の陸軍中野学校教官で、自称甲賀忍者の末の藤田西湖氏も
相撲の小結雷の海を、道場で子供扱いしても、砂場でやったら稽古つける
どころか、さんざんの態で、「関取は砂場の上じゃあ強い。公衆の面前で
大失態を演じたのは、このとき初めてであった。」と、道場と場所を
変えての実戦はまた別物じゃ。

187:武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk
07/09/23 07:49:10 aCNuJokW
一領具足。

188:人間七七四年
07/09/23 10:41:16 MW5c70kv
>186
=゚ω゚) 砂場が実戦かいな。國井師範も相撲取りを道場で転がしていたらしいな。
もっとも相手は双葉山だったが・・・

>国井氏は黒田泰治氏に真剣で決闘を申し込んでおきながら逃げた云うんは本当の話か?
=゚ω゚) そりゃ、おもいっきり2ch情報だっちゅうに。
國井師範は空手家相手には空手。剣術相手には剣術。武器術相手には竹刀一本で相手する人だった。

黒田師範は試し斬りの名手だったので真剣と言う事になったが、さすがに周囲の
知人達に止められ、その話は立ち消えになったと言うのが真相らしい。
國井師範はその後も滝野川道場で相撲取りや893相手に他流試合歓迎の
スタイルを続けていたから逃げも隠れもしとらんじゃろ。

>映像の銃剣術は高度な技術とは思えんよ。
=゚ω゚) いや、良く見れ。最初に銃剣の表(敵の左手側)へフェイントを仕掛け、それにつられ敵が
剣先を払おうとする動作が入る。その時にはもうこちらの足は間合いギリギリに入り込もうとしている。
あそこからではもう銃床しか使えないじゃろ。

189:白馬青牛
07/09/24 00:20:30 ybIzjKnX
>>188
砂場が力士にとって有利云うことじゃ。場所によっての問題じゃ。
武道板じゃあ黒田派と国井派がおって、どっちも言い分がある云うことか。
あんた国井派なんじゃのう。国井氏も道場から離れ、対戦する場所が
違うたら結果はどうか解らんで。
銃剣の切っ先で斬りつけるフェイントを使い銃床で叩くんは、西洋の
銃剣術じゃあ常套手段じゃないか。切っ先はボクシングのジャブで、
銃床はフックじゃ。
銃床を使うんなら>>177の甲野氏の仗術の前方へ打った方が相手から
察知し難い。>>182の、銃剣を横から、外から内へ打ったら相手に察知され
易かろう。最小の変化じゃないとのう。

190:人間七七四年
07/09/24 00:29:00 5B96tFyz
ここが生き甲斐なんだろうな・・・

191:人間七七四年
07/09/24 02:15:07 UREp+bT2
>>177
こういう、イカサマ師がマスコミでのさばり、
世間を惑わせている、

こんな日本は確かに衰弱しているよ。

192:人間七七四年
07/09/24 03:58:21 qAYkF9kI
>武道板じゃあ黒田派と国井派がおって、どっちも言い分がある云うことか。

=゚ω゚) ちゃうちゃう。お前さんの言う黒田派というのはマスコミオタだよ、
ネットでは大勢いるが現実の武道界ではあまり相手にされていない。
それに対して国井さんは多くの試合経験と実績が有る。
ただ、言動がケンカ腰だったので未だに嫌われている部分も多い、
特に嫌ってるのがケンカを売られた黒田先生のお孫さんで、この人がマスコミに発言権が有る。
オイラは実績しか信じないだけの話だ。
それに182でも言ったけど甲野さんの技法は國井師範のパクリだよ。

>外から内へ打ったら相手に察知され易かろう。最小の変化じゃないとのう。
=゚ω゚) 察知されるもなにも最初から先を取られておるのだから変化のしようが無い。
敵を動作に誘い込み動かして勝つ。柳生流活人刀の極意だよ。

>191
=゚ω゚) まあ、善し悪しですなあ。評価もできるけど怪しい部分も多い。
思いこみが激しいから逆にマスコミ受けが良いとも言える鴨。

193:白馬青牛
07/09/25 02:24:27 septlBaq
>>192
国井氏の試合経験と実績も道場でのこと。藤田氏のよう場所が変わると、
結果は未知じゃ。実戦とは違う。国井氏は、剣道や柔道など現代武道に
噛み付き、馬鹿にしょったけんのう。黒田氏に喧嘩を売ったんは
国井氏じゃろうに、何で矛をおさめたんじゃろう?
甲野氏が鹿島神流をかじっただけでパクリか。
先を取る云うても、銃剣の切っ先は誘いで本質は銃床じゃ。
それを都合よう柳生活人刀の極意と解釈したら、極意の程度が低いもんに
ならんか。

194:人間七七四年
07/09/25 22:40:21 o6399JYo
↑ 本当に馬鹿だね。

195:      奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/09/25 23:23:54 AxPD2ogH
↑ それは反論にならないな。

196:人間七七四年
07/09/25 23:30:54 32JwyypD
>193
=゚ω゚) しかし、おまいさんのソースは他スレのネタばっかしだな。
そんなに気になるなら実際に黒田、国井、甲野関係者に会って直接聞いてみたらどうだ?
ネット情報漁ってるだけじや某研と同じだぞ。

197:白馬青牛
07/09/27 01:03:53 rG3JbZxL
>>196
他スレのネタじょのうて、今回は甲野善紀氏の著書を知人から借りて
コピーしたわい。「なにしろ微妙で高度な技法は、相手の感度や体の鍛え方
によって利き方に大きな差が出るものである。国井先生は、そういった点を
素直に指摘され、「日舞でもやっている粘っこい女は、相撲取りよりも
やりにくい」と述べられていたという。国井先生の武術家としての名声が
今日なお消えないのは、現役としての責任と名誉を背負った格闘技の選手や
他武道家と晩年まで実際に手を合わせられていたからである。」
素手の打撃系に対して「国井先生ほどの技術があったとしてもあるいは
対応が難しかったのではないかと思われ、(中略)現に国井先生も、
新体道創始者の青木宏之先生ー当時日本空手道松濤會の五段ーとの
立会いでは、向き合ってから構えを解かれ、はるかに年下の青木先生を
丁重にもてなされたという。」
国井氏も日舞の女性に技が利き難い、一流の空手家相手には、ご自身が
対戦を避けたようで、誰にでも技がきき、倒せるもんじゃない。
これらの例から黒田泰治氏に決闘を申し込んで、最終的に国井氏が相手の
技量を認め、自ら回避した云うことじゃないんか?

198:人間七七四年
07/09/27 01:58:37 lCSUWxNl
以前Dat落ちして戦国板の名物スレだったのに残念とか思ったらしっかと立ててあって
今も変わらず牛さん頑張ってるのみて
やっぱ思い出って美化するもんなんだなとしみじみ実感w
かわず君頑張って!

199:人間七七四年
07/09/27 10:10:06 PAeg6NVi
=゜ω゜) ま~だ続ける気か? しかもソースは甲野さんの電波本…

国井師範は修業が進んだ武芸者に対しては「立合無用」で済ましてる
立合前に断ったのは澤井師範ぐらいじゃね
…もっとも当時は病床だったが

その後の青木師範の活動を見れば彼が何を求めて
やって来たか明らかだろ
剣には剣。拳には拳。心法には心法。修業には修業で返す。
それが国井流だよ

甲野さんの本に有るのはその実、勝ち負けの結果ばかりで
武道精神というものが無い。

200:人間七七四年
07/09/27 21:55:21 O4zRCiti
>198
=゚ω゚) ほとんど隔離スレ状態ですな。何かお国自慢ネタって無いっすかね?

201: ◆26IT/WpOkg
07/09/27 22:03:41 moOfZiUE
>>198
^ё^

202:人間七七四年
07/09/27 22:13:21 lCSUWxNl
>>198
このスレは素人が入り込む余地が余りないけどその分深い考察があって見て楽しむスレ
同じ情報からも観察の視点が違うだけで全く別の結論に達するのが興味深い
ただお国自慢という訳ではないが地元の松浦や竜造寺家の兵について
語ってくれると嬉しい
私の家が龍造寺家兼の子。龍造寺家門に仕えていたと祖父に聞いて
興味は持ったけど一般人には小説以外は難しくて・・・w

203:人間七七四年
07/09/27 22:13:56 lCSUWxNl
>>202のアンカーは>>200

204: ◆26IT/WpOkg
07/09/27 23:13:51 moOfZiUE
>>202
佐賀北には参ったわい
戦国初期の肥前国で、有馬貴純という武将が強かったらしいね。

205:人間七七四年
07/09/28 00:39:06 DW3ACmrD
近代化を推し進め戦国大名の礎を築いただっけ?
だが佐世保から佐賀にかけては未だに気性の荒いわりに意外と統制がとれた地域だから
兵卒としてはそれなりに優秀じゃないのか?


206:白馬青牛
07/09/28 01:09:20 7KDBqoBG
>>199
甲野氏を、根拠ものうて電波云うてものう。
黒田泰治氏に対して国井氏自ら喧嘩売り、自ら矛を収めたんじゃろう。
大気拳の澤井氏に対しても、避けられたんか。中国拳法の北派武術に対し
国井氏が対応出来るか未知数じゃけんのう。
青木宏之氏の影響の受けた師範は、江上茂氏という、藤田西湖氏と同じく、
陸軍中野学校の教官じゃったそうじゃ。
青木氏は、江上茂氏の陸軍中野学校のエピソードで、「陸軍中野学校で
尾行練習をしていると、人込みの中で相手がふいと消えてしまうことが
ある。うろたえているうちに逆に後ろからぽんと肩を叩かれて
「おい、どうした」などと言われる。相手は尾行しているこちらの気を
完全に読み取っていたのである。相手のテレパシーを感知すれば、誰かが
後ろから攻撃してもわかるのではないかというのが(江上)先生の結論
だった。それで私は後方から木刀で打ちかかってくるのをよける練習を
した。」と、云われる。青木氏が神秘主義に傾倒し武術家ではないと
批判したいようじゃのう。甲野氏の批判も。あんたあ国井信者じゃわい。

207:白馬青牛
07/09/28 01:40:22 7KDBqoBG
>>199
まあ、大陸打通作戦にて、広島第39師団で編成された桜挺進隊兵士は、
陸軍中野学校流の潜行術を学んで出撃したが、陸軍中野学校出身者よりも、
広島39D出身の兵士の方が、勇敢さ、戦闘勘、歴戦によって神経も
研ぎ澄まされとった。さすが歴戦将兵であるが、これはお国自慢板の
ネタじゃったわい。
>>202
騎馬民族説の江上波夫氏も、龍造寺隆信の次男家種の子孫、
肥後細川家の家臣となった系統じゃそうな。
>>205
大村聯隊。久留米師団の中でも勇猛じゃった。

208:人間七七四年
07/09/28 02:32:32 0iMyaa5q
>202
=゚ω゚) 佐賀といえば葉隠と餅すすり。どちらも命がけじゃのう。
以前TVチャンピョンで佐賀のオッちゃんが餅つき王に出ていた。
その時「戦国時代に急いで出陣する際餅をすすったのが発祥」とか言ってた気がしたけど
どうなんでっしゃろ?
小説と言えば龍造寺の化け猫が鍋島家に祟ったとか・・・うっ、こんな事ばかり先に思い浮かんでしまう

>206
=゚ω゚) お前さんだんだん自分の意見がオカルト化してきてる事に気が付かない?
字面ばかり追いかけるあまり、もう魔境に片足突っこんじゃってるよ。

>相手は尾行しているこちらの気を完全に読み取っていたのである。相手のテレパシーを感知すれば、
>誰かが後ろから攻撃してもわかるのではないかというのが(江上)先生の結論だった。

=゚ω゚) はいはい。以心伝心術ね。
国井さんは筑波の修行時代に身につけてるよ。ごくろうさん。

>青木氏が神秘主義に傾倒し武術家ではないと批判したいようじゃのう。
=゚ω゚) オイラはちゃんと「修行者」と言ったはずだが?

209:白馬青牛
07/09/28 22:26:09 7KDBqoBG
>>208
わしがカルト化?国井信者の魔境に埋没しとるあんた方じゃろう。
文字面で解釈しとるんものう。以心伝心術も身につけた結果、
国井氏ご自身が勝てん相手を見抜いた云うことか。青木氏について
曖昧な質問したんはワレど。ほいで「修行者」云う抽象的な言葉で
返して来るわい。まあ、武術家は、カルト新興宗教に嵌まり易い。
植芝盛平氏が大本教信者となったように。武芸者、芸能人などの芸人は、
そういう傾向にあるんじゃないか。
>>207の補足として、肥前でも佐賀は久留米聯隊。

210:白馬青牛
07/09/28 23:11:47 7KDBqoBG
話題を兵卒に戻して、織田軍団の前線精強部隊の美濃兵であるが、
URLリンク(homepage2.nifty.com)
信長に敵対した門徒側の美濃兵について書かれとる。
5.西濃地区の特異性
 「美濃の国は西部の西濃から富山へ抜ける地帯は、戦国時代には
山賊が出没する無法地帯だったという。」「雑賀衆はもともとこの地から
の出稼ぎ者から構成されていたという。険しい山岳地帯をかけめぐることに
子供の頃から馴れていたからであろう。この伝説は第二次大戦まで生きて
いた。岐阜県下の1市5郡は福井県の敦賀の第9師団に属し、歩兵を主体と
する軍隊で、日本最強の軍隊とされていたことにつながっている。」
敦賀は聯隊はあっても師団はない。北陸兵の精強金沢第9師団のこと。
敦賀聯隊も日露戦争の旅順攻略戦で感状を授与された精鋭であるが、
岐阜県は名古屋師団の岐阜聯隊と共に福井県の聯隊にも属し活躍した。
北陸と美濃が縁が深いんは三河も含め共に古代新羅系が多かったせいか
のう。美濃や三河も傀儡子の産地であったことも無視出来ん。
じゃが、広島師団を無視して、日本最強はいただけん。確かに北陸、美濃
山岳兵も強いが。

211:白馬青牛
07/09/29 00:06:01 OiADAYLz
 日本最強師団で検索した処、弘前の石井果物店さんが出てきた。
URLリンク(www.rakuten.co.jp)
「廃藩置県で廃れる一方の弘前でしたが、それを救ったのが後に熊本師団、
広島師団と並び国内最強師団と言われた弘前第八師団」じゃと。
「当店も、もともとは軍隊御用達の果物屋でありました」と、伝統がある。
広島師団と並ばれても困るが、日本3強を自負する弘前師団は、顔も
前スレで高い評価をしよったのう。関東地方の兵団に属した伊藤桂一氏も
東北兵、弘前師団ファンじゃし、地元兵団が駄目な関東兵団は東日本代表
として弘前師団フアンがえっと(多い)いうことか。
まあ、弘前師団は実績は乏しいが訓練、演習じゃあ強かったようじゃ。
今まで弘前師団の黒溝台会戦に広島師団の活躍を無視する東北マンセーの
主張が目立ったが、ここの果物屋さん家は、武勲、実績の広島師団に、
軍の人の評価が先々代あたりから伝えられたんじゃろうか?
じゃが広島師団は、仙台や弘前の師団と縁が深いわい。
戦国時代なら、越後の上杉、福島の伊達(仙台師団)対
出羽の最上、他に津軽など小勢力(弘前師団)か。どっちが強いんかのう?

212:白馬青牛
07/09/29 00:23:11 OiADAYLz
>>211は福島、磐城の葦名その他じゃった。伊達は元来山形で、
福島との混成で、後に宮城仙台要素もあり、仙台師団か弘前師団か
識別しにくい。

213: ◆26IT/WpOkg
07/09/29 01:01:54 sjzE6pFE
>usi
つーか師団話になってる件w

214:人間七七四年
07/09/29 02:07:00 ozMZJ0iO
>地元兵団が駄目な関東兵団

=゚ω゚) 世界最強のアメリカ海兵隊相手に最後の最後まで
闘い抜いたんだからそーでもなかろう。敵の大将もがばいたまげちょるばい。

「ペリリュー島の防備に打ち克つには、米国の歴史における最高の戦闘損害比率(約40%)を
甘受しなければならなかった。(米軍第1海兵師団が全滅)
既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出して
この島を占領したことは、今もって疑問である」
(アメリカ太平洋艦隊司令官ニミッツ提督著『太平洋海戦史』)

≪諸国から訪れる旅人達よ この島を守るために日本軍人が いかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ≫

>青木氏について曖昧な質問したんはワレど。
=゚ω゚) ははは、オイラが牛君に青木先生や黒田さんの質問した??まさかw
ネットや本で探すより直接関係者に聞いた方が早いよ。

>213
=゚ω゚) うっ・・・しまった。牛の策に嵌ってしまった!

215: ◆26IT/WpOkg
07/09/29 03:04:57 sjzE6pFE
>210で織田の話を書くのかと思ったら、やっぱり広島師団になった事について・・・だよw
師団何たらの兵隊さんと、一応は戦士の武士とじゃ全く違うだろうにね。

216:人間七七四年
07/09/29 04:02:31 tOYOIj/P
usiという男は、いろいろ言ってても、
最後は鎧袖一触、
「朝鮮人の戦闘力は随一」
となるのだから、
何が結論なのかはアホみたいに瞭然。
よーやっとるわ

217:人間七七四年
07/09/29 11:05:39 ozMZJ0iO
>215
=゚ω゚) 西濃から富山へ抜ける地帯の山賊と言うと山伏、ワッハ(乱波)の類かな?
火薬ならたしか月山が最上級品。続いて北陸、安芸とかが上物として続いたと思う(記憶書きだが)
生産量が多いのは関東だが品質は下物だったと思う。

傭兵諜報員(乱波働き)兼鉄砲部隊として織田~斎藤氏の間を行き来してたのが
前野・蜂須賀・稲田・坪内氏ら木曾川の川並衆。水運、境界線の者達だな。
織田の鉄砲同心だった坪内氏は加賀富樫の系統だと言う、
徳川軍相手に馬上から鉄砲を撃ち放って味方を援護したとか。
他に川並衆の河田家からは弓の名手が出たらすい。

218:人間七七四年
07/09/29 18:51:35 1IvdtViT
小野田小尉(中野学校)>>>>越えられない根性の壁>>>>>ピカ師団

219:人間七七四年
07/09/30 16:21:51 /lfR1gNs
褒章>>>勲章

220:人間七七四年
07/09/30 18:48:08 TB3OlZjg
>>215
そりゃしょうがないよ。全陸軍が広島師団並みに強かったら今頃アメリカは日本の属州だったのに。
牛が悔しがるのも無理はない。そう思えるほど最強広島師団。
開戦劈頭マレーで英軍を屠ったのも、中国大陸三千キロを打通したのもみなこれ広島師団の戦功だ。
他の部隊はその後をぞろぞろ物見遊山をしていたに過ぎない。
大本営の判断ミスでガダルカナルやレイテやインパールに広島師団が投入されなかったのは千載の悔いを遺す。
ガ島に惰弱仙台師団の代わりに広島師団が出向いていたら、マリンコどもは海に逆落としである。
レイテに虚弱東京師団の代わりに広島師団が出向いていたら、マッカーサーはまたまた「アイ・シャル・リターン」と叫ばなければ
ならなかった。
ビルマに口ばっかり久留米師団の代わりに広島師団が出向いていたら、米式中国軍は永久にビルマ国境を越えられなかった
だろう。また、無能北関東師団の代わりにチンドウィン川を越えていたらデリーの赤い壁に日章旗が翻っていただろう。
どれもこれも、広島師団を後生大事に温存してきた大本営の無能のせいである。

221:白馬青牛
07/10/01 00:06:42 x4fBThI4
>>213-215
戦国と近代郷土兵団の類似は、『陰徳太平記』に「畿内や東国では、
一城を攻め落とせば、五ヶ所や十ヶ所もつぎつぎ没落する。
東国武士は、長期城を守りぬくことは難しく、久しくこらえることが
できぬ。中国勢は、少勢で城を守り、小をもって対陣すること、何百日、
何千日経るとも、士気衰え引くことはない。」
これが、中国地方マンセーのホラ話じゃないんは、近代広島兵団が証明し、
兵の気質として戦国時代から近代まで受け継がれとる。
>>214
ペリリュウ島は、緒戦の水際作戦で米軍を叩き、戦闘主導権が取れ優位に
闘うことが出来たんと、洞窟の自然要塞も米軍を手こずらせたわけで、
他の米軍を上陸させて戦闘し短期で玉砕した部隊より強かったわけでも
なく、何れにしろ、ペリリュウ島も負け戦さじゃ。
武勲のない関東兵団が負け戦さのペリリュウ島戦のみ誇るんも哀れなのう。
あんた青木氏や黒田氏側の関係者に聞いたことがあるんか?
国井氏の実力も道場以外未知数じゃに。

222: ◆26IT/WpOkg
07/10/01 00:41:14 8DPZECnI
>>217=゚ω゚)
武田家の軍役だと、鉄砲は上手の射手を集め、一挺に玉薬300放とあるな。
>>220
そこまで書くとアンチ広島w
広島の何とか連隊がノモンハンで全滅というぞ。
>>221
何千日ってw

223:白馬青牛
07/10/01 00:56:56 x4fBThI4
>>216
朝鮮人の戦闘力は、対モンゴル戦日本戦(文禄・慶長)で国が崩壊しても
士気衰えん兵の強さ、ベトナム戦争も勇猛振りを発揮したが、随一と
云うたことはないでえ。
>>218
現地民の食糧を強奪し、部下を犠牲にして生き残った小野田氏を崇拝する、
小野田信者が日本史板の小野田スレから来たんか。わしの書き込みが
気に入らんかったんか?小野田氏の個人崇拝は北朝鮮の独裁者崇拝や
顔の国井氏崇拝とどこが違うんか?
ほいで、ピカ師団たァ何なら。わりゃ、前線で血みどろの戦いを繰り返した
広島師団を馬鹿にしゃあがって。前線を恐れる陸軍中野学校卒の連中と
較べられる自体、不愉快なことじゃ。
>>220
広島第39師団は、大陸打通の侵攻作戦に参加しとらんよ。広島第39師団
から、陸軍中野学校出身者と共に特殊部隊の桜挺進隊が参加したけど。
広島第39師団は、宜昌防御戦の死闘じゃった。

224:白馬青牛
07/10/01 01:31:15 x4fBThI4
>>220
続き。広島第39師団参謀長草野ニ郎大佐は、第11軍司令部に出頭し、
第11軍作戦参謀島貫大佐(後、防衛庁戦史室長)師団の状況を説明した。
「敵軍は第39師団の警備する襄西地区を突破すれば、あとは武漢に
殺到するのみ。師団はそういうことのないよう、各地区の精強を信頼して、
頑張る自信は持っている。しかし軍としては、もし、第39師団が玉砕した
場合でも、二段構えというものを考えておられるでしょうな」
「玉砕は困る。それまで心配していたら作戦はできぬ。ただ貴師団の精強に
信頼をかけ、運を天に任せて、軍の方針を断行するだけだ。」等のやりとり
があった。ほいで広島部隊が異例の連続感状に繋がるわけじゃ。
もし、大陸打通作戦が無かったら、予定通り名古屋第3師団、
仙台第13師団は南方に派遣され、広島第39師団は大本営予備として
上海に集結する予定で、大本営も広島師団を重視しとったとも云えるが。
>>222
ノモンハンの第71聯隊のことか。ノモンハンの後半は全国から兵を
集めた混成化されたよ。

225:774RR
07/10/01 11:22:23 5wT9bMfO
真田鉄砲隊と村上水軍

226:人間七七四年
07/10/01 20:33:47 ejJIHWu+
>>220
=゚ω゚) すっ・・・スゴイ。2スレ半かかって牛がほざいてる事をわずか1レスで言い放つとは!
我々以上の牛マニアとお見受けイタしますた

>221
>あんた青木氏や黒田氏側の関係者に聞いたことがあるんか?
=゚ω゚) 電波本よりは遥かにマシな情報は知っているとだけ言っておこう。

>国井氏の実力も道場以外未知数じゃに。
=゚ω゚) 藻前、全然調べて無いじゃん。
國井師範はふつうに野試合や街頭でゴロツキを叩き伏せたのは日常茶飯事だよ。
ふつう森田雅なんて弟子に取らんだろw
森田雅の鹿島神流が何度も修羅場を脱するのに役立ったのは安藤組長の証言が有ったな。
その辺に関しては社会復帰された方々が存命中なのであまり言えない。
昔は國井、高松、上野といった実戦派の師範がゴロゴロ居た。

他にもウソかホントか米軍主催の格闘大会に飛び入り参加してレスラーを殴り倒したら
周りの米兵が拳銃を抜いたので隠し持った短刀を抜いて睨み付けたらそれを見た兵士は
たまげて逃げていったと言う伝説も有る。

ところで逆にお前さんにもう一度聞くが、真剣着装の米軍の銃剣教官相手に傷もつけず、自分もケガせず
竹刀一本で「日本武道は不殺の武道です」とGHQを納得させる事ができるのか?
真槍銃剣相手にそれができたらお前さんの言い分を認めてやる。できないヤツに言う権利は無い。
國井はその難題を見事に実現した。これは事実である事に変わりはない。

227:人間七七四年
07/10/01 21:18:52 rvJQD0YG
アッツ島も山梨の連隊だったな

228:人間七七四年
07/10/01 21:27:24 17NrFoWR
>>226=゚ω゚)
その人は時たま出てくる広島厨だな。

229:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/10/01 23:25:34 +8wXn3qO
なんだこの流れ。

230:人間七七四年
07/10/01 23:48:15 ejJIHWu+
>他の米軍を上陸させて戦闘し短期で玉砕した部隊より強かったわけでもなく

=゚ω゚) んーなワケ無かろう。
兵力14倍、航空機200倍、戦車100倍、重火砲1000倍
制空権も制海権も無く補給を絶たれ、食糧もない中で73日間戦闘が続き
自軍より多い被害を米軍に与え、米軍史上最大の犠牲者数を記録させた。
以来米軍はペリリュー島を『天皇の島』と呼ぶと言う。尊皇攘夷じゃのう。

>洞窟の自然要塞も米軍を手こずらせたわけで
=゚ω゚) 五百数十の地下壕と水府山の坑道は人力で拡張され整備されたものだよ
これを参考にしたのが栗林中将の硫黄島だ。

>>222
=゚ω゚) 夏場はやっぱり沼尻で花火w
一挺に玉薬300放とは弾丸300個と言う事なのじゃろうか?
早合での速射が一分間に3,4発。 20連射ほどで熱で硫黄が溶け弾が入りにくくなるので
径の小さい「劣り玉」を使うと有る。意外とめんどくさい。
でも天保年間の記録では朝7時から夕方5時までの間に数撃ち2000発と有るので
意外と撃てたようだ。

ただ、雑兵物語とかを読むと玉箱持ちの雑兵は足軽衆が無駄玉を撃つのを
ものすごく嫌がっているのを見ると、ちょっと萌える。

231:白馬青牛
07/10/02 01:19:56 J10amhz8
>>226
国井氏に都合が悪いと一方的に電波本を決め付け、マシな情報とやらも
云わん。街頭のゴロツキじゃあ個人の差があるし、森田雅氏は、国井氏の
直接の弟子でなく、国井氏の弟子である橋本鎮之助氏に学んだわけじゃ。
北条氏の侍大将安藤式部の末とされる安藤昇氏は、武田氏家臣の末、
ご母堂は長州の吉田松陰縁者の花形敬氏の方を武闘派として評価されたん
じゃないか。安藤氏は「渋谷で酔った花形が森田にからんで口を挟んだ
沖野を花形が投げ飛ばし、止めに入った森田の頬を打った。森田は我慢
した。鹿島神流、日本刀を持ち出せば、血の修羅場は必至だったろう。」
と、云われたが、森田雅氏自身も花形敬氏に一目置いておられた。
花形氏と力道山氏のガンの付け合いで力道山は退散たことや、力道山は
絡んで来た安藤組幹部の一人に怒り花形氏にお伺いを立てたこともあった。
「敬さん、俺とこの男が喧嘩したら、どっちの味方につくんだい」
花形が、「どっちにもつかないよ」と答えた瞬間力道山の頭突きが炸裂し、
男は一発でフロアにのびた。
一方森田氏は、力道山が格闘技のプロなら、こっちは喧嘩のプロだ。
と、カバンの中に武器を忍ばせ路上でにらみ合いの対決で力道山の
方が逃げたようじゃ。伝説としては花形氏の方が知られとる云うか
安藤組幹部の中でも突出しとったんじゃないか。


232:白馬青牛
07/10/02 02:04:31 J10amhz8
>>226
何回も国井氏を美化しとるが、道場と場所が違うと藤田西湖氏の同様
恥を掻いたか解らんし、戦場へ出たら烏合の衆の一人になるかも知れん。
道場自慢は何の足しにもならん。国井信者はカルトじゃのう。
>>230
ワケない云うても、宇都宮14Dの大陸の武勲云うて何なら?
関東軍の中でも戦闘実績もない弱い師団じゃないか。水際作戦で緒戦で
優位に立ったこと、洞窟は自然要塞じゃし、人工的な構築陣地はやられ
とるで。だいたい、硫黄島の109Dは混成部隊じゃったが健闘しとるよ。
混成部隊は日本の雑軍と中国軍にも嘗められたが、どこの師団でも、
弱兵関東兵すら、戦闘主導権と地の利があれば健闘出来る。
しかも最後は負け戦で、健闘しょうが、短期で玉砕しょうが負け戦で、
負け戦を誇るんは負け犬奴隷根性甚だしい。


233:人間七七四年
07/10/03 00:22:00 a1iiYTb8
>231
=゚ω゚) ほう、これは面白い。何という本じゃ?電波本読むくらいならこれを読んだ方がマシだろう。
電波本と言うのはだな。『日本人は明治以前は走れませんでした』とか言ったり
創作武道を古武道と名乗ったり。昔の剣豪は○○の法を学んだのでスゴイ奇跡が起こせたとか
カルト宗教まがいの妄想を飛ばす本の事じゃ。

>道場自慢は何の足しにもならん。
=゚ω゚) 相変わらず空想ファンタジーが好きじゃのう。
なら平時の訓練は全部無駄という事じゃのう。ご苦労な話じゃわい。
どこで訓練しようが基礎訓練は同じだべ。基礎が無ければ応用は効かない。これ常識。
規律も満足にできん軍は有事の役にはたたんべよ。

もう一度聞くが、真剣着装の米軍の銃剣教官相手に傷もつけず、自分もケガせず
竹刀一本で「日本武道は不殺の武道です」とGHQを納得させる事ができるのか???
言うてみい。

234:人間七七四年
07/10/03 13:57:53 7i7dSdj0
>>222
> 広島の何とか連隊がノモンハンで全滅というぞ。

それは、全てあなたの思い込みです。

>>230
宇都宮師団でさえ米軍をてこづらせた、ということであればペリリューに広島師団が配置されていたら米軍は皆殺しになっていた
だろう。下手をすると73日間どころか終戦まで持久できていたに違いない。
広島師団と宇都宮師団では、ヤンキースと楽天イーグルスくらい力の差がある。もしくはサッカーのブラジル代表と日本代表
くらい差がある。

235:人間七七四年
07/10/03 19:04:00 Ajr92CtK
あいつらはチキンだから南方行かないじゃん

236: ◆26IT/WpOkg
07/10/03 19:56:13 I6jGg2RO
『田植草紙』の故郷、新庄の中国大会出場を祝して(^w^)

坂東殿ばらは弓は上手なるもの
空立つ鳥を射て落といたり
さても上手や空飛ぶ鶴を落といた
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は
さても射たのふ見事や弓の姿は

坂東武者は弓の上手、空かける鳥を射落とすそうだ。
え、落したのは鶴だろうなんて冗談は無し。ほんと素晴らしいんだから。
(新日本古典文学大系)

237:人間七七四年
07/10/04 05:43:11 dB3mVmNa
> 朝鮮人の戦闘力は、対モンゴル戦日本戦(文禄・慶長)で国が崩壊しても
> 士気衰えん兵の強さ、ベトナム戦争も勇猛振りを発揮したが、随一と
> 云うたことはないでえ

この一言で素性がわかるし、
こいつが首尾一貫して主張しているのがこれ。
結局、
>>220
のような指摘がさらす矛盾は初めから計画的。
見え見えの工作だよ。


238: ◆26IT/WpOkg
07/10/04 07:38:50 mo5ljm4t
天正13年(1585) 信玄兵法の聞き取り
石原、孕石、広瀬、横瀬、西郷、曲渕、菅沼、辻⇒井伊万千代。

関西武士と関東武士が同数で戦った場合、大将の采配にもよるが、関西勢は五度に四度は負け戦になる例は、
信玄の時代より何度もあったと聞いている。
だが関東武士も剛勇ばかりではない。
関西武士も弱いものばかりではない。
第一に備えが入念でなく、物見を大事にせず、物見武者として選ばず、日頃物見の教育をせず、物見は誰でもできるものと考えている、
心無き者もいるであろう。
関西武士は物見に出ても敵情を、確り把握せず、敵を侮り高言を吐き、兵を預けても合戦になると、采配を振ること無く、
兵を残し一人抜け駆けをするのが手柄と思っており、一番槍を心がけるものである。
名将は一、二を捨て、三四をもって、勝つようにするには、敵の先陣を切り崩せば勝利を得ると心得、二、三の備えを切り崩し、
負け戦にするものである。
しかしながら年寄りも人によりけりで、戦場で預けられた人数の兵を、采配で巧みに操り、兵法に通じていると万人が認めるものなれば、
高知行で召抱えなされ。
そのような巧者の申すことなら、家中(井伊家)の若侍も納得するでござろう。
戦場で年寄りは、若侍と一番槍の巧妙を競うのは無理だが、城の留守居、国境の砦の守備を申し付ければ、敵より合戦の場数を踏んだ武功者なれば、
敵も早急には攻めてかからぬでござろう。
その時分信玄は近隣諸国の武将から、恐れられた大将であったが、諸国の高名で没落した武将の巧者な浪人を召し抱え合戦の話をさせ、
悪しきは捨て良きは採ることを、心がけたが、合戦には入念に準備してかからねば、勝ち戦は望めぬ、と信玄は常々申された。
(合戦騒動事典)

239:白馬青牛
07/10/05 00:46:18 mFri2ORj
>>233
『愚連隊伝説』(洋泉社)、『自伝 安藤昇』(ぶんか社)
『修羅場の人間学』(祥伝社)の引用じゃ。
『愚連隊伝説』の森田雅氏と、新宿の銀行家のご子息で、グレン隊の帝王
加納貢氏の対談も面白かったのう。
鹿島神流を学び武闘派の森田氏が「加納さんの強さはだれでも知って
いますが、でも優しさの方が目立っちゃう。(加納氏が)小さな石粒を
ツバメにぶっつけたらみんな当っちゃって、フラフラ落ちてくるけど、
地面スレスレのあたりで蘇ってまたスーッと飛んで行くの。
(ひえー、佐々木小次郎だ!)ってビックリして俺もマネしてやって
みたけど、全然当んない。すると加納さんが、「おい、もうちょっと
小さい石にしろよ。万一当ったらツバメが死んじゃうよ」って。ああ、
これが加納さんだなって感じですよ。」と。
ほいで、甲野氏を余程嫌うとるのう。平時の訓練が全て無駄じゃ
云うとらんど。訓練と実戦はまた違う云うことよ。
規律も満足に出来ん軍云うて、軍紀厳正の広島師団と違い、関東兵団の
ことか?いや、熊本兵団も夜に初年兵に酒を持ってこさせたりしたけん
のう。広島師団じゃあ処罰の対象になるわい。
国井氏の美化を繰り返すが、道場と違い戦場じゃあ未知数で、
しかも戦場じゃあ相手を傷つけず、竹刀で押さえるんは困難になるのう。

240:人間七七四年
07/10/05 01:34:43 qpZc+0Bs
=゚ω゚) 信玄の物見武者に対する判断力はスゴス。

(永禄4年信州川中島合戦) 
日出で霧ことごとく消えければ輝虎13000の軍勢にて近々と備えたり。
対する信玄公8000。たとえ勝ったとしても討死あまたこれ有るべしと武田の各々は思った。

信玄公は信州の先方、浦野という弓矢巧者の侍を物見に出す。
浦野帰って言うには「輝虎のき候(退き候かな?)」と申し上げる。
信玄「謙信が川を越え、この場で引き揚げるワケがないじゃろ。どのような様子で退いた?」と聞く
浦野「謙信は我が陣を廻りてたてきり、幾度もかくの如く候て犀川の方におもむき候。」
信玄「浦野とも思えぬカバチじゃのう。そりゃあんた車掛言うて、いく巡りめに旗本同士をぶつけ合わせて
   一戦する時の軍法じゃあないかね。謙信は今日を限りと見えたりじゃけんのう。」
そう言って備えを立て直し給う。(「甲陽軍鑑」牛語適当訳。)

>239『愚連隊伝説』(洋泉社)、『自伝 安藤昇』(ぶんか社)『修羅場の人間学』(祥伝社)の引用じゃ。
=゚ω゚) おうサンキュ。今度探してみるわい。
修羅場の人間学と聞いて杉作J太郎を思い出すヤツはそうとうの歳じゃな。

>戦場じゃあ相手を傷つけず、竹刀で押さえるんは困難になるのう。
=゚ω゚) お前さんの脳味噌には竹刀で真槍銃剣押さえられるほどの人が銃剣使ったら
どれほどの事になるかと言う概念がスッポリ抜け落ちとるのう。

241:白馬青牛
07/10/05 01:56:17 mFri2ORj
>>234
ノモンハンでの壊滅は、第23師団だけじゃのうて、旭川第7師団の
第26聯隊、第28聯隊も壊滅しとる。ロシアの資料では、ソ連軍の
損害も戦死・戦傷・行方不明者も含め2万4千になり、日本側の
1万9千人弱より多いことになるが、実際は日本側ももっと損害は
多かったろう。日本側の幸運な生存者は「敗北でも引き分けでもない。
相撃ちだ。」と云われ。ソ連軍指揮官のジューコフもソ連国防相時、西側の
記者に「ノモンハンは苦しい戦闘であった」と云う。
白兵戦じゃあ日本軍の圧勝で、ソ連側が劣等感を持ったのに、歩兵を
引っ込めて重砲戦と云う兵器の差が出る戦闘でしっぺ返しを喰らうた。
第23師団は、第64聯隊は熊本師団の兵、第72聯隊は久留米師団の兵、
第71聯隊は、広島師団、(歩兵第一大隊は福山、第二は浜田、第三は、
山口、砲兵は広島)で編成されたが、第71聯隊の戦死者数から見ても、
広島、山口、島根、鹿児島、東京、大阪、北海道、秋田、山形、愛知、
栃木等、全国の兵が含まれる。鹿児島第71聯隊史に、「緒戦の勝利、
白銀査千南の戦闘に参加した将兵(広島師団将兵)は、その後補充された
兵隊(関東軍諸隊兵)より勇敢であった。諸隊より幹部及び兵を個別に
補充し、直ちに戦闘に参加させたので戦力の低下来たした。」と、ある。
混成部隊化したら、郷土の横の団結が薄れ、戦力が低下するけんのう。

242:白馬青牛
07/10/05 02:20:53 mFri2ORj
>>236-238
他板でも云うたが、狩猟の腕なら生活者として狩りをする、
中国地方の百姓>趣味の狩猟の板東殿じゃ。
関西武士と関東武士が同数で戦闘した実例たァ何なら?
具体的実例ものうて、自分が強いと思い込む関東人は哀れじゃのう。
そういやあ、宇都宮第14師団も戦後になって関東軍最強とぬかしとるが、
関東軍隷下時は、雑魚師団じゃったのに、ペリリュウ島の健闘が語られ、
一躍精強を掲げ、電波を飛ばす処、東国人のホラ吹き伝説は、武田信玄
以来、いや鎌倉政権以来か、甚だしいわい。関東武士が剛勇には
笑うたわい。個人的には関東も剛勇な者もおろうが、全体的には日本の
雑魚兵団に過ぎん。

243: ◆26IT/WpOkg
07/10/05 07:14:31 QaCQHYI4
>>242
usiがデタラメで否定しようが、中世の安芸や石見の百姓が坂東武士の弓射を称えてる事実が『田植草紙』じゃけん。
戦国広島人は京文化と坂東若武者に憧れすぎだなw
>>230
鉄砲玉のことでしょう

244:白馬青牛
07/10/06 01:03:46 TqaDpZWO
>>243
『田植草紙』の編者が、『人国記』的な東国至上主義的先入観を持っとった
云うことじゃ。戦国広島人が、板東に憧れ?
『陰徳太平記』にある城を捨てて逃げる板東人に憧れてどうすんなら。

245: ◆26IT/WpOkg
07/10/06 01:13:55 vQGkMSSi
『人国記』は信州人なんだろ
また苦し紛れの思い付きで(笑)
『陰徳太平記』(笑)
東国人の武名に逃げるは西国の海賊なり(今昔)

246:人間七七四年
07/10/06 02:11:44 x2+0fy0p
冗談で言うが、
usiは朝鮮人でないとしたら、
小森タツクニじゃなかろうかwwwww

それはそれとして、
関東人と関西人を較べた印象としては、
両方を多感な年代に体験したものとしては、
関東=野蛮、血気盛ん、
関西=上品、丸く治める、
という観念がどうしてもあるね。体験的に。
牛は多分ビンゴの山奥のジジイで世間知らずかも試練がwwwww

関東人のほうが勇猛じゃよ、日常的にも。
もっとも、近年はどうかしらんが。

247:人間七七四年
07/10/06 02:17:17 x2+0fy0p
日常、喧嘩の光景を見る確率は、
関西<<<<<<<<<関東じゃね。

まあ、つい最近は知らんが。
それは事実。

しかしつい最近、
関東の某駅のプラットフォームで、
関西人が関西弁で粋がっている。
やっぱり、関東人は関西弁で粋がられると頭に来るようで、
関係ない者まで寄ってきて、
「なんじゃー」
とゆう感じで迫ってたな。

バカな関西人は、テレビマスコミにはやされて、
自分らの言葉がドスのきいた威嚇効果をもたらしていると勘違いしているらしかった。
とんでもない話での。
関西弁は大人しい女言葉。
最近のマスコミの調子乗りで誤認してしまった悲劇が
そのプラットフォームで生じて、
乗客みんな乗って誰もいない空間で、
1対1の格闘で、その関西人、ボコボコにされとったわwwwwwww

248:人間七七四年
07/10/06 02:30:46 x2+0fy0p
昔、大阪におったとき、
街でいざこざにまきこまれたとき、
相手が、
「お前、関東の人間か?」
と、聞いて来よった。
つまり、こっちが、そいつにとって意外に抵抗を見せる者だったからだろうな。
大阪の人間にとって関東人とは、畏怖の対象なんじゃな、と、そのとき思うた。


249: ◆26IT/WpOkg
07/10/06 07:10:49 vQGkMSSi
>>248-246
言葉、訛りからの視点は非常に面白いな。

250:白馬青牛
07/10/09 00:37:15 88taIM7O
>>245
『人国記』じゃあ、東国人は西国の海賊地域に一目置いとるのう。
>>246
まあ全文冗談じゃろうが、わしゃあ朝鮮人、被差別民でも無く、備後に
親戚はおるが安芸の者じゃ。関東より関西の方が気性が荒いが、あんたの
脳内妄想観念論は面白い。「関東=野蛮、血気盛ん。関西=上品、
丸く治める。」は、畿内文化人の受け売りじゃないか。
湯川秀樹氏も「日本では関西が弱くてね。東から北へ行くほど強いん
です。」と、東北最強説を云われる。
実戦の経験もない、福田中尉(司馬遼太郎)氏も、大阪兵の弱さとは、
お上の恐ろしさを知らない弱さです。東北の部隊が強いのは、封建的な
潜在体制や潜在意識が残っていたからです。庄屋、地主のような人が、
実に権威があり、そのまま国家権力の重みを持ってしまう。軍隊という
国家の恐い最深部に入ると庄屋の恐ろしさにおびえる百姓のような
気持ち。」と、半分封建制の強い土地柄の皮肉交じりで、武は野蛮と云う
兵が弱い文化地域を気取る畿内文化人の伝統を継続されとる。
実際、封建制の弱い地域の我が広島部隊は強かったし、逆に封建制の強い
地域の奴隷根性は独立心に乏しく強兵たァ云えんのじゃが。

251:人間七七四年
07/10/09 01:10:26 QlPLJECZ
>>250
そりゃそうだろ。同じ条件なら広島兵より強い部隊は地球上には存在しないんだから。

252: ◆26IT/WpOkg
07/10/09 01:12:43 qYQ6Kr/B
>>250
何だか知らねーけど、『新人国記』で気風を褒めてるのは九州だろ。
江戸・東京に近い南関東人は常に洗練されていったし、言葉の荒っぽさも薄まる罠。
人口も急増したし、田舎者が頑張る近代兵団なんか関係ねーw

三河から日本の涯に至るまでの東の地方では、一般に物言いが荒く鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない。
(『日本大文典』 1608年、宣教師ジョアン・ロドリゲス)

253:白馬青牛
07/10/09 01:13:06 88taIM7O
>>247-248
喧嘩の光景も関西>>>関東じゃろう。関東の殴り合いよのう。ありゃあ
子供の喧嘩レベルを見たわいのう。関西弁云うより大阪言葉が商人言葉、
女言葉で、現在の大阪人は、喧嘩になると隣国の河内弁を使う云うこと
じゃ。司馬遼太郎氏も、大和国北葛城郡の育ちで、河内人との喧嘩で、
毎度討ち負かされ、河内は楠木勢の板東の精兵相手の強さと兼ね合わせて
語っておられる。実際畿内は弱くは無いが、昔文書を残すんは文化人層
じゃけんのう。現代でも、司馬氏を始め、畿内文化人の書物だけが、後世に
残ったら、後世の人間も一般に畿内は弱く、関東や更に東北の方が強いと
後世の人たちは誤認する人も増えるじゃろう。
現在もそうじゃが、戦前全国の兵士が宇品港が出航した広島でも、
関東の兵士が関西の兵士より喧嘩が強い云う話は聞かん。
大阪の者が、関東人を畏怖する云うんも初耳じゃわい。
余程こんなあ(こいつ)、大阪で殴られよったんじゃのう。


254:人間七七四年
07/10/09 01:13:31 /OC+te+n
>249
=゚ω゚) ウチらの方言ではとても早口の関西弁には太刀打ち出来ないだっぴゃ。
もっとも江戸言葉は啖呵が効いてるが。
そういや三河人が「たわけ!」とか)「やったらあ」とか言ってるのを聞くと
時代劇みたいでちょっといいじゃん。じゃんだらりん。

>250
=゚ω゚) 『雑兵物語』でも東国人は西国の海戦能力に一目置いとるのう。

255:白馬青牛
07/10/09 01:28:02 88taIM7O
>>252
また、畿内文化人の、兵は卑しい板東は東夷で言葉も粗野云う概念を、
関東優位に都合よう変換させる。ポルトガルの宣教師も畿内文化人の
概念の写しで云うとるわけじゃ。関東弁の何処が荒いんか?
水戸っぽの言葉を聞いたら普笑うど。戦前、関東の兵隊は広島弁を聞いて
喧嘩言葉と勘違いしたが、関東の言葉も大阪言葉と同様やおいのう。


256: ◆26IT/WpOkg
07/10/09 01:50:21 qYQ6Kr/B
楠木は地元だから強いっていうか、最初のは精兵じゃなく実戦経験を踏んでからだろうな。
関西弁は柔らかい。
usiの広島弁に笑うど。荒くもねーし可笑しいだけw


257:人間七七四年
07/10/09 02:30:36 /OC+te+n
=゚ω゚) うむ。広島弁と言えば菅原文太じゃけんのう。
癒しの関東弁は警視庁御用達だな。
おう牛っころきしょ、いしゃひとごどけっけめだぁちくらっぽいってっけど
ほぉたしょーどもねぇぬるだっけぇごどいってっからでれすけだっちぃんだよ。

〔訳〕
やあ、皆さんごきげんよう。ボクの名前はハックルベリーフィン。
ミシシッピーと間違えて利根川へやってきた。

258:白馬青牛
07/10/10 02:00:55 d0rANwrH
>>256
関東人の観念論は、カルト信者の信仰と同じじゃのう。
河内の精兵は、古墳時代からの伝統よのう。そう云えば、板東武者も
河内源氏に隷属したわい。北関東の「べい」や「だっぺ」荒いんか?
ほいじゃあ、東北弁は北関東以上に荒いんか?
『人国記』よのう。九州じゃあ肥前、日向、薩摩を誉めとるが、
陸奥を「言詞卑劣なれども、勇気は日本に比ぶ所もあるまじ。これにより
無益の死をする者あり。」と、東北が一番勇敢なんじゃげな。
『人国記』を記したんは信濃人説が有力じゃが、信濃を始め東国人は、
東北に武勇で劣等感を持っとったんじゃのう。逆に畿内を根拠ものう、
ボロクソに貶す。東国文化人の強がり偏見は、畿内文化人の武や兵を
卑しむ伝統と共に、現代も受け継がれとるのう。
>>257
映画の『仁義なき戦い』菅原文太氏が主役じゃったけえ、広島弁の印象が
強いんじゃろうが、菅原文太氏は宮城県人じゃわい。
ミシシッピー川と利根川か。米国の西部開拓と日本の東国開拓の象徴的な
川の一つか?米国の西部開拓で、ミズーリ川を西に渉ると無法地帯。
ペコス川以西は法が無い。じゃの西部は荒らしい無法地帯のイメージが
あるが、実際は西部より東部、南部の方が荒々しい地帯じゃったように
米東部人が作った西部劇伝説じゃけんのう。日本も東国開拓で、
東国勇者伝説が出来た云う共通点があるのう。

259:人間七七四年
07/10/10 19:14:57 cf1bByny
=゚ω゚) うむ。南部の映画と言えば国民の創世とミシシッピーバーニングじゃのう。

>河内は楠木勢の板東の精兵相手の強さと兼ね合わせて語っておられる。
=゚ω゚) 「板東の精兵」とは宇都宮氏の事じゃろうか?まともに戦っておらんと思うが。

>北関東の「べい」や「だっぺ」荒いんか?
=゚ω゚) 旗本奴の六方詞でも、いっちょ聞かせて見るべいか。
イキとイナセでおっちょこちょい。義理と人情とやせ我慢。火事と喧嘩は江戸の華
それが江戸っ子の気っ風ってもんだぜ、べらぼうめ。

>菅原文太氏は宮城県人じゃわい。
=゚ω゚) もう広島でいいじゃん。朝日ソーラじゃけんのう。

260:白馬青牛
07/10/11 00:43:58 OksTrUWA
>>259
『国民の創生』とは、サイレント時代でだいぶ古いのう。ミシシッピー
バーニングは最近じゃが、19世紀でも現在でもそうじゃろうが、
米南部の方は気性が荒い。決闘じゃあ相手の眼球や睾丸を切り抜いたり、
南北戦争で北部派と南部派に別れた中東部のケンタッキー等は、
治安判事から商人まで家族同士の反目、虐殺、暗殺で2800人が死んだ
そうな。
司馬氏の「関東の精兵」云うんは解らんし、そもそも関東に精兵が
おったんかいのう。他の板東勢が弱く、宇都宮氏だけ強かったんか?
太平記の楠木正成のリップ・サービスが根拠か?
江戸の六法(六方)、旗本奴云うより町奴の奴詞の「べい」か。
イキとイナセは江戸後期じゃないか。大阪の六法者云うたら
「灘波(白浪)五人男」じゃのう。
菅原文太氏は、「仁義なき戦い」で回を重ねるごと、広島弁云うか
呉の芸南方言が上達されたのう。時代はパーシャルじゃ。

261: ◆26IT/WpOkg
07/10/11 01:44:58 5v7Z0yTL
>>253
殴り合いといえば、関東出身に名王者多し
>>259
じゃ、アンガールズで
>>258
>河内が古墳時代から伝統
なにそれ?w
河内源氏はマヤカシ。下級貴族として京が本拠で、猛き坂東の地盤(緩い関係)が命綱。
河内の地盤は京武者としての必要性から、家人養成所程度のものだろ(=強い支配)。

ズーズー東北弁は歯切れが悪い。東北に武勇で劣等感などない罠。
関東的な荒い「ぶっ○す」とか、「~ろ」、「つっ~」、「~ー」、「~だ」、「じゃん」、「べい」
標準語(=東京語)は近代以降に創られた言葉。
常陸・下野の方言は関東・東北の中間地帯ともいうが、神奈川とか西関東が荒い。
長野でも佐久地方は群馬に近いので、言葉が荒いといわれるそうだ。
近世だと身分の違いによる言葉の差があったというし、江戸でも高級武士と野卑な一般町人とで違う。
今に残る西関東のも中世の武士が使ったそれとは違うかもしれんな。
>>260
つか悪党厨の太平記でも、騎馬で強い坂東武者は描かれてるし。
広島の精兵は水軍以外で聞いた事ないな。近代兵団は武士のようなプロの戦士じゃないだろ。

262:人間七七四年
07/10/11 19:21:49 AFkS6EMm
>殴り合いといえば、関東出身に名王者多し
=゚ω゚) ガッツ!ガッツ!ビバガッツ!伝説の男~♪だが自伝映画では「どついたるねん」に負けてるか
しかし芸人としては宮城のたこ八郎を越えたとオイラは分析しちょる。
やはりカコ良さでは白井義男じゃのう。

>他の板東勢が弱く、宇都宮氏だけ強かったんか?
=゚ω゚) 宇都宮氏は鎌倉北条家の治安維持部隊だよ。関東、東北のみならず全国の
悪党退治に出動している精鋭部隊じゃったな。

>時代はパーシャルじゃ。
=゚ω゚) むむっ!!3スレ目にして初の敗北感!牛恐るべし!

263: ◆26IT/WpOkg
07/10/11 22:27:28 5v7Z0yTL
今日はT豚Sでレスリング中継があったとさ
ガッツはRデュランと戦ったのが凄いな

264:白馬青牛
07/10/11 23:59:54 OksTrUWA
>>261
関東人の一般的レベルを云うたんじゃが、ボクサーになっとる。
関東の名王者云うたら、加納貢氏や花形敬氏などの実戦に強い喧嘩の
プロを挙げるんか思うたわい。
アンガールズは標準語じゃないか。
河内の史氏ら馬飼いや大和の東漢氏は弓馬の家柄で、板東のセミプロや
徴発された奴隷兵たァ違う。『人国記』じゃあ東北の武勇に劣等感を
持っとるのう。陸奥>越後>板東諸国じゃ。関東で歯切れがええ言葉は
江戸下町言葉ぐらいじゃろう。英国のロンドン、イーストエンドの
コクニーに相当するかどうか。まあ関東は女々しい言葉を使うけんのう。
板東武者は、米国の西部劇と同じ東国勇者物語に過ぎんよ。強かった根拠も
ない。広島県の精兵は水軍?まあ、当時の水軍の戦闘は、大陸の大型船の
船自体の戦闘と違い、白兵主義の要素が強いのう。
近代兵団は武士のようなプロじゃない?大爆笑じゃ。笑いが止まらんわい。
上層武士は、農場経営者で商人の性質が強い云うんなら解るが。
西日本の兵卒は職能傭兵集団の側面は強いが、東国の兵卒は徴発された奴隷
じゃないか。民俗学者の千葉徳爾氏は、武士の心の伝統精神は、「家禄に
依存した」武士より、「常に生きた野性生物と闘って生計を立てて来た
漁夫や猟人たちの間こそ、むしろ強く受けつがれて来た」と、される。
まあ、身分的に武士になるんは、堕落する一形態じゃろう。

265: ◆26IT/WpOkg
07/10/12 00:37:11 Y1qaCjjU
>>264
>河内の史氏ら馬飼いや大和の東漢氏は弓馬の家柄
また南朝鮮系の渡来人か。結局それしかないのね。
河内や大和の極少馬牧で細々と・・・、蘇我氏や物部氏の家来同然の漢氏。
>女々しい
標準語が身に染み付いてるから。田舎の方言丸出しからすればそうだろう。
歯切れは相模。
>>67の東カラスとか
江戸初期の例で、坂東言葉は喧嘩のように聞こえたというぞ。
>職能傭兵集団、奴隷
意味不明
>野性生物と闘って
穢れを怖れぬ狩猟人の東国武者や九州武者の事だな。
現代人でも近畿地方は墓を忌んだり。

新人国記と人国記の内容は似通ってるんだろ。だとすれば越後>坂東とは読めない。
著者が信濃人だから、信濃を一番に挙げてるってことか。
新人国記じゃ近畿や山陰方面は散々に書かれてるだろうにw
その文だと千葉氏は近世武士を意識してるとしか思えないが。

266:白馬青牛
07/10/12 00:45:01 lsNScILl
>>262
宇都宮氏の全国悪党退治云うて、行った諸国の一覧表は?
初の敗北感?何じゃそりゃあ。
>>261の近代兵団でも、指揮官クラスじゃあ、戦国時代を笑えんほど
じゃった。後方部で戦闘の責任を前線に押し付ける司令官、小勢を率い
大軍相手にどうにもならんのに、自分の死に花を咲かそうと、一人で
死ぬのが淋しいせいか、部下に自分と共に死んで呉れと頼む自分に酔う
指揮官等、軍や兵卒を自分の所有物とカン違いしとるセンスは近代じゃ
ないのう。西洋でも近代以前の封建時代は、封建領主にとって兵は
所有物で、アンスバッハ辺疆伯、カール・アレクサンダーは、
パリの女優クレーロンや、クレイヴァン夫人に夢中となって、
国庫を空にして自分の軍隊をイギリスに売り飛ばしたが、
自領の人間を売り飛ばして何が悪い。封建領主として当然の権利じゃ。
と云うわけで、ドイツの小国の国家及び人民は支配者の私有財産で
あるという例証であるが。西洋もフランス革命以前の後進地帯の
ドイツやロシア等の東欧は、そがいなもんじゃ。
日本も特に封建制の強い、後進地帯の東日本なんか、同じような領主の
私有物の奴隷兵じゃろう。

267: ◆26IT/WpOkg
07/10/12 00:54:39 Y1qaCjjU
まあ田植草紙の故郷である中国山地なども、畿内や尾張のような先進地じゃないけどなw
そこに存在したのは豪農(地侍)と零細農民だろ。

268:白馬青牛
07/10/12 22:30:46 lsNScILl
>>265
東漢氏は、新沢千塚古墳から鮮卑的要素もあり、南朝鮮の伽耶地方の
渡来だけで人口を増やせるわけあるまい。
河内の牧でも、東国の牧でも遊牧するだけの土地はない。蘇我氏も
百済人説や坂口安吾氏も高句麗説もあるのう。『日本書記』は、
後世書かれた文学書じゃが、まあギリシャでも歴史は文学から始まるので
歴史文献等は、作家が歴史小説を書くんと大差ない。当時の蘇我氏が
豪族か天皇じゃったかどうかまで解らん。
相模弁?そもそも関東の「つっ~」「~だ」のどこが荒いんか?
畿内文化人が野卑な言葉と考えただけで、近代広島へ来た関東兵の言葉が
女々しいと馬鹿にされたんものう、逆に関東人は、普通の広島弁に喧嘩か、
かん違いしょったぐらいじゃ。
西日本の職能技術集団と東国の徴発された奴隷兵は違う。
穢れの概念は、動物食を常用するモンゴルでも、動物解体んの時、大地に
血を流したら穢れる、とあるんじゃが。狩猟民要素なら畿内>関東
じゃろう。関東人は、シジミ汁の汁を飲んでもケチくさいじゃ考え、
シジミの身を食べん馬鹿がおる。命を取った生物に供養の気持ちもない
外道らじゃ。関東人に云わせると、ケチくさい畿内人の粗末にせん
食べ方の方が余程真っ当じゃ。

269:白馬青牛
07/10/12 23:39:33 lsNScILl
>>265
そもそも、傷ついた動物や、弱者に温情を持つんが狩猟民の論理で、
間引きや僧侶、乞食を殺して自ら勇者と思い込む板東人に道義を求めても
無駄じゃと諦めとるわい。
『人国記』の「越後の国の風俗、千人が九百人は、人に負ける事を嫌ひて、
仮初にも勇を嗜み」と、相模の「科なき人に科を付けて謗りをなし、
非有る人にも、時めく人をば馳走常してこれを褒美し、常に栄花を好み、
好味を求めて酒色を弄ぶ風儀十人に八、九人かくの如し」じゃけんのう。
信州は「柔弱の人も、後には義理を知りて国風となるなり」と道徳心が
強いじゃの自己讃美じゃのう。畿内や山陰等の西国を根拠ものう貶すんは
東国文化人の一般的傾向じゃわい。
千葉氏の武士論は、戦国~近世の武士を中心に、現代に残る狩猟伝承との
比較考察されとる。
>>267
中国山地は貧しかったろうが、東国縦社会ほど悲惨じゃないよ。
尾張は、物質的、織田氏が如く家臣団の組織形態も先進地帯じゃったろう。
じゃが、織田信長は、京町衆や堺の自治を破壊し、門徒衆に圧力を加え、
東国に隣接地帯の東海勢力として、東国的圧政を西に押し付けた
馬鹿暴君で、滅ぶべくして滅んだが、東国的支配は豊臣、徳川に継続された
けんのう。強権専制云う意味じゃあ後進的であろう。
まあ当時の先進地帯は、門徒勢力の強い北陸や三河一向一揆等が、
東国の縦社会と違うんは糸魚川~浜名湖ラインの東西分岐点に求められ
よう、ほいで西の端で東に領地を得た徳川家康によって東西日本の
政治的統一が完了した云うことじゃ。東海地方は民衆は先進的じゃが
上層武士は、東国の影響を受け、政治支配には後進的じゃろう。

270:白馬青牛
07/10/13 00:25:04 yjcwPfLN
日本の東西境界は、糸魚川~浜名湖ラインとして、西洋は、東西冷戦時代の
エルベ川あたりか。東部ドイツはプロシア地方貴族の土地で小作農奴が
多く、独立自営農が育たんかったが、西部ドイツはそれと比べると先進
地帯であるが、英、仏の連中はドイツ自体、後進的じゃと。
ドイツで少々の違法行為でも市民が警察に通報するんは、社会的義務で
あると云う考えに対し、英仏の連中は、警察という公権力への密告は、
警察国家で、専制的全体主義のドイツ人のやることと眉をひそめる。
司馬遼太郎氏の大好きなオランダは市民社会を作り、ドイツは
違うんじゃろうか。ドイツの宗教改革やドイツ農民戦争もあったが、
日本の北陸や東海の一揆と比較出来よう。ドイツは西洋の西側か
東側か判断しずらい処。東日本は専制全体主義で、民衆は農奴で
東欧的、ロシア的な臭いが強い。道理で共産主義者や同類の板東人が、
関東武士がブルジョア的都の貴族や、都化した武士から、政権を確保した
関東武士万歳物語を喜ぶわけか。

271:人間七七四年
07/10/13 01:52:50 R8gmr4lC
>関東の名王者云うたら、加納貢氏や花形敬氏などの実戦に強い喧嘩のプロを挙げるんか思うたわい。
=゚ω゚) 関西きょくしんれんごうの渡辺二郎は極真ではなく日拳じやった。
もともと日本のボクシングを作ったのは渡辺勇次郎じゃのう。
実戦用の方言は鹿児島弁じゃろ。外務省も薩摩弁を暗号代わりに使用しておったそうじゃわい。

>宇都宮氏の全国悪党退治云うて、行った諸国の一覧表は?
宇都宮頼綱 : 奥州藤原氏討伐
宇都宮貞綱 : 『元寇』 鎌倉幕府軍総大将。
宇都宮公綱 : 楠木軍討伐
=゚ω゚) ふつうに鎌倉の治安維持部隊じゃが。

>そもそも関東の「つっ~」「~だ」のどこが荒いんか?
=゚ω゚) ふつうに喋っててもよく他の地域の人から喧嘩かとかん違いされるけどな。
おう牛ころきしょ、いしゃしとごどけっけめだちくらっぽいってげど
ほたしらばくってっがらでれすけだっちんだよ。

>シジミの身を食べん馬鹿がおる。命を取った生物に供養の気持ちもない外道らじゃ。
=゚ω゚) もったいないから殻ごと食え!

>『日本書記』は後世書かれた文学書じゃが
=゚ω゚) へ??

272:人間七七四年
07/10/13 02:58:27 4IDIPCWw
一回牛の脳内を覗いてみたいもんだ
多分三日ぐらいは楽しめる筈

273:人間七七四年
07/10/13 18:17:24 ADUqeeoH
まだやってるのか。
暇だから通報でもしてみるかw

274:人間七七四年
07/10/13 18:21:37 kt5uKf7g
たのんだぞ

275:白馬青牛
07/10/14 01:02:43 wfC4GoiS
>>271
奥州藤原氏が悪党か?『元寇』戦の武勲は何か?全て宇都宮氏に限らんこと
じゃないか。
他地域云うてどこのもんが、柔な関東弁を喧嘩と勘違いするんの。
わりゃシジミの殻を食えるんか?わしゃあシジミの身を云うたんじゃが。
『日本書紀』が文学書じゃのうて何なら?宗教の経典か?

276: ◆26IT/WpOkg
07/10/14 01:56:46 BS7jHJb5
usiわろす

277:人間七七四年
07/10/14 02:17:01 3LrvEbul
>織田信長は京町衆や堺の自治を破壊し門徒衆に圧力を加え東国的圧政を西に押し付けた

=゚ω゚) 京町衆の自治とは法華一揆の事かいな?
一向宗vs法華vs南都北嶺の見苦しい宗派間の縄張り争いじゃないかね?

学生コミュニストじゃあるまいし堺の町衆が平和な自由都市じゃったと思うちょるのか?
京も堺も武器商人ばっかしぞね。
重商主義が常備傭兵を雇いいれても石原莞爾の言うように
『金で備われて来る兵士に対しては、どうしても専制的にやって行かねばならぬ。兵の自由を許すことはできない』
兵卒にとってはあまり平和とはいえん状況じゃったろう。

>全て宇都宮氏に限らんことじゃないか。
=゚ω゚) おまいさんが 『宇都宮氏の例を挙げろ』 と言ったんでないかい。相変わらずじゃのう。

278:人間七七四年
07/10/14 02:24:19 3LrvEbul
=゚ω゚) しかし牛はシジミの殻食えないのか?土光さんはカニの殻まで食ったらしいぞ。
藻前も土光さん見習って立派な牛になるんじゃぞ!
ちなみに今日のウチの晩飯はシジミ汁じゃったが、もちろん殻は捨てた。

279: ◆26IT/WpOkg
07/10/14 08:46:20 BS7jHJb5
寛文のころ、外舅江戸在番より庄内へ帰りて、江戸表繁盛のよし咄けるに、右外曾祖母の云、
江戸はさほどに繁盛なりたるや、昔初て江戸へ大阪より下りたる頃は、よし沼のみ多かりし。
日本橋と云所にて、刀脇差ぬきもちてわやわやといふもの有しに、乗物の内より供の若党に、
喧嘩がゆくにやと尋しに、いや刀を売買ふにて候と、答たりしと咄しけると也。
乱世の後にて、立ちながらも抜身を持て、坂東声にて応答などしたらんには、
畿内の声なれぬには、喧嘩とも思ひけんかし。
大坂にては、その比江戸ものを関東べい、関東ざアといひて笑ひたると也。
今大都会と成て、物言も華に変じぬ。
(『異説区々』)

畿内は言葉甚だ乱雑也。分て京摂は他方混じて野となること多し。
(『橘庵漫筆』=19C初頭、田宮仲宣)

280:人間七七四年
07/10/14 18:43:31 XPjskXZO
>>272
裏を返せば三日で飽きる程度と言うことか!

281:白馬青牛
07/10/14 22:18:31 wfC4GoiS
>>277
信長によって堺や京の町衆自治が壊されたわけじゃが、学生コミュニストの
云うて、誰の意見か?町衆による合議制は、東日本縦社会の専制より
ましじゃろう。傭兵が西洋でも人身売買の品物じゃったんは、>>266でも
封建領主による自国兵も売買したことを挙げとるで。西洋の例では、
農村が兵火に荒らされる。直接に兵火にさらされなくとも、戦費調達、
物資の徴発が厳しいことから喰うことが出来ん農民が増える。そうすれば
兵隊を募り易くもなる。戦争は戦争を養うもの。英国が、植民地アメリカの
反乱軍を鎮圧する為の軍隊で傭兵をドイツの領主から買いとった値段が、
2万9千人で7百万ポンド。
「好鉄不打釘、好人不当兵」良い鉄は釘にせず、良い人間は兵にならない。
近代国家以前の領民兵、傭兵等の兵隊は、概ね奴隷じゃった。まあ、
傭兵でも技術を持った職能集団は、売り込み先が多きゆえ、幾人かの
領主側と交渉出来るじゃろう。同じ傭兵でも農民が徴発された場合と
技術集団じゃあ違うわいのう。

282:白馬青牛
07/10/14 22:50:04 wfC4GoiS
>>278
シジミの殻は喰えんが、カニの殻は油で揚げるか、殻を粉ぐらい砕いても
喰えるど。隣の岡山県人の土光敏夫氏は、財界には珍しい、質素な暮らしを
された方で、立派なことじゃ。わしも見習いたい。じゃがわしは、酒食に
溺れる悪い癖がある。反省すること毎度が現状じゃ。
間違うても太閤秀吉のような贅沢な見識も程度の低い人物をまねせんように
じゃのう。と云うてもわしに、贅沢する金が無いんは幸いなことよ。
明日から忙しいけえ、2、3日書けんわい。はあ、寝るど。


283: ◆26IT/WpOkg
07/10/14 23:15:05 1IXzR1kK
しじみ論争はusiの偏見w

284:人間七七四年
07/10/14 23:58:33 XPjskXZO
牛の辞書に反省と言う言葉があった事に驚いた

285:人間七七四年
07/10/15 00:11:36 /GCmAc0k
>281
=゚ω゚) それは西国の名主制の名残ではないか?おまいさんの言う農民の徴制も
西国では荘園の名主に徴税と人員徴集を拠ったのに対し東国では軍事態勢が確立したので
名主ではなく郎党や地頭になった。この西国荘園制からはみ出したのが牛の好きな西国悪党だろ。
東国では荘園なんて、その頃にはほとんど廃れておる。

富裕都市国家が兵役を嫌いプロ傭兵を雇うのはイタリア戦争の常道
ルネサンスイタリアでは奴隷(傭兵)が王になると言われたほどだ。
もっともルネサンス傭兵隊もスイスの長槍傭兵隊には手も足も出なかったようだが・・・

石原莞爾はこう続けておる。
>常備傭兵になりますと戦術が高度に技術化するのです。くろうとの戦いになると巧妙な駆引の戦術が発達して来ます。
つまり技術集団じゃあのうてプロ集団じゃ。維持するのに金がかかる。
17Cのフランス高官が言うには「スイス傭兵に支払う金額はパリからバーゼルまでの道を金で覆い尽くせる」
とまで言わしめた。スイス「血の輸出」だな。

>同じ傭兵でも農民が徴発された場合と技術集団じゃあ違うわいのう。
=゚ω゚) それは百姓をなめすぎ。江川太郎左衛門が泣いておる。
♪富士の白雪ゃ農ー兵~♪

>282
=゚ω゚) おう、国のために働けよ牛!

>283
=゚ω゚) そうね。オイラはふつうに食うちょります。

286: ◆26IT/WpOkg
07/10/18 19:08:06 fHAlK/ue
usiが来ないと過疎る

287:白馬青牛
07/10/19 00:08:36 KjW1To1U
>>283
しじみ論争はわしの偏見?わし自身や知人の関東食文化体験もあって云う
とることじゃ。ネットで検索したら、面白い見解も出て来るのう。
URLリンク(blogs.dion.ne.jp)
「師(三遊亭円丈)曰く、東京モンはしじみの身を食べず、汁だけ飲み、
名古屋人は身を食べるということだ。」と、なると名古屋人=狩猟民、
東京人=農耕民云うことか。静岡県でもしじみの身を食べたようじゃ。
>>284
わしが反省もせん傲慢な人間じゃ思うとったんか?
>>285
西国と東国の社会制度の違いは、荘園云う以前に、西国の横の一揆連帯と、
東国の縦の主従関係の惣領制の違いがあろう。荘園が崩壊しても、
新しく支配者が変わっただけで、主人と奴隷の関係は変わらん。
西洋では、英語でスイス・ガードと云えばスイス人傭兵じゃが、
ドイツ系の「ランスクネ」も同様、山岳傭兵で需要があったわい。
スイスの国自体が、1848年まで傭兵口入稼業をやりよった。
スイス傭兵の歩兵長槍部隊は馬上の騎士を引きずりおろして討ち取っよった
けんのう。

288:白馬青牛
07/10/19 01:24:07 KjW1To1U
>>285
石原莞爾氏の最終戦争論で、「長年養って商品化した兵隊は非常に高価で
濫費することは、君主として惜しいので、なるべく斬り合いはやりたく
ない。」ことから持久戦になり、「なるべく兵の血を流さない戦争」と
云う牧歌的なもんがプロ集団と云えるんか?
金がかかる以前に、シェイクスピアの『ヘンリー四世』の150人の兵隊を
募る代わりに(独身者に徴発を集中して身代金を要求)300ポンド以上の
金を手に入れ(免役料を出した奴らの埋め合わせに雇い入れ)て員数を
そろえたよう、中国国府軍の徴発のやり方、将校が給料を着服するやり方
と同じで両者の違いは、西洋が近代国家の成立が早かっただけじゃ。
百姓をなめとるんじゃのうて、同じ傭兵でも無理矢理兵卒にされたんと、
錬度の高い戦闘技術を持って傭兵になった集団と分類する必要がある云う
ことじゃ。

289:人間七七四年
07/10/20 01:07:54 itQrH0e1
>ドイツ系の「ランスクネ」も同様、山岳傭兵で需要があったわい。

=゚ω゚) 『ランツクネヒト』ね。「Landsランド田舎-Knecht兵士」南ドイツの傭兵隊。
山地出身者も居たけどランツクネの大部分は都市部の流人、無宿人そして零細農家の次男、三男だよ。
騎士に雇われた無宿人部隊。ヨーロッパの悪党部隊じゃのう。
・・・つーかマジで悪党軍団だったようだが。

それに対してスイスは国家統制の出稼ぎ傭兵だな。
国家契約条項の中に「スイス兵は分散させずに一まとめにしておき本人が帰国を望めば
これを許可する」の条項が有る。
ハイジのおじいさん(アルムおんじ)もナポリのスイス傭兵隊所属じゃのう。

>「なるべく兵の血を流さない戦争」と云う牧歌的なもんがプロ集団と云えるんか?
=゚ω゚) 当時の傭兵は基本素人だよ。だからスイス式槍の方陣体形が多く使われた。
これならたいした訓練は要らないからな。
スイス兵はランツクネヒトの銃攻撃に破れ。ランツクネヒトは経済破壊によって衰退し
それらは軍律によって訓練された近代組織のオランダ軍プロ歩兵によって駆逐される事となる。

290:白馬青牛
07/10/20 22:58:25 MbzmAPBt
>>289
東日本の無宿人と西日本の悪党を同一視出来んわい。社会組織が違う。
グィッチャルディーニは、ルネッサンス期の傭兵について、
「彼らは、一つの要塞を攻略するのに、一夏を費やした。その為に、戦争は
果てしなく続いたが、その作戦行動はわずかな戦死者を出すだけで、
ときにはまったく戦死者を出さずに終わることもあった」と、傭兵は
敵味方お互いにビジネスでやっとるわけじゃし、両者とも不利益なことは
せんよ。
ほいで国営傭兵と違い、封建領主の私兵の場合は、自己の運命が領主次第に
なるけんのう。傭兵にも様々種類があるわ。

291: ◆26IT/WpOkg
07/10/20 23:41:59 XllIGdL+
江戸期、宗門人別帳から除外された者が無宿。
中世の悪党と比較しようも無いが、そりゃ社会組織が違うワイ

292:人間七七四年
07/10/21 02:55:02 ZHjarGIw
>ルネッサンス期のルネッサンス期の傭兵について
=゚ω゚) かのマキャベリが言う傭兵の「無血戦争」の事だな。
だがルネッサンス期の傭兵の場合、重装騎兵のみを戦力と数え、歩兵や兵站要員は
「人間ではない存在」ので無視される。実際の死傷者数はもっと多かったと言われる。

また強すぎる傭兵隊長は危険視され、政府や教会にマジで誅殺されたため、敵味方の隊長同士で通じ合い
契約期間(約半年)をひたすら消化する事に務めた。
もっともこのイタリア傭兵はフランス王率いるスイス長槍部隊によって駆逐されるのだが・・・

>東日本の無宿人と西日本の悪党を同一視出来んわい。社会組織が違う。

=゚ω゚) ??以前書いたと思うが北畠親房は
「諸国同時ト申シナガラ、当国ハ殊ニ悪党蜂起ノ聞ヘ候」と東日本悪党の規模の大きさを
示唆している。彼等は武家も多い。

293: ◆26IT/WpOkg
07/10/22 00:27:48 KqEfhAWG
usiが貶す近世の薩摩

▽『西遊記』 寛政7年刊行、著者橘南谿(1753-1805 伊勢国出身、京の医師)
薩摩国は日本西南の限りにて極辺境なるがゆへに、他国の人の往来も少なく
又、国境の関所堅ければ商人も入ること少なし、まして遊歴の人は猶さらなり。
其故に人民朴質にして絶て戦国の余習去らず、人々義烈をたつとぶ事天下無双にして他国の及ぶべきにあらず。

294:白馬青牛
07/10/22 00:28:35 fbXoThL6
>>292
ルネッサンス期自体、重装騎兵隊「徒歩の小姓(騎士予備)と従者
(一部は馬と共に後退し、一部は長槍を持って騎士と共に前進する)」の
編成で。兵站要員は徴発された民としても、そがいな編成で実際の
死傷者数が増えるんか?
傭兵隊に迷惑したんは現地民で、徴発(略奪)と強姦と軍紀の弛緩した
集団じゃったけんのう。
横社会の合議制の西日本と縦社会の主従制の東日本の社会組織が違う
云うことで、悪党の形態も違う云うたんじゃが。

295:白馬青牛
07/10/22 00:40:27 fbXoThL6
>>293
わしが貶す?儒教朱子学国家の薩摩じゃあ、門徒衆は、隠れキリシタンと
同様、隠れ念仏にならにゃあいけんかったけんのう。李氏朝鮮と同じ形態の
薩摩は、朝鮮的、朱子学的伝統から義烈をたつとぶ事天下無双じゃのう。
幕末でも伝統を引継ぎ、昨日は会津、今日は長州と腰が軽い。
まことに人民朴質な伝統よのう。

296: ◆26IT/WpOkg
07/10/22 00:54:23 KqEfhAWG
一向宗は檀家制度に感謝しないとな

297:人間七七四年
07/10/22 20:56:27 hSb/7aMK
>294
>重装騎兵隊「徒歩の小姓と従者。兵站要員は徴発された民としても、
>そがいな編成で実際の死傷者数が増えるんか?

=゚ω゚) 増えないだろうねぇ歩兵が少なすぎる。石原莞爾が言う商人に雇われた高価な兵隊がこれだろう。
でもシェナなんかは傭兵隊によって陥落してるようだし、まじめに戦ってたヤツもいたと言う事なんだろう。
それに流れ者の傭兵たちを定着させて戦わせないようにしたのが
元傭兵隊長のスフォルツァ公自身だったりする。
商業都市にしてみれば儲からない戦争は必要ないと言う事だろう。

悪名高きランツクネヒトですらドイツ農民戦争の鎮圧部隊に投入したら逆に寝返って農民の味方になって
反旗をひるがえした部隊も有ったという。
まぁ戦う時は戦うが、戦わずに済めばそれにこした事はない。

298:白馬青牛
07/10/23 23:52:37 AOdxEEmy
>>296
檀家制度の懐柔策を採った徳川幕府に、何で感謝する必要があるんか?
>>297
儲からん戦争云々以前に、前の時代のジョン・ホークウッドらの市民に
対する掠奪、強姦もひどかったわいや。
ほいで、傭兵は後にスイスや南ドイツ、ウェールズ、スコットランド等の
山岳兵が多い。アイルランド兵の場合は山岳兵と言い難いが。
まあ支配者は同族よりも支配した地域の民を前線兵士に使うが、
英国は世界中に植民地を持ったけえ、後世は、インド兵やグルカ兵を
使うた。特にチベット系のネパール山岳民のグルカ兵は、現在でも
世界最強の評価もあるけんのう。
イスラム社会の軍人奴隷でも、コーカサスの山岳兵は評価が高かったわい。

299:人間七七四年
07/10/24 01:13:08 PLspQ+KO
=゚ω゚) ホークウッドはイングランド人じゃろうが・・・
ふつうに悪名高かっ・・・いや強かったのはドイツやボヘミアの傭兵だよ

もっともそんな傭兵、重騎兵たちも、オランダ国軍の歩兵、砲兵、軽騎兵、による
自在な機動力と組織戦、塹壕戦により駆逐される。オランダ独立戦争だな。
そして彼等はスペインからの独立を果たし1600年の日本へとやって来るワケだ。
・・・やれやれ、やっと繋がったわい。

そういやこの頃、黒田官兵衛は関ヶ原のドサクサにまぎれて近隣から兵を金でかき集め
領地を広げまくってたな。

300:人間七七四年
07/10/24 07:04:06 +PwQWSXC
天理教幹部が、繰り返し脅迫電話。仕事先の電話番号まで調べてかけてくる悪質行為。
スレリンク(psy板)l50

301:人間七七四年
07/10/24 20:44:16 xQwlbqik
旧軍で精鋭といえば九州と東北の師団だったがなあ


302: ◆26IT/WpOkg
07/10/24 20:48:50 pQ93fnHZ
>>298
檀家制度で繁殖したのが一向宗だから

303:人間七七四年
07/10/24 20:51:06 xQwlbqik
>>302
講っていうんだよ
S学会は現代風にアレンジして広まった

304: ◆26IT/WpOkg
07/10/24 21:10:44 pQ93fnHZ
檀家制度と講は特に関係ない
講に近いのは田植行事も。『田植草紙』などの
田植新庄クジ運いいな

305:白馬青牛
07/10/24 23:06:46 Bi9R4pw9
>>299
ジョン・ホークウッドは、エセックスの革職人の倅じゃが、イングランドも
傭兵の産地で、海外傭兵輸出国じゃ。ドイツ・ボヘミア傭兵が強かった
んか?後世の第一次大戦のスコットランド高地部隊とドイツ軍の戦いでも、
スコットランド兵は強かったし、新大陸でも、英国のケルト系は傭兵として
ドイツに劣らず需要も高かったよ。ほいでそのオランダも、後世
インドネシアでは日本軍との闘いに逃げる闘志欠如じゃった。
まあオランダとイタリアは弱兵の評価もあるが、ガチンコで他国と戦闘した
場合は強いんか弱いんか解らんわい。
>>301
旧軍の精鋭といえば、世間の風評人気の九州と東北の師団に対し、歴戦の
実績を誇る実力の広島師団よのう。九州と東北の師団云うて、九州には
熊本師団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の兵)と北部九州の久留米師団
(福岡・佐賀・長崎の兵)で、東北では弘前師団(青森・岩手・秋田・
山形の兵)と仙台師団(宮城・福島・新潟の兵)であるが、具体的九州と
東北の中でもどこの師団を想定して云うとるんか?その中で広島師団
(広島・島根・山口の兵)よりも実績のある師団があるんなら、具体的に
示さんかい。

306:白馬青牛
07/10/24 23:17:22 Bi9R4pw9
>>302
ほう、全国的な檀家制度でも西国は格差の少ない横社会で、東国は地主と
農奴奴隷の格差のある隷属縦社会じゃった云うことか。社会基盤が
列島東西じゃあ違うけんのう。同じ制度でも風土の「性」が違うわいのう。

307: ◆26IT/WpOkg
07/10/24 23:27:36 pQ93fnHZ
檀家制度は檀那寺である寺と個人(家)の関係だろ。
その上の本寺、さらに幕府や藩は君臨するが。
なんで東西の横とか格差だとか出てくるの?w

308:白馬青牛
07/10/24 23:58:54 Bi9R4pw9
>>307
列島東西の社会組織の違いを無視して、うわべだけを見ても意味がない
云うことじゃが。

309:人間七七四年
07/10/25 00:08:08 1R3NMOTL
>303
=゚ω゚) 講は現代の相互銀行の前身でもあるね。保険の無い時代には重宝だったのだろう。
幕末最強の経営コンサルタント二宮金次郎も信用組合方式じゃけんのう。

だがしかし、凶悪な講も有る。
ネズミ講は無限連鎖防止法により姿を消したけど、その方式は生き残り
現在は直接金銭を使わず品物を会員制で子ネズミを増やす『マルチまがい商法』となりもうした。
もし、その様な連中に「それはネズミ講ですか?」と尋ねてみて
「違います!そう言う貴方こそネズミ講って何だかご存じなのですか!!」と聞き返してきたら
そいつは間違いなくマルチ商法です。
ちなみにマンガのナニワ金融道でも同じ事をやっている(藁


>>305>ドイツ・ボヘミア傭兵が強かったんか?

=゚ω゚) だからそのドイツ傭兵が>>287の「ランツクネヒト」だっちゅうのっ!
ボヘミア傭兵が強かったのはトルコと戦っていたから。
えげれすのホークウッドが戦に巧みなのは当時、英仏100年戦争が終わったばかりだったから。
オランダ兵が強かったのは国が貧乏でロクな傭兵が雇えなかったので
自軍を一生懸命訓練したからw
要するに戦歴と練度の差だわ。

まあ、彼等もカルヴァン派やフス革命の宗教革命の戦士であったと言えなくもない。。。かな?

310: ◆26IT/WpOkg
07/10/25 00:14:28 j3/zTrtT
>>308
宮本常一の粗い区分けだろ
それこそうわべだけだろうよ
田植草紙にも田主殿を称える歌があるし、田植行事も中国地方の縦社会を表してるよ。
時代が下るが、江戸後期・幕末の広島藩内で一揆・打ち毀しが頻発してる事実をどう説明するんだ?

安芸国内の一向宗寺院も、毛利と本願寺の濃密な関係以降に他宗から転宗した寺院が多いんだろうよ。
それに寺檀制度下において寺院数が飛躍的に増加した事実は全国共通のことだし、
だから安芸に浄土真宗寺院が多いからといって、安芸人が戦国以来の門徒だと言えない罠。
真宗寺院を中核とした講が存在したのが近世の安芸門徒ではあるが、かなりの安芸百姓にとってもルーツは葬式仏教だよね。
まあ以前usiが書いてた「(安芸武士が)門徒だから強い」だなんて屁理屈は通用しないって事だ。


311:白馬青牛
07/10/26 01:42:01 981F4Esj
>>309
百年戦争のイングランドの弓隊とホークウッドの重装騎兵隊は違うけど。
オランダ兵が強うなったんは市民社会制度の影響もあろう。
>>310
宮本常一氏は文献の机上の理論じゃのうて、実際日本各地の農村を回り、
調査されとるよ。その何処がうわべなんじゃ?
宮本氏の広島県の地主と小作の家がほとんど見分けることが出来んのに
較べ、関東・東北の地主と隷属小作の格差社会、非平等社会の方が
可笑しい。誰かが富む者がおったら、それだけ貧しい者が増える。
ほいでも関東人は弱肉強食じゃけんのう。旅行してその土地の建築物を
見たら解ろうに。
全国共通を強調するが、一揆も社会形態や地域の風土によって異なる。
真宗王国の広島県や北陸は東国に多い間引きはせんよ。
URLリンク(www2.tiara.cc)
安芸門徒の「進者往生極楽 退者無間地獄」よのう。
戦国以来の伝統じゃ。屁理屈は毎度コピーを繰り返えす蛙君の方じゃ。

312: ◆26IT/WpOkg
07/10/26 07:48:36 I95x4MFj
戦国以来の伝統は北陸であっても安芸ではない。
安芸は毛利家中の侍。

313:人間七七四年
07/10/26 23:45:53 hoKbWGzS
格差とか差別って言葉すきだねぇ。そういうのって普段からそういう環境に
いる人がよく使うんじゃないの。なんか、異教徒の存在は認めない、自分らは
選ばれた人間だって叫ぶ連中と似たニオイするんだよな奴からは。

ま、そういう人種だったとしても納得だけど

314:白馬青牛
07/10/27 01:25:24 fiy+C9K6
>>312
戦国以来の伝統は北陸にあっても安芸ではない。云う根拠は何か?
板東武士の末裔がほとんどの安芸の国人連合の傘連判状等は、西日本の
合議制、横社会の影響で、東日本の惣領から名子、下人の東国縦社会とは
違う。
>>313
格差とか差別?わしゃあ、格差について云うたが差別についてあんまし
云うとらんのう。異教徒云うて、わしが「日本女性は処女性を重んじない」
スレで福音派原理根本主義者をカルトとしたことに、反撥しとるんか?
聖書根本主義者の方が、「天国移送」でキリスト教徒だけが
選ばれて救われるじゃの、異教徒の存在を認めてないじゃないか。
道理で「選ばれた人間」云う言葉が好きなわけか。
まあ、宗教右翼が憎悪する共産主義国家じゃあ、人民の国家ゆえ、
人民の利益に反するものはないとして、労働者、人民のデモ(ネットウヨの
云うプロ市民の活動)が禁止されたわいのう。つまり共産主義も、
ネットウヨのファシズムも専制全体主義で、民主主義を否定したいん
じゃろ。歴史学でも歴史の必然と科学的法則を信条とする左翼史観の
マルクスと帝国主義的、合理主義実証史学ランケは共にヘーゲル流
弁証法の影響を受けたが、机上の理論で文献解釈するドイツ観念論で、
研究室に引きこもって、主観的な空理空論を、科学的法則じゃの、
客観的に検証じゃのと妄想を唱えるわけじゃ。
教条的右翼と教条的左翼は似とるのう。民主主義より突出した資本主義と
共産主義(労働者の代表の前衛と前衛の操り人形の大衆)も社会を
富める者と貧しい者と二分化する類似点もあるわい。
マルクス史観の石母田流鎌倉、関東武士マンセーも、その影響で関東武士を
美化する連中もマルクス左翼史観の臭いは強いよ。ネットウヨも同様に、
いや観念論に、新興宗教の影響も加わるけえ悪臭が強い。
あんたは、そういう人種なんか?


315:人間七七四年
07/10/27 01:49:30 JSvCx2bK
知らん。

316:人間七七四年
07/10/27 21:03:06 kHH6XopD
相変わらず牛は末枝端葉の事に無駄な単語をこねくりまわしながら噛みついてごまかすのが巧いな

317:人間七七四年
07/10/27 22:16:55 YrA9e5bW
>安芸の国人連合の傘連判状等は、西日本の合議制、横社会の影響で
>東日本の惣領から名子、下人の東国縦社会とは違う。


=゚ω゚) へえ~なるへそ、そうだったのか?勉強になるなぁ。オイラも調べてみよう。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
【 傘連判状 】 
傘連判状(からかされんぱんじょう)とは、江戸時代の百姓一揆などに代表される署名形式。
通常の連判状では最初に名前が書かれているものや上部に書かれているものが
責任者とされがちなのを回避して、皆が中心より放射線状に署名した。特に首謀者を隠すためでもある。

この独特な署名形式を拡大解釈して「一揆では加盟者全員が平等の立場であった」とする
主にプロレタリアートによる歴史認識が学校教育の場などで広まっている。[要出典]

=゚ω゚) がははははははは!最後の2行は、ちょっと笑った。

318:人間七七四年
07/10/28 01:23:38 bOOPv5J2
牛語録
プロ市民活動の禁止=民主主義の否定


319:白馬青牛
07/10/28 02:13:10 ChAlkJDm
>>316
末枝端葉云々は、以前から騎馬民族スレ等で、わしに対し反論者が採った
つまらん常套手段じゃ。ほいでわしが誤魔化した云うんはどの部分かい
のう?具体的に云えーや。
>>317
最後の2行だけじゃのうて、全体の文が既に思想中毒に侵されとるわい。
加盟者が対等と立場で署名する合議制がプロレタリアにゃあ爆笑もんよ。
前衛たる指導者、独裁者がおらんのが気にいらんのかいのう。
>>318
民主主義じゃけえ、プロ市民だけじゃのうて、カルト宗教団体に率いられた
ネットウヨのプロ奴隷の活動も禁止されとらんよ。


320:人間七七四年
07/10/28 09:04:55 bOOPv5J2
特定アジアの犬となっての工作活動も自由だしな

321:白馬青牛
07/10/29 01:58:17 x3fSRQfD
>>320
特定アジア云う言葉自体、ネットウヨじゃ宣言しょうるようなもんじゃ。
中華文化圏の台湾は、中国や朝鮮と区別し、なんで特定アジアに
含まれんのか?要は文化よりも政治思想で云うとるだけじゃろう。
政治思想で他民族を排斥するんは、思想中毒にかかった洗脳された
哀れな人間よのう。
前線で闘うた将兵は、日中双方敵味方の彼我に分れても、敵軍将兵の闘志を
尊敬し合うたわい。お互いの健闘を讃える。それが日本人の武士道
(他民族の将兵も誇り高き戦士であった。)じゃないか。
他民族排斥政治思想中毒患者のネットウヨは、日本人の誇りを貶めること
甚だしい。これらのネットウヨらこそ、日本人の誇りを汚す売国奴に
ほかならん。風の悪りいことよ。

322:人間七七四年
07/10/29 08:29:24 YNXJAeXd
選民思想丸出しの牛に言われても失笑するしか

323: ◆26IT/WpOkg
07/10/29 23:31:17 2lYbp8N3
しかし県外人の広陵以外ダメダメだなヒロシマ
>>311
常一は西国厨
>>314
北陸と安芸じゃ濃さが違うだろうに
真宗は実に葬式仏教向き
以前に書いた仙道一揆とか

324:人間七七四年
07/10/30 00:34:30 63J1vaMy
=゚ω゚) 新約聖書か・・・まぁあれ自体は選民思想に結びつくとは思わんが
イエスの過激なユダヤ教改革がいつの間にか他宗派否定になってしまったんだろうな。
大友宗麟は教会を建てるため寺社に火を放ったとか。うーむ。

>真宗は実に葬式仏教向き
=゚ω゚)ノ 教行信証発祥の地、坂東もお忘れ無く。

325:白馬青牛
07/10/30 00:44:33 C52SuSeD
>>322
選民思想は排外主義のネットウヨの方じゃ。
>>323
高校野球秋季中国大会の県大会1位の総合技術高校が、下関商に9回表まで
6対2でリードしとりながら、9回裏にサヨナラ負けしたんが嬉しいんか。
まあ、残心が欠如しとった云うことよ。今年の夏の県大会決勝戦でも
紙一重で広陵に負けたわい。もし勝って甲子園に出よってもおよそ
優勝戦まで行くこたァ出来んかったろうのう。戦闘に必要な
「最後の五分間」の欠如じゃ。
そういやあ、宮本常一氏や江上波夫氏を援助した旦那は関東人の
渋沢敬一氏じゃったのう。安芸神機隊に討たれた渋沢平九郎氏と同じ
渋沢一族じゃ。
じゃけえ、北陸門徒、安芸門徒、三河門徒も含め濃さの違いが、
どう違うんか具体的に云わんかい。

326:人間七七四年
07/10/30 00:54:47 63J1vaMy
=゚ω゚) はははは。相変わらず渋沢平九郎一人に、てんてこまいじゃのう。
まぁ手負いの平九郎に脇差し一本で撃退されたのだから仕方がない。

>じゃけえ、北陸門徒、安芸門徒、三河門徒も含め濃さの違いがどう違うんか
=゚ω゚)ノ 教行信証発祥の・・・

327: ◆26IT/WpOkg
07/10/30 01:39:15 JfkCli31
>>324=゚ω゚)
茨城県民か?w
真宗は近世という時代に見事なシフトチェンジをしたよね。
>>325
つ如水、田植新庄がっかりだぜ。
だって著名な活動の北陸と違うやん。
安芸の同行講ってのも、近世小農の自立以降だろうよ。
葬式仏教たる檀家制度とも絡んで。
>>325=゚ω゚)
中央進出、カルト臭とともに勢いを増したからな(健康ランド)

328: ◆26IT/WpOkg
07/10/30 01:51:43 JfkCli31
延慶3年(1310)、『国牛全図』を置いとくか

「馬は関東を以て先とし、牛は西国を以てもととす」

329:人間七七四年
07/10/30 23:56:07 38h9O8Ts
正体は特定アジアの犬だったか・・・

330:白馬青牛
07/10/31 01:40:11 Zs9MAX4M
>>324-326
新約じゃのうて旧約聖書のことじゃろう。板東?関東は、特に茨城県は
儒教朱子学の発信地「水戸学」じゃないか。思想性が強い土地柄よのう。
テロリストの産地じゃし。広島人は、杉本五郎少佐のように、
天皇絶対主義であっても、自国絶対主義じゃないし、中国大陸でも
日本軍の掠奪を皇軍の恥とされる。元来現実重視の広島人は思想狂信者は
少ないよ。茨城人でも、桑島節郎曹長のように、日本軍の蛮行を隠蔽せず、
戦場の真実書いた方もおられるけえ、全ての茨城人が狂信者と云えん。
まだ、渋沢平九郎氏を美化したいんか。降伏せず暴れたけえ、安芸神機隊は
討ち取るしかなかったよ。脇差を返して貰いながら、神機隊を罵るんが
関東人の性格じゃけえ、恩義を知らん困ったもんよのう。


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